2022年11月

昨日に続き、11月20日(日)の『日本経済新聞』さんに掲載された「美の粋 パンの会 文学との響き合い(下) 高村光太郎、作家の主観を重視」という記事の後半をご紹介します。

美の粋 パンの会 文学との響き合い(下) 高村光太郎、作家の主観を重視 西洋の精神に加え父譲りの木彫技術

 「生の芸術」論争を見ても、様々な意見を持った芸術家たちが会する「パンの会」が談論風発な集まりであったことは想像に難くない。高村光太郎の創作に、そうした仲間たちとの交流が刺激を与えたのは間違いない。
 さらに大きな影響を与えた人物が身近に2人いた。1人目が木彫の大家で東京美術学校教授を務めた父・高村光雲(1852~1934年)、2人目が妻の高村(旧姓・長沼)智恵子(1886~1938年)である。
 「私が父の彫刻の仕事を承(う)けついでやるということは、誰も口に出して言わないうちに決って了(しま)っていたことだ」
 光太郎は「回想録」(「昭和文学全集」第4巻に所収)でそう記す。小学生の時に彫刻刀を譲られたことで、父・光雲の意志を感じたという。
 1897年(明治30年)、14歳のときに東京美術学校予備ノ課程に入学。日蓮をモチーフとした木彫「獅子吼(ししく)」は卒業制作、学校の展覧会では注目されたようだが、本人は「その頃は、何かそう言った風な文学的な意図のものでなければ承知出来なかった」(「回想録」)と記し、やむにやまれぬ思いだったと明かしている。
 教授や父の勧めで米欧に留学。その経験が帰国後に「芸術界の絶対の自由」を求めた評論「緑色の太陽」につながる。それは日本の美術界、彫刻界への挑戦状であり、対抗する相手には父・光雲も含まれていた。
 光太郎は雑誌で辛辣な美術評論を執筆するとともに、洋画家の斎藤与里、岸田劉生、萬鉄五郎、木村荘八らと美術団体「ヒュウザン会(後のフュウザン会)」を結成した。
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 油彩画「自画像」はこの頃に描かれた。「彫刻を作っても発表する場がない」として絵に力を入れていた時期という。光太郎は米国で知り合った荻原守衛に連れられ、東京・新宿のパン店、中村屋に出入りしていた。鋭い視線でこちらを見つめる男の表情は、旧態依然とした日本の彫刻界、美術界への怒りを示しているのかもしれない。
 彫刻では代表作「手」を発表して以来、6年ほどのブランクを経て発表したのは、「鯰(なまず)」「蟬(せみ)」などの木彫だった。「塑造は(粘土を重ねるという)足していく彫刻であるのに対し、木彫は削っていく彫刻。光太郎の木彫作品には父親譲りの刀のキレが感じられます」と藁谷収氏は話す。
 ロダンをはじめ西洋の精神を生かして日本の彫刻界に斬り込んだ光太郎。しかし、ブロンズの「手」に日本の伝統が見いだされるように、父・光雲から学んだ木彫の技術は、独自の彫刻を生み出すに至ったのだ。
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 一方、智恵子との出会いについて、光太郎自身は次のように記す。若太夫に振られた後も、東京・浅草の「よか楼」の女給・「お梅さん」に入れあげていたときのことだ。「私の前に智恵子が出現して、私は急に浄化されたのである」(「ヒウザン会とパンの会」)
 日本女子大学校(現・日本女子大学)卒で、1911年に平塚らいてうらが創刊した雑誌「青鞜」の表紙絵を描いた智恵子の登場で、光太郎の放蕩(ほうとう)は終わりを告げる。
 13年(大正2年)、光太郎は智恵子と婚約し、妻をモデルにして彫刻の勉強をする。しかし、幸せな日々は長くは続かない。31年(昭和6年)には智恵子の精神変調が明らかになり、翌年自殺未遂を起こす。38年、彼女は多くの紙絵を残し、52歳で亡くなる。
 終戦近い45年4月には東京のアトリエが空襲で炎上し、作品原型の多くを失う。同年10月からは現在の岩手県花巻市太田の小屋に移り、農耕自炊の生活を送る。
 「木彫作品をつくる材料は用意しながら、彫刻刀を振るおうとはしませんでした。戦争責任を感じていたからでしょう」と花巻高村光太郎記念会事務局長補佐の高橋卓也さんは語る。そこには戦時中、戦意高揚の詩を書いたことへの深い自省の念があった。
 再び彫刻制作に挑んだのが青森県から依頼を受けた「十和田湖畔裸婦像」だ。2人の女性が向き合うが、その顔は智恵子をモデルにしている。やはり彼女は光太郎のミューズだったのだ。
 明治末期から大正期に生まれた「パンの会」などのグループは海外からもたらされた芸術思潮が刺激となった。大切にされたのは作家の主観。「僕の後ろに道はできる」(「道程」)と詠んだ光太郎はその申し子といえる。

KEYWORD 高村山荘
 高村光太郎が晩年の七年間を過ごした岩手県花巻市太田の小屋。彼は詩人で童話作家の宮沢賢治が1933年に37歳で死去した後、全集や詩碑の建立に尽力した。その縁もあり、45年4月に東京のアトリエを焼け出された際は花巻市の宮沢家に疎開する。しかし、そこも空襲で焼失、移住した先が太田だった。
 小屋は木造平屋で板の間と土間だけの質素な作り。独居自炊の生活の中で、詩作や書の制作に専念した。「近くの小学校を訪れ、子供たちと交流しました。英字新聞も取り寄せており、地方にあっても世界とつながっていたのでしょう」と花巻高村光太郎記念会の高橋卓也さん。敷地内には高村光太郎記念館があり、彫刻や書などが展示されている。


前半に続き、限られた紙幅の中で、光太郎造型について要所要所のポイントを抑えた紹介をしていただきました。自称「研究者」の書くわけのわからない独断と事実誤認だらけの文章等とは比ぶべくもありません(笑)。『日経』さん読者の方の中には、この記事で「高村光太郎って、こういう人だったんだ」と初めて知られたという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

記事にある「藁谷氏」は、昨日ご紹介した前半部分で光太郎彫刻の解説をなさって下さった、岩手県立美術館館長・藁谷収氏です。

ちなみに最後に紹介されている花巻高村光太郎記念館さんでは、先週から企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」が始まっています。その設営作業の様子、展示に協力なさったやつかの森LLCさんのサイトから。
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今週末には当方、現地におもむき、展示解説のオンライン配信の収録に行って参ります。

【折々のことば・光太郎】

春暖の如し、 中西夫人にたのみ、吸入器をかふ、

昭和30年(1955)3月3日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核は呼吸困難も引き起こしていたようです。「中西夫人」は、起居していた貸しアトリエの大家。「吸入器」は、上記花巻高村光太郎記念館さんに、他の遺品と共に展示されているものではないかと思われます。

11月20日(日)、『日本経済新聞』さんの日曜版的なページに、2面ぶち抜きで光太郎が大きく取り上げられました。「美の粋」と題した連載の一環のようでした。

光太郎について、非常にわかりやすくポイントを抑えて紹介されています。長いので2回に分けてご紹介しますが、今日は芸術至上主義運動「パンの会」のメンバーとして活動していた青年期。

美の粋 パンの会 文学との響き合い(下) 高村光太郎、作家の主観を重視 メンバーの間で「生の芸術」論争

  「パンの会」発足は1908年(明治41年)12月である。彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956)は当時、パリ留学中だったから参加していない。加わるのは帰国した09年。雑誌「スバル」に評論などを発表したのが縁で、両方のメンバーだった詩人・歌人の木下杢太郎から誘われたとみられる。
 ブロンズ、木彫を手がける彫刻家であるとともに、「道程」(14年)、「智恵子抄」(41年)などで知られる詩人でもあった光太郎。彼自身は「私は何を措(お)いても彫刻家である。(略)彫刻を文学から独立せしめるために、詩を書くのである」(「自分と詩との関係」=「昭和文学全集」第4巻に所収)と記しているが、文学と美術の響き合いを目指した「パンの会」を一人で体現する存在といえるだろう。
 光太郎は、「ヒウザン会とパンの会」(同書に所収)で「パンの会」をこう振り返っている。
 「当時、素晴らしい反響を各方面に与え、一種の憧憬を以て各方面の人士が集ったもので、少い時で十五六人、多い時は四五十人にも達した」
 その文章では「失はれたるモナ・リザ」という詩のモデルとなった吉原遊郭の娼妓・若太夫との恋愛と別離についても触れている。彼女を光太郎から奪ったのは「パンの会」のメンバー、作家の木村荘太だった。
 10年に「スバル」に発表した光太郎の評論「緑色の太陽」は「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている」と記した。美術家が自らの信じるままに表現することを求めたこの文章は、日本に於ける印象派宣言として注目された。
 注目されるのは、そこで「パンの会」創設メンバー、洋画家・版画家の石井柏亭に言及していることだ。光太郎は柏亭が重視する「地方色(ローカルカラー)」、すなわち日本の絵が持つ独自性の存在は認めるが、そこに価値は認めないと主張する。
 論争のきっかけは、洋画家の山脇信徳が09年の第3回文部省美術展覧会(文展)に出品した「停車場の朝」。クロード・モネ「サン・ラザール駅」を思わせるこの絵を、陶芸家のバーナード・リーチ、作家の永井荷風らは高く評価したが、柏亭らは認めなかった。
 光太郎は「『天の光』を写そうとする努力が尊い」と山脇を弁護したが、柏亭は美術・文芸雑誌「方寸」で反論する。それへの再反論が「緑色の太陽」だった。光太郎は「DAS LEBEN(生命)の量」で絵を評価したいと記す。その後、杢太郎や作家の武者小路実篤らを巻き込んで繰り広げられた議論は「生の芸術」論争と呼ばれた。
  光太郎が山脇の絵以上に「生の芸術」だと捉えていたのは10年に30歳で亡くなった荻原守衛(碌山)の彫刻だ。碌山は留学中にフランスの彫刻家オーギュスト・ロダンに会った。光太郎は碌山の作品に長年敬愛するロダンと同じ魂の輝きを感じていたのだろう。
 光太郎は武者小路や作家の志賀直哉らが10年に創刊した文芸・美術雑誌「白樺(しらかば)」でロダンを紹介する。
007 「光太郎は日本の近代彫刻の扉を開いた一人です。対象をアウトラインとして表現するのではなく、かたまりとしてどう捉えるかを重視した。『私』の中で確認するという感覚的な手法はゴッホからの影響が感じられます」。彫刻家でもある岩手県立美術館館長の藁谷収さんはそうみる。
 5本の指がそれぞれ異なった曲がり具合、伸び具合を示す左手を表現した「手」は光太郎の代表作の一つだ。その絶妙なかたちによって「手という本来は表面的なものを題材に立体的な彫刻を生み出しています」(藁谷さん)。
 その独特な形は作家の強い意志や内に秘めた生命力を感じさせ、ロダンの思想をうかがわせる。一方で手のひらなどの滑らかな部分には木彫からの影響が見られ、光太郎自身も仏像の印相の一つである施無畏印をヒントに東洋的技法で近代的感覚を表現したと語っている。東洋と西洋の折衷が光太郎独自の彫刻を生み出したわけだ。
 文展で活躍し、東京美術学校(現・東京藝術大学)教授を務めた彫刻家・朝倉文夫とは、光太郎の朝倉への歯に衣(きぬ)着せぬ批評もあり、微妙な関係にあったとされる。もっとも生前作られた「手」のうち1体を所有していたのは朝倉。光太郎をひそかにライバル視していたのだろう。

後半は「西洋の精神に加え父譲りの木彫技術」と題し、ロダンへの感化以前から、光太郎彫刻のバックボーンとして身体にしみ込んでいた伝統的木彫技術、それを叩き込んだ父・光雲との関わりが紹介されます。また、光雲と同様、光太郎の人生に大きな影響を与えた妻・智恵子についても。

その後半部分は明日、ご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

七時に一寸おき食事、又ねて十一時おきる、 ポストまで外出、 足のゆび痛む、油脂剤をつける、
昭和30年(1955)3月1日の日記より 光太郎73歳

結核の症状は一進一退で、小康状態と重篤状態をくり返し、しかし快方には向かわず少しずつ昂進して行ったようです。光太郎が二度寝するのは珍しいことでしたし、郵便物の投函に出たこの日以降、また10日ほど外出不能になっています。

新聞報道を2件、ともに現在開催中の企画展示を紹介するものです。

まず、福岡は北原白秋生家・記念館さんの「北原白秋没後80年特別企画展~白秋と若き文士たち~」。『読売新聞』さんの福岡版から。

北原白秋没後80年記念、ゲーム「文豪とアルケミスト」とタイアップ企画展…柳川・生家にキャラ等身大パネルも

 柳川市出身の詩人・北原白秋の没後80年を記念し、人気オンラインゲームとタイアップした特別企画展「~白秋と若き文士たち~」が、同市の北原白秋生家・記念館で開かれている。来年3月末まで。
 ゲームは「文豪とアルケミスト」で、本の中の世界を破壊する「 侵蝕(しんしょく)者」と、アルケミスト(錬金術師)の力でこの世に転生した文豪たちが戦う内容。ゲームを配信する合同会社「EXNOA」(東京)の協力で企画展が実現した。
 白秋の青春時代にスポットを当て、ゲームに登場する白秋や吉井勇、高村光太郎、室生犀星(さいせい )、萩原朔太郎(さくたろう)の等身大キャラクターパネルを展示。5人の作品や交流を、与謝野鉄幹が結成した新詩社の機関誌「明星」、青年文学者らの懇談会「パンの会」、白秋主宰の文芸雑誌「 朱欒(ザムボア)」の三つの時代に分けて紹介している。
 同館は「芸術の自由と享楽の権利を 謳歌(おうか)した若き文士たちの作品を、白秋生家のたたずまいとともに楽しんでほしい」と来場を呼びかけている。
 来館者には非売品のしおりをプレゼントするほか、クリアファイルやポストカードといったゲームとのコラボグッズも販売している。
 また、来年1月末まで「交声曲『海道東征』」展も同時開催している。「海道東征」は、晩年の白秋が病魔と闘いながら、1940年の皇紀2600年を祝って作った長編詩。「海ゆかば」などで知られる 信時潔(のぶとききよし)が、合唱や管弦楽のための交声曲として作曲を手がけた。
 展示会では、関連書籍やレコード、白秋が晩年まで愛用した机や原稿、仕事着など約30点が並ぶ。12月4日には柳川市内で初の演奏会が予定されている。
 開館時間は午前9時~午後5時。入館料は大人600円、高校・大学生450円、小中学生250円。問い合わせは同館( 0944・72・6773 )へ。
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続いて、文京区立森鷗外記念館さんで開催されている「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」。共同通信さんの配信記事で、全国の地方紙に掲載されたようです。神奈川近代文学館さんで開催されていた「没後50年 川端康成展 虹をつむぐ人」展のレポートと2本立てでしたが、そちらは割愛します。

【逍遥の記(4)】肉筆の圧倒的な訴求力示す 災厄を力にした川端、来信から描く鷗外の輪郭

16歳と54歳の筆跡
 文京区立森鷗外記念館の特別展「鷗外遺産」も内覧会で見た。54歳のときに新聞連載として発表した伝記「渋江抽斎」の直筆原稿や、夏目漱石らから鷗外に送られた書簡など、近年続々と見つかっている新資料多数が初めてまとまった形で公開されている。
 「渋江抽斎」の原稿は16年の新聞連載(全119回)の49回と50回。49回はほとんど直しがなく、50回には目立った加筆や修正がある。記者会見した山崎一穎・跡見学園女子大名誉教授は「推敲の跡に注目してほしい。49回の方は新聞掲載後、事実の誤りが見つかり増補訂正されています」と解説してくれた。

 東大医学部の学生だった16歳のとき、生理学の講義を受けてまとめた冊子「筋肉通論」も新資料である。端正で几帳面な文字が印象的だ。54歳の「渋江抽斎」と16歳の筆跡を見比べることができるのも楽しい。人間性の深化は文字にどう表れているか。 鷗外宛ての書簡は、島根県津和野町の森鷗外記念館に新たに寄託された約400通のうちの一部。夏目漱石、正岡子規、与謝野晶子、黒田清輝、高村光太郎、小山内薫…。差出人の名前を見ていくと、詩や短歌、俳句、美術や演劇などジャンルを超えて交流していたことが分かる。前期と後期合わせて15人からの18通を展示する。
 永井荷風からの10年の手紙は、近く創刊する雑誌「三田文学」の準備の様子を報告している。荷風は鷗外を師と仰ぎ尊敬していた。
 「雑誌体裁は凡(すべ)て短篇、(中略)寄稿者の署名は表題の下に印刷せず、文章の終りに廻(まわ)して見るつもり」「広告は凡て奥付ばかりに致したく」「兎(と)に角(かく)一号だけは、全く理想的に見本として発行致し度(た)き考(かんがえ)に御座候(ござそうろう)」とつづっている。
 多くの人からの鷗外宛て書簡を読んでいると、彼がどんな人間に囲まれ、どんなふうに交流しながら生きていたのかが分かる。鷗外の外側から、鷗外の輪郭が浮かんでくるようだ。 

 二つの展覧会に共通するのは、肉筆の訴求力だ。書いた人の心情やその時の情景にまで思いが及ぶ。想像は時空を超える。
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それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后永瀬清子さんくる、来月インド行の由、


昭和30年(1955)2月25日の日記より 光太郎73歳

永瀬清子は現在の岡山県赤磐市出身の詩人。光太郎とは戦前から交流がありました。永瀬が光太郎の借りていた貸しアトリエを訪れたのは、前年に続き二度目。「インド行」は、ニューデリーで開催され、植民地主義、原水爆問題など、アジアに共通する問題について意見交換する趣旨だった「アジア諸国民会議」に「婦人団体代表」として永瀬が参加したことを指します。

この日、永瀬に贈ったはなむけの言葉が、永瀬の主宰していた地方詩誌『黄薔薇』のこの年4月号に掲載されました。曰く「裏の山へ植林にいくようなお気持ちでいつてゐらつしやい」。なかなかそうも行かないと思うのですが(笑)。

昨日は、第65回高村光太郎研究会ということで、都内に出ておりました。同会、コロナ禍のため3年ぶりの開催となりました。

会場は文京区のアカデミー千石さん。
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ご発表はお二方。

『高村光太郎小考集』という書籍の御著者・西浦基氏。千葉県職員であらせられる安藤仁隆氏。
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西浦氏は「彫刻家・高村光太郎」と題し、様々な私見やヨーロッパで撮影された画像等ご紹介しつつ、光太郎の造型について語られました。
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安藤氏は、「旧居アトリエと智恵子抄ゆかりの田村別荘(その変遷と間取りについて)」。まず旧本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)の光太郎住居兼アトリエについて、建築の方面からの実に詳細なアプローチ。光太郎自身が書き残した図面や文章、周辺人物の回想、さらに戦前の航空写真などから、建築系のソフトやCG等も駆使され、住居兼アトリエの姿を浮き彫りにされました。
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同様に、昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が療養のため半年余り滞在した千葉県九十九里浜の「田村別荘」についても。
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安藤氏、既に今年4月に発行された同会から発行された『高村光太郎研究(43)』に、二つの建物についての論考を発表なさっていますが、さらに詳細な点が解明されていました。

ところで、光太郎アトリエといえば、今回会場のアカデミー千石さんのロビーで、こんなものをゲットしました。「谷根千ゆかりの文人まっぷ」。文京区立本郷図書館さんの制作です。
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A4判を3枚、横につなげた判型で、その表裏両面に印刷されていますから、全6ページ。2ページずつ、地図、谷根千ゆかりの文人たち紹介、彼らの生没年表となっていました。

光太郎智恵子、光雲も。
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アカデミー千石さんのような文京区内の区立施設には、ほぼ必ず置いてあるのではないでしょうか。ご入用の方、探してみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

宮崎丈二氏檜材(小)持参、


昭和30年(1955)2月23日の日記より 光太郎73歳

肺結核のため、ほとんど臥床していた光太郎ですが、木彫作品用の木材を手配を頼んでいました。結局、それを使って木彫作品が作られることはありませんでしたが。光太郎自身も無理だろうとわかっていたように思われるのですが、それでも入手するあたり、彫刻家としての「業(ごう)」のようなものを感じます。

宮崎丈二」は詩人。宮崎の親友で、光太郎が起居していた貸しアトリエを、宮崎と共に何度か訪れた浅野直也という人物が材木商でしたので、入手経路はその関係と思われます。

智恵子の故郷、福島県二本松市の観光地域づくり法人・にほんまつDMOさんのサイトから。

二本松の風景や歴史描いた「絵手紙かるた」が完成

 二本松市を代表する風景や名物、歴史を描いた「絵手紙ふるさとかるた」が出来上がりました。絵手紙かすみ会が15周年記念に制作に着手、読み札の文面づくりから絵を描き終えるまで丸3年を費やした労作で、岩本久仁子会長は「歴史や文化、自然、食、人物など題材が多く、選択するのは大変な作業だった。手作り感満載のかるたを通してふるさとの素晴らしさを再発見してほしい」と話しています。
 同会は平成17年の市民講座を機に有志が集い、波入ヨシさん(郡山市)の指導で月1回、季節の草花や身近なものを描いています。かるたは会員16人が制作にあたり、特に文面は2年掛かりで推こうを重ねたそうです。安達太良山、霞ヶ城、二合田用水、合戦場の桜などの絵はいずれも色鮮やかで会員のふるさとへの想いが伝わってきます。
 「二本松の宝が詰まった」かるたは80セット製作し、市内の小学校、公民館に寄贈されました。また、原画は二本松信用金庫金色支店、市民交流センターなどに順次、展示する予定。
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「あ」から「ん」までで、全部で46枚。いきなり「あ」が、「安達太良の本当の空へ深呼吸」。できればひらがなで「ほんとの空」としていただきたかったところですが、しかたありますまい。さらに「く」は「鞍石山光太郎と智恵子の愛の道」。「鞍石山」は智恵子生家/智恵子記念館さんの裏手の山で、ここを光太郎智恵子が歩き、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」のリフレインが印象的な詩「樹下の二人」(大正12年=1923)の元となった場所です。

他にも智恵子モチーフの日本画が展示されている大山忠作美術館さん(「う」…「美しい日本画の宝庫大山忠作美術館」)、阿武隈川で、「も」…「紅葉も光り輝くあぶくま川」など。「た」…「玉ようかんぷつんと刺してさあ食べよう」が一番笑えましたが(笑)。

二本松市の「市民との協働による地域づくり支援事業」の補助金を受けてやられたとのことですが、それにしても、こうした手作り感と郷土愛溢れる取り組みには感心させられます。全国の自治体等関係者の方々、絵手紙等愛好家の皆さん、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

午后外出、はじめて中野駅北口の方に行つてみる、セトモノを買ひ、うなぎかば焼をかふ、 夜食かば焼、大根汁、米飯、


昭和30年(1955)2月22日の日記より 光太郎73歳

起居していた貸しアトリエから中野駅北口は、直線距離で1㌔弱。結核の病状が小康状態だったこともあり、買い物がてら散歩したようです。「うなぎかば焼」は光太郎の大好物の一つでした。

光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛の故郷である、長野県安曇野市の『広報あづみの』の11月23日号。先月、地元紙で報じられた小説「安曇野」のNHK大河ドラマ化誘致の件について、大きく取り上げられています。
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小説『安曇野』は、光太郎とも交流のあった同市出身の臼井吉見が昭和40年代に執筆した長編小説で、守衛を含む安曇野の人々が中心に描かれ、守衛との絡みで光太郎も登場します。ぜひ実現していただきたいところですが……。

そういえば、以前、碌山美術館の方に「「おひさま」の時には観光客が激増したなぁ」というお話を伺いました。「おひさま」は、井上真央さん主演で平成23年(2011)に放映された朝ドラで、やはり安曇野が舞台の一つでした。
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「夢よもう一度」ということでしょうか。

しかし、大河ドラマといえば、平成28年(2016)の「真田丸」も前半は長野県が主要な舞台でしたから、「長野県ばっかりズルい」となりかねませんが……。
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まあ、この手の招致活動は数年越しになることが多いので、今後の推移を見守りたいと存じます。

【折々のことば・光太郎】

筑摩書房の人くる、「文学アルバム」有島武郎篇のため、「手」の写真を使ふこと承諾、本納寺を教へる、


昭和30年(1955)2月21日の日記より 光太郎73歳

007「文学アルバム」は、筑摩書房で刊行していた『日本文学アルバム』。翌年の光太郎歿後には光太郎篇も刊行されました。

その有島武郎篇に、有島旧蔵の光太郎ブロンズ「手」の写真を載せたいという申し出。そちらは現在、竹橋の東京国立近代美術館さんに収蔵されていますが、この当時、有島と交流の深かった秋田雨雀を通じて雑司ヶ谷の本納寺に納められていました。

ちなみに11月20日(日)の『日本経済新聞』さん、この「手」の写真をズドンと中央に配し、「パンの会 文学との響き合い(下) 高村光太郎、作家の主観を重視」という記事を掲載して下さいました。「美の粋」という連載の一環です。余裕があれば、来週、ご紹介します。

いわゆるカルチャースクールでの市民講座。教室での対面受講とオンライン受講が選べるそうです。

続・文学者の短歌 in 大阪

期 日 : 2022年12月3日(土)
会 場 : 毎日文化センター 大阪市北区梅田3-4-5毎日新聞ビル2階 
時 間 : 13:00~14:00
料 金 : 2,750円
講 師 : 松村正直(歌人)
1970年生まれ。歌集に『駅へ』『やさしい鮫』『午前3時を過ぎて』『風のおとうと』『紫のひと』、評論集 『短歌は記憶する』『樺太を訪れた歌人たち』『戦争の歌』、評伝 『高安国世の手紙』、時評集『踊り場からの眺め』、同人誌「パンの耳」。現在「角川短歌」に「啄木ごっこ」を連載中。

 今年2月に実施した「文学者の短歌」が好評につき、第二弾の続編を開催します! 近代以降、短歌は多くの人々に親しまれてきました。歌人として知られる人物だけでなく、さまざまな文学者たちも歌を詠んできたのです。短歌は若き日の彼らの文学の出発点となり、また終生愛する詩型ともなりました。
 本講座では、柳田国男(民俗学者)、高村光太郎(詩人、彫刻家)、加藤楸邨(俳人)、中原中也(詩人)、三浦綾子(小説家)らの短歌を紹介しつつ、その時代背景や人生をたどります。その上で、短歌という詩型の持つ特徴や魅力に迫りたいと思います。

オンライン受講について
・事前にZoom公式サイトから最新Zoomアプリをインストールしてください。
・講座当日の10:30までに視聴URL(ウェビナーIDとパスコード)をお知らせします。
・開講当日の開始15分前から入室可能です。
・「Zoom」ウェビナーは受講者側のお名前や映像、音声は配信されません。ウェブカメラやマイクは不要です。
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今年2月に「文学者の短歌」というオンライン講座があり、その続編だそうです。2月に取り上げられたのは、森鷗外、芥川龍之介、村岡花子、宮沢賢治、中島敦、北杜夫、石牟礼道子など。今回取り上げられる人々と併せ、いわゆる「歌人」ではなかった人々の短歌、ということですね。

光太郎の場合、本格的な文学活動の出発点が短歌でした。東京美術学校在学中の明治33年(1900)、与謝野夫妻の新詩社に加わり、機関誌『明星』に「砕雨」と号して多くの短歌を発表しています。それ以前に俳句が『読売新聞』に掲載されたりもしましたが、そちらはあくまで投稿の域を出ませんでした。

その後、大正期の第二次『明星』にも多くの短歌を寄せたり、木彫を作るとその袋や袱紗(智恵子の手縫い)に短歌をしたためたりもしました。そして晩年まで折に触れて歌作を続け、結局、『高村光太郎全集』には800首ほどが掲載されていますし、平成10年(1998)の『全集』完結後も10首あまり見つかっています。短歌は詩と異なり、手元に控えの原稿を残さなかったので、今後も見つかる可能性が高いと思われます。

やはり詩であれだけの(どれだけだ(笑))世界を構築した光太郎、短歌でも素晴らしいものをたくさん残しています。初期のものは、鉄幹による添削が激しく入っているとのことですし、また、いわゆる「歌人風」に逆らった、巫山戯た短歌も目につきますが。

講座はオンラインでも配信されるとのこと。この対面式とオンラインとの併用(特にアーカイブ配信まである場合)は、コロナ禍によるいい意味での副産物といえるでしょう。コロナ禍以前は対面式の講座等は一度その場でやったらそれで終わり、という感じでしたから、遠方だったり、その日に都合がつかなかったりの場合に対応できませんでした。

当方も12月10日(土)、都内で開催される日本詩人クラブさんの例会で講演をしますが、そちらのオンライン配信があるそうです。例会自体はクローズドで、配信も欠席会員のためのライブ配信だと聞いていますが、もしかすると一般の方も試聴可能かも知れません。

また、それに先立つ12月3日(土)には、花巻高村光太郎記念館さんで、現在開催中の企画展示「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の解説等を収録します。こちらは期間限定配信のようです。

それぞれ詳細が分かりましたらまたご紹介します。

閑話休題、「続・文学者の短歌 in 大阪」、ぜひお申し込みを。

【折々のことば・光太郎】

昨夜の原稿清書、 午后「書道全集」の人くる、原稿渡し、4枚、


昭和30年(1955)2月15日の日記より 光太郎73歳

「原稿」は、平凡社から翌月刊行された『書道全集 第七巻 隋・唐Ⅰ』の月報のためのもの。「黄山谷について」と題し、光太郎が愛した黄山谷(庭堅)の書の魅力を綴っています。
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テレビ放映情報です。

開運!なんでも鑑定団【お宝は世界を救う!美人画大作&最高峰焼き物に驚き値】

BSテレ東 2022年11月24日(木) 19:4920:49
地上波テレビ東京 2022年11月27日(日) 12:5414:00

■盲目の子どもたちに光を…お宝は世界を救う!?<美人画大作>に衝撃値■茶人が特別に注文!?…最高峰<中国焼き物>に驚き鑑定額■福島出張鑑定…仰天<ペコちゃん人形>■

依頼人は認定NPO法人「ヒカリカナタ基金」の理事長を務めており、途上国の目の不自由な子供たちを助けるべく、日本から治療費を送る活動をしている。ご自身も8歳の時に失明し、その後盲学校の教師となった。1964年の東京パラリンピックで盲人卓球に出場し、なんと金メダルを獲得したことも! お宝は支援者の方から「NPO法人で役立ててほしい」と頂いたもの。とても大事にしてきたが、途上国の子供たちの目を助けるため手放すことを決意した。果して売却額は!?

出演者
 【MC】今田耕司、福澤朗  【ゲスト】マルシア
 【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
 【出張鑑定】出張鑑定 in福島県・二本松市  【出張リポーター】原口あきまさ
 【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな

鑑定士軍団
 中島誠之助(古美術鑑定家) 北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
 安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主) 川上紳一(岐阜聖徳学園大学教授)
 山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役) 森由美(陶磁研究家)
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平成6年(1994)から続く人気番組。番組中盤に「出張なんでも鑑定団」というコーナーがあり、日本各地でのロケが行われています。コロナ禍で、来てくれという依頼件数が減っているようですが。

その出張鑑定が、智恵子の故郷・二本松で収録された今回放送分の初回放映は、8月2日(火)でした。当初、令和元年(2019)秋に収録予定だったものが、コロナ禍で翌年に3月に延期と決定、それでもコロナ禍明けやらず再延期となり、結局、今年6月の収録でした。

このコーナーでは最初に町の紹介のVが流れるので、光太郎智恵子、智恵子抄がらみを期待し、拝見しました。
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タイトルバックが、「智恵子抄」詩碑もある二本松霞ヶ城。

続いて、こんな街だよ、ということで……
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安達太良山、阿武隈川、ときたら「樹下の二人」だろ? と思っていたら、今年の「菊むすめ」の方がナビゲーター役でご出演し……
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「ふむふむ、で、『智恵子抄』は?」と思っていたら……
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「えっ? 始まっちゃうの?」(笑)。

ところが、お二人目の鑑定依頼人が観光協会の方で……
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「改めて二本松の見どころを」という流れとなり……
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最初のVに無かった提灯祭り、そして……
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こういう映像を待っておりました(笑)。

それから、
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というのも、お一人目の鑑定依頼人が、玉羊羹で有名な玉嶋屋さんのご主人だったもので(笑)。
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玉嶋屋さん、いろいろな番組にご協力下さり、素晴らしいと思いました。最近で、光太郎智恵子がらみの内容も含まれた番組ですと、今年6月に放映された「徳永ゆうきの一期一会はなうた旅#12 二本松市」、昨年の「プレミアムドラマ山女日記3 #3 あどけない空・安達太良山」など。それから、光太郎智恵子には触れられませんでしたが、やはりテレ東さんの「世界!ニッポン行きたい人応援団」という番組では、羊羹に魅せられたハンガリー人女性を受け入れ、羊羹作りをさせてあげるなどしてらっしゃいました。まぁ、お店や商品の宣伝にもなるので、ウィンウィンの関係なのかも知れませんが。

さて、鑑定。さすが旧二本松藩の城下町、「へー」と思わせるお宝が多数登場します。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

理髪して頭が寒く引きこもる、 夜食、スパゲッチ、焼豚等、


昭和30年(1955)2月14日の日記より 光太郎73歳

結核の症状が少し落ち着いたので、ボサボサの髪を切りにいったところ、また悪化。10日ほど外出を控えることになります。それでも食事は自炊していました。

11月20日(日)、兵庫県神戸市の神戸聖愛教会さんで開催された「やすらぎコンサートin神戸 癒しの響き 鐘シンフォニー(和編鐘)への誘い」というコンサートに応援出演、光太郎智恵子について軽く話させていただきました。レポートいたします。

神戸へは、空路を使いました。自宅兼事務所は千葉県ですが、少し北上すると茨城県。その茨城県の南部に自衛隊さんの百里基地と滑走路等を共有している茨城空港があり、そちらから神戸便が出ています。空港までは車で45分ほど、フライト時間は1時間ちょっと。鉄道で神戸となると、まず自宅兼事務所から東京駅まで出るのが2時間近くかかりますので、空路の方が断然早いわけです。
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駐車場はターミナルビルの目の前、しかも無料! ありがたし!!

自衛隊さんと共用なので、ターミナルビルの脇にはこんな展示も。先月、空港の下見に行きまして、その際に撮ったものですが、空自さんで使っていたF4ファントムです。これで神戸まで飛べれば更に早いのですが(笑)。
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1ヶ月前に航空券の手配をした際、すでに「残席2」。「えっ?」と思ったら、それもそのはず、空港近隣にある公立中学校さん(それも2校)の修学旅行とかち合っていました。最近は公立中でも飛行機の旅なのですね。
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搭乗した機体がこちら。
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あっという間に神戸空港に着きました。

そこから鉄道で市街へ。下記は車窓から撮った神戸港です。
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光太郎、確認出来ている限り、生涯に2度、神戸港を訪れています。

最初は明治42年(1909)、3年半にわたる欧米留学を終え、ロンドンから日本郵船の阿波丸に乗って、神戸港に降り立った時です。

一九〇九年(明治四十二年)七月に阿波丸は神戸についたが、船が波止場に横づけになつたか、はしけで上陸したか、忘れてしまつた。父が一人で迎へに来てゐた。私は船中無一文で、洗濯代も払へずにゐたのを、父に払つてもらつたことをおぼえてゐる。紐育、サザンプトン、テームズ河口等をはじめ、コロンボ、香港等の港を見てきた眼には、神戸港はただ乱雑な、けち臭い船着場にしか見えなかつた。船から上つて薄ぎたない船宿の一室に案内され、一休みしてその晩の夜汽車ですぐ東京に向つたやうに思ふ。(「父との関係」 昭和29年=1954)

神戸港を「ただ乱雑な、けち臭い船着場」とディスっていますが、明治末はまだそんな感じだったのでしょう。下記はその頃と思われる当方手持ちの古絵葉書です。
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2度目に光太郎が神戸を訪れたのは、昭和10年(1935)。神戸港に、すぐ下の弟・道利がフランスから送還されてくるのを迎えに、です。道利は父・光雲に、軍人志望、さらに結婚も反対されて自暴自棄となり、勝手にヨーロッパに渡って音信不通となっていましたが、体調を崩して、フランスの慈善病院に収容されていました。そのころと思われる古絵葉書。瀟洒なビル等も出来ていました。
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コンサート会場に行く前に、寄り道。大倉山の神戸文化ホールさん。昭和48年(1973)の竣工だそうです。
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こちらの側面外壁に、智恵子の紙絵をあしらった巨大壁画が。
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右上は心を病んだ智恵子が、南品川ゼームス坂病院で作った紙絵の一つで、これが原画です。紫陽花は神戸市の花だそうで。

ホール建設の際の神戸市長が、光太郎と交流のあった彫刻家・柳原義達と同級生。市長から相談を受けた柳原が、それなら、と、この紙絵を原画に使うことを提案したそうです。そこで当時の髙村家当主だった光太郎令甥にして写真家の故・髙村規氏に相談が持ちかけられ、規氏も写真技術を駆使して協力。仲介したのはやはり光太郎と交流のあった美術史家・土方定一でした。さらに土方の推薦した画家・田中岑(たかし)が色彩監督となって、規氏の写真から愛知県の瀬戸で色彩タイルを1,000枚以上焼成し、貼り付けたとのこと。その辺りの経緯は平成21年(2009)の『日本古書通信』に載った規氏の回想「髙村規の語る戦後の写真」に述べられています。阪神淡路大震災でも、この壁画には奇跡的に損傷がなかったことなども。
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壁画の真下の植え込みには、智恵子と田中の名を刻んだプレートと、さらに光太郎詩碑。
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当会の祖にして光太郎智恵子と親しかった詩人・草野心平の筆になる『智恵子抄』中の「晩餐」(大正3年=1914)の一節「われらのすべてに 溢れこぼるゝ ものあれ われらつねに みちよ」が刻まれています。心平を担ぎ出したのも、土方なのではないかと思われます。土方は心平主宰の『歴程』に依った詩人でもありましたので。或いは規氏→心平というホットラインも考えられます。

さて、その後、新神戸駅近くの神戸聖愛教会さんへ。さすが神戸、巨大な教会で驚きました。さらに驚いたことに、こちらの牧師さん、光太郎第二の故郷・花巻のご出身だそうで、ひとしきり花巻談義に花が咲きました。
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こちらの2階にある礼拝堂がコンサート会場です。
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有機音(ゆきね)さんの和編鐘、地元の朗読家・大山りえさんの朗読がメインでした。

リハーサル風景。
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有機音さん、様々な事象からインスパイアを受けて曲作りをなさる方で、津田梅子オマージュの曲も作られ、今回のプログラムにも。そこで津田梅子を主人公とした小説『ハドソン河の約束―米国女子留学生による近代女子教育への挑戦―』の御著者、こだまひろこ氏のトークもあり、地元のカリヨン演奏家・則定まりさんとそのお仲間の方々によるリコーダー演奏もありました。カリヨン演奏もあるのかな、と思っていたのですがそれはありませんでした。
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そしてプログラムの最後が、有機音さんの演奏と大山さんの朗読による「組曲 愛はすべてをつつむ」からの抜粋。その前座として、当方のトーク。上の方に書きました光太郎智恵子と神戸との関わりを中心に語りました。

ステージというか、祭壇というか、とにかく正面脇の壁面に大型モニター画面があって、HDMIケーブルで繋げるというので、パソコンを持参、画像を映させていただきました。文化ホールの壁画はその日撮った画像をすぐ取り込みました(笑)。

その後の演奏と朗読の際にも、光太郎智恵子の写真を映しっぱなしにさせていただきました。
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そんなこんなでコンサート終了。

教会独特の音響効果、さらに和編鐘という楽器がものすごく残響時間が長く、実に不思議な空間が現出されたように思われました。

ところで「宣伝せよ」という有機音さんの厳命があったので(笑)、事前にお近くに住まわれている知り合いに片っ端から案内を送ったところ、連翹忌にご参加下さっている大阪市ご在住の女性がお友達とご一緒に聞きに来て下さいましたし、20数年前、当方がまだ勤め人だった頃の親しかった同僚(神戸市ご在住)も駆けつけて下さいました。20数年ぶりに会え、感激でした。

また、やはり神戸ご在住で、令和元年(2019)、福島県いわき市立草野心平記念文学館さんで開催された 「居酒屋「火の車」一日開店」の際にご一緒させていただいた料理研究家の中野由貴さんは、他のイベントの先約があって無理、と御返事を頂いていたのですが、なんとそちらに行かれる前、こちらの開演前に会場にいらして下さり、お土産まで頂戴してしまいました。ありがたし。

そんなこんなで、人と人とのご縁、的なものの大切さをしみじみ感じる神戸行でした。

以上、神戸レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

食事後理髪にゆく、 帰宅後太田村の昌歓寺住職神武男氏くる、子息同伴、

昭和30年(1955)2月12日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核も小康状態を見せ、久しぶりに床屋へ。ただし4月末にはまた重症化し、入院することになってしまいます。

昭和20年(1945)から同27年(1952)まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の昌歓寺さんから、親しかった住職・神武男が訪問。久闊を叙しました。

昨日から神戸に来ております。和編鐘奏者・有機音さんを中心とした「やすらぎコンサートin神戸鐘シンフォニーへの誘い」というコンサートで、光太郎智恵子について喋らせていただきました。
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詳しくは帰りましてから。


3年ぶりの開催です。

第65回高村光太郎研究会

期 日 : 2022年11月26日(土)
会 場 : アカデミー千石 東京都文京区千石1‐25‐3
時 間 : 14:00~17:00
料 金 : 500円 

研究発表
 「彫刻家 高村光太郎」 西浦基氏

 「旧居アトリエと智恵子抄ゆかりの田村別荘(その変遷と間取りについて)」
   安藤仁隆氏

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当方も加入しております高村光太郎研究会主催の研究会で、コロナ禍前は年に一度開催されていました。昔は年に数回ということもあったようで、65回目のようです。

発表されるのはお二方。

西浦基氏は『高村光太郎小考集』という書籍の御著者。

安藤仁隆氏は、一昨年の研究会でご発表の予定でしたが、コロナ禍のため中止となり、今回にスライド。今年同会から発行された『高村光太郎研究(43)』に、「光太郎・智恵子が暮らした旧居アトリエの建築について」及び「智恵子抄ゆかりの「田村別荘」(その変遷と間取りについて)」という論考2本を執筆されていて、そちらを元にされたご発表でしょう。

建築に造詣の深い同氏、タイトルの通り、旧本郷区駒込林町にあって、昭和20年(1945)の空襲で焼け落ちた光太郎アトリエ兼住居、そして昭和9年(1934)に智恵子が療養のため半年余り滞在した千葉県九十九里浜の「田村別荘」について、実に詳細な調査を行われています。最近もまた、新たな発見があったとお知らせいただきました。

研究会への参加はご自由に、です。組織としての会に加入せずとも、発表の聴講のみも可能です。ぜひご参加を。

【折々のことば・光太郎】

タバコ買ひに一寸外出、 
昭和30年(1955)2月9日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核のため、前年から臥床していることが多く、一時は外出もままなりませんでしたが、この時期は小康状態。おそらく前年5月以来の外出でした。

しかし、その用事が「タバコ買ひ」。肺結核なのに、自殺行為ですね……。

大阪府から公演情報です。

至高の華 ~舞と語り~

期 日 : 2022年11月27日(日)
会 場 : 大槻能楽堂 大阪府大阪市中央区上町A-7
時 間 : 14:00~
料 金 : S席 8000円 A席 6000円

演 目 : 語り「初代 梅若実」 桂南光(新作落語 本邦初演)
      舞踊詩劇「智恵子抄」 梅若実桜雪/藤間勘十郎/高橋惠子 ほか
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新作落語と舞踊詩劇の二本立て。梅若実桜雪氏は人間国宝の能楽師、藤間勘十郎氏は舞踊家。「高橋惠子」さんは、「あの高橋惠子さん?」と思ったら、あの高橋惠子さんでした。梅若氏と藤間氏が光太郎智恵子として舞われ、高橋さんが朗読なさるのでしょう。何とも豪華なトリオですね。
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『毎日新聞』さん大阪版に案内記事が出ていました。

語り、舞 至高の一時 27日・大槻能楽堂 新作口演と舞踊詩劇 /大阪

 能の人間国宝、梅若桜雪(ろうせつ)さんの舞と落語家、桂南光さんの語りを中心とした特別公演「至高の華~舞と語り」が27日午後2時、大阪市中央区上町の大槻能楽堂で開かれる。落語作家、小佐田定雄さんの新作「初世梅若実」を南光さんが口演し、能と日本舞踊のコラボレーションによる舞踊詩劇「智恵子抄」を桜雪さんらが上演する。
 「初世梅若実」は維新の激動で能が衰微した明治初年、東京に残って孤塁を守り、その後の能楽発展の礎を築いた桜雪さんの曽祖父・初世実(1828~1909年)の生涯を描いた物語。ユーモア主体の落語ではなくストーリー中心の「語り」として小佐田さんが書き下ろし、桜雪さんの謡の門弟でもある南光さんが初演する。
 「智恵子抄」は詩人の高村光太郎が、心を病み52歳で早世した妻・智恵子への思いをつづった詩集を舞台化。女優、高橋恵子さんの朗読や能の謡、邦楽の演奏などに合わせて光太郎を桜雪さん、智恵子を日本舞踊宗家藤間流八世宗家の藤間勘十郎さんが舞う。2006年の初演以来、上演を重ねており、今回が令和初演になる。

近くなら拝見に伺いたいところですが……。

お近くの方(遠くの方でも)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

原稿少し、原稿を書くと神経痛いたむ、


昭和30年(1955)1月30日の日記より 光太郎73歳

神経痛」は結核性の肋間神経痛です。ペンを執るだけで痛むというのですから、かなりの重症です。ただ、それも波があり、翌月にはおよそ半年ぶりに外出もできるようにはなりました。

紹介すべき事項が多いので、4件まとめます。

まずは『岩手日日新聞』さん。花巻市東和町で開催中の「器とたのしむ光太郎ランチ」展の件。

光太郎ランチの原画紹介 東和・土沢カフェくるみ【花巻】

  彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が食べたレシピを色鉛筆画で紹介する絵本「器と楽しむ光太郎ランチ」の原画展は、花巻市東和町の土沢カフェくるみで開かれている。同市星ヶ丘の西堀みちよさん(66)が制作した色彩豊かな原画が並び、光太郎の食卓に光を当てている。21日まで。
 西堀さんはmichinoのペンネームで活動。これまで一般に作品を公開したことがなかったが、絵本を発行する花巻市のやつかのもりから依頼を受けて、初めて絵本の原画を制作した。
 展示されているのは原画と花をモデルにした絵画など19点。原画は昨年6月から制作しており、1月から12月までのその月に光太郎が食べた食事を描いている。西堀さんによると、道の駅西南で販売されている手作り弁当「光太郎ランチ」を食器に移し替え、絵のモデルにしたという。
 グリンピースご飯、ヨモギの天ぷら、そば粉のパンケーキなど緻密に再現され、光太郎の日記などから抜粋された食に関する一節も紹介されている。
 西堀さんは「彫刻が好きで高村光太郎のことは知っていたが、こんなレシピが残っているなんて担当するまで知らなかった。(原画は)料理が映えるように、自宅にあるさまざまな食器を利用した。多くの人に見ていただきたい」と笑顔を見せる。
 鑑賞無料。時間は午前10時から午後5時まで。問い合わせは土沢カフェくるみ=080(3334)3003=へ。
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続いて、八戸に本社を置く『デーリー東北』さん。光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」もコースに入り、十和田湖周辺で今年から始まったウォーキングイベント「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」について。ただし、「乙女の像」には触れられていませんでしたが……。

歩いて食べて十和田湖畔巡り ONSEN・ガストロノミーウォーキング

 温泉地を舞台に地域の食や自然、歴史と文化が体感できるコースを歩くイベント「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」が12日、十和田湖畔周辺で開催された。青森県内外から約60人が参加し、各所に設定されたポイントに立ち寄り、湖畔の景観や食事を楽しんだ。
 ONSEN・ガストロノミーウォーキングは滞在型、体験型観光の推進や温泉地の活性化に向け、全国各地で行われている。十和田市版DMO(観光地域づくり推進法人)十和田奥入瀬観光機構が主催し、一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構が協力した。
 十和田神社、石川啄木の碑などの観光スポットをつなぐ約6キロのコースと、地酒や地元産食材の料理を提供するポイントを設定。参加者は自分たちのペースで巡り、十和田バラ焼き、そばかっけを味わったり、同市無形文化財の民俗芸能「晴山獅子舞」を観賞したり、地域の魅力に触れた。ゴール後は食材や菓子、指定の4施設で使える入浴券を受け取った。
 黒石市から訪れた歯科助手高田絵梨さん(43)は姉妹2人で参加。「人混みもなくゆっくり楽しめた。疲れないコース設定で、もう少し距離があっても良かった」と語った。
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続いて『毎日新聞』さん。文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」がらみ。

森鷗外記念館 直筆原稿や書簡、新発見資料を公開

 森鷗外の没後100年を記念し、東京都の文京区立森鷗外記念館で特別展「鷗外遺産」が開かれている。伝記「渋江抽斎」の直筆原稿や、夏目漱石らからの書簡など、近年見つかった資料が初めて一般公開されている。来年1月29日まで。
 「渋江抽斎」の原稿は1916年の新聞連載(全119回)の49回と50回。49回はほぼ直しがなく、50回は加筆や修正がある。「推敲(すいこう)の跡に注目してほしい」と山崎一穎・跡見学園女子大名誉教授。
 16歳の時、東大医学部で受けた講義をまとめた冊子「筋肉通論」も新資料として展示される。54歳の時の「渋江―」の筆跡と見比べたい。
   鷗外宛ての書簡は、島根県津和野町の森鷗外記念館に新たに寄託された約400通の一部。漱石、正岡子規、与謝野晶子、黒田清輝、小山内薫らからで、美術、演劇などジャンルを超えて交流していたことが分かる。前期と後期で15人からの18通を展示する。
 詩人で彫刻家の高村光太郎の17年の手紙には「御引用になつた様なムチヤクチヤな事を考へた事もありません」とある。光太郎が「誰にでも軍服を着せてサアベルを挿させて息張らせれば鷗外だ」と述べたと鷗外が思い込んだ。手紙はその誤解を解こうと書かれた。
 作家の永井荷風からの10年の手紙は、近く創刊する「三田文学」の構想を鷗外に報告している。 監修を務めた須田喜代次・大妻女子大名誉教授は「鷗外がどんな文化的風土で生きていたかが分かる。直筆の力を感じてほしい」と語る。
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最後に再び『朝日新聞』さん。作家の澤田瞳子さんによる『平櫛田中回顧談』の書評です。

『平櫛田中回顧談』 平櫛田中〈著〉 本間正義〈聞き手〉 小平市平櫛田中彫刻美術館〈監修〉 近代美術界の逸話惜しげもなく

005 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)と聞いて、「あの彫刻家の」とすぐ思い至る方は、残念ながらそう多くはあるまい。ただ舞台をよくご覧になる方であれば、東京の国立劇場ロビーに飾られている田中の代表作「鏡獅子」をご覧になった折がおありかもしれない。
  本書は1965(昭和40)年、当時93歳の田中の口述を、美術評論家・本間正義が筆録したもの。ゆえあって未刊行とされていた原稿が、田中の生誕150年を機に約半世紀を経て出版された奇縁の回顧談である。
 田中は大阪での修業を経て1897(明治30)年に上京、高村光雲の門下となった。光雲同様に師と仰いだ岡倉天心や深い縁を結んだ禅僧・西山禾山(かさん)、はたまた「鏡獅子」のモデルとなった六代目尾上菊五郎などの思い出は活気に満ち、近代美術界の激動を眩(まばゆ)いほどに蘇(よみがえ)らせる。興味深いのは、当時の美術界の内幕までが垣間見えることで、たとえばある時、兄弟子・米原雲海の作品が宮内省に買い上げられたはいいが、実は子どもが犬にまたがった様を彫り出したその作は、鼻を削(そ)ぎ過ぎたために後から部材を接いでいた。「湿気がある頃になると取れるかもしれないぞ」という米原の困惑は、当人には申し訳ないがつい口元が緩む。
 田中は100歳を超えてもなお、いつでもすぐ作品に取りかかれるよう、手元に膨大な木材を蓄えていた。そんな彼ならではの材木や道具、伝統技法に関する逸話も読みどころの一つ。中に節がある木材の見分け方、樟(くす)や桐(きり)、榧(かや)といった木材ごとの長所と短所など、随所にちりばめられた実作者ならではの観察にはつい驚きの声が漏れる。
 岡倉天心にまつわる複数の艶事(つやごと)、「悲母観音」で知られる日本画家・狩野芳崖の死を巡る経緯など、なかなか他では読めぬエピソードが惜しげもなく披瀝(ひれき)される一方で、個々の田中作品の制作譚(たん)が豊富な図版とともに紹介される。
 日本美術界に新たな光を当てる貴重な一冊である。
    ◇
ひらくし・でんちゅう 1872~1979。彫刻家。東京芸術大教授を務める。1962年、文化勲章を受章。

以上、4件。ブログのネタがない時であれば、4日に分けてご紹介するところですが、まだまだ紹介すべき事項がたくさんありまして(10日先まで書く内容が決まっています(笑))、嬉しい悲鳴です。

【折々のことば・光太郎】

午后、東方亭の幸子さんくる、掃除のため毎週金曜日午后一時頃来て二時ばかり働いてもらふ相談、アルバイト1日400円、(お年玉1,000)


昭和30年(1955)1月4日の日記より 光太郎73歳

東方亭」は荒川区三河島にあったトンカツ屋。光太郎戦前からの行きつけの店でした。そこの長女・明子は医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)を書いたりしました。

幸子さん」は次女。肺結核のため力仕事がほぼ不能となったため、起居していた貸しアトリエの清掃等を頼むことにしました。

アルバイト」という語と概念、すでにこの頃にはあったのですね。

智恵子の故郷・福島二本松から光太郎智恵子がらみの報道を2件。

まずは11月13日(日)に行われた、朗読劇「智恵子抄」二本松公演の模様を伝えた記事。『福島民報』さんから。

智恵子と光太郎の夫婦愛、朗読劇で熱演 俳優一色さんら 福島県二本松市で公演

  詩集「智恵子抄」で知られる詩人で彫刻家の高村光太郎と芸術家の智恵子の夫婦愛を描く朗読劇「智恵子抄」は13日、福島県二本松市安達文化ホールで上演された。葛藤に苦しみながらも光太郎への愛を貫く智恵子の魂を表現する一色采子さんらの熱演に、大きな拍手がわいた。
 昨年に続き、智恵子の古里で催す2度目の公演。二本松市出身の日本画家・大山忠作さんの長女で俳優の一色さんが再び智恵子を演じ、光太郎役の松村雄基さんら新たなキャストと共に臨んだ。
 芸術の探究や生活の困窮の中で苦悩を深め「二本松に行きたい」と願う智恵子の心、美のきらめきを切り絵に表す様子、妻を思い続ける光太郎の姿を「あどけない話」「樹下の二人」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」などの朗読と演技、音楽でつづった。多くのファンや文学愛好者らが詰め掛け、痛切な愛の世界に見入った。
 新派アトリエの会の主催・製作、松竹、二本松市教委の協力。アフタートークでは一色さんらが舞台のエピソードや二本松の印象などを披露した。
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続いて、『朝日新聞』さん。十日ほど前の夕刊に載った記事です。少し長いのですが、全文を。

「ほんとの空」の下の若者たち 農業と発電両立し福島産守る

 その取材に向かう前、私は11年前の取材ノートを読み返した。
 「2011年10月12日」のページを探す。東京電力福島第一原発の事故が起きて初めて、福島県庁が県産米の放射能検査の結果を発表した日だ。
 安全基準ぎりぎりのコメもあったが、基準はすべてクリアした。次のやり取りが残っていた。
 佐藤雄平知事(当時)「農水省が決めた倍の地点で調査した。安全性が確認され、安堵(あんど)している」
 私「安全宣言ですか?」
 知事「まあ、安全宣言といえば、安全宣言だなあ」
 その後、基準を超えたコメが、県内の複数の田んぼで見つかった。地区単位でコメの出荷が制限される。今のような風評被害ではなく、「実害」だ。将来を絶望し、自ら命を絶つ農家もいた。

 被害を受けた地域の一つが、福島県の北中部にある二本松市だった。原発から50㌔余り離れていても、放射線量は高かった。
 10月中旬、その二本松を久しぶりに訪れた。
 自然豊かな二本松を代表する「安達太良山」。「東京には空が無い」で有名な詩集「智恵子抄」で、作者の高村光太郎の妻智恵子の話として、この山の上を「ほんとの空」とつづった。
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 その空の下では今、若者たちが発電と農業を両立させる「ソーラーシェアリング」(営農型太陽光発電)を手がけている。農作物を育てながら同じ土地で発電して電気を売り、収入を増やす手法だ。
 長さ70㍍の「壁」が3列半。壁の材料は230枚の太陽光パネルだ。耕作放棄地だった農地は今年3月、日本初という「垂直型ソーラーの農場」に変わった。
 運営は「二本松ご当地エネルギーをみんなで考える株式会社」(略称ゴチカン)。社長兼社員の近藤恵(けい)さん(42)を、自然エネルギーで著名な飯田哲也さんや二本松市、地元農家らが支える。
 パネルの壁と壁は10㍍空いており、トラクターが余裕で通れる。50㌔㍗の電気をつくりながら地面では牧草を育てている。
 「実験ですか?」と私が尋ねると、近藤さんは「経済的になりたっているので、すでに実用です」と胸を張った。
 「垂直に立てても受ける光のロスはわずかです」。土地を効率的に利用するなら、斜めに置くよりも、垂直のほうがよさそうだ。
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 東京都出身の近藤さんは、筑波大で農林業を学び、一般社団法人「二本松有機農業研究会」で修行を積んだ。原発事故の前まで、農薬や化学肥料をほとんど使わない有機農法で、コメや野菜を得意客に直接販売していた。
 11年もコメは作った。「お客さんは『近藤さんのコメだから安心です』と言ってくれたが、心苦しかった。基準内の玄米からは放射能が多少検出されても、白米にするとゼロになることや、うちの子どもにも食べさせていると添え書きを入れて、コメを送りました」
 農業を諦め、二本松の農協に勤めた。与えられた仕事は、東電に損害賠償請求する農家の手伝いだった。知らない農家から「お前は国側か!」と怒鳴られた。
 さらに心が痛む仕事が待っていた。収穫されたものの、出荷停止になったコメの処分だ。
 「米袋には顔見知りの農家の名前も書いてあって……。捨てるのが、つらかったですよ」
 農業から話はそれるが、二本松市は原発周辺の避難者を大量に受け入れた。市民にはさらに遠くへ避難する人もいた。12年には市内で放射能に汚染されたマンションが見つかった。原発周辺の砕石が土台に使われていたためだった。
 私は当時の混乱ぶりを取材していた。なので、二本松の印象は極めて暗い。当時のノートを見返したのも、それを忘れちゃいけないと思ったからだ。

 近藤さんは農協を2年半で辞めた。有機農業研究会に「エネルギー部会」をつくり、再生可能エネルギーと農業の両立を学び始める。避難指示が出た福島県飯舘村で営農型太陽光発電が先行していると知るや、事業主体の飯舘電力に頼み働かせてもらった。
 垂直ソーラーがある牧草地から車で約10分、6㌶の畑の地上3㍍に、9500枚のパネルが並ぶ。
 頭上にはブドウ棚の鉄線が張り巡らされている。近藤さんと働く塚田晴(はる)さん(20)、菅野雄貴さん(38)が4ヶ月かけ作業した。4月にはシャインマスカットなど100本のブドウの苗を植えた。
 パネル下でも通常の75%の日照を確保できる。塚田さんは「再来年には味見ができるくらいに成長しているでしょう」と話す。
 塚田さんは原発事故のとき、小学3年だった。それまでは家族5人で、近藤さんのいた有機農業研究会の有機野菜を食べ、稲刈り体験にも参加していた。
 11年3月17日。母の実家の神戸に避難する。二本松からタクシーに乗り、新幹線が通っていた栃木県のJR那須塩原駅へ向かった。父は運転手に心付けも含め3万円を渡した。
 以来、塚田家ではこの日を「避難の日」とし、毎年3万円で外食する。事故の恐怖や故郷を去る悔しさを忘れないためだ。
 塚田さんが小学5年のとき、研究会の当時の代表、大内信一さん(81)が、福島の農家の現状を話すため、消費者団体の招きで大阪に講演にきた。
 母と聴きに行った。会場から大内さんに厳しい質問が飛んだ。「福島産は危険だ」「子どもに食べさせていいのか」――。
 聞いていて、ムッとした。「何だよ。消費者って、こんなに簡単に生産者から離れていくんだ」
 毎年お盆に福島へ帰省すると、二本松の大内さんの田んぼをのぞきにいくようになっていた。
 高校は三重県の農業学校に進み、果樹を専攻した。3年生のとき、二本松から近藤さんがスカウトにきた。太陽光発電の下で、専門をいかすチャンスだった。
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 塚田さんは自分のためにブドウ栽培を用意してくれたと思っている。が、近藤さんの本当の狙いは違ったようだ。
 「『シャインマスカットォ~』とか『ソーラーシェアリングゥ~』とか、ほかとあまりくらべるものがない果物や農法で攻めないと、放射能の問題は突き抜けられないと思ったのです」
 消費者庁の調査では、原発事故後、福島のコメや野菜を敬遠し続ける消費者は今も1割弱いる。
 生産する側も、作付けなどが一時制限された二本松や福島、伊達、相馬の4市では、計3割の田畑が営農を休止したままだ。
 ありきたりの品種や手法では新たな道はひらけない。本当の空の下、そんな切実さが、近藤さんたちの闘いから伝わった。

「再稼働ありき」で、こうした再生可能エネルギーの普及を妨害すらしているのではないかと思われる「原発村」の魑魅魍魎どもは、こうした記事を「くだらん」と一蹴するのではないでしょうか。「(笑)」とつけたいところですが、「(怒)」ですね。

【折々のことば・光太郎】

平熱、少〻息切れする、シヤベリ過ぎらし、


昭和30年(1955)1月2日の日記より 光太郎73歳

この日は、当会の祖・草野心平をはじめ、年始の挨拶的な訪問者が多く、会話が弾んだようです。それはそれで嬉しかったのでしょうが、肺結核にはあまりよろしくなかったようで……。

昨日に続いて、花巻グルメ系。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」、昨日販売分の画像をいただきました。
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新米ご飯、麦飯、牛カツ、鮭ポテト、根菜の肉味噌かけ、大根とわかめのバター炒め、塩麹入り卵焼き、白菜の塩漬け、サツマイモとりんごの甘煮だそうで。肉食系男子の当方としては(笑)、牛カツや肉味噌かけがうれしいところですし、鮭ポテトというのもどんなものだろうと気になります。サツマイモとりんご、これも共に好物でして、それがコラボされているというのもいいですね。

もう1件。「光太郎ランチ」メニューの考案に当たられているやつかの森LLCさんが商品開発に関わられたお菓子。少し前に現物が送られてきました。ありがたし。
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クッキー3種の詰め合わせです。
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上から順に、まずチョコ味。
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控えめな甘さとカカオのほろ苦さ、練り込まれたアーモンドの風味がいい感じです。

続いてチーズ味。
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チーズ感はそれほど強くなく、チーズは苦手という方でも、チーズ味と云われなければ分からないかも知れません。非常に香ばしい風味でした。

色鮮やかなストロベリー味。
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昔のカルメ焼きのような食感です。製法的にも共通するのでしょう。イチゴの香りがふわっと広がります。

袋から出した画像。盛ったのはクリムトの絵皿ですが、心霊写真のようになってしまいました(笑)。
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すると、かたわらのマッサージチェアでぷーすか眠っていた怪獣が目を覚まし……
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「おやつニャ!」とチーズ味をくわえてさっとテーブルの下に。油断も隙もありゃしません(笑)。
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猫にチョコ味は禁物ですし、ストロベリーもフレーバーがきつい感じで、「まあこれならいいか」と、割って小指の先ほど与えました。

ところで商品名は「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」。箱に入っていた栞にその由来が。
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「ブランデンブルグ」はJ.S.バッハの有名な曲ですね。光太郎はこの曲が好きで、ずばり「「ブランデンブルグ」」という長い詩(昭和23年=1948)も書きました。

さらに、帰京後の昭和27年(1952)11月に行った講演「南沢座談」から。

ある時山を歩いていたら、見晴らしの方から、ブランデンブルグの曲のあのくり返しのところがきこえて来るのです。開拓のどこかで、すばらしい蓄音機を買つたな、と思つて暫らく耳を傾けていたのですが、そのあとで開拓の人に会つたとき、「開拓じや、だれかすばらしい蓄音機の盤を買つたな」というと、誰もそんなものは買わないという。つまりわたしの幻聴だつたのです。砂漠を歩いている人が水をほしがつていると、本当に水が湧いているようにみえるのと同じことなのでしよう。わたしは気味がわるくなつて、ぞつとしました。それからすぐに花巻の宮沢さんの親戚の清六さんという人の家に行つて、そこにすつかりそろつているブランデンブルグをかけてもらいました。それをきいていると、まるでのどがかわいているとき水をのむように、音楽が身体中にしみわたつてゆくのです。音楽がこんなにも心理的に人間を左右するものだということを発見しておどろきました。それは耳できいているのでなく、皮膚から空気の振動を通してきいているというような感じです。盲目の人が物にふれ、指の先から触覚を通して音をきくというのと同じことです。わたしは人間にこれほど音楽が必要だということをはじめて知つたのです。

正確な筆録はされていないようで、賢治実弟の清六を「親戚」とするなどしていますが、おおむね光太郎の語った通りでしょう。「音楽」というものの本質を、さらっと語る光太郎。さすがです。

ところで「ブランデンブルグ」は、ドイツの地名ですが、そこそのものより、ベルリンの「ブランデンブルグ門」からベルリン動物園の間に広がる広大な森が有名です。光太郎、ドイツには足を踏み入れていませんが、バッハの曲からの連想でしょう、蟄居生活を送っていた太田村の山小屋周辺の森を「ブランデンブルグの森」と呼ぶこともあったようです。

さて、「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」、おそらく道の駅はなまき西南さんなどで販売されているのだと思われます。花巻土産の定番の一つとなってほしいもので、ぜひ皆様、お買い上げを。

ついでというと何ですが、先月、智恵子の故郷・福島二本松に行った際に購入したレモンケーキ。
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こちらも道の駅(道の駅「安達」智恵子の里さん)で販売されています。

【折々のことば・光太郎】

のどかに晴、 九時頃中西夫人宅にて皆と一緒にお雑煮を祝ふ、桑原さんが記念撮影、 来訪者なし、 平熱、 風なくよき日和なり、


昭和30年(1955)1月1日の日記より 光太郎73歳

昭和30年(1955)の年明けです。光太郎の生命の炎、あと1年3ヶ月。まだ差し迫ってどうこうという状況ではありませんでした。

中西夫人宅」は、起居していた貸しアトリエの母屋、「桑原さん」は美術評論家の桑原住雄です。

光太郎が戦後の七年間、蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)に隣接する花巻高村光太郎記念館さんでの企画展です。

企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」

期 日 : 2022年11月23日(水・祝)~2023年3月21日(火・祝)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 8:30~16:30
休 館 : 12月28日(水)~2023年1月3日(火)
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円

彫刻家で詩人として知られる高村光太郎は、戦後、62歳の時に太田村山口(現花巻市)へ移住し、約7年間の独居自炊の生活を送りました。山小屋での光太郎の食事内容は日記等に残されており、野菜等は自給でしたが、村人や友人たちの援助、そして光太郎の工夫により豊かな食生活を送っていたことがわかります。

この企画展では、光太郎の「食」をテーマに、手作りのおやつや好きな飲み物に焦点をあて、光太郎風のハイカラな食の楽しみ方を紹介します。
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同館では、以前にも企画展示「光太郎の食卓」が行われました。その際は光太郎の「食」全般についてのものでしたが、今回は特に「おやつ」に着目しての展示となります。

花巻まち散歩マガジン machicoco(マチココ)』さんで連載中の「光太郎レシピ」や、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」などの考案、調理等に当たられているやつかの森LLCさんの協力で、岩手時代の光太郎日記等から、光太郎が食したであろう「おやつ」を再現した写真パネル、光太郎に食の援助を行った人物の紹介パネルなどの展示になるそうです。

図録、とまではいきませんが、関連する内容をまとめた冊子を無料配付するとのことで、その半分ほどでしょうか、当方が執筆しました。また、そのあたりを元に、オンライン講座の形で当方が講師として語る動画が来月には公開予定です。その収録等のため、来月初めに現地に行って参ります。

もう1件。今年7月、道の駅はなまき西南さんで開催された「器と楽しむ光太郎ランチ」展の巡回が行われています。

器と楽しむ光太郎ランチ

期 日 : 2022年10月20日(木)~11月21日(月)
会 場 : 土沢カフェくるみ 岩手県花巻市東和町土沢8区115
時 間 : 10:00~17:00
休 業 : 火・水曜日
料 金 : 無料
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花巻ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画で、道の駅はなまき西南さんで販売されている「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品。それから実際に「光太郎ランチ」に添えられたメニュー表(光太郎の日記等も引用されています)もセットになっています。

また、MICHINOさんの絵本『器と楽しむ光太郎ランチ』も販売されているようです。
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それぞれ、ぜひ足をお運びください。

明日も花巻グルメ系の話題で。

【折々のことば・光太郎】

神経痛は相かはらずいたむ、動くのがおつくう、(略)ラジオなどきいてゐる、 明朝は九時頃中西夫人の方にて雑煮を祝ふこと、


昭和29年(1954)12月31日の日記より 光太郎72歳

神経痛」は結核性の肋間神経痛です。「中西夫人の方」は、起居していた貸しアトリエの母屋。昭和29年(1954)が暮れて行きます。

光太郎の父・光雲が監督となって制作された聖観音像もライトアップされる、京都東山知恩院さんのライトアップ。一昨日から始まっています。

秋のライトアップ2022

期 間 : 2022年11月12日(土)~12月3日(土)
時 間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
場 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       三門周辺、友禅苑、女坂、国宝御影堂、阿弥陀堂(外観のみ)
       経藏(外観のみ・11年ぶりの公開)、大鐘楼
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)
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主な見どころ

友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、 華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、 補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。
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大鐘楼
大鐘は高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70トン。
寛永13(1636)年に鋳造され、日本三大梵鐘の1つとして広く知られています。僧侶17人がかりで撞く除夜の鐘は京都の冬の風物詩として有名です。
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経蔵
内部の天井や柱、壁面は狩野派の絵師の手によって荘厳されています。また、徳川2代将軍秀忠公の寄附によって納められた『宋版一切経』約6千帖を安置する八角輪蔵が備えられており、その輪蔵を一回転させれば、『一切経』を読誦するのと同じ功徳を積むことができるといわれています。 ※ライトアップの拝観は11年ぶり
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昨日から、妻がお友達と京都に行っておりまして、「では、知恩院さんのライトアップ観に行って、聖観音像の写真を送ってくれ」と頼んでおいたところ、届きました。
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池の水面にも映り込む紅葉、風情がありますね。

昨年11月、BSイレブンさんで放映された「京都紅葉生中継2021 古都を照らす希望の光〜曼殊院の紅葉を堪能!」という番組から。
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まずは事前に撮影しておいた昼間の映像等。
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そして「生中継」。
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光雲の手になる作である解説もあり、ありがたく存じました。

他の場所も。
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例年、そうですが、期間中にさまざまなイベントも企画されています(最上部リンクご参照)。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】001

難波田さんくる、夫人よりガウンをもらふ、手製の由、


昭和29年(1954)12月30日の日記より
 光太郎72歳

難波田さん」は難波田龍起、かつて駒込林町にあった光太郎アトリエ兼住居のすぐ裏手に住んでいた画家です。光太郎に私淑して美術の世界に入り、詩作にも取り組みました。

難波田夫人も、光太郎終焉の地となった中野の貸しアトリエを訪問したことがありました。その夫人から贈られたという手製のガウン、1年ほど後の写真ですが、これかな、という気がします。

昨日開幕でした。

ニッポンの油絵 近現代美術をかたち作ったもの

期 日 : 2022年11月12日(土)~12月25日(日)
会 場 : 和歌山県立近代美術館 和歌山市吹上1-4-14
時 間 : 9時30分−17時
休 館 : 月曜日
料 金 : 一般520(410)円 大学生300(260)円 ( )内20名以上の団体料金
      高校生以下、65歳以上、障害者、県内に在学中の外国人留学生は無料
*11月19日(土)、20日(日)は「関西文化の日」として入館無料
*11月22日(火)は「和歌山県ふるさと誕生日」として入館無料
*11月26日、12月24日(毎月第4土曜日 ) は「紀陽文化財団の日」として大学生無料
*12月4日(毎月第1日曜日)は入館無料

 「油絵」は、日本の近現代美術史のなかで重要な位置を占めています。近代美術館である当館がコレクションの柱としている「和歌山ゆかりの作家たち」のなかにも、日本で最初期の洋画家となった神中糸子をはじめ、油絵に向き合うことから彫刻を含む自身の創作を始めた保田龍門、油絵を自らの表現方法として選び、生涯描き続けた石垣栄太郎、川口軌外、村井正誠など、重要な作家たちが含まれます。
 いまでは多くの人にとって見慣れた技法になっている油絵ですが、広く普及したのは、明治維新後に殖産興業のための技術として美術学校で教えられ、展覧会などの発表の場が設けられてからです。油絵の多彩な表現は、西洋のものの見方や、新しい思潮に裏打ちされており、それらへの憧れや共感とともに多くの若い画家たちを魅了しました。
 本展ではまず、ひとりひとりの画家が、どのように油絵と出会い、油絵によって学び、表現する者として成長していったかを作品を通して見ていきます。画家たちのまなざしは油絵を生み出した海外の表現に向かい、ひるがえって日本美術とは何であるかを問うことにもなりました。
 また、油絵具の素材としての魅力そのものにも注目したいと思います。油絵具には独特の艶と透明感があり、筆触や盛り上げを残すこともできる強い物質性を持っていることが特徴です。多くの新しい画材が開発された現代でも、絵具の層を重ねて表現する深み、ゆっくりと固まる絵具の性質を生かした表現など、油絵は材料の多様性のなかに埋もれることなく存在感を放っています。
 日本の近代美術の中に油絵がなかったなら、今日の美術表現はずいぶん違ったものになっていたでしょう。本展は、当館のコレクションを中心に、およそ100点で構成します。油絵を通して、日本の近現代美術の魅力を再発見していただく機会ともなれば幸いです。
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001上記はプレスリリースの画像。ここに紹介されていませんが(100点ほどの出品だそうで)、同館所蔵の光太郎の油絵「佐藤春夫像」(大正3年=1914)も出ているとのこと。

同館、当方の把握している限り、何だかんだで2~3年に1度は、この絵を出品して下さっています。一昨年に開催された「コレクションの50年」展、令和元年(2019)で「 時代の転換と美術「大正」とその前後」展、平成28年(2016)には「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」。同展は全国巡回でしたが、巡回先にも貸与して下さっていました。

佐藤春夫は和歌山出身ですので、同館が入手なさったのでしょう。そして、死蔵とせずにこうしていろいろな機会に出して下さるのは有り難い限りです。

現存が確認できている光太郎の油絵は、10点ちょっとしかありません。この機会をお見逃し無く。

【折々のことば・光太郎】

豊周と規君くる、規君写真をとる、弟に研石をたのむ、白ブドウ酒一本もらふ、

昭和29年(1954)12月23日の日記より 光太郎72歳

光太郎に代わって髙村家を嗣いだ実弟の豊周には、研石(砥石)の入手を頼んでいます。まだ木彫をやりたいと思っていたのでしょうか。

豊周子息で、のち写真家となった故・規氏。この年、日本大学芸術学部写真学科に入学していました。この日はカメラを持参し、光太郎を撮影しました。

規氏の回想「写真家の目と駒込林町の家 高村規の語る戦後の写真(2)」(『日本古書通信』第952号 平成20年=2008 11月)より。

002 大学一年だった僕もカメラを持ってついて行った。そのときに撮った写真が、智恵子さんが織った布地で作ったチャンチャンコを着て微笑んでいる光太郎だった。
(略)
 光太郎から「今度出す本(『全詩集大成現代日本詩人全集』昭和三十年三月・創元社)の口絵に使いたいんだけどいいかしら」と電話をもらった。そんな電話にも驚いたし、写真を始めて一年足らずの僕の写真が初めて印刷されることがうれしかった。
(略)

 昭和三十一年四月二日未明、光太郎が亡くなった。(略)相識の写真の相談が始まった。北川太一さんが本棚から最近出た本をいくつかだしてきたらしい。その本の口絵の写真を見ながら、草野心平さんをはじめとした葬儀委員の方々が、「その写真は光太郎さんが気に入ってたからこれがいいのでは、ただ写したのが誰だかわからないね」と話していた。肩越しに覗いたらアトリエで撮った僕の写真だった。「僕のです」と話したら草野さんが「これに決まりだ」と言い出した。

神戸から演奏会情報です。

やすらぎコンサートin神戸「癒しの響き 鐘シンフォニー(和編鐘)への誘い」

期 日 : 2022年11月20日(日)
会 場 : 日本基督教団神戸聖愛教会 兵庫県神戸市中央区生田町1丁目1-27
時 間 : 15:00~17:00
料 金 : 前売 3,000円 当日 3,500円

出 演 : 有機音(ゆきね 和編鐘)  大山りえ(朗読)  
      則定まり & Fresh Green Sleeves(カリヨン・リコーダー)
      こだまひろこ(ウィメンズコミュニティ代表)
      小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)

曲 目 : 1部 鐘シンフォニー
       春と修羅 水の源 和編鐘・有機音 朗読・大山りえ
       トーク「津田梅子について」 こだまひろこ
       強く、美しく 和編鐘・有機音
      2部 響きあう
       トーク&リコーダー演奏 則定まり & Fresh Green Sleeves 
       トーク「光太郎智恵子と神戸」 小山弘明
       智恵子抄より 「愛はすべてをつつむ」抜粋版
        和編鐘・有機音 朗読・大山りえ   

今社会の動きに、疲れていませんか?? 和編鐘は癒しの鐘です。皆さんの様々な重荷をおろして響きの世界で心を安らげてください。全身の緊張がとれ、リフレッシュしますよ。音に包まれる癒しの時をぜひ!!!
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というわけで、出演させていただきます。有機音さんの演奏と、大山りえさんの朗読の前座で(笑)、せっかく神戸ですので、光太郎智恵子と神戸との関わりを中心に語る予定です。

そもそもなぜ当方が名を連ねているかというと、やはり「智恵子抄」朗読を伴った有機音さんのコンサートに2回(代々木能舞台さん/矢来能楽堂さん)お邪魔し、「ではそのうち光太郎智恵子について語って下さい」とのことで実現しました。

有機音さん、先月、NHK BSプレミアムさんで放映された「Core Kyoto」という番組にご出演。その回は「古都の祈りの鐘~こころ清める 音の宇宙~」というサブタイトルでした。
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和編鐘、そして有機音さんの紹介。
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「私のやり方」とは……
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これは確かに独特ですね。

そして……
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ちなみに京都下鴨神社さんでの奉納演奏の際のロケだそうです。

「自然を師としなさい」と語ったロダンに私淑した光太郎の精神にも通じるような気がしますね。

お近くの方(遠くの方も(笑))、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

よみうり記者来て新年の詩依頼、廿五日〆切、承諾す、

昭和29年(1954)12月17日の日記より 光太郎72歳

新年の詩」は、翌年元日の『読売新聞』に掲載された「新しい天の火」。宿痾の肺結核のため、外出もままならない状態でしたが執筆依頼を受けました。詩作は約10ヶ月ぶり。散文は意外と書いていましたが。

昨日は日本橋三越さん内の三越劇場さんにて、朗読劇『智恵子抄』東京公演を拝見して参りました。
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昨年も上演され、銀座ブロッサムさんでの公演に参上しましたが、今年はキャストも代わり、さらに劇伴がチェロとヴァイオリンの生演奏ということで、改めてパワーアップヴァージョンを拝見。
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当方、三越劇場さんは初めてでした。昭和2年(1927)の竣工と云うことで、レトロかつモダンな造り。テレビ東京さんの「新美の巨人たち」で取り上げられたほど特別なホールです。

開演前。
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PXL_20221110_050424776天井にはステンドグラス、壁面下部は天然大理石、上部は漆喰でしょうか。柵などはロココ調の装飾が見事です。

ステージはまるで額縁のように縁取られ、底部には三越さんの象徴とも云うべきライオン。一階正面玄関の有名なライオン像はロンドン・トラファルガー広場のライオン像の模刻で、普通のライオンですが、こちらは「ヴェネツィアの獅子」のような有翼の獅子です。一瞬、翼があるので日本橋欄干の渡辺長男による彫刻のように麒麟かと思ったのですが、ライオンでした。

材質的にはは石膏に着色しているようでした。気になったのでネットで調べてみましたが、作者に言及しているサイトは見つけられませんでした。

さて、開幕。
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オリジナルの脚本は、昭和32年(1957)、光太郎と交流のあった北条秀司が書いたもので、その年、初代水谷八重子さんによって上演されたもの。
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その後、水谷さんの再演がなされ、さらに藤純子さん(現・富司純子さん)、有馬稲子さんによる公演もありました。その都度、他の演目との兼ね合いなどで長かったり短かったりでした。

昨年の公演から、成瀬芳一氏構成と云うことで、オリジナルの脚本を75分ほどで上演出来るように改めたもので上演されています。ただ、今回の上演に当たっても、細部に少し手を入れられたそうですが。

キャストは、昨年に引き続き智恵子役に一色采子さん。こういうと失礼ながら、昨年は昨年で素晴らしかったのですが、今回はさらに智恵子になりきっていらしたと感じました。光太郎は昨年の横内正さんから松村雄基さんにバトンタッチ。若返った感じでした。
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さらに二反田雅澄さん、小川絵莉さんがそれぞれ複数の役を演じられました。終盤、お二人が光太郎蟄居先である花巻郊外旧太田村の村人役をなさいましたが、なんともナチュラルな東北弁。あれ? 東北のご出身なのかな、と思ったのですが、調べてみたところ、小川さんは東京、二反田さんにいたっては大阪のお生まれだそうで、驚きました。さすがプロですね。

そしてチェロとヴァイオリンのお二方。実にいい感じに雰囲気を作って下さっていました。

下記は終演後。
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明後日には、智恵子の故郷、福島二本松の旧安達町での公演もあります。楽屋口で一色さんに「二本松公演も頑張って下さい」とお声がけして、会場を後に致しました。

ところで、「朗読」「智恵子抄」というと、ついでのようになってしまって申し訳ありませんが、明日、京都でこんなイベントがあるとのこと。気づくのが遅れ、明日になってしまいました。

茶子 TeaTime 小さな朗読会 ~2022 秋~

期 日 : 2022年11月12日(土)
会 場 : 本屋ともひさし 京都市下京区烏丸通五条下る大坂町405
時 間 : 13:20~
料 金 : 500円

出 演 : Tea Time 茶子

小さな朗読会を開催します! 智恵子抄を8本程選ばせて頂きました。高村光太郎氏と智恵子さんの世界観をぜひお楽しみ下さい。
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ぽつりぽつりではありますが、いろいろなところで光太郎智恵子の世界を取り上げて下さり、有り難いかぎりです。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃鯉淵より孟彦くる、生徒さんら6人つれてくる、暫時談話、


昭和29年(1954)11月14日の日記より 光太郎72歳

鯉淵」は茨城県の鯉淵学園、現在も鯉淵学園農業栄養専門学校として続いています。「孟彦」は光太郎実弟にして藤岡家へ養子に行った光雲四男です。鯉淵学園に勤務していました。

この頃、離れて暮らしていた弟妹の訪問が相次ぎます。すぐ下の弟・豊周が「兄貴もそろそろやばいかも」という連絡を廻したのではないかと思われます。どっこいこの後もまだ1年半近く、光太郎の命の炎は燃え続けましたが。





光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海による仁王像の立つ信州善光寺さんがらみのテレビ番組を2件。

ブラタモリ#222 善光寺〜善光寺はなぜ多くの人を引きつける?〜

地上波NHK総合 2022年11月12日(土) 19:30~20:15

「ブラタモリ#222」で訪れたのは長野県の善光寺。旅のお題「善光寺はなぜ多くの人を引きつける?」を探る▽ご本尊は絶対秘仏…驚きの御開帳システムとは▽衝撃の創建物語!聖徳太子が阿弥陀如来にフラれ、皇極天皇が地獄から救い出されて…▽上杉、武田、織田、徳川、豊臣…名だたる武将に愛された数奇な運命▽扇状地と断層が生んだ奇跡の立地とは?▽善光寺名物・七味誕生秘話▽ピンチをチャンスに?出開帳で日本中が大熱狂!

【出演】 タモリ 野口葵衣 【語り】草彅剛
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同じ日にもう1件。

土曜スペシャル いい旅・夢気分 2022秋 〜紅葉めざして乗り継ぎ旅SP〜

地上波テレビ東京 2022年11月12日(土) 18:30〜20:54

にっぽん全国、その季節に「一番行きたい名所」「一番見たい絶景」「一番食べたい料理」を求めて、鉄道や路線バスを乗り継ぎながら、絶景の紅葉を目指し旅します。絶景の紅葉と旬の料理、一度は泊まりたい極上宿をご紹介しながら、親しい間柄だからこそ聞ける本音など、出演者の素顔も垣間みることのできるTHE旅番組「いい旅・夢気分」!

① 今回は8月に解散したバス旅Zの名コンビ田中要次と羽田圭介がマドンナ神田愛花と共に岩手・盛岡〜秋田・田沢湖をめざし、みちのく湯めぐり旅を満喫します。時間に追われていた「バス旅Z」では堪能できなかった「紅葉」と「渓谷」散策を楽しみ、秘湯の温泉や山の幸に舌鼓!ゆったりとした旅に「バス旅Z」の思い出話に花が咲かせたかと思いきや、バスに乗り遅れる珍ハプニングも!果たして無事ゴールできるのか⁉

② SixTONESの髙地優吾とじゅんいちダビッドソンは群馬・みなかみ町へ!
キャンプ・バイクの共有の趣味を持つ二人は紅葉のピークを迎えた「谷川岳ロープウェイ」で絶景を堪能。温泉ソムリエの資格を持つ髙地の希望で温泉天国・群馬のいで湯を路線バスに乗り継ぎながらハシゴ!さらに地元・みなかみの食材を集め、紅葉のグランピングを満喫。簡単にできるキャンプ㊙技や料理も公開!二人の本音と素顔は必見です!

③ 島崎和歌子、相田翔子、鈴木蘭々のプライベートでも仲良しな平成の元アイドル3人組は信州の秋を大いに満喫する旅に!善光寺の参道と紅葉の散策路での食べ歩き、小布施で旬の栗と信州そばに舌鼓!湯田中では古き良き温泉街で信州の秋の味覚の珍しいスイーツを発見!昔の思い出話にも花を咲かせ女子旅ならではの旅を満喫!志賀高原では、紅葉のじゅうたんと感動のラストが!周辺のオススメ紅葉絶景露天風呂も紹介します!

出演者
【岩手県・盛岡市〜秋田県・田沢湖】田中要次、羽田圭介、神田愛花
【群馬県・みなかみ町】髙地優吾(SixTONES)、じゅんいちダビッドソン
【長野県・長野市〜小布施〜湯田中〜北志賀高原】島崎和歌子、相田翔子、鈴木蘭々

ナレーター:宮崎美子

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それぞれ、仁王像について少しでも触れていただけるとありがたいのですが……。

「少しでも」と言えば、過日ご紹介したやはりテレビ東京さんの「土曜スペシャル 千原ジュニアのタクシー乗り継ぎ旅12 秋田〜青森・世界遺産」。光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森十和田湖、しかも「乙女の像」すぐ近くの十和田神社さんがチェックポイントの一つということで、「乙女の像」の紹介もあるかなと思って拝見しましたが、残念ながら「乙女の像」、紹介はなく、写り込んだのもほんの一瞬でした。

出演された千原ジュニアさんと勝村政信さん、十和田湖畔を徒歩で秋田側から青森側に入られ、その後、「乙女の湖道」から十和田神社さんまで約1㌔歩かれましたが、その間がビデオの早廻しとなり、約4秒(笑)。「乙女の像」の脇も通られましたが、この場面、コマ送りにしてもブレています。
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この間、コンマ1秒以下(笑)。ま、しかたありますまい。ちなみに平成29年(2017)にオンエアのあった「ブラタモリ #81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」では、「乙女の像」、約2秒間の出演でした(笑)。

このシーン以前の、秋田田沢湖の「たつこ像」は、それなりに紹介されていました。
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「たつこ像」は、昭和43年(1968)、光太郎と交流のあった舟越保武の作品。よく「乙女の像」と混同されて閉口しているのですが……。像全身が金色であるのは、「乙女の像」に、最初、金メッキを施して湖中へ沈めるという光太郎の構想があったものの、結局は実現しなかったことを受け、その代わりに、という理由もあります。

同じ番組での十和田神社さん。
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さて、上記「ブラタモリ#222 善光寺〜善光寺はなぜ多くの人を引きつける?〜」及び「土曜スペシャル いい旅・夢気分 2022秋 〜紅葉めざして乗り継ぎ旅SP〜」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

校閲を全部終り、まとめる、「あとがき」だけのこる、

昭和29年(1954)11月12日の日記より 光太郎72歳

現在も版を重ねている岩波文庫版『高村光太郎詩集』関連です。これが、自ら校閲した最後の著書となりました。

大分県から演奏会情報です。

「智恵子抄」~智恵子と高村光太郎の生涯をたどって~

期 日 : 2022年11月17日(木)
会 場 : iichiko音の泉ホール 大分県大分市高砂町2番33号
時 間 : 19:00~
料 金 : 無料

出 演 : 上田雅美(ソプラノ) 中村弘人(テノール) 中村仁 (テノール)
      星野美由紀(ピアノ)

歌曲の会特別企画演奏会ということで、第1部は「日本抒情歌曲への誘い」と題して山田耕筰や中田喜直といった作曲家の作品と、第2部では清水脩作曲の歌曲集「智恵子抄」(全曲)を演奏いたします。智恵子への愛を綴った詩に「取り付かれた」清水作品を3人で歌いあげていきます。どうぞお聴きください。
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大分県民芸術文化祭」参加事業の一つだそうです。001

故・清水脩氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」全12曲が演奏されます。抜粋で演奏されることは多いのですが、全曲まとめてというのは、少なくともここ10年ほどの間では無かったように思われます。

清水氏、光太郎生前の昭和30年(1955)からこの歌曲集の作曲を始め、まず「あどけない話」など6曲(うち3曲はオケ伴)。続いて「あなたはだんだんきれいになる」他二曲が昭和34年(1959)、そして「晩餐」等2曲が昭和46年(1971)に加えられ、全12曲となりました。楽譜は昭和53年(1978)に音楽之友社さんから刊行されています。

アナログレコード、CDも抜粋のものが多くありますが、昭和47年(1972)、中村健氏の歌唱による全12曲収録のLPが日本ビクターさんからリリースされています。同じ音源と思われるCDも平成3年(1991)に発売されています。
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清水氏、これ以外にも男声合唱、混声合唱、さらには箏曲でも、「智恵子抄」詩篇に曲を付けた作品を複数作られていて、これだけ多く光太郎詩に曲を付けられたのは、ジャンルは違いますがシャンソン系のモンデンモモさんと清水氏とお二方だけです。

今回の演奏会では、ご出演されるお三方の歌い手さんが分担なさって全12曲を歌われるとのこと。なるほど、そういうのもありかな、と思いました。

そして何と入場無料。お近くの方(遠くの方でも)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小山書店の小山久二郎氏くる、「天平の彫刻」をもらふ、


昭和29年(1954)11月8日の日記より 光太郎72歳

天平の彫刻」は正しくは「天平彫刻」。光太郎が一部を執筆したもので、元版は戦時中の昭和19年(1944)に刊行されましたが、戦災で倉庫が焼け、ほとんど出回りませんでした。戦後になって昭和23年(1948)に復刊、さらにこの年、新たに図版を数多く入れた版が刊行されています。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ青森県十和田湖でのイベントです。実は申込期間を過ぎてしまっていますが、キャンセル等があるかもしれませんのでよろしく。また、こういう取り組みもあるんだよ、ということで。

ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖

期 日 : 2022年11月12日(土)
会 場 : 十和田湖畔休屋(青森県十和田市) 十和田湖休平(秋田県小坂町)
定 員 : 100名 (4枠×25名) ※定員になり次第締め切り
​資 格 : 6km程度の距離を歩ける方
      交通規則及び当イベントのきまりやマナーを守れる方
      年齢、性別等は一切問いません
時 間 :  9:00 受付開始 (十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前)
       9:30 晴山獅子舞演舞開始(30分間)
      10:00 枠①スタート   (  9:45受付締切)
      10:30 枠②スタート   (10:15受付締切)
        晴山獅子舞演舞開始(30分間)
      11:00 枠③スタート   (10:45受付締切)
      11:30 枠④スタート   (11:15受付締切)
      15:00 ゴール締切 (十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前)
料 金 : 大人・小人(小学生以上)同額 4,000円
       (ガストロノミー(お食事・飲み物)、温泉入浴券、傷害保険)

日本の魅力溢れる温泉地を舞台に、ゆっくりと歩く目線で、その地域の「食」「自然」「文化・歴史」を体感する「ONSEN・ガストロノミーツーリズム」。昨年度よりその趣旨で観光プログラムを取り組み始めて、検証を行なった一般社団法人十和田奥入瀬観光機構はこの度、一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構が特別協力を担う日帰りイベントシリーズの「ONSEN・ガストロノミーウォーキング」に参入し、十和田湖畔温泉に特有の地域資源をウォーキングによって、一度に満喫できる「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」を開催いたします。

11月12日(土)に行われる当イベントは、十和田湖畔休屋(青森県十和田市)及び十和田湖休平(秋田県小坂町)エリアの観光スポットを繋ぐ約6kmのコースを、ご参加者各自のペースで15:00までに歩いていただきます。沿道には美味しい地酒と、地元に根ざした食材にこだわった品数豊かな料理が用意され、ゴールではお土産として、地域の誇りの食材及びお菓子の配布がございます。十和田市伝統芸能の晴山獅子舞のご鑑賞や十和田神社のお参りより、この土地ならではの文化もぜひご吟味いただきたく存じます。ウォーキング後は入浴券を利用して、十和田湖畔温泉または奥入瀬渓流温泉に浸かり、お癒しの時間を過ごせます。

当イベントは国立公園である十和田湖の温泉地としての魅力を引き出し、多くの方にご体験いただくことで、地域の活性化を図っております。ご多忙の中、誠に恐縮に存じますが、ぜひご取材、ご紹介賜りますようお願い申し上げます。

ウォーキング距離:6km
所要時間:2〜3時間(温泉入浴時間は含まれておりません)
スタート/ゴール地点:十和田湖観光交流センター「ぷらっと」前 桟橋前広場
見どころ: 晴山獅子舞、十和田神社、乙女の像、十和田ビジターセンター など
※当日の天候等により、コースは予告なく変更する場合がございます。
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「乙女の像」もコースに含まれています。
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その他、雄大な自然を「めぐる」、十和田バラ焼きやヒメマスなどを「たべる」、そして温泉に「つかる」(温泉はコース設定に入って居らず、各自でだそうですが)。「るるぶ」ならぬ「るるる」ですね(笑)。
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これまで、一般社団法人十和田奥入瀬観光機構さんの主宰する冬のイベントは、令和元年度(2019年度)まで「十和田湖冬物語」、そして一昨年度、昨年度と「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe」として、それぞれ長期間の開催でした。しかし今年度は11月12日(土)の一発勝負のようです。昨年度の「カミのすむ山 十和田湖 FeStA LuCe」開催中に、コロナ禍第7波がズドンと来て大変なことになったのも影響しているのでしょうか。いずれまた旧に復してほしいものなのですが……。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃水野清氏玄関まで、紀念碑や の紙持参、


昭和29年(1954)10月31日の日記より 光太郎72歳

水野清氏」は、親友だった作家・水野葉舟の子息。のちに政界に打って出、建設大臣、総務庁長官などを歴任されましたが、この当時はNHKさんに勤務されていました。令和元年(2019)に亡くなっています。

紀念碑」は葉舟の暮らした千葉成田三里塚に建てられた葉舟歌碑、「 の紙」(空白部分は一字不明)もそれに関わるかと思われます。元々光太郎が揮毫するはずだったのですが、体調がすぐれず断念、代わりに窪田空穂が筆を揮いました。

昨日も都内に出ておりました。

まずは泉屋博古館東京館さんで、「生誕150年記念 板谷波山の陶芸-近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯-」を拝見のため、六本木へ。
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都内でも紅葉が始まっている感じでした。
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陶芸家・板谷波山。創立間もない東京美術学校彫刻科で光太郎の父・光雲に学んだという異色の経歴があります。そこでの教えが後の波山芸術バックボーンの一つとなっている点は確かに感じられました。

撮影可だった作品。
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紋様は描かれているだけでなく、浮き彫り風になっており、確かに彫刻のエッセンスが感じられます。1ミリにも満たない凹凸で感じられる立体感という意味では、智恵子の紙絵にも通じるものがあります。そういえば智恵子も太平洋画会で彫刻を学んだ経験がありました。

師・光雲の木彫が2点。波山に乞われて造ったという「瓜生岩子像」は、個人的な依頼に対して気楽に応じた、という感じでした。といってもいい加減に造っているわけではなさそうですが。もう1点の「三猿置物」は、きちっと「作品」として仕上げたという様相。拝見に行く以前に入手していた図録にサイズが記されており、「高24.2 幅27.2 奥行18.6」。その数値から「こんなもんか」というイメージを固めていたのですが、実際に拝見すると、その倍くらいに感じられました。

光雲にしても、光太郎にしても、優れた彫刻はやけに大きく見える傾向があります。現在、常設展で出ているトーハクさんの「老猿」にしても、実際に見たことがあるという方と話す中で「像高90㌢ほどですよ」という話をすると「え? 1㍍50㌢くらいと思ってましたが」ということがままあります。内部から迸るエネルギー的な物の発露がそういう錯覚を起こさせるのでしょうか。

003波山の木彫「元禄美人」にも驚きました。図録で見た時には「ふーん」という感じだったのですが、実物を見ると実にいいのです。特に驚いたのは、着物の柄を陰刻で彫ってあること。図録の画像もよく見ればそれが分かるのですが見落としていまして、実物を見て「うおー、こんなことをやっていたのか」と初めて気がつきました。波山の本業である作陶にも通じる技法ですね。

そしてメインの陶磁器(というかほとんど磁器)。当方、いわゆる「焼き物」にはあまり興味はないのですが、波山の葆光(ほこう)彩磁は以前から好きでした。多くの作をまとめて見たのは今回が初めて。目を奪われました。また、波山は焼き上がったものに少しでも納得が行かない点があると、叩き壊してしまうことで有名でしたが、その破片も数多く展示されていました。妥協を許さない芸術家の魂的な物を強く感じました。

ついでにというと何ですが(笑)、波山と交流のあった光太郎の「手」も出ています。どこから借りてきたものか不明なのですが、苦言を呈させていただければ、台座が稚拙なのが残念です。

ちなみに光太郎と波山。光太郎が美校に入学する前、旧制中学の課程を本郷にあった共立美術学館予備科で学びましたが、数学が苦手でどうにもならなかったそうです。そこで波山に頼み、数学を得意とする人物を紹介してもらって個人教授をお願いしたとのこと。それでも駄目だったようですが(笑)。

さて、拝観後、六本木を後に銀座へ。同じ都内でも下町方面を廻ることが昔から多いので、「ギロッポンからザギンって、俺らしくないな」などと思いつつ(笑)。

次なる目的地は王子ホールさん。こちらでは作曲家・朝岡真木子氏の作品が演奏される「えつ子とまき子のコンサート 2022秋」を拝聴して参りました。朝岡氏から招待状を頂いてしまいまして、馳せ参じた次第です。
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9月24日、旧東京音楽学校奏楽堂さんにおいて行われた「清水邦子リサイタル 清水邦子が贈る朝岡真木子の世界」で演奏された「組曲 智恵子抄」から抜粋で「あどけない話」と「レモン哀歌」。歌唱はその際と同じく清水邦子氏。情感たっぷりに歌い上げていらっしゃいました。

他の曲目も、9月の演奏会とは異なるものがほとんどでしたし、二重唱などもあって、合唱経験者の当方としては生で聴くハモりは心地よいものでした。

演奏中は撮影禁止でしたが、終演後。
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左から朝岡氏、清水氏、メインで歌われた前澤悦子氏、加賀清孝氏。

その後、ホワイエで朝岡氏、清水氏とお話をさせていただきました。清水氏、「智恵子抄」を歌われたことで光太郎智恵子の世界に非常に興味を持たれ、明日、二本松の智恵子生家/智恵子記念館に行かれるそうです。明日まで生家二階の特別公開、智恵子の花嫁衣装の展示が為されていて、そちらをご覧になりたいとのことでしたので、フライヤー等お渡ししておきました。

今週はもう1度、都内に出ます。10日(木)、三越劇場さんでの「朗読劇 智恵子抄」。主演の一色采子さんから「来なさい」という至上命令ですので(笑)。今月、というと、またのちほどご紹介しますが、20日(日)に神戸で和編鐘の有機音さんのコンサートに「応援出演」ということで行って参りますし(光太郎智恵子について語って参ります)、月末には高村光太郎研究会でまた都内。千葉の田舎から出て行くのはなかなか大変なのですが、「芸術の秋」ですから仕方がありません(笑)。というか、コロナ禍で自粛、中止が相次いでいた頃に較べれば、足を運べる催しが多いことは幸いと云うべきでしょう。ただ、「第8波が懸念」という報道もあり、まだまだ予断を許さぬ状況ですが……。

【折々のことば・光太郎】

火の車より使、清六さんからのマヒ茸松茸、ベニマス等もらふ、夜それをくふ、

昭和29年(1954)10月9日の日記より 光太郎72歳

火の車」は当会の祖・草野心平が経営していた居酒屋。「清六さん」は賢治実弟の宮沢清六です。

この頃の光太郎は、宿痾の肺結核で外出も出来ない状態でしたが、食欲だけは旺盛でした。

既知のものですが、光太郎書簡が展示されます。

茨城大学五浦美術文化研究所所員企画展2022 「つなぐ人 つなぐ文―手紙に「見る」そのひとらしさ―」

期 日 : 2022年11月8日(火)~11月21日(月)
会 場 : 茨城大学図書館本館1階展示室 茨城県水戸市文京2-1-1
時 間 : 10:00~16:45
休 館 : 11月13日(日) 11月19日(土) 11月20日(日)
料 金 : 無料

その人らしさが表れる手紙。手紙は当事者間でやり取りするものですから、本来なら本人以外は見ることができないものです。本展は、横山大観、木村武山など五浦ゆかりの画家や大観が認めた小川芋銭、高村光太郎などの手紙に表れる「そのひとらしさ」に触れてみようという企画です。彼らの手紙は草書や変体仮名が使われ、しかも筆を走らせているため、知識がないと「読めない」です。でも、「線」や「書きぶり」を見ることはできます。太さ、細さ、強さ…様々な表現に感じられる「そのひとらしさ」を体験して「読まない」鑑賞をしてみませんか。

ぜひお誘いあわせの上、ご来場ください。

※事前予約が必要です。入場申込 からお申し込みください。)。
※新型コロナウイルス感染症の影響を鑑み、例年より規模を縮小しての開催といたします。
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関連企画

「つなぐ人 つなぐ文―手紙に「見る」そのひとらしさ―」記念講演会
 会  場 : 茨城大学 図書館 本館3階 ライブラリーホール
 会  期 : 令和4年11月12日(土)
 開演時間 : 13:25~15:50
 講演1 「小川芋銭の芸術」 小泉晋弥(茨城大学名誉教授・美術評論家)
  大観はなぜ、芋銭を日本美術院同人に推挙したのか、
  その問いから、明治から大正にかけての日本画の展開を考えてみます。
 講演2 「光太郎と宮崎稔」 安裕明(茨城県立多賀高等学校講師)
  高村光太郎と小川芋銭を繋いだ宮崎稔。取手の宮崎仁十郎、稔父子を通じ、
  芋銭と光太郎の交流についてお話しします。

  ※開場は13:10~となります
  ※事前予約が必要です。参加申込 からお申し込みください。
  ※先着順となりますので、予めご了承ください。

展示される光太郎書簡は、昭和17年(1942)2月28日付のもの。茨城取手の詩人・宮崎稔に送られた葉書です。宮崎は戦後、光太郎の仲介で、智恵子の最期を看取った智恵子の姪・春子と結婚しています。
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光太郎が落款等に愛用していた、齋白石制作の印について述べられており、興味深い内容です。また、内容のみならず、味わい深いその文字も魅力的ですね。

関連企画の講演会でも、宮崎と光太郎について触れられるようです。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

麻布中学生20人相模湖にて遭難のラジオ、


昭和29年(1954)10月8日の日記より

この頃の光太郎日記には、ほとんど社会情勢などに関する記述がないのですが、この日は別でした。後に「内郷丸遭難事件」と呼ばれるようになる事故で、新制麻布中学校の生徒22名が、相模湖で載っていた遊覧船の沈没により亡くなったという痛ましいものです。前途有為な少年たちの死ということで、よほど印象に残ったのでしょう。

過日ご紹介した、福岡県の北原白秋生家・記念館さんでの「北原白秋没後80年特別企画展~白秋と若き文士たち~」について、『毎日新聞』さんが報じて下さいました。

ゲーム「文豪とアルケミスト」題材、白秋展始まる 福岡・柳川

 福岡県柳川市出身の詩人、北原白秋(1885~1942)の命日(2日)にちなみ、同市沖端町の白秋生家・記念館で1日、白秋らが登場するオンラインゲームを題材にした企画展「白秋と若き文士たち」が始まった。
 ゲームは2016年から配信されている「文豪とアルケミスト」。文豪が残した文学書が次々と黒く染まってしまう現象が起き、人々の記憶から文学が消えていく中、それを阻止しようと白秋ら文士が登場するという趣向だ。
 企画展はゲームで描かれた白秋ら文士の等身大パネルを展示し、直筆手紙など約30点の史料で高村光太郎(1883~1956)、室生犀星(1889~1962)らゲームに登場する他の文士との交流を紹介する。初めての詩集「邪宗門」など20代の時の白秋を知るコーナーも設けた。
 高田杏子館長は「青春時代の白秋ら、若き文士の自由で光り輝く作品を楽しんでほしい」と鑑賞を呼び掛けている。入場料一般600円、小中学生250円。鑑賞者に白秋をデザインしたしおりを贈る。2023年3月31日までの開催だ。
 1日夜は市内の掘割にどんこ舟が連なる「白秋祭水上パレード」もあった。パレードは2、3日夜もあり、2日午前10時からは同市矢留本町の白秋詩碑苑で白秋にささげる献詩もある。
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同じくゲーム「文豪とアルケミスト」のコラボ企画として、岩手花巻で行われ、花巻高村光太郎記念館さんもチェックポイントとなっていた「宮沢賢治×高村光太郎×文豪とアルケミスト スタンプラリー」は、先月一杯で終了。その関係で多くの若い方々がいらして下さったと同館の方から連絡があり、ありがたい限りです。中には花巻市街から自転車で、という強者(つわもの)もいらしたそうで。

それぞれの文豪に深く親しむための入り口としては、こうしたタイアップもありだと存じます。全国の関係者の皆さん、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

智恵子の命日、十七回忌にあたる、 「心」の婦人記者玄関まで、 夕方椛澤さん玄関まで、智恵子の墓参してくれた由、菊をもらふ、


昭和29年(1954)10月5日の日記より 光太郎72歳

昭和20年(1945)からの岩手蟄居中は、花巻市街の松庵寺さんで、ほぼ毎年智恵子の法要を営んでもらっていた光太郎ですが、もはや外出もままならず……。

昨日は都内に出ておりました。

まずは中目黒。めぐろ歴史資料館さんで昨日から始まった特別展「目黒の名工 千代鶴是秀×小宮又兵衛×高山一之」を拝見。
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明治生まれで既に故人となった目黒ゆかりの名工二人(道具鍛冶・千代鶴是秀と蒔絵筆師・小宮又兵衛)、昭和生まれで現在も目黒でご活躍中の刀装師・髙山一之氏の三人にスポットを当てたものです。

このうち、千代鶴是秀は光太郎と直接交流があり、光太郎は是秀作の彫刻刀を使っていまして、昨年、東京藝術大学さんで開催された「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」展に出品されました。

今回の展示、是秀は朝倉文夫と交流が深かったため、台東区の朝倉彫塑館さん所蔵の是秀作品が数多く、さらに、平成29年(2017)に『職人の近代――道具鍛冶千代鶴是秀の変容』という書籍を書き下ろされた土田昇氏(土田刃物店さん)所蔵のものなどが展示されていました。

図録(700円)から。
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以前に朝倉彫塑館さんで拝見した記憶があるのですが、何度見ても素晴らしいものです。

昭和15年(1940)に土門券が撮影した光太郎の写真には、これとよく似た彫刻刀が映っています。
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もしかすると、これも是秀作かな、と思っております。

ただ、同じ日に撮影された別のショットでは、是秀っぽくない道具を使っています。まぁ、一つの彫刻を制作するにも色々な道具を使うのでしょうが。
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その他、是秀から朝倉宛の書簡なども多数展示されており、興味深く拝見しました。他の二人の「名工」の作も。

続いて、地下鉄を乗り継いで文京区千駄木へ。旧駒込林町の、光太郎アトリエにほど近い旧安田楠雄邸庭園さんが次なる目的地でした。こちらでは一昨日から「となりの髙村さん展 第3弾 髙村光雲の仕事場」が開催中。
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こちらは、入り口の向きは逆なのですが、まさに髙村家(光太郎実家)の隣です。当方、昨年「語りと講話 高村光太郎作 智恵子抄」で講話をさせていただいて以来、約1年ぶりでした。

2階建ての1階では、髙村家所蔵の光雲作品や古写真など。
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2回の座敷では、昨年から今年にかけての、「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」展東京藝大さん)、「髙村達写真展 髙村光雲の仕事」(日本写真会館さん)、「善光寺御開帳記念 善光寺さんと高村光雲 未来へつなぐ東京藝術大学の調査研究から」(長野県立美術館さん)などに展示された、光雲作品の写真タペストリー等(光雲令曾孫・髙村達氏撮影)が中心でした。
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達氏がいらしていて、久しぶりにお目にかかりました。コロナ禍前の令和元年(2019)の連翹忌以来だったでしょうか、久闊を除しました。この写真類をお借りして、当方が関わっている花巻の高村光太郎記念館さんあたりで企画展示が行えないものかと、そんな提案をしておきました。

安田邸をあとに、ここまで来たついでなので(笑)、指呼の距離にある光太郎旧居址。今は一般の住宅になってしまっています。
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その中間には、過日ご紹介した洋画家・近藤洋二が厄介になっていた、宮本百合子の実家。
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この案内板の前を通って、細い路地をくねくね行き、突き当たりを左折すれば光雲邸(光太郎実家)のあった現・髙村邸。さらに安田邸の裏門となります。

さて、「目黒の名工」は12月11日(日)まで、「となりの髙村さん展」は会期が短く11月6日(日)までです。さらに安田邸にほど近い文京区立森鷗外記念館さんでは、特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」も開催中です。それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

午后山端静子くる、果物をもらふ、丈夫のやうなり、155番地にゆきたる由、筆談、

昭和29年(1954)9月29日の日記より 光太郎72歳

山端静子」は光太郎のすぐ下の妹。現在、令孫が北鎌倉でカフェ兼ギャラリー笛を経営なさっています。この兄妹が会ったのは戦後2回目、そしておそらく光太郎生前最後だったようです。

155番地」は先述の光太郎実家。光太郎、しづ(静子)兄妹のさらに下の豊周が跡を継いで居住していました。

詩人で、朗読の活動もなさっている宮尾壽里子氏からご案内を頂きました。朗読系のイベントのようです。

満ちてゆく秋の午後 IN BON ART & 霜月 満月 一日遅れの誕生日

期 日 : 2022年11月8日(火)
会 場 : BON ART 東京都文京区本郷5-25-17
時 間 : 15:00~18:00
料 金 : 無料

軽食を頂きながら、みんなで歌って踊って語って楽しく過ごしませんか。一芸をプレゼントして下さい ♪
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昨年、フランスで刊行された仏訳『智恵子抄』・『Poèmes à Chieko』(当方が宮尾氏にお貸ししました)から、「山麓の二人」を朗読される方がいらっしゃるとのこと。

その他「詩人、役者、朗読者と賑やかな会」だそうです。また、「一芸をプレゼントして下さい ♪」だとのことですので、飛び入りも可なのでしょうか。

残念ながら、今月はあちこち顔を出す機会委が多く、当方は欠礼いたしますが、ご興味のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后岡本先生くる、診察、血圧をはかる、二度はかりしが、115度くらゐとの事、かなり低し、今夕死んだ水爆患者、久保山氏は85度とのこと、 平熱、

昭和29年(1954)9月23日の日記より 光太郎72歳

水爆患者、久保山氏」は、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験に巻き込まれた第五福竜丸の無線長です。被爆から約半年後のこの日、亡くなったとのこと。

血圧の「115」とか「85」は、最高血圧でしょうが、「115」で「かなり低し」……「うーむ」という感じです。当方、最近測っていませんが、最高は100ちょっと、下手すると2桁、最低は70くらいです。

このところ、紹介すべき事項等が多く、3件まとめてご紹介します。

まず、文京区立森鷗外記念館さんの特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」を取り上げた、『産経新聞』さんの記事。

初出展続々 没後100年「鷗外遺産」展

 森鷗外記念館(東京都文京区)で、特別展「鷗外遺産 直筆資料が伝える心の軌跡」が始まった。今年生誕160年、没後100年の文豪・森鷗外に、さまざまなアプローチで光をあててきた同館が「記念事業のハイライト」という展示。今年明らかになった新資料など、出品総数80点のうち21点が「展覧会初出展」とあって注目されそうだ。
 同展は「書簡篇」「原稿篇」の2部構成。書簡篇の19通のうち、18通は今夏、島根県津和野町の森鷗外記念館への寄託で明らかになった鷗外宛て書簡400通の一部で、もちろんすべて展覧会初登場。
 発信者は、夏目漱石・鏡子、正岡子規、永井荷風、与謝野晶子、小山内薫、高村光太郎、高浜虚子、中村不折ら15人。たとえば、鷗外の推薦で慶應義塾大学教授になった荷風は、雑誌「三田文学」を創刊する際の意気込みなどを報告。虚子は、陶芸家・書家の北大路魯山人から相談を受け、鷗外に紹介する内容(12月1日から展示)。
 原稿篇では大正5年、鷗外が54歳のときの新聞連載「渋江抽斎」の49、50回の原稿や、同作などの史伝出版に向けた広告原稿も今年の新資料。作品執筆の経緯や新聞連載時から出版までの変遷もわかる。
 一方、16歳の鷗外が東大医学部でドイツ語の講義を書き取り、日本語に訳して冊子にした、初めての〝著作〟ともいわれる「筋肉通論」も初出展となった。
 同展監修の須田喜代次大妻女子大名誉教授は「書簡を見ていくと、鷗外を包み込んでいた文化の広がり、鷗外文化圏が浮かび上がる。16歳と54歳のときの原稿も同時に見られる。いずれも丁寧な推敲、修正など、ものを書くときの姿勢が16歳の森林太郎からもうかがえる」と話している。
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同展レポートはこちら。光太郎から鷗外宛書簡について考察しております。

続いて『毎日新聞』さんに月イチで連載の、和合亮一氏による「詩の橋を渡って」。氏が新刊の現代詩集を紹介するというコンセプトですが、光太郎を引き合いに出して下さっています。

野村喜和夫氏の『美しい人生』(港の人)と『シュルレアリスムへの旅』(水声社)、それから谷元益男氏の『越冬する馬』(思潮社)の三冊が取り上げられ、そのうち『越冬する馬』の評で、光太郎の名。

004 谷元益男の『越冬する馬』(思潮社)のタイトルに早くも次の季節の到来を。「老いた男は 何百匹ものサカナを/釣り上げただろう」。高村光太郎は詩を言葉の彫刻であると語ったが、研ぎ澄まされた筆先が心の中の風景や記憶を鮮明に彫り上げる。山や田に囲まれた土地で暮らしている人々の生き様が足し引きなく描かれている。「ダムは ゆらゆらと水を湛(たた)え/山深い色を映して/巨大な一枚の絵のように/静かに 男の前に立っていた」

和合氏、この連載では時折光太郎に触れて下さっています。ありがたし。

令和2年(2020)5月 令和2年(2020)7月 令和2年(2020)12月

最後は雑誌です。平成29年(2019)の朝ドラ「とと姉ちゃん」ヒロインのモデルとなった大橋鎭子が創刊した『暮しの手帖』2022年10-11月号
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元NHKアナウンサーの山根基世さんへのインタビュー「こころざしって何だろう?」中に、やはり光太郎。

 飾り立てた言葉でなくていい。心のこもった、正直な言葉。地に足のついた、人間の言葉を交わしたいと切実に思って。
 「インターネットでは、瞬間の反応でやりとりする言葉があぶくのように生まれていて、それに慣れると、ゆっくり、じっくりとものを考える時間がなくなっていく。思考力が弱っていくのを、私自身も感じています」
 そんななかで折々に思い出すのが、高村光太郎がある小学校に書いて贈った、「正直親切」という言葉だという。
 「若い頃はわからなかったけれど、最近は、人間にとって大切なことだと思うの。ある年齢になった高村光太郎が、本気で気がついて、小学生たちに『覚えておいてね』という気持ちをこめたのではないかしら。熟考された言葉は、短くて簡潔でも、打つ力があるわね」


「正直親切」は、花巻郊外旧太田村に蟄居中だった光太郎が、山小屋近くの山口小学校に校訓として贈った言葉です。残念ながら同校は廃校となりましたが、その跡地にその書を使ったモニュメントが残るほか、光太郎母校の荒川区立第一日暮里小学校さん、光太郎と交流のあった故・田口弘氏が教育長を務められていた埼玉県東松山市の新宿小学校さんに、それぞれ同じ書を刻んだ石碑が設置されています。

記事では山根さんが力を入れられている朗読の勉強会についても触れられています。

それから、光太郎には触れられていませんでしたが、当会会友・渡辺えりさんが連載をお持ちで、これは存じませんでした。題して「あの時のわたし」。もう第23回だそうで。これまでの連載の中で、亡きお父さまと交流のあった光太郎に触れられているのかな、という気がしました。あるいはこれからかもしれません。今度お会いした時に訊いてみます。

というわけで、『暮しの手帖』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

筑摩書房より全集の印税3分の1くる、小切手(230,018円、)冷蔵庫の前借80,000円引らし、

昭和29年(1954)9月12日の日記より 光太郎72歳

全集」は『日本文学全集』第24巻「高村光太郎・萩原朔太郎・宮沢賢治集」。「冷蔵庫」についてはこちら。それにしても、当時の23万円というのは破格ですね。しかもそれで3分の1。それだけ売れたということなのでしょうが。確かにこの時期からあと、この手の文学全集ものは大流行していきます。

このところ、紹介すべき事項等が多く、2週間ほど前の報道ですが……。

長野県の地方紙、『信濃毎日新聞』さん。

小説「安曇野」を大河ドラマに 実現の道探る 安曇野市長が懇談

 安曇野市の太田寛市長は17日、同市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」のNHK大河ドラマ化を目指し、小説にゆかりのある関係者らと市内で懇談した。小説に登場する彫刻家、荻原碌山(ろくざん)(守衛(もりえ))の作品を展示する碌山美術館の関係者や臼井の親族ら8人が出席。姉妹都市や県外のゆかりの地と連携したPR活動、教育現場への話題提供などの提案があった。
 小説は明治から昭和にかけて活躍した荻原や、新宿中村屋を創業した相馬愛蔵・黒光夫妻らの群像を描く。懇談会で、市の担当者が黒光を主人公とする案などを説明。出席者からは「戦争を含め、先達がどうやって時代をつくってきたのか伝えることは大切だ」といった意見が出た。
 市は今後、登場人物ゆかりの場所を紹介するパンフレットを作る方針。太田市長は「(関連施設の)来館者を増やす方策も進めたい」とした。
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同じ件で、松本平地区をカバーする『市民タイムス』さん。

『安曇野』大河ドラマに 安曇野市長と懇談の中村屋社長「市に協力」

 安曇野市堀金出身の臼井吉見(1905~1987)の小説『安曇野』を原作とした大河ドラマ実現を目指す太田寛市長は30日、最初の取り組みとして中村屋(東京都新宿区)の島田裕之社長らと都内で懇談した。中村屋を創業した相馬愛蔵(1870~1954)と黒光(1876~1955)の夫婦は『安曇野』の主要な登場人物で、島田社長は市に協力する考えを示した。
 新宿中村屋ビルでの懇談で、太田市長は「1、2年でできることではない。地道な活動を続けていきたい」と出席者に呼び掛けた。島田社長は「壮大なロマンのある話。可能な限りお手伝いさせていただければ」と応じた。
 中村屋側からは、愛蔵と黒光が夫婦で役割分担をしながら経営したことを踏まえて「女性の社会参画や経営参画といったアプローチができるのでは」といった提案があった。
 懇談には、愛蔵と黒光の長女をモデルに作品制作をした洋画家の中村彝(1887~1924)の記念館や新宿中村屋のロゴを手掛けた書家で洋画家の中村不折(1866~1943)に関係する博物館の担当者も出席して意見を交わした。
 『安曇野』は臼井が約10年かけて完結した原稿用紙約5600枚に及ぶ大作だ。市は安曇野のPRに加え、郷土愛を育むためにも大河ドラマ化を目指している。市は趣旨を書いたパンフレット作成などを検討している。太田市長は「実現には10年はかかる」と話した上で、「安曇野という言葉を広めたのは臼井吉見の『安曇野』だと思っている。皆さん協力していただけるということで力を得た」と先を見据えていた。
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小説『安曇野』は、現在の安曇野市出身の臼井吉見が、昭和40年(1965)から同49年(1974)にかけて刊行した全5巻の小説です。同郷で、新宿中村屋さんの創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻を軸に、明治30年代から戦後までを描く大河小説です。臼井は、光太郎が昭和21年(1946)から翌年にかけて執筆した連作詩「暗愚小伝」を、雑誌『展望』に掲載した編集者でもありました。

第二部では、相馬夫妻の援助を受けていた碌山荻原守衛も主要登場人物として描かれ、それに伴って守衛の親友だった光太郎も登場します。その他、太平洋画会での智恵子の師・中村不折や中村彝など、中村屋サロンに集まった芸術家たち、それから相馬夫妻は社会運動にも関わっていましたから、幸徳秋水、大杉栄・伊藤野枝夫妻ら、さらに戦時中の部分には臼井自身も登場します。

大河ドラマ化が実現すれば、必然的に光太郎も登場することとなるでしょうから、ありがたいかぎりです。ただし、ハードルは高いものと思われます。全国で似たような運動は少なからず起こっているでしょうから。

当方自宅兼事務所のある千葉県香取市でも、地元の偉人・伊能忠敬を主人公にした大河ドラマを、という気運が盛り上がったことがあります。結局、尻すぼみになってしまいましたが、逆にそれを題材にした映画「大河への道」が中井貴一さん主演で制作され、今年、公開されて話題になりました。

その反面、追い風も吹いているかなという気もします。かつての大河ドラマでは、近現代物はほとんど作られませんでしたが、近年は「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」「青天を衝け」など、近現代を扱った作品も数年おきに作られるようになってきましたので。

テレビついでにもう1件、放映情報です。

土曜スペシャル 千原ジュニアのタクシー乗り継ぎ旅12 秋田〜青森・世界遺産

地上波テレビ東京 2022年11月5日(土) 18:30~20:54

番組史上最長270km旅!秋田&青森縦断!田沢湖・十和田湖を巡りめざすは世界遺産!千原ジュニアと俳優・勝村政信が立ちはだかる奥羽山脈と八甲田山に挑む!ゴールなるか?

「すみません、タクシーを呼んでもらえませんか?」
千原ジュニアがゲストの俳優勝村政信さんとタクシーを乗り継いで秋田県の大仙市から青森県の三内丸山遺跡を目指す!今回のチェックポイントは…▼秋田県「田沢湖畔の御座石神社」▼青森県「十和田湖畔の十和田神社」を巡りゴールを目指します! 道中には魅力あふれる立ち寄りスポットも!

秋田名物・稲庭うどんに比内地鶏の焼き鳥、十和田名物ヒメマス料理など紅葉の季節に巡りたいグルメも!旅気分を満喫も、やはり予測不能な「タクシー乗り継ぎ旅」は今回も「お名前ボーナス」「お言葉チャレンジ」に翻弄され一喜一憂! 秋田・青森の温かい人たちに助けられ、果たして秋の東北を巡りながら制限時間までにゴールすることができるのか!?

出演者 千原ジュニア 勝村政信
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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森十和田湖、しかも「乙女の像」すぐ近くの十和田神社さんがチェックポイントの一つ。

一昨年の同じ番組で、ジュニアさんとゲストの古舘伊知郎さんが青森県深浦町から八戸市の葦毛崎までを旅されました。その際には秋田の小坂町から十和田湖畔を通って太平洋側に抜けて行かれたのですが、十和田湖はほぼスルー(笑)。今回はどうなりますことやら。

ぜひご覧下さい……とも言えないところですが(笑)。

【折々のことば・光太郎】

又ヒドラジツドをのみ始める、


昭和29年(1954)9月11日の日記より 光太郎72歳

ヒドラジツド」は、イソニコチン酸ヒドラジッド。抗結核薬の一つで、この2年ほど前から一般に処方されるようになりました。翌年くらいには、ヒドラジッド、ストレプトマイシン、パスの3剤を併用することで結核の死亡率を劇的に下げる手法が用いられるようになりましたが、光太郎に対しては既に時遅しだったようです。

ちなみに当方も、肺を冒されるには至りませんでしたが、幼少時、結核の強陽性で、ヒドラジッドを服用し続けていた時期がありました。

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