2022年08月

都内から現代アートの展覧会情報です。

緑色の太陽とレンコン状の月

期 日 : 2022年9月10日(土)~10月8日(土)
会 場 : タカ・イシイギャラリー 東京都港区六本木6-5-24 complex665 3F
時 間 : 12:00~18:00
休 廊 : 日・月・祝祭日
料 金 : 無料

「人は案外下らぬところで行き悩むものである。いわゆる日本画家は日本画という名に中てられて行き悩んでいる。いわゆる西洋画家は油絵具を背負いこんで行き悩んでいる。」という書き出しから始まる高村光太郎のエッセイ《緑色の太陽》は、僕が近年ずっと抱えていた問題意識と共振するような内容で驚いた。100 年以上も前に書かれたこのテキストはたんに芸術論であるばかりか、現在わたしたちが直面しているコロナ禍、そして不安定な世界情勢の中でどう生きるべきかを示唆しているように思う。「人は、そして芸術家は国家に規定されるのか?」という根本的な問いを造形言語のレベルから検討し可視化したい。
梅津庸一

タカ・イシイギャラリーでは、9 月 10 日(土)から 10 月 8 日(土)まで、梅津庸一「緑色の太陽とレンコン状の月」を開催いたします。梅津のタカ・イシイギャラリーでの初個展となる本展では、梅津が近年新たに制作に打ち込んでいる陶作品を中心に、30 点以上の大小様々なドローイングと、大塚オーミ陶業株式会社の協力のもと制作された陶板作品を展示いたします。

梅津は、「美術とはなにか」、「人がものをつくるとはなにか」という根本的な問いについて、様々な角度から思考、実践してきました。日本における美術の受容史を自らの身を以て体現した代表的な自画像シリーズや、パフォーマンスを記録した映像作品で知られてきましたが、自身が主宰するアートコレクティブ「パープルーム」や、非営利のギャラリーの運営、展覧会のキュレーション、テキストの執筆、そして、一昨年より新たに加わった陶作品の制作など、その活動領域は、近年より一層の多面性を見せています。2021 年にワタリウム美術館にて開催された個展「ポリネーター」では、これまであまり知られていなかった梅津の活動の全貌が明らかになりました。なかでも、140 点もの陶作品により構成された「黄昏の街」は、SF的な想像力と、粘菌の増殖に見られるような秩序とが同居したメルクマール的作品と言えるでしょう。 

2021 年、梅津は、六古窯のひとつである信楽の製陶所を間借りして作陶を始めます。明治時代から日本を下支えしてきた産業のひとつである「窯業」を起点に、現代アートにおける「ものづくり」について考察を深めています。今年 7 月には、信楽の複数会場にて「一人芸術祭」の様相を呈した「窯業と芸術」展を企画・開催し、作家による「やきもの」だけではなく、それを下支えするインフラにもスポットを当てました。また、梅津は現代アートで近年注目の高まる陶芸を単なる「オーガニックなもの」や「手仕事への回帰」としては捉えておらず、陶芸における柳宗悦や河井寛次郎らによる民藝運動と、それに付随する「オリエンタリズムの功罪」を積極的に見出すことで、一連の作品を編み上げているのです。 

梅津のドローイング作品は、ひとつの表現様式に一元化しない複雑さを有しています。ポエジーと物理法則、私小説的な感受性、フォーマリズム絵画の原理が互いに作用しながら編まれる作品は、1 点 1 点が独立した作品でありながらも、それぞれが有機的な結びつきをみせています。本展では、陶芸とドローイング、窯業と芸術、モダニズムと図画工作の間を行ったり来たりしながら練り上げられた、およそ 100 点に及ぶ作品群を展示いたします。決してひとつの結論に回収されることのない梅津の複合的なアプローチは、その作品や活動の全体を介して私たちに「美術とはなにか」という疑問を投げかけているようです。梅津の思考の基盤と、次なる展開をこの機会に是非ご高覧ください。 

梅津庸一は 1982 年山形県生まれ。相模原在住。東京造形大学絵画科卒業。絵画作品、ドローイング作品、自身を題材とした映像作品、セラミック作品、陶板作品と多様なメディアを介して制作を行うほか、自身が主宰する「パープルーム予備校」(2014 年~)および「パープルームギャラリー」の運営、美術手帖 特集「絵画の見かた」(2020 年 12 月号)の監修、テキストの執筆など活動領域は多岐にわたる。主な個展に「未遂の花粉」愛知県美術館(愛知、2017 年)。「ポリネーター」ワタリウム美術館(東京、2021 年)。 作品集に『ラムからマトン』(アートダイバー、2015 年)。 
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光太郎の評論「緑色の太陽」からのインスパイアだそうで。

「緑色の太陽」は、光太郎帰朝後の明治44年(1911)、雑誌『スバル』に発表された「日本初の印象派宣言」とも呼ばれるもので、同時代の美術家たちに多大な影響を及ぼしました。のちに妻となる長沼智恵子も、これを読んで目からウロコだったようです。

題名の「緑色の太陽」は、次の一節に象徴的に使用されています。

人が「緑色の太陽」を画いても僕は此を非なりとは言はないつもりである。(略)「緑色の太陽」がある許りで其の絵画の全価値を見ないで過す事はできない。絵画としての優劣は太陽の緑色と紅蓮との差別に関係はないのである。

さらに、

僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めてゐる。従つて、芸術家のPERSOENLICHKEITに無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味に於いて、芸術家を一箇の人間として考へたいのである。

PERSOENLICHKEIT」は独語で「個性」。まさに印象派宣言といえましょう。

梅津氏、存じ上げない方ですが、絵画、陶芸などの作品を作られているとのこと。そこで今回の個展では、大塚オーミ陶業株式会社さんの協力のもと制作された陶板作品も並ぶそうです。大塚オーミ陶業さんといえば、埼玉県比企郡ときがわ町の正法寺さんに寄進された光太郎筆の「般若心経」を写した陶板を制作なさった会社です。不思議な縁を感じました。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

花巻病院長さん夫妻車でくる、そのうち「わんこそば」などの催あるとの事、
昭和28年(1953)11月28日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに帰った花巻ですが、郊外旧太田村の山小屋には起居せず、大沢温泉さん、志戸平温泉さん(この日も)、花巻温泉さんなどを泊まり歩いていました。宿痾の肺結核は既に老体を長く蝕んでおり、また初冬とはいえ岩手の寒さは厳しく(この日も雪が舞っていました)、むべなるかな、です。

花巻病院長さん」は佐藤隆房。「「わんこそば」などの催」は不分明です。

信州安曇野の碌山美術館さん。光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛の個人美術館ですが、光太郎、柳敬助ら、守衛の周辺にいた作家の作品も収蔵、展示なさっています。

現在、コレクション展的な「中村屋サロンの芸術家たち」が開催されていて、光太郎の「裸婦坐像」(大正5年=1916頃)、「十和田湖裸婦像のための小型試作」(昭和27年=1952)も展示されています。
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出品目録的には以下の通りです。

彫刻11点
 戸張孤雁 《をなご》1910年  《足芸》1914年
 中原悌二郎 《老人》1910年 《若きカフカス人》1919年 《憩える女》1919年
 高村光太郎 《裸婦坐像》1916年頃  《十和田湖裸婦像のための小型試作》1952年
 保田龍門 《臥女》1924年 《裸婦立像》1927年
 堀進二 《中原悌二郎像》1916年 《中村彝氏頭像》1969年
平面(デッサン、油彩等)(12点)
 荻原守衛 《こたつ十題其一》1910年頃 《こたつ十題其二(複製)》1910年頃
  ※会期中入れ替えます
 戸張孤雁 《荒川堤》1910年《橋を渡る農婦》制作年不詳
 柳敬助 《荻原守衛肖像》1910年頃 《千香》1910年頃 《婦人》1910年
 齋藤与里 《花あそび》1950年 《山峡秋色》1957年
 鶴田吾郎 《窓辺》制作年不詳 《ネパール国境のヒマラヤ》制作年不詳
      《リガ》制作年不詳

そちらの関連行事として、市民講座が開かれます。

美術講座「中村屋サロン展の作家たち」

期 日 : 2022年9月10日(土)
会 場 : 碌山美術館 杜江館2階 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 18:30~20:00
料 金 : 無料
講 師 : 武井敏氏(碌山美術館学芸員)


ご興味のある方、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひどうぞ。

ところで碌山美術館さんというと、本館に当たる碌山館修繕のためのクラウドファンディングが、明日まで実施されています。

当初目標額は700万円でしたが、あっという間にそれを達成、その後も寄附の勢いとどまらず、「セカンドゴール」に設定されていた1,000万円、「サードゴール」の1,800万円もクリア。今朝の段階で2,100万円を突破しています。

世の中、まだまだ捨てたものではないなと実感させられました。繰り返しますが、明日までの実施です。さらなる支援をよろしくお願いいたします。

【折々のことば・光太郎】

小屋の中ゐろりでいろいろ撮影、井戸水くみ、大根きざみ、スルガさん宅でそば食を皆でやる。

昭和28年(1953)11月27日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに帰った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。

前日に続き、この日もブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」の撮影が行われました。
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光太郎帰村についての報道については、こちら

先週のNHK盛岡局さんローカルニュースから。花巻高村光太郎記念館さんで現在開催中の企画展示「光太郎、海を航る」についてです。

高村光太郎 海外留学中に送ったハガキなどを展示 花巻市

 詩人で彫刻家の高村光太郎がアメリカやヨーロッパに留学中に出されたハガキなどを展示する企画展が花巻市で開かれています。
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 高村光太郎は20代の時におよそ3年間、アメリカやイギリスそれにフランスに留学し、彫刻やデッサンなどを学びました。
 花巻市にある高村光太郎記念館で開かれている企画展には、高村光太郎が留学中に家族や知人に送ったはがきや執筆した直筆の原稿など20点が展示されています。
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 このうち明治42年の4月に光太郎の弟、道利にあてた絵はがきは今回、初めて公開され、旅行で訪れたイタリア・ローマの芸術や文化の高さに驚いた様子が記されています。
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 また明治41年1月に、当時パリに住んでいた画家の白瀧幾之助に宛てた絵はがきには、新年のあいさつなどが書かれています。
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 このほか昭和16年の芸術評論「ミケランジェロの彫刻写真に題す」の直筆の原稿4枚なども展示されています。
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 仙台市から訪れた人は「ヨーロッパでの生活の中で、日本を客観的に見ることができたのではないか」と話していました。
 花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐は「欧米で実際に何を見て、聞いて暮らしていたのかを展示を通じて感じてもらいたい」と話していました。
 企画展は来月30日まで開かれています。

少し前ですが、市の『広報はなまき』7月15日号で、道利宛の葉書について紹介されていました。
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ついでに当方によるレポートもご覧下さい。

ニュースで述べられた通り、会期は9月30日(金)までです。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

小春日和、映画班の人達四人同道、電車車中の撮影、二ツ堰より山口まで車、村長さん宅着 スルガさん宅エン側にて重次郎さん等と撮影、田圃の中、林間、小屋等撮影、 四時頃小学校行 村人の歓迎会あり、


昭和28年(1953)11月26日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに、花巻郊外旧太田村に帰りました。

半分はブリヂストン美術館の美術映画「高村光太郎」の撮影のためでもありましたが、当初の構想では、冬期には東京中野の貸しアトリエで、気候のいい時期には旧太田村の山小屋と、二重生活を目論んでいたようです。

美術映画「高村光太郎」から。
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テレビ放映情報です。

徳永ゆうきの一期一会はなうた旅 #22

BSJapanext 2022年8月29日(月) 19:58〜21:00

実力派演歌歌手の徳永ゆうきが北海道・東北地方の7道県をおさんぽ! その土地にゆかりのある方と一緒に北国の絶景やグルメ・工芸品等を巡ります。旅先を訪れる際にはその場所にまつわる”はなうた”を歌いながら、別れ際にはお世話になった方々へ歌をお届けします♪ みるだけでなく、聞いても楽しい旅番組です!

今回の「はなうた旅」の舞台は宮城県。演歌歌手の徳永ゆうきが女川町を旅します。
▼ダンボールで作ったランボルギーニ!?
▼三陸の海の素材を使った石鹸とは?
▼絶品!銀鮭のフルコースに舌鼓!

出演者 徳永ゆうき

6月に放映された#12では、智恵子の故郷・福島県二本松市が取り上げられ、智恵子についても言及していただきました。

今回の舞台は、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町。
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昭和6年(1931)夏、新聞『時事新報』の依頼で、紀行文「三陸廻り」を連載するために三陸一帯を旅した光太郎。女川にも宿泊しました。それを記念して、平成3年(1991)には光太郎文学碑が建立され、翌年からは毎年8月9日に女川光太郎祭が開かれています(一昨年からコロナ禍のため中止)。

平成23年(2011)の東日本大震災では甚大な被害となり、その後、津波からの避難のランドマーク「いのちの石碑」が、光太郎文学碑の精神を受け継いで全額寄付金で建立されました。活動の中心メンバーの一人、鈴木智博さんは、かつて複数回、女川光太郎祭で光太郎詩文の朗読をなさって下さっていました。

その女川町でのロケということで、光太郎文学碑、いのちの石碑、ちらっとでもご紹介いただければ幸いです。

番組紹介文にあるのは「ダンボールで作ったランボルギーニ!?」。
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「絶品!銀鮭のフルコース」。
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ちなみにこの銀ザケ、女川の出島にお住まいの漁師にして女川光太郎の会会長・須田勘太郎さんから毎年のようにクール宅急便で送っていただいております。
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ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

大沢より映画班の人車でくる、それにて大沢山水閣泊り、 入浴、今日の湯はあつし、

昭和28年(1953)11月25日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに帰った岩手花巻。

「映画班の人」はブリヂストン美術館の美術映画「高村光太郎」制作スタッフです。光太郎の帰郷に便乗したか、撮影のために帰郷したか、ニワトリが先か卵が先か何とも云えませんが、翌日から撮影も行われました。

新刊、というより稀覯書の覆刻、さらに2ヶ月ほど経ってしまっていますが……。

石川善助詩集『亜寒帯』復刻版

2022年6月27日 石川善助著 モリナカヒデキ編 あるきみ屋 定価990円(税込み)

詩集『亜寒帯』は1936年に刊行された石川善助の唯一の詩集であり遺稿詩集です。編纂は逸見猶吉、草野心平、宍戸儀一。装幀は亀山巖。1970年に名著刊行会から再刊されて以来、52年ぶりに北海道の小さな版元から復刻されました。

石川善助は1901年仙台市国分町の生まれ。さまざまな職業に就きながら詩作や民話研究に励んだ後、27歳の時に上京しました。小森 盛、高村光太郎、草野心平、尾形亀之助、佐藤惣之助ら多くの詩人と知り合い、とくに草野心平とは自宅に居候するほど親交がありました。また、宮沢賢治とはお互いに才能を認め合う仲で、善助の死後、追慕を綴った賢治の手紙が残されています。

善助は1932年に酒に酔った帰り道に誤って線路脇の側溝に転落し、31歳の若さで生涯をとじました。生前に詩集は刊行されませんでしたが、友人たちによって没後4年目に詩集『亜寒帯』が刊行されました。序文は高村光太郎。

<彼は徹頭徹尾北方人であり、北方の持つ峭厲と皓旰と、規矩と結晶性と、海中火山のやうな晦冥と三貫島のやうな孤僻とを具備してゐた。〜詩集『亜寒帯』序文より〜>

本書は北海道根室市のあるきみ屋によって原本に近い形で、2022年、善助の命日である6月27日に復刻されました。合わせて、宮沢賢治「石川善助に」、「宮沢賢治と児童文学」編者執筆、郡山弘史「亜寒帯の詩人」、「石川善助と草野心平」編者執筆を収録。さらに別冊で詩集「亜寒帯」用語の手引きと、石川善助作・童話「海豹と市長」が付いています。

仙台市太白区の愛宕神社の山門脇には詩碑「化石を拾ふ」が広瀬川を見下ろすように今も立っています。
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石川善助(明34=1901~昭7=1932)。当方は光太郎との絡みで存じていましたが、一般にはほとんど忘れられつつある名ではないかと存じます。

光太郎が序文を書き、没後に刊行された唯一の詩集『亜寒帯』が覆刻されました。おそらく商業ベースでは採算が取れるかどうかと云う出版と存じますが、敢行なさった版元の英断には敬意を表します。

死後、地元の友人が編集・発行した随筆集『 鴉射亭随筆 』に寄稿された宮沢賢治の「石川善助に」を収録、さらに編者・モリナカヒデキ氏による、石川と賢治や当会の祖・草野心平との関係に触れた解説つきだそうです。

また、附録として石川の童話「海豹と市長」、用語解説集が付いているとのこと。
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ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

午前九時35分常盤線花巻行、 みちのく号、草野君、難波田君同車、食堂にてビール、 夕方七時花巻着、清六さん等出迎にゐる、

昭和28年(1953)11月25日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに岩手に帰りました。このあと、12月5日まで滞在します。

当初の構想では、冬期には東京中野の貸しアトリエで過ごし、気候のいい時期には花巻郊外旧太田村の山小屋と、二重生活を目論んでいたようです。

晩年の光太郎に親炙し、当会顧問であらせられた故・北川太一先生の奥様・北川節子様が、8月16日(火)に亡くなられました。享年94歳だったそうです。ご葬儀は御家族と近親者のみで、北川先生の時と同じく菩提寺の文京区浄心寺さんにて執り行われたとのこと。

昨日、ご子息光彦氏から通知の葉書が届き、驚いた次第です。そちらによれば、「亡くなる直前まで比較的元気で家族と共に自宅で過ごし、最後も家族に見守られながら静かに亡くなりました」。
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千駄木のお宅にお邪魔するたび、優しい笑顔で迎えて下さった節子様。連翹忌の集いや女川光太郎祭北川先生を囲む新年会等、いつも北川先生の傍らで、その優しい笑顔をふりまかれ、どんな場でもたちまち和ませてしまうという特技をお持ちでした。

節子様、光太郎最晩年の日記に登場されています。

后北川太一氏新婚の細君同伴来訪、二本松訪問の話をきく、(昭和30年(1955)10月27日)

北川先生は昭和27年(1952)には光太郎が起居していた中野の貸しアトリエを訪問され、以後、何度も足を運ばれていましたが、この月20日に、当時勤務されていた定時制高校でのご同僚であらせられた節子様とご結婚なさり、初めてお二人でのご訪問でした。

二本松訪問」は、御夫妻の新婚旅行。その際の写真がこちらです。
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翌昭和31年(1956)、光太郎の亡くなった年にも。

后北川太一夫妻くる、メドツクもらふ、三時半辞去、新年詩の新聞贈呈、(昭和31年(1956)1月24日)

「メドツク」はワインと思われます。「新年詩の新聞」はおそらくこの年元日の『中部日本新聞』。詩「開びやく以来の新年」が掲載されていました。

節子様、この2回の会見の際の印象として、「光太郎先生はとても大きい人だった」と語られました。小柄だった御夫妻と較べての体格、という意味もありましょうが、それよりも光太郎の人格的な大きさということをおっしゃっていたのだと存じます。

節子先生(かつての教え子の皆さんがそうお呼びでしたので、当方もうつってしまいました)の笑顔に接することがもうできないのかと思うと、実に淋しい限りですが、北川先生の元に旅立たれたのだと考えれば、心が安らぎます。彼岸にてまた仲睦まじく、そして光太郎とも再会していただきたく存じます。

【折々のことば・光太郎】

鼠穴ふさぎ、 夜在宅、うどん玉子等、 ネズミまだ出る、


昭和28年(1953)11月23日の日記より 光太郎71歳

前年まで7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋でも、ネズミは奇妙な同居人でしたが、北川御夫妻が訪問された中野の貸しアトリエでもネズミが出没。昭和20年代には珍しくなかったのかもしれません。

新刊です。

月をみるケンタウルス 紳士の心得帳

2022年8月15日 法橋和彦著 未知谷発行 定価2,000円+税

馬の挙動、騎手の振る舞い、血統や体重の増減、馬場の状態……あらゆるデータを蒐集して予想するレースの展開と出走馬の着順!その光の奥に数字と札束しか見ないようでは紳士の遊びとは言えまい。
 
傍らに馬券、視線の先でゴールを駆け抜ける馬と騎手、そのとき心に浮かぶのは長い人類の営み、個々の人間各々の業、喜び、美、文学に昇華された形而上学……
 
正統派ロシア文学者だからこそのディープなロシア文学への言及、日本、中国、フランス、エト・セトラ、走る馬を見ながら専門を越え、凡そ琴線に触れるあらゆる文学を想起する、前代未聞の競馬エッセイ――77年~79年日刊スポーツ連載
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目次

 「京都記念」を観戦してトルストイのトバク心得を思う
 高橋成忠最後の騎乗を見て、幻の名馬「ホルストメール」を思う
 サンケイ大阪杯をみて『アンナ・カレーニナ』の競馬を思う
 鳴尾記念をみて『スペードの女王』の賭けを思う
 「桜花賞」を見終えて中央競馬会をしかる
 『さつき賞』を予想して、ドストエーフスキイの『賭博者』を思う
 チエホフの『賭け』、「NHK杯」を見て思う
 ペチョーリンの賭け、オークスに敗れた馬に思う
 宝塚記念をみて、茂吉の『童馬漫語』を思う
 中京競馬をみて「連環万馬の計」を思う
 夏の中京万馬券を論じてマラルメの詩おもう
 小倉戦牝馬の好走見て火野葦平の『花と龍』を思う
 ブロンディン死の綱渡りに、馬と騎手の連帯を思う
 戦争で死んだ馬五十万頭、盛夏の「小倉」に思う
 小倉記念に無法松の「勇み駒」をきく
 阪神障害ステークスに、初秋の歌を聞く
 鱒二の「仲秋名月」を、長月特別に思う
 万馬券を逸して「ムツゴロウの大勝負」を思う
 4レース連続のコース・レコードに、ヴェルレエヌの「秋の歌」を思う
 松若騎手を悼みおくる高村光太郎の「秋の祈」
 菊花賞を見て漂泊の俳諧師一茶を思う
 エリザベス女王杯に思う、ヴァレリイの「海の墓標」
 セントウルステークスに三好達治の歌をきく
 「有馬記念」をみて釋迢空の歌をおもう
 一休宗純の魔界
 テンポイントの悲運を恨む
 ミカローズの好走にエセーニンの詩を思う
 淀の「忘れ水」
 ジェリコーの馬ととべ
 桜花賞トライアルの酒
 物狂わす〝桜の花の下〟
 「さつき賞」を見る
 郷原騎手の無念にパドックのドガを思う
 叱られ叱りとばして……
 ダービーに萩原葉子の『蕁草の家』を思う
 語らざれば愁なきに似たり
 宝塚記念の雪辱をはたす
 悶といふ字
 魔の三年目の悪相(紳士の心得帳1)
 三十にして立たず、四十にして惑う(紳士の心得帳2)
 漱石と馬券のはなし(紳士の心得帳3)
 勝負のひけどき(紳士の心得帳4)
 白地図の効用(紳士の心得帳5)
 鴎外の賭博論(紳士心得帳6)
 女性の同伴つつしむべし(紳士心得帳7)
 「三十六計逃げ馬」考(紳士心得帳8)
 グシケンに〝希望〟
 博奕の精神(紳士心得帳9)
 「花が石にも咲きはせじ」(紳士心得帳10)
 つるぎは折れぬ馬もたふれぬ(紳士心得帳11)
 イカロスと魔法の馬(紳士心得帳12)
 羊どしに泣く
 入試問題と馬の予想003
 花の下にて春死なん
 春なれや二月となれば
 上悍こそ大将の乗るべき馬
 「散ればこそ……」
 ぬれて匂ひし花や散るらん
 馬を見に行く
 天皇賞と「落馬結い」
 「五月は黒鹿毛をねらえ」
 黒鹿毛おおいに笑う
 「牝馬おおいに走る」
 木槿は馬にくはれけり
 我を絵にみる夏野かな
 万のことは頼むべからず
 「馬よ花野に眠るべし」
 「コガネムシは金モチだ」
 「数字と連想」
 続「数字と連想」
 解説 岩浅武久

サブタイトルが「紳士の心得帳」。しかしマナーとかファッションとかではなく、紳士の趣味とされてきた「競馬」に関するエッセイ集です。

著者の法橋(ほっきょう)和彦氏は、ロシア文学者にして大阪外語大名誉教授。氏が昭和52年(1977)から翌年にかけ、『日刊スポーツ』さんに連載なさっていた同名のコラムを一冊にまとめたものです。この書籍以前に、氏の退官記念にと、教え子の皆さんが氏の執筆目録を作成された際、本書の解説も書かれているやはりロシア文学者の岩浅武久氏が、『日刊スポーツ』紙の連載を見つけ、「これは面白い、何とか一冊にまとめられないか」と、奔走して出版されたものだそうです。

そういうわけで、およそ45年前の競馬界。競馬には詳しくない当方でも記憶している名馬の名が頻出します。テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラス、カツラノハイセイコなどなど(ハイセイコーは既に引退していました)。

競馬を語ったエッセイ集ですが、法橋氏のご専門のロシア文学――トルストイ、チェーホフ、ドストエフスキーなど、さらには仏文でボードレールやヴェルレーヌ、そして日本文学にもからめて展開されています。目次からわかりますが、漱石、鷗外、太宰、芭蕉や一茶など。

そしてわれらが光太郎。「松若騎手を悼みおくる高村光太郎の「秋の祈」」という章で、詩「秋の祈」(大正3年=1914)が引かれています。

   秋の祈

 秋は喨喨(りやうりやう)と空に鳴り002
 空は水色、鳥が飛び
 魂いななき
 清浄の水こころに流れ
 こころ眼をあけ
 童子となる

 多端粉雑の過去は眼の前に横はり
 血脈をわれに送る
 秋の日を浴びてわれは静かにありとある此を見る
 地中の営みをみづから祝福し
 わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ
 奮然としていのる
 いのる言葉を知らず
 涙いでて
 光にうたれ
 木の葉の散りしくを見
 獣(けだもの)の嘻嘻として奔(はし)るを見
 飛ぶ雲と風に吹かれるを庭前の草とを見
 かくの如き因果歴歴の律を見て
 こころは強い恩愛を感じ
 又止みがたい責(せめ)を思ひ
 堪へがたく
 よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまづ)く
 いのる言葉を知らず
 ただわれは空を仰いでいのる
 空は水色
 秋は喨喨と空に鳴る

第一詩集『道程』(大正3年=1914)の巻末を彩る詩で、おそらく『道程』のために書き下ろされたと推定されています。この後、光太郎は詩作を一旦中断します。確認出来ている限り、次に発表した詩は2年後の「我家」です。まぁ、いわば詩人としての一区切りをつけた、記念すべき作です。

「秋の祈」が書かれ、『道程』が出版された大正3年(1914)は、智恵子との結婚披露も行われました。父・光雲を頂点にいだく日本彫刻界と訣別し、展覧会等には作品を出さず(出せば「光雲の息子だから」という理由で、本質を理解されないまま入選してしまうことを危惧したと思われます)、智恵子と手を取り合って、この国に新しい芸術を根付かせていこうという悲壮な決意を固めていた時期でした。詩「道程」の「僕の前に道はない/僕の後に道は出来る」も、そうした表れです。

さて、この詩が引用され、語られたのは松若勲騎手。昭和52年(1977)11月5日、京都競馬場の第9レースで起こった大規模な落馬事故で亡くなりました。この事故を機に、安全対策の見直しが図られたそうです。法橋氏もこの項でそれを訴えていました。

そして法橋氏、生前の松若騎手、「秋は喨喨(りやうりやう)と空に鳴り/空は水色、鳥が飛び/魂いななき/清浄の水こころに流れ/こころ眼をあけ/童子となる」ような騎乗ぶりであったとし、この詩のような心境でレースに臨み続けた生涯だったのだろう、と結んでいます。多少の無理くり感がありますが、若松騎手の人柄にも接していた法橋氏にとっては、そういう感じだったのでしょう。

他に、「魔の三年目の悪相(紳士の心得帳1)」という章でも光太郎詩。こちらでは明治44年(1911)に書かれた「根付の国」が使われています。

   根付の国

 頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付(ねつけ)の様な顔をして
 魂をぬかれた様にぽかんとして
 自分を知らない、こせこせした
 命のやすい
 見栄坊な
 小さく固まつて、納まり返つた
 猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、
  鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人

章題中の「魔の三年目」は、「競馬を始めて三年目」の意。ビギナーズラックも終わって、思わぬ散在にこりて手を引く人も多い中、逆に一発逆転のギャンブルとしての側面に取り憑かれ、泥沼にはまり出すのもこの時期だそうです。そうなった人々の顔つきは「根付の人」のようだ、というわけで。さもありなん、ですね。

こんな感じで、各章、競馬を語りながらの人生論、文化論、歴史論、そして紳士論となっています。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

吉澤といふ狂信者のやうな人くる 折紙をやる由、門口でかへす、


昭和28年(1953)11月17日の日記より 光太郎71歳

折紙」で「吉澤」となると、平成17年(2005)に亡くなった折紙作家・吉澤章氏かな、と思ったのですが、不分明です。

もしそうだとすると、テレビ東京さん系の「新美の巨人たち」でも取り上げられた「蝉」など、光太郎の木彫「蝉」の影響があったのかもしれません。

山口県の周南市、下松市、光市をエリアに発行されている日刊紙『日刊新周南』さんに連載されている、周南文化協会会長・西﨑博史氏のエッセイ。8月18日(木)掲載分で光太郎智恵子に触れて下さいました。

季節の中で 葉月(二)

 ふるさとでお盆を迎えた人も多いでしょう。コロナ禍で遠出を自粛していた人たちは行動制限がない中で、3年ぶりに帰省して家族との再会を楽しみました。
 中島みゆきは自ら作詞、作曲した『帰省』でこんな言葉を綴っています。「束の間 人を信じたら もう半年がんばれる」。ふるさとの自然に育まれ、人は成長します。進学や就職、結婚でふるさとを離れて新たな生活を始め、社会の厳しさも知ります。
 年に二回、8月と1月。疲れた心身を癒してくれるのがふるさとの温かさです。家族や旧友との語らいが何とも心地好いです。前置きは要りません。同窓会もそうです。学生時代は話したこともない同級生ともすぐ打ち解けます。時の経つのを忘れて話に花が咲きます。同じ時間を共有したからでしょう。同級生っていいなと思えます。
 「夏が過ぎ 風あざみ」で始まる井上陽水の『少年時代』は、新聞社の読者ランキング、陽水の聴きたい曲で断トツ1位。「八月は夢花火 私の心は夏模様」で結ばれます。子どもの頃の日々が走馬灯のように思い出されます。陽水は1948年8月生まれ。まさに団塊の世代。福岡の炭鉱町で育ち、父と同じ歯科医を目指して失敗、シンガーソングライターとして大成しました。
 私は1950年8月生まれ。8月生まれの人には親近感を覚えます。馬が合うというのでしょうか。価値観を同じくして共感できる仲間が多いです。「人」という文字は支えられた形でできています。「人間」は人の間と書きます。人と交わることで学んで磨かれていきます。ネット社会で情報は一挙に増えましたが、人間がもたらす情報ほど豊かなものはありません。言葉を交わすことで相手の興味も、関心も分かります。表情一つで心の動きが読み取れます。それらの情報を基に心地好い会話を楽しみます。この齢になると、何が欲しい、どこに行きたい、ではなく、気の置けない友との語らいが何よりのご馳走です。
 詩人も望郷の詩を詠みます。「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたふもの」「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ」。金沢で寂しい少年時代を過ごした室生犀星の『小景異情』の一節。彼も故郷を懐かしみます。東京で暮らした高村光太郎の妻、智恵子にとっての「ほんとの空」は「阿多多羅山の山の上に出てゐる青い空」。福島の二本松で育った智恵子の心の風景です。
 故郷の自然と人に力を得て、また半年がんばれます。

光太郎智恵子ファンの皆様には言わずもがなでしょうが、智恵子没後の昭和15年(1940)に書かれ、それを読んだ龍星閣主・澤田伊四郎が『智恵子抄』出版を思い立つ契機となった、光太郎の随筆「智恵子の半生」から。

私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体が保たないのであつた。彼女はよく東京には空が無いといつて歎いた。

この後で、詩「あどけない話」(昭和3年=1928)が引用され、さらにこう続きます。

私自身は東京に生れて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だらうと思つてゐたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかつた。
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盆暮れと年に二回、数日間ずつの一般的な帰省でなく、智恵子の場合は「一年に三四箇月」。まぁ、それだけ「新鮮な透明な自然への要求」が強かったということでしょう。そして昭和4年(1929)、二本松にあった実家の造り酒屋が破産し、一家が離散、帰るべき家と「ほんとの空」を喪った智恵子が心を病んでしまったのは、ある意味、当然の帰結かも知れません。

二本松といえば、昨日ご紹介した、智恵子顕彰をなさっていた故・渡辺秀雄氏。氏の胸の中にも、安達太良山の上の青い空が、常に広がっていたのではないでしょうか……。

【折々のことば・光太郎】

夕刊新聞に芸術院会員決定といふ事出てゐる、第二部文学部、甚だ迷惑を感ず、

昭和28年(1953)11月14日の日記より 光太郎71歳

文学部門での日本芸術院会員への推薦、光太郎は歯牙にも掛けず辞退します。しかし芸術院では辞退という事態を想定していなかったため、この後、一悶着、二悶着となっていきます。

000福島県二本松市で、智恵子顕彰団体「智恵子の里レモン会」会長を務められていた、渡辺秀雄氏が亡くなりました。昨日、ご葬儀(家族葬)だったそうです。

レモン会さんでは、10月5日の智恵子忌日「レモンの日」に合わせ、それと最も近い日曜日という期日設定で、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集いを主催なさっています。ただ、一昨年、昨年と、コロナ禍のため中止となり、最後に開催されたのは令和元年(2019)でした。したがって、当方、最後にお会いしたのもその時。コロナ禍となって以後、最後にお会いしたのがコロナ禍前、という方の訃報がこのところ相次いでおり、一層胸を痛めております。

その際の画像。会の冒頭近く、主催者挨拶をされる渡辺氏。
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その前年。
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智恵子の里レモン会さんは、昭和63年(1988)、晩年の光太郎と交流のあった故・伊藤昭氏が立ち上げられ、一度消滅したものの、平成17年(2005)に渡辺会長の下で復活。以来、先述の通り、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の運営を続けて来られました。

渡辺氏個人は、レモン会さんの活動以外に、同じ二本松でやはり智恵子顕彰をされている「智恵子のまち夢くらぶ」さんにも協力を惜しまず、同会主催の「智恵子講座」の講師「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」審査員、「智恵子抄」出版80周年記念文集へのご寄稿などもなさいました。

また、当会主催の連翹忌にもたびたびご出席下さいましたし、平成27年(2015)に光太郎第二の故郷・岩手花巻郊外旧太田村の高村山荘前で行われた「第58回高村祭」では、当方が講演を仰せつかると、福島から駆けつけて下さいました。翌朝、宿で見たローカルニュースに「福島から訪れた人」という肩書きで氏のインタビューが流れ、笑えたのが今となってはいい思い出ですし、様々な機会での氏の魅力溢れるお人柄に触れたことを思い起こすと、滂沱禁じ得ません……。
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謹んでご冥福をお祈り申し上げます

【折々のことば・光太郎】006

十和田の像は冬中雪囲ひの由、


昭和28年(1953)11月11日の日記より 光太郎71歳


十和田の像」は、前月に除幕された生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。設置当初の数年間は、豪雪による被害が恐ろしいということで、冬期間、右のような状態にしていたそうです。

その後、ここまでやらなくても大丈夫ということがわかり、雪囲いはやめました。

徳島から演奏会情報です。

第9回 松岡貴史&みち子作品展 小川明子、加耒徹が歌う 新作日本歌曲コンサート

期 日 : 2022年8月30日(火)
会 場 : 北島町立図書館 創世ホール 徳島県板野郡北島町新喜来字南古田91
時 間 : 18:00開場 18:30開演
料 金 : 全席自由 3,000円

プログラム(順不同):
  松岡貴史作曲   音楽昔噺『たの久』(初演) 他
  松岡みち子作曲  
   新作『智恵子抄』~女性から見た智恵子と光太郎の愛のかたち~
    「人に」
    「あどけない話」
    「山麓の二人」
    「千鳥と遊ぶ智恵子」
    「レモン哀歌」
  松岡あさひ作曲  新作(初演) 他

演 奏 : 小川明子(アルト) 加耒徹(バリトン)
      松岡あさひ(ピアノ) 松岡貴史(ピアノ)
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鳴門教育大学講師の作曲家・松岡みち子氏という方の「『智恵子抄』~女性から見た智恵子と光太郎の愛のかたち~」が演奏される予定です。

過日、東京公演が行われ、基本的には同一のプログラムのようです。そちらの模様、松岡氏のフェイスブック、出演された加耒徹氏のツィッター、リンクを貼っておきますのでご覧下さい。

東京公演は拝聴に伺いたかったのですが、同日、宮城県女川町での女川光太郎祭で講演を仰せつかっており、欠礼いたしました。しかし、女川光太郎祭はコロナ禍のため中止。結局、どちらにも行けず残念でした。またの機会があることを期待いたします。

徳島公演、お近くの方はぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

難波田さんブリツヂストンの人くる、撮影について山口行の打合、


昭和28年(1953)11月11日の日記より 光太郎71歳

難波田さん」は難波田龍起。かつて駒込林町にあった光太郎アトリエ兼住居の近所に住み、光太郎に私淑していた画家です。「ブリツヂストンの人」はブリヂストン美術館の映画班。「撮影」は、翌年公開された美術映画「高村光太郎」の撮影。

光太郎終焉の地となった中野の貸しアトリエで、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作風景が撮られた他、前年まで蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口集落に、この月の末から帰る光太郎の密着撮影が行われることとなり、その打ち合わせでした。

岩手県盛岡市からイベント情報です。

館長講座2022 作り手の視点 第2回「岩手の美術教育」

期 日 : 2022年8月27日(土)
会 場 : 岩手県立美術館 岩手県盛岡市本宮字松幅12-3
時 間 : 14:00-15:30(開場13:30)
料 金 : 無料

当館の藁谷収館長が専門の彫刻を中心に「作り手の視点」で語る美術講座。彫刻作品の制作の裏側や美術教育などをテーマとして、全4回シリーズでお話しします。当日、直接ホールにお越しください。参加無料、申込不要です。

第2回 「岩手の美術教育」
 疎開した彫刻家高村光太郎と美術評論家森口多里の交流が始まり、岩手美術研究所、岩手県立美術工藝学校、盛岡短期大学美術工藝科、岩手大学特設美術科へと発展的に継承された岩手の美術教育は、多くの美術に関わる人材を輩出してきました。これまでの検証と、今後の展望を紐解きます。

講 師 : 藁谷収(わらがいおさむ) [当館館長]
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藁谷館長、平成31年(2019)の同講座「岩手の近代彫刻Ⅱ」、同30年(2018)の「岩手大学教育学部出前講座「彫刻ってこう観るの!? 光太郎の作品から入る近代芸術の世界」」でも、光太郎と岩手について語って下さいました。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

運送屋七尺石膏像を持ちくる、十和田関係の費用旅費日当等全部払(42,000)


昭和28年(1953)11月4日の日記より 光太郎71歳

七尺石膏像」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の石膏原型。鋳造を担当した伊藤忠雄の工房から帰ってきた、というわけですね。現在は光太郎の母校・東京藝術大学さんに収められています。七尺像ということでなかなか大変なのですが、ぜひ展示する機会を設けてほしいものです。

費用旅費日当等」は運送屋さん関係と思われます。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報を2件。

まず、毎月恒例の光太郎ランチ。一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当です。

今月分がこちら。
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赤飯、小豆餅、牛すき煮、じゃがいも甘辛煮、鰹フライ、白菜と南瓜の花の酢の物、塩麹卵焼き、お新香、デザートだそうで。酢の物がさっぱりしていて美味しかったそうです。西瓜が夏らしく、また彩りも添えていますね。

3枚目の画像、背景は道の駅のインフォメーションコーナーで開催されている、地元ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画「器と楽しむ光太郎ランチ」です。

花巻からもう1件、日帰りツアー的な案内です。

花巻電鉄の軌跡 廃線跡の今

期 日 : 2022年8月28日(日)
料 金 : 5,000円

【8/28(日)限定!】
JR花巻駅、花巻温泉郷から出発し、現在は廃線の「花巻電鉄」跡を巡るガイド付きツアーです。当時の様子を写真で振り返り、現在の様子を写真に収めていただくフォトツアーです。

【乗車場所】JR花巻駅東口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

【下車場所】JR花巻駅東口、JR新花巻駅西口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

09:20 花巻駅東口
09:40 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
10:10 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
花巻電鉄【花巻温泉駅跡】(15分)
花巻電鉄【花巻温泉線廃線跡スポット】(60分)
源氣屋にて白金豚ランチ(50分)
花巻電鉄【中央花巻駅跡、西花巻駅跡、西公園跡、稲荷前駅跡、馬面電車、花巻駅跡】(100分)
15:00 JR花巻駅東口
15:20 JR新花巻駅西口
15:40 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
16:10 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
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昭和20年(1945)から27年(1952)にかけ、当時の花巻町および郊外太田村で暮らした光太郎が生活の足として使った花巻電鉄。左上は光太郎も乗ったデハ3型、静態保存されているものです。その廃線跡を廻るツアーとのこと。「廃線」と聴くだけでロマンを感じますね。廃線にならずに済んでいればそれにこしたことはなかったのかもしれませんが……。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后新宿三越にゆき書棚をかふ、


昭和28年(1953)11月3日の日記より 光太郎71歳

およそ1週間前には丸井で本棚を購入しましたが、さらに三越でも(笑)。

どれがどうと特定出来ませんが、このあたりかな、というのが下の画像です。
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各地で行われた光太郎智恵子がらみの講演会等の報道を、3件。

まずは石川県金沢市。『北陸中日新聞』さんから。

人柄巧みに描き出す 犀星「我が愛する詩人の伝記」 記念館20周年 池澤夏樹さん講演

000 室生犀星記念館の開館二十周年を記念して、作家、詩人の池澤夏樹さんが七日、金沢市文化ホールで講演した。犀星が交流のあった十一人の詩人たちについて書いた「我が愛する詩人の伝記」について「自分を出しながら、相手の人柄を書くのが犀星」と解説した。
 北原白秋、高村光太郎、萩原朔太郎、釈迢空、堀辰雄、立原道造…。犀星は、その生き様と作品を交流や見聞きしたエピソードとともに描き出している。
 白秋は犀星あこがれの詩人。女性問題で挫折したことも「同情的に書いている」と。光太郎については「言葉を尽くしてほめたたえている」と紹介した。
 朔太郎は犀星が生涯の友情を貫いた詩人。池澤さんは「心と心が溶け合って、すべての振る舞いを認め合い、手を携えて生きたように見える」と表現。「詩人や作家には江戸っ子と、地方から上京した人がいる」といい、朔太郎が妻と別れて前橋に帰る時の詩「帰郷」と、「ふるさとは遠きにありて−」で知られる犀星の「小景異情」とを対比して「帰ってはいけない場所としての『故郷』があった」と語った。
 釈迢空が養子とした歌人藤井春洋との別れの場面の描写を「犀星は小説家として書いている」と指摘した池澤さん。「犀星は生涯、詩と小説を両輪で書いた珍しい人。大いに学ぶべきだと思う」と締めくくった。
 「我が愛する−」は一九五八年の出版。昨年、濱谷浩の写真を加えた「写文集 我が愛する詩人の伝記」(中央公論新社)として改めて出された。

金沢市の室生犀星記念館さん開館20周年記念講演会だそうで、これは事前に把握していませんでした。光太郎の章も含む、犀星による『我が愛する詩人の伝記』、ここにきてまた復刊がなされたりで注目されており、いい傾向だと思います。

続いて福島市。『福島民報』さん。

謎が多い宇宙の魅力紹介 写真展「138億光年 宇宙の旅」監修の国立天文台上席教授渡部潤一さん講演

 福島県福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開催中の写真展「138億光年 宇宙の旅」を監修する国立天文台上席教授渡部潤一さん(会津若松市出身)は14日、同センターで講演した。
 講演は7月24日に引き続き2回目。「138億光年の宇宙の先へ―ほんとの空がある福島から―」と題し、謎が多い宇宙の魅力を紹介した。「夜空は誰もが見ることのできる最も広い時空間」と語り、自由に思いをはせ、癒やされてほしいと呼びかけた。さらに「福島は天文ファンの聖地」と述べ、宇宙と福島の関わりを説明した。
 日本天文遺産に認定された会津藩校日新館天文台跡については「見える形で残された貴重な日本最古の天文台跡で、国宝級だ」と熱弁した。
 写真展は福島民報社が創刊130周年記念事業として21日まで催している。
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過日ご紹介した、福島市で開催中の「写真展 138億光年宇宙の旅」関連行事としての講演会。サブタイトルに光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を入れて下さいました。多謝。

余談ですが、渡部氏、NHKさんで8月11日(木)放映の「コズミックフロント 流星群 星降る夜の謎」にご出演。興味深く拝見いたしました。

最後に都内から。『朝日新聞』さん。

近代史、「わかりやすい物語」どう脱却 奥泉光さん・加藤陽子さん、対談

 小説家の奥泉光さんと歴史学者の加藤陽子さんが、太平洋戦争下で言葉や物語が果たした役割について語り合った。共著『この国の戦争』(河出新書)の刊行にあわせたオンラインによるトークイベントが先月、東京都内で開かれた。
 同書は3回にわたる対談をまとめたもの。「軍人勅諭」などの公文書をはじめ、戦時中に書かれた軍人の手紙や作家の文章など膨大な史料に対し、文学者と歴史家という別の立場から「批評」を重ねたという。通底するのは「わかりやすい物語」からいかに脱却し、客観的に歴史を捉えるかという点だ。
 奥泉さんは、対話によって近代史の通説をうのみにはできないと改めて確認したという。たとえば三国同盟は「日本は単に勝ち馬にのりたかったのではなく、東南アジアの権益をもらうためだった。ドイツを牽制(けんせい)したわけです」。
 すると加藤さんは、当時日本が唱えた「大東亜共栄圏」という言葉を取り上げ、「日本が戦後処理のなかで植民地をもらうには言葉がいる。なぜこの言葉が出てくるか、誰が物語を作るのか。改めて気をつけて史料を読まなくてはいけない」と話した。
 視聴者から「同調圧力と戦うには?」という質問が届き、加藤さんは、「組織の構成員に女性を増やしてみる。弱い人に目が向くと思いますよ」。奥泉さんは「他者と対話的に関わる、そうした理念を求めていくこと」と答えた。

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記事中に光太郎智恵子の名はありませんし、トーク中に名が出たか分かりませんが、書籍の中で触れられている『この国の戦争 太平洋戦争をどう読むか』刊行記念の対談だそうで。

先頃、太平洋戦争77回目の終戦記念日を迎えましたが、ウクライナ情勢の泥沼化しつつある昨今、例年以上に戦争について考えさせられる年となってしまっています。

ちなみに奥泉氏、終戦記念日には、NHKラジオ第1さんの「高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022」にご出演。作家の高橋源一郎氏、詩人の伊藤比呂美氏とご対談。戦況が厳しくなる戦時下、様々な行動や表現が制限される中、「それでも書き続けた作家たち」というテーマでした。

太宰治をメインに扱っていましたが、光太郎もちらっと。光太郎が序文を書き、詩「軍人精神」を寄せたアンソロジー『詩集 大東亜』(昭和19年=1944 日本文学報国会編 河出書房)が取り上げられ、光太郎についても語られました。
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高橋氏が「軍人精神」を朗読、その後に伊藤氏に感想を求めたところ、「馬鹿馬鹿しくて途中から聴いてられなかった」的な(笑)。それが正常な反応でしょう。こんなものを現代においても涙を流してありがたがる輩が少なからずいるのには呆れます。今年も終戦記念日前後、この手の光太郎詩をSNSに上げて喜んでいる愚か者が見受けられました。

しかし、光太郎、戦後はこうした翼賛詩を書き殴り、多くの前途有為な若者たちを死地に追いやる旗振り役をしたことを真摯に反省し、花巻郊外の不自由な山村で七年間もの蟄居生活を自らに科しました。同様の作品を発表した他の文学者にはほとんど見られなかったこの態度、これこそが光太郎を光太郎たらしめるものだと、当方は思っています。

こうした負の部分も含め、さまざまな皆さんに、光太郎について正しく語り継いでいっていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

夜ラジオで智恵子抄の琴をきく、米川敏子さん、


昭和28年(1953)11月1日の日記より 光太郎71歳

米川敏子さん」は、生田流の箏曲家。後に人間国宝となりました。「智恵子抄の琴」は、米川作曲の「千鳥と遊ぶ智恵子」。15分以上の大作です。
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CD化もされています。

まず米川本人の演奏。
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二代目米川敏子氏による新しいテイク。
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まず、8月15日(月)の『日本経済新聞』さん。

森鷗外の新資料相次ぎ発見 自筆の「渋江抽斎」や広告文

 没後100年を迎えた文豪・森鷗外(1862~1922年)の新資料発見が相次いでいる。鷗外が晩年に著した史伝小説第1作で、江戸末期の医師を主人公とする「渋江抽斎」の自筆原稿の一部が見つかった。加筆修正の跡から入念な推敲(すいこう)の様子が読み取れる。同作を含む史伝三部作についての自筆広告文や、鷗外宛ての書簡約400通も確認された。一連の新発見からは文章の細部にまで目を配り、仕上がりにも自信を持っていた作家の姿が浮かび上がる。
 鑑定に携わった鷗外研究の第一人者、山崎一穎・跡見学園女子大学名誉教授によると「自筆原稿が発見されるのは極めて珍しい」。事例は「舞姫」などわずかで、「渋江抽斎」は初めて。東京の文京区立森鷗外記念館が購入した同作の原稿は、東京日日新聞と大阪毎日新聞に全119回連載されたうちの第49回と50回にあたる。新聞社が活字を組む目的のためか裁断されており、49回は13枚、50回は11枚に分かれている。
 現在読める「鷗外全集」(岩波書店)所収の「渋江抽斎」は、新聞連載された原稿を基に鷗外が修正したもの。今回の発見で、連載中も鷗外が直前まで手を加えていたことが分かった。「鷗外作品誕生の瞬間に立ち会ったようである」(山崎氏)
  広告文は春陽堂書店(東京・中央)の倉庫で見つかった。史伝「渋江抽斎」「伊澤蘭軒」「北条霞亭」を宣伝するために鷗外自らが書いた。文章自体は文芸誌「新小説」の鷗外追悼号や「鷗外全集」に掲載されているが、自筆原稿の確認は初めて。作品の出来に関して「著者自らが保証する」と書くなど、強い自信がうかがえる。
 約400通に上る鷗外宛て書簡は島根県津和野町の森鷗外記念館が寄託を受けた。夏目漱石や与謝野晶子といった文学者のほか、高村光太郎や西園寺公望ら美術界、政界の大物からのものもある。鷗外宛て書簡は既に800通ほど見つかっているが、今回ほどの量がまとまって見つかるのは珍しいという。
 「渋江抽斎」の自筆原稿と書簡の一部は、文京区立森鷗外記念館の特別展「鷗外遺産」(10月22日~23年1月29日)で一般公開される。
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『日経』さんの記事は後追いでして、「渋江抽斎」原稿の件は7月に、書簡400通の件は今月初めに、それぞれすでに報じられていました。ただ、他紙の既報では光太郎の名が出ていませんでした。

『朝日新聞』さん。8月5日(金)掲載分です。

鷗外へ、各界書簡400点 漱石・啄木・与謝野晶子・岡倉天心・西園寺公望…広い交友示す発見

005 今年で没後100年になる文豪、森鷗外(1862~1922)あての書簡約400点が、まとまった形で見つかった。出身地の島根県津和野町にある町立森鷗外記念館が4日発表した。差出人は夏目漱石や与謝野晶子、石川啄木、岡倉天心ら、明治・大正期に活躍したそうそうたる面々。鷗外の交友関係の幅広さを物語る貴重な発見という。
 鷗外の娘婿で仏文学者だった山田珠樹(たまき)さんらが保存していたのを遺族が見つけた。差出人には文学・演劇・美術界で名をはせていた人たちだけでなく、山県有朋や西園寺公望ら政治家の名前もあった。少なくとも60人以上から送られた書簡という。1896~1922年の日付が確認できたが、日付のないものも多い。現在、漱石や啄木からの書簡は専門家が調査中だが、内容がはっきりしたものの中から4点を報道陣に公開した。
 夏目漱石の妻・鏡子からの書簡は、漱石が伊豆・修善寺で大量に吐血した「修善寺の大患」(1910年)の際、軍医でもあった鷗外が部下を遣わして見舞ったことへの礼状。漱石の日記にのみ記されている内容だった。
 与謝野晶子からの書簡は、晶子が夫の鉄幹を追って1912年にパリに渡ったときのもの。旅費の工面を鷗外が手助けしたことが裏付けられるという。
 鷗外の研究者で、町立森鷗外記念館の館長を務める山崎一穎(かずひで)・跡見学園理事長は「これだけの量の書簡がまとまって出てきたことがまず驚きだ。鷗外の面倒見の良さや気配りがうかがえる手紙で、著名な差出人の方の研究も一層進むことになるだろう」と話す。
 同記念館は年度内に翻刻(活字化)の作業を終え、内容や背景を分析、精査したうえで、成果を書簡集として出版する予定という。
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さらに同日の地元紙『山陰中央新報』さん。

鴎外の書簡400点見つかる 差出人は夏目漱石や与謝野晶子など著名人ぞろい

 島根県津和野町出身の文豪・森鴎外(1862~1922年)の幅広い交遊関係を物語る鴎外宛ての書簡約400点が見つかった。差出人には夏目漱石や与謝野晶子、島村抱月など、明治-大正期を彩った文学界、演劇界の著名人や政治家らがずらりと並ぶ。森鴎外記念館(津和野町町田)が4日発表した。
 400点は1896(明治29)年から、鴎外が亡くなる1922(大正11)年にかけて送られ、夏目漱石らのほか、正岡子規、石川啄木、山県有朋、北原白秋、黒田清輝、岡倉天心など約60人の差出人が確認できる。この日は与謝野晶子、西園寺公望、夏目漱石夫人の夏目鏡子(きょうこ)、樋口一葉の妹くにが送った計4点を公開した。
 与謝野晶子の書簡は12年3月2日付で、夫の与謝野鉄幹が11年にパリに向かったのちの12年5月、晶子が後を追った際、洋行費用を鴎外が贈ったことがうかがえる内容。晶子は「夢のやうに(ように)存じました。(中略)誠にお禮(れい)の申し上げやう(よう)も御座(ござ)いません」と感謝の言葉をつづっている。
 山崎一穎(かずひで)館長(83)は会見で「洋行費用の捻出については鴎外自身の日記からも確認できるが、晶子側からの資料はこれまでなかったので貴重だ」と説明。400点の書簡について「差出人は作家や歌人、詩人、俳人、政治家と多岐にわたり、鴎外の多彩な交遊関係が分かる。それぞれの差出人の研究者にとっても第一級の資料となる」と価値を強調した。
 書簡は鴎外の長女・森茉莉の夫で、フランス文学者の山田珠樹(1893~1943年)の遺族や、東京帝国大学(現東京大学)図書館で山田の同僚だった国文学者の土井重義(1904~67年)の遺族から、2020年3月~21年12月にかけて同館に寄託された。大学教授や古文書愛好家ら町内外の13人でつくる「山田珠樹氏所蔵鴎外宛書簡解読プロジェクト」が翻刻、研究に当たっており、開館30周年を迎える25年3月に書簡集として刊行する。
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これらには光太郎の名が無かったのですが、「60人以上から送られた書簡」とあるので、光太郎からのものも含まれているんじゃないかな、と思っていましたが、『日経』さんの記事でビンゴだったことがわかりました。

光太郎から鷗外宛の書簡は、これまで5通しか確認できていません。鷗外は東京美術学校で光太郎在学中に「美学」の講義を受け持って教壇に立ち、光太郎は美校卒業後、鷗外が顧問格だった雑誌『スバル』で中心メンバーの一人となりました。また、明治43年(1910)、神田淡路町に光太郎が開いた画廊「琅玕洞」の店名は、鷗外の訳書から採ったものです。この時期、軍医総監だった鷗外は、裏で手を回して光太郎の徴兵を免除してやったりもしています。

そうかと思うと、「軍服着せれば鷗外だ」事件。どうも当方と同じで権威的なものには反発しないでは気が済まない光太郎、うっかり漏らした鷗外を茶化す発言が鷗外の耳に入り、鷗外は光太郎を自宅に呼びつけて「何か文句あんのか? 」的なオラオラ状態(笑)。さすがにボコッたり、文壇から抹殺したりといった大人げない対応はしませんでしたが(笑)。

どうも光太郎は鷗外を敬して遠ざけ(鷗外主催の観潮楼歌会も何のかんのと理由を付けて逃げました)、一方の鷗外は光太郎を「しょうもないやつだ」と苦笑しながらもその才を認めてかわいがっていた、という感じのようです。

今回見つかった書簡群でまた、知られざる二人の関係がわかるかもしれません。来春出版される予定とのことで、今から楽しみです。

【折々のことば・光太郎】

神経痛まだ痛む、 夜新宿にて夕食、丸井にて本棚をかふ、


昭和28年(1953)10月26日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式のため訪れた青森から帰り、しばらくは大人しくしていました。

「丸井」は現在の「新宿マルイ」さんでしょう。戦前の創業で、戦争を挟んで昭和23年(1948)には新宿駅前店、昭和25年(1950)には新宿三光町店が開業しています。

「踏んだり蹴ったり」とはこのことか、という感じです。

青森県十和田市の国道103号十和田湖畔子ノ口-宇樽部の3.5キロが、大雨による土砂崩れで全面通行止めとなっているそうです。

RAB青森放送さん、昨日のローカルニュース。

十和田湖観光に影響 子ノ口~宇樽部 通行止め

 先週の大雨の影響で土砂崩れが発生し十和田湖周辺の道路は通行止めが続いており観光に影響が出ています。
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 十和田市では12日の夕方から激しい雨が降り、十和田湖の子ノ口交差点から宇樽部までの国道103号が土砂崩れで通行止めになりました。
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 13日の午後には通れるようになりましたが同じ場所で土砂崩れが発生しその日の夕方から再び通行止めが続いています。
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 十和田湖には休屋地区の乙女の像などに行く予定だった観光客が訪れていましたが通行止めのため子ノ口で引き返していました。
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★観光客
乙女の像があるのでいけるかなと思ったんですけどもうそこで通行止めなのでしょうがないので子ノ口に来ました」
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「(通行止めは)途中で標識でわかりました 行きたいところに行けないのはちょっと残念かなと思いますね」
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 子ノ口にある「みずうみ亭」には売店や食堂を利用する人がいつもの年の半分ほどしかいないということです。
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★みずうみ亭 勝田和彦 社長
「この大雨の被害さえなければほんらいは押すな押すなの観光客でにぎわっている時期ですのでこの時期に通行止めなんてあるとがっかりです」
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 県はきょう午前から土砂の撤去作業を行っていますが通行再開のめどは立っていません。

ATV青森テレビさん。

大雨でルート寸断・十和田湖観光に影落とす

8月、津軽地方を中心に降った記録的な大雨は、青森県南地方にも被害をもたらしました。十和田湖周辺ではその前の週にも大雨被害が発生し観光に大きな影響が出ています。
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「夏の観光シーズンを迎えている十和田湖。ですがこちら、奥入瀬渓流とを結ぶ道路は今も通行止めが続いていて、多くの人の足に影響を及ぼしています」
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8月12日夜の雨で十和田湖畔では土砂が道路に流出し、現在も2か所で通行止めが続いています。このため青森市から休屋地区へ行くには、新郷村などを経由する必用があり、客足が遠のく原因になっていると言います。
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※十和田奥入瀬観光機構地域事業部 安藤巖乙(あんどう・いわお)部長
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「(この週末は)かなりお客さん多い時期だったので問い合わせは多かったですね。(十和田湖に)どうやって行ったらいいですかという問い合わせが多かったです」
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そして去年の倍の乗客を見込んでいた遊覧船は、8月3日と先週の2度の大雨でさらに大きな影響を受けています。
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※十和田観光電鉄 湯瀬功一(ゆぜ・こういち)さん
「お盆の帰省客にも期待していましたので少しずつ増えてきているという実感がありましたけれども、一番痛いのは土砂崩れと大雨の影響でしょうね」
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大雨被害でアクセスが不便になったことで、関係者は日程がタイトな団体客が敬遠すると見ていて、今後その影響は拡大しそうです。
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もう3年目となるコロナ禍の影響もあり、その上、今回の豪雨被害。衷心より御見舞い申し上げます。日本中、どこの観光地も程度の差こそあれ、似たような状況なのかな、という気もしますが……。

一日も早く平穏な毎日が来ることを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

汽車でめざめ、十時45分上野着、 伊藤氏藤島氏と地下で生ビール、モデルと別れる、伊藤氏と別れ、藤島氏とタキシで中野まで、十二時過ぎかへる、 小憩、 夫人にみやげもの進呈、

昭和28年(1953)10月25日の日記より 光太郎71歳

10月21日に行われた、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に伴う青森行から、寝台車で帰京しました。「夫人」は貸しアトリエの大家・中西夫人です。

8月10日(水)、茨城県北茨城市に行っておりました。午後1時に天心記念五浦美術館さんに伺う予定で、時間が早かったので、野口雨情記念館さん、野口雨情生家、天心遺跡(六角堂)などに立ち寄りましたが、午後1時近くになりましたので、満を持して同館へ。
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少し前、同館刊行の『新納忠之介旧蔵資料目録Ⅰ 「日本美術史」講義録・書簡編』(平成28年=2016)という厚冊の書籍を、自宅兼事務所の隣町の図書館で見つけ、頁を繰ってみたところ、光太郎の父・光雲、光太郎、そして光太郎実弟・豊周から新納忠之介に宛てた書簡類がリストに載っていました。
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001新納は明治元年(1868)鹿児島生まれ、東京美術学校の彫刻科第3回卒業生で光太郎の大先輩です(光太郎は第11回卒業)。光太郎在学時には同校助教授を務めていましたが、いわゆる美術学校事件で天心らとともに連袂辞職、日本美術院に加わりました。

ちなみに同期卒業生のうち、「本山辰吉」は本山白雲。高知桂浜の坂本龍馬像、国会議事堂前庭の伊藤博文像などで有名ですね。

それから「板谷嘉七」は陶芸家となった板谷波山です。「黒岩倉吉」は黒岩淡哉。そこそこ有名な彫刻家です。

新納はその後奈良に移り住み、主に仏像修復の分野で活躍しました。奈良東大寺さんの不空羂索観音像、京都三十三間堂さんの千手観音像などは新納の手により修復されています。また、光雲は信州善光寺さんの仁王像を制作するにあたって、東大寺さんの金剛力士像も参考にしていますが、その調査にも協力しています。今年、長野県立美術館さんで開催された「善光寺御開帳記念 善光寺さんと高村光雲 未来へつなぐ東京藝術大学の調査研究から」には、新納から光雲に送られた、東大寺さん金剛力士像のレポートも展示されていました。

さて、新納宛書簡。調べたところ、『高村光太郎全集』及びその補遺として当方が編集を続けている「光太郎遺珠」に未掲載でした。

そもそも新納の名は、『高村光太郎全集』には4回しか出て来ていませんでした。光太郎の後輩で、仏像修復の分野で新納の右腕となった明珍恒男の追悼文(昭和15年=1940)の中に一箇所、明治38年(1905)、光太郎から光雲に宛てた書簡二通に。奈良を訪れた光太郎が新納の世話になったという記述でした。それから、明治42年(1909)、来日直前のバーナード・リーチ宛の英文書簡。日本でリーチの世話をしてくれそうな人物をリストアップする中で、新納は英語もしゃべれるし、日本彫刻に関する知識も半端ない、的なことが書かれています。

そんなわけで、光太郎から新納宛書簡、ぜひ拝見したいと存じ、同館に閲覧許可の申請をして伺った次第です。ついでというと何ですが、光雲、豊周からのそれも拝見させていただくことに致しました。

リストに「年賀状」とありましたが、本当に年賀状でした(笑)。文面は「賀正 大正十二年一月 駒込林町二十五 高村光太郎」のみ。それでもこの時期に光太郎と新納が年賀状のやりとりをする間柄だったということがわかります。豊周からのものもほぼ同じような感じでした。

元同僚だった光雲からの書簡は、さすがに数も多く、長文のものがほとんどでした。丁寧な時候の挨拶に始まり、美校の近状、東京の美術界の動向等々。時には愚痴も(笑)。光太郎が欧米留学後、神田淡路町に開いた画廊・琅玕洞に関する記述もありました。こちらでは光太郎の仲間の新しい芸術作品も販売していましたが、伝統的な漆器なども扱っており(そちらの方がよく売れたようです(笑))、その手配を頼むような内容でした。

閲覧に際しては、学芸員の方に大変お世話になりました。百年以上前の史料と言うことで、机の上には大きな中性紙を敷き、その上に三人がかりで一通一通広げてくださったり、撮影も許可して下さったり……。恐縮してしまいました。

閲覧後、展示を拝見。そちらも学芸員さんのご配慮で、無料でした。

常設展は天心の関係。
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企画展は「並河靖之の雅な技――世界を魅了した明治の京都七宝――」。並河の有線七宝の作品は、超絶技巧系の展覧会や、京都の清水三年坂美術館さんの常設展示などで何度か拝見していましたが、何度見ても舌を巻かされます。並河と共に「二人のナミカワ」と称される無線七宝の濤川惣助の作品も並び、眼福でした。
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まだまだ全国のこうした施設に光太郎書簡等、眠っているかと存じます(島根で新たな発見があったそうですし、北海道にあるという情報は既に得ておりまして、来年あたり拝見に伺おうと思っていますが)。光太郎ほどの人物が書き残したものは、断簡零墨にいたるまで埋もれさてはならない、というのが、当会顧問であらせられた故・北川太一先生のスタンスでした。当方もそれを引き継いで、今後ともやっていこうと思っております。

以上、北茨城レポートでした。

【折々のことば・光太郎】

三時過ぎ副知事来る、小型像其他につき協定、尚礼として500,000円もらふ(小切手)夜八時青森駅より上車、しん台車、津島知事、横山副知事等見送りにくる、

昭和28年(1953)10月24日の日記より 光太郎71歳

10月21日に行われた生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式出席のための青森行、最終日です。宿泊していた浅虫温泉東奥館に横山武夫副知事が訪れ、最後の事務手続きが行われました。「小型像」は、「乙女の像」の小型試作。「乙女の像」本体と同じく伊藤忠雄による鋳造で、青森県に寄贈されました。現在、青森県立郷土館に所蔵され、昨年から今年にかけて開催された彫刻家・小田原のどか氏の個展「近代を彫刻/超克するー雪国青森編@ 国際芸術センター青森」で展示されました。

上車」は「乗車」の誤りですね。

8月10日(水)、茨城県北茨城市レポートの2回目です。

野口雨情記念館さん等を後に、『高村光太郎全集』等未収録の光太郎書簡を閲覧するため、市内北部の天心記念五浦美術館さん方面へ。まだ時間がありましたので、近くの六角堂に立ち寄りました。
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光太郎の父・光雲を東京美術学校に招聘し、光太郎入学時に同校校長だった天心岡倉覚三が、明治39年(1906)、日本美術院を移した地です。当方、30年近く前、学生時代の友人の結婚披露宴がすぐ近くのホテルで行われ、その際に訪ねて以来でした。

その時には気づかずスルーしていましたが、六角堂入り口前に天心の墓がありました。天心は光雲、光太郎等と同じ都立染井霊園に墓所がありますが、こちらは分骨だそうで。光雲、光太郎の代参のつもりで香を手向けて参りました(こういう機会が多いので、愛車には線香を常備しています)。
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光太郎同様、天心の薫陶を受けた平櫛田中お手植えの椿がかたわらに。天心の墓は円墳のようでした。
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裏手には天心の娘のそれも。
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さて、六角堂。正式には周辺の建物等を併せて「天心遺跡」と称しています。敷地内には天心邸や小規模な天心記念館などがあり、また、茨城大学さんの五浦美術文化研究所も併設。
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自生していたヤマユリが見事でした。

天心記念館内。特に撮影禁止という表示が見あたらなかったので……。
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天心像や「活人箭」などの田中作品。
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天心と共にこの地にやってきた横山大観による表札(左)と、六角堂の棟札(右)。
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この地で釣りに興じていた天心の舟。

天心の教え子の一人で、アメリカの美術史家、ラングドン・ウォーナーの像。こちらも田中作です。ウォーナーは太平洋戦争中、日本の文化財を空襲しないよう提言した人物の一人という説があります。
海が見えてきました。
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そして、六角堂。
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東日本大震災による津波でさらわれてしまったのですが、復元されました。
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前日に行くはずだった宮城県女川町でも、行くたびに感じますが、あの日、この海が牙を剥いたのかと思うと、粛然とさせられます。
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天心邸。
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かたわらの「亜細亜ハ一なり」碑。
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天心のグローバル思想すら、「八紘一宇」の亜流に韜晦されてしまっていたのですね。そういえば、揮毫した横山大観は戦時中、日本美術報国会の会長でした。ちなみに実務に当たっていた事務局長は、光太郎の実弟にして鋳金家の豊周でした。

さて、満を持して天心記念五浦美術館さんへ。以下、明日レポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

四時図書館行、ここに一同集まる、知事等の案内で夜文芸講演会、


昭和28年(1953)10月23日の日記より 光太郎71歳

会場が明記されていませんが、青森市の野脇中学校でした。光太郎以外に、草野心平、菊池一雄、谷口吉郎、佐藤春夫が登壇し、講演を行いました。
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十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」に展示されている光太郎胸像「冷暖自知」の作者、田村進氏はこの講演をお聴きになったそうです。

8月10日(水)、茨城県北茨城市に行っておりました。目的地は同市にある茨城県立天心記念五浦美術館さん。こちらに『高村光太郎全集』等に漏れていた光太郎書簡の所蔵があるということを知り、閲覧に伺った次第です。

当初、前日が宮城県女川町での女川光太郎祭の予定でしたので、そちらへ参加後の帰途に立ち寄ろうと考え、この日に閲覧する申請を出したのですが、女川光太郎祭が今年もコロナ禍のため中止となり(須田義明町長も感染されたそうで)、北茨城市単独の訪問となりました。

申請した時刻に遅れてはいけないので、早めに自宅兼事務所を出発。途中の高速道路で事故渋滞にでも嵌ったらアウトです。幸い、何事もなく北茨城に。そこで、天心記念五浦美術館さんに行く前に、手前の野口雨情記念館さんに立ち寄りました。

正確には「北茨城市歴史民俗資料館 野口雨情記念館」。雨情以外の郷土資料等の展示も充実していました。
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童謡詩人として名を馳せた雨情ですが、明治15年(1882)の生まれで、光太郎より1歳年長。光太郎は早生まれですので学年は同じです。石川啄木、北原白秋など、共通の友人がいました。しかし、『高村光太郎全集』に雨情の名はありませんで、直接の交流は無かったようです。

まずは雨情の銅像(現代のもの)と、代表作の一つ「シャボン玉」(大正11年=1922)関係のオブジェがお出迎え。
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近づくとセンサーが反応し、「シャボン玉」の歌が流れます。さらに本当にシャボン玉が噴出される仕組み。
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エントランス脇には作曲家・故高木東六氏関連の碑。高木氏は鳥取生まれですが、北茨城で育ったそうで。
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館内、雨情のコーナー。
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興味深く拝見しました。

一昨年の連続テレビ小説「エール」に広岡由里子さん演じる「ベルトーマス羽生」の名で登場した歌手・ベルトラメリ能子も北茨城出身で、雨情と縁があったと知り、驚きました。北茨城、恐るべし(笑)。

雨情以外の郷土資料的コーナー。太平洋戦争がらみの展示が充実していました。
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日本軍の機密兵器「風船爆弾」。ここ北茨城からも飛ばされたそうで。そのバルーン部分に使われたのが、智恵子の故郷・福島二本松の上川崎和紙だったらしく、そのため上川崎地区も空襲に遭ったそうです。

人間魚雷「震洋」。こちらも北茨城に配備されていたとのこと。光太郎と交流があり、詩「四人の学生」のモデルとなった故・深沢竜一氏は、同様の特攻兵器「海龍」の基地に配属され、出撃直前に終戦となり命拾いしたそうです。
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右上は東日本大震災関係。東北の被害はかなり報じられましたが、茨城、千葉でも津波が発生、多くの犠牲が出ています。

さらにすぐ近くに雨情の生家があるというので、そちらへも足を運びました。
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こちらにもいろいろな展示が。最も驚いたのは、啄木から雨情宛の葉書。おそらく現物と思われましたが、結構無造作に展示されていました。
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それにしても不思議なのは、雨情と戦争の関係。雨情は昭和20年(1945)まで存命でしたが、日本文学報国会の名簿に名が無いようです。同学年の光太郎は同会の詩部会長を務め、大量に翼賛詩を書き殴っていました。雨情は昭和18年(1943)に脳出血を起こし、療養生活を送っていたというのですが、それ以前にも翼賛詩的なものは作らなかったのでしょうか。情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いです。

この後、北上して天心記念五浦美術館さん方面へ。続きは明日、レポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

宇樽部、より県の車で浅蟲東奥館まで、途中酸ヶ湯にて中食、 くもりなれど雨はふらず、 疲れをやすめるため部屋にひきこもり皆にあはず、


昭和28年(1953)10月22日の日記より 光太郎71歳

前日に行われた、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式等で、かなり疲弊したようです。もともと肺病を患っている老体に鞭打っていたわけですし……。

8月10日(水)の『読売新聞』さん文化面から。

[鉄道150年]文化を運ぶ<5>美術・工芸 海外誘客に一役 気鋭の画家がポスター 車両に城や仏閣風天井

000 桜の木のもとで、静かにほほえむ女性。着物の柄や花びらが一筆一筆丁寧に描き込まれ、雪をいただく富士が遠くに裾を伸ばす。
 「大正の広重」と呼ばれた絵師、吉田初三郎による鉄道省国際観光局の1930年のポスター「Beautiful Japan(駕籠に(かご)に乗れる美人)」だ。約1万枚が発行された。
 中国東北部を走る南満州鉄道とユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道の連絡運輸が11年頃に始まると、欧州との時間的距離は格段に縮まった。日本では12年、半官半民の外客誘致組織「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が設立される。
 外貨獲得と文化を宣伝するため外国人観光客の誘致が進み、30年の鉄道省国際観光局発足により、動きはより本格化した。二つの世界大戦の戦間期、欧米では中産階級にも旅行ブームが広がっていた。
 各組織や汽船会社、ホテルなどは、競うように観光ポスターや旅行案内書、雑誌を発行し、誘客キャンペーンを展開した。表紙をはじめビジュアルな部分は、吉田のほか、版画家の川瀬巴水(はすい)、図案化の杉浦非水ら気鋭の美術家が起用された。「大部数で多色刷りは、彼らにも大きな仕事だった」と、武蔵野美術大の木田拓也教授(近代工芸史・デザイン史)は説明する。
 豪華な装幀や洗練されたデザインを凝らし、写真をたくさん載せた刊行物も多く作られた。「外国の目を意識することが、出版印刷技術の向上にもつながったのではないか」と、関西学院大の荒山正彦教授(刊行の文化史)は話す。
 これらの出版物には、「美しい日本」を象徴する四季の自然や神社仏閣などとともに、西洋風のホテルをはじめ近代都市としての姿も描かれた。木田教授は「日本は外国人客の誘致を通して、より客観的に自国文化の魅力や将来像を考えることになった」と指摘する。
 戦前の鉄道や海運の発展は、東洋の優美さと近代性を併せ持つ国としての“自画像”を日本に意識させるきっかけともなった。

*「御料車」に外国要人001
 日本の美術や工芸技術は、皇族方が乗るための鉄道車両「御料車」にも生かされた。第1号は1876年、明治天皇の京都-神戸間の鉄道開業式出席を前に製造された。明治、大正、昭和にかけて18両が製造され、うち1両が重要文化財、8両が鉄道記念物に指定されている。
 西欧のロイヤルレトレインの様式を取り入れながら、日本的な文様や図柄を装飾に用いた。明治後期から大正期の6~9号には、城郭や仏閣を思わせる折上(おりあげ)二重天井が採用された。外国からの賓客を迎えた10号には展望デッキが備えられた。1922年に来日した英皇太子のエドワード・アルバート殿下や、シャム国皇帝、満州国皇帝が乗車した記録も残る。
 日本画家の川端玉章(ぎょくしょう)や橋本雅邦(がほう)、漆芸家の六角紫水(しすい)、彫刻家の高村光雲ら、歴代の車両の内装には、時代を画する芸術家が関わっていた。

*現代列車に継承
 御料車の精神は現在、国内各地を走る豪華列車にも生かされている。JR九州の「ななつ星in九州」は、ふんだんに木をあしらった内装に様々な工芸技術を用いた美しい車両で知られる。デザインを手がけ、JR九州のデザイン顧問を務める工業デザイナーの水戸岡鋭治さん(75)は、「御料車には最高のものを作りたいという美術工芸家や職人の心意気、国力が凝縮されている。かけた手間暇の分だけ感動が生まれることを体現したお手本のような列車で、その心を継承することが大切だ」と語る。
 「ななつ星」は外国人にも人気で、昨年、米国の旅行雑誌の読者投票で1位に選ばれた。一台の車両に凝縮した日本人の美意識や感性、技術が、世界に誇れるものであることを現代に伝えている。


御料車に関しては、平成27年(2015)に富山県水墨美術館さんで「北陸新幹線開業記念 お召列車と鉄道名画 ~東日本鉄道文化財団所蔵作品を中心に~」が開催され、光太郎の父・光雲が手がけた装飾彫刻も展示されました。同展図録から。
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その他、川端玉章や橋本雅邦、六角紫水なども関わっていたとなると、さながら「動く美術館」ですね(笑)。

ちなみに東京駅丸の内口の東京ステーションギャラリーさんでは、今年10月から来年1月にかけ「鉄道と美術の150年」展を開催するそうです。予告では河鍋暁斎や五姓田義松、長谷川利行、香月泰男の絵画などがピックアップされています。上記光雲監督作品もぜひ出していただきたいところです。

ところで、「鉄道150年」ということで、いろいろ記念行事等が行われていますが、逆に廃線の危機にさらされている鉄道も少なからずあり、複雑な思いです……。

【折々のことば・光太郎】

午后三時頃湖畔御前浜にてモニユマン除幕、 雨かなりふる、


昭和28年(1953)10月21日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がついに除幕されました。
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除幕式直前。像は紅白幕に覆われています。
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大町桂月令孫の幼女がお母さんに助けられて紐を引き、除幕。
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三本木高校女生徒による献花。
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それらを見つめる光太郎、佐藤春夫(青森県と光太郎の仲介役)、谷口吉郎(公園全体の設計担当)、伊藤忠雄(鋳金家)ら。後列には像のモデルを務めた藤井照子も。
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三本木高校女生徒による佐藤春夫作詞「湖畔の乙女」合唱。このあたりの方々で、ご存命の方はまだいらっしゃると思います。
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光太郎スピーチ。

これが昭和28年(1953)ですので、来年は70周年となります。「乙女の像」も古稀を迎えるというわけで(笑)。それから、同じく来年は光太郎自身の生誕140年。ちょっと半端ですが、一応区切りのいい周年です。関係の方々、生誕140周年記念のなにがしか、できれば美術館さん・文学館さん等での大規模な企画展等を計画していただきたいものです。

一昨日、8月10日は「道の日」だったそうで。

地方紙『佐賀新聞』さんから。

有明抄「道」への思い入れ

誰が言ったか定かでないが、聞き覚えのある言葉は多い。例えば「子ども叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」。この言葉には続きがある。「来た道行く道二人旅 これから通る今日の道 通り直しのできぬ道」。なかなか含蓄がある◆きょう8月10日は、国土交通省が制定した「道の日」。普段利用する実際の「道路」も大切だが、私たち人類は生き方や目標への過程を「道」と捉え、特別な思い入れを持つ◆中学校で習った好きな英語の言葉は「Where there is a will,there is a way」。意志あるところに道はできる、という意味。仏教詩人坂村真民さんの「念ずれば花開く」に通じる気がする。詩人高村光太郎さんの「道程」も好き。「僕の前に道はない」の表現が印象的だ◆アニメ映画「耳をすませば」の主題歌は「カントリーロード」。主人公の少女が日本語に訳した歌詞は、夢を追う前途への不安と、夢をかなえていつか故郷にという希望が交錯する◆1970年代に「カントリーロード」をカバーし、日本でもヒットしたオリビア・ニュートン・ジョンさんの訃報に接した。歌手で女優。この30年はがんと闘いながら早期発見の啓発活動も続け、昨秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。享年73。その死を悼みながら、負けないように目の前の「道」を進もうと思う。

古今の「道」を扱った名言等を紹介する中で、光太郎詩「道程」(大正3年=1914)に触れて下さいました。多謝。くれぐれも道路工事の詩ではありませんのでよろしく(笑)。

あえて付け加えるなら、アントニオ猪木さんの座右の銘、僧侶にして宗教学者の清沢哲夫が昭和26年(1951)に発表した「道」でしょうか。

この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし   
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

あるいは中学校3年生の国語教科書定番、魯迅の「故郷」(大正10年=1921)の末尾。

其实地上本没有路、走的人多了、也便成了路(もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ)。

魯迅は明治末に日本への留学経験があり、帰国後、何らかのつてで光太郎の「道程」を読んだ可能性も否定できないなと思っています。情報をお持ちの方は御教示いただければ幸いです。

000「有明抄」では、先頃亡くなったオリビア・ニュートン・ジョンさんにも触れています。彼女の代表作の一つが「カントリー・ロード」(昭和49年=1974)ということで。

Country roads, take me home/To the place I belong/West Virginia, Mountain Mamma/Take me home, country road.

原曲はジョン・デンバーさんで昭和46年(1971)。オリビアさんの歌唱がカバーだというのをご存じない方が多いように感じます。また、同曲、ジブリ映画「耳をすませば」(平成7年=1995)で、本名陽子さんによる日本語歌詞バージョンが有名になりましたので、若い人たちの中には日本の歌だと思っている皆さんもいらっしゃるようで(笑)。

ちなみに当方、オリビアさんが1枚、ジョン・デンバーさんは2枚、LPレコード(CDではありません(笑))を持っています。「カントリー・ロード」は収録されていないものばかりですが。
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ジョン・デンバーさんも、すでに平成9年(1997)、鬼籍に入られています。

その死を悼みながら、負けないように目の前の「道」を進もうと思う。」そのとおりですね。

【折々のことば・光太郎】

ひる近く車で奥入瀬の佐藤春夫氏詩碑の除幕式、式終りて雨もよひ、


昭和28年(1953)10月21日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式当日、午前中には奥入瀬渓流の銚子大滝付近で、光太郎と青森県を仲介した佐藤春夫の詩碑の除幕式も行われました。

午後の「乙女の像」除幕式と併せ、青森県に動画が残っていました。
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春夫はこの時数え62歳。急斜面で手を引いてやっているのは、当会の祖・草野心平です。心平、グッジョブ(笑)。
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春夫のスピーチ。残念ながら動画はサイレントです。
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光太郎の姿も。
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この後、十和田湖畔に一同で移動して、「乙女の像」除幕式となります。

本日も新刊紹介です。

物語のカギ 「読む」が10倍楽しくなる38のヒント

2022年8月5日 渡辺祐真/スケザネ著 笠間書院 定価1,800円+税

本の魅力をわかりやすく伝える書評動画で人気のYouTubeチャンネル「スケザネ図書館」。その配信者である著者が、文学だけでなくマンガや映画まで幅広い「物語」へのあふれる愛を語りながら、より深く味わうための目のつけどころ=「カギ」をわかりやすく解説します。

小説・詩歌・マンガ・映画など幅広いジャンルを対象に、『走れメロス』、『アンナ・カレーニナ』といった名作文学から『呪術廻戦』(マンガ)、『ドライブ・マイ・カー』(映画)など近年の人気作まで、多種多様な作品をピックアップ。それら具体例を紹介しながら紹介する「カギ」は、「語り手を信頼するな!(『日の名残り』)」、「比較・変遷をたどれ!(歌人・俵万智の作風の変化)」、「元ネタを探ろう(『ピーターパン』と『約束のネバーランド』)」など。著者自身が物語の面白さに目覚めた経験談を交えながら、様々な角度から「物語」の楽しみ方を案内します。

ふだんあまり本を読まない人や、まだ読書に慣れていない中高生にこそ読んでもらいたい1冊です。
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目次
 はじめに
 序章 なんで物語を読むのか? 物語を味わうってどんなこと?
 第一章 物語の基本的な仕組み
  多義性を知ろう!
  多義性から「物語文 」を作れ!
  内容と語りに分けよう-物語内容と物語言説
  時間の進行を計れ!-時間はジャンルを変える
  人称ってなに?-語り手は作者ではない
  焦点化ってなに?-なぜ右京さんはミステリアスなのか?
  語り手の種類を知ろう!-語り手で物語はこんなに変わる
  語り手を信頼するな!-信頼できない語り手
  ジャンルを意識してみよう-芥川賞と直木賞ってどう違うの?
  作者の死-勝手に作品を解釈してもいいの?
 第二章 虫の視線で読んでみる
  メタファーを使いこなせ!-『呪術廻戦』で呪術師たちは何を祓うのか?
  書き出しを楽しもう-書き出しには三種類あります!
  小道具に着目してみよう!-なぜメルヴィルは鯨まみれの小説を書いたのか
  自然描写の想起するイメージを掴め!-ただの状況説明と無視するなかれ
  五感をフルに稼働させよう!-「マドレーヌ効果」ってなに?
  書かれたことをそのまま受け取るべからず!-押すなよと言われたら押せ
  結末を味わい尽くせ-結末の種類と特徴を知ろう!
  言葉を味わおう!-○○詞に注目!
 第三章 鳥の視点で読んでみる
  自分の人生を賭して読んでみよう!-なぜファウストは昇天できたのか
  キーワードを設定してみよう!-「星の王子さま」という訳が隠してしまったメッセージ
  二項対立を設定してみよう!-対立するキーワードたち
  二項対立を打ち破れ!-『白い巨塔』の財前と里見は対照ではない
  隠されたものを復元せよ!-対位法的読解
  他ジャンルを使ってみよう!-なぜ宇宙をバックに「ツァラストラ」が流れるのか?
  作家の伝記を調べてみよう!-「ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう」は明るい?
  比較・変遷をたどれ!-一人の作家を通時的に読んでみる
  元ネタを探ろう-『約ネバ』と『ピーター・パン』は対称の関係!?
 第四章 理論を駆使してみる
  理論の使い方や歴史を知ろう-批評理論ってなに?
  ケアに気を配ろう-弱いからこそ見えるもの
  自然の視点に立ってみよう-エコクリティシズム
  ジェンダーについて考えよう-フェミニズム
  時代背景を考えよう-『グレートギャッツビー』が取り戻そうとしたものは何か?
  舞台を意識しよう-『ブルーピリオド』の合格は場の力にあり
 第五章 能動的な読みの工夫
  暗記してみよう-素読せよ
  書き込みをしてみよう-マルジナリアを作り出せ
  注釈を活用してみよう-ダンテ『神曲』を読む楽しみ
  再読をしてみよう-二度以上読む意味
  翻訳を読み比べてみよう!-「世界文学」とは何か
 おわりに

様々な文学作品等から例文を引きつつ、「こういうところはここに注目して読む」「こんな感じで作者の意図が見え隠れする」「こうした落とし穴に注意」など、時に(というかかなりの部分(笑))ユーモラスに、しかし深い考察も伴って、「読む」という行為のあり方を分析しています。

われらが光太郎に関しては「第二章 虫の視線で読んでみる」中の「メタファーを使いこなせ!-『呪術廻戦』で呪術師たちは何を祓うのか?」で、詩「道程」(大正3年=1914)を引いて下さいました。吹きました(笑)。

曰く

 この詩を読んで、道路工事の詩かな?と思う人はいないはずです。
 ここでの「道」は「人生」を指しており、他者とは異なる、しかし引き返すことのできない過酷な人生の選択をしようとしている、そんな気迫が作品には漲っています。つまり、「道」は「人生」のメタファーとして機能している、というわけです。


ただ、「道路工事の詩かな?と思う人」もいるかも知れません。大まじめ(なのでしょう)に「「ほんとの空」って何ですか?」と問うてくる頓珍漢もいますから(笑)。

このメタファーの項だけでも、チャップリンの「モダン・タイムス」、三島由紀夫の『金閣寺』、吉本隆明の評論、そして『呪術廻戦』まで、さまざまな例が挙げられています。「道程」は、この項最初の枕でした。

版元による紹介文に「ふだんあまり本を読まない人や、まだ読書に慣れていない中高生にこそ読んでもらいたい1冊です。」とありますが、本をよく読む人も改めて「読む」ということについて考え直すきっかけとなりそうですし、中高生、特に大学の文学部をめざそうという若者、また、現に文学部で学んでいる学生さんなどにもお薦めです。さらにはご自分で小説なりを書こうとしている方、実際に書いている方にも。読むためのノウハウは書くためにも転用できますから。

というわけで、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

車で休屋まで、酸湯で中食、休屋一泊、 夜皆とビール、 夕方現場にて谷口氏藤島氏伊藤氏にあふ、 〈(七尺像立つてゐる、)〉


昭和28年(1953)10月20日の日記より 光太郎71歳

七尺像」は、翌日に除幕される生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。会心の出来、というわけではなかったにせよ、一年間、精魂傾けて制作に打ち込み、そして自分自身「生涯最後の大作」になるだろうと予感していた像が十和田湖畔に「立つてゐる」姿は、やはり感無量だったのではないでしょうか。

本日も新刊紹介です。

言葉に出会う現在

2022年7月17日 宮野真生子著 奥田太郎編 ナカニシヤ出版 定価3,000円+税

九鬼周造を出発点にオリジナルに深化した、恋愛論、押韻論、共食論等、切れ味鋭い11の論考に加え、書評・エッセイも多数収録。
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目次
 【エッセイ】恋とはどういうものかしら?
 第一章 道具・身体・自然――宗悦と宗理――
  1 近代化と生活する身体
  2 柳宗悦における風土的身体――フィクションとしての自然――
  3 柳宗理における風土的身体――別な自然への視線――
 【書評】伊藤徹編『作ることの日本近代―一九一〇― 四〇年代の精神史』
     世界思想社、二〇一〇年
 第二章 押韻という夢――ロゴスからメロスへ――
  序
  1 『日本詩の押韻』という試み
  2 呼びかけとしての押韻
  結
 【書評】佐藤康邦・清水正之・田中久文編『甦る和辻哲郎――人文科学の再生に向けて』
     ナカニシヤ出版、一九九九年
 第三章 恋愛・いき・ニヒリズム
  序
  1 「いき」をめぐる諸言説
  2 「恋愛」を求めて――透谷・泡鳴・有島の試行錯誤――
  3 「恋愛」と「他者」をめぐる問題
  結 
 【エッセイ】ここにいることの不思議
 第四章 死と実存協同――無常を超えて偶然を生きる――
  はじめに
  1 「無常」を語る危険性
  2 「メメントモリ」
  3 「愛」としての「死者からのはたらきかけ」
  4 偶然性における実存協同
  おわりに
 【書評】佐藤啓介『死者と苦しみの宗教哲学――宗教哲学の現代的可能性』
     晃洋書房、二〇一七年
 第五章 恋愛という「宿痾」を生きる
  1 問題の所在
  2 北村透谷の「恋愛」 
  3 「コケットリー」とは何か
  4 「賭け」の先にあるもの
  5 「いき」とは何か
  6 「コケットリー」と「いき」
  7 「いき」の魅力
  8 さいごに
 【エッセイ】愛
 第六章 近代日本における「愛」の受容
  1 「愛」をめぐる問題状況
  2 「愛」という言葉は何を意味しているのか
  3 「色」から「ラブ」へ
  4 恋愛としての「ラブ」に託されたもの
  5 恋愛としてのラブの危険性
  6 「愛」があれば、どうなるのか
  7 「一つになる」愛の果てに
  8 さいごに
 【エッセイ】性
 第七章 母性と幸福――自己として、女性として生きる――
  はじめに
  1 母と子の関係をめぐる変化
  2 子どもへの違和感
  3 「自己」として生きること
  4 平塚らいてうの「自己」と「自然」
  5 「母性」への転回
  6 母性という桎梏、その別の可能性
  さいごに
 【エッセイ】家族
 第八章 「いき」な印象とは何か――「いき」をめぐる知と型の問題――
  はじめに  
  1 印象とは何か  
  2 「いき」という美意識  
  3 「いき」の「意味体験」とは  
  4 印象を成立させる動性  
  5 「二次元動的可能性」としての自己と他者  
  おわりに  
 【書評】谷口功一・スナック研究会編『日本の夜の公共圏――スナック研究序説』
     白水社、二〇一七年
 第九章 カウンターというつながり――『深夜食堂』から考える――
  はじめに  
  1 『深夜食堂』以前
  2 『深夜食堂』の紹介
  3 居酒屋とサードプレイス
  4 カウンターという空間
  5 『深夜食堂』における食の機能
  6 「サードプレイス」の「やわらかな公共性」
  さいごに――ふたたび『深夜食堂』――
 【エッセイ】カウンターには何があるのか?
 第十章 食の空間とつながりの変容
  はじめに  
  1 どのように共食するか  
  2 共食に何が託されてきたか  
  3 どこで食事をするのか  
  4 「家事」という大問題  
  5 戦後の「共食」のあり方と現代の「食」  
 【書評】伊藤邦武『九鬼周造と輪廻のメタフィジックス』ぷねうま舎、二〇一四年
 第十一章 言葉に出会う現在――永遠の本質を解放する――
  はじめに  
  1 偶然性における「永遠の現在の鼓動」  
  2 回帰的時間における「永遠の今」  
  3 詩の時間性  
  4 押韻と偶然性  
  おわりに  
 編集後記(奥田太郎)
 初出一覧  

著者紹介
宮野真生子(みやの・まきこ)
1977年大阪府に生まれ、その後和歌山県で育つ。京都大学大学院文学研究科博士課程(後期)単位取得退学ののち、福岡大学人文学部准教授。2019年、大阪大学より博士(人間科学)。著書に、『なぜ、私たちは恋をして生きるのか――「出会い」と「恋愛」の近代日本精神史』(ナカニシヤ出版,2014 年)、『出逢いのあわい――九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(堀之内出版,2019年)、『急に具合が悪くなる』〔共著〕(晶文社,2019年)など。2019年逝去。

福岡大学さんの准教授であらせられた宮野真生子氏という方の、遺稿集的な評論集です。宮野氏、令和元年(2019)、42歳の若さで乳ガンにより亡くなっています。亡くなったというのは存じませんでした。遅ればせながら謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

「第六章 近代日本における「愛」の受容」中の「7 「一つになる」愛の果てに」9ページで光太郎智恵子を扱っています。上記目次には載せませんでしたが、さらに細かい章立てが「⑴ 高村光太郎・智恵子夫妻の悲劇」「⑵ 二人が目指した理想の結婚」「⑶ 「一つになること」の真相」「⑷ 不可能な理想と化した「愛」」「さいごに」

実はこの章、同じナカニシヤ出版さんから平成28年(2016)に出た、宮野氏と藤田尚志氏の共編になる『愛・性・家族の哲学① 愛 結婚は愛のあかし?』に、まるまる掲載されていました。光太郎智恵子に関しては特に新しい事実の紹介や解釈があるわけではありませんが、中国語の「愛」、キリスト教の「love」、それらと近代日本に於ける「恋愛」という概念との比較、文学作品では『智恵子抄』以外に漱石の『行人』、坪内逍遙の『当世書生気質』などにも触れられ、「なるほど」と思わせられる論が展開されています。

その他の章も、非常に読み応えのあるものでした。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

晴、 朝八時前出かける、九時過の汽車特2にて浅蟲まで、東奥館に夜十一時頃つく、

昭和28年(1953)10月19日の日記より 光太郎71歳

2日後に開催される、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式のため青森入りしました。当時は15時間もかかったのですね。

前年6月の下見の際にも泊まった浅虫温泉東奥館に宿泊。残念ながら東奥館の建物は現存しません。下記は当方手持ちの古絵葉書です。
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久々に新刊紹介、特に何もなければ3日間続けます。

まず、コミック。半年経っていまして、新刊というには遅くなりましたが、最近、その存在を知ったもので……。

花は咲く、修羅の如く 1

2022年1月24日 原作 武田綾乃 漫画 むっしゅ 集英社 定価630円+税

人口六百人の小さな島に住む少女・花奈(はな)は、島の子どもたちに向けて朗読会を行うほど朗読が好きだった。花奈の“読み”に人を惹きつける力を感じた瑞希は、自身が部長を務める放送部への入部を誘う――。朗読の技術を学ぶことはもちろん、普通の学校生活も花奈にとっては未体験なことだらけ。放送部のメンバーたちと様々な“はじめて”を経験し、少しずつだけど前に進んでいく。

『響け!ユーフォニアム』の武田綾乃が表現する高校生の心の成長を、新鋭作家むっしゅが繊細な筆致で描く青春ストーリー!
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雑誌『ウルトラジャンプ』連載中の作品です。舞台は京都府北部、丹後半島のあたりでしょう。主人公の朗読大好き少女・花奈が暮らすのは「十鳴島」という架空の島です。島に高校がないため、本土の高校に入学してフェリーで通学を始めた花奈が放送部に入部し……という展開です。

入部のきっかけは、先輩・瑞希の強引な勧誘もありましたが、校内放送で流れた瑞希の朗読を聞いたことでした。花奈たちの通う高校では、放送部員が教員から頼まれた校内放送を担当する、という設定で、問題の放送では新入生への校長先生からのメッセージ。光太郎詩の代表作の一つ「道程」(大正3年=1914)が朗読されました。
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入部はしたものの、先輩や他の新入部員はNHK杯全国高校放送コンテストでの入賞を目指すという目的意識が明確ですが、花奈は単純に朗読が好きというだけで、他人と競うことに疑問を感じています。今後、それがどう変わっていくのか、というところですが。

題名に「修羅の如く」とありますが、花奈は宮沢賢治ファンという設定です。1巻だけでも「春と修羅」「やまなし」「銀河鉄道の夜」などの賢治作品がモチーフとして使われています。
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その他、漱石作品も、「こころ」「夢十夜」など。

こりゃ、2巻目(5月に出ています)以降も買わなきゃならんかな、という感じです(笑)。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

晴 くもり (ヒゲソリ) 部屋かたづけ、明日の支度、


昭和28年(1953)10月18日の日記より 光太郎71歳

3日後に開催される、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式のため、翌日には青森に向けて出発、そのための支度です。

こういうのもありかな、と。

3D彫刻複製 「西郷隆盛像」高村光雲【大】

¥500,000 税込  送料無料でお届けします000
受付開始:2022年8月6日(土)
原型:上野公園 西郷隆盛像
彫刻:高村光雲
高さ:37cm(台座含む)
横:14.5cm
奥行11cm
技法:STH方式(3D計測・3D出力)
材質:pla

3D彫刻複製の主な特徴
すべての形情報をそのまま取り込める世界唯一の技術、3Dスキャン。独自の3D計測プロセスがもたらす圧倒的な正確さ。豊かな凹凸と、立ち上がるような立体感あふれる像質は、まさに「ハイパー複製」。原型の再現にどこまでも応えうる忠実性を提供すること。3D計測、3D出力、大きさ、質感などあらゆる要素をこの観点から徹底的に考え、一から開発いたしました。そして、3D彫刻複製の哲学である「彫刻研究のための複製」としての方向性を先鋭化させ、本格的な芸術表現をより身近にするための本質だけに特化して生まれたのが、この新世代の3D彫刻複製です。
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3D複製技術を彫刻等に応用する試みは、徐々に広がっているようです。

美術館さんの貴重な収蔵品の3Dコピーを作り、来館者が手にとることができるようにしたり、磨崖仏など現地から動かせないものの縮小コピーを作って研究に使用したり。

また、平成31年(2019)、火災で大きな被害を受けたパリ・ノートルダム大聖堂の再建においても、火災前に採ってあった内部の3Dデータを使うの使わないのという報道も目にしました。その後どうなったか存じませんが。

そう考えると、活用の幅はいくらでもありそうな気がしますね。

そして「西郷隆盛像」。権利的な部分はどうなっているのかな、と思うのですが、どうなのでしょう? 今回発売されたものは【大】だそうで、価格は50万円。やがて【中】とか【小】とかも出るのでしょうか?

この手の情報、今後も気を付けてみていこうと思います。

【折々のことば・光太郎】

夜去年上京の記念につき藤島さんと外でビフテキ、ビール、リオにてカクテル、夜十時かへる、

昭和28年(1953)10月13日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、7年間暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋をあとに上京して、丸1年が経ちました。

先月末の『中国新聞』さんから。

「売れない」ものを作る【いかさミュージアム散歩】井原市立田中美術館

001 1907年、横山大観や菱田春草を育て上げて日本画の革新にめどがついた岡倉天心は、次に木彫(もくちょう)の振興を目指した。天心の依頼により、高村光雲が選抜した6人の中に平櫛田中の名があった。
 6人は天心の待つ上野の寺に集う。ある者が宮内省御買い上げ品以外に彫刻の需要がないことへの苦しさを訴えると、天心は即座に「諸君は売れるようなものをお作りになるから売れません。売れないものをお作りなさい。必ず売れます」と一言だけ言った。
 売りたいという心で人にこびたものを作ることは、自分の心を裏切っている。言下に田中は、売れないものを作るのは造作もない、自分の好きなものを作ればいいのだ、と感得した。この言葉をもって、名作「活人箭(かつじんせん)」が生まれた。坊さんを作れば、誰も買わないだろうと。000
 田中は、上京翌年の26歳から参禅し、禅を精神の支柱にしていた。自分の好む禅など作品にしたところで需要はありはしないと思っていた。「一生の早い時期に偉い人に会うという事は、人間の第一の幸福です」。この幸福な時期は13年、天心が50歳で世を去ることで終わる。「省みて、先生に背くことの多いのを恥じます。誠に恐ろしいお言葉であると、しみじみ感じます」
 07年の年齢を列記しよう。光雲55歳、天心45歳、大観39歳、田中35歳、春草33歳。美術界は風雲児天心の下、硬骨漢たちがこれまでの常識を打ち破って「売れない」ものを作り、芸術上の大革新が行われる。そして、当時、理解し難かった作品は今、傑作として人々の称賛を得ている。(田中美術館学芸員・青木寛明)
 <メモ>新館建設のため休館中。来年4月にリニューアルオープンする。住所は井原市井原町315。グッズは、井原市民会館内の仮事務所で販売中。通信販売もある。☎0866(62)8787 http://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/

題名の「いかさ」って何だ? と思い、調べたところ、「井笠」。岡山県井原市、笠岡市を中心とした地域の略称でした。青森県の「三八上北(さんぱちかみきた……三戸郡・八戸市・上北郡)」などと同じ伝ですね。当方、東北によく行くので、現地で見るテレビのローカル天気予報などで使われる「三八上北」は、その語呂の良さから耳に残っています(笑)。

その井原市にあり、現在新館建設のため休館している田中(でんちゅう)美術館さん、というよりそちらで作品がまとめて収蔵されている平櫛田中の紹介です。

記事冒頭の、明治40年(1907)に岡倉天心、光太郎の父・光雲により6人の彫刻家が集められた、というのは日本彫刻会の結成を指します。田中以外の5人は、米原雲海、山崎朝雲、加藤景雲、森鳳聲、滝澤天友。とりあえず全員、光雲の高弟といって良いかと思われます。

田中の「活人箭(かつじんせん)」画像は制作直後のもの。田中がこれを天心に見せたところ、天心は「なぜ余計な弓矢を作った?」と一喝したそうです。実際に弓矢を手にしていなくとも、見た人にその存在を感じさせるような彫刻でなければ駄目なんだ、というわけです。「余白の美」と申しましょうか、「象徴的技法」と申しましょうか、確かにその通りですね。
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そして田中は上記のように改作します。田中が傾倒した禅の精神にも通じるところがあるのでしょう。

同じことは天心の「売れないものを作れ」という一語にも表されているような気がします。世の中に迎合するな、という意味と、判ってもらおうとして説明しすぎるな、といった意味もあるように感じます。光太郎なども、こうした精神を持って彫刻制作に当たっていたのではないでしょうか。光太郎も、一時、親しかった田中の影響もあって禅に親しんでいました。そうした制作態度を「気取っている」と評する向きもありますが……。

ちなみに最初の田中の写真、元になったのはこちら。
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東京美術学校での光雲門下生の集合写真です。昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』口絵に使われているもので、光太郎も写っていまして、明治35年(1902)頃の撮影と推定されます。これが田中の若い頃唯一の写真だそうです。上記記事を書かれた学芸員の青木氏から、「写真のオリジナルプリントがどこに所蔵されているか知らないか」と問い合わせがあったのですが、当方も存じませんで、役に立てませんでした。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

さて、井原市立田中美術館さん、建設中の新館は10月に竣工予定、来年4月にリニューアルオープンだそうです。まだ先の話になりますが、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后一時メダル150個全部出来、内山氏持参、青森県事務所に届けてもらふ、

昭和28年(1953)10月10日の日記より 光太郎71歳

「メダル」は、生涯最後の完成作となった小品「大町桂月メダル」。翌月行われた「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」除幕式に際し、関係者に記念品として配付されたものです。正式なものは内山嘉一郎により150個鋳造されたということで、時折、ネットオークションに出ます。2度ほど、10万円ちょっとまで粘って入札したのですが、負けました(笑)。



2件ご紹介します。

日本一やかましい祭り「石取祭」〜鉦や太鼓がふたたび鳴り響く、桑名の夏〜

BSイレブン 2022年8月7日(日) 19:00~20:00

「桑名っ子」たちが待ちに待った、絢爛豪華な祭車の曳き回しが3年ぶりに復活!けたたましく鉦や太鼓が鳴り響く、日本一やかましい祭り「石取祭」を生中継!

鉦や太鼓の音色が、3年ぶりに桑名のまちに鳴り響く。地元の人が「日本一やかましい祭り」と呼ぶ、三重県桑名市の「石取祭」。神様に五穀豊穣の願いを届ける為、3日3晩、鉦や太鼓を叩き続け、けたたましい音を響かせながら、絢爛豪華な祭車が街を練り歩く「天下の奇祭」。その起源は江戸時代初期に神社に石を奉納する儀式から始まったと言われ、何世代もの「桑名っ子」にとって1年で最も心が躍る夏の一大行事。
しかしコロナ禍により、2年も過ごした「静かな夏」。幼い頃から鉦と太鼓の音を聴いて育ってきた「桑名っ子」たち。今夏、待ちに待った祭車の曳き回しが復活!鉦と太鼓の爆音が桑名の夜を埋め尽くす―「国指定の重要無形民俗文化財」指定、ユネスコ無形文化遺産に登録された石取祭の渡祭の一部を生中継!

出演者
 中久木大力(三重テレビアナウンサー) 奥村莉子(三重テレビアナウンサー)
 小川雅生(桑名石取祭保存会 研究員) 大西礼芳(俳優/三重県度会町出身)


三重県桑名市の「石取祭」。春日神社さんに石を奉納する祭りで、毎年8月第1日曜日とその前日の土曜日に執り行われています。太鼓と鉦の囃子にのって「祭車」と呼ばれる山車が曳き廻され、「日本一やかましい祭り」を名乗っています。40台あまり出る祭車の中に、光太郎の父・光雲とその弟子たちの手になる彫刻を施した祭車が2台。平成28年(2016)には、全国33件の同様の祭りと一括でユネスコ世界文化遺産に指定されました。

その石取祭の生中継だそうで、テレビ的にはなかなかのチャレンジャーですね。雨天の場合など、どうするのでしょうか。多少の雨ならやってしまうのでしょうが、このところ、各地で豪雨災害が頻発していますし……。まぁ、とりあえず拝見してみます。

もう1件。

プレミアムステージ「僕は歌う、青空とコーラと君のために/私たちは何も知らない」

NHK BSプレミアム 2022年8月7日(日) 23:20~4:11

8月のプレミアムステージは、<前半>に、ヒトハダ公演「僕は歌う、青空とコーラと君のために」。 <後半>は、二兎社公演「私たちは何も知らない」のアンコール放送。

23:20〜 ヒトハダの旗揚げ公演、鄭義信・作・演出の「僕は歌う、青空とコーラと君のために」。昭和25年、朝鮮戦争勃発当時。東京郊外にある進駐軍専用のキャバレーで営業する男性コーラスグループの笑いあり、涙ありの青春と友情の物語。【出演】大鶴佐助 浅野雅博 尾上寛之 櫻井章喜 梅沢昌代 /翌1:36:15〜 二兎社公演「私たちは何も知らない」のアンコール放送。【作・演出】永井愛【出演】朝倉あき ほか


演劇公演2本が放映され、そのうち後半が二兎社公演「私たちは何も知らない」。令和元年(2019)から翌年にかけ、全国を巡回したもので、平塚らいてう、伊藤野枝ら、青鞜同人の群像劇です。テレビ放映は令和2年(2020)に続き、二度目。そこで「アンコール放送」と謳われています。創刊号の表紙を描いた智恵子は登場しませんが、セリフの中には名が出て来ました。
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ところで、岩野清(いわのきよ)役は、大西礼芳さん。偶然ですが、上記「日本一やかましい祭り「石取祭」〜鉦や太鼓がふたたび鳴り響く、桑名の夏〜」でも、三重県ご出身ということで、ゲスト出演なさいます。
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ありゃま、という感じでした(笑)。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

一時雨の中を迎の車で上十條伊藤忠雄氏宅にゆく、谷口藤島、筏氏と同道、鋳金裸像七尺のもの2体の位置をきめる、


昭和28年(1953)10月9日の日記より 光太郎71歳

「鋳金裸像」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。伊藤忠雄による鋳造が終了し、細かな位置決めが「行われました。下記の写真はこの日、撮影されたものと思われます。
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当方が監修、一部執筆した『十和田湖乙女の像のものがたり』(平成27年=2015 十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会編)から採りました。キャプションが「6月23日」となっていますが、誤りです。その日も伊藤の工房に行っていますが、6月の時点では石膏原型1体のみで、2体揃っているのは鋳造後です。

この後、延々十和田湖まで運ばれ、現地に設置されることになります。『十和田湖乙女の像のものがたり』には、設置工事の監督だった元青森県技師・小山義孝氏の証言、工事中の写真等も掲載されています。ただ、輸送がどのように行われたのか、今のところ関係資料が見つかっていません。
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朗読系のイベントを2件。

まずは北海道北見市。

北見市朗読赤十字奉仕団創立40周年記念朗読会

期 日 : 2022年8月7日(日)
会 場 : 北見市総合福祉会館 北海道北見市寿町3丁目4番1号
時 間 : 14:00~
料 金 : 無料004

出 演 : 北見市朗読赤十字奉仕団(国分明子団長)団員
      岩井正さん(元NHKアナウンサー・横浜市在住)
プログラム :
 芥川龍之介「蜘蛛(くも)の糸」
 ラフカディオ・ハーン「日本人の微笑」
 SF作品
 高村光太郎「智恵子抄」から「智恵子の半生」
 他


003北見市朗読赤十字奉仕団さん。普段は、市の広報誌をCDやカセットテープに録音して届ける「声の広報」などの活動を行っているそうです。毎月60件ほどの利用があるとのこと。また、週2回、電話越しに新聞を読み聞かせる「声の新聞北見」という活動も。こちらはニュース面から野球の結果までさまざまな希望があり、道外からの問い合わせも受けているそうです。さらに地元紙などで紹介された地域の話題を集めた「声の雑誌」を制作しているほか、週刊誌や月刊誌を読んで録音しており、それらは市立図書館から利用者に送っているとのこと。頭が下がります。

そうした中で、元NHKアナウンサーの方々を招いて読み方の研修等も行っているそうで、そこで岩井氏なのでしょう。「智恵子の半生」は岩井氏が読まれるそうです。岩井氏、NHK放送センターさんの朗読講座でも、光太郎作品を取り上げて下さっています。

もう1件、都内から。

ノスタルジックな世界005

期 日 : 2022年8月10日(水)
会 場 : 名曲喫茶ヴィオロン 
      東京都杉並区阿佐谷北2-9-5
時 間 : 19:00~
料 金 : 1,000円(1ドリンク付)

出 演 : MIHOE(朗読/歌)
      藤澤由二(ピアノ)

JAZZ演奏 詩の朗読 みじかくも美しく燃える ノスタルジックな時間 寺山修司、智恵子抄、中原中也などお好きな方、そしてノスタルジックなJAZZを愛する方 お待ちしてます


フライヤーは「ノスタルジックな界」となっていますが、「ノスタルジックな世界」のようです。イベント名と同時にお二人のユニット名なのかな、という感じでした。

YouTube上に過去の動画が何本かアップされていました。


以前にも書きましたが、光太郎の詩文は意外と朗読に向いています。きれいな五七調、七五調になっているものは多くないものの、「内在律」とでも言いましょうか、言葉本来のリズム感、生命力など、ある種「言霊」のようなものが感じられます。声に出して読まれることを想定して書いていなくとも、自然にそうなっている点、物書きのお手本ですね。身贔屓に過ぎるでしょうか(笑)。

さて、それぞれ、お近くの方、コロナ感染には十分にお気を付けつつ、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

豊周くる、写真による胸像の事、ツチヤ地下足袋初代社長の記念の由、写真を見てから返事する事、

昭和28年(1953)10月8日の日記より 光太郎71歳

002豊周」は実弟の髙村豊周。家督相続を放棄した長男光太郎に代わって髙村家を嗣ぎました。

ツチヤ地下足袋」は現・ムーンスターさん。「初代社長」は倉田雲平。嘉永4年(1851)生まれですので、光太郎の父・光雲の一つ年上です。大正6年(1917)に亡くなっていたのですが、ぜひその胸像を、ということで豊周が仕事をとってきました。

はじめ、写真による故人の肖像制作には難色を示した光太郎でしたが、結局、依頼を引き受けました。しかし、健康状態の悪化により、制作は半ばで中断。未完に終わった絶作は、未完に終わった光太郎の彫刻世界を象徴するかのように、未完のまま型取られて鋳造されました。

都内から演奏会情報です。

第9回 松岡貴史&みち子作品展 小川明子、加耒徹が歌う 新作日本歌曲コンサート

期 日 : 2022年8月9日(火)
会 場 : オーキッドミュージックサロン  
      東京都世田谷区玉川2-2-1 二子玉川ライズバーズモールB-1
時 間 : 第1回 13:30開場 14:00開演
      第2回 18:00開場 18:30開演
料 金 : 全席自由 3,000円

プログラム(順不同):
  松岡貴史作曲   音楽昔噺『たの久』(初演) 他
  松岡みち子作曲  
   新作(初演)
『智恵子抄』~女性から見た智恵子と光太郎の愛のかたち~
    「人に」
    「あどけない話」
    「山麓の二人」
    「千鳥と遊ぶ智恵子」
    「レモン哀歌」
  松岡あさひ作曲  新作(初演) 他

演 奏 : 小川明子(アルト) 加耒徹(バリトン)
      松岡あさひ(ピアノ) 松岡貴史(ピアノ)
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鳴門教育大学講師の作曲家・松岡みち子氏という方の「『智恵子抄』~女性から見た智恵子と光太郎の愛のかたち~」が初演されるとのことです。

令和元年(2019)に、徳島県郷土文化会館さんで開催された「平成31年度 東京藝術大学音楽学部同声会 徳島県支部主催演奏会」で、松岡氏の「「智恵子抄」より」がプログラムに入っていました。おそらくその際のものと思われる動画がYouTubeにアップされています。曲目は「あどけない話」「山麓の二人」「レモン哀歌」。今回の演奏会にも出演されるアルト・小川明子さんという方の歌唱です。


今回の演奏会では「人に」「千鳥と遊ぶ智恵子」が増えており、それで組曲として完成、初演ということなのでしょう。

フライヤー裏面の松岡氏のお言葉。

「智恵子抄」は、あの偉大な彫刻家、画家、詩人であった高村光太郎が、同じく芸術家であった妻を綴った詩集で、これまでもたくさんの作曲家によって作曲されています。
私は、女性の立場から、智恵子の立場から「智恵子抄」を読み解き、光太郎と共に理想の芸術を求めて歩こうとした智恵子のひたむきな姿、光太郎を支えた優しさ、光太郎の才能に圧倒されて行く苦しみなど、精一杯に生きた智恵子を、共感を持って描きたいと思いました。

なるほど。

今月末には徳島公演もあるそうです。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

椛澤さん菊の花、青果物持参、置いてゆかる、 今日智恵子の命日、その供物といふ、

昭和28年(1953)10月5日の日記より 光太郎71歳

南品川ゼームス坂病院で智恵子が亡くなったのは、昭和13年(1938)10月5日。この日で満15年でした。「椛澤さん」は椛澤佳乃子。お茶の水女子大で教壇に立っていました。

ネット上などで、けっこう鳴り物入りの紹介が為されています。

 特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」

期 日 : 2022年8月6日(土)~9月25日(日)
 前期展示①:8月6日(土)~8月28日(日)
 前期展示②:8月6日(土)~9月4日(日)
 後期展示①:8月30日(火)~9月25日(日)
 後期展示②:9月6日(火)~9月25日(日)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日(ただし、9月19日(祝)は開館)
料 金 : 一般2,000円(1,800円)、高・大学生1,200円(1,000円)
       ( )は前売り料金 
   

じっと見る そっと見る うつくしい 宝もの

本展は、宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する皇室の珠玉の名品に、東京藝術大学のコレクションを加えた82件の多種多様な作品を通じて、「美の玉手箱」をひも解き、日本美術の豊かな世界をご覧いただくものです。代々日本の文化の中心に位置して美術を保護、奨励してきた皇室に伝わる優品の数々は、特筆すべき重要な存在です。

また、本展が開催される東京藝術大学は、前身である東京美術学校で岡倉天心が1890年に初めて体系的に日本美術史の講義を行った場所でもあり、以降、芸術の教育・研究機関として重要な役割を担います。本展は、このような歴史的背景をもつ両者共同ならではのアプローチで、貴重な美術品の数々の魅力をわかりやすくご紹介します。
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展覧会のみどころ
1 日本美術を分かりやすく「ひも解く」
 「文字からはじまる日本の美」「人と物語の共演」「生き物わくわく」「風景に心を寄せる」のテーマごとに、日本美術の世界をたどります。
2 三の丸尚蔵館所蔵の国宝全5件公開
 昨年、三の丸尚蔵館の収蔵品として初めて国宝に指定された5作品を、まとめて公開する初の機会になります。
 春日権現験記絵 やまと絵の集大成として名高い絵巻/通期展示
 蒙古襲来絵詞 元寇の様子を描いた絵巻/通期展示
 唐獅子図屏風 桃山時代を代表する狩野永徳筆/前期展示①
 動植綵絵 伊藤若冲の代表作/後期展示①
 屏風土代 平安時代三跡の一人・小野道風の書/後期展示②
3 若冲「動植綵絵(どうしょくさいえ)」10幅公開
 さまざまな生き物や植物を緻密に描いた傑作「動植綵絵」。あらゆる生き物の尊い生命、生きているからこその美しさを描き表わそうと、約10年をかけて若冲が制作した全30幅の大作。動植物の構図を熟慮し、自身が学んだ絵具の使い方や描き方を駆使して独特の世界観を表わしています。色鮮やかに表現された雄鶏が圧巻の〈向日葵雄鶏図〉や、70種類近くの虫が画面いっぱいに描かれた〈池辺群虫図〉など、本展では10幅を一堂に公開します。本展で公開される10幅は以下の通りです。
芍薬群蝶図、梅花小禽図、向日葵雄鶏図、紫陽花双鶏図、老松白鶏図、芦鵞図、蓮池遊魚図、桃花小禽図、池辺群虫図、芦雁図/後期展示①

序章 美の玉手箱を開けましょう
 「美術」を学問的にとらえた近代。岡倉天心は、未来の美術を作るための基礎となるように初めて日本美術史を教えました。そして、宮内省と東京美術学校によって後世に伝えるべき名品が作られます。
1章 文字からはじまる日本の美
 平安時代、日本人の感性によって生み出された優美な仮名は、物語や和歌を発展させ、さらにそれらによる様々なモチーフが豊かな美術意匠へと展開していく土壌を築きました。
2章 人と物語の共演
 人々の日常生活、信仰、回想や幻想などから創出された様々な物語は、折々の日本の四季の風景や人々の有り様を豊かに描き表わし、深遠な日本美の世界に我々を誘います。
3章 生き物わくわく
 人は様々な生き物と共存する中で、生き物への愛おしみや尊崇、感謝などの様々な想いを、美術造形に表現してきました。生命(いのち)あるものへの多彩な眼差しによる表現のかたちを見つめます。
4章 風景に心を寄せる
 豊かな自然は人々の心を動かし、古くから文学や絵画に表現されてきました。身近な風景や自然現象に対する素直な感動や畏怖の表現は、美の世界を広げ、さらなる感動をもたらします。

「3章 生き物わくわく」で、光太郎の父・光雲作の「矮鶏置物(ちゃぼおきもの)」(明治22年=1889)が展示されます。前期展示①ということで、8月6日(土)~8月28日(日)。
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他にも、日本美術史上に燦然と輝く優品の数々が出品されます。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】005

夕方アイスショーにゆきしが満員、火の車にゆく、草野君ゐる、


昭和28年(1953)10月4日の日記より
 光太郎71歳

「アイスショー」は「世界一アイス・ショウ アメリカン・ホリデイ・オン・アイス 日本公演」。昭和17年(1942)にアメリカで始まったフィギュアスケートの興行で、東京では後楽園で開催されました。

「ホリデイ・オン・アイス」といえば、当方の幼い頃、テレビCMなども放映されていました。

しかし満員で入れず、仕方なく当会の祖・草野心平の経営する居酒屋「火の車」へ。笑えます。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手県花巻市で、光太郎の語り部として活動されていた高橋征一さんが亡くなりました。

昭和20年(1945)、空襲で東京駒込林町のアトリエ兼住居を焼け出された光太郎は、5月、花巻の宮沢賢治の実家に疎開。終戦となっても帰京せず、逆に花巻郊外の旧太田村に鉱山の飯場小屋を移築してもらって住み始めます。

その山小屋近く(といっても1㎞弱)の太田小学校山口分教場(のち山口小学校)に通っていた児童の一人が、高橋さん。昭和25年(1950)の同校学芸会の際に撮られたこの写真で、右から二人目に写っています。
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コロナ禍前の令和元年(2019)5月に、旧太田村で開催されたの第62回高村祭のローカルニュースから。

その前年に開催された第61回高村祭では、他の3人の方々とともに太田村在住時の光太郎の思い出を語って下さいました。聞き手は当方でした。4人のうち、高橋愛子さんも既に亡くなっています。
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高橋さん、平成28年(2016)に花巻市太田地区振興会さんから刊行された『高村光太郎入村70年記念 ~思い出記録集~ 大地麗』の編集にあたられたり、同じ年には花巻高村光太郎記念館さんで無料配付されていたリーフレット『たかしとせいいち ぼくたちが出会った光太郎先生』で、上記写真左端の浅沼隆さんと共に、光太郎の思い出を証言して下さったりも。
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その他、折々の新聞記事などでも、高橋さんの証言が紙面を飾っています。

河北新報「戦災の記憶を歩く 戦後70年 ⑧高村山荘(花巻市) 戦意高揚に自責の念」。
新聞各紙から。
「とうほく名作散歩 詩集典型 岩手県花巻市 光太郎牛の如き魂刻む」。

さらに昭和51年(1976)、読売新聞社盛岡支局発行の『201人の証言 啄木・賢治・光太郎』でも。
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同書から、最上部画像の光太郎サンタについて。
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戦前には、「芸術家あるある」で「俗世間とは極力交わらない」、戦時中には歪んだ愛国意識で国民を鼓舞し死地に追いやった光太郎。戦後、老境に入ってようやく自然に世間と交われるようになった、その頃をご存じの高橋さん……。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

夕方リーチ、石川欣一氏等くる、リーチとアトリエで一寸話、明日出発して東北旅行の由、
昭和28年(1953)10月3日の日記より 光太郎71歳

「リーチ」は陶芸家のバーナード・リーチ。明治41年(1908)、英国留学中の光太郎と知り合ったのがきっかけで、来日。戦前は日本、イギリス、そして中国などを行ったり来たりしていましたが、昭和10年(1935)に帰国後はしばらく母国にとどまり、この年、久しぶりに来日し、光太郎らと雑誌で座談を行ったりもしました。そしてこの日が、光太郎とリーチ、今生の別れとなりました。

サイクルスポーツ愛好家の方々向けのキャンペーンです。

ツール・ド × Volcano to Seaふくしま

火山から太平洋へ 山、里、海がつなぐ絶景ルート
 福島市・二本松市・伊達市・相馬市エリアで3ヶ月限定でお届けします! 絶景と歴史が織り成すコースを走れる、このエリア。ルートには吾妻山・安達太良山の紅葉、伊達氏の歴史、朝日が綺麗な松川浦など、各市の魅力を詰め込んでいます。さらに、エリア内には飯坂・土湯・高湯・岳の4つの温泉地や豊富な果物・海産物など疲れを癒す要素もたくさん!100kmを超える2コースの走破を目指し、福島市・二本松市・伊達市・相馬市を満喫してください。

キャンペーン期間:2022年 7月30日(土)~10月31日(月)

サイクリング専用アプリツール・ドを使って走る!
 このキャンペーンに欠かせないのが、サイクリング専用アプリツール・ド! コースMAPで進行方向を確認できたり、途中の「ご当地スポット」にチェックインできたり、オリジナルフォトフレームが付いた記念写真を撮れたり、ゴール後に完走特典をGETするための完走証明をしたり。 このアプリを使えば、サイクリングの楽しさが広がること間違いなし。

0041コースを完走すればVolcano to Seaふくしまfinisherに認定!
 コースのいずれかを完走した方は、Volcano to Seaふくしまfinisherの証オリジナル手ぬぐいをプレゼントします。お帰りの際はゲットした手ぬぐいを持って、温泉へお立ち寄りください。
 ※各コース、先着200名様ずつとなります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※完走したコースそれぞれで手ぬぐいをお渡しします。

2コースを完走すればVolcano to Seaふくしまマイスターに認定!005
 キャンペーン期間中に「Volcanoコースいずれか1コース」と「Seaコースいずれか1コース」の合計2コースを完走した方をVolcano to Seaふくしまマイスターと認定します。Volcano to Seaふくしまマイスターの名に相応しく、オリジナル猪革キーホルダーと認定証を進呈します。
 ※先着100名様となります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※認定証は全員に発行します。

Volcano to Seaふくしまを走って記念を残そう!
 Volcano to Seaふくしまfinisherボードにチェキを貼ってSIGN ON!!

豪華賞品が当たるフォトコンテストを開催!
 「ふくしま」をテーマにした思い出の写真を大募集。#ボルふくをつけてSNS(twitter/instagram)に投稿するだけで、地元のお土産をGETできるかも!?

コース
 安達太良山を一望できるスカイピアあだたらからスタート。クライマックスは磐梯吾妻スカイラインのヒルクライムです。コース近辺には岳温泉、高湯温泉、土湯温泉など県内自慢の温泉地もぜひお楽しみください。スポットや拠点などで福島の新鮮なフルーツをはじめとした農産物などもお土産にいかがでしょうか。
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コースストーリー
1 スカイピアあだたら 眺望の温泉保養館008
 安達太良山を間近に『本当の空』を眺めながら日帰り温泉を楽しめます。同じ敷地内にスケートボード、スラックライン、ボルダリングが楽しめる『スカイピアあだたらアクティブパーク』があります。汗を流した後にゆっくりと日帰り温泉は如何でしょうか。
2 道の駅安達
 「智恵子抄」でおなじみの安達太良山を一望できる「北と南の玄関口」
007 ドライバーの快適な休憩施設や、道路利用者と地域との情報発信や地域連携の機能が満載されています。地元の朝採り野菜や1,000年の伝統を今に伝え手漉き創作和紙が体験して楽しめる「二本松市和紙伝承館」などがあります。平成25年にオープンした下り線の道の駅には、焼き立てのパンがいつでも楽しめる「二本松ベーカリー」、ゆったりした時間と空間が楽しめる「カフェ」や広い芝生の休憩スペースもあります。
3 アンナガーデン 福島の街を一望する丘の上に、ヨーロッパの雰囲気漂う街並みが広がる
 吾妻連峰の山麓に位置する個性豊かでこだわりの逸品を扱う店舗が並び、美酒・美食・ショッピングなどを楽しめます。
4 道の駅ふくしま ふくしまの魅力が凝縮
 2022年4月27日にオープンしたふくしまの新しい道の駅です。ここでは、農作物を代表とする特産物の購入はもちろん、それらを利用したレストランも並んでいます。サイクリングの休憩地点としてもよし、福島周辺の観光情報も詰まっているためその前後の観光拠点としてもおすすめです。
5 高湯温泉観光協会 白濁の湯で癒す温泉地
 東北初の「源泉かけ流し宣言」をした高湯温泉の情報発信拠点。併設の「共同浴場あったか湯」では露天風呂で日帰り入浴が楽しめる。
6 浄土平ビジターセンター 雄大な自然の玄関口
 浄土平周辺の自然を模型やパネル写真等を通して紹介する施設。自然観察会やトレッキングなどの行事も随時行っている。
7 スカイピアあだたら
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Volcanoコース 120km(道の駅ふくしま発着)
1 道の駅ふくしま 2 高湯温泉観光協会 3 浄土平ビジターセンター 4 スカイピアあだたら
5 道の駅安達 6 アンナガーデン 7 道の駅ふくしま


Seaコース110km(相馬市千客万来館発着)
1 相馬市千客万来館 2 浜の駅松川浦 3 不動尊公園 4 まちの駅やながわ
5 道の駅伊達の郷りょうぜん 6 まきばのジャージー 7 相馬市千客万来館

Seaコース110km(まちの駅やながわ発着)
1 まちの駅やながわ 2 道の駅伊達の郷りょうぜん 3 まきばのジャージー
4 相馬市千客万来館 5 浜の駅松川浦 6 不動尊公園 7 まちの駅やながわ

専用アプリを使って、福島県内4つのコースを自転車で走り抜けよう、ということですね。ただ、4コースではありますが、「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」、「Sea(海)コース~相馬・伊達~」、ともに2箇所ずつ「拠点」が設けられ、どちらの拠点からスタートしてもOK、スタートと同じ拠点へゴールするというルールで、実質2コースです。

このうち「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」は、安達太良山、道の駅「安達」智恵子の里などが含まれています。

それにしても、火山あり、海ありと、改めて福島県の魅力が感じられますね。自転車愛好家の皆様、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小笠原耕三は耕一の誤とわかり、メダルの内山さんに速達ハガキを出し、三を一に直してもらふやうたのむ、


昭和28年(1953)9月29日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の完成作となった小品「大町桂月メダル」。翌月行われた「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」除幕式に際し、関係者に記念品として配付されたものです。

桂月の肖像と、桂月以下、「十和田の三恩人」の名が刻まれましたが、このうち道路整備等に腐心した元法奥沢村長・小笠原耕一の名が、誤って「耕三」と光太郎に伝えられ、その通り陽刻してしまいました。正しくは「耕一」だとわかり、すでに鋳造師の元に送られていた粘土原型を、慌てて直してもらったとのこと。

なぜか誤りの「耕三」バージョンが世に出ています。試鋳されたものが出回ってしまったのでしょうか。

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