台風19号、列島各地に大きな爪痕を残しました。亡くなられた方には深く哀悼の意を表させていただきます。

千葉県北東部に位置する自宅兼事務所周辺、先月の台風15号の際と比べ、風雨は強くありませんでしたし、停電にもなりませんでした(先月の停電は54時間続きました)ので、胸をなで下ろしましたが、市内を流れる利根川が氾濫危険水域を超えたということで、予断を許しません。ただ、自宅兼事務所は利根川から数キロ離れている高台ですので、とりあえず大丈夫だろうとは思っています。

KIMG3309

KIMG3308

光太郎・智恵子・光雲ゆかりの全国各地を廻っている身としては、被害報道に接し、「ああ、あの場所ら辺、こないだ通ったよな」「えっ、あそこの近くのあんなところもか」「うわー、××川もか」という感じです。

しかし、我々は繰り返される災害を乗り越えてきた国民です。昨夜、我々を勇気づけてくれる素晴らしい闘いを見せてくれ、W杯決勝トーナメント進出を決めたラグビー日本代表のように、がんばりましょう。


さて、新刊書籍をご紹介します。

危険な「美学」

2019年10月12日 津上英輔著 集英社(インターナショナル新書) 定価820円+税

001


「美」を感じる感性そのものに潜む危険

芸術が政治に利用されるという話は数多くありますが、本書は人間にとっての三大価値である真・善・美の「美」そのものに実は危険が潜むことについて著者独自の理論で指摘した、画期的な一冊です。
 高村光太郎の戦意高揚の詩やジブリアニメの「風立ちぬ」で描かれた「美しい飛行機作り」という行為に潜む危険。トーマス・マンの『魔の山』における結核患者の描写や、特攻隊の「散華」を例に、イメージを負から正へ転換させてしまう感性の驚くべき反転作用について解説します。
 「美」を感じるとはどういうことなのか? 誰もが有する「感性」がもたらす危険を解き明かします。


目次

 まえがき
  序章 美と感性についての基礎理論
   第一節 真善美の思想
   第二節 「十大」ならざる「三大」
   第三節 「一大」ならざる「三大」
   第四節 真・善・美と知性・理性・感性
   第五節 美と芸術の自律性
   第六節 美とは何か
   第七節 美の恵みと危険
 第一部 美は眩惑する
  
第一章 「美に生きる」(高村光太郎)ことの危険
   第一節 戦争賛美の詩「必死の時」
   第二節 詩の分析
   第三節 光太郎の戦後
   第四節 「美に生きる」こと
   第五節 「悪かつたら直せばいい」
   第六節 光太郎を越えて
   第七節 眩惑作用がもたらす美への閉じこもり
   第八節 高村山荘
   第九節 光太郎の戦争賛美と智恵子

  第二章 アニメ『風立ちぬ』の「美しい飛行機」
   第一節 『風立ちぬ』における「美しい」の用法
   第二節 美の働き
   第三節 戦闘機と美
   第四節 夢
   第五節 「美しい夢」の危険
   第六節 美の眩惑作用
 第二部 感性は悪を美にする
  第三章 結核の美的表象
   第一節 健康と美
   第二節 非健康の感性化
   第三節 小説『魔の山』
   第四節 文豪が描いた結核患者像
   第五節 隠喩理論
   第六節 美的カテゴリー論
   第七節 感性の統合反転作用理論
   第八節 感性の特異な働き
   第九節 感性の危険
  第四章 「散華」の比喩と軍歌〈同期の桜〉
   第一節 「散華」の比喩
   第二節 美化と美的変貌
   第三節 特攻と「散華」
   第四節 軍歌〈同期の桜〉
   第五節 自ら歌うということ
   第六節 音楽は他人ごとを我がこととする
   第七節 「散華」と感性の統合反転作用
   第八節 メコネサンス理論
   第九節 美と感性の危険性
 あとがき
 参考文献


著者の津上氏は、成城大学さんで教授をお務めの美学者。目次を概観すればある程度の方向性が見えると思いますが、特に戦時に於ける「美」が、利用されるだけでなく、自ら暴走を始める危ういものであることを、光太郎を含め、さまざま例を挙げながら実証しようとする試みです。

まだ「まえがき」と、光太郎の章しか読んでいないのですが、他の章との関連性も踏まえないといけない感じですので、なるべく早く読了しようと思っております。

その光太郎の章、メインで取り上げられているのは詩「必死の時」(昭和16年=1941)。津上氏、「文学には疎い」と謙遜されつつも、その他の詩や講演等を含め、丁寧にかつ説得力溢れるおおむね妥当な分析が為されています。どうでもいい枝葉末節に拘泥しない姿勢、それから光太郎に対するリスペクトがきちんと表明されており、好感が持てます。何より美学者として、「美」とは何かという命題への挑戦が根底にあり、そういった部分ではなるほど、と唸らせられました。

後半、光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋(高村山荘)及び隣接する高村光太郎記念館さんを訪れられてのレポート的な内容にもなっています。津上氏、何度も訪問されたそうで、ありがとうございます。光太郎を語る上で、あの地を実際に見ていないというのは、その資格を放棄しているようなものだと思うのですが、そう考えないエラいセンセイもいるようで(というか、いるんです(笑))、堂々と「私はまだ彼の地を訪れていないが」と臆面もなく断った上で机上の空論を展開している人もいます。

津上氏、山荘の保存のために建設された套屋について、この地の先人の思いなど、正しく考察されています。ただ、ちょっと勘違いがありましたので、指摘させていただきます。套屋内部の説明パネルについてです。「光太郎がこの地にたどり着いた経緯が説明されていない」と、まぁ、その通りなのですが、あのパネルは元々同じ花巻市内の宮澤賢治記念館さんで、10年ほど前でしたでしょうか、光太郎展的なものを開催した際の説明パネルを終了後に貰ってきたものでして、山荘そのものの説明パネルとして作ったものではないのです。その光太郎展で山荘に入った経緯があまり語られなかったという瑕疵はありますが。ちなみにそちらの展示には当方、関わっておりません。

そう思っておりましたところ、さらに読み進めると、バリバリ当方が書いた高村光太郎記念館さんの展示説明パネルにも言及(笑)。「戦時の光太郎についての追求が甘い」とのことで。この点は「その通りです」としか言いようがありません。まぁ、はっきり言うと、当方、「忖度」しました。右翼の街宣車に押しかけられても困りますし、先般の「表現の不自由展」のような事態は避けたかったので。それを甘いと云われればその通りです。

それにしても、一般の方のブログ等では拝見したことがありましたが、きちんとした書籍であの説明パネルについて言及されたのはおそらく初めてで、驚きました。

さて、『危険な「美学」』、ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

芸術心と云ふものは物を味はふ所からはじまるので、物を味はひ生活を味はひ――と云ふことは何かと云ふとどんな物の中からでも良さを見付け出してどんな詰まらない所からでも意味を見付け出し、美しさを見付け出す、そこが芸術と云ふものが人の考へて居る程唯付け足りの装飾や見て呉ればかりでない根本の力となる性質だらうと思ふのであります。

談話筆記「現下芸術政策の根本目標並当面の緊急事項等に就いて」より
                   昭和15年(1940) 光太郎58歳


この年開催された、大政翼賛会臨時中央協力会議第四委員会での発言速記から。

正論ではありますが、実にきな臭い。こういう所にも、津上氏の指摘する「危険」さが表れています。