一昨日、久々に上京し、美術館さん・博物館さん三館を巡りました。

まずは京橋のアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)さん。こちらでは「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」展が開催中です。

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同館では旧ブリヂストン美術館さんだった時代、昭和28年(1953)から昭和39年(1964)にかけ、17本の「美術映画シリーズ」を制作し、それらを複数のモニターで一挙上映、取り上げられている作家の作品等を併せて展示するというもの。

第3作が「高村光太郎」。昭和28年(1953)に撮影され、公開は翌年でした。
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前半は昭和28年(1953)の11月26日と27日、一時帰村(前年に「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京していました)した花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)とその付近での撮影。
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光太郎彫刻の紹介が挟まり、後半はそれより前の同年5月25日、中野の貸しアトリエでの「乙女の像」制作風景。
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こちらは現代でも様々な美術館さん、文学館さん等で上映される機会が多く、また、回りまわって当方手元にはDVDも存在し、少なくとも数十回拝見しています。

そこで、はっきり言うとあまり期待せずに出かけました。

ところが行ってみてびっくり。もう1本、光太郎が登場する作品が存在したのです。題して「美術家訪問」第7集。「高村光太郎」よりだいぶ後、光太郎歿後の昭和33年(1958)制作でした。
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これは存じませんでしたが、「「高村光太郎」からの使い回しの動画を使っているんだろう」と思いました。ところが、実際に見てみて驚天動地でした。光太郎の部はぴったり2分間。撮影日は同一と思われるものの、使い回しのカットはほとんどなく、初見の映像のオンパレードだったのです。尺の関係などがあって「高村光太郎」で使えなかった映像をもったいないから使ったということでしょう。

「高村光太郎」同様、花巻郊外旧太田村のシーンから。
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作品紹介。これも「高村光太郎」にはなかった「鯰」。
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そして中野の貸しアトリエ。
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一緒に映っているご婦人は、貸しアトリエの大家さん・中西富江氏(水彩画家・中西利雄未亡人)と思われます。

帰って来てから気がついたのですが、ネット上でこの動画が公開されていました。


ぜひご覧下さい。

それから、同じく「美術家訪問」の第1集(昭和29年=1954)には、光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝・髙村豊周も。これも存じませんでした。
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一緒に映っているのは君江夫人でしょうか。こちらは残念ながらネット上には公開されていません。

全17本のラインナップは以下の通り。取り上げられている作家は全61名です。
伊東深水  川島理一郎 斎藤与里  高村豊周  熊谷守一  平櫛田中  川端龍子
児玉希望  石井柏亭  近藤浩一路 小絲源太郎 木村荘八  北村西望  辻永
中川一政  田辺至   松林桂月  山下新太郎 山口蓬春  梅原龍三郎 中村岳陵
朝倉文夫  中沢弘光  白瀧幾之助 前田青邨  金山平三  奥村土牛  西山翠嶂
堅山南風  飯塚琅玕斎 徳岡神泉  坂本繁二郎 安田靫彦  和田三造  福田平八郎
有島生馬  松田権六  横山大観  高村光太郎 正宗得三郎 結城素明  石川寅治
榊原紫峰  富本憲吉  吉田三郎  小野竹喬  寺内萬治郎 堂本印象  中村研一
鏑木清方  川合玉堂  小杉放庵  野田九浦  斎藤素巌  中川紀元  岩田藤七
清水多嘉示 森田元子  鳥海青児  山本豊市  林武
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あらためて貴重な映像の数々だな、という感じです。全ては拝見しませんでしたが、それぞれの作家の制作風景、鬼気迫るものさえ感じさせられました。しかし、戦前に亡くなった、光太郎の父・光雲や光太郎の親友・荻原守衛などの動画が残っていないのは返す返す残念だな、とも思いました。

それぞれの作家の作品等。
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光太郎の「手」(大正7年=1918)は、今日からの展示です。

「美術映画」シリーズのパンフレットなども展示されていました。
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「これは欲しい」と思いました(笑)。

ミュージアムショップで図録を購入。
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表紙は光太郎とも交流の深かった梅原龍三郎です。

フィルムを象った4枚組のしおりも購入しました。右上に光太郎も居ます。
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もったいなくて使えませんが(笑)。

拝観後、地下鉄を乗り継いで半蔵門ミュージアムさんでの「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春」展へ(ちなみにアーティゾンさんでは堅山の動画もありました)。明日、そちらをレポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

中原君の夭折は残念でした、


昭和12年(1937)11月4日 更科源蔵宛書簡より 光太郎55歳

「中原君」は中原中也。その第一詩集『山羊の歌』(昭和9年=1934)の装幀・題字は光太郎でした。