光太郎ゆかりの地・宮城県女川町。光太郎が昭和6年(1931)に新聞『時事新報』の依頼で、「三陸廻り」と題する紀行文の連載のため、女川も訪れたことを記念して光太郎文学碑が平成3年(1991)に建立され、その後、毎年、女川光太郎祭を開催して下さっています。

その光太郎碑のすぐ近くにあった旧女川交番。平成23年(2011)の東日本大震災時の津波で、鉄筋コンクリート造りの頑丈な建物が根こそぎ横倒しになってしまいました。震災の翌年の様子がこちら。ちなみに光太郎文学碑の建立や、その後の女川光太郎祭の企画運営に奔走され、そしてあの日、津波に呑まれて還らぬ人となった貝(佐々木)廣さんのご自宅は、この交番のすぐ隣だったはずです。

女川町では、交番や光太郎文学碑を含む海岸一帯をメモリアルゾーンとして整備中で、そのうち交番の「震災遺構」としての整備が終わり、昨日、除幕が行われたそうです。

地元紙、『河北新報』さんの記事。 

震災遺構旧女川交番が完工 横倒しの姿、教訓伝える

 東日本大震災の遺構として宮城県女川町が保存する「旧女011川交番」の完工式が29日、現地で開かれた。約9年前の姿のまま残された建物は震災の記憶と教訓、復興の歩みを後世へ伝える。
 旧女川交番は鉄筋コンクリート2階で、津波で基礎部分のくいが引き抜かれ横倒しになったとみられる。鉄筋コンクリート造の建物が津波で倒壊した世界的にも珍しい事例とされる。
 遺構を囲う壁には震災前の町の様子や被災状況、まちづくりの過程などを記したパネルを展示した。整備費は遺構周辺の広場を含め約4億1500万円。
 式典には約100人が出席。須田善明町長は「震災の悲しみや教訓と共に、立ち上がった人々の強さを伝えたい」と話した。



共同通信さんの配信記事。 

宮城・旧女川交番の遺構整備完了 津波で横転、パネル展示も

 東日本大震災の津波で横倒しになり、そのままの姿001で保存されている宮城県女川町の震災遺構「旧女川交番」と周辺広場の整備が完了し29日、記念式典が行われた。海岸近くの町中心部にある鉄筋コンクリート2階建ての旧交番は、引き波で基礎部分のくいごと引き抜かれた。

 町民ら約100人が参加した式典で須田善明町長は「教訓、悲しみはもちろん(被災から)立ち上がる人々の強さ、歩みを伝えたい」とあいさつ。「旧女川交番」と書かれたパネルを除幕した。

 震災前の街並みや復興をたどる写真も展示する。広場と合わせた整備費は約4億1400万円。国の復興交付金を充てた。



NHKさんのローカルニュース。 

津波で被災「旧女川交番」が震災遺構に

東日本大震災の津波で被災した宮城県女川町にあ000る「旧女川交番」が震災遺構として整備され、29日、工事の完成を記念する式典が開かれました。
震災の津波で横倒しになった宮城県女川町の「旧女川交番」は、津波の威力のすさまじさを後世に伝える「震災遺構」として整備が進められてきました。

この工事が震災から9年を前に完了し、29日開かれた記念の式典では、出席者が全員で黙とうをささげ犠牲者を悼みました。

震災遺構として整備された「旧女川交番」の周辺はおよそ5メートルの高さまで盛り土された広場となっていますが、津波で横倒しとなった鉄筋コンクリート造り2階建ての「交番」は、そのままの状態で保存されています。

また、近くには復興に向けたこれまでの歩みなどをまとめた写真やパネルも設置されています。

中学生の時に保存を求めて活動した勝又愛梨さんは(21)「原爆ドームのように保存して100年後も震災のことを伝えるようにしたいです。実際に来て見てもらい、津波の恐ろしさを感じてほしい」と話していました。

また、女川町の須田善明町長は「震災遺構として、あの日の津波の威力、そこから立ち上がった町の姿を伝えていきたい」と話していました。


仙台放送さん。 

津波の恐ろしさを見て感じて 被災した交番が”震災遺構”に 宮城・女川町

東日本大震災の津波で被災した女川町の交番が、震災遺構として整備され2月29日から一般公開が始まりました。

旧・女川交番は震災の津波で横倒しになり、町が津波のすさまじさを伝える震災遺構として、保存に向けた整備を進めてきました。震災後の再開発で、交番の周りは3mほどかさ上げされましたが、見学用スロープが用意され当時の姿を間近に見ることができます。

女川1000年後のいのちを守る会 勝又愛梨さん
「実際にこの建物の大きさ、頑丈さを見て津波の恐ろしさが伝わるんじゃないか。話だけでは伝わらない、実際に見て感じるものがある」

旧女川交番は29日から一般公開となり、周辺には今後、公園が整備されます。

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NHKさん、仙台放送さんともに、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」建立に携わって来られた「女川1000年後のいのちを守る会」の勝又愛梨さんがインタビューに答えられていました。

今後、同じくメモリアルゾーン内の光太郎文学碑の再建も成されるやに聞いています。期待しております。

明日も震災関連で。


【折々のことば・光太郎】

わが子のために身を捨てて顧みぬ母の愛の深さには世界人類の在るところおしなべて差別はない。これは殆ど生物の本能ともいへる深いところから発動する言語道断の母の慈育愛そのものである。

散文「皇国日本の母」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳

この一節だけ取り出せば、首肯できる内容です。ところが、やはり大戦末期、このあとがよろしくありません。末尾には、お国のために「死ねと教へる皇国日本の母の愛の深淵は世界に無比な美の極である」とまで書いてしまっています。さすがに「こんなご時世でも死ぬなと教える母の愛」とは書けなかったのかも知れませんが……。

ちなみに「言語道断」。現代では「もってのほか」など、マイナスの意味でしか使われませんが、元々は仏教用語で仏教の真理や究極の境地は言葉では言い表せない、というわけで、プラスの意味にも使われていました。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。