2019年02月

4件ほどご紹介します。

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2019年3月1日(金) 6時35分~6時45分  再放送 17:00~17:10

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、花鹿亭/「テスト」瀧川鯉八、ヨシタケシンスケ僕の前に道はない僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、野村萬斎/ややこしや「まちがいの狂言」高橋康也、百人一首/恋すてふわが名はまだき立ちにけり…(壬生忠見)、名文/祗園精舎、歌/蜘蛛の糸

出演 美輪明宏 野村萬斎 野村裕基 おおたか静流 うなりやベベン 瀧川鯉八 ほか

2月15日(金)に初回放映のあったものの再放送です。過去の映像の使い回しで、ヨシタケシンスケさんのイラストにのせ、坂本龍一さん作曲の「道程」が流れます。

アーサー・ビナード 午後の三枚おろし

文化放送 2019年3月1日(金) 17:34~17:44 

詩人、アーサー・ビナードが、特定のテーマ(例:「チャップリン」や「歴代の総理大臣」など)を取り上げ、今につながる“考えるヒント”を提供する番組。朝は「武田鉄矢今朝の三枚おろし」、午後は「アーサー・ビナード午後の三枚おろし」でお楽しみください。
今週は「恋し合っているかい?」をテーマに、文豪と呼ばれた5人の作家たちが書いたラブレターを紹介します。 (月)芥川龍之介 (火)樋口一葉 (水)太宰治 (木)石川啄木 (金)高村光太郎

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「斉藤一美のニュースワイド SAKIDORI !」という番組の中のコーナーだそうです。

おそらく、結婚前に光太郎から智恵子に宛てた、大正2年(1913)の1月28日の書簡が紹介されるのではないでしょうか。この書簡は、確認できている限りほぼ唯一、奇跡的に残っている光太郎から智恵子への「ラブレター」的なもので、昨年、宝島社さんから刊行された『文豪たちのラブレター』、平成25年(2013)にNHKさんで放映された「探検バクモン 男と女 愛の戦略」、故・渡辺淳一氏著『キッス キッス キッス』(平成14年=2002)などでも取り上げられました。

どーも、NHK

NHK総合 2019年3月3日(日) 11時20分~11時54分

おすすめ番組を紹介する▽週刊どーもナビ:「Nスペ “黒い津波”知られざる実像」「落語ディーパー!」「めざせ!オリンピアン」「ドラマ“女川 いのちの坂道”」など、1週間の見たい番組、気になる番組が見つかるかも▽NHKの取り組みを紹介!

司会 今泉マヤ 中條誠子

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3月9日(土)にNHK BSプレミアムさんで放映されるスペシャルドラマ「女川 いのちの坂道」の紹介があります。このドラマ自体についてはまた改めてご紹介します。

おはなしのくにクラシック 「短歌」

NHK Eテレ 2019年3月4日(月) 9時10分~9時20分

近代以降、正岡子規によって確立された短歌は、石川啄木、斉藤茂吉、与謝野晶子らによって、時代ごとの心情を映してきた。俵万智にまでつながる短歌の歴史とその魅力を知る。

出演 白井晃  語り 小林ゆう

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光太郎智恵子には触れられませんが、光太郎の師・与謝野晶子、さらに新詩社での兄弟弟子・石川啄木が取り上げられます。

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それぞれぜひご視聴ください。


【折々のことば・光太郎】

私は鳥獣を飼ふのがいやで、殊に馴らすのがきらひだ。自然に馴れるのは文句は無いが、巣から雛をとつたり、空腹にして置いて餌で馴らしたりすののがいやだ。小鳥を馴らして自分の口からカステラ等を喰はしてゐる写真を見ると嘔吐を催すやうだ。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

光太郎、画家の岡田三郎助からもらった黒猫を飼っていた時期もありましたが、猫かわいがりはせず、餌など猫が自分でネズミを捕って何とかしていたそうです。

他にも、同じ文章で語っていますが、木彫のモデルにするために鳥や魚を飼育することはあっても、用が済めば放してやっていたとのこと。

連作詩「猛獣篇」で、駝鳥やライオンなど、動物園に居る動物たちの悲哀に仮託して自らを語っていた光太郎ならではですね。

岩手盛岡から、市民講座の情報です。
会 場 : 岩手県立大学アイーナキャンパス学習室4
      いわて県民情報交流センター(アイーナ)7階 
盛岡市盛岡駅西通1丁目7-1
時 間 : 11:00~15:30
料 金 : 無料

内 容 : 
①11:00~12:00 文化の講座民藝運動と昭和恐慌期の東北農村社会:ある知的交差の素描
  講師 :三須田 善暢(国際文化学科)
②13:00~14:00 生活の講座Ⅰ「高村光太郎のホームスパン」
  講師 :菊池 直子(生活科学科 生活デザイン専攻)
③14:30~15:30 生活の講座Ⅱ「嚥下が困難な人の食事 とろみ材とゼリー材の利用も含めて」
  講師 :加藤 哲子(生活科学科 食物栄養学専攻)

定  員 : 各30名 事前申し込みが必要です。
        申込期間は平成31年2月8日(金)~3月8日(金)(定員に達し次第終了)

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「ホームスパン」とは、明治時代に日本に入ってきた羊毛を使った織物。イギリスが発祥の地です。コートやジャケットなどの生地として、主に東北や北海道などの寒冷地で作られるようになりました。柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤、濱田庄司などの白樺派の面々がこよなく愛したそうです。

岩手では、花巻郊外旧東和町(現・花巻市東和町)に居を構えた及川全三という人物が、ホームスパンの普及に努め、現在も盛岡などで及川の流れをくむ人々がその灯を守っています。及川は上京していた昭和の初めに、やはり光太郎と交流のあった柳宗悦の影響で、民芸運動、そしてホームスパンの魅力にとりつかれ、教職を辞してこの道へ進んだそうです。

光太郎が暮らしていた花巻郊外旧太田村にも、及川の指導でホームスパンを作っていた村民がいて、村の振興にも関心を寄せていた光太郎が興味を示し、その技術を広める手助けをしようとしたり、実際に服を作ってもらったり、及川の工房を訪ねたりしました。

下の画像は、花巻高村光太郎記念館で展示されている、ホームスパンによる光太郎の服。オーダーメイドです。
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このあたりのお話は出るでしょう。

それから、光太郎とホームスパンのつながりは、もう1点。その件についてもいろいろ情報を得ているのですが、今回の講座でどの程度その話が出るかというところでして、あまり詳しく書くとフライングだと怒られそうですので、また講座終了後にレポートします。

というわけで、他の用件もあり、久々に(といっても半年ぶりくらいですが)盛岡、そして花巻に行って参ります。みなさまもぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

丁度イタチを彫刻に木彫にしようかと思つて居たので、よく注意して観察したが、彫刻にはテンの方がいいと思つた。イタチではまだ丸すぎる。カハウソのやうな短い圓い口もとは愛嬌があるが、どうも少し中途はんぱで、ずばぬけた霊気に乏しい。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

駒込林町のアトリエ件住居の庭に現れたつがいのイタチを見ての感想です。光太郎によれば、桃は彫刻になるがリンゴはだめで、蝉も彫刻になるけれどカマキリはならない、とのことです。同様に、テンはよくてもイタチは不可。どういう基準なのか、実際に実作に当たっている造形作家の方の意見を訊いてみたいものです。

ちなみに当方自宅兼事務所の近所でも時々イタチを見かけます。たいがい愛犬との散歩中で、U字溝のコンクリート製のふたとふたの間、台形の隙間から現れて、当方と犬に気づくとまた戻っていきます。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

山口県から演劇公演の情報です。 

touch the bonnet 10th演劇LIVE 「れもん」

期  日 : 2019年3月9日(土) 10日(日)
会  場 : 菜香亭  山口市天花1-2-7
時  間 : 19:00~
料  金 : 前売 一般¥1,500 大学生¥1,200 高校生以下¥700  当日一律¥500増

作:平田俊子  演出:岩本伸也  出演:細田昌宏/平田珠凛

「れもん」は詩人、彫刻家として有名な高村光太郎と、その妻智恵子の半生を描いた作品。
芸術に携わる方ならきっと共感できる迷いや不安、まっすぐに向き合い続ける情熱とそれを維持する難しさ、そんな思いを沢山混ぜ込んで二人だけで表現する濃厚な作品です。
飛び交う言葉も美しく、高村光太郎の詩も数多く登場します。興味がある方は道程や智恵子抄といった詩集に目を通してから来ていただいても楽しめると思います。そして、その殆どの詩を世に出る前に聞いていた妻の智恵子。智恵子がその詩をどんな気持ちで聞いていたのか?是非皆様も一緒に見守って下さい。
ちなみに!れもんと言えば最近なら米津玄師さんのlemonを思い浮かべた方も多いのでは?米津さん自身もインタビューで高村光太郎の智恵子抄について言及しているようです。皆様は「れもん」から何を連想しますか?
3月9日、10日。高村光太郎と智恵子の一生をどうか見届けにきてください。

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「れもん」は、平成16年(2004)、下北沢のザ・スズナリさんおよび京都芸術センターさんで、柄本明さん、石田えりさんにより初演された2人芝居です。

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ちなみにたまたま偶然でしょうが、来月から再来月にかけ、各地で光太郎智恵子を主人公とした演劇の公演が開催されます。それぞれ追ってまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

母は無学であつたから私をあやすにもただ祖先伝来の子守歌を繰返すほかに術はなかつた。だがあの「坊やはいい子だ、ねんねしな」の無限のリフレインの何と私の心身を快よくしてくれたことだらう。私は今でもその声の和らかさと軽く背中を叩かれる時の溶けるやうな安心さとを忘れない。

散文「揺籃の歌」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

シニカルな見方で、光太郎はかなりのマザコンだったのではないかと言われています。その根拠として使われる散文の一つから。

そして、その母の面影を智恵子にも求め、それがまた智恵子の重荷になったとも……。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

昨日の午後にはインターネットの検索サイトトップページに報じられまして、「ありゃりゃりゃりゃ」という感じでした。

今朝の『朝日新聞』さんから。 

日本文学研究者のドナルド・キーンさん死去 96歳

 日本の古003典から現代文学まで通じ、世界に日本の文化と文学を広めた、日本文学研究者で文化勲章受章者のドナルド・キーンさんが24日、心不全で死去した。96歳だった。葬儀は親族のみで営む。喪主は養子で浄瑠璃三味線奏者のキーン誠己(せいき)さん。
 1922年、米ニューヨーク生まれ。コロンビア大在学中に「源氏物語」と出会う。日米開戦に伴い42年、米海軍日本語学校に入学。語学将校としてハワイや沖縄で従軍、日本兵の日記の翻訳や捕虜の通訳をした。沖縄の前線ではスピーカーで日本兵に投降を呼びかけた。戦後、ハーバード大、ケンブリッジ大で日本文学の研究を続け、53年から京都大に留学。英訳「日本文学選集」を編集し、米国の出版社から刊行、日本文学の海外紹介のきっかけを作った。
 谷崎潤一郎や川端康成、安部公房、三島由紀夫、司馬遼太郎ら日本を代表する作家との交遊が文学研究を豊かにした。「徒然草」「おくのほそ道」などの古典や安部、三島ら現代作家の作品を英訳。「明治天皇」「正岡子規」「石川啄木」など評伝にも力をそそぎ、作家の生涯を通して日本人の精神を浮かび上がらせてきた。
 62年、菊池寛賞を受賞。82~92年に朝日新聞の客員編集委員を務め、平安から江戸期の日記文学を論じた「百代(はくたい)の過客(かかく)」(84年、読売文学賞)などを連載した。83年に山片蟠桃賞。86年には、コロンビア大に「ドナルド・キーン日本文化センター」が設立。92年コロンビア大名誉教授。97年に「日本文学の歴史」(全18巻)を完結し、同年度の朝日賞を受賞した。2008年に文化勲章。
 日米を行き来していたが、11年の東日本大震災後、日本への永住を決めて日本国籍を取得。講演などで被災地を励ました。13年には、キーンさんが復活を支援した古浄瑠璃の縁から新潟県柏崎市に「ドナルド・キーン・センター柏崎」が開館、蔵書や資料を寄贈していた。半世紀を超える研究や作品を収めた「ドナルド・キーン著作集」(全15巻)は今春、別巻を出して完結する予定だった。


NHKさんのニュースから。 

ドナルド・キーンさん死去 96歳

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文化勲章を受章した日本文学の研究者で、東日本大震災をきっかけに日本国籍を取得したことでも知られるドナルド・キーンさんが、24日朝、心不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。96歳でした。
ドナルド・キーンさんは、1922年にニューヨークで生まれ、アメリカ海軍の学校で日本語を学びました。
戦後、京都大学に留学したあとアメリカ・コロンビア大学の教授を務めるなどして、半世紀以上にわたって日本文学の研究を続けてきました。
平安時代から現代までの日本人が書いた日記について解説した「百代の過客」や「日本文学史」など、数々の著作を通じて独自の日本文学論を展開したほか、能や歌舞伎といった日本の古典芸能の評論にも活動の幅を広げ、日本文化について鋭い批評を加えました。
また、近松門左衛門や太宰治、三島由紀夫など、古典から現代の作家まで数々の作品を英語に翻訳し、日本文学を広く世界に紹介しました。
谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫といった日本の文壇の重鎮とも親しく、ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーに対して日本文学についての助言を行ったことでも知られています。
こうした功績で日本の文学評論に関する多くの賞を受賞し、平成20年には文化勲章を受章しています。


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キーンさんは、ニューヨークのコロンビア大学で日本文学の指導にあたりながら、日本とアメリカを行き来していましたが、平成23年の東日本大震災のあと「私の日本に対する信念を見せたい」などとして長年愛着のある日本に移住することを決め、翌年の3月に日本国籍を取得しました。
90歳をすぎても活動を続け、平成28年に歌人、石川啄木の研究書を出版したほか、雑誌のインタビューや対談などにも応じていました。
キーンさんの代理人によりますと、体調が悪化したため去年秋から入退院を繰り返し、24日午前6時すぎ、心不全のために東京都内の病院で亡くなりました。

養子の誠己さん「幸せな一生だった」
ドナルド・キーンさんの養子のキーン誠己さんは「父は苦しむこともなく、穏やかに永遠の眠りにつきました。みずから選んだ母国で日本人として、日本人の家族を持ち、日本に感謝の気持ちをささげつつ、幸せに最後の時を迎えました。日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の
長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています」とコメントしています。

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瀬戸内寂聴さん「ぼう然」
ドナルド・キーンさんが亡くなったことについて、同じ大正11年、1922年生まれで数々の対談を重ねてきた作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは「キーンさんとは心が通い合い、親類づきあいのような親しさが生まれていた。会えば何時間も話し込んでしまう仲になっていた。私もキーンさんも、年をとっても仕事をやめず、人にあきれられていたが、キーンさんはいくつになってもアメリカへ行き来するし、海外旅行も平気でされる。こんなことになってぼう然としている」というコメントを発表しました。

後日 お別れの会を予定
代理人によりますと、ドナルド・キーンさんの葬儀と告別式は親族のみで行い、後日、お別れの会が開かれるということです。


日本文学の流れを網羅的、体系的に研究されていたキーンさん。光太郎についても言及されていました。『朝日新聞』さんの記事にもある『日本文学の歴史』(中央公論社)の第17巻近代・現代篇8。明治・大正・昭和の詩についての巻です。光太郎の項は約40ページ。簡にして要、の感があります。

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曰く、

いわゆる現代的で複雑な詩に困惑した読者は、心から発せられた感動的な作品として光太郎の詩を好んだ。高村光太郎はこれからも、このような詩の作者として人々の記憶に残るに違いない。


また、昨年、求龍堂さんから刊行された大野芳(かおる)氏著 『ロダンを魅了した幻の大女優マダム・ハナコ』に、キーンさんが登場なさいます。唯一、ロダンの彫刻モデルを務め、光太郎とも交流があった日本人女優・花子に関する考察です。明治43年(1910)に森鷗外が花子をモチーフにして書いた短編小説「花子」を英訳したキーンさんが、昭和34年(1959)、岐阜に住む花子の遺族の元を訪れたエピソードが紹介されています。この際、キーンさんは、光太郎から花子に宛てた書簡を見せてもらったとのこと。
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ラフな服装で訪問し、気さくな、しかし、日本文学への熱意を存分に感じさせるキーンさんの真摯な人柄に、花子の遺族が感激されたそうです。


謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

此の彫りかけの鯉が自分で納得できるやうに仕上がる時が来たら、私の彫刻も相当に進んだ事になるであらう。いつの事やら。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

新潟の実業家・松木喜之七が、光太郎に鯉の木彫を依頼、大枚
500円をおいていきました。光太郎は早速制作にとりかかりますが、何度作っても自分で納得が行きません。鱗の処理が出来ない、というのです。鱗をリアルに彫ってしまうと俗な置物のようになるし、彫らずば鯉にならないし……というわけで、結局、完成しませんでした。光太郎、代わりにと「鯰」を進呈しています。現在、愛知小牧のメナード美術館さんに収蔵されている作品です。

確認されている、光太郎が木彫に取り組んでいるところを撮った唯一のスナップ、土門拳による昭和15年(1940)の写真に、「鯉」が写っています。

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その後、松木は召集されて、軍服姿で光太郎の元を訪れ出征の挨拶。しかし、南方戦線で還らぬ人となってしまいました。

ところで、ドナルド・キーンさん、そもそも本格的に日本文学に興味を持った一つのきっかけは、語学将校としてハワイや沖縄で従軍し、日本兵の日記の翻訳や捕虜の通訳をしたことだそうで、不思議な縁を感じます。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

一昨年から、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載がなされているので定期購読させていただいている、日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』3月号が届きました。

それとは別に、「みんなの活動報告」というページがあります。

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協会員の皆さんからのお便りのコーナーです。

昨夏、成田市のなごみの米屋總本店さん2階の成田生涯学習市民ギャラリーで、「二人でひとつの展覧会」を開催された大泉さと子さんから、同展に関するお便りが掲載されています。

成田ということで、光太郎がたびたび訪れた宮内庁の御料牧場がかつてあった三里塚記念公園内に立つ、光太郎詩「春駒」(大正13年=1924)を書いた作品などが展示されました。

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当方、隣町なもので、初日の一番にお邪魔しました。その際、作者の大泉さんとお話しさせていただきました。

先月末、大泉さん、それから同誌の編集部さんからお電話があり、「みんなの活動報告」に、成田での展覧会のレポ-トを載せること、そこに当方の名前を出していいかというお話でした。別にお忍びで行ったわけでもなく(笑)、承諾いたしました。

そして、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」は、その「春駒」。ここに「春駒」が載るというのは聞いておりませんで、「ほう」という感じでした。

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光太郎の草稿を大きく載せて下さっています。つくづく味のある字です。

同誌は一般書店での販売は行っておらず、同会サイトからの注文となります。1年間で8,700円(税・送料込)。お申し込みはこちらから。バックナンバーとして1冊単位の注文も可能なようです。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

八百屋に出てる三州ものでは話にならぬがもぎたての近在のものが笊に盛られた溌剌さは、まるで地引網で引き上げた雑魚のやうにはね返りさうだ。艶のある白綠のさやの肌はおそらく意気な季節の寵児だ。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

何が? というと、さやえんどうです。智恵子は既に南品川ゼームス坂病院に入院しているため、光太郎は自ら塩水で茹で、オリーヴオイル、モルトベニガー、胡椒で味をつけ、食べています。

何気なく書かれた「まるで地引網で引き上げた雑魚のやう」の直喩、「艶のある白綠のさやの肌はおそらく意気な季節の寵児」という暗喩、さすがですね。

しかし、地引網云々は、おそらく智恵子が療養していた九十九里浜で見た光景だろうと思うと、複雑な思いにかられます。

絵手紙を趣味にされている方などは、こういうものも題材にするのでしょうね。ちなみに『月刊絵手紙』、上記今月号の表紙には、ふきのとうの写真も載っています。たまたまですが、我が家の今夜の夕食はふきのうの天ぷらでした。春ももうすぐそこです。

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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」(昭和28年=1953)の立つ、青森十和田市。

過日、ご紹介しました十和田市の劇団「エムズパーティー」さんによるDVD「乙女の像ものがたり 多言語字幕版」を、同劇団主宰の仲島みちるさんからいただきました。深謝です。

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もともとは、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんが、平成27年(2015)に刊行された書籍『十和田湖 乙女の像のものがたり』。光太郎の令甥、故・髙村規氏や、当会顧問・北川太一先生、乙女の像設置工事の際の技師だった小山義孝氏などへのインタビューなどから成り、当方も執筆させていただきました。

当方の主な執筆部分は「乙女の像」制作の背景をまとめた「「乙女の像」概説」、さらにそれとは別に「子供にもわかるものを」という注文があり、光太郎を主人公とし、史実を元にしたジュブナイルフィクション「乙女の像のものがたり」も書きました。

平成28年(2016)には、その「乙女の像のものがたり」を換骨奪胎し、十和田市の劇団エムズ・パーティーさんが朗読劇にされて公演、さらに「平成28年度 元気な十和田市づくり市民活動支援事業」の指定を受け、十和田市さんからの助成を受けてDVDを制作なさいました。

さらに、増加するインバウンドの方々向けにということで、今回、「多言語字幕版」が作成されまして、今日、十和田市で完成披露お披露目会が開催されています。

吹き替えで他言語に対応するにはとてつもない人手が必要ですが、字幕であればそうでもなく、いいアイディアですね。ただし、字幕を作成して下さった皆さん、やはりご苦労がいろいろおありだったと思われます。当方、翻訳されることなど全く夢想だにせずして書いたもので(笑)。

英語版は三沢市でALT(外国語指導助手)を勤められているエイダン・モリソンさん、韓国語版で同国の旅行会社に勤務されていたというカン奏子さん、中国語版(繁体字の台湾など向け/簡体字の中国本土向け)を中国で日本語教師や観光ガイドを務められていた立崎ヒロアキさんが担当して下さったそうです。附属のリーフレットもお三方によるものでしょう。

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日本語の字幕もついています。

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字幕の言語指定を切り替えると……。

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ハングル以外は、けっこう「なるほど」という感じです(笑)。

「乙女の像ものがたり」以外にも、「国立公園を楽しむためのルールとマナー」という項もあります。

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文化や生活習慣の違いというのもありますから、こういうことも大事なことですね。ちなみに十和田市さんでは、スマートフォンなどで読み込むQRコードを駆使した観光案内も実施なさっています。

来年、2020年は、東京オリンピック。訪日される外国の方は多いことでしょう。全国の観光地で、このような取り組みが広がってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

まるで鎌いたちのやうに忽然と来て忽然と去つたジヤン コクトウは、しかしいい土産を日本に置いていつた。それは醒めてゐる事の密度の高さをわれわれに印象させてくれた事だ。コクトウに比べるとわれわれはまだ眠たげに見える。まだ十分心身の隅々にまで意識がゆき渡つてゐないかに見える。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

この年訪日した、フランスの詩人ジャン・コクトー。光太郎同様、詩以外にも絵画や小説、脚本、映画監督など、さまざまな分野で足跡を残し、「芸術のデパート」と呼ばれました。そうした部分から、光太郎はひそかにシンパシーを感じていたのかもしれません。ちなみに後にディズニー映画になった「美女と野獣」も、コクトーが最初に映画化しました。その際、来日した折に観た歌舞伎の印象がインスパイアされているという説もあります。

「異文化交流」、大切なことですね。


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『週刊朝日』さんの先週号。情報を得るのが遅れ、慌てて買いに行ったら店頭ではもう今週号に切り替わっており、しかたなくネット通販で手に入れました。

「文語の湯宿」という連載が為されており、その第63回だそうで、光太郎智恵子がメインに取り上げられています。

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「湯宿」は、栃木県の那須塩原温泉に今も健在の柏屋旅館さん。昭和8年(1933)に、光太郎智恵子が滞在しています。 

【文豪の湯宿】 高村光太郎・智恵子が新婚写真を撮影した、最後の2人旅

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる連載「文豪の湯宿」。今回は「高村光太郎・智恵子」の「柏屋旅館」(栃木県・塩原温泉 塩の湯)だ。
 因習を嫌った高村光太郎と智恵子は大正3年の結婚披露宴以降も入籍を拒んできた。だが、昭和6年に精神を病んだ智恵子が、その翌年に睡眠薬自殺未遂を起こすと、光太郎は全精力を智恵子の回復のために注いだ。昭和8年8月23日に入籍したのも智恵子を守るためだった。
  入籍の翌日から2人は、墓参りを兼ねて智恵子の故郷に近い東北地方の温泉をめぐる3週間の療養の旅に出る。福島・宮城の湯治場を回り、9月4日には旅程の最後となる栃木県塩原温泉・柏屋旅館に到着した。2人はその翌日、智恵子の母・長沼セン宛てに絵葉書を送っている。
 <(塩原塩ノ湯柏屋にて)帰りかけに塩原へよりました 智恵>
  十数日間の滞在中、宿の下を流れる鹿股川で、2人は写真屋に記念写真を撮ってもらっている。数少ない貴重なツーショット写真となった。
  9月18日、療養の旅を終え帰宅したが、智恵子の病状は<上野駅に帰着した時は出発した時よりも悪化していた>(「智恵子の半生」)。
  光太郎の必死の看病にもかかわらず智恵子は、昭和13年に結核で死去。塩原は最後の2人旅となった。(文/本誌・鈴木裕也)
■柏屋旅館(かしわやりょかん)  栃木県那須塩原市塩原364

よくまとまっています。

「新婚」といっても、文中にあるとおり、正式な入籍に対しての「新婚」で、光太郎智恵子、事実婚の開始は大正3年(1914)に上野の精養軒で行った結婚披露よりさらに遡ります。当時の(現在でもそうだそうですが)フランスでは事実婚のまま入籍しないカップルが多いとのことで、それにあやかったのでしょう。この時期に正式に入籍したのは、やはり文中にあるとおり、心の病が顕在化した智恵子の身分保障のためでした。智恵子もそうでしたが、既に光太郎自身も結核に冒されており、万一、自分の方が先に逝くことになったら……という配慮です。

そして、智恵子の愛した「ほんとの空」のある東北方面の温泉地で療養すれば、智恵子の心の病も快方に向かうのではないかという淡い期待の元、昭和8年(1933)8月24日からおそらく9月中旬まで、二人は4ヵ所の温泉地を廻りました。

まず、福島の裏磐梯川上温泉。ここにはこの湯治旅行で最も短く、一泊しかしませんでしたが、この際に、「わたしもうぢき駄目になる」のリフレインで有名な詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)が着想されました。

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013続いて向かったのは、宮城県蔵王山中の青根温泉。二人が泊まった湯元不忘閣さんは今も健在です。青根に「一週間ばかり滞在」したという二人は、8月末か9月の頭に、次なる投宿地、福島土湯温泉に向かいました。土湯では旅館街から山奥に入った不動湯に宿泊しました。この旅館は平成25年(2013)に火災焼失、現在は焼け残った露天風呂を使い、日帰り入浴施設として再オープンしています。

そして、不動湯に9月4日まで滞在した二人は、福島市方面に山を下ります。おそらく東北本線を使って移動。翌5日に塩原温泉から、智恵子の母・センに宛てて、『週刊朝日』さんに紹介されている連名の絵葉書を送っています。

塩原では、柏屋旅館に投宿。柏屋は、塩原の中でも鹿股川の渓谷沿いの「塩の湯」というエリアにあり、塩原温泉の中心街からは離れて位置しています。いったいに、この湯治行では、一件宿だったり、温泉街のはずれだったりのいずれも静かな宿が選ばれました。症状の思わしくない智恵子や、他の湯治客への配慮でしょう。

そして、『週刊朝日』さんにも載った、右の写真が撮られました。これが確認できている限り、智恵子最期の写真です。

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上は戦後すぐと思われる柏屋さんのパンフレット、それから戦前と思われる絵葉書です。絵葉書には、上記ツーショット写真にも写っている橋が。残念ながらこの橋は戦時中に金属供出に遭い、現存しません。

9月19日には、二人で撮った写真を使った絵葉書を、やはり連名でセンに送っています。

 しばらく方々を歩いてゐましたが先日帰宅しました、秋になりましたがお変りありませんか、当方無事、

文面は光太郎の筆跡で、差出人欄の「智恵」署名のみ智恵子の手になると思われます。そうとすれば、現存が確認できる智恵子最後の筆跡です。

19日の時点で「先日」と書かれているので、そう遠くない9月中旬の帰京だったのでしょう。『週刊朝日』さんには「9月18日、療養の旅を終え帰宅した」とありますが、こちらでは正確な帰京の日付を特定できていません。何か新資料でもあったのでしょうか? 柏屋の後に、二人が他の温泉宿に寄ったという記録が見あたらないので、ここには10日ほども滞在したと考えられます(今後、書簡等の発見で、新事実が出て来るかも知れませんが)。

「文豪の湯宿」、ぜひ単行本化していただきたいものですね。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は私との不如意な生活の中で愛と芸術との板ばさみに苦しみ、その自己の異常性に犯されて、刀折れ矢尽きた感じである。精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつたのだ。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつた」、恐ろしいまでに的確な、しかし哀しい比喩です。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

直接的には光太郎智恵子と関わりませんが……。  

恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~

期    日 : 2019年2月26日(火)~5月6日(月)
会    場 : 田端文士村記念館  東京都北区田端6丁目1-2
時    間 : 10:00~17:00
料    金 : 無料
休 館 日  : 月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日と水曜日が休館)
          祝日の翌日(祝日の翌日が土・日曜日の場合は、翌週火曜日が休館)

いつの時代も恋は人々の心を大きく揺さぶり、人生を左右する一大事です。幸、不幸を往来するのは恋の宿命ですが、それゆえに恋の数だけドラマも生まれます。 本展では芥川文・平塚らいてう・林芙美子・佐多稲子など、 田端ゆかりの女性たちに焦点を当て、それぞれの恋愛事情を様々な資料から紹介します。

佐多稲子×窪川鶴次郎  板谷まる×板谷波山  林きむ子×林柳波  池田蕉園×池田輝方  
山田順子×竹久夢二・徳田秋声  林芙美子×手塚綠敏  芥川文×芥川龍之介  平塚らいてう×奥村博史

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関連行事

講演会 「芥川龍之介さんとわたし」 
講師 : 伊藤比呂美   3/16(土)14:00開演   定員 : 100名(応募多数の場合は抽選)
現代詩から古典やお経の現代語訳まで、常に新しい分野を開拓する詩人・伊藤比呂美が、初めて「芥川龍之介」について語ります。

3月ひととき散歩 「田端の女性たち~文学への情熱と苦悩~」
ご案内 : 当館研究員  3/17(日)13:00開演  当日先着80名(直接当館にお越し下さい)
文壇が男性主流の時代に、様々な逆境を越えて活躍した林芙美子、佐多稲子など田端ゆかりの女性作家の活動を中心にご紹介します。1時間ほど館内で講義をした後、1時間ほど旧居跡などを散歩します。天候により講義のみになることがあります。


日本女子大学校家政学部でで智恵子の一級上でテニス仲間、卒業後に『青鞜』の表紙を智恵子に依頼するなどした平塚らいてうがラインナップに入っています。らいてうも恋多き女でしたが、相方として取り上げられるのは、終生の伴侶となった「若いツバメ」こと画家の奥村博史です。

芸術界全体があまり広くなかったこの時代、他に取り上げられる人々のうちの何人かも、回り回って光太郎智恵子・光雲と関わりがあったりします。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

概括してヒウザン会の傾向をのべると、フオウビズム、印象派、後期印象派の三つに分れ、われわれの崇拝の的はゴオガンとゴツホであつた。先輩の中で、われわれの兎も角承認したのは黒田清輝氏ただ一人である。

散文「ヒウザン会とパンの会」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

田端文士村に集った人々もそうですが、それより若干早く、日本橋周辺で気焔を上げていた光太郎ら「パンの会」のメンバー、そしてそこから生まれた「ヒユウザン会(のちフユウザン会)」の造形作家たち。日本の芸術界全体が若かった頃に花開いた動きでした。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

「大人のための」というと、何やらエッチなものを連想する方がいらっしゃるかもしれませんが(当方だけでしょうか(笑))、そういうネタではありませんので悪しからず(笑)。

まずは朗読イベント、鹿児島での開催です。  

「大人のための夜の朗読会」

期    日 : 2019年2月22日(金)
会    場 : 御菓子司 鳥越屋  鹿児島県指宿市湯の浜4-11-9 0993-22-3878
時    間 : 19:00~20:00
料    金 : 無料

ギターやピアノの生演奏が流れる中、「本と人とをつなぐ〝そらまめの会〟」の下吹越かおるさんなどが詩人・高村光太郎さんの詩や物語などを朗読。定員25人で参加は無料。申し込みは不要ですが、電話確認がお勧めです。

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光太郎を取り上げて下さり、ありがとうございます。タイトルに「大人のための」だけでなく「夜の」までついて、さらに妖しい雰囲気ですが(笑)、そういうわけではないのでしょう(笑)。


朗読、というか、音読ですが、こんな本も出ています。こちらも「おとなのための」(笑)。 

もっと心とカラダを整えるおとなのための1分音読

2019年2月15日 山口謠司(大東文化大学文学部准教授) 自由国民社 定価1,300円+税

道程、銀河鉄道の夜、二十四の瞳……毎朝1分、毎晩1分、おなじみの名文を読めば心とカラダがスッキリ!!
テレビ朝日系ドラマ「Doctor-X~外科医・大門未知子」医療監修医師・ジャーナリスト 森田 豊先生推薦!
「音読に没頭する時間を持つことは、心とカラダの健康につながるでしょう。」

目次
推薦の言葉
「毎日の健やかな心とカラダのために、音読をお薦めします。」 (医師・ジャーナリスト 森田 豊)
第1章 元気が出る音読
 道程(高村光太郎) 蜘蛛の糸(芥川龍之介) 竹馬余事(柳田国男) 論語(孔子)
 努力論(幸田露伴)たけくらべ(樋口一葉) 漱石先生とドイツ語(小宮豊隆)
 山月記(中島 敦) 
あの山越えて(種田山頭火) 偶成(朱熹) 
 将に東遊せんとして壁に題す(月性) 
不識庵機山を撃つの図に題す(頼山陽)
 白鳥(ステファンヌ・マラルメ、訳:上田 敏) 
魯山人の料理王国(北大路魯山人)
 三四郎(夏目漱石) 母性のふところ(高村光太郎) 
雨ニモマケズ(宮沢賢治)
 歌をよむには(秋艸道人) 富嶽百景(太宰 治)
 ●column1 「音読」と「朗読」は何が違う?
 第2章 気持ちが落ち着く音読
  夏夜(土井晩翠) ふらんす物語(永井荷風) 小倉百人一首
 夜ふる雪(北原白秋) 銀河鉄道の夜(宮沢賢治) 伊勢物語 胡蝶(八木重吉)
 三百年後(小倉金之助)
一房の葡萄(有島武郎) ふるさと(高野辰之)
 かもめ/夏の夜(島崎藤村) 赤い蝋燭と人魚(小川未明) 
こほろぎ(木下杢太郎)
 反古(小山内 薫) 武蔵野(国木田独歩) 山椒大夫(森 鷗外) 
 春望(杜甫)/静夜思(李白) 落葉松(北原白秋) こころ(夏目漱石)
 ●column2 歩きましょう!
 第3章 音やせりふを楽しむ音読
  人形の家(ヘンリック・イプセン、訳:矢崎源九郎) 金色夜叉(尾崎紅葉)
 赤い蝋燭(新美南吉)ドグラ・マグラ(夢野久作) 羅生門(芥川龍之介)
 燕の歌(ガブリエレ・ダンヌンチオ、訳:上田 敏) 風の又三郎(宮沢賢治)
 父帰る(菊池 寛) 
金ちゃん蛍(与謝野晶子) 弁天娘女男白浪(河竹黙阿弥)
 人間失格(太宰 治) 
耳無芳一の話(小泉八雲、訳:戸川明三) 蟹工船(小林多喜二)
 土(長塚 節) 機織虫(山村暮鳥) 
二十四の瞳(壺井 栄)
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類似の書籍は少なくないと思われますが、たまたま検索網に引っかかったので……。

ちなみに来(きた)る4月2日(火)の第63回連翹忌では、昨秋、智恵子の故郷・福島二本松で開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」で、大賞を獲得された宮尾壽里子さんに朗読をご披露いただく予定です。


【折々のことば・光太郎】

詩を書くのに文語の中に逃げ込む事を決して為まいと思つた。どんなに傷だらけでも出来るだけ今日の言葉に近い表現で詩を書かうと思つた。文語そのものから醸成される情趣と幽玄性と美文性とは危険である。その誘惑は恐ろしい。
散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

詩集『道程』(大正3年=1914)所収の詩編などで、口語自由詩を確立した光太郎ですが、その初期には文語詩も書いていました。そこには戻らないつもりでいたものの、この数年後、特に太平洋戦争開戦後は、再び文語詩の「誘惑」に負けてしまうことになります。

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青森の地方紙『デーリー東北』さんに一昨日載った記事です。  

「十和田かるた」で市内PR 高清水小の児童が初制作

 「俳句日本一」を目指した教育活動を推進している十和田市立高清水小(原田克人校長)の全校児童29人は、観光地や特産品など市内の魅力を詰め込んだ「十和田かるた」を初めて制作した。昨年9月に実施した市内各地を徒歩やバスで巡る学校行事「十和田ウォーク」を通じ、五七五調の読み札と対応する絵札が完成。子どもたちの豊かな感性が際立つ作品となっており、同市の魅力発信に一役買いそうだ。
 同校では、これまで児童が地域や個人的な出来事を作品にしたかるたを制作。本年度は市全体を対象に拡大した。
 絵札には、十和田湖のシンボル「乙女の像」や女流騎手が的を射る「桜流鏑馬やぶさめ」、伝統工芸品の「きみがらスリッパ」「南部裂織」、特産品の「十和田湖ひめます」などが描かれた。
 制作に取り組んだ須田山遥さん(6年)は「な」の読み札を「長芋の とれる畑の 背に紅葉」とし、「ナガイモは市の名産。収穫時には葉が色づくので思いついた」と説明した。
 松田佳大けいた君(同)は「し」を「市役所の 上から見下ろす 空と山」と詠んだ。「展望フロアから見た青と緑の景色がきれいだった」とアピールした。
 原田校長は「子どもたちの感覚には驚かされるばかり。楽しみながら取り組んでいるので良かった」と述べた。
 同校は本年度、かるたを計4セット作り、地元の保育所などに配布。2019年度も増刷し、市の関係機関に配布する予定だ。

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いい話ですね。こういう活動を通じ、上からの押しつけではなく、楽しみながら「郷土愛」といったものが育まれていくのだと思います。

ちなみに「乙女の像」にはどんな句が添えられているのか、気になるところです(笑)。


【折々のことば・光太郎】

日本の古い銘木の緑茶のうまさを何に比べよう。この世の飲みものの中のあらゆる味を思ひ出してもこれに勝るものはない。リキュウル、否。灘の銘酒、否。ブウルゴオニユの古葡萄酒、否。ダアジリンの紅茶、否。それらのものの秀れた味は珠玉のやうだが、なほこの濃緑の奥深さを持つものは断じて無い。
散文「新茶の幻想」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

昭和10年(1935)5月の作。この年の今頃、智恵子がその終焉の地となった南品川ゼームス坂病院に入院しまして、とりあえず光太郎の生活は落ち着きを取り戻した時期です。そこで、紹介した一節の前に、茶が好きだった智恵子の回想が書かれ、末尾には「智恵子は今どうしてゐるだらう。千羽鶴は折れたか、茶の味は忘れたか。」と記されました。

この文章、長らく初出掲載誌が不明でしたが、同年6月30日発行の『週刊朝日』第27巻第31号に掲載を確認しました。

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3/9(土)にNHK BSプレミアムさんで放映されるスペシャルドラマ「女川 いのちの坂道」の番宣番組「ドラマ"女川 いのちの坂道"メイキング」を、昨日、拝見しました。

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5分間のミニ番組ですが、これを見ただけでぐっときました。

東日本大震災の津波で倒壊、流失するまで女川町に建っていた、昭和6年(1931)の光太郎の女川来訪を記念する「高村光太郎文学碑」の精神を受け継ぎ、東日本大震災後、費用全額を寄付で集めた「いのちの石碑」をめぐる実話を元にしたドラマです。

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主人公・咲(19)は、その建立に携わったメンバーの一人。演じるのは平祐奈さん。

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いろいろあって、高校卒業後、女川を離れ、久しぶりの帰郷という設定だそうです。

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上京して知り合った彼氏(平埜生成さん)は、映像作家志望だそうで、ドローンが登場。

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実際にはプロのドローンパイロットの方が操縦し、女川の空撮風景が随所に使われています。

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JR石巻線女川駅裏の共同墓地。「何も入っていないお墓もあるんだよ」と、咲のセリフ。

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元の野球場に建てられた仮設住宅。かつて光太郎文学碑の建立に奔走し、あの日、津波に呑まれて亡くなった貝(佐々木)廣氏の奥様がお住まいでした。震災の翌年には、この中央の坂本龍一マルシェで、第21回女川光太郎祭が開催されました。

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ドラマの本編は3月9日(土)。番宣番組は再放送で2/21(木)11:40~11:45、2/22(金)27:55~28:00、2/23(土)9:25~9:30、2/24(日)23:55~24:00に、いずれもNHK BSプレミアムさんで放映されます。ぜひご覧下さい。


続いて、NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」。2月15日(金)の放送回、「僕の前に道はない僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎」と予告が出ていたので拝見しましたが、過去の映像の使い回しで、坂本龍一さん作曲の「道程」が流れました。

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こちらは3月1日(金)、6時35分~6時45分と17時00分~17時10分に再放送があります。


もう1件。  

フランス人がときめいた日本の美術館 #21「朝倉彫塑館(東京都台東区)」

BSイレブン 2019年2月22日(金) 20時00分~20時58分

美術ファンの間でベストセラーとなっている書籍『フランス人がときめいた日本の美術館』を番組化。著者で、数々の美術展をプロデュースしているフランス人美術史家、ソフィー・リチャード氏のメッセージをもとに、フレッシュで透明感のある旅人たちが、日本の美術館の魅力・価値を発見していく、美術探索ドキュメンタリー。 さらに、周辺の観光情報など紀行要素もプラスして、「週末に出かけたくなる美術館」をご紹介します。

日本にはバラエティに富んだ魅力的な美術館があります。それを気付かせてくれるのは、フランス人の美術史家・ソフィー・リチャードさん。10年かけて日本の美術館を巡り、その魅力をまとめた書籍『フランス人がときめいた日本の美術館』が話題となっています。
そんな彼女のメッセージをヒントに、「トキメキ」の旅に出掛けるのは、女優の藤田可菜。
今回、ソフィーさんがオススメするのは、東京・谷中にある「朝倉彫塑館」です。谷中は、昔の東京がそのまま残る風情あるエリア、猫の街として有名です。そんな街中に異彩を放つ、黒に塗られたコンクリートと伝統的な日本家屋のコントラストが印象的な建物が、今回ご紹介する彫塑家朝倉文夫の自宅兼アトリエだった美術館です。2001年には国の登録有形文化財に登録され、2008には「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。朝倉は、早稲田大学にある「大隈重信像」の作家としても有名。ソフィーさんが注目した地下に設置された電動昇降台や、水の豊かな故郷大分に想いを馳せて造られた庭を埋めつくす池、それを飾る日本各地から取り寄せた石など、随所に朝倉のこだわりが見えてきます。さらに、猫好きでもあった朝倉の猫の彫刻はまるで生きているかのよう。朝倉の愛情が感じられる作品です。朝倉はこのアトリエで、後進の育成にも力を注ぎました。「朝倉彫塑館」は、彫塑家朝倉文夫の愛情とこだわりを感じるそんな美術館でした。
 
紹介作品:「大隈重信像」「墓守」「時の流れ」「砲丸」ほか

出演者 旅人:藤田可菜(女優・タレント)  語り:椎名桔平

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光太郎と同時代の彫刻家・朝倉文夫の個人美術館・朝倉彫塑館さん。当方も2度ほどお邪魔しました。こちらには朝倉が買い求めた、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が所蔵されており、時々展示されます。確認できている限り、大正期に鋳造され、台座の木彫部分も光太郎が彫った3点のうちのひとつです。それも紹介していただけるとありがたいのですが……。


【折々のことば・光太郎】

此の肖像はもう「或日の印象」ではありません。それ故特定の年齢も其処に無く、特殊の表情もありません。ただ一個の魂が彫刻的表現をもつて其処に存在してゐるに過ぎません。生命の有無は唯作品のみが證となるでせう。

散文「おわびとお礼と」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

智恵子の母校・日本女子大学校から大正8年(1919)に依頼された同校創立者の「成瀬仁蔵胸像」に関してです。試行錯誤の繰り返しで、作っては毀し、毀しては作り、14年かかって、昭和8年(1933)にようやく完成。それだけに、自信作となりました。たしかに光太郎肖像彫刻の一つの頂点ですね。

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ちなみにここで言う「生命の有無」に関し、光太郎は朝倉の彫刻をあまり高く評価していませんでした。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

2月も後半となりまして、当方自宅兼事務所のある千葉県は、まだ寒さが残るものの、そちこちで春の気配が漂っています。愛犬の散歩中、今年初めて冬眠から覚めたカエルに遭遇しましたし、裏山では梅が満開です。

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しかし、東北や北陸などの雪国では、まだまだ雪深い状態のようですね。青森に住む友人からのLINEでは、「雪で庭がない」とありました(笑)。

雪国からの新聞記事等を3件。

まずは『福島民報』さん。同社の主催で一昨年に始まった、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」の語を冠したイベント「ふくしま ほんとの空プログラム」関連です。  

多彩な雪遊び満喫「ほんとの空プログラム」 郡山湖南

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 豊かな自然環境で子どもの好奇心や探究心を育む
活動「ふくしま ほんとの空プログラム~雪まみれになって遊ぼう!!」は十日、郡山市湖南町のホールアース自然学校福島校などで開かれた。
 県内外から集まった小学生とプログラムサポーターのタレント長沢裕さん(伊達市出身)が参加した。旧福良小の校庭でソリ滑りや雪だるま作り、雪に寝そべり人の形を作るなど雪遊びを満喫した。雪合戦では雪玉を投げ合い、白熱した戦いを繰り広げた。参加者全員で力を合わせて、かまくらを作り、白銀の世界を楽しんだ。
 餅つき体験も催され、子どもが餅をついた。出来上がった餅は雑煮に入れたり、あんこ、きな粉などにあえたりして味わった。
 長沢さんは「最初は寒くて動けるかなと思ったが、みんなと大自然の中でいっぱい走って叫んで遊ぶことができて楽しかった」と笑顔を見せた。
 プログラムは福島民報社の主催、オーデン、花王、城南信用金庫、常磐興産、大王製紙、テーブルマーク、日本シビックコンサルタント、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会の協賛。


続いて、青森。『東奥日報』さん。開催中の「十和田湖冬物語2019」について。 

昼は雪遊び、夜はイルミネーションの幻想世界 「十和田湖冬物語」24日まで

 十和田湖畔休屋地区で連日多彩なイベントが繰り広げられる「十和田湖冬物語」。光に彩られた白銀の世界で、カップルや家族連れがキャッチフレーズ通り、冬と遊んでいる。会期は24日まで。


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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップ、幻想的ですね。昨年お邪魔した際は、像の周辺は地吹雪で、遭難するかと思いましたが(笑)。


最後に『新潟日報』さん。同紙は一面の題字(会津八一揮毫)の脇に、新潟ゆかりの詩人・堀口大学の短句を載せる「堀口大学 文化の記憶」というコーナーがあり、2/14掲載分が、詩「光太郎詩人の写真に題す」 の一節でした。

堀口大学 文化の記憶

深雪(みゆき)の中のこの老詩人 ひとり暮しはおさびしからう 深雪の中のこの老詩生

末行「妻子かかへて凍えてゐるに」に続く詩「光太郎詩人の写真に題す」。老詩人は高村光太郎、老詩生は大学。光太郎は岩手山中で独り暮らしていた。


この詩は全4行の短い詩です。堀口自身の回想が残っています。雑誌『短歌研究』第十三巻第五号(短歌研究社 昭和三十一年五月)に載った「白い手の記憶――高村光太郎の思い出――」より。

 終戦後、疎開先の岩手の山奥での憔悴の見える高村さんの雪中の写真を見て、その頃妙高山麓の雪にうもれて難儀していた私は『光太郎詩人の写真に題す』という詩を書き、雑誌にのせたり、自分の詩集に収録したりした。
   深雪の中のこの老詩人
   一人暮しはお淋しからう
   深雪の中のこの老詩生
   妻子かかへて凍(こご)えている
 この詩には、戦後の高村さんの自虐とも言いたいほどな修道僧のような生活ぶりに対する、私なりのクリティックを托したつもりであったが高村さんの目には触れずにしまったようだ。

詩は昭和22年(1947)、柏書院刊の『雪国にて』という詩集に収録されています。

堀口大学(明25=1892~昭56=1981)は詩人、フランス文学研究者。はじめ、与謝野鉄幹・晶子の新詩社に拠って短歌に親炙、慶應義塾大学文学部予科に入学後、『三田文学』に寄稿するなどしました。同い年で同門の佐藤春夫とは、終生、交友を持ち、光太郎とも新詩社で知り合いました。

明治44年(1911)から大正6年(1917)にかけ、元長岡藩士で外交官だった父に従い、中南米、欧州十カ国ほどを転々とし、滞仏中には、画家のマリー・ローランサンとのラブロマンスもあったといいます。また、「白い手の記憶――高村光太郎の思い出――」によれば、海外から光太郎に、ロダン関係の新聞記事や文献などを送ったそうです。帰国後は詩作、仏文学の翻訳で活躍。戦時中から戦後しばらくは新潟県妙高山麓の実家に疎開。昭和25年(1950)に疎開から引き揚げて以降は、神奈川県湘南の葉山町に終生在住しました。

時期的に見て、堀口が見たという光太郎の写真は、『週刊朝日』の昭和21年(1946)の2月24日号あたりに載ったものかな、という気がします。

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左が光太郎が暮らしていた花巻郊外旧太田村の山小屋。今もこの季節、こんな感じなのでしょう。


しかし、雪国もそろそろ春の気配が見えてくる頃だと思います。雪国の皆さん、雪に負けずにがんばって下さい。


【折々のことば・光太郎】

毛皮を身に纏ふ事は元来人間のからだと調和しない。極寒の地に於ける実用のみがその美をゆるす。エスキモオの毛皮はいつでも美しい。暖帯地方の都会風俗にあらはれる毛皮は必ず一種のグロテスクさとさもしさとを示し、ダイヤモンドを五本の指に光らすのと似たいやささへ伴ふ。

散文「毛皮」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

十数年後、自らもエスキモーのようにカモシカの毛皮を身に纏うことになるとは、さしもの光太郎も本気では考えていなかったことでしょう。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

上野のトーハクさんでの特別展情報です。  

特別展 御即位30年記念「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」

期    日 : 2019年3月5日(火) ~4月29日(月・祝)
会    場 : 東京国立博物館  東京都台東区上野公園13-9
時    間 : 午前9時30分~午後5時 金・土曜日は午後9時まで
料    金 : 一般1,000円 大学生700円 高校生400円 団体割引有り
休 館 日  : 3月25日(月)、4月29日(月・祝)を除く月曜

本展は、宮内庁が所管する皇室ゆかりの作品の中から、天皇陛下御即位の儀式に際して東山魁夷、高山辰雄が平成2年(1990)に制作した「悠紀・主基地方風俗歌屛風」や、天皇皇后両陛下が外国御訪問の際にお持ちになって紹介された作品などを展示するものです。
両陛下がお伝えになった日本文化を通して、海外の様々な人々が、わが国への理解と交流を深めてきました。御即位30年という記念すべき年に、両陛下が担われた文化交流についてご紹介します。

主な作品 御即位に関連する作品 / 歴代皇后陛下が伝えたご養蚕をテーマにした作品  / 天皇皇后両陛下の外国御訪問時に紹介された名品 / 天皇皇后両陛下の外国御訪問時に紹介された名品 / フランス国で開催された御養蚕についての展覧会で紹介された御品


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ご在位30年、そしてもうすぐ平成が終わるということもあり、この手の企画が多いですね。

「歴代皇后陛下が伝えたご養蚕をテーマにした作品」の中で、光太郎の父・高村光雲の手になる宮内庁三の丸尚蔵館さん蔵の「養蚕天女」(大正13年=1924)が出品されます。前期(3月31日(日)まで)のみの展示だそうです。

同館には大小2点の「養蚕天女」があり、こちらは像高約50センチの大きな方。最近では平成28年(2016)に、同館で開催された「第72回展覧会 古典再生―作家たちの挑戦」で出品されました。

ちなみに小さい方の「養蚕天女」は、昭和3年(1928)の作で、像高約25センチ。こちらは一昨年、東京藝術大学美術館さんで開催された「東京藝術大学創立130周年記念特別展 皇室の彩(いろどり) 百年前の文化プロジェクト」にて展示されました。

今回、大小2点とも出品されるとのことです。

他に、東山魁夷、高山辰雄、岩佐又兵衛、酒井抱一らの優品がずらり。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

ただ物寂びた芸術、ただ渋い芸術、ただ厳しい芸術、さういふ程度の階級に位するものなら求めるに難くない。古来、真に冬たり得た芸術が一体何処にあるだらう。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

「あなたの遺した芸術こそ、『真に冬たり得た芸術』ですよ」と、光太郎に言いたいところです(笑)。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

経済界では「ニッパチ」という語が使われており、古来、2月と8月は消費が落ち込むと言われています。文化芸術方面にもそれがあるようで、特に2月はその方面のイベントなどが多くありません。これが来月になると、またいろいろあるという情報を得ています。

2月も後半となりましたので、来月開催のイベントも少しずつご紹介します

大人のための朗読会

期    日 : 2019年3月2日(土)
会    場 : 大森南図書館  大田区大森南一丁目17番7号 03-3744-8411
時    間 : 午後2時から午後3時30分
料    金 : 無料
出    演 : 朗読ボランティア「響の会」
                                        土井千枝子さん、中田美津子さん、大橋優喜子さん、岩瀬悦子さん
演    目 : 『ひかるさくら』 『太宰治 舌切雀』 『蜘蛛の糸』 『智恵子抄』
対    象 : 中学生以上
定    員 : 先着40名 電話か来館で申し込み

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いつも書いていますが、光太郎詩は定型になっていない自由詩でも、意外に朗読向きです。また、散文も。やはり光太郎の鋭い言語感覚の表れでしょう。

全国の朗読愛好者の方々、どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私はいつも最も突き進んだ芸術の究極境が此の冬の美にある事を心ひそかに感じてゐる。満目蕭条たる芸術を生み得るやうになるまで人間が進み得るかどうか、それはわからない。此は所詮人間自身の審美の鍛錬に待つ外はないにきまつてゐる。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

春の花や秋の紅葉を愛でる日本古来の感覚とは異なり、冬の厳しい自然に究極の美を見た光太郎。これも近代人としての新しい感覚なのでしょう。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

今年も4月2日の光太郎命日、連翹忌が近づいて参りました。以下の要領で、第63回連翹忌を開催いたします。
 
当会名簿にお名前のある方には、要項を順次郵送いたしますので、近日中に届くかと思われます。
 
また、広く参加者を募ります。参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ということのみです。
 
下記の要領で、お申し込み下さい。詳細な案内文書等必要な方は、当ブログコメント欄までご連絡下さい。非表示も可能です。郵送いたします。
 

第63回連翹忌御案内


                                       
 日 時  平成31年4月2日(火
) 午後5時30分~午後8時
 
 会 費  10,000円 (ビュッフェ形式での食事代を含みます)

 会 場  日比谷松本楼  〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1-2
       tel 03-3503-1451(代)

 内 容  高村光太郎およびこの1年に亡くなった関係各位への黙祷
      アトラクション(音楽演奏・朗読)/スピーチ
      この1年間に発行された高村光太郎/光雲/智恵子関係資料等展示
      他      

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  ごあいさつ

 今年も第六十三回、平成最後の連翹忌が間もなくやって参ります。

 あしたどんなことが起こるかわからない一年がまたたく間に過ぎようとしていますが、いつものように、日比谷公園松本楼の階上で、運営委員の皆さんのご努力により、たくさんのご報告や催しが予定されております由、お忙しい日々でしょうが、お目にかかれればうれしく存じます。

 わたくしは、この三月で満九十四才になります。

平成三十一年 二月
連翹忌運営委員会顧問 北川太一

御参加申し込みについて

会費を下記の方法にて3月22日(木)までにご送金下さい。会費ご送金を以て出席確認とさせて頂きます。
 
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ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明

基本的に郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願い致します。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネームがわかるよう、ご手配下さい。

会費お支払いは当日でもけっこうですが、できるだけ事前にお支払い下さい。


今年の連翹忌は火曜日です。新年度となって間もない平日ということで、なかなかお忙しい折とは存じますが、万障お繰り合わせの上、ご参加お待ち申し上げております。

過去6年間の様子はこちら。


ご参加下さっているのは、光太郎血縁の方、生前の光太郎をご存じの方、生前の光太郎と交流のあった方のゆかりの方、美術館・文学館関係の方、出版・教育関係の方、美術・文学などの実作者の方、芸能関連で光太郎智恵子を扱って下さっている方、各地で光太郎智恵子の顕彰活動に取り組まれている方、そして当方もそうですが、単なる光太郎ファン。どなたにも門戸を開放しております。

繰り返しますが、参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ことのみです。

よろしくお願いいたします。

東京美術学校(現・東京藝術大学さん)で、光太郎と同期だった彫刻家に、水谷(みずのや)鉄也という人物がいました。「鉄」の字は「銕」とも表記されたり、「佳園」と号したりしましたので、「水谷銕也」、「水谷佳園」で検索網に引っかかったりもします。また、書籍によっては、苗字も「水ノ谷」となっているものもあります。

水谷は長崎島原の出身で、光太郎より7歳年長の明治9年(1876年)生まれですが、郷里を出て奈良で木彫家の森川杜園に学んでから美校に入学したため、年の離れた光太郎と同期となりました。水谷や光太郎の入学当初は美校彫刻科には木彫科しかなかったのですが、明治32年(1899)に、イタリア帰りの長沼守敬を主任とする塑造科が新設され、水谷はそちらに移りました。卒業は光太郎ともども明治35年(1902)。この際の卒業制作「愛之泉」(左下)は、光太郎の「獅子吼」(右下)を抑えて首席となりました。

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「愛之泉」は、一昨年、東京藝大美術館さんで開催された「東京藝術大学創立130周年記念特別展 藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」に出品され、拝見して参りました。優美な作風の作品で、確かに荒っぽい「獅子吼」よりきれいな作ではあります。

また、平成27年(2015)には、武蔵野美術大学美術館さんで「近代日本彫刻展」が開催され、そちらでは水谷作品は木彫の「海老」(大正15年)が出まして、拝見して参りました。この展覧会はイギリスのヘンリ・ムーア・インスティテュートさんとの共同企画で、「海老」はイギリス展にも展示されました。光太郎作品は木彫の「白文鳥」(昭和6年=1931頃)、ブロンズの「手」(大正7年=1918)が出品されました。

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美校卒業後、水谷は同校で教壇に立ち、その間にヨーロッパ留学も経験しています。


さて、昨年の話になりますが、以前に連翹忌にご参加いただいた、水谷の令孫(茨城県にお住まいです)から、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市に、水谷の作品があるという情報を得ました。これには驚きました。そして詳細を知って二度びっくり。何と、勤め人時代にその前を通って十数年通勤していた銅像だったからです。

過日、改めて見に行って参りまして、撮ってきた画像がこちら。

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高安宗悦という、この地で開業していた接骨医の銅像でした。元は昭和10年(1935)の作です。が、どうもこの手の銅像の通例で、戦時中に金属供出にあったらしく、昭和35年(1960)再建というプレートも付いていました。

前を通って通勤していながら、車を駐めてきちんと見るということをしていなかったのですが、車窓から見てもその辺によくある立体写真的な俗悪銅像とは違うとは思っていました。しかし、まさか光太郎ゆかりの人物の作だとは思いもよらず、汗顔の至りです。

さらに、高安宗悦について調べてみて、三度びっくり(笑)。宗悦の子息の恭悦は、漢方医の浅田宗伯の養子となりましたが、その養父・浅田宗伯こそ、かの「浅田飴」の考案者だったのです。

地元の歴史などについても、もっと関心を持たなければ、と思い知らされました。


【折々のことば・光太郎】

葉を落とした灌木や喬木、立ち枯れた雑草やその果実。実に巧妙に縦横に配置せられた自然の風物。落ちるものは落ち、用意せられるものは用意せられて、何等のまぎれ無しにはつきりと目前に露出してゐる潔い美しさは、およそ美の中の美であらう。彼等は香水を持たない、ウヰンクしない。見かけの最低を示して当然の事としてゐる。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

すっかり葉を落としながらも、実は既に芽をふくらませ始めている連翹や桜などの庭木を見ると、この光太郎の言が実感させられます。

テレビ放映情報、4件ほど。  

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2019年2月15日(金)6時35分~6時45分  
        再放送 17時00分~17時10分・3/1(時間同じ)

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、花鹿亭/「テスト」瀧川鯉八、ヨシタケシンスケ/僕の前に道はない僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、野村萬斎/ややこしや「まちがいの狂言」高橋康也、百人一首/恋すてふわが名はまだき立ちにけり…(壬生忠見)、名文/祗園精舎、歌/蜘蛛の糸

出演  美輪明宏 野村萬斎 野村裕基 おおたか静流 うなりやベベン 瀧川鯉八 ほか

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この番組、何度か「道程」を取り上げて下さっています。その際の映像の使い回しなのか、新作なのか、不明ですがとりあえず。

ドラマ"女川 いのちの坂道"メイキング

NHK BSプレミアム  2019年2月17日(日)  17時20分~17時25分

全編ドローンで描くドラマ「女川 いのちの坂道」。震災で深刻な被害を受けた宮城県女川町。12歳で被災した咲が恋人翔太とたどる青春ロードムービー。その舞台裏に密着!

東日本大震災で甚大な被害に見舞われた宮城県女川町。卒業間際で被災した子供たちは「1000年後のいのちを守ろう」と、あの日津波が到達した場所に『いのちの石碑』を建てる活動を続けている。ドラマはその実話をもとに今年20歳になる若者たちの青春群像をロードムービータッチで描く。このドラマの見どころは異例の全カットドローン撮影。放送に先立ち、その舞台裏をメイキング映像も織り交ぜ、余すところなく伝える。

出演 平祐奈 平埜生成

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3/9(土)に、やはりNHK BSプレミアムさんで放映されるスペシャルドラマ「女川 いのちの坂道」の番宣番組です。

かつて女川町に建っていた、昭和6年(1931)の光太郎の女川来訪を記念する「高村光太郎文学碑」の精神を受け継ぎ、費用全額を寄付で集めた「いのちの石碑」をめぐる実話を元にしたドラマです。その建立に携わっている若者たちは、今年、成人式を迎えました。3/9の本編と併せてご覧下さい。

 

ブラタモリ #126 パリ ~パリはなぜ華の都になったのか?~ 

NHK総合 2019年2月16日(土) 19:30~20:15

ブラタモリ海外編、第2弾はフランスのパリ!
「凱旋門」や「エッフェル塔」などの観光地や美しい町並み。さらにファッション、アート、グルメを求め、世界中から集まる観光客は実に年間2360万人!世界の人気観光地ランキングでもナンバーワンの街です。そんなパリを形容する言葉としておなじみなのが“華の都”。なぜ、パリは人でにぎわう美しい“華の都”になったのでしょう?その秘密にタモリさんが迫ります。
まずは有名な「ノートルダム大聖堂」があるシテ島へ。実はここ、2000年に渡ってパリの“中心”とも言える場所。その証拠が大聖堂の足元にあると言うのですが・・・???謎のマークの上で、ぐるぐると回る外国人観光客とタモリさんが国際交流!?さらに、町のなかでみつけた奇妙な段差。実はこれ、超大規模な町の改造の痕跡。さらにそこからパリを代表するオープンカフェが誕生した・・・ってどういうこと?
そしてあるホテルの地下に入っていくと、なぜかそこに、現れたのは「謎の都市」だった???誰も知らない、パリの意外な姿があきらかに!

出演 タモリ 林田理沙   語り 草彅剛

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ブラタモリ #127 パリの美 ~パリはなぜ華の都になったのか?~

NHK総合 2019年2月23日(土) 19:30~20:15

舞台はフランス・パリ。今回こだわるのはパリの「美」です。数多くの美術館があり、著名な芸術家を生み出してきたパリは、まさに芸術の都。統一された建築物と街角のブロンズ像や彫刻はパリの美しさを引き立てています。実はこれも、パリ独自の「地形」「地質」と関係があった???「コンコルド広場」「オペラ座」「凱旋門」「モンマルトルの丘」をめぐりつつ、「美」と「地質」の意外な関係をブラタモリ的視点からひもときます。
パリと言えば、特徴的なのは白く美しい建物の数々。統一感のある道沿いの建物には、さまざまな制限がかけられています。中でもその統一感を決定づけているのは「石材」。その大量の白い石材は何?そして一体どこから持ってきたのか?その答えは、パリ市内の中心部、地下20メートルにあった?
さらに凱旋門の屋上にも上ったタモリさん。そこで目にした、美しきパリの風景とは?

出演 タモリ 林田理沙   語り 草彅剛

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一昨年には「#81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」で、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を映してくださった「ブラタモリ」。過日放映のローマ編につづき、2週連続で、光太郎が1年近くを過ごしたパリを取り上げます。光太郎の名はおそらく出てこないとは思いますが、1週目には詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)に謳われたノートルダム大聖堂などが紹介されますし、2週目では「パリの美」ということですので、光太郎の心の師・ロダンには触れていただきたいものです。

まだ放送予定が出ていませんが、再放送があるはずですので、本放送後にレポートします。


それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

風雪の為すがままにまかせて、しかも必然の理法にたがはず、内から営々と仕事してゐる大地の底知れぬ力にあふと、私の心はどんな時にもふるひ立つ。百の説法を聴くよりも私の心は勇気をとりかへす。自然のやうに、と思はずにゐられなくなる。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

「寒い、寒い」とちぢこまっていては駄目なのですね(笑)。

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自宅兼事務所近くの田園風景です。

昨日の『毎日小学生新聞』さん、マルチアーティスト・井上涼さんの連載「井上涼の美術でござる」が「高村光太郎の巻」でした。

井上さんといえば、NHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」のアニメーション制作や歌、さらに出演もなさって取り上げた美術作品や作者の解説もされています。同番組ではこれまでに光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)を扱う「指揮者が手」、光太郎の心の師・ロダンの「地獄の門」(明治13年=1880~大正6年=1917)をモチーフとした「ランチは地獄の門の奥に」などが放映されています。

「井上涼の美術でござる」も、「びじゅチューン!」同様、かなりの脱力系(笑)。なぜか二人の忍者が主人公で、それも「忍者B」と「忍者C」(笑)。

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本当にあったら参加してみたいものですが、光太郎との「握手会」というシチュエーションです。

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光太郎もノリノリです(笑)。

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合間に的確な解説も入り、読者対象として想定されている小学生諸君にもわかりやすいと思われます。

「井上涼の美術でござる」、昨年から連載されているということで、もう少し溜まったら、ぜひ単行本化していただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

木枯らしの吹きすさぶ山麓の曠野を行く時、たちまち私の心を満たして来るのは、その静まりかへつた大地のあたたかい厚みの感じと、洗ひつくしたやうな風物の限りないきれいさと、空間に充満するものの濃密な密度の美とである。
散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

この項、一つの作品から一節ずつというのを基本としていますが、例外的に昨日、一昨日と同じ「満目蕭條の美」から。この文章、あまりにも冬を愛した光太郎という人物を端的に物語っていますので、この際、全文を少しずつご紹介してしまおうと思っています。

ところで今朝は今年3回目の雪でした。まぁ、自宅兼事務所のある千葉で雪が降るとなると、冬型の気圧配置がゆるんでからのことなので、春が近いことの証でもあるのですが。

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まずは『福島民友』さん。当会の祖・草野心平を祀る同市立草野心平記念文学館さんで開催中の、冬の企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」について。 

【いわき】草野心平、居酒屋の逸話いわき・記念文学館企画展007 (2)

 いわき市草野心平記念文学館は3月24日まで、同市小川町の同館で企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」を開いている。
 草野心平は家族を養うために、詩を書く以外にさまざまな仕事をしていた。居酒屋もその一つで、1952(昭和27)年3月に東京都文京区で開店、約5年間継続し、文学仲間との議論が繰り広げられていた。
 企画展では、居酒屋の開店から閉店までの逸話がうかがえる原稿や草野心平が高村光太郎に宛てた手紙など24点を展示した。3月10日には「火の車」ゆかりのメニューを試食できるイベントも行う。居酒屋の店舗を再現した常設展示も行っている。
 開館時間は午前9時~午後5時。月曜日は休館。問い合わせは同館(電話0246・83・0005)へ。


続いて『読売新聞』さん。信州善光寺さんで開催中の「第十六回長野灯明まつり」に関して。

山門に浮かぶ平和への願い…善光寺ライトアップ

 長野市の善光寺をライトアップする「長野灯明まつり」007が6日、始まった。本堂や山門などが赤、黄、緑、青、紫の5色に染め上げられ、多くの来場者が見入っていた。
  平和への願いを込めて、2004年から毎年開催。今年は、オーストリア、ハンガリー両国が日本と外交関係を結んで150周年の節目となるため、山門には「平和」の文字やバレエやワルツを踊る様子がレーザー光線で映し出された。
  演出を担当した照明デザイナー石井幹子さん(80)は「ゆっくり光を眺めて、平和のありがたさを感じてほしい」と話した。11日まで。


同じ件で、共同通信さん

長野・善光寺が5色に輝く 平和願いライトアップ

 長野市の善光寺を赤、黄など5色にライトアッ008プする光のイベント「長野灯明まつり」が6日から始まった。1998年の長野冬季五輪の「平和を願う精神」を後世に継承するのが目的で、今年で16回目。11日までの夜間に開催する。
  国宝の本堂や、鐘楼が、五輪をイメージした赤、黄、緑、青、紫の5色に照らされると、観客から「きれい」と歓声が上がった。クラシック音楽が流れる中、本堂手前の山門に平和を意味する文字が日本語や英語、ドイツ語など4カ国語で映し出される演出も会場を沸かせた。
  川崎市の大学生佐藤絵莉香さん(22)は「写真をたくさん撮れて良かった」と笑顔を見せた。


こちらでは、光太郎の父・高村光雲と、高弟の米原雲海による仁王像のライトアップも為されています。


それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私はまだ零下四〇度などといふ極寒の地を踏んだ経験がなく、パミイル高原のやうな塩白み果てた展望を見た体験がないから、冬の季節の究極感を語る資格を持たないやうにも思ふが、又考へると、さういふ強力な冬の姿に当面したら、なほさら平常の感懐を倍加するのではあるまいかといふやうな気がする。
散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

この項、一つの作品から一節ずつというのを基本としていますが、例外的に昨日と同じ「満目蕭條の美」から。此の文章、あまりにも光太郎という人物を端的に物語っていますので……。

青森十和田発の情報です。状況をわかりやすくするために、まず地方紙『デーリー東北』さんの記事から。  

外国客向けに多言語パンフ製作 十和田の市民団体

 十和田市の市民団体「インバウンド十和田」(米内山和正会長)は、同市の魅力である「観光」や「食」を発信するため、多言語対応のパンフレットとホームページ(HP)、動画をそれぞれ製作した。日本語、英語、韓国語、中国語の簡体字と繁体字の5言語に翻訳。米内山会長は「増加する訪日外国人観光客に日本や十和田の魅力を知ってもらい、経済発展につなげたい」とアピールしている。
 団体は昨年4月に発足。経済の活性化や観光振興、婚活などの事業を展開している。5日、市役所を訪問し、小山田久市長にパンフレットなどの完成を報告。小山田市長は「まちづくりに協力していただきありがたい」と述べた。
 パンフレットなどには、ご当地グルメの「十和田バラ焼き」、特産品の「十和田湖ひめます」やニンニク、ナガイモ、ゴボウ、ネギといった代表的な野菜を掲載。さらに十和田湖や奥入瀬渓流、市現代美術館といった市内の観光地を紹介している。
 製作には、市の「元気な十和田市づくり市民活動支援事業」の補助金を活用。パンフレットは500部作成し、市内の観光施設で配布する。動画は23日午前10時から市民交流プラザ「トワーレ」で開く、完成お披露目会で公開する。HPアドレスはhttps://towada.site/spot.html

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というわけで、その完成お披露目会。  

十和田市の魅力を世界に発信!インバウンド対応 制作物完成お披露目会

期 日 : 2019年2月23日(土)
会 場 : 市民交流プラザトワーレ 多目的研修室 2・3  青森県十和田市 稲生町18-33  
時 間 : 10:00~12:00
料 金 : 無料

インバウンド十和田では、「十和田市の魅力を世界に発信!」と題した十和田市の魅力である「観光」と「食」のコンテンツを1つにまとめ、インバウンド対応(日本語・英語・韓国語・中国語簡体字・中国語繁体字)を施した「パンフレット・WEBページ・動画」の制作を行いました。こちらの完成お披露目発表会を下記日時で開催いたします。
また、同時開催として、劇団エムズパーティーが制作した朗読劇「乙女の像ものがたり多言語字幕版」の完成お披露目会を行います。

【第1部】  (10:00 ~ 10:20) 発表:インバウンド十和田
 十和田市の魅力を世界に発信!
 ・パンフレットの紹介 ・WEBページの紹介 ・動画の公開(英語字幕で公開)
 
【第2部】  (10:20 ~ 11:40)  発表:劇団エムズパーティー
 ・観光マナー動画の公開(英語字幕で公開)
 ・乙女の像ものがたり多言語字幕版の公開(英語字幕で公開)
 
【第3部】 (11:40 ~12:00)
 参加された外国人・翻訳者の方々との意見交換会
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増加するインバウンドの皆さん向けに、他言語版のパンフレッ
トが作成されたそうで、そのお披露目会。ついでに当方原作、劇団エムズ・パーティーの皆さんが演じられた朗読劇「乙女の像ものがたり」のDVDの、こちらも多言語字幕版を上映されるとのこと。

海外の方と、ひとくくりにはできませんが、光太郎をはじめとする「乙女の像」建立に関わった人々のドラマ、どのように受け止められるか興味深いところです。


お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

冬の季節ほど私に底知れぬ力と、光を包んだ美しさとを感じさせるものはない。満目蕭條といふ形容詞が昔からよく冬の風景を前にして使はれるが、私はその満目蕭條たる風景にこそ実にいきいきした生活力を感じ、心がうたれ、はげまされ、限りない自然の美を見る。

散文「満目蕭條の美」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

こよなく冬を愛した光太郎、「満目蕭條」の語も好みました。戦後になって、花巻郊外太田村の山小屋で蟄居生活を送るようになると、書にしたためたりもしました。

本来、「見渡す限りもの寂しいこと」の意なのですが、まじりけのない、余計なものをすべて削ぎ落とした、といった意味としてとらえ、そこに究極の美を見いだしたのでしょう。

一昨年、日本橋の三井記念美術館さんで始まり、岐阜県現代陶芸美術館さん、山口県立美術館さん、富山県水墨美術館さんを巡回した展覧会の最後の開催地、大阪での開催です。うっかりご紹介するのを失念しており、始まってしまっています。

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これまでの巡回各館同様、光太郎の父・高村光雲の木彫「布袋像」が出品されています。他の出展作はこちら。七宝の並河靖之・濤川惣助のダブルナミカワ、牙彫には安藤緑山、陶芸に宮川香山、木彫では光雲の朋友・石川光明など、人気作家がズラリ。さらに現代作家による超絶技巧の作も多数。  

驚異の超絶技巧! 明治工芸から現代アートへ

期 日 : 2019年1月26日(土)~4月14日(日) 
会 場 : あべのハルカス美術館  大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階
時 間 : 火~金 10:00~20:00   月土日祝 10:00~18:00
料 金 : 一般 1,300(1,100)円  大学・高校生 900(700)円
      中学・小学生 500(300)円 ( )内団体料金
休 館 : 2月18日(月)、3月4日(月)、18日(月)

本物と見まがう野菜や果物、自在に動く動物や昆虫、精緻な装飾や細かなパーツで表現された器やオブジェ…。近年注目の高まる明治工芸と、そのDNAを受け継ぐ現代の作家たちによる超絶技巧の競演をご覧いただきます。人間の手が生み出す奇跡のような技術に加え、洗練された造形センスと機知に富んだ、驚異の美の世界をお楽しみください。

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関連行事

超絶!フォトジェニック・ナイト 2月16日(土)・3月16日(土) 各日 18:00~20:00

閉館後の展示室内で自由に写真撮影ができます。気に入った作品とコラボした超絶フォトで、狙おう、インスタ映え!  ※本展観覧券が必要です。ストロボ、三脚や自撮り棒などのご使用はご遠慮ください。
  

ハルカス大学連携講座「金属に託す瞬間の美 超絶技巧への挑戦」 2月17日(日)14:00~15:00

本展出品作家で、蒲公英(たんぽぽ)や桜などの繊細で儚い自然を金工で表現する、若き超絶技巧の担い手、鈴木祥太さん。制作にかける想いと、技の秘密を語っていただきます。 
 講 師  鈴木 祥太氏(本展出品作家、金工)
 会 場 あべのハルカス23階 セミナールーム
 定 員  40名(事前申込制、先着順)
 聴講は無料ですが、本展観覧券(半券可)が必要です。
お申し込みは、ハルカス大学webサイト(
http://harudai.jp/)、お電話(06-6622-4815)、もしくはハルカス大学受付(あべのハルカス23階キャンパスフロア)にて承ります。定員になり次第締め切ります。
 

スペシャル・トーク「日本美術応援団 驚異の超絶技巧を応援する! in 大阪」 2月17日(日)14:00~15:30

本展監修者で「日本美術応援団」団長の山下雄二氏と、団員の山口晃氏(美術家、本展チラシ挿画担当)が、熱き超絶技巧愛を語る!展覧会が100倍面白くなる対談です。
 出 演 山下裕二氏(本展監修者、明治大学教授)  山口晃氏(美術家)
 会 場 あべのハルカス25階 会議室   定 員 270名
 聴講料 1,500円(一般観覧券とオリジナルポストカード付き・税込)
※トークチケットは、11月16日(金)~1月25日(金)まで、下記にて販売します。定員に達し次第終了。ポストカードは当日会場にてお渡しします。【チケット販売所】ローソンチケット(Lコード:53513)

 
この他に、2月6日(水)には出展作の多くを所蔵されている清水三年坂美術館さんの村田理如氏の講演もありました。


「超絶技巧」系、数年前から人気のジャンルで、またいずれ同様の企画が組まれるような気がしますが、今回のものはこの大阪展が最後となります。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

私は緑色を好む。それで紺青の空と海とに挟まれた陸上の濃緑色の展望を見て喜ぶ。
散文「三陸廻り 十 宮古行」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

十回にわたって『時事新報』に連載された「三陸廻り」の最終回から。釜石の先にあるオイデ崎付近の海上を行く船から、リアス海岸の岸壁に密生する広葉樹の原生林を見ての感懐です。

若き日の智恵子がエメラルドグリーンを好んだのは比較的有名な話ですが、光太郎も緑色が好みだったのは意外といえば意外でした。もっとも、ここで言う緑色は、色としての緑というより、大自然の象徴としての樹木という意味なのかもしれません。

昨日は都内に出ておりました。メインの目的は永田町の国立国会図書館さんで調べ物でしたが、その終了後、三鷹市に廻りました。同市の三鷹図書館さんで開催中の「吉村昭と津村節子・井の頭に暮らして」展拝見のためです。

ともに小説家の故・吉村昭氏と、奥様の津村節子氏。夫婦同業、もっとも身近にライバルがいるというある意味過酷な状況で、互いに切磋琢磨してそれぞれベストセラーをものにしました。津村氏は、智恵子を主人公とした小説『智恵子飛ぶ』(平成9年=1997)に、その自らの体験を仮託されています。

昨年から今年の初めにかけ、吉村氏の故郷・荒川区の吉村昭記念文学館さんで「おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展 津村節子展 生きること、書くこと」、及び、「第2回 トピック展示「津村節子『智恵子飛ぶ』の世界~高村智恵子と夫・光太郎の愛と懊悩~」が、同館と「おしどり文学館協定」を結ぶ、津村さんの故郷の福井県ふるさと文学館さんで「おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」が開催されましたが、今回は、ご夫妻で長く住まわれ、津村氏が現在もお住まいの三鷹市での開催です。

会場の三鷹図書館さんは、JR三鷹駅から路線バスに乗り、約10分。

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こちらの2階の一角が会場でした。

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先週まで、同市の井の頭コミュニティセンターさんで前期展示が行われ、そちらは参りませんでしたが、「巡回」と謳われているのでほぼ同一の内容だと思われます。

こういった展示向けに作成されたのでしょう、『智恵子飛ぶ』の原稿レプリカが展示されていました。講談社さんの雑誌『本』に初出時の第一回「輝く車輪」、第二回「みちのくの新風」、そして最終回「荒涼たる帰宅」の、それぞれ冒頭の部分。このうち第一回「輝く車輪」は、明治末、日本女子大学校の校庭で、智恵子が同校名物の自転車を颯爽と操っているシーンです。

 陽が長くなってきていた。
 運動場を囲む樹々は、夕陽を透して葉先から緑の色素がしたたり落ちるばかりに鮮やかであった。
 午後の授業が終り、学生たちはそれぞれ家や寮舎に帰ってしまったらしく、人影はない。
 智恵子は、磨き上げた婦人乗りの自転車に乗り、勢いよくペダルを踏んでいた。前髪をふくらませた庇髪(ひさしがみ)の鬢(びん)がほつれて、上気した頬に幾筋かかかっている。智恵子はそれを小指でかき上げながら、少し首をかしげたポーズで風を切って走る。練習し始めて数日しか経っていないのに、もう片手が離せるのが得意な気分であった。
 智恵子の乗った自転車は、銀色の車輪を輝かせて幾廻りも運動場を廻る。何という気持ちのよさだろう。どうして誰も乗ろうとしないのか、智恵子は不思議だ。

昭和3年(1928)生まれの津村氏の女学校時代は、太平洋戦争真っ最中。青春を謳歌するという時代ではありませんでした。そうした体験から来る一種の羨望も感じられる書き出しです。

他に、故吉村氏、津村氏それぞれ、それからご夫妻で共通の、様々な資料が展示されています。会期は今月24日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

スケツチしながら思ふのは、自然の持つ調和力だ。人工と人工とは衝突する。自然と人工とは衝突といへない程一方が大きい。僅少の叡智(アンテリジヤンス)を以てすれば人工はさう容易に自然を犯すものでない。

散文「三陸廻り 九 釜石港」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

自然破壊とか環境問題などといった意識が世の中にほとんど無かったこの時代にこういう発言をしている光太郎の先見性には舌を巻かされます。

また、「自然と人工とは衝突といへない程一方が大きい。」には、80年後に彼の地を巨大津波が呑み込んだことが予言されているようにも思われます。

そういえば、吉村昭氏には、釜石からそう遠くない田野畑村を舞台とした『三陸海岸大津波』(昭和45年=1970)という小説があり、津村氏は東日本大震災後も田野畑村によく行かれていたそうでした。

若干、先の話ですが、申し込み締め切りが近いのでご紹介します。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさんの主催で、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」を冠した東日本大震災からの復興支援シンポジウムです。これまでに京都東京愛知いわき新潟南相馬仙台、そして福島市でそれぞれ開催されてきました。このたび、九州で初の開催となります。  
時   間  : 13時00分~17時30分
場   所  : 熊本学園大学  熊本県熊本市中央区大江2丁目5-1
参 加 対 象   : 一般市民、教育関係者、行政職員、大学関係者、団体職員 他
参 加 費  : 無料
主   催  : 
熊本学園大学
                           
国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE) 

 東日本大震災・福島第一原発事故から8年、また熊本地震発生から3年が経過しようとしています。
 このたび、福島大学と本学とで合同シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで -東日本大震災と熊本地震の教訓から学ぶ-」を開催することが決定しました。被災地域が抱える課題、復興に向けてのさまざまな活動をご紹介するとともに、復興への取り組みを通して得られた経験や知見を「経験知・支援知」とし、将来の大規模災害にいかに活かしていくべきかについて議論します。参加ご希望の方は事前申込みが必要です(参加費無料)。下記の「参加申込フォーム」もしくは「チラシ・参加申込書」を参照のうえFAXもしくはメールにてお申し込みください。

プログラム
 Ⅰ部 基調講演
  「熊本地震からの復旧・復興、そして未来への礎づくり」……大西 一史(熊本市長)
 Ⅱ部 現状報告
  「熊本の現状と課題」……藤本 延啓(社会福祉学部講師)
  「福島の現状と課題」……初澤 敏生(FUREセンター長)
 Ⅲ部 パネルディスカッション
  「東日本大震災と熊本地震の教訓から学ぶ」
   モデレーター:初澤 敏生(FUREセンター長)
   パネリスト:藤本延啓(社会福祉学部講師)
         照谷明日香(ボランティアセンター ボランティア・コーディ
ネーター)
         本多 環(FUREこども支援部門特任教授)
         深谷 直弘(FURE地域復興支援部門特任助教)

申込み方法:FAXかメールまたは申込フォームによりお申込みください。締切:2月13日(水)



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3.11も近いことですし、お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

若し此世が楽園のやうな社会であつて、誰が何処に行つて働いても構はず、あいてゐる土地なら何処に棲んでも構はないなら、私はきつと日本東北沿岸地方の何処かの水の出る嶋に友達と棲むだらう。そこで少し耕して畠つものをとり、少し漁つて海つものをとり、多く海に浮び、時に遠い山に登り、さうして彫刻と絵画とにいそしむだらう。

散文「三陸廻り 八 夜の海」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

昭和6年(1931)の、一ヶ月にわたるこの三陸旅行中、智恵子の心の病が顕在化したとされています。しかし、一方の光太郎は、この時期、ある種の「智恵子離れ」的なことも無意識に考えていたような気がします。そしてそれもまた智恵子の心の病を引き起こした要因の一つなのではないでしょうか。

傍証は上記の一節、特に「友達と棲む」。無論、これには「智恵子と別れて」という意味はないのでしょうが、大正期の光太郎であれば、何の臆面もなく「智恵子と棲む」と書いているはずです。

朗読系のイベントを二つ、ご紹介します。 

大人がたのしむお話会

期    日 : 2019年2月9日(土)
会    場 : 杉並区立方南図書館 杉並区方南1-51-2
時    間 : 14:00~
料    金 : 無料
出    演 : おはなし会ボランティアのみなさん
演    目 : <絵本>おおはくちょうのそら(手島圭三郎)
           < 詩  >私たちの星(谷川俊太郎)
         <語り>幻のスパイス売り(アリソン・アトリー)
         < 詩  >祝婚歌・生命は(吉野弘)
         <絵本>つみきのいえ(加藤久仁生・平田研也)
        <朗読>智恵子抄(高村光太郎)

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三彩の会朗読ライブ 高村光太郎著 「智恵子抄」

期    日 : 2019年2月10日(日)
会    場 :  淡路町カフェ·カプチェットロッソ 
千代田区神田淡路町2-1クオリア御茶ノ水1F
時    間 : 13:00~ / 16:00~
料    金 : 2,000円 (ワンドリンク付き)
出    演 : 酒井敬幸(81プロデュース)・秋吉徹 (81プロデュース)
                              水野貴雄  (プロダクション・エース)

 ~詩人・彫刻家高村光太郎が愛妻智恵子夫人 を偲んでうたった詩集「智恵子抄」~ 激動の昭和を生きた亡き光太郎の想いを、平成最後の世に酒井 敬幸をゲストに迎え、三彩の会が皆様にお届けします 興味のある方もない方も是非見に来てください!

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以前にも書きましたが、光太郎の詩作品は、そうだと思われていない部分も多いのですが、意外と朗読に向いています。歯切れのよいフレーズ感、わざとらしくなく散りばめられた韻、そして内容。

ぜひぜひ多くの方々に取り上げていただきたいものですし、聴いていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

軍港の候補地だといふ女川湾の平和な、澄んだ海を飛びかふ海猫の軍団が、網をふせた漁場のまはりにたかり、あの甘つたれた猫そつくりの声で鳴きかはしてゐる風景は珍鳥に値する。

散文「三陸廻り 七 気仙沼」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

気仙沼の皆さんには申し訳ありませんが、光太郎、気仙沼の街の様子は東京の真似のようだとがっかりしていますので、気仙沼の部分ではなく女川港を出航し、気仙沼へ向かうという場面です。

確かに女川港ではウミネコをよく眼にします。東日本大震災で壊滅し、復興なったJR石巻線女川駅も、ウミネコが羽ばたく姿をモチーフとしています。

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昨日は、福島県いわき市に行き、当会の祖・草野心平を祀る同市立草野心平記念文学館さんで開催中の、冬の企画展「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」およびスポット展示「天平と妻梅乃」を拝見して参りました。

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「草野心平の居酒屋『火の車』もゆる夢の炎」の方は、奥の展示室1室を使い、心平が昭和27年(1952)3月に東京都文京区田町に開店した居酒屋「火の車」に関する展示。

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原稿、日記などの心平が書いたものが中心でしたが、「火の車」開店案内などを含め、光太郎に宛てて書かれた書簡類が多数展示されており、「光太郎がこれを手に取って読んだのか」と思いつつ感慨深く拝見しました。

逆に、光太郎が書いたものも。「火の車大福帳」(昭和28年=1953)の中に、開店一周年を祝う光太郎のメッセージが書かれているそうでした。当方、この存在は存じませんでした。ただ、その箇所ではないページが開かれており、見られませんでしたので、後ほど改めて拝見させていただきたいと思っております。

他に、光太郎と宮沢賢治についてのパネル展示、さらに花巻高村光太郎記念館さんの協力で、「光太郎レシピ」という連載が為されている隔月刊誌『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さんの既刊すべて(こちらは手に取って見られるように置いてありました)など。

「火の車」は、一時期の心平が心血を注いだ活動で、単なる飲食店の枠を超え、光太郎を含む多くの芸術家のサロン的役割を果たしました。しかし、気取った社交場ではなく、集まったそれぞれが人間性を剥き出しにし、激論を闘わせたり、深いつながりを生じさせたりと、その果たした役割は非常に大きかったと思われます。

心平の出す怪しげな料理(笑)と酒が、その媒介となりました。やはり「食」は生きていく上での基本ですので、集った面々も自らの基本に立ち返り、飾らない自己をさらけ出したのでしょう。光太郎もここでは珍しく下ネタを披露したと、「火の車」板前だった故・橋本千代吉の回想にあります。

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スポット展示「天平と梅乃」は、企画展示室の前の一角に。心平とはまたひと味違った、しかし、やはり根っこのところでは相通じる魂を持つ、弟・天平とその妻・梅乃に関する展示でした。

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3月10日(日)には、企画展関連イベントとして、料理研究家の中野由貴さんを講師に、「居酒屋「火の車」一日開店」が催されます。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私は此夜見かけたいろいろの群像を幻想の中で勝手に構成してみる。エネルギイそのもののやうな鮪と女との構図をいつか物にしたいと思ふ。

散文「三陸廻り 六 女川の一夜」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

女川の飲み屋街を歩き、宿に帰っての感懐です。当時の女川は、新興の港町として非常に活気に溢れる町でした。夜ともなれば漁師たちが紅灯街に繰り出し、矢場や飲み屋など、さまざまな店で女たちが嬌声を上げ、停電になると街のあちこちで、さながら篝火のような焚き火。

居酒屋「火の車」も似たような雰囲気だったのかもしれません。

女川では、昼間、漁港で見た鮪(マグロ)や鮫、そして夜の女たちが光太郎の印象に深く残りました。下記は掲載誌『時事新報』に載った光太郎自筆のカットです。

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光太郎最期の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが行われる「十和田湖冬物語」が開幕しました。

地方紙『東奥日報』さんの記事。 

真冬の十和田湖に彩り/「冬物語」開幕

 真冬の十和田湖をイルミネーションで幻想的に彩る「十和田湖冬物語」が1日、十和田湖畔の特設会場で開幕した。多彩な雪像とイルミネーションで彩られた会場は、記念撮影を楽しむカップルや家族連れでにぎわった。
  オープニングセレモニーで、実行委員会の中村秀行委員長が「会場が盛り上がり、地域活性化につながればと願っている」とあいさつ。小山田久市長らと雪像に点灯した。今年のメイン雪像は「雪龍と龍王」が向かい合う構図で、ライトで照らすと迫力満点の雪像が浮かび上がった。
  この日は天候が荒れ模様で、気温は氷点下6度の冷え込み。雪が降りしきる中でも午後8時すぎ、メインの花火200発が打ち上げられると、冬の夜空に光の輪が鮮やかに映え、来場者から歓声が上がっていた。
  冬物語は24日まで。毎日午後8時から花火200発を打ち上げる。会場にはかまくらBarなどの飲食店が多数並ぶほか、バナナボートなどの雪遊びも楽しめる。
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続いて地方紙『デーリー東北』さん。

銀世界に花火、幻想的な空間十和田湖冬物語が開幕/青森

016 北奥羽地方を代表する雪祭り「十和田湖冬物語」が1日、十和田市の十和田湖畔休屋地区特設会場で開幕した。会場では夜間、ライトアップや花火の打ち上げがあり、幻想的な空間を演出。来場者は彩り豊かな銀世界に魅了されている。24日まで。
  毎年恒例のイベントで21回目。メインステージにある高さ5・4メートル、幅17・4メートルの大雪像「雪龍と龍王」、大小の雪のモニュメントやイルミネーションが来場者を出迎えている。
  会場内では青森、秋田両県の料理が味わえる「雪あかり横丁」、氷のグラスでカクテルが飲める「かまくらバー」が人気。初日から来場者が写真撮影を楽しむなど、寒さに負けずイベントを満喫していた。
  開催時間は平日が午後3~9時、土日祝日が午前11時~午後9時。花火の打ち上げは午後8時から毎日行われる。


同じ『デーリー東北』さんには、こんな記事も。 

「十和田湖冬物語」が2位 行ってみたい冬の絶景スポット/じゃらん調査

 旅行雑誌「じゃらん」を発行するリクルートライフスタイル(東京)が、全国の一般男女を対象に調べた「行ってみたい冬の絶景スポットランキング」で、十和田市のイベント「十和田湖冬物語」が2位に選ばれた。投票者からは花火とイルミネーションが織りなす幻想的な景色を評価する声が多く挙がった。
  調査は昨年12月27日から1月7日までの間、インターネットで実施。全国数十カ所の観光地やイベントの画像を挙げ、行きたい場所を投票(複数選択可)してもらう方式で、10~50代の男女529人が回答した。
  投票者からは「冬の花火と、イルミネーションとのコラボレーションがすてき」という声が多数寄せられた。また、「彩りが鮮やかで楽しそう」「幻想的。これをきっかけに青森に行ってみたい」などの感想があったという。
  実行委事務局・十和田湖国立公園協会の太田勝男事務局長は「地元関係者で作り上げるイベントが上位に入ったことに感激している」と結果を喜ぶ。「冬の十和田湖畔で打ち上げる花火は、澄んだ空気とカルデラの地形により高い音が響く。会場を訪れたからこそ体験できることもあるので、ぜひ多くの人に来てもらいたい」とアピールした。
  1位は新潟県津南町の「つなん雪まつり」(3月8、9日=2019年の本祭チケット売り切れ)だった。
  同社は「上位に選ばれたスポットはライトアップや花火など、雪上を華やかに彩る仕掛けがある」と説明。「冬は空気が澄み渡り、雪明かりがより一層美しく見える。(冬の絶景スポットは)寒さの中に心温まる景色が広がる点も魅力だ」としている。


2月1日(金)、地元の十和田市さん発行の『広報とわだ』には、大きな案内も。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

人間はただ已み難い自分の世界からのみ進むべきだ。

散文「三陸廻り 五 女川(をながは)港」より
 昭和6年(1931) 光太郎49歳

女川港で、漁船に乗せてもらって漁師さんの仕事ぶりを体験してみようとした光太郎。どの船にも「旦那、何言つてござる」と断られ、素人が乗り込んでも迷惑にしかならないと気づき、浅はかな好奇心を恥じての一言です。

グルメ情報です。 

脇農園レモンフェア

期 間 : 平成31年2月4日(月)~3月末
会 場 : 御茶ノ水イタリアン トラットリアレモン
 千代田区神田駿河台 1-5-5 レモンパートII ビル1F
時 間 : 17:30~22:00 ラストオーダー21:30

レモンフェアは今年で2年目になります。今年も青いレモン島、愛媛県岩城島にある脇農園さんのレモンでお料理、カクテル、デザートをご用意します!
脇さんは中学生の頃に高村光太郎が書いた「レモン哀歌」という詩を読んだことがきっかけになり、レモンを育てようと思ったそうです。それまでレモンを見たことがなかった脇さんは、レモンとはどんな香りでどんな味がするのだろうと憧れたそうです。大学で農業を学び、昭和46年に愛媛県果樹試験場にやって来たときには、岩城島にレモンの木が1本もなかったそうなのですが、それが今では岩城島が「青いレモンの島」と呼ばれるほどたくさん育てられています。
その脇農園さんのレモンでシェフがご用意するのは!
昨年好評をいただいた脇農園レモンクリームソースパスタ、今年も復活です!野菜は旬のものが4種類ほど入っています。ほんのりレモンの酸味がクリームソースを軽やかにします。
そして今年は脇農園レモンと魚介のリゾットも。ドライトマト、魚介(日替わりですが海老やイカ、貝など)&レモンのさっぱりリゾットです。
シェフ力作2品どうぞお楽しみください。
カクテルは昨年お出しした自家製レモンシロップのレモンスプマンテ、今年はレモンモヒートも登場です!
デザートもレモンづくしでいかがでしょうか?
レモンのティラミスと、レモンパイもご用意しました。

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トラットリアレモンさんは、御茶ノ水にある老舗の画材店・レモン画翠さん(同じビルです)が経営するイタリアンレストランです。レモン画翠さんの前身の今井鐵次郎商店は大正12年(1923)創業で、昭和初期には光太郎の母校である東京美術学校内の売店を引き継ぎ、現在も藝大さんの中に姉妹店・画翠さんが続いています。卒業後も黒田清輝や父・光雲の胸像制作、それから後輩に招かれての座談会などのため、なんやかやで母校に足を運んでいた光太郎、売店を訪れていても不思議ではありません。

昭和25年(1950)には、本店の御茶ノ水に喫茶部ができ、それが現在のイタリアンレストランとなったそうです。こちらでは、愛媛県の脇農園さんと提携し、国産レモンを使ったメニューを充実させているとのことで、そのフェアとなります。

脇農園さんのご主人が、光太郎の「レモン哀歌」(昭和14年=1939)に触発されてレモン栽培を思い立ったというのですから、不思議な縁を感じます。

レモンといえば、やはり「レモン哀歌」からのインスパイアの要素もあるという米津玄師さんの「Lemn」。遅ればせながら購入しました。心にしみる歌ですね。そういえば、米津さんの故郷は愛媛に隣接する徳島県です。気になって調べたところ、国産レモンの出荷額トップは広島県。第2位が脇農園さんのある愛媛県、徳島県は19位でした。
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昨日発効された日欧EPAや、数年前から話題のTPP環太平洋パートナーシップ協定などの影響で、日本の農業も転換点を迎えつつあり、レモンも今後どうなるか、というところですね。国産レモン農家さんにはがんばっていただきたいものです。

というわけで、トラットリアレモンさんの「脇農園レモンフェア」、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

雲と岩とのグロテスクさは想像の外にあるが、凡て宇宙的存在の理法に、万物を統一する必然の道が確にあると思はれる節がある。それは此等無生物の形態生成に人間や動物と甚だよく似たデツサンが用ゐられてゐる事だ。逆には、人間や動物の形態は此等物質の形態されると同じ機構上の約束によつて出来てゐるものと考へられる。

散文「三陸廻り 四 雲のグロテスク」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

雲や岩石、動物や人間(それからここに書かれていませんが、植物なども想定しているかもしれません)など、地球上の万物はその形態生成のあり方に共通する法則的なものがあるのではないか、という言です。だから雲を見て動物に似ていると感じるとか、人間の姿が見えるとかいうのは不思議でないというのです。


光太郎、この後の部分では、地球上に限らず、エイリアンがもしいたら、案外地球人と似た形態なのではないか、それが理にかなっているから、的な発言もしています。

卓越した造形作家の眼で見ると、そういうことなのでしょう。

昨日に引き続き信州善光寺さんネタです。

第十六回長野灯明まつり 「共鳴する平和への祈り」

開催期間 : 平成31年2月6日(水)~2月11日(月・祝)
時  間 : 18:00~21:00 ※初日は17:30からオープニングセレモニー
       最終日は 18:00 ~ 20:00

会  場 : 信州善光寺 長野県長野市長野元善町491 長野駅前西口、善光寺表参道
入場料金 : 無料
主  催 : 長野灯明まつり実行委員会

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長野灯明まつりは、長野オリンピックの開催を記念し、2004年から装いを新たに始まった祭りです。
オリンピックの「平和を願う精神」を後世に遺してゆくため、世界に向けて「平和の灯り」を力強く発信しています。善光寺を五輪の色にちなんだ光で照らす「善光寺・五色のライトアップ」善光寺表参道に平和への想いが込められた光のアートが並ぶ「ゆめ灯り絵展」大きな光と小さな光を長野市へ皆で灯して、世界の平和を祈ります。

1998年長野冬季オリンピックが開催されました。感動と躍動、そして恒久の 平和への願いを、オリンピック精神のもと世界に届けました。2004年オリン ピックレガシーの継承と、弛まぬ平和への願いを込めて開催されたまつりこそ 「長野灯明まつり」です。国宝善光寺を五色に彩る「善光寺ライトアップ」、善光 寺表参道に灯された800基の灯篭アート「ゆめ灯り絵展」、毎年趣向を凝らし て開催される各種イベントが、訪れる50万人の人々を魅了します。 我々日本人は戦後、アジアの先進国の代表として常に経済をリードし、豊かな生 活と思想、優れた教育を享受して参りました。しかし、広い地球のどこかでは未 だ人と人が争い、誰かの心が傷つけられています。 第十六回長野灯明まつりでは「共鳴する平和への祈り」をテーマに、性別、人 種、国籍を超え、人と人の想いがつながり響きあい、共に灯す平和への祈りを世 界に向けて発信します。

実施する事業
・仁王門再建·仁王像造立100年長野灯明まつりスカイランタン・平和の灯り
開催日時:2/10(日) 集合場所:善光寺大本願 明照殿 開催場所:仁王門前 
受付 17:00~19:30  スカイランタン制作 17:30~18:30  打ち上げ開始 19:00~ 
参加費:1セット2,000円 ※受付時現金にて 事前申し込み公式サイトから 販売個数:限定100基
スカイランタン打ち上げイベント及び製作体験は、参加者1人につき、1基の製作となります。製作、打ち上げスペースの関係で、複数人で1基の申込は下記の場合を除き、ご遠慮をお願い申し上げます。
※小さなお子様がいらっしゃる方、16歳未満の保護者の付き添いは可能です。
タイや台湾を中心に元宵節にスカイランタンを放ち、無病息災を祈る民族習慣として定着している熱気球の一種です。長野灯明まつりでは、善光寺大本願にて祈祷したスカイランタンに平和の祈りや願いを書き入れて夜空に打ち上げ祈るとともに、仁王門再建100年・仁王像造立100年をスカイランタンの平和の灯りで祝います。

・ オープニング特別ライトアップ
日本との友好150周年を迎えるオーストリア、ハンガリー両国より大使をお招きし、平和の祈りを込めた善光寺のライトアップ点灯式にご参加いただきます。 また、善光寺山門では、石井リーサ明理氏によるレーザー演出で、長野灯明まつりのオープニングを華やかに彩ります。
日時:2月6日(水)18:00~21:00 場所:善光寺山門

・ 「ゆめ常夜灯」
灯明まつりの伝統に則り、善光寺の本堂をはじめとした主要な建物をカラーでライトアップ。本堂と山門はそれぞれ30分に1回、5色の色変化をする演出を行います。9年ぶりに修復を終え、一般公開された国の重要文化財である経蔵をライトアップ。主要な照明機材をLEDとし、省エネルギー化を実現。排気ガスを排出する燃料式発電機の使用を廃止し、クリーンで静かな空間を創出。企画・照明デザイン 石井幹子/石井リーサ明理

・ 「ゆめ灯り絵展」
「ゆめ灯り絵展」は「灯り絵常夜灯」と呼ばれる灯ろうに、応募者がデザインした切り絵を貼って浮かび上がる絵柄と灯りを楽しむイベントです。長野灯明まつり開催中、柳沢京子氏をはじめとする審査員の方々や、一般投票によるコンテストを実施。 善光寺表参道の石畳に展示され、情緒あふれる景色を彩ります。
テーマ 一般部門:「未来」「平和」「感謝」 キッズ部門:「将来の夢」「スポーツ」
<作品展示> 善光寺表参道大門石畳通り 2月6日(水)から2月11日(月)まで

他に宿坊・ゆめ茶会(毎日)、ゆめ演奏会(2/6)、平和のコンサート(2/9)、プロジェクションマッピング(2/10)、謎解きゲーム「妖怪探偵と封印の扉」、灯明バルなど


昨日お伝えした、光太郎の父・高村光雲らによって制作された仁王像の調査は、この「灯明まつり」に向けてのすす払いの意味もあったようで、この時期だったのでしょう。

SBS信越放送さんで昨日放送されたローカルニュースから。

善光寺仁王像が完成から100年・文化財指定に向けた動き始まる

 長野市の善光寺の仁王像が完成から100年の節目を迎え、仁王像や仁王門の文化財指定を目指す動きが始まりました。
 仁王門ではきょう、中に納められている仁王像の「おすす払い」が行われました。高さおよそ4.5メートルの仁王像は彫刻家の高村光雲や松本出身の太田南海などが手がけたもので、1919年・大正8年の完成から今年で100年となります。
 きょうは専門の業者が毛先が柔らかい刷毛などを使って長い年月の間にたまったほこりや汚れを落とし、善光寺事務局の小林順彦寺務総長は「100年間ここに来られている方を見届てきた仁王様なので、体を軽くしていただきたい」と話していました。
 また仁王像が安置されている仁王門も、去年再建から100年を迎えました。善光寺では今年1年間を仁王門と仁王像の「記念イヤー」と位置づけ、将来的に文化財指定を目指す取り組みに乗り出しました。
 去年9月には門に貼られていた「千社札」と呼ばれる参拝者の札をはがす作業を初めて行い、高所作業車も使いながらおよそ2週間かけて1200枚ほどをはがしました。
 さらに仁王像の作品的価値の再評価に向けて、東京芸術大学大学院などでつくる調査チームがきのうまでの4日間現地調査を行いました。
 善光寺ではこうした取り組みを通して文化財の登録を目指していくとしていて、小林寺務総長は「これだけ注目する機会はまた100年後になると思うので、このチャンスを生かして仁王門と仁王様を文化財指定にもっていってくれればありがたい」と話していました。
 善光寺では今年9月に100周年の記念法要などを行う予定です。

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ちなみに、光雲の曾孫であらせられる髙村朋美さんのブログに現地レポートが掲載されています。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

飛行機と無線電信とは地球の表面距離を小さくした。しかし人は地球のうすい表皮の中でのみ活動する。人はまだ此厖大な球体に深達する事を許されない。上空無限の未知の気層が私の意識を喪失せしめる。

散文「三陸廻り 三 金華山」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行が行われるまであと30年。さすがの光太郎も地球が青いことを想像できなかったでしょう。

善光寺さんの仁王門前から打ち上げられるスカイランタン、そこに込められる平和への祈りが、地球全体を覆うことを願ってやみません。

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