光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻旧太田村の山小屋(高村山荘)と隣接する、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展です。
高村光太郎 書の世界
期 日 : 2019年9月27日(金) ~11月25日(日) 会期中無休
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 8:30 ~ 16:30
料 金 : 一 般 550円/高校生・学生 400円/小・中学生 300円
※団体入場(20名以上)は上記から一人あたり100円割引
彫刻家で詩人として知られる高村光太郎。戦火の東京から花巻へ疎開し、その後太田村山口へ移住した光太郎は自らの戦争責任に対する悔恨の念がつのり、あえて不自由な生活を続け、彫刻制作を一切封印しました。
山居生活では文筆活動に取り組み、数々の詩を世に送り出す一方で、花巻に大小さまざまな『書』を遺しました。
『乙女の像』制作のため帰京した後、晩年の病床でも数々の揮毫をした光太郎は、死の直前に自らの書の展覧会の開催を望んでいたことが日記に残されています。
この企画展では彫刻・文芸と並び、光太郎・第三の芸術とも言われる『書』を通じて太田村時代の造形作家としての足跡をたどります。
10月7日(月)、花巻市・北上市で行われた市民講座「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」の最中、トイレ休憩で同館駐車場に立ち寄った間隙に、急いで写真を撮らせていただきました。
「戦後」といっても太平洋戦争ではなく、第一次世界大戦を指しています。師・与謝野夫妻や光太郎も関わった、文化学院さんなどの大正自由教育運動などを念頭に置いた発言でしょう。
過日、同じ時期に書かれた「教育圏外から観た現時の小学校」という散文を見つけました。光太郎の教育論が端的に示されています。高村光太郎研究会さんから来春刊行予定の雑誌『高村光太郎研究』にてご紹介するつもりでおります。
同館では、一昨年にも同名の展示を行いました。その際は花巻市内の文化施設である、花巻新渡戸記念館さん、萬鉄五郎記念美術館さん、花巻市総合文化財センターさん、花巻市博物館さん、そして高村光太郎記念館さんの5館が連携し、統一テーマにより同一時期に企画展を開催する試み「ぐるっと花巻再発見! ~イーハトーブの先人たち~」の一環でしたが、今回は単独開催のようです。
10月7日(月)、花巻市・北上市で行われた市民講座「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」の最中、トイレ休憩で同館駐車場に立ち寄った間隙に、急いで写真を撮らせていただきました。
展示品の目録がこちら。
一昨年の展示とだいたいかぶっていますが、そうでないものも出ています。いずれにしても優品揃いです。
「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」で見て回った石碑類に刻まれた碑文の元となった書も多く、同講座参加者の方にはぜひ併せて見ていただきたいものですし、その他の皆さんもぜひ足を運んで下さい。
当方、来月初めにまた改めて拝見に伺います。
【折々のことば・光太郎】
僕等が一番望みを掛けて居るのは、次の世代を形造る今の少年である。今の人はこの子供を自分達より大事にしなければならぬ。さうしてそれに自分達が教育して欲しかつたことを教育してやつて、次の代を立派にしなければ駄目である。
「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」で見て回った石碑類に刻まれた碑文の元となった書も多く、同講座参加者の方にはぜひ併せて見ていただきたいものですし、その他の皆さんもぜひ足を運んで下さい。
当方、来月初めにまた改めて拝見に伺います。
【折々のことば・光太郎】
僕等が一番望みを掛けて居るのは、次の世代を形造る今の少年である。今の人はこの子供を自分達より大事にしなければならぬ。さうしてそれに自分達が教育して欲しかつたことを教育してやつて、次の代を立派にしなければ駄目である。
談話筆記「戦後の我が芸術界」より
大正8年(1919) 光太郎37歳
「戦後」といっても太平洋戦争ではなく、第一次世界大戦を指しています。師・与謝野夫妻や光太郎も関わった、文化学院さんなどの大正自由教育運動などを念頭に置いた発言でしょう。
過日、同じ時期に書かれた「教育圏外から観た現時の小学校」という散文を見つけました。光太郎の教育論が端的に示されています。高村光太郎研究会さんから来春刊行予定の雑誌『高村光太郎研究』にてご紹介するつもりでおります。