講談社さんの月刊コミック誌『アフタヌーン』に、平成25年(2013)から連載され、ある意味、「文豪」ブームの火付け役となったとも言える、清家雪子さんの「月に吠えらんねえ」。今年の9月号で最終回を迎え、コミックスの最終巻である第11巻が発売されました。
萩原朔太郎作品から生まれた「朔くん」、北原白秋作品から生まれた「白さん」、室生犀星作品から生まれた「犀」など、詩人本人ではなく作品のイメージをキャラクター化。詩人たちが暮らす近代市□(シカク/詩歌句)街に住む詩人の朔くんは、本人は自覚なく□街の神として町を詩人の理想の土地として管理していたが、知らずにその神の力で詩壇の師匠の白さんに強く働きかけ、自分の男性・詩人としての理想を白さんに具現化してしまっていた。ある時、□街に出現した愛国心の一表出である「縊死体」は朔くんに取り憑くが、それは戦争を悔いるあまりに愛国心までも否定しようとする戦後の日本の総意識に対抗するためであった。縊死体に侵食され一体化した朔くんは変質した白さんと複雑に影響を与え合い、神としての力が白さんにも流れ込み、白さんは二体に分裂。ひとりは新しい神として□街を守り、ひとりは男性として女性化した朔くんと結ばれるが、縊死体、戦争翼賛文学までも愛国心として認める白さんが守る□街を責める「戦後の日本の総意識」の攻撃は激化する。朔くん、白さん、戦場巡りで戦争の悲惨さを経験させられた犀の選択とは。第20回文化庁メディア芸術祭マンガ部門・新人賞を受賞した近代詩歌俳句ファンタジー、ついに完結!
光太郎と智恵子をそれぞれイメージ化した「コタローくん」「チエさん」、第2巻と第4巻で大活躍でしたが、その後、ちょい役ばかりでした。このまま作者にも忘れ去られたまま終わってしまうのかな(長編小説などでよくあるケースですが)と思いきや、最終巻で復活し、再び大きな役割を担わせて下さいました。
この作品、「結局、近代詩歌句とは何だったのか」という命題の元に、特に翼賛詩を書かざるを得なかった文士たちの姿を描いてきました。となると、やはり光太郎は外せませんね。

戦後の連作詩「暗愚小伝」などを引用し、かなり的確に光太郎の内面が、リスペクトを保ちながら剔抉されています。
そして「チエさん」亡き後、「コタローくん」が作ったロボット「チエコさん」。

さて、『月に吠えらんねえ』、これを持って全巻完結。ぜひお取りそろえ下さい。また、今後、完結記念のなにがしかがありそうな気がしますので、注意しておきたいと思います。
【折々のことば・光太郎】
あゝ綺麗だと言ふのは眼に訴へた感じ、穿つた所と言ふのは理知に訴へた感じ、また哀れつぽいなどゝ言ふのは情緒に引き入れられるので、この三つは真実(ほんたう)に芸術を鑑賞しようとする人には大きな妨げとなるものであります。
同じ文章で「すべて作品を見て何かしら強く感じられるもの――夫れは色彩の如く眼から来るものでもないし、理知に訴へた意味から来るものでもない、また情緒から来るものでもない、言はゞ一つの気魂が自分の精神も肉体もおびやかすといふやうな感じ、自分を何処か広やかな世界に誘ひ行くやうに思はせる、其様(そん)な感じを起こさせるものが宜(い)い」とも書いています。
月に吠えらんねえ(11)
2019年9月20日 清家雪子著 講談社 定価648円+税萩原朔太郎作品から生まれた「朔くん」、北原白秋作品から生まれた「白さん」、室生犀星作品から生まれた「犀」など、詩人本人ではなく作品のイメージをキャラクター化。詩人たちが暮らす近代市□(シカク/詩歌句)街に住む詩人の朔くんは、本人は自覚なく□街の神として町を詩人の理想の土地として管理していたが、知らずにその神の力で詩壇の師匠の白さんに強く働きかけ、自分の男性・詩人としての理想を白さんに具現化してしまっていた。ある時、□街に出現した愛国心の一表出である「縊死体」は朔くんに取り憑くが、それは戦争を悔いるあまりに愛国心までも否定しようとする戦後の日本の総意識に対抗するためであった。縊死体に侵食され一体化した朔くんは変質した白さんと複雑に影響を与え合い、神としての力が白さんにも流れ込み、白さんは二体に分裂。ひとりは新しい神として□街を守り、ひとりは男性として女性化した朔くんと結ばれるが、縊死体、戦争翼賛文学までも愛国心として認める白さんが守る□街を責める「戦後の日本の総意識」の攻撃は激化する。朔くん、白さん、戦場巡りで戦争の悲惨さを経験させられた犀の選択とは。第20回文化庁メディア芸術祭マンガ部門・新人賞を受賞した近代詩歌俳句ファンタジー、ついに完結!
光太郎と智恵子をそれぞれイメージ化した「コタローくん」「チエさん」、第2巻と第4巻で大活躍でしたが、その後、ちょい役ばかりでした。このまま作者にも忘れ去られたまま終わってしまうのかな(長編小説などでよくあるケースですが)と思いきや、最終巻で復活し、再び大きな役割を担わせて下さいました。
この作品、「結局、近代詩歌句とは何だったのか」という命題の元に、特に翼賛詩を書かざるを得なかった文士たちの姿を描いてきました。となると、やはり光太郎は外せませんね。

戦後の連作詩「暗愚小伝」などを引用し、かなり的確に光太郎の内面が、リスペクトを保ちながら剔抉されています。
そして「チエさん」亡き後、「コタローくん」が作ったロボット「チエコさん」。

ある意味、形而上的な詩歌に対する、実体を持つ形而下的なものの象徴とも捉えられるような気がします。最終巻では「コタローくん」たちが異世界から脱出する際に、「言葉」では為し得なかった大きな役割を果たします。
さて、『月に吠えらんねえ』、これを持って全巻完結。ぜひお取りそろえ下さい。また、今後、完結記念のなにがしかがありそうな気がしますので、注意しておきたいと思います。
【折々のことば・光太郎】
あゝ綺麗だと言ふのは眼に訴へた感じ、穿つた所と言ふのは理知に訴へた感じ、また哀れつぽいなどゝ言ふのは情緒に引き入れられるので、この三つは真実(ほんたう)に芸術を鑑賞しようとする人には大きな妨げとなるものであります。
散文「絵を見る人の為めに」より 大正5年(1916) 光太郎34歳