昨日は第64回高村光太郎研究会でした。KIMG3431

会場は江東区の東大島文化センターさん。生憎の雨でしたが、稀代の雨男だった光太郎の魂がやってきているのかな、という感じでした。まったくいつもいつも、不思議とと光太郎がらみのイベントは雨に見舞われます。

研究会は、会としてはHPなどもなく、こぢんまりと行っている催しで、少ない時は参加者が発表者を含めて5~6人だった年もありましたが、昨日は20名超のご参加。元々の会員の方が光太郎に興味があるという皆さんを誘ってお連れになったり、ご発表の方が発表するから、ということでお仲間にお声がけなさったりで、盛況となりました。

ご発表はお三方。

まず初めに、元いわき市立草野心平記念文学館学芸員の小野浩氏。現在は定年退職なさり、群馬県立女子大学さんで非常勤講師をなさっているそうです。

発表題は「心平から見た光太郎・賢治・黄瀛」。大正から昭和にかけ、戦争やら中国の文革やらの影響で、断続的になりつつも深い絆で結ばれていた光太郎、当会の祖・草野心平、それから心平を光太郎に紹介した黄瀛。そこに宮澤賢治がどう絡んだか、的な内容でした。

KIMG34334人全員が、心平主宰の雑誌『銅鑼』同人でした。そのうち光太郎と黄瀛は、それぞれ一度ずつ、早世した賢治と会っています。光太郎は大正15年(1926)、駒込林町のアトリエ兼住居に賢治の訪問を受け、黄瀛は昭和4年(1929)、花巻の賢治の元を訪れています。それに対し、心平が直接賢治と会うことは、生涯、叶いませんでした。しかし、賢治に会った光太郎や黄瀛以上に、賢治の精神を深く理解し、共鳴し、たとえ顔を合わせることはなくとも、それぞれの魂で結ばれていたと言えるかも知れません。

小野氏のご発表は、特に心平が花巻の賢治訪問を思い立って赤羽駅のホームに立ちながら、結局、行き先を新潟に変更してしまった昭和2年(1927)1月の話が中心でした。当方、寡聞にしてその件は存じませんで、興味深く拝聴しました。

続いて、当会顧問・北川太一先生のご子息、北川光彦氏。父君の介添KIMG3434え的にずっと研究会にはご参加下さっていましたが、ご発表なさるのは初めてでした。題して「高村光太郎の哲学・思想・科学 高村光太郎が彫刻や詩の中に見つけた「命」とは――画竜点睛、造型に命が宿るとき――」。

光太郎の美術評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)などに表された思想が、同時代の世界的な哲学の潮流――ウィトゲンシュタイン、ユクスキュル、西田幾多郎など――と比較しても非常な先進性を持っていたというお話など。

そして光太郎の「生命」に対する捉え方が、芸術的な要素のみにとどまらず、科学、哲学、宗教的見地といった様々な背景を包摂するものであるといった結論でした。そうした見方をしたことがなかったので、これも新鮮でした。光彦氏、ご本業は半導体などのご研究をなさる技術者でして、そうした観点から見ると、違った光太郎像が見えるものなのだなと感じました。

KIMG3436最後に、書家の菊地雪渓氏。光太郎の詩句を題材にした作品も多く書かれている方です。過日もご紹介いたしましたが、今年の「東京書作展」で大賞にあたる内閣総理大臣賞を受賞なさいました(そちらの作は光太郎ではなく白居易でしたが)。

何と実演を交え、光太郎の書がどのようなことを意識して書かれているかの分析。特に仮名の書が、それぞれの字母(「安」→「あ」、「以」→「い」、「宇」→「う」といった)の草書体をかなり残している、というお話。参加者一同、「ほーーーー」という感じでした。

また、光太郎が範とした、黄山谷(庭堅)についてのお話なども。山谷は、中国北宋の進士。草書をよくし、宋の四大家の一人に数えられています。光太郎は山谷の書を好み、最晩年には、終焉の地となった中野の貸しアトリエの壁に山谷の書、「伏波神祠詩巻」の複製を貼り付け、毎日眺めていました。

今回のお三方のご発表、おそらく来春刊行される会の機関詩的な雑誌『高村光太郎研究』に、それを元にした論考等の形で掲載されると思われます。刊行されたらまたご紹介します。

終了後は、近くの居酒屋で懇親会。和気藹々と楽しいひとときでした。「高村光太郎研究会」、学会は学会なのですが、肩のこらない集いです。特に事前の参加申し込み等も必要なく、入会せず聴講のみも可。多くの皆様の来年以降のご参加をお待ちしております。


【折々のことば・光太郎】

之等の画幅を熟覧しながら、まことに画は人をあざむかないと思つた。

散文「所感――『宅野田夫画集』――」より
昭和15年(1940) 光太郎58歳

宅野田夫は、初め岡田三郎助に洋画を学び、のち、南画なども描いた画家です。ここでいう画幅は南画系のものと思われます。

よく「書は人なり」と言いますが、光太郎にとっては「画も人なり」だったようです。そうした話は、研究会での菊地氏(書)、北川氏(「レンマ」知性といったお話)のご発表にもあり、納得させられました。