信州安曇野の碌山美術館さんから、館報の第40号が届きました。

年刊で、毎号50頁ほどのかなりのボリュームで、「館報」と言うより「研究紀要」と言った方がしっくりくるようなものです。

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毎号のように光太郎の名がどこかしらに出て来る感じですが、今号では、「昭和三十六年 皇太子ご夫妻の碌山美術館訪問」という記事の中に。

「皇太子ご夫妻」というのは、現在の上皇ご夫妻です。昨年6月のブログにちらっと書きましたが、昭和36年(1961)、開館して3年あまりの碌山美術館さんに、当時の皇太子殿下と美智子さまがご訪問された際の16ミリフィルムが見つかり、NHKさんでデジタル化、7月には上映会が開かれたそうで、そのあたりのレポートを兼ねています。

その中で、同館開館に尽力した彫刻家の笹村草家人によるご夫妻へのレクチャーが収録されていて、光太郎の名が。

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当然ながらロダン、それから、光太郎の師・与謝野寛・晶子夫妻にも触れられています。

その他、ご夫妻が熱心に見学されたり、時に鋭いご質問をされたりといったご様子がレポートされています。

それから、今年度の同館の予定表。

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ただし、印刷工程の都合上、間に合わなかったのでしょう。4月22日(水)に予定されていた碌山忌の集いは中止、さらに現在の予定では4月24日(金)まで臨時休館だそうです。

ところで、最も驚いたのは、前館長の五十嵐久雄氏がお亡くなりになっていたということ。存じませんでした……。

五十嵐氏は、連翹忌にご参加下さったこともありますし、当方が協力させていただいた平成28年(2016)の「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」の際に館長さんで、大変お世話になりました。

その後、体調を崩され、館長職を辞されたとは伺っていましたが、亡くなっていたとは存じませんで……。最後にお会いしたのが一昨年の同館開館60周年記念行事の折でした。その際は車椅子で鼻には酸素吸入のチューブという状態でしたが、必ずや恢復なさると信じていたのですが……。

五十嵐氏の前任だった所賛太氏による追悼文が掲載されており、胸を打たれました。

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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

何んでもござれ。但し日本酒はそこらでうつかり飲まず。

アンケート「酒」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

この部分の設問は「現在愛飲されて居る酒の名は何ですか」。後にはビール党になる光太郎ですが、この頃はまだ「何んでもござれ」だったのですね。ただ、日本酒に関しては好みの銘柄かそうでないかがはっきりしていたようです。