2023年12月

早いもので、とうとう大晦日となってしまいました。

昨日まで、例年通り、今年1年の光太郎関連で主な出来事をご紹介して参りました。コロナ禍もほぼ終息ということもあり(未だ予断を許さぬ状況ではありますが)、多くの方々がそれぞれの分野で光太郎らを取り上げて下さり、ありがとうございました。

さて、こちらも例年通り、寄付等のご報告。

まず、皆様方からいただいた郵便物に貼られていた切手を、公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会さんにお送りしました。アジアやアフリカの保健医療協力のため役立てられています。今日に間に合うように先月送付いたしまして、先月分の「ご協力団体一覧」に当会の名を記していただいております。
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同様に、ベルマーク。こちらはベルマーク教育助成財団さんに送付。
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やはり11月分の「今月の寄贈者」に名を記して下さいました。
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少しでも光太郎のイメージアップにつながれば、という下心があるのですが(笑)。

さて、別件で、正月のテレビ番組から。

日本歌手協会新春12時間歌謡祭<第一部>

BSテレ東 2024年1月2日(火) 12:00~15:00

一挙12時間!全160曲放送! 第一部<お昼12時〜>

「東京ブギウギ」ミラクルひかる 「大阪ブギウギ」中村美律子 「買物ブギー」川中美幸 「東京の花売娘」大江裕 「アルプスの牧場」関大八 「さいざんす・マンボ」谷龍介 「こんなベッピン見たことない」小桜舞子/合田道人 「石狩エレジー」大川栄策 「お祭りマンボ」津吹みゆ 「黒百合の歌」上野さゆり 「雪の降る町を」新沼謙治 「ヴァイヤ・コン・ディオス(Vaya Con Dios)」香西かおり 「リンゴの花は咲いたけど」コロムビア ローズ 「智恵子抄」市川さよ子 「霧子のタンゴ」神穰ひろし 「ここに幸あり」大津美子 「お別れ公衆電話」富士きぬ子 「浪曲子守唄」一節太郎 「ギター仁義」北山たけし 「出世街道」畠山みどり 「東京五輪音頭」畠山みどり/北山たけし 「大利根無情」大林幸二 「夫婦春秋」金嶋昭夫 「長崎の女」北川裕二 「あの娘が泣いてる波止場」村木弾「お花ちゃん」南部姉妹 「ヘイ・ポーラ」田辺靖雄/九重佑三子 「雨の新宿」津山洋子・髙樹一郎 「みれん海峡」扇ひろ子 「美しい十代」三田明 「愛と死をみつめて」青山和子 「青春の城下町」梶光夫 「下町育ち」笹みどり 「君が好きだよ」しょうじ 「銀座ブルース」櫻井まり 「ベッドで煙草を吸わないで」弓純子 「経験」辺見マリ 「どうにもとまらない」山本リンダ 「それがあなたで本当に良かった」九重佑三子 「人生これから」宇山保夫 「女のひとり酒」石岡みどり 「夕顔」沢田亜矢子 「どうぞこのまま」丸山圭子 「バラが咲いた」マイク眞木 「花と小父さん」渚まゆみ 「みんな夢の中」髙田恭子 「愛のさざなみ」安倍理津子 「星のフラメンコ」松阪ゆうき 「東京⇔大阪」田辺靖雄

<司会>アグネス・チャン、川中美幸、香西かおり、伍代夏子、森口博子/合田道人
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「智恵子抄」がラインナップに入っており、てっきり令和2年(2020)に亡くなった二代目コロムビア・ローズさんの過去の映像が流れるのだろうと思い込んでおりましたところ、市川さよ子さんという方の歌唱でした。

調べてみましたところ、10月27日(金)に江戸川区総合文化センターさんで公開収録が行われたようで、小桜舞子さんという方のブログに市川さんが「智恵子抄」を歌われた由、記述がありました。「名曲を歌いつぐ」というコーナーの一環だったようで、二代目コロムビア・ローズさんが歌われた丘灯至夫氏作詞・戸塚三博氏作曲「智恵子抄」なのでしょう。
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さらに再放送系ですが。

にほんごであそぼ「朗読スペシャル(2)」

地上波NHK Eテレ 2024年1月4日(木) 15:35〜15:45

朗読(高杉真宙)/「三銃士」アレクサンドラ・デュマ、「旅情」萩原朔太郎、「あどけない話」高村光太郎、「鶏」山村暮鳥、朗読(津田健次郎)/「ロミオとジュリエット」シェイクスピア、「板極道」棟方志功、「達磨おくり」金子みすゞ、うた「なせばなる」

【出演】南野巴那,津田健次郎,高杉真宙,藤原道山,中村彩玖,川原瑛都,川田秋妃

初回放映が9月18日(月)でした。俳優の高杉真宙さんによる「あどけない話」朗読が含まれます。
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もう1件。直接、光太郎には関わりませんが、光太郎が終生敬愛し続けたロダン。

ねこのめ美じゅつかん 31歩め 「考える人」は何も考えていない!?

地上波NHK Eテレ 2024年1月4日(木) 08:25〜08:35  1月6日(土)  11:30~11:40

キャッチュアイの2匹が静岡県立美術館で目にしたのは「考える人」。実は、何も考えていなかったのではないかと言い出す弟子ネコにボスもびっくり!一体どういう事なのか?

19世紀フランスを代表する彫刻家、オーギュスト・ロダンの傑作「考える人」。その造形を見てリアルだなあと感想を漏らすボスネコに対し、弟子ネコはそうではなく、“無理している”からこそ迫力があるのだと語り出す。さらにはそもそも、「考えていない人」かも知れないと、ボスを混乱させ始める。「考える人」にこめられたヒミツに迫る。そして古川琴音の「画家のうた」ではドラクロワの気になる超有名絵画を取り上げる。

【声】カミナリ,【出演】古川琴音
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それぞれぜひご覧下さい。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

【折々のことば・光太郎】

小生山に居て物の値段をまるで知りませんが下駄などは恐らく莫大なお値段なのだらうし又、中々入手いたし難きものと推察、恐縮に堪へません。


昭和21年(1946)3月1日 佐藤雪江宛書簡より 光太郎64歳

「山に居て物の値段をまるで知りません」。光太郎、仙人じみて来ましたね(笑)。

今年1年の振り返り、最後です。

10月2日(月)
『しんぶん赤旗』さんの歌人の寺井奈緒美氏の連載「くねくねTANKAロード」が「レモン哀歌 高村光太郎」でした。

10月5日(木)
当会より『光太郎資料』第60集を発行しました。
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10月5日(木)~11月19日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館 さんで「高村智恵子レモン祭」が開催され、生家二階部分の特別公開及びライトアップ、紙絵実物展示、紙絵制作体験など様々なコンテンツが用意されました。

10月5日(木)~11月30日(木)
岩手県花巻市の花巻高村光太郎記念館さんで「令和5年度高村光太郎記念館企画展 光太郎と吉田幾世」が開催されました。関連行事として11月2日(木)、当方による同題の市民講座が開催されました。
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10月6日(金)~11月28日(火)1ab34b95-s
鎌倉市の笛ギャラリーさんで「高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10」展が開催されました。11月11日(土)には関連行事として朗読会が行われました。

10月7日(土)
札幌市資料館さんで「第31回 葦の会 朗読会」が開催され、佐藤春夫著『小説智恵子抄』の一節の朗読も為されました。

10月7日(土)~12月24日(日)
和歌山市の和歌山県立近代美術館さんで小企画展「原勝四郎と同時代の画家たち」が開催され、光太郎油彩画「佐藤春夫像」が展示されました。

10月9日(月)
福島県二本松市の市民交流センターさんで「智恵子講座2023」の第一回が開催されました。主催は智恵子のまち夢くらぶさん。講師は同会代表・熊谷健一氏。同じく熊谷氏による第二回、第三回が11月19日(日)、12月17日(日)、同じ会場で開催されました。
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10月12日(木)~12月17日(日)
愛媛県西条市の五百亀記念館さんで「開館10周年記念企画展 秋川雅史彫刻展~彫り奉らん~」が開催され、テノール歌手にして木彫にも取り組まれている秋川雅史氏作の楠正成像模刻の他、氏のコレクションから光雲木彫数点が展示されました。
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10月13日(金)
岩波書店さんから谷川俊太郎氏選『永瀬清子詩集』が岩波文庫の一冊として刊行されました。随所で光太郎に触れられています。

10月14日(土)~11月26日(日)
石川県金沢市の石川県立美術館さんと国立工芸館さんで「第38回国民文化祭 第23回全国障害者芸術・文化祭 いしかわ百万石文化祭2023 皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川-麗しき美の煌めき-」が開催され、光雲、山崎朝雲、由木尾雪雄の合作「萬歳楽置物」、光雲と竹内久一の合作「鶴亀置物」が展示されました。
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10月16日(月)~11月7日(火)
埼玉県東松山市の東松山市民文化センターさんで「彫刻家 高田博厚展2023」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。

10月17日(火)
東京都中野区のオルタナティブスペースRAFTさんで「くつろぎの朗読会」が開催され、朗読家・出口佳代さんによる「智恵子抄」朗読がプログラムに入りました。
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10月19日(木)
東京都渋谷区のHakuju Hallさんで「Hakuju Hall 20周年記念 カウンターテナーの饗宴」が開催され、藤木大地氏による加藤昌則氏作曲「レモン哀歌」が演奏されました。

同日、株式会社ワークスさん発行、一般社団法人パズル検定協会さん監修の『別冊漢字館 Vol.112』が「特集 ある芸術家の愛と哀 高村光太郎」を組んで下さいました。
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10月25日(水)
千葉県立図書館さん3館(中央・西部・東部図書館)において「千葉県誕生150周年記念 房総文学カード 第2弾」の配付が開始されました。「高村光太郎 智恵子抄 九十九里エリア 九十九里町」がラインナップに入っていました。

10月27日(金)~11月15日(水)
東京都荒川区のギャラリーHIGURE17-15casさんで、「『消えないし、 』展 O JUN 船木美佳 ー戦時下資料ラボー」が開催されました。現代アート作家のO JUN氏、船木美佳氏による光太郎詩を含む翼賛詩歌をモチーフとしたものでした。11月14日(火)に船木氏の故郷・福岡に本社を置く『西日本新聞』さんで紹介されましたが、会期終了前日で、このブログではご紹介しませんでした。この場を借りて取り上げさせていただきます。
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10月29日(日)
岡山市の岡山シンフォニーホールさんで「岡山市民合唱団鷲羽 第50回記念定期演奏会」が開催され、上月明氏作曲「智恵子抄 三章」(岡山市民合唱団鷲羽 第50回定期演奏会記念作品)が演奏されました。
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10月29日(日)、11月26日(日)
富山県高岡市の市民大学たかおか学遊塾さんで市民講座「高村光太郎『智恵子抄』を語り合おう」が開催されました。講師は茶山千恵子氏でした。

10月31日(火)
愛知県名古屋市のメニコンHITOMIホールさんで「藤木大地カウンターテナー・リサイタル」が開催され、藤木大地氏による加藤昌則氏作曲「レモン哀歌」が演奏されました。
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11月1日(水)
文藝春秋さん発行の月刊文芸誌『文學界』2023年11月号に近現代史研究者の辻田真佐憲氏による「花巻に高村光太郎の戦争詩碑を訪ねる」という記事が載りました。

同日、岩手県花巻市の宮沢賢治イーハトーブ館さんでトークリレー「高村光太郎生誕140周年記念事業 続 光太郎はなぜ花巻に来たのか」が開催されました。メインパネラーは宮沢賢治実弟・清六の令孫にして林風舎代表取締役の宮沢和樹氏、パネリストは生前の光太郎をご存じの皆さんなど、コーディネーターは当方でした。
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11月2日(木)
散文「智恵子の半生」の一節と詩「レモン哀歌」が課題文で録音審査による開催だった「第16回山形大学高校生朗読コンクール」の審査結果発表がありました。

11月4日(土)
東京都中央区の王子ホールさんで「福成紀美子ソプラノリサイタル~作曲家 朝岡真木子とともに~」公演があり、朝岡真木子氏作曲の「冬が来た」が初演されました。歌唱は福成紀美子氏、ピアノは朝岡氏でした。
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11月5日(日)
千葉県木更津市の木更津市中央公民館さんで「第116回 房総の地域文化講座 没後100年、画家・柳敬助の生涯」が開催され、光太郎についても触れられました。講師は渡邉茂男氏 (君津市文化財審議会委員)でした。

11月8日(水)
『毎日新聞』さんの連載「山は博物館」で「光太郎「岩手の山」に自ら流刑 己の戦争詩に「暗愚」見る」が掲載され、光太郎がメインで取り上げられました。
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11月12日(日)~11月20日(月)
京都市の複数の寺院を会場に「京都非公開文化財特別公開」が行われ、一念寺さんでは光太郎の書が展示されました。
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11月15日(水)~2024年1月14日(土)
東京都港区の大倉集古館さんで「大倉組商会設立150周年記念 偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉」展が開催され、光雲作の「大倉鶴彦翁夫妻像」が展示されました。

11月16日(木)
茨城県水戸市の水戸市立東部図書館さんで朗読会「あなたに贈る読みがたりーいい夫婦の日ー」が開催され、「あどけない話」の朗読がありました。
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11月23日(木)~11月30日(木)
大阪市の竹井事務所さんで「古美術上田 EXHIBITION」が開催され、光太郎ブロンズ「手」の展示即売が行われました。

11月24日(金)
作家の伊集院静氏が亡くなりました。平成30年(2018)に文藝春秋さんから刊行された『文字に美はありや』で光太郎の書について取り上げて下さった他、小説でも光太郎詩を引用したりなさっていました。

11月25日(土)
東京都文京区のアカデミー茗台さんで「第66回高村光太郎研究会」が開催されました。
研究発表は前田恭二氏「米原雲海と口村佶郎――新出“手”書簡の後景――」、北川光彦氏「西洋・東洋・時代を超えて 高村光太郎・智恵子が求めたもの」、当方の「智恵子、新たな横顔」でした。

11月26日(日)
千葉市の千葉アートサロンさんで「潮見佳世乃 CD発売記念LIVE 歌物語×JAZZ」が開催されました。第1部が「歌物語 智恵子抄」でした。
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11月29日(水)
東京都渋谷区の渋谷区文化総合センター大和田伝承ホールさんで「弓田真理子ソプラノ・リサイタル~歌声をあなたのもとに~」が開催され、甲田潤氏作曲「冬の朝のめざめ《智恵子抄》より」が演奏されました。

12月1日(金)
メディア業界紙「文化通信」を発行する文化通信社が主催する「ふるさと新聞アワード」の第3回の受賞記事が決まり、『いわき民報』元日号掲載で光太郎にも触れられた「草野心平生誕120周年記念特集」が「ひと」(一部「もの」)部門で優秀賞を受賞、表彰式が行われました。

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12月4日(月)
東京都渋谷区の渋谷区文化総合センターさくらホールさんで「男声合唱のためのウルトラセブン 楽譜出版記念コンサート」が開催され、蒔田尚昊氏作曲「『智惠子抄』より あどけない話」がテノール歌手・加耒徹氏の歌唱で演奏されました。

12月6日(水)
山形県北村山郡大石田町の大石田町町民交流センター虹のプラザさんで「第3回読書会「声に出して読みたい日本語 part2」が開催され、光太郎詩「道程」が取り上げられました。
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12月10日(日)
文治堂書店さんからPR誌『とんぼ』第17号が発行されました。評論家の芹沢俊介氏の追悼文、文治堂さんから詩集も覆刻されている光太郎と交流のあった詩人・野澤一が暮らした甲州四尾連湖のレポート、当方の『連翹忌通信』などが載っています。

12月16日(土)
東京都台東区のやなか音楽ホールさんで「歌曲個展+5 ドイツロマン派の歌曲――残照の時――」の公演があり、根本卓也氏作曲「組曲『智恵子抄』(新作初演)」の演奏がありました。ご出演はソプラノ・坂口真由氏、バスバリトン・牧山亮氏、ピアノ・蓜島啓介氏でした。
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12月18日(月)
地上波NHK Eテレさんで「にほんごであそぼ 健康」の放映があり、俳優の津田健次郎さんによる「レモン哀歌」朗読がありました。再放送は12月21日(木)、12月23日(土)でした。

12月22日(金)~2024年2月12日(月)
石川県七尾市の石川県七尾美術館さんで「彫刻って面白い!〜これってなんだ?からそっくりまで〜」展が開催され、光雲作の「聖観音像」が出品されました。
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12月23日(土)
新潟市のゆいぽーとさんで市民講座「二葉アーツスクール2023 めだかの学校 高村光太郎にとっての新潟」が開催されました。講師は山浦武夫氏でした。

同日、光太郎第二の故郷・岩手県の地方紙『岩手日日』さんに以下の記事が載りました。

賢治没後90年・光太郎生誕140年 人間味伝わる話題を

 宮沢賢治没後90年の今年は取材を通じて知らなかった賢治の一面に触れた。今春公開の映画「銀河鉄道の父」は父政次郎とその家族を通じて賢治の人生を描いた物語。家業を継ぐのを拒否し謎の商売を始めようとしたり、宗教に生きると言って家出したりと人間味にあふれる賢治を、舞台あいさつに立った成島出監督は「天真爛漫(らんまん)」と表現した。
 命日に営まれる賢治祭では生前に録音してあった父政次郎の肉声を聴いた。イメージよりも少し高い声でとうとうとお経のことを説き、賢治の弟・清六の孫に当たる宮澤和樹さんは「こういうお父さんに育てられたからこそ賢治があると思う」と語った。
 清六を頼って花巻に疎開した詩人で彫刻家の高村光太郎も生誕140年の節目の年だった。サンタクロースに扮(ふん)して子供を喜ばせたり、訪ねてきた女学生に足を崩してくつろぐよう勧めたりする光太郎の思いやりにあふれたエピソードを生前親交のあった人たちが披露し、主催した太田地区振興会の平賀浩会長は「後世に語り継がれる一材料になれば」と願った。
 今も昔も変わることのない人間味を伝えられる話題を届けていきたい。


さらに同日、新宿区のK’s cinemaさんで、映画「火だるま槐多よ」が封切られました。タイトルは光太郎詩「村山槐多」から採られ、劇中でも抜粋して朗読されました。
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12月25日(月)
東洋館出版社さんから山本茂喜氏著/野宮レナ氏イラスト『大人もときめく国語教科書の名作ガイド』が刊行されました。第5章 「そんなにもあなたはレモンを待っていた~文豪もときめきがお好き~」中に「1 愛する人に捧げます/「レモン哀歌」」という項が含まれました。

また、この項でその都度ご紹介はしませんでしたが、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さん販売の豪華弁当「光太郎ランチ」。メニューは光太郎の日記などを元に、光太郎が作った料理や使った食材などを研究し、現代風にアレンジし、彼の地で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの考案です。令和2年(2020)からの毎月15日に限定販売、今年も継続されました。
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同じく花巻市のワンデイシェフの大食堂さんでは、やつかの森LLCさんによる「こうたろうカフェ」の出店も5回、なされました。こちらも光太郎が作った料理や使った食材などを研究し、現代風にアレンジした料理が振る舞われました。
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というわけで、いろいろあった1年でした。新型コロナウイルス感染症が感染症法上の位置づけで「5類感染症」に変更された影響もあり、さまざまなイベントやコンサート、企画展示等が旧に復した感があり、ありがたいところです。しかし、「高村光太郎? 誰、それ?」、「高村光雲? 知らんなぁ」、「高村智恵子? 聞いたことない」という状況になるとこうは行きませんので、そうならないよう来年以降も微力ながら努力いたします。ご協力の程、よろしくお願いいたします。

【折々のことば・光太郎】

雪はまだとけず、降雪も三日に一日位は降ります。雪をかいて道をつけると又忽ち埋れます。雪解は三月末でせう。


昭和21年(1946)2月28日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で暮らし始めた初めての冬。まだまだ物珍しいことが多かったようです。

今年1年の回顧、3回目です。

7月2日(日)
NHK Eテレさんで「日曜美術館「クォ・ヴァディス」の秘密〜シュルレアリスム画家北脇昇の戦争」の放映があり、光太郎の戦後の花巻郊外旧太田村での生活が紹介されました。
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7月7日(金)
東京都杉並区の座・高円寺さんで、「ろうどくdeおもてなし 🌟七夕公演🌟~会えば何かがはじまる~【夜公演】」が開催され、唐ひづる氏・葉月のりこ氏による「高村光太郎「智恵子抄」より『千鳥と遊ぶ智恵子』『僕等』『おそれ』」朗読劇がプログラムに入っていました。
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7月7日(金)~7月9日(日)
東京都中野区のBook Trade Cafe どうひんさんで「三枝ゆきの・末永全 二人芝居 『カラノアトリエ』『トパアズ』」の公演がありました。光太郎智恵子を登場人物とした二人芝居でした。

7月8日(土)
福島県双葉郡川内村の村民体育センターさんで、当会の祖・草野心平を偲ぶ第58回天山祭りが開催されました。当方による記念講演「草野心平と高村光太郎 魂の交流」がありました。
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7月8日(土)~8月2日(水)
秋田県横手市の皇室の秋田県立近代美術館さんで「名宝と秋田~三の丸尚蔵館 収蔵品展~」前期展示が開催され、光雲の木彫「文使」が展示されました。

7月8日(土)~8月20日(日)
山形県米沢市の米沢市上杉博物館さんで「今泉篤男と美術 ひたすらに己の眼と言葉を信じ 美術評論家・美術館人として歩んだ生涯」展が開催され、光太郎木彫「鯰」が展示されました。
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7月8日(土)~9月2日(土)
名古屋市のSee Saw gallery + hibitさんで「谷澤紗和子個展 彼方の手に触れる。」が開催され、智恵子紙絵オマージュの作品が展示されました。

7月13日(木)~10月1日(日)
宮城県宮城郡松島町の瑞巌寺宝物館 さんで「一関恵美 墨画展〈千貫乃風 sengan no kaze〉」が開催され、光雲作の「聖観音像」を描いた作品が展示されました。
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7月15日(土)
東京都文京区の宝生能楽堂さんで「第二回 掬月会」公演があり、テノール歌手の紀野洋孝氏、伴奏(箏)福田恭子氏による別宮貞雄作曲歌曲集《智恵子抄》より「晩餐」の演奏がありました。

7月19日(水)~11月5日(日)
東京都千代田区の半蔵門ミュージアムさんで「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春」展が開催され、光雲が主任となって制作された「西郷隆盛像」を描いた絵画が出品されました。
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7月21日(金)~9月10日(日)
長野県安曇野市の碌山美術館さんで「夏季特別企画 生誕140周年高村光太郎展」が開催され、同館所蔵の光太郎ブロンズ全て及び関連資料等が展示されました。

7月21日(金)
僧侶、教育評論家の無着成恭氏が亡くなりました。「奪われた自由 高村光太郎 ぼろぼろな駝鳥」を含む『無着成恭の詩の授業』(昭和57年=1982)という御著書がおありでした。
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7月24日(月)
作家の森村誠一氏が亡くなりました。「レモン哀歌」をモチーフの一つとした『新・人間の証明』という御著書がおありでした。

7月27日(木)~10月1日(日)
山口県山口市の中原中也記念館さんで「特別企画展 草野心平生誕120年 草野心平と中原中也」展が開催され、光太郎に関わる資料も展示されました。
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7月28日(金)
東京創元社さんから柳川一氏著の小説『三人書房』が刊行されました。光太郎も登場します。

7月29日(土)
横浜市イギリス館さんで「元井美智子自作自演コンサート2023」が開催され、箏曲奏者・元井美智子氏による「智恵子抄より」がプログラムに入りました。
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7月31日(月)
NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」で俳優の高杉真宙氏による詩「あどけない話」の朗読が為されました。再放送が8月5日(土)、再編集されたものが9月18日(月)、9月21日(木)、9月23日(土)に放映されました。

8月1日(火)
埼玉県東松山市さんの『広報ひがしまつやま』の8/1号、イラストレーター・絵子猫さんによる連載「絵子猫さんのアイテム探し」で高田博厚作の光太郎胸像が取り上げられました。
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8月1日(火)~8月3日(木)
岩手県花巻市の生涯学園都市会館で「高村光太郎記念館夏休みワークショップ 紙絵をつくろう!」が開催されました。作品の展示は12/20(水)~1/21(日)、花巻高村光太郎記念館さんにおいてでした。

8月8日(火)~8月27日(日)
岡山市の岡山県立美術館さんで特別展「美をたどる 皇室と岡山~三の丸尚蔵館収蔵品より」後期展示が開催され、光雲作の木彫「松樹鷹置物」が展示されました。
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8月9日(水)
宮城県牡鹿郡女川町のまちなか交流館さんで、第32回女川光太郎祭が開催されました。コロナ禍を経ての4年ぶりの通常開催でした。

8月15日(火)
宮部修氏著『父、高祖保の声を探して』が思潮社さんから刊行されました。光太郎にも触れられています。
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8月21日(月)
講談社さんから安西水丸氏著『安西水丸が遺した最後の抒情漫画集 陽だまり』が刊行されました。表題作で光太郎詩がモチーフとして使われました。

8月22日(火)~10月9日(月)
東京都台東区の東京国立博物館さんで「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」展示があり、光雲作の「檀木釈迦如来立像」と、光雲と豊周の合作「誕生釈迦仏立像」が出品されました。
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8月24日(木)
岩手県立花巻南高等学校文芸部さんから『門 ⅩⅦ』が発行されました。2月に花巻で行われた宮沢和樹氏(賢治実弟清六令孫  林風舎代表取締役)と当方との公開対談「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」のレポート、旧太田村の高村山荘、高村光太郎記念館さん訪問記などが掲載されています。

8月31日(木)
絵手紙の普及に努めた書家の小池邦夫氏が亡くなりました。複数のご著書で光太郎書について言及された他、主宰されていた『月刊絵手紙』で、平成29年(2017)6月号から令和2年(2020)3月号まで「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載を執筆なさいました。

9月1日(金)
亜紀書房さんから森まゆみ氏著『聞き書き・関東大震災』が刊行されました。光雲、光太郎に触れられています。
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9月1日(金)~9月27日(水)
千葉県富里市の富里市立図書館で「第47回千葉県移動美術館~読書へのいざない~」が開催され、光太郎ブロンズ「手」が展示されました。

9月2日(土)~10月15日(日)
東京都港区の泉屋博古館東京さんで「特集展示 住友コレクションの近代彫刻」が開催され、光雲木彫「楠木正成銅像頭部木型」が出品されました。

9月4日(月)
NHkさんのラジオ第2で「声でつづる昭和人物史〜賢治を語る1」のオンエアがあり、昭和25年録音の光太郎の肉声が流れました。

9月7日(木)
仙台に本社を置く地方紙『河北新報』さんの一面コラム「河北春秋」で、光太郎の短句「いくらまはされても針は天極をさす」「正直親切」がメインで取り上げられました。

同日、作曲家の西村朗氏が亡くなりました。平成20年(2008)、「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」を作曲され、広く歌われています。

9月9日(土)~11月19日(日)
東京都中央区のアーティゾン美術館さんで「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」展が開催され、旧ブリヂストン美術館さん制作の『美術映画 高村光太郎』『美術家訪問 第7集』の光太郎が撮影された動画2本が上映されました。また、ブロンズ「手」の出品もありました。
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9月11日(月)
地上波NHK Eテレさんで「にほんごであそぼ 服装」の放映があり、俳優の津田健次郎さんによる「あなたはだんだんきれいになる」朗読がありました。再放送は9月14日(木)、9月16日(土)でした。

9月15日(金)
 岩手県花巻市の広報誌『広報はなまき』、9月15日号に、連載「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」では花巻高村光太郎記念館さん所蔵の光太郎書「大地麗」が、「いいトコ発見! 地域おこし協力隊」という記事では同隊員・森川沙紀さんによる『The Onsen of Hanamaki 花巻温泉』が、それぞれ取り上げられました。
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9月16日(土)~10月9日(月)
横浜市の横浜市民ギャラリーさんで「新・今日の作家展2023 ここにいる―Voice of Place」が開催され、現代アート作家・来田広大氏による映像作品《東京には空がない (Rooftop Drawing)》が出展されました。

42d74902-s9月28日(木)~12月26日(火)
北海道小樽市の似鳥美術館さんでトピック展「岸田劉生とその時代」が開催され、光太郎ブロンズ「十和田湖畔の裸婦像のための手」と書が2点展示されました。

9月30日(土)
澤正宏氏編『草野心平研究資料集』第1回配本 全3巻がクロスカルチャー出版から刊行されました。光太郎にも触れられています。

9月30日(土)~12月17日(日)
新潟県長岡市の駒形十吉記念美術館さんで「2023年第3回展 茶の湯を楽しむ-併設展 墨の魅力」が開催され、光太郎書「ちちよけふ子は長岡のはつなつにいとどこほしくおん作を見し」が展示されました。

数多くの方々がそれぞれの分野で光太郎智恵子、光雲を取り上げて下さり、いつもながらに感謝感激雨あられです。

明日はこの項最終回、10月から今月までを取り上げます。

【折々のことば・光太郎】

昨夕小正月用のお酒一升配給あり、コタツで晩酌、狐の声をききながら鼠と遊びました。耳づくは此処でもボロスケボオボオとなきます。


昭和21年(1946)2月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での独居生活、冬場は訪れる人も少なく、ことに夜間はまったくの一人。その点は気楽ではあったとは思われますが。

今年1年を振り返る企画、今日は4,5,6月分です。

4月2日(日)
千代田区の日比谷松本楼さんで第67回連翹忌の集いを開催いたしました。コロナ禍を経て4年ぶりの開催となりました。
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同日、高村光太郎研究会から『高村光太郎研究』第44号が、高村光太郎連翹忌運営委員会から『光太郎資料』第59集がそれぞれ発行されました。
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同日、NHK Eテレさんの「日曜美術館」で「重要文化財の秘密 知られざる日本近代美術史」の放映があり、光雲作の「老猿」が取り上げられました。再放送が4月23日(日)でした。
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4月5日(水)
大阪府豊中市の文化芸術センターさんで「Raffiné 春の音楽祭 in Osaka~心に響く名曲の調べ~」が開催されました。詩人の宮尾壽里子さんによる自作の「智恵子抄より~光太郎 智恵子へのオマージュ」朗読がプログラムに入りました。
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4月9日(日)
マルチアーティスト・井上涼氏が『毎日小学生新聞』さんに連載されている漫画「井上涼の美術でござる」が「高村光雲の巻」でした。

4月15日(土)
BSフジさんの「アートフルワールド 〜たぶん、すばらしき芸術の世界〜」の第47回「いま会いに行ける銅像」の放映があり、光雲作の「西郷隆盛像」「楠正成像」に触れられました。再放送が4月29日(土)でした。
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4月20日(木)~5月15日(月) 
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「山口山の木工展」が開催されました。 木工房さとうのさとうつかさ氏による光太郎をモチーフとした木工作品等が展示されました。
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4月21日(金)~4月23日(日)
東京都中央区の銀座大黒屋ギャラリーさんで「志村ふくみ・志村洋子 作品展示販売会 五月のウナ電」が開催され、光太郎詩「五月のウナ電」をモチーフとした染色作品が出品されました。京都展が5月19日(金)~5月21日(日)でした。

4月22日(土)
碌山美術館さんから同館編『三つの碌山館-荻原守衛顕彰110年のあゆみ-』が刊行されました。随所で光太郎に触れられています。
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4月22日(土)~6月11日(日)
長野県諏訪市のサンリツ服部美術館さんで「近代・モダン 新しい時代の絵画をもとめて」展が開催され、光雲作の木彫「鍾馗像」が展示されました。

4月23日(日) 
神戸市の神戸文化ホールさんで「合唱コンクール課題曲コンサート2023~藤木大地を迎えて~」で、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」がテノール歌手・藤木大地さんの歌唱で演奏されました。
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4月23日(日)~6月30日(金)
千葉県旭市の千葉県立東部図書館さんで資料展示「高村光太郎 生誕140周年」が行われ、光太郎著書、関連書籍等の展示が行われました。関連行事的に当方の市民講座「高村光太郎・智恵子と房総」が6月25日(日)に行われました。
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4月27日(木)~5月21日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館さんで「高村智恵子生誕祭」が開催され、生家二階部分の特別公開、紙絵実物展示、紙絵制作体験などが行われました。

4月29日(土)~5月4日(木)
千葉県松戸市の戸定が丘歴史公園内『松雲亭』で「千葉県150周年記念 文学で千葉を旅するカフェ」が開催され、「智恵子抄」朗読等が行われました。
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4月30日(日)
徳間書店さんから時代小説作家・山田風太郎の名著を漫画化した『追読 人間臨終図巻 芸術家編』が刊行されました。サメマチオ氏画。光太郎の項を含みます。

5月1日(月)
詩人の平田好輝氏が亡くなりました。氏には『高村光太郎試論 智恵子と光太郎』(昭和48年=1973 東宣出版)というご著書がおありで、連翹忌にもたびたびご参加下さいました。

同日、三重県の紀北民俗研究会さんから『奥熊野の民俗』№16が発行されました。太田豊治氏による「詩人 東正佳さんを知る」で、光太郎に触れられています。
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5月14日(日)~5月23日(火) 
東京都杉並区のラピュタ阿佐ヶ谷さんで「昭和の銀幕に輝くヒロイン 第105弾 岩下志麻」が開催され、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」もラインナップに入りました。

5月20日(土)
東京都目黒区の中目黒GTプラザホールさんで「東京インターアーツ目黒 第20回記念公演 和草(にこぐさ)コンサート」が開催され、故・中島はる氏作曲の、ピアノと箏、尺八の伴奏による独唱歌曲「智恵子抄」全4曲がプログラムに入っていました。
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5月27日(土)
岩手日報社さんから『北の文学 第86号』が発行されました。小説部門の優秀作に選ばれた瀬緒瀧世(せお・たきよ)さんの「fantome(ファントーメ)」に光太郎が登場しました。

6月3日(土)
兵庫県西宮市の兵庫県立芸術文化センターさんで「初夏にうたう ~日本歌曲の夕べ~」が開催され、新井俊稀氏の歌唱で「あどけない話」(野村朗氏作曲)が演奏されました。
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6月10日(土)
文治堂書店さんからPR誌『とんぼ』第16号が発行されました。中西利一郎氏追悼文、当方の連載「連翹忌通信」などが掲載されました。

6月16日(金)~6月18日(日)
兵庫県尼崎市の武庫川KCスタジオ公演さんで「武庫川KCスタジオ オープニングプログラム EVKK6月『売り言葉』」の公演がありました。野田秀樹氏作の智恵子を主人公とした一人芝居でした。
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6月17日(土)
東京都武蔵野市の三鷹古典サロン裕泉堂さんで「憧れ本読書会 #29 高村光太郎『智恵子抄』」が開催されました。講師は吉田裕子氏でした。

6月17日(土)~8月31日(木)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「テーマ展『山のスケッチ』」が開催されました。
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6月20日(火)
岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センターさんから『賢治学+ (第3集) 』が発行されました。中里まき子氏、エリック・ブノワ氏「講演録「高村光太郎と宮沢賢治の喪のエクリチュール:『智恵子抄』仏訳体験に触れながら」」が収められています。

6月21日(水)
高村光太郎研究会にご所属されていた西浦基(にしうら・はじむ)氏が亡くなりました。『雨男 高村光太郎』(平成21年=2009 東京図書出版会)、『高村光太郎小考集』(平成30年=2018 牧歌舎)と、2冊のご著書がおありでした。

6月24日(土)
東京都練馬区の光が丘美術館さんで「齊藤恵ソロコンサート にほんのうた」が開催され、別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」全曲の演奏がありました。
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同日、名古屋市の熱田文化小劇場さんで「歌とピアノとヴァイオリン ~そよ風にのせて vol.17~」が開催され、朝岡真木子氏作曲「組曲 智恵子抄」がプログラムに入りました。

6月25日(日)
福村出版さんから立元幸治氏著『デュオする名言、響き合うメッセージ 墓碑を歩き、人と出会う、言葉と出会う』が刊行されました。「僕の前に道はない[岡本太郎、高村光太郎]」という項を含みます。
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6月30日(金)
河出書房新社さんからfd652e74健太郎氏著河出新書『自称詞〈僕〉の歴史』が刊行されました。「高村光太郎の〈僕〉」という項を含みます。

6月(日不明)
千葉銀行さんが展開するシニア世代向け会員制サービス「ひまわり倶楽部」の会報的な『ひまわり倶楽部』2023年6月号に劇作家・女優の渡辺えりさんによる「さんぶの里紀行」が掲載され、九十九里浜の智恵子抄詩碑などが紹介されました。

5月8日(月)から新型コロナウイルス感染症は、感染症法上の位置づけが「5類感染症」に変更され、まだまだ予断は許しませんが、各種イベント等はコロナ禍前の水準に近く開催されるようになりました。それに伴って連翹忌の集いも再開し、美術館さん/文学館さんでの企画展示等、各種コンサートや朗読会等も行われ、有り難いかぎりでした。

明日は7~9月を振り返ります。

【折々のことば・光太郎】

何しろ文化の仕事はせつかちには出来ません。気永に、落ちついて、しつかり、たゆまずやる外ありません。


昭和21年(1946)2月16日 島貫太吉宛書簡より 光太郎64歳

戦後の混乱期の中での発言ですが、コロナ禍を経た現代にも通じる内容ですね。

今年も残すところ1週間足らずとなりました。毎年恒例の1年間回顧を始めます。まずは1~3月、と、その前に、昨年のこの項で洩れていた、昨年末の件から。

2022年12月19日(月)
角川書店さんから青柳碧人氏著短編小説集『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』が刊行されました。「姉さま人形八景」で光太郎智恵子が登場します。
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2022年12月30日(金)
朝日新聞出版さんから平田オリザ氏著『名著入門 日本近代文学50選』が刊行されました。「第五章 戦争と向き合う文学者たち」中に「『智恵子抄』高村光太郎」を含みます。

さて、ここから今年。

1月4日(水)~2月5日(日)
金沢市の石川県立美術館さんで「かねは雄弁に語りき 石川県立美術館の金属コレクション」が開催され、光太郎実弟・豊周の鋳金「朱銅三筋文花入」が展示されました。
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1月5日(木)~3月30日(木)
堺市立美原図書館さんで「伊東静雄没後70年記念展示 手紙にみる伊東静雄」が開催されました。光太郎から伊東宛の書簡(複製)が展示されました。

1月6日(金)~4月2日(日)
愛知県小牧市のメナード美術館さんで「メナード美術館開館35周年記念展 所蔵企画 35アーティストvol.Ⅱ」が開催され、光太郎木彫「栄螺」と「鯰」が出品されました。
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1月7日(土) 
青土社さんから鳥居万由実氏著『「人間ではないもの」とは誰か-戦争とモダニズムの詩学-』が刊行されました。「自己と他者が出会う場所――高村光太郎」という章を含みます。

1月7日(土)~2月28日(火)
千代田区の日比谷図書文化館さんで「龍星閣がつないだ夢二の心―『出版屋』から生まれた夢二ブームの原点―」が開催され、『智恵子抄』に関わる展示も為されました。
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1月16日(月)
明治7年(1874)創業で、光太郎智恵子が大正元年(1912)に滞在した千葉県銚子市犬吠埼の老舗宿「ぎょうけい館」(旧・暁鶏館)が廃業しました。

1月19日(木)
思潮社さん創業者にして評論家の小田久郎氏が亡くなりました。平成7年(1995)、『戦後詩壇私史』で光太郎に触れて下さっていました。

1月20日(金)~1月22日(日)
東京都八王子市の東京造形大学さんで「ZOKEI展 東京造形大学卒業研究・卒業制作展/ 東京造形大学大学院修士論文・修士制作展」が開催されました。長田ひかり氏の作品が「智恵子抄」オマージュの「白い病室」でした。
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1月20日(金)~2月19日(日)
那覇市の沖縄県立博物館・美術館さんで「美ら島おきなわ文化祭2022関連特別展 宮内庁三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室の美と沖縄ゆかりの品々」が開催され、光雲と山崎朝雲の合作「萬歳楽置物」が展示されました。
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1月21日(土)~1月31日(火)
鎌倉市の鎌倉芸術館さんで「没後35年 高田博厚展」が開催され、光太郎胸像を含む高田のブロンズ彫刻等が展示されました。

1月25日(水)
宮沢賢治研究家の天沢退二郎氏が亡くなりました。光太郎に言及した著書等もおありでした。

1月26日(木)
光太郎終焉の地、中野の貸しアトリエを所有する中西家当主・中西利一郎氏が亡くなりました。最晩年の光太郎について多くの証言を残して下さいました。

2月5日(日)
横浜能楽堂で「企画公演 能役者 鵜澤久」が開催されました。「舞囃子 智恵子抄」がプログラムに入りました。
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同日、農文協さんからコーラ小林さん・編 中島陽子さん・絵の絵本『イチからつくる コーラ』が刊行されました。光太郎詩「狂者の詩」に触れられています。

2月8日(水)
平凡社さんから和田博文氏著『日本人美術家のパリ 1878-1942』が刊行されました。「高村光太郎「根付の国」と、欧米の日本美術」という章を含みます。
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2月11日(土・祝)〜4月9日(日)
岐阜県現代陶芸美術館さんで「超絶技巧、未来へ 明治工芸とそのDNA」展が開催され、光雲木彫「白衣観音像」が出品されました。巡回が以下の通りでした。
 長野県立美術館 2023年4月22日(土)〜6月18日(日)
 あべのハルカス美術館 2023年7月1日(土)〜9月3日(日)
 富山県水墨美術館 2023年12月8日(金)〜2024年2月4日(日)
 山口県立美術館(予定) 2024年9月12日(木)~11月10日(日)
 山梨県立美術館(予定) 2024年11月20日(水)~2025年1月30日(木)

2月14日(火)
花巻市のなはんプラザにおいて公開対談「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」が行われました。対談者は宮沢賢治実弟・清六の令孫にして林風舎代表取締役の宮沢和樹氏と当方でした。
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2月16日(木)
横浜市の横浜みなとみらいホールで「藤木大地&みなとみらいクインテット マチネ」公演があり、加藤昌則氏作曲「レモン哀歌」がプログラムに入りました。新潟公演が5月3日(水)、奈良公演が5月21日(日)でした。

2月18日(土)
兵庫県姫路市の御国野公民館で市民講座「高村光太郎 智恵子抄を中心に」が開催されました。講師は元賢明女子学院短期大学教授・森本穫氏でした。
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2月18日(土)~4月25日(火)
山梨県南巨摩郡身延町の身延山久遠寺霊宝館さんで「身延山霊宝展」が開催され、光雲木彫「聖観音菩薩像」が展示されました。

2月19日(日) 
NHK BS8Kさんで「興福寺 国宝誕生と復興の物語 つなぐ!天平の心」の放映があり、光太郎にも触れられました。BSプレミアムでの再放送が3月28日(火)、7月23日(日)、11月14日(火)に行われました。
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2月21日(火)~6月12日(月)
盛岡市の盛岡てがみ館さんで「第67回企画展 いわての芸術家の手紙」が開催され、光太郎書簡も展示されました。
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2月23日(木)
新宿区の 東京オペラシティリサイタルホールさんで「紀野洋孝テノール・リサイタル」が開催され、別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智惠子抄(改訂新版)」が演奏されました。3月6日(月)には大分市のiichiko音の泉ホールで大分公演がありました。

2月27日(月)
小学館さんから井上涼+NHK びじゅチューン!制作班さん編『びじゅチューン!DVD BOOK 7』が刊行されました。光雲作木彫「老猿」をテーマとした「老猿は主役じゃなくても」を含みます。
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3月1日(水)~6月4日(日)
福井市の福井県ふるさと文学館さんで「コレクション展 新収蔵 津村節子展 津村節子という生き方」が開催され、小説『智恵子飛ぶ』関連の展示もなされました。

3月4日(土)
京都市のCaffe flookさんにおいて「東日本大震災復興支援ライブ 琵琶もの語り」が開催された。筑前琵琶奏者・宇佐美周子氏による光太郎詩「雪白く積めり」が演目に入っていました。
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3月5日(日)
岡山市天神山文化プラザさんで「佐々木英代の日本のうた講座【最終話】第30話 岡山の作曲家と歌手の選んだ名曲編」の公演があり、テノール歌手の松本敏雄氏が青木省三作曲の「智恵子抄三章」を演奏しました。

3月13日(月)
大阪市の大槻能楽堂さんで「至高の華 ~舞と語り~」公演があり、「舞踊詩劇 智恵子抄」が演目に入れられました。出演は梅若実桜雪さん、藤間勘十郎さん、高橋惠子さん他でした。
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同日、日本郵便株式会社東北支社さんが「オリジナル フレーム切手 高村光太郎と花巻」の販売を開始しました。光太郎生誕140年の誕生日に併せての発売でした。

3月14日(火)
札幌市の岩本珈琲さんで「マンスリー朗読ライブ VOL.26 智恵子抄を語る」公演がありました。出演は石橋玲さん(朗読)、つくねさん(音楽)でした。
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3月15日(水)
花巻市の有限事業組合machi R&Eさんから地域情報誌『花巻散歩マチココ』第34号が発行されました。平成29年(2019)4月以来続いていた連載「光太郎レシピ」が今号を以て最終回となりました。

3月17日(金)~5月14日(日)
千代田区の東京国立近代美術館さんで「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」展が開催され、光雲作の「老猿」が展示されました。
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3月20日(月)~4月6日(木)
東京都中央区のギャラリーせいほうさんで「高村光太郎と3人の彫刻家 佐藤忠良・舟越保武・柳原義達」展が開催され、光太郎のブロンズが数点出品されました。

3月21日(火)
東京都中央区の王子ホールさんで「朝岡真木子歌曲コンサート第6回」が開催されました。朝岡さん作曲の「組曲〈智惠子抄〉」より「千鳥と遊ぶ智恵子」「値ひがたき智恵子」がメゾソプラノ歌手・清水邦子さんの歌唱、朝岡さんのピアノで演奏されました。
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同日、ムジカフエンテさんからCD「清水邦子が歌う 組曲『智惠子抄』」がリリースされました。メゾソプラノ歌手・清水邦子さんの歌唱、朝岡さんのピアノで録音されています。映画監督の水谷俊之氏、それから当方がライナーノートを書かせていただきました。

3月22日(水)
集英社さんから佐高真氏著『反戦川柳人 鶴彬の獄死』が刊行されました。「藤沢周平の斎藤茂吉批判」という項で、光太郎に触れられました。
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同日、評論家の芹沢俊介氏が亡くなりました。昭和57年(1982)には、筑摩書房さんから『高村光太郎』という書籍を刊行なさっています。

3月23日(木)
女優の奈良岡朋子さんが亡くなりました。昭和50年(1975)にラジオの文化放送さんで放送された「青春劇場 日本抒情名詩集」で、「智恵子抄」から数編の朗読をなさった他、「智恵子抄」をモチーフの一つとした映画「こころの山脈」(昭和40年=1965)にご出演なさいました。
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3月24日(金)
岡山県赤磐市教育委員会さんから光太郎も登場する『マンガふるさとの偉人 詩人永瀬清子物語 わがたてがみよ、なびけ』が刊行されました。シナリオ・和田静夫氏、マンガ・藤井敬士氏でした。

3月28日(火)
作曲家の坂本龍一氏が亡くなりました。NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」番組内でくりかえし使われた光太郎作詞「道程」を作曲、演奏なさいました。
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3月31日(金)~5月7日(日)
東京都台東区の東京藝術大学大学美術館さんで「買上展 藝大コレクション展2023」が開催され、光太郎のブロンズ「獅子吼」、光太郎実弟・豊周の鋳金作品が出品されました。
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3月(日付不明)
花巻市さんから『The Onsen of Hanamaki 花巻温泉』が刊行されました。市の地域おこし協力隊で活動されている森川沙紀氏の手になるもので、光太郎が亡くなる2ヶ月前の昭和31年(1956)に語った談話筆記「花巻温泉」の全文と、その英訳が載せられています。

当方の勝手な判断で、主要な事項(と思われるもの)のみ紹介させていただいております。「この頃、こんなイベントもあったよ」「光太郎について書かれているこの本の紹介が無いぞ」というようなことがありましたら、コメント欄等から御教示いただければ幸いです。

【折々のことば・光太郎】

書きたい詩はたくさんありながら夜間が使へないので遅々としてはかどりません。

昭和21年(1946)2月15日 水原宏宛書簡より 光太郎64歳

前年秋から暮らし始めた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。昭和24年(1949)、見かねた村人たちが電線を引っ張ってあげるまで電気が通じていませんでした。

新春を彩るにふさわしい企画展です。

開館記念展 皇室のみやび 第2期 近代皇室を彩る技と美

期 日 : 2024年1月4日(木)~3月3日(日)
      前期:1月4日(木)―2月4日(日) 後期:2月6日(火)―3月3日(日)
会 場 : 皇居三の丸尚蔵館 東京都千代田区千代田1-8 皇居東御苑内
時 間 : 午前9時30分〜午後5時
休 館 : 月曜日(ただし月曜が祝日または休日の場合は開館し、翌平日休館)
料 金 : 一般1,000円、大学生500円

本展は、今年11月に開館30年を迎える三の丸尚蔵館が、令和という新たな時代に、装いを新たに「皇居三の丸尚蔵館」として開館することを記念して開催するものです。約8か月にわたって開催する本展では、「皇室のみやび」をテーマに、当館を代表する多種多彩な収蔵品を4期に分けて展示します。これらは、いずれも皇室に受け継がれてきた貴重な品々ばかりです。長い歴史と伝統の中で培われてきた皇室と文化の関わり、そしてその美に触れていただければ幸いです。

※出品作品は全て国(皇居三の丸尚蔵館収蔵)の作品です。

皇居三の丸尚蔵館の収蔵作品には、明治時代以降に宮中において室内装飾として使用された美術工芸品類が含まれています。なかでも、明治22 年(1889)に大日本帝国憲法発布式が行われた場所でもある明治宮殿を飾った作品は、当時の著名な作家が最高の技術を凝らしたものです。第2期では、それらの作品とともに御即位や大婚25 年(銀婚式)など皇室の御慶事を契機として制作された作品、さらに明治・大正・昭和の三代の天皇皇后にゆかりのある品々をご紹介します。

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今秋リニューアルオープンした皇居三の丸尚蔵館さんの開館記念展。第1期の「三の丸尚蔵館の国宝」が既に先月から始まっており、年明けから第2期「近代皇室を彩る技と美」期間に入ります。
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光太郎の父・光雲の木彫、絶対になにがしかは出品されるだろうと予想し、何が出るかなといろいろ調べていたのですが詳細が分からずやきもきしていたところ、昨日になって詳細が発表されました。

それによると光雲作は「猿置物」(大正12年=1923)。昭和天皇の弟の秩父宮殿下から、母親の貞明皇后陛下に献上されたもので「三番叟」とも称されます。
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第2期の中でさらに前期(1月4日(木)―2月4日(日))、後期(2月6日(火)―3月3日(日))に分かれ、前期のみの展示だそうです。

他の目玉の展示品は川合玉堂の「昭和度 悠紀地方風俗歌屏風」、横山大観で「日出処日本」、海野勝珉による「蘭陵王置物」(重要文化財)など。いずれも新春らしく吉祥感あふれる作です。

出品目録がこちら。
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観覧には予約が必要ですが、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生の冬籠ももう半分通り越して残り惜しいやうな、又春が待たれるやうないろいろの気がします。今年は暖冬に属してゐるやうで零下二〇度の日は一朝だけでした。吹雪のひどいのも一晩だけ。幸に健康でゐます。


昭和21年(1946)2月7日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎64歳

マイナス20℃の日があっても暖冬ですか……。岩手県、おそるべしです。

昨日は約1ヶ月ぶり、おそらく今年最後の上京をしておりました。レポートいたします。

まずは虎ノ門の大倉集古館さん。
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こちらでは先月から「大倉組商会設立150周年記念 偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉」が開催中です。
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基本、大倉財閥創業者の大倉喜八郎・喜七郎父子の本人たち、それから交流のあったさまざまな人々の書が中心の展示でした。

しかし、受付カウンター脇、展示ナンバー1が光太郎の父・光雲作の木彫「大倉鶴彦翁夫妻像」(昭和2年=1927)。「鶴彦」は喜八郎の号です。

残念ながら撮影禁止。さらに発行されていた図録にも画像が載っていませんでした。特別展示的な扱いなのでしょうか。下記は過去の他の展覧会の図録から。
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像高約50センチ。実に緻密な作りです。二人の着物に大倉家の家紋までうっすら彫り込んであるのには舌を巻きました。また、座布団など、まさに座布団としか思えません。

この像を拝見するのは20数年ぶり2度目。初回は他の光雲作品数十点と共に見たため、この像だけの印象というのがあまり残っておらず、その意味ではいい機会でした。

生きている人物の肖像をやや苦手としていた光雲が、喜八郎の顔の部分は光太郎に塑像で原型を作らせ、それを元に木彫に写すという、何度か行われた手法で作られているため、出品目録では光雲・光太郎の合作ということになっています。

光太郎の喜八郎原型はこちら。粘土を焼いてテラコッタにし、さらにそこからブロンズに写され、同型の物は全国に存在します。左上と下がテラコッタ、右上はブロンズです。テラコッタは左耳の部分が欠けてしまいました。
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ロダン風の荒々しい光太郎の原型も、光雲が木に写すと柔和な感じに。光太郎はそれが気に入らなくて八つ当たりみたいな詩「似顔」(昭和6年=1931)も書きましたが、記念像として注文主がいる作品ではしかたありますまい。

ところで、夫人の方は光太郎が原型を作ったという記録が見あたりません。どうなっていたのでしょうか。詳しい方、御教示いただければ幸いです。

その他、出品目録は以下の通り。残念ながら他に直接光雲、光太郎に関わる展示品はありませんでした。それでもなかなかの優品揃いでしたが。
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その後、新宿へ。

JR新宿駅東南口を出てすぐのK’s cinemaさんで一昨日封切られた映画「火だるま槐多よ」を拝見。
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「槐多」は光太郎と交流のあった画家、村山槐多。タイトルの「火だるま」は光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)からの引用です。赤い絵の具「ガランス」を愛した槐多を「火」として表した光太郎、それほど深い関わりではありませんでしたが、鋭く本質を見抜いていたことがうかがえます。

といっても、槐多の伝記映画ではなく、槐多の絵、それから槐多は詩も書いていましたので、その詩と、まぁいわば槐多ワールドを映画で表現するといった趣。ある意味、現代アートのインスタレーションに近い感じでした。槐多本人がこの映画を観たら、「美しい」と言ったような気はします。

したがって、ストーリーはあるものの、緻密な伏線が張られて山あり谷あり、ラストに向けて伏線が回収されてどんでん返しが複数回、最後に大団円、というタイプの作りではありません。困ってしまった映画評論家のセンセイは「映像美を楽しもう」的な評でごまかしています(笑)。

公式パンフ(1,000円)。佐藤寿保監督と、佐野史郎さんら主要キャストの皆さんのサイン入りでした。
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光太郎詩「村山槐多」の全文も収録されています。
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映画の中では抜粋で引用されていました。

また、槐多に惚れ込んだ窪島誠一郎氏の文章も掲載されています。当方、窪島氏が設立し槐多の作品を多数展示していた信濃デッサン館さんを訪れたことが複数回ありますが、その後、同館閉鎖後、令和2年(2020)に「KAITA EPITAPH 残照館」としてリニューアルされてからはまだ行っていません。すぐ近くに亡父の実家があるのですが、交流もほぼ無くなってしまいまして……。いずれ近いうちに、とは思っております。

映画「火だるま槐多よ」、K’s cinemaさんでは1月12日(金)までの上映、その他、年明け早々には大阪や槐多と縁の深い長野で封切られますし、順次全国で公開されます。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨夜は猛烈な吹雪で小屋の中へも吹き込みました。今日は吹雪はやみ、細雪がちらちらしてゐます。


昭和21年(1946)2月4日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。屋根は杉皮葺きで天井板は張らず、壁は粗壁、窓は障子。吹雪の際には寝ている布団にもうっすら雪が積もる程でした。

来年の話ではありますが、もう2週間足らず後ですので……。

モンデンモモ ニューイヤーコンサート2024

期 日 : 2024年1月5日(金)
会 場 : 紅葉丘文化センター 東京都府中市紅葉丘2丁目1番地
時 間 : 15:00頃
料 金 : 無料(当日午前中から整理券配付のようです)

歌い始めがどんなふう?ってすごくその年を表しますね 来年2024年の歌い初めはこんな風〜 いつもミュージカルやお芝居のお稽古にお世話になっている地元の文化センターからオファーいただきました 各ジャンルの作品精一杯お届けしてみますね

出演
 歌 お話 モンデンモモ   ピアノ おのゆみ

予定曲目
 愛の賛歌 アヴェマリア オペラ夕鶴より さよならのアリア みだれ髪 レモン哀歌
 百万本のバラ さよならはダンスの後に 天城越え ラ・クンパルシータ 私はマリア
 古代への旅 他 

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「智恵子抄」をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのコンサートです。

「レモン哀歌」がプログラムに入っています。平成6年(1994)にリリースされたCD「REQUIEM」に収録されていた曲ですから、もう30年歌い継がれていることになりますね。

最近は鳥取やら島根やら、あちらの方での活動が中心となりつつあるようですが、ご自宅は東京都府中市で、そちらでの開催です。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

砥石の凍結の危険のため彫刻も大工仕事も出来ないのが残念です。


昭和21年(1946)2月4日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

厳寒期にはマイナス20℃にもなる花巻郊外旧太田村の山小屋。砥石は水で濡らして使用するため、その水がしみ込んで凍結すると膨張し、砥石自体が割れてしまいます。

直接、光太郎智恵子には関わりませんが、花巻高村光太郎記念館さんで始まった展示です。

小学生紙絵作品展

期 日 : 2023年12月20日(水)~1月21日(土)
会 場 : 高村光太郎記念館 花巻高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 12月28日(木)~1月3日(火)
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円 高村山荘は別途料金
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8月に行われた「高村光太郎記念館夏休みワークショップ 紙絵をつくろう!」で制作された、花巻市内の小学校児童の皆さんによる紙絵の展示です。

市役所の方から展示風景の画像を頂きました。
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10月に智恵子の故郷・福島二本松で開催された「第28回 智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」と連動しての企画でした。
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展示作品のほとんどはそちらに応募されたそうです。そのうち、上の画像3枚目の右下、「きつね」の紙絵が入賞していました。
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光太郎記念館の周辺など普通にキツネが歩いており、おそらく実物を見た記憶で作られたものでしょう。下の画像は今年の2月、当方が記念館近くで撮ったキツネの足跡です。
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光太郎も書簡に記していました。
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10月に二本松で入賞作品展があり、その後、作品が返却されて花巻で展示、というわけですね。二本松での展示風景はこちら。
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こういった企画を含め、さらに花巻市さんと二本松市さん、光太郎智恵子つながりでのさまざまな交流がさらになされていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

御恵贈の干柿の小包昨日到着、感謝いたします。小包の板箱二つに割れて届きましたが中身は傷ついて居りません。多分原型のままと存じます。早速賞味いたしましたが、お言葉の通り、自然の甘味無類にて、此の醇乎たる味の美は名状し難い高さがあります、


昭和21年(1946)1月22日 三輪吉次郎宛書簡より 光太郎64歳

三輪吉次郎は山形在住だった詩人。当方、以前に光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)内部に入れていただいた際、三輪から送られた木箱を目にしました。ラベルが貼ってあり、三輪の名が記されていたのです。この時のものか、その後も同様に食料などを送った際のものかは判然としませんでしたが。現在もそのまま山荘内部にあると思われます。

このところ少し前に刊行された書籍の紹介を続けて参りましたが、本日ご紹介するのは今月出た新刊です。

大人もときめく国語教科書の名作ガイド

2023年12月25日 山本茂喜 著 野宮レナ イラスト 東洋館出版社 定価1,350円+税

大人になった今だからこそ味わいたい、国語教科書の知られざる魅力

子どもの頃に誰もが読んだ国語教科書は、古今東西の名作を集めた珠玉のアンソロジーだった!長らく国語教育に携わった著者独自の審美眼で選んだ「大人もときめく」作品の数々。定番教材から知る人ぞ知る教材まで、授業では教わらなかった読み方や作品背景、よもやま話が満載。もう一度教科書作品を読み直したくなること不可避な、あの頃に戻れるブックガイド。

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目次
 はじめに
 第1章 「そのとき、胸の中で何かがはじけた」~初恋の日に戻れたら~
  1 初恋が心の中ではじけるとき/「赤い実はじけた」
  2 傷つきやすいあの子の思い出/「赤い実」
  3 雪国のラブロマンス/「わらぐつの中の神様」
  4 初恋の相手は先生だった? /「一房の葡萄」
  5 人生を照らす光の戯れ/「バッタと鈴虫」
  番外編 初恋は林檎の香り/「初恋」
 第2章 「あなたの指をお染めなさい」~扉の向こうは不思議なときめき~
  1 心の窓に映るもの/「きつねの窓」と「めもあある美術館」
  2 蝶なの? それとも…… /「白いぼうし」
  3 幻燈会の夜に/「雪わたり」と「やまなし」
  4 文豪の熱烈なラブレター/「杜子春」
 第3章 「ごん、お前だったのか」~愛おしい動物たちのお話~
  1 届かなかった思いとは/「ごんぎつね」
  2 究極の愛の形? /「スーホの白い馬」
  3 無償の愛ってなに? /「幸福の王子」
  4 穴に落ちた小さな命「ろくべえ まってろよ」
  5 大空翔る「えらぶつ」よ/「大造じいさんとがん」
  6 象たちの死が訴えるもの/「かわいそうなぞう」と「そしてトンキーも死んだ」
  7 きつねざくらが咲くとき/「チロヌップのきつね」
 第4章 「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」~遠ざかる思い出はセピア色~
  1 蝶は見つめていた/「少年の日の思い出」
  2 光り輝くマロニエの木/「モチモチの木」
  3 雪の夜にやってくるもの/「かさこじぞう」
  4 コスモスに託した思い/「一つの花」
 第5章 「そんなにもあなたはレモンを待っていた」~文豪もときめきがお好き~
  1 愛する人に捧げます/「レモン哀歌」
  2 あなたの魂、私があがなう/「銀の燭台」
  3 瞳に映った私の姿/「白」と「どろんこハリー」
  4 ベルリンの雪に消えた愛/「舞姫」
 おわりに

著者の山本氏、中高の国語科教諭を経て、現在は香川大学さんの名誉教授であらせられるそうです。「国語教科書はすぐれたアンソロジー」とし、小学校用から高校用まで、かつての教科書に掲載されていた(今も掲載されている)文学作品のうち、「「ときめき」を感じる」ものをセレクトし、作品の一部抜粋とあらすじ紹介、作品解説、さらに山本氏によるそれぞれの作品をテーマとした短歌が添えられています。

小中校生の頃には十分にわからなかったそれぞれの作品の世界観も、大人になってから読み返すと「なるほど、そういうことだったか」と、新たな発見に繋がるでしょう、というわけですね。

また、版元のサイトにこんな記述。「たとえタイトルやあらすじを忘れていても、「クラムボン」や「エーミール」などの言葉が引き金となって、当時の思い出がよみがえってくることがあるのではないでしょうか。」なるほど、「あるある」ですね(笑)。

版元サイトと言えば、本書のイラストを担当された野宮レナ氏による漫画が掲載されています。
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で、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)。「レモン哀歌」を含む第5章の章題が「「そんなにもあなたはレモンを待っていた」~文豪もときめきがお好き~」と、「レモン哀歌」冒頭の一文を使って下さいました。

過日ご紹介した『賢治学+(プラス)【第3集】』所収の中里まき子氏、エリック・ブノワ氏による講演録「高村光太郎と宮沢賢治の喪のエクリチュール:『智恵子抄』仏訳体験に触れながら」同様、賢治の002「永訣の朝」との対比など、的確に論じて下さっていますし、智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」や、当方もお世話になっています信州安曇野の碌山美術館さん等にも触れられています。

ちなみに「レモン哀歌」、現在でも東京書籍さんで発行されている中学校3年生用の教科書『新しい国語 3』に掲載されています。これは今後とも外さずに採択され続けてほしいものですね。

というわけで、『大人もときめく国語教科書の名作ガイド』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

人家まで三丁位は離れてゐる此の小屋に雪をふんで鼠がもう来たのには驚きました。どうして探知するのでせう。


昭和21年(1946)1月18日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

前年秋から暮らし始めた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。鼠たちはこの後も奇妙な同居人(人ではありませんが)として居座り続けます。

翌年に詠まれた短歌に曰く

わが前にとんぼがへりをして遊ぶ鼠の来ずて夜を吹雪くなり

3月に刊行された書籍ですが、光太郎に関する記述が含まれていることを最近知り、慌てて購入しました。

反戦川柳人 鶴彬の獄死

2023年3月22日 佐高真著 集英社刊(集英社新書) 定価980円+税

 サラリーマン川柳のように、現代では風刺や批判をユーモラスに表現するものとして親しまれている川柳。しかし、「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」「手と足をもいだ丸太にしてかへし」といった川柳を通じて、昭和初期、軍国主義に走る政府を真正面から批判し反戦を訴え続けた作家がいた。
 鶴彬、享年二十九。官憲に捕らえられ、獄中でなお抵抗を続けて憤死した”川柳界の小林多喜二”と称される鶴彬とはどのような人物だったのか。戦後約八十年、再び戦争の空気が漂い始めた今の日本に、反骨の評論家・佐高信が、鶴の生きた時代とその短い生涯、精神を突き付ける!
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目次
 はじめに――同じ年の明暗
 一 鶴彬を後世に遺そうとした三人004
  1 一叩人こと命尾小太郎の執念
  2 澤地久枝の彫心鏤骨
  3 伝達者、坂本幸四郎
 二 師父、井上剣花坊
  井上剣花坊、政治から文学へ
  「社会党ラッパ節」の添田唖蟬坊
  『日本』新聞で川柳に出会う
  伝統川柳と革新川柳
  井上信子と鶴彬
  田辺聖子は鶴彬をどう見たか
 三 兄事した田中五呂八との別れ
  鶴の兄弟子・田中五呂八
  現実主義と神秘主義に分裂する柳壇
  田中五呂八の死と鶴の追悼文
  木村半文銭への罵倒
 四 鶴彬の二十九年
  大逆事件と鶴の生きた時代
  剣花坊の娘・鶴子
  軍隊内での鶴彬
  鶴の最期
 五 石川啄木と鶴彬
  石川啄木をどう見ていたか
  「性急な思想」の波
  徳富蘆花の「謀反論」
 補章 短歌と俳句の戦争責任
  藤沢周平の斎藤茂吉批判
  高浜虚子の戦争責任
 おわりに
 参考文献


明治42年(1909)生まれの川柳作家・鶴彬(つるあきら)の評伝兼研究史です。

鶴は本書の帯にも印刷されている「万歳とあげて行つた手を大陸においてきた」などの強烈な反戦川柳を数多く詠み、そのため特高によって逮捕、最期は29歳の若さで獄死しました。

004平成11年(1999)、皓星社さんから刊行された井之川巨氏著『君は反戦詩を知ってるか 反戦詩・反戦川柳ノート』という書籍に「鶴彬-反戦川柳のはげしさとやさしさ」という20ページ程の項があり(ちなみに同書には「高村光太郎 戦争詩と自己批判」という項もあります)、鶴のアウトラインは存じていましたが、今回、『反戦川柳人 鶴彬の獄死』を読んでその生涯等をさらに詳しく知り、唸らされました。

川柳というと、ほのぼの、ユーモアといったイメージもありますが、鶴の作品はそういったものとは無縁です。まぁ、ユーモアと言えばブラックユーモアですが。

 屍のいないニュース映画で勇ましい
 出征の門標があってがらんどうの小店
 タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう
 手と足をもいだ丸太にしてかへし
 華やかに名を売り故郷へ骨が着き


太平洋戦争開戦前でしたが、既に日中戦争が始まっていた昭和12年(1937)、こういった作品が元で鶴は検挙され、翌年に獄死します。直接の死因は赤痢でしたが、それも赤痢菌を注射されての人体実験だったのではないかという説もあるそうです。

本書では更に、鶴の師匠や兄弟子らにも言及され、当時の川柳界の史的位置づけが為されていますし、戦後になってから鶴を顕彰し、その作品の埋没を防いだ人々(ノンフィクション作家・澤地久枝氏もその一翼を担っていたとは存じませんでした)の努力にも筆が及んでいます。

そして川柳同様、定形文学たる歌壇と俳壇の戦時中の動向。その中で翼賛歌を作り続けた斎藤茂吉に関する項で、光太郎との比較といった話になっています。歴史作家の藤沢周平が平成元年(1989)に行った講演からの引用がメインですが。

この講演の中で藤沢は同郷の茂吉が戦後になっても皇国史観から抜け出せず、戦時中の馬鹿げた翼賛歌への反省もしなかったことを手厳しく批判しています。それに対し、光太郎はきちんと自らを検証し、花巻郊外旧太田村の山小屋で自らを罰した、その違いは何なんだ……というわけです。

ちなみに藤沢の講演、平成23年(2011)に大月書店さんから刊行された澤田勝雄氏編『藤沢周平とっておき十話』に収録されていますし、佐高氏、平成26年(2014)に株式会社金曜日さんから刊行された辺見庸氏との対談集『絶望という抵抗』でも藤沢が茂吉と光太郎を論じたことに触れられています。
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さて、『反戦川柳人 鶴彬の獄死』をはじめ、本日ご紹介した書籍いろいろ、ぜひお読み下さい。

【折々のことば・光太郎】

この辺は旧暦なのでまだ正月にはなりませんが、小生は二日吉例の書初をいたしました。天下和順日月清明と無料寿経の中の文句を書きました。

昭和21年(1946)1月18日 浅見恵美子宛書簡より 光太郎64歳

終戦から4ヶ月あまり、藤沢周平が実地に見てそのみすぼらしさにショックを受けたという山小屋で「天下和順」と書き初めを書いた光太郎、その心境はいかばかりだったのでしょうか。

9月に刊行された、当会の祖・草野心平がらみです。価格が価格なので、入手していませんが……。

【文学・言語研究資料シリーズ4】『草野心平研究資料集』第1回配本 全3巻

2023年9月30日(土) 澤正宏編 クロスカルチャー出版 定価  99,000円(税込)

 宮澤賢治や中原中也を世に送り出しことで有名な詩人草野心平の生誕120周年、没後35周年記念出版。

 草野心平の詩、翻訳詩、随筆、評論、書評などを詩誌、雑誌、選詩集などに掲載された「初出形」で復刻。全集未収録の資料も網羅。

 「この資料集では、草野心平の戦後から没年までの著作も視野に入れて、彼が前衛的な詩人、アナキズムの詩人から、軍国主義に屈服し、戦争協力の詩を書いた詩人へと変貌した後、どう自分を立て直したかをたどれるよう、資料を収集しました」(澤 正宏「刊行にあたって」)。翻訳詩を含む詩約440篇、随筆、評論、書評など110本を全3巻に収載。第2巻の巻末には編集・解題者による小論、「表現者としてのアナキスト―草野心平とモダニズム詩 /プロレタリア詩」(13頁) と解題[書誌](75頁)を、第3巻の巻末に解題[書誌](43頁)を付しました。
 内容見本の推薦文には今や世界的な詩人の和合亮一氏が寄稿してくれました。気品ある文章で、「新しいまなざしと問いかけに満ちた、確かなシリーズの登場」と賛辞を送っています。和合亮一氏は心平詩の優れた読み手ですが、ここではまた、澤ー和合の師弟のまじわりにも触れて美しく語られています。

【特色】
❶草野心平が戦前、戦中、戦後のなかで発表した詩、うた、小説、童話、訳詩、詩論、評論、随筆、書評、解説、座談会などといった著作、発言などを、それらが発表された、ちょうど日本に「現代」が始まった時期〔著作は1923(大正12)年発表の時点より掲載〕から、心平が逝去する1988年までにおいて復刻・掲載。基本的にはすべて詩誌、雑誌、選詩集などに掲載されたときの「初出形」で復刻した。

❷第1巻・第2巻の『「詩篇・詩画集」』編では、中国からの帰国(戦前)前後に発表した詩を、現在では稀覯の詩誌である『想苑』『帆船』『毒草』『近代詩歌』『亞細亞詩脈』『北ヰ五十度』などより復刻することから始め、戦中では、戦時下の南京で刊行した、これも稀覯雑誌である『黄鳥』に掲載した詩などを復刻し、戦後では、稀覯書としては詩誌『至上律』、絵本『キンダーブック』、雑誌『造型文学』などから、それらに掲載の詩、「うた」などを復刻した。とくに草野心平とD・L・BLOCH(中国名・白緑黑)との共著である『黄包車(わんぽつ) 上海の黄包車に関する木版画六十』は、全集未収録の詩画集であり貴重である。

❸第3巻には、これまで全貌がつかめなかった戦前から戦中にかけての訳詩の殆どを、『アメリカプロレタリア詩集』(1929、31年)や詩誌などから選び復刻する(草野心平はカール・サンドバーグの訳詩や解説が多い)。また、この時期のプロレタリア詩やアナキズム詩に関わる詩論や、宮澤賢治、尾形亀之助、山村暮鳥、村山槐多らに関する評論、まとまっては読めなかった作家や詩人たちと、戦中、戦後に様々なテーマで行った座談会、その他、拾遺詩篇、随筆、書評、童話なども復刻。

第 1 巻 詩 1923(大正 12)年~ 1944(昭和 19)年
第 2 巻 詩 1946(昭和 21)年~ 1975(昭和 50)年
第 3 巻 翻訳詩 評論 詩論 随筆 書評 選評 編集後記 覚書 報告文など
1925(大正 14)年~ 1975(昭和 50)年
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編者の澤正宏氏には、智恵子の故郷・福島二本松で開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」などでお世話になっております。

ちとわかりにくいのですが、「第1回配本」で「全3巻」と謳われており、第2回配本以降もあるのかな、という感じです。版元のサイトで目次を拝見したところ、昭和50年(1975)までの作品の集成でそれ以後のものが収められていませんし、上記【特色】に記述がある「童話」も見あたりませんでしたので。

心平の「全集」と称するものは既に昭和50年代に全12巻で筑摩書房さんから刊行されています。しかし「全集」とは言う定、全ての文筆作品を網羅しているわけではなく、共著を除き単行書として刊行された心平の著書を、第1巻には何々から、第2巻にはこれこれからという感じで紀伝体的に収録しているので、雑誌等に発表しただけの詩文は洩れています。また、心平生前の刊行ですので、晩年の詩文も当然入っていません。いわば「選集」です。

今回の『草野心平研究資料集』は、それらの補遺等を目論んでジャンル毎に編年体での編集を採られているようです。これにより、一般に知られていなかった作品にもスポットがあたり、心平の全貌にかなり近づけると思われます。

また、当方としましても、光太郎に触れた詩文も数多く残していますので、ありがたいかぎりです。

公共図書館さん、大学さん等でぜひ買いそろえていただければ、と存じます。

【折々のことば・光太郎】

心を低くし精神を高くすれば人生は立派です。日常の些事を大切にすれば人生は豊富になります。


昭和21年(1946)1月17日 宮崎春子宛書簡より 光太郎64歳

前月、光太郎が仲介して詩人の宮崎稔と結婚した、智恵子の姪・春子宛の書簡から。結婚生活の心構え、的な感じでしょうか。簡単なようで難しいことを要求しているような気もしますが(笑)。

NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」。昨日放映分で光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)が取り上げられました。
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俳優・津田健次郎さんによる朗読でした。
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番組全体のサブタイトルが「健康」。心身のバランスを崩し、「かなしく白くあかるい死の床」にある智恵子、光太郎が持参したサンキストのレモンをがりりと噛んだことで、つかの間の「健康」を取りもどしました。光太郎曰く「わたしの手を握るあなたの力の健康さよ」。しかしそれもほんの一時のこと。ほどなく「あなたの機関はそれなり止まつた」……。

重い内容ですが、しかし詩全体には逆にレモンに象徴される清澄な明るさも漂い、天上へと誘(いざな)われていく智恵子の姿が描かれています。そのあたり、津田さんの朗読では的確に表現されていました。

今週中に2回、再放送があります

再 にほんごであそぼ「健康」

地上波NHK Eテレ 2023年12月21日(木) 15:35~15:45  12月23日(土) 7:00~7:10

2023年度の『にほんごであそぼ』は、毎回ひとつの『ことば』をテーマに掲げ、「なるほど、そういう意味だったのか、そういう歴史や背景があったのか」という新たな発見や学びをお届けします。新たに、世界の偉人の言葉をダンスしながら伝えたり、齋藤孝が名文を広めるべく学校を行脚し、こどもたちと触れ合うコーナーを新設。

従来の古典芸能や歌のコーナーもパワーアップ。こどもから大人まで楽しめるエンターテインメント豊かな番組になります。日本を越え世界を駆け巡る『にほんご』・過去と未来をタイムトリップする『にほんご』。その魅力に包まれた『ことば』の宇宙を旅しましょう。

書道で学ぶにほんご・ぐうたらちんたら/健康、朗読(津田健次郎)/「レモン哀歌」高村光太郎、偉人とダンス/健康について書かれた本を読むときは、注意深く読みなさい。もしそこに「書き間違い」があったなら、あなたは死ぬかもしれないのである。(マーク・トウェイン)、こどもスタジオ/風邪は万病のもと、歌舞伎/人情噺文七元結 番外編、うた「ピクニック にほんごであそぼメドレー」

【出演】南野巴那,津田健次郎,中村勘九郎,土橋慶一,青柳美扇,世田一恵,中村彩玖,川原瑛都,川田秋妃

また、NHKさんの見逃し配信サイト「NHKプラス」でも配信中。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

このたび稔君春子さん御結婚の儀めでたくとり行はせられました趣拝承およろこびに堪へません。両君並びに御一家の今後に幸あれとひたすらお祈り申上げます。

昭和21年(1946)1月5日 宮崎仁十郎宛書簡より 光太郎64歳

宮崎仁十郎は茨城県の素封家。子息で詩人の稔ともども光太郎とは戦前からの付き合いでした。前年末に光太郎が仲介し、南品川ゼームス坂病院で智恵子ががりりとレモンを噛んだ現場にもいた、智恵子の姪・春子と稔との結婚が実現しました。

6月に発行された書籍です。少し前に手に入れていたのですが、紹介するタイミングを失っていました。

賢治学+(プラス)【第3集】

2023年6月20日 岩手大学人文社会学部 宮沢賢治いわてセンター編 杜陵高速印刷出版部刊
定価1,800円+税

平素は「岩手大学 人文社会科学部 宮沢賢治いわて学センター」の活動へのご理解・ご支援・ご協力を賜り、誠にありがとうございます。当センターの第2回シンポジウムなどを特集した『賢治学+(プラス)』第3集が刊行されました。ご高覧いただければ幸いです。
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目次
《巻頭言》横山英信「『賢治学+(プラス)』第三集に寄せて」
《特集「盛岡藩の言論と出版」》
 〈報告〉宮沢賢治いわて学センター第二回シンポジウム
「盛岡藩の言論と出版」(木村直弘)
 〈総評〉宮沢賢治いわて学センター第二回シンポジウム「盛岡藩の言論と出版」(脇野 博)
 講演①「直訴と目安箱からみる盛岡藩政――南部利済の時代に注目して――」(兼平賢治) 
 講演②「盛岡藩における出版事業――盛岡・花巻・遠野――」(中村安宏)
 シンポジウム「盛岡藩の言論と出版」
 〈ディスカッション〉(司会:脇野 博、シンポジスト:兼平賢治、中村安宏)
《岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センター研究会より》
 髙橋 愛「文学ツーリズムとその可能性」
 朴 鍾振「韓国における賢治絵本翻訳の展開――
ヨユーダン出版社の〈宮沢賢治コレクション〉――」 
 桑原尚子「国際開発・国際協力からみた宮沢賢治――
「農民芸術概論綱要」から読み解く――」
 中里まき子+エリック・ブノワ
  講演録「高村光太郎と宮沢賢治の喪のエクリチュール:
『智恵子抄』仏訳体験に触れながら」 
 岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センター研究会のこれまで
《フォーラム「賢治学」》
〈エッセイ〉
 谷口義明「天文学者、宮沢賢治と遊ぶ――椀コの謎――」
 金野吉晃「賢治随想」
〈論文〉
 大野眞男「『春と修羅』第一集における括弧表現と語りの複層的構造に関する一試論」
 大沢正善「「風野又三郎」と『新編農業気象学』――宮沢賢治の高層気象学――」
 小松田儀貞「宮沢賢治の〈芸術〉――賢治という薬あるいは毒――」
 瀬川愛美「宮澤賢治のオノマトペとフランス語訳――
「なめとこ山の熊」と Les Ours de la Montagne Nametoko──」 
 木村直弘「デクノボーとしてのゴーシュ――愚者が智者となる〈革命〉をめぐって――」
《フォーラム「いわて学」》
〈エッセイ〉
 佐藤竜一「自転車を乗り回した漢学者・那珂通世――夏目漱石との接点をめぐって――」
 船場ひさお「岩手と横浜をつなぐ」
 前田千香子「公園林としての気仙茶の木々」
 寺崎 巖「いわてフィルハーモニー・オーケストラ」
〈論文〉
 家井美千子「岩手大学図書館蔵『十和田山本地由来記』テキストの特徴」
〈編集後記〉 (木村直弘)

昨年の12月22日に開催された「岩手大学人文社会科学部【宮沢賢治いわて学センター】第16回研究会」の記録中の、同大教授・中里まき子氏とボルドー・モンテーニュ大学教授のエリック・ブノワ氏による講演「高村光太郎と宮沢賢治の喪のエクリチュール:『智恵子抄』仏訳体験に触れながら」が収められています。「『智恵子抄』仏訳」は、一昨年、フランスのボルドー大学さんから出版された中里氏、ブノワ氏訳の『Poèmes à Chieko』です。
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同書、新潮文庫版『智恵子抄』を底本としていますので、多くの詩篇が訳されていますが、特に「レモン哀歌」(昭和14年=1939)について詳述されています。宮沢賢治いわて学センターさんでのご講演ということもあったのでしょうが、賢治の「永訣の朝」との類似性などが述べられています。光太郎は妻・智恵子、賢治は妹・トシと、それぞれ最愛といえる女性に先立たれ、おのおのの死の瞬間を謳い、そしてその間際に智恵子は「レモン」、トシは「あめゆじゆ」を口にし……。

こうした点は諸家によって夙に指摘されてきたことですが、さらにフランスの思想家、ジョルジュ・バタイユの日記が比較対象として挙げられています。バタイユは明治30年(1897)の生まれで、光太郎より14歳下、賢治とは一つ違い、同世代ですね。バタイユは智恵子が亡くなった同じ昭和13年(1938)、恋人のコレット・ペニョ(通称・ロール)を奇しくも智恵子・トシと同じく結核で亡くしています。そしてロールはその死の間際、智恵子の「レモン」、トシの「あめゆじゆ」と同じように、バタイユから受けとった薔薇の花を、まぁ当然食べはしませんでしたが、口づけをして……というわけで。

ついでに言うなら、ロールは智恵子同様に心の病でもあったようですが、バタイユ曰く「私が薔薇を手渡すと、彼女は異常な状態を抜け出して私に微笑み、はっきりと最後の言葉を述べた。「美しいわ」と言った」。レモンをがりりと噛んだ智恵子は「昔山巓でしたやうな深呼吸を一つ」しただけで言葉は発しませんでしたが、トシは賢治詩「松の針」によれば「ああいい さつぱりした まるで林のながさ来たよだ」とつぶやいたそうで、このあたりの洋の東西を問わない類似性には驚かされました。

それ以外の部分でも、「智恵子抄」中の「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」のリフレインで有名な「樹下の二人」(大正12年=1923)と、戦後の『智恵子抄その後』に収められた「案内」(昭和24年=1949)との比較。「樹下の二人」は智恵子が光太郎に故郷・二本松をガイドするというシチュエーションが謳われていますが、「案内」では、光太郎が亡き智恵子に花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)周辺を紹介するという、主客の逆転といった点について述べられています。なるほど、と思いました。

Amazonさん等で入手可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

当地は雪がふかく三尺平均位になり、歩行困難な次第です。寒気も相当で万年筆も使用中に凍ります。幸ひ燃料があるので助かります。


昭和21年(1946)1月11日 矢沢高佳宛書簡より 光太郎64歳

厳寒期にはマイナス20℃にもなるという太田村の山小屋。書いている最中の万年筆のインクまで凍りました。

光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋(高村山荘)にほど近い道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」。道の駅テナントのミレットキッチン花(フラワー)さんの商品で、光太郎の日記などを元に、光太郎が作った料理や使った食材などを研究し、現代風にアレンジしています。

今年最後の販売が12月15日(金)。メニューの考案等に当たられているやつかの森LLCさんから画像が届きました。
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今月のメニューは「青豆入り麦飯」、「白六穀御飯」、「牛かつ」、「里芋とイカの煮付け」、「大根のバター炒め」、「キャベツの甘酢和え」、「チョコレートムースとりんご」、「塩麹入り卵焼き」、「お新香」。彩り的にも何となくクリスマスっぽい感じですね。

作りたてが味わえて、このボリュームで800円。さまざまな物品等の価格高騰の折、予算内におさめるのがなかなかに大変なようです。おそらく地産地消的な部分で食材の仕入れ価格も都会よりは安く抑えられるから可能なのでしょう。

概ねすぐに完売するそうですが、来年以降も愛され続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

何と申上げてよいか分からぬやうな新年がまゐりましたが、ともかくも無事に越年して新春を迎へた事はやはりうれしい気がいたします 謹んで御慶申納めます。今年こそ最悪の年だらうと言はれてゐますがどうか国民が間違を起さずにそれを乗り切つてくれるやうにと思つて居ります。


昭和21年(1946)1月3日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

前年の敗戦から4ヶ月。新しい年がやってきましたが、GHQの占領方針なども一般国民には不透明な中、この国は何処に向かうのだろうという不安を抱えての新年スタートでした。

もうすぐ令和6年となりますが、違った意味でこの国は何処に向かうのだろうという不安を感じざるを得ないこの年末です。

光太郎の名が出た新聞記事を2件。

まずは昨日の『千葉日報』さん。銚子市ジオパーク・芸術センターさんで開催中の「ぎょうけい館資料展」の紹介です。

伊藤博文ら著名人も訪れる 閉館の老舗宿、歩みに光 銚子「ぎょうけい館」30点展示で回顧

 明治期に創業し、1月末に閉館した銚子市犬吠埼の老舗旅館「ぎょうけい館」の歩みを紹介する企画展が、市ジオパーク・芸術センターで17日まで開かれている。昔の写真や館内に飾られていた美術品など約30点を展示している。
 展示などによると、海に臨む旅館からの絶景は多くの人々を魅了。伊藤博文や島崎藤村、国木田独歩、高村光太郎ら著名人も訪れたという。企画展は、閉館後に同旅館から市に寄贈された資料を活用した。
 大正から昭和に全国各地の鳥瞰(ちょうかん)図を手がけた吉田初三郎の作品「銚子遊覧交通名勝鳥瞰図」は、かつて館内の食堂や受付に飾られた。同旅館と犬吠埼灯台を含む名所や街並みが描かれている。
 旅館の外観写真展示では、明治後期の趣ある日本家屋風から平成以降の白い建物に至る変遷をたどれる。パンフレットや、ゆかりの文人の作品も紹介している。
 我孫子市から夫と来場した田口美由紀さん(65)は同旅館を繰り返し訪れていたといい「海の景色がきれいで料理もおいしいし、温かいスタッフばかりだった。飾ってあったものも見られて懐かしい」と話した。
 観覧無料、午前9時~午後5時。問い合わせは銚子資産活用協議会事務局(市教委文化財・ジオパーク室)(電話)0479(21)6662。
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同展、会期が明日まででして、もう少し早く紹介してくれれば良かったのに、という感じではありますが……。

続いて『朝日新聞』さん、12月13日(水)夕刊。

目立つ「本格」、刑事と挑む謎解き ミステリー小説ランキング、紹介

 年末の風物詩、ミステリー小説のランキングが出そろった。主なランキング(「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」「ミステリが読みたい!」)の上位作品には、謎解きプロセスの純度が高い「本格」作品が目立つ。
 文春、このミス、ミス読み1位、本ミス2位と圧倒的な支持を集めたのが米澤穂信「可燃物」(文藝春秋)。群馬県警捜査第一課の葛(かつら)警部を探偵役にした五つの事件が並ぶ。意外な凶器を扱った「崖の下」に始まり、動機探しや犯人当てなど、一編ごとに異なる趣向を施した謎解きのショーケース。著者初の警察ミステリーとのふれこみだが、組織内部のさや当てを描くような警察小説ではない。現実の捜査機関を使い、わかりやすく手がかりを提示することで、読み手に純粋な知恵比べを挑む。超常現象や未来技術を使った特殊設定ミステリーへの一つの回答とも言えよう。
 文春2位の東野圭吾「あなたが誰かを殺した」(講談社)も刑事が探偵役。ガリレオと並ぶ人気シリーズ探偵、加賀恭一郎ものの新作は別荘地で起きた一夜の連続殺人に始まる。犯人はすぐに逮捕されるが詳細を黙秘。被害者遺族が真相解明のために開いた会合に立会人として参加した加賀は、生存者の証言を一つひとつ検証していく。遺族それぞれが抱える秘密を小さな矛盾からあらわにし、事件の全容に迫っていくプロセスが鮮やかだ。
 一方、このミス2位、百鬼夜行シリーズ17年ぶりの長編となる京極夏彦「鵼(ぬえ)の碑(いしぶみ)」(講談社)は日光を主舞台に、「姑獲鳥の夏」からの面々が関わる五つの物語が並走する。とらえどころのない鵼そのままにもつれあう展開は、まさに本格ものの土台を揺さぶるアンチ・ミステリー。読み手を謎迷宮に誘う。
 ベテラン勢が上位を占めるなか、ロジックの大伽藍(がらん)を築いて本ミス1位となったのが鬼才、白井智之の「エレファントヘッド」(KADOKAWA)。精神科医が謎の薬を手にしたことで幸福な家族に悲劇が起きるのだが、猟奇的な不可能犯罪の連打、薬に端を発するぶっとんだ特殊設定、そこから生み出される多重推理を経ての合理的解決まで、冒頭から1行たりとも読み飛ばせない。持ち味のグロさ満載なのに、なんと美しい本格ミステリーなのかとため息をつく。
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 気鋭でいえば、文春、このミス2位の井上真偽「アリアドネの声」(幻冬舎)も収穫。大地震により地下5階に取り残された「見えない、聞こえない、話せない」女性を地上へと救出するタイムリミット・サスペンス。手に汗握る展開と、ラストの衝撃が心に残る。
 このミス、本ミス10位の荒木あかね「ちぎれた鎖と光の切れ端」(講談社)は昨年の江戸川乱歩賞受賞者の新作。クリスティの二つの有名作品へのオマージュを二部構成で展開する。前半は孤島ものの本格ミステリー、後半は連続殺人をめぐるサスペンスでありながら、共通する謎に別解を提示する意欲的な作りになっている。
 本格好きの記者のベストは白井作品だが、偏愛の一冊が柳川一「三人書房」(東京創元社)。江戸川乱歩になる前の平井太郎が、周りで起きた不思議な事件の数々を解き明かす。同時代を生きた宮沢賢治、宮武外骨、高村光太郎ら著名人の登場も楽しい。「二銭銅貨」発表から百年の節目にふさわしい、乱歩ファン必読の連作短編集だ。

残念ながら各種ランキング上位には漏れたようですが、柳川一氏『三人書房』を番外編として紹介して下さいました。
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記事には「乱歩ファン必読」とありますが、光太郎ファンも必読ですのでよろしくお願いいたします。

【折々のことば・光太郎】

山小屋周囲積雪すでに三尺平均に及び、郵便屋さんも時々休みます。いよいよ冬籠りです。燈火なきため夜間執筆は不能です。蠟燭入手さへ困難な状態ですから。 夜は柴を焚いて暖と光とをとります。


昭和20年(1945)12月28日 竹之内静雄宛書簡より 光太郎63歳

激動の昭和20年(1945)も、こうして暮れて行きました。

光太郎の父・光雲作品が出ます。

彫刻って面白い!〜これってなんだ?からそっくりまで〜

期 日 : 2023年12月22日(金)~2024年2月12日(月・祝)
会 場 : 石川県七尾美術館 石川県七尾市小丸山台1-1
時 間 : 午前9時〜午後5時
休 館 : 毎週月曜日 ※1/8(月.祝)、2/12(月.祝)は開館、1/9(火)
      12/29(金)から1/3(水)までの6日間
料 金 : 一般350円(280円) 大学生280円(220円) 高校生以下無料
      ( )は20名以上の団体料金

 開館時の平成7年(1995)、400点に満たなかった当館の所蔵品は、現在800点を超えました。これらの所蔵品は、七尾市出身の実業家・池田文夫氏が蒐集した美術工芸品「池田コレクション」289点と、能登七尾出身の長谷川等伯の作品6点を含む「能登ゆかりの作品」に大別されます。ジャンルは絵画・工芸・彫刻・書・写真など幅広く、時代も中世から現代までと多岐にわたっています。
 当館ではこれらの作品を多くの方にご鑑賞いただくため、年に数回テーマを変えながら展覧しています。今回は「自然とともに」「彫刻って面白い!」の2テーマで計57点を紹介します。
 一言で「彫刻」といっても、粘土・石膏・ブロンズ・FRP(繊維強化プラスチック)・石・木・金属などの素材があります。技法においても、粘土のように肉付けして成形する塑像(そぞう)や、型を作って制作するもの、石や木を彫ったり組み合わせたりしたもの、さらには様々な金属を加工した作品など多種多様です。
 また、「これはなんだろう?」と思う抽象作品から、「本物そっくり!」と思える具象作品まであって、それら彫刻作品の多様性が、面白さや魅力でもあるのです。ここでは、様々な素材による、味わい深い彫刻作品34点をお楽しみください。
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七尾市出身の実業家で、美術品コレクターでもあった池田文夫氏(1907~87)が蒐集した美術工芸品を「池田コレクション」として収蔵している石川県七尾美術館さん。

光雲作の「聖観音像」(昭和6年=1931)も含まれ、これまでもたびたび展示して下さっています。他に光雲高弟の一人・山崎朝雲の彩色木彫「土部」(昭和27年=1952)、光太郎と縁の深かった高田博厚の「うずくまる女」(昭和50年=1975)なども。
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お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

「記録」一巻は大本営を過信した小生の不明の記録となりました。


昭和20年(1945)12月26日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

詩集『記録』は昭和19年(1944)3月、『智恵子抄』版元の龍星閣から刊行された翼賛詩集です。戦争終結後、光太郎の戦争責任を糾弾する声がほうぼうから上がり、その際、最も槍玉に挙げられたのが『記録』でした。

「記録」というタイトルについては、同書の序文に述べられています。

「記録」といふ題名は澤田氏(注・龍星閣社主)が撰び、私が同意したものである。むろん全記録の意味ではない。いはば大東亜戦争の進展に即して起つた一箇の人間の抑へがたい感動の記録といふ方がいいかもしれない。(略)物資労力共に不足の時無理な事は決して為たくない。この詩集とても果して必ず出版せられるかどうかは測りがたい。それほど戦はいま烈しいのである。二年前の大詔奉戴の日を思ひ、今このやうに詩集など編んでゐられることのありがたさを身にしみて感ずる。戦局甚だ重大、あの時の決意を更に強く更に新たにしてただ前進するのみである。

そして昭和22年(1947)に書かれた自らの半生を省みる連作詩「暗愚小伝」でも。

    真珠湾の日

 宣戦布告よりもさきに聞いたのは
 ハワイ辺で戦があつたといふことだ。
 つひに太平洋で戦ふのだ。002
 詔勅をきいて身ぶるひした。
 この容易ならぬ瞬間に
 私の頭脳はランビキにかけられ、
 咋日は遠い昔となり、
 遠い昔が今となつた。
 天皇あやふし。
 ただこの一語が
 私の一切を決定した。
 子供の時のおぢいさんが、
 父が母がそこに居た。
 少年の日の家の雲霧が
 部屋一ぱいに立ちこめた。
 私の耳は祖先の声でみたされ、
 陛下が、陛下がと
 あえぐ意識は眩(めくるめ)いた。
 身をすてるほか今はない。
 陛下をまもらう。
 詩をすてて詩を書かう。
 記録を書かう。
 同胞の荒廃を出来れば防がう。
 私はその夜木星の大きく光る駒込台で
 ただしんけんにさう思ひつめた

太平洋戦争が始まり、もはや抒情的な詩など書いている場合ではない、そこで代わりに叙事詩的な詩でもって、この未曾有の時を「記録」するのだ、というわけでしょう。

しかし、戦後となって振り返ってみれば、その自分の選択は大きな過ちであったということに気づかされます。『道程』、『智恵子抄』などで積み上げてきた豊かな抒情詩の世界を自らぶち壊してまで挑んだ「記録」は、ただ空虚な「不明の記録」に過ぎなかった、と。この場合の「不明」はイコール「暗愚」ですね。

何度も書きますが、こうした光太郎の真摯な反省などには目もくれず、詩「十二月八日」(昭和16年=1941)の一節をSNSに上げて喜んでいる幼稚なネトウヨには怒りを覚えます。今年の12月8日には、何ととある地方議会の議員のセンセイまで。ぞっとします。

また、「暗愚小伝」中の「詩をすてて詩を書かう。/記録を書かう。」についても、それこそが「暗愚」だったと光太郎が書いているのに、それが理解できず「光太郎、すばらしい!」と言っている輩も……。頭を抱えたくなります。






新作映画の情報です。

火だるま槐多よ

上 映 : 東京都  K’s cinema    12/23(土)~
      神奈川県 横浜シネマリン  2/10(土)~
      栃木県  宇都宮ヒカリ座  1/26(金)~2/1(木)
      長野県  千石劇場     1/5(金)~1/18(木)
           上田映劇     2/16(金)~
      愛知県  シネマスコーレ  時期調整中
      大阪府  第七藝術劇場   1/6(土)~
      京都府  アップリンク京都 1/19(金)~
出 演 : 遊屋慎太郎 佐藤里穂 工藤景 涼田麗乃 八田拳 佐月絵美 田中飄 佐野史郎
監 督 : 佐藤寿保

映画『火だるま槐多よ』は、22 歳で夭逝した天才画家であり詩人の村山槐多(1896~1919)の作品に魅せられ取り憑かれた現代の若者たちが、槐多の作品を彼ら独自の解釈で表現し再生させ、時代の突破を試みるアヴァンギャルド・エンタテインメント。タイトルの由来は、槐多の友人・高村光太郎の詩「強くて悲しい火だるま槐多」である。

あらすじ
 大正時代の画家・村山槐多の「尿する裸僧」という絵画に魅入られた法月薊(のりづき・あざみ)が、街頭で道行く人々に「村山槐多を知っていますか?」とインタビューしていると、「私がカイタだ」と答える謎の男に出会う。その男、槌宮朔(つちみや・さく)は、特殊な音域を聴き取る力があり、ある日、過去から村山槐多が語り掛ける声を聴き、度重なる槐多の声に神経を侵食された彼は、自らが槐多だと思いこむようになっていたのだった。
 朔が加工する音は、朔と同様に特殊な能力を持つ者にしか聴きとれないものだが、それぞれ予知能力、透視能力、念写能力、念動力を有する若者4人のパフォーマンス集団がそれに感応。彼らは、その能力ゆえに家族や世間から異分子扱いされ、ある研究施設で”普通”に近づくよう実験台にされていたが、施設を脱走して、街頭でパフォーマンスを繰り広げていた。研究所の職員である亜納芯(あのう・しん)は、彼らの一部始終を観察していた。
 朔がノイズを発信する改造車を作った廃車工場の男・式部鋭(しきぶ・さとし)は、自分を実験材料にした父親を殺そうとした朔の怒りを閉じ込めるために朔のデスマスクを作っていた。薊は、それは何故か村山槐多に似ていたと知り…

村山槐多(むらやま・かいた)
 1896~1919大正時代の日本の画家で、詩人、作家でもある。
 従兄の山本鼎(画家)に感化され画家を志し、中学生(旧制)の頃より美術、文学に異彩を発揮。ガランス(深紅色)を多用した独特の生命力に溢れた絵画は、二科展、日本美術院展などに入選し、異色作家として注目されたが、破滅的な放浪生活の末、流行性感冒で1919年2月20日死去。
 絵画の主要作に「カンナと少女」「湖水と女」「尿する裸僧」など。詩集に「槐多の歌へる」(遺稿集)など。小説に「悪魔の舌」など
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光太郎と交流のあった鬼才の画家・村山槐多をモチーフとした作品です。ただし、槐多自身を主人公としているわけではなく、槐多の精神に感応した現代の若者がさまざまな事件に巻き込まれ……というストーリーのようです。

したがって、光太郎も登場しないと思います。ただ、過去に槐多が見た風景、的なシーンがあればそこに光太郎の姿があるかもしれませんが。





タイトル「火だるま槐多よ」は、光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)から。

   村山槐多

 槐多(くわいた)は下駄でがたがた上つて来た。
 又がたがた下駄をぬぐと、
 今度はまつ赤な裸足(はだし)で上つて来た。
 風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。
 黒チョオクの「令嬢と乞食」。

 いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
 五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
 強くて悲しい火だるま槐多
 無限に渇したインポテンツ。

 「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
 「居るよ。」
 「僕は眼がつぶれたら自殺します。」

 眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
 自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。

昭和10年(1935)というと、大正8年(1919)の槐多死去から15年以上経っています。光太郎、翌年にはやはり数十年前に亡くなった碌山荻原守衛をテーマにした詩「荻原守衛」を書きました。なぜこの時期に相次いで古い友人たちを唐突とも思えるタイミングで詩に謳ったのか、不思議です。

ところで、X(旧ツイッター)上で、「火だるま」がトレンド入りしていました。
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てっきりこの映画のからみかと思い、「おお!」という感じでしたが、さにあらず。実はこういう件で、笑いました。
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笑っている場合ではないのかもしれませんが(笑)。

X(旧ツイッター)といえば、当会アカウント、「映画「火だるま槐多よ」公式」さんがフォローして下さいました。ありがとうございます。
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というか、さっさとブログで紹介しろよ、ということでしょうか(笑)。

閑話休題。多くないのが残念ですが、ぜひお近くの上映館にてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生の戦時中の詩について摘発云々の事はいささかも驚きません。先方の解釈次第にて如何やうにでも取扱はれるがいいと思つてゐます。小生の詩は多く戦争によつて触発された人間美をうたつたものですが此際解明などしたくもありません。


昭和20年(1945)12月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

この年12月8日、日本共産党が開いた「戦争犯罪人追及人民大会」で、光太郎もリストアップされたことに関わると思われます。結局、光太郎は公的には戦犯として訴追されることはありませんでした。しかし、自分の詩を読んで戦場で散華していった多くの前途有為な若者たちがいたことを知るにつけ、私的に自らを罰する方向に梶を切っていきます。そうなるまでまだ少し時間を要しますが。

テレビ放映情報を2件。

まずは新作です。

にほんごであそぼ「健康」

地上波NHK Eテレ 2023年12月18日(月) 08:35〜08:45
再放送 12月21日(木) 15:35~15:45  12月23日(土) 7:00~7:10

2023年度の『にほんごであそぼ』は、毎回ひとつの『ことば』をテーマに掲げ、「なるほど、そういう意味だったのか、そういう歴史や背景があったのか」という新たな発見や学びをお届けします。新たに、世界の偉人の言葉をダンスしながら伝えたり、齋藤孝が名文を広めるべく学校を行脚し、こどもたちと触れ合うコーナーを新設。

従来の古典芸能や歌のコーナーもパワーアップ。こどもから大人まで楽しめるエンターテインメント豊かな番組になります。日本を越え世界を駆け巡る『にほんご』・過去と未来をタイムトリップする『にほんご』。その魅力に包まれた『ことば』の宇宙を旅しましょう。

書道で学ぶにほんご・ぐうたらちんたら/健康、朗読(津田健次郎)/「レモン哀歌」高村光太郎、偉人とダンス/健康について書かれた本を読むときは、注意深く読みなさい。もしそこに「書き間違い」があったなら、あなたは死ぬかもしれないのである。(マーク・トウェイン)、こどもスタジオ/風邪は万病のもと、歌舞伎/人情噺文七元結 番外編、うた「ピクニック にほんごであそぼメドレー」

【出演】南野巴那,津田健次郎,中村勘九郎,土橋慶一,青柳美扇,世田一恵,中村彩玖,川原瑛都,川田秋妃

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これまでも繰り返し光太郎詩を取り上げてきて下さった「にほんごであそぼ」。現在の新作の放映は週1なのですね。

来週の新作放映がテーマが「健康」だそうで、その中で智恵子の臨終を謳った「レモン哀歌」(昭和14年=1939)。俳優の津田健次郎さんの朗読が放映されます。
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津田さん、9月放送の回では「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)の朗読をなさいました。
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以前はそういうことがなかったのですが、今回の「レモン哀歌」放映に関しては、NHKさんから「詩句の漢字の読み方等確認をしてくれ」的な依頼がありまして、ご協力させていただきました。それが8月。収録が8月8日(火)だったそうで、4ヶ月以上経ってのオンエアなのかと意外でした。

ちなみに来春には「道程」も取り上げて下さる予定だそうです。それも現在流布している9行の詩集『道程』(大正3年=1914 10月)収録型ではなく、雑誌『美の廃墟』に発表(同年3月)された初出の102行バージョン。さすがに長いので抜粋のようですが。

もう1件、こちらは再放送です。

BSフジサスペンス劇場 浅見光彦シリーズ22首の女殺人事件

BSフジ 2023年12月15日(金) 12:00〜14:00

福島と島根で起こった二つの殺人事件。事件の真相に光彦が迫る! ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!


<出演者>
中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作
榎木孝明 野際陽子 ほか
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推理作家の故・内田康夫氏が昭和61年(1986)に発表された「「首の女(ひと)」殺人事件」を原作に、ほぼ忠実に映像化した2時間ドラマです。初回放映は平成18年(2006)、二本松の智恵子生家、花巻の旧高村記念館等でのロケが敢行されました。その後、繰り返し再放送が為されています。

それぞれぜひ御覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

友人のたよりが来ると駒込に居るやうな錯覚をおこします。事実は今太陽が照りながら細かい雪が横ざまに降つてゐるといふ北国特有の天候の中にゐます。

昭和20年(1945)11月28日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎63歳

この月17日から花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での生活を始めました。11月にはもう降雪。最晩年の光太郎に親炙され、当会顧問であらせられた故・北川太一先生曰く「生涯で最も鮮烈な冬が来る」。

新潟県から市民講座の情報です。

二葉アーツスクール2023「めだかの学校 高村光太郎にとっての新潟」

期 日 : 2023年12月23日(土)
会 場 : ゆいぽーと(新潟市芸術創造村・国際青少年センター)
      新潟市中央区二葉町2丁目5932番地7
時 間 : 14:00~15:30
料 金 : 無料

講 師 : 山浦健夫氏(美術史家)

「めだかの学校」は、ゆいぽーとの自主事業として2018年の開館年にスタートしました。施設の前身である旧二葉中学校の学び舎としての特性を活かし、広く市民に開かれた生涯学習の場として親しまれています。新潟の文化や歴史など独自なテーマ設定と多彩な講師陣が人気を集める連続講座です。

高村光太郎(1883~1956)は彫刻家であり詩人であった。特に詩集『智恵子抄』はあまりにも有名である。その智恵子が光太郎と結婚する前に現在の阿賀野市に滞在していたことは、知られていない。また、光太郎が実業家で文人の渡辺湖畔(1886~1960)の招きで佐渡にわたり作品をのこしたり(大正7年10月)、長岡へも父光雲の遺作展(昭和12年5月)や鯉の制作で何度も訪ねたことも知られていない。今年は高村光太郎の生誕140年にあたる。新潟県に関わるこれらのエピソードをあわせて紹介したい。
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全4回の講座で今回が最終回。これまでに光太郎と縁のあった彫刻家・武石弘三郎や東京美術学校で同級生だった藤田嗣治らについての講座が持たれていました。

そして光太郎。案内にある通り、光太郎、そして智恵子も何度か新潟に足を運んでいます。

智恵子が光太郎と結婚する前に現在の阿賀野市に滞在していたこと」は以下。
探検バクモン「男と女 愛の戦略」。
スキーと智恵子。
『文豪たちのラブレター』。
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渡辺湖畔(1886~1960)」についてはこちら。
新潟よりいただきもの。
『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』。
平塚市美術館「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」レポート。
碌山美術館夏季特別企画『生誕140周年高村光太郎展』。
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そして「長岡」関連。
長岡市駒形十吉記念美術館「駒形十吉生誕120年  駒形コレクションの原点」。
新潟長岡レポート 駒形十吉記念美術館「駒形十吉生誕120年 駒形コレクションの原点」他。
和歌山県立近代美術館 小企画展「原勝四郎と同時代の画家たち」/駒形十吉記念美術館「2023年第3回展 茶の湯を楽しむ-併設展 墨の魅力」。
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002他にも智恵子の祖父・長沼次助が南蒲原郡田上町の出身で、杜氏として赴いた二本松に居着いて長沼酒造を興したことなども新潟との関わりですね。

平成23年(2011)、田上町郷土研究会さん発行の『郷土たがみ』第22号に掲載された松井郁子氏「高村智恵子と幕末の起業家長沼次助について」によれば、次助の血縁に連なる方々が田上町にご健在とのことです。ただ、さらに遡ればご先祖は元々は福島の須賀川の出だったそうですが。福島と新潟、現代も磐越道で繋がっていますが、昔は阿賀野川を使った水運などで交流が深かったようです。

こういった光太郎智恵子と新潟との関わり、確かに地元ではかえってあまり知られていないのでしょう。

これを機に新潟の皆さんに広く光太郎智恵子の世界に興味関心を抱いていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

まだ山の分教場に厄介になつてゐますが、いよいよ此の十七日から小屋に移住します。毎日通つて大工仕事をやつてゐます。道具類から造つて仕事を進めるので中々大変です。墨壺、錐、水平器などといふにびに皆自製です。机もつくり、お膳もつくり、重箱も戸棚も床の間も井桁も下水も雨戸も自分でつくります。


昭和20年(1945)11月16日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

いよいよ花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での7年間に及ぶ生活が始まります。

始まってしまっている展覧会ですが、昨日、気が付きました。

大倉組商会設立150周年記念 偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉

期 日 : 2023年11月15日(水)~2024年1月14日(土)
会 場 : 大倉集古館 東京都港区虎ノ門2-10-3
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、
      12/29~12/31 ※年始は1月1日より開館します
料 金 : 一般 1,000円 大学生・高校生 800円 中学生以下 無料

今から150年前の明治6(1873)年10月、大倉喜八郎によって大倉組商会が設立されました。大倉組商会は後に15財閥の一つに数えられる大企業に成長します。本展では大倉組商会設立から150年を数えた本年、創設者・大倉喜八郎と、嗣子・喜七郎による書の作品とともに、事業や文雅の場で交流した日中の偉人たちによる作品を展示し、詩作や書の贈答によって結ばれた交流の様を展観いたします。

大倉集古館には、大倉喜八郎と交流をもった中国清時代や、明治大正の偉人たちの書が所蔵されています。彼らは折に触れ歌を詠み、それを贈り合いました。また、喜八郎自身は、光悦流と称する自らの書風によって歌を書きあげ、嫡子の喜七郎は、松本芳翠に書を学び、友とともに漢詩を作り軸に仕立てました。大倉財閥150年をめぐる偉人たちの交流の跡を示す書の数々を展示いたします。
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はじめ、各地に同型のブロンズがある光太郎作の「大倉喜八郎の首」(大正15年=1926)が出ているのかと思ったのですが、さにあらずでした。出品リストによれば、展示されているのはそちらを元に光太郎の父・光雲が制作した木彫「大倉鶴彦翁夫妻像」(昭和2年=1927)。「鶴彦」は大倉の号です。
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リストでは光雲・光太郎合作となっています。現に生きている人物の肖像彫刻はやや苦手としていた光雲、光太郎に粘土で原型を作らせ、それを見ながら木彫にすることがあって、この像もその一つ。法隆寺管長・佐伯定胤の像(昭和5年=1930)などもその手法で制作されています。また、塑像となると、まるまる光太郎が代作した作品が4点ばかり確認できています。

光太郎はこんなことを書き残しています。

 首は可成作つたが、半分以上は父の仕事の下職のやうにしてやつてゐたから、半ば父の意志が入つて居り、数は沢山拵へたけれど自分の作には入らない訳だ。私が粘土で原型を拵へても、それを鋳金にしたり木彫にうつしたりする時に無茶苦茶に毀されて了ふ。法隆寺の佐伯さんの肖像なども父の名で私が原型を拵へたものだが、出来上つたものはまるで元のものとは違ふ。(「回想録」昭和20年=1945)

ある意味、仕方のないことだと思いますが。

ところで、この書きぶりだとまだ同様の作がたくさんあるような感じですね。個人の肖像などで知られていない例が相当数あるのかもしれません。

「大倉鶴彦翁夫妻像」、二十数年前に一度拝見しましたがそれ以降目にしておりません。今月末に上京する予定がありますので、その際に、と思っております。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

草野心平さんの事大に心配してゐたところ、おてがみに同封の同君のテガミ拝受、又おてがみによりて草野夫人や子供さん達が郷里にかへられて居る事を知り、なつかしく存じました。


昭和20年(1945)11月6日 川鍋東策宛書簡より 光太郎63歳

戦時中、中国にいた心平の消息が終戦後にまるでわからず、気を揉んでいたところにもたらされた心平無事の報。心平にしても、光太郎が岩手に疎開し、そのまま居着いているとは夢にも思っていなかったため、連絡が取れなかったのでしょう。

心配は翌年3月には復員、9月に光太郎の隠棲していた太田村を訪れ、再会を果たします。

まず、仙台に本社を置く『河北新報』さん、12月6日(水)のコラムから。

デスク日誌(12/6):光るレモン

 自宅で育てている鉢植えのレモンが先月下旬にようやく色づいた。夏の猛暑の影響なのかどうか、いつもより1カ月近く遅い。
 この少し前、二本松市の智恵子記念館を訪ねた。レモン祭と銘打って開かれていた催しに引かれた。
 詩集「智恵子抄」で知られる高村光太郎が、死の際にあった妻智恵子をうたった詩「レモン哀歌」にちなんだ企画。レモン忌と称される智恵子の命日の10月5日から1カ月半、生家のライトアップや智恵子の「紙絵」作品が展示された。
 レモン哀歌では、光太郎に手渡されたレモンを「がりりと」かんだ智恵子が目にかすかな笑みを浮かべ、深呼吸を一つして息を引き取る様子が描かれる。
 痛切な作品だ。宮沢賢治の「永訣(えいけつ)の朝」と共に「近代挽歌(ばんか)の双璧」ともいわれる。切なさが胸に迫るが、重苦しい暗さはない。光太郎が「すずしく光る」と形容したレモンの視覚効果だろうか。
 ビタミンカラーのレモンは見ているだけで元気が出る。家のレモンは色づいたものから順に収穫し、これから味わう。ハイボールにでも浮かべて英気を養い、師走を乗り切ろう。

福島総局長の方が書かれたコラムです。同県二本松市にある智恵子生家/智恵子記念館さんを会場に、10月5日(木)~11月19日(日)の日程で様々なコンテンツが用意された「高村智恵子レモン祭」に足をお運びいただいたそうで、有り難い限りです。

レモン祭に関してはこちら。
高村智恵子レモン祭。
レモンの日(レモン忌)。
智恵子生家ライトアップ/テレビ放映情報。

当方もライトアップ期間に伺うつもりでおりましたが、この時期、他にいろいろ行くべき所が多く欠礼いたしました。おそらく来年以降もライトアップを行ってくださるだろうという期待の元に、と考えてのことでしたが。

続いて山口県の『宇部日報』さん、12月8日(金)の記事。

島木健作に贈った「山羊の歌」 中也の自筆署名入り本を特別展示、10日まで

002 山口市湯田温泉1丁目の中原中也記念館(中原豊館長)で、中原中也(1907~37年)の第1詩集「山羊の歌」が刊行された日に合わせた特別展示として、中也が作家の島木健作宛てに贈った自筆献呈署名入りの本が公開されている。10日まで。
  同作は1934年12月10日に文圃堂書店から限定200部(市販150部)が発行された。装丁は詩人の高村光太郎。
  島木は、権力による共産主義への弾圧から思想を捨てた過程や苦悩を描いた転向作家。小説「生活の探求」で知られる。中也が詩を発表した雑誌「文学界」の同人で、37年ごろ互いに鎌倉の雪ノ下に住み、交流した。
  多くの署名本が右に宛名、その左下にフルネームの署名が配されているのに対し「中原」と署名が名字だけなのは特徴的だという。
 奥付の通し番号は139番。3桁台での署名本は、第100部の小林秀雄宛てを除き、著名人や知人はほとんどいない。記念館は谷崎潤一郎宛てなど13冊を所蔵している。
 展示では合わせて中也の遺品である島木の名刺も並べている。
 今年9月の中原中也の会第28回大会で講演した秀明大の川島幸希学長が寄贈した。
 中原館長は「『文学界』の同人とはいえ、中也と転向作家の島木健作では作品の傾向が異なる。島木は中也追悼文『追悼』で、島木の作品を読み感想を述べる中也の姿を伝えており、中也が島木の作品に興味を持ち、評価していたことは間違いない。その交友の一端を具体的に示す資料として大変、興味深い」と話している。

数々の装幀も手がけた光太郎ですが、そのうち最も有名になった書籍の一つが『山羊の歌』でしょう。自らも味わい深い字を書けた中也が「高村さんのような字が好きなんだ、あれはいい字だよ」と語ったそうで、その目の確かさは流石ですね。
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ちなみに昨年は谷崎潤一郎宛署名の入った『山羊の歌』が、大阪の一般の方から寄贈されて同様に特別展示されたそうです。その際も『宇部日報』さんが報じていましたが、そちらには光太郎の名が書かれていませんでした。

寄贈者の川島幸希氏、『日本古書通信』さんにこの手の署名本に関する考察をたびたび発表なさっています。また、ご自身が学長を務められている秀明大学さんでそれらを展示なさったこともあり、当方、2回ほど拝見に伺いました。最初は光太郎の『道程』特装本が出品された平成26年(2014)の学祭・飛翔祭。その際には三好達治ら宛の署名が入った『山羊の歌』も出ていました。

今回寄贈された島木健作宛は奥付の番号が139番。昨年展示された谷崎宛は18番。他に谷川徹三に16番、仏文学者の中島健蔵へ19番、志賀直哉宛で20番がそれぞれ贈られています。三角関係等いろいろあった腐れ縁の小林秀雄には100番でした。他は当方の専門ではないので存じません。

で、当然、光太郎宛もあったと推定され、おそらく1桁の番号だったのでしょう。しかし、それ以前に光太郎が処分したり、誰かが借りパクでもしたりしていない限り、昭和20年(1945)4月13日の空襲で光太郎アトリエ兼住居共々焼失したと推理できます。返す返す戦争の愚かさを感じます。

戦争の愚かさといえば、予想通り一昨日の12月8日(金)、太平洋戦争開戦の日には、SNS上で光太郎詩『十二月八日』を引用して「大日本帝国バンザイ!」的な書き込みをしている愚か者が目立ちました。超迷惑です。

【折々のことば・光太郎】

今日の明治節を迎へて感慨無量です。明治大帝に対して申わけなき次第、言上すべき言葉もありません。


昭和20年(1945)11月3日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

終戦から3ヶ月弱、まだ皇国史観から抜け出せていなかったことが見て取れます。ただし「申わけなき次第」は、米英に敗れてしまったことを指すわけではなく、勝ち目のない無謀な戦争を仕掛けたことを指すと思われます。

キーワード「高村智恵子」でヒットしました。神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙『タウンニュース』さん記事。

小田原在住天羽間さん 切り絵の原画展 東口図書館で10日まで

 小田原市曽比在住のイラストレーター天羽間(あまはま)ソラノさん(61)が12月10日(日)まで、小田原駅東口図書館で切り絵イラストの原画展を開催している。
 天羽間さんは洋画家の高村智恵子の切り絵作品に感銘を受けて、2005年から切り絵の創作を開始した。06年にギャラリーコンペで賞を初めて受賞した後、化粧品メーカー「資生堂」の宣伝広告物や本の装幀イラストなどの製作を行ってきた。
 原画展ではこれまで製作してきた作品約30点が展示されている。天羽間さんは「たくさんの人に見に来ていただきたいです」と話している。午前9時から午後6時(最終日は4時)。問い合わせは同館【電話】0465・20・5577。
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展覧会詳細は以下の通り。

天羽間ソラノ 切り絵イラスト原画展

期 日 : 2023年11月28日(火)~12月10日(日)
会 場 : 小田原駅東口図書館 多目的スペース 神奈川県小田原市栄町1-1-15
時 間 : 午前9時~午後6時 最終日は午後4時まで
料 金 : 無料

小田原市在住で、本の装丁イラストなどで活躍中の天羽間ソラノさんの切り絵イラスト原画展を開催します。細密で美しい切り絵をぜひ見に来てください。
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天羽間氏という方、当方寡聞にして存じ上げませんでしたが、各種デザインの多方面で活躍なさっている方だそうです。調べてみましたところ、プロフィール的なページに確かに「2005年 高村智恵子が精神分裂病を発症した後に、切り絵細工を始めた作品に感銘を受け、「折り紙」を使ったシンメトリーの切り絵の創作を開始する。」という記述がありました。

智恵子紙絵からのインスパイアというと、もろに智恵子の紙絵や油絵、『青鞜』の表紙絵などをモチーフとした切り絵等を発表されている谷澤紗和子氏が思い浮かびます。天羽間氏、谷澤氏とは異なり、智恵子作品そのものをモチーフとされているわけではないようですが。

上記画像の作品もおそらくシンメトリーで制作されているようです。その精緻さに舌を巻かされます。

もう会期が明日までとのことですが、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

十月十七日に此村に移転してからまだ分教場(風の又三郎そつくりの学校です)に御厄介になりながら毎日小屋に通つて雑作を自分で作つてゐます。昨日は炉の自在カギをつくりました。今度は井桁にかかります。


昭和20年(1945)11月1日 水野葉舟宛書簡より 光太郎63歳

近くの(といっても1㌔弱離れていますが)分教場に寝泊まりしながら山小屋の造作にかかっていました。嬉々として大工仕事に精を出している様子がうかがえます。この頃詠んだ光太郎の句に「新米のかをり鉋のよく研げて」という吟があります。いい句ですね。
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どちらかというと女性向け、新刊のムックです。

&Me-time  &Premium特別編集 私の好きな、ひとりの時間。

2023年12月5日 マガジンハウス編・刊 定価1,880円

「ひとりの時間」をどんなふうに過ごしていますか? 本を読んだり、音楽を聴いたり、気の向くままに散歩してみたり、どこかへふらりと旅に出てみたり。「ひとりの時間」は、楽しむことができる人にとっては、心地のいい贅沢な時間。心を鎮め、自分の内面とじっくり向き合うことは、自分が本当に大切にしたいものに気づくきっかけになるはずです。過ごし方、暮らし、旅、映画、音楽、本まで、「ひとりの時間」や「静かに過ごす時間」にまつわる記事を1冊にまとめました。
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目次
Making Me Time あの人の、ひとりの時間のつくり方、楽しみ方。
 佐竹彩 三國万里子 上白石萌歌 松下萌黄 岡本佳樹 山田みどり 服部あさ美
 宮田・ヴィクトリア・紗枝
Why Do We Need Me Time? なぜ、ひとりの時間は必要なのでしょうか?
 吉本ばなな
Movie ひとりの時間を豊かに感じる映画。
 高崎卓馬
Lifestyle ひとり、心地よく暮らす住まい。
 吉原ゴウ 桐野恵美 
Travel 私を変えた、ひとり旅。
 タカコ・ノエル 黒島結菜 吉田恵里香 宇賀なつみ チェルシー舞花 木本梨絵
 佐久間由衣
Workstyle ひとりだからできたこと。
 曽我貴彦 宮後優子 倉橋孝明
Miri Masuda 益田ミリの、ひとりの時間。
What were in Their Minds? あの人が、ひとりで考えたこと。
 ヘンリー・D・ソロー スーザン・ソンタグ 森茉莉 篠田桃紅 星野道夫
My Peaceful Time 私の、静かな時間の過ごし方。
 加山幹子 宮田・ヴィクトリア・紗枝 関田四季 大塚寧々 花楓 溝口実穂 高橋周也
 村田明子 山根佐枝 白石聖 山口恵史
Celebrities in Peace あの人が愛した、静かな時間。
 篠田桃紅 いわさきちひろ パブロ・ピカソ 熊谷守一 高村智恵子
Soothing Stories 心を鎮める読書案内。
 高山なおみ
Peaceful Home 静かな暮らし。
 高木由利子 山下りか 濱田敦司 藤井繭子
Sounds of the Nature 自然の音を聴く。
 泊昭雄 大森克己 在本彌生 野川かさね 藤田一浩
Soothing Tunes 週末を静かに過ごすための音楽。

同じマガジンハウスさんから発行されている雑誌『& Premium』の増刊的な位置づけのようです。「私の好きな、ひとりの時間」をテーマに、これまでの本誌に載った記事からピックアップして1冊にまとめたと思われます。書き下ろし的な部分もあるかもしれませんが。

智恵子が取り上げられている「Celebrities in Peace あの人が愛した、静かな時間。」は『& Premium』の第97号(令和3年=2021)に掲載されました。
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そちらをお読みになっていない方など、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨十八日は午前中挨拶まはり。午後小屋にゆきて火を焚いて一人障子張りにかかり、屋根に音を立てて落ちる栗をやいてたべました。静寂きはまりなく神気澄みて無上の歓喜をおぼえました。


昭和20年(1945)10月19日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

2日前、花巻郊外旧太田村に移住し、近くの(といっても1㌔弱離れていますが)分教場に寝泊まりしながら山小屋の造作にかかっていました。ちょうど光太郎の大好物だった栗の実の落ちる頃で、早速、囲炉裏の火で焼いて食べたとのこと。

都内から演奏会情報です。

歌曲個展+5 ドイツロマン派の歌曲――残照の時――

期 日 : 2023年12月16日(土)
会 場 : やなか音楽ホール 東京都台東区谷中3-23-8
時 間 : 14:30開場 15:00開演
料 金 : 一般3,500円 学生2,000円 全席自由

曲 目 : 
 リヒャルト・シュトラウス
  4つの最後の歌 Vier Letzte Lieder
 フーゴ・ヴォルフ
  ミケランジェロの詩による3つの歌曲 Drei Lieder nach Michelangelo
 ヨハネス・ブラームス
  4つの厳粛な歌 作品121 Vier ernste Gesänge Op.121
 ロベルト・シューマン
  暁の歌 作品133 Gesänge der Frühe Op.133(ピアノ独奏)
 根本卓也
  組曲『智恵子抄』(新作初演)

出 演 :
 ソプラノ 坂口真由  バスバリトン 牧山亮  ピアノ 蓜島啓介

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当方は寡聞にして存じ上げませんが、根本卓也氏という作曲家の方による組曲「智恵子抄」がプログラムに入っています。氏のHPには「こちらは、以前《亡き人に》という題で発表した重唱曲に、ソプラノ・バスバリトン・ピアノそれぞれのソロ曲を一曲ずつ足す形で組曲にしました。詩は全て高村光太郎の『智恵子抄』から採っています。」とのこと。そういえば昨年でしたか、他の演奏会で正規のプログラムではなくアンコールで「亡き人に」が演奏された、的な記述をSNSで見たような気がしています。

それから「おやっ」と思ったのが、「ミケランジェロの詩による3つの歌曲」。ロダンと共に光太郎が終生敬愛し続けた、あのミケランジェロが詩を書いていたというのは存じませんでした。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。残念ながら当方、この日は法事が入っておりまして伺えませんが。

【折々のことば・光太郎】

午後二時頃分教場に到着、今晩は分教場に宿泊、明日よりだんだんに小屋の整備にかかります。


昭和20年(1945)10月17日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

約1ヶ月厄介になった、花巻病院長・佐藤隆房宅を出て、旧太田村山口地区に入りました。既に村民らの手で鉱山の飯場小屋が移設されていましたが、内部の造作等は未完成で、ここからまた1ヶ月は旧太田小学校山口分教場に寝泊まりしながら自分で大工仕事をしました。ちなみに光太郎に太田村移住を勧めたのは、山口分教場の教師・佐藤勝治でした。

ここから7年間に及ぶ太田村での暮らし。当初は若い頃からの夢だった北方の僻村での生活の実現、文化集落の建設といった無邪気な夢想の部分がありましたが、自らの戦争責任の省察が進むとともに、徐々に「自己流謫」(流謫=流罪)へと変容していきます。

光太郎と交流の深かった詩人の尾崎喜八について、『毎日新聞』さんから。

山は博物館  博物学で人引きつけた尾崎喜八 戦後「隠棲」の富士見高原で

 以前登って感動した八ケ岳の裾野、富士見高原(標高約1000メートル)で、「晩年の落日のやうな生を託すると、どうして考へ得たであらう」。詩人の尾崎喜八(1892~1974年)は太平洋戦争に協力する作品を書いたことを悔やみ、非難もされて「恥を忍び、をもてを伏せて影のやうに生きて来た」。戦後、「隠棲(いんせい)」のつもりで長野県富士見村(現富士見町)に移り住んだが、自然全体を対象にした博物学の知識が人々を引きつけ、地域が放っておかなかった。
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 尾崎は若い頃、高村光太郎の詩の「権威や世俗への反逆精神に心酔」。理想主義、人道主義の白樺派と交流し、平和主義のフランス人作家、ロマン・ロランにも傾倒した。最初の詩集「空と樹木」を30歳の1922年に出版して以降、自然を題材にした作品を次々発表した。満洲事変翌年の32年、「新戦場」で<砕かれた頭、穴のあいた、みじめな胸。それぞれの労苦の母の最愛のものだつた。吾々(われわれ)を護国の鬼などと云(い)ふのはやめてくれ>と、反戦作品も世に出した。
  一方、30代で登山を始めた。35年7月出版の文集「山の絵本」は長野県の蓼科(たてしな)山への紀行文などを収め、地質や地形、樹木や草花、鳥、チョウなど自然を優しく情景描写。人との柔らかな交流も描き、名著とされる。 
   ヒューマニストとみられたが、変わる。42年10月、詩集「此(こ)の糧」を発表。同名の詩は<大君の墾(はり)の広野に芋は作りて、これをしも節米の、混食の料(しろ)とするてふ忝(かたじけな)さよ>と銃後の姿勢を説いた。「シンガポール陷落」は<汝等(なんじ)が最後の牙城ここに潰(つぶ)ゆ。これ天の時、天の理なり>、「特別攻撃隊」は<此の敵一挙に斃(たお)さずんば皇国(みくに)危しの至誠に燃えて征(い)つたのだ>と勇ましい。44年3月も詩集「同胞と共にあり」を発表。「第二次特別攻撃隊」「学徒出陣」などを入れた。
 45年4月、空襲で東京の家が焼け、終戦を挟んで転居を繰り返した。縁故により富士見高原の山荘「分水荘」に夫婦で着いたのは、54歳の46年6月。随筆などで戦時を振り返り、「同胞への力づけや慰めとして書いた詩。一生の恨事。体と心とだけで黙々と働けば良かった」。富士見では「貧窮に洗われ、孤独の味を嚙(か)みしめ生きた。当然のむくい」。さらに「『武器を取れ!』の喇叭(らっぱ)に身をふるわせ、調べを合わせた。不幸への共犯者。忘れ去られ、無名に生きたかつた」。
 だが、村人は慕い、近付いた。孫の石黒敦彦さん(71)は「博物学の知識が引きつけた」と指摘する。その象徴が、詩「老農」にある。尾崎は植物や鳥に詳しいと連れが紹介すると、老農は<流れにゆらいでゐる白い花の水草を抜いて示した。「梅花藻ですね」と私が言ふと、目を細めてうなづいた>。たやすく答えて感心され、自宅に招待されると、書棚に図鑑や入手困難な植物学の翻訳本が並んでいた。教養ある「そんな土地柄が祖父を受け入れた」と石黒さんは話す。
 尾崎の方でも<人の世の転変が私をこゝへ導いた>で始まる詩「土地」の注釈で、「山国の信州で人は自然の支配に従順で、そこから生活の知恵を生み、勤勉と忍耐と持久と好学の精神を学び養う。それ故(ゆえ)に土地と人々とを愛さずにはいられなかった」と書いた。
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 多くの人が分水荘を訪れては話を聞き、尾崎は時に散策に誘い出した。村民の一人は「(自然を)観察され、一篇(いっぺん)の詩が熟していたのかも知れない」と回想している。尾崎は特に、各種の植物と鳥、チョウを詠み込んだ。「落葉」は<ひろびろと枯れた空の下で白樺や楡(にれ)の葉がたえまもなく散つてゐる>、「足あと」は<けさは 森から野へつゞく雪の上に、堅い水晶を刻んだやうな一羽の雉(きじ)の足あとを見つけた。それで私の心が急にあかるくなつた>、「復活祭」は<枯草(かれくさ)の上を越年(をつねん)の山黄蝶(やまきちょう)がよろめいて飛ぶ。森の小鳥が巣の営みの乾いた地衣や苔(こけ)をはこぶ>と歌った。 石黒さんは「博物学と詩の融合が祖父の特質だ」とも指摘する。例えば「巻積雲(けんせきうん)」。雲の造型に美しさを見いだしたのも尾崎の特長だ。いわし雲とも呼ぶその雲から物理学の「クラドニ図形」を連想。鉄板への振動の与え方により、上にまいた粉がさまざまな模様を描く現象に発想を広げた。これらの作品は、戦後の代表作で55年2月出版の詩集「花咲ける孤独」に収めた。 田舎暮らしを長女に心配された尾崎は52年11月、7年住んだ富士見から東京に転居したが、その後も信州を訪れた。県内を中心に数十の校歌も作詞し、歌い継がれている。分水荘は既に解体され、跡地は「ふじみ分水の森」として開放されている。
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最晩年を過ごした北鎌倉の明月院にある尾崎喜八の墓

戦時中に翼賛詩文を大量に書き、戦後はそれを悔いて信州の僻村でしばらく蟄居生活。そして村人との心温まる交流……花巻郊外旧太田村の山小屋に7年間隠棲した光太郎と共通します。

ただ、現代、光太郎の太田村での生活の意味等、広く知られているとは言い難い状況です。こういうと何ですが、ましてや知名度の点で尾崎のそれはさらに知られていないと思われます。

そうした意味ではこういう記事、ありがたいところです。ちなみに『毎日新聞』さん、同じ「山は博物館」という連載では、先月8日に光太郎の隠遁生活について「光太郎「岩手の山」に自ら流刑 己の戦争詩に「暗愚」見る」として紹介して下さいました。反論に耳を貸さないつもりもありませんが、それに対して「単に若い頃からの夢だった山暮らしをしたかっただけ」などという浅い見方しかしない輩も多く、辟易しているのですが……。

浅い見方といえば、明後日は12月8日、太平洋戦争開戦の日で、毎年、SNS上で幼稚なネトウヨが光太郎の翼賛詩の一節を掲げて喜んでいます。彼らは戦後の光太郎の真摯な反省などには目もくれません。何なんでしょうね……。

【折々のことば・光太郎】

昨日は亡父の祥月命日なので松庵寺で心ばかりの法要を営みました。佐藤夫人も参詣してくれました。今この部屋でも線香の匂をなつかしく感じてゐます。

昭和20年(1945)10月10日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

松庵寺さんは花巻市双葉町に健在の寺院。光太郎所縁の寺として門前に説明板を掲げて下さっています。

ここで亡父・光雲と、同じく10月が命日だった智恵子の法要を営んでもらいました。8月にも松庵寺さんで起請文をもらった光太郎、おそらくその2日間の出来事を合成し、詩「松庵寺」を書きました。

   松庵寺
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 奥州花巻といふひなびた町の
 浄土宗の古刹松庵寺で
 秋の村雨ふりしきるあなたの命日に
 まことにささやかな法事をしました
 花巻の町も戦火をうけて
 すつかり焼けた松庵寺は
 物置小屋に須弥壇をつくつた
 二畳敷のお堂でした
 雨がうしろの障子から吹きこみ
 和尚さまの衣のすそさへ濡れました
 和尚さまは静かな声でしみじみと
 型どほりに一枚起請文をよみました
 仏を信じて身をなげ出した昔の人の
 おそろしい告白の真実が
 今の世でも生きてわたくしをうちました
 限りなき信によつてわたくしのために
 燃えてしまつたあなたの一生の序列を
 この松庵寺の物置御堂の仏の前で
 又も食ひ入るやうに思ひしらべました

昭和16年(1941)、太平洋戦争開戦直前に出版された『智恵子抄』のために書き下ろされたと推定される「荒涼たる帰宅」以後、ほぼ翼賛詩一辺倒で、発表された詩に智恵子が謳われることはありませんでしたが、戦争も終結し、再び智恵子が詩の世界に戻ってきました。

光太郎に私淑し、そのDNAを受け継いだ彫刻家の一人、佐藤忠良について『読売新聞』さんから。

御堂筋から撤去されて5年、彫刻家・佐藤忠良の作品はどこへ…市が展示場所模索

002 大阪市のメインストリート・御堂筋に展示されていた彫刻家、佐藤 忠良ちゅうりょう 氏(1912~2011年)の彫刻作品が撤去され、約5年間、眠ったままになっている。市が設置を依頼していたビル所有者の要望で撤去した後、展示先が見つからないためだ。他の28作品は御堂筋に並ぶが、唯一見られない状態で、関係者からは「素晴らしい作品。新たな場所を早く見つけてほしい」との声が上がる。

今は美術館の一室に…
 市は1992年、格調高いまちづくりを進めようと、「御堂筋彫刻ストリート」事業を開始。2009年までに、企業などからルノワールや高村光太郎ら、いずれも著名な芸術家らの彫刻29作品の寄贈を受け、御堂筋の淀屋橋―心斎橋間(約2キロ)沿いの市有地歩道や、民間のビルの一角に設置した。
 このうち撤去されたままとなっているのは、佐藤氏の「布」(高さ70センチ)。左手に布を持つ裸婦の像で、評価額は1300万円とされる。市は、大和銀行(現・りそな銀行)から003寄付を受け、同行支店が入るビル所有者の協力を得て、1993年から心斎橋付近の御堂筋沿いに展示していた。
  しかし、2015年にビル所有者が代わり、16年に銀行の支店も別の場所に移転。この際、ビルの外装工事を実施するため、所有者が作品の移動を市に求めた。
 市は現状維持を求めたが、工事に支障が出る恐れがあることなどを理由に断られ、18年夏に作品を撤去。市立美術館(天王寺区、休館中)の一室で保管されてきた。
 元々の場所付近で再設置を模索した市は、地元企業でつくる「御堂筋まちづくりネットワーク」(中央区)などに協力を依頼してきたものの、色よい返事は得られなかった。
 このため市は範囲を広げて探している。市幹部は「御堂筋の魅力を高めるため寄贈を受けており、御堂筋以外での設置は考えられない。なるべく早く探したいのだが……」と話す。
 一方、佐藤氏の作品100点以上を所蔵する佐川美術館(滋賀県守山市)の学芸員で、作品に詳しい馬場まどかさんは「高い価値を持つ作品を市民が見られないのは残念。市には柔軟に対応し、新しい場所を見つけてほしい」と求めている。

 ◆ 佐藤忠良= 宮城県出身で、戦後日本の具象彫刻を代表する彫刻家。素朴な女性像が有名で、「群馬の人」など数々の傑作を生み出した。ロングセラーの絵本「おおきなかぶ」の挿絵を描いたことでも知られる。

大阪御堂筋の彫刻群。記事にあるとおり、平成4年(1992)から設置が始まりました。第1号がロダンの「イヴ」。光太郎の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)のための中型試作」も「みちのく」の題で平成6年(1994)、旧三和銀行さんの寄贈によりラインナップに入りました。当方、2度ほど拝見に伺っています。最後は平成21年(2009)にザッキンの「女のトルソ」が設置され、全29体……のはずでしたが、逆に佐藤忠良の「布」が平成30年(2018)に撤去されてしまったそうで……。

これが光太郎と縁のあった忠良の作品だということで当方も報道に気がつきましたが、他の作家のものだと気づかなかったかもしれません。もっとも、忠良作品は御堂筋にはもう1体「レイ」という作があり、こちらは健在ですが。それにしても何だかなぁ……という感じですね。

御堂筋の彫刻群といえば、平成23年(2011)と令和2年(2020)、それぞれ謎の赤い服や花輪がつけられるという「事件」がありました。こういうと大阪の皆さんの気に障るかもしれませんが、この手のパブリックアートを軽んじる風土があるのでしょうか。
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もっとも、パブリックアートと称するものの中には、アートだかガラクタだか分からないと言われても仕方がないものも存在しますが。

ただ、今回報じられた「布」はとりあえず保存は為されているのでまだましですね。今年7月には、旧広島駅ビルの壁面を飾っていた、忠良と同じく光太郎と交流があってそのDNAを受け継いだ舟越保武の彫刻が令和2年(2020)にビルの建て替えに伴って廃棄されていたという件が報じられました。この報道に接した時は腹が立つやら情けないやらでした……。

ちなみに忠良と舟越は親しい間柄で、二人による対談集には光太郎について語り合っている部分があったりします。

二人の間には他にも光太郎がらみの共通点が色々。

まず、二人とも「高村光太郎賞」の受賞者です。同賞は最初の『高村光太郎全集』(筑摩書房)の印税を原資に、昭和33年(1958)から10年間限定で造型と詩二部門で開催されました。忠良は昭和35年(1960)の第三回、舟越は同37年(1962)の第五回受賞です。

二人の合作的なモニュメントも。北海道釧路市の幣舞(ぬさまい)橋です。二人、ではなくやはり光太郎のDNAを受け継ぐ柳原義達(第一回高村光太郎受賞者)、本郷新(高村光太郎賞選考委員)も加わった四人の合作で、光太郎の「乙女の像」へのオマージュ的な意図も見え隠れします。ちなみに本郷に関してはネット上などでなぜか「高村光太郎に師事」という記述が為されることが多いのですが、光太郎は弟子という弟子は一切取りませんでした。アドバイス程度は受けたのでしょうが、「師事」という語は使わないでいただきたいものです。

また、忠良の息女は女優の佐藤オリエさん。昭和45年(1970)にTBS系テレビで放映された「花王愛の劇場 智恵子抄」で、智恵子役を演じられました(光太郎は故・木村功さん)。そこで忠良はオリエさんをモデルに「智恵子抄のオリエ」という彫刻も残しています。
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舟越の息女は、絵本編集者の末盛千枝子さん。漢字は異なりますが、光太郎に「ちえこ」と名付けられました。当方、オリエさんとは面識がありませんが、末盛さんとはたびたびお会いしています。そこで前述の広島の報道にはなおさら心が痛みました。

そして御堂筋。舟越の彫刻も御堂筋彫刻ストリートに設置されています。忠良、舟越、光太郎の作品が野外で同時に見られるのはここだけではないでしょうか。

御堂筋、将来的には車道を廃し、すべて歩行者用道路とする計画もあるやに聞きます。その際には(できればそれを待たずに)、忠良作品「布」もしかるべき場所に再設してほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

智恵子のお墓、お詣りして下さつたさうでまことにありがたく存じます。おまけに大変な風雨の日であつたさうで尚更忝く存じます。墓所も何も今では見廻る家人もなく荒れ果ててゐることと心苦しく存ぜられます。五日には花巻でも雨でしたが、智恵子の切抜絵の額の前へ心ばかりの線香を焚き、お茶を上げ、林檎や茸を供へたのみでした。


昭和20年(1945)10月9日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

10月5日の智恵子命日に関わります。「智恵子のお墓」、というか髙村家の墓所は染井霊園ですが、この時点では光太郎に代わって髙村家を継いだ実弟・豊周の一家は疎開先の長野からまだ戻っていませんでした。

翌10日には、花巻町中心街の松庵寺で、父・光雲のと併せて法要をしてもらいます。

当会の祖、草野心平。今年生誕120周年を迎えて、地元福島では様々に顕彰活動等が行われました。そんな中から、地方紙『いわき民報』さんが組んだ「草野心平生誕120周年特集」 が、「ふるさと新聞アワード優秀賞」に輝いたとのこと。

まず先月7日の同紙報道。

いわき民報「草野心平生誕120周年特集」 ふるさと新聞アワード優秀賞

 メディア業界紙「文化通信」を発行する文化通信社(東京都千代田区、山口健代表取締役)が主催する「ふるさと新聞アワード」の第3回の受賞記事が決まり、いわき民報元日号掲載の「草野心平生誕120周年記念特集」と、心平も利用したJR小川郷駅の駅舎解体にかかる一連の報道が、「ひと」(一部「もの」)部門で優秀賞に輝いた。同部門での受賞は3年連続となる。
 文化通信社が創業75周年に合わせて、一昨年に創設した賞で、地域紙の持つ〝地域ジャーナリズム〟を全国に発信するとともに、各紙の権威と価値の向上、記者のやりがいにつなげるために毎年開催している。
 各分野で活躍する著名な外部審査員が記事を選考しており、今回も昨年と同様に、歴史家・作家の加来耕三、放送作家・脚本家の小山薫堂、中川政七商店会長の中川政七、温泉エッセイストの山崎まゆみ、ディスカバー・ジャパン代表取締役社長の高橋俊宏・各氏が参加した。18紙から寄せられた約200本の記事をまず、社内選考で各部門10本に絞った後、外部審査員が投票して各賞を決めた。
 優秀賞を受賞した正月版の特集は、今年生誕120周年を迎えた小川出身の詩人草野心平の偉業を振り返る内容で、心平の縁戚で弊紙連載「雜学ゼミナール」を担当する関内幸介さんをはじめ、市立草野心平記念文学館の学芸員、いわき地域学會の吉田隆治顧問、心平が立ち上げた「歴程」同人の齋藤貢氏らがテーマごとに、作品の魅力や人となりに迫った。
 また、心平が利用した往時の姿を残すJR小川郷駅の木造駅舎について、解体へとかじを取るJR側と保存を模索する住民たちの話し合い、解体を惜しむ声や、本紙の報道をきっかけに、福島高専の布施研究室がデジタルアーカイブを作成するなど、一連の動きを追った報道も合わせて受賞対象となった。
 審査員の高橋氏は、受賞作について「地元の偉人を『ゆかりの地域ならでは』の切り口で深掘りできるのが地域紙の強み。草野心平を丁寧にひもといた筆致はさすがだと思った」などと評価。個人的に天山文庫を訪れたこともあるといい、「(正月号は)そのロケーション、建物の佇まいに大感動したことを思い出しながら読ませていただいた」とコメントした。
 今回グランプリを受賞したのは、和歌山県新宮市の地方紙「熊野新聞」の記事「嗚呼壮絶かな、観光合戦!!」。表彰式は12月1日、東京都台東区の東天紅上野本店で行われる。

続いて表彰式に関して、やはり同紙から。

ふるさと新聞アワード表彰式 いわき民報社の草野心平特集に優秀賞

 メディア業界の専門紙「文化通信社」(東京都千代田区、山口健代表取締役)主催の第3回「ふるさと新聞アワード」の表彰式が1日、東京都台東区の東天紅上野本店で開かれた。Google News Initiative、PR TIMESの協賛。
 同アワードは同社創業75周年を記念し、2021(令和3)年から設けられた。地元に根差しながら社会、経済、文化などを日々伝える中で、独自の視点で掘り下げた優れた記事を表彰し、その努力に光を当て、地域紙の存在を広く発信することを目的にしている。
 いわき民報社は、今年の元日号(1月1日付)に掲載した「草野心平生誕120周年記念特集」が、「ひと」部門の優秀賞に選ばれた。この特集では、元市立草野心平記念文学館副館長の関内幸介さん、市教育文化事業団の渡辺芳一さん、同館専門学芸員の長谷川由美さん、同学芸員の馬目聖子さん、小泉屋文庫主宰の緑川健さん、いわき地域学會前代表幹事の吉田隆治さん、いわき賢治の会会長の小野浩さん、「歴程」同人の斎藤貢さんらの執筆協力を得て、紙面構成するなどあらためて郷土が生んだ、詩人草野心平の業績などを紹介した。
 審査員の高橋俊宏ディスカバー・ジャパン代表取締役は「地元の偉人をゆかりの地域ならではの切り口で、深掘りできるのが地域紙の強みである。草野心平を丁寧にひもといた筆致は、さすがだと思った。かなり力を入れて作られたことをひしひしと感じた」と評している。
 いわき民報社は、2021年に「シリーズ震災10年―未来へのメッセージ」が「ひと」部門最優秀賞、2022年に「『最後の詩』など直筆を紙面公開」が「ひと」部門最優秀賞、「常磐炭礦に女子野球チームの活躍」が同優秀賞を受賞している。
 表彰式には約30人が出席し、山口社長が「地域紙には、まだまだ大きな可能性を持っている。今後もこの取り組みを続けていきたい」とあいさつ。いわき民報社は、鈴木淳代表取締役社長が表彰状を受け取った。
 グランプリは、地元の鉄道路線の赤字状況を起点に、熊野の観光、交通の活性化などのヒントを探った熊野新聞(和歌山県新宮市)「嗚呼!!壮絶かな、観光合戦!!」が選ばれた。
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当該記事「草野心平生誕120周年特集」は今年元日の正月版に載ったものだそうですが、光太郎の名も記されていました。
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草野心平生誕120周年特集

 1903(明治36)年、卯年の5月12日、後に「蛙の詩人」として知られる草野心平は、5人きょうだいの二男として福島県岩城郡郡上小川村(現いわき市小川町)に産声を上げた。
 実祖父は渋沢栄一を師に仰ぎ、自由民権運動家の河野広中と親交のあった実業家で政治家の白井遠平。父親が叔父に養子入りした縁から、義理の祖父母に育てられた。幼少時は腕白で癇が強い子供だったというが、県立磐城中学校(現磐城高校)を中退し上京後、慶應義塾大をへて中国に渡り、詩や短歌を志す。
 酷い貧困を味わう中で新聞記者、屋台の焼き鳥屋、出版社の校正係などで食い扶持(ぶち)を繋(つな)ぎ、28(昭和3)年初の活版印刷の詩集「第百階級」を発表する。“ふるさと”への想いを心層深くに抱え、あらゆる人々とともに生きようという高い理想を掲げて蛙、富士山、天、石などを主題に次々と詩を生み出す一方、高村光太郎、萩原朔太郎、中原中也、北原白秋らと親交を深め、中央詩壇の発展に寄与。ふるさとで文学を志す猪狩満直、三野混沌、吉野せいとも心の会話を繰り返した。現在の日本詩壇に天才がゐるとしたなら、私はその名誉ある「天才」は宮澤賢治だと言ひたい――賢治を世に出すため、夭折後も力を尽くしたことは広く知られている。
 昭和59年にはいわき名誉市民、62年には文化勲章を受章。生涯1400篇余の詩を残したが、心平について語ることのできる市民はそう多くない。若い世代はなおさらだ。「『ケルルン クック。』の人だね」。国語の教科書に掲載されている「春のうた」で、かろうじて分かる程度か。本市にはいわき市立草野心平記念文学館をはじめ、全国に誇る心平ゆかりの財産が多く残る。生誕120周年を機に、あらためて心平が残した偉業を振り返り、後世に伝えていきたい。


写真は心平の村民の皆さんが建ててくれた別荘、川内村天山文庫で撮影されたもののようです。

引用部分は「特集」の冒頭ページの一部。おそらくこの他に複数ページあったか、その後、さまざまな切り口から「特集」の記事が掲載され続けたのではないでしょうか。上記表彰式の記事に「この特集では、元市立草野心平記念文学館副館長の関内幸介さん、市教育文化事業団の渡辺芳一さん、同館専門学芸員の長谷川由美さん、同学芸員の馬目聖子さん、小泉屋文庫主宰の緑川健さん、いわき地域学會前代表幹事の吉田隆治さん、いわき賢治の会会長の小野浩さん、「歴程」同人の斎藤貢さんらの執筆協力を得て、紙面構成」とあり、それぞれご執筆なさったのではないかと思われます。このうち半数程の方は当会主催の連翹忌にもご参加下さったことがおありです。

ちなみに昨年のこの賞では、同紙の心平がらみの記事が最優秀賞を受賞なさっていました。光太郎の名が出て来なかったので気づきませんでしたが。

心平の未発表にしておそらく最後の詩の発見についてで、『福島民報』さんなどでは今年に入ってから報じられていました。

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今後とも心平顕彰の一翼を担っていっていただきたいものです。心平は当会の祖ですので、当方も及ばずながら力をお貸ししていかねばならないのですが。

【折々のことば・光太郎】

お言葉の通りおなじみ深かつた駒込林町の拙宅もつひになくなり、あの当時を偲ぶよすがも消え去りました。小生はそのうち近村の山中に移住して開墾と仕事とに専念する気です。小屋も九分通り出来上りました。新文化の創造に努めます。厳寒零下二〇度の由ですが、冬に強い小生の事とて大に意気込んでゐます。 東京へはめつたに出かけないでせう。


昭和20年(1945)10月2日 日野岩太郎宛書簡より 光太郎63歳

心平も足繁く訪問した駒込林町のアトリエ兼住居は4月13日の空襲で灰燼に帰し、花巻の宮沢賢治実家に疎開。戦後になっても、結局「めつたに」どころか7年半も上京せずにいました。

光太郎第二の故郷・岩手県花巻市で光太郎顕彰活動にあたられているやつかの森LLCさん。同市土沢にあるレストラン・ワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としておおむね月に一度出店なさっています。一般の皆さんが店の調理場を借りてランチを作り、それを販売するというシステムなので「ワンデイシェフ」というわけです。

11月28日(火)に「こうたろうカフェ」出店があったということで、画像等送っていただきました。
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光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、光太郎に親しんでもらおうという取り組みです。

今回のメニューは下記画像の通り。
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「新米ご飯」、「キャッシュトースト」、「鮭のムニエル」、「野菜畑のローストチキンテリーヌ」、「ごぼうチップス」、「ミネストローヌスープ」、「シュークルート風浅漬け」、デザートに「焼き林檎のアイスクリーム添え」(林檎は光太郎の暮らした山小屋近くの林檎園のもの)、「アメリカンコーヒー」だそうで、いつもながらバラエティーに富んでいますね。早めのクリスマスバージョンというコンセプトだそうです。

予約ががっつり入り、過去最高の42食、スタッフ分を併せて51食分を作られたとのこと。今年は鮭が不漁ということで、中々手に入るめどが立たず苦労なさったそうでした。

いつも書いていますが、「食」へのこだわりも一方ならぬものがあった光太郎、その方面からのアプローチも大切なことです。

現地ではこれから雪深い季節となるため、「こうたろうカフェ」としての出店はしばらくお休み、次回は3月だそうです。その間にこれまで(5月から計7回行われたそうで)の検証と今後のメニュー作りに当たられるとのことですが、もう予約が入っているそうで、盛況ぶりが何よりです。

再開後のさらなる飛躍を期待します。

【折々のことば・光太郎】

太田村には今小屋が建ちつつあります。うしろに山を負ひ、前に山清水がわき、畑と林とに囲まれたところ。開墾が楽しみです。明日又検分にゆきます。人情実に純朴。ほんとの日本の山村です。稗とおジヤガを主食として小生もやります。山羊を飼つて栄養と肥料をとります。山には兎が多く、これから茸で一ぱいのやうです。


昭和20年(1945)9月15日 小盛盛宛書簡より 光太郎63歳

約1ヶ月後の10月17日に太田村に移り、しばらく山口分教場の宿直室に寝泊まりしながら小屋の造作を整え、独居生活を始めます。

山羊を飼ったり兎を捕ったりということは実現しませんでしたが、野菜類の自給自足(ほぼ、ですが)、茸や山菜などの採集は実際に行われました。

師走に入り今更感がありますが、妻と共に一昨日に行って参りました紅葉狩りのレポートを。

行き先は隣町の成田山新勝寺さんとそちらに付随する成田山公園。先々週くらいに放映されたチバテレさんのローカルニュースで「紅葉が見頃を迎えました」的なのがあり、行ってみようかと。

車を駐める都合も考え、まずは成田山公園。さっそくいい感じに木々の葉が色づいていました。
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成田山公園といえば園内に書道美術館さんがあり、平成26年(2014)に与謝野晶子の書を拝見に伺いまして、それ以来でした。

さらに成田山公園といえば、明治末に吉原の娼妓・若太夫を巡って光太郎とすったもんだのあった小説家・木村荘太がここで自裁しました。昭和25年(1950)のことでした。同行した妻にはそんな話をするのも何なので黙っていましたが。

公園を通り抜けると、裏手から新勝寺さんの境内に入ります。こちらにも紅葉した木々がそこここに。
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実は当方、隣町に住んでいながら新勝寺さんにお参りするのは初めてでした。信心深さに欠けるもので(笑)。

ただ、以前からこちらの釈迦堂という堂宇は見てみたいと思っておりましたので、この機会に。元々は本堂だったものです。
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こちらが何なのかといいますと、光太郎の父・光雲の『光雲懐古談』(昭和4年=1929 万里閣書房)中に「成田不動と其堂羽目彫刻」という章があって、こちらの外壁に施された五百羅漢のレリーフを写真入りで紹介していますし、他の章でも触れられています。こりゃ一見の価値はあるな、というわけで。
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その五百羅漢像がこちら。
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作者は松本良山。光雲が師事した高村東雲のさらに師・高橋鳳雲らと共に江戸三代仏師の一人に数えられた名工です。確かに見事ですね。

他に「二十四孝図」。こちらは『光雲懐古談』では触れられていませんが、島村俊表という彫物師の作。やはり江戸期の作です。
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さらに他の箇所にも見事な彫り物。作者はよく分からないのですが。
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他の堂宇にも。

一切経堂。
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三重塔。キンキラキンですが、現代のものではなく江戸中期の建築で重要文化財です。
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それから、彫刻とは関係なく、現代の建物ですが、光輪閣。大人数での行事等を行うための施設です。
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中に480畳の大広間があり、そちらの襖絵は、親しくさせていただいている女優の一色采子さんのお父さまにして、同郷の智恵子をモチーフにした絵も複数描かれた故・大山忠作画伯の手になるものです。たまに公開している場合があり、あわよくばと思って行ってみたのですが、やはり非公開でした。

ちなみに襖絵の一部はこんな感じ。分割民営前の郵政省時代、昭和の終わりか平成の初め頃発行された40円絵葉書10枚セットです。
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最初と最後にあしらわれた絵は新勝寺さんの所蔵ではありません。最後が舞台「智恵子抄」で智恵子を演じられた有馬稲子さんを描かれたもの。これが入っていたので購入しました。

ちなみに一色さんのフェイスブックを見ましたところ、来年秋に一般公開が為されるそうでした。その頃また行ってみようと思っています。
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その後、門前に出て昼食。参道も当方の好きな古建築が随所に残り、いい感じです。右下は旅番組、散歩番組などでよく紹介される老舗のうなぎ屋・川豊さん。ここでは食べずに安い蕎麦での昼食でしたが(笑)。
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平日にもかかわらず、善男善女(当方は違いますが(笑))の皆さんで賑わっていました。

自宅兼事務所の庭でも、一本だけある楓が色づいています。
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北国ではとっくに終わっていると思いますが、やはり房総は温暖なのですね。

というわけで、来週末ぐらいまではまだ紅葉が見られるでしょう。成田山、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

太田村にはまだ小屋が建ちません。村の人が営林署から山小屋の小さなのを払下げてもらつてそれを移したいとしてゐるやうです。丸太と藁の小屋よりも雪に強い方がよいといつてゐます。雪は四尺以上のやうな話で、零下二十度といふ事です。小生初めての経験なのでたのしみです。小生の耐寒力のいいためしになります。

昭和20年(1945)9月12日 水野葉舟宛書簡より 光太郎63歳

成田郊外三里塚に隠棲していた水野葉舟宛書簡から。山小屋の図面が書き込まれていました。おおむねこの通りの造作となりました。
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山形県から朗読イベントの情報です。

第3回読書会「声に出して読みたい日本語 part2」

期 日 : 2023年12月6日(水)
会 場 : 大石田町町民交流センター虹のプラザ 山形県北村山郡大石田町緑町28
時 間 : 午前10時~11時30分
料 金 : 無料

コロナ禍により長期間お休みしていた読書会を今年度から再開しています! ベストセラー『声に出して読みたい日本語』に紹介されている有名な作品を、みなさんで一緒に読んでみませんか。 今回の読書会では、気軽に音読をしながら、宮沢賢治の童話や川端康成の小説の一部、高村光太郎の詩を味わいます。

『声に出して読みたい日本語』(齋藤孝著、草思社刊)で紹介されている文学作品の一部を取り上げ、参加者で感想を交わしながら読みあいます。図書館担当者から作者や本の紹介等もあります。

 ・宮沢賢治 風の又三郎ほか「どっどどどどうどどどうどどどう」
・川端康成 伊豆の踊子ほか「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に」
・高村光太郎 道程「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
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『声に出して読みたい日本語』(平成13年=2001 草思社)は、NHKさんの「にほんごであそぼ」の監修もなさり、昨年ご紹介した『齋藤孝の小学国語教科書 全学年・決定版』など、この手の書籍等を随分出されている齋藤孝氏の編著です。当方、CDブック版(平成15年=2003)を持っています。
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平成3年(1991)、NHKさんで放映された単発の2時間ドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で光太郎役を演じられた小林薫さん(智恵子役は佐久間良子さんでした)が「道程」を朗読されています。

同町、朗読に力を入れているようで、12月14日(木)には「宮沢賢治 朗読の夕べ」なども企画されています。
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お近くの方等、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

火事のあとは少しずつ整理され、そちこちに小屋が建てられ始めました。高台から眺めると白い屋根や羽目板が目立つて来ました。


昭和20年(1945)9月12日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

「火事」は8月10日の花巻空襲によるものです。疎開していた宮沢賢治実家も燃え、光太郎は現在の市役所近くの佐藤昌宅を経て、宮沢家の人々が避難していた羅須地人協会のあった桜町に近い佐藤隆房邸に寄寓していました。

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