花巻高村光太郎記念館さんも参加している「令和元年度共同企画展 ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~」。花巻市内5つの文化施設で統一テーマの元に行われる共同企画展です。高村光太郎記念館さんでは、「光太郎からの手紙」という展示が行われています。

以前にもご紹介しましたが、参加館五つのうちのひとつ、花巻市総合文化財センターさんでの展示「ぶどう作りにかけた人々―北上山地はボルドーに似たり―」でも、光太郎がらみの展示が為されています。 

ぶどう作りにかけた人々―北上山地はボルドーに似たり―

 日 : 2019年12月7日(土)~2020年2月2日(日)
会 場 : 花巻市総合文化財センター  岩手県花巻市大迫町大迫3-39-1
時 間 : 午前8時30分から午後4時30分まで
料 金 : 一般 200円 小中学生 100円
休館日 : 12月28日~1月3日


大迫地域の「ぶどう作り」は、昭和22年のカスリン台風、同23年のアイオン台風の被害による復興施策をきっかけとし、当時の県知事・国分謙吉の勧めにより動き出しました。国分謙吉が「北上山地はボルドーに似たり」と語って勧めた「ぶどう作り」は70年を経過し、今では、地域の代表的な産業となっています。また、「ワイン造り」という大きな実りにも繋がりました。その取り組みの様子を、国分謙吉や村田柴太などの先人とともに辿り、「ぶどう作り」と「ワイン造り」の歩みについて展示・紹介します。

展示構成
(1)大迫の風土と産業
大迫の歴史・地理的な特徴などから、「ぶどう作り」以前の主な産業である馬産、養蚕、葉タバコの生産について紹介します。
(2)台風の襲来
戦後間もない1947(昭和22)年とその翌年のカスリン・アイオン台風による大迫地域の被害の様子をたどります。
(3)ぶどう栽培の夢
1947(昭和22)年秋、当時岩手県知事だった国分謙吉は大迫地区の有志を前にぶどう栽培を力説しました。そこから岩手県立農業試験場大迫葡萄試験地の設置し、ぶどう栽培の夢は始まりました。
(4)ワインの誕生
大迫のぶどうは1951(昭和26)年に初出荷を迎えました。そして、1962(昭和37)年9月、念願のワインが誕生します。
(5)新しいぶどうとワインへ
大迫ぶどうは、大粒品種の栽培やワイン専用種の栽培へと飛躍しました。「ぶどう作り」と「ワイン作り」の現在について紹介します。

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戦後、初の民選知事だった国分謙吉が大きく取り上げられ、その関係で、国分と交流のあった光太郎にも言及されています。

ちなみに民選知事、というと、青森県では、光太郎に「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を依頼した津島文治(太宰治の実兄)がそうでした。

過日、同館の方からメールを頂きまして、展示風景画像やキャプション、配付資料等につき、添付ファイルがありました。

展示の様子。

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国分と光太郎に関するキャプション。


昭和25年(1950)、国分と光太郎の対談が行われ、翌年の『朝日新聞』岩手版に掲載されたという情報を提供したのですが、そのあたりを紹介して下さっています。

それから、国分と交流があり、ぶどう作りに貢献した高橋繁造旧蔵の光太郎資料。

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詩「開拓に寄す」(昭和25年=1950)の、光太郎自筆草稿を印刷したもので、同年、盛岡で開催された岩手県開拓5周年記念の開拓祭で配付されました。これについてもどういうものなのかをレファレンスさせていただきました。

その他の展示リスト。

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高村光太郎記念館さんの「光太郎からの手紙」と併せ、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私は彼の顔を憶ふ度に素朴日本の顔を見る思がする。彼こそ天成の民族詩人であると言へよう。
散文「素朴日本の顔――『牧水全集に』――」より
 昭和4年(1929) 光太郎47歳

確かに奇を衒わない牧水の短歌には、光太郎詩にも通じるところがあるような気がします。