新刊、というか、旧刊のバージョンアップです。
舟越保武、佐藤忠良とともに戦後の日本具象彫刻を代表する彫刻家・柳原義達。2020年4月18日から平塚市美術館、同年6月14日から足利市立美術館にて柳原の業績を顕彰する「柳原義達展」が開催されるのにあわせ、生前、優れた美術批評家として知られた柳原のロダンやブールデル、ヘンリー・ムーア、ジャコメッティ、高村光太郎論に加え、自身の制作への思いなどを綴ったエッセイ集。一歩すすんだ彫刻鑑賞の楽しみ方に触れることのできる1冊。ジャコメッティのモデルをつとめた矢内原伊作との対談も特別収載。
目次
Ⅰ
オーギュスト・ロダン
アントワーヌ・ブールデル
ヘンリー・ムーア
アルベルト・ジャコメッティ
マリーニ、ファッチーニ、グレコ
エミリオ・グレコ
ジャコモ・マンズー
マリノ・マリーニ
高村光太郎
土方定一
パリ=ローマ24時間
鳩によせて
カラス
孤独なる彫刻
戦後の私の彫刻観
私と彫刻
Ⅱ
無題(『読売・現代彫刻10人展』図録より)
生命の動勢《ブーシェ》
孤独な芸術家・舟越
孤独に生きる
心の安らぎ大和
Ⅲ
対談 柳原義達 vs. 矢内原伊作
「宇宙の中のバランス 存在するものの位置」
柳原義達年譜/出典一覧/刊行にあたって
著者の柳原義達は、明治43年(1910)生まれの彫刻家。東京美術学校彫刻科に学び、昭和33年(1958)、栄えある第一回高村光太郎賞(造型部門)を受賞しました。平成16年(2004)に歿しています。
元版は昭和60年(1985)に筑摩書房さんから刊行された『孤独なる彫刻 柳原義達美術論集』。上記目次の「Ⅰ」の部分がそれにあたり、「Ⅱ」以降が増補されているようです。
美校在学中から影響を受けていたという光太郎について、「Ⅰ」に「高村光太郎」の項を設定して論じている他、ロダンの項、「私と彫刻」の項などで光太郎に触れています。
意外だったのは、「私と彫刻」中の、光太郎との交流について書かれた箇所。『高村光太郎全集』には、柳原の名が出てこないため、当方、これまで光太郎と柳原は直接の交流が無かったものと思い込んでいました。しかし、さにあらず。昭和13年(1938)頃、柳原が自作の彫刻「仔山羊」を光太郎に見せたところ、これで頒布会をやったらいい、とアドヴァイスを受けたというのです。さらにそのための推薦文も書いてもらったとのこと。当然、この推薦文は『高村光太郎全集』に載っていません。
本書巻末の年譜は略年譜で、そのあたりの記述がありません。そこで、気になって調べたところ、三重県立美術館さんのサイトに柳原の詳細な年譜が載っており、昭和14年(1939)の出来事として、「4月 第14回国画会展に《山羊》を出品し、国画会賞を受賞する。高村光太郎の勧めでこの作品の頒布会をおこなう。」とありました。ということは、光太郎の「推薦文」も活字になったのではないかと思われます。
光太郎のこういうケースは意外と多く、同じ昭和14年(1939)には、南洋パラオに暮らした彫刻家・杉浦佐助の個展に推薦文を書いていますし、前後して水野葉舟(書)や高田博厚、難波田龍起の作品頒布会や個展にも推薦文を寄せています。その他、宅野田夫、松原友規、片岡環といった、現代ではほとんど忘れられかけている(失礼かもしれませんが)といった造形作家たちの頒布会等の推薦文も手がけています。
というわけで、柳原の頒布会のパンフレット的なもの、ぜひとも見つけようと思いました。で、いきなり人に頼るのも何ですが(笑)、情報をお持ちの方、ブログコメント欄、フェイスブック、twitter(始めました)等からお知らせいただければ幸いです。
ちなみに柳原は「高村先生の詩的推薦文は出来上がり、美しい字は、私の心をとらえた」と記しています。「「詩的推薦文」、どんなものだろう?」と気になって仕方ありません(笑)。
【折々のことば・光太郎】
午後、夜、暇あれば散歩す。散歩といふよりも疾歩に近し。心神整調によしと思ふ。
孤独なる彫刻 造形への道標(みちしるべ)
2020年4月1日 柳原義達著 アルテヴァン発行 定価1,300円+税舟越保武、佐藤忠良とともに戦後の日本具象彫刻を代表する彫刻家・柳原義達。2020年4月18日から平塚市美術館、同年6月14日から足利市立美術館にて柳原の業績を顕彰する「柳原義達展」が開催されるのにあわせ、生前、優れた美術批評家として知られた柳原のロダンやブールデル、ヘンリー・ムーア、ジャコメッティ、高村光太郎論に加え、自身の制作への思いなどを綴ったエッセイ集。一歩すすんだ彫刻鑑賞の楽しみ方に触れることのできる1冊。ジャコメッティのモデルをつとめた矢内原伊作との対談も特別収載。
目次

Ⅰ
オーギュスト・ロダン
アントワーヌ・ブールデル
ヘンリー・ムーア
アルベルト・ジャコメッティ
マリーニ、ファッチーニ、グレコ
エミリオ・グレコ
ジャコモ・マンズー
マリノ・マリーニ
高村光太郎
土方定一
パリ=ローマ24時間
鳩によせて
カラス
孤独なる彫刻
戦後の私の彫刻観
私と彫刻
Ⅱ
無題(『読売・現代彫刻10人展』図録より)
生命の動勢《ブーシェ》
孤独な芸術家・舟越
孤独に生きる
心の安らぎ大和
Ⅲ
対談 柳原義達 vs. 矢内原伊作
「宇宙の中のバランス 存在するものの位置」
柳原義達年譜/出典一覧/刊行にあたって
著者の柳原義達は、明治43年(1910)生まれの彫刻家。東京美術学校彫刻科に学び、昭和33年(1958)、栄えある第一回高村光太郎賞(造型部門)を受賞しました。平成16年(2004)に歿しています。
元版は昭和60年(1985)に筑摩書房さんから刊行された『孤独なる彫刻 柳原義達美術論集』。上記目次の「Ⅰ」の部分がそれにあたり、「Ⅱ」以降が増補されているようです。
美校在学中から影響を受けていたという光太郎について、「Ⅰ」に「高村光太郎」の項を設定して論じている他、ロダンの項、「私と彫刻」の項などで光太郎に触れています。
意外だったのは、「私と彫刻」中の、光太郎との交流について書かれた箇所。『高村光太郎全集』には、柳原の名が出てこないため、当方、これまで光太郎と柳原は直接の交流が無かったものと思い込んでいました。しかし、さにあらず。昭和13年(1938)頃、柳原が自作の彫刻「仔山羊」を光太郎に見せたところ、これで頒布会をやったらいい、とアドヴァイスを受けたというのです。さらにそのための推薦文も書いてもらったとのこと。当然、この推薦文は『高村光太郎全集』に載っていません。
本書巻末の年譜は略年譜で、そのあたりの記述がありません。そこで、気になって調べたところ、三重県立美術館さんのサイトに柳原の詳細な年譜が載っており、昭和14年(1939)の出来事として、「4月 第14回国画会展に《山羊》を出品し、国画会賞を受賞する。高村光太郎の勧めでこの作品の頒布会をおこなう。」とありました。ということは、光太郎の「推薦文」も活字になったのではないかと思われます。
光太郎のこういうケースは意外と多く、同じ昭和14年(1939)には、南洋パラオに暮らした彫刻家・杉浦佐助の個展に推薦文を書いていますし、前後して水野葉舟(書)や高田博厚、難波田龍起の作品頒布会や個展にも推薦文を寄せています。その他、宅野田夫、松原友規、片岡環といった、現代ではほとんど忘れられかけている(失礼かもしれませんが)といった造形作家たちの頒布会等の推薦文も手がけています。
というわけで、柳原の頒布会のパンフレット的なもの、ぜひとも見つけようと思いました。で、いきなり人に頼るのも何ですが(笑)、情報をお持ちの方、ブログコメント欄、フェイスブック、twitter(始めました)等からお知らせいただければ幸いです。
ちなみに柳原は「高村先生の詩的推薦文は出来上がり、美しい字は、私の心をとらえた」と記しています。「「詩的推薦文」、どんなものだろう?」と気になって仕方ありません(笑)。
【折々のことば・光太郎】
午後、夜、暇あれば散歩す。散歩といふよりも疾歩に近し。心神整調によしと思ふ。