2015年09月

「智恵子抄」がらみのコンサート情報を2件、お伝えします。

開催順に、まずは都内から。 

ライフサイクルコンサート 雄大と行く 昼の音楽さんぽ 第3回 小林沙羅 麗しきソプラノの旅

   : 2015年10月6日(火) 11:00 開演(12:30終演予定)
会  場 : 第一生命ホール 東京都中央区晴海1-8-9 TEL 03-3532-3535
出  演 : 日時小林沙羅(ソプラノ) 河野紘子(ピアノ) 山野雄大(ご案内)
料  金 : 一般¥2,000  2公演(第3・4回)セット券¥3,000
 
      お友だち割¥1,500(同一公演3枚以上で1枚あたり)
*2公演セット券は「第4回 福川伸陽&三浦友理枝 ホルンとピアノの万華鏡」(12月15日(火))とのセットです。
曲  目 : ドイツの浪漫~ドイツ歌曲
         シューマン:おお紳士の皆様/ズライカの歌/ことづて
         R. シュトラウス:万霊節/ツェチーリエ
       優しき日本~日本歌曲
         山田耕筰:からたちの花  本居長世:白月
         中村裕美:「智恵子抄」より「或る夜のこころ」
         伊藤康英:あんこまパン
       麗しのイタリアへ!~イタリア歌曲からオペラ・アリアまで
         ベッリーニ:優雅な月よ トスティ:薔薇 マスカーニ:月 
         ドニゼッティ:歌劇≪連隊の娘≫より「さようなら」
         歌劇≪ドン・パスクアーレ≫より「騎士はあの眼差しを」


美しい声につつまれて‥‥心の旅はるか ドイツの浪漫、優しき日本、麗しのイタリアへ!

本物のクラシック音楽をもっと身近に!わかりやすいお話と共にもっと楽しく! 一流演奏家による珠玉の90分♪音楽ライターの山野雄大によるご案内でお届けします。

素敵な笑顔と、輝く美声をたっぷりと。ソプラノ歌手、小林沙羅さんが《雄大と行く 昼の音楽さんぽ》第3回に登場します。──お昼の時間帯に一流演奏家のみなさんをお迎えして、クラシック音楽をもっと身近に楽しんでいただこうというこのシリーズ、音楽ライター、山野雄大のご案内とともに、音楽家の愉しいトークと演奏と…オペラから歌曲から見事な表現力を魅せる小林さんが、ぜひこれを今こそお聴かせしたい!という選りすぐりのプログラムを組んでくださいました。

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小林沙羅  Kobayashi Sara  (ソプラノ)
東京藝術大学卒業、同大学院修了。2011年度文化庁新進芸術家在外研修員。2014年度ロームミュージックファンデーション奨学生。ウィーンとローマにて研鑽を積む。『こうもり』アデーレ、『トゥーランドット』リュー、『ヘンゼルとグレーテル』グレーテル、千住明作曲『万葉集』(初演)、三枝成彰作曲『KAMIKAZE』(初演)等に出演。ヘンデル「メサイア」、ハイドン「天地創造」、フォーレ「レクイエム」、マーラー「交響曲第4番」等ソリストとしても活躍。2012年ソフィア国立歌劇場『ジャンニ・スキッキ』ラウレッタ役で欧州デビュー、『愛の妙薬』プレミエ公演にアディーナ役で出演等、海外へも活動の幅を広げている。
オフィシャル・ウェブサイト
 http://sarakobayashi.com

河野紘子  Kohno Hiroko  (ピアノ)
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学を経て同大学研究科を修了。ソロだけではなく、在学中より伴奏やアンサンブルにも力を入れており、特に声楽の分野ではメゾソプラノの波多野睦美氏をはじめ、共演者からの信頼も厚い。これまでに桐朋学園大学声楽科嘱託演奏員や二期会オペラ研修所ピアニストとして勤務。またフジテレビで放映されたドラマ「のだめカンタービレ」の主人公(上野樹里)の手・音の吹き替え、現場での指導を担当するなど、活動の幅を広げている。
オフィシャル・ウェブサイト
 http://www.hirokokohno.com

山野雄大  Yamano Takehiro  (ご案内/音楽ライター)
1971年東京生まれ。『音楽の友』『レコード芸術』『バンドジャーナル』などの音楽誌への連載、演奏会プログラムへの定期寄稿をはじめ、オーケストラやバレエの取材・撮影、CDの企画・ライナーノート執筆を多数手がける。NHK-FM《オペラ・ファンタスティカ》など放送出演も。

中村裕美さん作曲の「「智恵子抄」より「或る夜のこころ」」、昨秋、やはり小林さんの歌唱で初演されています。ただ、会員制のようなコンサートだったため、当方も拝聴できませんでしたし、このブログではご紹介しませんでした。

今回はNPO法人トリトン・アーツ・ネットワークさんの主催による公開公演ですので、当方もチケットを購入しました。今日現在、まだ空席があるようです。ぜひどうぞ。


もう1件、名古屋でのコンサート情報です。2日に分けてご紹介すべきところですが、やはり芸術の秋、文化の秋ということで、このブログでご紹介すべきイベント等が目白押し(昨秋もそうでしたが、半月先まで書く内容が決まっています)のため、書いてしまいます。

作曲:野村朗・フルート:吉川久子 智恵子抄の世界を遊ぶ ~その愛と死と~

日  時 : 2015年10月11日(日) 14:00 開演 
会  場 : ドルチェ・アートホールNagoya 名古屋市中区栄2-2-35 Tel050-5807-3564
出  演 : バリトン:森山孝光 ピアノ:森山康子 フルート:吉川久子 ギター:千代正行
料  金 : 前売券 3,000円/当日券 3,500円 
主  催 : 智恵子抄実行委員会
共  催 : 野村朗 吉川久子フルートオフィス
曲  目 : 
  野村朗 編
  歌曲「冬の言葉」(詩:高村光太郎/曲:野村朗)
  連作歌曲「智恵子抄」全曲(詩:高村光太郎/曲:野村朗)
   1 歌曲「千鳥と遊ぶ智恵子」  2 歌曲「あどけない話」  3 歌曲「レモン哀歌」
   4 「間奏曲」  5 歌曲「案内」

  吉川久子 編
   ホラねんねんねろ(福島の子守歌) 故郷の空 ふるさと 森のささやき(オリジナル)
  月光(作曲作品) 浜千鳥 他


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名古屋在住の作曲家・野村朗氏。連翹忌のご常連で、一昨年、「連作歌曲「智恵子抄」」を発表され、以後、今回もご出演の森山夫妻による演奏で何度かコンサートが開催されています。また、CD、楽譜も発売されています。

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かたやフルート奏者の吉川久子さん。こちらも昨年の第58回連翹忌にて演奏していただきました。その前にやはり一昨年、横浜で「こころに残る美しい日本のうた 智恵子抄の世界に遊ぶ」というコンサートを開催されました。それを聴いた当方が、連翹忌へのご出演を依頼し、快諾なさって下さいまして、さらにそれがご縁で野村氏とのコラボが実現したというわけです。実は、以前にもそういうお話があったのですが、それぞれお忙しい方々ですので、なかなか実現しませんでした。

主催が「智恵子抄実行委員会」となっていますが、野村氏、吉川さんに加え、昨夏亡くなった光太郎の令甥・髙村規氏のご長男、髙村達氏、当会顧問の北川太一先生、それから当方もお名前を連ねさせていただいております(他にも10名ばかりいらっしゃいますが、個人情報だのなんだのが喧しいので載せませんが)。その会としての案内がこちら。おそらく野村氏が書かれました。

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こちらにあるとおり、二本松や花巻での公演もお考えとのこと。ぜひ実現してほしいものです。

さらにいうなら、他にも音楽系、朗読系、舞台芸術系などで光太郎智恵子の世界を扱われている方がたくさんいらっしゃいますので、そうした方々のご参加も賜えれば、などと勝手なことも考えております。000

さて、名古屋の方もぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月30日

昭和50年(1975)の今日、二玄社から光太郎書「蟬のうた」の軸装複製が発売されました。

光太郎と交流の深かった美術史家・奥平英雄所蔵の紙本半切を複製したもので、大正13年(1924)、雑誌『明星』に発表した短歌「飛びたつとき吾が手を掻きてゆきし蟬の足の力の忘られなくに」が印刷されています。揮毫自体は戦後のものですが、枯淡の境地というのは、まさしくこういうものではないのかな、と思わせる書です。

書といえば、過日のこのブログでご紹介したNHKEテレさんの「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」、NHKさんの公式サイトに情報がアップされました。また、テキストも刊行され、新刊書店に並んでいます。版元のNHK出版さんから贈っていただきまして、ぺらぺらの薄い冊子を想像していたのですが、とんでもない、非常に充実した内容で驚きました。これで1,000円+税は実にお買い得です。

放映(11/3)が近づきましたらまた詳しくご紹介します。

弘法大師空海による開山から1200年を迎えた世界遺産・高野山金剛峯寺さんで、に続き、秋の特別御開帳が行われます。光雲の手になる金堂御本尊薬師如来(阿閦如来) にもふたたびお目にかかれます。

金堂の御本尊特別開帳

御本尊(薬師如来)は、昭和9年の弘法大師1100年御遠忌に合わせた金堂の再建とともに、当時の大仏師・高村光雲[たかむらこううん]師により造られました。以来、80年あまり厨子内に安置され、秘仏となっていた御本尊が今秋もう一度開帳されます。
期間:平成27年10月1日(木)~11月1日(日)
   ※10月1日(木)から3日(土)は結縁潅頂開催のため、一般内拝はできません。
 場所:壇上伽藍金堂/御本尊:薬師如来(阿閦如来)

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それに合わせ、宝物殿の霊宝館さんでは、やはり光雲の手になるこの像の頭部試作も展示されています。期間は、御本尊そのものの御開帳よりやや長く、11月29日(日)まで。

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また、南海電気鉄道さんと近畿日本鉄道さんでは、金剛峯寺さん、さらに奈良県吉野の金峯山寺さんとタイアップ、「まいろう。めぐろう。高野・吉野の秘仏本尊」キャンペーンを実施します。

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臨時バスの運行や特別きっぷの販売、さまざまなツアーなどが企画されているようです。

ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月29日

昭和25年(1950)の今日、詩文集『智恵子抄その後』のあとがきを執筆しました。

同書は同年11月、オリジナルの000『智恵子抄』(昭和16年=1941)と同じ、龍星閣から刊行されました。

前年に作られ、雑誌『新女苑』に発表された六篇から成る連作詩「智恵子抄その後」(「元素智恵子」「メトロポオル」「裸形」「案内」「あの頃」「吹雪の夜の独白」)を根幹とし、他の詩文を加えて編まれたものです。

しかし、題名とは裏腹に、智恵子に関する詩文は少なく、大半は花巻郊外太田村での山小屋生活に関わる散文で、「詩集」と冠するのは羊頭狗肉の感を免れません。

六十五年前の今日書かれた「あとがき」の全文はこうです。

 先年、「智恵子抄」をはじめて世に送つてくれた龍星閣主人澤田伊四郎君が、今度は又、「智恵子抄その後」を、むしろ略奪するやうな勢いで出版する。
 「智恵子抄」は澤田君が戦後休養のため郷里に隠遁してゐた頃、他の出版社が澤田君の快諾をうけ、二三の新作を加へて再出版したので、今も世上に行はれてゐるやうであるが、戦後五年を経た今日、澤田君は郷里から上京して龍星閣再興に志し、昔のゆかりに因むものか、まづ私の「智恵子抄その後」に眼をつけた。
 「智恵子抄その後」と題する一群の詩は六篇しかなく、しかもその六篇は互に有機的に結びついてゐてその間に他の詩篇をさし挟むことも出来ず、又その前後に他の詩篇を追加することも出来ない。さういふことをすれば壊れてしまふ。六篇では詩集にならないと私がいへば、六篇でも詩集になると澤田君はいふ。澤田君は私の手許から山小屋日記に類する文章その他を物色して、つひに斯ういふ一冊の詩集を構成してしまつた。私も澤田君の熱意に動かされて、結局この詩六篇を根幹とする詩集といふものの出版に同意した。
 「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。「智恵子抄その後」の奥底に何があるか、書いてから一年ばかりにしかならないので、まだ自分にもよく分らない。おそらくこれを読む人々が卻てそれを鋭く見ぬいてくれることであらう。
   一九五〇年十月

神奈川県鎌倉市からの情報です。 

10/4追記 日程が変更になりました。下記の通り訂正です。 

回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その四

会 期 : 2015年10月9日(金)~11月10日(火)
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215 0467-22-4484
時 間 : 10:00~16:00
休業日 : 毎週月・水・木

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「あじさい寺」として有名な明月院さんの近く000にあるカフェ兼ギャラリーの笛ギャラリーさんでの展示です。店主の奥様が、光太郎のすぐ下の妹・しづのお孫さんに当たられ、光太郎ゆかりの品々が伝わっているというお店です。毎年この時期にこの展示を開催されています。

尾崎喜八は明治25年(1892)生まれの詩人。光太郎より9歳年少です。大正13年(1924)、光太郎の親友・水野葉舟の娘・実子と結婚し、光太郎が介添えを務めました。さらに結婚祝いとしてミケランジェロの「母子像」約7分の1模刻のブロンズ像を贈っています。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。

下記は昭和61年(1986)の写真週刊誌『FOCUS』のコピーで、当時、健在だった実子に関する記事です。

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現在も喜八・実子夫妻のお嬢さんである榮子さんが笛ギャラリーさんのお近くにお住まいで、光太郎つながりでよくいらっしゃるとのこと。そこで、尾崎家に伝わる品々も展示されるというわけです。

当方、昨年、お邪魔いたしました。その際のレポートがこちら。たまたま榮子さんと、さらにやはり光太郎と交流のあった詩人の伊藤海彦氏の奥様がいらしていて、いろいろとお話を伺うことができました。榮子さんは当方の知る限り、唯一、生前の智恵子をご存じの方です。

伊藤家のお宝、そして「母子像」も展示されており、興味深く拝見しました。

他にも『高村光太郎全集』に未収録の、しづ宛の書簡が3通も見つかり、のちに当方編集の「光太郎遺珠」に掲載させていただきました。

今年も同様の展示になるのでは、と思います。ぜひ足をお運び下さい。


10/16追記 今年は「母子像」は展示されていませんでした。

【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月28日

昭和15年(1940)の今日、光太郎が装幀、題字、装画を手がけた水野葉舟の歌集『滴瀝』が刊行されました。

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このコーナー、事前に書く内容をピックアップしてリストにしてあります。

上記笛ギャラリーさんの記事を書き終わってから、さて、「今日は何の日だっけ」と思ってリストを見てみると、たまたま葉舟関連だったので驚きました。

明日からNHKさんで放映が始まる連続テレビ小説「あさが来た」。

三井財閥のお嬢様で、大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ、女性実業家として活躍した広岡浅子が、波瑠さん演じる主人公・今井(のち白岡)あさのモデルです。下記は昨日の『朝日新聞』さんの土曜版です。

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広岡浅子は、夫の信五郎(ドラマでは新次郎・玉木宏さん)ともども、実業家として、大同生命、尼崎紡績(現・ユニチカ)などを創立し、銀行業や炭坑事業なども手広く手がけました。といって、金、金、金の我利我利亡者ではなく、幼い日に自らが学問を禁じられた悔しさから、女子教育への支援も行いました。

明治34年(1901)に開校した日本女子大学校(現・日本女子大)の創立者・成瀬仁蔵は、浅子の援助を受けて開校にこぎ着けました。目白台の校地は、浅子の実家・三井家の土地でした。浅子自身も、上京した折には来校し、生徒と交流を深めたといいます。

そこで光太郎智恵子とつながります。

智恵子は明治36年(1903)に同校普通予科に入学していますので、たびたび同校を訪れた浅子と顔を合わせている可能性が非常に高いと思われます。智恵子の一学年上には平塚らいてう、三学年上の一回生には光太郎との間を取り持った柳敬助夫人・八重、同じく小橋三四子などがいました。やはり一回生で、のちに同校初の女性校長となった井上秀も、光太郎に講演の依頼をするなどしています。

特に小橋は卒業後、同校同窓会である桜楓会の機関誌『家庭週報』の編集に携わり、浅子とさらに縁が深くなります。浅子は同校以外の若い女性にも門戸を開き、大正3年(1914)から亡くなる前年の同7年(1918)まで、静岡御殿場の別荘で勉強会を開いていましたが、そこには小橋の紹介で市川房枝も参加していました。ちなみに昨年上期の連続テレビ小説「花子とアン」の主人公・村岡花子もこの勉強会に参加していたそうです。さらに言うなら、この時期には宮澤賢治の妹で、夭折したトシが同校に在学していました。

筑摩書房の『高村光太郎全集』には、浅子の名は出て来ませんが、平成11年(1999)の全集完結後、新たに見つかった光太郎文筆作品等を収めている「光太郎遺珠」に収録した小橋あての光太郎書簡に、浅子の名が出ていました。大正7年(1918)の浅子死去に際してのものです。

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拝啓
今日新聞で広岡浅子刀自のなくなられた事を知り非常に感動を受けました
先達て頂戴した一週一信をよんではじめて刀自の真生活を知つたばかりの時此の訃音に接して残り惜しい心に堪へません
あなたの御心もお察し出来る気がいたします
しかし刀自の魂は此から後どの位実際的に人〻を導くか知れない事と信じます
どうも黙つてゐられない気がして此の手がみを書きました
刀自に対する尊敬と吊意とをおくみ取り下さい
  一月十六日                                                 高村光太郎
 小橋三四子様


文面にある「一週一信」というのは、前年12月に刊行された浅子の随筆集です。編集と、発行人の名義も、婦人週報社に移っていた小橋です。

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上記は浅子の書いた序文と奥付です。

そういうわけで、「あさが来た」には、成000瀬仁蔵や小橋も登場するでしょうし、小橋がらみで光太郎智恵子も登場しないかと期待しています。ただ、登場するにしても仮名となるでしょうが。

ちなみに光太郎、浅子の死と同じ年(大正8年=1919)、成瀬仁蔵の胸像(右画像)制作を、日本女子大学校から依頼されました。その際には成瀬も死の間際で、光太郎は病床の成瀬を見舞っています。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。

ところが完成したのは何と14年後の昭和8年(1933)。光太郎のこだわりで、作っては毀しの試行錯誤が続いたのと、昭和6年(1931)頃から智恵子の心の病が昂進していったことも遅延の要因の一つでしょう。

ちなみに『家庭週報』には、製作中の光太郎訪問記が3回掲載されており、現在製作中の当方編集の冊子『光太郎資料44』に掲載しました。またこちらについては後述します。

さて、浅子の生涯について書かれた書籍を紹介します。 
古川智映子著 昭和63年(1988)10月5日初版001
平成27年(2015)2月16日新装改版
潮出版社 定価1,600円+税

連続テレビ小説「あさが来た」の原案本です。「小説」ということで、若干、史実と異なる部分があるようですが、浅子の生涯がよくまとまっています。

実は、今年はじめの時点で広岡浅子が取り上げられると知ってすぐ購入しようとしたところ、絶版でした。古書市場では数千円の値が付いていました。おそらくその店主が、これなら数千円でも売れる、と踏んで値をつけ、実際に買った人もいるのでしょう。

2月には新装改版が出て、当方、そちらを購入しました。まるで昨年の東京駅開業100周年記念スイカのような話でした。


それから、このところ、新刊書店ではムック系の浅子本が何種類か平積みで売られています。それだけ朝ドラへの関心が高いと言うことなのでしょう。そんな中で、書店で実際に見て、これは、と思って買ったのが以下のものです。 

別冊宝島 広岡浅子の生涯

平成27年(2015)10月4日 宝島社 003
定価800円+税

写真を豊富に使い、ビジュアル的にとらえるのには格好の一冊です。

また、浅子だけでなく、同時代の人々……特に交流がなかった人物も含め……に関する記述も充実しており、それが決め手で購入しました。

光太郎智恵子と交流の深かった人物では、浅子同様、明治期に活躍した女性、ということで新宿中村屋の創業者・相馬愛藏夫人の黒光、雑誌『明星』の新詩社の与謝野晶子、平塚らいてうをはじめとする『青鞜』をめぐる女性たちなど。『青鞜』創刊号の表紙を智恵子が描いたことも記されていました。

当然、成瀬仁蔵や小橋三四子、井上秀などについても詳しく書かれています。

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また、購入していませんが、こんな書籍も今月刊行されています。 
中江克己著 2015年9月13日 第三文明社004
定価1,500円+税

版元サイトより

明治・大正の著名な女性72人を一覧できるエピソード集。2015年後半の朝ドラ「あさが来た」の主人公・広岡浅子、「花子とアン」に登場した村岡花子・柳原白蓮、大河ドラマ「花燃ゆ」の吉田松陰の妹・文(ふみ)、「八重の桜」の新島八重なども登場。女優の川上貞奴、松井須磨子や、著名人の妻である伊藤梅子(伊藤博文夫人)、小泉節子(ラフカディオ・ハーン夫人)、夏目鏡子(夏目漱石夫人)、乃木静子(乃木希典夫人)らも。──次の「朝ドラ」ヒロインはここにいる!

[もくじ]
はじめに
登場女性の生年・没年
第1章 女性の自立を目指した事業家・活動家
第2章 鹿鳴館・国際舞台での活躍
第3章 芸の道で花開く
第4章 新しい波を起こす文芸界の才女
第5章 恋に生き、愛を貫く
第6章 世を騒がせ、話題になった女性
第7章 医療への道、教育への情熱
人名索引 主な参考文献

ちなみに「第5章 恋に生き、愛を貫く 」では、智恵子も扱われています。


さて、長くなりましたが、ぜひとも「あさが来た」、智恵子や光太郎にも登場してほしいものです。明日から楽しみに拝見します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月27日

昭和28年(1953)の今日、『週刊サンケイ』に、終焉の地・中野のアトリエの光太郎訪問記が掲載されました。

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それを制作するために、花巻郊外太田村から再上京した「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は既に完成、翌月には除幕、という時期でした。バックに像の小型試作が写っています。

過日レポートした平塚市美術館さんの企画展「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」と同じ日に、ノエビア銀座ギャラリーさんで開催中の「山本容子のアーティスト図鑑」を観て参りましたので、レポートします。

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会場のノエビア銀座ギャラリーさんは、銀座7丁目。ノエビアさんの本社ビルの1階にあります。当方、一昨年に開催された田沼武能写真展「アトリエの16人」以来でした。他にも常にいい展示をなさっていて、ご案内も戴くのですが、なかなか光太郎智恵子に関わらない場合には足を向ける余裕がなく、申し訳なく思っています。

今回は版画家山本容子さんの作品展で、日本人アーティストの肖像を描いた版画の蔵書票が展示され、案内葉書には智恵子も載っていたため、拝見しに行って参りました。

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入り口のポスターも案内葉書と同様の版でした。ぜ000ひほしいと思ったのですが、言い出せませんでした(笑)。

蔵書票とは、もともと書物の整理のため、蔵書の見返しに貼るラベルです。昔の愛書家はよく使っていました。それが単なるラベルにとどまらず、次第に意匠を凝らしたデザインのものを自分で作ったり、注文して作ってもらったりするようになり、有名な人物の優れたデザインの蔵書票は、それ自体が売買の対象にもなっています。

展示されていた山本さんの作品、その蔵書票の形をとっているので、それぞれ名刺大よりやや大きいかというくらいです。しかしかえってそのサイズに納まっていることで、愛らしさとでもいいましょうか、そういうものを感じました。

「日本人アーティスト」ということでしたが、32名の肖像が展示されていました。内訳は以下の通り。

泉鏡花 種田山頭火 正岡子規 北原白秋 中原中也 立原道造 金子みすゞ 草野心平 長塚節 室生犀星 堀辰雄 佐藤春夫 幸田文 武者小路実篤 円地文子 野上弥生子 井上靖 石川淳 吉田健一 白洲正子 星新一 山口瞳 藤沢周平 開高健 岸田劉生 梅原龍三郎 片岡球子 北大路魯山人 南方熊楠 古今亭志ん生 そして我らが高村智恵子、さらに驚いたことに光太郎もいました(笑)。

それぞれの作品には、キャプション、というよりそれぞれの人物への思いを書いた、山本さんの文章が添えられていました。ご著書に掲載されたものかもしれません。

智恵子に対しては、

まるで生きているようなハサミたち。両手で耳をおさえてゴマを噛んだ時の音をさせて、布をズリズリと切ってゆくたちばさみ。雀の舌をどうやって切るのかしらと不思議に思った握りばさみ。眉毛や鼻毛の一本のかたさを知ることのできる少し先の丸くそりかえった小さなはさみ。フランス料理では、魚のヒレや尾やホネもジョキジョキと今度は先が左に少しまがった大きなハサミで切ってゆく。まだ使っていないのは手術用のはさみ。切れ味をためしてみたい。でも紙を切ったら、切れ味が悪くなるって叱られたのよ。紙のためにはいいのにね。

となっています。晩年、心を病んで入院した南品川のゼームス坂病院にて、ハサミ一丁だけで千数百枚の紙絵を作った智恵子へのオマージュです。

光太郎には、001

眼には残酷なほどの白さを好み、身体中の穴という穴が一瞬縮こまる凍り付いた空気に喜びを感じ、その厳しさの中、新年が冬に始まる不思議に感謝を述べて、その大きすぎる足で雪や氷を踏みつけて踊る。生きている実感。遠くを見る眼の先には、木片の割れる音、土を押し出す指の圧力、筆の先の絵の具の粘力を透かせながら、純粋な魂に祭り上げた女の裸体をぶらさげる。「光」と彫りぬかれた便所の扉、そこからのぞいた風景だけは、穏やかだった。

見事な一篇の詩になっているような気がします。

ご存じない方のために解説しますと、便所の扉云々は、昭和20年(1945)からの7年間、光太郎が暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隣接する便所(光太郎は「月光殿」と名付けました)の壁に彫られた明かり取りのための「光」一字です。これも考えようによっては、彫刻作品といえるのではないかと思います。

ちなみに山本さんの智恵子肖像は平成14年(2002)、光太郎のそれは同15年(2003)の作品だそうです。

他の作品も、それぞれの人物の特徴をよく捉え、リスペクトの中にもシニカルな見方も感じられたり、ユーモラスなところもあってクスリとさせられたり、なかなか見応えがありました。

10月30日までの開催で、入場無料です。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月26日

明治44年(1911)の今日、『読売新聞』に、散文「画家九里四郎君の渡欧を送る」が掲載されました。

九里四郎は、学習院出身の画家。白樺派の一人として、光太郎とも交流がありました。この年から翌年にかけ、ヨーロッパ留学。それに際して光太郎が書いた一文です。

 物は一見するに如くはないが、一見する甲斐ある人と、甲斐なき人とある事は争はれない。スケツチ帖を厚くしに渡欧する人も多い世の中である。九里君が其の前者に属してゐる事は、其の作品を見ても直ちに解る程凄い所がある。

と、九里に賛辞を送っています。

テレビ関連の情報です。

まず、今朝はテレビ朝日系「グッド!モーニング」中の林修氏のコーナーで、光太郎が紹介されました。

ただ、肩すかしを喰らいました。ディレクター氏からの文書によれば、日比谷松本楼さんの「10円カレー」の日であるため、光太郎詩「涙」にからめた内容にする予定でした。しかし、予定は未定にして決定にあらず、10円カレーは紹介されましたが、詩「涙」は紹介されず、「日比谷松本楼は多くの文豪に愛された」というところで光太郎、漱石、太宰が紹介されたにとどまりました。

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このブログで過日ご紹介した際に、「ディレクター氏からの文書には「企画段階であり、放送では内容が変更となる場合がございます。」とありました。そうならないことを祈ります。」と書きましたが、その通りになってしまいました。

出演者の都合なのか(林氏は今日のオンエアでは録画でのご出演でした)、他にニュースが多かったためか、そのありはよくわかりませんが、まあ、しょうがないでしょう。


さて、テレビついでで今後の放映情報です。 

いっしょに歩こう!ふくしま・わがまま!気まま!旅気分 愛か、お笑いか!?初恋カップルIN福島~城下町・二本松の旅

FTV福島テレビ 2015年9月26日(土) 10時30分~11時25分
BSフジ      2015年10月3日(土) 7時~7時55分

たんぽぽ白鳥久美子さんが初めての彼氏・チェリー吉武さんと福島県二本松市を旅するデート企画!高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でラブラブモード全開か!?

たんぽぽ白鳥久美子さんと初めての彼氏・チェリー吉武さん。多忙でなかなかデートができないという白鳥さんのために番組が公開デートを企画! 舞台の福島県二本松市は、県の中部に位置する城下町。 そして・・・高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でもあります。 白鳥さん&チェリーさんの「ラブラブ旅行」を、福島テレビアナウンサーがエスコート。ロマンチックタイム(?)を各所で展開! しかし、お笑い芸人の2人。カメラが回れば、恋より面白さを優先か? そして・・・旅の感想&恋の結論を出す白鳥さん・チェリーさん。 はたして、永遠の愛を誓うのか? それとも、「ずっと居るのは、ちょっと無理!」なのか? チェリー吉武さんの魅力・ギネス記録芸にも迫ります。

出演者 白鳥久美子(たんぽぽ) チェリー吉武  藺草英己(福島テレビアナウンサー)  ナレーション 豊嶋啓亮(福島テレビアナウンサー)


福島テレビさん制作の番組で、福島では明日のオンエアです。ご出演なさる白鳥久美子さんのブログによれば、BSフジさんでも1週間遅れで放映されるとのこと。同じく白鳥さんのブログには、智恵子生家でのスナップ、「ほんとの空」を守るため結成された二本松少年隊とおぼしき写真も載っていました。ちなみに白鳥さんは郡山ご出身だそうです。

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当初、福島でしか放映されないのか……と残念に思っていましたが、BSフジさんでも放映があるようで、安心しました。BSフジさんでは、系列の地方局が制作したものを、土曜の朝に「わがまま!気まま!旅気分」という番組として取り上げているようです。先週はサガテレビさん、明日は東海テレビさん制作のものとなっていました。

また予定変更にならないことを祈っております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月25日

昭和60年(1985)の今日、詩人の更科源蔵が歿しました。

更科は明治37年(1904)、北海道弟子屈の生まれ。アイヌ文化の研究でも有名です。

光太郎は昭和6年(1931)、雑誌『犀』に「更科源蔵詩集「種薯」感想」を寄稿した他(『釧路新聞』に転載)、同18年(1943)には更科の詩集『凍原の歌』の題字を揮毫しています。

また、元々北方志向、自然志向が強かった光太郎は、更科を頼って、何度か北海道移住を計画したりもしました。さらに、戦前にはプロレタリア文学運動や社会主義、無政府主義にも一定の理解を示していた光太郎、昭和3年(1928)には、更科から聴いた話をモチーフに、資本家への怒りを表す「彼は語る」という詩を、草野心平の雑誌『銅鑼』に寄稿しています。

   彼は語る

彼は語る無題
北見の熊は荒いのですなあ
釧路の熊は何もせんのですなあ
かまはんけれや何もせんのですなあ
放牧の馬などを殺すのは
大てい北見から来た熊ですなあ

彼は語る
地震で東京から逃げて来た人達に
何も出来ない高原をあてがつた者があるのですなあ
ジヤガイモを十貫目まいたら
十貫目だけ取れたさうですなあ
草を刈るとあとが生えないといふ
薪にする木の一本もない土地で
幾家族も凍え死んださうですなあ
いい加減に開墾させて置いて
文句をつけて取り上げるさうですなあ

彼は語る
実地にはたらくのは、拓殖移住手引の
地図で見るより骨なのですなあ
彼等にひつかかるとやられるのですなあ

昨日、神奈川県平塚市で、企画展「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」を見て参りましたのでレポートいたします。

会場の平塚市美術館さんは、JR東海道線平塚駅から徒歩20分ほど。なかなか立派な外観でした。入り口には大きなポスターも。

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受付でチケットを購入、企画展会場の2階に上がりました。

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展示会場は2室に分かれており、第1会場が「画家の詩」でした。「画家の詩」といっても、メインは絵画で、それぞれの画家が作った詩がパネルに活字で印刷され、絵画と並べられていたり、画家によっては詩稿などが展示されていたり、といった構成でした。

光太郎と交流の深かった画家も多く取り上げられていました。フユウザン会を一緒に立ち上げた萬鉄五郎、その特異な才能を認め、詩「村山槐多」に詠んだ村山槐多、駒込林町ですぐ近所に住んでいた難波田龍起、主宰した雑誌『雑記帳』に詩を寄稿した松本竣介、智恵子とも顔見知りだった竹久夢二、翻訳『回想のゴツホ』(大正10年=1921)出版に際し、写真を貸してくれた中川一政などなど。

展示室2は、「詩人の絵」でした。入ってすぐに光太郎の油彩画2点が展示されていました。

まず「静物(瓶と果物)」。大正3年(1914)の作です。この年、光太郎が始めた「高村光太郎画会」による作品と推定されています。油絵を購入してもらうための会で、雑誌『我等』(下記画像)、『現代の洋画』に広告を出しています。

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もう一点は、「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)。与謝野夫妻を通じて交流のあった新潟佐渡の歌人、渡辺湖畔の娘で、この年に3歳で夭折した道子の肖像です。この絵に関しては、渡辺湖畔あての書簡でその成立過程がわかります。

又御手帋にて御話の御愛嬢の事につきては 御悲嘆のほど察上候 御写真にて拝見してもいかにも無邪気に見うけられ候 元来写真によりて作る事はまことに苦しきものに候へ共 御言葉により ともかくも油画にて試み可申候 しかし此はとても小生自身満足し得るもの出来難からんと思はれ候 此事は前以てお含み置き被下樣願上候 (大正7年=1918 7月8日)

 あの愛らしいみち子さんの方は 初め木炭でいろいろ素描を試み今早朝の時間を以て八号のカムバスへ油画に致して居ります あの無邪気な晴朗とした面影を捉へたいと念じて居ります
 多分今月末にはとにかく一応お目にかけ得る程になるかと思ひます 其時は画を一旦御送附いたします故 み親としての御考をよく御きかせ下さるよう御願いたします 何しろ一度もお目にかかつた事が無いので甚だ心細く思つて居りますから 御考をきいた上で最後の筆を加へたいと思つて居ります (同 8月23日)

10月には光太郎は佐渡の渡辺家を訪れています。道子の肖像以外にも、渡辺の父・金六の肖像彫刻の依頼も受けていたためです。ただし、この彫刻は完成しませんでした。次は東京に帰ってからの書簡です。

製作上の参考となる事多く満足此上も無く候 此印象の薄れぬうち早速みちこ様の油画をかき上ぐる心筭に有之候 (同 10月12日)

そして12月には絵が完成しました。

 みち子嬢の油画はやつと出来ました 明日荷造りをしてお送りします 丈夫に荷造りいたしませう 此は元来私に到底出来ない仕事でありましたが 御心を汲むととてもお断り出来なかつたので兎に角かき上げましたが 作としては自信はとてもありません 私は写真から製作する事はどうしてもうまくゆかないのです しかし自分に出来るだけの事は尽しました 御覧になつた上お気付きの事がありましたら言つて下さい そしてお送り下されば又筆を入れませう それから此画には私の名を入れません 其は私の良心がゆるしませんから 此事は御承知下さるやう御ねがひします 名は入れませんが無責任にかいたのではありません 此事は御領会下さる事と信じます (同 12月25日)

 昨夜手がみで申上げた油画の荷造を終り今夕関根運送店に托して御送りいたしました故御受取り下さい。荷は「此処カラ開ケル事」と書いてある板をはづして下されば中から画を引き出せる事になつてゐますから箱を壊さずとも出ます。画面に若し木屑等の細末が附着してゐましたら奇麗な筆のやうなもので静かに払つて取つて下さい。まだ十分に乾いていませぬから事によると着いているかも知れません。御取扱に御注意下さるやう願ひます。荷が無事に着くやうにと祈つてゐます。御意見を聞いた上で写真は後にお返し致します。 (同 12月26日)

光太郎の細やかな心遣いが溢れていると思います。

光太郎の作品はこの2点でした。帰りがけに購入した青幻舎さん刊行の図録を兼ねた書籍『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』では、もう一点、大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」も掲載されていましたし、今月初めに平塚市美術館さんに問い合わせた際にはそちらも並ぶ的なお話だったのですが、不出品でした。この企画展自体は来年8月まで全国を巡回しますので、いずれかの会場には並ぶと思います。

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光太郎の他に絵画が展示されていた詩人は以下の通りです。一番右の「展示」という項目で、展示替えや不出品の情報がありますので、ご注意下さい。

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光太郎と交流の深かった詩人では、北原白秋、木下杢太郎、萩原朔太郎、佐藤春夫、宮澤賢治草野心平、中原中也などが挙げられます。

ちなみに上記画像は展示室2の出品目録です。展示室1の目録も兼ねているのだろうと思っていたら、展示室2のみのもので、展示室1のものは入手しませんでした。失敗しました。

同展、平塚市美術館さんでは11月8日(日)まで、その後、下記の予定で全国巡回です。それぞれ近くなりましたらまたご紹介します。

2015年11月17日(火)~12月20日(日)  愛知県碧南市藤井達吉現代美術館
2016年2月13日(土)~3月27日(日)   姫路市立美術館
2016年4月9日(土)~6月12日(日)   栃木足利市立美術館
2016年6月18日(土)~8月7日(日)   北海道立函館美術館


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月24日

平成10年(1998)の今日、筑摩書房から「ちくま文庫」の一冊として、橋本千代吉著『火の車板前帖』が刊行されました。

橋本は、草野心平と同郷。戦後、心平が開いた居酒屋「火の車」で板前を務めていました。同書は心平を巡るとんでもない酔っぱらいたちの記録ですが、「夜の高村光太郎」ということで、光太郎にも言及しています。

元版は文化出版局から昭和51年(1976)にハードカバーで刊行されました。

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福島二本松からのイベント情報です。来月5日が智恵子の命日・「レモンの日」ですので、 それに合わせて智恵子を偲ぶ集いが行われます。

第21回レモン忌

期  日 : 2015年10月4日(日)
時  間 : 9:30 受付開始  15:00 閉会
会  場 : ラポートあだち 二本松市油井字濡石16 0243-23-5250
主  催 : 智恵子の里レモン会
内  容 : 開会セレモニー (献花/献果/光太郎詩朗読 他)
        記念講演  『すぎたま』 金田和枝先生(児童文学者)
        懇親会   特別出演 テルミン奏者 大西ようこさん
会  費 : 3,000円
問い合わせ : 戸田屋商店 0243-23-4858 


記念講演の講師は、二本松在住の児童文学者・金田和枝さん。昭和5年(1930)、東京品川のお生まれで、戦時に疎開で二本松に移り住み、長らく小学校の先生をなさっていた方です。地元福島の出版社・歴史春秋社から『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』『ふくしま女の時代』(共著)などの御著書があります。

平成24年(2012)には、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座’12」でも講師をなさいましたし、「智恵子純愛通り記念碑建立祭」などでもご活躍なさっています。このところ、お体のお加減がよろしくなさそうで、レモン忌はしばらくご欠席でしたが、今年は講師を務められるそうで、何よりです。

ちなみに昨年の第20回レモン忌では僭越ながら当方が記念講演をやらせていただきました。そうしましたところ、今回の第21回レモン忌の案内と共に送られてきた、先月発行の『レモン会報』第23号に、その模様を大きく取り上げて下さいました。

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また、今年4月に十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』や、同じく今年の5月15日、花巻高村山荘で行われた第58回高村祭などについてもご紹介下さっています。

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それから、中村屋サロンを形作った若き芸術家の一人で、彫刻家の鶴田吾郎が記録した同じく彫刻家の中原悌二郎の談話の中に、智恵子が登場するという記事が載っていました。それによれば、太平洋画会研究所のメンバーとして「水母(くらげ)と仇名(あだな)された長沼智恵子」という一節があるそうです。出典は碌山美術館さん刊行の『中原悌二郎集』(昭和63年=1988)だそうです。

智恵子の仇名が「クラゲ」だったというのは当方も存じませんでした。これを読んで思い出したのが、日本女子大学校の先輩で、『青鞜』つながりの平塚らいてうが書き残した智恵子評です。

 どちらが先にテニスをやりだしたか、それは忘れましたが、とにかくこのひとの打ち込む球は、まつたく見かけによらない、はげしい、強い球で、ネットすれすれにとんでくるので悩まされました。あんな内気なひと――まるで骨なしの人形のようなおとなしい、しずかなひとのどこからあれほどの力がでるものか、それがわたくしには不思議なのでした。
(『高村光太郎と智恵子』 筑摩書房 昭和34年=1959収録、「高村智恵子さんの印象」より)

「クラゲ」と「骨なしの人形」、似ていると思いませんか?

いずれご紹介しますが、他にも有名どころでは、竹久夢二や熊谷守一の文章にも、ちらっと智恵子が現れる箇所があります。

さて、レモン忌に話を戻しますが、講演の後の懇親会では、テルミン奏者の大西ようこさんが演奏を披露して下さいます。そこに昨日もご紹介したモンデンモモさんが加わってのスペシャルコラボ。楽しみです。大西さんは、昨年、ユニット「Prhymx(ぷらイム)」として「もうひとつの智恵子抄」、ユニット「otoyomi」として「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」というコンサートをそれぞれ開催され、今年の第59回連翹忌でも演奏して下さいました。大西さんのブログによれば、昨年のコンサートで演奏された清道洋一氏作曲の「智恵子抄」を再演、とのことです。

こうして人の輪が広がって行く状況、実に喜ばしいことだと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月23日

昭和29年(1954)の今日、日記で第五福竜丸事件について言及しました。

「第五福竜丸」は、遠洋マグロ漁船。この年3月1日に、ビキニ環礁での米軍による水爆実験に巻き込まれ、乗組員22名が被曝、約半年後のこの日に、無線長の久保山愛吉が再生不良性貧血のため亡くなりました。遺言は「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」、享年40歳の若さでした。

さて、光太郎日記。

晴、暑、風なし、 午后岡本先生くる、診察、血圧をはかる、二度はかりしが、115度くらゐとの事、かなり低し、今夕死んだ水爆患者、久保山氏は85度とのこと、 平熱、 コーンビーフののこりにて夕食、 <便

久保山氏の死去は、広島・長崎につぐ第三の被曝死者ということで、当時はショッキングに報道されました。まさしく「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」、その通りですね。

ちなみにコーンビーフは前日に当会顧問の北川太一先生が送り届けたものです。

気がつけば9月も下旬です。少しずつ10月に行われるイベントの情報をお伝えします。

まずは「智恵子抄」をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲をつけて唄われている、シャンソン系歌手のモンデンモモさん情報。 2日続けての東北ツアーだそうで、1日目は秋田県鹿角市、2日目は福島県二本松市。ともに昔の酒蔵を使って行うそうです

モンデンモモ日本を歌う!

期  日 : 2015年10月2日(金)
時  間 : 18:30~
会  場 : 旧関善酒店 特設ステージ 秋田県鹿角市花輪字上花輪85 0186(23)7799
料  金 : 2,000円
曲  目 : 
 ふるさと 赤とんぼ 月の砂漠 小さい秋見つけた 紅葉 海ゆかば
 
カチューシャ 小さな喫茶店 一杯のコーヒーから 影を慕いて リンゴの唄
 高村光太郎  あどけない話 レモン哀歌 樹下の二人 千鳥と遊ぶ智恵子 道程
 宮澤賢治  雨ニモマケズ  石川啄木 一握の砂より  与謝野鉄幹 人恋ふる歌
 与謝野晶子 みだれ髪 君死に給ふことなかれ そぞろごと 黄金の釘 われも雛罌粟
 北原白秋 からたちの花  島村抱月 カチューシャの歌
 モンデンモモオリジナル 出逢いと旅立ち花輪線    他 
伴  奏 : たしまみちを (ギター)

モンデンモモ智恵子抄を歌う!

期  日 : 2015年10月3日(土)
時  間 : 15:00~ 昼の部 モンデンモモの智恵子抄モノドラマ
        18:30~ 夜の部 モンデンモモ日本の歌アラカルト
会  場 : 鐵扇屋酒蔵 福島県二本松市油井字八軒町45 0243(22)1322
料  金 : 昼夜各2,000円 通しで3,000円
曲  目 :
 
高村光太郎 あどけない話 レモン哀歌 樹下の二人 千鳥と遊ぶ智恵子 道程 案内 他
 ふるさと 赤とんぼ 月の砂漠 小さい秋見つけた 紅葉 海ゆかば
 カチューシャ 小さな喫茶店 一杯のコーヒーから 影を慕いて リンゴの唄
 宮澤賢治  雨ニモマケズ  石川啄木 一握の砂より  与謝野鉄幹 人恋ふる歌
 与謝野晶子 みだれ髪 君死に給ふことなかれ そぞろごと 黄金の釘 われも雛罌粟
 北原白秋 からたちの花  島村抱月 カチューシャの歌
 モンデンモモオリジナル 出逢いと旅立ち花輪線    他 
伴  奏 : たしまみちを (ギター)

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二本松会場の鐵扇屋さんというのは、智恵子生家・智恵子記念館のすぐ近くです。

モモさん、さらに翌日の10/4(日)には、やはり二本松で開催される智恵子命日「レモン忌」の集いにもご参加なさるとのことでした。「レモン忌」については明日、詳細情報を出します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月22日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋を、『サン写真新聞』の取材で、写真家の阿部徹雄が訪問しました。

この際の訪問記は翌月の同誌に発表され、光太郎談話も掲載されました。また、平成22年(2010)、この際に撮られた13枚の写真と阿部宛の書簡4通が阿部の遺品の中から見つかりました。書簡は当方編集の「光太郎遺珠」に掲載させていただきましたし、写真は花巻高村山荘で大きく伸ばしたものを展示させていただいています。

一昨日、いわき市での現代アート展「毒山凡太朗+キュンチョメ展覧会「今日もきこえる」」を拝見したあと、同じ福島県の本宮市へと愛車を走らせました。こちらでは「第3回カナリヤ映画祭」が開催されており、それが目的でした。

過日もご紹介しましたが、メインは本宮市で撮影された映画「こころの山脈」の上映です。昭和41年(1966)、東宝配給、吉村公三郎監督、山岡久乃さん主演で、光太郎詩「樹下の二人」の一節、「あれが阿多多羅山 あのひかるのが阿武隈川」が使われているため、以前から観たいと思っていた作品でした。

いわきから常磐道、磐越道、東北道と乗り継ぎ、本宮には早めに到着してしまいました。そこで会場のサンライズ本宮に車を駐め、周辺を散策。本宮は戦時中、現在も続く衣料品メーカーのグンゼさんの工場に空襲があって亡くなった方もいらしたそうですが(ちなみに東京の光太郎アトリエが全焼した前日の4月12日だそうです)、市街地は無事だったらしく、今にも光太郎智恵子がひょっこり出て来そうな建物がたくさんありました。昔ながらの造り酒屋(智恵子の生家を彷彿させられました)、銭湯、旧農協さんの倉庫など。

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安達太良山も雄大にそびえています。山頂部分に雲がかかっていて、「乳首」が見えなかったのが残念でしたが。その代わり、「ほんとの空」は青く美しく高く澄んでいました。

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そうこうしているうちに、午後3時近くになりましたので、JR東北本線の本宮駅へ。映画上映は5時からですが、その前に参加者は本宮駅前に集合、やはり市街を散策するとのことでした。

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本宮市は福島県のほぼ中央に位置するとのことで、ロータリーにはこんな碑がありました。

また、歌手の故・伊藤久男氏が本宮出身ということで、胸像と、代表作「イヨマンテの夜」の碑もありました。

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三々五々、参会者が集まってきました。地元の高校の放送部員の皆さんがインタビューを撮影したりもしていました。


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午後3時となり、出発。まずは上記画像にもある造り酒屋を見学、さらに、本宮映画劇場というところにいきました。大正時代に建てられた映画館で、通常の興業は行っていませんが、今もイベント等で上映を行う場合もあるとのことでした。

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館内外には、これでもかとレトロなアイテムが溢れていました。映画ファンにはたまらないのではないでしょうか。

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この日は往時のニュース映画や、一般公開作品の予告編などを上映して下さいました。

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その後、館をあとにし、阿武隈河畔を歩いてカナリヤ映画祭会場のサンライズ本宮に向かいました。

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この日は午後5時から「こころ000の山脈」のメーキングフィルム、そして「こころの山脈」の上映、次の日は朝から夕方まで、福島に関連のある映画作品などの上映というスケジュールでした。当方、初日だけの参加でしたが、2日目には木下恵介監督作品「陸軍」(昭和19年=1944、笠智衆・田中絹代)、本宮記録映画「わが町’78」(昭和53年=1978)、昨年公開された「物置のピアノ」(芳根京子さん主演)、一般公募作品、さらに初日と同じ「こころの山脈」のメーキングフィルム、そして「こころの山脈」の上映と、盛りだくさんでした。

ところで、なぜ「こころの山脈」がこれほど大きく扱われているかというと、「本宮方式」とまで命名された制作方法で作られ、本宮の皆さんには忘れられない映画だからだそうです。

元々、本宮では上記の本宮映画劇場の協力のもと、小学生が授業の一環として映画を鑑賞、感想文や感想画を書くといった取り組みがなされていました。これを「本宮映画教室」と称したそうです。戴いた資料によれば、昭和32年(1957)から同39年(1964)までに、実に173本もの映画が「本宮映画教室」で上映されていました。下記が上映作品の一覧です。

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ところが、子供たちに安心して見せられる良質な映画がどんどん少なくなっていき、それならば、と本宮の皆さんが自分たちで映画を作ろうと思い立って作られたのが「こころの山脈」というわけです。

資金はカンパで集め、ロケは本宮で、しかし、吉村公三郎監督はじめ撮影スタッフはきちんとプロに依頼、俳優陣も中心となる役の人達(山岡久乃、宇野重吉、吉行和子、奈良岡朋子、殿山泰司他)はプロ、ただし子役や大人でもちょい役の人々は地元の皆さんという制作方法でした。配給も東宝さんが引き受けてくれたそうです。

ストーリーは、山岡久乃さん演じる主人公の主婦が産休補助教員として3ヶ月だけ小学校に赴任、家庭の愛情に飢え非行少年になりかけていた4年生の児童をはじめとする周囲の人々との交流を描いたもので、エロもグロもバイオレンスもない非常に良心的な作りです。

特異な制作方式と云うことで、公開前にはかなり注目されたのですが、残念ながら興行的には成功をおさめることはできませんでした。当時の評論等を読むと、こういった良心的な映画が当たらないのは嘆かわしい的な発言も見られますが、テレビの普及により映画自体が斜陽化し、生き残りをかけてエロやグロやバイオレンスを前面に打ち出す映画が主流だった時代、それも仕方がなかったと思います。特に興行主である全国の映画館が扱いたがらなかったそうです。

さて、実際に初めて「こころの山脈」を観て、ほんとうに良心的でいい映画だと思いました。シナリオの載った書籍を持っているので、内容は知っていましたが、演出上のちょっとした動きなどはシナリオには書かれていませんし、やはり映像で実際の作品を観るのとでは大違いでした。ただ、やはり興行的に当たらなかったというのもうなずけました。「娯楽」を求める大衆には地味すぎて不向きでしょう。しかし、こういう良心的な作品を作るその意気は買いたいと思いますし、こういう灯を消してしまってはいけないと思いました。

ところで、他にも光太郎智恵子のからむ映画や演劇001などは、それなりにたくさん作られています。それらのパンフレット、チラシ、ポスターなどの類も古書店やネットなどでぽつぽつ売りに出されており、見つけるとついつい購入してしまいます。平成23年(2011)に群馬県立土屋文明記念文学館さんで開催された企画展「『智恵子抄』という詩集」の際には、その中の何点かをお貸しし、好評だったそうです。

「こころの山脈」関連もぽつぽつ入手しており、今回、会場にお持ちしました。というのも、「カナリヤ映画祭」のチラシに「こころの山脈」資料の展示もされている旨書いてあり、当方手持ちの資料が並んでいなければ併せてみていただこうと思ったためです。

するとズバリでした。当方のお持ちしたポスター3種類のうちの2種類は主催の「本宮の映画文化を継承する会」さんでも入手できておらず、喜ばれました。他にもチラシ、当時の『キネマ旬報』などをお持ちしました。

「本宮の映画文化を継承する会」さん所蔵の資料にもいろいろ珍しいものがあり、興味深く拝見しました。スチール写真、撮影風景のスナップ、当時の新聞等の切り抜き、実際に使われたシナリオ等々。


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ところで、主演の山岡久乃さんは、平成11年(1999)に惜しまれつつ亡くなりましたが、その晩年、「こころの山脈」に出演した町民の皆さんが再び立ち上がって制作された映画「秋桜」(平成9年=1997、小田茜さん主演)に、ほとんど手弁当でご出演され、当時の子役の皆さんと旧交を温めたそうです。泣かせるエピソードです。

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「カナリヤ映画祭」、主催の「本宮の映画文化を継承する会」さんがNPO法人化し、来年以降も続けていくとのことです。ぜひ足をお運びください。

最後に当日の『朝日新聞』さん福島版の記事をご紹介します。

福島)「映画教室」再び 銀幕の街・本宮復活へ始動

 「映画は教育そのもの」という信念を持つ人たちがいる。本宮町(現本宮市)の母親たちが子どもに映画を通して学ばせたいと制作費をカンパした「こころの山脈」(山岡久乃出演)が自主制作から50周年を迎えた。今、当時の小学生が映画で再び本宮市を元気にしたいと動き出している。彼らはある「教室」の卒業生でもあった。
 活動を本格始動させたのは「本宮の映画文化を継承する会」代表の本田裕之さん(59)ら。8月末に会をNPO法人化し、今年で3年目となる映画祭では、ロケ地や映画館などを歩くツアーを設定。今後は映画教育についてのシンポジウムも開催したいという。
 「もともと銀幕の街なんです」と本田さんは話す。
 現存する「本宮映画劇場」(旧本宮座)は1914(大正3)年開館。25年ごろには、「花の本宮」という当時の街並みを映した記録映画が制作され、映画を中心に街は活気づいていたという。
 56年、全国の映画関係者から注目を浴びる取り組みが始まる。当時、大流行していた「太陽の季節」(石原裕次郎出演)が描く無軌道な青年像を心配した母親たちが立ち上がったのだ。
 毎月、母親や教師が選んだ映画が近くの劇場で特別上映され、全校生徒が授業の一環として鑑賞する。57年からの7年間で168本が上映され、いつしか「本宮方式映画教室」と呼ばれるようになった。
 その中で、映画を作ろうという動きが活発化。町民のカンパで完成したのが「こころの山脈」だった。産休補助教員と生徒の心のつながりを描いた作品で、子役は本宮の小学生が演じた。
 本田さんも出演した一人。「冬なのに、夏の設定だから半ズボンはいてこいって言われました」と笑う。今でも近所の人や同級生が集まると、その話に花が咲く。「映画教室は本宮の共通の記憶なんです。銀幕の街本宮を復活させたいですね」
 今年の映画祭は、19日、20日にサンライズもとみやで開かれる。「こころの山脈」のほか、本宮町が制作した記録映画なども上映される。入場無料。問い合わせは継承する会(0243・34・2175)。(江戸川夏樹)


さらに「福島みんなのNEWS」というサイトも当日のレポートが載っています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月21日

大正2年(1913)の今日、『東京日日新聞』で、光太郎がカフェ「メイゾン鴻乃巣」のメニューの挿画を担当したことが報じられました。

メイゾン鴻乃巣」は「パンの会」会場としても使われたカフェ。メニューは木版で作られ、彫りは伊上凡骨が担当したそうです。

画像を含め、現物を拝見したことがありません。どこかに残っていないものでしょうか……。

昨日は福島県に行っておりました。

まずは、いわき市で開催中の現代アート展「毒山凡太朗+キュンチョメ展覧会「今日も きこえる」 」を拝見。過日もご紹介しましたが、福島第一原発の事故を受け、「ほんとの空」を求めてやまなかった智恵子へのオマージュといった意味合いもある展覧会です。

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会場はいわき市中心街にあるワタナベ時計店。雑居ビル的な建物で、1階が時計店、2階は居酒屋、そして3階のスペースを使って開催されていました。

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外階段を通って2階に上がると、扉。どうもこの扉も、この展覧会のために特設されているようです。

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扉を開けると内部はほぼ暗黒。頭上では実物大と思われる赤信号が点滅していました。「お化け屋敷かぁ?」と突っ込みを入れたくなりましたが、外界との隔たりを表し、ここが「異空間」であることの演出という意味では効果的かと思いました。さらに階段が続き、3階のメインスペースにつながっています。

会場も基本的に暗黒の空間です。まずその中に大型のスクリーンが2基並んでいて、プロジェクタから映像が投影されていました。毒山さんの「1/150」、キュンチョメさんの「DO NOT ENTER」。

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打ち上げられたイルカの死骸、海に向かって「立ち入り禁止」の黄色いテープを貼ろうとする少女。プロジェクタのある意味頼りない光源によって映し出される映像であるせいで、より幻想的な雰囲気が感じられます。これが大型液晶テレビの画像だったりすると、鮮明すぎる映像になって、却って逆効果のような気がしました。

スクリーンの背後のブースでは、キュンチョメさんの「ウソをつくった話」が上映されていました。この題名も光太郎の散文「木彫ウソを作った時」(昭和11年=1936)からのインスパイアではないかと思います。

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このバリケードを、画面上でどんどん消して行くというものですが、画面下部には、テロップで、仮設住宅住民の方との会話が表示されます。

ブースのサイドには、毒山さんの「あっち」という小品が2点。これもおそらく仮設住宅の住民の方が、奇怪な面を被って彼方を指さしている写真です。

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ちなみに今月の時点で、岩手、宮城、福島3県でいまだ仮設住宅などで暮らしているという方は、14万人を超えています。全国で「避難生活」を送っている人の総数は約20万人でした。福島では今年3月の統計では県外避難者が5万人近くだそうです。

「ウソを作った話」の裏側では、「WAKE UP!」。こちらも映像作品です。

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さらに一番奥の大きな壁一面に、毒山さんの「千年たっても」。

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智恵子の故郷・二本松にそびえる安達太良山の、山頂付近にある「この上の空がほんとの空です」と刻まれた木柱。降りしきる雨の中、その前に立つ男性(毒山さん?)。「ここにほんとの空がある」的なことを、ひたすら叫び続けています。

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ちなみに「千年たっても」というタイトルは、光太郎の詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」中の「立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。」(昭和29年=1954)から採られたそうです。

この男性がほぼ等身大に投影されていますので、本当に雨の中、安達太良山頂付近にいるような錯覚を感じました。

どの作品もかなりのインパクトでした。


拝見し終わって、外に出ました。闇に慣れた眼に、秋晴れの街は異様に明るく、人々は何事もなかったかのように笑み交わしながら歩いています。ふと、会場外のこちらの方が「異空間」なのでは、という感覚に襲われました。そこまで計算されていたとすると、すごいことですね。

階段の下で、入場前にパンフレットを渡して下さった美女お二人がいらしたので、お話を伺いました。そうなのでは、と思っていましたが、やはりお二人のうちのおひとかたが、キュンチョメさんのお一人でした(キュンチョメさんは男女二人組のユニットで、男性の方は会場内にいらっしゃいました)。やがて毒山さんもいらっしゃいました。

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毒山さんは田村市のご出身……というのは観に来る前にネットで情報を得ていましたが、なんとなんと、お話を伺うと、二本松にも住んでいらしたことがおありだそうで、小学校は智恵子の母校・油井小学校――つまりは智恵子の後輩だそうで、驚きました。ちょうど1年前に、同校にてゲストティーチャー坂本富江さんのアシスタントで特別授業をやったことを思い出しました。

毒山さん、展覧会の案内では「どうしようもない故郷」的な発言をなさっていましたが、作品を観ている最中に、すでにそれは反語表現だな、と気付いていました。やはり実際にお話を伺ってみて、故郷への溢れる愛情、そして何とかしなければならない、というお気持ちがひしひしと感じられました。

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「毒山凡太朗+キュンチョメ展覧会「今日も きこえる」」、明後日までの開催です。ぜひ足をお運び下さい。


当方、いわき市をあとに、次なる目的地、本宮市へと向かいました。続きは明日。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月20日

昭和61年(1986)の今日、『地域雑誌 谷中根津千駄木』其の九に「特集 高村家の人々」が掲載されました。

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当会顧問・北川太一先生のご紹介と合わせ、12ページです。

同誌は『『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくること』『「谷根千」地図で時間旅行』などを書かれた森まゆみさんの編集でした。今は広く使われている「谷根千」の語もこの雑誌から生まれました。

雑誌としては当方が唯一定期購読している月刊『日本古書通信』の今月号が届きました。

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先月号まで、廣畑研二氏による光太郎に関わる連載記事「幻の詩誌『南方詩人』目次細目」が掲載されていましたが、今月号には過日このブログでご紹介した『多田不二来簡集』に関する記事が載っています。著者は同誌編集長の樽見博氏です。

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光太郎宛書簡に関する記述もありました。曰く、

 光太郎の大正六年四月十四日夕の葉書は、不二が川俣馨一主宰の俳句雑誌「常盤木」に書いた「詩壇偶評」と光太郎宛の「懇ろな御手紙」への礼状で光太郎全集に収録されているが、その「懇ろな御手紙」の下書きが多田家に残されており、今回その全文と写真が参考として収録されている。犀星への強い信頼感など「感情」同人への思いが語られた興味深い長文の手紙だ。「常盤木」への「詩壇偶評」は著作集には収められていないようだが、大正詩史にとって時期的にも重要な文献ではないだろうか。

手紙は往復が基本ですから、片方からのものばかり読んでも解らない部分があります。そういう意味では「往」と「復」の両方が読めるというのはありがたいですね。

それにしても、『多田不二来簡集』、樽見氏は次のように評されています。

「ここに集められた書簡の多くは未発表のものであり文学史的にも大きな意味を持つが、商業的には極めて出版の困難なものであるだけに、多田曄代さん(編者・多田不二息女)の功績は大きい。」「本書に収められた書簡から示唆される問題は多い筈である。」「意義深い刊行であると思う。」

商業的には極めて出版の困難」だけれど、「意義深い刊行」である書籍に対し、その意気や良しと、エールが送られています。そのとおりですね。

そしてそういう刊行物に対して紙面を割いてエールを送る『日本古書通信』さんの意気もまた良し、と思います。



【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月19日

昭和29年(1954)の今日、終焉の地・中野のアトリエを、作家の武田麟太郎未亡人と子息らが訪問しました。

当日の日記の一節です。

午后「好きな場所」の武田未亡人、子息さん、そこの女給さんと三人くる。梨をもらふ、ビールを出す、

「好きな場所」は昭和14年(1939)に書かれた武田の短編小説の題名です。同16年(1941)刊行の短編集「雪の話」に収められました。

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この中で武田は、「彫刻家としても知られてるある高名な詩人」として、光太郎に関する噂話を書いています。

場所は東京三河島のとんかつ屋「東方亭」。戦前から戦時中にかけ、さらには十和田湖畔の裸婦像(通称・乙女の像)制作のため再上京してからも、光太郎がひいきにしていた店です。店の長女、明子さんはのちに戦後の混乱期に苦学の末、医師となり、のちに光太郎は、彼女をモチーフにした詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)を作ったりしています。

どこまで真実かわかりませんが、ここで光太郎は正体を隠し、火葬場の職員と名乗っていたとのこと。さらに東方亭の近くにある別の飲み屋での話として、武田はこう書いています。

ここでも、隠亡爺さんの噂を聞いてゐる。そんな仇名で呼ばれてゐる客が、しよつちゆう来ると云ふので、人相を照し合してみると、まさしく我が老詩人なんだ。へえ、こんな汚いうちへも来るのかいと、大袈裟に首を振る私に、毎晩、おそくなつてから幽霊みたいに入つて来るわと返事するのは、横を向いて煙草をふかす色の黒い女だ。ねえ、あの人はねえ、自分の死んだお神さんも自分で焼いたんだつて、でも、自分を焼く時は、自分で取扱へないのが残念だつて云つてるわ、さう滑稽さうに笑つて、別の小さな出つ歯の女がつけ加へる。ふいに、私は涙を流してゐるんだ。詩人が若い頃、その詩に情熱を持つて幾度も読みあげた夫人が、永い病気の果てに、先日死んで行かれた。それを知つてた私は、突然のやうに、氏の気持の中へ飛び込めたと妄想したのにちがひない。

智恵子が亡くなったのは「好きな場所」の書かれた前年、昭和13年(1938)のことでした。

ところで武田は、「彫刻家としても知られてるある高名な詩人」「老詩人」とぼかして書いていますが、同書の挿絵はもろに光太郎の顔です(笑)。

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武田未亡人のとめは、光太郎再上京後、たびたび中野のアトリエを訪れています。光太郎日記には「「好きな場所」マダム」とも記されており、どうも「好きな場所」という名の酒場を経営していたのではないかと思われます。武田本人は戦後すぐ、粗悪な密造酒を飲んだため亡くなっています。

昨日ご紹介したNHK Eテレさんの「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」同様、当方がちょっとだけお手伝いさせていただいたテレビ番組の情報です。  

グッド!モーニング

テレビ朝日 2015年9月25日(金) 4時55分~8時00分

テレビ・新聞・ネットの情報をまとめてお届け。もっと知りたいニュースをわかりやすく解説。天気や言葉のクイズに答えてプレゼントが当たる。「快適な朝」をお届けします。.

◇番組内容
視聴者に快適な朝をお届けする『グッド!モーニング』。テレビ・新聞・ネットからきょう話題になる情報をキャッチ!わかりやすい解説でニュースをチャージ!「ことば検定」「お天気検定」に参加しプレゼントをゲットしよう。林先生の「金曜言葉塾」で思わず「へぇ」と。Oggiスタイリストによる女子アナ衣装も出勤の参考に。

◇出演者
坪井直樹、松尾由美子、宇賀なつみ、依田司、山本里菜、林修、一色清


グッド!モーニング」はテレビ朝日さんで放映中の朝のニュース・情報番組です。

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その中で、毎週金曜日、「今でしょ」で知られる予備校の東進ハイスクール講師、林修氏による「林修の金曜言葉塾」というコーナーがあります。7時25分過ぎからCMをはさんで10分ちょっとの枠です。下記は今朝のオンエアから。


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おおむね、放映日前後の「○○の日」に合わせ、「○○」に関する文学作品や言葉などについての短い講義を林氏が行う、というコンセプトです。今朝のオンエアでは明日が「苗字の日」だそうで、苗字についてのお話でした。難読苗字、苗字の成り立ち、「姓」「名字」「苗字」の違いなど、「へぇ」と思わせるものでした。

さて、来週25日のオンエアで、光太郎が取り上げられます。

9月25日は、毎年、日比谷公園内のレストラン、日比谷松本楼さんで「10円カレーチャリティー」というイベントを行っています。こちらはユニセフさんとのタイアップで、午前11:00~、松本楼さんの看板メニューの一つであるカレーを先着1,500名に10円で振る舞い、代わりに募金をして貰うというものです。

日比谷松本楼さんといえば、当会の主催、毎年4月2日の光太郎忌日・連翹忌会場です。光太郎ゆかりのお店というわけで、平成11年(1999)から使わせていただいています。

日比谷松本楼さんと光太郎のつながりは、主に二つ。

まずは明治42年(1909)、欧米留学から帰国した年ですが、10月23日に日比谷松本楼さんで開催された「パンの会」大会の発起人に名を連ねています。

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パンの会」はフランスのカフェ芸術運動に倣って始まったもので、文芸誌『スバル』、美術雑誌『方寸』などに依っていた文学者、美術家、さらには演劇界などからも参加者があり、若き芸術家達が大いに気焔をあげた集まりでした。通常の会と、案内状まで発行された大会の二種があり、日比谷松本楼さんでも大会が一度開かれています。


それからもう一点、大正元年(1912)発表の詩「涙」です。

    涙

 世は今、いみじき事に悩み
 人は日比谷に近く夜ごとに集ひ泣けり004
 われら心の底に涙を満たして
 さりげなく笑みかはし
 松本楼の庭前に氷菓を味へば
 人はみな、いみじき事の噂に眉をひそめ
 かすかに耳なれたる鈴の音す
 われら僅かに語り
 痛く、するどく、つよく、是非なき
 夏の夜の氷菓のこころを嘆き
 つめたき銀器をみつめて
 君の小さき扇をわれ奪へり
 君は暗き路傍に立ちてすすり泣き
 われは物言はむとして物言はず
 路ゆく人はわれらを見て
 かのいみじき事に祈りするものとなせり
 あはれ、あはれ
 これもまた或るいみじき歎きの為めなれば
 よしや姿は艶に過ぎたりとも
 人よ、われらが涙をゆるしたまへ

「われら」は結婚前の光太郎と智恵子です。「いみじき事」は明治天皇の危篤。人々が天皇の平癒祈願のため皇居周辺に集まって「涙」を流している中、自分たち二人は自分たちの恋愛問題で「涙」を流している、という構図です。

来週オンエアの「林修の金曜言葉塾」では、この詩が取り上げられます。内容の確認で、少しだけお手伝いをさせていただきました。ただ、ディレクター氏からの文書には「企画段階であり、放送では内容が変更となる場合がございます。」とありました。そうならないことを祈ります。

時折、日比谷松本楼さんがテレビ等で取り上げられる場合に、やはりこの詩が紹介されます。テレビ東京系のBSジャパンさんでは、平成24年(2012)に「小林麻耶の本に会いたい」という番組で、山田五郎さんによるこの詩のレクチャーがありました。

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ちなみに日比谷松本楼さんの「10円カレーチャリティー」、前日から泊まり込みで並ばれる方もいるそうです。このカレーも、もしかすると光太郎智恵子が口にしたかも知れません。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月18日

昭和4年(1929)の今日、改造社から『現代日本文学全集 第三十八編 現代短歌集 現代俳句集』が刊行されました。

光太郎も自選短歌44首を寄せています。

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少しだけ当方の関わったテレビ番組とそれに伴う出版物についてご紹介します。

まず、出版物

NHKテレビテキスト 趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門

2015年9月25日 NHK出版 定価1,000円+税 講師:石川九楊

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NHK Eテレ(旧教育テレビ)さんで放映されている生涯学習系の番組「趣味どきっ!」の来月からのテキストです。番組内容に関しては、まだNHKさんのサイトにアップされていませんが、先行して発売されるテキストの販売情報があちこちのサイトに出ていますのでご紹介してしまいます。

「趣味どきっ!」はNHK Eテレさんで月曜から水曜の午後9:30~9:55のオンエア(昼間にはNHK総合さんも含め再放送・再々放送もなされています)で、曜日ごとに異なるテーマの講座(おおむね全9回)が放映されています。現在の内容は月曜が「チーム芹澤に学ぶゴルフ 90切りへの近道」(講師:芹澤信雄)、火曜に「一声入魂!アニメ声優塾」(塾長:中川翔子)、水曜で「ボールペンだけで描ける!簡単&かわいいイラスト」(講師:坂本奈緒/カモ 2014年6月~7月に「趣味Do楽」で放送した番組の再放送)となっています。

10月からのラインナップは、月曜に「スマホで簡単!動画のプレゼント」(田代光輝 講師)、火曜が「女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」、水曜の「ニコライ・バーグマンが贈る 北欧スタイル 花のある暮らし」となるそうです。

その火曜放送の「女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」で、光太郎智恵子が扱われます。全8回の放送で、1回ごとに異なる歴史上の男女ペア(夫婦だったり、師弟、兄妹だったりです)を取り上げ、書家の石川九楊氏の指導のもと、女優の羽田美智子さんがその人々の作品の臨書に挑戦、さらにはゆかりの地の探訪などもあるという構成だとのことです。ラインナップは以下の通り。

 10/6  聖武天皇×光明皇后
 10/13 与謝野晶子×与謝野鉄幹
 10/20 細川ガラシャ×細川忠興
 10/27 大田垣蓮月×富岡鉄斎
 11/3  高村光太郎×高村智恵子
 11/10 良寛×貞心尼
 11/17 岡本太郎×岡本かの子
 11/24 宮沢賢治×宮沢トシ

光太郎智恵子の回は、先日、光太郎が昭和20年(1945)~同27年(1952)までを過ごした花巻郊外の山小屋(高村山荘)、隣接する高村光太郎記念館でロケが行われました。同じ花巻ということで、宮澤賢治の回のロケも前後して行われたそうです。

また折を見てご紹介しますが、石川氏は複数のご著書の中で光太郎の書を繰り返し激賞なさっていますし、書道雑誌で、当会顧問・北川太一先生や故・吉本隆明氏らと光太郎書をメインにした対談をなさったりしています。今回も記念館所蔵の光太郎の書を食い入るように見つめ、予定時間を大幅にオーバーしたとのことでした。番組ではさらに智恵子の書も紹介されます。

羽田美智子さんの臨書は、記念館所蔵の光太郎書から。あまり詳しくご紹介するとネタバレになりますので、あとは観てのお楽しみです。

さて、冒頭にご紹介したテキスト、9/25発売ですが、すでにAmazonその他の通販サイトなどで予約販売受付が始まっています。「ゆかりの地を訪ねて」ということで、光太郎智恵子に関しては、花巻の高村山荘・高村光太郎記念館、さらに福島二本松の智恵子生家・智恵子記念館が紹介されています。校正、番組で紹介される内容の確認等で少しだけお手伝いさせていただきましたので、当方の名前も協力、ということで載せて下さっているそうです。ぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月17日

大正10年(1921)の今日、麹町の与謝野家で、雑誌『明星』の復刊相談会に参加しました。

雑誌『明星』は、最初、明治33年(1900)~同41年(1908)まで、与謝野夫妻の新詩社から刊行されていました。安全保障関連法案がらみでまた脚光を浴びている与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は、明治37年(1904)の同誌に発表されたものです。光太郎の本格的な文学活動もこの『明星』から始まりました。その後、『スバル』がその後継誌の役割を担いましたが、そちらも大正2年(1913)に廃刊となっていました。

そして『明星』復刊の機運が盛り上がり、光太郎、永井荷風、石井柏亭、平野万里らが参加、後には森鷗外も顧問格で編集会議に加わります。11月には復刊第1号が刊行、光太郎は長詩「雨にうたるるカテドラル」を寄稿しました。その後も光太郎は昭和2年(1927)の終刊まで、毎号のように詩、翻訳、短歌、随筆、さらには絵画も発表しています。

文学史的には、第一次『明星』より見るべき所は少ないといわれる第二次『明星』ですが、こと光太郎に関しては、人生の円熟期にさしかかり、智恵子も健康で、貧しいながらも平穏な生活を送っていた時期、珠玉の作品群の発表の場となりました。

今朝の新聞各紙に、女優の宝生あやこさんの訃報が出ました。 

俳優の宝生あやこさん死去

 宝生あやこさん(ほうしょう・あやこ=俳優、本名八田絢子〈はった・あやこ〉)が8日、老衰で死去、97歳。葬儀は近親者で営まれた。喪主はめい三浦彩子(つやこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。
 54年に夫で劇作家の八田尚之さんと劇団手織座を創立。舞台を中心に活躍した。主な出演作品に「愛しきは」「泥の子」など。84年に紫綬褒章を受章。
(『朝日新聞』)

宝生さんは、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督)で、智恵子の母・長沼センの役でご出演なさっていました(劇中の役名は「長沼やす」)。

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画像はスチール写真で、左から智恵子役の岩下志麻さん、光太郎役で故・丹波哲郎さん、智恵子の母に扮する宝生さん、智恵子の弟・啓助(劇中での役名は「健次」、俳優さんのお名前がわかりません)。

そのシーンのシナリオがこちらです。

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結婚後初めて二本松の実家を二人で訪れたというシーンです。このシーン以外にも、宝生さんは、長沼家の破産・離散後、心を病んだ智恵子を九十九里浜に引き取るために千駄木林町のアトリエを訪れるシーン、そして九十九里浜でのシーンなどにご出演なさっていました。

この松竹版「智恵子抄」、時折、各地で上映されており、当方も一度観たことがありますが、DVDソフト等が販売されていません。ぜひ発売を希望します。

ところで宝生さんのご冥福をつつしんでお祈りいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月16日

昭和27年(1952)の今日、『読売新聞』に「八年ぶり山を下る高村光太郎氏 畢生の大作『裸婦』 制作意欲に燃えて上京」という記事が載りました。

十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、翌月に花巻郊外太田村の山小屋から上京することを報じた記事でした。

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「瀧の流れと同じ気持」と題する光太郎の談話も掲載されました。

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光太郎の父にして明治彫刻界の頂点に立った高村光雲関連の情報です。 

近代の工芸と彫刻 -館蔵品より小品を中心に-

会  場 : 耕三寺博物館(潮聲山耕三寺内) 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
時  間 : 9:00~17:00 年中無休
料  金 : 一般 1,200円(1,000円)  高校生700円(500円) ( )内は団体料金 中学生以下無料

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出品作品
    作品名          作者                形状      時代
色絵お伽人形    伊東陶山(初代)    陶磁    明治後期~大正(20世紀)
色絵鳳凰形香炉   伊東陶山(二代)    陶磁    大正(20世紀)
寿老人置物     伊東陶山(二代)    陶磁    大正(20世紀)
染付色絵葡萄文花瓶 伊東陶山(三代)    陶磁    第4回新文展出品(昭和16年)
青磁獅子鈕香炉    諏訪素山          陶磁    大正(20世紀)
染付寒山拾得四方皿  河村蜻山          陶磁    昭和初期(20世紀)
染付更紗文八角花瓶  河村喜太郎         陶磁    昭和初期(20世紀)
青磁浮菊文花瓶    宮永東山          陶磁    第15回帝展出品(昭和9年)
白磁龍鈕香炉     道林俊正          陶磁    昭和初期(20世紀)
青磁獅子鈕丸形香炉  楠部彌一          陶磁    昭和初期(20世紀)
瑞花文花瓶      伊東陶山(初代)   陶磁    明治後期~大正(20世紀)
漆器奔放屏風     山崎覚太郎         漆工    第2回新文展出品(昭和13年)
乾漆盛器       山永光甫          漆工    第3回新文展出品(昭和14年)
花蝶文宝珠形蓋物   井田宣秋          金工    昭和前期(20世紀)
青銅香炉       香取正彦          金工    昭和前期(20世紀)
朧銀魚文花瓶     渡邉紫鳳          金工    第12回帝展出品(昭和6年)
黄銅胡桃鉢      西村英夫          金工    第14回帝展出品(昭和8年)
鎚起黄銅手爐     藤本長邦          金工    文展鑑査展出品(昭和11年)
猿          加藤宗巌          金工    第6回日展出品(昭和38年)
糸織姫        高村光雲          木彫    昭和前期(20世紀)
鏡          平櫛田中          木彫    昭和前期(20世紀)
某氏立像       朝倉文夫          ブロンズ  昭和前期(20世紀)


耕三寺博物館さんは、潮聲山耕三寺にある宝物館的な博物館です。「近代の工芸と彫刻 -館蔵品より小品を中心にー」は企画展、というわけではなく(さりとて常設、という扱いでもないようですが)、しばらくはこの展示が続くということで、上記に期間は掲載しませんでした。

光雲作品「糸織姫」が展示されていますが、これは平成14年(2002)に三重県立美術館、茨城県立近代美術館、千葉市立美術館と巡回した「高村光雲とその時代展」にも出品されました。また、同展にはやはり耕三寺博物館さん所蔵の「阿弥陀如来坐像」も出品されました。

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他にも光雲高弟の一人、平櫛田中の作品なども展示されています。


もう1件。過日、このブログで、今月19日開催の「シンワアートオークション近代美術/木梨憲武」に、光雲作の「木彫魚藍観世音」が出品されることをご紹介しました。その後、公式サイトに追加情報がアップされ、さらに光雲作の「郭子儀」も出品されるとの情報を得ました。

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郭子儀は中国唐代の武将。長寿だったため、古来、画題によく取り上げられていました。


光雲関連では、高野山金剛峯寺の開創1200年記念に関し、新たな情報もあります。また折を見てご紹介いたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月15日

大正8年(1919)の今日、信濃善光寺で光雲と米原雲海の合作による仁王像の開眼供養が行われました。

明治24年(1891)の大火で焼失した仁王像に代わる新しく作られ、阿形・吽形、ともに高さ一丈六尺、いわゆる「丈六」です。あまりに巨大すぎて、東京から長野までの運搬のため、特別に無蓋貨車をあつらえたという話も伝わっています。

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智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。

智恵子純愛通り記念碑第7回建立祭

期  日 : 2015年9月20日(日)
場  所 : 智恵子純愛通り石碑前 福島県二本松市油井漆原町 (雨天時は漆原集会所)
時  間 : 午前10:00~
内  容 :
 ① 合唱「智恵子抄」
 ② 主催者挨拶
 ③ 建立の記奉読
 ④ 献花
 ⑤ 詩の朗読 
     油井小児童 安達中生徒 福島橘高生徒 一般募集小中生徒 一般募集学生、成人
 ⑥ 献奏 二本松ハーモニカクラブ三曲 内一曲は智恵子抄
 ⑦ 合唱「ふるさと」 全員
 ⑧ 閉会挨拶
    記念撮影

「智恵子純愛通り」というのは、二本松市の智恵子生家・智恵子記念館前を南北に走る県道129号線、元の奥州街道です。平成17年(2005)に、公募で愛称が募集され、命名されました。同20年(2008)には光太郎の令甥、故・高村規氏の揮毫による碑が完成、それを記念して毎年行われているイベントです。主催は智恵子のまち夢くらぶさん。

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碑は智恵子生家・記念館と駐車場の間にあり、ちょっとしたスペースになっています。そこで地元小中高生などに協力してもらって、朗読などが行われます。今年は智恵子の母校、福島高等女学校の後身である福島市の県立橘高校さんからも参加があるようです。

二本松ではこの後も、もう一つの智恵子顕彰団体・智恵子の里レモン会さんによる智恵子忌日の集い「レモン忌」(10/4・日)、夢くらぶさん主催の「智恵子講座'15」(10/12・祝月~)などのイベントが企画されています。追ってご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月14日

昭和5年(1930)の今日、『読売新聞』に「上野の彫刻諸相」の第1回が掲載されました。

第2回は16日。東京府美術館で開催されていた構造社第四回展、二科会第十七回展、日本美術院第十七回展、それぞれの展覧会評です。

一昨日からの新刊紹介の流れで。

現代詩研究 第75号

2015/09/05 現代詩研究会

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福島二本松在住の渡辺元蔵氏主宰の現代詩研究会発行の同人誌です。毎号送って下さっており、ありがたいかぎりです。

発行元の所在地が二本松ということで、毎号のように光太郎智恵子関連の記事が何かしら載っています。今号は智恵子のまち夢くらぶの熊谷健一代表による「「高村光太郎留学の地芸術の都パリ研修」報告」。

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当方、成田空港までお見送りに行きましたが、昨年10月、智恵子のまち夢くらぶの皆さん、総勢7名でのパリでの光太郎足跡訪問レポートです。

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同人誌の発行にしても、足跡をたどる旅にしても、こうした地道な活動には頭が下がります。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月13日

昭和22年(1947)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、カスリーン台風に伴う豪雨による被害を受けました。

カスリーン台風(キャサリン台風とも)は、死者1,077名、行方不明者853名を数える大きな被害をもたらしました。この数字は、昭和以降で記録が残っているうち、5番目の多さです。今回の東日本大豪雨同様、関東では堤防が決壊し(利根川、荒川)、東北でも光太郎の住む岩手で109人の死者が出たそうです。

太田村では前日から9月15日にかけ、かなりの雨量で、山小屋周辺も河川の増水による道路冠水、橋の流失などの被害が出ています。この日には光太郎の山小屋は夜間の豪雨で雨漏り、その後も小屋の廻りが冠水、畑のキュウリの棚が壊れたり、橋の流失によって郵便がしばらく届かなかったりといった被害を受けています。

天災はどうしても起こってしまいます。しかしそこに人災の要素が加わらないようにしていきたいものです。今回の東日本大豪雨でも、原発事故による除染で出た廃棄物を入れた袋が流失、というニュースも伝わっています。こういったことも「想定外」で済まされてしまうのでしょうか。

新刊情報です。
晶文社 2015年9月下旬発売予定 定価6300円+税001

人と社会の核心にある問題へ向けて、深く垂鉛をおろして考えつづけた思想家の全貌と軌跡。
第10巻には、『言語にとって美とはなにか』から分岐派生した二つの原理的な考察『心的現象論序説』『共同幻想論』と、春秋社版『高村光太郎選集』の解題として書き継がれた光太郎論を収録する。第7回配本。
月報は、芹沢俊介氏・ハルノ宵子氏が執筆!

【目次】

心的現象論序説
  はしがき
  Ⅰ心的世界の叙述  Ⅱ心的世界をどうとらえるか
  Ⅲ心的世界の動態化  Ⅳ心的現象としての感情
  Ⅴ 心的現象としての発語および失語
  Ⅵ心的現象としての夢  Ⅶ心像論
  あとがき  全著作集のためのあとがき  角川文庫版のためのあとがき  索引
共同幻想論
  角川文庫版のための序  全著作集のための序  序
  禁制論 憑人論 巫覡論 巫女論 他界論 祭儀論 母制論 対幻想論 罪責論 規範論 起源論 後記
春秋社版『高村光太郎選集』解題
  一 端緒の問題
  二 〈自然〉の位置
  三 成熟について
  四 崩壊の様式について
  五 二代の回顧について
  六 高村光太郎と水野葉舟――その相互代位の関係
   七 彫刻のわからなさ
解題〈間宮幹彦〉

昨年から刊行が始まった晶文社版『吉本隆明全集』の第7回配本です。既刊の第5巻第7巻、第4巻でも光太郎に触れられていましたが、今回は昭和56年(1981)から翌年にかけて春秋社さんから刊行された『高村光太郎選集』の月報に載った文章が掲載されています。

また、分量は少ないのですが、6月に刊行された第9巻にも、「高村光太郎私誌」という文章が掲載されています。

 
書肆心水 2015年8月刊 定価2,700円+税001

近代主義/反近代主義の二者択一的思考停止をこえる創造的近代
右翼/左翼、保守/進歩の図式ではつかめない日本近代化問題の核心。模倣的近代でも反動的保守でもない創造的近代の思想が現在の闇を照らす。
西田幾多郎/三木清/岸田劉生/高村光太郎/野上豊一郎/山田孝雄/九鬼周造/田辺元
●書肆心水創業十年記念出版

西田幾多郎……新しいロジックを求めて/ヒューマニズムの行き詰まりから新しい人間へ/歴史的生命の世界
三木清……東亜協同体と近代的世界主義/東洋文化と西洋文化
岸田劉生……近代の誘惑を卒業した誇りと孤独/今日の悪趣味的時代に処する道/東洋の「卑近美」
高村光太郎……美と生命/日本美の源泉
野上豊一郎……能の物狂い/能の写実主義と様式化
山田孝雄……「は」と係助詞/西洋化日本における文法学の困難/日本の文字の歴史学/日本の敬語と文法
九鬼周造……偶然と運命/偶然と運命
田辺元……常識・科学・哲学――東洋思想と西洋思想との実践的媒介


こちらは光太郎自身の文筆作品を含むものです。

光太郎には「美と生命」という題名の作品は無いはずなのですが、同じ書肆心水さんが、平成22年(2010)に光太郎の評論を2冊にまとめ、『高村光太郎秀作批評文集 美と生命』として刊行していますので、そちらからさらにピックアップしての掲載ではないかと思われます。

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「日本美の源泉」は、昭和17年(1942)、『婦人公論』に6回にわたって連載されたもの。当時の同誌編集者・栗本和夫が和綴じに仕立てて保管していたその草稿が、昭和47年(1972)、中央公論社からそのまま覆刻、刊行されています。

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光太郎の前後に配されている岸田劉生、野上豊一郎は、ともに光太郎と交流の深かった人物。併せて読むのもいいでしょう。 

思潮社 2015年8月 定価1,300円+税003

私と史のはるかなる旅路

蒼空の一点を
凝っとみつめていると
蒼空は黒みを帯びてくる。
(「蒼空」)


「わたしはかつて北村透谷や近代文学のすぐれた研究者だ、と思っていた平岡さんの魅力の源泉が、ふるさと瀬戸内海の〈塩飽島〉から湧き出る、天然の詩にあることを発見したときの興奮を忘れない」(北川透)。文学史家でもある詩人の、歴史の無惨と交差する生の歩み。代表作『浜辺のうた』『蒼空』全篇、高村光太郎論など円熟の評論も収録。戦後70年、長き沈潜をへて湧き出た詩の水鏡。解説=佐藤泰正、山本哲也、井川博年、陶原葵

「光太郎論」とあって、具体的なところが不明なのですが、かつて至文堂さんから刊行されていた雑誌『国文学解釈と鑑賞』の第41巻第6号(昭和51年=1976)「―特集 高村光太郎その精神と核―」には「国家と天皇と父と」、第63巻第8号(平成10年=1998)「特集 高村光太郎の世界」には「作品の世界『智恵子抄』」という平岡氏の論考が掲載されており、その辺りなのではないかと考えられます。ちがっていたらすみません。

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少しずつであっても、光太郎に触れる刊行物がどんどん出るのは好ましいことです。明日もこの続きで行きます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月12日

昭和28年(1953)の今日、テレビ出演を断りました。

当日の日記の一節です。

ひる青江舜二郎氏くる、門口で、テレビに出てくれとのこと、断り、(略)後刻上山裕次といふテレビの人くる、十五日に松尾邦之助氏と対談してくれとの事、断る、

日本で地上波のテレビ放送が開始されたのが、この年2月です。早速の出演依頼が同じ日に2件あったようですが(もしかすると同一の依頼が人を換えて行われたのかも知れませんが)、いずれも断っています。もし断らずに出演し、さらにその映像が残っていたら、それはそれで貴重な資料となったと思うと、少し残念です。ちなみに光太郎、ラジオには録音で何度か出演していますし、その録音もある程度現存しています。

青江舜二郎は劇作家。松尾邦之助はフランス文学者で、光太郎詩の仏訳なども手がけています。上山裕次という人物については特定できませんでした。

台風から変わった低気圧の影響による豪雨のため、主に関東から東北にかけ、甚大な被害が出ています。鬼怒川堤防の決壊による濁流からは、あの東日本大震災による津波を想起された方も多いのではないでしょうか。被害が少しでも少なく済むことを願います。

当方の自宅兼事務所のある千葉県香取市は、大きな被害のあった地域とそう遠くないので、ありがたいことに心配して電話等下さった方もいらっしゃいましたが、特に被害はありませんでした。

さて、堤防が決壊した鬼怒川沿いで、決壊現場の常総市より上流に位置し、やはり避難指示等が出された茨城県結城市からの光太郎がらみのニュースです。ソースは地元紙『茨城新聞』さんです。

結城市出身の詩人・多田不二 著名人と交流の書簡集

 結城市出身で詩人・文芸評論家の多田不二(189無題3-1968年)に宛て、詩人の室生犀星や萩原朔太郎など各界の著名人たちが送った書簡を収録した「多田不二来簡集」(紅書房社)が刊行された。収録書簡の多くが未発表。大正から昭和にかけての著名人たちの感情や熱意、不二との交流が記されており、関係者は「不二の研究が進む貴重な資料。著名人たちの新たな事実発見につながる可能性もある」と話している。
 不二は、朔太郎や犀星らとともに詩集「感情」の同人として詩や訳詩を発表。新神秘主義を提唱した詩誌「帆船」を主宰し、独自の詩の世界を構築した。NHKに入局後、玉音放送の録音に関わるなどして、生涯にわたり多くの文化人と交流を深めた。
 書簡は、不二のきょうだいの孫にあたる多田和代さん夫婦らが保管していた。
 来簡集では、このうち194人の593点を(1)学生(2)NHK勤務(3)社会文化活動-の三つの時代に分けて収録した。
 (1)の書簡からは、朔太郎や犀星、山村暮鳥、高村光太郎ら大正時代の詩壇を飾る詩人たちの息吹と人間性、生の交流の様子がうかがえる。(2)の書簡からはさまざまな分野の著名人の放送を依頼する心情などが、(3)からは戦後の文化人の熱気などがそれぞれ伝わってくる。
 各時代を通じて送られた犀星からの書簡は、収録49点のうち20点が初公開された。朔太郎の死を告げる1942年5月11日の犀星の電報「ハギ ワラケサシス」は、不二が後日、随筆で回顧した内容を裏付けるもの。今回の編集作業で現存が確認され、貴重な資料という。
 犀星からの17年1月9日消印のはがきには「山村(暮鳥)君が泊つてゐる。こまつた-」と書かれている。不二研究家で元城西国際大教授、星野晃一氏(79)は「暮鳥が編集したドストエフスキー書簡集を東京の出版社に売り込むための宿泊に、犀星が困惑していることがうかがえる」と指摘する。
 来簡集は不二の次女、曄代(てるよ)さんが「父への最後の親孝行がしたい」と星野氏に要請したことがきっかけで、編集作業がスタート。結城市の市民団体「結城古文書好楽会」のメンバーなどが協力して、約2年半をかけてまとめた。
 和代さんの夫で割烹(かっぽう)旅館社長、多田和夫(まさお)さん(84)は「結城にとってかつてない資料」と強調。「文化のまちの結城市民にとって、地元の歴史を知るきっかけになれば」と大きな期待を寄せた。
 多田不二来簡集はA5版、584ページ。4500円(税別)。(溝口正則)


結城市出身の詩人・文芸評論家、多田不二宛の書簡をまとめた書籍が刊行されたというわけです。

以下、版元の紅書房社さんのサイトから。

多田不二来簡集

編者名/星野晃一、多田曄代000
出版年/2015年8月
定価/4,860円(税込)
版型/A5
頁数/584
ISBN/978-4-89381-302-2

編者略歴
星野晃一(ほしの・こういち)
1936年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。城西国際大学教授を経て、現在、武蔵野大学客員教授。
 著書に『室生犀星-幽遠・哀惜の世界』『室生犀星-創作メモに見るその晩年』『犀星 句中游泳』 『室生犀星 何を盗み何をあがなはむ』、編著に『新生の詩』『室生犀星文学年譜』『室生犀星書目集成』『多田不二著作集』全二巻『室生犀星句集』など。
多田曄代(ただ・てるよ)
1932年、多田不二の次女として生まれる。長らくNHK松山放送局に勤務、現在松山市在住。

特徴と内容
長らく多田家に保管されていた書簡を一挙初公開!
大正期の詩界に異色の光芒を放つ詩人・多田不二のもとに寄せられた各界著名人194名からの書簡593通を一挙に公開。封書・はがき・郵便書簡・電報など、一部を除きほとんどが未公開。長らく多田家に保管されていたものが、このたび明らかに。


光太郎から多田宛の書簡も含まれているということですが、おそらくそれらは「一部を除きほとんどが未公開」と謳われているうちの一部の方、すなわち公開されているものと思われます。筑摩書房の高村光太郎全集第21巻に、多田宛の書簡が5通(すべて大正6年)掲載されており、それでしょう。

というのも、当方、『茨城新聞』さんの記事にも出て来る縁者で書簡を保管なさっていた多田和夫氏に、書簡を見せていただいたことがあるからです。十数年前になるかと思いますが、場所は記事にもある多田氏が経営されている「割烹のやど結城ガーデン」。こちらには「小さな文学館」というコーナーがあり、書簡以外にも多田の著書や関わった雑誌などが展示されています。下記はサイトから画像をお借りしました。光太郎からの書簡です。

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そちらを拝見し、さらに多田氏に光太郎からの来簡について伺ったところ、上記の画像のものを含む筑摩の全集のために提供したものですべてというお話でした。ただ、それが十数年前でしたので、もしかすると、その後、紛れ込んでいた未発表のものが見つかったかもしれません。

余談になりますが、免疫学者・文筆家で、養老孟司氏とも親しかったという東京大学名誉教授だった故・多田富雄氏(その頃はご存命)も縁者だと、その際にご教示いただいたことを覚えています。

何はともあれ、記事にあるとおり、室生犀星からの未発表書簡が大量に含まれているということで、そういった部分で詩史全体の研究に大きく貢献するものと思われます。

それにしても、結城ガーデンさんも今回氾濫した鬼怒川に近く、支流の田川という川がすぐ裏を流れている場所です。大きな被害を受けていないことを祈ります。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月11日

平成23年(2011)の今日、二本松市民交流センターで開催されていた「詩集『智恵子抄』発刊70周年記念~光太郎との相聞歌~智恵子紙絵展」が閉幕しました。

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智恵子紙絵の実物も19点、展示されました。

平成23年(2011)といえば、あの東日本大震災のあった年で、福島は原発事故による風評被害がひどかった時期でした。あれから4年。だいぶ復興も進みました。今回の豪雨被害の被災地も、1日も早く復興することを祈ります。

報道ではありませんが、新聞には欠かせないコラム。最近、光太郎が取り上げられたコラムをご紹介します。 

まずは『神戸新聞』さん。

正平調 2015/08/30

大事にする言葉を毛筆でしたためる。揮毫(きごう)は、筆遣いはもちろん、どんな言葉を選ぶかに人となりがうかがえ興味が尽きない◆とりわけ勝負に生きるプロ棋士の揮毫は味わい深い。将棋の内藤國雄さんは「伸び伸び しみじみ」だ。自在を旨とする内藤さんらしい。「遊藝」は囲碁の羽根直樹さん。勝敗にとらわれぬよう心をもみほぐす意味と察する◆将棋界の第一人者羽生善治さんは「玲瓏(れいろう)」を好む。いつだったか色紙に書いてもらったら、物静かな印象とまったく違う。激しい筆運びで、戦う人の素顔に触れた思いがした◆先日、本紙主催の王位戦で5連覇を遂げた。記事に「玲瓏」にまつわる話がある。透き通る美しさ。それを表す2文字に「まっさらな気持ちで」との思いを託しているのだという◆これでタイトルの通算獲得数が93期になった。歴代1位の自身の記録を自身で塗り替えていく。高村光太郎の詩「道程」は「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」で始まる。この「僕」を「羽生」と書き換えたくもなる。力は衰えない◆タイトルを総なめにした若い頃は「泰然自若」と書いた。平常心で、との戒めだ。まだ44歳。勝ち星を重ねるこの先、どんな言葉を胸に81マスと向き合うのだろう。揮毫の移り変わりだけで、棋士の人生が読み解けそうにも思う。


以前にもご紹介しましたが、『神戸新聞』さんの「正平調」では、たびたび光太郎を取り上げて下さっています。ありがたいかぎりです。


続いて『毎日新聞』さん。古今の俳句を一句ずつ紹介するコラム「季語刻々」が、社会面に掲載されていますが、先週から今週にかけ、4日連続で光太郎に触れて下さいました。著者は俳人の坪内稔典氏。ただ、紹介した俳句は光太郎以外の作品です。

季語刻々

焼茄子(やきなす)の皮のくろこげほどでなし 岡本高明(こうめい)  
何が「焼茄子の皮のくろこげほどでな」いのだろう。愛情か人生? 句集「ちちはは」から引いた。高村光太郎は敗戦後の数年を岩手・花巻の西郊で過ごした。小屋で独居生活をしたのだが、1946年9月4日の日記には、「茄子皆大きな実をつける」とある。夕食でさっそく焼き茄子にし、酢みそで食べた。その感想はただ一語、「美味」。(2015/09/04)

採る茄子(なす)の手籠にきゆァとなきにけり 飯田蛇笏
「きゆァ」と鳴くって、いいなあ。こんな茄子だと生でかじれそう。昨日、高村光太郎の日記を引いたが、1946年9月5日の朝食は冷や飯とみそ汁。みそ汁の具は「ジャガ、わかめ、茄子」など。彼は茄子を自家栽培していた。翌6日の記事には「畑の茄子五六個とる。相当になり居れり」とある。茄子を楽しむ日が続いている。(2015/09/05)

やわらかく包丁はじくトマトかな 乳原孝
とりたて? ぷりぷりのトマトが、「切らないでかぶりついてよ」と言っている感じ。作者は私の俳句仲間だ。1946年9月6日、岩手・花巻の郊外にいた高村光太郎は、野菜の栽培を楽しんでいた。この日は起きるとすぐにトマトの支柱を補強した。「トマト赤きもの二個とる。此頃(このごろ)はトマト殆と毎日とる」と日記に書いている。(2015/09/06)

二階より駆け来(こ)よ赤きトマトあり 角川源義
「晴、ひる間暑気つよく、朝夕涼し。明方は冷える。五時にてはまだうすぐらし。日の出六時半頃」。これは1946年9月7日の高村光太郎の日記。彼は岩手・花巻の郊外にいたが、この時期、夏と秋が入り交じっていることが日記からよく分かる。源義はKADOKAWAの創業者、俳人でもあった。この句、トマトが実にうまそう。(2015/09/07)

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すべて筑摩書房『高村光太郎全集』第12巻に収められている昭和21年(1946)の日記にからめています。花巻郊外太田村での山居生活は、昭和20年(1945)から7年間続き、穀類は配給に頼らざるを得なかったものの、野菜や芋類はほぼ自給できていました。

この頃の光太郎自身の俳句を一句。

新米のかをり鉋のよく研げて

昭和20年(1945)、太田村の山に入って間もなくの作です。鉋(かんな)は大工道具の鉋。山小屋生活を始めるに当たって、小屋の流しや棚、机などの調度品類を、光太郎は自作しており、それにかかわるのでしょう。新米は村人が持ってきてくれたとのこと。

下の写真、大工仕事をする光太郎(昭和20年=1945)と、トマトを作る光太郎(昭和25年頃=1950頃)です。

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農と俳句、ともに四季の移ろいとの対話、格闘から生まれるものです。そして、古来から自然の営為と不即不離の関係を続けてきた日本人の魂の原点に関わると思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月10日

大正2年(1913)の今日、『国民新聞』に「女絵師(五) 新しい女智恵子」掲載されました。

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いわゆるゴシップ記事で、智恵子を誹謗中傷するものでした。

その書き出しはこうです。

女の誇(プライド)に生き度いとか何んとか云つて威張つてる女、 節操の開放とか何とか云つて論じ立てる女、 之れが当世社会の耳目を集めて居る彼(か)の新らしい女である 長沼智恵子は矢張りさうした偉い考へをもつた青鞜社同人の一人である 女子大学を出てから太平洋画会の研究所に入つたのが四十二年で昨年辺迄同所に通つて居た、見た所沈着(おちつ)いた静かな物言ひをする女であるがイザとなれば大に論じて男だからとて容捨はしない、研究所の男子の群に交つて画を描いて居ても人見しりするやうな事は断じてなく話しかけられても気に喰はぬ男なら返辞は愚か見返りもしない 

ある意味、真実かも知れませんが……。

さらに結びの部分では、

近頃に至つては高村光太郎氏と大いに意気投合して二人は結婚するのではないかと迄流言(いは)れたが 智恵子は却々(なかなか)もつて結婚なぞする模様はない 矢つ張友人関係の気分を心ゆく許り味ははうとして居る 而(そ)して青鞜社講演会なぞにも鴛鴦の如(や)うに連れ立つて行けば旅行にも一緒に出蒐(でかけ)て居る 玆(ここ)暫くは公私内外一致の行動を取るのださうな

となっています。旅行云々は、ちょうどこの頃二人で訪れていた上高地への婚前旅行を指します。この5日前には、『東京日日新聞』に、「美くしい山上の恋」というゴシップ記事も載りました。

合唱の演奏会情報を2件。それぞれ光太郎作詞の合唱曲がプログラムに入っています。

コール・オービーレン第8回演奏会

期  日 : 2015年9月22日(火・祝)
時  間 : 開場13:30 開演14:00
料  金 : 無料 (全席自由)
場  所 : 川口総合文化センターリリア 音楽ホール  埼玉県川口市川口3-1-1
曲  目 :
 混声合唱組曲「 猛獣篇」 (高村光太郎 作詞/佐藤 敏直 作曲)
 宗教曲 「ハレルヤコーラス」 他
 映画音楽 「慕情」「シャレード」 他
<指揮> 山口 大五郎 <ピアノ> 中谷 路子


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コール・オービーレンさんというのは、東京大学混声合唱団コール・ユリゼンさんのOB・OGの集まりから出来た混声合唱団だそうです。

プログラムの最初が、佐藤敏直氏作曲の「猛獣篇」。光太郎の同名の連作詩中の詩4篇に曲をつけたものです。元々は昭和63年(1988)、専修大学グリークラブさんの依嘱で男性合唱曲として作曲され、平成2年(1990)にはカワイ出版さんから楽譜も刊行されました。「森のゴリラ」「傷をなめる獅子」「ぼろぼろな駝鳥」「マント狒狒」の4曲でした。

そして、同じく平成2年(1990)から5年(1993)にかけ、南生田コーラスさんの依嘱で混声版が新たに作られています。ただし、総題は同じ「猛獣篇」ですが、曲目は「龍」「象」「傷をなめる獅子」「苛察」。「傷をなめる獅子」は男声版から混声へのアレンジですが、他は新作です。平成22年(2010)にやはりカワイ出版さんから楽譜が出ています。

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CDなどの音源としては、まとまった形ではリリースされていないようです。当方、会津高等学校男声合唱団さんの演奏会のライブ録音CDで、男声版の入ったCDを持っていますが、自主制作盤のようです。また、これも自主制作盤的なものだと思いますが、全日本合唱コンクールの東北支部大会ライブ録音のCD。やはり男声版の「傷をなめる獅子」が、同じく会津高校さんの演奏で入っています。

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もう1件。

コール・マルシュナー第4回福島演奏会

期  日 : 2015年9月27日(日)
時  間 : 開場13:30 開演14:00
場  所 : 福島市音楽堂 大ホール  福島県福島市入江町1-1
料  金 : 1,000円 (全席自由)
主  催 : 福島高校在京OB合唱団“コール・マルシュナー”
問い合せ : 042-345-6010 (弥勒 誠之)
曲  目 :
 1.男声合唱組曲「中 勘助の詩から」
 2.ロバート・ショウ合唱曲集 ファニータ、おじいさんの時計 他
 3.清水脩 作品集  海、智恵子抄巻末のうた六首 他
 4.愛唱曲集   早春賦、小さな喫茶店、箱根八里 他
 【特別出演】福島高等学校合唱団
  1.夜もすがら(「万丈記」より) 2.Os Justi



コール・マルシュナーさんというのは、福島県立福島高校さん在京OBによる男声合唱団だそうです。福島県は「合唱王国」と言われ、県全体のレベルの高さには定評があります。こういう合唱団が存在し、地元福島での演奏会が継続して行われている、というところにもそれが表れているように思います。

曲目の中で、故・清水脩氏作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」が光太郎作詞、というより清水氏がそれに曲をつけたものです。昭和39年(1964)、東海メールクワイヤーさんの依嘱作品。当初は男声合唱曲として作られ、のち、昭和57年(1982)には混声合唱にアレンジされた楽譜も刊行されています。

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また、本家の東海メールクワイヤーさんをはじめ、東京リーダーフェルさん、さらに合唱団京都エコーさんと松原混声合唱団さんの合同演奏によるCDがリリースされています。

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当方も混声、男声合唱を個人的にやっており、「智恵子抄巻末のうた六首」の男声版は、一度、生演奏で聴きました。当方の属する合唱団も参加した平成24年(2012)の千葉県合唱祭で、船橋HGメンネルコールさんの演奏でした。


こうした光太郎詩にきちんとした曲がつけられ、きちんとした演奏が為される機会がどんどん増えてほしいものです。それによって、光太郎智恵子の世界が広まることを期待します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月9日

昭和7年(1932)の今日、光太郎の父・光雲が海軍の東郷平八郎元帥と小笠原長生中将に、自作の千手観音像を贈りました。

光雲と小笠原は、光雲に依頼してたくさんの仏像を作ってもらった寺院・駒込の曹洞宗金龍山大圓寺を通じて知り合い、さらに小笠原を介して東郷と光雲の会見が実現しました。その会見が昭和7年(1932)の今日。光雲は東郷と小笠原それぞれに武運長久を祈念して自作の像を贈ったというわけです。

のちに東郷からは「妙神入」の書が返礼として光雲に送られました。光雲の刀技を神業の域と讃えたものと思われます。

以前もご紹介しましたが、下記が昭和7年(1932)の今日、撮影された写真です。

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左から大圓寺の服部太元、光雲、東郷平八郎、小笠原長生です。

静岡から朗読系のイベントです。

SPAC秋のシーズン開幕直前☆『舞台は夢』の前夜祭

日   時 : 2015年9月21日(月祝) start 19:00 (open 18:30)
会   場 : スノドカフェ七間町 (静岡市葵区七間町7-8)
参 加 費 : 1,000円(ワンドリンク付き)
申し込み  : 
 SPACチケットセンター(TEL.054-202-3399 受付時間:10:00~18:00)
 スノドカフェ七間町 (TEL.054-260-6173 受付時間:11:00 - 21:00/水曜定休)
 
◆ 『智恵子抄』リーディング
前夜祭に来ていただいたお客様に感謝を込めた、エキストラおもてなし企画! 「この『舞台は夢』が5年ぶりのセリフ劇なんです(笑)」と話す寺内が牧山とともにお贈りする、高村光太郎『智恵子抄』の朗読パフォーマンス!・・・これは必聴です。

プロフィール
◆牧山祐大
『わが町』、『マハーバーラタ』、『ハムレット』など多くのSPAC作品で幅広い役をこなす、遊撃手タイプのSPAC俳優。
☆ひとこと☆
「朝のコーヒーは譲れない!豆から挽いて、ドリップします。おすすめのコーヒー豆があったら教えてください!」
◆寺内亜矢子
フランスから参加のパリジェンヌ。SPACでは『マハーバーラタ』『天守物語』の演奏チーフ、『盲点たち』の無言ムーブメントなど、喋らないことを得意とする特殊女優。
☆ひとこと☆
「葉野菜主食の草食動物ですが、静岡の美味しいおそばも大好物!美味しい地酒があれば言うことなし。ただいまお店を開拓中!」

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SPAC」というのは、静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center)の略だそうです。舞台芸術を創造・上演するための専門家集団を擁し、静岡芸術劇場などを拠点にした演劇等の公演の他、海外を含め、各地に出張公演も行っているとのこと。

そのSPACさんの次回公演が、フランスの俳優・演出家、フレデリック・フィスバック演出による「舞台は夢」。その前夜祭、というのが上記イベントです。

「舞台は夢」に関わるトーク、レクチャーの他に、出演俳優さんによる「智恵子抄」の朗読があるというわけです。「舞台は夢」と「智恵子抄」には直接の関係はなさそうなのですが……。

こういう機会を通し、若い皆さんが光太郎智恵子の世界に興味を持つきっかけとなってくれればいいと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月8日001

昭和17年(1942)の今日、冨山房から佐藤隆房著『宮澤賢治』が刊行されました。

無題背の文字は光太郎の揮毫です。

佐藤隆房は宮澤賢治の主治医。賢治の詩「S博士に」(昭和7年=1932)のモデルだそうです。

賢治つながりで、昭和20年(1945)に空襲で東京のアトリエを失った光太郎を花巻に招くのに一役買いました。
 
花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したり、終戦直後の短期間、光太郎を自宅に住まわせたりもしています。その後も足かけ8年岩手で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後も花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。

同書はロングセラーとしていまだ版を重ねています。ただ、光太郎の揮毫が依然として使われているかどうかは存じません。

智恵子の故郷、福島二本松からイベント情報です。 参加申し込みの締め切りが過ぎてしまっていますが、こういうイベントがあるよ、というお知らせとして読んで下さい。また、定員に達していなければ、まだ申し込み可能かもしれません。

二本松市合併10周年記念 第7回にほんまつファミリーサイクリング大会

主 催 : にほんまつサイクリング協会
共 催 : 二本松商工会議所
後 援 :
    市教育委員会 二本松観光協会 市体育協会 福島民報 福島民友新聞 福島県サイクリング協会

1.趣 旨
 「ほんとうの空、あの光るのが阿武隈川」と智恵子抄に詠われた雄大な安達太良山を背に、阿武隈川堤防を周遊。初秋の田園地帯のサイクリングを通して、スポーツを楽しみ、仲間を広げ健康な身体を維持向上することを目的とする。

2.期  日 平成27年9月20日(日) 雨天中止 (主催者の判断で決行もあり)
3.集合場所 安達ヶ原ふるさと村駐車場(出発・到着)
4.コ ー ス ふるさと村をスタートし、阿武隈川・杉田川の堤防並びに一般道を走行。
        4時間以内に完走。
  アスリートコース (一般) 約43km(途中休憩5ヶ所)
     (定員に達しました。沢山のお申込みありがとうございました。)
  ファミリーコース (小学生と保護者) 約20km(途中休憩3ヶ所)
5.参加資格 小学生以上で健康、自転車の経験があり完走できる能力のある人
  (小学生は保護者同伴)
6.定  員 100名 ファミリーコースは警備等の都合上、先着10組まで
7.参 加 費 1人 2,000円(消費税及びスポーツ傷害保険等を含んでいます) 昼食有
  ※今大会は、合併10周年を記念して小学生の参加費を無料とします。
8.日  程
  受  付 午前7:30~8:00
  開 会 式 午前8:15
  スタート 午前8:30
  ゴ ー ル 午後12:30
  閉 会 式 午後12:45
9.申込方法 所定の申込用紙に必要事項を記入し、二本松商工会議所窓口に参加料を添えて
  申込ください。(なお、当日不参加並びに雨天中止の場合、参加費は返却いたしません)
  アスリートコースは定員に達しました。沢山のお申込みありがとうございました。
10.申 込 先  「二本松商工会議所」窓口
  〒964-8577 二本松市本町一丁目60番地1 TEL 0243-23-3211  FAX 0243-23-6677
11.申込用紙 参加申込書、誓約書 二本松商工会議所でも配布します。
12.申込締切 平成27年8月31日(月)
13.参加賞他 参加賞ほか抽選で協賛品を贈ります。
14.貸自転車 ありません。
15.注意事項
(1)各自、前日までに自転車の点検整備をしてください。
(2)ヘルメット、手袋を必ず着用し走行してください。
(3)特殊自転車の参加は認めません。ただし、電動自転車は可。
(4)大会開催中は、大会役員の指示に従ってください。
(5)ゼッケンを付けてない方の参加は認めません。(ゼッケンは当日配布します)
(6)スタート時間後4時間以内にゴールしてください。先導車を絶対追い抜かないでください

(7)当日の参加の受付はしません。
(8)万一事故があった場合、応急手当は致しますが、その後の責任は負いません。
(9)車・バイク等の伴走は禁止します。
(10)一般車両が通行しますので、道路の左側一列走行をお願いします。
(11)コース及び運営細目にかかる若干の変更にご協力ください。



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秋晴れの空の下、サイクリングというのもいいものだと思います。単に「サイクリング大会」ではなく、「趣旨」にあるとおり「「ほんとうの空、あの光るのが阿武隈川」と智恵子抄に詠われた雄大な安達太良山を背に」としているところもいいですね。心の風景である安達太良山への誇りが感じられます。
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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月7日

平成7年(1995)の今日、歴史春秋社から伊藤昭著『愛に生きて―智恵子と光太郎―』が刊行されました。

著者の故・伊藤氏は旧油井村の智恵子生家近くに育ち、今も活動の続く「智恵子の里レモン会」会長をなさっていました。昭和23年(1948)には、花巻郊外太田村の山小屋の光太郎に会いに行かれました。

この書籍は平成3年(1991)から翌年にかけ、『毎日新聞』福島版に連載されたものを、近代文藝社から自費出版、さらに地元福島の出版社・歴史春秋社から再刊したものです。

入門編の智恵子評伝として、好著です。


神奈川県平塚市から企画展情報です。

画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく

会 期 : 2015 年9月19 日(土) ~11月8 日(日)
時 間 : 9:30 ~ 17:00(入場は16:30 まで)
会 場 : 平塚市美術館 神奈川県平塚市西八幡1-3-3
休館日 :  月曜日( ただし9/21、10/12は開館)、10/13
料 金 : 一般800(640) 円、高大生500(400) 円、小中学生無料
主 催 : 平塚市美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会

 古来、西洋では「絵は黙せる詩、詩は語る絵」といわれてきました。日本でも画賛(がさん)、詞書(ことばがき)が絵画の重要な役割を果たし、「詩書画」の一致を成してきました。一方、日本の近代洋画は、文学からの自立を目指した西洋近代美術の影響のもとで始まっています。特に印象派以後、新しい造形表現を積極的に取り入れた結果、実に多様な作品がうまれました。しかし、現実の生きた情感から浮き上がった作品が多く生まれたことも事実です。こうした中で、村山槐多、長谷川利行、古賀春江、三岸好太郎、山口薫などは、西洋近代美術に学びながらも、文学性、詩情を拠りどころとして優れた作品を残しています。さらにまた、詩の世界では宮沢賢治、立原道造、草野心平らが独自性のある絵を描いています。ある意味では、モダニズムが斥けてきた詩情、文学性を活かすことで、日本独自の絵画が成立したといえます。
  近年では、一部の画家たちが積極的に詩の世界に接近し、新しい表現を生み出そうとしています。本展は、明治から現代までの画家と詩人の絵画と詩を一堂にあつめ、絵画と詩の密接なつながりを検証するものです。
 
画家
 小杉未醒、青木繁、竹久夢二、萬鐡五郎、藤森静雄、恩地孝四郎、田中恭吉、中川一政、長谷川利行、古賀春江、川上澄生、村山槐多、谷中安規、三岸好太郎、棟方志功、長谷川リン二郎、難波田龍起、山口薫、香月泰男、南桂子、松本竣介、浅野弥衛、飯田善國、草間彌生、田島征三、芥川麟太郎、藤山ハン、難波田史男、イケムラレイコ、瓜南直子、O JUN、小林孝亘、鴻池朋子、村瀬恭子、伊庭靖子
 
詩人
 正岡子規、高村光太郎、北原白秋、木下杢太郎、萩原朔太郎、佐藤春夫、西脇順三郎、宮沢賢治、佐藤一英、尾形亀之助、稲垣足穂、岡崎清一郎、富永太郎、小熊秀雄、北園克衛、瀧口修造、草野心平、中原中也、長谷川四郎、まど・みちお、立原道造、三好豊一郎、新国誠一、木島始、春日井建、吉増剛造、田畑あきら子、山本陽子

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関連行事

■ O JUN × 小林孝亘 対談「読む形・見える言葉」
日時 2015年10月4日(日) 14:00-15:30  場所 ミュージアムホール  ※申込不要、先着150名

■ 講演会 窪島誠一郎「絵を語る、詩を語る」
日時 2015年10月12日(月、祝) 14:00‐15:30  場所 ミュージアムホール  ※申込不要、先着150名

■ 学芸員によるギャラリートーク
日時 2015年10月17日(土)、10月31日(土) 各回14:00-14:40  場所 展示室Ⅱ  ※申込不要、要観覧券


というわけで、光太郎の絵画も展示されます。

光太郎の画業は、詩人でありながら絵画も手がけていた、というニュアンスではありません。特に明治42年(1909)、欧米留学から帰ってからしばらくは、むしろ画家として活動していたといっていい時期です。

欧米でロダンをはじめとする西洋近代彫刻の何たるかを学んだ光太郎は、帰国後、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界に絶望し、極力関係を絶とうとしました。文展などの展覧会等に出品すれば、「洋行帰り」「光雲の息子」という肩書きが優先され、彫刻としての価値を理解されないまま入賞することは目に見えていました。同じく洋行帰りの荻原守衛の作品もそうでした。光太郎曰く、


この珍奇のちん入者を文展の方では持てあましたらしかつたが、ともかくも技術があるので無下に排斥もならず、時には三等賞ぐらゐつけて、度量のあるところを見せたものである。彫刻の質に於いて、彼等と彼とは全くちがつてゐるのだといふことにはまるで気がつかない時代であつた。
(「荻原守衛」 昭和29年=1954)

という状況でした。

ちなみにパリで守衛が作り、光太郎が000ぜひ石膏に取って持ち帰るようにと勧めた「坑夫」は、ロダン風の荒々しいタッチが「未完成」と判断され、明治42年(1909)の第2回文展では落選の憂き目に遭っています。審査には光雲も当たっていました。

そこで光太郎は、この時期、彫刻より絵画制作に力を注ぐようになります。大正元年(1912)には、岸田劉生、斎藤与里らとヒユウザン会(のちフユウザン会)を結成、その分裂後も岸田が立ち上げた「生活社」に合流し、智恵子と過ごした上高地での油絵などを出品しています。

また、光太郎はその前後もかなり多くの絵画を描いています。東京美術学校在学中は日本画の臨書の授業があり、ここで絵画の基礎をしっかり学んでいます。フユウザン会や生活社の後も、自身の油絵の頒布会を行ったり、旅先でスケッチをしたり、書籍の挿画などでも筆を振るったりしました。戦後の花巻郊外太田村での暮らしの中でも、時折絵筆を握っています。

さて、今回の企画展に出る光太郎絵画はいずれも油絵で、3点。

大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」。平成12年(2000)、永らく行方不明だったこの絵が発見され、大きく報道されました。

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※ 9/22 追記 平塚市美術館さんでは「日光晩秋」は展示されないそうです。


それから同年に描かれた洋酒の瓶と果実を描いた「静物」、そして新潟・佐渡島の歌人・渡邊湖畔の息女を描いた「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)です。


この「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」展、平塚市美術館さんを皮切りに、以下の日程で全国巡回が予定されています。

2015年11月17日(火)~12月20日(日)  愛知県碧南市藤井達吉現代美術館
2016年2月13日(土)~3月27日(日)   姫路市立美術館
2016年4月9日(土)~6月12日(日)   栃木足利市立美術館
2016年6月18日(土)~8月7日(日)   北海道立函館美術館

ただ、平塚市美術館さんがそうですが、展示替えがあるそうで、常に上記3点の光太郎絵画が見られるかどうかは不明です。それぞれ近くなりましたらまたご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月6日

昭和20年(1945)の今日、花巻町で9月分の配給を受け取りました。

当日の日記の一節です。

午前米配給所にゆきて九月分(一ヶ月)をもらふ。米5キロ大豆3キロ也。かついでかへる。

数え63歳の高齢者にとって、この量がどうなのか、何とも言えません。

福島から現代アートの展覧会情報です。
会  期 : 2015年9月18日(金)~9月22日(火)
会  場 : ワタナベ時計店 3F 「ナオ ナカムラ」 福島県いわき市平字二丁目33-1
開場時間 : 10:00~19:00(会期中無休)
入  場  料 : 無料

 この度、9月18日から22日までの5日間、福島県いわき市のワタナベ時計店3Fにあります「ナオナカムラ」では、毒山凡太朗、 キュンチョメによる展覧会「今日も きこえる」を開催いたします。
これまで東京都をメインに活動してきた常磐出身の両作家が”この地の空と狂気とウソ”をテーマに、毒山の故郷である福島 県で初めて開催する展覧会です。
また、2012年よりスタートしたナオナカムラにとっても福島県で今展を開催することは初めての試みとなります。
毒山凡太朗、キュンチョメによる展覧会「今日も きこえる」をこの機会にどうぞご覧ください。
福島県出身の毒山凡太朗と茨城県出身のキュンチョメ、常磐出身の両作家 がリサーチを重ねて作り上げた本展は”この地の空と狂気とウソ”がテーマとな っています。
 あの日から約5年の月日が流れました。未だ多くの街がバリケードで塞がれ、 海はコンクリートで埋めたてられ、この地、いわきでは水平線すらまともに見るこ とができなくなりました。そんな中作家たちは、何にも束縛されることのない福 島の空と、この空を愛した女性、高村智恵子に注目していきます。智恵子は福 島県に生まれ育った画家ですが、晩年は精神が薄弱して狂人とみなされてい きます。それでもなお彼女が最も愛したものは、故郷の福島の空でした。夫で ある高村光太郎が綴った詩に“智恵子はα次元”と記されているように、彼女は 全く別次元の存在へと自分自身を落とし込み、周りが騒ぎ立てる音を一切遮 断して福島の空のみを愛し続けます。
 今日、わたしたちはどんなに遮断しても様々な雑音を受動的に耳にしてしまい ます。けれども、きこえてしまうがゆえに出来てしまうものがあります。それは智 恵子が語った本当の空のような絵空事にみえるかもしれません。「だけど、未 来を語るにはウソにこそ意味がある。ウソだけが二度目の明日を作ることがで きる」と作家たちは言います。
 有象無象の言葉があふれる福島の空の下、作家たちの思いに耳を澄ませて いただければ幸いです。
毒山凡太朗、キュンチョメよる展覧会「今日も きこえる」をこの機会にどうぞご 覧ください。
ディレクター 中村奈央

 常に磐石なる地と書いて常磐。福島から茨城に渡るこの常磐という呼称は永久不滅という意味が込められている。今となっては悪い冗談みたいな名称だけれど、5年前までは自分たちはとても安全な場所に住んでいると皆が本気で信じていたのだ。今や常磐道を北上し故郷に帰り着くたびに吐き気を覚える。土建ゴロが闊歩し、海はコンクリートで埋めたてられ、避難してきた県民とは生活ゴミの捨て方で揉めて、人々は酒のつまみに悪いうわさ話で盛り上がる。我が家の父は錯乱し家の窓も雨戸も一切開けず、外出するときは未だにマスクを手放さない。元気なのは犬と性風俗産業と放射能だけだ。なにが故郷だ。二度と戻らねえよ。かくして俺は故郷を捨てた。東京の街では福島出身だと言うだけで「大丈夫?」と声をかけられるけど、大丈夫なわけねーじゃねぇか、だから東京にいるんだよと、声を荒げたくなることもある。どこもかしこも、うっせーよ。そんなどうしようもない故郷に帰る事にしたのは、一人の気の狂れた女に導かれたからだった。故郷の有名人、高村智恵子。福島の空だけが本当の空だと言い続けて精神が薄弱して死んでいったあわれな女。そんな智恵子の言葉が福島県安達太良山のてっぺんにかかげられている。「この上の空が本当の空です」
確かに、この空だけは5年前とも変わらないし、千年後だって変わらないだろう。地上のクソみたいな出来事とは関係なく、ここにはほんとうに本当の空があるのかもしれない。
一番信じられない場所で、二度目の明日を見つけよう。このどうしようもない故郷へ、愛を込めて。
毒山凡太朗+キュンチョメ


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毒山凡太朗さん、キュンチョメさん(こちらはユニットだそうですが)、ともに現代アートの作家さんです。東日本大震災、そして智恵子からのインスパイアなのでしょう。上記プレスリリース等を読んでもちょっとイメージが湧きにくいのですが。

来週末、昨日ご紹介したカナリア映画祭に行ってまいります。いわき市は当方自宅兼事務所からの経由地になりますので、こちらにも足を運んでみるつもりです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月5日

昭和32年(1957)の今日、筑摩書房から『智恵子紙絵』が刊行されました。

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心を病んだ智恵子が、南品川ゼームス坂病院で制作した紙絵を集めた画集で、この手のものの嚆矢です。

その後、昭和40年(1965)には社会思想社から『智恵子の紙絵』、同54年(1979)には再び筑摩書房で『智恵子紙絵』、同63年には西武アート・フォーラムさんの『智恵子紙絵展』図録、平成に入ると8年(1996)、芳賀書店より『智恵子紙絵の美術館』、翌年には二玄社『智恵子その愛と美』などの画集が刊行されました。見比べてみると、日本の印刷技術発展史が表れているように感じます。

智恵子の故郷・二本松に隣接する福島県本宮市からイベント情報です。 

最初に、背景と概要をわかりやすくするために、先月、地方紙『福島民報』さんに出た記事を引用します。

”銀幕のマチ本宮”継承 NPOが定期的に映画上映

 旧本宮町(現本宮市)を舞台にした映画「こころの山脈(やまなみ)」の完成から今年で50年―。地域が映画製作に協力するフィルムコミッションの先駆けとなった本宮市で、若者に映画の魅力を伝え、地域おこしにつなげる活動が動きだす。市民有志でつくる団体がNPO法人化し、古里にちなんだ作品などを集めた上映会を定期的に開く。昭和期の市内のにぎわいを収録したフィルムのデジタル化にも取り組み、「銀幕のマチ」の歴史を伝える。
 団体は、市民ら約40人でつくる「本宮の映画文化を継承する会」。17日にNPO法人の登記が完了した。映画「こころの山脈」が50年の節目を迎えたのを機に、県、市などの行政機関と連携して映画文化の伝承活動に乗り出す。
 活動の第一弾として、9月19、20の両日、市内のサンライズもとみやで、「こころの山脈」のせりふから名付けた「カナリヤ映画祭」を開く。「こころの山脈」のほか、桑折町で撮影された「物置のピアノ」などを上映する。
 上映会は公共施設や病院など人の集まる場所で年数回開く予定だ。市の協力を得て小中学校での映画教室の開催も検討中で、青少年の健全育成につながる作品の上映を想定している。
 昭和期に市内で撮影された映像のデジタル化では、継承する会が保管している旧本宮町中心部などを撮影した「こころの山脈」メーキングフィルムや、市保管の記録映画などを半永久的に保存し、上映会を通して往時の古里のにぎわいを若者や子どもたちに知ってもらう。
 映画黄金期の昭和30年代、旧本宮町には本宮映画劇場と本宮中央館の2つの映画館があり、住民は銀幕のスターに熱狂した。時を同じくし、本宮小PTAの母親らが「子どもたちに国内外の良質な映画に触れてもらおう」と小学校で映画教室を開く取り組みを始めた。
 母親らの活動は映画製作にまで発展し、昭和40(1965)年には町を舞台とした「こころの山脈」を完成させた。
 しかし、小学校のカリキュラムの多様化や映画の衰退などで映画教室の活動は徐々に縮小し、昭和50年代に幕を閉じた。
 継承する会の会員のほとんどは小学生時代に映画教室を体験した世代だ。継承する会代表の本田裕之さん(59)は、映画製作に携わった母文子さん(92)らとともに、映画祭の準備に当たっている。新たな映画製作やロケの誘致なども思い描く。裕之さんは「若い人に、かつての本宮の活気を少しでも感じてほしい。気軽に映画や劇が観賞できる文化の発信地にしたい」と張り切っている。

■来月19、20日にカナリヤ映画祭
 9月19日午後3時にJR本宮駅前に集合し、約100年前に建てられ、今も当時の姿を残している本宮映画劇場を見学する。同5時からサンライズもとみやで「こころの山脈」を観賞する。
 20日は午前9時20分開演で、サンライズもとみやで「こころの山脈」、「物置のピアノ」のほか、旧本宮町が昭和53年に自主製作した「わが町78」などを上映する。入場無料。問い合わせは事務局 電話0243(34)2175へ。

※こころの山脈(やまなみ) 小学校に赴任した補助教員と子どもたちとの心の交流を描いた映画で、「本宮方式映画製作の会」が製作した。昭和40(1965)年に完成し、翌41年に公開された。本宮小や阿武隈川堤防など旧本宮町を舞台に、大勢の町民がエキストラや児童役で出演した。同年のブルーリボン特別賞を受賞した。資金集めやエキストラで地域が撮影に協力する「フィルムコミッション」の先駆けといわれ、「本宮方式」として全国に知れ渡った。
( 2015/08/18)

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本宮の映画文化を継承する会がNPO法人 実行委で報告 「こころの山脈」制作50周年記念活動も展開

 本宮の映画文化を継承する会(本田裕之代表)は8月3日、2015年第3回カナリヤ映画祭実行委委員会を本宮市中央公民館で開き、特定非営利活動(NPO)法人登録申請したことを報告した。
 今月11日にも登録を終える見通しで、NPO法人化により映画文化を継承する活動をより進め、広めていきたいとしている。
 今年は、本宮町(現本宮市)で1965(昭和40)年に自主制作された映画「こころの山脈」が制作50周年を迎えることから、記念活動も検討している。先ごろ、「こころの山脈」のDVDを老人ホームなどへ貸出したところ好評だったため、こうした活動を進めるいくことも申し合わせた。9月19〜20日に開く「カナリヤ映画祭」への来場も促す。
 「こころの山脈」は、優れた映画を育てようと始まったお母さんたちの運動「本宮方式映画教室」の象徴となった作品。町に赴任してきた教師と子どもたち心温まる交流を描いた映画で、山岡久乃さん、宇野重吉さん、吉行和子さんらの俳優陣とともに本宮小の児童も多数出演した。
 この映画のポスターは本宮市立歴史民俗資料館に保管されているが、このほど本宮小でもポスターが見つかっていることが報告された。現在、校長室に展示しているという。
 また、先月は有志による映画を語り合う夕べも開いた。貴重な記録映像「花の本宮」などを鑑賞し、DVDなどによる保存運動を進めることも話し合った。


映画「こころの山脈」。単に智恵子の故郷・二本松に隣接する福島県本宮市で撮影されたというだけでなく、劇中で「智恵子抄」が扱われます。

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その「こころの山脈」を中心に、福島と縁のある作品を上映する催しが「カナリヤ映画祭」。今年で3回目だそうです。

第3回カナリヤ映画祭 映画『こころの山脈』製作50周年記念

期 日 : 2015年9月19日(土)・20日(日)
会 場 : サンライズもとみや 福島県本宮市矢来39-1
日 程 :
 9月19日(土) 本宮映画文化をめぐる散歩と映画『こころの山脈』鑑賞
  15:00 本宮駅前出発(本宮映画文化をめぐる散歩)
  15:10 本宮映画劇場(大正時代建設、昭和の薫りが漂う本宮の映画名所)見学、上映有り
  16:10 サンライズもとみや見学 (本宮映画文化の歴史と『こころの山脈』資料など)
  17:00 映画『こころの山脈』 本宮映画文化をめぐる散歩参加者以外の方もご覧になれます
 9月20日(日) 『こころの山脈』50周年を祝う
  9:00  開場
  9:20  開演
  9:40  『陸軍』 昭和19年作品 木下恵介監督 上映時間87分
  11:22 『わが町'78』 昭和53年作品 本宮記録映画 上映時間40分
 《昼休憩30分》
  12:35 『一般公募作品』 シネリテラシー、子供たち製作の映画
  13:35 『物置のピアノ』 平成26年作品 邦画 上映時間115分
  15:50 『こころの山脈メーキングフィルム』 昭和40年作品 上映時間10分
  16:00 『こころの山脈』関係者舞台挨拶
  16:30 『こころの山脈』 昭和40年作品 吉村公三郎監督 上映時間104分
主催 : カナリヤ映画祭実行委員会 NPO法人本宮の映画文化を継承する会
  
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当方、初日の19日にお邪魔するつもりでおります。「智恵子抄」に関連する作品、ということで、ポスターやチラシ、当時の『キネマ旬報』、シナリオの載った書籍『日本シナリオ大系第5巻』(昭和49年=1974 映人社)などは持っているのですが、肝心の作品自体を観たことがありません。楽しみです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月4日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村で、ハーモニカ奏者の新井克輔から葉書を受け取りました。

この時期の日記は失われているのですが、郵便物の授受等を記録したノートは残っており、そちらに以下の記述があります。

新井克輔氏よりハカキ(仙台にハーモニカ教室を設けし事)

翌日には早速、返信の葉書を出しました。

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新井氏はかつての連翹忌ご常連で、ハーモニカ演奏で会に花を添えて下さっていました。

昨日に引き続き、光雲関連の情報です。

シンワアートオークション近代美術/木梨憲武

開催日 : 2015年 9月19日(土)
時 間 : 18:00
会 場
 : シンワアートミュージアム 東京都中央区銀座7-4-12 銀座メディカルビル
下見会 : 2015年 9月16日(水)~ 9月 18日(金) 10:00~18:00
           9月19日(土) 10:00~12:00 
出品点数 : 近代美術129点 木梨憲武8点
落札予想価格下限合計 : 近代美術:2億4,175万円  木梨憲武: 195万円

日本のアートオークション運営会社の中でも大手のシンワアートオークションさん。たびたび光雲作品が出品され、このブログでもご紹介していますが、今月開催のオークションで光雲の「木彫魚藍観世音」が出品されます。

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光太郎の箱書きがあるとのことで、真筆であれば非常に珍しい例です。それもあるので、落札予想額が8桁です。


もう1件。

毎年このブログでご紹介しています横浜南区山王町のお三の宮日枝神社さんのお祭りです。たくさんの神輿が出る中で、光雲の手になる彫刻が施された「火伏神輿」も出ます。関東大震災と、横浜大空襲の2回の火難をくぐり抜けたということで、「火伏」の名が冠されています。

当方、昨年は観に行って参りました。

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今年は9月18日~20日の3日間が例大祭だそうです。ところが公式サイトに「火伏神輿」の件が記されておらず、今年は出ないのかな、と思い、電話で問い合わせてみたところ、9月18日(金)13:30~、イセザキ・モールを巡回するとのことでした。

あとでイセザキ・モールのサイトを調べてみたら、チラシが掲載されていました。

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それから、やはり光雲作の獅子頭の木彫も、沿道にある書店の有隣堂さん前に展示されます。下の画像は昨年観に行った際に撮ったものです。火伏神輿も担がれていない時は同じ場所に置かれるようです。

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ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月3日

平成14年(2002)の今日、徳島県立近代美術館で「高村光雲とその時代展」が開幕しました。

この年4月から、三重県立美術館、茨城県立近代美術館、千葉市立美術館と巡回し、最後の開催地でした。光雲作品が約90点、光太郎木彫も5点並びましたが、意外といえば意外なことに、初の大規模な光雲展でした。

上記の記事でも解るように、光雲作品は散逸とまではいきませんが、その生涯に膨大な数が作られ、各地に存在するためです。また、弟子がほぼ全体を作り、仕上げのみ光雲が行って、光雲の銘が入れられたいわば工房作品も多く、そのあたりもネックです。

下記は当方が観に行った茨城展のチラシです。

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栃木県佐野市にある佐野東石美術館さんでの企画展です

木彫の美-高村光雲と近現代の彫刻-

会  期 : 2015年9月18日(金)~ 12月20日(日) 木曜休館
会  場 : 佐野東石美術館 栃木県佐野市本町2892
時  間 : 午前10時~午後5時
料  金 : 大人700円 小・中・高生300円

 日本近代木彫の父・高村光雲(1852~1934)を中心に、光雲門下の山崎朝雲,大内青圃,阿井瑞岑らの作品を展示いたします。また、光雲の高弟に学んだ平櫛田中,師事した澤田政廣,佐藤玄々(朝雲)など珠玉の作品を一堂に展示いたします。木彫の生命の輝きをどうぞご鑑賞ください。


最初にこの情報を見つけた時、「佐野東石」は人名かと思いました。ところがさにあらず、「佐野」は所在地の地名、「東石」は「東京石灰工業株式会社」の略で、コンクリートの原料や線路の敷石などに使われる砕石を扱う会社だそうです。美術館はかつての同社社長・故菊池登氏が、文化教養の高揚に寄与する目的で設立されたとのこと。

その意気や良し、というわけで、こうした小規模な私営美術館や文学館にはエールを送りたくなります。再来週あたり、あちら方面に行く都合がありますので、行ってこようと思っています。皆様もぜひどうぞ。


同館のサイトには、所蔵作品として光雲の木彫「牧童」が紹介されています。他にも光雲作品の所蔵があるかどうか、解りかねますが。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月2日

昭和30年(1955)の今日、『朝日新聞』に連載された「私のきいた番組」の第一回を執筆しました。

「私のきいた番組」は、9月4日、18日、10月9日、23日の4回にわたって連載された、ラジオに関する随筆です。

第一回は、ニュースをよく聴く、としたうえで、この年起こった森永ヒ素ミルク事件にも言及しています。

山形からイベント情報です。

第8回山形大学高校生朗読コンクール/群読劇「ビルマの竪琴」

 第8回山形大学高校生朗読コンクール/群読劇「ビルマの竪琴」に一般市民を無料招待します。
  ※ただし、事前にお申込みをお願いいたします。(当日のご入場も受付けます。)

  山形大学特別プロジェクト「いま、言葉を東北の灯(ともしび)に」の事業として、9月13日(日)に、山形市中央公民館多目的ホール(アズ七日町6階)において、第8回山形大学高校生朗読コンクール/群読劇「ビルマの竪琴」を開催します。
 
 朗読コンクールには、予選を通過した東北6県の高校生10名前後(選考結果によって変動します)が出場し、福島県にゆかりのある詩人で彫刻家でもある高村光太郎の作品を朗読します。

  群読劇「ビルマの竪琴」では、酒田市出身の演出家佐藤正文氏が演出を担当、出演者として磯部勉さん、大西多摩恵さんをお招きし、山形の子どもたち、一般市民のみなさん、山形大学学生とともに舞台を作り上げます。

日 時:平成27年9月13日(日) 13:00開場 13:30開演(終演予定17:00)
 第一部:高校生朗読コンクール 高村光太郎「智恵子抄」より
 第二部:群読劇「ビルマの竪琴」
 第三部:表彰式

会 場:山形市中央公民館多目的ホール (山形市七日町一丁目2番39号 アズ七日町6階)

お申込み方法
  チラシ裏面の入場申込書に、代表者氏名、代表者住所、電話番号、同行者氏名、合計人数(5名まで)をご記入の上、郵送・FAX・メール・電話のいずれかからお申込みください。
※電話によるお申込み・お問合わせは、平日9:00~17:00にお願いします。
申込み締切り:平成27年9月9日(水)まで
お申込み・お問合わせ先:山形大学エンロールメント・マネジメント部社会連携課
〒990-8560 山形市小白川町1-4-12
TEL: 023-628-4016 FAX: 023-628-4491 E-mail:
embml@jm.kj.yamagata-u.ac.jp

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6月にこのブログで出場者募集の案内をご紹介した山形大学さん主催の朗読コンクール、本選が行われます。同時に群読劇「ビルマの竪琴」の上演も。

「いま、言葉を東北の灯に」をサブタイトルに、宮澤賢治や井上ひさし、藤沢周平など東北出身の作家の作品を取り上げてきたイベントです。平成23年(2011)からは、東日本大震災を受け、参加資格を東北6県の高校生に広げ、復興支援の意味も付与してて実施しています。

こういう活動を通し、若い世代に光太郎智恵子の世界を深く知ってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月1日

昭和44年(1969)の今日、光太郎がよく利用した花巻電鉄の花巻 - 西花巻 - 西鉛温泉間が廃線となりました。

昭和20年(1945)から光太郎が7年間住んだ太田村の山小屋からは、徒歩1時間ほどの二ツ堰駅で乗車、花巻町に出る時や、逆方向の大沢温泉、鉛温泉などに行く際に利用していました。

下の画像は少し前に入手した古絵葉書です。

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先週、オンエアされたテレビ東京系BSジャパンさんの、「空から日本を見てみよう+ 岩手県花巻温泉~遠野」では、花巻駅近くに静態保存されているデハ3型が取り上げられました。

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内部にもカメラが入りました。座っている乗客にもつり革が必要だったというのですから笑えます。

2系統あった花巻電鉄、昭和47年(1972)には花巻 - 花巻温泉間が廃線となり、その歴史に幕を閉じました。

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