駒場の日本近代文学館さんから届いた館報『日本近代文学館』第292号。


かわじもとたか氏による寄稿「えっ!古本屋で展示会?「個人名のついた研究会会誌の世界」展」という記事が載っていました。

かわじ氏、本業は「細胞検査士」とのことですが、筋金入りの古本マニアのようで、さまざまな調査をなさり、成果をまとめられています。当方、少しばかり協力させていただき、返礼にご著書を頂いたりもしています。氏については以下をご参照ください。

 「序文検索―古書目録にみた序文家たち」。
 古書目録の落とし穴。
 『北方人』第19号。
 『続装丁家で探す本 追補・訂正版』。

で、そのかわじ氏プロデュースの展示会についての記事です。調べてみましたところ、以下の通りでした。 

「個人名のついた研究会会誌の世界」展000

期 日 : 2019年12月2日(月)~12月22日(日)
会 場 : 
西荻モンガ堂 杉並区桃井4-5-3
       ライオンズマンション西荻102
時 間 : 12:00~20:00
定休日 : 水曜日

おそらく観覧は無料なのでしょう。『日本近代文学館』の記事に拠れば、「出品資料は会期後に購入できるようになっている」とのことです。

さらに「廃業に追い込まれる古書店も多い昨今、古本屋さんを勝手に応援するというスタンスでやっているのである」だそうで。会場の西荻モンガ堂さんは、西荻窪の古書店です。

で、『日本近代文学館』の記事に載った画像、当会で継続刊行中の『光太郎資料』を載せていただいております。ただ、当方が名跡をお譲りいただいた平成24年(2012)以前に、当会顧問・北川太一先生がガリ版刷り出だされていた頃のもの。

001

ガリ版刷りというのが味があってよい、的な紹介ですね。

その他の出品物、こちらこちらである程度紹介されています。

都合が付けば、期間中に行ってこようと思っております。皆様もぜひどうぞ。


ついでに、と言うと何ですが、『日本近代文学館』、「図書・資料受入れ報告」というページに、光太郎の親友・水野葉舟関連で、以下の記述がありました。

水野葉舟令孫の水野通雄氏から高村光太郎「水野葉舟君のこと」原稿(初出「月明」昭和22・3)を受託した。併せて、『水野清回想録』(京葉産業研究協会 '98)、佐藤浩美編『葉舟小品』(三恵社 '18)など図書雑誌五点をいただいた。

今年7月、葉舟子息で光太郎とも交流のあった水野清元総務庁長官が亡くなった関係でしょう。光太郎の「水野葉舟君のこと」は、この年に歿した葉舟追悼文です。


【折々のことば・光太郎】

すべて物と一つになる心はわれわれ日本人の特質であつて、対者を冷たく対者としてのみ見過し得ないこの心は、詩の基底をなすものであるから、日本人は悉くみな詩人の素質を持つ者であるといへるのである。

散文「『職場の光』詩選評 一」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

雑誌『職場の光』は、戦時中「産業戦士」と呼ばれた工場労働者向けの雑誌。大日本産業報国会の発行でした。「産報文芸」という、読者の投稿ページがあり、詩の項の選者を光太郎が務めました。選評でありながら、光太郎の詩論が色濃く表されています。

戦時中ということで、きな臭い部分もありますが、愛国心の発露もこの程度であれば許されるでしょう。ところが昨今のネトウヨどもは、こうした日本人礼賛にとどまらず、「だから中韓のやつらは駄目だ」という方向にすぐ話を持って行きます。自分自身に何ら誇るべき業績も特技もなく、そういったものを身につける努力も出来ず能力もないネトウヨどもが、自分にとって誇れることは自分が「日本人」であることのみ。それであれば努力も要せず能力が無くとも手に入れられる「称号」ですから。しかし、その「称号」を価値あるものにするために、自らを磨くのではなく、他者(近隣諸国民)を貶めることで、相対的に自己の位置を高めようとしているわけです。何かというと「自分の先祖は、かの○○で……」と、言う輩も同じ穴の狢でしょう。

その幼稚なネトウヨが12月8日前後になると、光太郎の翼賛詩を持ち出して、涙を流して有り難がる風潮、実に嘆かわしいことです。