2019年09月

当会で会報的に発行している冊子です。元々009は当会顧問・北川太一先生が昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、筑摩書房『高村光太郎全集』等の補遺を旨として第36集まで不定期に発行されていたもので、第37集からその名跡を譲り受けました。題字は北川先生作の木版から採っています。4月の連翹忌、10月の智恵子忌日・レモンの日に合わせて年2回発行しております。ただ、今号は明日からの消費増税の関係で、既に発送済みです。

B5判ホチキス留め、49ページ。今号の内容は以下の通りです。

・ 「光太郎遺珠」から 第十六回 智恵子(三)
筑摩書房の『高村光太郎全集』完結(平成11年=1999)後、新たに見つかり続けている光太郎文筆作品類を、テーマ、時期別にまとめています。今回は戦後の『智恵子抄』、『智恵子抄その後』に関する光太郎書簡をまとめました。

・ 光太郎回想・訪問記  「夕闇の中の光太郎」  澁川驍
これまであまり知られていない(と思われる)光太郎回想文。作家・評論家の澁川驍によるもので、昭和16年(1941)に聞いた光太郎明治末の留学時代の様子を、光太郎没後の昭和32年(1957)になって書いた特異な回想文です。ニューヨーク留学時代に助手として雇ってくれた彫刻家ガットソン・ボーグラムの妹のボディーガードを務めた話、イプセンの「人形の家」で主演した女優アラ・ナジモヴァに送った手紙とその返事の内容など、光太郎自身の回想等にも記述が無く、興味深いものです。

・ 光雲談話筆記集成  『大江戸座談会』より 江戸の見世物(その三)
原本は江戸時代文化研究会発行の雑誌『江戸文化』第二巻第十号(昭和3年=1928)。光太郎の父・光雲を含む各界著名人による座談会の筆録から。

・ 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  第十六回  湯檜曾温泉
見つけるとついつい購入してしまう(最近はこの項を書くため積極的に探していますが)、光太郎智恵子ゆかりの地の古絵葉書を用い、それぞれの地と光太郎智恵子との関わりを追っています。今回は、詩「上州湯檜曾温泉」(昭和4年=1929)の舞台となった、群馬県湯檜曾温泉。

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・ 音楽・レコードに見る光太郎 「真珠港特別攻撃隊」(その二)
昭和17年(1942)、箏曲家の今井慶松の依頼で書かれ、翌年、今井の作曲で演奏された「真珠港特別攻撃隊」についてです。

・ 高村智恵子初出索引 
智恵子が生前に雑誌等に発表した文筆作品、表紙絵、カットなどを一覧表にしました。

・ 第63回連翹忌報告
4月2日(火)、日比谷松本楼様で執り行いました第63回連翹忌のレポートです。


ご入用の方にはお頒けいたします(37集以降のバッ002クナンバーも)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願いいたします。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい。

ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明

今号のみ欲しい、などという方は、このブログのコメント欄等でご連絡いただければと存じます。


【折々のことば・光太郎】

芸術には生命がなければならない。然らば自己内部の心核に深く深く突き入つたものでなければならない。換言すれば自己内部の生活から生れたものでなければならない。
談話筆記「気分本意の作家を排す」より
 大正3年(1914) 光太郎32歳


詩の代表作「道程」を執筆した同じ年の談話筆記。芸術観の部分でやはり相通ずるものがありますね。

光太郎がらみの雑誌系、3件ご紹介します。

美術の窓 2019年10月号

2019年10月20日 生活の友社 定価1,500円+税

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「平櫛田中、荻原守衛から現代まで 凄いぞ!にっぽんの彫刻」という特集が70ページほどで組まれています。サブタイトル通り、光太郎の父・光雲の高弟の一人である平櫛田中、光太郎の親友だった碌山荻原守衛がメインです。

田中の方は、小平市平櫛田中彫刻美術館長・平櫛弘子氏、同館学芸員で当方もお世話になっている藤井明氏、田中の弟子の彫刻家・橋本堅太郎氏による鼎談「ここが凄い‼ 平櫛田中」、守衛に関しては、中村屋サロン美術館さんで開催中の「生誕140年・中村屋サロン美術館開館5周年記念 荻原守衛展 彫刻家への道」展ににからめ、学芸員の太田美喜子氏へのインタビュー「内なる生命を表現する 日本近代彫刻の父、荻原守衛」。

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また、「全国おすすめ彫刻美術館」という項では、花巻市の高村光太郎記念館さんを取り上げて下さっています。

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上記で奥付に従って発行日が10月20日としましたが、実際には9月19日発売で、既に店頭に並んでいます。ぜひお買い求めを。


2件め、毎月ご紹介していますが。

月刊絵手紙 2019年10月号

2019年10月1日 日本絵手紙協会 定価773円+税
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2017年6月号から、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載をなさっていて、今号は詩「美しき落葉」(昭和19年=1944)から。太平洋戦争中で、「鬼畜米英殲滅すべし」的な詩ばかり書いていた時期に、ふとエアポケットのようにそうした内容でなく書かれた詩です。もっとも、落葉を燃やして家庭菜園の肥料に的な記述もあって、まったく戦争と無関係ではありませんが。

絵手紙協会さんのサイトから注文可能です。


最後に、雑誌というわけではないのですが、光太郎第二の故郷ともいうべき・岩手花巻市さんの広報誌『広報はなまき』9月15日号。

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「花巻歴史探訪 郷土ゆかりの文化財編」という記事で、花巻高村光太郎記念館さんが所蔵する光太郎の硯と筆が紹介されています。

この項、以前にも光太郎のブロンズ彫刻「大倉喜八郎の首」(大正15年=1926)や、遺品の鉄兜と鳶口などを紹介して下さっています。

来週には花巻に参りますので、ゲットしてこようと思っております。


【折々のことば・光太郎】

芸術の目から見れば、日本婦人の足の短いのも、仏蘭西人の腕が細くつても、それでいゝのです。自然の形には、それぞれに無量の面白さがある。完全なものばかりが美しいのではないと思ひます。

談話筆記「彫刻家のみた女の姿」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

留学からの帰国(明治42年=1909)には、日本女性の貧弱な体格を嘆く発言が多かったのですが、この頃になると少し考えを改めたとのこと。

長野県から演劇公演の情報です。

thee第13回公演『売り言葉』

期  日 : 2019年10月5日(土)・6日(日)・12日(土)・13日(日)
会  場 : ギャラリー花蔵 長野市東町147
時  間 : 10/5 19:00~ 10/6 14:00~ 19:00~ 10/12 14:00~ 19:00~ 10/13 14:00~
料  金 : 前売2,000円/当日2,300円
出  演 : 島崎美樹/ミズタマリ
演  出 : 長峯亘

thee13回目の、2019年最初で最後の公演は、初めて非オリジナル作品に挑戦します。野田秀樹の戯曲『売り言葉』を、ふたり芝居で。

〈あらすじ〉
彫刻家・高村光太郎と妻・智恵子との純愛を綴った詩集『智恵子抄』。穢れなき澄み切った愛の言葉で溢れ返る詩の数々は、光太郎と智恵子の愛慕の念を、忠実に映し出して………いるのだろうか?智恵子と女中が表裏一体の存在となり、光太郎の出会いから自身の死までを物語る。智恵子が『智恵子抄』へ突きつけた“売り言葉”とは、果たして。

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平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、主演・大竹しのぶさんで初演さた、登場人物は智恵子のみの一人芝居「売り言葉」。今年はその当たり年のようで、先月には池袋で劇団evkk(エレベーター企画)さんによる公演、今月は新宿でサキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』として、それぞれ上演されましたし、また近くなりましたらご紹介しますが、12月には岡山で公演があります。

「モラハラ」という言葉がまだ無かった(有ったかも知れませんが一般的ではなかったでしょう)平成14年(2002)に、光太郎からのモラハラが主因で壊れていく智恵子を描いた野田氏の脚本・演出は、なかなか秀逸でしたし、当方、テレビ放映で見たのですが、大竹さんしのぶさんの鬼気迫る演技も忘れられません。ただ、実際にどの程度光太郎からのモラハラがあったかは闇の中ですが。

その「大御所」二人がやったそのままを再現するのではなく、今回のtheeさんもそうですが、本来一人芝居であるものを二人芝居にしてみたり、近代的で大きな会場ではなく古民家的な場所を使ったりするなど、最近、この作品を取り上げられる皆さんは、それぞれに工夫をなさっているようです。

御都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

無識(イグノランス)は一種の罪悪である。無識に甘んずる心は一種の破廉恥である。識らずして無識に安住する者は世に最も醜悪なものである。識らうとする心の無くなつた時、人は死に一歩を踏み入れたのである。

散文「真に鑑賞する心」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

「無識」は「探求心・知的好奇心を持たない状態」といったところでしょう。ある意味正論です。

ただ「正論」も時と場合によりけりで、智恵子にこうした考えを押しつけていたとすれば、そうした行為は「ロジカルハラスメント」(略して「ロジハラ」)または「正論ハラスメント」と言うそうです。

また、「正論」も、当人が「正論」と思っているだけで、はたから見ればへそで茶を沸かすような内容だったりすることもあります。光太郎に限ってはそういうことはなかったように思われますが。

智恵子を偲ぶ「レモン忌」。第25回となり、今年も智恵子の故郷・二本松市(旧安達町)で開催されます。智恵子命日「レモンの日」は前日の5日ですが、そこに最も近い日曜日、という設定で開催されています。

第25回レモン忌

期   日 : 2019年10月6日(日)
会   場 : ラポートあだち 福島県二本松市油井字濡石16
時   間 : 10:00~14:00
料   金 : 3,000円
問い合わせ : 戸田屋商店 0243-23-4858


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過去の様子はこちら。

第24回(2018年)

例年通りですと、午前中に献花、献果(レモン)、参会者全員での詩の朗読などの式典、記念講演、正午頃から昼食を兼ねての懇親会というパターンです。

今年の記念講演は、テルミン奏者の大西ようこさん。

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筋金入りの智恵子ファンで、これまでに連翹忌レモン忌で演奏を披露して下さったり、各地で光太郎智恵子をモチーフとしたコンサート等を開催なさったりしています。

「朗読とテルミンで綴る 智恵子抄」。
「テルミンと語りで紡ぐ愛の物語り智恵子抄」。


ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

また、会場から徒歩10分ほどの智恵子生家では、普段非公開の2階部分の特別公開、隣接する智恵子記念館では智恵子紙絵の実物展示(通常時は複製)が行われています。レモン忌参加者は入場無料です。併せてどうぞ。

ちなみに当方、昨年に引き続き、パワーポイント担当です(笑)。

ついでにご紹介しますが、翌日、10月7日(月)は、光太郎第二の故郷・花巻と、隣接する北上市を巡る市民講座の講師です。タイトルが「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」(笑)。

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花巻・北上の光太郎がらみの石碑廻りのバスツアーです。対象が花巻市内ご在住かご勤務の方ということで、特にこのブログではご紹介しませんでした。

詳しくは終了後にレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

紐育で厭な感じを受け、倫敦で余りに呆気なき広告を見た目で巴里の市街を見ると、恰も眠より醒めた様な感がある。広告の総て面白く綺麗に出来て居るので、広告を見て歩いても面白い。

談話筆記「巴里式屋外広告」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

『読売新聞』に載った、3年半にわたる留学から帰国した翌年の、屋外広告に関するインタビュー記事です。ニューヨークは「コテコテ広告がしてあ」って、「滅茶苦茶で、恰も日本と同様」、「配合(とりあはせ)が俗悪な為に悪い感じを与へる」。ロンドンは「驚く可(べき)地味」、「余りにヂミな為に是で広告の効力があるかと疑はれる位」。そして上記のパリへとつながります。なるほど、パリではロートレックやミュシャの手になる美しいポスターが街を飾っていました。

日本を含め、100年経ってもそれぞれの国の様子はあまり変わっていないような気がします。

3件ほど。

まず、東京ステーションギャラリーさんで開催中の「没後90年記念 岸田劉生展」関連です。

日曜美術館「異端児、駆け抜ける!岸田劉生」

NHK Eテレ 2019年9月29日(日)  9時00分~9時45分
再放送 10月6日(日) 20時00分~20時45分

フランスの印象派に憧れた大正時代の画壇で、ひとりデューラー風の肖像画を描き続けた異端児がいた。岸田劉生。現代画家の会田誠さんが<意識高い系>画家・劉生を語る。

日本美術史上、最も有名な少女・麗子。岸田劉生が何度も描いた愛娘7歳の肖像「麗子微笑」は、謎のほほえみを浮かべている。また静物画では、果物の配置や色つやに、ただならぬ気配が漂う。そして何の変哲もない“坂道”は、今にもこちらに迫ってきそうな迫力。岸田劉生が描くと、いつも何かがヘン。劉生は日本の洋画家の中で飛びぬけて<意識が高い><理想が高い>と語る現代画家の会田誠さんとともに、劉生の真の姿に迫る。

【司 会】小野正嗣 柴田祐規子
【ゲスト】会田誠(現代美術家)  田中晴子(東京ステーションギャラリー 学芸室長)
【出 演】山内崇嗣(アーティスト)土師広(修復家)都築千重子(東京国立近代美術館 主任研究員)
     塩谷亮(画家)

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ちなみに「没後90年記念 岸田劉生展」に関しては、先週の『日本経済新聞』さんで大きく取り上げられています。

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長いので全文の引用はしませんが、光太郎に触れた箇所を。

38歳で急逝した劉生を厳しい批評家でもあった髙村光太郎は「時代を乗り越えた純美の深い探求者であつた」と偲(しの)び、「神秘の扉はしまつてしまつた。彼にかはる者は無い」と言い切っている(「岸田兄の死を悼む」)。


続いて、智恵子関連で。

昼の特選ドラマ劇場 おかしな刑事~居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査

BS朝日 2019年9月30日(月) 12時00分~13時55分

「東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」▽テレビ朝日系列で2011年に放送された第8シリーズ。篤志家の社長が刺された!その背後には、30年前、東京タワーの下で起きた誘拐事件の影が…!?

出演者  伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 (他)

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年に数回、再放送が繰り返されています。今年6月にも再放送がありました。二本松の智恵子の生家、その裏山の光太郎詩碑、安達太良山の光太郎詩碑などが舞台となっています。


もう1件。

朝の!さんぽ道 【長野市編】旅人:渡辺正行

テレビ東京 2019年10月3日(木) 7時35分~8時00分

今話題になっている街を訪ね、様々な人にふれあいながらブラブラ街を散歩します。「あっ!」と驚いたり、「へ~!」と感心したり、思わず声に出したくなるような不思議なモノや人を探していきます。さらに、途中で出会った人に「あ~よかったな!」と思った“幸せエピソード”も聞いていきます。もちろんご当地ならではのグルメ情報も満載!騒がしい朝に飽きた人に、1日の始まりを楽しくする!ほんわか散歩番組です。

今週は、芸術の秋に食欲の秋…秋に行きたい街をテーマに、一足先に様々な秋の風景を探して歩きます。ご当地グルメや温泉が登場!

今回は、江戸時代に「一生に一度は善光寺詣り」と謳われた観光名所、善光寺からスタート◆参道で発見!おやきに次ぐ新名物「じゃがバタまん」とは?&200年続く老舗和菓子店がプロデュース!信州産リンゴをたっぷり使ったアップルパイに舌鼓◆8代続く!門前蕎麦の老舗で信州名物のクルミ蕎麦に大満足◆信州のリンゴがぷかぷか浮くリンゴ温泉でほっこり


今年、開眼百周年を迎える、光太郎の父・高村光雲と、その高弟・米原雲海による仁王像などが納められている信州善光寺さんからスタートするそうです。仁王門も取り上げていただきたいところです。


それぞれ、ぜひ御覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

五月の空は水を含んで晴れ、 五月の空はブランダルジヤン。 光り満ちて若く、 木々の新緑大気をよろこぶ。

詩「風かをる」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

いったん作られた後、「四月の馬場」と改題、内容も大幅に変えられて発表された詩の原型から。

ブランダルジャンは「blanc d'argent」。仏語で「銀白色」の意です。

光太郎を敬愛し、光太郎もその才を高く評価した彫刻家・高田博厚の企画展示です。

高田博厚展2019

期 日 : 2019年10月5日(土)~11月4日(月)
会 場 : 東松山市総合会館1階多目的室 東松山市松葉町1-2-3
時 間 : 9:00~17:00
料 金 : 無料

高坂駅西口の「高坂彫刻プロムナード」を彩る彫刻の作者・高田博厚の企画展を開催します。高田博厚のご遺族から寄贈していただいた貴重な彫刻作品やデッサン、書簡等を展示し、彼の功績を紹介します。また、10月20日には高田博厚と親交があった元NHKアナウンサー室町澄子氏をお招きし、特別講演会を開催します。

高田博厚のご遺族より寄贈いただいた彫刻作品のほか、デッサンや絵画、フランスから持ち帰った書簡等を展示します。また、高田のアトリエ再現コーナーや視聴覚コーナーなどを設け、高田と高坂彫刻プロムナードについて紹介します。
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関連行事

特別講演会「一人のアナウンサーと彫刻家高田博厚」

高田博厚と親交があり、彫刻作品のモデルになった元NHKアナウンサーの室町澄子氏に、高田が室町氏の彫刻に込めた思いなどを語っていただきます。

日時  10月20日(日曜日)午後1時開場、午後1時30分開演
会場  東松山市総合会館4階  多目的ホール
定員  180人(申込順)
申込  電話で社会教育課へお申し込みください。0493-21-1431


昨年のこの時期に「高田博厚展2018」が開催された、同じ埼玉県東松山市でのイベントです。

同市の教育長であらせられた、故・田口弘氏は戦時中から光太郎との交流があり、大正期に光太郎を知り、その援助で渡仏、光太郎歿後の昭和32年(1957)に帰国した高田と、おそらく連翹忌の席上で知り合いました。高田の芸術に魅せられた田口氏、同市で高田の展覧会を開いたり、高田の彫刻を並べた彫刻プロムナードの整備に腐心したりなさいました。

そうした縁で、鎌倉のアトリエにあった高田の遺品類などが同市に寄贈され、そのコレクションを根幹とした企画展示というわけです。

ちなみに光太郎、高田、田口氏の関わりについては、当方、同市での講演市民講座で紹介させていただいております。

市立図書館さんには、田口氏が同市に寄贈された、光太郎からの書簡や贈られた書などの関連資料を展示する「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」が設けられています。そちらも併せて御覧頂ければと存じます。


【折々のことば・光太郎】

子供は無いし、妻は病院、 けつく自分一人の穴ずまひだが 第一等と最下等と、此の二つが おれの生活にはちやんぽんに来る。

詩「穴ずまひ」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

前年に歿した智恵子存命中のことを謳っています。

翌年、「へんな貧」と改題され、内容も改訂されて雑誌『文芸』に発表されました。

今年、開眼百周年を迎える信州善光寺さんの仁王像。光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海の手になるものです。百周年を記念し、昨年からいろいろとイベント等が組まれていました。

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 新聞各紙から。
  

の集大成的なイベントが近々行われます。

状況をわかりやすくするために、『信濃毎日新聞』さんの記事から。

ゆかりの寺社集い「善光寺サミット」 10月3・4日

 全国各地の善光寺ゆかりの寺社が集まる「第14回善光寺サミット」が10月3、4日、長野市内で開かれる。同市の善光寺とゆかりの231寺社でつくる「全国善光寺会」が主催。3日にホテルメトロポリタン長野で開く記念講演会(午後1時〜3時半)には、イラストレーターのみうらじゅんさんが登壇。1919(大正8)年の仁王像開眼から100年の節目を迎え、像を調査した研究者が結果を報告する。
 講演会は2部構成。第1部は「善光寺仁王門諸像の魅力について」と題し、大分大教育学部教授の田中修二さん、東京芸大大学院非常勤講師の藤曲隆哉さんが話す。これまでの調査で、仁王像の足が台座に固定されず、ほぼ像の重さだけで自立する珍しい構造であることなどが分かっている。第2部はみうらさんが「マイ仏教」をテーマに語る。
 4日は、全国29カ寺の住職らによる善光寺本堂での記念法要(午前9時半)の後、住職らが参拝者に御朱印を授け、交流する「全国善光寺朱印めぐり」(午前10時半〜午後3時半)がある。甲府市の甲斐善光寺、岐阜県の昼飯(ひるい)善光寺(如来寺)、兵庫県の相生善光寺など、宗派を超えた18寺院(現時点)の住職らが参加する。
 サミットは善光寺ゆかりの寺社の親睦を目的に、1993年から隔年で開いている。講演会は聴講無料で、申し込みは9月25日までに善光寺事務局(電話026・234・3591)へ。


というわけで、要項的には以下の通りとなります。

第14回善光寺サミット

期 日 : 2019年10月3日(木)・4日(金)
会 場 : 10/3 ホテルメトロポリタン長野  長野県長野市南石堂町1346
      10/4 信州善光寺  長野県長野市大字長野元善町491
料 金 : 無料
日 程 : 
 10月3日(木) 
  13:15~  記念講演 『善光寺仁王諸像の魅力について』
         講師 田中修二氏(大分大学教授)
            藤曲隆哉氏(東京藝術大学大学院非常勤講師)
  14:30~  記念講演 『マイ仏教』
         講師 みうらじゅん氏(漫画家、イラストレーター)
 10月4日(金)
  9:30~   記念法要 善光寺本堂内
  10:30~15:30 全国善光寺朱印巡り


講演の講師を務められるお三方のうち、田中氏と藤曲氏は、昨年から行われていた仁王像の本格調査に加わられていました。田中氏は光雲や光太郎に触れた『近代日本最初の彫刻家』(平成6年=1994、吉川弘文館)、『近代日本彫刻史』(平成30年=2018、国書刊行会)、『彫刻 SCULPTURE 1 ――空白の時代、戦時の彫刻/この国の彫刻のはじまりへ』(平成30年=2018、トポフィル、共著)などのご著書があり、藤曲氏は平成27年(2015)に行われた仁王門北側の二像(三面大黒天・三宝荒神)の補修にも関わられています。みうら氏は、互いを仏友(ぶつゆう)と認め合ういとうせいこう氏との共著で『見仏記』シリーズ(平成5年=1993~、中央公論社他)を著され、平成13年(2001)にはテレビ番組にもなりました。このシリーズは碧海(おうみ)寿広氏著『仏像と日本人 宗教と美の近現代』(平成30年=2018)でも取り上げられています。

こうしたディープな講師陣による講演が為されるので、ぜひ参加しようと思っていたのですが、この前後に別件での遠出が重なっており、非常に残念ながら断念いたしました。そうなると、今年4月に善光寺さんに参拝しておいて正解だったな、という感じです。

皆様、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

比重の低いほど感情は清潔だ 0度に「至ればたとへば神だ

詩「提要」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

翌年の雑誌『スバル』に「冷熱」と改題、内容も改訂されて発表された詩の初稿から。

光太郎詩には珍しく、難解で象徴的な詩句ですが、それだけに色々な読み取り方ができそうです。

このブログでたびたびご紹介してきた、東日本大震災の津波に呑まれて亡くなった故・貝(佐々木)廣氏が中心となって、昭和6年(1931)に光太郎が訪れたことを記念して建てられた高村光太郎文学碑(平成3年=1991建立)の魂を受け継ぎ、宮城県女川町内に「千年後のいのちを守るために」と建てられ続けている「いのちの石碑」関連です。

秋の女川を楽しむモニターツアー! 「女川の魅力発見ツアー」

期 日 : 2019年10月1日(火)/10月6日(日)
行 程 : 仙台駅東口(8:30)→東北電力女川原子力PRセンター(見学)→
      ステイイン鈴家(海鮮膳の昼食)→大六天駐車場(見学)→
      女川まち巡り(鷲神浜いのちの石碑、駅前付近ほかを
       バスと徒歩で見学。シー
パルピア女川等で買物)→
      女川町まちなか交流館(「OCHACCO」オーナーによるお茶ワークショップ。
       お土産付き)→仙台駅東口(18:00頃)
料 金 : 4,500円
定 員 : 40人(最少催行人員 30人)

東日本大震災から約8年半。復興に向けて歩む女川町の魅力を実感しませんか。

震災遺構や、いのちの石碑、女川駅前など、震災と復興を知るまち巡りを行います。そして震災時に地域の方々が避難した、東北電力女川原子力発電所のPRセンターにも訪れ、模型や映像を通して原子力発電のしくみや、取り組みについて理解を深めます。

海の恵みを実感できる昼食を、女川湾が見渡せる「ステイイン鈴家」で。

また、今回はティータイムを豊かにするお茶のワークショップにも参加します。三陸発日本茶フレーバーティーを発信する「OCHACCO(おちゃっこ)」のオーナーによる、お茶のブレンドワークショップでは、自分で作ったお茶を持ち帰りOK!こちらもお楽しみに。

添乗員は同行しません。仙台リビング新聞社スタッフが同行します。

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この手の「いのちの石碑」見学を含むツアー、結構ありまして、しかし、近くなってからこのブログで紹介しようとすると、既に定員一杯になったようで、ネット上から情報が削除されているということが何度か有りました。

今回も10月6日(日)は既に埋まっているとのことですが、キャンセル等が有るかも知れません。

原発の問題が絡み、ちょっと複雑なのですが、とりあえずご紹介しておきます。女川光太郎祭を毎年開催してくださっている、光太郎ゆかりの地・女川。こうした機会以外でも、ぜひ足を運んでいただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

翼のある人がある。 眼に見えない翼をひるがへすと、 何処か遠くへ行つてしまふ人がある。
詩「(翼のある人がある)」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

のち、『現代詩人全集第九巻』(昭和4年=1929)に収められた際、削除された部分です。

光太郎、そういう意味で書いたのではないのかもしれませんが、「翼をひるがへ」して、「遠くへ行つてしま」った故・貝(佐々木)廣氏を思い出しました。

先週始まった企画展です。

時代の転換と美術「大正」とその前後

期 日 : 2019年9月18日(水)~10月20日(日)
会 場 : 和歌山県立近代美術館 和歌山市吹上1-4-14
時 間 : 9:30~17:00
料 金 : 一般510(410)円、大学生300(250)円
       消費税率変更に伴い10月1日より:一般520(410)円、大学生300(260)円
       ( )内は20名以上の団体料金
休館日 : 月曜日(ただし9月23日、10月14日は開館)、9月24日(火)、10月15日(火)

当館では和歌山県ゆかりの人物を軸に、大正時代に活躍した作家やグループに関わる展覧会を継続して開催してきました。それらの展覧会を通して作品や資料の収集が進んだことにより、大正時代とその前後にわたる時期の充実したコレクションが形成されつつあります。この展覧会では、そのコレクションの中から洋画と版画を中心とした作品を、同時期の社会と人に関わるテーマを通して紹介いたします。

大正は、1912年7月から1926年12月までの14年あまり、大正天皇が在位していた期間の元号です。過去のある連続した時間のまとまりを、文明や社会、政治体制など、特定の観点によって区切ったものが時代ですが、一世一元の制が定着した近代以降の日本においては、元号がそのまま時代区分として機能してきました。

元号が改まったからといって、ある日を境に人や社会が激変する訳でないことは、私たちが身をもって体験したばかりです。しかし、大正時代を中心にその前後を見渡してみれば、大逆事件、第一次世界大戦、本格的な政党内閣の成立、関東大震災、普通選挙法と治安維持法の公布、満州事変など、国際的にも国内的にも、見方によっては時代の転換点と言えるような出来事が続きました。

美術作品が人間の作り出すものである以上、ある時に起こった大きな出来事や、社会的、文化的な流行などが、その表現やテーマに影響を与えることはしばしばあります。もちろん作品の特徴を時代と結びつけるのは一面的な見方ではありますが、作り手の意図する/しないに関わらず、作品からは当時の人や社会のあり方、またそれらが変化する様子を読み取ることもできるでしょう。

元号が改められた本年、美術作品を通しておよそ100年前を振り返ることで、近代から現代に至る時代のつながりと変化を、改めて見つめ直したいと思います。

展示構成

1 自己意識の高まり –自己主張する若者たち–
 この時代の美術作品からは、自己意識を高めた若者たちの姿がうかがえます。自分とは何か、
 自分はどう生きるのか、その答えを探すかのように生まれた表現をご覧いただきます。
2 うつりかわる都市 –たち上がる帝都東京–
 新たに現れた都市の風景は、さまざまな画題を提供しています。江戸から東京への移行、関
 東大震災による崩壊から再び帝都としてたち上がる東京の姿を中心にご紹介します。
3 欧米との距離 –モダニズムの成熟–
 1918年に第一次世界大戦が終結すると、多くの日本人がヨーロッパに向かいます。西欧で新
 しい表現に目覚めた画家たちと、日本で自己の表現を深めた画家たちの作品を紹介します。
4 風景の意味 –日本を見つめる、東アジアを描く–
 交通手段、そしてメディアの発達は、見たことのない、あるいは見てみたい場所に画家たち
 を誘います。日本、そして東アジアの風景から、風景が描かれた意味を探ります。

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関連行事

◇フロアレクチャー(学芸員による展示解説)
  9月22日(日)、10月6日(日) 14時から 展示室にて(要観覧券)
◇こども美術館部「かわるがわるかわるとわかる」(小学生対象の作品鑑賞会)
  10月5日(土) 11 時から12 時 展示室にて
  (小学生は無料、同伴される保護者は要観覧券)
  *2 日前までに電話(073-436-8690)かメール(bijutsukanbu@gmail.com)で。
◇だれでも美術館部(みんなでお話しをしながら作品を楽しむ鑑賞会)
  10月5日(土) 14時から 展示室にて(要観覧券)


光太郎の油絵「佐藤春夫像」(大正3年=1914)が出て000います。若き日の佐藤が光太郎に依頼し、描いてもらったもので、これを機に、佐藤は光太郎との交流を深めていきます。

描いてもらった経緯などは、佐藤の『小説髙村光太郎像』(昭和31年=1956)などに詳細が語られています。

この絵、平成28年(2016)に、東京ステーションギャラリーさんを皮切りに、今回と同じ和歌山県立近代美術館さん、下関市立美術館さんを巡回した「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」展にも出品されました。

というか、今回の展覧会、「動き出す!絵画……」と、コンセプト的にも共通するものがあり、ヒユウザン会(のちフユウザン会)関係など、出品作もけっこうかぶっているようです。

他に、光太郎と交流のあった作家たちの作もかなり出ています。梅原龍三郎、有島生馬、石井柏亭、岸田劉生、戸張孤雁、木村荘八、石井鶴三、藤島武二などなど。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

怒は人間を浄める。 怒は人類の向きをただす。 腹が立つのをおそれない。

詩「或日の日記より」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

のち、「怒」と改題され、内容も大幅に改訂されて詩集『道程改訂版』に収められました。

たしかに怒るべき時には怒るべきですね。

昨日は埼玉県和光市に行き、オペラ歌手・和田タカ子さん主催のトークイベント「オペラ勧進 歌と芸術よもやま話 「智恵子抄」を読み解いてみませんか」を拝聴して参りました。

会場は東武東上線和光市駅近くの音楽レストラン クロシェット ドゥ ボワさん。

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月に1回、オペラにまつわる様々なお話を和田さんがなさる催しで、今回が134回目だそうです。ギャラリーは20名ほど。当方以外は常連さんのようでした。

和田さん、仙道作三氏作曲、山本鉱太郎氏脚本、当会顧問・北川太一先生監修の「オペラ智恵子抄」に
4回出演されたそうで、その関連のお話もなされました。それに関連して、光太郎令甥の故・髙村規氏の思い出なども。

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本題は智恵子の人となり、芸術的足跡。一般の方にもわかりやすいよう、お手持ちの書籍の図版などを示されつつ、語られました。

和田さん、過日、NHKBSプレミアムさんで放映された「偉人たちの健康診断「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」」をご覧になって、いろいろ思うところがあり、今回、智恵子を取り上げられたとのこと。

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智恵子色覚異常説についても言及されました。当方にも振られたのでお話しさせていただきました。オンエア後のレポートにも書きましたが、番組内で「智恵子は色覚異常だった」とほぼ断定していたのは問題です。

智恵子色覚異常説の根拠は主に二点。一つは、智恵子が福島高等女学校時代の親友・上野ヤスに「自分は色覚異常だ」と語ったというエピソード。もう一つは、結局、油絵画家として大成できなかったという状況証拠です。その他、智恵子がエメラルドグリーンを好んで多用していたのを色覚異常に結びつけようとする向きもありますが、これは牽強付会と言わざるを得ないでしょう。

反証はいくらでも上げられます。まず、上野ヤス以外に智恵子から色覚の件を話されたという人物がいないこと。色覚に関し智恵子がきちんと医師の診断を受けた記録がないこと。智恵子の血縁に色覚異常者がいたという記録もないこと(100%遺伝ですので、特に血縁男性に同じ症状が出ていなければおかしいのです)。女性の場合は発症率が500人に1人と、非常に低いこと。そして何より、晩年の紙絵。あの色鮮やかな作品の数々には、異常性が感じられません。

この世界、結構そういう例があるのですが、誤った伝聞や判断、証拠不十分の仮説が「定説」となってしまうのが恐ろしいと感じています。

例えば……002

・智恵子が『青鞜』の表紙絵に描いたのはスズランである。
   ↓
 「アマドコロ」という全く別の植物です。

・智恵子は、故郷で医師との縁談が進んでいた。
   ↓
 相手とされる医師はその時点で既に結婚していました。

・智恵子の心の病は脳梅毒によるものである。
   ↓
 光太郎智恵子ともその検査を受け、陰性と診断されています。

・宮澤賢治の「雨ニモマケズ」中の「ヒドリノトキハ」を「ヒデリ
  ノトキハ」と改竄したのは光太郎で、そのために花巻の賢治 詩碑に「ヒデリ」と刻まれている。
   ↓
 光太郎が碑文を揮毫する以前から「ヒデリノトキハ」の形で流布していました。

・花巻郊外の料亭で光太郎が出刃包丁で座卓に大きく文字を刻みつけた。
   ↓
 店の主人が正体不明の老人を、あれはきっと高村光太郎だろう、と思ったに過ぎません。

・光太郎は「うつくしきもの三つ」という書を残している。「三つ」うちの一つは……。
   ↓
 「満つ」の「満」を変体仮名的にカタカナで「ミ」と書いたものです。

・靖国神社の狛犬は光太郎が原型を作成した。
   ↓
 全くの別人の作です。どこから光太郎の名が結びつけられたのかも不明です。


他にもありますが、きりがないので……。


閑話休題。和田さん、ご自身オペラ歌手ですが、最近はプロデュースの方面でご活躍なさっています。そうした中で、オペラの普及のためにということで、「オペラ勧進」。

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今後とも、ご活躍を祈念いたしております。

オペラの「智恵子抄」、仙道氏以外にも原嘉壽子さんという方も作曲なさり(台本・まえだ純氏)、昭和60年(1985)に初演がなされました。当方、NHKさんのFM放送で拝聴しました。

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なかなかオペラでの上演は難しいかもしれませんが、合唱曲、独唱歌曲などにもなっていますし、インストゥルメンタルでも「智恵子抄」へのオマージュ的な取り組みがなされています。

もっともっといろいろな方に、それぞれの味付けで取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

詩歌の城に詩は住まず、 そこに住むのは家老ばかり、 とうの昔に町へ出て 殿さま御帰還あそばさず。

詩断片「偶作(詩歌の城に)」異稿全文
 大正12年(1923) 光太郎41歳

他の詩を書いた原稿用紙の欄外に走り書きされ、赤鉛筆で抹消されています。のち、『現代詩人全集第九巻』(昭和4年=1929)に収められた際、後半2行が「威儀三千は家老に問へ 詩だけはただの親父にきかう」と改められました。

詩人としての魂を、浮世離れしたお城のようなところに閉じこめ、花鳥風月を愛でてばかりいるようではだめだ、もっと世の中を見ろ、ということでしょうか。この時期、プロレタリア詩の方向に傾きつつあった心境が垣間見えます。

埼玉から演奏会の公演情報です。

日本のうたカフェvol.5 ~日本のうたでほっこりしたひとときをご一緒に~

期 日 : 2019年9月29日(日)
会 場 : TOIcafe 埼玉県川口市芝新町8-13
時 間 : 14:30開場  15:00開演
料 金 : 2,000円+ワンオーダー

出 演 : 丹羽京子(Sop) 中島佳代子(Sop)  和泉聰子(Sop)  山﨑範子(pf)
曲 目 : さびしいカシの木 レモン哀歌 秋の子 他


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曲目に「レモン哀歌」とあり、どなたの作曲だろうと思って問い合わせたところ、鈴木憲夫氏の作品だそうでした。平成22年(2010)の作曲で、元々は女声三部合唱曲でしたが、独唱歌曲としてアレンジされ、さらに混声四部合唱バージョンも出ています。

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独唱版はあまり演奏会等で取り上げられることが無いようですが、昨年、大島久美子さんという方が、ご自身のリサイタルで演奏なさっています。合唱版は全国の合唱団さんで時折歌われており、youtubeにもアップされています。独唱版はメロディー的には合唱版と同一ですので、こういう感じかな、というのは想像できます。

ソプラノの方が歌われるには、音域的に低い箇所があったり、全体にゆったりしたテンポで長い曲だったりと、決して易しい曲ではなさそうです。しかし、美しく清澄なメロディーラインが印象的な歌で、もっともっと多くの演奏家の方に取り上げていただきたい作品ですね。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

誰でも心に感じてゐる事を、 己は唯一切を棄てて熱望するだけなんだ。 いつでも、子供が菓子を欲しがるやうに、 ただ良心を欲しがるだけだ。

詩「エブラハム リンコン」より 大正12年(1923) 光太郎41歳

初出は雑誌『RÔMAJI』で、ローマ字表記でしたが、光太郎の手元に漢字仮名交じりの異稿が残されており、そこから採りました。

「リンコン」は第16代米国大統領リンカーンです。

訃報、というか、近々執り行われる「お別れの会」二件の情報です。

お二人とも、今年6月と7月に亡くなられていましたが、当方、報道等見落としておりまして、自宅兼事務所に「お別れの会」の開催通知を頂いて初めて亡くなったことに気づきました。

お一人目、水野清氏。『明星』時代からの光太郎の親友・水野葉舟の子息にして、建設大臣や総務庁長官などを務められた元衆議院議員です。

先月初めに共同通信さん配信で訃報が出ていました。

水野清元総務庁長官が死去 行革推進、橋本首相を補佐

 橋本内閣で行政改革担当の首相補佐官として中央無題省庁再編の実現などに尽力し、建設相や総務庁長官も務めた水野清(みずの・きよし)氏が7月28日午後11時、老衰のため東京都内の老人ホームで死去した。94歳。千葉県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻陽子さん。

 1983年、中曽根内閣で建設相で初入閣。自民党総務会長などを経て、89年には総務庁長官に就任した。96年の衆院選に出馬せず、国会議員を引退後、橋本内閣で行政改革担当の首相補佐官になった。橋本龍太郎首相が会長を務める行政改革会議の事務局長として、中央省庁再編を柱とする最終報告のとりまとめに尽力した。


先週、「お別れの会」のご案内が届きました。


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ご自身、ご幼少のみぎりから光太郎をご存じで、筑摩書房さんの『高村光太郎全集』には、昭和8年(1933)、満7歳の水野氏に送った光太郎からの年賀状が掲載されています。

しんねんおめでたうごさいます おはがきありがと おばさんからもよろしく 高村光太郎 昭和八年一月三日

「おばさん」は存命だった智恵子ですね。

成人された水野氏、NHKさんに入社、昭和27年(1952)に、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、岩手花巻郊外旧太田村から再上京した光太郎の元に足繁く通われました。NHKさんの仕事として亀井勝一郎と光太郎の対談に関わったり、父君・水野葉舟の歌碑建立に光太郎の力を貸して貰ったりするためでした。

光太郎歿後は、父君の暮らされていた成田三里塚に建てられた光太郎「春駒」詩碑の建立(昭和52年=1977)に奔走されたり、政界入りされてご多忙だったにもかかわらず連翹忌にもかなりの回数ご参加下さったりしました。


もうお一方、出版社・二玄社さんの元会長の渡邊隆男氏。亡くなられたのは6月だそうですが、昨日、やはり「お別れの会」の通知を頂きました。

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調べてみましたところ『毎日新聞』さんには6月18日(火)に訃報が出ていました。

渡辺隆男さん 

渡辺隆男さん 90歳(わたなべ・たかお=出版社「二玄社」会長)16日、肺炎のため死去 。葬儀は近親者で営む。

二玄社さんからは、光太郎に関わる書籍がたくさん出版されています。書の作品集『高村光太郎書』(初版・昭和34年=1959、改訂新版・昭和41年=1966)、光太郎の手控え原稿をそのまま写真製版にした『高村光太郎全詩稿』上下二冊(昭和42年=1967)。

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さらに智恵子の紙絵作品集『智恵子その愛と美』(平成9年=1997)、光太郎の彫刻、絵画、書などの写真集的な『高村光太郎 美に生きる』(平成10年=1998)、光太郎の書や書論を紹介する『高村光太郎 書の深淵』(平成11年=1999)、光太郎がその生涯を振り返って書いた連作詩「暗愚小伝」にスポットを当てた『詩稿「暗愚小伝」高村光太郎』(平成18年=2006)、女川を含む三陸一帯を旅した光太郎の足跡を追う『光太郎 智恵子 うつくしきもの "三陸廻り"から"みちのく便り"まで』(平成24年=2012)などなど。すべて当会顧問・北川太一先生の編刊です。

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はっきり言うと、商業的にはあまりものにならない出版物ですが、いずれも光太郎智恵子を語るには必携の書。採算を度外視してこうした良書を世に送り続けた心意気に感服します。

そして渡邊氏、水野氏同様、お忙しい中、連翹忌にたくさんご参加下さっていました。ありがたいかぎりです。


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

Mite iruto hitorideni hohoemare, Yononaka ga  ôkiku nari, Shimai ni a-haha to waratte shimau. 

詩「Fuyu no Kodomo」より 大正11年(1922) 光太郎40歳

駒込林町の住居兼アトリエの前を通る千駄木小学校の児童をモチーフにした詩で、雑誌『RÔMAJI』に寄稿されたため、全文ローマ字表記です。漢字仮名交じりに書き下すと「見てゐるとひとりでにほほゑまれ、世の中が大きくなり、しまひにあははと笑つてしまふ。」となります。

昭和初め、水野清少年に会った際にもこのように感じたのでしょうか。

市民講座系の情報を2件。

まずはカルチャースクールでの講座。東京北千住での開催です。

大正モダンの詩を読む

期 日 : 事前体験 2019年9月21日(土)
      本講座 2019年10月5日 10月19日 11月2日 11月16日 12月7日 12月21日
      (第一・第三土曜)

会 場 : よみうりカルチャー北千住 東京都足立区千住旭町42-2北千住駅ビル ルミネ9F
時 間 : 
15:30~16:40
講 師 : 詩人 評論家 吉川 睦彦氏
料 金 : 3か月 6回 15,180円(うち消費税額1,380円)

 大正ロマン・大正モダニズムなど、大正期の文化が見直されています。萩原朔太郎・高村光太郎・山村暮鳥・中原中也など、大正から昭和初期にかけて活躍した詩人たちの名作を、初めて詩作品に接する人にも親しんでいただけるように、その面白味をわかりやすくていねいに解説しながら、皆さんとともに楽しく味わってゆく講座です。
 人生100年時代といわれて、今後は「生」の質を問われる時代になってゆくだろうと考えます。名作は時に生きる意味や不条理を問いかけ、ときに慰めや生きる勇気を与えてくれます。詩を通してより豊かな生活を送れるようなってくだされば、これに勝る喜びはありません。
  事前よみカル体験9/21(土)15:30~16:40受講料1080円

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続いて、立川市から単発の講座。

アイム市民企画活動事業「詩と歌詞で読む出会いと別れ 第2弾~作者の心・日本の四季~」

期 日 : 2019年9月26日(木)
会 場 : 立川市女性総合センター・アイム 東京都
立川市曙町2-36-2
時 間 : 13:30~15:00
講 師 : 伊藤眞理子氏(コミュニケーションスキルアップ講師)
料 金 : 無料

詩と歌詞の朗読力を学び、楽しく鑑賞しましょう!! 作品の背景・時代・作者の想いを学びます。
 詩「私が一番きれいだった時」 茨木のり子  「朝は来る」・「秘密」 柴田トヨ 
  「さよなら」 谷川俊太郎         「レモン哀歌」 高村光太郎
  「私と小鳥と鈴」 金子みすゞ       「悲しめる友よ」 永瀬清子 等


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それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

人の魂をそのままぶちまけ、 身を以てせまり砕けたベルリオ。 天然の筋骨をそのまま捉へた鉄腕のベルリオ。 天の火を下界にまきちらし、 ひくめられた人情の窖(あなぐら)をふみ破つて、 崇高の青空をあらゆる人に再び得させたベルリオ。

詩「ベルリオの一片」より 大正10年(1921) 光太郎39歳

「ベルリオ」はフランスの作曲家、ベルリオーズ(1803~1869)。この詩はのちに「ラコツチイ マアチ」と改題され、内容も大幅に改訂されました。「ラコツチイ マアチ」はハンガリーの民謡をモチーフにしたもので、歌劇「ファウストの劫罰」(1846初演)中の一片として作曲されています。

光太郎びいきの当方としては、上記引用部分の「ベルリオ」を「光太郎」と読み替えたいところです。

演劇公演の情報です。

サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』

期 日 : 2019年9月20日(金)~23日(月・祝)
会 場 : 古民家 ゆうど 東京都新宿区下落合3-20-21
時 間 : 20日(金) 16:00/19:30 21日(土) 11:00/14:30/18:00 22日(日) 11:00/14:30/18:00
       23日(月・祝) 13:00/16:00
料 金 : 前売3200円  当日3500円 
       ※10分前行動割 3000円 (開演10分前までに劇場到着で200円キャッシュバック!)

30歳の記念に、ひとり芝居をやろう!
そして今後も 40歳、50歳、60歳、70歳と、10年ごとの節目の年にひとり芝居をやっていこう!
つまり、一生ずっと演劇やろう!続けていこう!
 
そんな覚悟のもと、野田秀樹さんが大竹しのぶさんに書き下ろした作品に挑戦します。
三十路の大塚由祈子が持てる全てでぶつかります。当たって砕けます。
ぜひ目撃しに来てくださいませ。
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「売り言葉」は、平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、主役・大竹しのぶさんで初演されました。登場人物は智恵子のみの一人芝居です。翌年に新潮社から出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められた後、プロアマ問わず全国でぽつりぽつりと取り上げられています。

今年は「売り言葉」の当たり年のようで、つい今月初めにも劇団evkk(エレベーター企画)さんによる公演が池袋でありましたし、また近くなりましたらご紹介しますが、来月には長野市で公演があります。

この手の演劇の中では、光太郎ディスり度が格段に高く、特に男性としては身につまされるセリフが突き刺さってきます。ただ、智恵子に関しても、「お前がそうだからこうなるんだぞ」的な部分、「そこは違うだろ」的な突っ込みを入れたくなる部分も多々あり、そういった意味で、非常に考えさせられる芝居です。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

――彼の言葉はのつぴきならぬ内側から響いて来る 痛いところに皆触れる けれどやがて又やさしく
人を抱き上げる 人に寛闊な自由と天真とを得させる おのれの生来に任せきる度胸とつつましさとを得させる 俎の上に平気でねさせる 地面の中から万物と声を合せて宇宙の歌をうたはせる

詩「クリスマスの夜」初出形より 大正11年(1922) 光太郎40歳

「彼」はイエス・キリストです。光太郎、きちんと洗礼を受けたクリスチャンではありませんでしたが、『聖書』は身辺に置き、イエスの言葉などは自らの指針の一つとしていた節があります。

当方にとっては光太郎自身の言葉が上記のようなイメージですが、すぐそばにいて、常に光太郎の言葉を上記のように捉えなければいけない、と思ってしまうと、智恵子のような悲劇が起こるのかも知れません。

没後90年記念 岸田劉生展」会場の東京ステーションギャラリーさんをあとに、新宿へ向かいました。次なる目的地は中村屋サロン美術館さん。こちらでは伺った9月14日(土)から、開館5周年記念「荻原守衛展 彫刻家への道」が開催中です。

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同館、最近は現代アート系の企画展示が多く、当方、久しぶりにお邪魔しました。

光太郎の朋友・碌山荻原守衛の生涯をたどるというコンセプトで、現存が確認できている彫刻作品のほぼすべて、絵画やスケッチブック、書簡などが展示されていました。

守衛代表作にして絶作の「女」(明治43年=1910)は、中村屋さん所蔵のものでしたが、その他の彫刻のほとんどは安曇野市の碌山美術館さん所蔵のもの。同館では常設展示している現物以外に、新しく鋳造したものも持っており、それらを借り受けての展示でした。

パリ時代に光太郎が絶賛し、ぜひ石膏に取って持ち帰るようにと進言した「坑夫」(明治40年=1907)は、石膏原型とブロンズの両方が展示されていました。最近、こういう展示の仕方が流行です。

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光太郎作品が2点。

やはり中村屋さん所蔵の油絵で「自画像」(大正2年=1913)。

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こちらで、または過去の光太郎がらみの他館の企画展で何度も見ている作品ですが、何度見てもいいものです。

同様に、ブロンズ「腕」(大正7年=1918)。

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これほど力強い腕の彫刻を、当方、寡聞にして知りません。

図録を購入。コンパクトですがよくまとまっています。

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碌山美術館さんの武井敏学芸員ご執筆の「荻原守衛の生涯と芸術」など、最近発見された資料などに基づく新見も含まれ、興味深く拝読しました。

興味深く拝読、といえば、こんなものも。

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美術年鑑社さん発行の『新美術新聞』。旬刊のようで、最新号の9月11日号です。東京駅に着いたのが朝9時30分頃。まだ東京ステーションギャラリーさんが開館前でしたので、先に上野の東京都美術館さんに行き、ミュージアムショップで購入して参りました。

中村屋サロン美術館さんの太田美喜子学芸員(連翹忌にもご参加下さっています)による展示の紹介。残念ながら光太郎は柳敬助斎藤与里らとともに「留学中に知り合った仲間」と括られてしまっていますが(笑)。

斎藤与里と言えば、『新美術新聞』さんの9月1日号に、「斎藤与里とその時代⑤」という記事が載っており、守衛との交流の様子について触れられていまして、こちらも思わず購入してしまいました。

ネットでも購入可能ですし、都美さんなど、各地の美術館さんのミュージアムショップに置いてあるようです。ぜひお買い求め下さい。そして中村屋サロン美術館さんの展示にも足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

おやと思つてはね起きると 枕もとの窓かけに一ぱい日が当つてゐた。 お天気だ、 お天気だ、 とうとう雨がはれたのだ。

詩「かがやく朝」初出形より 大正10年(1921) 光太郎39歳

台風15号から3日目の午後、おやと思って天井を見ると、吊り下げたハロゲンランプに煌々と灯りがともっていました。電気だ、電気だ、とうとう停電が終わったのだ、と思いました。

千葉県内、未だに停電が続いている地域がありまして、或る意味、申し訳ない気も致しますが……。

昨日は都内に出、美術館を三館、ハシゴして参りました(うち一館はミュージアムショップだけでしたが)。2回に分けてレポートいたします。

まずは東京駅丸の内口の東京ステーションギャラリーさん。こちらでは、大正末のヒユウザン会(のちフユウザン会)などで光太郎と親しかった、岸田劉生の大規模な展覧会「没後90年記念 岸田劉生展」が開催中です。

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これまでにも、あちこちの美術館さんなどで劉生作品は一点、二点と拝見して参りましたが、劉生してまとめて観るのは実は初めてでした。

初期の頃の水彩画に始まり、光太郎が開いた日本初の画廊・琅玕洞での初の個展出品作、光太郎らと結成したヒユウザン会(のちフユウザン会)や生活社の展覧会に出品した絵などが続きます。

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その中には、光太郎・劉生共通の仲間であった斎藤与里木村荘八バーナード・リーチ、武者小路実篤、椿貞雄らの肖像も。何だかある種の同窓会みたいだと思いました(笑)。ちなみに劉生は光太郎の肖像画も描いたという記録があるのですが、当方、寡聞にして画像でも見たことがありません。現存が確認できていない作品なのでしょうか。ご存じの方はご教示いただけると幸いです。

その後、有名な「代々木附近」などを含む草土社時代等の作品などなど。

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さらにはあまりに有名な「麗子」の諸作など。

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それから、恥ずかしながら、当方、劉生が本格的に日本画にも取り組んでいたというのを存じませんでした。日本画でありながらいかにも劉生らしい作品群、興味深く拝見しました。

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展示の最後には、おそらく劉生旧蔵のアルバムや写真も。以前にもご紹介した、光太郎と共に写っている雑誌『白樺』十周年記念の会で撮影されたものもありました。

拝観後、ミュージアムショップで下記の図録を購入。

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300ページ超の厚冊です。それだけに2,500円也と高価ですが、充実の内容です。特に、京都市美術館さんの学芸員であらせられる山田諭氏による「岸田劉生活動記録」という項が、100ページ近くあり、舌を巻く詳細さでした。のちほど熟読させていただきます。

同展、東京ステーションギャラリーさんでは10月20日(日)まで。その後、11月2日(土)~12月22日(日)で山口県立美術館さん、来年1月8日(水)3月1日(日)に名古屋市美術館さんを巡回します。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

今の嵐と戦つた君達は 此から又恐ろしい颱風と戦はねばならない 君達は疲れてゐる 君達は力を出し切つた 此の暫くのまに眠りたまへ 心を落ちつけてやすやすと眠りたまへ

詩「無為の白日」初出形より 大正6年(1917) 光太郎35歳

「君達」は船員です。台風に遭遇し波に揉まれた船が台風の目に入り、ぱたりと風が止み、嘘のような晴天になったというシチュエーションです。

いつのことを謳ったのかよくわからない詩なのですが、ことによると、明治39年(1906)、留学のため横浜からカナダのバンクーバーまで太平洋を横断した時のことかもしれません。

このブログでも触れてきましたが、台風15号による千葉大停電、当方自宅兼事務所周辺は3日目に復旧しましたが、同じ市内でもまだの所があります。停電以外にも暴風による被害もそこそこありました。

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近くのアパート。ベランダ部分が落ちています。

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裏山の神社。桜の古木が根こそぎ倒れています。

これを書いている現在はまったく爽やかな秋晴れなのですが、何だか今夜も熱帯低気圧が直撃するそうで、弱り目にたたり目ですが、何とかなるでしょう。

光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった髙村豊周の作品が出ます。

没後70年 森村酉三とその時代

期 日 : 2019年9月21日(土)~11月10日(日)
会 場 : 群馬県立近代美術館 群馬県高崎市綿貫町992-1 群馬の森公園内
時 間 : 午前9:30~午後5:00
料 金 : 一般:820(650)円、大高生:410(320)円 
       (  )内は20名以上の団体割引料金
       中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方とその介護者1名は無料
       県民の日(10/28)に観覧される方は無料
休館日 : 月曜日(9月23日、10月14日、28日、11月4日は開館)、
      9月24日、10月15日、11月5日

 群馬県出身の鋳金工芸家、森村酉三(1897-1949)は、東京美術学校で学んだ技術を生かし、植物文や花で飾られた花瓶を制作、鳥や動物をモチーフとしたモダンな作品で帝展や文展に入選を重ねる傍ら、人物の胸像では、穏やかな写実表現により、モデルの在りし日の姿が偲ばれる作品を多く制作しました。また、高崎の白衣大観音像の原型を手がけたことでも知られています。戦時中の供出により失われた大型作品や、終戦後まもなく病に倒れて亡くなってから時が経過し、所在がわからなくなった作品も多くあります。本展では、森村の作品をできる限り集め、東京美術学校の師・津田信夫や先輩・高村豊周など同時代に工芸の革新を目指した鋳金家たちの活動とともに紹介することで、美術史の中にその足跡を位置付けることを試みます。

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関連事業

シンポジウム「高崎白衣大観音の謎に迫る」 開催日時:9月29日(日)  
 登壇者:手島仁(森村酉三、寿々研究者・前橋学センター長)
     塚越透(井上保三郎、房一郎研究者・元井上工業社員)
     田口正美(群馬歴史散歩の会編集委員・元小学校長)
     神尾玲子(当館学芸員)
 
講演会「鋳物師か?鋳金家か?-彫像作品制作をめぐって」 開催日時:10月6日(日)
 講師:本橋浩介(佐倉市立美術館副主幹・学芸員)
 
講演会「森村酉三の生きた時代-津田信夫と依嘱制作」 開催日時:10月14日(月・祝)
 講師:中松れい(千葉県立美術館学芸課長)  

※各日とも14:00~15:30 当館2階講堂 申込不要・聴講無料(先着200名)

学芸員による作品解説会 開催日時:10月23日(水)、11月2日(土)14:00~15:00 
 会 場:展示室1  申込不要、要観覧料


森村酉三は明治30年(1897)生まれ。東京美術学校鋳金科に学びました。鋳金だけでなく彫刻も手がけ、高崎白衣大観音像の原型制作者としても知られています。

豊周は森村の7歳年上。美校鋳金科の先輩にあたります。ただ、豊周は森村の作品をあまり高く買っていなかったようで、『髙村豊周文集』(文治堂書店)には、けっこう手厳しい評が載っています。

豊周の作品については、こちら

豊周以外に、豊周の師でもある津田信夫、豊周の助手を務めたこともある丸山不忘、豊周と共に光太郎の盟友・碌山荻原守衛の絶作「女」の鋳造に携わった山本安曇など、関連作家の作品も並びます。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

ああ此の我家 根の高い四角な重たい我家 小さい出窓のまつ赤にひかる我家 夏の朝の力にひそむ我家 貧しい我家のたまらなく貴い朝だ

詩「我家」初出形より 大正5年(1916) 光太郎34歳

初出は雑誌『感情』でしたが、昭和6年(1931)春陽堂刊行の『明治大正文学全集第三十六巻 詩篇』に収められた際、大幅に改訂され、上記部分を含む第二連がばっさりカットされました。

智恵子との結婚披露から約2年、貧しくも充実した日々を送っていた頃の「我家」。のち、『詩篇』が刊行された昭和6年(1931)には智恵子の心の病が顕在化し、上記部分などは自身で読むに堪えないという感覚だったのでしょうか。

光太郎がらみのコンサート情報を2件。

まずは仙台からで、もう今日になってしまいました。言い訳させていただけるなら、千葉大停電の影響もあったのか、情報を得るのが遅くなりました。

サロンコンサート《 いざなう月の琴 》vol.27 

期 日 : 2019年9月13日(金)
時 間 : 19:00~
会 場 : アクテデュース 宮城県仙台市青葉区大町1-1-15 大町川村ビル4F
料 金 : 3,000円
出 演 : 齋藤卓子(ピアノ演奏とお話)002

*プログラム*
 高村光太郎『智恵子抄』と共に
  ロベルト・シューマン(1810-1856)
  ・ダヴィッド同盟舞曲集 Op.6
  ・ピアノソナタ 第1番 Op.11 第1, 2楽章
  ・幻想小曲集 Op.12「夜に」
  ・交響的練習曲 Op.13
  ・子供の情景 Op.15「トロイメライ」
  ・幻想曲 ハ長調 Op.17 第3楽章         他
 クララ・シューマン(1819-1896)
  ・音楽の夜会 Op.6 第2曲 ノットゥルノ

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クララ・シューマン生誕200年の記念日にお送りするサロンコンサート《 いざなう月の琴 》はいわば『ひとり シューマンと智恵子抄』。『シューマンと智恵子抄』。この組合せを唐突に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、画業と音楽、ジャンルは違えど彼等は芸術家同士の夫婦であり、互いの才能を尊重しながらも、しかし半身は心を病み早逝するなど、その生き様には共通点が多く、また『智恵子抄』にシューマンのピアノ曲を重ねた時に私の中で面白いほどイメージが合致するところがあり、4人への敬愛の念も加わって、この思い付きにはかねてより深い愛着を持っていました。『シューマンと智恵子抄』は10年ほど前に友人の朗読家 荒井真澄さんとのコラボレーションとして数回上演していますが、久方振りに向き合う今回は改めて内容を組み直し、ピアノも朗読も!単独チャレンジで行います。


ピアニストの齋藤卓子(つなこ)さん。平成24年(2012)に、やはり仙台の古民家レストラン「びすた~り」さんで、朗読の荒井真澄さん、墨画の一関恵美さんとのコラボで「シューマンと智恵子抄」を公演なさっています(それ以前にもやられたそうです)。そこで、平成25年(2013)に第57回連翹忌では、齋藤さんのピアノに合わせ、一関さんがその場で墨画を描くアクションペインティングを披露していただきました(荒井さんはご都合が付かずお二人でした)。

お近くの方、ぜひどうぞ。


もう1件。都内から歌曲系です。

4人のバリトンコンサート ハンサムなメロディー

期 日 : 2019年9月22日(日)
時 間 : 15:00~
会 場 : めぐろパーシモンホール 大ホール 東京都目黒区八雲1-1-1
料 金 : 一般 3,500円 区民割引 3,000円 学生 1,000円
出 演 : 宮本益光、加耒徹、近藤圭、与那城敬

*プログラム*

第1部 私の好きな歌 
 ラフマニノフ  夜の静けさの中 Op.4-3 (加耒)  シューベルト ブルックにて (近藤)
 湯山昭 木犀のセレナーデ (宮本)  トスティ 理想の人 (与那城)
第2部 オペラアリア集
 レハール   『メリー・ウィドウ』より 祖国のためなら (宮本)
 ロッシーニ  『セヴィリアの理髪師』より 私は街の何でも屋 (加耒)
 モーツァルト 『魔笛』より オイラは鳥刺し (近藤)
 ビゼー    『カルメン』より 闘牛士の歌 (与那城)
第3部 加藤昌則歌曲集
 落葉 (与那城) 冬の木になる (宮本) レモン哀歌 (加耒) 旅のこころ (近藤)
第4部 あなたに・・・
 『ティファニーで朝食を』より ムーンリバー (加耒)
 『ガイズ&ドールズ』より 運命よ、今夜は女神らしく (近藤)
 『レ・ミゼラブル』より 星よ (与那城)
 『マイ・フェア・レディ』 より 君住む街角 (宮本)
 加藤昌則 もしも歌がなかったら (全員)

オペラアリア、ミュージカル音楽に日本歌曲まで今を輝くバリトン4人衆があなたに贈る華麗なひととき。その魅力あふれる声と華やかな佇まいで高い人気を誇る4人の歌い手、宮本益光、加耒徹、近藤圭、与那城敬が、バリトンの魅力を存分に味わえる多彩な4部構成プログラムをお贈りします。各テーマを通して4人それぞれの個性をたっぷりとご堪能ください。
バリトン4人に加え、ピアノには作曲など多岐に渡る活動をみせる加藤昌則が登場。
さらには“handsome弦楽四重奏”として神奈川フィルのコンマスを務める﨑谷直人らが豊かな彩りを添えます。
この凛々しくハンサムなメンバーが、煌びやかなオペラの名曲から加藤昌則作曲の心に染み入る歌曲まで、とっておきの時間をお届けします。

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加藤昌則氏という方、今回もピアノでご参加されるそうですが、この方が作曲された「レモン哀歌」がプログラムに入っています。平成20年(2008)の作品だとのことですが、寡聞にして存じませんでした。

光太郎詩、どうも一般にはそう思われていないようなのですが、意外と朗読向きですし、ということは歌曲の歌詞としても適しています(光太郎自身はあまり自作の詩に作曲されることを好まなかったのですが)。

光太郎の精神を重んじ、リスペクトの念を持ってきちんと作曲される分には大歓迎ですので、作曲されるみなさん、ぜひ取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

ああ 人類の道程は遠い そして其の大道はない 自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ 歩け、歩け どんなものが出て来ても乗り越して歩け この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ

詩「道程」初出形より 大正3年(1914) 光太郎32歳

光太郎詩の代表作にしてあまりにも有名な(こんな新聞記事を読むと最近はそうも言えなくなってきたかな、という感がありますが)「道程」。最初に雑誌『美の廃墟』に掲載された段階では、何と102行もある長大な詩でした(全文はこちら)。それが約7ヶ月後に詩集『道程』に収められる際に、ばっさり削られ、現在知られている僅か9行の形に圧縮されました。

上記の部分のあとに、「僕の前に道はない」という現在知られている形とほぼ同一の形が続きます。

ちなみに102行の原型、花巻髙村光太郎記念館さんの第一展示室に、映像と朗読で光太郎詩を紹介するブースがあり、そちらでベテラン声優の堀内賢雄さんによる朗読が聴けます。

光太郎が終生敬愛し続けた、オーギュスト・ロダンを取り上げるテレビ番組が2件、近々放映されますのでご紹介します。

フランス人がときめいた日本の美術館 #15「大原美術館(岡山・倉敷)」

BSイレブン 2019年9月15日(日)  21時00分~22時00分

《傑作選》日本で初めて西洋美術を紹介▼モネから直接買い付けた絵も収蔵されている、大原美術館。そこには、大原孫三郎と画家・児島虎次郎の知られざる物語があった。

1930年、当時日本で唯一の西洋美術を鑑賞できる美術館として開館した、大原美術館。本館はギリシャローマの神殿建築を模したファサードが印象的。モダンな建築様式の分館、古い蔵を再利用した工芸・東洋館の、三つの館に分かれている。本館入口では、ロダンの彫刻が迎えてくれる。ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、モネの傑作『睡蓮』…名だたる印象派巨匠たちの絵画が一堂に会し、これらのほとんどが常設展示というのも驚き。

いったい誰が、こんな素晴らしいコレクションを? モネからは絵画を直接買い付けたエピソードが?…そこには、実業家・大原孫三郎と、新進気鋭の画家・児島虎次郎との知られざる物語があった。 さらに、「美しく保存された蔵に民藝のコレクションが調和する」とソフィーさんが称した工芸・東洋館では、大原孫三郎の思いを受け継ぎ、生涯に渡って民藝運動を支援し続けた、その長男・總一郎の思いにも迫る。

紹介作品
◆クロード・モネ『睡蓮』 ◆エル・グレコ『受胎告知』 ◆マティス『マティス嬢の肖像』 ◆ジャクソン・ポロック『カットアウト』 ◆児島虎次郎『和服を着たベルギーの少女』◆棟方志功『二菩薩釈迦十大弟子板画柵』 ほか

出演者  旅人 松本愛(モデル・タレント)  語り 椎名桔平


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この番組、週に2回放映があり、金曜日の20時からが新作の放映、日曜日の21時からは過去の放映の再放送となっています。

で、こちらは再放送。初回放映は今年の1月でした。その際には気がつきませんでした。番組説明に「本館入口では、ロダンの彫刻が迎えてくれる。」とあるので、多少の説明はあるのでしょう。

ちなみに今月6日放映の「#45 東京国立博物館『黒田記念館&本館』」では、光太郎作のブロンズ「黒田清輝胸像」(昭和7年=1932)、写りましたが説明はスルー(笑)。ちょっと残念でした。

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もう1件、こちらはもろにロダンです。

プレミアムシアター エイフマン・バレエ「ロダン」&歌劇「イドメネオ」

NHKBSプレミアム 2019年9月15日(日)24時00分~28時35分 = 9月16日(月) 0時00分~4時35分

ロシアの鬼才ボリス・エイフマン振付けのバレエ「ロダン」。彫刻家ロダンと2人の女性の愛憎を描く。▽後半はカーセン演出、マドリード・レアル劇場の歌劇「イドメネオ」

「近代彫刻の父」と呼ばれるロダンと、愛弟子のカミーユ・クローデル、そして妻ローズ。3人の愛と葛藤を、ロシアの鬼才ボリス・エイフマンがダイナミックなダンスで浮き彫りにするバレエ「ロダン」。鍛え上げられたダンサーの肉体が彫像に形を変えていく斬新な振付けに注目。▽1:38~後半は、マドリード・レアル劇場の歌劇「イドメネオ」。演出家ロバート・カーセンがモーツァルトのオペラを現代的な視点で描き出す。

出演
エリック・カトラー,ダビー・ポルティージョ,アネット・フリッチュ,エレオノーラ・ブラット,ベンジャミン・ヒューレット,オリヴァー・ジョンストン,アレクサンドル・ツィムバリュクほか

ナレーション: 水落幸子(みずおち ゆきこ)

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「ロダン」は0時4分~1時36分の放映だそうです。音楽はラヴェル、サン・サーンス、マスネ、ドビュッシー、サティー。なるほど、ロダンと同時代のフランス音楽というわけですね。

番組説明にある「鍛え上げられたダンサーの肉体が彫像に形を変えていく斬新な振付け」、上記画像がそうですが、とんでもないことになっていますね(笑)。

一昨年、歿後百年を記念して公開されたフランス映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」を彷彿とさせられます。

それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩はわからない程いいのだとえらい人が言つた 詩はつかまへ様のないのがいいとなつかしい詩人が言つた 詩は一気息でなければならぬと巧者な批評家が言つた
詩「現実」初出形より 大正2年(1913) 光太郎31歳

詩「現実」は、雑誌発表時にはもともと11行の詩だったのですが、翌年の詩集『道程』に収められる際、冒頭2行だけの形にばっさり削られました。その削られた部分の抜粋です。

こののち、詩に限らず、造形芸術でも具象より抽象がもてはやされるようになり、現代詩、現代アートにつながっていくわけですが、「わからない程いい」「つかまへ様のないのがいい」というのは、詩でも造型でも具象にこだわった(単なる写実一辺倒ではなかったところに光太郎の本質があるわけですが)光太郎一流のアイロニーですね。

先ほど、午後になってから、一昨日に発生した停電が復旧しました。暑い中、復旧作業に従事された方々、お疲れ様でした。しかしまぁ、実に54時間ほど停電が続いたわけで、こちらとしてもそれなりに大変でした。当たり前のように電気が使える事のありがたみを再確認させられました。

さて、熊本から企画展情報です。

2019年度国立美術館巡回展 東京国立近代美術館所蔵品展 きっかけは「彫刻」。―近代から現代までの日本の彫刻と立体造形

期 日 : 2019年9月21日(土)~11月24日(日)
会 場 : 熊本市現代美術館  熊本県熊本市中央区上通町2番3号
時 間 : 10:00~20:00(展覧会入場は19:30まで)
料 金 : 一般 1,000(800)円 シニア(65歳以上) 800(600)円
      学生(高校生以上) 500(400)円 中学生以下 無料
      ( )内は前売 20名以上の団体 各種障害者手帳(身体障害者手帳、療育手帳、
       精神障害者保健福祉手帳、被爆者健康手帳等)
休館日 : 火曜日(ただし10月22日(火祝)は開館し、翌日休館)

本展は、「彫刻」という概念が誕生した明治期から、ロダンの影響、大正期から昭和初期の多様な展開、そして戦後の現代美術からたちあがった立体造形、さらには近代日本彫刻史を踏まえ発展していった現代彫刻までを、東京国立近代美術館のコレクションより、それぞれの時代を象徴する代表作から通観するものです。

ロダンに多大な影響を受けた高村光太郎や荻原守衛、中原悌二郎をはじめ、木彫の世界を広げた平櫛田中や橋本平八、第二次大戦後の現代美術で存在を示した舟越保武、向井良吉、三木富雄から1980 年代の表現までを通観し、近代日本に新しく発生した「彫刻」という概念が、各時代を代表する作家達にどのような刺激を与え創造を促したのか、作家達はキャリアを通じて「彫刻」をどのように解釈し、何に重きを置き立体として制作したのかを探ります。

熊本県下では、近代日本彫刻をテーマにした大規模な企画展は初めての開催です。本展が、教科書やメディアを通じて知っていた「あの名品」の本当の魅力を紹介する機会となれば幸いです。

出品作家
竹内久一、 山崎朝雲、 米原雲海、 平櫛田中、 荻原守衛、 戸張孤雁、 朝倉文夫、 高村光太郎、 藤川勇造、 北村西望、 石井鶴三、 佐藤朝山、 中原悌二郎、 荻島安二、 橋本平八、 斎藤義重、 柳原義達、 佐藤忠良、 舟越保武、 向井良吉、 村岡三郎、 吉村益信、 若林奮、 赤瀬川原平、 三木富雄、 菅木志雄、 遠藤利克

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関連行事

きっかけは「彫刻」。展 東京国立近代美術館学芸員による特別講演会
 2019年9月21日(土) 14:00-15:30  参加費無料
 講師 大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)




というわけで、光太郎の代表作「手」(大正7年=1918)と、「鯰」(大正15年=1926)が出ます。


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「手」は、新しく鋳造された同型のものが全国に散らばっていますが、こちらは台座の木彫部分を光太郎が彫り、大正期に鋳造されたと判明している3点のうちの1点です。「鯰」も、鯰をモチーフにした木彫は数点現存しますが、それぞれ微妙に形が異なり、1点ものの扱いです。

他に、荻原守衛をはじめ、光太郎と交流のあった作家の作がずらり。

お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

限りなくさびしけれども われは 過ぎこし道をすてて まことにこよなき力の道をすてて 未だ知らざる土をふみ かなしくも進むなり

詩「寂しき道」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

この詩は初め、大正元年(1912)10月の『第一回ヒユウザン会展覧会目録』に、「さびしきみち」として全文かな書きで掲載され、のち、詩集『道程』(大正3年=1914)にその形が踏襲されました(若干の異同がありましたが)。詩集『道程』に収められる前、大正元年(1912)の11月に、雑誌『朱欒』に「寂しき道」として通常の漢字仮名交じりの形が発表され、上記はそこから採りました。

昨日の朝、停電が起こりまして、未だに復旧しておりません。そこで今日もスマホからの投稿です。

停電前に入手しました資料をご紹介します。

JR 東日本さんの車内誌、『トランヴェール』。新幹線等の座席に備え付けのフリーペーパーです。どなた様も一度は眼にされたことがおありでしょう。フリーペーパーと侮るなかれ、なかなか充実の内容が毎号目白押しですね。

今月号は「武田勝頼、埋もれた英雄の真実」という特集がメインですが、巻頭の作家・沢木耕太郎氏によるエッセイ「旅のつばくろ」で、二本松および岳温泉が取り上げられています。

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在来線の東北本線の二本松で降りると、駅前には智恵子の像が建っている。そう、あの高村光太郎が、安達太良山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だという、と詠った妻の智恵子の像だ。

この像は光太郎の父・光雲の孫弟子にあたる橋本堅太郎氏の作で、「ほんとの空」と題されているものです。紙面にはその画像も大きく掲載されています。

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ただ、像の紹介は話の枕で、この後は岳温泉の話となります。それにしても智恵子像「ほんとの空」の写真を大きく載せてくださったのは有難い限りです。

それから後ろの方の「地・温泉」というコーナーでは、戦後の花巻郊外旧太田村で暮らしていた光太郎がよく訪れた大沢温泉さんが取り上げられています。光太郎には触れられていませんが。

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さて、『トランヴェール』、JR 東日本管内で新幹線などに乗られる方はぜひお持ち帰りください。当方はネットオークションで入手しました。そういう手もありますので、ご参考までに。

台風15号の影響で、千葉県では停電が続いています。

自宅兼事務所は今朝の6時台から停電で、12時間以上たった現在も復旧していません。そこでパソコンが使えないためスマホから投稿します。ブログ移転後初です。パソコンと勝手が違い、悪戦苦闘しています(笑)。とりあえず投稿だけはしておいて、あとで直します。

地方紙『福島民報』さんの記事から。


「アートフェス」多彩に 二本松で9日まで

 芸術で二本松市を盛り上げる「にほんまつアートフェス」は七日、市内で始まった。九日まで多彩なイベントを繰り広げる。
 にほんまつDMOの主催。初日は市コンサートホールで舞踊や朗読が行われた。福島市出身の舞踊家・二瓶野枝さんが「智恵子抄」をテーマにコンテンポラリーダンスを披露し、二本松市ゆかりの女優・一色采子さんが詩を朗読した。続いて一色さんが朗読する「黒塚」に合わせて二瓶さんが舞った。安達ケ原の鬼婆(おにばば)伝説を独自の解釈で演じた。圧巻の舞台が観衆を魅了した。


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今日の停電もそうですが、この日もトラブルに見舞われ、拝見に伺うはずが、行けませんでした。愛車が高速道路走行中にエンジントラブルを起こし、走行不能に。JAF さんに電話して助けを求めたところ、提携している修理工場の方が駆けつけてくださり、現場は茨城県の高萩市だったのですが、潮来市の当方なじみの修理工場まで愛車ごと運んでくださいました。その点は非常にありがたかったのですが、一色さんには申し訳ない気持ちでいっぱいですし、当方自身楽しみにしていたので残念です。

それにしても、送り届けてくださったJAF さん提携工場の方には感謝感激でした。またまた感謝感激させていただきますので、電力会社の方、停電の復旧をよろしくお願いいたします。


まとまりませんが、慣れないスマホからの投稿、とりあえずこの辺で。

埼玉県からイベント情報です。

オペラ勧進「歌と芸術よもやま話 「智恵子抄」を読み解いてみませんか」

期 日 : 2019年9月20日(金)
時 間 : 15:30~16:30
会 場 : 音楽レストラン クロシェット ドゥ ボワ  埼玉県和光市本町11-8
料 金 : 1,000円(コーヒーor紅茶付)

「オペラ勧進 和田タカ子…歌と芸術よもやま話」は毎月第3金曜日3:30~4:30に行っています。
皆様のお越しをお待ちしております。
お問い合わせ (特)オペラ彩事務局 Tel.Fax 048-201-3121


和田タカ子さん。ご自身もオペラ歌手で001すが、オペラ普及のために「特定非営利活動法人 オペラ彩」を主宰なさり、最近はプロデュース活動をメインにされているようです。

手元の記録によれば、平成12年(2000)に埼玉県川口市のリリア音楽ホールさん、平成13年(2001)には四ッ谷区民ホールさんでそれぞれ開催された、仙道作三氏作曲の「オペラ智恵子抄」公演の智恵子役をなさっています。その頃の連翹忌で何度かお会いした記憶があります。

「オペラ勧進」は、月に1回、オペラにまつわる様々なお話を和田さんがなさる催しのようで、なんと今回で134回目だそうです。「オペラ智恵子抄」、それから「智恵子抄」自体にもお話が及びそうな気がいたします。

当方、都合をつけてお伺いしようかと考えております。と言いつつ、昨日、拝見、拝聴するはずだった一色采子さんご出演の「にほんまつArt Fes」、愛車が高速道路走行中にエンジントラブルを起こしてしまい、引き返さざるを得ませんでした。残念です。といって、公共交通機関でもトラブルはあり得ますし、難しいところですね。

閑話休題、皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

それでも恋とはちがひます ――そんな怖(こは)いものぢやない―― サンタマリア! あの恐ろしい悪魔から私をお護り下さい

詩「N――女史に」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

言わずもがなですが「N」は智恵子の旧姓「長沼」の「N」です。

のち、詩集『道程』(大正3年=1914)に収められた際に「――に」と改題され、さらに詩集『智恵子抄』(昭和16年=1941)では「人に」と改められました。その初出形、雑誌『劇と詩』に掲載された形から、最終詩形と大きく異なる部分を抜粋しました。

この詩は突っ込みどころ満載でして、たとえマリア様にすがったとしても「それは恋ですよ」と百人中百人が言うでしょう(笑)。

仙台から市民講座の情報です。光太郎の師・与謝野晶子と、智恵子の先輩・平塚らいてうのコラボです。

仙台文学館ゼミナール2019 ■■近代文学を読み解くコース■■ □与謝野晶子と平塚らいてうを読む□

期 日 : 2019年 9/18・10/2・10/16・10/30・11/13(各水曜日・全5回)
時 間 : 13:30~15:00
会 場 : 仙台文学館 仙台市青葉区北根2-7-1

料 金 : 1回500円
講 師 : 小嶋翔(吉野作造記念館主任研究員)


□『明星』で活躍した歌人・与謝野晶子。『青鞜』を創刊した思想家・平塚らいてう。ともに女性の地位向上に努めた2人ですが、実際には対立することもしばしば…。2人が思い描いた人間のあり方、女性のあり方とはどのようなものだったのでしょうか。「みだれ髪」「元始、女性は太陽であった」といった代表作品を中心に読み解きます。

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講師の小嶋氏、昨秋、日比谷図書館さんで開催された「第12回明星研究会 シンポジウム与謝野晶子の天皇観~明治・大正・昭和を貫いたもの」でも、歌人の松平盟子氏との対談のパネラーを務められました。お題は「明治の子・晶子~明治憲法が公布されたとき、彼女は満10歳だった」でした。

締め切りが過ぎてはいますが、まだ定員に達していない可能性もありますので、仙台文学館さんまでお問い合わせ下さい。


【折々のことば・光太郎】

人間劣性のありたけを根こそげ見たので あれの度胸も自然にすわつた。 二度とあへない歴史の割れ目に 人間性のまつぱだかが待つてゐた。

詩断片「(人間劣性の)」全文 昭和23年(1948)頃 光太郎66歳頃

構想のまま発表されずに終わった詩の断片と思われます。光太郎遺品の中から出て来た原稿用紙に罫を無視してメモ風に書き付けられていました。「人間劣性のありたけを根こそげ見た」「二度とあへない歴史の割れ目」は、おそらく、戦時にかかわると思われます。

智恵子の故郷・福島二本松がらみで2件。

まずは『広報にほんまつ』さんの今月号から。

智恵子の生家・記念館からのお知らせ 智恵子の生家2階特別公開

 9月7日~11月17日の土日祝日の27日間実施します。ぜひ、足をお運びいただき、当時智恵子が暮らした旧長沼家の雰囲気を堪能して下さい。
 来場者が多い場合には、皆様に安全で安心して観覧していただくため、人数制限をさせていただく場合があります。
 また、9月5日から11月19日までの期間は奇跡といわれる「紙絵」の”実物”展示をいたしますので併せてご覧下さい。

開館時間 9:00~16:30(入館は16:00まで)
入館料金 大人(高校生以上)個人:410円 団体:360円
     子ども(小・中学生)個人:200円 団体:150円
休 館 日  水曜日
菊人形まつり期間中(10月5日~11月17日)は、無休で開館します。


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毎年、春と秋に同様の機会が設けられています。昨年までは「福島ビエンナーレ重陽の芸術祭」とのコラボで、現代アート作品の展示などがあったのですが、今年はそういう情報は入っていません。

どうもビエンナーレ自体が終了したようです。その代わりに、というわけでもないのでしょうが、「にほんまつArt Fes」が新たに始まり、当方、明日、早速行って参ります。


もう1件、都内でのイベント情報です。

福島圏域合同移住セミナー

期 日 : 2019年9月14日(土)
時 間 : 午後1時から午後4時30分
会 場 : 東京交通会館グリーンルーム 東京都千代田区有楽町2丁目10-1

就業して自然豊かな地域に住みたい!地方にはない業種で起業してみたい! 農業を主として半農半Xしてみたいなどなど・・・・

今回のセミナーでは、5人の先輩移住者がご自身の経験をトークセッションで赤裸々にお話しし、移住に関する成功談や失敗談などなど貴重な情報が満載です。「移住に興味はあるけれど・・・」と迷っているみなさん、先輩移住者の話を聞いて、理想の移住をイメージしてみましょう!

参加費は無料です!みなさんのご参加を心よりお待ちしております!!

参加は原則申込が必要ですが、当日の参加でもOK!詳しい内容については、下記及びチラシをご覧いただき、ご不明な点はお気軽に事務局(福島市定住交流課)へお問い合わせください!

ほんとの空の下で「第2のふるさと」つくりませんか

福島圏域:福島市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、飯舘村、宮城県白石市、二本松市、本宮市、大玉村)

プログラム(予定)
(1)セミナー開始 午後1時
(2)トークセッション【第1部】 午後1時40分
(3)トークセッション【第2部】 午後3時
(4)セミナー終了 午後4時30分
(5)各自治体個別相談  午後1時から午後4時30分

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「ほんとの空」の語を使われてしまっては紹介しないわけにはいきませんで(笑)。そういえば、今年6月に開催された「二本松市田舎暮らし体験ツアー」でも「ほんとの空」の語を使って宣伝していました。

原発事故による風評被害、二本松などの中通りではかなりおさまったやに聞きますが、原発のあった浜通りは帰還困難区域も残り、まだまだです。真に「ほんとの空」が取り戻されるまで、福島の皆さん、がんばって下さい!


【折々のことば・光太郎】

何もかもうつくしい このビイルの泡の奮檄も 又其を飲むおれのこころの悲しさも

詩「カフエ ライオンにて」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

「何もかもうつくしい」福島を取り戻してほしいものです。

都内から企画展情報です。

生誕140年・中村屋サロン美術館開館5周年記念「荻原守衛展 彫刻家への道」

期 日 : 2019年9月14日(土)~12月8日(日)
       前期:9月14日(土)~10月29日(火)
       後期:11月1日(金)~12月8日(日)
会 場 : 中村屋サロン美術館 東京都新宿区新宿3丁目26番13号 新宿中村屋ビル3階 
時 間 : 10:30~19:00(入館は18:40まで)
料 金 : 300円 ※高校生以下無料 障がい者手帳ご呈示のお客様および同伴者1名は無料
休館日 : 毎週火曜日(10月22日(祝)、29日(火・開館記念日)は開館 )

日本近代美術史に名を刻む「中村屋サロン」の中心人物、「日本近代彫刻の父」とも呼ばれた荻原守衛。
石膏原型が日本近代彫刻として初めて重要文化財に指定された、絶作「女」を生み出すまでの荻原の軌跡を、 師事したロダンや親交を結んだ芸術家たちの作品と共に展示し、荻原芸術の神髄に迫ります。

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関連行事

 ① ギャラリートーク 10月12日(土)・11月9日(土) 各14:00~

 ② オリジナル月餅プレゼント 10月29日(火・開館記念日)

 ③ 荻原守衛生誕140年記念講演(お食事付き) 12月1日(日) 11:00~ 約150分
   演 題 荻原守衛と日本近代彫刻
   講 師 古田亮氏 東京藝術大学大学美術館準教授
   参加費 3,000円

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光太郎の盟友、碌山荻原守衛の生誕140年を記念した企画展です。「親交を結んだ芸術家たちの作品」ということで、光太郎の作品も展示されます。チラシには「腕」(大正7年=1918)が掲載されていました。安曇野市の碌山美術館さん所蔵のものです。

同展と、それから碌山美術館さんで開催中の「荻原守衛生誕140周年記念特別企画展 傑作《女》を見る」につき、『朝日新聞』さんが報じています。

荻原守衛、彫刻史に残した足跡 生誕140周年、長野と東京で展覧会

 1910年に30歳の若さ004で亡くなりながら、日本の近代彫刻史に大きな足跡を残した荻原守衛(もりえ)(号は碌山〈ろくざん〉)。その生誕140周年に当たる今年、彼の芸術を考える展覧会が長野県などで開かれている。
 荻原は長野県東穂高村(現・安曇野市)生まれ。仏のアカデミー・ジュリアンなどで学ぶかたわら、近代彫刻の祖といわれるオーギュスト・ロダンに私淑。帰国後、東京・新宿にアトリエを構えた。
 故郷・安曇野市にある碌山美術館で開催中の「傑作《女》を見る展」(29日まで)は、亡くなる約1カ月前に石膏(せっこう)原型が完成し、その原型が近代彫刻としては初めて重要文化財に指定された絶作「女」(1910年)が制作された背景や作品の魅力の秘密を、書簡や像の研究から浮かび上がらせる。
 束縛から逃れようとするかのようにも見える「女」の心象的なモデルとなったのが、当時、荻原らが集う芸術などのサロンを主宰していた新宿中村屋の女主人・相馬黒光だったことや、石膏の地山(土台)に幾重にも残る線などから荻原が像の高さを決めあぐねていたことがわかるなど興味深い。会期中無休。
 一方、その新宿中村屋が運営している中村屋サロン美術館(東京都新宿区)では、やはり生誕140周年を記念した「荻原守衛展 彫刻家への道」が14日から開かれる(12月8日まで)。こちらはロダンをはじめ、サロンの一員だった画家・柳敬助の作品なども展示。サロンの中心人物だった荻原の人と作品に迫ろうとする。10月22日と29日を除く火曜休み。(編集委員・宮代栄一)


それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

己は己だ この己だ 己は自由を喜び 己は常に歩いてゐる 己は己の通りな芸術を作るのが何よりの願ひだ

詩「或問」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

この詩の2年前に急逝した盟友・碌山も同じようなことを考えていたのではないでしょうか。

今年1月に公開された映画「この道」ブルーレイとDVDが発売されました。

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光太郎の朋友・北原白秋(大森南朋さん)を主人公とし、山田耕筰(EXILEのAKIRAさん)との交流を軸に、白秋の後半生を追いながら、日本に童謡が築き上げられた経緯などが描かれています。

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われらが光太郎、2つのシーンで登場。

まずは蕎麦屋の座敷で行われた詩人仲間の会合―というより「パンの会」の流れ、的な―。参加者は白秋、萩原朔太郎、室生犀星、石川啄木、そして光太郎。

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演じるのは伊㟢充則さん。光太郎の雰囲気が見事に出ています。白秋の詩を「色が匂う」と評し、その的確な表現に一同、納得。

続いて、白秋詩集『思ひ出』出版記念会のシーン。史実では神田の都亭というレストランだったのですが、箱根の富士屋ホテルさんでロケが行われました。

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光太郎、司会の大役を仰せつかっていました。

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他に、光太郎の師・与謝野夫妻。松重豊さんと羽田美智子さんがそれぞれ演じられました。

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関東大震災、泥沼の戦争と、登場人物達をとりまく社会は混沌。

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光太郎のそれは描かれませんでしたが、白秋や晶子、山田耕筰(将官待遇となり軍服姿です)も時代の波に抗えません。かつて白秋の近所に住んでいた子供が青年となり、出征するシーン。涙無しには見られません。

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映画からは離れますが、山田に関しては、戦後になって、光太郎と同じく戦時中の翼賛活動がかなり問題視されました。戦争画を少なからず描いた藤田嗣治、「露営の歌」を作曲した古関裕而なども同様です。ちなみにNHKさんの来年の朝ドラ「エール」は古関を主人公とするそうで、そのあたり、どう描かれるか気になります。

その点、太平洋戦争が激化する前に生涯を閉じた白秋、晶子、それから萩原朔太郎(奇しくも3人とも昭和17年=1942に没しています)などは、良い言い方ではありませんが、或る意味良い時期に亡くなったという見方もできます。「生き残ってしまった」光太郎らの犯した過ちをさほど経験せずに済んだわけで……(白秋、晶子、朔太郎も翼賛活動に手を染めていますが、その期間が短くて済んだわけです)。

閑話休題。「この道」ブルーレイまたはDVD、ぜひお買い求め下さい。それから昨年には映画のノベライズも出版されていますので、あわせてどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

血を吐きがたきわがこころよ 汝はつねに詛はれて 人のためにふみにじらる されど、かなしきこころは我がせめてものたからなり

詩「かなしきこころ」より 大正元年(1912) 光太郎30歳

のちに時代の波に翻弄される自身の姿を予言しているかのような文言ですね。

3件ほど。

まずは『日本経済新聞』さんで先週の記事です。長いので抜粋で。

〈詩人の肖像〉(7)中村稔 曇りなく歴史を見つめる

弁護士でもある中村稔が、学生時代に詩を発表003してから、すでに70年以上がたった。自然の表情に自らの心情を投影させる端正な叙情詩で、独自の世界を築いた詩人は、近代の詩人や作家の評論にも、多くの筆を割いてきた。92歳になった今も、執筆意欲に衰えはない。

この夏には、3冊の新刊を出した。評論『高村光太郎の戦後』、エッセー『回想の伊達得夫』、それに詩集『むすび・言葉について 30章』(いずれも青土社)である。
「弁護士の仕事の負担が減ってきたので、執筆に費やす時間がとれるようになりました」と言うが、気力がなければ、到底続けられる仕事ではない。今回の高村光太郎論は原稿用紙にして860枚。昨年刊行した大著『高村光太郎論』(青土社)に続く光太郎論で、前著にはなかった見方を打ち出している。
(略)
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「高村光太郎は、萩原朔太郎とともに現代詩の父であり、母でもある詩人。どうしても改めて論じ直しておきたかった」。その思い入れは深い。中学時代に初めて光太郎の詩に触れ、1941年に龍星閣から出た詩集『智恵子抄』は、新刊で読み、感銘を受けた。戦後は、弁護士としても思わぬ形で光太郎に関わった。『智恵子抄』の著作権登録をめぐって争われたいわゆる『智恵子抄』裁判に、73年以来20年間携わった。編集著作権があると主張した龍星閣主人に対し、
光太郎自身が編集したとする高村家側の代理人弁護士として、勝訴の判決をもたらした。「亡き光太郎のため」を思って奮闘した20年だった。
2冊の評論では、光太郎の詩を丁寧に読み解きながら、その生涯を厳しく見つめている。たとえば、『智恵子抄』は精神を病み、肺結核で亡くなった智恵子への純粋な愛の詩集として長く読み継がれてきたが、前著で中村は、夫婦生活でも芸術第一に考え、智恵子へのいたわりが足りない光太郎の姿勢を問題にした。真の画家をめざした智恵子が精神を病んだのは、光太郎のそんな態度にも原因があったと見る。さらに戦時中に書いた光太郎の戦意高揚の詩編には、「高村光太郎の罪責は重い」と仮借無く批判している。
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一方、新刊の『高村光太郎の戦後』で、変わった点もある。光太郎が戦後書いた詩集『典型』の詩の評価について、これまでの考えを改めたのである。愚かな自分の半生を振り返る「暗愚小伝」を含むこの詩集について、前著までは「弁解の詩ばかりではないか」と厳しい見方を示していたが、後者では、弁解は多いものの「心をうつ作品がいくつか確実に存在する」と変わった。「『典型』の読み方が浅かったんです。1年ほどで考えを変えるのは、恥ずかしいけれど、書かなくてはならないと思った」と話す。92歳にしてこれまで自分の考えが至らなかったことを率直に認めている。
(略)

同紙編集委員の宮川匡司氏のご執筆。調べてみましたところ、宮川氏、平成28年(2016)にも同紙で中村氏の近況レポート的な記事を書かれていました。そのアンサー報告的な感じです。

中村氏が昨年刊行された『高村光太郎論』、今年5月に出された『高村光太郎の戦後』について述べられています。


続いて昨日の『毎日新聞』さん。こちらも長いので抜粋で。

わくわく山歩き 徳本峠 いにしえの道たどる 柏澄子

 徳本峠と書いて、「とくごうとうげ」と読む。日本有数の山001岳観光地となった風光明媚(めいび)な上高地にある峠。上高地へ向かう自動車道は、上高地を流れる梓川沿いに走る国道158号。それがやがて、上高地公園線へと続いていく。1933年に開通した。現在は、通年マイカー規制をしているので、その区間は、特定のバスやタクシーなどに乗車しアプローチするが、この道が開通する以前は、徳本峠を越えて、上高地へ入っていた。
(略)
 明治に入ると、山に登る者たちも、徳本峠を越えるようになった。なかには、イギリスの宣教師であり幾つもの日本の山を登ったウォルター・ウェストンや、志賀重昂、高村光太郎・智恵子夫妻、芥川龍之介といった、上高地を愛した文豪たちもいた。そして、大正12
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(1923)年、徳本峠小屋が登山者に向けた山小屋として営業を始めた。 上高地や槍・穂高連峰が、登山者でにぎわい始めたころである。
(略)
 明神岳のたもとにある
明神池と穂高神社奥宮、誰よりも上高地を知り尽くした猟師であり山案内人だった嘉門次の小屋。上高地の歴史と自然を知るビジターセンター、文豪たちが愛した上高地温泉やウェストンのレリーフなど、知的好奇心も満足させてくれる。

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山岳ライターの柏澄子氏による上高地の紹介です。大正2年(1913)、光太郎智恵子がこの地で婚約を果たしました。

当方、残念ながら未踏の地です(そのくせ山岳雑誌『岳人』さんに
高村光太郎と智恵子の上高地」という記事を書かせていただきました(笑))。河童橋やらのバスで行けるエリアであればあまり苦もなく行けるのでしょうが、光太郎智恵子の歩いた徳本峠のクラシックルートとなると、不案内な身ではなかなか足が向きません。いずれは、と思っております。


最後に『宮崎日日新聞』さん。少し前ですが、先月23日の「ことば巡礼」というコラムです。ご執筆は
文芸評論家・細谷正充氏。

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」 「道程」

 高村光太郎(1883〜1956年)には、有名な詩が二つある。一つは、「智恵子は東京に空が無いといふ」で始まる「あどけない話」。そしてもう一つが、標記の文章で始まる「道程」だ。
 この詩は「ああ、自然よ父よ」と続き、自然を父親になぞらえているように読める。周知の事実だが、光太郎の父は、上野公園の西郷隆盛像の制作者として知られる彫刻家の高村光雲だ。自身も彫刻家であった光太郎にとって、父が大きな存在であったことは、容易に察せられる。そのような思いが、この詩には込められている。
 というのは私の勝手な解釈だが、それほど外れてはいないと思う。高名な父を持った息子の人生には、それゆえに厳しいこと、つらいことがあったはずだ。だが、誰だって生きることは厳しくつらい。標記の文章が真理だからだ。
 この地球に生きるすべての人間が、明日、自分がどうなるかを知らずにいる。未来は常に不定形だ。最期の瞬間に、人生という道程を振り返り、歩いてきた道を確認した時、初めて自分の選択が正しかったか、間違っていたのか判明する。そのことをみんな分かっているから、この詩は多くの人の心を、引きつけるのだろう。


講演等で「道程」に触れる際にはいつも申し上げていますが、この詩は大正3年(1914)の作、つまり100年以上前の作品です。しかし、現代に生きる我々の心の琴線にしっかり響いてくるものです。未来永劫語り継がれてほしい作品です。


【折々のことば・光太郎】

行く末とほき若人(わかひと)の ここにもひとりうらぶれて 室(へや)に散り布(し)く鑿の屑 噛みては苦(にが)き世を嘆くかな

詩「なやみ(若き彫刻家のうたへる)」より
 明治35年(1902) 光太郎20歳

現在のところ確認できている最も早い詩作品です。文語定型の習作的なもので、いい出来とは言えませんが、彫刻制作を題材にしている点、「道程」にも謳われている父・光雲との彫刻観の相違から来る齟齬などが背景にあることなどが注目に値します。


3件ほど。

<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 「首の女」殺人事件』

BSフジ 2019年9月3日(火)  12時00分~13時58分 

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。  光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!

<出演者> 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子 ほか

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初回放映は平成18年(2006)。年に何度かBS放送で再放送が繰り返されています。細かな部分は端折っていますが、大筋では故・内田康夫氏の原作を忠実に踏襲しています。


続いて、直接光太郎には関わりませんが……。

フランス人がときめいた日本の美術館 #45「東京国立博物館『黒田記念館&本館』」

BS11イレブン 2019年9月6日(金)  20時00分~20時58分

フランス人の美術史家、ソフィー・リチャード氏のメッセージをもとに、フレッシュで透明感のある旅人がトキメキの旅へ。日本の美術館の魅力を再発見する、美術館探索ドキュメンタリー。

黒田清輝に鎧と兜▼日本近代洋画の父・黒田清輝が遺した黒田記念館で、明治時代に日本美術界に新風を巻き起こしたその絵画の数々を堪能。本館では人気の「甲冑」を見る。

東京国立博物館の『黒田記念館』は、“日本近代洋画の父"と言われた黒田清輝の、美術教育に対する遺志を実現するために、昭和3年に建てられた。旧歌舞伎座などを手掛けた岡田信一郎が設計し、2002年には東京都有形文化財にも指定されている。
フランスに留学して西洋美術の基礎を学んだ黒田は、帰国後、後進の育成に尽力。当時はタブー視されていたヌード画や、軽やかな色彩の絵『逍遥』を発表するなど、西洋絵画の基本を日本に広げ、美術界に新風を起こした。
そんな黒田が、多忙な中で時間を見つけては別荘で描いたという「雲」をモチーフとした作品や、手軽な木の板に思いつくままを写生した作品を紹介。技法の縛りから解放された自然な絵からは、黒田の意外な一面を見ることができる。
そして、東京国立博物館本館では、美術品としての「甲冑」の展示を見る。美しい鎧で戦うことは、武士にとって非常に重要であったということを示し、今に伝える甲冑の数々…。実用品であり美術品でもある、そんな甲冑の変遷を見ていく。

紹介作品:黒田清輝「湖畔」「智・感・情」「椅子による女」「逍遥」「雲」、甲冑より「金小札紅糸中白威腹巻」「赤糸威鎧」「仁王胴具足」「裾濃威筋兜」ほか

<出演者> 野村麻純

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東京国立博物館さんの別館的な付帯施設、黒田記念館が取り上げられます。光太郎によるブロンズの「黒田清輝胸像」(昭和7年=1932)が展示されており、そちらも紹介してほしいものです。

光太郎の黒田評。

概括してヒウザン会の傾向をのべると、フオウビズム、印象派、後期印象派の三つに分れ、われわれの崇拝の的はゴオガンとゴツホであつた。先輩の中で、われわれの兎も角承認したのは黒田清輝氏ただ一人である。(「ヒウザン会とパンの会」より 昭和11年=1936)

明治二十年代に黒田清輝が帰朝するまでの日本での油絵研究はすべて変則なもので、油絵具はまるで便利な泥絵具であるかのやうに使はれた。西欧の通俗画の馬鹿正直な通俗的受け入れであつた。脂色で下画きをして其上へ色をつけてゆくやうな古風な方法も伝へられたが、其は別に復興期のグリザイユ方式の深い研究からの理解に由るのではなく、たださう画くものださうだからさう画くといふ程度の事であつた。黒田清輝は太陽のやうに日本の油絵の世界を明るくした。画風もラフアエル コランやレオン レルミトやジユール バスチアン-ルパアジユ風の通俗的外光派に属して居り、画面の陰影を黒でなしに紫に画くといふので紫派といはれた通り日本に初めて明るい外光の写生派を樹立したが、油絵研究上の方法や教学の方面にも従来の五里霧中の状態を一掃して、秩序ある勉強の方式をフランスから正しく輸入した。むしろ日本に於ける油絵は此時から本当に始まつたと言つてもいいのである。(「素材と造型」より 昭和15年=1940)


ついでに、「黒田清輝胸像」についても。

今美術学校と黒田記念館とにある黒田清輝先生の胸像は二三年かかつて其後つくつた。これは黒田先生を学生時代によく見てゐたので作りよかつた。先生の頭蓋の形の特異さが殊に彫刻的に面白かつた。所謂法然(ほふねん)あたまである。この頃から私もだんだん彫刻性についての自分自身の会得に或る信念を持つやうになつた。


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最後に、宮城県限定の放映ですが……。

ミヤギテレビ報道特別番組 千年後のあなたへ 私たち二十歳になりました

ミヤギテレビ 2019年9月7日(土)  10時30分~11時00分

東日本大震災の2年後、女川町の高台に「いのちの石碑」を建てた中学生たちは今年、成人式を迎えた。故郷を離れ、震災の風化を感じながらも、いま伝えたいことがある。

女川中学校の生徒たちは、多くの命が奪われた悲しみを繰り返してはいけないと町内21の浜の最大津波到達地点に石碑を建てる活動を始めた。1基目が建ったのは2013年11月。「夢だけは 壊せなかった 大震災」 生徒たちが授業で考えた俳句を刻んだ。あの日から8年半、番組ではそれぞれが子どもの頃に描いた「夢」へ着実に歩む姿と、1000年後の命を守るためのメッセージを伝える。

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このブログでたびたびご紹介しています、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」関連です。そのプロジェクトの中心となって活動してきたかつての中学生達が成人式を迎えたということで、これまでの活動を振り返る内容のようです。

これはぜひ系列の日テレさん系で全国放映もしていただきたいものです。


視聴可能な方、それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩の訳などは素より馬鹿げた事なので、専らあらましを述べたに過ぎない。

雑纂「訳者曰」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

雑誌『星雲』に発表した翻訳「詩篇」(エミイル ブルデル)に附した注から。光太郎は、散文ならともかく、西洋の詩は韻文の要素が強く、原文で読まない限りその魅力は理解できないというスタンスでした。

昨日は、千葉県銚子市のKIMG3181犬吠埼に行っておりました。銚子は生活圏なので犬吠埼にも時折足を運んでいますが、考えてみると久しぶりでした。

犬吠埼は、大正元年(1912)、光太郎が油絵の写生旅行に訪れ、前年、光太郎と知り合った智恵子もそれを追ってすぐ下の妹・セキ、それから智恵子姉妹と同じ日本女子大学校出身の藤井勇(ゆう)を伴い、犬吠に来ています。智恵子一行ははじめ御風館という宿に泊まっていましたが、智恵子はセキと藤井を先に帰し、光太郎が投宿していた暁鶏館という宿に移りました。二人の婚約は約1年後、信州上高地でのことですが、おそらくこの犬吠埼でお互いにその気持は固まったのではないかと思われます。

光太郎の回想文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)から。

丁度明治天皇様崩御の後、私は犬吠へ写生に出かけた。その時別の宿に彼女が妹さんと一人の親友と一緒に来てゐて又会つた。後に彼女は私の宿へ来て滞在し、一緒に散歩したり食事したり写生したりした。様子が変に見えたものか、宿の女中が一人必ず私達二人の散歩を監視するためついて来た。心中しかねないと見たらしい。智恵子が後日語る所によると、その時若し私が何か無理な事でも言ひ出すやうな事があつたら、彼女は即座に入水して死ぬつもりだつたといふ事であった。私はそんな事は知らなかつたが、此の宿の滞在中に見た彼女の清純な態度と、無欲な素朴な気質と、限りなきその自然への愛とに強く打たれた。君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまつたく子供であつた。しかし又私は入浴の時、隣の風呂場に居る彼女を偶然に目にして、何だか運命のつながりが二人の間にあるのではないかといふ予感をふと感じた。彼女は実によく均整がとれてゐた。

その後、光太郎は暁鶏館の雑用を務めていた、知的障害があった「太郎」こと阿部清助をモデルに、「犬吠の太郎」(大正元年=1912)という詩も書いています。太郎の印象はかなり強烈だったようで、光太郎はのちに油絵でも太郎を描きましたし(現存は確認できていません)、かなり後、昭和3年(1928)に作った詩「何をまだ指してゐるのだ」でも太郎を登場させています。


犬吠埼のシンボルである灯台。明治7年(1874)竣工ですので、光太郎智恵子が訪れた大正元年(1912)にはすでにここにありました。

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灯台の北側は、君ヶ浜。上記「智恵子の半生」で、「君が浜の浜防風を喜ぶ彼女はまつたく子供であつた」と記されています。

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灯台の南側。突き出た岬の形状から、「長崎」と呼ばれる地区。太郎も地元では「長崎の太郎」と呼ばれていたそうです。太郎の墓も現存します。

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その手前に、光太郎智恵子が愛を確かめ合ったであろう暁鶏館(中央下の2階建て)。建物は建て替えられ、宿の名も「ぎょうけい館」と変わりましたが、同じ場所で営業中です。創業は灯台と同じ明治7年(1874)です。

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さらに手前は中生代の地層。この辺り一帯、地質学的に貴重な場所だそうで、「銚子ジオパーク」として整備されています。

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ところで、昨日はいつものように一人ではなく、妻と一緒でした。愛想を尽かされる前に、たまには女房孝行ということで(笑)。妻が何かのテレビ番組で紹介されているのを見た、ということで、灯台の並びにある「犬吠テラステラス」さんという、今年出来た商業施設に行ってみました。

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以前はひなびた土産物屋、食堂などがあった記憶があるのですが、それが一変、実にシャレオツな店に様変わりしていました。

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「テラステラス」の名前の通り、2階にはゆったりしたテラス。ハンモックが張られていたりします。上記、長崎地区やぎょうけい館さんなどの画像はここから撮りました。

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灯台を模したオブジェ。顔ハメ的に、ここでKIMG3185写真を撮れということでしょう。台座部分に足形が作られています。


ちなみに昼食はこちらに行く前に、もう少し南の銚子電鉄犬吠駅前にある「島武」さんというところで摂りました。これまで、行列が出来ていて断念したこともあったのですが、昨日は奇跡的にすいていました。基本、回転寿司ですが、チェーンの安い店とは違いそれなりの値段、しかし廻らないお寿司屋さんよりはリーズナブルなので(笑)、当方、時折足を運んでいます。回転寿司コーナー以外にも、海鮮丼系などの魚料理コーナーも設置されています。どちらも銚子港で水揚げされた素材を使っています。

回転寿司は、とにかくネタがでかいことで有名です。タコは「大ダコ」と頼むと、短冊のようなタコが乗ってきます(笑)。他のネタも、ほぼほぼシャリが見えない状態です。


というような犬吠埼。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

因みに「天上の炎」といふ題名は星を意味してゐるのである。

雑纂「訳書『天上の炎』白玉書房版序文」より 昭和25年(1950)

『天上の炎』は、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(光太郎の表記では「ヹルハアラン」)の詩集。光太郎は大正14年(1925)に単行書としてその翻訳を新しき村出版部から刊行、戦後に白玉書房から復刊されました。上記は復刊版の序文から採りました。

無理くりですが、光太郎にとっての智恵子は「天上の炎」だったようにも思われます。

ちなみに当方もやったことがありますが、時折「天井の炎」と誤植されることがあるのが残念です。

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