地方紙記事から3件。

まず、信州松本平地区で発行されている『市民タイムス』さんの一面コラム。

2023.8.4 みすず野

東京美術学校の草創期だから明治半ばだろう。岡倉天心校長が学生を飲みに誘う。集まったのは下村観山、菱田春草、横山大観...橋本雅邦先生もいた。後に名を成す大家の修業時代とはいえ、すごい顔ぶれの飲み会があったものだ(『作家と酒』平凡社)◆こちらは詩人の交流。草野心平は若い頃、屋台の焼き鳥屋を開く。素人商売だから翌日の酒を仕入れる金が残らない。心配して友達の高村光太郎がたびたび様子を見に来た。2人は―詩誌で心を通わせ合った―宮澤賢治の葬儀に駆け付け、遺稿の詰まったトランクの中から〈雨ニモマケズ〉の手帳を手に取る◆こうした逸話は―互いに鍛え合い、信頼し合える―友や出会いの大切さにあらためて気付かせてくれる。同僚は自分を高みへと導く〝春草〟かもしれない。一別以来はがきも出していない友は〝賢治〟でなかろうか◆前掲書からもう一つ。村上春樹さんが〈小澤征爾さんがうちに遊びに見えたとき〉と書いている。マエストロは米国ビール〈ブルー・リボン〉を懐かしがり、くいくい飲んだ。ニューヨークでの助手時代は収入がほとんどなく、安い銘柄しか飲めなかったという。

一昨年発行のアンソロジー『作家と酒』から。ただ、「宮澤賢治の葬儀」は誤りで、正しくは没した翌年に新宿で開かれた追悼会ですが……。

互いに鍛え合い、信頼し合える―友や出会いの大切さ」。そのとおりですね。

続いて『信濃毎日新聞』さん。

「震災を自分事に」 松川高ボランティア部、4年ぶり東日本大震災の被災地訪問 石巻市と女川町

 松川高校(松川町)ボランティア部の生徒7人が4日、東日本大震災で被災した宮城県沿岸部の石巻市と女川町を訪ねた。震災直後から続く被災地訪問は、新型コロナウイルス感染症の影響で途絶えていたため4年ぶり。被災地に寄り添う取り組みを次代につなげた。
 ボランティア部は町特産のリンゴを石巻市に届けたり、現地でがれきの撤去を手伝ったりしてきた。同市の避難所で咲いていたペチュニアの種を譲り受け、生徒や松川町民が育てて「お里帰り」させる取り組みもしている。
 この日は、子どもが中心となって建てた女川町の「女川いのちの石碑」を見学し、石巻市の「みやぎ東日本大震災津波伝承館」に移動。解説員から地震や津波の規模、身を守るすべについて教わった。
 津波で児童74人、教職員10人が亡くなった石巻市の大川小学校跡地の震災遺構では、次女を失った大川伝承の会共同代表の鈴木典行さん(58)が当時の生々しい状況を説明。「津波の教訓は、逃げたら戻らないということ。戻ったら流される」と訴えた。
 松川高2年の関根諒さん(16)は東京電力福島第1原発事故を受け、4歳の時に福島県大熊町から駒ケ根市に移り住んだ。「東北には『戻る』というより『行く』という感覚。大川小で悲惨な話を聞き、震災を自分事として考えられた」と話した。部長の3年小田切彩風(あやか)さん(18)は「学んだことを後輩たちに伝えたい」と言葉に力を込めた。
 現地訪問は3~5日の日程。3日は宮城県内の小中学校や高校で児童生徒と交流した。5日は福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館を見学する。
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いのちの石碑」は、東日本大震災による大津波で甚大な被害を受けた宮城県女川町に建てられたもの。震災後、当時の中学生たちが、大地震の際に避難する目印として津波到達地点より高い場所に設置を続けました。かつて「100円募金」で建てられた女川港の高村光太郎文学碑に倣い、費用は全て募金で賄われました。
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今日はその女川町に参ります。明日、光太郎を顕彰する「女川光太郎祭」ですので。

同祭につき、仙台に本社を置く『河北新報』さん系の『石巻かほく』さんが予告記事を出して下さいました。

光太郎の思いに触れて 女川で祭り、4年ぶり 朗読や講演 9日

 戦前に女川町を訪れ、紀行文や詩を残した詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ第32回女川「光太郎祭」(女川・光太郎の会主催)が9日午後2時から、同町まちなか交流館ホールで開かれる。
 光太郎がのこした紀行文や詩の朗読などを通して光太郎の思いに触れる。記念講演では高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表が「高村光太郎 その生の軌跡 最晩年」と題して講演する。朗読には同町を含む東北と東京から計10人が参加する予定。ギタリスト宮川菊佳さん(千葉県)、オペラ歌手本宮寛子さんの献奏、献歌もある。
 光太郎は1931年8月に三陸沿岸を巡る旅の途中に女川を訪れ、数々の詩や散文などの作品をのこした。光太郎祭は、地元有志らで組織する女川・光太郎の会が92年から開いてきた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年から中止が続き、4年ぶりの開催。誰でも参加できる。
 連絡先は事務局の佐々木さん090(6686)7811。

光太郎祭の通常開催は4年ぶり。当方は東日本大震災からちょうど10年だった一昨年の3.11に訪れて以来の女川です。長かったような、短かったような……。

【折々のことば・光太郎】

しばらく方々を歩いてゐましたが先日帰宅しました、 秋になりましたがお変りありませんか、

昭和8年9月19日 長沼セン宛書簡より 光太郎51歳

心を病んだ智恵子の療養のため、東北、北関東の温泉を約半月廻りました。

この葉書は塩原で撮った写真を絵葉書にし、送りました。確認できている限り、智恵子生前最後の写真です。
那須 那須_color-1
最近、白黒写真をカラー化できるアプリ的なものが出回っており、やってみました。やっぱり雰囲気が少し変わりますね。しかし、AI、もうちょっとがんばれよ、という感じですが。