昨日、東京オリンピック聖火リレーの詳しいルートが発表されました。来年3月26日(木)から、121日間をかけて日本全国47都道府県を巡るそうですが、光太郎ゆかりの地もコースに入っていました。

特に、青森県。来年6月12日(金)に、十和田湖畔を聖火が走ります。

2020年6月12日(金)
▽むつ市:むつ市イベント広場→下北文化会館(むつ市では、田名部川において、二人乗りボートによる聖火リレーを実施予定)
▽十和田市:市民交流プラザ→現代美術館アート広場
▽三沢市:三沢市立岡三沢小学校→三沢市役所
▽おいらせ町:青森県立百石高等学校→おいらせ町立木内々小学校
▽階上町:小舟渡漁港→はしかみハマの駅あるでぃ~ば
▽十和田市:十和田湖観光交流センター→乙女の像
▽八戸市:蕪嶋神社→館鼻漁港

RAB青森放送さんのローカルニュースから。 

聖火リレー 県内ルート発表(青森県)

東京オリンピックの聖火リレーで県内の詳しいルートが発表されました。県内では14市町村の15区間であわせて36.9キロを聖火ランナーが走ります。聖火リレーのルートは東京オリンピックの大会組織委員会が発表しました。県内では14市町村の15区間であわせて36.9キロを聖火ランナーが走ります。
来年6月11日に県内で最初にスタートするのは弘前市の弘前公園本丸です。

弘前駅に向かう聖火はドコモ弘前駅前店までをリレーします。
続く西目屋村は岩木川目屋渓谷清流公園を出発します。
道の駅「津軽白神」までの2キロで途中、岩木川をカヌーでわたります。
平川市では文化センターから陸上競技場まで2.5キロです。
黒石市ではスポカルイン黒石から御幸公園まで1.6キロ。
つがる市は生涯学習交流センター「松の館」から向陽小学校まで2.1キロとなっています。
五所川原市は立佞武多の館から菊ヶ丘運動公園まで2キロです。
今別町の2・8キロは町役場から青函トンネル入口広場となっています。
11日の最後は青森市の2.5キロです。市役所本庁舎を出発し、到着地の青い海公園では聖火の到着を祝う催しもあります。
翌日12日の最初はむつ市イベント広場を出発し、下北文化会館までの3キロで田名部川を2人乗りのボートでわたります。
続く十和田市は市民交流プラザから現代美術館アート広場まで2.7キロです。
次の三沢市は岡三沢小学校から市役所まで2.9キロとなっています。
続くおいらせ町は2.5キロで百石高校から木内々小学校までです。
次の階上町は小舟渡漁港からはしかみハマの駅「あるでぃ~ば」まで3.5キロです。
聖火ランナーは十和田湖にも向かいます。観光交流センターから乙女の像まで0.9キロを走ります。
最後は八戸市の3.4キロです。蕪嶋(かぶしま)神社を出発します。到着地の館鼻漁港では聖火の到着を祝う催しもあります。

★県実行委員会会長 青山 祐治 副知事
「本県の魅力を国内外に最大限発信できるよう関係者一丸となって来年の聖火リレー本番に向けてしっかり準備していきたい」

聖火は全国858市町村を巡り来年7月24日の開会式で国立競技場の聖火台に灯されます。

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聖火リレー、てっきりすべての区間を人が走って繋ぐものだと思い込んでいましたが、そうではなく、人が走るのは要所要所のみで、あとは車で移動するそうです。

で、十和田湖畔の0.9㌔㍍。出発が十和田湖観光交流センターぷらっと。遊覧船の桟橋近くに平成26年(2014)にオープンした市の施設で、特産のヒメマスや、光太郎、大町桂月などについての展示が為されています(入場無料)。また、昨年には新たに「乙女の像」制作の際に光太郎が使用した彫刻用の回転台、青森ご出身の彫刻家・田村進氏(生前の光太郎をご存じです)制作の光太郎胸像が寄贈されました。手前味噌で恐縮ですが、内部の光太郎に関する説明パネルは当方の執筆です。

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そしてゴールが、光太郎最後の大作「乙女の像」。0.9㌔㍍だそうですが、これは見に行かざあなるめい、と思っております(笑)。


その他、聖火は岩手県花巻市、宮城県女川町などの光太郎ゆかりの地も巡ります。残念ながら智恵子の故郷・福島二本松はスルー。ただ、福島県内では、当会の祖・草野心平ゆかりの川内村やいわき市などを通ります。

また、余談ですが、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市も。ただし、こちらは「ランナー」ではなく、旧市街を流れる観光名所の小野川を、昔ながらのサッパ舟(笹葉舟の転訛)と呼ばれる小舟で移動とのこと。いろいろ考えるものですね。千葉県も残念ながら光太郎智恵子ゆかりの犬吠埼九十九里真亀海岸などは通りません。九十九里浜は南北に異様に長く、もう少し南の方は通るようですが。

いろいろ言われている東京オリンピックですが、盛り上がってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

詩人は常に処世法を持たない。処世法は人世のぼかしである。人はこれを性来忌み嫌ひながらこの世に生きるためやむなくこれに馴致させられる。性来嫌ひだといふ事すら忘れ果てる。真の詩人は万人に代つてこれを捨てた人間の見本を生活する。人はこれを見て魂の故郷を感ずる。

散文「長沼重隆著『ホヰツトマン雑考』」より
 昭和7年(1932) 光太郎50歳

「処世法」、たしかに嫌な言葉ですね。