京都からコンサート情報です。 

魂に響く朗読と音楽のle petit boheur reading aloud&piano vocal concert

期 日 : 2020年3月10日(火)
会 場 : ピアノサロン Atelier Minoya 
       京都市上京区下立売通り智恵光院西入る中村町521
時 間 : 14:00開演
料 金 : 5,000円(お茶菓子付)
出 演 : 松本愛子(Sop/Pf)  木暮昌子(フリーアナウンサー)

プログラム :
 J.S.バッハ シンフォニア変ロ長調BMV800
 シューベルト 即興曲第3番 変ロ長調 D935,Op142
 シューマン 幻想小曲集 Op.12(2.飛翔、3.何故に、5.夜に)
 チレア 「アドリアーナ・ルクブルール」より「私は卑しい僕」
 プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」より「お父さまにお願い」
 
 高村光太郎 詩集「道程」より「さびしきみち」
 川端康成 「掌の小説」より「有難う」

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「le petit bonheur」は仏語で「些細な幸せ」だそうで。

光太郎詩「さびしきみち」(大正元年=1912)がプログラムに入っています。

    さびしきみち
 
 かぎりなくさびしけれども
 われは004
 すぎこしみちをすてて
 まことにこよなきちからのみちをすてて
 いまだしらざるつちをふみ
 かなしくもすすむなり
 
 ―― そはわがこころのおきてにして
 またわがこころのよろこびのいづみなれば
 
 わがめにみゆるものみなくしくして
 わがてにふるるものみなたへがたくいたし
 されどきのふはあぢきなくもすがたをかくし
 かつてありしわれはいつしかにきえさりたり
 くしくしてあやしけれど
 またいたくしてなやましけれども
 わがこころにうつるもの
 いまはこのほかになければ
 これこそはわがあたらしきちからならめ
 かぎりなくさびしけれども
 われはただひたすらにこれをおもふ
 
 ―― そはわがこころのさけびにして
 またわがこころのなぐさめのいづみなれば
 
 みしらぬわれのかなしく
 あたらしきみちはしろみわたれり
 さびしきはひとのよのことにして
 かなしきはたましひのふるさと
 こころよわがこころよ
 ものおぢするわがこころよ
 おのれのすがたこそずゐいちなれ
 さびしさにわうごんのひびきをきき
 かなしさにあまきもつやくのにほひをあじはへかし
 
 ―― そはわがこころのちちははにして
 またわがこころのちからのいづみなれば


初出は『第一回ヒユウザン会展覧会目録』です。光太郎詩には珍しく、全編仮名書き。これは、一字一字、心に刻みつけるような気持で書いたため、とする説がありますが、蓋し、そのとおりでしょう。智恵子と生きていこうと決断する頃の作で、直接的には智恵子の名はなく、『智恵子抄』には省かれていますが、『智恵子抄』を補う作品です。

のち、雑誌『朱欒』第2巻第11号に、漢字仮名交じりの形で改作したものを発表しましたが、大正3年(1914)、詩集『道程』に収める際、再び全編仮名書きに戻しました。

「もつやく(没薬)」、「ずゐいち(随一)」、「わうごん(黄金)」などは、現代の人々には仮名書きではわかりにくいかも知れません。

おそらく、木暮さんというアナウンサーの方の朗読で「さびしきみち」が取り上げられるのだと思われます。ありがたいかぎりです。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

会ふも会はぬも自然のことで、別に無理をするには及ばず、因縁があればいつかお目にかかる事と存じます。人の世はただ水の流れるやうに淡淡たるところに不可言の妙味があるやうに存ぜられます。

散文「往復書翰」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

初出は雑誌『現代文学』第4巻第10号。詩人の菊岡久利との往復書簡がおそらくそのまま掲載されています。この時点で菊岡と光太郎に直接の面識はなく、しかし、共通の友人はたくさんいて、これまで会わなかったのは不思議ですね、的な話の流れです。

「因縁があればいつかお目にかかる」。まさにその通りですね。当方もこういう活動をしていると、この人とはこうやって出会う因縁だったんだな、と思うことがしばしばです。