2020年02月

このブログで、開催予定ということご紹介してきたイベントのうち、いくつかが新型コロナウイルス対策ということで、中止や延期の措置がとられています。

声に出してみる美しい日本語 ワークショップ・公演(大阪府枚方市) → 中止

斎藤与里没後60年特別展(埼玉県加須市) → 延期(詳細日程等未定)


それから、順次ご紹介していこうと思っていたイベントも。

しかし、企画して下さったこと等につき敬意を表し、一応ご紹介させていただきます。

3月7日(土)・3月14日(土) 茅ヶ崎市松林公民館文学講座 “うた”のこころとかたち  中止

文学の起源は、人の思いがふとこぼれ出る瞬間に口ずさまれる“うた”にあったといえます。今回の文学講座では、いくつかの時代において人々のこころを解き放ち、時に癒し、鼓舞したであろう“うた”に着目してみたいと思います。古典的な詩から実験的な詩まで、教科書に載るような有名な詩からあまり知られていない隠れた名詩まで、“物語”とは異なることばの魅力や可能性に触れ、詩の面白さとは何なのか考えてみましょう。高村光太郎・宮沢賢治・中原中也・中野重治・金子光晴・黒田三郎・茨木のり子…みなさんの心に響く、お気に入りの詩の一篇に出 逢う機会になればと思います。

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3月14日(土) スタートアップ・チャレンジ事業 朗読と音楽で紡ぐ“ちば“の魅力 中止

朗読と音楽で、千葉にちなむ民話、高村光太郎、竹久夢二の作品を通して「ちばの魅力」を紹介します。歌や朗読を一緒に、楽しみませんか。
 

3月19日(木)~22日(日) 13回声楽アンサンブルコンテスト全国大会2020 -感動の歌声 響け、ほんとうの空に。- 中止003

 声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」 に焦点をあてた、2名から16名までの少人数編成の合唱グループによるコンテストです。
 全国の合唱レベルの向上を図るとともに、歌うことの楽しさを福島から全国に発信することを目的として、2008年(平成20年)から開催、今大会で第13回目を迎えました。
 本大会の特色として、伴奏楽器及び伴奏の形態が自由で多様な合唱音楽を追求、部門、年代を越えて演奏し合います。また、海外の合唱グループも公募し、音楽を通じて交流を図ります。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)からのインスパイアで「ほんとうの空」の語を冠して下さっているこのイベント、毎年ご紹介していますが、平成23年(2011)の東日本大震災時以来の中止です。


もう1件。 

3月20日(金) 第14回 与謝野寛・晶子を偲ぶ会 明治浪漫主義の鮮やかなる狼煙~「明星」創刊120年 中止000

誰もが知る与謝野鉄幹と晶子との恋愛。そして文芸美術誌「明星」を舞台に花開いた明治浪漫主義。その発端は、遡ること120年前の1900年(明治33)4月、タブロイド紙「明星」創刊によるものでした。すでに詩歌集『東西南北』により詩壇で名を挙げていた鉄幹は、時代を読むジャーナリスティックな才覚と編集者としての才能を発揮して、文学を愛好する青年たちを「明星」に引き寄せます。晶子、山川登美子、高村光太郎、平出修、平野万里、石川啄木らは皆そうした人々でした。また森鷗外ら優れた文学者の協力を得て誌面を活性化し、鉄幹は文芸の新時代に打って出ました。
文芸誌衰退が嘆かれる現代、鉄幹の吹き起こした清新な風を検証してみます。
多くの皆さまのご来場を心よりお待ちしています。



残念ですが、仕方がないでしょう。


第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――につきましては。今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、今のところ感染拡大には十分配慮をする上で、予定通り実施の方向です。詳細はこちら

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。


【折々のことば・光太郎】

貝は、自分の貝殻を形成するに当つてこの波と砂との力に最もよく抵抗し得るやうな形を自然と取るやうになつたのである。自然の妙味は無尽であるし、自然の造型が決して気まぐれや、でたらめでない事をよく示してゐておもしろい。

散文「彫刻その他(二)」より  昭和19年(1944) 光太郎62歳

かつて智恵子が療養していた九十九里浜で、智恵子が集めた蛤などの貝殻や、二枚貝の形に磨滅した石を見て思ったことです。

自然には妙味もありますが、手痛いしっぺ返しのような猛威もあります。難しいところですね。

NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。2月3日(月)~7日(金)まで、光太郎特集を組んで下さいました。さらに再放送が2月17日(月)~21日(金)でした。

今度は新作で、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)を取り上げて下さいます。 

にほんごであそぼ 「レモン(1)レモン哀歌」

NHK Eテレ 2020年3月2日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた「レモン哀歌」高村光太郎、ひゃくにん・いっしゅの百人一首劇場/瀬を早み岩にせかるる瀧川の われても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)、童謡「鉄道唱歌」、うた「うれしや歌舞伎 ~三人吉三・髪結新三~」

出演 美輪明宏 中村勘九郎 中村勘太郎 小錦八十吉 おおたか静流 池田鉄洋 中村いてう 中村仲助 ほか


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3月2日(月)~3月5日(木)までが「レモン」の特集だそうで、その初日に「レモン哀歌」。ありがたいところです。関係者と思われる方のブログで、1月に収録があったという話を読み、近々放映があるだろうと思っていたところではありました。

それから、3月6日(金)の放映では、「道程」(大正3年=1914)が取り上げられます。こちらは「リクエスト」ですので、以前の映像の使い回しかも知れません。

にほんごであそぼ 「リクエストより」

NHK Eテレ 2020年3月6日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分

ひこうき山陽たんけんたい/「恩讐の彼方に」菊池寛、ヨシタケシンスケのはい!ここで名文/「道程」、野村萬斎/「梟山伏」その二、名台詞かるた/一目見ん、うた「うれしや歌舞伎 ~髪結新三~」

出演 野村萬斎 野村裕基 神田山陽(三代目) 中村勘九郎 中村勘太郎 おおたか静流 万作の会 中村いてう 中村仲助 ほか



ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

「道程」を書いたことは私のその頃の本当の気持をぶち込んだだけ自分としては記念のものであるが、詩としては穉いものだ。

談話筆記「『道程』の思ひ出――芸術院授賞に際して――」より
 昭和17年(1947) 光太郎60歳

前年創設された帝国芸術院賞の第一回受賞者と作品は、小磯良平の戦争画「娘子関を行く」、川田順の歌集『鷲』及び『国初聖蹟歌』、そして光太郎の『道程』でした。

大正3年(1914)刊行の『道程』に対し、今さら感が拭えませんが、昭和15年(1940)には『道程改訂版』が刊行されており、この時期、再び『道程』に脚光が当たっていたのは事実です。

ただ、大政翼賛会協力会議の議員や、日本文学報国会詩部会長などを歴任していた光太郎に対する箔付けといった意味合いが濃かったようにも思われます。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

定期購読しております雑誌2誌、届きました。

まず隔月刊誌『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さんの第18号。創刊以来、花巻高村光太郎記念館さんの協力で、「光太郎レシピ」という連載が為されています。今号は「イングリッシュブレックファスト」だそうで。
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光太郎、欧米留学時の経験から、西洋風の食事が合理的かつ意外に安価にできてしまうことに気づき、智恵子との結婚生活の中でも、それから花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居してからも、けっこうこの手の朝食を摂っていたようです。

続いて、『月刊絵手紙』さん。平成29年(2017)から花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

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今号は、昭和24年(19149)、花巻郊外旧太田村に隠棲していた光太郎が、校訓として地元の太田中学校さんに贈った言葉「心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する」。花巻高村光太郎記念館さんで展示されることもある光太郎の揮毫を撮った画像も載っています。

太田中学校さんでは、この言葉を盛り込んだ「精神歌」なる歌も作り、歌い継がれているそうです。毎年5月15日の花巻高村祭に生徒の皆さんがご参加下さり、披露して下さっています。

ところで、『月刊絵手紙』さんのこの連載、今号で最終回だそうです。2年あまり続いてきて、非常に残念ですが、仕方ありますまい。またどこかの雑誌などでこういった企画を立ち上げていただけるとありがたいところです。「書け」と言われれば書きますし(笑)。


【折々のことば・光太郎】

文化の表面に附著するさういふ過剰なものが根を張ると、長い間には文化の実体をまでも腐敗せしめる。

散文「倫理の美」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

ここだけ取り出せば、いい言葉です。ただ、戦時中ということで、前後は非常にキナ臭い内容になっています。「さういふ過剰なもの」の例は「チヨコレイトや、フアンシイクリイムや、社交ダンスや、ジヤズ」。「敵国」であったアメリカ文化の象徴ですね。続く一文も「質実にして清純な、東亜の新しい文化を創造することこそ、今日以後の若人の責務である。」となっており、「東亜の」の一語さえなければよかったのに、と思いました。


第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら
来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

京都からコンサート情報です。 

魂に響く朗読と音楽のle petit boheur reading aloud&piano vocal concert

期 日 : 2020年3月10日(火)
会 場 : ピアノサロン Atelier Minoya 
       京都市上京区下立売通り智恵光院西入る中村町521
時 間 : 14:00開演
料 金 : 5,000円(お茶菓子付)
出 演 : 松本愛子(Sop/Pf)  木暮昌子(フリーアナウンサー)

プログラム :
 J.S.バッハ シンフォニア変ロ長調BMV800
 シューベルト 即興曲第3番 変ロ長調 D935,Op142
 シューマン 幻想小曲集 Op.12(2.飛翔、3.何故に、5.夜に)
 チレア 「アドリアーナ・ルクブルール」より「私は卑しい僕」
 プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」より「お父さまにお願い」
 
 高村光太郎 詩集「道程」より「さびしきみち」
 川端康成 「掌の小説」より「有難う」

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「le petit bonheur」は仏語で「些細な幸せ」だそうで。

光太郎詩「さびしきみち」(大正元年=1912)がプログラムに入っています。

    さびしきみち
 
 かぎりなくさびしけれども
 われは004
 すぎこしみちをすてて
 まことにこよなきちからのみちをすてて
 いまだしらざるつちをふみ
 かなしくもすすむなり
 
 ―― そはわがこころのおきてにして
 またわがこころのよろこびのいづみなれば
 
 わがめにみゆるものみなくしくして
 わがてにふるるものみなたへがたくいたし
 されどきのふはあぢきなくもすがたをかくし
 かつてありしわれはいつしかにきえさりたり
 くしくしてあやしけれど
 またいたくしてなやましけれども
 わがこころにうつるもの
 いまはこのほかになければ
 これこそはわがあたらしきちからならめ
 かぎりなくさびしけれども
 われはただひたすらにこれをおもふ
 
 ―― そはわがこころのさけびにして
 またわがこころのなぐさめのいづみなれば
 
 みしらぬわれのかなしく
 あたらしきみちはしろみわたれり
 さびしきはひとのよのことにして
 かなしきはたましひのふるさと
 こころよわがこころよ
 ものおぢするわがこころよ
 おのれのすがたこそずゐいちなれ
 さびしさにわうごんのひびきをきき
 かなしさにあまきもつやくのにほひをあじはへかし
 
 ―― そはわがこころのちちははにして
 またわがこころのちからのいづみなれば


初出は『第一回ヒユウザン会展覧会目録』です。光太郎詩には珍しく、全編仮名書き。これは、一字一字、心に刻みつけるような気持で書いたため、とする説がありますが、蓋し、そのとおりでしょう。智恵子と生きていこうと決断する頃の作で、直接的には智恵子の名はなく、『智恵子抄』には省かれていますが、『智恵子抄』を補う作品です。

のち、雑誌『朱欒』第2巻第11号に、漢字仮名交じりの形で改作したものを発表しましたが、大正3年(1914)、詩集『道程』に収める際、再び全編仮名書きに戻しました。

「もつやく(没薬)」、「ずゐいち(随一)」、「わうごん(黄金)」などは、現代の人々には仮名書きではわかりにくいかも知れません。

おそらく、木暮さんというアナウンサーの方の朗読で「さびしきみち」が取り上げられるのだと思われます。ありがたいかぎりです。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

会ふも会はぬも自然のことで、別に無理をするには及ばず、因縁があればいつかお目にかかる事と存じます。人の世はただ水の流れるやうに淡淡たるところに不可言の妙味があるやうに存ぜられます。

散文「往復書翰」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

初出は雑誌『現代文学』第4巻第10号。詩人の菊岡久利との往復書簡がおそらくそのまま掲載されています。この時点で菊岡と光太郎に直接の面識はなく、しかし、共通の友人はたくさんいて、これまで会わなかったのは不思議ですね、的な話の流れです。

「因縁があればいつかお目にかかる」。まさにその通りですね。当方もこういう活動をしていると、この人とはこうやって出会う因縁だったんだな、と思うことがしばしばです。

追記 新型コロナウイルス対策のため、本公演は8/10に延期となったそうです。

昨日、NHK FMさんの「ベストオブクラシック」で、1月25日(土)に開催された福島県棚倉町での公開収録「~小林沙羅&山本耕平デュオ・リサイタル」の件をご紹介しましたが、その小林さんのリサイタルをご紹介します。

期日が近づいたもう少し後に取り上げよう、と思っていたのですが、あちこち話題を転ずるよりは、ついでというと何ですけれど、一気に紹介してしまいます。 

小林沙羅 ソプラノ・リサイタル 日本の詩(うた)

期 日 : 2020年3月12日(木)
会 場 : 
浜離宮朝日ホール 東京都中央区築地5-3-2
時 間 : 19:00開演 21:00終演予定
料 金 : 一般5,500円 学生席2,700円 全席指定

出 演 : 小林沙羅(Sp)  河野紘子 (Pf)  見澤太基 (尺八)  澤村祐司 (箏)

曲 目 :
 武満徹 : 小さな空 (詩:武満徹)
 山田耕筰 : この道 (詩:北原白秋)
 山田耕筰 : 赤とんぼ (詩:三木露風)
 山田耕筰 : ペチカ (詩:北原白秋)
 中田章 : 早春賦 (詩:吉丸一昌)
 越谷達之助 : 初恋 (詩:石川啄木)
 武満徹 : 死んだ男の残したものは (詩:谷川俊太郎)
 中村裕美 : 「智恵子抄」より (詩:高村光太郎)
          或る夜のこころ  あなたはだんだんきれいになる  亡き人に

 早坂文雄 : うぐひす (詩:佐藤春夫)
 瀧廉太郎 : 荒城の月 (詩:土井晩翠)
 宮城道雄 : せきれい (詩:北原白秋)
 宮城道雄 : 浜木綿 (詩:宮城道雄)
 井上武士 : うみ (詩:林柳波)
 橋本国彦 : お六娘 (詩:林柳波)
 橋本国彦 : 舞 (詩:深尾須磨子)
 小林沙羅 : ひとりから (詩:谷川俊太郎)

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昨秋リリースされた3rdアルバム「日本の詩(うた)」のリリース記念だそうで、そちらとほぼほぼ曲目が一致していますが、プラスアルファもかなりあるようです。光太郎詩に曲をつけられたものも、「或る夜のこころ」はCDにも入り、棚倉町でのNHKさんの公開収録でも演奏されましたが、それ以外に「あなたはだんだんきれいになる」と「亡き人に」もラインナップに入っています。

「亡き人に」は、同じ浜離宮朝日ホールさんで、一昨年開催された「浜離宮ランチタイムコンサートvol.175 小林沙羅ソプラノ・リサイタル」が初演。「あなたはだんだんきれいになる」は、今回が初演なのではないかと思われます(違っていたらごめんなさい)。

3曲とも、『智恵子抄』収録の詩に、中村裕美さんという方が曲をつけて下さっています。ありがたいかぎりです。


それはそうと、新型コロナウイルスによるイベント等の中止、延期が相次いでいます。ちなみに最近、このブログでご紹介した光太郎関係イベントで、そのために中止になったという件はないようですが、これから紹介しようと思っていた光太郎がらみのイベントが、いくつか中止となっています。報道ではここ1、2週間がヤマだそうで、なかなか判断が難しいところだとは存じます。今のところ、こちらのリサイタルは予定通り行われるようですのでご紹介します。

追記 以下のイベントが中止/延期となりました。
「声に出してみる美しい日本語」ワークショップ・公演。
埼玉県加須市「斎藤与里没後60年特別展」。


4月2日(木)の第64回連翹忌は予定通り実施の方向です。もっとも、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合には、あらためて考えますが。そうならないことを祈ります。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。


【折々のことば・光太郎】

時代の持つ一般生活と社会組織とに最も好都合であり、その集団分子の福祉の増進に最も適するやうな観念と行為とがその時代の日常倫理となる。それ故時代が進んでゐるにも拘らず前時代の日常倫理が残存して尚ほ相当な勢力を持つ場合、社会秩序の混乱と集団分子間の不都合とが一般的に感ぜられるのは当然である。

散文「日常倫理の問題」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

前時代の日常倫理が残存して尚ほ相当な勢力を持つ」永田町では、「お友達」や「支持者」だけの「福祉の増進」が考えられ、「社会秩序の混乱と集団分子間の不都合」なんぞ知ったこっちゃないと思っているようですが。

情報を得るのが遅れまして、今日の放送です。 

ベストオブクラシック 福島県棚倉町公開収録~小林沙羅&山本耕平デュオ・リサイタル005

NHK FM 2020年2月24日(月) 午後7:30~午後9:10(100分)

「約束」                   ロッシーニ作曲
 3分36秒  ソプラノ 小林沙羅  ピアノ 河原忠之

「薔薇」                    トスティ作曲
 3分52秒  テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之

「この道」          北原白秋・作詞、山田耕筰・作曲
 3分13秒  ソプラノ 小林沙羅  テノール 山本耕平
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「くちなし」        高野喜久雄・作詞、高田三郎・作曲
 3分17秒  テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之

「或る夜のこころ」     高村光太郎・作詞、中村裕美・作曲
 5分20秒  ソプラノ 小林沙羅  ピアノ 河原忠之


「四行詩」          中原中也・作詞、泉谷閑示・作曲
 2分41秒  テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之

「小さな空」           武満徹・作詞、武満徹・作曲
 4分12秒  ソプラノ 小林沙羅 テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之

「歌劇「愛の妙薬」から二重唱「ララ、ラララ」」ドニゼッティ作曲
 10分20秒  ソプラノ 小林沙羅 テノール 山本耕平   ピアノ 河原忠之   

「喜歌劇「メリー・ウィドー」から「唇は黙して」」レハール作曲
 3分24秒  ソプラノ 小林沙羅  テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之

「喜歌劇「ほほえみの国」から「きみはわが心のすべて」」レハール作曲
 3分33秒  テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之
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「喜歌劇「チャールダーシュ姫」から「ハイヤ!山こそわが故郷」」カールマーン作曲
 3分14秒  ソプラノ 小林沙羅  ピアノ 河原忠之

「歌劇「アルルの女」から「ありふれた話」」   チレーア作曲
 4分08秒  テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之

「歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」」  ドボルザーク作曲
 5分36秒  ソプラノ 小林沙羅  ピアノ 河原忠之

「歌劇「椿姫」から 「燃える心を」「さようなら、過ぎ去った日よ」
「パリを離れて」乾杯の歌「友よ さあ飲み明かそう」」ヴェルディ作曲
 15分30秒  ソプラノ 小林沙羅  テノール 山本耕平
           ピアノ 河原忠之

「コンテ・パルティロ」  クアラントット作詞、サルトーリ作曲
 3分50秒  ソプラノ 小林沙羅  テノール 山本耕平  ピアノ 河原忠之

 2020年1月25日~福島県・棚倉町文化センター倉美館で収録~


ソプラノ歌手・小林沙羅さんによる、光太郎詩に中村裕美さんが作曲なさった「或る夜のこころ」が含まれています。

「或る夜のこころ」、公的な初演は平成27年(2015)9月の「ライフサイクルコンサート 雄大と行く 昼の音楽さんぽ 第3回 小林沙羅 麗しきソプラノの旅」、会場は晴海の第一生命ホールさんで、当方、拝聴に伺いました。

昨秋リリースされた小林さんのニューアルバム「日本の詩(うた)」にも収録されています。

1月25日(土)の公開収録については、このブログでご紹介できませんでした。調べてみましたところ、棚倉町さんやNHKさんのサイトに情報が出てはいましたが、細かな曲目まで記されていなかったもので、当方の検索網に引っかかりませんでした。

その代わりといっては何ですけれど、また近くなりましたら改めてご紹介しますが、この福島棚倉での公開収録の模様は、3月27日(金)に、やはりNHKさんでテレビ放映もあります。

それから、今週末あたりにご紹介するつもりなのですが、3月12日(木)に行われる小林さんのリサイタルでも演奏される予定になっています。

まずは今夜のFM放送、ぜひお聴き下さい。


【折々のことば・光太郎】

私の魂は既に遠い未来の世界に住んでゐる。どの位遠いか分らない程遠い世界に生活してゐる。科学と哲学との発達により、人類の智慧と生理とが例外無しに一様に進む時代が来たら、いつかは行きつくに違ひないと思はれる未来の世界は、実にわけの分つた、おだやかな、きれいな、喜怒哀楽がむしろ深い滋味として人々に感ぜられるような、透徹した人間生活によつて形成せられてゐる。従つて私の内心のモラルも幾分其の世界のモラルに影響されざるを得ない。
散文「かういふわけ」より 昭和12年(1937) 光太郎55歳

これが書かれて80年余り、まだ2020年の世界は「科学と哲学との発達により、人類の智慧と生理とが例外無しに一様に進」んでも居らず、「実にわけの分つた、おだやかな、きれいな、喜怒哀楽がむしろ深い滋味として人々に感ぜられるような、透徹した人間生活によつて形成せられて」いないと言わざるを得ませんね。

追記 新型コロナウイルス対策のため、本展示は延期(令和2年度中には開催予定)となったそうです。

埼玉県から展覧会情報です。 

斎藤与里没後60年特別展

期 日 : 2020年3月6日(金)~8日(日)
会 場 : 
加須文化・学習センターパストラルかぞ  埼玉県加須市上三俣2255
時 間 : 9:30~16:00(最終日は15:00まで)
料 金 : 無料

今年度修復を行った100号の大作「合奏」を初公開します。また、令和元年11月に販売されたオリジナルフレーム切手「斎藤与里の世界ー加須が生んだ日本近代洋画界の旗手ー」に掲載絵画も展示します。ぜひ、この機会にご鑑賞ください。

斎藤与里(1885 年(M18)~1959 年(S34)) 洋画家 北埼玉郡樋遣川村(現加須市)に生まれる。 1905 年(M38)京都にて浅井忠、鹿子木孟郎に学ぶ。鹿 子木孟郎とともに渡仏し、パリのアカデミー・ジュリア ンで学び帰国。帰国後は、岸田劉生、高村光太郎らとフ ュウザン会を結成し、明治末から大正期の日本洋画の進 展に大きな役割を果たす。 1915 年(T4)第 9 回文展にて「朝」が初入選し、翌年の 第 10 回文展に出品した「収穫」が特選となる。 1959 年(S34)に日展評議員、加須市名誉市民第 1 号とな り画業と人格をたたえられる。 「加須の偉人」の一人。


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光太郎同様、明治末にパリに留学した斎藤与里。パリでは光太郎と入れ違いでしたが、光太郎の親友・碌山荻原守衛と交流しました。また、帰国した光太郎ともどもヒユウザン会(のちフユウザン会)の立ち上げに加わり、我が国の絵画革新に功績のあった一人です。

当方、信州安曇野碌山美術館さん、新宿中村屋サロン美術館さん、それからやはり与里の地元・加須市のサトヱ21世紀美術館さんなどで、与里作品を拝見しました。

案内文に「修復」云々の話がありますが、加須市のHPに以下の記事がありますのでご参照下さい。 

斎藤与里絵画の修復

■ 事業の目的・概要 令和元年 12 月に、加須市出身の個人(匿名)の方から斎藤与里絵画の修復のため、 1,000 万円の寄附がありました。そこで、この寄附を活用し、多くの方に斎藤与里の 絵画をご覧いただけるよう、修復計画の前倒しを行い、令和 2 年度に本市所蔵の斎藤 与里の絵画の中から、傷み具合などを考慮した上で、以下の 3 点の修復を行います。 
 
■ 修復する絵画 ①「北畠風景」(10 号) ②「静物二」( 10 号) ③「ハトと少女」( 10 号) ※修復した絵画は、順次当該絵画を中心に「斎藤与里展」を開催し、一般公開する
 
☆ 令和2年度予算額  1,522千円【市費】 偉人顕彰事業  1,522 千円


斎藤与里展の開催

令和元年度は、「加須の偉人」である斎藤与里没後60年にあたり、特別展を開催 します。今回の特別展は、令和2年2月末修復完了予定の100号の大作「合奏」の お披露目も兼ねています。
 
1 期 間 令和2年3月6日(金)~8日(日)の3日間        9時30分~16時00分(最終日は15時まで)
2 会 場 加須文化・学習センター パストラルかぞ 展示室
3 入場料 無 料



なんとまあ、匿名の個人の方が、与里絵画の修復のため1,000 万円の寄附をなさったそうです。なかなかできることではありませんね。今回公開される「合奏」という作品は、寄附以前から修復作業にかかっていたもののようですが。

斎藤与里、もっと知られていい画家だと思います。ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

生活上の強みは私達夫婦が最低の衣食でも平気で居られる性情を持つてゐる事であつた。当座の米がなくなればジヤガイモで生きてゐた。しかし此のなが年の窮乏生活と、其とまるで反対な亡父の嗣子であるといふ世間からの取扱との間に挟つて、智恵子がその神経を陰性にいためた事も大きかつたに違ひない。此は確に智恵子の後年の狂気の原因の一部を成してゐよう。

散文「某月某日(自分の生活の事を)」より
 昭和11年(1936) 光太郎54歳

同じ文章の冒頭では、光雲の内弟子の一人、光太郎の兄弟弟子的な人物から、「生活を顧みないで、取れる金を取ろうとせずに「武士は喰わねど高楊枝」的な姿勢を貫いているのは喜劇だ」的な内容の手紙を受け取ったことが記されています。

その手紙は、光太郎を非難したり揶揄したりするものではなく、忠告の類だったのでしょうが、結果的にはその通りだったわけで、しかし、光太郎には自分を曲げてまで金を稼ぐことは出来ませんでした。

一昨日、昨日に続き新刊紹介です。 

谷根千のイロハ

2020年2月19日 森まゆみ著 亜紀書房 定価1,300円+税

なつかしい街並みが残る谷根千を、古代から現代まで通して語る地域の歴史

現在も路地や商店街が続き、外国からの観光客にも人気が高い谷中・根津・千駄木。
弥生式土器が発掘された弥生町、江戸将軍家の菩提寺・寛永寺と上野、加賀の屋敷跡が東京大学になった千駄木、遊郭があった根津と権現様……。

幸田露伴、森鴎外、夏目漱石、岡倉天心、高村光太郎、三遊亭圓朝といったゆかりある著名人も取り上げながら、谷根千を歩いて語る。

本を片手に谷根千を歩いてみたくなる一冊!

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目次
 序文 次の世代に伝える
 (1) 古代から江戸時代までの谷根千
 (2) 明治時代の谷根千
 (3) 大正時代の谷根千
 (4) 昭和の谷根千
 あとがきにかえて

かつて地域雑誌『谷中根津千駄木』を刊行されていた森まゆみさんの新著です。一昨年、千駄木のKLASSさんで開催された森さんの連続講義を元にされているようです。

「(3) 大正時代の谷根千」の章に「高村光太郎」という項がある他、「(2) 明治時代の谷根千」の章には「高村光雲と平櫛田中」という項があります。また、「団子坂不同舎と太平洋美術会」では智恵子に触れられ、さらに「「パンの会」「方寸」の人々」、「千駄木で『青鞜』創刊」、「林町の住人たち」といった項もあります。

同じ森さん著の『「谷根千」地図で時間旅行』、『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくること』などと併せて読まれることをお勧めします。

「あとがきにかえて」に拠れば、「町について学び、町の声に耳をすませてきた地域の暮らしの歴史を、次の世代に伝えることができたら、これに過ぎる喜びはありません」とのことで、なるほど、その通りですね。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

何といつても世の中でいちばんうまい飲み物は、山へ行つて崖から湧き出る石清水をのむ時のうれしさだ。ビールなど足もとへもおよばない。実際水ほどうまい物はまたとなからう。

散文「ビールの味」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

好物の一つだったビールについて、自己の留学時の体験などを延々と書いてきて、最後にどんでん返し(笑)。身も蓋もありません(笑)。しかし、ほぼほぼアルコールを飲まなくなった当方としては、実に納得の行く言葉です。

昨日に引き続き、新刊情報です。 

マンガ名詩・短歌・俳句物語 2 名詩 下

2020年2月24日 目黒哲也企画・編集 学研プラス 定価3,600円+税

今もなお心に響く、すぐれた作品を残した詩人・歌人・俳人の物語をオールカラーのマンガで描く。2は、宮澤賢治、島崎藤村、新美南吉、高村光太郎ら10人の人生と詩を紹介する。巻末に「詩人」ミニ事典も収録。


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目次 
 宮澤賢治 作画・米田錦   島崎藤村 作画・兎谷しぇばこ 新美南吉 作画・ひらん
 高村光太郎 作画・北田ゆきと  北原白秋 作画・水木シュウ  
 萩原朔太郎 作画・柴田のぞみ   上田敏 作画・ノガミ陽  山村暮鳥 作画・糸永山藤
 吉野弘 作画・桜井ゆき  三好達治 作画・九条M+  「詩人」ミニ事典


B5判145ページがオールカラー。10人の詩人につき、10人の漫画家の皆さんが、10数ページずつのマンガになさっています。評伝的にその生涯をたどる作品(賢治、南吉、光太郎、白秋)もあれば、代表的なエピソード一つに的を絞ってその詩人を描く作品(藤村、朔太郎)もあり、さらに詩人自身は登場せず、代表作を現代人が鑑賞するといったコンセプトの作品(上田敏、暮鳥、吉野弘、三好)もあって、なかなかバリエーションに富んでいます。

光太郎は16ページ。

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イケメンに描いて下さるのはありがたいのですが、もう少し似せてもいいような(笑)。

内容的にはダイジェストながら、押さえるべき点はしっかり押さえられていて感心しました。欧米留学によって新しい真の芸術に開眼し、父・光雲を頂点とする旧弊な日本彫刻界と対立を余儀なくされたこと、そのため、胸中の鬱屈を彫刻に反映させないよう、詩作に取り組んだこと、智恵子との生活のくまぐま、その歿後の翼賛活動、それを悔いての戦後の隠遁生活、そして十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)……。

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最後のコマのネームが言い得て妙です。曰く「悩み苦しみ抜いた彼の人世こそが、彼の最も尊い最高傑作なのかもしれない」。

しかしながら、突っ込みどころもいろいろありまして(笑)。例000えば戦後の7年間を過ごした花巻郊外旧太田村の山小屋。元々は鉱山の飯場小屋だった建物でしたが、やけに立派な家に描かれています。また、ニューヨーク留学中に、メトロポリタン美術館でガットソン・ボーグラムの彫刻を見て感心し、弟子入りを志願することを決意するシーン。光太郎が見たのはギリシャ神話の「ディオメデスの馬」の彫刻だったのですが、どうもそこまで調べがついていなかったようで、それが描かれていなかったりします。こういう点に関しては、依頼があればいくらでもお答えするのですが……。ただ、逆に、テキトーな彫刻の絵を描くよりは、わからないものはわからないから描かないという選択は評価されるべきでしょう。

このシリーズ、全4巻で、詩が下2巻、短歌俳句でそれぞれ1巻ずつとなっています。小中学校さんの図書室等にあると、なかなか使いでがあるように思われます。全国の先生方、どうぞよろしく。また、もちろん、一般の皆さんもぜひお買い求め下さい。

ただ、今日の時点で版元の学研プラスさんのサイトには掲載されていません。しかし、Amazonさん等にはすでに出ています。


【折々のことば・光太郎】

私が心身を傾倒するのは自然そのものになり、触目の自然が包むその奥所こそ私の祭壇なのである。私はあくまでも人間を作り、自然を描く。

散文「お経を聞いて」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳


自分は父・光雲とは異なり、敬虔な仏教徒ではないので、そんな自分が仏像を彫ると仏様に失礼だから彫らない、という話の流れの中での言葉です。

ところが最晩年の「乙女の像」には、観音像の要素も含まれているわけで、そのあたりの心境の変化が興味深いところです。

新刊です。といっても2ヶ月ほど経ってしまいましたが。  

渡辺えりの人生相談 荒波を乗り越える50の知恵

2019年12月7日 渡辺えり著 毎日新聞出版 定価1,400円+税

悩み苦しんでいるのは、あなただけじゃない。心に響く名回答に共感の声、続々!
女優、劇作家、演出家、歌手として、舞台や映像や活字などの分野で幅広く活躍する渡辺えり。
「相談者への寄り添い方が凄すぎる」「持論、見識が鋭い」などと大評判の毎日新聞連載「人生相談」、待望の書籍化!
相談者は、愚痴っぽい母親にうんざりしている娘だったり、後輩を指導するのが不安な社会人2年生だったり、トランスジェンダーの人だったりとさまざま。「もう少し大人に扱って」と訴える19歳の女性には、「束縛する母親は嫌っていい」とズバリ言い切る。
夫のわがままに愛想をつかした熟年女性には「別れるなら今」と励まし、愛妻に甘えたい男性には「愛しているなら、甘えるばかりでなく甘えさせてあげては」と痛いところを突く。
本音でぶつかり、真摯に向き合う表現者ならではの"快答"は、参考にしてほしいものばかり。各章末には、感涙必至のエッセイを収録。
悩みは、生きているものが抱えなくてはならない荷物のようなもの。

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【目次】
 第1章 軽やかに歩む~家族とのかかわり
  01 幸せな家族に嫉妬する(21歳・女性)
  02 夫婦げんかが絶えず将来が不安(49歳・女性)
  03 愚痴っぽいははにうんざり(53歳・女性)
  04 祖母の介護を放棄した母を、心の中で捨てたい(45歳・女性)
  05 嫉妬する母から逃れ、家を出たい(24歳・女性)
  06 夫の鼻毛がみっともなくて、ストレスを感じる(42歳・女性)
  07 帰りが遅くなると罵倒する母(19歳・女性)
  08 話が面白くないと母に言われトラウマに(33歳・女性)
  09 俺様な夫に仕えてきた人生に涙(80代・女性)
  10 長年介護してきた母を亡くし、無気力に(57歳・女性)
  エッセイ 認知症の両親を遠距離介護しながら思うこと

 第2章 したたかに働く~仕事の戸惑い
  11 子供たちの言葉に傷つく(53歳・女性)
  12 夫の仕事が続かない(39歳・女性)
  13 初めての後輩指導に不安を覚える(23歳・男性)
  14 畑違いの部署に左遷され、無気力な日々(48歳・女性)
  15 大学を出ても働かない娘を何とかしたい(60歳・女性)
  16 職場の若い子がうらやましい(52歳・女性)
  17 勤続14年、転職を考えるが不安(37歳・女性)
  18 老人ホーム勤務で不安な日々(33歳・女性)
  19 報道記者を目指し、はや就職浪人2年目(22歳・男性)
  20 何をやっても自信が持てない(51歳・女性)
  エッセイ 夢見る仕事はお金にならない

 第3章 しなやかに愛する~恋と友情の悩み
  21 付き合って1年、結婚を望んでいるが相手にされない(22歳・女性)
  22 30歳上の彼と結婚したい私はファザコン?(23歳・女性)
  23 処女でない女性を毛嫌いしてしまう(26歳・男性)
  24 「お前の人生、やばいね」と言われて(30歳・女性)
  25 同性の恋人のことを家族に認めてほしい(27歳・女性)
  26 「結婚したい!」と思える人と出会えない(21歳・男性)
  27 遠ざけた親友、絶交すべきか(35歳・女性)
  28 悪口ばかり言う知人にモヤモヤする(女性)
  29 突然の彼の死、日々泣き暮らす(40代・女性)
  30 男女2人だけで会うのは避けるべきか(72歳・女性)
  エッセイ 愛する人がどこかで幸せになってくれていたら、失恋の傷も癒える

 第4章 まめやかに暮らす~生活の悩み
  31 子育てが一段落、無趣味な私が友達を作るには(45歳・女性)
  32 野良猫に餌付けした近所の人と仲たがい(78歳・女性)
  33 「下流老人」が心豊かに暮らすにはどうしたらいい?(69歳・男性)
  34 安っぽいものであふれるわが家。老後はスッキリ暮らしたい(60歳・女性)
  35 太っているのは良い? 悪い?(34歳・女性)
  36 がんが心配で家事も手につかない(52歳・女性)
  37 使わないものを処分すると、夫が泣いて怒る(42歳・女性)
  38 84歳の父を元気にしたい(55歳・男性)
  39 人生後半の指針が見えず、だましだましの日々(57歳・女性・ライター)
  40 病を患い、生きがい見つからず(66歳・主婦)
  エッセイ 人間は年を取る

 第5章 ひそやかに向き合う~心の悩み
  41 人からすごいと思われたい(19歳・女性)
  42 吃音のせいで人間関係を結べない(26歳・女性)
  43 小学校時代の担任のひと言に傷つき、いまだに癒えない(32歳・女性)
  44 宝塚への夢があきらめられない(27歳・女性)
  45 死ぬのが怖くて仕方ない(23歳・女性)
  46 観劇後のアンケートで“駄目出し”ばかり書いてしまう(56歳・男性)
  47 せっかちな性格を直し、のんびり過ごしたい(63歳・男性)
  48 時分が何をしたいのか分からない(20歳・女性)
  49 他人を見下してしまう(32歳・男性)
  50 完璧を求めてしまう自分がつらい(23歳・女性)
  エッセイ 生きていることに感謝する

 おわりに

『毎日新聞』さんに連載中の、渡辺えりさんによる人生相談の単行本化です。

渡辺さん、お父様が光太郎と交流があった方でして、お父様ともども連翹忌にご参加下さったこともありました。最近はお父様がお加減宜しくないということで、お一人でご参加下さっています。

平成24年(2012)には、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を初演なさり、翌年にも再演。脚本は昨年、ハヤカワ演劇文庫の一冊として刊行されました。また、お父様と光太郎との関わりなどを中心に、各地で講演をされたり、テレビ番組や各種新聞雑誌等でそうしたエピソードをご紹介下さったりもなさっています。さらに、平成28年(2016)には、お父様が光太郎から贈られた昭和20年(1945)刊行の『道程』再訂版、光太郎からの書簡を花巻高村光太郎記念館さんに寄贈されたりもなさいました。

『毎日新聞』さんの人生相談では平成29年(2017)6月に、「老後はスッキリ暮らしたい」という相談に対し、お父様と光太郎の関わりをご紹介しつつ回答なさっていました。

公式サイトの紹介では詳細な目次が載って居らず、その回の内容が掲載されているかどうか、不明でした。そこで、実際に手にとって中身を確認してから購入しようと思っていましたところ、入手が遅れました。当方生活圏の新刊書店には見あたりませんで、先頃上京した際に、八重洲ブックセンターさんでようやく見つけた次第です。

ちなみに隣町の成田市の大きな書店では、店内に検索機があって、「在庫あり」と表示され、「やったぁ」と思いましたが、表示された棚になく、店員さんに訊いて詳しく調べていただくと「三冊在庫があるはずなんですが」と言いつつ、結局ありませんでした。新刊書店の苦境が叫ばれて久しいのですが、こういういい加減なことをやっているのも一因でしょう。ネットショッピングのせいにしないでほしいものです。厳しいようですが。

閑話休題。他にエッセイ「認知症の両親を遠距離介護しながら思うこと」の項でも、お父様と光太郎について触れられています。

その他、「しょうがねぇな」と思わず笑ってしまうようなくだらない(すみません)相談から、粛然とした気持にさせられるような深刻な相談まで、実にさまざまです。まさに社会全体の縮図のようにも感じました。それぞれに対し、渡辺さんが大まじめに、真摯に、そして的確に回答なさっていて(時に肩肘張らず、時に容赦なく厳しい口調です)、好感が持てます。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

姉は観音経を誦んでゐて、それによつてどんな災厄にも会はないといふことを信じ切つていたのでせう、どんなに晩くてもどんなところでも歩きましたし、悲しいこと、不自由な事に会つても決して動乱するやうなことはありませんでした。そしてしなければならない事は皆しました。

談話筆記「姉」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

光太郎には早世した姉が二人いましたが、ここでいう「姉」は長女のさく(咲)。光太郎より6歳上で、狩野派の日本画を学び、将来を嘱望されていました。しかし、光太郎10歳の明治25年(1892)、肺炎で歿しました。光太郎はこの姉を常に誇りに思っており、大きな感化を受けたと繰り返し語っています。
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福島県の地方紙、『福島民友』さんの連載「福島湯けむり探訪」に、「智恵子抄」の語が。 2月16日(日)の掲載でした。

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ふくしま湯けむり探訪【二本松市・岳温泉】 山を遊び尽くす拠点 新風を吹き込む温泉宿

 花びらが舞い降りる000露天あり、寒気と湯気がなじむ雪見風呂あり―。気候風土が大きく異なる福島県は豊かな自然に恵まれ、湧き出る湯にさまざまな趣を与えてきた。泉質数は国内有数を誇り、愛され続ける名湯、秘湯もまた多い。「湯けむり」の向こうに隠れたドラマを探して、記者たちが湯の里を訪ねる。その魅力にどっぷりつかってみたい。

 智恵子抄や万葉集にも詠まれ、登山客など多くの人たちから親しまれる安達太良山。その山懐に抱かれるように、古き良きたたずまいの旅館や物産店が立ち並ぶ岳温泉(二本松市)が広がる。旅館のほとんどが温泉街を貫くメインストリート「ヒマラヤ大通り」に沿うように立っている。その通りのほぼ中央に昨年夏、新風を吹き込む温泉宿「mt.inn(マウントイン)」が本格オープンした。
 経営するのは鈴木安太郎さん(40)。温泉街の経営者の中で最も若く、目指すところも既成の枠にとらわれない。「コンセプトは『集え、遊び人』。世界の遊びを愛する人たちの集いの場にしたい。安達太良山を遊び尽くしたいと思う人は本当に大歓迎だ」と気負いなく話す。
 鈴木さんは「安達太良山麓はアクティビティー(遊び)でいっぱいだ」と強調する。確かに登山にスキー、沢登り、そして山野を走るトレイルランなど自然を生かしたアウトドアスポーツ、目の前に広がる美しい景観を心ゆくまで楽しめる仲間たちとのツーリングなど数えだしたら切りがない。

 掛け流し...手頃に003
 遊びで疲れた体を癒やすにはもちろん温泉だ。泉質は酸
性泉。湯元から約8キロの距離を引き湯する。温泉街まで流れてくる40分の間に湯がもまれて、肌に優しくなるという。
 温泉を気軽に利用してもらおうと、日帰り入浴の開始時間を今年から早めた。料金も良心的な金額を維持している。「源泉掛け流しは大きな強み。温泉は疲れた体を癒やす。何をやろうにも温泉の恩恵を忘れてはいけない」と鈴木さんは話す。
 マウントインでは、フロントを通して登山やネイチャーガイドを手配できる。「集いの場は多くの人が行き交うハブであり、楽しい空間が広がる安達太良山へのゲート、スタートラインにしたい」と鈴木さん。アクティビティー前の入念な準備に気兼ねなく時間を費やせるようにと、スタッフも朝早くから気遣う。施設内には500車種、200コースが楽しめるドライブシミュレーターを備えたり、自炊キッチンが完備されていたりと、多様な楽しみ方ができる。
 歴史をひもとけば、岳温泉は幾多の苦難に見舞われ、その度に立ち直ってきた。鈴木さんは強さの源にフロンティア精神を感じるという。「山崩れ、大火といった災難にめげず、復興、そして新しい道を開拓してきた」と先人たちの踏ん張りをたたえた。
 車社会の現代、日帰りの登山客、スキー客が目立つ。「温泉の宿泊客とほぼ同数の登山客が温泉街を通り過ぎる。そういった人たちをどう取り込むか。宿泊を含め温泉街の滞在時間を増やせれば、にぎわいにつながる。岳温泉の魅力を築き、発信していけるような役割を担いたい」。鈴木さんにもフロンティア精神はしっかりと受け継がれている。
 【メモ】mt.inn(マウントイン)=二本松市岳温泉1の7。日帰り入浴は中学生以上600円、小学生300円、未就学児無料。


 ≫≫≫ ほっとひと息・湯のまちの愉しみ方 ≪≪≪005
 【「五輪新種目」体験できる】岳温泉街から車で5分ほどの所にあるスカイピアあだたらアクティブパークはスケートボード、スポーツクライミング、スラックラインと、若者に大人気のアクティビティーがそろう屋内複合施設だ。2020東京オリンピックから正式種目となったスポーツクライミングのボルダリング、リード、スピードの3種目が体験できる屋内施設は全国でも珍しい。時間は平日午後1時~同9時、土、日曜日、祝日は午前11時~午後7時。水曜日定休。


マウントインさん、当方、昨年5月、安達太良山の山開きに際し、泊めていただきました。前身のせせらぎ荘時代にも一度。リーズナブルな料金の割には、館内施設等整っていました。あまりにリーズナブルだと、廊下を歩く他の宿泊客の足音や、隣室のテレビの音などが筒抜けで、早く眠りたい場合にはスマホの音楽プレーヤーをヘッドホンで聴きながらでないと無理、というケースがあるのですが、ここではそういうこともありませんでした。

また、素泊まりも可というのがありがたいと思います。宿で美味しい料理を供して下さるのもありがたいのですが、多少、好き嫌いのある当方としては、館外の食堂等で好きなものを食べたいと思うこともしばしばですし、地元の方々と夕食を共にするというようなケースも多いので。

それから、記事にもある館内の温泉も、確かにいい感じです。確か、宿泊客は24時間入湯可だったような。なぜか旅先ではさっさと床につくのが当方の流儀でして、すると、夜中に目が覚めます。そして24時間入湯可であれば、ほぼ誰もいない温泉を独占し、その後、また朝まで二度寝、というパターンです。

ぜひ、岳温泉さんをご利用の場合は、ごひいきに。


【折々のことば・光太郎】

玉鋼を本当に鍛へて作つた小刀を、鳴瀧の上もので心ゆくばかりに研いで、檜をざくざく彫つてゆく気持はたとへやうもない。さういふ時、心を潜めて彫つた彫刻の味などは、到底観る者にわかる筈はない。それは永久に分らないままでいいのである。作品は誰にでも分るところまでの姿で世に通用して、しかも奥の知れないままでよろしい。無理はいらない。

散文「通用」全文 昭和6年(1931) 光太郎49歳

「鳴瀧」は京都産の上質な砥石です。

作家に対しては、「無理に分からせようとすべからず」、鑑賞者に対しては「無理に分かろうとすべからず」というところでしょうか。

たしかに造型作品に対し、作者の心情や意図など、全体としてのアウトラインはある程度想像もつきますが、細かな部分まで、制作時に何を考えていたのか、そこである技法をつかった理由など、すべて解明するのは不可能です。

文筆作品に対しても同じことが言えると思います。しかし、それを無理くり「こうだった」と解釈するのが「文学」の「研究」で、そういうことを書くのが「論文」だと、そういう風潮がありますね。当方もそういう畑の出身ですが、そうした風潮にとまどいや限界や反発を感じます。「作品は誰にでも分るところまでの姿で世に通用して、しかも奥の知れないままでよろしい」のです。

追記 新型コロナウイルス対策のため、本公演は中止となったそうです。


大阪から朗読系の情報です。 

「声に出してみる美しい日本語」ワークショップ・公演

大阪を代表する劇作家・演出家で、テレビのコメンテーターやエッセイスト、NHKアニメ「リトルチャロ」の原作者としても知られるわかぎゑふ氏による朗読ワークショップ。舞台で思い切り声を出してみたい人、演劇的体験をしてみたい人の最初の一歩として、取り組みやすい朗読を体験してみませんか。正しい姿勢や、声の出し方、日常生活にも役立つしゃべり方の基礎などを楽しく学び、最後には舞台で発表を行います。本番ではプロの俳優らと同じ舞台に!ぜひご参加ください!!

ワークショップ


 期 日 : 2020年2月21日㈮ 25日㈫ 28日㈮ 3月4日㈬ 7日㈯ 8日㈰ 12日㈭ 14日㈯ 17日㈫
       19日㈭ 21日(リハーサル)
 会 場 : 枚方市市民会館小ホール
 時 間 : 平日19:00~21:00 土曜14:00~16:00 日曜13:00~16:00
 料 金 : 無料
 資 格 : 市内在住・在職・在学の中学生以上 40人(応募多数の場合は抽選)
        練習日程の内最低5日間の稽古とリハーサル・本番に必ず参加できる方

公 演

 期 日 : 2020年3月21日(土) 22日(日)
 会 場 : メセナひらかた会館多目的ホール 大阪府枚方市新町2-1-5
 時 間 : 3/21 夜  3/22 昼
 
 作・構成・演出 : わかぎゑふ
 出 演 : うえだひろし(リリパットアーミーⅡ) 内山絢貴(劇団五期会) 辰寿広美
       森崎正弘(MousPieceーree) 是常祐美(シバイシマイ)
 演目(予定) : 「雨ニモ負ケズ」(宮沢賢治) 「竹」(萩原朔太郎)
          「道程」(高村光太郎)ほか


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ワークショップに参加し、その後、プロの皆さんと一緒に公演に臨む、というコンセプトのようです。

ただ、公演の方が時間、料金等、調べてみましたが不明です。わかりましたらまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

動物園の動物は皆確に動物であつてしかもその動物ではない。駝鳥は駝鳥でなく獅子は獅子でない。

散文「動物園の根本的改造」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

雑誌『文藝春秋』に載った散文です。当時の動物園のあり方を「動物に就て違つた概念を教へこみ、自然を安直に観察させ、事実をいい加減に考へる習癖をつけさせる」と批判しています。

「駝鳥」は、詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)、「獅子」は「傷をなめる獅子」(大正14年=1925)を、それぞれ踏まえています。

   ぼろぼろな駝鳥


何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。007

動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。


   傷をなめる獅子

獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。

そのたてがみはヤアヱのびん髪、014
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。

獅子はもう忘れてゐる、
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。

肩にくひこんだ金属の歯を
肉ごともぎりすてた獅子はかう然とした。
憤怒と、侮蔑と、憫笑と、自尊とを含んだ
ただ一こゑの叫は平和な椰子の林を震撼させた。
さうして獅子は百里を走つた。

今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる

静岡から演劇公演情報です。 

劇団静火実験公演『売り言葉』

期 日 : 2020年2月23日(日)
会 場 : 
人宿町やどりぎ座 静岡市葵区人宿町2丁目5-2 SOZOSYAキネマ館2F
時 間 : 15:00~16:00 19:00~20:00
料 金 : 一般 2,000円 25歳以下 1,000円

作 野田秀樹  演出 大石明世 ​出演 滝沢麻友・山内梓未


劇団静火実験公演 演目は...野田秀樹 作 「売り言葉」!! 是非観劇にいらしてください!

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智恵子を主人公とする野田秀樹さん作の演劇「売り言葉」。初演は大竹しのぶさんにより、平成14年(2002)に行われました。プロアマ問わず人気の演目のようで、昨年は、確認できている限り全国で6件上演され、今年に入っても既に1公演がありました。本来、登場人物は智恵子だけの一人芝居ですが、それを二人芝居にしてみたり、会場を凝った場所にしてみたりと、いろいろ工夫が為されています。

 evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。
 サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
 thee第13回公演『売り言葉』。
 劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」。
 林亜佑美 一人芝居 売り言葉 他。
 演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉。
 thee第13回公演『売り言葉』(追加公演)。

これを通じて、光太郎智恵子の世界に興味を持って下さる方が増えることを期待します。

今回、どんな感じでやられるのか、不明ですが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

人種の問題は今日まだ理論以上の力を持つ。人類は此の偏見を是非とも何とかせねばならぬ。この偏見が何に因って起るかの真理を糺さねばならぬ。たゞ道徳的なお説教のみでなしに。

散文「ヘルプの生活」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

明治39年(1906)から翌年にかけてのニューヨーク生活回顧録の末尾です。自身の被差別体験を元に、こう結んでいます。

およそ90年前に書かれた警句ですが、90年経っても状況はいっこうに変わっていませんね。

昨日は都内に出て、書道展を2つハシゴいたしました。レポートします。

まずは、銀座の東京銀座画廊美術館さんで開催中の「東京書作展2020 選抜作家展」。昨秋、第64回高村光太郎研究会でご発表なさった、書家の菊地雪渓氏からご案内を頂きまして、参じました。

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菊地氏、一昨年の第38回日本教育書道藝術院同人書作展では「智恵子抄」の詩句を書かれた作品で最優秀にあたる「会長賞」を受賞、昨年の第41回東京書作展では、大賞にあたる内閣総理大臣賞を受賞なさいました(そちらの作は光太郎ではなく白居易でしたが)。

今回は、杜甫の漢詩でした。

枯淡の味わいといいますか、実にいいですね。

他に、光太郎詩「道程」(大正3年=1914、雑誌『美の廃墟』に発表された際の102行あった原型から抜粋)を書かれた方がいらっしゃり、ありがたく存じました。


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こちら、会期は本日までです。

続いて、新宿へ。目指すは小田急百貨店さん。

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こちらでは、本館10階の美術画廊・アートサロンさんで「幕末・明治 偉人の書展」を開催中。

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光太郎の書も1点、出ています。現物は撮影不可でしたが、入り口のポスターから撮ったものがこちら。

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小さめの色紙で、短歌「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」が揮毫されています。短歌自体は明治39年(1906)、留学のため横浜港を出航したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアンの船上で詠んだものですが、筆跡の感じからして、昭和戦前の揮毫ではないかと思われました。先日も書きましたが、光太郎、この短歌を書いてくれと求められることが多かったそうで、かなり後になっても作例が確認できます。

ちなみにこの展覧会、即売会も兼ねており、こちらは約50万円。まぁ、妥当な価格ですね。

他に、光太郎の師・与謝野晶子や、光太郎と論争もした夏目漱石などの書も。興味深く拝見しました。

こちらは18日(火)までの開催です。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

一々認識する事も出来ない、無数の原因から出来上つた自己性情の傾き、自己内心の要求、そお原始的な根源に立つてこそ、人の社会行動は確実な意味を持つて来る。
散文「天」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

題名の「天」に関しては、同じ文章の冒頭で「人間社会の歴史を貫く、超個人的な、社会そのものゝ数理的必然性」と定義しています。

上記短歌では「太古」と言い、ここでは「原始的」と言い、光太郎、どうも光太郎、自らを含む人間はそのDNAレベルで「なるようになる」ようにプログラミングされている、的な考えも持っていたようです。

先頃亡くなった当会顧問であらせられた北川太一先生は、この文章を「戦争期から戦後に至るその行動を解き明かす、一つの鍵が隠されているように思われる」としていました。

NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。2月3日(月)~7日(金)まで、光太郎特集を組んで下さいました。ほぼ過去の映像の使い回しでしたが、それだけに「ああ、こんなのもあったっけな」という感じでした。また、当方が存じ上げなかっただけかも知れませんが、新作(?)もあったような……。

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で、来週、2月17日(月)~21日(金)で、再放送があります。 

にほんごであそぼ

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

「高村光太郎(1)冬が来た」
2020年2月17日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、絵あわせ百人一首/山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば(源宗于朝臣)、歌舞伎/舞づくし「京鹿子娘道成寺」より、投稿ごもじもじ、童謡「ペチカ」、リクエストより・うた「ベベンの冬が来た」「道程」
出演 美輪明宏 中村勘九郎 小錦八十吉 おおたか静流 うなりやベベン ほか

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「高村光太郎(2)人に」
2020年2月18日(火) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ひこうき山陽/いやなんですあなたのいってしまふのが「人に」高村光太郎、野村萬斎/立春、絵あわせ百人一首/淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)、童謡「早春賦」、はんじえ/ふじばかま→めじろ、うた「道程」
出演 野村萬斎 三代目神田山陽 おおたか静流 ほか

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「高村光太郎(3)道程」
2020年2月5日(水) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ヨシタケシンスケのはい!ここで名文・ひこうき山陽/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、絵あわせ百人一首/人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は(後鳥羽院)、ぎお~んごー/歩く、童謡「早春賦」、投稿ごもじもじ、うた「道程」
出演 美輪明宏 三代目神田山陽 小錦八十吉 おおたか静流 白A ほか

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「高村光太郎(4)あどけない話」
2020年2月6日(木) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、絵あわせ百人一首/君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな(藤原義孝)、投稿ごもじもじ、童謡「早春賦」、うた「道程」
出演 竹本織太夫 鶴澤清介 三世桐竹勘十郎 おおたか静流 ほか

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「高村光太郎(5)牛」
2020年2月7日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
牛はのろのろと歩く「牛」高村光太郎、野村萬斎/摺り足、リクエストより・うた「ことわざしりとり」
出演 美輪明宏 野村萬斎 小錦八十吉 ほか

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「うた」のコーナーの「道程」は、やはりこれまでにも放映された坂本龍一さん作曲のものですが、長短2バージョンあり、両方とも放映されます。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩を本気に書く気になつたのは後年巴里に行つてボオドレエルとヴエルレエヌとに強く打たれたからの事である。

散文「紐育より巴里へ」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

明治41年(1908)、パリへ移った光太郎は、プルースト研究家であったマリー・ノードリンガーという女性に、フランス語を教わりました。マリーがテキストに使用したのがボードレールやヴェルレーヌの詩。はじめ光太郎はそれらを童謡かと思ったとのことです。

しかし、そうでないと知るや、詩とはこんなにも平易な日常語で書いていいものなのだと思ったそうです。

昨日は福島県の浜通り、双葉郡富岡町に行っておりました。こちらで開催された「福島大学うつくしまふくしま未来支援センターシンポジウムin 富岡 ~ほんとの空が 戻る日まで~」拝聴のためです。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語を冠した、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)さんの主催による同様のシンポジウムは、これまでも全国で9回開催されてきており、今回で10回目です。なかなか日程等が合わず、参加できないでおりましたが、今回初めて伺うことができました。

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会場は、富岡町の文化交流センター学びの森さん。

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富岡というと、桜の名所です。特に有名なのが、夜の森地区の桜。しかしその近辺は、福島第一原発事故による帰還困難に指定されたままです。

そこで、ロビーには桜の写真や絵。

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地元の皆さんが、ほんとうの桜を心ゆくまで楽しめる日が一刻も早く訪れる事を願ってやみません。

さて、会場へ。

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午後1時、開会。

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平日にもかかわらず、けっこう多くの方がご参加。地元の行政関係の方が出張扱いでいらしているケースが多かったようです。

基調講演は、(公社)中越中越防災安全推進機構統括本部長・稲垣文彦氏。

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平成16年(2004)の新潟県中越地震の事例、特に山間部の山古志村での取り組み、さらに東日本大震災時に郡山市のビッグパレットふくしまに開設された避難所の支援に当たられたご経験などを話されました。

その中で、東日本大震災時に、福島の浜通りから新潟に避難した女性のエピソードが、象徴的でした。氏が女性に「一番つらいことは」的なご質問をされ、しばらく考えた末に返ってきた答えが「青い空が見えなくなったことかな」。太平洋側の冬は抜けるよう青空となりますが、日本海側は曇天、もしくは雪空。まさに「ほんとの空」を失われたわけで……。

しかし、各地での復興に向けての力強い取り組みなどの様子を知り、救われる思いもしました。

休憩後、パネルディスカッション。まず4人のパネラーの皆さんが、それぞれの地域での現状や課題などを発表され、その後、討議というスタイルでした。

最初のパネラーが、旧知の川内村村長・遠藤雄幸氏。同村は当会の祖・草野心平を名誉村民として下さっています。今回、氏がパネラーということもあり、ぜひ参加せねばと思った次第です。下は受付で無料配付されていた川内村の観光案内的なパンフレットから。

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毎年7月の天山祭会場となっている(昨年は雨天のため村民体育センターでしたが)、川内村での心平別荘として村人の皆さんが建ててあげた「天山文庫」等の紹介。設立協力委員であった、光太郎実弟にして鋳金の人間国宝・髙村豊周の名も記されています。

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他のパネラーは、秋元正國氏(双葉地方町村会常務理事兼事務局長)、牧ノ原沙友里氏(一般社団法人ならはみらい主任)、仲井康通氏(FURE相双地域支援サテライト長)。モデレーターとして初沢敏生氏(FUREセンター長)、さらに基調講演をなさった稲垣氏も加わり、こちらもさまざまな事例等の報告がなされ、興味深いものでした。

終了後、遠藤氏と少しお話をし、会場を後にしました。家庭の事情もあり、ほぼとんぼ返り。余裕があれば町内各所の様子を詳しく見て回りたかったのですが。

それでもこんな風景も。何もなければほんとにのどかな町だったのでしょうが……。

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しかし、現実には、右画像の通り。020国道6号線ですが、ここから先はしばらくゴーストタウン状態です。

FUREさん、「福島大学は「福島の地にほんとの空が戻る日まで」、このセンターを拠点に「福島」の復旧、復興を支援いたします。」と謳って下さっています。

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一刻も早くその日が来ることを願ってやみません。

【折々のことば・光太郎】

荒れ狂ふ風と、霙と、波と、もとつ外の眼に見えない天然素のやうなものとが、実に思ふ存分な真似をしてゐた。力一ぱいな事をしてゐた。船なんか、人間なんか、まるで眼中になかつた。

散文「遙かにも遠い冬」より 昭和2年(1927)
光太郎45歳 明治39年(1906)


海外留学のため、横浜から乗船したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアン号船上での体験――アリューシャン沖でとてつもない荒天に見舞われ、船が沈没の危機に陥ったこと――の回想です。

まったく天災には抗しようがない時があります。しかし、人災となると、話は別ですね。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

今年も4月2日の光太郎命日、連翹忌が近づいて参りました。以下の要領で、第64回連翹忌を開催いたします。
 
当会名簿にお名前のある方には、要項を順次郵送いたしますので、近日中に届くかと思われます。ただ、払込取扱票の在庫が少なくなっていることに気づきませんで、これから発注いたします。少し到着が遅くなるやも知れませんが、よろしくお願い申し上げます。
 
また、広く参加者を募ります。参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ということのみです。
 
下記の要領で、お申し込み下さい。詳細な案内文書等必要な方は、当ブログコメント欄までご連絡下さい。郵送いたします。コメント非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。


第63回連翹忌御案内



日 時  令和2年4月2日(木) 午後5時30分~午後8時

会 費  11,000円 (ビュッフェ形式での食事代を含みます
      消費増税に伴い金額を改定いたしました

会 場  日比谷松本楼  〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1-2
       tel 03-3503-1451(代)

内 容  高村光太郎およびこの1年に亡くなった関係各位への黙祷
       アトラクション(朗読)/スピーチ
       この1年間に発行された高村光太郎/光雲/智恵子関係資料等展示
       他


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第64回連翹忌へのお誘い

昨年五月の改元に伴い、新元号「令和」初となる連翹忌を開催いたします。

「平成」最後の連翹忌の後、昭和32年のその第1回から、永らくこの会を運営して来られた北川太一先生はじめ、光太郎令姪・高村珊子さん、光太郎の親友であった水野葉舟の子息にして元総務庁長官・水野清氏、前花巻高村光太郎記念会理事長・佐藤進氏など、生前の光太郎と交流があった方々の訃報が、残念ながら相次ぎました。

光太郎本人をはじめ、そうした方々への追悼の思いを胸に、新たな時代の幕開けとなる連翹忌を、別紙の通り開催いたします。皆様お誘いあわせの上、ご参加方、よろしくお願い申し上げます。

令和2年 2月吉日
                                  高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明


会費を下記の方法にて3月22日(日)までにご送金下さい。会費ご送金を以て出席確認とさせて頂きます。

ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明

基本的に郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願い致します。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネームがわかるよう、ご手配下さい。会費お支払いは当日でもけっこうですが、できるだけ事前にお支払い下さい。申し訳ございませんが、振込手数料はご負担下さい。

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過去7年間の様子はこちら。

ご参加下さっているのは、光太郎血縁の方、生前の光太郎をご存じの方、生前の光太郎と交流のあった方のゆかりの方、美術館・文学館関係の方、出版・教育関係の方、美術・文学などの実作者の方、芸能関連で光太郎智恵子を扱って下さっている方、各地で光太郎智恵子の顕彰活動に取り組まれている方、そして当方もそうですが、単なる光太郎ファン。どなたにも門戸を開放しております。

繰り返しますが、参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ことのみです。

よろしくお願いいたします。


追記  新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、今のところ予定通り実施の方向です。

福島からイベント情報です。 

ふくしまイレブンめぐり スタンプラリー2

期 日 : 2020年2月8日(土)~3月15日(日)
会 場 : 福島圏域11市町村の道の駅・直売所
      福島市 二本松市 伊達市 本宮市 白石市 桑折町 国見町 川俣町 大玉村
      飯舘村 米沢市

福島圏域11市町村の道の駅や直売所をめぐるスタンプラリーを開催いたします。

台紙には1市町村で1個のスタンプを押してください。
ただし、福島市(①~③)と二本松市(④~⑦)はいずれか1箇所で押してください。

各スタンプ設置施設や各市町村庁舎等に設置されているチラシ兼台紙を入手して参加ください。
11市町村のスタンプをすべて押された方はA賞に応募できますが、チラシに記載されている情報をもとに12個目のスタンプが置いてある施設を探し当てスタンプを押せれば、パーフェクト賞も受け取ることができます。(先着500名まで賞品が豪華です)
各賞に必要なスタンプが貯まったら、スタンプ設置地点の回収ボックスに投函するか、台紙に切手を貼り郵便で応募ください。

賞品
A賞 スタンプ11個(全市町村制覇)
    5、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
B賞 スタンプ7個以上 
    2、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
C賞 スタンプ5個以上 
    1、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各3名)計33名
パーフェクト賞 スタンプ12個
    パーフェクト達成者全員に粗品をプレゼント。
    また、先着500名には福島圏域11市町村の特産品もプレゼント。

問い合わせ先 福島圏域連携推進協議会事務担当(福島市農業振興課内)
 電話 024-529-7663 (平日8時30分~17時15分)

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福島市とその周辺、16カ所の道の駅や直売所等に設置されたスタンプを集めるスタンプラリーです。隣県の宮城、山形も巻き込んでいます(笑)。大規模ですね。

智恵子の故郷、二本松市には4カ所にスタンプが置かれていますが、うち2カ所は智恵子生家/智恵子記念館さんに近い「道の駅安達智恵子の里」さん。国道4号線をはさんで、上り線側と下り線側で別個の施設となっており、スタンプも2つゲットできます。

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上り線側の紹介には、「高村光太郎の詩「智恵子抄」で有名な安達太良山が一望できます。」の語も。

上下線ともども、これまでもさまざまな光太郎智恵子がらみのイベントの会場となったり、智恵子関連の新商品の開発販売に取り組んで下さったりで、ありがたい限りです。

福島圏域の皆さん、ぜひチャレンジしてみて下さい。


【折々のことば・光太郎】

世の中で一番好きなのは温泉なんです。箱根や伊香保なんぞのやうなのでなく、湧き出してくる野天の湯に浸つてゐたらどんなにいゝかと思ふ。塚原卜伝みたいな家を建てゝ年を取つたらさういふ所へ行き度いと思つてゐる。年を取つたらさうした所へ行くやうな気がする。東京を追ひ出されて――。

談話筆記「〔生活を語る〕」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

およそ20年後にそのとおりになるとは、この時点で真剣にそう考えていたとも思えないのですが、不思議なものです。

智恵子がその創刊号の表紙絵を描いた『青鞜』を一つのモチーフとし、福井県を舞台とする谷崎由依氏の小説『遠の眠りの』。じわじわと話題になっているようで、最近、新聞雑誌各紙誌でよく書評を見かけます。

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まず、『毎日新聞』さん。 

今週の本棚 中島京子・評 『遠の眠りの』=谷崎由依・著 因習から逃れる「女という難民」

 大正の終わりごろ、福井の小さな村を舞台に、物語は始まる。本が好きでたまらない貧しい農家の娘、絵子(えこ)は、渡し舟に乗って、裕福な旅館の家の娘、まい子に本を借りに行く。
 主人公の絵子はユニークな少女だ。本に魅せられ、物語に心奪われた彼女は、旧弊な家父長制の軛(くびき)から逃れて町に出る。おりしも「昭和のほんとうにはじまっていく年」、「人絹」工場の女工となるのだ。それから絵子は町に初めてできた百貨店に転職することになる。百貨店の食堂で給仕をしながら、ついには百貨店付属の「少女歌劇団」の、座付き作家になるのである。
 この時代、頭を使って考えること、学問することは男子にしか許されていない。しかし、絵子は本を読むことによって自らを教育し、「文字から成る書物の冷静な思考」を、つまり考えるための言葉を獲得する。
 少女の成長物語のようなやわらかい表情を見せながら、そのじつ、小説は、ある時代を克明に描き出していく。都市生活者、工場労働者が大量に生まれ、正絹が人絹に取って代わられ、人も物も移動するようになり、百貨店が生まれ、都市生活者向け商品が生まれ、大衆が生まれた。労働運動が生まれる時代であり、また、戦争の時代でもあった。
 絵子は工場で知り合ったアクティビストの吉田朝子から、雑誌『青鞜(せいとう)』を教えられ、「すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる」という与謝野晶子による発刊の辞に、心揺さぶられる。
 福井の百貨店に実在したという少女歌劇団に舞台を移すと、物語は大胆に跳躍する。自身も「少女」であるような絵子が脚本係となり、エキゾチックな顔立ちをし、人には性別を隠しながら舞台に立つ妖艶なキヨという「まぼろしの少女」との交流が描かれる。果たして「少女」とはいったい、何者なのか。そして「少女」が成長した先にある「女」とはいったい何者なのか。
 歌劇団の「お話係」である絵子には、女たちの声が響いている。恋する男のために秘密の布を織りあげるまい子や、労働運動に身を投じる朝子だけではなく、歌劇団の少女たち、売られるようにして嫁に行った妹、子どもが生まれないのでいつまでも婚家で居場所を持てない姉、人絹工場の女工たち、ありとあらゆる女たちの声が、まさに糸のように紡がれ撚(よ)り合わさり、「お話」が織り上げられていく。絵子が作ったその「お話」、脚本は、<遠(とお)の眠りの>と名づけられて型破りな演劇となる。それは「女という難民」の物語だと絵子は思う。因習から逃れ出たいと、命からがら逃げてきた、あるいは逃げている女たちの物語だと。
 難民というイメージは、小説の中で別のエピソードから侵入してくる。シベリアからウラジオストク経由で福井の敦賀港にたどり着いたポーランドの孤児難民たちの物語が挿入されるのだ。この史実に基づく話から生まれ出るのが、歌劇団の花形「女優」キヨである。
 「女」の物語であり、「難民」の物語である小説は、大正・昭和という時代設定でありながら、なんと現代に直接響いてくることか。
 芝居の題でもあり、小説のタイトルでもある「遠の眠りの」は、正月によい初夢がみられるようにと、まじないのように唱える回文歌からとられている。「長き夜の、遠の眠りのみな目覚め、波乗り舟の、音のよきかな」。 かつてもいまも、なにかから逃れ出たいと願う女たち(あるいは女ではないものたち)にとって、それはほのかに希望をくれる歌にも聞こえてくる。

続いて、『日本経済新聞』さん。 

遠の眠りの 谷崎由依著 戦争の時代に少女が紡ぐ夢 《評》文芸評論家 井口 時男

 タイトルは宝船とセットでよい初夢を見るためのまじないの歌「長き夜の遠の眠りのみな目覚め波乗り舟の音のよきかな」から。冒頭ちかく、貧しい農家の少女・絵子(えこ)が子守しながら夕霧ただよう小舟の上で口ずさむ。
 長く暗い夜の永遠かと思われるほどの深い眠り、その眠りがなぜか破られ、目覚めるのだが、それでも舟に揺られるようにたゆたう夢見の心地よさはなお続いているかのようだ。しかも上から読んでも下から読んでも同じ回文なので、たしかに終(おわ)りは初めにかえり、夢と目覚めはまたくりかえす。ふしぎな歌だ。
 父親に厳しくしかられて衝動的に家を飛び出した絵子は、人絹工場の低賃金女工になり、次に福井市に開業したばかりの百貨店の店員になり、そこに創設された少女歌劇団の脚本係になる。その意味では、本を読むのが好きで夢想がちな一人の少女の覚醒と自己実現の物語である。だが、作者の工夫はもっと複雑で繊細だ。
 時代は大正末から昭和の敗戦まで。農村の貧困、恐慌、労働運動、さらに戦争の時代へ、といった現実を踏まえながら、作者の筆は、重苦しい現実の中に徐々に夢と幻想の粒子を忍びこませていく。それは緻密に計算された仕掛けであり、知的で清潔な作者の文体にふさわしく、また絵子の心意のあり方にもふさわしい。
 絵子の一見過激な軌跡は、主体的な行動というより、強いられた受動的な選択の結果である。彼女は人絹工場の寮で古雑誌「青鞜」の女性解放の言葉に感動するが、自分にはうす暗い片隅で手織りの絹のうすもののような夢を紡いでいる方が似合うことも知っている。
 恐慌から戦争へと続く過程で、時代そのものが暗い夜の悪夢みたいな様相を呈してくるのにつれて、小説の夢幻的色彩が強くなる。その中心には、正体を隠して少女歌劇団に入団した美しいボーイソプラノの少年がいる。「ボーイソプラノがこんなにも美しいのは、それが消えゆくものだからだ。」
 眠って夢を見るための歌なのになぜ「みな目覚め」なのだろう、という絵子の問いに、少年の兄は、「行って、帰ってくるためだろう」と答えている。ふしぎな歌に対するふしぎな答えだ。



さらに共同通信さんの配信により、物語の舞台の福井県の『福井新聞』など、複数の地方紙に載った評。 

『遠の眠りの』谷崎由依著 女という難民たちの苦難

 女はずっと難民だったのだと、この小説を読んで気づいた。ひとりの人間としてまともに扱われず、歴史の中に埋もれていった女たちの嘆き、憤り、諦め。その重みを背負い、引き受けて、この小説は在る。女たちの悲しみの布を織り継ぐように。女という難民が乗る小舟を漕ぐように。
 医学部入試における女性差別問題や、性暴力加害者への相次ぐ無罪判決、就活女子学生に対するセクシュアルハラスメント…。現代日本で起きているこうした出来事に接するたび、女の苦難は連綿と続いているのだと思い知る。本書は「いま」につながっているのだ。
 谷崎由依の小説『遠の眠りの』の舞台は、大正期から昭和20年にかけての福井。冒頭、主人公の絵子が、幼い妹を負ぶって狐川の水辺に立つ。絵子は対岸へ行くため、おばちゃんが漕ぐ渡し舟に乗る。
 対岸の家に住むのは、友人のまい子だ。2人が会う部屋には古い手織機がある。まい子の家は旅籠屋だが、まい子自身は手機(てばた)の織り子になりたいと思っている。
 川と舟と織物。この小説の重要なモチーフが、最初のシーンに盛り込まれている。そして、なぜだかとても、懐かしい場面でもある。
 絵子は貧しい農家の生まれだが、本を読むのが大好きな少女である。しかし家には本がないし、貸本屋から借りるお金もない。それで絵子は、小学校で同じ組だったまい子に本を借りるようになった。
 だが繁忙期の農家の娘には、本を読む時間はない。なぜ弟ばかりが魚が与えられ、勉強させてもらえるのか。どうして女は好きな本を自由に読むことさえ許されないのか。「女は、男の子を産んで育てて、その子の将来に託すようにしか夢を描くことを許されない。そのようにしてしか生きることができない」。そう気づいた絵子は両親に逆らう。
 父親に殴られ、家を追い出される絵子。謝って許しを請えば戻れたかもしれない。だが絵子はそうしなかった。絵子のはるかなる“旅”がスタートする。
 まい子の家に転がり込んだ後、人絹工場の寮に住み、「女工」として働き始める。賃金を得るようになった絵子は本を買う。イプセン、トルストイ、ゾラ…。さらに同じ女工の朝子から雑誌を手渡される。『青鞜』という名のそれは既に廃刊していたが、絵子には十分、新鮮だった。絵子はイプセンに、平塚らいてうや与謝野晶子に、そして何より、朝子に感化されてゆく。
 やがて、街で開業した百貨店「えびす屋」(「だるま屋」がモデルだろう)に雇われ、えびす屋専属の少女歌劇団の「お話係」となる。歌劇団では舞台に立つのは少女ばかりだが、その中でひときわ輝き、美声を誇るキヨは、実は少年だった。絵子はキヨに強く惹かれるようになってゆく。
 『遠の眠りの』とは、絵子が少女歌劇団のために書き下ろした演劇のタイトルでもある。それは女たちの物語だ。人として扱われず、影となって働いてきた女。夫の暴力を受けてきた女。子を産めなかった女。女工だった女。そんな女たちが小舟に乗り、逃げようとしている。「難民船に、それはそっくりだった。女という難民たちだった」
 絵子も、まい子も、朝子も、みな難民だった。それぞれ闘い、ぼろぼろになっていた。
 終盤、朝子が絵子に「生き延びましょう」と言う。「生き延びて、逃げ切りましょう。―わたしたちが、わたしたちのようでいられる世のなかが訪れるまで」
 いま、そうした世の中になっているだろうか。おそらく、まだだ。だから谷崎は読者に呼びかける。「生き延びましょう」と。
(集英社 1800円+税)=田村文


最後に『週刊新潮』さん。 

世の中の何かがおかしいという違和感をうまく言葉にできない人へ

 逃亡奴隷の少女の不思議な冒険を描いたピュリッツァー賞受賞作『地下鉄道』の翻訳者としても知られる谷崎由依。『遠の眠りの』は、昭和初期の福井を舞台にした長編小説だ。地元で親しまれている百貨店に宝塚のような少女歌劇団があったという実話が着想のきっかけ。タイトルの由来は〈長き夜の、遠の眠りのみな目覚め、波乗り舟の、音のよきかな〉。よい初夢が見られるおまじないで、回文になっている。

 主人公の絵子は貧しい農家に生まれた。家に本は一冊もないが、友達に借りて読むことを楽しみにしている。ある日、女の子だからという理由で読書の時間を奪われた絵子は、溜まりに溜まった不満を爆発させて父の怒りを買い、村を出る羽目に陥ってしまう。そして中心街にある人絹工場で働くことになる。そこでも女工の賃金が誤魔化されていることを発見して社長の逆鱗に触れた絵子が〈木枠を組んだ糸巻きみたいにあっけない、人間の命運をつかさどっているのは、機械仕掛けの動力なのだ〉と思うくだりは印象深い。つまり、自分の意志ではなく社会のシステムによって、苦しい境遇に追い込まれていることに気づくのだ。

 やがて絵子は新しく開業した百貨店に食堂の給仕兼「少女歌劇団」のお話係として雇われる。劇団の看板女優キヨは、女のふりをした少年だった。舞台という空間にしか存在しない〈まぼろしの少女〉であるキヨだからこそ演じられる芝居を絵子が書き上げるところがいい。婚家で不自由な暮らしを強いられながらも優しかった姉、好きな布を手で織ることを夢見ていた幼なじみ、「青鞜」を愛読し理想を行動に移す女工仲間、文字を教えてくれた近所のお婆……システムによって抑え込まれた女たちの声から紡ぎ出された物語。絵子と同じように、世の中の何かがおかしいという違和感をうまく言葉にできず〈一緒に考えてくれる本〉を求めている人に届いてほしい。

[レビュアー]石井千湖(書評家)

他にも、月刊誌の『新潮』さん、『群像』さんにも評が出ているようですが、割愛します。

各評にある通り、物語は大正の終わりから始まります。『青鞜』が、すでに廃刊となっていたにも関わらず、何人かの登場人物の心の支えとなったという設定です。平成28年(2016)、NHKさんで放映された連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の、高畑充希さんが演じた主人公のモデルとなった大橋鎭子などは、ほぼリアルタイムで『青鞜』の影響を受けたようですが、地方では遅れて『青鞜』に刺激された女性達も実際に多かったようです。

さて、『遠の眠りの』、ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

喜びと悲しみ、意欲と望とが常に相剋してゐるこの世の生活では、永久に若々しい魂の情熱を失はない人々の道は、決して静かな滑らかな、平坦なものではありません。

散文「与謝野寛氏と江渡狄嶺氏の家庭」より
 大正15年(1926) 光太郎44歳

「永久に若々しい魂の情熱を失はない人々」は、直接的には与謝野夫妻を指します。同時に光太郎自身もそうでありたい、そうであるべき、という意図が見え隠れします。たとえその道が「滑らかな、平坦なもの」ではないとしても。

強引ですが、上記『遠の眠りの』のヒロイン、絵子などもそのような人物として描かれています。

朗読系イベントです。 

梅花の朗読会

期 日 : 2020年2月15日(土)
会 場 : 
守谷中央図書館 3階 視聴覚室 茨城県守谷市大柏937番地の2
時 間 : 午後2時から午後3時30分
料 金 : 無料

読み聞かせ研修(朗読)講座を受講した方々が、 その成果をお披露目します。
楽しい朗読と群読。あなたの心に届きますように。


司会 澤 則子
 1 『道程』          高村 光太郎/著    出演者 全員
 2 『ラブ・ミー・テンダー』 江国 香織/作   鬼形 允子
 3 『ざしき童子のはなし』  宮沢 賢治/作
小川 政江・草野 美津子・小磯 節子・下拂 有子  
 4 『梅のにおい』      夢野 久作/作   青木 明子・神田 綾子・遠藤 その子
 5 『日本は二十四時間』 松谷 みよ子/作    青井 雅代
 6 『青春とは』        サムエル・ウルマン/詩  
髙橋 博子・平沢 琴路・福住 孝子・藤沢 由美
 7 『お祭り』         北原 白秋/著   ~開場の皆様 全員で


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光太郎詩の代表作の一つ「道程」(大正3年=1914)が、オープニングで取り上げられています。ありがとうございます。

当方が市民講座等でこの詩に触れる際には必ず申し上げていますが、執筆から既に1世紀以上経っていながら、少しも古くささを感じさせず、現代の我々、特に若い世代へのエールとして、少しも色あせていないように思います。

全国の朗読愛好者の皆さん、光太郎詩はあまり朗読向きではないと思われがちなところもあるようですが、そのようなことはありません。どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

僕は一度やり出したら、碁でも将棋でも何でもわれを忘れて打ち込みさうで、あぶなくてならないんです。ゆゑにこいつに深入りしてはならないといふ臆病な考へから、自ら警戒して自重してゐるために、何でも好きだが、何にもしないといふ妙な具合になつてしまつたのでせう。

談話筆記「何でも好きだ」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

彫刻、絵画、書、詩、翻訳、評論、短歌、俳句など、実にマルチな才能を随所に発揮した光太郎ですが、さりとて「趣味」といえるのものは特になかったようです。

2本ご紹介します。まず、再放送ですが。 

偉人たちの健康診断「与謝野晶子 悩める乙女と恋の病」

NHK BSプレミアム 2020年2月13日(木) 8:00~9:00

自らの恋心を赤裸々に官能的につづり、世間を騒がせた歌人・与謝野晶子。その素顔は引っ込み思案で内気な文学少女だった。何が晶子を「情熱の歌人」に変貌させたのか?それは晶子を襲った深刻な病…「恋の病」だった。恋は人の脳にどのような影響を与えるのか?脳科学と心理学から恋の病の症状を診断。さらに鉄幹と結婚後、破綻の危機に直面した夫婦関係を劇的に改善した晶子の秘策にも迫る。愛に生きた人生を健康面から読み解く。

【出演】関根勤 カンニング竹山 光浦靖子  【解説】森下明穂 植田美津恵  【司会】渡邊あゆみ

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2月6日(木)の本放送、北原白秋や石川啄木には触れられたものの、残念ながら光太郎の名は出ませんでしたが、興味深く拝見しました。お世話になっている明星研究会の松平盟子氏もご出演。

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晶子の生涯をひもときながら、その時々の「病」を「診断」。まずは……

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妻子ある寛(鉄幹)との道ならぬ恋について。光太郎智恵子につながる部分もあるな、と思いながら観ていました。

結婚後、しばらく経つと、寛の方が……

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『みだれ髪』で時代の寵児となった晶子に対し、古くさいと言われるようになった寛。これも立場を変えると光太郎に対する智恵子の苦悩にも似ているように感じました。

そして晶子も……

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これまた智恵子にもあてはまるような。「感情を表に出すのが苦手」という部分はもろにそうでしたし、光太郎の彫刻制作を優先させるため、自分の油絵制作の時間を削っていたエピソードは「いい妻」であろうとしたということに思えます。次の「仕事や家事に手が抜けない」。油絵は完璧な作を目指し、結局、うまくいかずに完成させることができなくなってしまった智恵子。家事の部分では、それを放棄して1年のうち数ヶ月は福島の実家に帰っていたこともありました。そう考えると、自分の油絵制作の時間を削ってまで率先して家事に取り組んだ時と、大きな振幅がありますね。それがそのまま智恵子の心理状態のアンバランスさを表しているような……。

そして「弱音」。有名な「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節「東京に空が無い」「ほんとの空が見たい」「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だ」あたりは、智恵子の遠回しの「弱音」だったように思われます。それを光太郎がどの程度、理解していたのか……。

しかし、寛と晶子、こちらは智恵子のように心の病となることはありませんでした。その契機となったのは……

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不安定になった寛をパリへと送り出し、のちに自らもその後を追った晶子。帰国後も、国内各地に旅を重ねることで、夫婦の絆が再構築されたというのです。

たしかに光太郎智恵子も、与謝野夫妻のようにしていれば、また違った結末になったでしょう。

そして寛に先立たれ、自らも死の床についた晶子。

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ここでも昭和13年(1938)、南品川ゼームス坂病院で、「昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つ」(昭和14年=1939 「レモン哀歌」)し、その生を終えた智恵子の姿がダブりました。しかし、晶子は数え65歳でそれなりに幸福な天寿を全うし、智恵子は同じく53歳で「七年の狂気は死んで終つた」(昭和15年=1940 「梅酒」)。ある意味、対照的でもあります。

というわけで、「偉人たちの健康診断」、与謝野夫妻専門の方に言わせれば突っ込みどころがいろいろあるのでしょうが、そうでもない当方、興味深く拝見しました。見逃した方、ぜひ再放送をご覧下さい。


テレビ放映情報ということになりますと、もう1件。 

聖火ロード5min.「青森 巨大ねぷたでリレーを彩る!」

NHK BS1 2020年2月10日(月)24時00分~24時05分=2月11日(火)午前0時00分~0時05分

3 月 26 日、福島県をスタートする“東京 2020 オリンピック聖火リレー”。121 日間をかけて全国 857市区町村を巡る。聖火が駆け抜ける地域は、各地を代表する魅力あふれる場所。歴史あふれる街道や、地域の営みを感じる街並み…。そんな地域色豊かな“聖火ロード”を、聖火を迎える各地の動きとともに、47都道府県ごとに5分間で紹介。

スタートは弘前城▽東北で唯一の江戸時代から残る天守閣▽ブナの原生林が広がる白神山地の玄関口の西目屋村も▽五所川原では立佞武多の館で歓迎式典▽高校生もお囃子でお出迎え▽さらに十和田湖湖畔を巡り▽八戸市館鼻漁港の朝市にも!

出演 泉浩  語り 満仲由紀子

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昨秋から断続的に放映されている5分間番組です。

東京オリンピックの聖火リレー、青森県内では十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」から、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」までもコースに入っています。まぁ、5分間番組ですし、サブタイトルが「ねぷた」ですので、十和田湖がどの程度紹介されるか、というところですが、ぜひご覧下さい。ちなみに2月12日(水)24:00~(=2月13日(木)午前0時00分~)は岩手編だそうです。


【折々のことば・光太郎】

通俗的に云つて「職人気質」と云つた気風を極度に持つてゐたやうで、その気分からの潔白さが父の人格に漲つて居るやうに思ひます。今の芸術家に見出せないやうな神経質な潔白さです。

談話筆記「恵まれたる優生遺伝の名家」より
 大正11年(1922) 光太郎40歳

光太郎、作品の芸術性といった点に於いてはあまり高い評価ができないと感じていた父・光雲に対し、その人格という部分ではこのように捉えていました。

1月31日(金)の『日本経済新聞』さん夕刊。文化面の「こころの玉手箱」という連載が、歌手の太田裕美さんによるもので、光太郎の名が。 

こころの玉手箱 歌手 太田裕美(5) 2代目の愛犬 がん治療支える大きな存在

2019年7月に乳がんの手術を受け、抗がん剤治療を続けている。日々の暮らしの中で、飼い犬の十兵衛とのふれあいが大きな癒やしになっている。十兵衛は18年2月から家族の一員になった。飼い犬としては2代目。まずは初代、小太郎の話から始めたい。
時は東日本大震災の直後に遡る。米国に住む友人から連絡があった。彼女の義兄は福島県内で犬のディーラーをしている。「原発が心配だから避難しているんだけど、犬にエサを与えるため毎日2時間かけて家に戻っているんだって」
私は何匹かうちで預かろうかと持ちかけ、そうこうしているうちに、お義兄さんの家の付近は安全だと分かって一件落着となった。
しばらくして、また連絡があった。地震から1カ月後の4月12日、子犬が生まれたという。これも何かの縁だと思い、我が家で引き取ることにしたのだ。
詩人の高村光太郎にちなんで光太郎と名づけようとしたら、息子が友達と同じ名前は嫌だというので、小太郎にした。2人の息子の下に小さな3男ができた。
小太郎は柴犬(しばいぬ)で、わび、さびを解し、一人の世界を好んだ。家族全員がメロメロになった。
ところが16年、5歳7カ月になる1日前に逝ってしまった。これまでの人生で一番悲しい出来事だった。
1年喪に服した後、保護団体が預かっている飼い主のいない犬、いわゆる保護犬を飼うことした。一目で「この子だ」と決め、いかつい顔をしているから剣豪の柳生十兵衛にちなんで十兵衛と名づけた。十兵衛は雑種で大の甘えん坊。今や我が家のプリンスだ。
愛犬を1日10分なでるだけで幸せオーラが出て、免疫力が上がるとの説を聞いた。私は小太郎を愛する中で免疫力がついていたはずだが、喪失感が大きすぎて病気になったのだろうか。
しかし今は十兵衛がいてくれる。朝起きて十兵衛に「おはよう」と声をかけるだけで笑顔になれる。日常を楽しく過ごしていれば、きっと健康を取り戻せる。そう信じている。



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太田さん、かなりの愛犬家のようでいらっしゃいますね。記事の画像は現在飼われている十兵衛君だそうですが、太田さんのツィッターを調べてみましたら、故・小太郎君の画像も残っていました。かわいいですね。

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それにしても、なぜ「詩人の高村光太郎にちなんで光太郎と名づけようとした」のかは謎ですが(笑)。

小太郎君は柴、十兵衛君はミックスだそうですが、当方の愛犬にも何となく似ていて親近感を覚えます。

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柴犬系雑種で、先月、16歳になった老犬ですが、まだまだ元気です。

ところで、1週間ほど前の夕方、こいつと散歩中、裏山の杣道を歩いていましたら、道の脇の藪から「ガサガサッ」という音。さらに灌木の枝が大きく揺れていました。最初は「鳥かな?」と思ったのですが、それにしては枝の揺れやガサガサ音が大きく、それもそのはず、藪からひょっこり顔を出したのは、大きなイノシシでした(笑)。

当方及び愛犬との距離は2メートルほど。イノシシと遭遇するのは3度目でしたが(1度目、2度目はこちらをご参照下さい)、最も近距離での遭遇となりました。そのまま通り過ぎようと思ったところ、「それ以上近づくと、いてまうぞ」感を醸し出していましたので、愛犬ともども、慎重に後ずさり、結局来た道を引き返しました。杣道といっても、一番近い民家から100㍍足らずの場所だったのですが……。

愛犬、吠えもせず、意外と平然としていました。下手に吠えると先方を刺激していたかもしれず、そう考えると役に立ったような、立たなかったような(笑)。

無事帰宅して家族に報告したところ、「こんな時間にあんな所歩いたらイノシシいるでしょ!」と怒られました(笑)。「明るいうちなら大丈夫だろう」と、後日、再び現場を見に行きました。すると、どうもその場所に巣(?)でも作っているようで……。

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太田裕美さんの話から、イノシシの話と、何だかまとまりませんが……(笑)。


【折々のことば・光太郎】

日本はありがたい事には到る処豊富な天然美に恵まれてゐる。此が私等の避難場だ。此を利用して健康な趣味と高く清い美との遊園地を造るのが第一だ。
散文「有望なのは天然的遊園地」より 大正10年(1921) 光太郎38歳

ここで言う「遊園地」とは、絶叫マシンなどの立ち並ぶそれではなく、自然の景観を生かしたリゾート地、といった意味合いです。具体的には自分の思い出の地でもある上高地や赤城山などを、なるべく手を加えず整備したらいいだろうという提言にもなっています。

「天然美」はいいのですが、イノシシはちょっと……(笑)。

まずは今朝の『朝日新聞』さん。 

(天声人語)いちばんの寒波

冬という季節に力強さを見ようとするのが、高村光太郎の詩「冬が来た」である。〈きつぱりと冬が来た〉〈きりきりともみ込むやうな冬が来た〉。草木が枯れ、虫もいなくなる寒い季節を、詩人は両手を広げるように歓迎する▼〈冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ〉。高村のように「冬が来た」と高らかにうたうには、遅すぎる時節ではある。日本列島はきのうになって、この冬いちばんの寒波に見舞われた▼「僕に来い」と待ちわびていたのは、雪不足のスキー場や雪まつりの会場だろう。伝統行事の「かまくら」を控える秋田県横手市では周辺から雪をかき集め、かまくらを何とかこしらえていた。それがようやく自前の雪で仕上げができるようになったという▼和歌山県串本町から届いた知らせは、雪や氷でなく「海霧(うみきり)である。この土地の冬の風物詩で、冷たい空気にさらされて海から霧がのぼる。島影が浮かび、幻想的な景色が生まれるという。今年は暖冬でふるわなかったが、きのうはきれいにたちのぼった▼汗ばむような日もあり、居心地の悪さすら感じていたこの冬である。そのせいだろうか、厳しい寒さがすこしうれしいような気にもなる。春はすぐそこだという心の余裕もあるのかもしれない。寒風のなか、紅梅がほころんでいるのを見かけた▼冒頭の詩で高村は、冬の鋭さを〈刃物のやうな〉とも表現した。刃こぼれをしているような感じがした今年の冬も、今ようやく研ぎ澄まされた。

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光太郎詩「冬が来た」(大正2年=1913)。この手の一面コラムでしばしば紹介されますが、おおむね11月から12月に取り上げられることがほとんどです。平成28年(2016)11月の『東奥日報』さん、平成30年(2018)12月の『河北新報』さん、昨年11月の『中国新聞』さんなど。

ところが、今年になって1月に『山陽新聞』さんがこの詩を取り上げ、「ずいぶん遅い『冬が来た』だなあ」と思っていたところ、今日になって『朝日』さん(笑)。たしかにこの冬の暖冬傾向は異常といえば異常でした。光太郎と違って寒さを苦手とする当方としては、過ごしやすくていいのですが(それでも先週末から昨日くらいまで風邪気味でした)。

ちなみに自宅兼事務所のある千葉県では、既に菜の花も咲き乱れています。北国の皆さん、すみません(笑)。

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もう1件。先月末の『高知新聞』さん。 光太郎の名は出ていませんが。

小社会 言い訳

 文豪には人間の弱さを抱え、失敗も絶えない人が多いようで、さまざまな言い訳を駆使した書簡が残っている。例えば、夏目漱石。友人あてのはがきに〈十銭で名画を得たり時鳥(ほととぎす)〉。

 中川越さん著「すごい言い訳!」によると、漱石はこの友人にあてた絵はがきに切手を貼り忘れた。切手代を取られた友に謝りつつ、自らが描いた「名画」を手に入れたとして感謝を強要したユーモアだという。漱石の絵は、といえば名画にはほど遠い素朴さだった。

 新聞連載の原稿執筆が遅れてしまった泉鏡花が、催促してくる編集者にあてた手紙もある。〈涼風たたば十四五回もさきを進めて其(そ)のうちに一日も早く御おおせのをと存じ…〉。

 簡単にいえば、締め切りを守れないのは暑くてかなわないからだと言っているだけ。ところが、苦しい釈明は美しく流麗な文体で書かれている。中川さんは「編集者は、この言い訳にも原稿料を支払いたくなったのでは」。

 この人の言い訳はどうだろう。国会で「桜を見る会」を巡る疑惑追及が続く。安倍首相は答弁で「歴代内閣も」「鳩山首相も」。追い詰められると「あの人だって」となるのは、どうも成熟した政治家の弁明とは思えない。

 国会はちゃんとした政策論争を、という声も出ている。ただ、「桜」は公文書の廃棄など民主主義の根幹に関わる問題だ。まずは美しい言い訳…ではなく誠実に説明責任を果たす方が先だろう。


昨年刊行され、光太郎も取り上げて下さった中川越氏著『すごい言い訳!―二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石―』を引き合いに、今国会を皮肉っています。ある意味痛快ですが、反面、「ないものねだり」というか、「高望み」というか……。末尾の「美しい」も「見苦しい」だろ、と突っ込みたくなります(笑)。あの人の辞書には、「冬が来た」にある「きっぱりと」という単語は載っていないのだと思います(笑)。

明日も新聞記事系から。


【折々のことば・光太郎】

私のからだの中には確かに手におへない五六頭の猛獣が巣喰つてゐる。此の猛獣のため私はどんなに苦んでゐるか知れない。私をしてどうしても世人に馴れしめず、社会組織の中に安住せしめず、絶えず原野を恋ひ、太洋を慕ひ、高峰にあこがれ、野蛮粗剛孤独不羈に傾かしめるのは此の猛獣共の仕業だ。私は人一倍人なつこく、温い言葉と春のやうな感情とに常に飢ゑてゐるのだが、この猛獣のおかげで然ういふ甘露の味を味ふ事が実にすくない。

散文「私の事」より 大正9年(1920) 光太郎38歳


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光太郎、実は「春のやうな感情とに常に飢ゑて」いながら、それを得られず、「冬」を愛さざるを得なかったというわけですね。

大正13年(1924)には、前年の関東大震災によってあらわになった社会矛盾を痛烈に批判する連作詩「猛獣篇」の制作が始まります。光太郎の生前に単行詩集としてまとめられることはなかったのですが、没後、昭和37年(1962)になって、当会の祖・草野心平が鉄筆を執り、ガリ版刷りで刊行されました。

都内から書道展の情報です。 

幕末・明治 偉人の書展

期 日 : 2020年2月12日(水)~2月18日(火)
会 場 : 小田急百貨店新宿店 本館10階 美術画廊・アートサロン
       東京都新宿区西新宿1丁目1番3号
時 間 : 朝10時→夜8時 最終日は午後4時30分まで
料 金 : 無料

幕末・明治期にスポットを当て、墨蹟の中でも大変人気が高く入手困難な西郷隆盛をはじめ、いま話題の渋澤栄一や、激動の時代を駆け抜けた維新の志士たちの遺墨を一堂に展示販売いたします。
また、夏目漱石、樋口一葉など同時代の文士の書も併せて展覧いたします。
歴史上の偉人たちの人柄そのものといえる書の魅力を、より身近に感じていただける、またとない機会となります。

《出品予定作家》
西郷隆盛、徳川慶喜、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟、福澤諭吉、伊藤博文、渋澤栄一、正岡子規、夏目漱石、樋口一葉、高村光太郎、与謝野晶子 他(順不同・敬称略)


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問い合わせたところ、光太郎の作品は、明治39年(1906)、留学のため横浜港を出航したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアンの船上で詠んだ短歌「海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと」をしたためた色紙(?)とのことでした。当会の祖・草野心平の鑑がついているそうです。

短歌自体は明治39年(1906)の作で、翌年元日発行の雑誌『明星』未歳第1号に掲載されましたが、この短歌、のちのちまで求められて揮毫した例が多く、この情報だけだといつ頃書かれたものかは不明です。

昭和4年(1929)9月1日発行の雑誌『キング』(大日本雄弁会講談社)第5巻第9号には、「ある日の日記(抄)」という文章が載っており(『高村光太郎全集』には漏れていたものです)、この短歌に関し、次のように述べています。

 某社の依頼により自作短歌の中より五十首を選む。二十年来詠みすてし短歌の数はかなりの量に上るべきなれど、その都度書きとめもせざれば多く忘れ果てたり。記憶に存するものの中(うち)稍収録に堪ふと認むるものをともかくも五十首だけ書きつく。
 海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと
といふ単純幼稚なる感慨歌は一九〇七年渡米の際、太平洋上の暴風雨中に作りし歌なれば完全に二十年前のものなり。此の歌、余の代表作の如く知人の間に目され、屢〻揮毫を乞はる。余も面倒臭ければ代表作のやうな顔をしていくらにても書き散らす。余の短冊を人持ち寄らば恐らくその大半は此の歌ならん。


一九〇七」とあるのは光太郎の記憶違いです。「某社」は改造社。この月発行された『現代日本文学全集第三十八編 現代短歌集 現代俳句集』に関わります。同書には「海にして…」を筆頭に、明治末から大正13年(1924)までの短歌44首と、簡略な自伝が掲載されています。

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此の歌、余の代表作の如く知人の間に目され、屢〻揮007毫を乞はる。余も面倒臭ければ代表作のやうな顔をしていくらにても書き散らす。余の短冊を人持ち寄らば恐らくその大半は此の歌ならん。」そう言ってしまったら、身も蓋もないような気がしますが(笑)、実際、この歌の揮毫は多数現存します。当方も短冊を一点持っています(右画像)。

『明星』での発表形、初句は「海にして」ではなく「海を観て」となっていました。当方の短冊もそうなっています(ひらがなで「みて」ですが)。それが明治43年(1910)の雑誌『創作』に再録された際には「海にして」と改められており、明治42年(1909)に留学から帰国した後、改訂するまでの間の揮毫と思われます。光太郎の父・光雲の弟子であった故・小林三郎氏の旧蔵で小林氏のご息女(この方も亡くなっています)からいただきました。


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ちなみにこちらが光太郎が乗り、船上でこの短歌を詠んだアセニアン。香港~バンクーバーをつないでいた貨客船で、光太郎は横浜から乗船しました。スペルは「ATHENIAN」。光太郎の書いたものでは「アゼニヤン」となっていますが、現在では「アセニアン」と表記するのが一般的なようです。総排水量3,882トン、外洋を航海する船としては、小さなものでした。

さて、小田急百貨店さんの「幕末・明治 偉人の書展」。光太郎以外にも、光太郎の姉貴分・与謝野晶子の書なども展示されます。ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

人間が一番求めてゐる事は清らかな美であつて、さまざまな望みが満たされた上にも、結局は此処に来るのだと思ふ。

談話筆記「令嬢の美しさと女優の美しさ」より
大正8年(1919) 光太郎37歳

ゴテゴテと塗りつけた化粧はNG、という話の流れからの発言です。いかにも「自然」を尊ぶ光太郎、ですね。

過日のこのブログにおいて、『朝日新聞』さんの記事からご紹介した件、仙台放送さんのローカルニュースでも取り上げられましたので、ご紹介します。

宮城県女川町の「いのちの石碑」――東日本大震災の津波に呑まれて亡くなった故・貝(佐々木)廣氏が中心となって、昭和6年(1931)に光太郎が訪れたことを記念して建てられた光太郎文学碑(平成3年=1991建立)の魂を受け継ぎ、宮城県女川町内に「千年後のいのちを守るために」と建てられ続けているものです。 

女川町「いのちの石碑」 震災から9年目、最後の1基の完成を目指す〈宮城〉

宮城、岩手、福島の被災3県のいまをお伝えする「明日への羅針盤」。今回のテーマは「今年にかける」です。女川町の「いのちの石碑」の取り組みを紹介します。震災後、「1000年後のいのちを守る」を合言葉に当時中学生の生徒たちが町内の全ての浜に津波到達点の目印となる「いのちの石碑」を建てる活動をしています。今年で8年目となりました。
宮城県女川町。
漁業で栄えた港町も東日本大震災の津波で大きな被害を受けました。
町の人口の1割にあたる827人が犠牲に、およそ9割の家屋が被害を受けました。
海が見える高台に「1000年後のいのちを守る」と刻まれた石碑があります。

石碑の俳句
「忘れない この悲しみを 苦しさを」

震災の記憶を未来に残すため俳句とともに津波への対策などが記されています。

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石碑を建てたのは、当時、女川中学校に通っていた生徒たちです。

女川中学校の生徒 (2012年)
「1000年後の人たちの命を救うために、私たちの活動は必要だと思う」

夢だけは壊せなかった大震災。
自分たちが味わったあの悲しみ、苦しみを他の人に味わわせたくない。
石碑を建てるという夢に向かって生徒たちはまっすぐ進みます。

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そんな子供たちの姿に先生も手を差し伸べます。
阿部一彦先生 (2012年11月)
「1000年後まで残しましょう。ここで中途半端にしてはだめだ。大人に訴えましょう。伝わるはず。絶対!」
建設にかかる費用1000万円は募金で集めました。

「ありがとうございます」

募金はおよそ半年で集まり、震災から2年半が経ったころ、1基目の石碑が完成しました。

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女川中学校3年生(当時) 鈴木智博さん (2013年)
「うれしいです、やっと形になったのでいろんな人に見てもらいたいですね。震災があったということを知ってもらえればいい」

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震災から8年10ヵ月。
今では17基が建設されています。
この日は、月1回の活動報告の日です。

渡邊滉大さん(21)
「最終的な到達地点は“防災が当たり前に”。例えばご飯を当たり前に食べる。寝るときは寝る。それが当たり前にできる状況を作り上げて、最終的には防災が空気のように当たり前のような存在になってほしい」

鈴木智博さん(20)
「まだ学生だから時間に余裕がある。これからみんな就職とかして全国ばらばらになると自分の時間が少なくなる。みんなで協力していきたいというのが課題」
震災の経験、活動に対する葛藤。
防災への想いを語りました。
中学生だった子供たちも今では大学生や社会人。
鈴木智博さん(20)
「中学生の時から石碑を立てることを自分たちで計画していて、最後の1基が今年建つということは、自分の中で区切り。石碑は100円募金で建てたので、本当にいろんな人から協力を貰って建てた石碑なので、町内に限らず、支援してくれた人に『良かったね』と声をかけてもらえるような石碑になればいいと思う」

震災から9年目となる今年。最後の1基の完成を目指します。
石碑を立てる活動は今年一つの区切りを迎えますが、1000年後の未来のいのちを守る活動はこれからも続いていきます。


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彼らの未来に幸あれ、と祈念せざるを得ませんね。そして女川町の復興がさらに進むことも切に望みます。


【折々のことば・光太郎】

幼穉なのは困る事だが恐る可き事ではない。恥かしい事ではない。それよりも恐ろしく恥かしいのは正直な心を一瞬でも失ふ事だ。裸のまゝの心を知らずに曇らす事だ。雑念にとらはれる事だ。本源から離れる事だ。

散文「書簡――『智慧』に――」より 大正7年(1918) 光太郎35歳

『智慧』は、親友の水野葉舟、落合直史とともに刊行した個人雑誌です。残念ながら創刊号で終わってしまったようです。

「いのちの石碑」、はじめに上記の若者達が中学生だった頃、光太郎文学碑に倣って費用1,000万円を100円募金で集める、と言った時、「幼稚な思いつきだ、無理に決まっている」と鼻で笑った大人がいるやにも聞きました。しかし、ふたを開けてみれば半年余りで1,000万円が集まったそうで、当時の中学生達が「正直な心」、「裸のまゝの心」で、「雑念にとらはれる事」や「本源から離れる事」なく、頑張ったからだと思います。

光太郎の本格的な文学活動の出発点、『明星』における光太郎の師・与謝野晶子をメインとしたテレビ番組です。 

偉人たちの健康診断「与謝野晶子 悩める乙女と恋の病」

NHK BSプレミアム 2020年2月6日(木) 20:00~21:00  再放送 2月13日(木) 8:00~9:00

自らの恋心を赤裸々に官能的につづり、世間を騒がせた歌人・与謝野晶子。その素顔は引っ込み思案で内気な文学少女だった。何が晶子を「情熱の歌人」に変貌させたのか?それは晶子を襲った深刻な病…「恋の病」だった。恋は人の脳にどのような影響を与えるのか?脳科学と心理学から恋の病の症状を診断。さらに鉄幹と結婚後、破綻の危機に直面した夫婦関係を劇的に改善した晶子の秘策にも迫る。愛に生きた人生を健康面から読み解く。

【出演】関根勤 カンニング竹山 光浦靖子  【解説】森下明穂 植田美津恵  【司会】渡邊あゆみ


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この番組では、昨年、「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」ということで、光太郎智恵子を取り上げて下さいました。智恵子が色覚異常だったと断定してしまった部分は納得が行きませんでしたが、それ以外はおおむね首肯できる内容でした。

今回は、「恋の病」に苦しんだ晶子だそうで、これもまた面白そうです。ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

人間の世にはいつの時でも水底に立つ者と、水面に動く者とが居た様です。水の意味を真に感ずる者は、言ふ迄もなく水底に立脚地を持つ者のみの事であります。水面に動く者の喜怒哀楽はすべて泡沫のように無駄です。水底に立つ者の心は直ちに水の本体と関係します。

散文「〔イェルゲンセン「癩病患者に与へる接吻」訳にそへて〕」より 
大正5年(1916) 光太郎34歳

「水面に動く者」=「目立つ場所、スポットライトの当たる場所で軽佻浮薄な活動にうつつを抜かし、世間の評価に一喜一憂する者」、「水底に立つ者」=「目立たぬ場所で己を空しゅうし、全体の利益を考えて慎重に行動する者」といったところでしょうか。

光太郎自身は自分を「水底に立つ者」と定義し、経営的にはまるで成り立たなかった画廊「琅玕洞」などの活動がそれに当たるとしています。

神奈川県秦野市からイベント情報です

状況をわかりやすくするために、地域情報紙『タウンニュース』さんの記事から。 

第12回 県人会フェア 舞台と物産でお国自慢

 「ふるさとお国じまん第12回県人会フェア 郷001土芸能と物産展」(福永嘉弘実行委員長=人物風土記で紹介)が2月9日(日)、クアーズテック秦野カルチャーホール(秦野市文化会館)の大ホールとホワイエで開催される。時間は午前10時半から午後4時。入場無料。

 秦野市内の15の県人会が参加し郷土芸能の発表や物産展などを行う。ステージ発表は以下の通り。オープニング(秦野観光和太鼓)、福岡(祭り酒)、山形(山形大黒舞、花笠踊り)、北海道(イヨマンテの夜、北海盆唄)、宮城(宮城野盆唄踊り、大漁唄い込み)、新潟(十日町小唄、佐渡おけさ)、福島(安達ケ原の鬼ばば、智恵子抄)、高知(よさこい祭り紹介、南国土佐を後にして)、長野(信州と永六輔)、長崎(長崎の鐘、愛長崎大村線)、岩手(盛岡さんさ踊り、遠野のまぬけ節パート2)、鹿児島(鹿児島おはら節)、秋田(秋田節、ドンパン節)。さらに秦野ささら踊り保存会がゲスト出演する。

 またホワイエでは、熊本ラーメン(熊本)、八ツ橋(京都)、バラ焼きのタレ(青森)など15のブースで地域の特産品を販売する。また今年も特産品が当たる抽選会を実施する。

 問い合わせは【電話】0463・82・5118市市民活動支援課へ。


という記事を見つけたので、調べてみました。

ふるさとお国じまん 県人会フェア

期 日 : 2020年2月9日(日)
会 場 : クアーズテック秦野カルチャーホール(文化会館) 秦野市平沢82
時 間 : 午後0時15分から4時(物産販売は午前10時半から)
料 金 : 無料

県人会相互の連携強化や市民の文化交流を目的に開催する県人会フェア。12回目を迎える今年も、自慢の唄や踊りを披露します。

内容 郷土芸能の披露、15県人会による活動紹介や物産販売など

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秦野市くらいの規模(人口約165,000人)になると、「○○県人会」が15もあるのですね。ただ、参加団体が15というだけで、実際にはもっとあるのかも知れません。

で、ホールでの郷土芸能的なステージ発表と、ホワイエでの物産展の二本立てだそうで、福島県人会さんのステージ発表発表が、「安達ケ原の鬼ばば、智恵子抄」とのこと。寸劇仕立てでやるのか、あるいは二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)あたりを持ち出すのかな、などと思っております。

当方、寡聞にして、こうした「県人会」の競演といった催しがあることを存じませんでした。こういうことが可能である大きめの自治体さんでは、どんどんこういう企画をやってほしいものですし、そうなった場合、「福島県人会」の皆さん、「智恵子抄」をよろしくお願いします(笑)。


【折々のことば・光太郎】

その人の心が真実に働いてゐるなら必ず体も光つて見えます。決して体は体と思つてはならない。体は即ち其の人の心、心は即ち体であります。

談話筆記「薄衣の女」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

「健全な精神は健全な肉体に宿る」的な軍隊式の考えからの発言ではなく、彫刻家の目から、街ゆく人々を見ての感想です。

例年ご紹介しています、信州善光寺さん周辺でのイベントです期 日 : 2020年2月6日(木)~11日(火・祝)
会 場 : 善光寺周辺、長野駅前西口、善光寺表参道
時 間 : 18:00~21:00 ※最終日は 18:00~20:00まで
料 金 : 無料

長野冬季オリンピックを開催した冬の聖地として、オリンピックの平和を願う精神を受け継ぐ長野灯明まつりは、戦後75年にあたる本年、平和への想いを新たに、世界に向けて「平和への灯り」を灯します。また、台風19号激甚災害からの復興の旗印として、サブテーマに「災害復興」を掲げ開催します。

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・ オープニング特別ライトアップ 017
第十七回長野灯明まつりは「平和への灯り」をテーマに開催され、開会初日となる2月6日開会式には、石井リーサ明理氏によるレーザー演出で、長野灯明まつりのオープニングを華やかに彩ります。
日時:2月6日(木)18:00~21:00 場所:善光寺山門

・ 「ゆめ常夜灯」
テーマ「世界へ向けて平和と友好の光を発信」
ジャポニスム2018エッフェル塔特別ライトアップで、世界的規模の照明学会よりIES最優秀賞を受賞した、国際的照明デザイナー石井幹子氏による善光寺ライトアップは、冬の夜空を彩る長野灯明まつりを象徴する情景です。
災害復興支援をサブテーマに特別な開催となる第十七回長野灯明まつりでは、石井幹子先生のご好意により、エッフェル塔特別ライトアップで使用された機材を長野にお持ち込みいただき、善光寺本堂を黄金色にライトアップします。オリンピックイヤーとなる本年、そして長野災害復興元年としての特別なライトアップをお楽しみください。


・ 「ゆめ灯り絵展」
長野灯明まつりを象徴する情景となった「ゆめ灯り絵展」に、小学校の卒業記念制作として子ども達の夢を切り絵に描き、8年後の20歳になる年にまた展示される「未来のゆめ灯り絵展」を新たな試みとしてスタートします。ふるさとの子ども達が健やかに育ち、ゆめを育み大きく成長する姿をまちが一体となって後押しする「未来のゆめ灯り絵展」に、多くのご参加をお待ちしております。
<作品展示> 善光寺表参道大門石畳通り

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他に宿坊・ゆめ茶会(毎日)、復興灯明バル、復興ゆめ福引き、災害復興スノージャンプイベント、特別講話、きり絵展など

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例年ですと、光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海の手になり、昨年、開眼100周年を迎え、一昨年からいろいろな取り組みが行われている信州善光寺さんの仁王像が安置される仁王門のライトアップも為されてきましたが、改修工事中ということで、今年はそちらのライトアップは為されないようです。

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昨年の台風による被害からの復興支援という意味合いも込められています。ご都合のつく方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

放埒的生活と言ふのは心の遊惰と言ふやうなものばかりを意味するのではなく、物堅く几帳面な所謂良妻賢母にも矢張精神的放埒のある事を意味している。すなわち根本を持つてゐない生活、精神的のその日暮らしを言ふのである。それは堕落したものであり、眠つた状態である。

談話筆記「家庭に於ける真の平和」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

他律的な生き方を送っている者は、たとえきちんきちんと日々の暮らしを構築しているとしても、無自覚という点に於いては「放埒」なのだ、ということでしょう。手厳しいですね。





雑誌系、2件ご紹介します。

まず、日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』2020年2月号。平成29年(2017)から花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

今号は詩「平和時代」(昭和3年=1928)が紹介されています。

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画像はクリックで拡大します。お読み下さい。


もう1点。JR東日本さんで発行している『大人の休日倶楽部』2020年2月号。「詩とあるくふくしま」という特集が16ページ組まれています。

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当会の祖・草野心平が大きく取り上げられています。光太郎に関する記述もあるのでは、と思って入手しましたが(例によってネットオークションです)、残念ながら光太郎の名は出てきませんでした。

その代わり、詩人の和合亮一さん、いわき市立草野心平記念文学館さんの学芸員・渡邊芳一氏、川内村商工会長であらせられる井出茂氏など、旧知の方々のお名前が。

心平に関しては、記念文学館さん、心平生家、菩提寺の常慶寺さん、そして心平を名誉村民に選定して下さった川内村などが取り上げられています。

「詩と歩くふくしま」という題名でしたら、「智恵子抄」がらみで「ほんとの空」のある安達太良山、阿武隈川、磐梯山なども取り上げていただきたいところですが……。今後に期待します。

ちなみに『大人の休日倶楽部』さんでは、平成25年(2013)、当時為されていた「一枚の手紙から」という連載で、光太郎から津田青楓に送られた明治44年(1911)の葉書を取り上げてくださり、その際には当方もライターの方に協力させていただいております。こちら、ご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

東京は今、日の色の大変いい時です。樹の幹のかがやく時です。枝がみんな脈をうつて来てゐます。それが空の中で動いて空が網の目のやうに輝やいて居ます。
散文「千駄木より」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

今日から2月ですが、この文章での「今」というのは3月、上記「平和時代」同様、住居兼アトリエのあった本郷区駒込林町が舞台です。したがって、若干早いのですが、しかし温暖な千葉県では「枝がみんな脈をうつて来てゐる」という感覚はありますね。

自宅兼事務所の裏山では梅が咲き始めました。

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空も、「光の春」と称される2月らしく、清澄な中にも暖かさがほの見えます。本格的な春の到来が待ち遠しいところです。

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