2015年10月

昨日は愛車を駆って埼玉、栃木方面に行っておりました。000

まずは埼玉県加須市のサトヱ記念21世紀美術館さん。スポーツで有名な埼玉栄高校さんなどを含む佐藤栄(サトエ)グループさんによる私設美術館で、同じ傘下の平成国際大学さんが隣接していました。関東平野のど真ん中といった場所なので、広大な土地が利用可能だったようです。

こちらでは、先週から「生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」という、光太郎の盟友・斎藤与里(明18=1885~昭34=1859)にスポットを当てた企画展を開催中です。加須が与里の故郷であり、晩年の20年間を過ごした地でもあることによります。

「日本庭園と彫刻と絵画の美術館」というキャッチフレーズのとおり、門をくぐると、広大な庭園と、ブロンズ彫刻の数々。中にはロダン、佐藤忠良、舟越保武、橋本堅太郎など、光太郎ゆかりの作家の作品もありました。

庭園も立派で、もう少し経つと紅葉も見られるのかな、と思いました。池の鯉は非常に元気でした(笑)。

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館内に入り、まず常設展を拝観しましたが、こちらにもロダン作品が多数、さらに荻原守衛の「女」まであり、驚きました。

さて、企画展。80点ほどの与里の絵画作品が中心で、中村屋サロン美術館さんの特別展示でも感じましたが、どれも温かみのあるいい絵でした。下記はチラシですが、クリックで拡大します。

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解説パネルにも書いてありましたが、与里はその生涯に於いて、一定の画風というのは持たず、常に進化を続けようと模索を続けていました。もちろん、そ001の根底には一本の芯が通っているのですが、青年期と晩年では、大きく画風が異なっていました。また、一見似たように見える同時期の作品群でも、筆致が少しずつ変化していくさまも見えました。

絵画以外の資料も充実していました。光太郎との接点であるヒユウザン会(のちフユウザン会)がらみの展示を特に興味深く拝見しました。

一番驚いたのは、大正元年(1912)11月23日、与里が青森の安田秀二郎に宛てた巻紙墨書の書簡。第1回ヒユウザン会展の直後で、安田はこの時、光太郎の油絵「自画像」を購入しています。右の画像のものですが、作品自体はのちに焼失してしまいました。

書簡には、この自画像が売れた後の光太郎をおちょくる戯画が描かれています。題して「顔の売れた侠客」。

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この書簡の存在は知っておりましたが、現物は初めて見ました。

このあたりの資料は、連翹忌ご常連の佐々木憲三氏のご提供でした。佐々木氏はこの企画展の関連事業として、来年に講演をなさいます。受付でそのチラシを戴きましたので、貼り付けておきます。

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さて、サトヱ記念21世紀美術館さんをあとに、次なる目的地、栃木県佐野市の佐野東石美術館さんを目指しました。こちらでは、「木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-」が開催中です。もう少し早く行くつもりだったのですが、何やかやで昨日になってしまいました。

佐野市は近年、「佐野ラーメン」で有名になりましたが、旧街道沿いにレトロな建築が立ち並ぶ、郷愁溢れる町でした。

同館はコンクリートの原料や線路の敷石などに使われる砕石を扱う東京石灰工業株式会社の社長だった・故菊池登氏が、文化教養の高揚に寄与する目的で設立されたとのこと。本社ビルの一角が美術館となっていました。

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「高村光雲と近現代の彫刻」と銘打たれていましたが、光雲作品は2点のみでした。大正9年(1920)の「牧童」、昭和7年(1932)の「狛犬」です。

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 また、光雲の盟友で東京美術学校での同僚でもあった石川光明、光雲の弟子の山崎朝雲、平櫛田中、さらにそれらの弟子―つまりは光雲の孫弟子―に当たる作家の作品が多く、「光雲の系譜」的な感じでした。

ただ、そうした系譜の作家の中には、独自色を出そうとするあまり、かえってそれが「臭み」となって、「これはどうなのかなあ」と思わせるような作もありました。師の引き写し、守旧一辺倒ではむろん駄目なのでしょうが、独自色も出し過ぎでは自らの首を絞める結果になり、難しいところですね。

光雲の弟子、といえば、陶芸家の板谷波山も東京美術学校彫刻科の卒業生です。しかし、彫刻ではなく、陶芸の道に進み、そちらで名を為しました。波山の作品も展示されていました。

帰りがけ、受付で光雲の「牧童」のポストカードが目にとまり、購入してきました。これはここでしか手に入らないと思います。

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サトヱ記念21世紀美術館さんの「生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」は来年3月13日まで、佐野東石美術館さんの「木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-」は12月20日までです。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月31日

大正8年(1919)の今日、智恵子の母校・日本女子大学校の同窓会誌『家庭週報』第539号に、評論「展覧会の作品批評を求められて」が掲載されました。

NHKさんの朝ドラ「あさが来た」。日本女子大学校創立のために尽力する広岡浅子の生涯を追っているものですが、はまっています。

12月に智恵子の故郷二本松で市民講座「智恵子講座’15」の講師を仰せつかっておりまして、テーマが「成瀬仁蔵と日本女子大学校」。そこで改めていろいろ調べ始めましたが、広岡浅子と智恵子が一緒に写った写真や、同じ会合に出席していた記録なども見つかりました。くわしくはのちほど。

昨日に引き続き、福島ネタです。

シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで-福島の復興と地方創生-」

日 時 : 2015年11月8日(日) 13:00~17:30
会 場 : 一橋大学一橋講堂(東京都千代田区一ツ橋2-1-2 学術総合センター内)
参加費 : 無料

 象 : 一般市民、大学関係者、学生、行政職員、福島県から避難している方 他
主   催 : 国立大学法人福島大学、公立大学法人福島県立医科大学
後   援
 : 文部科学省 復興庁 福島県 双葉地方町村会 公益社団法人経済同友会 福島民友新聞社
      日本放送協会福島支局 福島テレビ 福島中央テレビ 福島放送 テレビユー福島
      ラジオ福島 ふくしまFM 朝日新聞 讀賣新聞 毎日新聞 日本経済新聞 福島民報社
協 力 : 国立大学法人一橋大学、伊藤園

【プログラム】
Ⅰ部 特別鼎談 「未来を拓く開拓者たち~復興と人づくり・地域づくり~」
  登壇者
   小泉進次郎氏 衆議院議員・ふたばの教育復興応援団
   糸井重里氏  ほぼ日刊イトイ新聞主宰
   開沼 博   FURE特任研究員
Ⅱ部 福島の現状報告
   報告者
    うつくしまふくしま未来支援センター活動報告  中田スウラ FUREセンター長
    福島県立医科大学報告  谷川攻一 福島県立医科大学副学長
    FURE食・農復興支援担当報告  小山良太 FURE副センター長
    FURE放射能汚染対策担当報告  塚田祥文   FURE部門長
Ⅲ部 パネルディスカッション 「福島の復興と地方創生」
    モデレーター  
      山川充夫氏 帝京大学教授(福島大学名誉教授)
    パネリスト
      清水潔氏  明治大学特任教授・元文部科学事務次官
      齋藤喜章氏  特定非営利活動法人ふくしま飛行協会理事長
      髙島宏平氏  オイシックス株式会社代表取締役社長
      竹之下誠一   福島県立医科大学復興担当理事
      本多環    FUREこども・若者支援部門特任教授
    FURE=福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの略
※シンポジウムの妨げになる行為がある場合は、ご退場いただくことがあります。

福島で起きている災害弱者の孤立化、震災関連死等の問題は、今後、少子高齢化社会が激化する中で日本各地に出現する諸問題と共通性を持っている。これまで地方が内包してきた第一次産業の衰退や少子高齢化等の問題は、今後、日本各地で激化する深刻な問題だが、そうした諸問題が、福島では東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故を契機に急速に表面化した。福島の地域復興の現状を把握し復興を進めるとともに、その復興過程で得られる経験(工夫・知恵)を、復興のみならず今後の地方復権・創生につなげ、「復興知・支援知」として活かし発信していくことは重要である。その為に、私たちは大震災・原発事故から何を学び何から始めなければならないのか、市民、学生など参加者にこの課題を提起し探究する。

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3月に京都で行われた同趣旨のシンポジウムは、なかなか参加者が集まらず、締め切りを過ぎても追加募集がかけられていましたが、今回は申し込みが多く、既に募集を停止しています。こういうイベントもあるよ、ということでのご紹介ということでよろしくお願いいたします。


もう1件、昨日、川内村での草野心平を偲ぶ集い「かえる忌」について書いた後、川内村関連で調べていたら、次のような情報を得ました。

「藤村記念歴程賞」に川内村 詩を尊ぶ村民の姿勢評価

 同人詩誌「歴程」は9日、第53回「藤村記念歴程賞」に川内村を選んだ。同賞は年に一度、優れた詩集や文芸評論などに贈られるが、自治体が受賞するのは初めて。同誌は1935(昭和10)年にいわき市出身の詩人草野心平らによって創刊され、現在も年5回発行されている伝統ある同人誌。
  同村では、村内の平伏(へぶす)沼に生息するモリアオガエルをきっかけに、「蛙の詩人」として知られる心平と交流を深めており、心平を顕彰する天山文庫を建設、毎年恒例として「天山祭り」を開催してきた。原発事故後も祭りを続け、今年7月には50回記念の祭りを開くなど、震災に向き合い詩を尊ぶ村民たちの精神が評価された。賞金50万円と「草野心平日記」(全7巻)が村に贈られる。
 選考委員も務めた「歴程」発行人の新藤凉子さんは「めげることなく、全国に勇気や元気、希望を発信した村のありようそのものが詩的で、受賞にふさわしい」と評価。受賞を受け、遠藤雄幸村長は「天山祭りは今年50回を迎え、草野心平さん本人がいなくても祭りを続けたことが評価されたのではないか。名誉ある賞を頂くことができ光栄。あらためて草野心平さんや歴程の皆さんに感謝したい」と喜びを語った。
(2015年10月10日 『福島民友』)

『歴程』の皆さん、なかなか粋な計らいですね。記事中にある第50回天山祭についてはこちら


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月30日

昭和24年(1949)の今日、連作詩「智恵子抄その後」を清書しました

六篇から成る連作詩で、翌年元日発行の雑誌『新女苑』第14巻第1号に発表されました。


  元素智恵子 
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智恵子はすでに元素にかへった。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食にさせない。
精神とは肉体の別の名だ、
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、
耳に智恵子の声をきくときわたくしは正しい。
智恵子はただ嬉々としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。


001  メトロポオル

智恵子が憧れてゐた深い自然の真只中に
運命の曲折はわたくしを叩きこんだ。
運命は生きた智恵子を都会に殺し、
都会の子であるわたくしをここに置く。
岩手の山は荒々しく美しくまじりけなく、
わたくしを囲んで仮借しない。
虚偽と遊惰とはここの土壌に生存できず、
わたくしは自然のやうに一刻を争ひ、
ただ全裸を投げて前進する。
智恵子は死んでよみがへり、
かくの如き山川草木にまみれてよろこぶ。
変幻きはまりない宇宙の現象、
転変かぎりない世代の起伏、
それをみんな智恵子がうけとめ、
それをわたくしが触知する。
わたくしの心は賑ひ、
山林孤棲と人のいふ
小さな山小屋の囲炉裏に居て
ここを地上のメトロポオルとひとり思ふ。


  裸形003

智恵子の裸形をわたくしは恋ふ。
つつましくて満ちてゐて
星宿のやうに森厳で
山脈のやうに波うつて
いつでもうすいミストがかかり、
その造型の瑪瑙質に
奥の知れないつやがあつた。
智恵子の裸形の背中の小さな黒子まで
わたくしは意味ふかくおぼえてゐて、
今も記憶の歳月にみがかれた
その全存在が明滅する。
わたくしの手でもう一度、
あの造型を生むことは
自然の定めた約束であり、
そのためにわたくしに肉類が与へられ、
そのためにわたくしに畑の野菜が与へられ、
米と小麦と牛酪とがゆるされる。
智恵子の裸形をこの世にのこして
わたくしはやがて天然の素中(そちゆう)に帰らう。


007  案内

三畳あれば寝られますね。
これが水屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味。
あの畑が三畝、
いまはキヤベツの全盛です。
ここの疎林がヤツカの並木で、
小屋のまはりは栗と松。
坂を登るとここが見晴し、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでゐる突きあたりの辺が
金華山沖といふことでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
うしろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん斯ういふところ好きでせう。


  あの頃008

人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

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  吹雪の夜の独白

外では吹雪が荒れくるふ。
かういふ夜には鼠も来ず、
部落は遠くねしづまつて
人つ子ひとり山には居ない。
囲炉裏に大きな根つ子を投じて
みごとな大きな火を燃やす。
六十七年といふ生理の故に
今ではよほどらくだと思ふ。
あの欲情のあるかぎり、
ほんとの為事は苦しいな。
美術といふ為事の奥は
さういふ非情を要求するのだ。
まるでなければ話にならぬし、
よくよく知つて今は無いといふのがいい。
かりに智恵子が今出てきても
大いにはしやいで笑ふだけだろ。
きびしい非情の内側から
あるともなしに匂ふものが
あの神韻といふやつだろ。
老いぼれでは困るがね。

福島からイベント情報です。光太郎の深い信頼を得、その歿後は顕彰活動の先鞭をつけた当会の祖・草野心平を偲ぶ集いです。 

第5回天山・心平の会 かえる忌

日 時 : 2015年11月7日(土)
場 所 : 小松屋旅館蕎麦酒房天山 福島県双葉郡川内村大字上川内字町分211
会 費 : 2,500円
内 容 : 講話 伊武トーマ氏(『歴程』同人) 晒名昇氏(前かわうち草野心平記念館長)
備 考 : 翌11/8には草野心平墓参(いわき市上小川常慶寺)
      心平生家で開催される第22回「心平を語る会」(無想無限の会主催)に合流。
申 込 : 天山・心平の会代表 井出茂 0240-38-2033 〒979-1201 
        福島県双葉郡川内村大字上川内字町分211 

没後28回忌 第22回「心平忌」心平を語る会

日 時 : 平成27年11月8日(日)(受付は11時30分~12時 草野心平生家にて)
会 費 : 大人500円(当日受付にて)
会 場 : 草野心平生家・常慶寺(いわき市小川町上小川字植ノ内 周辺)
内 容 :
 受付後          常慶寺の心平墓前にて香華、心平ゆかりの故人への焼香
  11時30分~12時   心平粥、心平餅の会食(草野心平生家にて)  
  12時10分~12時50分 心平を語る会「晩年の草野心平」 卓話 晒名 昇 さん
   さらしなしょう 元筑摩書房編集部長 『草野心平全集』『草野心平日記』担当編集者
   かわうち草野心平記念館(福島県双葉郡川内村)初代館長(平成22~25年度)
  12時50分~13時    第7回 草野心平ふるさとの詩 けるるん くっく 発表会 表彰式
           〈小学生の部〉〈中学生の部〉・最優秀賞受賞者朗読発表
主 催 : 夢想無限の会
共 催 : いわき市立草野心平記念文学館
協 力 : いわき市立草野心平生家ボランティアの会
問 合 : いわき市立草野心平記念文学館 電話0246-83-0005

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「かえる忌」には3年前一昨年昨年と3回参加させていただきました。下記は昨年、BS朝日さんで放映された「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」から。一昨年のかえる忌の様子です。当方も映っています。

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今年は光太郎関連以外の用事がはいってしまい、「かえる忌」はパスしますが、翌日の「心平忌」にはお邪魔しようと思っています。

東日本大震災から4年半が過ぎました。復興の様子も見004てきたいと思っています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月29日

昭和62年(1987)の今日、小田急グランドギャラリーで開催されていた企画展「光太郎 智恵子の世界展」の関連行事として、当会顧問・北川太一先生の講演、俳優の井上晶宏氏による朗読が行われました。

この件を書くため、図録を引っ張り出してぱらぱらめくってみたところ、翌年に歿する最晩年の心平が書いた「光太郎智恵子に関する断章」という文章が巻頭に掲げられていました。蓋し、名文です。

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テレビ放映情報です。 

趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子

本放送 NHKEテレ 2015年11月3日(火)   21時30分~21時55分
再放送 NHK総合  2015年11月5日(木)   10時15分~10時40分
    NHKEテレ 2015年11月10日(火)   11時30分~11時55分

書から歴史上の人物像に迫る臨書入門。今回は詩集「智恵子抄」でも知られる彫刻家・高村光太郎。妻・智恵子の死、戦争とどう向き合ったのか?不思議な書が示すこととは?

明治から昭和にかけて彫刻、詩など数々の作品を発表した高村光太郎は、書でも唯一無二の存在。愛妻・智恵子の死、そして戦争賛美の詩を書いた自分を責め、終戦直後の7年間、岩手・花巻の山荘にこもり自己と向き合った光太郎。その時書いたのは、不思議な筆致の文字だった。この書が意味することとは何か?花巻の高村山荘を訪ね、直筆の書に出会い探る。また光太郎がリンゴ農家へ送った書「甘酸是人生」の「人生」を臨書する。

出演 石川九楊 羽田美智子

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今月から始まった「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」。書家の石川九楊氏と、女優の羽田美智子さんをナビゲーターに、歴史上の男女を1組ないし2組ずつ取り上げて、その書の魅力に迫る番組です。

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各回で、石川氏のご指導のもと、羽田さんがそれぞれの人物の書を臨書します。今回は、光太郎の書から「人生」の二文字。

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上記は現在、新刊書店で並んでいる同番組のテキストから。NHK出版さんのサイトからも購入できます。

テキスト、さらには番組内でも光太郎智恵子の人生について、レクチャーがあります。制作に協力させていただき、当方の提供した画像が画面を飾るはずです。お楽しみに。

この番組の第2回放送が「愛と情熱の歌人 夫のための百首 与謝野晶子×与謝野鉄幹」で、与謝野夫妻研究の第一人者・逸見久美様がご出演。逸見様も連翹忌のご常連のお一人で、当方を紹介していただきました。ありがたいかぎりです。

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鉄幹晶子の回は、駒場の日本近代文学館さんでロケが行われ、非常に丁寧な作りになっており、興味深く拝見しました。光太郎の回は、今年リニューアルオープンとなった花巻の高村光太郎記念館、隣接する光太郎が戦後の7年間を暮らした高村山荘での収録。臨書される「甘酸是人生」の書も、同館に収蔵されているものです。

ご期待下さい!


ついでにもう1件。   

歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年11月3日(火)  27時08分~27時51分 =4日(水)午前3時08分~3時51分

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ

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今年2月に放映されたものの再放送です。7月に放映された「第223回 漱石先生と妻と猫~“吾輩は猫である”誕生秘話~」と2本セットで放映するとのこと。2月の放送を見逃した方、ぜひどうぞ。ただし、深夜、というか未明です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月28日000

昭和27年(1952)の今日、終焉の地となった中野のアトリエで、雑誌『アトリヱ』のため、編集者の国安芳雄と対談を行いました。

対談は12月の同誌313号に掲載されました。次の前書きが付されていました。

 青森県の要請に依りその湖畔に等身の裸女を制作するため、七年ぶりで上京された高村光太郎氏を訪ねる。幸い旧知の本誌、国安(旧姓住友)との間に話題は間断なく流れ、七〇有余歳、尚青年の如き高村氏の情熱にききほれる。生涯をこめての、きびしい歩みの果に、この純白のアトリエに籠り、彫刻の意味を究明しようという翁の健康に幸あれと祈る。

光太郎は戦前の昭和3年(1928)には、当時住友姓だった国安の肖像彫刻を制作しました。「S君の像」、「住友君の首」といった題をつけられたこの彫刻、おそらく昭和20年(1945)の空襲で焼失、現存が確認できていません。

気がつけば10月もそろそろ終わり、今年も残すところあと2ヶ月あまりとなりました。新刊書店では来年用のカレンダーの販売、郵便局さんでは年賀はがきの予約受け付け開始など、徐々に平成28年を迎える準備が始まっています。

そんな関係で、『日本経済新聞』さんの電子版に載った「プレスリリース」――ある種の広告――から。  

田中貴金属ジュエリー、2016年の干支「申」の工芸品「純金製置物」など発売

貴金属ジュエリーの老舗 GINZA TANAKA
2016年の干支「申」の工芸品を10月1日(木)より発売!
~日本を代表する名工たち渾身の逸品、縁起の良い純金製の置物や大判、根付などが登場~

 1892年に創業した貴金属ジュエリーの老舗GINZA TANAKA(田中貴金属ジュエリー株式会社 本社:中央区銀座、代表取締役社長執行役員:田中 和和(まさかず)、以下 GINZA TANAKA)は、2016年の干支である「申」を、純金で製作した置物、根付、大判など、新作の工芸品4点(税込価格39,000円~税込参考価格1,872,000円)を10月1日(木)よりGINZA TANAKA 9店舗とGINZA TANAKAオンラインショップにて発売します。(※参考価格は、金税込小売価格4,800円/gで計算しております。)
 GINZA TANAKAでは毎年、縁起物である干支をテーマにした純金・銀製の工芸品を製作・販売し、開運招福を願うお客様にご好評をいただいております。2016年の干支である「申」は、人間に近い姿から、昔より山神の使いとも言われ、信仰の対象としてもなじみの深い動物です。また、不幸や困難が“さる”とも言われ、縁起が良く、十二支の中でも人気のモチーフです。この度、GINZA TANAKAでは、日本を代表する名工などによる純金の美しい干支の工芸品を、新たに4点製作しました。

<GINZA TANAKA新作工芸品(一部)>
 【発売日】2015年10月1日(水)
 【販売店舗】GINZA TANAKA全国9店舗
       GINZA TANAKAオンラインショップ(
http://shop.ginzatanaka.co.jp/

■純金製置物「申」 高村光雲 原型作
 日本の近代彫刻の礎を築いた高村光雲が、天下泰平、五穀豊穣を祝う伝統芸能「三番叟(さんばそう)」をモチーフに、繊細な表情と躍動感のある動きを純金で表現しました。衣装と烏帽子をまとった猿のなんとも言えない表情が、輝く純金の素材を通して見事に表現されています。
 【税込参考価格】1,872,000円
 【原型作者】高村 光雲 氏
 【素材】K24 約150g(桐箱付)
 【サイズ】
 <本体>高さ約16.8cm 台座 直径約10.8cm
 <ガラスケース>高さ約26×幅約21×奥行約21cm

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元々は大正11年(1922)に彫られた木彫で、正しい題名は「三番叟」。オリジナルは宮内庁の三の丸尚蔵館さんに収められていますが、その複製とは考えにくいところです。光雲は同一の図題で複数の木彫を手がけることもしばしばでしたので、宮内庁のものではない作品からの複製でしょう。

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「三番叟」というのは、狂言師の舞う舞の名前で、その扮装を猿回しの猿が身につけている、という構図です。郷土玩具などで同様の図題がよく見られます。「厄難を去る」という縁起担ぎでしょう。

当方、ブロンズ複製のこの作品を持っています。

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かなり前に安く入手したものですが、どうやらパナソニックさんが昭和の頃にノベルティーグッズとして配布していたもののようです。

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さて、田中貴金属さんの今回の商品、同店オンラインショップのラインナップに入っています。今、このブログを書きながら価格を確認すると、「¥1,921,140」。ところが上記プレスリリースでは「¥1,872,000」。「この差は何だ?」と思ったら、「こちらの商品は金相場により価格が毎日変動いたします。」とのことでした。ある意味、豪壮な話ですね。

お金に余裕のある方、ぜひお買い求め下さい(笑)。

豪壮な話ついでにもう1件。先月、このブログでご紹介した「シンワアートオークション近代美術/木梨憲武」に、光雲の木彫「魚藍観世音」が出品されました。「1,200万円から2,500万円」という落札予想で出品されたのですが、蓋を開けてみると4,200万円での落札でした。

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落札者が個人なのか法人なのかなどは不明ですが、お近づきになりたいような、なりたくないような……といった感じです(笑)。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月27日

昭和25年(1950)の今日、山形の渡辺正治氏から葉書を受け取りました。

渡辺正治氏は女優の渡辺えりさんのお父様です。氏と光太郎の関わりについては、以下を御覧下さい。

光太郎最後の大作、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が立つ青森十和田からの情報です。

まずは紅葉情報。 

十和田湖畔 色深める紅葉

2015年10月18日(日) 『東奥日報

 青森県十和田市の十和田湖畔で紅葉が色を深めている。遊覧船やモーターボートの発着場がある休屋地区などには大勢の観光客が訪れ、秋色に染まりつつある湖岸の景色を楽しんでいる。
 湖畔では、カエデやモミジ、カツラなどのさまざまな樹木が傾斜のある山肌を覆う。観光客は遊覧船などに乗り込み、赤、黄色など、鮮やかな色合いを見せる湖畔をじっくり眺めていた。
 17日午後、十和田湖モーターボートのボートで湖上を遊覧した八戸市の荒木彩也香さん(29)は「青空の下で、山全体の色づきを見られて感動した」と話していた。
 十和田湖国立公園協会によると、十和田湖の紅葉は17日現在、5割ほどの色づきで、20日すぎには見ごろを迎えるという。


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2015年10月20日(火) 十和田湖国立公園協会ブログ「十和田に来い!恋!」

湖畔の紅葉の見頃がピークを迎えています、
4・5日前からの朝晩の冷え込みが一気に木の葉を
紅や黄色に染めたようです。
中山・御倉半島も見頃です、遊覧船に乗りご覧ください。

例年と比べると5日くらい早いようです。

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それぞれ先週の記事なので、もうピークを過ぎつつあるかもしれません。十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんのサイトによれば、昨日はみぞれが降った由。


続いて、十和田湖を含む一帯の魅力のPRに関する報道から。 

十和田の魅力、アニメで発信 地元青年会議所がHP、動画サイトで公開

2015年10月3日(土) 『北海道新聞』 

 十和田青年会議所(蛯沢達彦理事長)は十和田市の魅力を発信するためのアニメーションを9月末から同会議所のホームページや動画サイト「ユーチューブ」などで公開している。アニメは同市出身の映像作家水尻自子(よりこ)さん、楽曲は同市在住のシンガー・ソングライター桜田マコトさんにそれぞれ制作を依頼。ゆったりとしたやさしい作品に仕上げた。
 PRアニメは同会議所の「地域の魅力普及啓発事業」として企画した。馬のかぶり物キャラクター「ウマジン」が、官庁街通り、現代美術館、奥入瀬渓流などを軽やかに駆け回り、名所巡りするという設定。
 国内外の映画祭などのアニメ部門で数々の賞を受けている水尻さんが1分50秒のアニメにまとめた。水尻さんは「自分のアニメで十和田のたくさんの魅力を表現できたことがうれしい。あらためてその良さを感じられる機会になった」とコメントした。
 挿入歌「届け!ラララ(仮)」はこのアニメのために桜田さんが作詞作曲し、自ら歌も手掛けた。名所などを紹介する掛け声は同市の法奥小学校の児童が受け持った。桜田さんは「仲間を大事にして、みんなで地元を元気にしようという思いを込めた」と話した。
 同会議所の中谷武副理事長は「ポイントごとの魅力が伝わってくるアニメ。リンクやシェアなどは自由なので、どんどんネット上で拡散してほしい」と話した。PRアニメは検索サイトで「十和田市の魅力発信」のキーワードで探せる。

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問題の動画がこちらです。


記事にあるとおり、ゆったりとしたやさしい作品です。

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市街地の官庁街通り桜並木、十和田市現代美術館などを経て、夏の花火大会や秋祭り、ニンニクや十和田バラ焼きなどの名産の紹介。さらに奥入瀬渓流。

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1分27秒頃からいよいよ十和田湖。「乙女の像」も登場します。

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パステルカラーのあたたかな色遣いがいいですね。全編に流れる「ゆるい」感じも。


もう1件。十和田市の広報紙『広報とわだ』の今月号から。 

花巻市探訪ツアー参加者募集

友好都市・岩手県花巻市を訪れ、花巻新渡戸記念館やリニューアルオープンした高村光太郎記念館高村山荘、花巻温泉郷を巡り、花巻市への理解を深めます。
とき 11月14日㈯ 午前7時 市役所発
定員 35人(先着順)
費用 高校生以上3千円 中学生以下千円
申込期限 10月30日㈮
※昼食はそばを提供します。アレルギーがあるかたは事前にお知らせください。
申し込み/問い合わせ 新渡戸友好都市交流委員会(まちづくり支援課内)☎51 6725

この夏には、逆に花巻の太田地区振興会の皆さん40数名が、大型バス1台で十和田湖を訪問しました。こうした地域ぐるみの交流も、もっともっと広まって欲しいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月26日

昭和2年(1927)の今日、詩人の八木重吉が歿しました。

結核により、わずか数え30歳の生涯でした。八木についてはこちらをご参照下さい。

埼玉県から企画展情報です。今夏、新宿の中村屋サロン美術館さんの特別展示で扱われた、光太郎の盟友・斎藤与里の生誕130年記念展が与里の故郷で開催されます。 

生誕130年記念 斎藤与里展 ~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~

場 所 : サトヱ記念21世紀美術館  埼玉県加須市水深大立野2067 
期 日 : 2015年10月24日(土)~2016年3月13日(日)
時 間 : 10:00~17:00
休館日
 : 月曜日(11/23、1/11は開館し、11/24、1/12は休館)
      年末年始休館(12/24~1/12は休館)
料 金 : 一般 900円、大学生・高校生 700円、小中学生 600円、障害のある方 500円
主 催 : 加須市、加須市教育委員会、サトエ記念21世紀美術館

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加須市サイトより
~郷土の偉人・斎藤与里の作品や功績を紹介~
加須の偉人・斎藤与里の生誕130年を記念し、加須市、市民および「サトエ記念21世紀美術館」(加須市水深)等が収蔵する作品を中心に、約80点を一堂に集め展示します。
 皆さん、ぜひご観覧ください。
■斎藤与里とは…■
斎藤与里(さいとうより・1885~1959) … 岸田劉生、高村光太郎らとフュウザン会を結成、ゴッホやセザンヌを日本へ初めて紹介するなど日本近代美術史上において重要な役割を果たした芸術家。
日本人独自の油彩画を目指し辿り着いた絵画世界は、牧歌的な風景の画題の裏に、日本の伝統的な絵画が源氏物語絵巻や浮世絵など線と色面から構成される平面性を重視したものである。
加須市では、加須市名誉市民第1号(加須第1号)として顕彰しているほか、「加須の偉人」の一人として位置づけている。

美術館サイトより
 開館より15年目の秋を迎えるサトエ記念21世紀美術館では、加須市ならびに加須市教育委員会との共催により、生誕130年記 念斎藤与里展~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~』を開催いたします。
 斎藤与里(さいとう より・1885~1959)は埼玉県加須市に生まれ、青年期に20世紀初頭のフランスに留学して以降、技法の習得や鍛錬を学ぶことが主流であった当時の美術界においては先駆的に、オリジナリティを重視する日本人独自の油彩画の創出を志した日本近代美術史を代表する芸術家です。全国各地にて創作活動だけでなく著述や後進たちへの指導を行うなど精力的な活動を行いますが、晩年の約20年は、故郷・加須に『草香居』と名付けたアトリエを構え、毎年のように画風を変遷させながら独自の芸術
世界を確立します。自らの理想郷と呼ぶべき愛する郷里において、牧歌的で詩情豊かな風景や人物を描くことに到達した与里の作品は、現在も多くの人々の心を動かし続ける不思議な魅力に満ちています。
 本展では留学時代から晩年までの生涯を回顧し、フュウザン会、日展、東光展などに出品された代表作を中心に約80点余を一堂に集め展覧いたします。芸術家・斎藤与里の画業をご堪能いただける機会となれば幸いです。

関連行事
○第1回ミュージアムトーク
 「斎藤与里・日本最初の反アカデミスムの画家」
 講師:関根秀一氏(流通経済大学教授・美術史)
 日時:2015年11月29日(日) 14:00~

○第2回ミュージアムトーク
 「斎藤与里・画家としての軌跡」
 講師:佐々木憲三 氏(美術文献研究家)
 日時:2016年2月14日(日) 14:00~

 会  場: サトエ記念21世紀美術館エントランスホール
 時  間: 各回、約1時間30分程度
 定  員: 座席数(約100席)に限りがあり、着席は先着順とさせていただきます。
 その他: 聴講・鑑賞には展覧会入館券が必要となります。


第2回講師の佐々木憲三氏は、連翹忌ご常連のお一人。これは行かざあなるまい、というところです。皆様もぜひどうぞ。


ところで、同じ埼玉つながりで、昨日、さいたま市の大宮ソニックシティ大ホール行われた第68回全日本合唱コンクール全国大会高校の部について。

光太郎の詩に曲をつけたもの――を自由曲を選んだ学校が2校あり、そのうち、高校Bグループ(33人以上)で、三好真亜沙さん作曲の「女声合唱とピアノのための「冬が来た」」中の「冬の奴」を演奏した東京の豊島岡女子学園高等学校コーラス部さんが、みごと銀賞。高校Aグループ(8~32人)で、智恵子の後輩にあたる日本女子大学附属高等学校コーラスクラブの皆さんが、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための組曲 智恵子抄」」中の「裸形」を演奏し、こちらは残念ながら参加賞に当たる銅賞でしたが、出場できるだけでもすごいことですので、胸を張ってほしいものです。


主催に名を連ねる『朝日新聞』さんのサイトに載った東京版の記事から。

東京)豊島岡女子が銀、国学院久我山が銅 合唱コン高校

 さいたま市の大宮ソニックシティで24日に開かれた第68回全日本合唱コンクール(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門で、都代表の豊島岡女子学園は銀賞、国学院久我山は銅賞を受けた。
 高校B(33人以上)の豊島岡女子学園は、最高賞の文部科学大臣賞を受けた2010年以来2度目の全国大会。厳しい冬に負けそうになる自分に打ち勝つ高村光太郎作詞の「冬の奴」を歌った。寺西美月部長(2年)は「今までの気持ちを全部ぶつける思いで歌いました。すごく楽しかった」と語った。銀賞を受け、「ほかの学校の演奏を聴いて、まだまだ課題が残っていると耳で実感しました。妥当な結果だったと思う」と話した。
 高校A(8~32人)の国学院久我山は幻想的な「ねぼすけぼうず」などを歌った。中高一貫の同校はこれまで中学生だけの女声の音楽部で全国大会に3度出場の実績があるが、「歌い続けたい」という生徒の希望で昨春に高校生を含めた部となった。今回は中学生も含め部員全員17人で高校部門に初出場を果たした。
 大矢早彩(さあき)部長(2年)は中1のときに全国で金賞を受け、「先輩たちに恩返ししたいと取り組んできた」という。人数は出場校で最少。「少人数ならではの強みをいかし、繊細に丁寧に歌えました。後輩には『やりたい音楽をやれば結果はついてくる』と伝えたい」と話した。(青木美希)

豊島岡女子さんの動画がこちら

神奈川版から。 

神奈川)清泉女学院が金賞 全日本合唱コンクール

 さいたま市の大宮ソニックシティで24日に開かれた第68回全日本合唱コンクール(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)高校部門で、関東支部代表としてAグループ(8~32人)に出場した清泉女学院が金賞に輝いた。日本女子大付属は銅賞を受けた。
 清泉女学院は、自由曲で新川和江作詩、鈴木輝昭作曲の「終(つい)の日のわたしを焼く…」を披露。後半部のユニゾンでは、「死」と向き合う中で自己犠牲の言葉をたたみかけるように発する場面を、万感の思いを込めて歌い上げた。
 部長の伊藤瑠那さん(2年)は「今までやってきたことと仲間を信じ、心を一つに最高の演奏ができた。訴えたいことはすべて客席に届けられました」。指揮をした佐藤美紀子顧問は「心を合わせて強さが出せた。私にも幸せなひとときだった」と部員をたたえた。
 7回目の出場を果たした日本女子大付属の自由曲は高村光太郎作詩、鈴木輝昭作曲の「裸形」。妻智恵子への深い愛をつづった詩を、力強く、また女声合唱ならではの伸びやかで透き通った歌声で表現した。
 部長の豊田彩織さん(3年)は「男性の愛を女性で高校生の私たちが表現する難しさはありましたが、自分たちのできる最高の演奏ができました」と語った。指揮をした丸山恵子講師も「みんな集中してがんばりました」とねぎらった。


こうした活動を通し、若い世代にも光太郎智恵子の世界が受け継がれていってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月25日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、近くの山口小学校の校訓として「正直親切」の書を揮毫しました。

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この文字を刻んだ碑は、山口小学校跡、光太郎も通った東京の第一日暮里小学校さん、埼玉東松山の新宿小学校さんにそれぞれ建てられています。

まずは新刊情報です。

月に吠えらんねえ(4)

清家雪子著 2015/10/23 講談社(アフタヌーンKC) 定価740円+税

作中にふんだんにちりばめられた近代詩そのもの凄さに酔い、架空の街で虚実の境を徘徊する、朔太郎、白秋(はくしゅう)、犀星(さいせい)らの作品からイメージされたキャラの圧倒的な存在感に酔い、膨大な資料を下敷きに緻密に物語を組み立てた作者の過剰な愛情に酔う。話題集中の近代詩歌俳句エンターテインメントをこの機会にぜひ!

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一昨年から、講談社さんの漫画雑誌『月刊アフタヌーン』で連載されている、主人公・朔(萩原朔太郎)をはじめ、架空の町「□(シカク 詩歌句)街」に住む、近代詩歌人たちをモデルにした強烈なキャラクター達の織りなす幻想的な物語です。連載開始時第1巻第2巻のレビューもこのブログにて既に書いています。今年4月刊行の第3巻は、光太郎智恵子に関わる部分がほとんどなかったので、割愛しました。

第4巻、表紙を飾るのはアッコさん(与謝野晶子)とチエコさん(高村智恵子)。帯にはコタローくん(光太郎)とチエコさん。

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これまでもコタローくんとチエコさんはたびたびセットで登場していましたが、第4巻所収の第17話「あどけない話」では、二人がメインのストーリーになっています。

重要な登場人物の一人、白さん(北原白秋)が、美術街にすむコタローくん(光太郎)のアトリエを訪れ、亡きチエコさん(智恵子)の幻影に遭遇する、という展開です。

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しばらくは幻影のチエコさん視点で話が進み、合間合間にコタローくんの述懐が入ります。

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壊れてゆくチエコさん、毀してしまったコタローくんの描写が見事です。

チエコさん亡きあとは、その姿をロボットで再現するコタローくん。

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このロボットは、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を表しているような気もします。

その他、第4巻ではさまざまな「愛」の形が取り上げられています。チエコさんともども表紙を飾るアッコさん(与謝野晶子)とヒロさん(与謝野鉄幹)、とみちゃん(山川登美子)の三角関係。そこに「小説家」(有島武郎)と「あの女」(波多野秋子)がからみ……。さらには朔(萩原朔太郎)と「エレナ」、早世した拓(大手拓次)の物語も。

それぞれ予備知識無しでも楽しめると思うのですが、それぞれの人物の背景を知っているにこした事はありません。

そういった意味で、画期的と思える企画展が、石川近代文学館さんで開催中です。

うたえ!□(シカク 詩歌句)街の仲間たち!

期  日 : 平成27年9月19日(土)~11月29日(日) 会期中無休
時  間 : 9:00~17:00  (入館は16:30まで)
場  所 : 石川近代文学館 金沢市広坂2-2-5  TEL(076)262-5464 
料  金 : 一般 360円(290円) 大学生 290円(230円) 高校生以下 無料
        ※( )内は20名以上の団体料金

漫画「月に吠えらんねえ」は、これまでの「漫画と文学」の関係性の概念を打ち破り、「作品の漫画化」でも、「作家の自伝」でもなく、「作品そのものに人格を与え、キャラクター化した登場人物」を設定し、ふんだんに近代詩ほか、短詩型の作品そのものを紙面に登場させています。
今回は、作者である漫画家・清家雪子氏、講談社アフタヌーン編集部にご協力をいただき作品の出力原画をご覧いただくほか、室生犀星、萩原朔太郎ら主要登場人物はじめ、昨年春の特別展示では展示しきれなかった折口信夫父子、中原中也など二巻以降のストーリーに重要な役割をはたす石川ゆかりの作家たちの文学資料も数多く展示いたします。

企画展示室1 『月に吠えらんねえ』と□街の仲間たち
『月に吠えらんねえ』出力原画と登場人物である萩原朔太郎、北原白秋、三好達治などの資料を展示

企画展示室2 『月に吠えらんねえ』と石川ゆかりの作家たち
『月に吠えらんねえ』出力原画と登場人物である石川ゆかりの室生犀星、折口信夫・春洋、中原中也などの資料を展示

企画展示室3 石川ゆかりの詩人たち
石川ゆかりの詩人や短詩型作家を紹介し、資料を展示

主な特別借用資料
 北原白秋自筆書簡(室生犀星あて)二通(清家雪子氏蔵)
 折口信夫歌軸 二幅(個人蔵)
 折口春洋歌軸 三幅(個人蔵)
 室生犀星自筆原稿「北原白秋」(『我が愛する詩人の傳記』)(室生犀星記念館蔵)
 三好達治遺愛の横笛(みくに龍翔館蔵)

エッセイ展示  「彼」とわたしの意外な関係
 折口信夫  横山方子氏(石川郷土史学会幹事)
 中原中也  薮田由梨氏(徳田秋聲記念館 学芸員)
 表棹影  松岡理恵氏(エフエム石川アナウンサー)

刊行物・記念グッズ
 ★『月に吠えらんねえ』コラボレーション作品集『□街集』  清家雪子先生描き下ろしカラー表紙  500部限定
 ★「月に吠えらんねえ」クリアファイル
 ★清家雪子先生描き下ろしイラスト&作家自筆文字缶バッチ

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「月に吠えらんねえ」の重要なキャラの一人、「犀」(室生犀星)が金沢出身、「チューヤくん」(中原中也)も金沢に居住経験あり、ということで実現したようです。

チラシにはコタローくんとチエコさん(ロボット)も描かれています。

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ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月24日

昭和56年(1981)の今日、千葉成田郊外に、三里塚御料牧場記念館が開館しました。

成田空港開港前、皇室の御料牧場があり、その関係の展示がメインですが、当地に移り住んだ作家・水野葉舟や、その親友の光太郎に関する展示もなされています。

敷地内には光太郎の「春駒」詩碑や、やんごとなき方々のための戦時中の防空壕、貴賓館などもあります。

神奈川県鎌倉市、鶴岡八幡宮の境内に神奈川県立近代美術館の鎌倉館があります。昭和26年(1951)開館、建物自体もル・コルビジェに師事した板倉準三の設計によるもので、非常に高い評価を受けています。

ちなみに光太郎が歿した昭和31年(1956)、「高村光太郎智恵子展」が初めて開催されたのがこちらです。

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こちらが来年1月をもって、閉館することになりました。土地の貸借、建物の耐震性の問題などがその理由だそうです。

すぐ近くに鎌倉別館があるので、こちらの機能は別館に移転、建物も歴史的に貴重ということで、耐震補強の上、保存される見通しだそうです。

そこで、鎌倉館としての最後の企画展が始まりました。光太郎作品も2点、並んでいます。光太郎作品が並んでいるという情報を得るのが遅れ、紹介が遅くなりました。申し訳ありません。 

鎌倉からはじまった。1951-2016 PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生」

期  日 : 2015年10月17日(土)~2016年1月31日(日)
第一会場 : 鎌倉館   
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53 Tel. 0467-22-5000
第二会場 : 鎌倉別館 「鎌倉からはじまった。1951-2016 工芸と現代美術」
          神奈川県鎌倉市雪ノ下2-8-11 Tel. 0467-22-7718
休 館 日  : 月曜日(ただし11月23日、1月11日は開館)、 12月29日(火)-1月3日(日)
開館時間 :  午前9時30分-午後5時(入館は午後4時30分まで)
観 覧 料  : 一般1,000円(900円) 20歳未満と学生850円(750円) 65歳以上500円
       高校生100円 
( )内は20名以上の団体料金

※鎌倉館の観覧券で、当日に限り鎌倉別館を無料でご観覧いただけます。

※中学生以下、障害者手帳をお持ちの方は無料。その他の割引につきましてはお問い合わせください。

※ファミリー・コミュニケーションの日:
毎月第1日曜日(今回は11月1日、12月6日)は、18歳未満のお子様連れのご家族は、優待料金(65歳以上の方を除く)でご観覧いただけます。

※11月3日(火・祝)「文化の日」は、開催中の展覧会を無料でご覧いただけます。


1951年11月17日、日本で最初の公立近代美術館として鎌倉の鶴岡八幡宮境内に誕生した神奈川県立近代美術館は、このたび2016年1月末をもって鎌倉館での展覧会活動を終了することになりました。
2015年度は、「鎌倉からはじまった。1951-2016」と題し、これまでの鎌倉での活動を三期に分けて紹介してまいりましたが、いよいよ本展が最後となります。
これまで鎌倉館に足を運んでくださった多くの皆様に感謝いたしますとともに、2016年4月以降は、葉山館と鎌倉別館の二館体制で活動してまいりますので、今後ともご理解とご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

「カマキン」最後の展覧会
「鎌倉近代美術館(略称:カマキン)」として長く皆様に愛されてまいりました鎌倉館での最後の展覧会となるPART3では、1951年の美術館誕生から1965年までの15年を取り上げます。草創期の当館では、戦前、戦中の文化的空白を埋めるべく、佐伯祐三、萬鉄五郎、古賀春江、松本竣介などの、小規模ながらも充実した展覧会が開催されました。そうした調査と研究を重視した展覧会のあり方は、美術館の礎として受け継がれてきました。本展では、この時期に取り上げた作家による作品を所蔵品から選んで展示すると同時に、美術館の活動に伴って改修が重ねられてきた坂倉準三設計による鎌倉館の変遷を、図面や写真、映像資料で紹介します。なお、鎌倉別館では「工芸と現代美術」と題して、所蔵品のなかから工芸・デザインとその現代美術への展開を追います。ぜひご高覧ください。

関連企画
1 建築トーク 講師:青木淳氏(建築家) 11月1日(日)午後2時-3時30分
*要申込(先着30名)、参加無料。(ただし高校生以上は展覧会の当日観覧券が必要です。)

2 トヨダヒトシ氏(写真家)によるスライドショー(ライブ・パフォーマンス)
10月24日(土)午後5時-6時 「白い月」(2010-15年、35mmフィルム、サイレント)
  ニューヨーク、春から冬へと向かう日々を綴った映像日記。
10月25日(日)午後5時-6時 「ツバメー吉村弘に捧ぐ(仮)」(2015年、35mmフィルム)
  サウンド・アーティスト吉村弘が残した写真をもとに構成したスライドショー作品。
*上映開始後の入場はできませんので、4時30分までにご入場ください。展示室は5時で閉場します。
*申込不要、参加無料。(ただし高校生以上は展覧会の当日観覧券が必要です。)

3 小杉武久氏、和泉希洋志氏によるコンサート 11月8日(日)午後3時-
*午後1時より整理券を配付します。(混雑状況により入場を制限する場合がございます。)
*参加無料。(ただし高校生以上は展覧会の当日観覧券が必要です。)

4 石田尚志氏(画家/映像作家)による映像インスタレーション上映
11月28日(土)、11月29日(日)各日午後5時-
*4時30分までにご入場ください。上映開始後の入場はできません。展示室は5時で閉場します。
*申込不要、参加無料。(ただし高校生以上は展覧会の当日観覧券が必要です。)

5 担当学芸員によるギャラリー・トーク 12月5日(土)午後2時-2時30分
*申込不要、参加無料。(ただし高校生以上は展覧会の当日観覧券が必要です。)

6 館長トーク 話し手:水沢勉(当館館長)
12月12日(土)、2016年1月24日(日)各日午後2時-3時
申込不要、参加無料。(ただし高校生以上は展覧会の当日観覧券が必要です。)

7 連続講演会「近代美術館とわたし」(県立機関活用講座)
第1回 10月17日(土)講師:荻野アンナ氏(作家/慶應義塾大学教授)
第2回 10月31日(土)講師:李 禹煥氏(美術家)
第3回 11月14日(土)講師:高階秀爾氏(大原美術館館長)
第4回 11月15日(日)講師:藤森照信氏(建築史家/建築家)
第5回 11月22日(日)講師:池内 紀氏(ドイツ文学者/エッセイスト)
各回午後2時-4時 *要申込(先着120名)
会場:鎌倉商工会議所会館 地下ホール
受講料:各回1,000円(任意の回数で申込み可能)
*1,7の申込方法:次の事項を明記し、fax、往復はがき、当館ホームページの問い合わせフォームのいずれ
かでお申し込みください。
1)企画名 2)氏名〔ふりがな〕 3)郵便番号、住所、電話番号、fax番号、メールアドレス 4)参加希望人数〔同伴者の氏名、ふりがな〕
*申込先:神奈川県立近代美術館 鎌倉 fax. 0467-23-2464


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さて、光太郎作品ですが、2点展示されています。

まずは大正2年(1913)、智恵子と婚約を果たした信州上高地で描かれた油絵「上高地風景」。この年の生活社主催油絵展覧会に出品されたものです。生活社は、フユウザン会分裂後、光太郎や岸田劉生らが興した団体でした。

今年3月、山岳雑誌『岳人』さんの特集記事として、「言葉の山旅 山と詩人 上高地編」の一部を執筆させていただきましたが、その中でこの絵も紹介しました。この際には、同館からポジをお借りして誌面を飾らせていただきました。

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この油絵、光太郎の親友だった水野葉舟に贈られ、水野家で保管されていましたが、現在は同館に寄託されているそうです。

現在、平塚市美術館さんで開催中の企画展「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」に並ぶかな、と思っていたのが展示されず、残念に思っておりましたが、こちらに出すためだったのですね。


もう1点、ブロンズの「裸婦坐像」(大正6年=1917)。無題よく智恵子がモデルと勘違いされますが、違います。

光太郎は、横浜で夜の商売についていた「百合子」という若い女性を一時かくまってやったことがあり、その礼にと、モデルを務めてくれたそうです。智恵子も彼女をモデルに絵を描いたとのこと。


「裸婦坐像」は同型のものが日本各地に存在し、よく眼にしますが、「上高地風景」は油絵なので一点ものです。この機会に御覧下さい。


他の出品作は以下の通りです。

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光太郎と交流の深かった作家の作品もいろいろラインナップに入っています。絵画でいうと、柳敬助、中村彝、梅原龍三郎、松本竣介……。彫刻ではロダン、佐藤忠良、舟越保武、戸張孤雁などなど。

ぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月23日

昭和58年(1983)の今日、福島県安達町(現・二本松市)の智恵子の生家裏山に「樹下の二人」詩碑が除幕されました。

「あれが阿多多良山/あの光るのが阿武隈川」で始まる、「智恵子抄」中の絶唱の一つです。

この裏山は鞍石山と呼ばれ、幼少時や帰省した智恵子がよく歩いていたり、智恵子の実家を訪れた光太郎を案内して二人で歩いたりした場所です。近くには展望台も設けられています。

晴れた日には碑に「ほんとの空」が映ります。

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関西発の情報を2件。
期 日 : 2015年10月25日(日)002
時 間 : 10:00~17:00
       奈良県高市郡明日香村大字立部745番地
料 金 : 1,000円
内 容 :
 セッション部門
  天谷勇介さんの恋愛カウンセリング
  垣内 理恵 さん 身体調整マッサージ
  マインドブロックバスター
  やよいさん カラーセラピー
  セラフィムクリシュナさん
  愛氣仁手ヒーリング
  水木彩華さん アニマルコミュニケーション
  ヒーラー☆奈良のおっちゃん
  手相セラピスト ふみさん
  11時~12時          風の笛コンサート
  12時20分~13時      わらしの三線ライブ
  13時30分~14時30分  よったんワーク
  14時45分~15時45分  プロの舞台女優さんによる、演劇ワークショップ。
  16時~16時45分        朗読 五十嵐和子 嘘/智恵子抄
             朗読 五十嵐利花 おかあさんの木/クヌギおやじの百万年



ヒーリング系のチャリティーイベントだそうです。

舞台部門で「智恵子抄」の朗読をされる五十嵐和子さんという方、やはり朗読のイベントで、以前にもこのブログでご紹介させていただきました


もう1件。こちらは舞踊系の公演です。

サイトウマコトの世界 vol.4 うたかたのオペラ

演 目 : 「うたかたのオペラ」 「Tubular Bells」
日 時 : 2015年10月29日(木)19:00/10月30日(金)15:00,19:00
料 金 : 一般 3500円 学生 3000円 当日 4000円
場 所 : 神戸アートビレッジセンター KAVCホール
       兵庫県神戸市兵庫区新開地5丁目3番14号
構成・演出・振付 : サイトウマコト
出 演 : 市村麻衣 北原真紀 斉藤綾子 佐々木麻帆 辻史織 長尾奈美 中谷仁美 本多由佳里
          増田律夢 宮崎安奈 ザビエル守之助 森恵寿
問合せ : 斉藤DANCE工房 06-6858-5288 
ms@pop01.odn.ne.jp
主  : 斉藤DANCE工房
協 力 : ダンスの時間プロジェクト

今回お送りする2つの作品は、どちらも1970〜80年代という感覚をかもし出すことを強く意識しています。
「うたかたのオペラ」は加藤和彦のベルリンを題材としたアルバム、「Tubular Bells」はマイク・オールドフィールドのプログレッシブ・ロックの名盤を基にして、それぞれの音楽を素直に受け止め、そこから動きを創造し、また音楽にはめて行くという作業を繰り返したものです。全体よりも部分を作り上げること、そこから全体をまとめて行くという方法で音楽と向き合っています。
また、関西のレベルの高いダンサー達によって、新作とはいえ作品の熱度が大きく高まることを期待しています。関西のコンテンポラリーダンス界において、長年活躍している男性舞踊家も2名参加しています。現在のコンテンポラリーダンスは実は長い歴史に支えられている事も、アピール出来たらと思っています。

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関係者の方のブログによれば、二つの演目のうちの、「Tubular Bells」が「智恵子抄」からのインスパイアだそうです。

主役の北原真紀さんと森恵寿さんとのデュオは圧巻です。高村光太郎の「智恵子抄」をイメージし、智恵子と彼女の幻影が対比的に描かれます。

「Tubular Bells」といえば、プログレッシブ・ロックのミュージシャン、マイク・オールドフィールドのデビューアルバムのタイトルで、冒頭部分が映画「エクソシスト」のテーマに使われました。よく言えば幻想的、悪く言うと不気味。聴けば「ああ、この曲か」という方は多いと思います。



この曲に乗せての「智恵子抄」。どのような舞台になるのか、興味深いところです。


光太郎智恵子の世界、そこにリスペクトの要素さえあれば、誰がどのように料理して二次創作するか自由です。全国のあらゆる分野の表現者の皆さん、よろしくお願いします。

だからといって、明らかにリスペクトの要素が見えないもの、「どこが「智恵子抄」なんだ?」というものには閉口します。実際にあったのですが、春画のような作品を並べて「智恵子抄の世界」と言われても困ります。それはそれでその方の感性なのだから仕方がないのかも知れませんが……。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月22日

昭和24年(1949)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、彫刻家の笹村草家人からの書留を受け取りました。

中身は笹村の師・石井鶴三作の木彫「島崎藤村像」の制作過程を撮った写真25枚でした。翌月には石井に宛てた書簡に次のようにしたためました。「島崎藤村像」は、石井が木曽奈良井宿の浄龍寺にこもって制作、この翌年に完成しています。

藤村木像は期待されます、今日の日本の彫刻はゆたかに十分に発育してゐないと思ひますので今後こそたのしみです。

石井鶴三は、明治期から光太郎と親交の深かった画家・石井柏亭の実弟です。

昨日、BSジャパンさんで放映された「空から日本を見てみよう+」を拝見しました。「福島県郡山~二本松 東北第二の都市から絶景安達太良山へ」ということで、光太郎智恵子にからむ話になるかな、と期待していました。残念ながら、くもじいとくもみ、旧安達町の智恵子生家上空にたどり着く前に西へ曲がって安達太良山頂に行ってしまい、そちらでも「ほんとの空」的な紹介はありませんでした。

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しかし、現在開催中の菊人形が取り上げられ、興味深く拝見しました。

何と、智恵子の人形を使って菊人形の制作過程が紹介されました。ただし、それが智恵子の人形だという説明がなかったのが残念でしたが。

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その他、本宮市の部分では、過日、「智恵子抄」もモチーフに使われた映画「こころの山脈」製作50周年記念「カナリヤ映画祭」の折にお邪魔した本宮映画劇場さんも取り上げられました。

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さて、二本松の菊人形に話を戻します。詳細は以下の通りです。 

第61回 二本松の菊人形

主 催 : 一般財団法人二本松菊栄会
期 間 : 平成27年10月10日(土)~11月23日(月・祝)  午前9時~午後4時
会 場 : 福島県立霞ヶ城公園(国指定史跡 二本松城跡 二本松I.C.から車で5分)
テーマ : 「幕末維新伝」
入場料 : 一般大人 500円  障害者大人 300円  高校生以下無料
同時開催
◦ 福島県菊花品評大会  ◦ 二本松菊花品評大会  ◦ 二本松観光物産展  ◦ 霞ヶ城公園紅葉まつり

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当方、昨年チラシにも光太郎智恵子の人形が紹介されていたので、見逃しませんでしたが、今年も智恵子の人形が出ているとは知らず、先週、二本松に行きながらパスしてしまいました。また来月、行く予定がありますので、その際には観てこようと思っております。

皆様もぜひどうぞ。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月21日001

平成6年(1994)の今日、YOUさんのCDアルバム「カシミヤ」がリリースされました。

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光太郎詩「あどけない話」からのインスパイアで「智恵子さんへ」という曲が収められています。

現在はバラエティータレント的な活動の多いYOUさんですが、かつてはバリバリ音楽活動もなさっていました。この前年までは「FAIRCHILD」というバンドに所属、ヴォーカルを担当されていました。

「FAIRCHILD」解散後、ソロでリリースしたのがこのアルバムです。作詞はすべてYOUさん自身です。

第68回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の中学、高校部門が今月24(土)、25日(日)にさいたま市の大宮ソニックシティ大ホールで行われます。
 
合唱楽譜の発行、販売を専門にしているパナムジカさんのサイトに、コンクール情報として、参加校と演奏曲目の一覧がアップされています。
 
それによると、光太郎作詞――というより光太郎の詩に000曲をつけたもの――を自由曲を選んだ学校が、高校の部で2校ありました。

まず、高校Aグループ(8~32人)で、智恵子の後輩にあたる日本女子大学附属高等学校コーラスクラブの皆さんが、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための組曲 智恵子抄」」中の「裸形」を演奏します。この組曲は、福島県立橘高等学校合唱団による委嘱作品です。以前にも書きましたが、橘高校さんは、智恵子の母校・福島高等女学校の後身です。これも以前にも書きましたが、同校合唱団は、平成21年(2009)から3年間、この組曲全3曲の中から1曲ずつを自由曲とし、全日本合唱コンクール全国大会高等学校部門Bグループで上位入賞しています。
 
 第62回大会 平成21年(2009) 自由曲「レモン哀歌」 金賞
 第63回大会 平成22年(2010) 自由曲「裸形」 銀賞
 第64回大会 平成23年(2011) 自由曲「亡き人に」 銀賞001

楽譜やCDも発売され、コンクールの定番曲の一つとなり、昨年の第67回大会では、神奈川の清泉女学院音楽部さんが「亡き人に」で金賞、北海道の北海道帯広三条高校合唱部さんが「レモン哀歌」で銀賞を獲得し、高く評価されています。


今年「裸形」を演奏する日本女子大学附属高等学校コーラスクラブさんは、昨年は与謝野晶子作詩の「絵師よ」で銀賞でした。今年は金賞をゲットしていただきたいものです。智恵子の後輩として、「智恵子抄」中の詩に曲をつけたものの演奏ですので、例年以上に頑張って欲しいと思います。

さらに、高校Bグループ(33人以上)で、東京の007豊島岡女子学園高等学校コーラス部さんが、三好真亜沙さん作曲の「冬の奴」で出場。これは「女声合唱とピアノのための「冬が来た」」中の1曲です。

こちらは昨年、初演された新しい曲です。当方、その初演を聴きに行って参りましたが、硬骨な光太郎詩の特徴を活かした曲でした。作曲者の三好さんいわく「カッコいい女声合唱」。そして「冬の奴」は組曲の終曲ということもあり、終末部分フォルティッシモのロングトーンでガーッと終わる構成になっています。大人数のBグループ向きの曲ですね。ただ、豊島岡さんはBグループの中では少なめの42人だそうで、100人を超す参加校もある中、迫力よりは、冬の清澄な空気の透明感とでもいいましょうか、そういったものが表現されている中間部のハーモニーで勝負して欲しいものです。

こちらも楽譜とCDが発行されており、今後もいろいろな合唱団003さんに取り上げていただきたいと思います。

全日本合唱コンクール、大学職場一般部門は来月21日(土)・22日(日)、長崎市の長崎ブリックホールでの開催だそうです。こちらは曲目等まだ発表されていませんが、やはり光太郎詩を扱った作品が出て来るといいな、と思っております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月20日

昭和14年(1939)の今日、光太郎が装幀、題字揮毫、装画を手がけた長谷川時雨の随筆集『きものが刊行されました。

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長谷川は光太郎の木彫「桃」を購入したりで、これ以前から光太郎と交流がありました。同年2月に刊行された随筆集『桃』では、その写真を扉に使っています。

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昨年のNHKさんの朝ドラ「花子とアン」に登場した藤真利子さん演ずる「長谷部汀」は長谷川がモデルと思われます。

一昨日、本郷での北川太一先生の祝賀会に参加したあと、新宿に向かいました。同日開幕した中村屋サロン美術館さんの戸張孤雁のテーマ展示を観るためです。

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孤雁と荻原守衛は、共にアメリカ留学中の明治34年(1901)に知り合い、双方の帰国後も交流が続いて、いわゆる中村屋サロンの中心メンバーとなりました。したがって、孤雁は光太郎とも交流がありました。光太郎より1歳年長です。

また、孤雁は明治43年(1910)、中村屋さんで守衛の臨終に立ち会いました。そんなわけで、昨年放映されたテレビ東京系の「美の巨人たち 荻原碌山作 女」で、孤雁が扱われました。

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この番組は、作品解説の部分と、作品にまつわるミニドラマ的な部分とが交互に配される構成になっており、この回のミニドラマは守衛歿後の中村屋サロンを舞台にしていました。大浦龍宇一さん演ずる光太郎と及川聡さん扮する孤雁を進行役に、守衛の追想がなされるというものでした。

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さて、中村屋サロン美術館さんに話を戻します。同館では展示室が二つあり、「特別展示」の際には2室ぶちぬきで開催、「テーマ展示」は手前の第1室のみをあて、奥の第2室は「通常展示」という構成です。先だって開催されていた「斎藤与里のまなざし」は「特別展示」、今回は「テーマ展示」でした。

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孤雁の作品は計14点。全て碌山美術館さんの所蔵でした。当方、年に1度は「碌山忌」のため碌山美術館さんを訪れていますが、同館でも常に孤雁作品の全てを展示しているわけではないので、初めて観るものもあり、興味深く拝見しました。

しかし、物足りなさも感じました。彫刻が全て小品だということもあるかもしれません。自画像などの絵画の方には感心しましたが……。このあたり、守衛、光太郎と比較しての現代における知名度と関わるような気がしました。

帰ってから、光太郎の孤雁評を改めて調べてみました。すると、交流が深かったにもかかわらず、かなり手厳しい見方もしていました。

戸張孤雁氏は際立つてロマンティツクだ。氏の内面的視野は常にその色を帯びてゐる。去年の文展の「力の弛んだ人」今年の「犠牲者」の如きは明白に其を語つてゐるが、「女の胴」のやうなものにも作者の見方、作者の意志の働き方に於て其の傾向を観取し得る。氏は人の顔がただ人の顔では気が済まない。その顔が或るロマンティツクな背景を持つてゐる事を好む。そして制作の動機が隠約の間に其処から起る。ロマンティツクである事自体には何の言ふべき事もない。唯其が芸術上に気質となつて動き始め、其の一種の好尚が自然に向ふ氏の眼を極限し、専ら其の気分の表現にのみ腐心してゆく様になる所に僕と相容れない点がある。戸張氏は僕の敬愛してゐる故荻原守衛氏と略同系に属すべき人でありながら、此の一点で離れてゐる。此は氏の生来か。それとも氏が暫く挿絵画家をしてゐた名残か。其の何れなるかは僕にもまだ解らない。氏の「犠牲者」が僕にもの足りなく感じさせ、十分やる可き処までやらなかつたと思はせるのは以上の様な理由があるのだらう。
(「彫刻に就て」 大正3年=1914)

ここで光太郎が「ロマンティツク」と言っているのは、言い換えれば彫刻の「物語性」でしょうか。明治末、留学前の光太郎も「物語性」あふれる彫刻を作っていました。軽業師の親方に折檻されて泣く玉乗りの少女とそれをかばう兄(「薄命児」 明治38年=1905)、経巻を投げ捨てて憤然として立つ日蓮(「獅子吼」 同35年=1902)など。

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ところがロダンを知ってからの光太郎は、こういう「物語性」を極力排除し、純粋に対象の造型性を追う彫刻に転じます。

細かな部分は忘れていましたが、こうした孤雁評が頭の片隅に残っていたためか、当方も物足りなさを感じてしまいました。

今回は「テーマ展示」ですので、奥の第2室は「通常展示」。ここの目玉でもある守衛の「女」、光太郎の油彩「自画像」などが展示されています。また、特に興味深く拝見したのは布施信太郎の手になる中村屋さんの包装紙とその原画。春夏秋冬、それぞれ郷愁をそそる絵柄ですし、亡くなった母方の祖父がよく中村屋さんの月餅や「碌山」をお土産に買ってきてくれたことを思い出しました。


現在の展示は来年1月11日(月・祝)までです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月19日

昭和2年(1927)の今日、光太郎の実弟にして後に鋳金の人間国宝となる豊周の第八回帝展特選が報じられました。

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上記は『朝日新聞』。文中に「夫人智恵子さん」とあるのは誤りで、豊周の妻は美和子でした。

この記事を見つけた際、智恵子の談話が新聞に掲載されているのは非常に珍しい、と喜んだのですが、よく読んだら記者の勘違いでした。

今でこそ「智恵子抄」のヒロインとして有名な智恵子ですが、『青鞜』からも離れ、この当時は単なる一般人だったわけで、こういう間違いもしかたがなかったかもしれません。

当会顧問・北川太一先生の新著が完成しました

いのちふしぎ ひと・ほん・ほか

2015/10/17 北川太一著 文治堂書店刊 定価1500円+税

光太郎への思慕と敬愛により知った伊藤信吉・草野心平。出版により知己を得た品川力・渡辺文治。仏教文化に志を共有した三宅太玄・加茂行昭。昭和十九年、出征前の師や学友への追悼文他、著者が選んだ五十編、初の随想集。


Ⅰ ひと000
 追悼 上州烈風の詩人 信吉さんのお手紙
 高村さんと草野さん
 光太郎と心平の往復書簡
 詩人の死 草野さんと秋山さん
 「注文の多い料理店」に寄せて
 『春と修羅』と『道程』に思う
 白秋と光太郎 その交遊の軌跡
 新井奥邃 未来を指針する世界性
 品川力さんのこと
 文治さんと清二さん
 『白雲』高橋一夫先生追悼
 覚え書 染谷誠一句集に寄せて
 照源寺の龍
 問疾 太玄和尚に寄せる
 三宅太玄老師に

Ⅱ ほん
 ウイリヤム・チンデル伝 伝記文学・私の一冊
 私の「ひろいよみ」
  ⑴ 世界図絵(J・A・コメニウス)
  ⑵ ラ・ロシュコー箴言集001
  ⑶ 運慶とバロックの巨匠たち(田中英道)
 ある本の歴史 ロダンから守衛へ
 おめでとう『彷書月刊』一〇〇号
 やさしい心 菅宮慶江『童心とともに』
 本の音 夜の露店の古本屋
 本のいのち
 さらば東京古書会館
 『古書通信』の六十年
 無知の罪を知った『展望』
 文学館に望むこと
 DVD版『美術新報』に驚く

Ⅲ ほか
 幻の書の風景
 高村光太郎の書
 旅へのおすすめ
 パリの連翹忌
 パリの十日間
 オペラ「源氏物語」によせて
 自戒として 高村さんのことば
 光太郎と山川丙三郎訳『神曲』
 うつくしきものみつ 加茂行昭さんに
 駿河町富士 わが風景と思い出
 回想の向丘高校
 長いバカンスが取れたら
 小川義夫『絆 きずな』跋
 勝畑耕一詩集『熱ある孤島』帯文
 喜びと願いと 女川・光太郎文学碑公園の完成に寄せて
 いのちを描く 長谷川建作品展にあたって
 智恵子の場合
 大空(そら)からの伝言(メッセージ) To memory of Noriko
 美はみつけた人のもの 北川太一さんからひとみちゃんへ

初出誌メモ
あとがき


B6版170ページの薄い小さなかわいらしい本ですが、その内容の濃いことといったらありません。当方、本文の校正をさせていただいたので、既に3回ほど読みましたが、思わず読みふけりながら赤ペンを握っていました。あとがき以外に書き下ろしのものはなく、大半は掲載誌に載ったものを既に読んでいたのですが、それでも読みふけってしまいました。

さて、昨日は東大正門前のフォーレスト本郷さんにて、北川先生のご結婚60周年のダイヤモンド婚及び本書の出版記念の祝賀会でした。

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企画なさったのは、北川先生が高校の教諭をなさっていた頃の教え子の皆さん。当方もお招きにあずかりました。

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宮城女川から、女川光太郎の会の佐々木英子さん、笠松弘二さんも駆け付けました。

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花束及び記念品の贈呈。

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当方、奥様のお隣に座らせていただき、60年前(昭和30年=1955)の思い出を伺いました。光太郎は最晩年で、光太郎の日記には、お二人が中野のアトリエへご結婚の報告にいらしたことも記されています。新婚旅行は二本松方面。かつて光太郎も泊まった穴原温泉などにも行かれたそうです。当時の新婚旅行といえば、箱根や熱海が一般的だったそうで、行く先々で「何でこんなところに?」と訊かれたそうです。

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こちらは智恵子の生家。北川夫妻と智恵子の恩師・服部マスの縁者の方。昭和30年代の智恵子生家の様子としても貴重な写真です。

いつまでも仲良くお元気でいらしていただきたいものです。

さて、『いのちふしぎ ひと・ほん・ほか』、版元の文治堂書店さんにご注文下さい。

TEL,FAX: 03-3399-6419 MAIL: bunchi@pop06.odn.ne.jp 〒167-0021 東京都杉並区井草2-24-15


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月18日

昭和27年(1952)の今日、星ヶ丘茶寮において、三好達治、草野心平との座談会を行いました。

この座談は12月の雑誌『新潮』に「詩の生命」の題で掲載されました。

昨日は神奈川県の鎌倉から茅ヶ崎、いわゆる湘南に行っておりました。

まずは北鎌倉のカフェ兼ギャラリーの笛ギャラリーさん。こちらは店主の奥様が、光太郎の妹のお孫さんにあたります。過日のこのブログにてご紹介しましたが、「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その四」という展示が始まっています。

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昨年もお邪魔しましたが、不思議なお店です。不思議なお店ですが、鎌倉の雰囲気には非常にマッチしています。「笛」というだけあって、店内には様々な笛が。

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昨年は、お近くにお住まいの尾崎喜八のご息女・榮子様、伊藤海彦令夫人がたまたまいらしていたのですが、今年はいらっしゃいませんでした。

美味しい濃厚な珈琲をいただきながら、展示を拝見。

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左は尾崎夫妻と榮子様、そして光太郎。右は尾崎喜八です。喜八夫人の実子は、光太郎の親友・水野葉舟の長女でした。

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喜八や光太郎の書。光太郎の書はほとんど複製でしたが、1点、直筆のものがありました。

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寒山詩からの引用で「此珠無価数」と読みます。

他にも「書」とは言えませんが、光太郎と喜八の直筆がいろいろ。

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左は光太郎から甥に宛てた書簡。昭和20年(1945)4月の空襲で駒込林町のアトリエが全焼、焼け跡に残った香木の白檀がいい具合に炭になっていて、それを贈る際に添えたものです。

右は喜八が書いた町内の回覧文書。「明月会」というのは町内会で、喜八が役員をしていた際のもの。切れた街灯の修繕に関わるものです。当方も昨年度から町内会の役員をやっており、微笑ましく拝読しました。

その他、二人の著書や研究書の類も並んでいました。

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昨年並んでいた光太郎から尾崎夫妻の結婚祝いに贈られたミケランジェロ模刻のブロンズ「母子像」は、今年は並んでいませんでした。

来月10日まで(ただし月・水・木はお休み)展示が続きます。ぜひ足をお運びください。

その後、車で数分の東慶寺さんに行きました。駆け込み寺、縁切り寺として有名なところですね。といっても、別に誰かと縁を切りたいと考えて参拝したわけではありません(笑)。

こちらは智恵子の親友だった作家・田村俊子の関係です。

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石段を登って山門をくぐり、拝観料を納めるとすぐ左手に、俊子の文学碑が建っています。

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大正2年(1913)に書かれた俊子の短編小説、「女作者」の一節が刻まれています。

この女作者はいつも000
おしろいをつけてゐる
この女の書くものは
大がいおしろいの中から
うまれてくるのである
          
この「女作者」、智恵子も登場します。ただし「女友達」としか書かれていませんが、近々結婚すると言っていることなどから、智恵子がモデルと思われます(光太郎智恵子の結婚披露は翌年)。

ちなみに智恵子と思われる友達のセリフをいくつか引用しましょう。

「結婚したつて私は自分なんですもの。私は私なんですもの。恋と云つたつてそれは人の為にする恋ぢやないんですもの。自分の恋なんですもの。自分の恋なんですもの。」

「私は自分に生きるんだから。自分はやつぱり自分の芸術と云へるわ。自分の芸術に生きると云ふ事は、やつぱり自分に生きるつて事だわ。」

「私だつて随分考へたけれども、私はもう自分に生きるより他はないと思つてしまつたの。私は自分に生きるの。」

いかにも、ですね。

今回はさらに、俊子の墓参もしてきました。碑は10数年前に一度、見に行った事がありましたが、その時は寡聞にして俊子の墓がこちらにあるということを存じませんでした。

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智恵子と、2歳年長だった俊子とは『青鞜』つながりで知り合い、意気投合しました。俊子も智恵子と同じく日本女子大学校に通っていましたが、心臓病のため中退しており、在学中には接点はありませんでした。

『青鞜』といえば、平塚らいてう。

そして、鎌倉からほど近い茅ヶ崎に、らいてうの文学碑が建っています。茅ヶ崎はらいてうにとって、夫となった奥村博との出会いの地です。後に博が結核に罹患した際にも、茅ヶ崎で療養しています。そういった経緯で、茅ヶ崎にらいてうの碑が建てられました。当方、この碑は未見でした。

というわけで、鎌倉をあとに、国道134号線を西へと走りました。まだ先の話ですが、智恵子の故郷・二本松での「智恵子講座’15」で、「成瀬仁蔵と日本女子大学校」という講義をすることを仰せつかっておりまして、俊子についてもそうですが、そのためのネタ集めという背景があります。

目指す碑は、茅ヶ崎駅に近い高砂緑地というところにありました。

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智恵子がその表紙絵を描いた『青鞜』創刊号(明治44年=1911)に収められた、有名な一文「原始、女性は太陽であつた 真正の人であつた」が刻まれています。ちなみに同じ号には俊子の小説「生血」も掲載されました。

碑を前に、100年以上も前、女性の自立を求めて立ち上がった彼女らに思いを馳せました。

この碑のある高砂緑地は、元はセレブの別荘地だったところで、今も当時の建物の跡が残っています。

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また、光太郎がその詩的世界を激賞した夭折の詩人・八木重吉もこのあたりで結核の療養をしていたということで、八木の詩碑も立っていました。これは当方、存じませんでした。

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尾崎喜八、実子、水野葉舟、田村俊子、平塚らいてう、奥村博、八木重吉、そしてもちろん光太郎、智恵子……。いろいろな人々に思いを馳せる一日でした。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月17日

昭和51年(1976)の今日、花巻市太田の旧山口小学校向かいに「太田開拓三十周年記念」碑が除幕されました。

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光太郎詩「開拓に寄す」(昭和25年=1950)の一節が刻まれています。

10月17日は、昭和20年(1945)に、光太郎がこの地での生活を始めた日なので、この日を選んで除幕したものと思われます。

演劇の公演情報です。 
期  日 : 2015/10/29(木) ~ 2015/10/31(土) 
会  場 : 「劇」小劇場 東京都世田谷区北沢2-6-6
出  演 : 田辺誠二 新宮あかり 山田零 篠崎旗江 松本力 河村啓史 金崎敬江 日野加奈愛 他
脚  本 : 平田オリザ(劇団青年団)
演  出 : 川口典成
料  金 : 前売3,000円  当日3,300円

 タイムテーブル :
 10月29日(木)19:00 10月30日(金)15:00/19:00
 10月31日(日)13:00

 説  明 :
J-Theater日本人作家シリーズ 2015年秋
 第一弾は、劇団青年団主催で劇作家・演出家の平田オリザさんの『暗愚小傳』を送ります!
 高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。
 (青年団HPより)
 
チケットのご予約はJ-Theater事務局まで info.jheater@gmail.com
公演日時/お名前(漢字+カナ)/ 枚数をご明記のうえ、お申し込みください。

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演目は平田オリザ氏作「暗愚小伝」。光太郎を主人公とした演劇で、初演は昭和59年(1984)。その後、平田氏率いる劇団・青年団さんによって何度か再演され、昨年から今年にかけても公演がありました。

今回演じるのはは青年団さんではないようです。「ドナルカ・パッカーン」というのが劇団名なのだと思いますが、よくわかりません。

詳細な情報をご存じの方は、こちらまでお知らせいただければ幸いです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月16日

昭和4年(1929)の今日、友人達と赤城山に登りました。

同行者は高田博厚、岩瀬正雄、岡本潤、草野心平、逸見猶吉、横地正次郎でした。

「智恵子抄」をはじめとする光太郎詩にオリジナルの曲をつけて唄われている、シャンソン系歌手のモンデンモモさんの新しCDがリリースされました。

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モンデンモモさん、平成6年(1994)、「REQUIEM」というCDで、初めて光太郎詩に曲をつけた作品をリリースしました。その際は、「あどけない話」「郊外の人に」「樹下の二人」「レモン哀歌」「荒涼たる帰宅」、さらに智恵子視点でのオリジナルの語りをラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」に乗せたもの。
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たまたまそれを聴いた当方、モモさんと連絡を取り、そこからご縁が始まりました。

平成17年(2005)には最初の「モモの智恵子抄」をリリース。この際には、事前に光太郎と智恵子が愛を確かめあった銚子犬吠埼や、昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が療養していた九十九里浜などの故地にご案内し、それから当会顧問の北川太一先生のお宅にもお連れしました。

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平成21年(2009)には、このCDを元に楽譜集を出版。編集と解説、さらに一部の曲では合唱編曲も当方が担当しました。一昨年には島根奥出雲のコールしゃくなげさんが、そのうちの「樹下の二人」を演奏して下さいました。

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さらに平成22年(2010)にはCD「モモの智恵子抄2」ということで、元版に収められた曲のアコースティックバージョンでのリメイクに、新たな曲も加えてリリース。

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これらのCDがほぼ完売してしまったとのことで、今回の新作が制作されました。基本、「1」のリメイクで、曲順などもそれに準じていますが、新曲も含まれています。

また「1」の時は、伴奏がDTMによる打ち込み系でしたが、今回は「2」に近く、ピアノ/シンセサイザーで砂原嘉博さん、チェロの伊藤耕司さん、フルートの黒田育子さんが参加されています。

ご自分でもおっしゃっていますが、こうしてみると「進化」のあとが見え、感心させられます。今後も「進化」を続けて行くであろうモモさんを見守っていきたいと思います。

先日、二本松に行った際、智恵子記念館や、近くの戸田屋さんで新作が既に並んでいましたし、旧作もまだ少し残っていたようです。そちらへ足をお運びの際にはお買い求め下さい。もちろんモモさんのサイトからも注文可能です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月15日

平成21年(2009)の今日、エイベックス・マーケティングから「作家が綴る心の手紙 愛を想う 死を思う」が発売されました。

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近現代の文学者達の書簡の朗読を収めた12枚組のCDボックスです。第7巻「詩人の筆に込めた想い」で、光太郎書簡も6通、取り上げられています。

特に現存する唯一の、独身時代に送った光太郎から智恵子へのラブレター、九十九里浜で療養する心を病んだ智恵子に送った2枚の葉書には胸を打たれます。朗読は元男闘呼組の高橋和也さんです。

新刊情報です。 
2015/10/1  成田健著  無明舎出版  定価 1200円+税

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版元サイトより

智恵子の生涯を丹念に自らの足で訪ね、光太郎の『智恵子抄』の作品世界に奥深く分け入りながら、一人の女性の軌跡をたどる文学紀行。

家系  戸籍名はチヱ/今も残る生家
小学生 成績が優秀/思いやりの深い人/女学校への進学
師の勧め 万能の成績/孤独な性格/総代として答辞
交友 師の勧めで進学/平塚らいてう回想/絵画への志向
表紙絵  絵画研究所へ/「青鞜」の表紙描く/新しい女性の一人
出会い  荒れる光太郎/智恵子に会う/光太郎の目覚め
あふれる思い 犬吠岬に遊ぶ/山上で婚約/結婚へ
冬日のあたたかさ 至福の時/初冬の景を鮮明に/智恵子の杜公園
簡素な美 清貧の日日/衣裳が簡素に/衣裳の美を語る
故郷の空 たびたびの帰郷/あどけない話/やはり明るい詩/夫婦石に二つの詩
さだめ 智恵子発病/東北の温泉巡り/川上温泉へ
千鳥が友 転地療養へ/募る病勢/九十九里浜の詩碑
昇天 入院、紙絵制作/智恵子逝去/ゼームス坂詩碑
みちのく 光太郎、花巻へ/智恵子を案内
ひとすじの人 父と智恵子の法要/智恵子を偲ぶ/「松庵寺」詩碑
若き日 失意の光太郎/智恵子の信愛/あの頃/回想
観音像 智恵子を像に/記念像制作へ/記念像完成
あとがき


本書は昨年から今年にかけ、地000方紙『北鹿新聞』さんに連載されたものだそうです。

お書きになった成田氏は秋田大曲にお住まいで、同じ無明舎出版さんから『文人たちの十和田湖』(平成13年=2001)なども上梓されています。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に触れて下さっていて、当方、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん刊行の『十和田湖乙女の像のものがたり』執筆に際し、参考にさせていただきました。

無明舎さんも秋田。秋田をはじめ東北に関わるまじめな出版物が多く、こういう出版社さんにはエールを送りたくなります。


『「智恵子抄」をたどる』は、もとが新聞連載ということもあり、わかりやすく端的に、ケレン味なくまとめられています。「智恵子抄」関連の紀行の入門編としては格好の一冊です。

先日の第21回レモン忌の前々日くらいに手元に届き、二本松に持参して宣伝してきました。智恵子生家近くの戸田屋商店さんがレモン忌主催の智恵子の里レモン会さんのメンバーでして、ぜひ置いてあげて下さい、とお願いしたところ、一昨日、戸田屋さんにお伺いしたら、「取り寄せておくよ」とのことでした。

版元のサイトから注文可能ですので、ぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月14日

昭和13年(1938)の今日、智恵子の母校・日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭週報』に、智恵子の訃報が掲載されました。

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昨日、福島二本松に行き、「智恵子講座’15」及び智恵子記念館の紙絵実物展示と智恵子生家二階の限定公開に足を運んで参りましたので、レポートいたします。

一昨日は京都、名古屋と廻り、東京まで戻って1泊、朝6時台のやまびこに乗り、郡山から東北本線に乗り換えて、9時過ぎに二本松に到着しました。

快晴のほんとの空の下、智恵子像が出迎えてくれました。

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000まずは「智恵子講座’15」というわけで、智恵子像の背後に写る二本松市民交流センターへ。

来年までに8回の連続講座で、昨日は開講式と、第一回の講座 「長沼家の家族とふるさと二本松」、講師は智恵子の里レモン会会長の渡辺秀雄氏でした。

氏は、戦後の花巻郊外太田村の山小屋に光太郎を訪ねて行ったこともある初代会長、故・伊藤昭氏の跡を継いで、第2代レモン会会長を務められ、先週行われた智恵子忌日の集い「レモン忌」を主催されています。

そういうわけで、氏の元には智恵子やその血縁者に関する情報等がかなり集まっているということで、それを元に、昨年は地元紙『福島民報』さんに「ふくしま人 高村智恵子」という5回にわたる連載をされました。

当方もさんざんお世話になっておりますし、新たな情報が聞けるのではないかと期待しつつ、二本松まで足を運びましたが、期待以上の内容でした。

特に智恵子の血縁者に関し、当方も知らない内容が盛りだくさんで、驚きました。レモン忌の折に少しお話を伺ってはいたのですが、智恵子の祖父・長沼次助の血族がまだ新潟に続いていることなど。

他にもいろいろあるので、新潟にはいずれ調査に行かねば、と改めて思いました。

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ちなみに、過日、同講座についてお知らせした際、会場はすべて二本松市民交流センターとお伝えしましたが、その後変更となり、第2回~第4回は、同じ二本松市の福島県男女共生センターに変更だそうです。

さて、講座修了後、再び二本松駅へ。霞ヶ城では菊人形を開催中ということで、ホームにも菊が展示されていました。

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今年の菊人形は、「幕末維新伝」がテーマ。昨年と違って光太郎智恵子に関わる展示がないようなので、申し訳ありませんがパスし、東北本線で一駅、安達駅を目指しました。

10/14追記 今年も智恵子の人形がでているとのことでした。すみません。

普段、二本松には車で行ってしまうので、安達駅に降り立つのは10年ぶりぐらいでしょうか。ホームには光太郎詩「樹下の二人」から有名なリフレイン「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」を刻んだモニュメントが。ただし、「阿多多羅山は一般的な表記の「安達太良山」に換えられています。

安達駅は今後、改築の計画があるそうですが、これは残してもらいたいものです(あるいは新しく作り直すか)。

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駅前には折り鶴のモニュメントも。イルミネーションでしょうか。

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智恵子の名を刻んだ碑、智恵子の母校・油井小学校などを横目にしつつ、ここから1.5㎞ほど歩き、智恵子生家・智恵子記念館を目指しました。

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生家の2階公開は、午前11:00~12:30と午後1:30~3時の2回。当方が着いたのは1時頃で、先に記念館をじっくり拝観しました。生家の公開もある影響でしょうか、普段よりお客様が多いように感じました。

菊人形期間ということで、10月8日(木曜日)~11月24日(火曜日)の予定で、紙絵の実物10点が特別公開されています。昨年もこの期間に実物を拝観しましたが、昨年とは別の作品も並んでおり、興味深く拝見しました。やはり複製にはない智恵子の息づかいが胸に迫ってきます。

少し前に、智恵子の母校・油井小学校を撮った古絵葉書を入手しました。宛名面の様式から判断すると、明治30年(1897)から大正6年(1917)までのものです。智恵子は明治26年(1893)に入学、同34年(1901)に卒業していますから、まさしくその時期のものです。

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こんなものを見つけたよ、というわけで、先日のレモン忌に、絵葉書の実物と、スキャンしてA4判にプリントアウトしたものをお持ちし、複製の方は記念館に展示して下さいとお願いして置いていったところ、早速、入ってすぐの展示ケース、智恵子の学籍簿と一緒に並べて下さっていました。

そうこうしているうちに、1時半。いよいよ生家2階の公開です。

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普段、外から拝観している1階部分も、上がり込むのは初めてでした。

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急な階段を上って2階へ。上がってすぐの四畳半が智恵子の部屋でした。

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襖の奥の九畳間は、光太郎が訪れた際に寝泊まりした部屋とのこと。どちらも天井が低く、いかにも昔の家です。

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さらにもう一部屋、十二畳の横長の部屋。こちらは天井はなく、梁がむき出しでした。

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なぜか涙が出そうになりました。

その後、1階部分も拝観。

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こちらの仏壇や内部の仏像も、もともとここにあったもの。長沼家破産・一家離散後に債権者から持ち出されたものですが、元に戻っています。

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再び外に出ると、「ほんとの空」そして庭には赤とんぼ。
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智恵子やその血縁者の息吹が感じられ、大満足でした。これは本当に一見の価値があります。上記チラシで日程をご確認の上、ぜひぜひ足をお運び下さい。


ところで「ほんとの空」といえば、来週、テレビ番組で「ほんとの空」からの眺めが扱われます。テレビ東京系のBSジャパンさんで放映の「空から日本を見てみよう+」という番組です。以前には十和田湖の「乙女の像」をご紹介下さいました。

空から日本を見てみよう+ 福島県郡山~二本松 東北第二の都市から絶景安達太良山へ

BSジャパン 2015年10月20日(火)  20時00分~20時55分

安積疎水による開発で産業が大きく飛躍し東北第二の都市となった郡山市から、本宮市、城下町のユニークな歴史が残る二本松市の絶景安達太良山まで空から眺めていきます。

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阿武隈川沿いに郡山駅へ。駅前には緑色のどこでもドアのようなものが。さらに町なかには、楽器の形を模したベンチがたくさんあります。行列ができる和菓子店を見ながら駅前の通りをさらに進むと、造りかけの高速道路のようなものを発見。これは安積疎水(あさかそすい)の水橋を模したモニュメント。かつて郡山は水に恵まれず農業に不利な土地でした。猪苗代湖から引いた水路と電力の開発によって郡山は農業・工業が大きく発展、東北で第二の人口を誇る都市に成長しました。さらに進むと釣り堀のような池が。海に面していない郡山では、貴重なたんぱく源としてため池を利用したコイの養殖が盛んです。郡山駅から東北本線に沿って北上。本宮市の映画館では、昭和30年代に活躍し今なお現役で使われている貴重な映写機を見学。さらに北上し、二本松市では城跡に造られている五重塔を発見、さらに不思議なようかんや伝統の家具を見ながら絶景の安達太良山を目指します。 

出演者  伊武雅刀(くもじい)  柳原可奈子(くもみ)


くもじいとくもみ、郡山から本宮を経て、二本松へ。霞ヶ城、安達太良山は映るようですが、安達地区まで飛んでくるかどうか、ちょっと微妙です。過日ご紹介した本宮映画劇場さんも取り上げられるようですね。

少しでも光太郎智恵子の名を挙げてほしいものです。



【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月13日

平成14年(2002)の今日、NHK教育テレビ(現・NHK Eテレ)「芸術劇場」で、野田秀樹作「売り言葉」が放映されました。

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この年2月、東京スパイラルホールで上演された、大竹しのぶさんによる一人芝居です。


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昨日からまたあちこち動き回っておりまして、先ほど千葉の自宅兼事務所に帰りました。

昨日は始発列車に乗り込み、まずは京都。ただ、こちらはまだ差し障りがありますので、報告できる段階になりましたらレポートいたします。

その後、名古屋。過日ご紹介したコンサート「作曲:野村朗・フルート:吉川久子 智恵子抄の世界を遊ぶ ~その愛と死と~」を拝聴して参りました。

会場は中区のドルチェ・アートホールNagoya。楽器店さんで持っている自前のホールで、100席あまりのキャパでしたが、なかなかいいホールでした。

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ホワイエには、野村氏が、光太郎の令甥、故・髙村規氏からご提供いただいた写真パネル。いい雰囲気を醸し出していました。

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当方も主催者の一人に名を連ねさせていただいており、早速、楽屋へ。本番前の楽屋の雰囲気というのは、当方、大好きです。

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野村氏と、フルートの吉川さんとは、以前から親しくさせていただいておりますが、野村氏の作品を演奏される森山夫妻とは、初めてお話しさせていただきました(ステージでの演奏は何度も拝聴していましたが)。

やがて開場。100席あまりがほぼぴったり満席となり、一同、胸をなで下ろししました。

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第1部は、森山夫妻の演奏による野村氏作品。

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野村氏の作曲の巧みさと、森山夫妻の熱のこもった演奏、何度聴いても胸を打たれるものがあります。

休憩を挟んで第2部が吉川さんのフルート演奏。伴奏は千代正行さんのアコースティックギター。千代さんは今年6月の吉川さんのコンサートでも伴奏を務められていました。

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吉川さん、演奏の合間にMCも担当され、大忙しです。

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オリジナル曲の他にも、智恵子の故郷・福島の子守歌、「故郷」や「浜千鳥」といったスタンダードナンバーも織り交ぜ、「智恵子抄」の世界を表現なさいました。

吉川さんの演奏も、昨年の第58回連翹忌を含め、5回目の拝聴ですが、何度聴いてもいいものです。


アンコールに、野村氏の新作「智恵子抄 巻末のうた」から「いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる」をみなさんで演奏。

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「智恵子抄 巻末のうた」は六首の短歌から成りますが、この日の披露は1曲のみ。近々、全曲を披露されるそうです。楽しみです。

というわけで、素晴らしいコンサートでした。他のお客様も満足げに帰って行かれました。泉下の智恵子も喜んでいることでしょう。

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終演後、打ち上げに参加させていただきました。お話の中で、野村氏は二本松に、吉川さんは花巻を含む岩手に人脈をお持ちだそうで、そちらの方でも演奏会をやりたい、ということで盛り上がりました。ちなみに森山氏の健啖ぶりには驚きました(笑)。

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上記は吉川さんに関しての記事。クリック2回で拡大します。

そういうことであれば、当方の人脈もフル活用させていただきます。そちら方面のみなさん、ご協力よろしくお願いいたします。

さて、打ち上げ終了後、東海道新幹線にて、名古屋を後にしました。千葉には帰らず、東京で1泊。今朝は東北新幹線に乗り込み、二本松へ。智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座’15」及び智恵子記念館の紙絵実物展示と智恵子生家二階の限定公開に足を運びました。そのあたりはまた明日。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月12日

大正元年(1912)の今日、『やまと新聞』にアンケート「日本画はめちやめちや」が掲載されました。

文展(文部省美術展覧会)の評です。

彫塑には一つも佳(よ)いと思つたものがありません。洋画では坂本繁二郎氏の「うすれ日」を中々いゝ作だと思ひました。
日本画はめちやめちやだと考へます。なぜ日本画々家は斯(か)う気取て居るのでせう。

一刀両断ですね。この文展のアカデミズムに対抗する意味合いもあり、3日後の15日から、光太郎の参加した「ヒユウザン会展」が開幕します。

毎日更新しているこのブログですが、このところ、芸術の秋、文化の秋ということで、いろいろなイベントのご紹介や実際に足を運んでのレポートやらで、ネタが尽きません。

その間に、新聞各紙のコラムで光太郎智恵子の名が何度も取り上げられて来ましたが、速報の必要があまりないと判断し、たまったらまとめて紹介しようと思って後回しにしていました。しかし、未紹介の件数を数えてみたら5件もなり、そろそろまとめて紹介しなければ、という状況です。

まず、『山形新聞』さん。

談話室 2015年9月5日

▼▽詩人で彫刻家の高村光太郎は「土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性が、実によく同盟して被写体を襲撃する」と評した。酒田市出身の写真家土門が死去し今月で25年。
▼▽妥協を許さぬ執拗(しつよう)な撮影姿勢には逸話も多い。洋画家梅原龍三郎は怒りに震え、撮影が終わると籐(とう)椅子を床へ叩(たた)きつけた。女優の初代水谷八重子は、毛穴まで写る自分の顔を「嫌だわ」と言いつつ“本物”の写真を撮る土門に感謝していたと、娘の二代目が振り返っている。
▼▽写真集『古寺巡礼』はライフワークの集大成。仏像について土門は「じーっと見ていると、胸をついてくるあるものがある」と書いた。伽藍(がらん)さえ止まってはいなかった。宇治平等院では「茜雲(あかねぐも)を背にたそがれている鳳凰(ほうおう)堂は、目くるめく速さで走っているのに気がついた」。
▼▽酒田市の土門拳記念館では戦後70年の企画展「土門拳が視(み)た昭和」を開催中だ。被爆者にカメラを向け広島の現実に立ち向かった「ヒロシマ」、鉱山の暮らしが伝わる「筑豊のこどもたち」、戦前から戦後の東京や地方…。昭和を凝視した土門の格闘に触れることができる。
(2015/09/10付)

山形出身の土門拳に言及する中で、光太郎を枕に使って下さいました。


続いて、『岩手日報』さん。 

風土計 2015年9月22日

2015.9.227月に亡くなった哲学者鶴見俊輔さんの父祐輔が、岩手2区の衆院議員だったことはあまり知られていない。戦前、岳父後藤新平の生地で当選を重ねた▼この父を鶴見さんは嫌っていたらしい。今の東大で首席になった秀才で「東大を出なければ駄目だ」と言われ続けた。出世ばかりを考えた「親父は浅いねぇ」「つまらんなぁ」と対談で語っている。エリートの父への反発で自分は不良になった▼万引を繰り返したことがばれて、学校で孤立する。遊び相手も話し相手もいない。一人ぼっちの苦しみに耐え抜いたことが「魂の鍛錬」になったと書く。この経験から一人になる、一人で生きることの大切さを説いている▼今は逆に、一人になるのが難しい。スマホがあるから、いつでもどこでも友達とつながる。すぐ返事をしないと無視されたり、仲間外れになる。この5連休、食事の時やトイレでもスマホを手放せない人もいるだろう▼「魂の鍛錬」はできそうにもない。一人になるのは確かに怖いけれど、高村光太郎の詩「孤独が何で珍しい」にある。「孤独の鉄(かな)しきに堪へきれない泣虫同志のがやがや集まる烏合(うごう)の勢に縁はない」▼連休も後半になった。「国民の休日」という味気ない名のきょうを、スマホから解放される一日にしてもいい。孤独は珍しくないのだから。


さらに『毎日新聞』さん。以前にも続けて光太郎が引き合いに出された、俳句に関するコラム「季語刻々」です。

季語刻々 2015年10月1日000

◇天高し歩くと道が伸びるなり 池田澄子
 季語「天高し」は「秋高し」「空高し」などとも言う。大気が澄み、よく晴れて空が高く感じられることを言う。今日の句、歩くと道がどんどん先へ伸びる感じがするのだ。その道をどんどん歩いて行く。歩くことが爽快なのだ。高村光太郎の詩「道程」の「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」の気分だろう。私も外に出て歩こう。<坪内稔典>

まさしく「天高し」の秋となりました。


それから『産経新聞』さんでは、書道に関するコラム、というより連載記事でしょうか。10月3日に掲載されました。

日本の書 <37> 近代篇⑨ 「うつくしきものみつ」

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長いので引用はしません。


そして『朝日新聞』さん。

ザ・コラム ほんとの空 「住み処」震災が教える価値 上田俊英 

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こちらも長いのですが、光太郎智恵子に絡む箇所のみ書き抜きます。

岩手県田野畑村で、原発誘致に反対していた岩見ヒサさんが亡くなったことをうけて、

見上げると、空は抜けるような青さだ。岩見さんがその美しさに酔ったという「本当の空」である。

さらに後半、

 産業技術総合研究所(産総研)の福島再生可能エネルギー研究所。福島県の復興の拠点として、郡山市に昨春開所した。
 本館に3点の日本画が掛かる。作者は高橋かね子さん。赤城山を北にいただく前橋市で暮らし、昨年末に80歳で亡くなった。長男で産総研地質情報研究部門研究主幹の雅紀さん(52)が今年3月、これらの作品を寄贈した。
 「母は赤城山を背にしたところに住むことに、こだわった。それが一番の幸せだと、ずっと思っていました」
 高橋さんは震災後、福島を描いた。「想 福島の海」(2012年)、「青蒼(せいそう)の海(フクシマ)」(13年)、「安達太良の空」(14年)――。先の2作で画面いっぱいに描かれた女性は視線を落とし、背後に暗い海。それが、「安達太良の空」では明るい空と山々を背に緑の大地に正座し、何かを見つめる。空は、安達太良山をのぞむ地で育った「智恵子抄」の高村智恵子が夫の光太郎に見たいと言った「ほんとの空」か。まなざしの先は将来への希望か。
 高橋さんが所属した日本画院の副理事長で、同じ前橋に住む酒井重良さん(67)はこの絵を見て「女性が浮いているように見える」と言った。高橋さんは「浮いていてもいいんです」と答えたという。ならば、この女性は福島の人びとの精神が「住み処」に降り立った姿なのだろうか。
 命を守る盾となる「住み処」。福島ではいまも10万をこえる人びとが避難を強いられ、そこに降り立てないでいる。

昨年亡くなった高橋かね子さんの「安達太良の空」はこちら。これは完全に智恵子がモデルでしょう。


様々な人々が、いろいろな思いを胸にその日その日を生きています。光太郎智恵子の生きざま、遺したものが、皆さんの生き方の指針となったり、彩りを添えたりすることを願ってやみません。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月11日

明治25年(1892)の今日、光太郎の実弟で、藤岡家に養子に行った孟彦が誕生しました。

孟彦についてはこちら

秋田から光太郎の父・光雲(今日、10月10日が命日です)がらみのイベント情報です。 

秋田公立美術大学公開講座 【明治の彫刻と工芸性】

日 時 : 平成27年10月14日(水) 18:00~19:30
場 所 : 美大サテライトセンター(フォンテAKITA6階) 秋田市中通2-8-1 018-832-9549
講 師
 : 秋田公立美術大学 美術教育センター 教授 志邨匠子
定 員 : 30人
対 象 : 高校生以上
受講料 : 無料
申し込み  : 秋田公立美術大学 社会貢献センターアトリエももさだ
                   TEL:018-888-8137 FAX:018-888-8147

明治期、初めて日本は西洋の「彫刻」に出会います。美術家達は、仏像や置物とは異なる立体表現にどうのように向き合ったのでしょうか。高村光雲に焦点を当て、彫刻と工芸の関係について考えます。

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興味深い内容です。近くであれば絶対に聴きに行くのですが……。

全国の大学さんなどの研究機関、こういった活動にももっともっと力を入れていただきたいものですね。少子化で大学さんも生き残りが大変なようですが、いいPRになると思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月10日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校に「高村文庫」が設置されました。

この日、光太郎が小学校に書棚を寄贈、学校では以前から光太郎に寄付を受けていた書籍をそこに収め、「高村文庫」と名付けました。

多分に漏れず、山口小学校は少子化のため廃校となり、建物も老朽化のため取り壊されてしまいましたが、跡地には光太郎が開校記念に贈った校訓「正直親切」の碑が建ち、当時を偲ぶよすがとなっています。

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新宿の中村屋サロン美術館さんから、来週末から始まるテーマ展示のお知らせ及び招待券等を戴きました。光太郎とも親交があった彫刻家、戸張孤雁がメインです。 

テーマ展示 戸張孤雁

会 期 : 2015年10月17日(土)~2016年1月11日(月・祝)
会 場 : 中村屋サロン美術館 展示室2
 間 : 10:30~19:00(入館は18:40まで)
休館日 : 毎週火曜日(火曜が祝祭日の場合は開館、翌日休館)
入館料 : 300円 ※入館料は展示室1と併せた料金です 
         ※高校生以下無料(高校生は学生証をご呈示ください) 
         ※障害者手帳ご呈示のお客様および同伴者1名は無料

明治末から昭和初期にかけて新宿中村屋に集った芸術家のうち、戸張孤雁を紹介します。 戸張は初期「中村屋サロン」の中心的存在でした。 留学し油彩画と挿絵を学びますが、明治43年に彫刻家 荻原守衛(碌山)が亡くなった後は、その粘土を貰い、彫刻家に転身しました。 本展示では碌山美術館にご協力いただき、多才な戸張の、情感溢れる油彩画、版画、素描、彫刻を紹介いたします。


関連イベント ギャラリートーク 学芸員による展示解説
期  日 : 2015年11月28日(土)14:00~ 約50分
費  用 : 無料(要入館)
参加方法 : 参加ご希望の方は、メールまたはお電話にてご応募ください。
 メールでご応募の方は、メールの件名を「ギャラリートーク」とし、①氏名②電話番号③参加人数(2名まで)④参加希望日 をご入力のうえ、ご送信ください。当館職員よりメールまたはお電話にて受付と詳細のご連絡をいたします。
当館連絡先03-5362-7508 メール
museum@nakamuraya.co.jp

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同館は、年2回程度「特別展示」を000行い、それ以外の期間は「通常展示」プラス「テーマ展示」という構成になっています。先頃行われた「生誕130年記念 中村屋サロンの画家 斎藤与里のまなざし」は「特別展示」。「特別展示」は館内のほとんどのスペースをそれに当てるため、普段「通常展示」で並んでいる作品のほとんどは引っ込みます。

今回の戸張孤雁は「テーマ展示」ですので、館内の半分程のスペースで、残りのスペースが「通常展示となります。今回の「通常展示」は既に先週から始まっています。そして、「斎藤与里のまなざし」の際には引っ込められていた光太郎の油絵「自画像」が復帰しています。

他に、館の目玉作品である荻原守衛の「女」、「坑夫」、中村屋サロンの中心にいた中村彝、鶴田吾郎、會津八一の作品も並んでいます。

さらに今回は、布施信太郎による中村屋さんの包装紙原画なども並んでいるそうです。

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ブログに書くネタのない時には、ここで終わって翌日に回すところですが、芸術の秋、文化の秋ということで、紹介すべき事柄がたまっており(「××について書いてないぞ」的なお叱りを受けたりもしています。少々お待ち下さい)、中村屋さんがらみの内容をさらに続けます。

中村屋サロン美術館さん、今月末に開館1周年を迎えます。そこで記念イベントが3種類設定されています。

〔イベントⅠ〕001
開館記念日に中村屋サロン美術館をご観覧の方全員に、彫刻家 荻原守衛(碌山)《女》をモチーフにしたオリジナル「月餅」等をプレゼント!
※記念品は多数ご用意しておりますが、なくなった場合、通常デザインの「月餅」になりますのでご了承ください 
開催日2015年10月29日(木)

これはレアですね(笑)。

〔イベントⅡ〕
館設置のアンケートで「中村屋サロンにメッセージ」をお寄せいただいた方に、中村彝《小女》のマグネットをプレゼント!
※景品は多数ご用意しておりますが、なくなった場合、別のグッズになりますのでご了承ください
開催日2015年10月29日(木)~11月3日(火・祝)

〔イベントⅢ〕
安曇野バスツアー
碌山美術館で芸術と紅葉を楽しむ安曇野バスツアーを開催いたします。碌山美術館学芸員の解説等、盛り沢山の特典がついたツアーです。詳細は
添付のとおりです。皆様のご参加をお待ちしております!

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碌山美術館さんには、光太郎作品も展示されています。また、現在は「夏季・秋季特別企画展 制作の背景-文覚・デスペア・女- Love is Art Struggle is Beauty」開催中です。このツアーを通じて新たな出会いがあるかも知れませんね(笑)。


というわけで、中村屋サロン美術館さん情報でした。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月9日

大正7年(1918)の今日、新潟・佐渡島訪問を終え、島を後にしました。

佐渡では歌人の渡辺湖畔の元を訪れています。現在、平塚市美術館さんで開催中の企画展「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく」に展示されている湖畔の娘・道子の肖像制作などに関わります。

岩手花巻の光太郎が戦後7年間暮らした山小屋・高村山荘に隣接する高村光太郎記念館情報です。 

滝口企画展「高村光太郎山居七年」(後期)

開催期間 : 平成27年10月9日(金曜日)から平成28年2月22日(月曜日)まで
休  館  日
 : 12月28日(月曜日)から平成28年1月3日(日曜日)まで休館
開館時間 : 午前8時30分から午後4時30分まで
入館料(高村光太郎記念館、高村山荘) :
 一般550円 高校生、学生400円 小・中学生300円
 団体入場(20名以上)は1人あたり100円割引

彫刻家・詩人として知られる高村光太郎。1945年(昭和20年)の空襲で東京のアトリエを失った光太郎は宮澤賢治の弟・清六を頼りに花巻へ疎開してきました。
終戦後、太田村山口(現 花巻市太田山口)へ移住した光太郎は1952年(昭和27年)に「乙女の像」制作のため東京へ戻るまでの7年間を当地で生活しました。
本企画展は、これまで詳細が取りまとめられることがなかった七年間の記録を、当地に遺された様々な資料や年譜・エピソードと共に展示するものです。
光太郎を山口に迎えて70年にあたる本年、高村光太郎記念館は全面リニューアルオープンを迎えました。全てが新しくなった常設展示室、「月光殿」を改修した高村山荘とともに、光太郎の山居七年の軌跡をご覧ください。

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花巻高村光太郎記念館、4月にリニューアルオープンした後、5月から企画展示室で企画展「高村光太郎山居七年」(前期)が始まり、常設展示室に並べきれない資料――特に昭和20年(1945)~27年(1952)の、光太郎が地に住まっていた時期のもの――の数々を展示していました。

そちらは入れ替えをしながら展示というわけで、明後日から後期の展示となります。今回並ぶ主なものは、こういう予定です。ただ、少し前に受けた連絡に基づいていますので、多少の異同はあるかも知れません。

・ 光太郎直筆詩稿「蒋先生に慙謝す」(昭和23年=1948)000
  (10/9追記 状態が良くないため展示中止だそうです)
・ 「こころはいつでもあたらしく」書額 (複製)
・ 昭和20年(1945)書簡―山荘入りについて
   (パネル展示)
・ 山口小学校開校挨拶原稿 (同)
・ 「一億の号泣」原稿 (同)
・ 昭和23年8月6日書簡―「一億の号泣」の件 (同)
  (10/9追記 常設展示室で 2点まとめてだそうです)
・ 「花巻新報」題字揮毫 (同)

10/9追記 さらに前期展示から引き続いて以下が並ぶそうです。
・ 散文「雪解けず」原稿 (昭和21年=1946)
・ スケッチ「雪解けず」(同)
・ 雑誌『北方風物』 (同 「雪解けず」掲載)


他に、展示ではありませんが、前期展示に際して、昭和20年(1945)~27年(1952)の年譜を当方が作成したのですが、それを冊子にしたものを希望者に配布するそうです(右画像)。


また、記念館へのアクセスに関し、お知らせがあります。

かつてJR在来線の花巻駅から「高村山荘行き」として運行されていた岩手県交通さんの路線バスは、平成23年(2011)に廃線となってしまいましたが、今月から試験的に復活しています。下記は『広報はなまき』今月号から。

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高村山荘までは1日2往復ですが、約3.5キロ離れた清風支援学校さん発着の便がプラス2往復あります。

『広報はなまき』にあるとおり、利用状況で来年度の運行が決まるとのことで、たくさんの方のご利用が完全復活につながります。よろしくお願いいたします。タクシーだと数千円、こちらは1人580円。この差は大きいですね。


というわけで、花巻高村光太郎記念館、高村山荘、ぜひぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月8日

昭和21年(1946)の今日、版画家の山本鼎が歿しました。

山本は光太郎と同学年。愛知県岡崎の出身ですが、父の仕事の都合で幼少時に上京しました。木版の工房で徒弟修行を終えますが、自分の作品を作ることへの希望が高まり、東京美術学校西洋画科に学びます。同校彫刻科を終えて西洋画科に再入学した光太郎の1年先輩になります。

卒業後は創作版画で名をなし、石井柏亭らと美術雑誌『方寸』を創刊、欧米留学から帰った光太郎共々、パンの会の主要メンバーとしても活動します。また、光太郎が経営していた日本初の画廊、琅玕洞にも作品が並んだようです。

その後はフランス留学を経て、帰国後には信州上田に移り、自由画教育運動、農民実美術運動などにも取り組みました。

昨日は東京晴海に行って参りました。過日ご紹介した「ライフサイクルコンサート 雄大と行く 昼の音楽さんぽ 第3回 小林沙羅 麗しきソプラノの旅」拝聴のためです。ソプラノ歌手・小林沙羅さんのコンサートで、光太郎詩「或る夜のこころ」に曲をつけた作品も演奏されました。

東京もウォーターフロントのあたりは自家用車での移動範囲です。東関東自動車道~高速湾岸線と乗り継ぎ、渋滞にはまりさえしなければ1時間弱。ただ、平日ですと辰巳JCT付近、渋滞がないということがありえない区間です。昨日はそれほど長い渋滞でもなく、比較的スムーズに着きました。

会場は第一生命ホール。晴海アイランドトリトンスクエアという複合ビルの中にあります。


右上がトリトン像。

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まずはドイツ歌曲。シューマンとリヒャルト・シュトラウスの作品から。いきなり圧倒されました。数ヶ月前、とても残念なソプラノ(らしき)独唱を延々と聴かされてしまったことがあり、それがトラウマになっていた部分があったのですが、最初にそれを払拭して下さいました。

ピアノ伴奏は河野紘子さん。フジテレビさんで放映されたドラマ「のだめカンタービレ」で、上野樹里さん扮する主人公・野田恵がピアノを演奏するシーンの手、音の吹き替え、さらに現場でのご指導もなさったそうです。こちらも素晴らしい演奏でした。

途中の休憩はなかったのですが、音楽ライター山野雄大氏によるMCを挟んで、第二部的に「優しき日本~日本歌曲」。ここで中村裕美さん作曲、「「智恵子抄」より「或る夜のこころ」」が演奏されました。

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ピアノの高音のトレモロから始まり、美しいメロディーラインが紡がれて行きます。かと思うと、音程なしの台詞的な部分もあり、歌曲というよりオペラのアリアを彷彿とさせるものでした。

作曲の中村裕美さんはこういう方です。

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光太郎詩「或る夜のこころ」は、大正元年(1912)の『スバル』第4年第9号に、日比谷松本楼さんでの智恵子との1コマを謳った「涙」などとともに掲載されたものです。

    或る夜のこころ

 七月の夜の月は
 見よ、ポプラアの林に熱を病めり
 かすかに漂ふシクラメンの香りは
 言葉なき君が唇にすすり泣けり
 森も、道も、草も、遠き街(ちまた)も
 いはれなきかなしみにもだえて
 ほのかに白き溜息を吐けり
 ならびゆくわかき二人は
 手を取りて黒き土を踏めり
 みえざる魔神はあまき酒を傾け
 地にとどろく終列車のひびきは人の運命をあざわらふに似たり
 魂はしのびやかに痙攣をおこし
 印度更紗の帯はやや汗ばみて
 拝火教徒の忍黙をつづけむとす
 こころよ、こころよ
 わがこころよ、めざめよ
 君がこころよ、めざめよ
 こはなに事を意味するならむ
 断ちがたく、苦しく、のがれまほしく
 又あまく、去りがたく、堪へがたく――
 こころよ、こころよ
 病の床を起き出でよ
 そのアツシシユの仮睡をふりすてよ
 されど眼に見ゆるもの今はみな狂ほしきなり
 七月の夜の月も
 見よ、ポプラアの林に熱を病めり
 やみがたき病よ
 わがこころは温室の草の上
 うつくしき毒蟲の為にさいなまる
 こころよ、こころよ
 ――あはれ何を呼びたまふや
 今は無言の領する夜半なるものを――


文語詩ということもあり、「智恵子抄」がいろいろな二次創作として扱われる場合にも、「レモン哀歌」や「あどけない話」などと比べて、あまり取り上げられることの多くない作品です(数十年前に故・清水脩氏がやはり曲をつけられたことがありましたが)。

ところで、昨日のコンサート、次の曲が伊藤康英氏作曲の「あんこまパン」という曲。サンドイッチ用のパンにバターとあんこ、さらにマヨネーズを塗るので「あんこまパン」だそうで、そのレシピをおもしろおかしく詩にした林望氏の詩に曲をつけたものです。


「「智恵子抄」より「或る夜のこころ」」が終わったところで、小林さん、河野さんが一礼。会場から万雷の拍手。まだ第二部の途中なので、ここ、そういうタイミングじゃないのにな、と不思議に思っていたら、一度お二人が袖に引っ込み、代わりに出て来たのがキャスター付きのテーブルでした。その上にはパン、あんこ、バター、マヨネーズ(笑)。小林さん、詩のとおりの手順で「あんこまパン」を製作しながら歌われていました。さらに完成した後はピアノの河野さんの口元にもってゆき、河野さんが一口がぶり。会場内は爆笑。

こちらのインパクトが強すぎて、「「智恵子抄」より「或る夜のこころ」」が忘れられてしまったのでは、と心配になりました(笑)。

第三部はイタリア系。当方、最初に演奏されたベッリーニの「優雅な月よ」が好きな曲でして、大満足でした。


こうした催しの場合、このブログではいつも同じようなことを書いていますが、こうした取り組みを通し、光太郎智恵子の世界を広めていただけるのは非常にありがたいことです。全国のいろいろな分野の表現者の皆様、ぜひよろしくおねがいいたします(ただ、時折あるのですが、とんちんかんな取り上げ方をされるのは困りものです)。


帰途は高速湾岸線~東関東自動車道、カーラジオを聴きながら、快適なドライブでした。

ラジオといえば、今月5日の智恵子命日「レモンの日」に、TOKYO FMさんが、「レモンの日」にちなみ、「シンクロのシティ」という番組の中の「トウキョウハナコマチ」というコーナーで、やはり「智恵子抄」を取り上げて下さったそうです。事前に情報を把握していなかったので聞きそびれましたが、ネット上に情報がアップされています。

普通のお嫁さんがいやだった!? ある有名カップルの幸せと葛藤

ウーマンリブや、フェミニズム。日本において、「女性解放運動」は明治時代から始まりました。女性も自由に生きる道を選べる。今では当たり前のことですが、当時はとても難しいことでした。男女の立場や関係の変化も激動の時代。そんな時代の、ある有名なひと組の夫婦のエピソードをご紹介します。

明治に生きた女性で解放運動を行っていた人物はたくさんいますが、そのなかの一人「高村智恵子」をご存知でしょうか。そう。高村光太郎の妻であり、画家でもある、あの「智恵子」です。

文学界きってのおしどり夫婦。心から愛し合っていた彼らですが、実際にはほとんどの間「事実婚状態」でした。
籍を入れたのは、彼女が精神を病み統合失調症を発病してから。
これも、高村が万が一の場合に智恵子の生活を保障するため、仕方なく入籍したものでした。

なぜ、二人は事実婚にこだわったのか。
二人の関係を祝福しない人が多かったのも、そのひとつでしょう。
ですが、最も大きい理由は、高村が、世間一般の「結婚」というものを認めていなかったからかもしれません。

あの有名な「智恵子抄」に収められている「人に」という詩の原文には、こんな文があります。
 「いやなんです あなたの往ってしまふのが―― (中略) 小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて (中略) 乳をのませて おしめを干して ああ、何といふ醜悪事でせう」
 
高村は、自由に生きる「新しい時代の女性」であった智恵子を愛しました。
そんな智恵子が結婚をし、家庭に入り、普通の女性として生きることは「醜悪」なことだったのかもしれません。
 二人は男女の新しい形を模索し、そして人生をもってそれを貫きました。
でも、ご存知のとおり、智恵子は心を病み、そのまま亡くなってしまいます。
 
高村光太郎は、こんな言葉を残しています。
 「私はこの世で智恵子にめぐり会った為、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出される事が出来た」
 彼の傍にいたことにより、智恵子はこのうえない幸せとともに、大きな葛藤を抱えつづけることになったのかもしれません。

 文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は、「高村と智恵子、二人の愛の形」として、10月5日に放送しました。


こちらも取り上げて下さってありがたいです。

付け足すなら、現在でもそうらしいのですが、光太郎が留学で滞在したフランスでは、事実婚という形態が珍しくないそうです。光太郎が実際に会ったロダンとローズ・ブーレもそうですし、昨夏亡くなった令甥の髙村規氏は、サルトルとボーヴォワールあたりも意識していたのではないかとおっしゃっていました。

智恵子はこのうえない幸せとともに、大きな葛藤を抱えつづけることになったのかもしれません」、その通りのような気がします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月7日

平成8年(1996)の今日、東京都立川市に光太郎詩「葱」(大正14年=1925)の詩碑が除幕されました。


  葱
000
立川の友達から届いた葱は、
長さ二尺の白根を横(よこた)へて
ぐっすりアトリエに寝こんでゐる。
三多摩平野をかけめぐる
風の申し子、冬の精鋭。
俵を敷いた大胆不敵な葱を見ると、
ちきしやう、
造形なんて影がうすいぞ、
友がくれた一束の葱に
俺が感謝するのはその抽象無視だ。


碑が建っているのは現在も続く東京都農事試験場の一角で、日本女子大学校時代からの智恵子の友人だった新潟出身の佐藤スミ(旧姓・旗野)がここの場長夫人でした。スミの名は「智恵子抄」に収められた散文「智恵子の半生」にも現れます。

光太郎智恵子結婚前の大正2年(1913)には、智恵子が新潟のスミの実家に滞在、スキーに興じました。また、その際に光太郎から智恵子に送られた書簡が残っており、一昨年、NHKさんの「探検バクモン「男と女 愛の戦略」で取り上げられました。

3日連続二本松ネタで攻めましたので、さらにもう1件。二本松から市民講座の情報です。 

智恵子講座’15

テーマ  高村智恵子に影響を与えた人達

会場は全て二本松市市民交流センター( JR 二本松駅前)

10/14追記 第2回から第4回の会場は福島県男女共生センターに変更だそうです。

第1 回 1 0 月1 2 日( 祝) 午前9 時3 0 分受付1 0 時開会
 題   「長沼家の家族とふるさと二本松」
 講師  渡辺秀男さん( 智恵子の里レモン会長)
第2 回 1 1 月1 5 日( 日) 午前1 0 時開会
 題   「油井小学校と福島高等女学校の先生達」
 講師  小島喜一さん( 福島県中国交流史学会長、元福島女子高教頭)
第3 回 1 2 月2 0 日( 日) 午前1 0 時開会
 題   「成瀬仁蔵と日本女子大学校」
 講師  小山弘明さん( 高村光太郎連翹忌運営委員長)
第4 回 1 2 月2 0 日( 日) 午後1 時開会
 題   「松井昇と太平洋画会研究所」
 講師  坂本富江さん( 作家、画家、智恵子研究者)

募集定員 3 0 名( 定員になり次第〆切ります)
参 加 費  今期4 回4 0 0 0 円( 最終日の昼食代含みます)
単回の受講も可能です。1 回1 0 0 0 円( 各1 週間前まで申し込み)

プレミアム紹介
 第1 回終了後→ 大玉村県民の森民話茶屋、あだたら高原美術館「青」( 希望者で実施)
 第2 回終了後→ 大山忠作美術館、安達ヶ原ふるさと村「先人館」

申し込み先 智恵子のまち夢くらぶ事務局 TEL 0 2 4 3 - 2 3 - 6 7 4 3
主 催   智恵子のまち夢くらぶ
後援
 二本松市 二本松教育委員会 智恵子の里レモン会 あだち観光協会
 二本松観光協会あだたら商工会 
二本松商工会議所 二本松未来創造ネットワーク
 二本松青年会議所 NPOまちづくり二本松 
福島民報社 福島民友新聞社
 福島中央新報社 ラジオ福島


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単回での受講も可能とのこと、ぜひどうぞ。当方も講師を仰せつかっています。


ところで二本松といえば、先週土曜、10月3日の朝、BSフジさんで、「いっしょに歩こう!ふくしま・わがまま!気まま!旅気分 愛か、お笑いか!?初恋カップルIN福島~城下町・二本松の旅」のオンエアがありました。当方、録画してDVDにダビング、モンデンモモさんのコンサート、レモン忌のため、二本松に向かう車中で拝見しながら行きました。

郡山ご出身のたんぽぽ白鳥久美子さんと、「彼氏」のチェリー吉武さん、福島テレビアナウンサーの藺草英己さんによる珍道中でした。

光太郎智恵子関連のスポットも満載でした。

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スポンサーは二本松観光協会さんでした。

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霞ヶ城にて、二本松少年隊のみなさん。

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わかりにくいのですが、光太郎智恵子の顔ハメ。

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智恵子生家近くの「智恵子純愛通り」碑前では、新野洋市長がご登場。

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その他、グルメ、レジャー、温泉などの情報もてんこ盛り。最後は再び智恵子生家で締めでした。

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これから有名な菊人形の期間になりますし、智恵子記念館では紙絵の実物展示、智恵子生家では二階の智恵子の部屋の限定公開などもあります。

他にもいろいろ見所の多い二本松。ぜひ智恵子講座と一緒に観光もどうぞ。
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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月6日

昭和14年(1929)の今日、光太郎が題字を揮毫した、山本和夫著『武漢攻略戦記 山ゆかば』が刊行されました。

前年に智恵子を亡くした光太郎、その空虚感を埋めるため、また、世間と交渉を絶って芸術精進に邁進した生き方が智恵子の心の病を引き起こしたという反省から、積極的に戦争協力に進んで行きます。

自身の詩文でも国民を鼓舞する内容を書きまくった他、こうした他人の著作でも題字揮毫や序跋文の執筆などで、一種の戦争協力を行いました。

福島二本松レポートの2回目です。

昨日は、旧安達町のラポートあだちさんで開催された智恵子を偲ぶ集い、第21回レモン忌に参加して参りました。智恵子の命日である「レモンの日」は今日なのですが、毎年、それに最も近い日曜日ということで期日が設定されています。

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まずは主催者の智恵子の里レモン会・根本副会長による開会の辞、黙祷。続いて智恵子肖像への献花、献果(レモン)と続きました。

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さらにモンデンモモトリオによる献歌。

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主催者挨拶、来賓祝辞、参加者全員による記念撮影と続いて、休憩を挟み、第二部は二本松在住の児童文学者・金田和枝さんによる記念講演。

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金田さんは昭和5年(1930)、東京のお生まれですが、同20年(1945)に二本松に疎開、女学校を終えられ、教職に就かれました。二本松に移られた頃の智恵子生家の印象、その後、歴史春秋社さんの依頼で『智恵子と光太郎』を執筆されることになり、光太郎智恵子についていろいろ調べられたお話などがありました。

また、最近は車椅子生活になられ、二本松の福祉施設におすまいですが、そこでの体験から、病気というものについてのお話は、参会者の胸を打つものでした。どんな病気にかかっていても、それが自分。同じホームにいらっしゃる認知症の方が、毎日のようにお話しする内容も、その人の歴史、心の病になった智恵子も、あの美しい紙絵制作に没頭できたのはかえって幸せ、などなど。

第三部は食事をいただきながらの懇親会。今年の第59回連翹忌で演奏を披露して下さったテルミン奏者の大西ようこさんがご出演。

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モンデンモモさんとのコラボも実現しました。

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遠く花巻や東京、大阪からも参加者が集まり、地元の方々を含めてスピーチ。当方もNHKさんの「趣味どきっ!」「あさが来た」などの宣伝をして参りました。

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「ほんとの空」の雲の上の智恵子も、きっと喜んでいたのではないでしょうか。ちなみに来年は智恵子の生誕130周年になります。さらに顕彰の気運が高まってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月5日

平成16年(2004)の今日、当会顧問北川太一先生著『画学生智恵子』が蒼史社から刊行されました。

智恵子忌日「レモンの日」に合わせての刊行で、若き日の智恵子評伝です。

第一章 絵を描く女子大生
 『三つの泉』/日本女子大学校/選科生智恵子/画家志願
第二章 太平洋画会研究所
 研究生として/研究所経緯/亀高ふみ子回想/動き始めた時代
第三章 渦巻く美術運動の中で
 新しい潮流/動坂の下宿/第七回太平洋画会展/光太郎帰朝/智恵子日々/第三回文展
第四章 研究生群像
 明治四十三年という年/善太郎と与平/閉ざされた時代/競技会/二人の女子研究生
第五章 画家智恵子
 雑司ヶ谷界隈/『青鞜』の表紙絵/鮮烈なデビュー/光太郎訪問/画家として/第十回太平洋画会展/「新しい女」/「あねさま」と「団扇絵」/富本一枝の回想
第六章 恋-「大風のごとく」
 婚約者/明治終焉/犬吠岬/ゴシップ/自分自身の恋/佐藤澄子聞き書/光太郎の恋文
第七章 山上にて
 上高地へ/『日本アルプス』/ウェストンに遭う/山上の二人
第八章 上高地以後
 「僕等」/智恵子の詩

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昨日から1泊2日で福島は二本松に行っておりました。今日明日と、2回に分けてレポートいたします。

まず昨日、智恵子生家近くにて、モンデンモモさんのコンサートを拝聴して参りました。

会場は、鐵扇屋さんという、昔の油屋さんだったところで、築140年の蔵でした。普段はスピーカーシステムの試聴室として使われているとのこと。

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コンサートは昼夜二公演で、それぞれ内容が違いました。

昼の部は、「モンデンモモ智恵子抄を歌う!」と題し、光太郎詩にモモさんオリジナルの曲をつけた作品を中心に、さらに語りを入れたモノドラマ形式でした。

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伴奏は、アコースティックギターのたしまみちお氏。モモさんとのセッションは4年ぶりだそうですが、それを感じさせないコンビネーションでした。

会場の蔵があまり広いスペースでなく、歌も伴奏も、一切音響機器を使わない生演奏で、本当の「人間」の演奏だったのがよかったと思いました。大きなホールでマイクやらPAやらを駆使して、というのも一つのやり方ですが、これはこれで一つのやり方です。

夜の部は、「モンデンモモ日本の歌アラカルト」と銘打ち、第1部がオリジナル以外の曲、第2部はオリジナル「智恵子抄」からの抜粋と、与謝野晶子の詩に曲をつけたものなどを取り上げました。

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伴奏は引き続き、たしま氏。さらに一部の曲では、モモさんの歌のお弟子さんだという、青柳みちよさんが鍵盤ハーモニカでご参加。

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これまた素敵なステージでした。

当方、モモさんとのつきあいは、かれこれ20年近くになります。その間、継続して光太郎智恵子の世界に取り組み続けていらっしゃることに、敬意を表します。しかも、毎回、趣向を変えて臨まれるチャレンジ精神にも脱帽です。

今回のようなキャパ10数人というような小さい会場から、大きなホールまで、いろいろな形態に対応できるというのも強みですね。イベントなどへの出演依頼等、お考え下さい。

また、モモさん、新たに「モンデンモモの智恵子抄」というCDをリリースされました。また後日、詳細をご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月4日

昭和27年(1952)の今日、日本教材社刊行の児童の図画工作』の推薦文を執筆しました。

『高村光太郎全集』には、光太郎の手許に残された草稿から採録して全文を掲載してありますが、この文章がどこに発表されたのか、さらには日本教材社の『児童の図画工作』という書籍についても、よく分かっていません。おそらく、当時、「自由教科書」と称されていた副読本の類だと思われますが、現物が未確認です。今後の課題としておきます。

智恵子の故郷・二本松市の広報紙『広報にほんまつ』。今月号には、光太郎智恵子がらみの記事が満載です。
 
まずは3ページめ、菊人形や提灯祭りの記事にまじって、見頃を迎えた安達太良山の紅葉の記事で、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)に使われたフレーズ「ほんとの空」。

二本松の秋 安達太良山の紅葉 ほんとの空がある

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何だか昭和感あふれる写真ですが(笑)。

同じ3ページめには、智恵子の部屋を含む、智恵子生家の2階部分の特別公開の記事も。 

二本松の秋 智恵子の生家2階限定公開

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続いて7ページめ。思わず笑ってしまいましたが、「ほんとの空体操」というのが生まれたそうです。 

~二本松市合併10周年記念事業~ 「ほんとの空体操」で介護予防

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二本松市民の歌」に合わせて振り付けられたとのことで、なかなかいいアイディアですね。「二本松市民の歌」、こんな歌です。




それから11ページめに飛び、新野洋市長の活動報告のコーナー。

8月29日 BSフジ「わがまま!気まま!旅気分」取材

さらに、27ページめに行きますと、後ほど稿を改めて詳しくご紹介しますが、「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子講座’15」のお知らせも載っています。 

「智恵子講座2015」受講者募集

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当方も講師を仰せつかっています。


というわけで、『広報にほんまつ』さん、今月号はたくさんネタを提供して下さいました。ありがたいかぎりです。また、地元の皆さんの、郷土の先人としての智恵子をもっともっと顕彰する機運になってもらえれば、と思います。


当方、その二本松に、今日から1泊2日で行って参ります。今日は午後からモンデンモモさんのコンサート、明日は智恵子命日の集い、第21回レモン忌にお邪魔します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月3日

昭和26年(1951)の今日、花巻町の大津屋呉服店で浴衣の仕立てを頼みました。

大津屋は、花巻上町の中心だったそうで、店主・橋本家は、宮澤家、さらに日本女子大学校で智恵子の二学年下にいて、テニス仲間だった野村胡堂の妻・ハナの家系とも遠い親戚だそうです。

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京都から学会の情報です。 
期 日 : 2015年10月9日(金)受付11時30分より
場 所 : 京都外国語大学 国際交流会館会議室(9号館4階)京都市右京区西院笠目町6

 総合司会 村上裕美氏(関西外国語大学短期大学部)

研究発表第一部(12時00分~13時20分)
 司会 佐久間みかよ 氏(和洋女子大学)
 瀧口美佳氏(立正大学)「超絶主義者たちと北欧神話」
 貞廣真紀氏(明治学院大学)「ソローの味覚」

研究発表第二部(13時30分~14時50分)
 司会 高梨良夫 氏(長野県短期大学)
 松島欣哉氏(香川大学)
  「Orestes A. Brownsonのエマソン批評――“Literary Ethics”を中心に」
 藤田佳子氏(奈良女子大学)「<心>の探索――中・後期のエマソン」

日本ソロー学会創立50周年記念大会シンポジウム(15時~17時30分)
 司会 伊藤詔子氏(広島大学)
 テーマ:ソロー学会50周年記念シンポジアム――回顧と展望
 パネリスト:
 小野和人氏(九州大学):「学会50年(その概括ないし瞥見)」
 山本晶氏(慶応大学):
「ヘンリー・ソロー、宮澤賢治その他の〈孤独〉と〈食物〉――東洋思想、政治思想、食習慣との関連において考える」
 齊藤昇氏(立正大学):「ソロー・野澤一・高村光太郎」
 上岡克己氏(高知大学):「大学におけるソロー教育の意義」
 伊藤詔子氏(広島大学):「核時代の“Civil Disobedience”」

総会(17時35分~18時00分)

懇親会(18時00分~20時00分)
 司会 元山千歳氏(京都外国語大学)
 京都外国語大学ユニバーシティギャラリー 9号館6階(会費:6,000円)
  京都市右京区西院笠目町6


ソローはヘンリー・ディビッド・ソロー(1817~1862)。アメリカの詩人、作家です。マサチューセッツ州の湖畔に丸太小屋を構え、自然と親しむ自給自足の生活を送ったことで知られています。

そのソローの生き方に触発されて、山梨県の山中の四尾連(しびれ)湖畔の小屋に独居生活を送り、「日本のソロー」と称されたのが、明治37年(1904)年生まれの詩人・野澤一です。

野澤はさらに光太郎にも心酔、昭和14年(1939)頃から、亡くなる同20年(1945)までの間に、300通あまりの長文の書簡を送り続けました。光太郎からの返信は数回、しかし、そんなことはおかまいなしに、一方的に手紙を書き続けたといいます。光太郎は辟易しながらも、野澤の特異な才を評価しました。くわしくはこちら

のちに花巻郊外太田村の山小屋で独居生活を始めた光太郎、早くから辺境の地での自然に親しみながらの芸術制作という夢を持っていました。青年期には北海道移住を志し、実際に札幌郊外月寒まで行きましたし、その後も繰り返し、そうした希望を語っています。その陰には、活動する友人知己の存在もあったと思われます。北海道の更級源蔵、山形で真壁仁、千葉三里塚に水野葉舟、宮崎新しい村では武者小路実篤、そして花巻の宮澤賢治。そうした中に、野澤も加えていいのかも知れません。ただ、ソローに関しては、今のところ残された光太郎詩文にその名は見えません。

日本ソロー学会さんの全国大会、そうしたソローの精神の、日本での後継者としての野澤一、そして光太郎が語られるのだと思います。宮澤賢治に関する言及もあるようですね。
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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月2日

平成16年(2004)の今日、群馬県立土屋文明記念文学館で、第16回企画展「群馬の詩人-近現代詩の革新地から-」が開幕しました。

萩原朔太郎、大手拓次ら群馬出身、または出身でなくとも居住したことのある詩人50余名を取り上げるものでした。

その中には光太郎と交流のあった詩人も多く、特に清水房之丞、新島栄治に関しては、同館所蔵の光太郎から両名宛の書簡も展示されました。清水に関しては詩集『炎天下』に寄せた光太郎の序文の草稿も並びました。

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智恵子関連のイベント情報を2件ご紹介します。 

まずは福島・いわきから、智恵子紙絵の複製展示販売会です。 

甦る高村智恵子・紙絵の世界 光太郎への愛のメッセージ

期 日 : 2015年10月02日~10月05日
時 間 : 9時から18時まで
場 所 : 人形の東月いわき総本店2階フロア 福島県いわき市自由ヶ丘61-7
入場料 : 無料

高村智恵子紙絵の世界として智恵子が製作した紙絵の復刻版を展示即売いたします。
同時開催、「大リヤドロ展」「大掛軸展」

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もう1件、富山から市民講座です。 

市民大学たかおか学遊塾 高村光太郎・智恵子の世界を談ろう会

市民教授 : 茶山千恵子(ちゃやまちえこ)  富山県子どもと詩を楽しむ会 劇団「喜び」主宰 女優
時  間 : 土曜日 10:00~12:00  定員 10人
運  営 費 : 1,500円 受講料1,000円 資料代500円(全5回分) 合計3,000円(初回納付)
会  場 : 高岡市生涯学習センター6階和室 
富山県高岡市末広町1番7号

高村光太郎『智恵子抄』を通して真実に生きる姿、愛について談り愛(かたりあい)ませんか?

 10/3(土) 高村光太郎詩集より
 11/7(土) 智恵子抄より①
 12/5(土) 智恵子抄より②
 1/9(土)  智恵子抄より③
 2/13(土) 高村光太郎の晩年

同じ茶山氏による講座「高村光太郎・智恵子の世界を語ろう」が、前期講座として5月から9月にかけて行われていましたが、後期講座として「語ろう」が「談ろう」になって開催されるようです。


こうした活動を通し、光太郎智恵子の名が身近に感じられるようになっていってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月1日

昭和26年(1951)の今日、雑誌『婦人公論』に散文「「樹下の二人」」が掲載されました。

「自選自解現代詩人代表作品集」というコーナーで、光太郎、佐藤春夫、室生犀星、堀口大学らの作品を集め、それぞれの詩の後に作者による解説を添えたコーナーでした。

光太郎は大正12年(1923)に書かれた詩「樹下の二人」について書いています。

 智恵子は東京に居ると病気になり、福島県二本松の実家に帰ると健康を恢復するのが常で、大てい一年の半分は田舎に行つてゐた。その年(大正十二年春)も長く実家に滞在してゐたが、丁度叢文閣から「続ロダンの言葉」が出てその印税を入手したので、私はそれを旅費にして珍しく智恵子を田舎の実家に訪ねた。智恵子は大よろこびで、二本松界隈を案内した。二人は飯坂温泉の奥の穴原温泉に行つて泊つたり、近くの安達が原の鬼の棲家といふ巨石の遺物などを見てまはつた。或日、実家の裏山の松林を散歩してそこの崖に腰をおろし、パノラマのやうな見晴しをながめた。水田をへだてて酒造りである実家の酒倉の白い壁が見え、右に「嶽(だけ)」と通称せられる(安達太郎山)が見え、前方はるかに安達が原を越えて阿武隈川がきらりと見えた。

文中、「大正十二年春」とあるのは「大正九年春」の誤りです。詩は大正12年(1923)に作られましたが、「続ロダンの言葉」の刊行は大正9年(1920)です。

詩は以下の通り。

    樹下の二人
 
   ――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――000

 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。

 かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、

 うつとりねむるやうな頭(あたま)の中に、
 ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
 この大きな冬のはじめの野山の中に、
 あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
 下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

 あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
 ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
 ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
 ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
 無限の境に烟るものこそ、
 こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
 こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
 むしろ魔もののやうに捉へがたい
 妙に変幻するものですね。

 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。

 ここはあなたの生れたふるさと、
 あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
 それでは足をのびのびと投げ出して、
 このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
 あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
 すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
 私は又あした遠く去る、
 あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
 私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
 ここはあなたの生れたふるさと、
 この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
 まだ松風が吹いてゐます、
 もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。


明後日から1泊で二本松に行って参ります。初日はモンデンモモさんのコンサート、翌日は智恵子命日の集い、第21回レモン忌にお邪魔します。

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