一昨日ご紹介した『岩手日報』さん掲載の記事「「非常の時」共感呼ぶ 高村光太郎が花巻空襲後に詩作 勇敢な医療者たたえる」の関連記事が、やはり同紙に出ました。 

「非常の時」に将来重ね 花巻高看 高村光太郎学ぶ

 花巻市東町の花巻高等看護専門学001校(大島俊克校長)は14日、1年生の文学の授業で、彫刻家で詩人、高村光太郎(1883~1956年)を取り上げた。終戦5日前の花巻空襲の負傷者の救護に当たった医師や看護学校生らの勇敢さを讃えた詩「非常の時」も紹介。新型コロナウイルス感染症拡大の現状で、学生は非常時に何をなすべきか、将来の看護師としての自身の姿に思いをはせた。
 文学の授業は約40人が受講。非常勤講師の阿部弥之さん(73)が、宮沢賢治(1896~1933年)の作品紹介に尽力した光太郎の功績、総合花巻病院の前身、花巻病院院長の佐藤隆房博士(1890~1981年)との関わりを説いた。
 「非常の時」について阿部さんは「花巻空襲で動揺したりうろたえたりせずにやるべきことをやった医師や看護学校生に感激して書いた詩」と述べ「こういった学校の歴史を知ってほしい」と呼び掛けた。
 授業を受け関心を高めた学生。阿部菜月さん(18)は「非常時に、人のために行動できる看護師になれるよう勉強を重ねたい」と誓った。石田あかりさん(18)は「宮沢賢治や高村光太郎といった偉人と関わりのある病院や学校で学べるのは誇り」とかみしめた。
 光太郎が疎開先の花巻に向けて東京・上野をたった1945年5月15日にちなんで、例年5月15日に高村山荘詩碑前(花巻市太田)で高村祭が開かれ、看護学校生が「非常の時」を朗読するが、今年は新型コロナウイルスの影響で同祭が中止となった。


記事にある通り、例年せあれば昨日は高村祭でした。やはり記事にあるように看護学校の生徒さんが「非常の時」を朗読して下さり、それから昨日もご紹介した「手づくり光太郎マスク」を贈られた太田小学校・西南中学校の児童生徒さんによる群読や音楽演奏、そしてこのところ、花巻農業高校鹿踊り部さんの演舞なども盛り込まれていました。

ここ5年間の様子、以下にリンクを貼っておきます。

 平成27年(2015)  平成28年(2016) 平成29年(2017) 平成30年(2018) 令和元年(2019)


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いつも書いていますが、来年以降、旧に復することを祈念して已みません。

そして、看護学校生の皆さん、この大変な時期に敢えて看護の世界に生きていこうとするその決意には、花巻空襲の際に奮闘した医療関係者を光太郎が讃えたように、敬意を表せざるを得ません。彼らの未来に幸福あれ、とも祈念いたします。


【折々のことば・光太郎】

詩魂万機  短句揮毫  戦後期?

光太郎の言う「詩魂」とは、いわゆるポエムを作り出すためのものというだけでなく、「物事の本質を十分に見極め、さらに端的に美しく表現する精神」といった意味だと思われます。

「彫刻の本性は立体感にあり。しかも彫刻のいのちは詩魂にあり。」 (略)しかし彫刻にはもつと肝腎な根本生命がある。詩の魂である。立体感を重んずる余り、一にも二にも其事ばかりで彫刻を律してゐると、いつの間にか彫刻の生命が無機的なものとなる。芸術の総勘定としての生命が卻つて圧しつぶされてしまふ。(略)立体感をまでも生かすのは彫刻家の内にある詩の魂である。此所に詩と云ふのは、必ずしも文学的の謂ではない。所謂「詩的」なといふ事ではない。(略)人間の内にある名状し難い無限への傾きのやうなもの、結局「詩」とでも言ふより外言ひ様の無い、あの一つのものの事である。此があるからこそ、そもそも彫刻もはじまるのである。此の根本無くして何の立体感ぞ。詩の魂は翼を持つ。(「彫刻十個條」大正15年=1926)

そして「万機」。どんな機会にもその「詩魂」を見出しうるということでしょう。空襲という極限状況下でも、敢然と負傷者の救護に当たった花巻の医療関係者たちの精神も「詩魂」。現代の新型コロナ禍に対し、最前線で闘っておられる皆さんの精神も「詩魂」です。