光太郎第二の故郷・岩手花巻郊外旧太田村にある高村光太郎記念館さんでの企画展です。

令和5年度高村光太郎記念館企画展「光太郎と吉田幾世」

期 日 : 2023年10月5日(木)~11月30日(木)
会 場 : 花巻高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 会期中無休
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円 高村山荘は別途料金

吉田幾世は盛岡友の会生活学校(現盛岡スコーレ高等学校)の創始者です。高村光太郎と吉田幾世の関わりについて写真や掛け軸などの資料とともに紹介します。
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 2023年11月2日(木) 10:00~12:00 高村光太郎記念館第一展示室
 講師 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
 高村光太郎と吉田幾世の交流について解説。

 申し込み締め切り日 10月20日(金)
 定員をこえる場合は抽選となります。
 定員に達しない場合は、定員に達するまで引き続き募集いたします。
 次のいずれかの方法でお申し込みください。
 高村光太郎記念館(0198-28-3012)へお電話ください。
 専用申込フォームへアクセスし、必要事項をご入力のうえ、ご送信ください。

吉田幾世(大正元年=1912~平成15年=2003)は、盛岡出身の教育者。戦前に羽仁吉一・もと子夫妻が東京東久留米に創設した自由学園に学びました。卒業後、昭和7年(1932)に郷里に帰ってから、羽仁夫妻の創刊で、明治末から光太郎が数多くの寄稿をした雑誌『婦人之友』の友の会盛岡支部の仕事なども行いました。その流れの中で、吉田は友の会のメンバーと共に、昭和8年(1933)、「盛岡友の会生活学校」(現・盛岡スコーレ高等学校さん)を開校させ、自由学園の精神を受け継ぐ岩手女子教育の新生面を担うこととなりました。

戦後、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に光太郎が移住すると、吉田は『婦人之友』に光太郎の寄稿を仰ぐべく山荘を訪れ、以後、学校ぐるみでの光太郎とのさまざまな交流が続くことになります。吉田が生徒たちを引き連れて光太郎の山小屋を訪れたり、光太郎が盛岡の同校で講演を行ったり、さまざまなアドバイスをしたりと。

そうした交流についての紹介、それから光太郎から吉田や同校などに贈られた書、当時の古写真などを展示します。当方、展示パネルおよびフライヤー裏面の解説文を執筆いたしました。

特に書は、新たに確認されたこれまで未公開のものの展示も。こういう書を書いた、という記録は残っていたものの、その現物が確認できていなかった作品が含まれ、「こんなものも見つかった」という報せと共に市役所さんから送られてきた画像を見て仰天しました。

11月2日(木)には関連行事としての当方の講座があります。今回、参加資格に花巻市在住とか勤務とかの縛りが特に無いようなので、ぜひどうぞ。もちろん展示のご高覧も、です。

【折々のことば・光太郎】

毎日お送りの書きものは面白くよんでゐますが一々御返事は書きません、御ゆるし下さい、

昭和14年(1939)8月20日 野澤一宛書簡より 光太郎57歳

野澤一は山梨県出身の詩人。昭和4年(1929)から同8年(1933)まで四尾連湖畔に独居生活を送り、そののち上京。なぜか面識がなかったと思われる光太郎に対し膨大な量の書簡をほぼ一方的に送り続けました。その数300通超、一通が3,000字を超えることもありました。光太郎、ある意味辟易しながら、それを面白がってもいました。