2017年10月

たまたまネットで見つけた演劇の公演です。2本立てで、一方が「智恵子抄」。 
期 日 : 2017年11月8日(水) 19:30 11月9日(木) 19:30 11月10日(金) 14:30/19:30
      11月11日(土) 14:30/19:30  11月12日(日) 13:00/17:00
会 場 : 荻窪小劇場 東京都杉並区荻窪3-47-18第五野村ビル1F
料 金 : 前売 3,000円  当日 3,500円
問合せ : 団体直通電話 080-8046-3906


◇門ノ月~Aida~
作 木乃正  演出 大栗田正男
本公演での強いエンターテインメント性だけでなく無駄なものを削ぎ落とし、シンプルな空間と人をテーマにどこまで作品作りが出来るかを追求した実験的企画。

原案 高村光太郎  演出 大栗田正男
日替わりで演者を組み合わせ同じ作品の中で密かにそれでいて確実に起こる科学反応を組み合わせる新たな形のパフォーマンス。 乞うご期待!
出演 神井大治 三味線   木房明音 Dancer   小山千尋 Dancer   藤井弘平 朗読   篠原志奈 朗読
    Dangerous Box   

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ぽつりぽつりと、いろいろな方が、さまざまな切り口で光太郎智恵子の世界を取り上げて下さり、ありがたいかぎりです。

8公演ありますので、いずれかの回を観に行くつもりで居ります。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】005

三陸沖から日本海まで ずつとつづいた秋空が いかにも緯度の高いやうに 少々硬質の透明な純コバルト性に晴れる。 東北の秋は晴れるとなると ほんとに晴れてまぎれがない。

詩「東北の秋」より 昭和25年(1950)
 光太郎68歳

当方自宅兼事務所は東北より低緯度の南関東ですが、その中でも田舎の区域なので、秋空の美しさは負けていません。

もっとも、光太郎の言いたかったのは、単なる空の美しさだけでなく、トポスとしての東北、ということなのでしょう。「ほんとの空」を求めてやまなかった亡き智恵子の、「東京に空が無い」というモノローグがイメージされていたはずです。

それぞれ、それがメインではありませんが、光太郎智恵子に関する朗読、音楽が含まれる公演系を3件ご紹介します。

まずは、ドイツから朗読系。もう明日ですが、日本時間では明後日くらいですね。

秋の宵の朗読会~日本の詩15篇

期 日 : 2017年10月31日(火・祝)
会 場 : Caffe Martella Friedberger Landstrasse 118, 60316 Frankfurt
時 間 : 17:30~18:30
料 金 : 15ユーロ(ケーキとドリンク1杯込)
申込み : お名前、ご連絡先、イベント名を、メッセンジャーまたは
      メール(
rodoku@gmx.de )で

木々が色づき、日暮れも早まる秋は、人恋しくなったり、ちょっとセンチメンタルになったりする季節ではないでしょうか。そんな時は、美しい言葉もより心に響きやすいかもしれません。
しみじみとした趣のある秋の夕暮れにキャンドルを灯して、日本の詩を味わう……今回の朗読会はそんな企画です。教科書で出会った懐かしい詩、誰もが何となく耳にしたことのある詩を織りまぜて、日本の近現代の詩と詩人たちをご紹介したいと思います。

◆ プログラム◆ 日本の詩(中原中也、高村光太郎、茨木のり子、谷川俊太郎ほか)

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続いて、埼玉から、歌謡曲系。

第14回シャープミュージックフェスティバル

期 日 : 2017年11月5日(日)
会 場 : 熊谷市江南総合文化会館ピピア 埼玉県熊谷市大字千代325-1
時 間 : 開場11:30 開演12:00 終演16:30
料 金 : 無料
主 催 : シャープの会

心からの歌を、声を、聞いてください。この度はシャープミュージックフェスティバルにご興味頂き誠に有り難うございます。シャープの会は、「歌おう!人生はドラマ、声に心と魂を」をテーマに心より唄うことを心がけて日々練習しております。

この度、一年間の練習を積みまして14回目の発表会を開催することに相成りました。出場者一同、練習の成果を十分に発揮し頑張って参りますので、是非ともお越しいただけたら幸いに存じます。

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オープニングフラダンス 小出 淳子先生①恋は花 君はその種子 関口 久江 ②コアリ
1椛嶋健一 おふくろ 2斉藤寿代 糸 3関根宏 きっと帰るさ函館へ 4関口寿子 黒髪 5村田育子 愚かな女 6南雲照子 東京の夜は寂しくて 7石渡直江 恋鏡 8藤本とし江 ハナミズキ 9根岸美津江 千年の古都 10萩原晶子 また君に恋してる 11住谷幸一 心のギター 12黒屋ゆう子 涙そうそう 13三輪佐智恵 ふたりの旅栞 14山田静江 お初 15橋本美枝子 女のあかり 16林れい子 母の暦 17栗原いし子 津軽の春 18佐国一枝 蜩(ひぐらし) 19酒井悦子 流恋草 20渡辺勝江 春待さくら草 21大澤勝重 ありがとう 22昭和の歌コーナー(全12曲 18名)渡辺 勇 [1]西野初枝 河内おとこ節 [2]高田満雄 大利根無情 [3]松崎好子 智恵子抄 [4]関口久江 黒猫のタンゴ [5]中村福房 嫁にこないか [6]川野民江 赤城の子守唄 [7]住谷幸一 勝手にしゃがれ [8]富樫安子 いい日旅立ち [9]小野寺辰男 雨の中の二人 [10]佐山ひろ子 俺ら東京さ行ぐだ [11]丸橋勇 関白宣言 [12]堀江敏子 真赤な太陽
☆ 休 憩 1 0 分 間 ☆
23村上三郎 孤独の太陽 24松本幸江 愛のままで… 25茂木利光 北の出世船 26松本操 お・ん・な 27久保田昇 桜の手紙 28太田千代子 つづれ織り 29野田美智子 人間模様 30小林利行 ルビーの指環 31松崎好子 人形 32中村福房 締黄蝶 33斉藤圭吾 ためらい 34丸橋真寿美 天城越え 35清水博 藤山寛美浪花の華 36日本のうたコーナー K・コンセルト・ギターラ(6名) 歌(5名) ◇わらべうたメドレー K・コンセルト・ギターラ①通りゃんせ②桜③山寺のおしょうさん④どんぐりころころ変奏曲 ◇四季のうた(5名) [1]関口久江 春の小川 [2]富樫安子 夏の思い出 [3]西野初枝 紅葉 [4]黒屋ゆう子 スキー [5]堀江敏子 四季の歌 37井上好子 夫婦花火 38渡辺勇 酒よ 39川野民江 北の駅 40小野寺辰男 時間の花びら 41吉葉弘子 壺坂情話 42高田満雄 忍ぶの乱れ 43関口久江 FOREVER 44宇野博巳 枯葉 45佐山ひろ子 酒は男の子守唄 46須永省三 津軽慕情 47富樫安子 お七 48丸橋勇 化粧 49西野初枝 蛍の提灯 2部 堀江敏子 #心のうた# ◇ギター・コラボ(戸井田 浩・福田 頼子) ☆ノラ・他

おそらく、作詞・丘灯至夫、作曲・戸塚三博、歌・二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(昭和39年=1964)が演奏されるのでしょう。


最後は合唱系で、築地から。 

東京男声合唱フェスティバル

期 日 : 2017年11月12日(日)
会 場 : 浜離宮朝日ホール 東京都中央区築地5-3-2 朝日新聞東京本社・新館2階
時 間 : 10:30~20:57
料 金 : 一般及び大学生 1,000円 高校生及び65歳以上 500円 中学生以下 無料
主 催 : 東京都合唱連盟

略して”男フェス”。東男の集まる熱い一日。連盟加盟や都道府県も問わず、4名以上の男声合唱を楽しむグループであれば性別も問いません。
参加団体の互選により人気投票が行われ、1位になった団体は次年度の大会に招待されます。
また毎年公募による合唱団を組織、著名な先生をお呼びして指揮をしていただき、最後を飾ります。

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全61団体の出演で、30番目の会津高校OB合唱団さん(31名)が、清水脩作曲の「梅酒 -智恵子抄より-」を演奏して下さいます。予定では15:16 ~15:23だそうです。

このところ、全日本合唱連盟さんの全国コンクールで、一昨年までは毎年のようにあった光太郎系の曲が取り上げられていませんので、ありがたいかぎりです。


それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

歳月人を洗ひ 人ほろびざるは大なるかな

詩「金田一国士頌」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

金田一国士(くにお)は、花巻温泉株式会社の創業者。その他にも花巻電鉄、盛岡銀行、盛岡電気工業、岩手軽便鉄道など、さまざまな企業の経営にあたりました。ところが、盛岡銀行が取り付け騒ぎで倒産するや、背任と業務上横領で起訴され、実刑判決を受け、晩年は淋しく亡くなった人物です。

歿後10年を経て、負の部分はともかく、さまざまな開発の功績をたたえようと、花巻温泉に「金田一国士頌」碑が建てられ、その碑文の頌詩を光太郎が作りました。

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「負の部分もありながら、確かに人々のために尽くした功績も大きい」という意味では、戦時中の翼賛活動、戦後の旧太田村への貢献という光太郎の事績にも相通じるところがあります。光太郎自身、そういう意味ではシンパシーを感じていたのではないでしょうか。

「歳月」に「洗」われても、「大なる」光太郎の事績を「ほろびざる」ものとして、後世に語り継ぎたいものです。

昨日は、テルミン奏者大西ようこさんと、ギターの三谷郁夫さんによるユニット「ぷらイム」さん、ユニット結成10周年記念コンサート「テルミンと語りで紡ぐ愛の物語り 智恵子抄」を拝聴して参りました。

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会場は横浜美術館さん。平成26年(2014)に開催された「ヨコハマトリエンナーレ2014」以来でした。

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来週がハロウィンということで、前庭ではそれにからめた子供さん向けのイベントが行われていました。ハロウィンモードのアンパンマンに遭遇(笑)。

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コンサートが開催される美術館内のレクチャーホールへ。

ちょうどリハ中でした。


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開演は午後3時。その前に、受付で渡されたパンフ、チラシ類に混じって、「ぷらイム10周年智恵子抄クイズ」なる紙が。

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005ロビーに展示されている昭和16年(1941)刊行の『智恵子抄』初版第一刷と、同18年の第十一刷り、それぞれの重さをあててくださいとのこと。最も近い解答の方に、特製マグカッププレゼントだそうで、面白いことを考えるものです(笑)。

のちほど発表された正解は、第一刷が144グラム、第十一刷が257グラムだそうでした。戦時中ということもあり、手に入る用紙の種類がバラバラだったため、このような現象が起きています。特に第一刷は奥付によれば「表紙ハ特漉西ノ内 見返ハ手漉鳥ノ子紙 本文ハ奉書紙生漉」。要するに高級な和紙なのですが、逆に問屋に高級な紙しか残っていなかったというのです。

画像は当方手持ちの第一刷りの奥付です。この本、一昨年、NHKさんで放映された「歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」の際にお貸しし、テレビ出演を果たしました(笑)。

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珍しい、という「愛読者カード」も付いています。これの有る無しで古書価としてはかなり変わるそうで。

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閑話休題。会場もほぼ満席となり、いよいよ開演。

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2部構成で、当初、第一部が、女優の水沢有美さんを交えての『智恵子抄』、第二部がぷらイムのお二人のみの演奏という予定でしたが、逆転し、先にぷらイムのお二人。

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こちらでも、曲間に「智恵子抄」がらみのMCが入りました(そちらの方が演奏時間より長かったような(笑))。肝心の演奏も、相変わらずすばらしいものでしたが。

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003上記は、大西さんの「研究」成果。x軸が光太郎の詩が発表された年、y軸が試作品の発表数。『道程』期の明治末と、戦時中に発表数が多くなり、しかし、『智恵子抄』所収の作品は戦時にはない、という話です。

休憩後、第二部。水沢さんを交えての『智恵子抄』。予想していたよりも「攻め」の演出でした。水沢さんは一ヶ所にとどまらず、ほぼ常に動きながらの語り。演劇に近い動きでした。

三谷さんとの掛け合いもあり、光太郎作品の引用以外のセリフ的な部分もあり、歌あり、ダンス的な動きもあり。語り口も、絶叫や、心を病んだ智恵子の独白などもあって、バリエーションが実に豊かでした。お客さんも食い入るように引き込まれていました。


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終演後のロビー。

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例によって、水沢さんには連翹忌の宣伝をしておきました。

今後とも、光太郎智恵子の世界を広めるのに、一役買っていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

蝮(クチバミ)がとぐろをまいておれを見る。 それはあんまりきれいな敵意で けだかく、さとく、思慮ぶかく、 どうもおれには手出しができない。
詩「クチバミ」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

「クチバミ」はマムシの古名です。蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋周辺には、うようよ生息していたということで、珍しいものではなかったようですが、ここにはある種の「畏怖」の感情が見て取れます。マタギ猟師の人々が、山の神への敬虔な気持ちを忘れないような。

千葉と言っても田舎で、里山を背負った当方自宅兼事務所近辺でも、よくマムシやヤマカガシ、ジムグリ、アオダイショウを見かけます。一昨日も愛犬の散歩中にジムグリに遭遇しました。当方は畏怖より恐怖が先に立ちますが(笑)。

光太郎が終生敬愛した彫刻家、オーギュスト・ロダンがらみです。

まずは米国発のニュース。

ロダン作のナポレオン胸像、米市庁舎で偶然発見 80年間誰も気づかず

【AFP=時事】近代彫刻の父と称される彫刻家オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)が制作したフランス皇帝ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)の胸像が米東海岸のとある町の市庁舎で数十年にわたりひっそりと眠っていた──。このほど、その発見について初めて報じられた。

 白い大理石の胸像は、ニュージャージー(New Jersey)州マディソン(Madison)の市庁舎で見つかった。制作者不明のまま80年間、台座の上に置かれていたのだという。

 同市は2014年、所有する美術品の目録を作成するため、美術史を勉強する22歳の学生を採用した。学生は、一目でロダンのスタイルとわかる胸像に「A. Rodin」のサインが入っていることに気が付いた。

 この胸像に好奇心を抱き、学生はすぐに確認作業を開始。専門家らに相談し、過去の保存記録を徹底的に調べ、最終的にロダン研究の権威でパリ(Paris)を拠点とする「Comite Auguste Rodin」に助言を求めた。

 謎はすぐに解けた。同団体が収集した資料の中から写真が見つかり、その写真には長らく紛失したと考えられていた胸像とロダンが一緒に写っていたのだ。そして2015年9月、胸像を鑑定するために専門家がマディソンの市庁舎を訪れた。鑑定作業は数十秒で終わった。胸像は1904年、ニューヨーク(New York)州の著名弁護士の妻から制作を依頼されたもので、400万~1200万ドル(約4億6000万~13億7000万円)の価値があると分かった。

 ロダンの胸像と判明してから約2年が経過して、今回その発見について初めて発表された。窃盗などの恐れがあるとの理由でこれまで秘密にされていたのだという。フィラデルフィア美術館(Philadelphia Museum of Art)に移されることも併せて発表された。【翻訳編集】 AFPBB News
2017年10月25日

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こういうことがあるのですねぇ。しかし、「400万~1200万ドル」とは……。まぁ、大理石の一点ものですから、そのくらいしてもおかしくないのでしょう。

見つかったのは数年前のようですが、今年はロダン歿後100年ということで、不思議な因縁を感じます。

歿後100年ということで、再び注目の集まるロダン。テレビ番組でも取り上げられます。

ザ・プロファイラー 夢と野望の人生 「彫刻に“生命”を刻んだ男~オーギュスト・ロダン~」

NHKBSプレミアム 2017年11月2日(木) 21時00分~22時00分

岡田准一がMCを務める歴史エンターテインメント。「考える人」「地獄の門」で知られ、今年、没後100年を迎える彫刻家ロダン。30歳をすぎても、貧乏生活から抜け出すことができず、苦悩に満ちた日々を送った。こだわったのは「男の裸」。ところが、名声を得た後、1人の女性との関係をきっかけに、女性像や愛をテーマとした作品を発表するように。だが、その女性との関係は悲劇的な結末に。人間味あふれる人生に迫る。

司 会 岡田准一
ゲスト 鹿島茂,若村麻由美,篠原勝之

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そして、映画でも。

ロダン カミーユと永遠のアトリエ

公  開 : 2017年11月11日(土)より 全国ロードショー
場  所 : 新宿ピカデリーBunkamuraル・シネマ ほか
出  演 : ヴァンサン・ランドン (オーギュスト・ロダン)
         イジア・イジュラン (カミーユ・クローデル) 他
監  督 : ジャック・ドワイヨン 
配  給 : 松竹、コムストック・グループ
上映時間 : 120分

「地獄の門」「考える人」などの作品で知られ、「近代彫刻の父」と称される19世紀フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの没後100年を記念して製作された伝記映画。弟子入りを切望する女性彫刻家カミーユ・クローデルと出会ったロダンが、彼女の才能と魅力に惹かれていく姿を描く。

1880年、パリ。40歳の彫刻家オーギュスト・ロダンはようやく国から作品制作を依頼されるようになり、後に代表作となる「地獄の門」を生み出していく。その頃、内妻ローズと暮らしていたロダンだったが、弟子入りを願う女性カミーユ・クローデルが現れ、彼女の才能に魅せられたロダンはクローデルを助手にし、やがて愛人関係になっていくが……。

「ティエリー・トグルドーの憂鬱」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したヴァンサン・ランドンがロダンに扮し、カミーユ・クローデルをフランスで歌手としても活躍しているイジア・イジュランが演じた。監督・脚本は「ポネット」の名匠ジャック・ドワイヨン。


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それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

今放たれて翼を伸ばし、 かなしいおのれの真実を見て、 三列の羽さへ失ひ、 眼に暗緑の盲点をちらつかせ、 四方の壁の崩れた廃墟に それでも静かに息をして ただ前方の広漠に向ふといふ さういふ一つの愚劣の典型。
詩「典型」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

「典型」は、光太郎自身。明治・大正・昭和を生き、忠君愛国の精神で塗り固められ、戦時中には道を誤った「愚劣の典型」だというのです。

昨日ご紹介した「偶作」同様、「それでもやれることをやろう」といった建設的な方向にベクトルが向いていた点は、高く評価されて然るべきだと思います。

ちょっと変わった企画展です。

涯テノ詩聲(ハテノウタゴエ )詩人 吉増剛造展

期日 : 2017年11月3日(金・祝)~12月24日(日)
会場 : 足利市立美術館 栃木県足利市通2丁目14-7
時間 : AM10:00~PM6:00
料金 : 一般700(560)円/高校・大学生500(400)円/中学生以下無料 
     ( )内団体料金
      11月23日(祝・木)は無料
     第3日曜日「家庭の日」(11/19、12/17)は中学生以下のお子さま同伴ご家族無料

 吉増剛造(よします・ごうぞう 1939- )は、1960年代から現在にいたるまで、日本の現代詩をリードし続けてきました。その活動は、詩をはじめとすることばの領域にとどまらず、写真や映像、造形など多岐に広がり、私たちを魅了し続けています。
 常にことばの限界を押し広げてきた吉増の詩は、日本各地、世界各国をめぐり、古今東西、有名無名の人々との交感を重ねる中で綴られてきました。本展では、半世紀以上におよぶ活動の中から、各時代の代表的な詩集を柱とし、詩や写真をはじめとする吉増の作品群に加えて、関連するさまざまな表現者の作品や資料と共に展示します。
 現代のみならず、古代の営みにまで遡って様々な対象をとらえ、そこからかつてないビジョンを生み出し続ける吉増の視線、声、手は、日常を超えた世界への扉を私たちの前に開くでしょう。

1.詩集の彼方へ
 吉増剛造は、1964年に第一詩集『出発』(新芸術社)を刊行して以来、現在まで20冊あまりの詩集を含む、70冊を超える著作を発表してきました。その軌跡を辿ることで、吉増が現代詩の枠にととまらず、文学の限界を押し広げ、新たな言葉の可能性を表現し続けていることが明らかになるでしょう。ここでは、半世紀におよぶ詩作の中から、代表的な10冊の詩集を時代ごとに選び、吉増の活動を振り返りながら、各時代で関わりある人々の作品や資料をあわせて紹介します。

2.写真を旅する 
  詩人として出発した吉増剛造は、その活動の初期から数多くの写真を撮影し、それらは詩作にも影響を与えています。国内外の様々な場所で撮られたこれらの写真は、1970-80年代よりしばしば自著の中でも使用され、1990年代以降はギャラリーなどでの発表が始まりました。さらに、現在にいたるまで、吉増独自の多重露光写真を中心に、国内外各地で精力的に写真展が開催され、3冊の写真集が刊行されています。写真家としての吉増も、その活動を辿る中で重要なものの一つです。

3.響かせる手
 現代の詩人の中で、吉増剛造ほど、手で言葉を記すという行為を深めてきた者はいないでしょう。豊かな色彩と文字で記された吉増の原稿は、直筆原稿のイメージを越えて見るものを魅了します。近年では、きわめて細やかな文字が記された上からさらにインクなどで彩られ、絵画的ともいえる表現へと発展し、そこからは、書家としての吉増剛造の姿が新たに見えてくるでしょう。ここでは、現在の吉増の作品のほか、吉増が言及してきた様々な表現者、書き手の原稿、書などの作品をあわせて紹介します。

出品作家:吉増剛造/赤瀬川原平/芥川龍之介/荒木経惟/石川啄木/浦上玉堂/折口信夫/加納光於/川合小梅/北村透谷/島尾敏雄 /島尾ミホ/ダイアン・アーバス/高村光太郎/瀧口修造/東松照明/中上健次/中西夏之/中平卓馬 /奈良原一高/西脇順三郎/萩原朔太郎/柳田國男/吉本隆明/松尾芭蕉/南方熊楠/森山大道/与謝蕪村/良寛/若林奮


「1.詩集の彼方へ」で、「各時代で関わりある人々の作品や資料をあわせて紹介」とあり、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が展示されます。 吉増氏には、第二詩集『黄金詩篇』(昭和45年=1970)に収められた「高村光太郎によびかける詩」という長詩があるので、そのためでしょう。

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台東区立朝倉彫塑館さんの所蔵で、3点しか現存が確認できていない、大正期の鋳造のうちの一つです。台座の木彫部分も、光太郎が彫ったものです。

今年はじめに小平市平櫛田中彫刻美術館さんで開催された特別展「ロダン没後100年 ロダンと近代日本彫刻」、一昨年に武蔵野美術大学美術館さんで開催された「近代日本彫刻展(A Study of Modern Japanese Sculpture)」などにも展示されています。


ちなみに吉増氏、評論でも光太郎に触れて下さっています。昭和54年(1979)、河出書房新社さん刊行の『文芸読本 高村光太郎』所収の「高村光太郎の詩の文体」。昭和48年(1973)のご執筆だそうで、初出は他の雑誌なのでは、と思われます。

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余談ですが、同書は、当方学生時代の講義のテキストでした。


お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

世界の機構の万華鏡は 転々として偶然の連鎖のやうでゐて しかも力学の必然を持つてゐる。 人力に基いて人力を超えてゐる。

詩「偶作」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

所詮人類は、お釈迦様の手のひらの上で暴れる孫悟空のようなもの、ということでしょうか。

晩年の光太郎詩には、この種の「諦観」が見て取れます。ただ、それがニヒリズムや無力感に結びつかず、「それでもやれることをやろう」といった建設的な方向にベクトルが向いていた点は、高く評価されて然るべきだと思います。

写真系の展覧会情報です。情報を得るのが遅れ、既に始まっています。

高橋昌嗣展 文士の逸品 物から物語へ。002

期   日 : 2017年10月21日(土)~10月28日(土)
会   場 : アートスペース煌翔 
       東京都杉並区南阿佐ヶ谷3-2-29
時   間 : 11:00~19:00
料   金 : 無料

写真家・高橋昌嗣さんが撮影してきた、文士たちの愛用品の写真展。

元になったのは、雑誌『文藝春秋』に連載された「文士の逸品」(1997年7月号〜2001年9月号連載)で撮影されたもの。いま『サライ.jp』で「漱石と明治人のことば」を連載中の文筆家・矢島裕紀彦さんとの二人三脚の取材で、その後、同タイトルの単行本として一冊に纏まった。

山口瞳の帽子、向田邦子のシャツジャケット、金子みすゞの手帳、中山義秀のハガキ、芥川龍之介のマリア観音像、小泉八雲の蛙の灰皿、佐佐木信綱の風帽、椎名麟三の鉛筆削り、田山花袋の版木、西田幾多郎の人形、有吉佐和子の三味線、川端康成の土偶、森鴎外の双六盤、斎藤茂吉のバケツ、志賀直哉の杖、与謝野晶子の訪問着、井上靖の靴、坂口安吾のストップウオッチ、梶井基次郎の鞄、北原白秋の硯箱、尾崎放哉のインク瓶、壺井栄の姫鏡台、寺山修司の人形、樋口一葉の櫛、田中英光の本、岡本かの子のロケット、萩原朔太郎のギター、高村光太郎の長靴、中勘助の匙、野上彌生子の伎楽面、谷崎潤一郎の長襦袢、山本有三の戸棚、泉鏡花の兎の置物、幸田露伴の煙管……これでもまだ、展示作品の半分にも満たない。

時として数々の作家達に創作の情熱を与えたり、時には折れそうな心を支えたりもしたであろう愛用品たちの姿は、作品からは伺えない文士たちの“人間”としての存在を、問わず語りに伝えてくれる。


同タイトルの単行本」は、文藝春秋社さんから平成13年(2001)に刊行されています。

光太郎の長靴は、おそらく、花巻高村光太郎記念館さんの所蔵003のものでしょう。身長180㌢超と、当時としては大男だった光太郎、手足も並外れて大きく、足のサイズも30㌢超だったそうです。そのあたり、手前味噌になりますが、平成24年(2012)にTBSサービスさん刊行の『爆笑問題の日曜サンデー 27人の証言』中の、当方の談話筆記「光太郎の足は三十センチあった⁉」でご紹介しております。

右の画像は、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した、昭和27年(1952)のもの。それまで蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村で、農作業の際に履いていたであろう長靴で、かまわず東京の街に現れました。

その後も、長靴に国民服というこの出で立ちで都内を闊歩(美術展などにも)、「あら、高村光太郎よ」と奇異の目で見られたそうですが、全く気にしなかったとのこと。さすがです(笑)。

光太郎の長靴以外も、「斎藤茂吉のバケツ」だの「坂口安吾のストップウオッチ」だの、「何じゃ、そりゃ?」というものがたくさんありますね(笑)。しかし、そいうったものにも、それぞれのドラマがあるのでしょう。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

二つに割れた世界の間に挟まる者に 一九五〇年は容赦もなからう。 白く冷たく雪に埋もれた正月を 東北は今どんな決意で迎へる気だ。

詩「一九五〇年」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

仙台に本社を置く地方紙『河北新報』の、翌年元日号のために書かれた詩です。そこで、「東北は今……」となっているわけです。「二つに割れた世界」は東西冷戦を指します。

あと2ヶ月ちょっとで、2018年です。自公連立与党の圧勝に終わった衆議院選挙を経て、新聞紙上ではもはや既定路線のように「改憲」の文字が目立ちます。2018年、どうなることやら、ですね。

ところで、今回の選挙でも、福島の原発事故の処理もまだ終わらないというのに、エネルギー政策がまったくといっていいほど争点に上らなかったように思います(選挙区によってはそうでもなかったのかも知れませんが)。果たして、それでいいのでしょうか……。

十和田湖でチラシをゲットして参りました。

奥入瀬渓流エコツーリズム市民のつどい

期   日 : 2017年10月27日(金)
会   場 : 十和田市民文化センター 青森県十和田市西三番町2-1
時   間 : 13:00~
料   金 : 無料
問い合わせ : ℡ 0176‐22‐5200

第1部 講演 元外務大臣 田中真紀子氏 「神秘の奥入瀬渓流に魅せられて」
第2部 コンサート コールアゼリア(十和田市) 「湖畔の乙女」「出逢いを求めて」「奥入瀬大滝の歌」「奥入瀬」

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第2部で、地元十和田市の合唱団「コールアゼリア」さんがご出演、ご当地ソングを披露なさいます。

「湖畔の乙女」は、作詞・佐藤春夫。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」へのオマージュとして作られました。作曲は県立三本木高校の教諭だった長谷川芳美。同校生徒によって、乙女の像除幕式(昭和28年=1953)の際に披露されました。

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昭和39年(1964)には、本間千代子さんの歌唱でコロムビアレコードからリリースされ、ヒットしました。地元のバスガイドさん達が必ず歌ったり、今回演奏されるコールアゼリアさんがレパートリーにされたりして、歌い継がれてきました。


先日開催された当方の講演会「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」でも、最後に会場の皆さんで大合唱。講演でパワーポイントを使いましたので、その流れでカラオケ風のスライドを作りました。

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今回演奏される「奥入瀬大滝の歌」も、佐藤春夫・長谷川芳美コンビの作です。

「出逢いを求めて」は、昭和61年(1986)、芹洋子さんの歌でリリースされました。サブタイトルが「十和田湖へ」。こちらもご当地ソングで、乙女の像も詠み込まれています。当方、平成8年(1996)のシングルCDを持っています。

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昭和61年(1986)版のアナログレコードは、十和田国立公園50周年記念、平成8年(1996)版のCDは同60周年記念。どちらも青森県の肝煎りのようです。当方の持っているCDの題字は、当時の青森県知事・木村守男氏の揮毫です。

現在の三村知事も多方面でご活躍中ですが、乙女の像の発願も、当時の知事・津島文治。太宰治の実兄です。そうした観光PRに力を入れる伝統のようなものがあるのでしょうか。良いことだと思われます。

ちなみにアナログレコードには、ジャケットに乙女の像をあしらった青森観光連盟発行の特別盤があるそうです。B面なしの片面盤だそうで、珍しいものですね。

こうしたご当地ソング、今後とも歌い継がれていって欲しいものです。


日曜日には、「湖畔の乙女」関連のテレビ番組放映があります。

暦を歩く #140「乙女の像」(青森県十和田湖)

2017年10月29日(日)  20時54分~21時00分

日本には四季がある、歌がある−。 草木や花々、川の流れや空の色、多様な生きものたち、人々の日々の暮らしや祭り…。 私たち日本人は、一年の時の移ろい=「暦」を四季折々の「歌」に織り込み、この国ならではの感性を磨いてきました。私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直すとともに、それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。

「あはれ いみじき 湖畔の乙女 ふたりむかひて 何をか語る」
紅葉の名所として知られる、青森県の十和田湖。湖畔には、二人の乙女が向かい合った像が佇んでいます。昭和28年の秋にお披露目されたこの像は、高村光太郎の最後の彫刻作品です。この像の制作を支えた佐藤春夫は、「湖畔の乙女」という詩を紡ぎました。この歌は、後に本間千代子が歌い、全国に知られるようになりました。

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5分間番組ですが、毎回、全国各地の美しい風景に乗せて、いい作りになっています。今年1月放映第99回でも、智恵子の故郷・福島二本松ロケで、「智恵子抄」に触れて下さいました。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

大きくバトンを宙にゑがいて このニツポンのもろもろの美を つよくメイジヤアの積極調にたて直せ。

詩「あいさつ」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

ニツポンのマイナア調を暫くすてよ。」で始まるこの詩、わびさびに代表される日本人の気質―それはそれで奥ゆかしいものではあるけれども―を見直し、世界に通用する「積極調」に立て直せ、と述べています。

第二次大戦による全世界の悲惨な被害、それも復興しないうちに緊張が高まる東西冷戦。その中で敗戦国ニッポンの行く末が案じられています。

10/21(土)、つつがなく講演「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」を終え、翌日は、その「乙女の像」を観に行きました。約2年ぶりでした。

前日に続き、十和田市役所観光推進課にお勤めで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会員でもあられる山本様が車を出して下さり、十和田市街の宿泊先から、十和田湖へ。

途中のかつて光太郎も訪れた奥入瀬渓流。台風21号の影響で小雨でしたが、紅葉の見頃でした。

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渓流沿いの国道102号線を上りきり、十和田湖畔・子(ね)の口から左折、乙女の像の建つ休屋(やすみや)地区を目指しました。

途中の宇樽部地区にあった、昭和27年(1952)、翌28年(1953)にそれぞれ光太郎が一泊した旅館「東湖館」の建物が、老朽化のため解体されてしまっていました。一昨年にはまだ健在だったのですが、残念です。

さて、休屋地区に到着。十和田神社さんの鳥居近くのもりた観光物産さんの駐車スペースに車を駐めさせていただきました。こちらの女将さんは十和田湖国立公園婦人部副会長。十和田湖にお邪魔した際には、ほぼ毎回立ち寄らせていただいております。

十和田神社さん。

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そして、乙女の像。まだ8時過ぎくらいでしたが、既に小雨の中、観光客の皆さんが多数。ありがたいことです。

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当方、2年ぶりに観る乙女の像ですが、何度観ても飽きることがありません。

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周りの木々の紅葉も見事でした。


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再会を約して、像としばしのお別れ(次は来春に訪れるつもりです)。もりた観光物産さんに寄り、土産を購入、お茶をいただき、十和田湖をあとにしました。

山本様の車で、七戸十和田駅まで送っていただき、新幹線に乗車。風雨が強ければそのまま帰るつもりでしたが、まだそれほどでもなかったので、智恵子の故郷・福島二本松に立ち寄りました。14日から始まった恒例の「二本松の菊人形」を観るためです。

ここ数年、光太郎智恵子の菊人形が出ており、もうそれが定番となるのかな、と思い、過日、二本松市コンサートホールで開催された「震災復興応援 智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」を拝聴に行った際に、設営中だった菊人形会場の霞ヶ城公園に行ってみました。その折に、会場で作業をされていた方にうかがったところ、今年は光太郎智恵子の人形はない、とのことでしたが、自分の目で「ない」ことを確かめたく思っておりました。また、光太郎智恵子人形はないにせよ、お世話になっている二本松観光大使にして女優の一色采子さんのお顔から型を取った人形や、現代アートの「重陽の芸術祭2017」がらみも観たかったもので。

さて、会場の霞ヶ城公園。

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少しずつ雨脚が強くなってきまして、足早に会場内へ。

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今年のテーマは、「「EDO TRIP 菊花繚乱!徳川時代絵巻」だそうです。

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このあたりが、一色さんの人形なのかな、という感じでした。

会場内には、「重陽の芸術祭2017」の一環として、福島大学の学生さんによる墨絵作品「百鬼夜菊」。お化け屋敷的なブースでした(笑)。

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最後まで会場内を歩きましたが、やはり光太郎智恵子人形、今年はありませんでした。昨年、それがあったガーデンゾーンの同じ場所には、七福神と二本松少年隊の人形。残念でしたが、いたしかたありません。

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会場を出て、天守台方面にあるはずの現代アート作家のヤノベケンジさんによる巨大な猫のモニュメント、お城の紅葉も観たかったのですが、ズボンがびしゃびしゃになってきて、断念。これで帰りました。


ところで、別件ですが、紅葉と言えば、今日のテレビ放映。今年の1月に初回放映があった、光太郎智恵子も紹介されたNHK BS1の番組の再放送があります。 

にっぽんトレッキング100「絶景満載!峡谷のクラシックルート~長野・上高地~」

NHK BSプレミアム 2017年10月24日(火)  12時00分~12時30分 

北アルプスの玄関、長野・上高地。今ではバスで直行できるこの場所も、かつては徒歩で二日かけて歩いた。そんなクラシックルートを辿り、知られざる穂高岳の絶景に出会う。

穂高や槍ヶ岳の玄関口として知られる上高地。そこへ向かうかつての登山道は、今「クラシックルート」と呼ばれ、脚光を浴びている。目の当たりにしたのは、七色に染まる峡谷の山肌。日本の近代登山の父と呼ばれるウォルター・ウェストンは、それを「驚嘆すべき色彩の響宴」と評した。さらにその先には「日本で一番雄大な眺望」とたたえた絶景が待っているという。著名な登山家たちが愛した風景を辿り、手付かずの大自然を満喫する。

出演 仲川希良  語り 渡部沙弓

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テレビ放映と言えば、今週土曜には、乙女の像がらみの番組も。長くなりましたので、そちらは明日、ご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

人類がかかげる一つの意慾。 何と烈しい人類の已みがたい意慾が ぎつしりこの新年につまつてゐるのだ。

詩「この年」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

翌年元旦の『読売新聞』のために書かれた詩の一節です。

第二次大戦が終わって4年と数ヶ月。いまだ世界情勢は不安定ながら、平和を希求する人類全体の声を代弁しています。しかし、それと裏腹に、翌年には朝鮮戦争が勃発。いつの時代もかかげる「意慾」と現実のギャップが大きい、困った「人類」です……。

一昨日行われた十和田市立三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会さん主催の講演会、「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」講師を仰せつかり、1泊2日で青森に行って参りました。レポートいたします。

早い時は自宅兼事務所最寄り駅を午前4時台に出る始発列車に乗るのですが、一昨日は講演会が夜の開催でしたので、ゆっくり出かけました。

東北新幹線で八戸駅に到着したのが午後2時過ぎ。十和田市役所観光推進課にお勤めで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会員でもあられる山本様がお迎えに来て下さり、翌日まで運転役を務めて下さいまして、非情に助かりました。

まず向かったのは、八戸クリニック街かどミュージアムさん。

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こちらで開催中の「5周年記念秋期展旅と名所――広重から北東北の新版画・鳥瞰図まで」を拝見。広重の浮世絵、川瀬巴水(光太郎と同じ明治16年=1883生まれです)の新版画、そして吉田初三郎の鳥瞰図などで、北東北の風景を扱ったものがメインでした。

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その中で、やはり地元に関わるお宝ということで、光太郎が「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のために習作として作った手を鋳造したもの、それから同じく「乙女の像」の中型試作の首の部分だけが展示されていました。

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「手の習作」は3月に千葉県立美術館さんで拝見して約半年ぶり、中型試作の首だけ、というのは初めて拝見しました。どういう経緯で首だけの鋳造が存在するのか、当方にも分かりません。

これらすべて、八戸クリニックさんのご先代の個人コレクションから始まったそうで、地元に関わるお宝ということでコツコツ集められたとのこと。頭が下がります。


その後、一路、十和田市街へ。

一泊お世話になる十和田シティホテルさんにチェックイン、不要な荷物を置いていきました。

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講演会のポスターを掲示して下さっていました。

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画像右は、階段に飾られていた色紙。よくある、ここに宿泊した芸能人のサインがずらっと並んでいる中の1枚です。清水邦夫氏作・演出の舞台「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」で光太郎を演じられた小林勝也さんのお名前が真っ先に目に入り、「あれっ」と思ってよく見てみました。すると、「哄笑」の十和田公演の際のもので、驚きました。帰ってから調べましたところ、「哄笑」、たしかに平成5年(1993)に十和田市公演がありました。

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ちなみに小林さん、昨年のNHKさんの大河ドラマ「真田丸」では、前田利家役で存在感を放たれていました。智恵子役の松本典子さんは平成26年(2014)にご逝去。この方々の泊まった宿に泊まるかと思うと、感慨深いものがありました。


さらに、灌漑事業などで十和田の開発に功績のあった、新渡戸三代の銅像を拝見。

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こちらは野辺地潮出身の彫刻家、小坂圭二の作品です。小坂は「乙女の像」制作に際し、光太郎の助手を務めた人物です。

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そんなこんなで、講演会場の東公民館さんに到着。心配していた天気も、開会まではもちました(やはり途中で雨になりましたが)。それから、もう一つ心配していたお客さんの入りも、定員200名には届きませんでしたが、130ほどはお集まり下さったとのことで、ありがたいかぎりでした。

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午後6時、開会。主催の三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会佐藤やえさんのご挨拶。

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この日がちょうど、十和田湖畔に「乙女の像」が除幕された日ということで、乙女像64回目の誕生祝い(笑)。右に座られている方は光太郎だそうで(笑)。

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その後、当方の講演に入りました。パワーポイントでスライドショーを展開しつつ、前半は光太郎の生涯をダイジェストで、後半は「乙女の像」について、約2時間でした。聴きにいらして下さった十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんの方が、レポートして下さっています。過分なお褒めの言葉に恐縮です(汗)。そちらから画像を拝借。

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無事終了後、三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会の皆さん、十和田市役所の皆さんなどと打ち上げ。巨大なホタテなど美味しい青森の海産物をいただき、大満足でした。

翌日は十和田湖方面へ。明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

野放しの一人民には違ひないこの微生物の 太田村字山口のみじめな巣に 空風火水が今日は荒れる。 嵐に四元は解放せられ、 嵐はおれを四元にかへす。
詩「山荒れる」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

野放しの一人民には違ひないこの微生物」は、光太郎。大宇宙の中のちっぽけな存在に過ぎない、という意味です。

空風火水」の「四元」は、のちに「乙女の像」完成後に像を謳った「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)でも、「すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで/天然四元の平手打ちをまとにうける」として使われます。

通常は「地水火風空」の五大元素として、仏教にもつながるインド哲学に出てくるものですが、なぜか「四元」。このあたり、少し調べてみます。

昨日から1泊2日で、青森に行っており、さきほど帰宅いたしました。

昨日は八戸で美術館拝観、十和田市街で講演、今日は奥入瀬渓流を通って十和田湖、そして帰りがけに福島二本松に寄りました。

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道中、台風の影響はあまりなかったのですが、帰ってきてから、暴風雨の中、愛犬の散歩(笑)。自宅兼事務所敷地内では、排泄をしませんので……。東北遠征より、それで疲れてしまいました(笑)。

詳しくは明日以降、レポートいたします。

今日から1泊2日で、青森県十和田市に行って参ります。

メインは当方の講演で、十和田市立三本木小学校地区安全・安心協働活動協議会さんの主催で、題して「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」。

ちょうど64年前の今日、十和田湖畔休屋御前ヶ浜に、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が除幕されたので、そのメモリアルデーに合わせての開催です。

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現地では、数年前から十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の皆さんが、「乙女の像」を見直す活動をいろいろと展開して下さり、同会編集・刊行の『十和田湖乙女の像のものがたり』という書籍で、前半部分を執筆させていただきました。そのうちのジュブナイル「乙女の像のものがたり」を、同市の劇団「エムズ・パーティー」さんが朗読劇として上演して下さったり、DVD化して下さったりもしています。

平成26年(2014)には、十和田湖畔に十和田市の施設「十和田湖観光交流センターぷらっと」がオープンし、展示コーナーのうち、光太郎に関わる部分のパネルを執筆させていただいたり、昨年はATV青森テレビさんで製作された特別番組「「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~」に出演させていただいたりもしました。

そんなこんなで今回の講演会が実現しました。ありがたいことです。

昨日の地方紙『東奥日報』さんに、告知記事が出たとのこと。

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「定員200人」というのがプレッシャーです(笑)。別に200人を前にしゃべるのは苦痛ではありませんが、果たして何人集まるかと、そっちです(笑)。

間に入っていただいた十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の方からのメールに、「乙女の像の誕生日ということで、ケーキを献菓することにしていますが、そのときに乙女の像や光太郎が登場するそうです。」という一節がありました。

堅苦しい話ばかりでなく、こういう楽しい催しも企画されているようですので、お近くの方、ぜひどうぞ。


ついでというと何ですが、十和田湖まで足を伸ばし、「乙女の像」を約2年ぶりに観て参ります。また、「乙女の像」のための手の試作をブロンズに鋳造した作品が展示されている、八戸クリニック街かどミュージアムさんで開催中の「5周年記念秋期展旅と名所――広重から北東北の新版画・鳥瞰図まで」も拝見して参ります。

詳しくは帰りましてから。


【折々のことば・光太郎】

おれはのろまな牛(べこ)こだが じりじりまつすぐにやるばかりだ。

詩「鈍牛の言葉」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

光太郎は、その若き日から自らを牛に例えた詩を作っています。大正2年(1913)には、そのものずばり「牛」という115行にもわたる長大な詩を書きました。「牛はのろのろと歩く」というフレーズがリフレインされ、「じりじりまつすぐにやる」と呼応しています。

時にその道を踏み誤ることもあった光太郎ですが、牛のように「のろのろ」「じりじり」というスタイルは、終生ぶれませんでした。そうありたいものですね。

純邦楽のコンサートです。
会   場 : 紀尾井ホール 東京都千代田区紀尾井町6番5号
時   間 : 18時30分開場 19時開演
料   金 : 3,000円(全席自由)
主   催 : オフィス朝香
後   援 : 公益財団法人 日本伝統文化振興財団
出   演 : 朝香麻美子   賛助出演 鈴木璋子(歌・箏)
曲   目 : 奥組 初音曲(山田検校 作曲)  那須野(山田検校 作曲)
        樹下の二人(高村光太郎 作詩 小山清茂 作曲)
        遠野(柳田國男 作歌 唯是震一 作曲)

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箏曲奏者・友渕のりえさんの委嘱による昭和50年(1975)作曲の「樹下の二人」がプログラムに入っています。初演もこの年でした。

作曲者の故・小山清茂氏のことば。

 此の曲を作曲するに当って、私は、出来るだけ自然な節回わしであり度いと願った。そして、幸福な二人を表現するため、音域を中庸に保つ様に気をつけた。
 昭和五十年作曲以来、何十回うたってくれたことでしょう。今、友渕さんの歌うのを聴けば、総べては全く自然そのもの、音符はおおよその目安にすぎなくなって「彼女のもの」になって居ることを感ずる。

その後、いろいろな方が取り上げられ、CDに収められたり、コンサートの演目になったりしています。


当方、平成26年(2014)、この曲が演奏された箏曲奏者の故・浜根由香さんのコンサート「浜根由香 東北を謳う」を聴きに、福島県南相馬市に行って参りました。その後、その際のライヴ録音のCDも入手。例によって連翹忌の宣伝をし、いずれ連翹忌で演奏していただきたいものだと思っておりましたが、浜根さん、昨年6月に亡くなられたそうで、ショックでした。

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改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

あの欲情のあるかぎり、 ほんとの為事は苦しいな。 美術といふ為事の奥は さういふ非情を要求するのだ。 まるでなければ話にならぬし、 よくよく知つて今は無いといふのがいい、 かりに智恵子が今出てきても 大いにはしやいで笑ふだけだろ。

連作詩「智恵子抄その後」中の「吹雪の夜の独白」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

「あの欲情」は、性欲を指します。「枯淡の境地」といいますが、そこに至るまでに乗り越えてきたものの大きさが重要だと思います。元々枯れていた、ではやはり深みがありません。紆余曲折や多大な犠牲があっての「枯淡」。そういう意味での「非情」なのでしょう。

先般、智恵子の故郷・二本松に行った際にチラシをゲットしてきました。

秋の星空講座 月を見上げて in ほんとの空

期 日 : 2017年11月3日(金・祝)
会 場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3番地1
時 間 : 18:00-19:00
講 師 : 星空案内人 東前智恵
条 件 : 小学生以上 定員20組 小中学生は保護者同伴
参加費 : 無料
持ち物 : 懐中電灯 防寒着 5円玉 
申 込 : 二本松市市民交流センター窓口 FAX 0243-24-1216


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皆さん秋の月を眺めたことはありますか?
実は日本には十五夜と十三夜の両方の月を眺める独自の月見文化があるほど、秋に月を眺めることが好まれていました。
そこで、これから更に月見を楽しむために月を詳しく知り、「ほんとの空」に輝く月をいろんな道具を使って眺める月見体験に挑戦してみましょう。

内容 : 月の文化・伝説、月の構造紹介  月見体験(伝統的な方法&望遠鏡)


というわけで、月の観察会だそうです。「ほんとの空」の語を入れられてしまったら、このブログでご紹介するしかありません(笑)。

今月5日の智恵子忌日「レモンの日」に開催された「智恵子・レモン忌 あいのうた」の晩が十六夜(いざよい)でした。来月1日が旧暦9月13日(十三夜)、観察会当日の3日が満月です。持ち物に「5円玉」とありますが、満月と5円玉の関係、ご存じの方はご存じですね。

講師の東前さんという方、郡山市ふれあい科学館さんにお務めのようです。同館では「 “ほんとの空” のある、ふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」とのコピーで、「ふくしま星・月の風景フォトコンテスト」を主催なさっていて、第4回のあと、間があきましたが、第5回の募集も始まっています。〆切が近くなりましたらまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

わたくしの猛獣性をさへ物ともしない この天の族なる一女性の不可思議力に 無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

連作詩「智恵子抄その後」中の「あの頃」より
 
昭和24年(1949) 光太郎67歳

その智恵子の葬儀があった昭和13年(1398)10月8日が、この年の十五夜だったそうです。何だか月に帰って行ったかぐや姫のようですね。

たまたまネットで見つけました。

伊藤康子書展

期    日 : 2017年10月24日(火)~29日(日)
会    場 : 晩翠画廊 仙台市青葉区国分町1丁目8-14 仙台第2協立ビル1F
時    間 : 10:00-19:00(最終日は17:00まで)

作品は約30点。 小品から大作、掛け軸、パネルを各種展示します。 そのほか、花巻臺焼で染め付けた磁器や、 2018年カレンダー、ポストカードが並びます。

古山拓画伯との合作による大作、 「高村光太郎詩 岩手の肩」は圧巻です。 どうぞご高覧くださいますよう、ご案内申し上げます。

なにぶんご多忙の事とは思いますが、 画廊でお会いできますことを楽しみにしております。 秋の紅葉狩りのおついでに、お運びくださいませ。

※作家は毎日午後より在廊の予定です。

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書家の伊藤康子さん。盛岡ご在住で、光太郎と縁の深かった宮沢賢治系のお仕事もなさっています(そのため、かすかにお名前を記憶しておりました)。それから画家の古山拓氏。こちらも岩手のご出身で、やはり賢治系の作品もおありのようです。お二人のコラボで光太郎詩「岩手山の肩」(昭和22年=1947)に取り組まれたとのこと。ありがたや。

ちなみに「岩手山の肩」の直筆原稿は、盛岡てがみ館さんで常設展示されており、この夏も拝見して参りました。岩手県民のソウルマウンテン、岩手山を謳ったものです。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

智恵さん気に入りましたか、好きですか。 うしろの山つづきが毒が森。 そこにはカモシカも来るし熊も出ます。 智恵さん斯ういふところ好きでせう。
連作詩「智恵子抄その後」中の「案内」より
 
昭和24年(1949) 光太郎67歳

亡き智恵子に、蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋付近を「案内」するという詩です。齢(よわい)67になって、この詩を書ける光太郎を、当方は尊敬します。

智恵子の死までを謳った昭和16年(1941)刊行の龍星閣版『智恵子抄』の内容に、戦後の詩篇などを加えて草野心平が編んだ新潮文庫版の『智恵子抄』(昭和31年=1956)で見ると、この詩がドラマのクライマックスのような位置づけになります。

最近入手した書籍・雑誌類を3点ご紹介します。

奥州二本松

2016/12/11 歴史春秋社 懸田弘訓監修 定価2,000円+税

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福島の出版社・歴史春秋社さんから出たムックです。同じシリーズで「奥会津」「いわき」「白河」なども出ています。

智恵子の故郷・二本松の歴史、自然、民俗、そしてゆかりの人物を取り上げる中で、智恵子も大きく扱われています。この項のご執筆は、先頃開かれた第23回レモン忌で記念講演をなさった福島県立美術館さんの学芸員をなさっている堀宜雄氏。

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さらに、女優・一色采子さんの父君で、智恵子像も多く手がけられた日本画家の故・大山忠作画伯、光太郎の父・光雲の孫弟子で、二本松駅前の智恵子像を制作された橋本堅太郎氏なども取り上げられています。

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月刊絵手紙 2017年10月号

2017/10/1 日本絵手紙協会 定価762円+税

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今年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という新連載(全1ページ)が始まりました。今号は詩「或る筆記通話」(昭和4年=1929)が取り上げられています。

日本古書通信 2017年10月号

2017/10/15 日本古書通信社 定価667円+税

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慶応義塾大学教授・田坂憲二氏による紀行文「現代詩歌文学館とあらえびす記念館――岩手文学館紀行」が掲載されています。

書き出しで光太郎に触れて下さっています。しかし、「岩手と言っても啄木や賢治や光太郎だけではない。まだまだ面白い文学館があると勢い込んで出かけた」というわけで、北上市の日本現代詩歌文学館さんと、紫波郡紫波町の野村胡堂・あらえびす記念館さんのレポートです。

日本現代詩歌文学館さんには、最近は行っていませんが、資料の閲覧で3回ほどお邪魔した記憶があります。特に、全集未収録の光太郎書簡の所蔵があり、ご協力いただきました。

野村胡堂・あらえびす記念館さんには、3年前に行きました。その際のレポートがこちら。胡堂の奥さんとなったハナが智恵子と同じ日本女子大学校卒で、在学中から智恵子と親しかったため、野村夫妻の結婚披露で智恵子が介添えを務めました。

ところで、この記事は連載ではありません。ぜひとも全国の文学館紀行を連載化していただき、光太郎記念館、智恵子記念館なども取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

そのためにわたくしに肉類が与へられ、 そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、 米と小麦と牛酪とがゆるされる。 智恵子の裸形をこの世にのこして わたくしはやがて天然の素中に帰らう。

連作詩「智恵子抄その後」中の「裸形」より
 昭和24年(1949) 光太郎67歳

自らの戦争協力に対する厳罰として、岩手の寒村に蟄居生活を送り、天職と考えていた彫刻を封印した光太郎。世の中から許されないうちは、自分でも許すことを潔しとしませんでした。その日を待ちながら、頭の中で渦巻いていた彫刻の構想は、最愛の智恵子の裸形。光太郎にとって、美とか愛とか人生とか、そういったものを彫刻で表そうとすると、もはやそれは智恵子の姿をとらざるをえなかったのだと思います。

この詩の書かれた4年後、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」として、それが結実します。

地方紙『福島民友』さんに昨日掲載された一面コラムです。

編集日記 中原中也の思い

 「汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる...」。中原中也の詩集「山羊の歌」に収録された代表的な作品だ。30年の短い生涯だった中也だが、その叙情あふれる描写は、日本の近代詩の歴史に大きな足跡を残した
 ▼「山羊の歌」は中也が生前に刊行した唯一の詩集で、装丁は高村光太郎が担当した。二人の仲介をしたのはいわき市出身の詩人、草野心平だったという。刊行したのはわずか200冊だが、そのうちの1冊は郡山市で少年期を過ごした作家の久米正雄に贈られている
 ▼本県ゆかりの文学者たちと深いつながりがある中也はことし生誕110年、没後80年を迎えた。その節目に合わせて郡山市のこおりやま文学の森資料館で中也の生涯をたどる企画展が開かれている
 ▼会場には自筆の原稿や日記のほか本人が着用していた丹前も展示されている。「僕の運勢は晩年はいいようですよ」と記された手紙は、病で亡くなる約1カ月前に母親にあてたものだ。字をたどりながら詩人の胸中に思いをはせた
 ▼福島市の詩人で、中原中也賞を受賞した和合亮一さんも中也の作品に影響を受けたという。中也のほとばしるような情熱が込められた詩は今も、読む者を魅了し続けている。


記事にあるとおり、中也の第一詩集「山羊の歌000」(昭和9年=1934)は、光太郎の装幀です。3年前に、秀明大学さんの学祭で、中也の署名本数冊、拝見してきました。

以下、光太郎の回想から。

 中原中也君の思ひがけない夭折を実になごり惜しく思ふ。私としては又たのもしい知己の一人を失つたわけだ。中原君とは生前数へる程しか会つてゐず、その多くはあわただしい酒席の間であつてしみじみ二人で話し交した事もなかつたが、その談笑のうちにも不思議に心は触れ合つた。中原君が突然「山羊の歌」の装幀をしてくれと申入れて来た時も、何だか約束事のやうな感じがして安心して引きうけた。(「夭折を惜しむ――中原中也のこと――」 昭和14年=1939 『歴程』第6号)

そして、中也の詩を評して曰く、

中原君の詩は所謂抒情詩の域を超えた抒情詩といふべきで、それは愬へたり、うたつたりする段階から遙に超脱して、心や物がそのまま声を発するものであつた。インキ壺を書くのでなくて、インキ壺が書くのであつた。むしろインキ壺がただ在るのであつた。その在り方が彼の抒情詩となつた。詩に於ける彼の領地は人の思ふよりも新しい。うまいやうな、まづいやうな、まづいやうなうまいやうなあの技巧は比類が無い。言葉は平明であるが、表現せられたものは奥深く薄気味わるい程混沌たるものが遠くにもやもやと隠れてゐる。殊に近く発表せられた作には何げない言葉そのものすら沈痛むざんの屈折光に射ぬかれてゐた。ラムボオをむやみに訳してゐるのを変に思つてゐたが、考へると彼にはあれを訳さずには居られない要因があつたのだ。(同)

そこからさらに、中也の人となり。

ラムボオの訳書を贈られて間もなく出しぬけに訃報をうけとつて私は茫然とした。所謂大死一番のところを彼はほんとに死んでしまつた。死んだものは為方ないが、此の難道をもう一度突破せしめたかつた。彼の根づよい、もつと大きな、真新しい日本的性格の詩がたくさん生れたに違ひないのだ。彼は又炯眼の士で、あの大きな眼で相手がどんな程度の人間かをよく見抜いた。相調子や身振りには中々ごまかされなかつた。それでゐて偏狭でもなかつた。飲むと相手にうるさ型だつたが、いよいよといふ処ではいつも或る節度を辨へてゐた。書いてゐると、あの酔つぱらつた浪花節が又ききたくなつて来て我ながらあはれな気がする。(同)

結局、全文を引いてしまいました。まさに追悼文のお手本のような、それでいて通り一遍、ありきたりのものではなく、深い哀悼の意が伝わってきます。


記事にある郡山での企画展はこちら。

特別企画展 中原中也 祈りの詩

期 日 : 2017年10月7日(土)~11月26日(日)
会 場 : 郡山文学資料館 福島県郡山市豊田町3-5
時 間 : 午前10時~午後5時
料 金 : 一般 200円(150円) 高校・大学生等 100円(70円)  ( )内団体料金
          中学生以下・65歳以上・障害者手帳をお持ちの方は無料
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

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 わが国の近代詩上において大きな足跡を残した、夭逝の詩人・中原中也。明治40年に山口に生まれ、昭和12年に30歳の短い生涯を閉じるまで珠玉の詩篇を現在に残す。その詩は、今なお多くの人々の心を魅了し続けて止まない。
 東日本大震災の際、「祈る」ことは大きな比重を占めた。「祈り」をテーマとする中也の詩は、私たちの胸に真っ直ぐ届き、心の奥底に響く魅力をもっている。本展では「祈りの詩」とともに、中也の短い生涯を紹介する。
 関連催しとして、中原中也記念館館長・中原豊氏の講演会を行うほか、澤正宏氏(福島大学名誉教授)・庄司達也氏(横浜市立大学教授)の講座を実施する。

関連行事

○文学講演会 「生誕110年・中原中也の可能性」
 中原 豊(中原中也記念館館長) 平成29年10月29日(日)午後1時30分から午後3時
 郡山市民文化センター 集会室 先着300名 無料 10月4日(水)より整理券を配布
  (配布場所:文学資料館・文化センター・市政情報センター)

○中也・現実の向こう側へ
 澤正宏(福島大学名誉教授)/11月4日(土)13:30~15:30/40名/10月4日(水)より/ミューカルがくと館(小ホール)

○蓄音機とSPレコードで聴く中原中也が愛でた音楽たち
 庄司達也(横浜市立大学教授)/11月16日(木)13:30~15:30/40名/10月17日(火)より/ミューカルがくと館(小ホール)
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お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は死んでよみがへり、 わたくしの肉に宿つてここに生き、 かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。

連作詩「智恵子抄その後」中の「メトロポオル」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳

「メトロポオル」は「大都市」「中心都市」などの意の仏語「Métropole」。英語では「メトロポリス」ですね。

岩手辺境の寒村に蟄居生活を送っていても、、そこに亡き智恵子がいると思えば、自分にとっては「メトロポオル」だというのです。

右は詩の終末部分の色紙揮毫です。

毎年ご紹介していますが、今年も京都の知恩院さんでの紅葉ライトアップが再来週から始まります。 

知恩院 秋の紅葉ライトアップ2017

期  間 : 2017年11月3日(金・祝)~12月3日(日)
拝観時間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
場  所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       友禅苑、大鐘楼、宝佛殿、女坂
拝観料金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)
       団体割引 大人30名以上、1割引き

 知恩院は浄土宗の開祖、法然上人(1133〜1212)がお念仏のみ教えを広め、入寂された遺跡に建つ由緒ある寺院です。正式名称は華頂山知恩教院大谷寺という、浄土宗の総本山です。
 江戸時代、浄土宗を信仰した徳川家康公が、当寺を京都における菩提所と定めたことから寺領が拡大され、現在の大伽藍が築かれました。

 今年の知恩院ライトアップは、友禅染の創始者宮崎友禅斎を祀る庭園「友禅苑」、阿弥陀如来立像をお祀りする「宝佛殿」、日本三大梵鐘の一つである「大鐘楼」をライトアップします。

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主な見どころ】002
友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。

宝佛殿
平成4年に建立。和様式重層寄棟造りで、堂内には高さ4.8mの阿弥陀如来立像、四天王が祀られています。

大鐘楼
大鐘は高さ3.3m、口径2.8m、重さ約70トン。寛永13(1636)年に鋳造され、日本三大梵鐘の一つとして広く知られています。僧侶17人がかりで撞く除夜の鐘は京都の冬の風物詩として有名です。


関連行事 

オープニングイベント おてつぎフェス Hand to Hand:promotion of the Nembutsu

【期間】 11月3日(金・祝)・4日(土)・5日(日)

 三門コンサート (二胡とシンセサイザーの共演)
   開始時間 ❶18:00〜18:30 ❷19:00〜19:30
  〈二胡〉帯金 真理子 〈シンセサイザー〉森 孝良  〈曲目〉月影、赤とんぼ、ジュピターなど
 お坊さんと話してみませんか
  宝佛殿にて開催   開始時間 ❶18:30〜19:00 ❷19:30〜20:00
  3日 ライブハウスでも人気 女性布教師 中村 祐華
  4日 人形芝居・紙芝居で親子連れ必見 山添 真寛
  5日 ニュージーランドから来たお坊さん 作田 法道(ウィズフォード・スティーブン)
 

聞いてみよう! お坊さんのはなし
 11月7日以降の毎日(月曜日を除く) 宝佛殿にて開催 
 開始時間 ❶18:00〜 ❷18:45〜 ❸19:30〜 ❹20:15〜
 (各回お話15〜20分、木魚念仏体験10分程度)《週替わりテーマ》 
 1週目「お坊さんとは?」 
 2週目「なぜ手を合わせるの?」
 3週目「幸せとは?」
 4週目「死にむかうとは?」

 仏教に馴染みのない方でもお気軽にお越しください。お話の後には皆さまと共に木魚を打ちながら「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えします。知恩院の荘厳な空間の中、日常では味わえない貴重な体験をしてみませんか?
 

新企画 ぶつけてみよう! あなたのオモイ

毎週月曜日(6日・13日・20日・27日) 宝佛殿にて開催
開始時間 ❶18:00〜 ❷19:00〜 ❸20:00〜
 簡単なお話と木魚念仏体験の後、お坊さんが皆さまの悩みや日頃の想いをお聞きします。



昨秋のライトアップの様子です。



今年のPR動画が、現在2本(追って増えるようです)。知恩院さん、かなり攻めてます(笑)。




ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

智恵子はこよなき審判者であり、 うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、 耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。

連作詩「智恵子抄その後」中の「元素智恵子」より
 
昭和24年(1949) 光太郎67歳

6篇からなる連作詩「智恵子抄その後」。翌年元日発行の雑誌『新女苑』に掲載されました。

うちに智恵子の睡る時」は、昭和16年(1941)以降。この年8月に刊行された『智恵子抄』のために書き下ろされたと推定される「荒涼たる帰宅」をもって、公表された智恵子をメインに謳った詩は途絶しました。そしてまさしく「わたくしは過ち」、愚にも付かない大量の翼賛詩を書き殴り、多くの前途有為な若者を戦場へと駆り立てたのです。

戦後、昭和20年(1945)の「松庵寺」で、再び智恵子が詩に現れ、以後、連作詩「暗愚小伝」などで断片的に智恵子が謳われました。そして、「智恵子抄その後」。よみがえった智恵子の声を聴くようになった光太郎は、ヒューマニストとしての再生を果たしたと言えるのでしょう。

朗読系の公演情報です。

まず、福井市立美術館さんで開催中の「没後30年記念 高田博厚展 対話から生まれる美」の関連行事として。

新朗読劇『道程-高村光太郎・智恵子・高田博厚-』

期  日 : 2017年10月28日(土)
会  場 : 福井市美術館 3階講堂 福井市下馬3-1111
時  間 : ①午前11時~、②午後2時~、③午後5時~の3回
料  金 : 500円
定  員 : 各回80名
申し込み : 福井市美術館まで希望の公演時間、住所、氏名、電話番号を電話かFAX、
       またはメールにて
       (先着順)電話:(0776)33-2990 FAX:(0776)33-3114
            メールアドレス:takata-k@city.fukui.lg.jp

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 彫刻家・高田博厚(1900-1987 年) と精神的に深いつながりのあった17 歳年長の彫刻家で詩人の高村光太郎とその妻・智恵子。
 人や物事の本質を深く洞察した高村の詩を中心に、3 人の人間模様を新しい朗読劇で紹介します。

作・演出/ YUKKY
出演者/高橋だい(高田博厚 役)・佐々木雪雄( 高村光太郎 役)・黒田成美( 高村智恵子 役)


もう1件。

都内では、日本舞踊系の公演の中で、「智恵子抄」朗読が扱われるというものが開催されます。

真理パフェFourth

期  日 : 2017年11月4日(土)
会  場 : 上用賀アートホール 東京都世田谷区上用賀5-14-1-102
時  間 : 13:00開演 16:30終演予定
料  金 : 1,000円
申し込み : 090-4434-7116(事前申込制/当日ご来場も可)

第一部 舞踊
 舞踊:藤娘    真理
 舞踊:三社祭     好佳乃 真理
 朗読:智恵子抄より   石川弘子
第二部 ゲストとコラボ
 和楽器を交えた朗読:勧進帳    村瀬栞 石川弘子 真理
 舞踊:娘道成寺     好 好月 好美乃 好佳乃 バス麻紀 大川恵理
 新舞踊:水口智世江 真理
 和楽器を交えた朗読:古典落語より    村瀬栞 石川弘子 真理
第三部 まりとけいこ発表会
 演奏:松の緑    佐藤太三夫
 舞踊:羽根の禿    新野アコヤ
 舞踊:越後獅子    岸本苑子
第四部 みんなで合唱
 合唱:越後獅子
 ピアノ、バイオリン、三味線合奏:山岡知子 臼井正枝 真理
 合唱と合奏:メサイヤより3曲 日本女子大学附属中学同窓生
                                   
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女優の大川真理さんという方を中心とした催しだそうで、多くの方々がご出演、いろいろと実験的な試みが為されるようです。

それぞれ、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

作家はつくればいいでせう 政府は作家のやれるやうにすればいいでせう 無意味なことはうるさくて 禿あたまの赤トンボのやうです

詩「赤トンボ」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

「禿あたまに赤トンボがとまつて/秋の山はうるさいです」に始まるこの詩、「うるさいといへばわれわれにとつて/芸術院といふのもうるさいです」と続きます。

光太郎が日本芸術院会員に推されたのは、昭和22年(1947)。推挙を受けたのは、文学の第二部。戦時中の翼賛詩文を深く恥じ、蟄居生活を送っていた光太郎にとって、皮肉としか思えなかったのではないでしょうか。その際には断っていますが、その後も打診があったのでしょうか。単に名誉称号に過ぎず、経済的援助等が付されなかった文化勲章も槍玉に挙げています。

光太郎の父・高村光雲がらみの企画展です。
会 場 : 東京藝術大学大学美術館 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 午前9時30分~午後5時00分  会期中の金・土曜日は午後 8 時まで開館
料 金 : 一般1300円(1100円) 高・大学生800円(600円) 中学生以下無料
         ( )内は20名以上の団体料金
休館日 : 月曜日

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およそ 100 年前。大正から昭和最初期の頃に、皇室の方々の御成婚や御即位などの御祝いのために、当代選りすぐりの美術工芸家たちが技術の粋を尽くして献上品を制作しました。中には、大勢の作家たちが関わった国家規模の文化プロジェクトがありましたが、今日ではそれを知る者がほとんどいなくなっています。いったん献上されたそれら美術工芸品は、宮殿などに飾り置かれていたために、一般の人々の目に触れる機会が極めて限られてきたからです。
古くから皇室は、日本の文化を育み、伝えてきましたが、近代になってからは、さまざまな展覧会への行幸啓や作品の御買上げ、宮殿の室内装飾作品の依頼などによって文化振興に寄与してきました。皇室の御慶事に際しての献上品の制作は、制作者にとって最高の栄誉となり、伝統技術の継承と発展につながる文化政策の一面を担っていました。大正期には、東京美術学校(現、東京藝術大学。以下美術学校)5代校長・正木直彦(1862 ~ 1940)の指揮下で全国の各分野を代表する作家も含めて展開された作品がこの時代の美の最高峰として制作されました。本展では、宮内庁に現存する作品とともに、その制作にまつわる作品や資料を紹介いたします。
また本展は、東京美術学校を継承する東京藝術大学の創立130周年を記念して、東京美術学校にゆかりある皇室に関わる名作の数々も合わせて展示いたします。皇室献上後、皇居外で初めて公開される作品を中心に、100年前の皇室が支えた文化プロジェクトの精華をお楽しみください。


002光雲作品としては、宮内庁三の丸尚三館さん所蔵の「松樹鷹置物」(大正13年=1924)が展示されます。光雲木彫の最高峰の一つです。

大正13年(1924)の皇太子(のちの昭和天皇)ご成婚に際し、大正天皇、貞明皇后から皇太子に贈られました。東宮御所の玄関を飾る置物として作られたとの伝来があります。

像高1㍍ほどある大きな物ですが、さらに1㍍を超す漆塗りの台に据えられていたようです。

光雲は、この作の制作に当たって、帝室博物館(現・東京国立博物館)から鷹の剥製を借用し、参考にしたとのこと。

今にも獲物めがけて飛びかからんばかりの鷹の躍動感と、樹皮のひび割れまで忠実に写生された松の老樹(彫刻材は楠)の表情がみごとです。


同じ上野公園の国立西洋美術館さんでは、過日ご紹介した「《地獄の門》への道―ロダン素描集『アルバム・フナイユ』」が開催されます。それから、東京国立博物館さんでは、常設展示「近代の美術」で、11月12日(日)まで、光太郎の木彫「鯰」とブロンズの「老人の首」が出ています。

併せてご覧下さい。

追記・「松樹鷹」以外にも、光雲の作は複数展示されています。「鹿置物」(大正9年=1920)、「猿置物」(大正12年=1923)、「木彫置物 養蚕天女」(昭和3年=1928)。さらに光雲と他の作家の合作、光太郎の実弟・高村豊周の作も出ています。

【折々のことば・光太郎】

文化は高いほどいいので まさにカンチエンジユンカたるべきです むしろ地上を離れて 成層圏に入るべきです

詩「Rilke Japonica etc.」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

「カンチエンジユンカ」は、ヒマラヤ山脈のカンチェンジュンガ。世界3位の標高で、8,586㍍です。

この時点では世界最高峰・エベレストの標高も正確にはわかっておらず、エベレストが最高峰だろうというのは推定でしかなく、それより高い山も存在するのでは、という説もあったようです。エベレスト、カンチェンジュンガ、さらに第2位のK2すべて、まだ登頂されていません。「ほぼ世界最高峰」という意味で、カンチェンジュンガが持ち出されているのでしょう。

全体としては、十五年戦争により停滞、さらには逆行してしまった日本文化の低さを嘆くとともに、文化行政への批判も含んだ詩です。

地方紙『福島民報』さんで、去る9日に二本松コンサートホールで開催された「智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」の様子が報道されました。 

歌曲「智恵子抄」を披露 二本松“古里”での演奏に感謝

 名古屋市の作曲家野村朗(あきら)さん(62)の作品を披露する演奏会「智恵子抄(ちえこしょう)とともに」は9日、二本松市コンサートホールで開かれた。野村さんが闘病しながら作曲した連作歌曲「智恵子抄」(高村光太郎作詞)などの曲が披露され、聴衆を魅了した。
 連作歌曲「智恵子抄」は「千鳥と遊ぶ智恵子」「あどけない話」「レモン哀歌」「間奏曲」「案内」の5つの曲で構成されている。バリトン歌手の森山孝光さんが高村光太郎の妻智恵子(二本松市油井出身)に向けた愛、失った悲しみといった心情を豊かな歌声で表現した。ピアノ奏者の森山康子さんが伴奏した。
 初演の歌曲「樹下の二人」(高村光太郎作詞)ではメゾソプラノ歌手星由佳子さん(南会津町出身)が伸びやかで澄んだ歌声を響かせた。倉本洋子さんがピアノ伴奏した。連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六首より」(高村光太郎作詞)、歌曲「願わくば」(三好達治作詞)なども発表した。
 野村さんは出演者とともにステージに立ち「多くの人の支えで念願だった智恵子の古里・二本松での演奏会が実現した」と感謝の言葉を述べた。
 慢性腎不全で40年以上闘病生活を送る中、詩集「智恵子抄」に出会い、連作歌曲「智恵子抄」を作曲した。智恵子や光太郎を顕彰する二本松市の団体「智恵子のまち夢くらぶ」「智恵子の里レモン会」の協力を得て開催を実現した。
( 2017/10/11 )

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聴衆に感謝の言葉を述べる野村さん(中央)

他紙でも報じられたかも知れませんが、ネットで確認できたのは民報さんだけでした。


ついでに二本松がらみでテレビ放映情報です。 

ミステリー・セレクション・湯けむりバスツアー桜庭さやかの事件簿1 露天風呂に浮かぶ遺体の謎…22年ぶりの兄妹対面で起こった兄殺し 欲望渦巻く故郷で迎えた驚愕の結末とは!!

BS-TBS  2017年10月18日(水)  14時00分~15時55分

高校生の娘と中学生の息子を持つシングルマザー・桜庭さやかは、ベテランバスガイド。しっかり者の子供たちに今日も起こされ、元気いっぱい仕事へと飛び出していく。今回のツアーは、猪苗代湖~安達太良山~会津若松を巡り、山形へと向かう旅。大盛り上がりのサンライズ商店街御一行様を前にさやかの名調子が冴える。ツアー客の中にはフラワーショップを営む佐野雄二と香織の兄妹も参加していた。2人はツアーの途中で22年ぶりに兄・修一に再会できることを楽しみにしていた。しかし、その兄が安達太良山で死体となって発見される。

萬田久子演じる、気は強いが人情に厚いベテランバスガイド・桜庭さやかと、葛山信吾演じる、イケメンなのにヘタレの年下運転手・富田林太郎、この2人の添乗するバスツアーで、ある殺人事件が起こる!
猪突猛進のさやかに富田林は振り回されタジタジになりながらも、2人は事件の核心へと迫る。そうして見えてきたのは、小さな幸せを一生懸命紡いできた人たちが踏みにじられていく悲しみ。そして迎える驚愕の結末・・・。
故郷への思いと、家族の情愛を美しい風景にのせて描く、湯けむり旅情サスペンス。桜庭と富田林との絶妙なコンビネーションにも注目!! どうぞお楽しみ下さい。

出演 萬田久子、葛山信吾、酒井美紀、石橋保、大浦龍宇一、未來貴子、伊藤洋三郎、斉藤暁、徳井優、竜雷太(他)


初回放映は地上波TBSさんで、平成21年(2009)。このシリーズは昨年まで、ほぼ年に1本のペースで続いていました。その第一弾として放映されたのが本作です。

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基本、磐梯熱海温泉さんでのロケが中心でしたが、発端となった事件の現場が安達太良山という設定で、冒頭部分、萬田さん演じるバスガイド・桜庭さやかにより「智恵子抄」「ほんとの空」の説明が為されています。

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先頃ご紹介した<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』同様、こちらもBS放送で毎年のように再放送されています。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

物そのものは皆うつくしく あへて中間の思念を要せぬ。 美は物に密着し、 心は造型の一義に住する。

詩「月にぬれた手」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

花巻郊外旧太田村での蟄居生活、その絶対的孤独の中でたどり着いた境地が、万物に美を見いだすというものでした。東京にいた頃から、街頭の落葉にも美がある、的な捉え方はしていましたが、圧倒的な大自然に包まれての暮らしの中で、その思いは揺るぎないものとして実感せられたのです。

そしてその美を自らの手で再現する「造型」の意義も。しかし、かつての戦争協力に対する自らへの罰として、彫刻制作は封印中。その封印を解くまであと三年あまりです。

先週から断続的に書いてきた、智恵子の故郷・福島二本松のレポートですが、とりあえず今回で終わります。今日はレポートというより、今後に向けての内容です。

昨日ご紹介した、「智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」の前に、二本松駅前の市民交流センターさんに立ち寄りました。そちらでは、智恵子顕彰活動をなさっている智恵子のまち夢くらぶさんの主催行事「智恵子講座2017」の1回目でした。

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今年のテーマは昨年亡くなられた二本松の児童文学者・故金田和枝さんの著書『智恵子と光太郎』を熟読するということだそうです。

「智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」のリハーサル写真を撮りたかったもので、こちらは開会前に顔を出したのみで欠礼させていただきましたが、レジュメを頂いてきました。

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夢くらぶさんのサイトに、レポートがアップされています。

智恵子顕彰ももちろん大切ですが、それに関わられた方の顕彰という意味で、意義のあることと思われます。泉下の金田さんも照れ笑いを浮かべながら喜ばれていることでしょう。

2回目以降の日程は、こちら。

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続いて、二本松城にも立ち寄りました。

こちらでは、今週末から恒例の「二本松の菊人形」が開催されるため、設営が始まっていました。

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毎年、テーマを掲げて行われています。3年前は「二本松築城600年 にほんまつヒストリア」。8つのシーンにわけて、二本松の歴史を表しており、最後に光太郎智恵子による「あどけない話」でした。

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一昨年は「幕末維新伝 菊の祭典・新時代の幕開け」、昨年が「あっぱれ! ニッポン! 世界に誇れる日本人」。それぞれ、テーマ展示とは別に、光太郎智恵子の菊人形が飾られました。

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今年もそうなるのではないかと思っているのですが、どうなりますことやら。とりあえずご案内を。

第63回 菊の祭典 二本松の菊人形 EDO TRIP~菊花繚乱! 徳川時代絵巻~

期   日 : 2017年10月14日(土)~11月23日(木・祝)
会   場 : 福島県立霞ヶ城公園 二本松市郭内3丁目地内
時   間 : 午前9時~午後4時
料   金 : 一般大人 700円   障がい者手帳をお持ちの方 500円  中学生以下無料

二本松には、藩政時代から菊の愛好者が多く、昭和の初期から町に菊人形が飾られていました。
昭和30年から「二本松の菊人形」として、霞ヶ城公園で開催されるようになり、現在の姿となっています。
第63回を迎える今年は「EDO TRIP 菊花繚乱!徳川時代絵巻」をテーマに、江戸時代の歴史や文化にスポットを当てて場面展開します。

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光太郎智恵子人形が出るとしたら、テーマ展示以外の「ガーデンゾーン」になると思います。昨年がそうでした。

それから、二本松観光大使にして女優の一色采子さんにお伺いしたのですが、菊人形の土台部分のマネキン、何と今年は采子さんのお顔から型を取った人形が登場するそうです。

さらに、現在二本松市内各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」会場も兼ねており、現代アート作家のヤノベケンジさんによる巨大な猫のモニュメント、福島大学の学生さん達による菊人形関連などの展示もあります。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

それではいつそ 旧盆すぎて穂立をそろへた萱の穂の あの美しい銀の波にうちわたる 今朝の山の朝風を この封筒一ぱいに入れよう。 香料よりもいい匂の初秋の山の朝風を。

詩「山からの贈物」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から、東京の知人に何か贈ろうと思い立ち、しかし、農産物や栗、キノコなど、取れたてでなければ美味しくないし(戦後の物流事情では、到着に何日もかかったそうです)、「今では都会に何でもあつて」という状態だから、いっそ、山の朝風を封筒に入れよう、というのです。

昨日、またしても智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。この2ヶ月で4度目、今月に入っても3度目です。

昨日は、市内亀谷の二本松市コンサートホールで開催された「震災復興応援 智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」を拝聴して参りました。

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名古屋ご在住の作曲家で、光太郎詩歌にオリジナルの曲を付けて発表されている野村朗氏、連翹忌ご常連です。そういうわけで、当会も後援として名を連ねさせていただきました。

作曲のきっかけとなった一つが、東日本大震災だそうで、原発事故後、福島の皆さんがどんな思いで「ほんとの空」を見つめてらっしゃるのか、と、そういう思いがおありだったとのこと。そして、「いつか智恵子の故郷二本松で演奏会を開きたい」という願いとなり、今回のコンサートが実現しました。

演奏は、まず初演の時から演奏に当たられている、森山孝光氏(Br)、康子さん(Pf)ご夫妻。昨年の第60回連翹忌でも演奏をお願いいたしました。当方、名古屋や東京での演奏会に何度か足を運びましたので、すっかり顔なじみとなりました。

画像はリハーサルの様子から。

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もう一組、星由佳子さん(Mez)、倉本洋子さん(Pf)。

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星さんは南会津のご出身だそうで、ご両親や関係の方々が多数ご来場下さっていました。また、驚いたことにやはり連翹忌、そして女川光太郎祭ご常連のオペラ歌手・本宮寛子さんに師事されたとのことでした。

プログラム前半は、三好達治、北原白秋の詩に曲を付けた歌曲や、「発表を前提とせず書きためた」というピアノ曲、野村氏ご自身の作詞による歌曲。

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後半が「智恵子抄」系でした。

まず、歌曲「智恵子抄巻末の短歌六首」より抜粋で3曲。昭和9年(1934)、九十九里浜で療養生活を送っていた智恵子を詠んだ「智恵子、尾長のともがらとなる」。思い出深い駒込林町のアトリエでの「智恵子の息吹みちてのこり…」「ここに住みにき」。演奏は森山夫妻でした。

続いて、星さん、倉本さんにバトンタッチし、「樹下の二人」。この演奏会のために書き下ろされた、本邦初演だそうです。そういうわけで、当方もこちらは初めて聴きましたが、力作でした。前後の曲が、やはりどうしても悲劇的な要素を持たせた作であるのに対し、これは光太郎智恵子双方が心身共に比較的健康で、幸福だったころの詩を題材としており、徹頭徹尾、明るく伸びやかな曲調でした。星さんの張りのある澄んだ歌声が、安達太良山や阿武隈川、二本松の広々としたパノラマの地理と、光太郎智恵子の愛の世界を存分に表現していました。

最後に、再び森山夫妻で連作歌曲「智恵子抄」。「千鳥と遊ぶ智恵子」「あどけない話」「レモン哀歌」、そして時間の経過を表すというピアノソロの「間奏曲」、終末は戦後の花巻郊外太田村山口での「案内」。ドラマチックな構成と、ご夫妻の力強く、かつ繊細な表現に、観客の皆さんも魅了されていました。

観客、といえば、このホール、キャパは206席のこぢんまりとしたところで、それでも「お客さん入るのかな」と心配しておりましたが、案に相違して、超満席でした。共催に入った智恵子のまち夢くらぶさん、後援の智恵子の里レモン会さんなどの宣伝が功を奏したようでした。

花巻郊外旧太田村で、生前の光太郎をご存じの浅沼隆さん、いわき市立草野心平記念文学館の小野浩氏、太平洋美術会・高村光太郎研究会の坂本富江さん、テルミン奏者の大西ようこさん(お隣に座らせていただきました)、そして二本松観光大使にして女優の一色采子さんなど、連翹忌ご常連の方々もいらしていました。

終演後に花束贈呈。

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ホワイエで。

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野村氏の感心させられるところは、一回やって終わり、でなく継続して取り組まれているところ。氏の「智恵子抄」系が曲目に入った演奏会、今年はドイツでも披露されましたし、今後も続きます。また近くなりましたらご紹介いたします。


【折々のことば・光太郎】

山の少女は山を恋ふ。

      詩「山の少女」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

現題は「鎌を持つ少女」。花巻郊外旧太田村の山小屋近くに住み、農作業にいそしんだり、栗やキノコ、アケビややまなしなどを採る「りすのやう」な少女を題材にしています。

モデルは、高橋愛子さんという説が有力です。上記の浅沼隆さん同様、生前の光太郎の語り部としてご活躍中。

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画像は昨年放映された、テレビ岩手さんの情報番組「5きげんテレビ」から。

浅沼さんもご出演なさっていました。

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光太郎、もしかすると愛子さんの姿に、終生安達太良山を恋い続けた智恵子の姿を重ね合わせていたかもしれません。

このブログにたびたびご登場いただいている、テルミン奏者大西ようこさんと、ギターの三谷郁夫さんによるユニット「ぷらイム」さんのコンサートです。ユニット結成10周年記念公演だそうです。 

テルミンと語りで紡ぐ愛の物語り 智恵子抄

期日 : 2017年10月28日(土)
会場 : 横浜美術館レクチャーホール 神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
時間 : 15時開演(14時半開場)
料金 : 前売 3,000円 当日 3,500円 小学生以下 1,500円  障がい者・介助者ペア 5,000円
出演 : ぷらイム(テルミン 大西ようこ/ギター・歌・その他 三谷郁夫)
     ゲスト 水沢有美(朗読)
   
問い合わせ : 浜野クリエイト(大西) theremin@art.nifty.jp

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高村光太郎は、最初から『智惠子抄』という詩集を編もうと思って智惠子を詩に詠んだのではありません。
折に触れて綴ってきた智惠子に関する詩から、智惠子の死後、取捨選択した、いわば寄せ集めの詩集です。

なので、智惠子という女性の人生を語り、光太郎という漢の人生を語るのには・・・・言葉が足りない。
光太郎の本業が彫刻家である事を知る人はいても、智惠子が、当時としては珍しい女流画家を目指していた事を知る人は、少ない。

そこをあえて!
本公演では、100%『智惠子抄』のみから抜き出した言葉で立体的に構成。
太平洋戦争開戦4ヶ月前に出版された『智恵子抄』を、今の世に、新たに、見直します。

■朗読(予定):
「人に」「人類の泉」「樹下の二人」 「あなたはだんだんきれいになる」 「あどけない話」「風にのる智惠子」 「千鳥と遊ぶ智惠子」「レモン哀歌」 「荒涼たる帰宅」「亡き人に」 「智惠子の半生」

■演奏曲(予定)
「智惠子抄」より(清道洋一)  「三つの情景」より(田中修一)  「夢想」(ドビュッシー)  「別れの曲」(ショパン)  「トロイメライ」(シューマン) 他


第一部が女優の水沢有美さんをゲストに迎え、テルミンと朗読で、「智恵子抄」の世界を演出されるそうで、楽しみです。三谷さんが登場されて「ぷらイム」さんとしては、第二部になるようです。

開演10分前にはクイズコーナーとのこと。「クイズに答えて、ぷらイム10周年記念グッズをもらっちゃおう!」だそうです。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

雪の頃からかかつてゐる詩が 桜が散つてもまだ出来ない。 この悪婦につかまつて おれは一歩も前進できない。

詩「悪婦」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

具体的にどの詩を指すのか、それが完成したかどうかもわかりませんが、「悪婦」に例えられた構想している詩が、なかなか出来ない、という詩です。

さらさらっと謳いあげているようにみえる光太郎の詩ですが、実は綿密に考え、推敲もとことん行っていたことが、遺された詩稿から垣間見えます。この詩にしても、武者小路実篤主宰の雑誌『心』に発表したあと、詩集『典型』(昭和25年=1950)に収録する際、改訂が施されています。

光太郎が終生敬愛し続けた、オーギュスト・ロダンの企画展です。

《地獄の門》への道―ロダン素描集『アルバム・フナイユ』

期 日 : 2017年10月21日(土)~2018年1月28日(日)
会 場 : 国立西洋美術館 版画素描展示室 東京都台東区上野公園7番7号
時 間 : 午前9時30分~午後5時30分  毎週金・土曜日:午前9時30分~午後8時
          ただし11月18日は午後5時30分まで
料 金 : 一般500円(400円)、大学生250円(200円) ( )内は20名以上の団体料金
休館日 : 月曜日(ただし、2018年1月8日(月)は開館)、
        2017年12月28日(木)~2018年1月1日(日)、1
月9日(火)

1880年、建築予定のパリの装飾芸術美術館の門扉となるべき大型彫刻の注文を受けたオーギュスト・ロダン(1840-1917)は、ダンテの『神曲』「地獄篇」を題材として、《地獄の門》の制作に取り組み始め、まずは大量のデッサンを手がけます。「私は1年の間、ダンテとともに生きた。彼によってのみ生き、彼のみと生きたのだ。そして彼の“地獄”の8つの圏谷(たに)をデッサンした」(ロダン)。生前に犯したさまざまな罪のために地獄で責苦に喘ぐ死者や、空中を跳梁する悪魔。ウェルギリウスとダンテの導きで地獄巡りに出たロダンの想像力は紙の上に荒々しい幻想の世界を生み出しました。やがてロダンは、これらのデッサンをあまりに現実から離れたものとして放棄し、新たに「自然にもとづいて」デッサンをやり直したといいます。しかしここには、デッサン家としてのロダンが紙の上で繰り広げたより自由なヴィジョンがあるとともに、生の苦悩と創造の輝きが混然となって展開する壮大な《地獄の門》創造の萌芽を見ることができます。
支援者の美術愛好家モーリス・フナイユの名を取って『アルバム・フナイユ』として知られる大型素描集『オーギュスト・ロダンのデッサン』は、ロダン自身が選び出してタイトルを付けた「地獄篇」をめぐる142点のデッサンを精巧なフォトグラヴュール技法によって同寸で複製したものです。「地獄篇」、「辺獄(リンボ)、「習作」の3部で構成され、詩人オクターヴ・ミルボーの序文を加えて、1897年にグーピル商会の後継会社ブソ&マンツィ&ジョワイヤン社から125部限定で出版されました。ロダン自身が制作プロセスに深く加わったこの素描集は高い評価を受け、後の「画家本(リーヴル・ダルティスト)」の先駆ともいわれます。ロダンが没してから100年にあたる2017年秋の小企画展示では、《地獄の門》の主要な関連彫刻作品とともに、この『アルバム・フナイユ』の全図版をご紹介します。

同館前庭に立つ、ロダン畢生の大作「地獄の門」。その制作過程をうかがい知ることのできる素描が展示されます。

関連する記事が、先月末、『朝日新聞』さんに出ました。ご執筆は日本大学芸術学部・髙橋幸次教授。このブログにたびたびご登場いただいております。

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長いので全文は引用しませんが、冒頭部分で光太郎にも触れて下さっています。

 「近代彫刻の父」とも呼ばれるオーギュスト・ロダン(1840~1917)が、今年11月に没後100年を迎えます。ロダンの魅力は、彫刻という不動のものに「動き」や「生命感」を持たせたこと。彫刻家の荻原守衛や高村光太郎らにも大きな影響を与え、明治末から戦後にかけて、日本でも「ロダニズム」が席巻しました。


光太郎畢生の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」も、「地獄の門」に影響を受けています。光太郎は2体全く同じ像を向かい合わせにしていますが、ロダンは「地獄の門」のてっぺんに、3体の同型の像を並べました。後に「影」としてシングルカットされています。

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光太郎は「乙女の像」完成後の談話で、「影」に触れ、インスパイアであったことを示唆しています。


さて、国立西洋美術館さん、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

若しも智恵子がここに居たら、 奥州南部の山の中の一軒家が たちまち真空管の機構となつて 無数の強いエレクトロンを飛ばすでせう。

詩「若しも智恵子が」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

花巻郊外旧太田村の山小屋での蟄居生活。戦争協力を恥じ、自らを罰するために選んだ自虐に等しい過酷な生活でしたが、その中で最も求めたもの、それは亡き智恵子との再会でした。

一昨日、二本松市各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子の生家を会場に行われた、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」を拝見してきました。そちらが夕方の開催だったため、その前に光太郎智恵子ゆかりの場所、不動湯温泉に行ってみました。正確には二本松ではなく福島市になりますが、安達太良山の山麓ということで。

昭和8年(1933)夏、心の病がのっぴきならぬところまで進んでしまった智恵子の恢復を願い、光太郎は智恵子を東北から北関東の湯治旅行に連れ出します。

出発の前日には本郷区役所に、大正3年(1914)の結婚披露以来無視し続けてきた婚姻届を提出。病む智恵子の今後の生活の安泰を保証するための決断でした。光太郎自身も既に結核を発症していました。

0028月25日は、智恵子の祖父母・父らが眠る長沼家の菩提寺、満福寺で墓参。その後、裏磐梯川上温泉、宮城蔵王山中の青根温泉、福島に戻って、奥土湯にある不動湯温泉、そして確認できている限り最後は栃木の塩原温泉に逗留し、帰京しています。光太郎の願いもむなしく、帰京した時には、智恵子の病状はいっそう進んでしまっていたそうです。

右の画像は、塩原温泉で撮影されたもの。現在確認されている智恵子最後の写真です。

さて、不動湯温泉。

永らく光太郎智恵子が泊まった建物(大正10年=1921建築)が残っていました。画像は平成14年(2002)、テレビ朝日さんで放映された「文豪が愛した北の宿 旬の料理に温泉の旅!▽名作をポケットに晩秋の東北を歩く▽いやしの湯」より。レポーターはシンガーソングライター・みなみらんぼうさんです。

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建物だけでなく、宿帳も残っていました。

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しかし、平成25年(2013)8月29日、この宿から出火、全焼してしまいました。半月後、現地に行ってみまして、その際のレポートがこちら。ショックでした。

その後、日帰り入浴施設として再開したというので、今回、行ってみようと思い立った次第です。ホームページもリニューアルされ、瀟洒な施設ができているのだろう、と勝手に思い込んでいました。

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東北自動車道で二本松ICを通り過ぎ、福島松川PAに併設されたスマートインターチェンジで下車、安達太良山腹へ分け入りました。土湯温泉郷から記憶を頼りに間違いながらも林道を進みます。何せ、カーナビには道の存在すら表示されないところです。久々に愛車の四駆機能をオンにしました。

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すると、途中で林道が封鎖されています。何と、不動湯温泉、営業は基本的に土日祝日のみとのこと。行った日は木曜日でした。帰ってから確認したところ、ホームページにもちゃんと書いてありましたが、そこまで読んでいませんでした。てっきり瀟洒な施設が出来ているものだと思い込んでいたもので、まさかそんなこととは思ってもいませんでした。

それでも外観だけでも観ておこうと思い、車を乗り捨てて、歩きました。歩くこと15分ほどで、入り口に到着。

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元の建物があった場所は、焼け跡のままで、瀟洒な建物などありません。

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ここに至って、ようやく自分の間抜けな勘違いに気づきました。

元々あった露天風呂が、焼けた建物よりずっと下に位置し、長い階段を下りていく構造だったため焼け残り、そちらを利用して、日帰り温泉施設としているのです。

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この階段を下りていった先に、露天風呂があるというわけです。

再びみなみらんぼうさんの番組から。

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少し離れた場所に、管理事務所的な建物がありました。営業日にはここで受付をしたり、入浴後の休憩をしたり、というわけです。

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いずれまた、今度は間違いなく営業している時に行ってみようと思いました。

せっかくタオルやら石鹸やらの入浴セットを持っていきましたし、一色采子さんの「智恵子・レモン忌 あいのうた」までにはまだ間もありましたので、同じ安達太良山麓の岳温泉に向かいました。

こちらの共同浴場は普通に営業中。

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小一時間、アップダウンの激しい林道を歩いた疲れを癒しました。

その後、智恵子生家へ。昨日のレポートに戻ります。併せてご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

岩手の人沈深牛の如し。 両角の間に天球をいただいて立つ かの古代エジプトの石牛に似たり。 地を往きて走らず、 企てて草卒ならず、 つひにその成すべきを成す。

詩「岩手の人」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

「草卒」は、ここでは「忙しくて落ち着かない」または「軽はずみ」といった意味。「牛の如し」は鈍重で融通が利かないというマイナスの意味ではなく、どっしり落ち着いているというほめ言葉です。

今月1日(ついたち)の日曜日に開催された「第23回レモン忌」に引き続き、昨日はまたまた智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。現在、二本松市各所で展開中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子の生家を会場に、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」が行われ、そちらを拝見。

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一色さんは本名・大山采子さん。お父様は二本松ご出身で、文化勲章を受章された故・大山忠作画伯。同郷の智恵子をモチーフにした作品も数多く、その関係で采子さんとも知遇を得まして、連翹忌にもご参加いただいております。

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1日(日)のレモン忌にご欠席でしたので、どうされたのかと思っておりましたところ、全国23ヶ所で公演された「松竹特別公演 妖麗 牡丹燈籠」の千秋楽だったそうでした。そちらの東京公演のご案内も頂いていたのですが欠礼したので、今回はその埋め合わせという部分もあって参上しました。

午後6時開演ですが、4時半頃に着きました。正式な開場の5時半より前にどさくさに紛れて潜り込み、リハーサルから観ようという魂胆です(笑)。

早速、采子さん発見。すてきなお召し物です。

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持参した花束とレモンをお渡ししました。

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さて、リハーサル。

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渕上千里氏の電子ピアノによる、サティやドビュッシー、ラヴェルなどに合わせ、采子さんの「智恵子抄」朗読。

千葉の当方自宅兼事務所に帰ってきてから気づいたのですが、淵上氏、故・平吉毅州氏作曲の混声合唱組曲「レモン哀歌」CD(平成11年=1999 フォンテック)に、ピアノで参加されていました。合唱は平松混声合唱団さん。当方、CDを持っております。

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演奏を聴いて、「あっ、このタッチは、平吉さんの『レモン哀歌』の……」と気づいたのなら、当方もすごい耳の持ち主ということになりましょうが、そうでないところが凡人の悲しさです(笑)。

本番が撮影禁止だったので(シャッター音やストロボの光が録音、録画に影響するためだそうで)、以下、リハの写真です。そこまで予想して、早のりしたわけではないのですが(これも凡人の悲しさです(笑))、リハ中にたくさん撮っておいて助かりました。

感想は本番を含めて書かせていただきます。采子さんの朗読は、非常に凜としたお声で、一言で言うと「かっこいい」読み方。例えるなら宝塚の男役のような。また、間の取り方が実に絶妙でした。詩は5篇。「人に」「あどけない話」「樹下の二人」「レモン哀歌」「千鳥と遊ぶ智恵子」。

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その後、福島ご出身のダンサー・二瓶野枝さんによるモダンダンス。

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幽妙というか、玄妙というか、深淵というか、幻想的というか、神秘的というか、ボキャブラリーが貧困で申し訳ありませんが、生演奏でなく、コンピュータを使っての音楽とダンスの動きがよくマッチし、智恵子の生涯におけるさまざまな挑戦、希望、しかしいろいろな面でうまくいかない苦悩、失意、それに負けまいとあらがう姿、結局は刀折れ矢尽きた絶望、そしてその生涯の終焉といったもろもろが、情念たっぷりに表現されていました。

観客の皆さんも、朗読、ダンス、それぞれの世界に引き込まれていました。

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通常のホールなどではなく、宵闇に包まれた、明治16年(1883)建造の智恵子の生家という舞台設定がまた良かったと思いました。これが昼間では、また感じが出なかったでしょう。

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カーテンコール的な。

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終演後の関係者の皆さん。

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昨年は地元の方による琴と尺八の演奏が行われ、今年は朗読とダンス。何でもありというわけではないでしょうが、生家の活用がなされるのは良いことだと思われます。ぜひここで演じてみたいというパフォーマーの皆さん、市教委あたりに問い合わせてみて下さい。

007終演後の舞台挨拶で初めて知りましたが、二瓶さん、三ヶ月前にお子さんを出産されたばかりだそうでした。そうとは思えない見事に鍛え上げられた体型(愚妻との相違が……(笑))には舌を巻きました。

ところで、リハの時から赤ちゃんがいるな、と不思議に思っていたら、それが二瓶さんのお子さんでした。何と、名付けて「コータロー」君だそうで。ちょうどこのイベントにかかっていた時だったため、「光太郎」ではなく「郎」のみ変えて「光太朗」と名付けたとのこと。光太郎の悪いところは真似をせず(笑)、頑健な身体などのよいところはあやかってもらい、すくすくと育ってほしいものです。

ちなみに昨日は、十六夜(いざよい)の月でした。

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昭和13年(1938)10月5日、智恵子が歿し、8日には駒込林町のアトリエで、葬儀が行われました。後にそれを回想して謳われたのが、「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。

  荒涼たる帰宅000
 
 あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
 智恵子は死んでかへつて来た。
 十月の深夜のがらんどうなアトリエの
 小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
 私は智恵子をそつと置く。
 この一個の動かない人体の前に
 私はいつまでも立ちつくす。
 人は屏風をさかさにする。
 人は燭をともし香をたく。
 人は智恵子に化粧する。
 さうして事がひとりでに運ぶ。
 夜が明けたり日がくれたりして
 そこら中がにぎやかになり、
 家の中は花にうづまり、
 何処かの葬式のやうになり、
 いつのまにか智恵子が居なくなる。
 私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
 外は名月といふ月夜らしい。

この年は、この葬儀の日が十五夜だったのですね。

昨日はまさしく智恵子の命日「レモンの日」「レモン忌」というわけで、花を添えていただいたように思います。

おまけ。
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帰りがけに赤信号に引っかかったら、横から出てきました。

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かつて智恵子も観たであろう、300年以上続く、二本松の「提灯まつり」です。

【折々のことば・光太郎】

さうして祈らう。 世界に戦争の来ませんやうに、 天変地異の起きませんやうに、 われら一人一人が人間でありますやうに、 一人一人が天のかけらを持ち得ますやうにと。

詩「新年」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

翌年元旦の『朝日新聞』のために書かれた詩です。同じく新年を謳うにしても、戦時中は米英覆滅のプロパガンダ的なものでしたが、花巻郊外太田村の山小屋での蟄居生活も4年目となり、たどりついた境地がこれです。

手前味噌になりまして恐縮ですが、当方が講師を務めさせていただきます講演会が、青森十和田市で開催されます。 

三本木小地区安全・安心協働活動協議会講演会「知っておきたい! 乙女の像ものがたり~秘められた光太郎の思い~」

期   日 : 2017年10月21日(土)
会   場 : 十和田市立東公民館 十和田市大字三本木里ノ沢1-240
時   間 : 18:00~20:30 
料   金 : 無料 申し込み不要
講   師 : 高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
問い合わせ : 三本木小地区安全・安心協働活動協議会・佐藤☎ 090-4552-2375

昭和28年10月21日は、乙女の像の誕生日。今年で64歳になります。乙女の像は、国立公園指定15周年記念事業として、十和田開発に功績のあった三氏を顕彰するために建てられました。なぜ『智恵子抄』で知られる高村光太郎が制作することになったのか、なぜ2体が向き合っているのか、光太郎のどんな思いが込められているのか…etc。十和田湖のシンボルに秘められた歴史と浪漫を紐解きます。

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今月号の『広報とわだ』さんに紹介が載りました。

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途中で休憩を挟み、100分ほど。前半は、光太郎の生涯をダイジェストで、後半は「乙女の像」について詳しく、と考えております。一昨年、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん編集による『十和田湖乙女の像のものがたり』という書籍が刊行され、前半部分を執筆し、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についてがっつり調べましたので、その成果です。プロジェクタで画像等を投影しながら、また、光太郎の肉声も流す予定です。

お近くの方、ぜひどうぞ。


十和田湖、といえば、昨夜というか今日未明、地上波TBSテレビさんで放映された「タビフク。#63十和田湖・奥入瀬」。存じませんでしたが、この番組は2週間でワンセットとなっており、来週12日(木)のやはり未明に後編が放映されます。

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出演は、NHKさんの朝ドラ「ひよっこ」に出演されていた小島藤子さんと、やはり女優の宮崎香蓮さん。

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前編は、十和田市現代美術館さん、南部裂織の里さん、そして十和田プリンスホテルさんでした。

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来週の後編では、十和田湖、奥入瀬渓流だそうです。

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タビフク。#64「十和田湖・奥入瀬 後編」小島藤子&宮崎香蓮

地上波TBS 2017年10月11日(水) 25時58分~26時28分(10月12日(木)午前1時58分~2時28分)

プライベートでも仲の良い二人が究極のおしゃれ女子タビに。ひよっこの寮長・小島藤子&女優・宮崎香蓮が青森県・十和田湖・奥入瀬渓流へ。
素敵な日本の風景、極上のホテルルーム、あこがれのおしゃれ女子女子たちとまばゆいファッション・・・オンナの子の憧れがいっぱいにつまった番組。高精彩の4Kカメラにより撮影されています。残念ながら現在の地上波TVでは2Kフルハイビジョンでの放送となりますが、それでも映像の美しさは格別です。ぜひ極上の日本の風景をお楽しみください。

出   演   者 小島藤子&宮崎香蓮
番組案内役 タビフク。コンシェルジュ 季葉(きわ)

「乙女の像」、ちらっとでもいいので写ってほしいものです。


さて、今日は智恵子の命日「レモンの日」。今から智恵子の故郷・二本松に行って、連翹忌等でお世話になっている一色采子さんの出演される公演「智恵子・レモン忌 あいのうた」を拝見して参ります。


【折々のことば・光太郎】

小学校の教育は大学の教育よりも大切です。 本当の人間の根源をつくるからです。
詩「お祝のことば」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

光太郎が蟄居生活を送っていた、花巻郊外太田村山口地区の山小屋の近くにあった太田小学校山口分教場。
近くといっても、山小屋から500メートルほど離れていましたが、その間には民家は一軒もありませんでしたので、最寄りの建造物といえば、これでした。光太郎が山口地区に移り住んだ昭和20年(1945)秋、山小屋が落成するまで、ここの宿直室に1ヶ月ほど寝泊まりしていました。

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その後も、郵便物はここまでしか届けてくれず、光太郎が散歩がてら取りに行って職員室でお茶を飲みながらだべったり、児童が山小屋に届けてくれたりしていました。そうした縁もあり、児童や教職員と光太郎は深い交流を持ち、光太郎は「風の又三郎」の学校のようだ、と評していました。

分教場から山口小学校へと昇格したのは昭和23年(1948)。光太郎は落成式に招待され、この詩を朗読しました。従来、生前に活字になった記録が確認されていませんでしたが、地方紙『花巻新報』の、この年12月7日の号に載った開校式報道の中で引用されていたことが判明しています。

昭和45年(1970)には閉校、その後、市の歴史民俗資料館として活用されていましたが、平成の初め頃、老朽化のため解体されました。

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跡地にはスポーツキャンプ村屋内運動場(通称・高村ドーム)が建設され、毎年5月15日の高村祭が雨天の場合の会場として使われています。また、光太郎が校訓として贈った「正直親切」の書を刻んだ碑も建てられています。

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明日は「レモンの日」。智恵子命日にちなみます。忌日として「レモン忌」とも表されます。

006そこで、またまた智恵子の故郷・福島二本松に行って参ります。、二本松市内各所で現在開催中の「重陽の芸術祭2017」の一環として、智恵子生家を会場にダンスパフォーマンスの公演「智恵子・レモン忌 あいのうた」が行われるためです。智恵子を題材にした日本画を多く手がけた二本松出身の故・大山忠作画伯の息女にして女優の一色采子さん(連翹忌にもご参加いただいております)が朗読で参加されるとのことです。

さらに福島ご出身のダンサー・二瓶野枝さんによるモダンダンス。

先頃、智恵子生家にお伺いした際に、たまたまお会いした教育委員会文化課の方に「この座敷でダンスをやって大丈夫なんですか?」と訊いたところ、「そこまで激しい動きではないそうなので」ということでした。

どのような公演になるのか、非常に楽しみです。

そちらが午後6時からということで、またその前に近くのゆかりの地を廻ろうと考えております。明後日以降、レポートいたします。


朗読といえば、光太郎詩を朗読して下さるイベントが近々二つ。 

「満天星」ライブ第6回

期   日 : 2017年10月17日(火)
会   場 : 船橋市市民文化創造館(きららホール) 千葉県船橋市本町1-3-1フェイスビル6階
時   間 : 開場12時30分 開演13時00分
料   金 : 無料 (全席自由)
問い合わせ : 047−450−6648 「満天星」代表/上田悦子

プログラム :
 【第一部】 司会:大野栄子
  1 神無月     原作 : 宮部みゆき
  上田悦子
  2 花の詐欺師   原作 : 古屋信子    誉田信子
  3 泳げない魚   原作 : 池田晴海    櫻井芳佳
  4 鮒       原作 : 向田邦子    江本なつみ
 【第二部】 司会:江本なつみ
  5 余寒の雪    原作 : 宇江佐真理  成川洋子
  6 ラブ・レター  原作 : 浅田次郎   大野栄子
  7 智恵子抄    原作 : 高村光太郎  小林正子

一昨年にも、同じ方の「智恵子抄」朗読を含むイベント「第2回小さな朗読〜感動をつくる朗読をめざして〜」をご紹介しました。繰り返し取り上げて下さり、ありがたく存じます。

もう1件。 

第4回 JILA朗読コンクール入賞・入選記念 朗読の祭典

期   日 : 2017年10月25日(水)
会   場 : 深川江戸資料館 小劇場  東京都江東区白河1-3-28
時   間 : 開場18時30分 開演19時00分
料   金 : 2,500円 (全席自由)
問い合わせ : 03-3356-4140 JILAチケットセンター

プログラム :
 石橋  玲  夏目漱石 : 『夢十夜』より「第三夜」 (縄文太鼓:石橋俊一)
 村上 長子  志賀直哉 : 転生
 藤野 篤子  夏目漱石 : 『夢十夜』より「第八夜」
 岩井 奈美  夏目漱石 : 『夢十夜』より「第六夜
 渡邊 奈美  森 鷗外 : 牛鍋  (
三味線:藤沢しげみ)
 勝田のぞみ  峠 三吉 : 『原爆詩集』より「墓標」
 桜 さゆり  稗田阿礼 : 古事記 中巻 より  高村光太郎:山のともだち クロツグミ 

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いつも書いていますが、光太郎詩文は、内容的にも表現でもすばらしいところが多く、また、あからさまな七五調、五七調などを採らなくとも、光太郎自身「内在律」という言葉で表現した独特のリズム感、さらにはさりげない踏韻など、意外と朗読に向いています。どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

おれの詩はおれの実体以外になく、 おれの実体は極東の一彫刻家であるに過ぎない。 おれにとつて宇宙は構造の原点であり、 詩は構造の対位法(コントルポアン)だ。 西欧ポエジイは親愛なる隣人だが、 おれの詩の運行は一本軌道がちがつてゐる。

詩「おれの詩」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

冒頭部分では「おれの詩は西欧ポエジイに属さない。/二つの円周は互に切線を描くが、/つひに完くは重らない。」とあります。

洋の内外という問題ではなく、日本詩人の詩に対しても同様です。「白秋、露風、柳虹といふやうな詩人のおかげで、詩は結局自分の言葉で書けばいいのだといふ、以前からひそかに考へてゐてしかも思ひきれなかつた事を確信するに至つた。」(「美術学校時代」昭和17年=1942)と書きつつ、「藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。」(「詩について語らず――編集子への手紙――」昭和25年=1950)とも書いています。

といって、自分の詩のみが良くて、他は話にならん、的な独善的といえる見方はしていません。他人は他人、自分は自分、なのです。

一昨日、智恵子の故郷・福島二本松のラポートあだちさんで開催された、智恵子を偲ぶ「第23回レモン忌」に参加して参りましたが、その前後、先月から二本松市内各所で開催中の「重陽の芸術祭2017」関係で、他にも廻りました。

まず、レモン忌の開会前、国道4号線沿いの道の駅安達「智恵子の里」。こちらは全国的にも珍しく、道の両側に「上り線」「下り線」と、別々の施設を展開しています。

「上り線」では、和紙伝承館さんで、地元の方々を中心とする絵画作品の展示。

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「下り線」では、現代アート作家のワタリドリ計画さんによるインスタレーション「絵葉書フラッグ」。

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道の駅安達「智恵子の里」のシンボル的な「万燈桜」のかたわらに、畳一畳ほどの「フラッグ」が10枚弱。

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それぞれ両面印刷で、絵葉書のスタイルになっています。写真面は、智恵子生家など二本松の風景です。

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中には明治期の手彩色ふうのものも。

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それぞれの裏面は、ちゃんと絵葉書の書式。面白い試みだと思いました。

ちなみに「下り線」の建物内には、以前から光太郎智恵子コーナーもあります。

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後ろの窓からは、安達太良山と「ほんとの空」。

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こちらをあとに、昨日書きましたレモン忌の方に参加させていただきました。

そして、レモン忌終了後、智恵子の生家・智恵子記念館へ。レモン忌参加者は無料で入れたので、ありがたい限りでした。他の参加者の方々も、何人かご一緒させていただきました。

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FCT福島中央テレビさんが取材にいらしていました。

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003レモン忌流れの一行は、レモン忌主催の「智恵子の里レモン会」会員、郡山在住の八代勝也さんのご案内で、生家内部に。八代さん、平成のはじめに生家の補修工事が為された際の工事責任者でした。それだけに、これまで見落としていたさまざまを教えていただき、興味深く見ることが出来ました。

たとえば一階の部屋の天井にくっついている、謎の箱。真上の部屋が智恵子の居室で、そこに据えられた掘り炬燵(ごたつ)だそうです。

その他、「ここから先は増築部分で、そのために通常とは違ってこうなっている」とか、「この柱は元々の部材、このかまどの辺りは残念ながら残っていなかったので、新しく作った」とか。ありがたや。

「重陽の芸術祭2017」初日にも拝見しましたが、現代アート作家の清川あさみさんによるインスタレーション展示も継続中。下の画像は、新潮文庫版智恵子抄、「あどけない話」のページに施された刺繍です。「ほんとの空」のイメージなのでしょう。002

智恵子生家では、5日(木)の智恵子命日「レモンの日」に合わせ、女優の一色采子さんらによる「智恵子抄」朗読とダンスのパフォーマンス「智恵子・レモン忌 あいのうた」が行われます。また、来月12日からは、生家裏の智恵子記念館で、普段は複製が展示されている紙絵の実物展示が始まります。さらに9日(月・祝)には、二本松市コンサートホールにて「震災復興応援 智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル」。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

智恵子はほのぼのと美しく清浄で しかもかぎりなき惑溺にみちてゐた。 あの山の水のやうに透明な女体を燃やして 私にもたれながら崩れる砂をふんで歩いた。
詩「噴霧的な夢」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

この智恵子は、光太郎の夢に現れた智恵子です。

アイロニカルな見方をすれば、光太郎のこうした「女神」的な讃仰が智恵子にとっては重荷となり、心の病につながったともいえますし、その歿後も偶像崇拝的に智恵子の姿を追い求める光太郎に、「いい年こいて……」という批判を投げかけるのは容易でしょう。

しかし、数え66歳の老人が、夢に亡き妻を見て心洗われているというその一事を、当方は笑い飛ばすことは出来ません。

昨日は日帰りで、智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

午前10時から、智恵子生家に近い旧安達町のラポートあだちださんで、智恵子を偲ぶ「第23回レモン忌」が開催されました。地元で智恵子の顕彰活動を進められている、智恵子の里レモン会さんの主催です。智恵子の忌日は10月5日(レモンの日)ですが、レモン忌の集いとしては、それに近い日曜日ということで期日が設定されています。昨日は地元の方を中心に、40名ほどの皆さんがご参加、智恵子を偲ぶひとときを過ごしました。

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開会の言葉に続き、智恵子肖像に献花/献果。献果はレモンです。

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主催者挨拶、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露、記念撮影で第一部が終了。

第二部は、記念講演でした。福島県立美術館さんの学芸員をなさっている堀宜雄氏で、題して「智恵子の横貌―『青鞜』表紙絵のナゾ―」。

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主に明治大正期、光太郎と共同生活を始めるまでの、画家としての智恵子の軌跡を丹念に追われていました。

メインは明治44年(1911)に、日本女子大学校で智恵子の先輩だった平塚らいてうが立ち上げた雑誌『青鞜』の表紙絵について。智恵子は創刊号を含め5回使われた有名なデザインのものと、従来スズランを描いたとされてきた翌45年(1912)の第2巻第1号~3号の表紙を飾ったものと、2種類の表紙絵を手がけています。

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上の画像は氏のレジュメから。もうこれでネタバレになっていますので、左の従来スズランだといわれてきたものからご説明しますと、これはスズランではなく、アマドコロという植物だろうとのこと。似ているものの、スズランはこのような形にならない、ということで、画像を使ってご説明下さいました。

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まったくその通りですね。当方にしても、これはスズランだと信じて疑いもしませんでした。

それから、創刊号の有名なデザイ000ン(右は昨年末に入手した、智恵子の文章が載った号で、創刊号ではありませんが、同じ意匠です)。つい先月、連翹忌ご常連の、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏が明らかにされた新事実が、早速紹介されました。

従来、この絵は何を描いたものか、ということで、いろいろな解釈が為されていました。アール・ヌーボー風だとか、ギリシャの女神とか、エジプトのそれだとか、背景の丸や三角についても、実に色々な説が唱えられていました(具体例は挙げませんが、中には噴飯ものの珍説も)。

それから、元になったアイディアなり、デザインソースなりについても、アルフォンス・ミュシャやクリムト、青木繁などとの関連があるのでは、等々、これも百家争鳴でした。

それらに終止符を打つ発見を水沢氏がなさり、氏のフェイスブック上に、先月、発表されました。当方、フェイスブックには登録しておらず、ここにリンクが貼れませんが、その記事を紹介する他の方のブログを見つけ、水沢氏に資料を送って下さいとお願いしたところでした。

まったく瓜二つと言っていい絵が、見つかったのです。

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絵画ではなく寄せ木細工で、制作したのは、クリムトに連なる系譜の、ヨーゼフ・エンゲルハルト。当方、寡聞にしてその名を存じませんでした。明治37年(1904)ごろ、セントルイス万博に出品されたとのことです。明治42年(1909)にカタログとして刊行され、何らかの方法で智恵子の目に止まったのでしょう。

といって、堀氏もおっしゃっていましたが、現代の感覚の「パクリ」ではなく、当時は『白樺』にしてもそうでしたし、外国の絵を模写して使うということは広く行われており、それによってその価値が激減というわけではありません。このあたり、今後、美術史家の皆さんに論じていただきたいものです。

この件については、また書きます。


さて、「レモン忌」。講演のあとは第三部ということで、会食をかねて懇親会。

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合間にさまざまな方のスピーチ。

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生前の光太郎をご存じの、花巻市太田地区振興会長・佐藤定氏、智恵子が所属した太平洋画会(現・太平洋美術会)の坂本富江さん、テルミン奏者・大西ようこさんなど、連翹忌ご常連の方々も多数。

それから、、昨年暮れに逝去され、二本松ご在住だった児童文学者・金田和枝さんの妹さん。話し方がそっくりなので、驚きました。

連翹忌同様、こちらの集いも、末永く続いてほしいものです。


その他、他にも廻りましたので、そのあたりはまた明日。


【折々のことば・光太郎】

部落の人は兎もとらず鳥もとらず、 馬コは家族と同等で おんなじ屋根の下にねる。 おれもぼんやりここに居るが まつたく只で住んでゐる。

詩「別天地」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

独居自炊の蟄居生活を送っていた、花巻郊外旧太田村山口地区を謳っています。真冬は過酷な環境でしたが、地区の人々の支えもありましたし、何より美しい自然に囲まれてのそれは、ある意味快適な生活でした。

一昨年に亡くなった、原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」の上映があります。今年亡くなった、土屋嘉男さんもご出演なさっていました。

市民名画劇場 智恵子抄

期   日 : 2017年10月12日(木)
時   間 : 午前10時から、午後1時30分から(開場は30分前)
会   場 : 豊川市ジオスペース館 愛知県豊川市諏訪1丁目63番地
定   員 : 100名(先着順)
申   込 : 当日会場まで
料   金 : 無料

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豊川市図書館さんの主催のようです。

同館では、定期的にこうした名画系の上映をなさっているとのこと。

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地元の方にとっては、ありがたいでしょうね。こうした動きがもっと各自治体に広まってほしいものです。

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【折々のことば・光太郎】

おれは草かげの湧き水で シヤベルやマンガを洗ひながら 「セルボーンの博物誌」をおもひ出す。 二百年も昔のイギリスの片田舎で 一人の牧師が書きとめた あのヨタカがそこにゐる。

詩「ヨタカ」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

ヨタカはその名の通り、夜行性の鳥。宮沢賢治も童話「よだかの星」で取り上げていますね。

『セルボーンの博物誌』は、18世紀後半、イギリスの片田舎セルボーンに住んでいた牧師、ギルバート・ホワイトの著書。その分野の古典として、今日でも読み継がれています。

「マンガ」は「馬鍬」ともいい、基本的には牛馬に引かせて田の代掻きなどを行う農機具ですが、人間用の「備中鍬」を「マンガ」と呼ぶ場合もあり、三畝の畑しかなかった光太郎が牛馬を使うはずもなく、おそらく後者でしょう。

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左が「馬鍬」、右が「備中鍬」です。

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