昨日のこのブログで、台風19号関連の話題を当会の祖・草野心平にからめてとりあげて下さった『神戸新聞』さんの一面コラムをご紹介しましたが、同様の趣旨で、光太郎智恵子の名を出して下さいました『北海道新聞』さんの一面コラムをご紹介します。

卓上四季 まずまずの災厄

000「あれが阿多多羅(あたたら)山 あの光るのが阿武隈川」。高村光太郎が詩集「智恵子抄」でうたった亡き妻の故郷は、福島県中部の町だった。その川は濁流と化し、堤を越えて家々をのみ込んだ▼台風19号で最も多くの犠牲者を出したのは、原発事故の傷なお癒えぬ福島県。海沿いのいわき市では、高齢で体の不自由な夫が寝室の浸水から脱出できず、握った妻の手を離れ冷たくなった。「長いこと、世話になったな」の言葉を残して▼そんな悲劇を招いた災害を「まずまずに収まった」と評価した安倍晋三政権の幹部がいる。発生当時はそういう状況だったと反論しているらしい。結果に責任を負うのが政治家というものだ。その鉄則を知らないとは言わせない▼自民党の二階俊博幹事長。衆院初当選時の田中派を離れて竹下派に合流。小沢一郎氏らと自民党を割って新生党を結成したが、新進、自由、保守の各党を経て自民党に戻った。政界を浮遊した末に今がある▼「まずまず」発言の後の言動も、フラフラと的外れだ。発言を撤回したかというと、「不適切であったと言っているのだから、それでいいんじゃないか」と、はっきりしない。被災地を訪問はしたが、被災者に謝罪したとの話は聞かれない▼「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」の例え通り、一度発せられた政治家の言葉は元に戻らない。そうした最低限の倫理も通じない今の政治の姿を、台風は暴き出した。2019・10・20


やはり阪神淡路大震災の神戸同様、平成28年(2016)の北海道豪雨や胆振東部地震などで被災した北海道。他人事ではないのでしょう。

逆に想像力の欠如した「まずまずの災厄」発言に対する当然の批判。御用新聞ではない地方紙の気概が感じられますね。わけのわからない輩に「つぶさなあかん」と云われてしまうかもしれませんが(笑)。

しかし、また台風接近の予報となっています。まぁ、当地もそうですが、被災地それぞれ、万全の準備をおこたりなく。


【折々のことば・光太郎】

其の芸術の自然淘汰は万能の「時」がしてくれる。国家は唯頗る親切な又慧眼な芸術的栽培者であればいい。

散文「帝展の彫刻について 二」より 大正14年(1925) 光太郎43歳


アカデミックな作品に埋め尽くされ、個性が感じられなかった帝展(帝国美術院展覧会)の評から。100年後の「表現不自由展」のことを予言しているようです。

頗る親切な又慧眼な」「国家」であってほしいものですが、いつの時代もそれは幻想なのでしょうか。