ネタ不足で悩んでいるという嘆きに反応して下さり、各地から「こんな情報が」と、メール等で提供いただいています。ありがたいかぎりです。
今日は光太郎第二の故郷ともいうべき花巻からの情報です。
過日ご紹介しました、花巻高村光太郎記念館さんの手作り布マスクの件。光太郎が戦後の七年間を暮らした山小屋(高村山荘)のある太田地区の、太田小学校さん、それから西南中学校さんの、それぞれ児童生徒さん一人に一枚ということで、女性職員の皆さんが突貫作業で制作、寄贈されたそうです。
昨日、『岩手日報』さんが報じて下さいました。
新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けた取り組み。太田小には新渕和子さん、高橋順子さん、井形幸江さんが訪れ、梅木校長に児童の人数分のマスクを手渡した。
光太郎が詠んだ「非常の時」の一節が書かれたカードも添えた。1945(昭和20)年の花巻空襲で、医療活動に
励んだ総合花巻病院の医師や看護師らをたたえた詩。新型コロナの医療現場で奮闘する医師らの思いを子どもたちに伝える狙いがある。高橋さんは「感染症が早く終息してほしいという思いを込めて作った。喜んでもらえるとうれしい」と思いを込めた。梅木校長は「子どもたちの安全が第一。貴重なマスクを使わせていただき、感染者を出さないようにしたい」と礼を述べた。
画像、上二枚は西南中学校さん、一番下が太田小学校さん
での贈呈の様子。他紙も取材にいらしていたそうで、記事が出ましたらまたご紹介します(またこれでネタ的に助かります(笑))。
両校共に、毎年5月15日の高村祭(今年はコロナ禍のため中止となりましたが)にご参加下さり、音楽演奏や詩の朗読などで、祭を盛り上げて下さっています。
太田小学校さんは、かつて光太郎の山小屋近くにあった山口小学校を併合した関係で、山口小学校に光太郎が楽器を贈った縁を踏襲し、もちろん当時の楽器ではありませんが、今でも楽器演奏を披露して下さっています。
西南中学校さんも、光太郎が住んでいた頃の太田中学校を併合した関係で、太田中に光太郎が贈った言葉「心はいつも新しく」を歌詞に盛り込んだ「精神歌」を演奏して下さっています。
下記は昨年の高村祭です。
それから、『岩手日報』さんでは、マスクに添えられたカードに一節が引用されている光太郎詩「非常の時」(昭和20年=1945)について、改めて新型コロナとの関連で記事にするそうで、一昨日、メールでレファレンス依頼があり、昨日、返答しておきました。こちらも記事が出ましたらまたご紹介します(これでさらにネタ的に助かります(笑))。

花巻からはもう1件、全く別件の情報提供がありましたが、貴重なネタは小出しに、ということで、また後ほどご紹介します(笑)。
【折々のことば・光太郎】
心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する
今日は光太郎第二の故郷ともいうべき花巻からの情報です。
過日ご紹介しました、花巻高村光太郎記念館さんの手作り布マスクの件。光太郎が戦後の七年間を暮らした山小屋(高村山荘)のある太田地区の、太田小学校さん、それから西南中学校さんの、それぞれ児童生徒さん一人に一枚ということで、女性職員の皆さんが突貫作業で制作、寄贈されたそうです。
昨日、『岩手日報』さんが報じて下さいました。
花巻市の花巻高村光太郎記念会(大島俊克会長)は27日、詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の顕彰活動に取り組む同市の太田小(梅木康行校長、児童97人)と同市轟木の西南中(千葉龍太郎校長、生徒138人)に手作りマスクを寄贈した。
新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けた取り組み。太田小には新渕和子さん、高橋順子さん、井形幸江さんが訪れ、梅木校長に児童の人数分のマスクを手渡した。
光太郎が詠んだ「非常の時」の一節が書かれたカードも添えた。1945(昭和20)年の花巻空襲で、医療活動に

画像、上二枚は西南中学校さん、一番下が太田小学校さん

両校共に、毎年5月15日の高村祭(今年はコロナ禍のため中止となりましたが)にご参加下さり、音楽演奏や詩の朗読などで、祭を盛り上げて下さっています。
太田小学校さんは、かつて光太郎の山小屋近くにあった山口小学校を併合した関係で、山口小学校に光太郎が楽器を贈った縁を踏襲し、もちろん当時の楽器ではありませんが、今でも楽器演奏を披露して下さっています。
西南中学校さんも、光太郎が住んでいた頃の太田中学校を併合した関係で、太田中に光太郎が贈った言葉「心はいつも新しく」を歌詞に盛り込んだ「精神歌」を演奏して下さっています。
下記は昨年の高村祭です。
それから、『岩手日報』さんでは、マスクに添えられたカードに一節が引用されている光太郎詩「非常の時」(昭和20年=1945)について、改めて新型コロナとの関連で記事にするそうで、一昨日、メールでレファレンス依頼があり、昨日、返答しておきました。こちらも記事が出ましたらまたご紹介します(これでさらにネタ的に助かります(笑))。

花巻からはもう1件、全く別件の情報提供がありましたが、貴重なネタは小出しに、ということで、また後ほどご紹介します(笑)。
【折々のことば・光太郎】
心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する
短句揮毫 昭和24年(1949) 光太郎67歳
上の方にも書きましたが、太田中学校に校訓として贈った言葉です。前半部分は翌年、盛岡少年刑務所さんにも贈りました。光太郎自身、気に入った言葉だったのでしょう。