このブログ、一昨日から、偶然ですがコロナ禍に関する地方紙報道シリーズとなっています。本日は『岩手日報』さん。 

「非常の時」共感呼ぶ 高村光太郎が花巻空襲後に詩作 勇敢な医療者たたえる

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が、東京をたち疎開先の花巻に向かった1945年5月15日から75年を迎える。終戦5日前に遭った花巻空襲で、負傷者の救護に当たった医師、看護学校生らの勇敢さをたたえた詩「非常の時」の情景が、新型コロナウイルスの感染リスクと闘う医療従事者の姿と重なるとして、共感が広がっている。非常時に人間は何をなすべきか、詩は訴えかけてくる。

非常の時003
人安きをすてて人を救ふは難きかな。
非常の時
人危きを冒して人を護(まも)るは貴いかな。
非常の時
身の安きと危きと両つながら忘じて
ただ為すべきを為すは美しいかな。

 「非常の時」は冒頭、こうつづる。非常事態時、自分の安全な状態を捨て、危険を冒して救護に当たることは難しく、貴い。身の安全や危険を意識の外に追いやり、なすべきをなすことは美しい―。
 光太郎は45年5月、花巻中心部の宮沢賢治の実家に疎開。同年8月10日に花巻駅周辺などが空襲を受け、花巻市が把握するだけで犠牲者は48人を数えた。光太郎は同日、宮沢家で初期消火を手伝ったとされる。
 「非常の時」は終戦後の9月に病院職員の表彰式に出席した光太郎が救護班として活動した勇敢な少女らをたたえ、祝辞に代えて朗読した。同市の高村山荘詩碑前で例年5月15日に開かれる高村祭では花巻高等看護専門学校生が朗読する。今年は同感染症の影響で中止し、山荘近くの高村光太郎記念館も休館している。
 花巻高村光太郎記念会長で同校長の大島俊克・公益財団法人総合花巻病院理事長は「医療人はコロナ禍でも、ある程度の危険は覚悟の上、携わっている。博愛の精神で患者に向かう姿勢は今にも通じる」と受け止める。
 同記念会は4月、光太郎ゆかりの太田小と西南中に贈った手作りマスクに詩の一節を書いたカードを添えた。活動の中心を担った井形幸江さんは「感染症をうつさない、うつさせない、うつらないためにできることは何か、と考えさせられる」と詩に向き合う。
 顕彰活動を行う高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会の小山弘明代表=千葉県香取市=は「非常の時」を「倫理を失わず、なすべきことを実践した病院関係者への畏敬の念が込められている」と解釈し「医療関係者への差別や偏見がなくなればと願い、この詩を紹介したい」と胸に刻む。


    非常の時   高村光太郎

 非常の時000
 人安きをすてて人を救ふは難いかな。
 非常の時
 人危きを冒して人を護るは貴いかな。
 非常の時
 身の安きと危きと両つながら忘じて
 ただ為すべきを為すは美しいかな。
 非常の時
 人かくの如きを行ふに堪ふるは
 偏に非常ならざるもの内にありて
 人をしてかくの如きを行はしむるならざらんや。
 大なるかな、
 常時胸臆の裡にかくれたるもの。
 さかんなるかな、
 人心機微の間に潜みたるもの。
 其日爆撃と銃撃との数刻は
 忽ち血と肉と骨との巷を現じて
 岩手花巻の町為めに傾く。
 病院の窓ことごとく破れ、
 銃丸飛んで病舎を貫く。
 この時従容として血と肉と骨とを運び
 この時自若として病める者を護るは
 神にあらざるわれらが隣人、
 場を守つて動ぜざる職員の諸士なり。
 神にあらずして神に近きは
 職責人をしておのれを忘れしむるなり。
 われこれをきいて襟を正し、
 人間時に清く、
 弱きもの亦時に限りなく強きを思ひ、
 内にかくれたるものの高きを
 凝然としてただ仰ぎ見るなり。



昨夜まで、断続的にメールや電話で取材を受けておりました。意外と言えば意外だったのが、詩の文語体が一般の方にはわかりにくい、という指摘。なるほど、そう言われればそうかもしれません。そこで、全文の口語訳を、と頼まれまして、無理くり訳し、メールにて送信しました。記事の冒頭近くにある「非常事態時、自分の安全な状態を捨て」云々(「うんぬん」です。「でんでん」ではありません。念のため(笑))は、そこからの抜粋です。

ついでですから、送った全文訳を以下に。新型コロナの関わりもあり、かなりの意訳にせざるを得なかったので、その点はご了承ください。また、当方、古文は専門外ですので、助詞、助動詞などの扱いに問題があるかもしれませんが、あくまで意訳ということで。

 非常事態の時に
 人が安全な状態を捨てて人を救うのは難しいことである。
 非常事態の時に 
 人が危険を冒して人を守ろうとするのは貴いことである。
 非常事態の時に 
 自分の身の安全や危険といったことを意識の外に追いやり
 ただ為すべきことをなすのは美しいことである。
 非常事態の時に
 人がこういうことを行えるのは
 ひとえに平常心が心の中にあって
 人をしてこのような行いをさせるのである。
 たとえようもなく大きいのであろう、
 常に心の中にしまわれている使命感は。
 盛んに発揮されるのだろう、
 人の心の中に潜んでいる責任感は。
  (花巻空襲のあった)その日、爆撃と銃撃にさらされた数時間は
 たちまちのうちに街を血みどろにし
 岩手花巻の街はそのために大混乱に陥った。
 病院の窓はことごとく爆撃のために破損し、 
 飛んできた銃弾が病棟を貫いた。
 この時、実に冷静に怪我人を運び
 この時、取り乱すことなく病人の看護に当たったのは
 神ではないわれらの隣人、
 与えられた場所を守って動じなかった病院職員の諸氏であった。
 神ではなく、しかし神に近かったのは
 医療関係者として職責を果たす使命感が自らの身を案ずる意識を忘れさせたためである。
 私はこのことを聞いて襟を正し、
 人間というものが時に清く、
 本来弱い者が時に限りなく強くなることに思いを馳せ、
 心に刻みつけられている使命感の実に高いことを
 ただじっと仰ぎ見るのである。

 
この詩を通して、とにかく訴えたいのは、現在、最前線で闘い続けられている医療関係者の皆さんに対する感謝、エールです。新型コロナによる日本の死者数が少ないのは、ひとえに医療関係者の皆さんのご尽力によるもの。政府の手柄ではありません。しかしながら、真逆に、医療関係者の皆さんが感染源となりかねない、との偏見が横行している現状には実に胸が痛みます。

医療関係者の皆さんへの感謝の意を示すため、各地の建物が青色(NHS=国民保健サービスのシンボルカラー)にライトアップされるなどの取り組みがアメリカで始まり、日本にも波及しています。しかし、日本での謝意表示はまだまだですね。もともと高度な医療を実践してきた日本では、医療関係者の皆さんの苦闘もあたりまえのように受け止められているのかもしれません。

「非常の時」が、そのような現状に対する警鐘として機能すれば、泉下の光太郎も喜ぶことと思われます。お読み下さった方、この詩の拡散を希望します。よろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

天人充満  短句揮毫  昭和25年(1950) 光太郎68歳

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どういうシチュエーションで この句が書かれたかまでは存じませんが、リンゴ農家で賢治とも親交のあった故・阿部博氏旧蔵の書です。想像ですが、自らを親切に遇してくれる花巻の人々を天人に例え、ここは天人が満ちあふれているような素晴らしい街だ、ということでしょうか。

「花巻」を「病院」に置き換え、この句もまた、医療関係者の皆さんに贈りたい言葉です。