NHKさんで放映されている、東日本大震災をはじめ、各地で被災された方々の証言を紹介する5分間番組「あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~」。先週5日の放映が、「宮城県女川町 阿部一彦さん」でした。

阿部さんは、震災のあった平成23年(2011)、当時の女川第一中学校(現・女川中学校)さんの教員でした。女川町では、毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっています。

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「石碑」は、昭和6年(1931)、紀行文「三陸廻り」執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して平成3年(1991)に建立された「高村光太郎文学碑」の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」です。

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震災の翌月に、中学校に入学した生徒さんたちと阿部さん。

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女川の復興のために、アイディアを絞りました。

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そうして考えられたのが、「いのちの石碑」。

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生徒さんたちが作った「計画書」には、光太郎文学碑が「100円募金」で建てられたことに倣って、建設費用1,000万円を募金でまかなうと記されました。

そして募金活動。修学旅行先でもおこなったそうです。

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その甲斐あって……。

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最後に阿部さんの率直な感想。

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こういう取り組みこそが、「教育」であり、「学習」なのだと思います。


さて、当時の64人の新入生の一人と思われる(違っていたらすみません)若者が、明日の「あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~」で取り上げられます。「いのちの石碑」がらみではありませんが。

あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~ 「宮城県女川町 佐藤柚希さん」

NHK総合 2019年 12月10日(火)  10時50分~10時55分

東日本大震災のとき小学生だった佐藤さん。復興への希望を込めて作った詩が町民を励ますスローガンになった。高校卒業後、役場の観光係として町のPR活動などに汗を流す。

NHKさんで出した番組説明ではわかりにくいのですが、「いのちの石碑」同様、女川町を象徴する下記のモニュメント関係です。

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町役場近くの地域医療センターのフェンスに設置され、町中心部から見ることができます。当方、初めてこれを見た時は、目が潤みました。 

昨年8月の『朝日新聞』さんの記事から。 

「流されたのではない」作者の佐藤柚希さん 

津波に打ちひしがれたまちで、少年は詩を書いた。「女川は流さ008れたのではない 新しい女川に生まれ変わるんだ」。詩は横断幕になって掲げられ、人々の心に明かりをともした。いま19歳になった少年は、町役場に就職し、ふるさとのために働いている。


 詩は「人々は負けずに待ち続ける 新しい女川に住む喜びを感じるために」と続く4行。震災の年の春、女川町立女川第二小6年生の佐藤柚希(ゆずき)さんが、授業で自分の思いを表現するように言われて、つくった。

 翌2012年9月、復興まちづくりの着工式の際、町が詩の前半を横断幕にして、高台にある地域医療センターのそばに掲げた。津波到達と同じ高さ18メートル、更地になった市街地を見下ろす場所だった。

 親戚から知らされた佐藤さんは、びっくりした。授業で提出して終わりだと思っていたのに、知らないところで詩はいろんな人に伝わっていたのだ。「あの言葉に支えられたよ」と、多くの大人が話した。

 石巻商業高に進み、公務員をめざした。人と接するのが苦手で、パソコンに向かうような事務仕事がいいと思ったからだ。担当の教師に「自分の持ち味をアピールした方がいい」と言われ、女川町の面接では、あの詩のことも話した。今年春に採用された5人の中の1人になった。007

 4月、産業振興課観光係の辞令を受けとった。「なんで配属になったかわかりますね」と総務課長。直属の産業振興課長は以前、復興推進課にいて、「自分が横断幕を発案した」と教えてくれた。

 観光係は、想像していた事務仕事とはまるきり違っていた。各地のイベントに出かけ、いろんな人と出あい、パンフレットを渡し、ふるさとの話をする。人と人のつながりがとても大事だと学んだ。詩のことを説明すると話が弾む。今では名刺に詩のフレーズを刷り込んでいる。

 詩を書いたときのことはよく覚えている。

 まず「女川」と紙に書いた。自分は家を失い、同級生の中には家族を流された者もいる。みんなを前向きにしたいと思った。「流されたんじゃなくて、何だろう?」。浮かんだのが「生まれ変わる」だった。「復興」なんて言葉はまだ知らない。どう生まれ変わるのか、根拠も何もなかった。

 あれから7年半。

 町職員になってわかったのは、女川町は歯をくいしばりながら、詩で書いた方向へと進んでいるということだ。災害公営住宅はすべて完成し、佐藤さんも入居する。海のそばにできた商店街は観光客でにぎわう。ただ町の人口は大きく減った。これからは、若者が住む喜びを感じられる場所が必要だと思う。

 横断幕は、いまも同じ場所で、生まれ変わる女川を見下ろしている。(石橋英昭)


ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

申上げるのは変かも知れませんが、よく写真で見る牧水さんの顔が好きで、折があらば一度彫刻のモデルに坐つていただく事をねだらうなどと思つてゐながら、さういふ折も天然には来ず、ついそれなりになつてしまひました。私一人にとつては此も心のこりのひとつです。

散文「写真の顔――若山牧水009追悼――」より 
昭和3年(1928) 光太郎46歳

若山牧水は、光太郎より2歳年少の歌人。この年、44歳で早世しました。

たしかにいい顔をしています。イケメンとかではなく、何事かを成し遂げた人特有の強さというか、なんというか。

同じことは上記の阿部さんや佐藤さんの顔にも見て取れますね。