詩人で朗読等の活動もなさっている宮尾壽里子様005から、文芸同人誌『青い花』の最新号が届きました。

これまでも光太郎智恵子に関するエッセイや論考等を同誌にたびたび寄稿なさっていて、その都度お送りいただいております。恐縮です。

『青い花』-「断片的私見『智恵子抄』とその周辺」。
『青い花』第78号。
文芸同人誌『青い花』第79号。
文芸同人誌『青い花』第81号。
文芸同人誌『青い花』第90号/『月刊絵手紙』2018年9月号。

宮尾様、一昨年に智恵子の故郷・二本松で開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」で大賞に輝くなど、朗読系の活動も広く為されています。昨年は連翹忌にても朗読をご披露いただきました。

「2016年 フルムーン朗読サロン IN 汐留」レポート。 
第5回 春うららの朗読会。 
朗読会「響きあう詩と朗読」。 
高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会レポート。 
第63回連翹忌レポート。 

さて、今回の『青い花』、宮尾様によるエッセイ「巴里 パリ PARIS(一)」が掲載されています。

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006昨年の6月、フランスにお一人で行かれたそうで、そのレポートです。パリ以外にもモンサンミッシェルについても記述があります。

宮尾様がドゴール空港に降り立たれたのが、6月11日。明治41年(1908)、光太郎が留学の最終目的地と定めたパリに着いた同じ日です。

ちなみに、数年前に発見した『高村光太郎全集』未収録の随筆「海の思出」により、パリ以前に滞在していたイギリスからは、ニューへブン(英)――ディエップ(仏)間の航路を使って海峡を渡ったことが初めて確認できました。

宮尾様、パリでは光太郎が暮らしたモンパルナスのカンパーニュ・プルミエール通り17番地のアトリエ跡を訪れられたそうで、うらやましい限りです。当方もいずれは、と思っておりますが。

それから、パリに行かれるというので、事前に、これも数年前に発見した『高村光太郎全集』未収録の「曽遊紀念帖」という光太郎のパリレポートのコピーをお送りしましたところ、そちらに掲載されているメディシス(メヂチ)の噴水(Fontaine de Medicis)などにも足を運ばれm感慨にひたられたとのこと。テルミン奏者の大西ようこさんが渡仏された際もそうでしたが、お役に立てて幸いでした。

『青い花』、ご入用の方は下記まで。

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【折々のことば・光太郎】

僕の画室へは月が大窓から室一ぱいにさし込んで来る。遠くの方を馬車の馬の蹄の音がきこえる許りで今夜は至つて静かだ。かういふ晩には僕はいつも地球の廻転する音が聞える様に感じてならない。

散文「仏蘭西だより――水野葉舟への手紙――」より
明治42年(1909) 光太郎27歳

パリのカンパーニュ・プルミエール通り17番地のアトリエでの感懐を、親友・水野葉舟に書き送った文章の一節です。