この日には毎年同じようなことを書いていますが、今年もとうとう大晦日とあいなりました。とりあえず無事に一年を終えられそうで、胸をなで下ろしております。

さて、2019年最後の日、再放送ではありますが、テレビ放映で光太郎が取り上げられます。大晦日ということで、ありがたさが一入(ひとしお)です。 

びじゅチューン! 「指揮者が手」

NHK Eテレ 2019年12月31日(火) 19:50~19:55

古今東西の美術作品を井上涼のユニークな発想でうたとアニメーションに。今回は、高村光太郎の彫刻「手」(東京国立近代美術館所蔵)。この彫刻は、指をやんわり曲げていたり親指が反り返っていたりと、細かいニュアンスを伝えようとしているみたいに見える。これは、オーケストラを動かす指揮者なのかもしれない!「て」という音を効果的に取り入れた歌詞で、左手一本で音楽を自由にあやつる孤高の指揮者を歌う。

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『毎日小学生新聞』さんに「井上涼の美術でござる」という漫画を連載されているマルチアーティスト・井上涼氏の作になるアニメーションを根幹とした5分間番組です。

初回放映は平成30年(2018)10月31日でした。その後、何度目かの再放送となります。

鯰やらレモンやら、それからおそらく九十九里浜など、光太郎を象徴するさまざまなアイテムがちりばめられ、光太郎フリークにはたまりません(笑)。ぜひご覧下さい。


ところで、このブログ、平成24年(2012)にYahoo!ブログとしてスタートしましたが、Yahoo!さんがブログ事業から撤退、やむなく今年8月にLivedoorさんのブログに移転しました。移行ツールを使い、過去の記事は無事にすべて移動できましたが、文字のサイズや画像の位置などがむちゃくちゃになっていたり、Yahoo!ブログ内でリンクを貼っていたりといった点を修正せねばならず、コツコツやって参りました。新しい記事から順次修正し、平成26年(2014)まで来ましたが、結局、今年中には終わりそうにありません。まあ、気長にやろうと思っております。

以前のYahoo!ブログの頃は、そのサービスが終了した今年の初夏ごろまで、毎日のように「閲覧数が多い」ということでご褒美にTポイントが加算されていました。ある程度たまったところで、さまざまな寄付に使わせていただいていましたが、もうそれもできなくなり、その点は寂しい限りです。

閲覧数といえば、Livedoorさんのブログに移転後は、日々の訪問者数が激減しています。特にYahoo!ブログの方がサーバーから削除された後は、1日に十数人とかが当たり前。それもそのはず、googleさんやYahoo!さんなどの検索エンジンで、このブログがほとんど引っかからないというのが大きいようです。別に訪問者数、閲覧数を伸ばして悦に入りたいわけではなく、情報を皆様にお伝えしたいので、今後はフェイスブックやツイッターなどとの併用なども視野に入れなければならないかな、と思っております。


Tポイントの寄付は出来なくなりましたが、皆様方から頂いた郵便物に貼られていた切手の寄贈は、例年通り公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)さんに郵送して寄付いたしました。同会サイト上の「協力団体一覧」の先月分に、「高村光太郎連翹忌運営委員会」として掲載して下さっています。

それから、Tポイントの寄付は出来なくなった分、何かないかと思っていましたところ、思いついたのがベルマーク。以前は当方の子供達がかつてお世話になっていた保育園さんに匿名で郵送していたのですが、そちらは子供達が卒園して20年ほど経ち、現在もベルマークを集めているかどうかわからない状況なので、今年からベルマーク教育助成財団さんにお送りすることに致しました。こちらも郵送で寄贈を受け付けており、しかも東日本大震災被災校支援に限定して使われる「震災寄贈」というカテゴリがあるとのことで、あちらにいろいろご縁のある当会としては、うってつけです。ところが、「震災寄贈」と「一般寄贈」があり、封筒に「震災」か「一般」か明記せねばならなかったのですが、そのあたりの注意事項をよく読まずに何も書かないで送ってしまい、「一般」扱いとなってしまいました。来年以降、気をつけようと思いました。

で、過日、お礼状が届きました。

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さらにJOCSさん同様、サイト上の「今月の寄贈者」欄に載せていただいております。ただ、「高村太郎連翹忌運営委員会」となっていて、笑いましたが(笑)。


さて、明日から2020年。明朝は、これまた例年通り、愛犬をお供に、昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年間療養生活を送った九十九里浜片貝海岸に初日の出を見に行って参ります。

来年もよろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

進むに従つて又いろいろな段階を経る事であらうが、大切なのは、どんなに詩境が深くなつても、いつまでも此の初一歩の魂を失はない事である。

散文「藤井照子詩集『石花采』序」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

「石花采」は「てんぐさ」。ところてんなどの原料となる海藻ですね。藤井照子は、光太郎が選者を務めていた雑誌『新女苑』の投稿詩欄から出た詩人。そのため、上記のようなアドバイスが贈られています。のちに光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のモデルを務めた藤井照子とは、同姓同名の別人です。

ちなみにこのブログ、現在開設から8年目。来年5月には9年目に突入します。やはり「光太郎智恵子らに関する情報を広く紹介する」という「初一歩の魂」を「失はない」ようにやっていきたいと存じます。