2014年10月

またまたテレビ放映情報です。

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年11月 1日(土)17:30~18:30  再放送 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
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 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
 
生前の光太郎と面識のあったお父様の影響で、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られた渡辺えりさんがゲストです。
 
お父様と光太郎にまつわるエピソードは、かつての連翹忌、一昨年5月9日の「徹子の部屋」、昨年5月15日の花巻光太郎祭での講演などでご披露されました。
 
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今回もそのあたりのお話が聴けるのではないでしょうか。
 
また、現在、渡辺さんは宮沢賢治を主人公とした舞台「天使猫」の全国ツアー中。そのあたりも内容説明に入っています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月31日
 
昭和43年(1968)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の弟・高村豊周著『自画像』が刊行されました。
 
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基本、鋳金の人間国宝として活躍した豊周の自伝ですが、随所で光太郎智恵子、光雲についても語られており、貴重な記録です。

京都からの情報です。 

知恩院 秋の紅葉ライトアップ2014

 間 : 2014年11月1日(土)~11月30日(日)
 間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 ) 友禅苑、阿弥陀堂、黒門坂 
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小中学生)
      [団体割引]大人30名以上、1割引き
   京都府 京都市 (公社)京都府観光連盟 (公社)京都市観光協会、
      (公財)京都文化交流コンベンションビューロー 京都商工会議所
   西日本旅客鉄道(株)京都支社 京阪電気鉄道(株) 古川町商店街振興組合
      宮崎友禅翁顕彰会
 
~復興への祈り~
今年の知恩院ライトアップは友禅染の創始者宮崎友禅斎を祀る庭園「友禅苑」、阿弥陀如来坐像をお祀りする「阿弥陀堂」、紅葉の名勝である「黒門坂」をライトアップします。
また、災害復興のため阿弥陀堂前にて献灯ロウソクと三門前広場にて宮城「希望の環」による東北地方物産の直売(11月15日[土]〜24日[月])を実施いたします。
 
主な見どころ】
 友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎ゆかりの庭園。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池は高村光雲作の聖観音菩薩立像が佇んでいます。移ろう季節の中で、秋の趣を感じることが出来ます。
 
 阿弥陀堂
明治43(1910)年に再建。本尊は御身丈2.7mの阿弥陀如来坐像。様々な法要儀式を執り行う堂宇です。堂内に並べられている木魚は自由に叩いて頂けます。法然上人のみ教え「お念仏」に触れて下さい。
※法要儀式のため閉門する場合がございます。
 
 黒門坂
本年のライトアップが初公開となる黒門坂。徳川将軍家による寺領拡大と共に組まれた石垣と、桃山城より移設した城郭風の黒門が特徴で、現在では知恩院境内有数の紅葉の名勝となっており、背景に京の街並みを見渡すことができます。
 
 災害復興支援 献灯
ライトアップ期間中、知恩院の阿弥陀堂前で献灯ロウソクを行います。献灯台へ祈りの灯をお捧げください。
※献灯冥加は災害復興のため一部寄付いたします。
 
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寺の町だけあって、京都にも光雲の仏像がかなりあります。そのうち、知恩院さんの聖観音像が、紅葉を背景としたライトアップ。
 
近郊の方、あるいは紅葉を見に上洛される方、ぜひとも足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月30日

昭和42年(1967)の今日、二玄社から『高村光太郎全詩稿』が刊行されました。
 
光太郎の手元に残された大正5年(1916)から、昭和31年(1956)に歿するまでの詩稿、およそ850枚を写真製版し、北川太一先生が詳細な解説を加えた、上下二分冊の書籍です。
 
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昭和20年(1945)4月、空襲により駒込林町のアトリエは灰燼に帰しました。その際、光太郎はそれまでの詩稿を持ち出ましたが、行方不明となりました。
 
十和田湖畔の裸婦像制作のため、昭和27年(1952)に再び上京した光太郎の元に、詩稿の束が戻ってきました。それは炎上したアトリエの隣家、蔵石家で奇跡的に保管されていたのです。 
 
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アトリエ炎上から岩手時代を経て、歿するまでの詩稿はそのまま光太郎の手元に蓄積され続け、戻ってきた古い詩稿と合わせ、その数およそ850枚。中には光太郎の単行詩集に収録されず、同人誌的なものに発表されただけで終わり、どんな詩だったのか不明のものも、数多く含まれていました。
 
のちの筑摩書房刊行『高村光太郎全集』編纂に大いに役立ったことは言うまでもありません。
 
その詩稿を写真製版し、刊行されたのが『高村光太郎全詩稿』です。
 
推敲の跡が生々しく残り、さらに雑誌等に発表した後、単行詩集に収録する際の改変の跡などもうかがえる詩もあります。何より、活字からは感じ取りにくい、光太郎の息づかい的なものが、肉筆の文字から伝わってきます。
 
難点は、B4サイズの大判で、コート紙を使用しているため、かなりの重量であること。当方手持ちのクロス貼り表紙のもの(革張り表紙の特製版もあります)の上巻は3.7㌔㌘、下巻は3.8㌔㌘でした(笑)。

朗読系の公演情報。アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」などにも出演されていた麦人氏による語りの舞台です。

【じゃがいも村プロデュース公演】麦人じか~ん一人語り『智恵子とゐふ女』

会 場 : スペースじゃがいも村 東京都中野区鷺宮4-1-13 吉田ビルB1
期 日 : 2014年11月1日(土)~9日(日)
時 間 : 11/1~3、11/5、11/8、11/9 16:00から   11/4、11/6、11/7 19:00から  約1時間
出 演 : 麦人
 
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麦人さんサイトから。
 
高村光太郎の詩集「智恵子抄」は1941年に初出版された。
私は1944年生まれだが、
自分が生まれる三年も前にこの詩集は世に出ていたわけだ。
1941年は第二次世界大戦の中、
日本が米英などの連合国に宣戦布告し、
泥沼の太平洋戦争に突入していった年である。
そんな厳しく混沌とした日本社会の中で、
男女の個人的愛の姿を描いたこのような詩集が出版されたのは、 まことに驚きであり、稀有なことではなかったのか…。
これまでに「智恵子抄」は、
小説・評論、映画・TVドラマ・舞台と、多くの表現分野でとりあげられており、
その捉え方、描かれ方はさまざまである。
光太郎は彫刻家としてもすぐれた作品を多く残しており、
芸術分野で発揮したその才能は並々のものではない。
ゆえにあの当時としては数少ない女流洋画家であった智恵子は、 その自身の芸術への希求を、光太郎との生活のために放棄した犠牲者だと捉える人もいる。
いや、光太郎が純粋に妻へ捧げた
愛の詩だと捉える人もいる。
ま、さまざまな論はさておき、今回私が上演する台本は、
原作の詩を一語一句、
可能な限り間違えぬよう忠実に語りたい。
詩でなく、光太郎が智恵子について記した散文については、
光太郎自身の書いた「智恵子の半生」と、「智恵子の紙絵」から一部抜粋し、
一人語りにするため、私なりの手を入れた。
それでも内容的には
光太郎自身の書いたものにほぼそっている。
ともかくこの舞台で光太郎になりかわり語る私自身は、
「智恵子抄」の詩をメインに、古希を過ぎた今の私が感じるままの、一つの夫婦世界を、
可能な限り私自身の世界として、お客様にとどけられればよいと願っている。
そしてあわよくばお客様それぞれが、
お一人、お一人、独自に歩んでこられた人生と重ね、過去を思い、
未来を思ってくださるような舞台になれば幸いだと思うのである。

 
お申し込み、お問い合わせは麦人さんサイトをご参照下さい。
 
当方、11/5(水)の公演に参上します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月29日
 
昭和22年(1947)の今日、草野心平の詩集『定本蛙』の題字を揮毫しました。
 
『定本蛙』は翌年11月8日、大地書房から刊行されまし000た。
 
心平から光太郎に宛てた書簡が残っています。
 
それからぼくの『定本蛙』が大地書房といふところから出ます。『第百階級』と『蛙』からの抜萃とその後に出来たもののうちから十篇程、のものをひとまとめにしたものですが、またまた表紙の題字をお願ひいたしたいのですが、型は前の蛙のやうな大型のもの、
 
文面にある通り、光太郎はこれ以前にも心平の詩集や雑誌の題字を揮毫しています。
 
昭和6年(1931)には雑誌『弩』、同13年(1938)には詩集『蛙』、同18年(1943)には詩集『富士山』。
 
右は『定本蛙』の扉です。

テレビ放映情報です。 
BS-TBS 2014年11月1日(土) 21:00~21:54
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古くは「万葉集」に歌われ、高村光太郎の詩で「智恵子のほんとうの空」として広く日本人の心に響いた山、郷愁を誘う山となったのが安達太良山です。
 
単独峰ではなく、1700メートル級のピークのつらなりで、安達太良連峰とも呼ばれます。活発な火山活動によって生み出された頂きはそれぞれユニークです。中でも安達太良本峰と呼ばれる主峰は、山頂にドーム状の岩峰を突き出したシルエットから「乳首山(ちちくびやま)」とも呼ばれています。
 
今回安達太良山を登るのは、女優の春馬ゆかりさん。昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山です。山会は吹雪の中、白銀の頂を目指しましたが、今回は、錦絵のような見事な紅葉の安達太良山と出会います。
  
【ロケ日:10月6~9日】
 
出演される春馬さん、「昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山」とあるとおり、同じ番組の今年1月のオンエア、#32 「雪煙舞う厳冬の安達太良山」で、やはりご出演なさいました。
 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、春馬さんのレポートがありました。
 
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今回も上記内容説明に光太郎智恵子の名がありますので、少しでも紹介があるといいなと思います。ただ、基本、登山系の番組ですので、それほど深く突っ込まれないとは思いますが。前回は白銀の世界でしたが、今回は紅葉がメインのようです。
 
ちなみに(その1)、テレビといえば、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、来月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。当方、ロケハンでディレクター氏を犬吠埼や九十九里にご案内したり、放映用に資料を提供したり致しましたので、ご連絡を頂きました。
 
過日、当方が刊行した『光太郎資料』第42集。全国の関係団体や個人の皆様にお送りしましたが、その添え状に「歴史秘話ヒストリア」の放映が11月26日、と書きました。しかし、そういうわけで延期です。添え状の内容、ガセネタではありませんのでよろしくお願い申し上げます。
 
話を安達太良山の紅葉に戻します。
 
過日、福島の相馬方面に行った際、道の駅で入手した無料の『福島県観光ガイドブック\秋・冬のふくしまを巡る!/』によれば、安達太良山の紅葉の見頃は今月中旬までとのこと。しかし、平地の二本松霞ヶ城あたりでは来月下旬までだそうです。菊人形もまだ開催中。
 
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ちなみに(その2)、二本松といえば、智恵子生家・記念館があります。
 
過日行われたレモン忌の際、智恵子の描いた明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があり、そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。
 
同館学芸員の方から展示しました、ということでメールを戴きました。証拠として(笑)画像も添付されていました。
 
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順路のほぼ最後、矢張り智恵子の描いた油絵「ヒヤシンス」(こちらは肉筆です)の隣に展示していただきました。菊人形期間中は紙絵の実物の展示もありますので、ぜひ足をお運び下さい。
 
ちなみに(その3)、二本松といえば、智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。昨日、研修旅行で、成田からパリに向けてご出発なさいました。発会10周年ということで、豪勢に1週間近く、パリでの光太郎の足跡をたどるツアーだそうです。
 
成田空港は、当方自宅兼事務所からものの30分足らずの距離でして、お見送りに行って参りました。
 
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「智恵子抄」をはじめとする光太郎詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんもご参加。
 
1週間近くのご滞在で、途中、日本の味が恋しくなるだろうと思い、当方自宅兼事務所のある香取市名産のおせんべいを差し入れました。来週末には帰国早々のモモさんとまた一緒に仕事が入っていまして、その際には土産話と素敵なパリ土産が戴けるものと期待しております。エビでタイを釣る、とはこのことですね(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月28日
 
平成7年(1995)の今日、品川区立品川歴史館で、特別展「高村智恵子 紙絵とその生涯」が開幕しました。
 
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品川は智恵子終焉の地、ゼームス坂病院があったところです。同じ平成7年には病院跡地に智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建立されています。

一昨日、福島県いわき市に行って参りました。
 
過日、ご紹介した「いわき賢治の会設立記念事業 賢治の宇宙 心平の天」を観て参りました。
 
会場はいわき芸術文化交流館アリオス内の音楽小ホール。
 
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午後2時の開演でした。
 
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第1部が、いわき賢治の会会長の小野浩氏、副会長で彫刻家の安斉重夫氏夫妻によるリレー講演。
 
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こちらは安斉氏の彫刻で、賢治童話「どんぐりと山猫」からインスパイアされたものだそうです。
 
終演までステージに立ち続けていました。ご苦労様です(笑)。
 
第2部はサロンタイム。
 
箱崎典子さんによる賢治童話「ざしき童子のはなし」の朗読、火の車太郎さん(小野浩氏ではありません)の手品、小野浩氏(火の車太郎さんではありません)主導で、賢治の「精神歌」斉唱と続きました。
 
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プログラムにはありませんでしたが、宮沢賢治イーハトーブセンター代表理事の栗原篤氏のお話。その後、休憩をはさんで第4部、「賢治のリズム」と題し、市島徹氏によるフルート演奏。賢治作曲の「星めぐりの歌」など。
 
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そして第4部で、朗読劇「あの時の言葉」。
 
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賢治、さらに賢治と縁の深かった光太郎、001草野心平の作品を代わる代わる朗読しながら、三人の生涯を追うという構成でした。
 
ナレーションが箱崎典子さん、朗読は箱崎耕平氏、緑川明日香さん、小野氏。
 
光太郎作品は緑川さんが担当し、「あどけない話」と「レモン哀歌」が扱われました。
 
あちこちの朗読イベント等にご出演されている方だそうで、その美声と美貌にはやられました(笑)。
 
いわき賢治の会さん、今後、どういった活動をなさっていくのか楽しみですが、是非とも光太郎と賢治の関わりについても掘り下げていっていただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月27日
 
昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエに、北川太一先生夫妻が新婚旅行の報告に訪れました。
 
当日の光太郎日記です。
 
晴、温、平熱 后北川太一氏新婚の細君同伴来訪、二本松訪問の話をきく、果物、はんぺん等もらふ、
 
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上記画像は文治堂書店さん刊行の『北川太一とその仲間達』から採らせていただきました。
 
節子夫人、今もお元気で、北川邸にお邪魔するたびに美味しいお茶等振る舞って下さいます。
 
今気づきましたが、来年、2015年は北川夫妻ダイヤモンド婚式ですね。いつまでもお幸せに。

「智恵子抄」中の詩に曲を付けた作品を自由曲に取り上げた学校があったので、先日、このブログにてご紹介しましたが、昨日、盛岡の岩手県民会館で、第67回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門が開催されました。
 
共に鈴木輝昭氏作曲の「亡き人に」が神奈川の清泉女学院音楽部さん、「レモン哀歌」が北海道の北海道帯広三条高校合唱部さん。
 
また、智恵子の後輩に当たる福島県立橘高校合唱団さん、日本女子大附属高校コーラスクラブ さんも出場しました。
 
結果、清泉さんが金賞、帯広三条さんと日本女子大附属さんは銀賞、橘さんは銅賞でした。
 
以下、朝日さんの神奈川版の記事から。見出しに光太郎の名が。 

神奈川)清泉女学院、光太郎表現し金賞 全日本合唱コン

岩手県民会館で25日に開かれた第67回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門で、Aグループ(8~32人)に関東支部代表として出場した清泉女学院は金賞、日本女子大付属は銀賞を受賞した。
 
 清泉女学院の自由曲は高村光太郎が作詩した「亡き人に」。妻の智恵子への深い愛情を表現した。部長の當麻真利奈さん(2年)は「部員で詩の意味を話し合い、詩の内容を、聞いている人たちに届けられるように歌った」。部員たちはステージ上で左右に分かれて立ち、高音の見事なハーモニーで会場を包んだ。當麻さんは「支えてくれた多くの方に感謝の気持ちを込めた」と振り返った。
 
 日本女子大付属は、与謝野晶子作詩の「絵師よ」を披露。伸びのある力強い声で、晶子の情熱を歌い上げた。部長の安藤春菜さん(3年)は「高校生には難解な歌詞もあったけれど、晶子の他の詩や短歌をいっぱい読んで学んだ」。歌詞をよく読み、日本語を美しく表現できるよう力を注いだという。気持ちよく楽しく、練習してきたことを出し切れた、と明るい笑顔で話した。
 
全国版にも大きく記事が出ました。
 
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写真は清泉さんです。
 
北海道版では帯広三条さんについて以下の記述が。
 
帯広三条は8年連続出場。自由曲で女声合唱とピアノのための組曲「智恵子抄」から選曲した「レモン哀歌」を、一体感のあるハーモニーで歌い上げた。部長の中居沙耶さん(3年)は「自分たちらしい合唱ができた」と話した。
 
12月17日には、ブレーン株式会社さんから、ライブ録音のCDが発売されます。こちらは全出場団体の演奏を収録。さらに後ほど、金賞受賞団体の演奏を収めたDVD/ブルーレイも発売されるはずです。今からたのしみです。
 
12/24追記 今年から、全出場団体のDVD/ブルーレイが発売されています。ただし、受注生産ですが。
 
ところで全国版の記事は、このように結ばれています。
 
日本人作曲家の曲が例年以上に多かったように感じたが、言葉の意味がいま一歩伝わらず、ちょっぴりもどかしくなる演奏も。合唱の醍醐味は、歌い手と聴き手の「共振」にあり。響きの源流である言葉にぜひ、もう少し意識を。
 
なるほど。
 
「部員で詩の意味を話し合い、詩の内容を、聞いている人たちに届けられるように歌った」という清泉さん、そういう意味でも頭一つ抜けたのかも知れません。
 
こうした入り口からでも、光太郎詩の世界に入っていく若い人達がもっともっと増えて欲しいものですね。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月26日
 
昭和38年(1963)の今日、資生堂ギャラリーで開催されていた第1回連翹会展が閉幕しました。
 
かつて昭和33年(1958)から42年(1967)にかけ、10回限定で、造型と詩、二部門の「高村光太郎賞」が存在しました。筑摩書房の『高村光太郎全集』の印税を賞金にあて、初めから10回限定と決めて始められたものです。
 
連翹会展は、その高村光太郎賞造型部門の選考委員、受賞者による展覧会として、この年から昭和43年(1968)まで、6回開催されました。
 
第1回展の出品者は以下の通り。
 
木内克、菊池一雄、佐藤忠良、白井晟一、高村豊周、高田博厚、谷口吉郎、豊福知徳、西大由、舟越保武、堀内正和、本郷新、向井良吉、柳原義達。錚々たるメンバーですね。
 
さらにこの年、京都で見つかった光太郎の木彫「蝉」「柘榴」も出品されました。

書道関連のイベント情報です。 
 
   平成26年10/31(金)~11/3(月)  10時~18時 (初日は20時・最終日は16時まで)
   東京芸術劇場 5F展示ギャラリー1  東京都豊島区西池袋1-8-1
   玉燕書道会
   毎日新聞社 日本詩文書作家協会 毎日書道会 他
 
 
書家の金子大蔵氏の個展のようです。
 
光太郎、そして智恵子の世界は、本当にいろいろな分野の表現者の方の創作意欲を刺激しているようです。やがて誰も取り上げなくなり、「高村光太郎? 智恵子? 誰、それ?」ということにならないようにと願っています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月25日000
 
昭和25年(1950)の今日、詩集『典型』を刊行しました。
 
昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎】では、大正3年(1914)、詩集『道程』が刊行されたことを書きました。
 
したがって、今日は詩集『道程』刊行100周年です。
 
詩集『道程』は光太郎の第一詩集です。それに対し、『典型』は自ら編んだ生前最後の詩集です。
 
第一詩集と最後の詩集が、年は違えど同じ刊行日。これは偶然でしょうか? それとも、光太郎自身が狙ってこの日にしたのでしょうか? 今となっては不明です。
 
光太郎は『典型』の装幀や扉のデザインを自らの手で行いましたが、かなりこだわっていました。自筆の装幀原画や、ボツにした扉の案も残されています。そうしたこだわりを考えると、刊行日もたまたま『道程』と同じ日、というわけではなく、自らの最後の詩集と考えてのことだったように思えます。 
 
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左が『道程』、左が『典型』、それぞれの奥付です。
 
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『典型』自筆装幀原案です。細かな指示無題がたくさん書き込んであります。
 
こちらはボツにした扉の案2種類と、実際に採用した扉です。 
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新宿中村屋さん。パン屋の老舗で、明治34年(1901)創業です。
 
創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻は、光太郎の朋友の彫刻家・荻原守衛と親しく、欧米留学から帰った明治41年には新宿にアトリエを構えました。翌年には中村屋さんが新宿支店を現在地に移転、本店とし(それまで本店は本郷だったそうです)、守衛を中心に、やはり帰国した光太郎、中村彝、柳敬助、戸張孤雁、中原悌二郎、中村不折らの美術家が集う「中村屋サロン」が形成されました。
 
その中村屋さんが、新宿の再開発に伴い、新たに「新宿中村屋ビル」を建設、来週、グランドオープンです。内部には「中村屋サロン美術館」が開設され、オープン記念に下記の企画展が行われます。 

中村屋サロン美術館 開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」

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会 期 : 2014年10月29日(水)~2015年2月15日(日)
 間 : 10:30~19:00(入館は18:40まで)
休館日 : 毎週火曜日(火曜が祝祭日の場合は開館、翌日休館)、1月1日
料 金 : 一般300円
 
中村屋サロン美術館の記念すべき第1回展覧会は「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」です。明治末から大正、昭和初期にかけて中村屋には多くの芸術家・文化人たちが集い、後に中村屋サロンと呼ばれるようになりました。本展では中村屋サロンが生まれたまさにこの場所に、そこに集った芸術家たちの作品が集結します。
 

第1章「中村屋サロンの胎動 碌山:穂高~海外時代」

第1章では、荻原守衛(碌山)が米・仏留学中に出会い、交流を深めた芸術家たち(柳敬助、戸張孤雁、斎藤与里、高村光太郎、中村不折)の作品を紹介いたします。彼らは各々帰国をしてからも、荻原や相馬夫妻を核に強く結びつき、やがて誕生する中村屋サロンの基盤をつくりました。

主な展示作品
荻原守衛《女》
柳敬助《順子》 1920年 公益財団法人 碌山美術館蔵
高村光太郎《手》 1918年 個人蔵 
 

第2章「中村屋サロンの躍動 碌山:新宿時代~」

第2章では、帰国後の荻原のもとに集った芸術家たち(中村彝、鶴田吾郎、中原悌二郎、堀進二、保田龍門)や守衛のブロンズを鋳造した山本安曇、相馬夫妻の長男の教師であった會津八一などの作品を紹介いたします。荻原は帰国後約2年で亡くなりますが、その芸術観は中村屋サロンのメンバーに引き継がれ、中村彝を中心に更なる発展を見せます。彼らは厳しい時代において、悩み、苦しみ、命を削りながら、それでも自らの芸術の高みを求めて制作活動に打ち込んでいったのです。
主な展示作品
中村彝《小女》 1914年
鶴田吾郎《盲目のエロシェンコ》 1920年
會津八一《林下十年夢 湖邊一笑新》 1949年
開館記念講演会「中村屋サロンの芸術家たち」
(抽選)
高階秀爾氏(公益財団法人 大原美術館館長)
美術史家で新宿区の名誉区民でもある高階秀爾氏をお招きし、「中村屋サロン」について学ぶ講演会です。日本近代美術史における中村屋サロンや、その代表作家についてわかりやすく解説していただきます。中村屋サロンに対する知識や興味が深まり、開館記念特別展をより深く楽しめる企画です。皆様のご応募をお待ちしております。
 
 日 2014年12月1日(月)18:00~19:30
場 所 新宿文化センターホール(東京メトロ副都心線・都営大江戸線東新宿駅A3出口より徒歩5分)
費 用 無料(ただし中村屋サロン美術館の入場券またはその半券の呈示が必要です)
参加方法 
 参加ご希望の方は往復ハガキに〒住所・氏名・年齢・電話番号・人数(2名まで)を明記の上、11月10日必着で 下記へご応募ください。抽選結果を返送いたします。
※当日、中村屋サロン美術館の入場券またはその半券と事前にお送りする受講票をお持ちください。
応募宛先 〒107-0062 港区南青山2-18-20南青山コンパウンド502 中村屋サロン美術館講演会係
 
 
一昨日には、美術館の内覧が行われ、報道もされています。 

中村屋サロン美術館が開館。荻原守衛ら「中村屋サロン」の芸術家作品集う

1世紀に渡り親しまれてきた新宿の老舗食品メーカー「中村屋」が、新宿本店ビルの建て替えにあたり、新たに「中村屋サロン美術館」を開館する。10月29日のグランドオープンに先駆けた内覧会では、開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」がお披露目された。
 
新宿中村屋ビル3階に設えられた中村屋サロン美術館は、展示室と多目的スペースを備えた約240平方メートルの文化芸術施設としてオープンする。白と赤の壁、木製の什器とレトロなランプが落ち着いた雰囲気。開館記念展は、中村屋から広まった近代日本の芸術潮流であり、また館名の由来ともなった「中村屋サロン」にスポットを当てる。荻原守衛、中村彝、高村光太郎、會津八一、中原悌二郎ら関連する作家による絵画、彫刻および書など約50点を集め、明治から昭和に掛けての芸術家達の文化交流の様相を提示した。
 
中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻は芸術に深い理解を示した文化人である。愛蔵と同郷の彫刻家・荻原守衛(碌山)を中心に、中村屋には多くの芸術家達が自然と集い、その様子がさながらヨーロッパのサロンのようであったことから、夫妻のもとに開花した芸術潮流は「中村屋サロン」と呼ばれた。同館の染谷省三館長は、「ここ新宿中村屋で生まれ、発信された芸術文化は中村屋のアイデンティティーである。それを後世に伝え、また人々の文化的集いの場“サロン”となる美術館にしたい」と話す。
 
本展の目玉となる作品が、萩原守衛によるブロンズ彫像『女』だ。不安定な膝立ちのポーズに秘められた躍動感を感じる一作であり、その造形美は必見である。同館の太田美喜子学芸員は、「美術史上ではよく知られた“中村屋サロン”の一般認知度の低下を食い止めるとともに、若者にその存在をもっと知ってもらいたい」と言い、若い世代の鑑賞者に向けて、出品作の中から中村彝の油彩画『小女』を推薦した。
 
相馬夫妻の長女・俊子をモデルに描いた本作は、肺病に侵された画家とモデルの恋のエピソードで有名。俊子の強いまなざしときりりとした太い眉、頬にさす紅色の生命感が鮮烈で、どこか現代にも通ずる魅力を持った作品だ。
 
その他、高村光太郎の『自画像』や、鶴田吾郎の『盲目のエロシェンコ』など有名作が出品され、コンパクトながら見どころの多い展覧会にまとめられた。
 
かつて多くの企業美術館が立ち並んだ新宿。新たな新宿の芸術サロンとしての同館の今後に注目したい。

 
 
光太郎の作品として、ブロンズの「手」無題、油絵「自画像」が並びます。
 
 右の画像が「自画像」。昔、中村屋さんが発行していたテレホンカードです。
 
当方、一昨年の5月、信州安曇野の碌山美術館で開催された、守衛の忌日「碌山忌」の際、当時の中村屋さんのCSR広報室長・吉岡修一氏の講演「新宿中村屋の創業者 相馬愛蔵・黒光の商人道と中村屋サロン」を聴きました。
 
この「自画像」の話も出、各地の企画展などへの貸し出しが多く、光太郎は「中村屋一出張の多い男」だそうです(笑)。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月24日
 
明治36年(1903)の今日、智恵子在学中の日本女子大学校で、第三回大運動会が開催されました。
 
 
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上の画像はこの年発行された『日本女子大学校学報』第二号に載った運動会の様子です。どこかに智恵子や平塚らいてうがいるかも知れません。
 
同書によれば、当日のプログラムは以下の通り。
 
番外   テニス
第一   双球転々
第二   鞠体操(英国式)
第三   操鞠競走
第四   くらぶ体操(英国式)000
第六   風船競走
第七   綱引
第八   御給仕(米国遊戯)
第九   亜鈴体操(丁抹式)※丁抹=デンマーク
第十   白妙(和蘭遊戯) ※和蘭=オランダ
第十一  案山子競走
第十二  にんふ(希臘式) ※希臘=ギリシャ
第十三  輪抜競走
第十四  辰宿列張(米国遊戯)
第十五  亜鈴体操(仏国式)
第十六  容儀体操(デルサート式)
第十七  自転車
第十八  綱引
第十九  長竿体操(仏国式)
第二十  御手球
第二十一 旌旗翩々(日耳曼遊戯)※日耳曼=ゲルマン
第二十二 球竿体操(英国式)
第二十三 徒競走
第二十四 軽麗体操(西班牙式) ※西班牙=スペイン
第二十五 第二虹霓舞(仏国遊戯)
第二十六 自転車
第二十七 障害物競走
第二十八 あまぞん(羅馬式) ※羅馬=ローマ
第二十九 旦暮鈴(西班牙遊戯)
第三十  花売り(仏国遊戯)
第三十一 ばすけつと、ぼーる
第三十二 円舞

 
右上の画像、前列右が智恵子です。後列右端の女性がバスケットボールを持っています。おそらくこの写真も運動会の一コマでしょう。

「芸術の秋」ということで、いろいろなイベントが目白押しです。幸い、光太郎智恵子に関するイベントもかなりあって、ありがたいかぎりです。
 
それらのご案内、行ってみてのレポート、さらには新刊書籍でも光太郎智恵子に関するものが続々出ています。そんなこんなで、このブログ、今のところの構想では、半月先まで書く内容が決まっています。一気に紹介するのも大変ですし、逆にネタ切れになってしまうのも怖いので……。
 
そう思って情報を小出しにしていたら、チョンボをやってしまいました。下記イベント、開催はまだ先なのですが、申し込み〆切が過ぎてしまいました。ただ、まだ定員に達していない可能性もありますので、ご紹介します。 

郷土文学講座 高村光太郎・智恵子と千葉県

 
 
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日 時 : 2014年11月8日(土) 10:00~12:00
会 場 : 千葉市立稲毛図書館 千葉市稲毛区小仲台5-1-1
講 師 : 中谷順子さん(日本ペンクラブ会員・詩人)
定 員 : 30人
対 象 : 千葉市民(在勤・在学者含む)
 
講師の中谷さんは、地方紙『千葉日報』に「房総の作家」を連載されています。平成21年(2009)から22年(2010)にかけては、光太郎も取り上げて下さいました。また、その後すぐ書かれた水野葉舟の項でも光太郎にふれています。
 
申し込み〆切が昨日でした。定員30名と少ないのですが、対象が在勤・在住を含む千葉市民限定です。まだ空きがあるかも知れません。希望される対象の方、問い合わせてみて下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月23日
 
昭和28年(1953)の今日、青森市野脇中学校で催された文芸講演会で講演をしました。
 
この2日前が十和田湖畔の裸婦像(通称「乙女の像」)の除幕式で、その流れです。
 
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像の建立に協力した佐藤春夫、菊池一雄、草野心平、像を含む一帯の設計を行った建築家の谷口吉郎も演壇に立ち、豪華な講演会でした。
 
青森在住の彫刻家で、光太郎の肖像を作られた田村進氏はこの講演を聴かれたそうです。
 
講演の内容は翌月の『東奥日報』に掲載され、筑摩書房刊行『高村光太郎全集』第19巻に収められました。
 
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注目すべきは、この中で「乙女の像」という語が既に使われていること。
 
地元十和田の十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで、像の建立60周年や十和田湖国立公園指定80周年ということで、『乙女の像ものがたり』(仮題)という書籍を編集中です(当方も一部執筆させていただきました)。その流れで、ボランティアの皆さんの中で、「乙女の像」という愛称がいつから使われているのか? といった疑問が出、故・髙村規氏や北川太一先生に質問されたりもしていました。
 
はっきりしたことは分かりませんが、除幕された昭和28年(1953)の段階で、すでに「乙女の像」の語が使われていたことは、上記光太郎の講演で分かります。ただ、定着するのはもっと後のようですが。
 
また、この像、「みちのく」という愛称もあります。こちらは昭和28年(1953)7月1日発行の『毎日グラフ』に載った、中野のアトリエ訪問記の題名が「“みちのく”の女神」となっており、もっとも古い使用例と思われます。
 
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また、昭和31年(1956)、『サンデー毎日』や『家の光』に載った光太郎の追悼記事では、像の写真に「みちのく」というキャプションが付けられています。
 
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第67回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の中学、高校部門が今月25(土)、26日(日)に盛岡市の岩手県民会館で行われます。
 
合唱楽譜の発行、販売を専門にしているパナムジカさんのサイトに、コンクール情報として、参加校と演奏曲目の一覧が書かれています。
 
それによると、高校Aの部(8~32人)で、光太郎作詞、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための組曲 智恵子抄」」から自由曲を選んだ学校が2校ありました。
 
北海道帯広三条高校合唱部さんが「レモン哀歌」、神奈川の清泉女学院高等学校音楽部さんが「亡き人に」。それぞれ難曲ですが、さすがに全国まで駒を進める学校ですので、しっかり歌いこなせているのでしょう。入賞してほしいものです。
 
以前にも書きましたが、この「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」は、智恵子の母校・福島高等女学校の後身である福島県立橘高校合唱団による委嘱作品です。同校合唱団は、この組曲全3曲の中から1曲ずつを自由曲とし、平成21年(2009)から3年間、全日本合唱コンクール全国大会に出場し、上位入賞しています。昨年には楽譜が刊行され、他校でも取り上げるようになったということでしょう。
 
ちなみに橘高校さん、やはり今回の全国大会に出場します。同じく鈴木輝昭氏の作曲で、大岡信作詞の「肖像」が自由曲です。
 
智恵子の後輩、といえば、日本女子大附属高校コーラスクラブ さんも出場します。自由曲は、やはり鈴木輝昭氏の作曲、与謝野晶子作詞の「絵師よ」。
 
昨日の『朝日新聞』さんに、この全国大会の特集記事が載りました。中高・大学一般合わせて出場122団体のうち、4つがピックアップされ、紹介されています。
 
高校の部では、初出場の京都女子高さん。開催地である岩手出身の宮澤賢治作詞「無声慟哭」(西村朗作曲)が自由曲ということです。「無声慟哭」は賢治の妹・トシ(やはり智恵子の後輩です!)の死に際して作られたもので、「レモン哀歌」と並び称される有名な挽歌です。
 
記事から一部引用させていただきます。
 
 部員たちの楽譜を見せてもらうと、意味の解釈がびっしりと書いてある。「無声慟哭」は、宮沢賢治が、愛していた妹を亡くした悲しみや葛藤を表現した詩だ。5日間、昼休みも話し合いを重ね、難解な詩を解釈。意味を意識しながら歌うようにしている。
 豊かな表情で表現することにも、力を入れているといい、「一つ一つの歌詞に合わせた表情を心がけたい」とアルトパートリーダーの成田千夏さん(17)。
 
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大切なことですね。合唱ですから、音程やハーモニー、リズム、ディナミークといった音楽としての要素がしっかりしていなければ仕方がありませんが、それと同じくらい、歌詞をどう伝えるか、ということも大切だと思います。
 
ここまで書いて想い出しました。当方、学生時代から合唱を続けています(社会に出てからサボっていた時期もありましたが)。学生時代に歌った曲の中に、故・伊藤海彦氏作詞の「島よ」(大中恩作曲)、「季節へのまなざし」(荻久保和明作曲)があり、当時、やはり詩の解釈に随分こだわりながら歌ったなあ、と。
 
そこで、過日、鎌倉のギャラリー笛さんにお邪魔した際、偶然にも伊藤氏の夫人にお会いすることができ、驚くと同時に感激いたしました。当方にとっての伊藤氏は、光太郎と交流のあった詩人というだけでなく、「島よ」「季節へのまなざし」の伊藤氏なのです。
 
閑話休題。全日本合唱コンクール全国大会、各校ともがんばってほしいところです。特に北海道帯広三条高校合唱部さん、清泉女学院高等学校音楽部さん(そういえば、清泉さんも鎌倉でした)には、しっかりと光太郎詩のこころを表現していただきたいものです。
 
ちなみに一般公開もされるはずですので、岩手方面の方、足をお運び下さい。25,26両日とも9:45開演だそうです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月22日
 
昭和24年(1949)の今日、智恵子の母・センが、千葉県九十九里で歿しました。
 
智恵子に負けず劣らず、波乱の生涯でした。センは智恵子の祖母・ノシが智恵子の祖父・次助と結婚した際の連れ子。智恵子の父・斎藤今朝吉と結婚し、智恵子をもうけてから夫婦で長沼家の養子に入りました。
 
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8人の子供のうち、智恵子を含む5人に先立たれ、1人は音信不通。さらに長沼酒造の隆盛と破産……。しかし、晩年は五女セツのもとで落ち着いた生活を送り、光太郎からの心遣いもあり、それなりに幸福だったと思われます。
 
下記画像は昭和3年(1928)夏、箱根で撮られた一葉。光太郎智恵子夫妻と、センです。
 
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一昨日、福島県南相馬市民文化会館ゆめはっとにて、邦楽奏者、浜根由香さんのコンサート「東北を謳う」を聴いて参りましたが、午前中には隣接する相馬市まで行って来ました。
 
目的地は原釜尾花海水浴場。明治40年(1907)夏、智恵子がここに滞在し、海水浴(当時は「潮湯治」といっていたそうですが)を楽しんだ場所です。父・今朝吉、弟・啓助も同行していました。さらに大正6年(1917)にも智恵子はここに滞在しました。
 
当方の刊行している『光太郎資料』中に、「昔の絵葉書で巡る光太郎紀行」という項があり、過日刊行した第42集で原釜尾花海水浴場を取り上げました。下記が昔の原釜の絵葉書です。
 
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ところが当方、実際にここを訪れたことがなかったので、浜根さんのコンサートが南相馬で開催されるのを幸い、足を伸ばしてみました。
 
『光太郎資料』作製のためにいろいろ調べていた中で、やはりこのあたりも東日本大震災の津波による甚大な被害を受けていたことは知っていましたが、やはり百聞は一見にしかず、です。
 
さて、海岸に到着。目に飛び込んできたのは、いきなりこれです。
 
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かつて宮城の石巻女川で、こうした風景は見ていますが、やはり見慣れるということはありません。
 
慰霊碑も建っていて、手を合わせて参りました。
 
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かたわらには藤棚が。説明板もありました。
 
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波打ち際には海水浴場の展望台。これは震災後によくテレビなどに登場しました。時計台の時計はあの日、止まったままです。ただし、針はずれています。津波が来たのは午後4時頃だそうです。
 
 
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展望台から見た海。この海が、牙をむいたのかと思えないほど、とてもおだやかでした。
 
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原釜海岸をあとに、南相馬に向かいました。途中、「道の駅そうま」があったので寄ってみました。
 
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すると、「震災伝承コーナー」という一角がありました。
 
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パネルやモニターで、津波の被害について説明がなされています。
 
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被害のすさまじさを示す、「現物」の資料も。
 
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その後、南相馬のコンサートに向かいました。
 
さらに終演後、国道6号に出て、常磐富岡インターから高速に乗り帰宅。国道6号も、先月、通行止めが解除されたものの、相馬地区はまだこういう状況です。
 
通行止めは解除になったものの、原発に近い区域では、歩行者、自転車、そして自動二輪でも通行不可です。許可証を持つ地元の方以外は、脇道には一切入れません。
 
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全国の原発を抱える自治体の皆さん。再稼働に賛成なら賛成で、ご自分の街がこういう状況になるかもしれないという覚悟はできていますか?
 
かつて智恵子が滞在した原釜に話を戻しますが、原発事故による海洋汚染も深刻で、漁業も周辺では未だに試験操業の段階、全壊した相馬原釜地方卸売市場の再開も来年になる見込みとのことです。
 
こちらも昔の原釜の絵葉書。こういう光景が復活するのはいつのことになるのでしょうか……。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月21日
 
明治23年(1890)の今日、上野公園桜ヶ岡の日本美術協会列品館で絵画展覧会が開幕し、光太郎の姉・さくの作品も並びました。
 
出品作は絹本堅淡彩の「鍾馗図」。数え16歳で夭折したさくですが、狩野派の絵を学び、将来を嘱望されていました。光雲にとっては期待の娘、光太郎にとっては自慢の姉でした。
 
のちにやはり画家志望の智恵子と結ばれた光太郎、日本画と洋画の違いこそあれ、そこにさくの面影を見ていたのかも知れません。

昨日は福島の相馬方面へ行って参りました。
 
第一の目的は、邦楽奏者、浜根由香さんのコンサートです。題して「浜根由香 東北を謳う」
 
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第二の目的については、また明日書きます。
 
目的地は福島県南相馬市。福島第一原発のある大熊町の北ですが、先月、国道6号線の通行止めが解除されたので、アクセスが容易になりました。そのあたりについても明日書きます。
 
 
会場は南相馬市民文化会館ゆめはっと。瀟洒な建物です。中に入って驚きました。渡辺えりさんの「天使猫-宮澤賢治の生き方-」のポスターが。そういえば、福島公演の会場がこちらでした。紹介しておきながらすっかり忘れていました。
 
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 いいコンサートでした。
 

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1曲目が、「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」で始まる、光太郎詩「樹下の二人」に故・小山清茂が作曲したもの。箏・唄ともに浜根さんの独奏です。当方、ホールで箏の独演を聴いたのは初めてでしたが、マイク等一切使わず、生の演奏だったので驚きました。もっとも、ホールが小ホール的な「多目的ホール」というところでしたが、それだけに臨場感がすごく感じられました。
 
2曲目が「遠野」。柳田国男の『遠野物語』の一節に唯是震一氏が作曲したもの。三弦(三味線)と唄で、やはり浜根さんの独奏でした。最近、京極夏彦さんリメイクの『遠野物語』を読んだので、興味深く聴きました。
 
3曲目に、宮城道雄作曲の「瀬音」。浜根さんと、お弟子さんの中島裕康さんのデュエットです。唄はなく、浜根さんが箏、中島さんが十七絃。箏はリードギター、十七絃はベースギターのようだと思って聴きました。
 
プログラム最後、4曲目で、浜根さん編曲のメドレー「赤とんぼ・もみじ・小さい秋みつけた」。樋口雅礼瑤さんが加わって、お三方での合奏でした。ちょうど秋。いい感じでした。
 
その後、浜根さんと、今回のコンサートを企画された地元南相馬の佐藤英明さんのトーク、そしてアンコール的にプログラム外に3曲演奏がありました。佐藤さんの唄でサザンの「希望の轍」、インストゥルメンタルで「大きな古時計」、「少年時代」。会場の皆さんも、存分に楽しまれたようでした。
 
先日もご紹介しましたが、ライブ録音が手に入ります。復興支援も兼ねているそうです。是非お買い求めを。
 
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南相馬という街、原発事故前の常磐線が全線健在だった頃に列車で通過したり、すぐ南の小高町に行ったりしたことがありましたが、南相馬自体には初めて行きました。コンサート開演より早く着いてしまったので、歩いてみましたが、なかなかいい感じの街でした。当方の大好きなレトロな建物が残っています。
 
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特に、コンサート会場・ゆめはっとのすぐ隣が「野馬追通り銘醸館」という施設で、ミニテーマパークのようになっており、みどころです。何棟かある建物自体も明治、大正、昭和戦前のものです。
 
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「昭和蔵」という建物は、内部に昭和30~40年代が再現されていました。
 
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先述の通り、国道6号の通行止めが解除となり、アクセスが便利になりました。ぜひ足をお運び下さい。
 
明日は隣接する相馬市などのレポートを書きます。
 
追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月20日002
 
昭和31年(1956)の今日、龍星閣から光太郎著『赤城画帖』が刊行されました。
 
光太郎没年の追悼出版的なものですが、元は明治37年(1904)に、群馬の赤城山を訪れた光太郎が描いた画帖です。
 
鉛筆スケッチ28枚、さらに明治期に赤城を詠んだ短歌が多数収録されています。解説はスキーヤーの猪谷六合雄。光太郎が赤城で定宿としていた猪谷旅館の子息です。
 
右の画像が『赤城画帖』。白っぽいのは、例によってパラフィン紙をかけてあるせいです。
 

福島いわきからイベント情報です。まもなくの開催です。 
主 催 : いわき賢治の会
期 日 : 2014年10月25日(土)
会 場 : いわき芸術文化交流館アリオス音楽小ホール 福島県市平字三崎1番地の6
開 場 : 13時30分
開 演 : 14時
料 金 : 1,000円 (学生500円)
 
第1部 : レー講演
 小野 浩 宮沢賢治学会会員市暮らの伝承郷館長
 安斉 重夫 宮沢賢治学会会員鉄の彫刻家ーハーブ賞奨励賞受賞
 安斉 ツ子 宮沢賢治学会会員

第2部 : サロン
 い賢治の会会員
 賢治の 精神歌」 の練習

第3部 : 賢治のズム フルー演奏
 市島 徹氏
 東京音楽大学卒小林研一郎指揮仙台フルとコンの夕べ出演
 福島高専吹奏楽部の指導者
 ・星めの歌
 ・ポラーの広場の
 ・ポランの広場  他

第4部 : 朗読劇 あの時の言葉
 箱崎 耕平 絵本と朗読の会会長
 箱崎 典子 絵本と朗読の会事務局長
 緑川明日香 声の表現舎プア代表朗読家
 小野 浩
 
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第4部の朗読で、光太郎作品も扱われるとのことです。
 
先月発足したという、「いわき賢治の会」の小野浩会長からの情報です。小野氏は元いわき市立草野心平記念文学館学芸員で、昨年、二本松の智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座'13」の講師も務められました。
 
新聞報道も送って下さいました。
 
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ちなみに小野氏の他に講演をなさる安斉重夫氏。一昨年上演された渡辺えりさん作の舞台「月にぬれた手」「天使猫」のパンフレットに文章を寄せられていました。
 
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実は当方、今日も福島(相馬方面)に行っていたのですが、また次の週末も行くことになりそうです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月19日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻町で「花巻賢治子供の会」の公演を観ました。
 
同会は光太郎と交流のあった故・照井謹二郎氏が登久子夫人と共に昭和21年(1946)に子供達による劇団として設立したもの。賢治童話を上演し続けました。そもそもの始まりは、花巻郊外太田村山口の山小屋(高村山荘)に独居していた光太郎を慰安する目的だったようですが、光太郎に激賞され、本格的に公演を行うようになったそうです。

先日、5日に福島二本松行われた智恵子忌日の集い「レモン忌」を報じた『福島民報』さんの記事コピーを、主催の智恵子の里レモン会さんから戴きました。
 
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他紙、または『福島民報』さんでも他に光太郎智恵子がらみの記事が出ていないかと思い、昨日、当方の住む香取市の隣・成田市立図書館に行って参りました。同館では復興支援として、、『福島民報』、『福島民友』の2紙が開架で置いてあります。
 
ところが、主に原発事故による避難生活を余儀なくされている人のための措置ですので、原発のある浜通り地区の版で、二本松を含む中通り地区の記事はあまり多くありませんでした。レモン忌の記事も中通り地区の版にしか載らなかったようです。
 
そんな中で見つけたのが、菊人形の記事。さすがにこちらはいろいろ報じられていました。その中で、智恵子(と思われる)の人形が写っている記事がありました。やはり『福島民報』さんで、まだ開幕前の、作業中の写真です。
 
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二本松の菊人形出番待つ 11日開幕、着付け始まる

 福島県二本松市の県立霞ケ城公園で11日に開幕する「二本松の菊人形」の人形の着付けが始まった。台風一過となった7日、早朝から菊が次々と搬入され、主催する二本松菊栄会の菊師らが、約40体の人形に、丁寧に小菊を飾り付けた。
 「二本松の菊人形」は60回の記念開催となる。二本松城築城600年の節目の年とも重なることから、「にほんまつヒストリア」をテーマに地域の歴史に焦点を当てる。「二本松の提灯祭り」「二本松少年隊」のほか、詩集「智恵子抄」で知られる同市出身の高村智恵子・光太郎夫婦など全8場面に分けて表現する。
 例年の菊花展ゾーンに加え、ガーデンゾーンも新設する。NHKのテレビ番組「趣味の園芸」でおなじみのガーデンデザイナー・玉崎弘志さんに監修を依頼し、菊を魅力的に展示する。
 問い合わせは二本松菊栄会事務局 電話0243(55)5122へ。
福島民報 10月8日(水)
 
 
ところで「新聞記事」といえば、先頃相次いで全国紙にも光太郎の名が出ました。イベントなどの速報的な記事ではないので、すぐには紹介しませんでしたが、ここらでまとめて紹介します。
 
『朝日新聞』さんの今月2日の記事。教育面の連載、「おやじのせなか」です。
 
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各界著名人がご自分の父親について語るもので、この日は福島在住の詩人、和合亮一さん。以前にレモン忌で記念講演をされたこともあります。
 
最後をこのように結んでいます。
 
高村光太郎の「道程」に「常に父の気魄を僕に充たせよ」との一節があります。父の気迫を受け継いでも、超えたいとは思わない。むしろ超えたくない、超えなくていいんです。
 
そう思わせる立派なお父様なのですね。
 
ちなみに和合さん、以前にも『朝日新聞』さんに光太郎がらみで載りました。こちらです。
 
続いて9日の『日本経済新聞』さん。
 
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こちらも連載で「文豪が愛した美術十選」の第7回で「高村光太郎「手」」。
 
光太郎の代表作の一つで、大正7年(1918)頃の作です。最初に鋳造されたもののうちの一つが、自裁直前の有島武郎に贈られました。有島歿後は秋田雨雀の手に渡り、それを林芙美子が見たというわけです。
 
当方、寡聞にして『放浪記』に光太郎の名が出て来るとは知りませんでした。調べてみると、確かにこういう記述があります。
 
二階の秋田さんの部屋には黒い手の置物があった。高村光太郎さんの作で、有島武郎さんが持っていらっしたのだとかきいた。
 
いろいろな人物がいろいろなところで繋がっているものですね。
 
さて、この頃は地方紙の記事もかなりネットで読むことができるようになっています。しかし、全ての記事がアップされるかというとそうでもありません。実際、上記レモン忌の記事はネットでは見つかりませんでした。「私のところの新聞にこんな記事が出たよ」というのがありましたら、ご教示いただけると幸いです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月18日
 
平成10年(1998)の今日、新宿のスペース・ゼロで、鍵田真由美、佐藤浩希のフラメンコ「レモン哀歌〜智恵子の生涯〜」が上演されました。
 
能楽とのコラボレーションで、この年度の文化庁芸術祭新人賞に輝いています。

東京永田町の国立国会図書館さんで、明日から下記の企画展示が始まります。 
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国立国会図書館所蔵の貴重書等から、有名人の書簡や原稿を展示します。
国立国会図書館では、国内外の出版物以外にも、様々な資料を所蔵しています。このたび、古典籍資料、憲政資料等から、有名人約150人の直筆を集めた展示会を開催します。
お札になったあの人、教科書に載っているあの人は一体どんな字を書いたのでしょうか。書簡や原稿などからは、あの人の息遣いが聞こえてくるかもしれません。絵画や、今春から提供を開始した脚本の原稿も展示します。国立国会図書館ならではの展示をお楽しみください。
 
   平成26年10月18日(土)~11月18日(火) (日・祝は休館)
   午前10時~午後7時(土曜日は午後6時終了)
   国立国会図書館東京本館 新館1階 展示室(千代田区永田町1-10-1)
 金  無料

※途中で展示替え、展示箇所の変更を行います。
 
フロアレクチャー 10月28日(火)、11月11日(火)近代の政治家を中心に
 講師:季武嘉也(創価大学文学部教授 国立国会図書館客員調査員)
ギャラリートーク 10月25日(土)、11月8日(土)当館担当職員が見所をお話しします。
※いずれも14:00から40分程度。申込不要。展示会場受付にお集まりください。
 
主な展示物
 亡友帖(坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作、木戸孝允など)
 夏目漱石 葉書(正岡子規宛)
 勝海舟 自画像
 
展示構成とその他の主な「あの人」
 【特別展示】細川ガラシャ
 【第一部:近世】
  為政者とその周辺 二宮尊徳、徳川慶喜
  著作をめぐって 本居宣長、山東京伝
  科学の眼 杉田玄白、シーボルト、高野長英
 【第二部:近現代】
  幕末・維新の人々 吉田松陰、板垣退助、大久保利通、木戸孝允、榎本武揚、大鳥圭介
  歴代首相 伊藤博文、西園寺公望、原敬、吉田茂、鳩山一郎 
  議会政治家 尾崎行雄、浅沼稲次郎、市川房枝
  日露戦争の軍人 秋山真之
  明治の経済人 岩崎弥太郎、渋沢栄一
  教育家 津田梅子、嘉納治五郎
  学者 牧野富太郎、和辻哲郎
  文芸家 泉鏡花、正岡子規、柳原白蓮、谷崎潤一郎、大仏次郎、司馬遼太郎
  芸術家 岡倉天心、横山大観、北大路魯山人
 【形態別】
  絵画 川瀬巴水、浅井忠、藤田嗣治、狩野芳崖
  署名 新村出、江戸川乱歩、堀口大学、三島由紀夫、葦原邦子
  日記 斎藤実、芦田均
  家族への手紙 陸奥宗光、白洲正子、大山巌 
  脚本 菊田一夫、岩間芳樹、田中千禾夫、津田幸於、藤村志保、三田佳子
  その他 副島種臣
 
問い合わせ先 国立国会図書館利用者サービス部サービス企画課展示企画係
03-3506-5260(直通) tenji-kikaku@ndl.go.jp
 
上記は同館のプレスリリース等から引用させていただきましたが、「おもな「あの人」」の中に光太郎の名がありません。ありませんが、署名本(?)が展示されます。出品一覧には名前があります。
 
ちなみに一覧にはありながら、与謝野晶子や島崎藤村でさえ、「おもな「あの人」」に入っていません。
 
「署名」の項に名前が入っているというだけなので、詳細が分かりませんが、おそらく自著に署名したものなのではないかと思われます。後ほど暇を見て見に行ってきて、レポートします。
 
ところで、署名本。
 
当方、光太郎の「署名本」は一冊だけ持っています。特に収集の対象にしているわけではありません(第一、値段が張るので無理です)が、一冊くらいは持っていたいなと思い、十数年前に購入しました。
 
昭和17年(1942)山雅房発行の詩集『道程』改訂普及版の重版です。見返しに詩人の小池吉昌に宛てた署名が書き込んであります。
 
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詩集『道程』改訂版には、三種の版があります。昭和15年(1940)11月20日刊行で002定価4円80銭の「150部限定版」、同日刊行で定価2円80銭の「書店版」、翌年に刊行され定価1円80銭の「普及版」です。
 
上記署名本は「普及版」の、さらに重版(第8版)。付いているはずのカバーがありませんし、保存状態もよくなく、さらに蔵書印やら書き込みやらもかなりあり、普通なら売り物になりません。しかし、18,000円。ほとんど上記の署名に対して付けられた価格ですね。
 
ちなみに「150部限定版」の見返しにも、光太郎署名が入っています(右の画像)。しかしこれは印刷ですので、「署名本」とは言えません。これを持ち出して、「うちにも光太郎の署名本がある」とぬか喜びしないように気をつけて下さい。
 
その手の勘違いならまだしも、悪徳業者(ネットオークションの場合などは個人も)が「署名本」と偽って高値を付けることがないとは言い切れません(そういう例を見たことはないのですが)。お気を付け下さい。
 
「150部限定版」、相場としては10,000円位だと思います。それが「署名本」となると一桁跳ね上がりますが、本当の署名なのか、右の画像の印刷の署名なのか、よく確かめて下さい。
 
それ以外にも、ネットオークションでは、意外に署名本の偽物がよく出てきます。それなりに筆跡は似せているのですが、やはり力がありません。
 
一度、大笑いしたことがあります。詩人の宮崎丈二宛のつもりで作った偽物「署名本」が出品されていました。ところが「二」のはずが「二」になっていたのです。アホですね(笑)。
 
ちなみに当方、光太郎以外の「署名本」もかなり手元にあります。といってもやはり収集の対象にしているわけではなく、光太郎智恵子の資料として集めたものの中に、それぞれの著者の署名が入っていた、というものです。メジャーなところでは、瀬戸内寂聴さん、故・伊藤信吉氏、無着成恭氏などなど。ただ、光太郎のものなら見てわかりますが、そのあたりになると、当方には真贋の鑑定は出来ません。そこで、「これは違うぞ」と言われるのが怖いので、そのあたりの画像は載せません(笑)。
 
話がそれましたが、国会図書館の「あの人の直筆」、ぜひ足をお運び下さい。まさか偽物ではないでしょうから。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月17日
 
昭和41年(1966)の今日、花巻市太田の光太郎が七年間暮らした山小屋近くに、「高村記念館」が落成し、開館式が行われました。
 
なぜこの日かというと、昨年のこのブログの【今日は何の日・光太郎】でご紹介しましたが、光太郎が山小屋生活を始めた日だからです。
 
開館式には東京から故・高田博厚、故・草野心平、故・髙村規氏、当会顧問の北川太一先生などが駆けつけ、高田・草野の講演がありました。
 
記念館の看板は心平の揮毫です。
 
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記念館は、昨年、近くの花巻市歴史民俗資料館だった建物に移転、リニューアル仮オープンしました。来春にはさらに拡充されてグランドオープンの予定です。旧記念館は現在、倉庫になっています。

年2回、当方が刊行している手作りの冊子、『光太郎資料』。その42集が完成しました。以前から寄贈させていただいている団体、個人の皆さんには発送も完了しています。
 
以前にも解説しましたが、この『光太郎資料』、元々は昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、高村光太郎記念会事務局長の北川太一先生が第36集まで刊行されていたものですが、その名跡をお譲りいただきました。当方が刊行し始めた第37集から数えて6冊目の刊行ということになります。
 
昨秋、第40集を刊行した際には、岩手の地方紙『岩手日日』さんでご紹介いただきました。
 
毎回、6本ほどの記事を連載形式で載せています。
 
「光太郎遺珠」から
高村光太郎研究会から刊行されている雑誌『高村光太郎研究』の連載として、筑摩書房から刊行された増補版『高村光太郎全集』補遺作品を「光太郎遺珠」の題でまとめていますが、そちらは新たに見つかったものをその都度出している形です。そこで、テーマや関連事項ごとに分類、再構築し、画像や関連資料を交え、紹介しているものです。
 
今回は「造形作家として(四) 岩手にて」と題し、光太郎の彫刻や絵画の造形作家としての側面を表すもののうち、戦中戦後の昭和20年(1945)から同27年(1952)の、岩手での生活の中で書かれたものを紹介しました。
 
光太郎回想・訪問記 長与善郎「高村光太郎君のこと」/宮芳平「宮芳平自伝(抄)」
大正期の光太郎回想です。
 
光雲談話筆記集成   浅草の話(下)その1  『漫談 江戸は過ぎる』より
 
昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 第六回 原釜海岸(福島)
 
音楽・レコードに見る光太郎 「こどもの報告」(二)
昭和14年(1939)、「文部科学省選定日本国民歌」の一つとして作られた光太郎作詞の歌曲に関しての論考です。
 
高村光太郎初出索引(六) な行
 
第五八回連翹忌報告
 
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ほとんど手製のもので、お恥ずかしい限りですが、ご希望の方には送料のみでお分けしています。このブログのコメント欄、またはこちらからご連絡ください(コメント欄には非公開機能もついています)。37集からのバックナンバーも僅かながら残っています。
 
逆にこちらから勝手に寄贈しているので、送られている団体・個人の方で「こんなものいらん」という方も、同様にご連絡下さい。また、毎回、「転居先不明」などで戻ってくるものがあります。該当の方もご連絡いただければ再送付いたします。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月16日
 
明治43年(1910)の今日、画家の津田青楓に絵手紙を書きました。
 
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僕は何にも為ないで暮してゐる。暮せないのに暮してゐる。どうにか暮さうと考へながら暮してゐる。
一遍東京へ出て来ませんか。展覧会もあるから。 光
C'est moi
 
絵は自画像です。その下の「C'est moi」は仏語で「これは私です」の意。
 
この前年に欧米留学から帰った光太郎は、ロダンを頂点とする彼地の芸術界の様相と、旧態依然とした日本のそれとの、目もくらむばかりの差異にうちのめされ、日本にも新しい芸術を根付かせようと苦闘していた時期です。

一昨日、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」に行つて参りましたが、ちょうど先週末から「第60回 菊の祭典 二本松の菊人形」も始まっていましたので、早めに行って、観て参りました。
 
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会場は二本松霞ヶ城。台風19号の接近に伴い、生憎の雨でしたが、逆にそのせいでしょうか、駐車場も混んでいませんでした。
 
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会場に入ると、まずは「菊花展ゾーン」。地元の方々が丹誠込めて育てた菊の鉢が並んでいます。
 
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福島では、昔から菊栽培は盛んだったのでしょうか。下の画像は当方手持ちの古絵葉書。智恵子の母校、福島高等女学校、ただし、智恵子卒業後の明治36年(1903)に移転したあとです。やはりずらっと菊の鉢が並んでいます。
 
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続いて「菊人形ゾーン」。今年のテーマは「二本松築城600年 にほんまつヒストリア」。二本松の歴史に題を採っています。昨年まではNHK大河ドラマをテーマに行っていましたが、今年は方向転換です。
 
戊辰戦争の二本松少年隊。
 
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安達ヶ原の鬼婆伝説。
 
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そして、「あどけない話 詩人高村光太郎と智恵子 結婚100周年」。
 
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こちらが光太郎。大村昆さんのようで、ちょっと笑いました。
 
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そして、智恵子。
 
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あれっ? いません。そういえば、智恵子は結婚後も光太郎を残して、1年のうち数ヶ月、二本松(安達)の実家に帰ってしまうこともあったっけ……って、ここは二本松です(笑)。
 
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何と「着せ替え中」だそうで……。
 
ん? まてよ、さっき、作業小屋のようなところにいたのがもしかして……。
 
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ビンゴでした(笑)。
 
あっ! この顔は! 去年の「八重の桜」の時の八重さんではありませんか。去年はスペンサー銃を持っていたのが、今年は折り鶴ですか(笑)。
 
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他にもみごとなしつらえがいろいろありました。
 
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さて、菊人形を堪能002しましたが、まだ「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」の開始までに時間があります。そこで、旧安達町の智恵子の生家・智恵子記念館に足を伸ばしました。一年のうち、5月のGWと、この菊人形の時期には、智恵子の紙絵の複製でない実物が展示されているはず。
 
勝手知ったる二本松ですので、地元の人しか通らないような裏道を抜け、10分足らずで到着。
 
入場料410円を払って中に入りました。
 
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複製に混じって、実物の紙絵は10点展示されていました。やはり本物は違いますね。厚さはコンマ何㍉ながら、紙の重なりから立体感が感じられるのです。複製もきれいなのですが、それが感じられません。
 
二本松市では19点の実物を所蔵しています。先ほども書きましたが、一年のうち、5月のGWと、菊人形の時期には、実物が約10点ずつ展示されます。
 
ちなみに駐車場のトイレに寄ったところ、レモン石鹸が。「レモン哀歌」を意識してレモン石鹸を置いてあるとすれば、そのセンスには脱帽です。
 
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というわけで、菊人形、智恵子生家・智恵子記念館、ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月15日
 
大正10年(1921)の今日、芸術社からヴェルハーレンの訳詩集『明るい時』を上梓しました。
 
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文庫判よりさらに小さいサイズのかわいらしい本です。白っぽく写っているのは、パラフィン紙をかけているせいです。左が函、右が本体です。
 
エミール・ヴェルハーレン(光太郎の表記では「ヹルハアラン」)は、ベルギーの詩人。1855年の生まれですから、光太郎より1世代前です。
 
画家だった妻・マルトに贈った「時の三部作」(『明るい時』、『午後の時』、『夕べの時』)のうちの一つで、何やら『智恵子抄』を髣髴とさせますね。
 
この書の序文で、光太郎は以下のように記しています。
 
詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。
 
フランス語を知らない一人の近親者」は、もちろん、智恵子です。
 
内容的にも『智恵子抄』所収の詩との類似点が指摘され、いわば『智恵子抄』のスピンオフ(こちらの方が刊行が早いのですが)とも言えます。

昨日はまた二本松に行って参りました。
 
メインの目的は、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」。駅前の市民交流センターで開催されました。
 
その他に「二本松の菊人形」や智恵子生家・記念館にも立ち寄りましたが、そのあたりは明日に廻します。
 
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第1部が「私の中の「智恵子抄」~「智恵子抄」や智恵子光太郎への想いを語る~」、第2部が「二本松と智恵子~智恵子生誕の地二本松のこれからを語る~」。
 
市長さんの代理で市の教育長さん、観光協会長さん、にほんまつ未来創造ネットワーク事務局長さん、青年会議所理事長さん、安達中学校の生徒さん、そして夢くらぶの会員・会友の皆様がご参加、いろいろな想いを語られました。
 
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夢くらぶさんとしては、今年も5月に「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」、先月は「第6回 智恵子純愛通り記念碑建立祭プレミアム「音楽で紡ぐ純愛コンサート」」などを行ったものの、今ひとつ人が集まらず、危機感を持っているようです。
 
各団体でもいろいろな取り組みを行っていますが、もっともっと二本松を盛り上げるために、ということで、様々な提言がなされました。
 
当方、日本各地のいろいろな取り組みを見て歩いています。各地域でさまざまな取り組みを地道に行われている様子には、本当に頭が下がります。しかし、それぞれの地元でこぢんまりとやっているだけでは、だんだんとマンネリ化し、やがて消滅してしまうものです。
 
そうならないためにも、「点」での実施でなく、他の地域とのネットワークづくりが必要かと思われます。当方、そのための橋渡し役ができればと思っております。昨日はその想いを新たにさせられました。
 
多少過激なことを言わせていただければ、行政が動くのを待っていては駄目ですね。それぞれの自治体もそれなりに頑張っているのですが、前例のないことにはなかなか腰が上がらない、それまで積み上げてきたものも担当が変わればまた一から、イベント一つとっても、外の人間への発信よりも地元選出国会議員とか県議とかを重視する、そういう傾向があります。
 
まずは草の根の市民が声を上げ、行政を巻き込んで、あるいは行政の力を利用して、他の地域とも連携を深め、どんどん広げて行くといった方向でやっていくべきでしょう。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月14日
 
平成14年(2002)の今日、「鉄道の日」記念行事の一環として「東北の駅100選」が選定され、光太郎詩碑のある二本松駅も選ばれました。
 
全国に光太郎文学碑はかなりありますが、駅に詩碑があるのはここだけです。

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福島県がらみの情報ですが、福島からではなく、まずは東京から、続いて奈良からです。
日 時 : 2014年10月19日(日) 14時より(17時終演予定)
場 所 : ゴートクジISIS館 世田谷区赤堤2-15-3
                   
演 目 : 演奏、朗読、映像、ふくしまをめぐる話など
 演 : 世界的な口笛奏者 柴田晶子さん
      ピアニスト    松田光弘さん
      朗読 劇団百景社 鬼頭愛さん
会 費 : 2,000円(税込) 当日ご持参願います。
 
 : skyasu39@ybb.ne.jp
      上記のメールアドレスへ氏名と参加人数をお知らせください。

第一部 「ふくしまに歌う-しのぶ・かたる・つたえる-」
      口笛:柴田晶子  ピアノ:松田光弘  朗読:鬼頭愛
第二部 「ふくしまの姿見-阿多多羅山と阿武隈川-」
      福島で撮影した映像と福島にまつわるさまざまな話
第三部 「ふくしま返し歌-インタースコア一滴-」
      福島へメッセージを送ろう
 
今年は、口笛とピアノの演奏と共に「智恵子抄」の朗読、ふくしまの原郷の映像とふくしま語りが、ゆっくりと交差する時間をお届けします。
 
遠く離れたふくしまの面影を感じつつ、3.11で何が変わり、変わらないのか、ここも一緒に考えていきたいと思います。
 
 
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それから、以前からご紹介している兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマ「ほんとの空」。福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っていて、タイトルが光太郎詩「あどけない話」から採られています。
ここのところ各地で上映会が相次いで開催されていますが、奈良県葛城市でも行われます、というか既に2会場では終わっています。 

人権教育地区別懇談会

10 月26 日㈰19:00 辨之庄(辨之庄公民館)
11 月1 日㈯19:30 平岡(平岡公民館)
11 月15 日㈯19:30 竹内(竹内集落センター)
11 月16 日㈰19:30 中戸(中戸公民館)
11 月22 日㈯13:00 寺口(寺口ふれあい集会所)
11 月23 日㈰19:00 八川(八川公民館)
11 月30 日㈰19:00 薑(薑コミュニティセンター)
 
 
こうした取り組みで、もっともっと福島について考えていただきたいものです。
 
当方、今日はまた二本松です。智恵子のまち夢くらぶさんの主催で行われる「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」に参加してきます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月13日
 
明治31年(1898)の今日、東京美術学校の修学旅行兼運動会で栃木県日光に行きました。
 
2泊3日の行程でしたが、どうやって修学旅行と運動会を兼ねたのでしょうか(笑)。

昨日は鎌倉に行って参りました。
 
あじさい寺として有名な明月院さんの近くに、「ギャラリー笛」という不思議なお店があります。カフェ兼ギャラリー、店内でコンサートも行うというところです。
 
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こちらは光太郎の縁戚(妹・静子(しず)のお孫さん)にあたる山端様のお店です。
 
「笛」という店名の通り、店内にはオカリナや各種の笛をはじめ、さまざまな民族楽器なども並んでいます。
 
こちらで現在、「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情」という展示がなされています。
 
 
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お近くに光太郎と親交の深かった詩人の故・尾崎喜八氏、故・伊藤海彦氏が住まわれていて、山端家、尾崎家、伊藤家に伝わる光太郎関連のお宝が展示されています。
 
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彫刻、古写真、光太郎書簡、色紙、関連書籍などなどです。
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彫刻は尾崎喜八の結婚祝いに送られたミケランジェロ模刻の「聖母子像」(大正13年=1924頃)。原型は既に失われ、鋳造もこれ1点しか為されていない、非常に貴重なものです。
 
昨年、千葉市美術館他3館で巡回された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」にもお貸しいただきましたが、その時以来、約1年ぶりに拝見しました。
 
古写真は、すでにいろいろな書籍に掲載されているものの他に、少年時代の光太郎や、戦時中の山端家の結婚式での集合写真など、当方も初めて見るものがあり、驚きました。
 
書簡も、『高村光太郎全集』、さらにその補遺として当方が継続中の「光太郎遺珠」未収録のものが3通もあり、早速コピーを戴いて参りました。来年4月、高村光太郎研究会刊行の雑誌『高村光太郎研究』中の当方の連載「光太郎遺珠」にてご紹介します。
 
さらに驚いたことがもう一つ。
 
昨日、当方はお伺いするとも何とも言わず、突然お邪魔したのですが、たまたま、本当に偶然にも、故・尾崎喜八氏のお嬢さん・榮子様と、故・伊藤海彦氏の奥様もいらしていて、いろいろ貴重なお話が聴けました。
 
榮子様は上記チラシの画像、一番左に写っている女の子です。その隣が光太郎、そして喜八と故・實子夫人。實子夫人は光太郎の親友・水野葉舟の娘で、光太郎が取り持つ縁で結ばれました。したがって、榮子様は水野葉舟のお孫さんにもあたられるわけです。
 
そのあたり、以下の書籍に詳述されています。amazon等で購入可能です。
 
『夏の最後の薔薇 詩人尾崎喜八の妻 實子の生涯』004
2004/2/4 有限会社レイライン刊
重本恵津子著
 
女性の年齢を話題にするのも失礼ですが、榮子様は大正14年(1925)のお生まれ。故・伊藤海彦氏、北川太一先生も同じ年のお生まれです。昨日は、駒込林町のアトリエでの光太郎智恵子に関する思い出をお話ししていただきました。アトリエの2階が智恵子の画室で、智恵子にだっこしてもらい、その窓から駒込林町の風景を見たことなどなど。
 
生前の光太郎をご存知の方は、まだまだ方々にいらっしゃいますが(それでもだいぶ少なくなりましたが)、智恵子の生前を語れる方は、当方、他に存じません。本当に貴重な体験をさせていただきました。
 
さて、「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情」。11月4日(火)までの会期です。月水木はお休み、さらに10月26日(日)と11月1日(土)は臨時休業だそうです。時間は10:00~16:00だそうですが、昨日、当方は16:00過ぎても居座ってしまいました(笑)。
 
その他にも、音楽関連のイベント、講座等も行われています。
 
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ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月12日005
 
昭和27年(1952)の今日、「十和田湖畔の裸婦群像」(通称「乙女の像」)制作のため、7年半ぶりに帰京しました。
 
右は上野駅での一コマ。国民服に巨大な長靴(ちなみに光太郎の足のサイズは30㌢ほどあったといわれています)。
 
戦後のまだ傷跡の残る時代でしたが、朝鮮戦争による特需景気で、東京はかなり復興が進んでいました。その東京で、この光太郎の姿は実に異様だったそうです。
 
光太郎、このあとすぐに草野心平らを引き連れて生ビールを堪能、この日は駒込林町の実家に泊まりました。
 
戦前からいたばあやさんがまだ健在で感激したり、翌朝、空襲で焼失したかつてのアトリエ跡を見に行ったりしたと、この夏亡くなった甥の規氏の回想にあります。
 
アトリエ跡を見に行った13日には、中野に今も残る水彩画家、故・中西利雄のアトリエに入り、裸婦像の制作にかかりました。

今日も十和田湖ネタ、直近のイベント情報です。 

十和田湖遊覧船ワンコインナイトクルーズ

 日 :  2014年10月25日(土)
 間 : 16:30~
 金 : お一人様500円
 所 : 休屋遊覧船桟橋
 員 : 200名
 合 : 十和田湖総合案内所 0176-75-2425
 
ライトアップされた「乙女の像」や御前浜から桂ヶ浜までの湖畔歩道「乙女の湖道」に設置されたフットライトの夜景など湖上の遊覧船から、いつもと違う風景を楽しんでみませんか?
 
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昨日書いた通り、通常、1,440円の遊覧船がワンコイン500円で、しかもこの日は乙女の像のライトアップがなされるそうです。
 
真冬の「十和田湖冬物語」、夏の「十和田湖湖水祭り」でも像のライトアップがなされますが、この時期にもあったのは存じませんでした。調べてみたらワンコインクルーズともども、昨年も行われていました。
 
この日、十和田湖から流れ出す奥入瀬渓流では、「奥入瀬渓流エコロードフェスタ」というイベントを行っており、そちらとのタイアップ企画とのこと。そこで、奥入瀬渓流を通る国道102号線は、マイカー通行規制がかかりますのでご注意下さい。25日(土)と翌26日(日)、それぞれ9:00~15:00です。
 
ぜひ足をお運びください。
 
さて、7日、8日に十和田湖に行って参りまして、ここ数日のこのブログで撮ってきた写真をアップしましたが、乙女の像も滞在中に3回観に行きまして、画像に収めていますのでご紹介します。
 
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いったん十和田湖ネタを終了します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月11日002
 
大正7年(1918)の今日、智恵子ともども横浜港からカナダに渡航する作家・田村俊子を見送りました。
 
田村俊子は『青鞜』つながりで智恵子の親友。夫のやはり作家・田村松魚は光太郎と親しく、夫婦ぐるみのつきあいでした。
 
しかし、俊子と松魚の結婚生活は大正5年(1916)に破綻、その後の新しい恋人、ジャーナリストの鈴木悦を追って、俊子は太平洋を渡ります。
 
現地で結婚、帰国したのは悦死後の昭和11年(1936)。智恵子はゼームス坂病院に入院中でした。
 
友達の少なかった智恵子の数少ない親友だった俊子、日本で智恵子との交友が続いていれば、もしかしたら智恵子の運命も変わったかも知れません。

十和田湖レポートの続きです。
 
一昨日、湖畔休屋に新しくオープンした十和田市営の「十和田湖観光交流センターぷらっと」のオープニングに参加して参りましたが、そちらが午前11時からでした。その前にお伺いして、ご挨拶、さらに開館式典参加者対象の内覧があったので、10寺頃には行きましたが、それでもそれまでに時間がありました。
 
そこで、遊覧船に乗ってみました。テレビの旅番組で、船上から光太郎作乙女の像を見ているシーンがあり、なるほど、湖上から見るのもいいなと思つた次第です。
 
ちなみに光太郎も昭和26年(1951)の6月に、乙女の像制作の下見で十和田湖を訪れた際、湖に舟を浮かべ、湖面に映った自分の姿を見て、二体を向き合わせる乙女の像の構想を得ています。
 
現在、遊覧船は2社体制で、2系統が運行されています。
 
かつてもやはり、永らく2社体制でしたが、一昨年、1社が倒産しました。「原発事故による風評被害が深刻」と当時の報道にありました。
 
そこで空き家となったターミナルの建物を市が取得し、「十和田湖観光交流センターぷらっと」にリニューアルされたわけです。
 
そこで、しばらくは1社体制、1系統の運行でしたが、しかし、倒産した社の方々が新たに会社を興し、再び2社体制、2系統運行に戻っています。
 
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1系統は、「ぷらっと」や乙女の像のある休屋発着の周回コース。
 
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もう1系統は、休屋~子の口(奥入瀬渓流への入り口)間の往復です。奥入瀬方面の宿泊者には便利でしょう。
 
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どちらの系統に乗っても、湖上から乙女の像を見ることが出来ます。
 
当方、宿泊が休屋でしたので、周回の方の系統に乗りました。
 
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乗ったのは、「第一八甲田丸」という双胴船。所要時間は50分。現在は30分おきに出航しています。ただし、基本的に11月中旬までの運行です。料金は1,440円でした。
 
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出航後まもなく、乙女の像のある御前が浜沖を通過します。左端に乙女の像が映っています。テレビの旅番組では、もっと近くまで寄っているイメージでしたが、それは小型船のようで、大型の遊覧船ではあまり近くまでは行けないようです。
 
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秋のさわやかな風の中を航行。紅葉は始まっていましたが、見頃はもう少し後だそうです。しかし、陸上からは見られない風景を堪能できました。
 
休屋の港に帰り、土産物を買ったりしたあと、ぷらっとの開館式典に参加いたしました。
 
ここで、昨日、容量の関係でご紹介できなかった画像を載せます。
 
 
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湖畔全体の見頃はまだですが、ところによってはみごとな紅葉です。気温もすでに寒く、ぷらっと館内ではストーブもついていました。明け方頃は4℃くらいでした。
 
ところで、十和田湖までのアクセスですが、東北新幹線のいろいろな駅からバスが出ています。
 
東京に近い順に、まず八戸。JRバスの「おいらせ号」で2時間15分、2,670円です。
 
続いて七戸十和田。十和田観光電鉄さんのシャトルバスが、奥入瀬の焼山というところまで出ており、1時間、料金は何と500円。焼山~十和田湖間(45分・1,130円)はJRバスと連絡する時間で運行しています。
 
新青森は、青森発のJRバスが通っており、約3時間で3,090円です。「みずうみ号」という名前です。
 
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ただ、いずれも季節によって時刻が変動します。とりあえず現在は上記の時間です。
 
東北新幹線の延伸で、十和田もだいぶ近くなりました。これから紅葉シーズン真っ盛り。ぜひ足をお運びください。
 
ちなみに紅葉ということで、当方が乗った「みずうみ号」での経由地の紅葉です。八甲田山などはすでに見頃でした。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月10日
 
昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校に書籍戸棚を寄贈しました。
 
小学校では、その前から光太郎が寄贈していた書籍を収納、「高村文庫」と名付けました。光太郎のもとには、東京の書肆から『少年百科』全12巻、さらに年少者向けの雑誌等もよく送られていました。

お伝えした通り、昨日、青森は十和田湖畔休屋に、新たに十和田市の施設「十和田湖観光交流センターぷらっと」がオープンしました。
 
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落成式典が午前11時から開かれました。
 
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小山田久十和田市長の式辞、工事経過報告、施工業者さんへの感謝状贈呈、公募で決まった「ぷらっと」という愛称の発案者の方の表彰、こけら落としとして地元の子供達による「十和田子どもよさこい」の披露、テープカットなどがありました。
 
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施設は2階建て。1階が無料休憩スペースと、十和田湖特産ヒメマスに関する展示があります。
 
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大きな水槽に、生きたヒメマスの展示も。
 
当方、十和田では宿の食卓に上ったヒメマスや、湖畔で猫が食べているヒメマス(笑)は見たことがありましたが、生きて泳いでいるのは初めて見ました。
 
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2階が大町桂月と光太郎を中心とした展示スペースです。こちらも無料で見られます。
 
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大町桂月は、十和田湖の景勝美を初めて広く世に紹介した文人。道路整備等に腐心した元県知事の武田千代三郎、元法奥沢村村長小笠原耕一ともども、「十和田の三恩人」と呼ばれ、光太郎作の乙女の像も三恩人顕彰のために作られたものです。 
 
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光太郎関連で展示されているのは、以下の通りです。
 
青森県郷土館さんの所蔵の乙女の像の小型試作(光太郎から青森県に寄贈された由緒正しいものです)。十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さん所蔵の、乙女の像序幕の際に工事監督だった県の土木技師・小山義孝氏に進呈された寄せ書き。やはり小山氏旧蔵の乙女の像台座に使われた折壁石サンプル。奥入瀬渓流館で展示されていた光太郎作の大町桂月メダルなど。
 
人物としての光太郎、乙女の像、そして上記の展示品に関し、当方、計8枚の説明ボードを執筆させていただきました。
 
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 さらに図書コーナーも設けられています。蔵書数はまだまだですが、これから拡充していくとのこと。当方も旧著等寄贈します。
 
その他、モニターとDVDプレーヤーが設置されており、大町桂月や光太郎に関する動画が視聴可能です。
 
光太郎に関しては、ブリヂストン美術館が昭和29年(1954)に制作した美術映画「高村光太郎」、その前年の乙女の像除幕式の様子を撮影したもの(これは実に貴重なものです)。
 
 
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展示スペースの奥には交流室が設けられ、一般団体への貸し出しを行うそうです。現在、開館記念ということで、十和田出身の写真家の方の作品が展示されています。
 
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その他、館内外のスナップを載せようと思っていたら、掲載できる画像容量の限界になってしまいました。明日以降、またご紹介します。
 
とにもかくにも、ここが新たな観光名所、情報発信の拠点となることを願ってやみません。十和田湖はこれから紅葉シーズン最盛期。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月9日

昭和22年(1947)の今日、花巻の松庵寺で、母・わかの二十三回忌法要を執り行いました。
 
松庵寺さんでは、智恵子や光雲の法要もやってもらっており、現在では4月2日の光太郎忌日に、花巻での連翹忌を開催しています。光太郎詩碑や歌碑も建っているお寺です。

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東北新幹線はやぶさ車中です。

昨日から一泊で十和田湖に行って参りました。新しく湖畔に市営の観光交流センター、愛称「ぷらっと」が作られ、今日がオープンでした。

十和田湖を象徴するヒメマスや明治の文豪・大町桂月、そして光太郎に関する展示がなされています。当方、光太郎関連の展示の説明ボードを執筆させていただきました。

なかなか立派な施設です。

詳細は明日以降、レポート致します。

【今日は何の日・光太郎】 10月8日

大正2年(1913)の今日、智恵子と結婚の約束を交わし、二人でひと月ほど過ごした信州上高地から下山しました。

新刊情報です。

『詩と思想』10月号

2014/10/1 土曜美術出版販売 定価 1,300円+税
 
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詩書を数多く刊行している土曜美術出版販売さんの月刊誌です。
 
特集は「コミック・ジェネレーション」。
 
「詩をマンガにする」という項で、為平澪さんという方が、4ページで「あどけない話 高村光太郎-智恵子抄より-」という作品を発表されています。
 
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専門の漫画家の方ではないということですが、雰囲気がよく出ています。
 
また、コミックということで、講談社さんのコミック誌『月刊アフタヌーン』で連載されている清家雪子さんの漫画「月に吠えらんねえ」が二本の記事で紹介されています。この作品は、萩原朔太郎を主人公に、光太郎智恵子を含む実在の詩人などが登場するシュールな物語です。
 
『詩と思想』では、特に北爪満喜さんという方の「『月に吠えらんねえ』が詩を視覚化するとき」が、詳しい作品論となっています。
 
『月に吠えらんねえ』での智恵子は、「機動戦士ガンダム」のガンタンクのようなロボットです。なぜロボットなのかという北爪さんの考察にはうなずけました。
 
ちなみに『月に吠えらんねえ』、単行本の第2巻が今月発売されますので、入手しましたらレポートします。
 
さて、『詩と思想』。amazon他で入手可能です。ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月7日
 
平成13年(2001)の今日、千葉県松戸市の森のホール21で、音楽と朗読による「智恵子抄」が上演されました。
 
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ソプラノ歌手の稲見里恵さんとピアノ伴奏の頼田恵さんで、清水脩作曲の歌曲「智恵子抄」、そして合唱で一般公募の「智恵子抄」合唱団さんによる、やはり清水脩作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」。合間に朗読が入る構成でした。
 
朗読は声優の池田昌子さん。洋画の吹き替えでO.ヘップバーンや、アニメーション「エースをねらえ!」のお蝶夫人、「銀河鉄道999」のメーテル役などをなさっていた方です。

昨日、10月5日はは光太郎の妻、智恵子の命日で、あまりに有名な「レモン哀歌」の一節にちなみ「レモンの日」ということになっています。
 
智恵子の故郷、福島二本松のラポートあだちでは、地元で智恵子の顕彰を行っている「智恵子の里レモン会」さんの主催で、智恵子を偲ぶ第20回レモン忌が開催されました。
 
レモン忌の開催はこの時期の日曜日ということで、必ずしも10月5日とは限らないのですが、今年はぴったり重なりました。
 
何度も書いていますが、今年は光太郎智恵子結婚披露100周年『道程』100周年。さらにレモン忌も節目の20回。その記念すべき年に、もったいなくも記念講演を仰せつかり、『智恵子、新たなる横顔』と題してお話をさせていただきました。
 
それはさておき、順を追って会の様子をレポートします。
 
午前10時、レモン会副会長で元智恵子記念館副館長の根本豊徳氏により開会宣言。続いて祭壇に飾られた地元の方の手になる智恵子の肖像画に献花と献果。「果」はレモンです。
 
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ちなみに手前に映っている鉢植えはグロキシニア。明治45年(1912)、駒込林町の光太郎アトリエの新築祝いに、智恵子が持参した花です。光太郎にとっては智恵子を象徴する花で、詩作品等にくりかえし謳われています。あまり一般的な花ではなく、花屋さんの店頭に並ぶことが少ないというのですが、たまたま地元の花屋さんにあったそうで、飾られました。まさしく「花を添える」ですね。
 
「献花」「献果」と来て、「献歌」。プログラムには入っていなかったのですが、光太郎詩にオリジナルの曲をつけて歌われているシャンソン歌手のモンデンモモさんがご参会で、レモン会渡辺秀雄会長から「唄ってくれ」とのお願いがあり、急遽、実現しました。曲は「あどけない話」。
 
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さらに「献詩」ということで、参会者全員で「あどけない話」を朗読しました。
 
その後、渡辺会長のごあいさつ、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露。参会者全員での記念撮影と続きました。
 
休憩をはさんで、当方の講演。一般の方が対象ですので、「『智恵子抄』は前期はこうで、後期はこうで、それぞれこのような視点で、このように読まないと、光太郎の真意が正しくくみ取れないのだ」的なこ難しい話ではなく(第一そんな話はできません(笑))、ここ10数年で新たに見つかった智恵子に関する資料の紹介を致しました。
 
二本松では平成2年(1990)に、智恵子の生家を改修し、裏手に智恵子記念館を建設、さらにそれに合わせて『アルバム高村智恵子-その愛と美の軌跡-』という書籍が刊行されました。
 
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執筆は北川太一先生ですが、レモン会の根本豊徳副会長のお骨折りでできたものです。当時知られていた智恵子資料のほとんどが収められており、今でも智恵子に関する資料集としてはこれを凌駕するものはなく、版を重ね、智恵子記念館等で販売されています。
 
当時知られていた智恵子が映っている写真はほとんど掲載されていますし、智恵子が書いた詩や随筆、アンケートなどの智恵子文筆作品はすべて網羅されています。それ以外にも智恵子絵画、光太郎を含め関連する写真などがとにかくふんだんに使われています。
 
ただ、ページ数の関係で、智恵子書簡は全てが掲載されているわけではありませんでした。
 
それを補っているのが筑摩書房刊行の『高村光太郎全集』別巻(平成10年=1998)です。
 
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こちらには、当時知られていた智恵子の書簡66通+参考書簡2通(智恵子の親友・田村俊子の書いた小説に引用されたもの)が全て掲載されています。
 
で、昨日は、『アルバム高村智恵子』の刊行後に見つかった智恵子写真、絵画、『高村光太郎全集』完結後に見つかった智恵子書簡などを、プロジェクタで投影しながらご紹介しました。
 
最近見つかった絵画のうち、明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があります。そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。近々展示されると思います。
 
当方講演の後は、懇親会ということで、会食しつつ、参会の方々のスピーチでした。
 
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花巻からお見えで、光太郎が暮らした山小屋「高村山荘」のある太田地区の振興会長・佐藤定氏、昨年のこの会でご講演なさった坂本富江さん、十和田からお越しの山本隆一氏(乙女の像の関連でお世話になっております)、やはり花巻で、小学生の頃、山小屋時代の光太郎に郵便を届けていた浅沼隆氏などなど。
 
二本松、花巻、十和田、さらに全国のこうした光太郎智恵子ゆかりの地の地域ぐるみの交流も今後の課題ですね。
 
その後、閉会。何やらいろいろな方からお持たせのお菓子等頂いてしまい、感謝、恐縮しながら帰りました。
 
この記事を書いている現在、台風18号が関東に上陸中ですが、昨日はまだ風雨もそれほどでなく、無事に帰って来られました。当方、今日はおとなしくしておりますが、明日からまた十和田です。ちょうど台風の動きを避けることができて、タイムリーでした。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月6日
 
昭和38年(1963)の今日、前月から奈良の大和文華館で開催されていた「高村光太郎展」の関連行事として、光太郎と交流の深かった美術史家・奥平英雄の講演が行われました。
 
 閲覧数が50,000件を超えました。ありがとうございました。

昨日は東小金井にて音楽ユニットotoyomiさんのコンサートを聴いてまいりました。
 
題してotoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』。いいコンサートでした。
 
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ユニットのメンバーは、朗読・歌が宝木美穂さん、テルミンで大西ようこさん、マリンバの今井万里子さん。そこにゲストで和太鼓・江上瑠羽さんが加わった美女4人のステージでした。
 
 二部構成で、第一部が「智恵子抄」。大西さんの構成、清道洋一氏作曲のオリジナル作品で、『智恵子抄』中の詩10篇+αを、テルミン、マリンバ、和太鼓の伴奏で、宝木さんが歌ったり語ったりさらに踊ったりという流れでした。
 
詩は「人に」、「樹下の二人」、「あなたはだんだんきれいになる」、「あどけない話」、「人生遠視」、「風にのる智恵子」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、「値ひがたき智恵子」、「レモン哀歌」、「亡き人に」。フィナーレには短歌も使われました。
 
先日行われた、やはり大西さんご出演の「もうひとつの智恵子抄」は、曲間に語り、というかレクチャーを交えながらの構成でしたが、今回は始めから終わりまでぶっ通しで行う、ある種、音楽劇のような感じでした。
 
宝木さんの熱演、そして伴奏お三方の、それぞれの楽器の特徴を最大限に生かしての熱のこもった演奏。素晴らしいものでした。清道氏の作曲も、緊張感のある導入、そして中盤の夢幻界をさまよう智恵子の表現ではテルミンの不気味な感じが効果的に使われ、終盤の智恵子逝去に際しては逆にさわやかな曲想と、工夫が凝らされていました。
 
今日が命日である智恵子への、よい供養となったと思います。
 
「もうひとつの智恵子抄」レポートの時にも書きましたが、残された光太郎、『智恵子抄その後』、十和田の裸婦像といったあたりでの続編を期待します。
 
第二部はうってかわってア・ラ・カルト的な楽しいステージでした。宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにした「ふたつの子守唄」、ステージに画像を映し小林煌氏の木版画をインスパイアした「ととんととん」。江上さんの和太鼓VS今井さんのスネアドラムで「太鼓バトル」、やはり清道さんアレンジのジャジーな「山寺の和尚さん」、そして震災復興支援ソング「花は咲く」otoyomi アレンジヴァージョン。
 
4人のみなさんが、ほんとうに楽しんで演奏されている様子が伝わってきて、これぞ「音楽」と感じました。
 
 
当方も本日、ステージに立ちます。といっても音楽ではなく、智恵子の故郷・二本松で行われる第20回レモン忌で、記念講演を仰せつかっております。参加者の多くが智恵子の顕彰活動に携わったりされている地元の方ですので、ここ10年ほどの間に新たに見つかった智恵子資料-写真、絵画、書簡など-を紹介する予定です。
 
全国のみなさん、今日は智恵子の命日「レモンの日」です。智恵子に思いを馳せて下さい。よろしくお願いいたします。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月5日
 
平成14年(2002)の今日、NHKラジオ第2放送で「NHKカルチャーアワー文学と風土 東京文学探訪~大正・昭和を見る、歩く」が始まり、第1回として「原始の太陽 高村光太郎と智恵子を結びつけた場所*千駄木・西日暮里界隈」がオンエアされました。
 
先ほどから書いている通り、今日は智恵子の命日「レモンの日」ですが、それについては昨年の今日、書きましたので別のネタで攻めます。
 
一般向けの教育番組で、講師は元近畿大学教授の井上謙氏でした。この番組では、翌年の第23回「想い遙かに 高村光太郎・智恵子が眠る染井霊園あたり*巣鴨・駒込界隈」でも光太郎智恵子がメインで取り上げられました。
 
テキストも発行されました。古書市場で入手可能です。
 
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福島からコンサート情報です。 

浜根由香 東北を謳う

期 日 : 2014年10月19日(日)
会 場 : 南相馬市民文化会館 ゆめはっと多目的ホール
時 間 : 開場 13:30  開演 14:00
料 金 : 
前売2,500円 当日3,000円
出 演 : 
浜根由香 樋口雅礼 中島裕康
 
  : 遠野(柳田国男作 唯是震一作曲) 樹下の二人(高村光太郎詩 小山清茂作曲)他
 
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純邦楽です。曲目にある「樹下の二人」は箏曲と唄によるもので、以前にもご紹介しました箏曲奏者・下野戸亜弓さん友渕のりえさんなどもレパートリーにされています。というか、元々この曲は友渕さんによる委嘱作品です。
 
会場は福島の南相馬。東日本大震災による被害の最も大きかった自治体の一つです。そこでこのコンサート、復興支援も兼ねているそうで、収益金は市社会福祉協議会に寄付されるそうです。
 
チラシの裏面には、震災関連の記述も。
 
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一口1,000円で協賛される方には、当日のライヴ音源CDが送られるそうです。
 
こういう形での復興支援もあるのですね。

追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
 
さて、別件で飛び込みのテレビ放映情報です。ただし、北海道限定のようです。 

旅の達人がいく!阿藤快のにっぽん漫遊記

HBC北海道放送(Ch.1) 2014/10/5(日) 午前6:00~6:30
 
“旅の達人"阿藤快さんが『歴史の里』を訪れ、様々な歴史や文化の名残に触れていきます。もちろん、当地の銘菓や郷土料理も鋭い嗅覚で見つけ出し味わっていきます。
 
【みちのく阿武隈の歴史と味を探訪】  今回、訪れるのは福島県二本松市。  夫の高村光太郎が出版した詩集「智恵子抄」で知られる妻、日本の洋画家、高村智恵子ゆかりの地で、造り酒屋であった生家の裏には彼女の油絵や紙絵が展示されている「智恵子記念館」を訪れます。室町時代に築城された、日本100名城の一つ、二本松城もご紹介します。
 
元々はBS日テレさんで制作していた番組のようで、一昨年あたりに本放送があったようです。
 
北海道のみなさん、ぜひご覧下さい。
 
ちなみに10月5日といえば、「レモンの日」。智恵子の命日です。HBC北海道放送さん、それに合わせてこの放送日程を組んだのでしょうか?
 
さらに言うなら、この日(ってもう明日ですが)は二本松で智恵子命日の集い「レモン忌」も開催され、当方、記念講演をします。
 
今日は武蔵小金井にテルミン奏者・大西ようこさんらのユニットotoyomiさんのコンサート「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」を聴きに行って参ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月4日
 
明治30年(1897)の今日、智恵子の弟・啓助が誕生しました。
 
智恵子は明治19年(1886)の生まれですので、11歳下になりますが、長男だったため、後に長沼酒造を継ぎます。しかし、啓助の代で破産。その後は上京してダフ屋や廃品回収業のようなこともやり、それでも困ったときには光太郎に金の無心をしましたが、昭和10年(1935)、数え39歳で頓死しました。ある意味、かわいそうな人物です。

お父さまが光太郎と面識がおありだったこともあり、連翹忌にもよくご参加下さっている渡辺えりさん率いる劇団「おふぃす3○○(さんじゅうまる)」さんの公演です。
 
2012年、下北沢の座・高円寺での初演以来の再演、今回は全国11ヶ所を巡回します。 
【盛岡】10月19日(日)         盛岡劇場メインホール  14時
【東京】10月23日(木)~28日(火)シアター・トラム
【石巻】11月1日(土)         石巻特設会場  時間未定
【兵庫】11月3日(月・祝)       兵庫県立芸術文化センター・阪急中ホール  17時
【石川】11月5日(水)         北國新聞赤羽ホール   19時
【山口】11月8日(土)・9(日)      山口情報芸術センター 8日(土)14時 / 9日(日)14時
【宮崎】11月11日(火)          三股町立文化会館ホール  19時
【愛知】11月24日(月・休)        長久手市文化の家・森のホール  18時
【福島】11月27日(木)          南相馬市民文化会館  19時
【宮城】11月28日(金)          日立システムズホール仙台・シアターホール 19時
【山形】11月30日(日)          シベールアリーナ 13時/17時
 
作・演出 渡辺えり
 
キャスト 大沢 健 大和田美帆 土屋良太 谷川昭一朗 宇梶剛士 大塚加奈子 有賀太朗 藤本沙紀
      川口龍 十倉彩子 渡辺えり 他
 
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教師時代の宮澤賢治を主人公に、理想と現実のはざまで苦悩・葛藤する姿が描かれています。そんな賢治を温かく見守る弟の清六や妹のトシ、逆に非難・嘲笑する人々、そして賢治を取り巻く「イーハトーヴ」の大自然とのからみなどが、猫の大群を擁した幻想的な賢治童話に乗せて展開されます。渡辺さんは賢治童話「貝の火」に出てくる子ウサギ、宇梶剛士さんはなんと岩手山の役もなさいます(笑)。
 
こちらは一昨年の公演のパンフレットです。
 
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光太郎は登場しませんが、ストーリーの中で何度も「高村光太郎先生」として語られます。
 
山形出身の渡辺さんは、東北への強い思い入れをお持ちのようで、この「天使猫」、そして光太郎を主人公とした「月にぬれた手」を、東北で上演したいと、常々おっしゃっていました。そこで、今回、初日は盛岡ですし、千秋楽は山形。宮城や福島での公演もあります。
 
各会場、盛況となることを祈念いたします。
 
また、「月にぬれた手」の東北公演も実現してほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月3日
 
昭和10年(1935)の今日、中原綾子の詩集『悪魔の貞操』が刊行されました。
 
光太郎が題字と序詩「「悪魔の貞操」に題す」を書きました。002
 
   「悪魔の貞操」に題す
 
 心法の高圧を放電するもの、
 思ひもかけぬ交互無縁の片言隻語、
 言語道断の真空界にひらめくものは、
 千古測りがたい人間真理。
 すさまじいかな此書。
 
原題は「「悪魔の貞操」に寄す」でしたが、のち、雑誌に再録された際に改題されました。
 
はじめ、光太郎は序詩として、『智恵子抄』にも収められた「人生遠視」を中原に送りましたが、中原側からのクレームで変更になりました。
 
   人生遠視
 
 足もとから鳥がたつ
 自分の妻が狂気する
 自分の着物がぼろになる
 照尺距離三千メートル
 ああこの鉄砲は長すぎる
 
たしかにこんな詩を送られても困りますね。
 
この年二月の中原宛の書簡にはこのように記されています。
 
先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだらうとも考へました、何となしに懸念のあるものを折角のあなたの詩集のあたまに印刷するのもいかがと思ひますから、此は撤回いたします、 そのうち何かお送りいたします、
 
この時期は、ちょうど智恵子を南品川のゼームス坂病院に入院させた時期で、光太郎は確かに大変な時期でした。智恵子の狂躁状態、それに伴う自分の苦労などを、中原に宛てた複数の書簡に書いています。それにしても、他人の詩集の序詩に「自分の妻が狂気する」はいくらなんでも……と思います。そうした当たり前のことに考えが至らないほど、光太郎も追い詰められていたのかも知れません。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団「青年団」さんの公演です。

青年団第73回公演 『暗愚小傳』

東京公演 2014年10月17日(金)- 10月27日(月) 14ステージ
会場 吉祥寺シアター 武蔵野市吉祥寺本町1-33-22 

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀夏子 森内美由紀 木引優子
伊藤毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤滋
 
青年団さんのHPによれば、初演は昭和59年(1984)。その後、何度か再演され、今回は10年ぶりの上演だそうです。
 
当方、実際の上演は見たことがありませんが、DVDとシナリオが手元にあります。
 
10年前の公演から採ったDVDで、紀伊國屋書店さんから発行されたもの。紀伊國屋さんにはもう在庫がないようですが、amazonやネットオークションで時折見かけます。
 
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シナリオは平成8年(1996)に晩聲社から刊行されました。題名は『平田オリザ戯曲集③ 火宅か修羅か 暗愚小傳』。
 
今回の公演では、今月の東京を皮切りに、兵庫、香川でも行われるそうです。各会場の詳細な時間、料金等は青年団さんサイトをご参照下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月2日
 
昭和63年(1988)の今日、豊島区民センターで高村光太郎研究会主催のシンポジウム「高村光太郎 欧米の影響について」が開催されました。
 
発表者は故・長谷川泉氏、渡邊澄子氏、そして当会顧問・北川太一先生でした。

青森十和田から、湖畔の観光交流センターオープンの情報です。
 
これは、昨年破産した遊覧船会社が所有していた遊覧船ターミナルを市が取得、新たに整備を進めてきたものです。
 
2014/2月の建物の取得に関する報道、同じく7月には施設の愛称募集のお知らせ、9月には愛称「ぷらっと」決定について、このブログでご紹介して参りました。
 
以下、9/29付の十和田市HP内の新着情報から。 

十和田市十和田湖観光交流センター“ぷらっと”がオープンします!

 十和田湖畔休屋地区に、新たな観光拠点施設「十和田市十和田湖観光交流センター」(旧十和田湖遊覧船ターミナル)が、10月8日に開館します。
 この施設は、十和田湖、奥入瀬渓流などの観光に関する情報、市民との交流の場などを提供するもので、本市の魅力発信、賑わい創出など観光振興を図ります。
 皆様のお越しを心よりお待ちしております。
 
1 名    称  十和田市十和田湖観光交流センター“ぷらっと”
※広報とわだなどで当施設の愛称を一般公募したところ、121件という多数の応募をいただき、決定したものです。
【愛称の意味】
・十和田市民や観光客が気軽に立ち寄れるような施設になってほしいとの意味。
・英語のプラットホームの意味と同様に、出発・到着の駅のホームのように、十和田湖観光の起点となることを願って命名。
2 開館期間  平成26年10月8日(水)~11月30日(日) (期間中無休)
3 開館時間  午前9時~午後5時
4 入 館 料  無 料
5 主な展示内容   ヒメマス展示、和井内貞行、高村光太郎、大町桂月の紹介など
 
さらに、本日発行の「広報とわだ」にも記事が掲載されています。
 
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十和田湖に行かれたことのある方は、上記の地図でおわかりかと存じますが、JRバスのターミナルや遊覧船の発着場のある一角です。乙女の像、十和田神社(地図には文字がありませんが)も近くです。
 
当方、光太郎に関する展示の説明ボードを書かせていただきました。その関係で、建物の図面等もお送りいただきましたが、それを見るとなかなか充実した施設のようです。
 
1階は十和田湖特産のヒメマスに関する展示、2階に光太郎や大町桂月などに関する展示、さらに「交流室」という部屋が設けられ、一般の団体に貸し出しを行うとのことです。
 
光太郎に関して展示されるのは、青森県立郷土館にあった乙女の像のブロンズ小型試作(昭和28年=1953に光太郎から青森県に寄贈されたものです)、奥入瀬渓流館で展示されていた光太郎作の大町桂月メダル、乙女の像序幕の際に、工事責任者だった元青森県土木技師の小山義孝氏に贈られた、光太郎、佐藤春夫、草野心平他の寄せ書きなどなど。
 
その他、佐藤春夫や大町桂月の書、平福百穂の日本画なども展示される予定です。
 
オープンは来週10月8日(水)。11時頃から式典を行い、12時頃から一般開放だそうです。せっかくの機会ですので、当方、前日から1泊で行って参ります。
 
そろそろ紅葉シーズン。みなさまもぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月1日

昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、村人たちの厚意で風呂が設置されました。

佐藤隆房編著『高村光太郎山居七年』より。
 
先生は風呂がなくてお困りだろう、何とかして風呂場を建てて上げたいものだと、身のまわりを考える人たちが相談しました。だんだん話がすすみ、部落の人たちで材料を持寄って風呂場を建てて上げることになり、花巻の宮沢清六さんは風呂桶を贈りました。
 
風呂桶は花巻で一番上手だという大橋桶屋さんに清六さんが頼み、ヒノキのいい材料を用いて作りあげ、その年の秋の頃風呂場が完成しました。
 
当日の光太郎日記から。005
 
朝食時宮澤清六氏夫人、桶屋さん(大橋氏)同道来訪。宮澤さんより醤油、酢(小瓶)、豆飯(お重に一ぱい)いも煮つけ、つけもの(辛づけ等)等をもらふ。桶屋さんは小判桶持参。丁度大工さんが来たので、桶屋さんと相談して風呂桶の位置、流しの高さ等を決めた様子。
 
ひる前に余は揮毫。桶屋さん(大橋大人)の為に「木竹諧和」と書き宮崎鯉軒翁喜寿の為に「天地寿」と書く。 一時頃夫人桶屋さん辞去。大工さんも仕事を終つてかへる。風呂場は戸も備へられ、窓わくもはめられる。(ガラスはまだ)。流し場も出来て沸すばかり。余は「無可有殿」といふ字を紙に横書きして入口に貼る。
 
しかし、せっかくの風呂も、薪を大量に使わねばならないため、光太郎はそれをもったいながり、結局はあまり使われませんでした。現地には今も残っています。
 
桶屋さんに贈った「木竹諧和」の書はこちらです。
 
ヒノキ材に竹の箍(たが)をはめた風呂桶へのお礼ということで「木竹」です。「諧和」はやわらいで親しみあうこと。
 
その後に出てくる「宮崎鯉軒翁」は智恵子の姪にしてその最期を看取った春子の舅・宮崎仁十郎です。

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