2014年08月

昨日は、四ッ谷の紀尾井ホールにて、合唱の演奏会「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」を聴いて参りました。
 
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実にいい演奏会でした。
 
「The Premiere」は、今回で3回目だそうで、カワイ出版さん、ジョヴァンニレコードさんの協賛、協力により、若手作曲家に作曲の場を提供し、一流合唱団の初演と楽譜出版を同時に行い、さらにライヴ録音がCD化されるという企画です。今回は、4篇の合唱組曲と、編曲が一篇、初演されました。
 
初演された合唱組曲4篇のうちの一つが、光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲「女声合唱とピアノのための 冬が来た」でした。
 
第1曲「冬が来る」、第2曲「冬が来た」、第3曲「孤独で何が珍しい」、第4曲「冬の奴」の4曲からなる組曲です。
 
先述のとおり、昨日、楽譜が発売されましたが、終演後はごった返すと思い、会場に着き次第、購入しました。
 
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開演前に見たところ、やはり変拍子の多用など、いかにも現代音楽風ですが、メロディーラインの美しさは楽譜を見ただけで分かりました。実際の演奏を聴いて、やはりそう思いました。現代音楽では、調性やら主旋律やらが存在しないとか、不協和音の連続とか、実験的なものが多かったりするのですが、そういう感じではなく、非常に聴きやすい作りでした。
 
それにしても、当方の若い頃は、カワイ出版さんから合唱の楽譜を出すというのは、高田三郎、大中恩、三善晃といった大御所、というイメージでした。そう考えると隔世の感があります。
 
演奏が始まる前に、指揮の藤井宏樹氏によるMCで、作曲者・三好さんへのインタビューがありました。
 
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他の方々が、現代詩人の詩をテキストとして使用している中、なぜ光太郎なのか、という問いに対し、既製の女声合唱のイメージ-ふわっとしたきれいなもの-というイメージを毀す、「かっこいい」女声合唱の作品を作りたいと思い、そのためにあえてある意味硬質な言葉を使う光太郎を選んだとのことです。
 
女声アンサンブルJuriさんによる演奏も、そうした意図をくんだいい演奏だったと感じました。
 
特に第2曲「冬が来た」では、冒頭がア・カペラで「きっぱりと」と始まり、その後も「きっぱりと冬がた/八つ手の白い花もえ/公孫樹のも箒(ほう)になった/りともみ込むやうな冬がた」と多用される「き」の子音「K」。「ドイツ語か」と突っ込みたくなりましたが、おそらく光太郎も、硬い「き」音の連続で意識して韻を踏み、冬の厳しさを表現しているはずですので、そういう点でもよく理解された作曲、演奏でした。
 
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終演後、ホワイエで三好さんと少しお話をさせていただきました。例によって連翹忌の営業も。来年の連翹忌にはぜひいらしていただきたいものです。
 
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こちらが「光太郎を取り上げて下さってありがとうございます」的なことを申し上げると、「勝手に曲を着けてしまってすみません」とのこと。光太郎作品は法的に著作権が切れていますので、そこにリスペクトの要素がありさえすればどのように料理するのも勝手です。中には冒瀆のような扱い方があり、時おり憤慨しているのですが、今回のような取り上げ方をされれば、泉下の光太郎も喜んでいることでしょう。
 
他団体の演奏、会場周辺のことなどについて、まだ書きたいことがあるのですが、長くなりましたので、明日に廻します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月31日
 
明治32年(1899)の今日、光雲がパリ万博出品監査委員を拝命しました。
 
パリ万博は翌1900年。今朝のNHKさんの「日曜美術館」は、ガラス工芸のガレとドーム兄弟のライバル関係を取り上げるものでしたが、このパリ万博での対決も扱われていました。光雲に思いを馳せながら拝見しました。

今週初めに行って参りました。 

ヨコハマトリエンナーレ2014

展覧会タイトル 「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」
期  日 : 2014.8.1[金]-11.3[月・祝] 開場日数:89日間
会  場 : 横浜美術館新港ピア(新港ふ頭展示施設)
時  間 : 10:00-18:00 ※入場は閉場の30分前まで
料  金 : 一般・高校生500円、中学生300円、小学生以下無料。
休館日 : 月曜、火曜

主催 横浜市 (公財)横浜市芸術文化振興財団  NHK 朝日新聞社 横浜トリエンナーレ組織委員会
支援 文化庁(国際芸術フェスティバル支援事業) 文化庁(国際芸術フェスティバル支援事業)
   特別協力独立行政法人国際交流基金
後援
外務省、神奈川県、神奈川新聞社、tvk(テレビ神奈川)、スペイン大使館、駐日韓国大使館韓国文化院、中華人民共和国駐日本国大使館、Goethe-Institut Tokyo、東京ドイツ文化センター、ベルギー王国大使館
認定 公益社団法人企業メセナ協議会
 

 
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横浜市で、3年に1度開かれる、基本、現代アートの展覧会です。今年の開場は、みなとみらい地区の横浜美術館と、埠頭展示施設の新港ピアです。

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基本、現代アートですのでこういう感じです。
 
メイン開場二つのうち、横浜美術館の一角に、「大谷芳久コレクション」という展示がなされています。
 
以下、公式サイトから。
 
現代美術画廊「かんらん舎」のオーナー・大谷芳久が、1995年にドイツで見たジョージ・グロスの個展を機に、太平洋戦争期の日本の芸術家の表現活動を調べるべく収集した書籍コレクションの一部を展示。戦中に出版された詩文の多くは戦争や軍への讃歌であり、ベストセラーとなったが、戦後はその多くが消えることとなった。
 
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光太郎の詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『記録』(同19年=1944)を含む、戦時下の文芸書、17点が展示されています。
 
『大いなる日に』『記録』以外は以下の通り。
 
三好達治 『捷報いたる』(同17年=1942) 『寒析』(同18年=1943)
草野心平 『大白道』 (同19年=1944)
伊東静雄  『春のいそぎ』(同18年=1943)
北原白秋  『大東亜戦争小国民詩集』(同18年=1943)
佐藤春夫 『東天紅』(同13年=1938) 『日本頌歌』(同17年=1942)  『大東亜戦争』(同18年=1943)
野口米次郎  『伝統について』(同18年=1943) 『宣戦布告』(同18年=1943)
中勘助  『詩集百城を落す』(同14年=1939)
西条八十 『銃後』(同18年=1943)
日本文学報国会編 『辻詩集』(同18年=1943) 『辻小説集』(同)
大政翼賛会文化部編 『軍神につづけ』(同18年=1943)
 
最後の『軍神につづけ』は、多数の詩人によるアンソロジーで、光太郎の詩「みなもとに帰るもの」も載っています。

さらに、光太郎とも交流のあった画家・松本竣介が、疎開先の妻と四歳の息子にあてた、終戦前後の書簡三通も展示されています。
 
で、この展示がいったい何を目指しているのか、ということになりますと、トリエンナーレ全体のタイトル、「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」につながるわけです。
 
以下、やはり公式サイトから。
 
ヨコハマトリエンナーレ2014がめざすのは
芸術的冒険の可能性を信じるすべての人々
そして、大胆な世界認識を持ちたいと望む
 すべての人々と共に
「芸術」という名の舟に乗り込み
「忘却」という名の大海へと
冒険の旅に出ることである

「華氏451の芸術」というタイトルは、言うまでもなく、レイ・ブラッドベリ作のSF小説『華氏451度』に由来している。いわゆる焚書がテーマの小説で、本を読むことも持つことも禁じられた近未来社会が舞台となっている。
1953年作とは思えないくらい、現代社会を予見していて見事だが、それ以上に興味深いのは、これが「忘却」の重みについてあらためて考えさせられる小説だという点である。
 物語の後半、「本になる人々」の集団というものが登場する。一人ひとりが一冊ずつ本を選び、それをまるごと記憶しようとする。つまり焚書へのレジスタンス(抵抗)として、本という物質を記憶という非物質に置き換え、本の精神のみを隠し持とうと試みる。
 「本になる人々」は本を禁止する社会からの亡命者達であり、また上述のように本を非物質な記憶に置き換えようとしているため、その存在と行為の両側面において、現実社会の表舞台には決して現れることのない、不在の人々となる(=生きている痕跡をこの世から消滅させた「忘却の人々」たらざるをえなくなる)。ところがこの「忘却の人々」にこそ、膨大な本の記憶がたまり込んでいるというのが、ブラッドベリの小説がもたらす、「忘却」に関する重い教訓なのである。

「忘却」とは、記憶されざる記憶がたまりこんだ、ブラックホールとしての記憶のことである。
 
ここに展示された書籍は、それぞれの作家の「汚点」ともいえるものです。光太郎自身も戦後になってこれらの戦争協力の作品を「「変な方角の詩」と言っています。作家によっては、戦後に刊行された全集には収録せず、なかったことにしてしまっている場合もあります。
 
いわば、戦後の「焚書」によって忘れ去られつつあるものです。
 
しかし、その「忘却」には危険が伴います。光太郎のしたような真摯な反省までも忘却の彼方へ押しやられると、「歴史は繰り返す」に成りかねません。
 
これはそういう点への警鐘の意味での展示です。キャプションにも、その辺りがよく表現されていました。書籍のキャプションには「美しい言葉の羅列がもつ魔力」、松本の書簡には「無差別に人を殺傷する近代戦争の無慈悲さへの衝撃」「息子が生きる未来を案じる」などなど(うろおぼえですが)。
 
現実に、ことさらに光太郎の戦時の作品を賛美し、戦前戦時を髣髴とさせるおぞましいヘイトスピーチ的な言説がまかり通っています。そういう幼稚なネトウヨは、この展示を見て、「素晴らしい! これぞ大和魂だ!」とかいうトンチンカンな感想を持つのかも知れませんね(笑)。
 
今年の連翹忌のご案内に載せさせていただいた、北川太一先生のご挨拶の中の「歴史がもういちど反転しそうな今こそ、その命の軌跡をかえりみ、繰り返し語り合い、語りつぐひと時を、思いを同じくするみなさんと一緒に過ごしたいと存じます。」という一節が、ほんとうに心に染みる今日この頃です。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月30日
 
昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、村の青年が蓄音機とレコードを持ってきてくれました。
 
当日の日記の一節です。
 
夜になつてから佐藤弘さん、大三さんが蓄音機の箱とレコードとを持参。五六枚きかしてくれる。バツハのコンチエルトあり。すばらしさに魂を奪はれる思す。
 
当方、今日は四ツ谷の紀尾井ホールにて、The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜を聞いて参ります。「すばらしさに魂を奪はれる思」をしたいものです。

今のところ把握している9月のイベント情報、最後です。
 
まずは名古屋で活動されている名古屋・高村光太郎談話会さんの勉強会

名古屋・高村光太郎談話会 第5回勉強会

日時:2014年9月27日(土)15:30~18:00 ※先着順にて受付中
場所:サクラ カフェ、Uライブラリー 名古屋市千種区橋本町1-64  052-789-1110
  地下鉄東山線・名城線「本山」下車、②番出口から北へ「セブンイレブン」から右に入って徒歩2分
 ※近隣にコインパーキングがあります(有料)。
 ※年内は、同じ場所で第4土曜日の午後に開催の予定です。よろしくお願いいたします。
内容:①智恵子抄―ある愛のかたち⑤
     ―詩「或る夜のこころ」と「おそれ」について―
    大島龍彦(名古屋学芸大学教授・文学博士)
   ②「清浄なるスイスからイタリアを旅して」
     西浦  基(『雨男 高村光太郎』著者、高村光太郎研究会会員)    
   ③質疑応答・フリートーク
参加費:500円(お茶代込)
定員:15名 
 
 
同じく名古屋ご在住の作曲家・野村朗氏関連。

第16回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会

2014/09/28(日) 13:30 開演
東京・日暮里サニーホール コンサートサロン
入場料 全席自由 前売2,000円 当日2,500円
お問い合わせ
 •メールアドレス:info@tiaa-jp.com
 •電話番号:03-3809-9712

  
プログラム:
末岡武彦 作曲/無伴奏チェロ ソナタ 演奏:杉田一芳(チェロ)
乙川利夫 作曲/ギターソナタ 第1番 ホ短調 Op.1 演奏:乙川利夫(ギター)
上江洲知恵 作曲/リードオルガンのための「つくり主を賛美します」による前奏曲 リードオルガンのための「聖なるかな」による前奏曲とその変奏曲 演奏:上江洲知恵(ピアノ)
小倉謙一 作曲/四季 演奏:小倉謙一(ピアノ)
下里博之 作曲/空想による舞曲 1.飛べない天使 2.機械仕掛けの街にて 二つの幻影 1.白い幻影 2.黒い幻影 演奏:下里 博之(ピアノ)
森円花 作曲/ソナタ 独奏チェロのための 演奏:森田啓佑(チェロ)
川田佳誠 作曲/Gothic... For Flute trio (ゴシック。。。フォー フルートトリオ) 演奏:石川楓(フルート) 中條里美(フルート) 橋口こず恵(フルート)
森川弘基 作曲/ヴィオラとピアノのためのソナタ「幻想と霧」 演奏:上野恵(ヴィオラ) 森千登世(ピアノ)
くどうゆうた 作曲/E・B・Aの動機による現代組曲 より「サングリアに恋して」 そらのあなたへ 思考力・判断力・表現力 演奏:北濱侑樹(フルート) くどうゆうた(ピアノ)
三浦良明 作曲/歌曲「向こう岸」 演奏:宮崎美翔(ピアノ) 片山沙也夏(ソプラノ) 田上絢子(アルト)
野村朗 作曲/連作歌曲「ひとを恋ふるうた」より 歌曲「すずしきうなじ」(三好達治 詩) 連作歌曲「ひとを恋ふるうた」より 歌曲「片恋」(北原白秋 詩) 歌曲「冬の言葉」(高村光太郎 詩) 演奏:森山孝光(バリトン) 森山康子(ピアノ)
大野雅夫 作曲/弔魂詩 演奏:新潟モンテヴェルディ室内合唱団 指揮:大野雅夫
 小野龍一 作曲/Speech(スピーチ) 演奏:小林修子(ヴァイオリンⅠ) 石井智大(ヴァイオリンⅡ) 松岡百合音(ヴィオラ) グレイ理沙(チェロ) 平塚拓未(コントラバス)
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月29日
 
大正8年(1919)の今日、数寄屋橋の有楽座で、倉田百三作の演劇「出家とその弟子」を観ました。
 
光太郎が観たのは、劇団・創作劇場による初演興業でした。

智恵子の故郷、福島は二本松で顕彰活動をされている智恵子のまち夢くらぶさんの主催で、以下のイベントがあります。

第6回 智恵子純愛通り記念碑建立祭プレミアム「音楽で紡ぐ純愛コンサート」

日 時 : 2014年9月21日 午後2時開演 1時30分開場
定 員 : 200名
料 金 : 前売2,000円 当日2,500円
内 容 : 第1部 Noby トランペットの道
           トランペット 長屋伸浩
      第2部 モンデンモモの智恵子抄 special 二本松10年の精華を今!
           曲・歌 モンデンモモ  ピアノ 砂原嘉博  チェロ 伊藤耕司
申し込み/問い合わせ 熊谷さん 0243-23-6743
 
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光太郎の詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんがメイン。昨年9月以来、1年ぶりの二本松でのコンサートです。
 
5月に行われた「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」同様、今年、夢くらぶさんのが行っている「詩集「道程」出版100周年高村光太郎智恵子結婚100周年智恵子のまち夢くらぶ発会10周年記念事業」の一環です。
 
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また、当日、午前10時から、智恵子生家駐車場前で「智恵子純愛通り記念碑建立祭」が開催されます。安達文化ホールもすぐそばです。
 
下記画像は過去の建立祭の様子。夢くらぶさんのページから拝借しました。
 
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この碑文の揮毫は、先頃亡くなった高村規氏です。おそらく規氏の筆跡が碑になっているのは、これだけではないかと思います。
 
というわけで、建立祭、コンサート、ぜひ足をお運びください。
 
当方、残念ながらこの日は自分の音楽活動のため行けません。申し訳ありません。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月28日001
 
平成18年(2006)の今日、島根県立石見美術館で開催されていた「森鷗外と美術」展が閉幕しました。
 
光太郎の油彩自画像、鷗外宛書簡、装幀した書籍、さらに先日ご紹介した宮芳平の油絵など、光太郎とも交流のあった人物の作品等も多数展示されました。
 
同展はこの後、和歌山県立近代美術館、静岡県立美術館に巡回されました。

東京国分寺でのコンサートです。
 
ただし、チケットは完売だそうです。

「もう一つの智恵子抄」

期 日 : 2014年9月20日(土)
時 間 : 15時開演(14時半開場、17時終演予定)
会 場 : 小俣邸  国分寺市泉町3-26-6TEL:042-325-0969
      アクセス JR中央線西国分寺駅より徒歩5~6分駐車場はありません。
       玄関の杉玉が目印。当日は看板が出ています。
       ※演奏会場には、靴を脱いでお上り頂きます。
       ※スリッパはございませんので、靴下ご注意ください。
出 演 : ぷらイム(Prhymx)お話・テルミン:大西ようこ聞き手・歌・朗読・ギター:三谷郁夫
入場料 : 3,000円(前売)/3,500円(当日)
       ※前売は前日9/19(金)正午締切。
       ※それ以降のお申込みは当日料金となります。
プログラム : 三つの情景(Trois Scènes pour Thérémine et Guitare):田中修一他
チケット・お問い合わせ : 彩企画(大西) 080-5436-0828 theremin-japan@ezweb.ne.jp
 
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智恵子はなぜ人でなくなってしまったのか?
そんな智恵子をなぜ光太郎は「だんだん美しくなる」と詠ったのか?
そんな『智恵子抄』の謎と真実に迫り、また裏話も楽しんでいただきます。
ご案内役は、大西ようこ、三谷郁夫。
勿論、ぷらイムの演奏もお楽しみいただきます^^
限定30名ですので、お申し込みはお早めに。(完売だそうです)
会場となる小俣邸は、知る人ぞ知る、住宅街の中にある隠れ家的音楽サロン。家の殆どの部材は、富士吉田にあった300年以上前の古民家から移築された物です。玄関をくぐるとそこは異空間の古民家。骨董好きのご亭主による設えは、どこを見ても情趣豊かな遊び心に溢れています。
宝探しの積もりで、会場もお楽しみください。

 
テルミン奏者の大西ようこさん、ギターの三谷郁夫さんのお二人による演奏会です。
 
会場が定員30名ということで、既にチケットは完売だそうですが(当方も買いました)、報道関係の方などもお読みいただいているかと存じますので、ご紹介しておきます。
 
また近くなりましたら詳しく書きますが、同じ大西ようこさんと、マリンバ奏者の今井万里子さん、和太鼓奏者の江上瑠羽さん、そして朗読の寶木美穂さんによる「音楽と朗読・歌で綴る智恵子抄」というコンサートが、10月4日(土)に武蔵小金井で開催されます。
 
大西ようこさん、過日の髙村規氏のご葬儀でお見かけしました。ご焼香なさる際に、どこかでお会いした方だな、と思ったのですが、ネットの画像でお顔を拝見していた次第です。
 
お仲間の寶木さんのブログによれば、二本松まで取材に行かれたり、大西ようこさんが、智恵子抄研究家? というくらい文献を読み込まれたりなさっているそうですので、期待しております。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月27日
 
昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、新制盛岡高校の女生徒10人ほどが訪れました。
 
小屋が狭いので、1㎞ほど離れた小学校に移動、そこで雑談をしたり、光太郎が自作の詩の朗読をしたりと、愉しい時間を過ごしたようです。

以前にもご紹介しましたが、今年2月の地方紙『福島民報』さんの記事です。

県北を重点開催地に 県芸術祭

 県芸術祭運営委員会は14日、福島市民会館で開かれた。平成26年度の県芸術祭の重点開催地を県北地区とし、開幕式典・開幕行事を9月13日に二本松市の二本松文化センターで催すことを承認した。
 開幕行事のテーマは「智恵子の里に集う文化で深める絆」とする方針。開幕式典に続いて、文化団体・民俗芸能団体による発表を行うほか、県北地区の物産コーナーや展示コーナーも開設する方向で準備を進める。
 今年度の県芸術祭の実施状況も報告された。主催行事は27件で、来場者は2万7712人だった。参加行事は46件で6万440人が来場した。合計の来場者は8万8152人となり、前年度を4081人上回った。
 運営委員会には文化団体の代表ら約40人が出席した。運営委員長の高城俊春県芸術文化団体連合会長があいさつし、県芸術祭の成功を誓った。
( 2014/02/15 09:19 福島民報 )
 
というわけで、第53回福島県芸術祭の開幕式典が開催されます。
 
 
以下は二本松市の広報紙から。

第53回福島県芸術祭 開幕式典・行事

 「智恵子の里に集う文化で深める絆」をメインテーマに、文化団体による民俗芸能、舞踊、合唱等の発表会が開催されます。
 二本松市からも出演しますので、お誘いあわせのうえご覧ください。

開催日 9月13日(土)
会 場 二本松文化センター
開 演 開幕式典13:15(開場12:00) 開幕行事14:00
入場料 500円(前売りで完売の場合は当日券はありません)  ※全席自由 ※中学生以下無料
チケット販売所 文化課(市役所3階)
チケット販売時間 月曜日~金曜日の8:30~17:15
 詳しくは下記までお問い合わせください。
◎問い合わせ…文化課文化振興係☎(55)5154
 
 
福島県のページには以下の内容が。

福島県芸術祭

 福島県芸術祭は、県民自らの芸術・文化活動への参加と、県民に芸術・文化に触れる機会を提供することなどを通して、本県芸術・文化の振興を図ることを目的に昭和37年から開催しています。開催内容は「主催行事」と「参加行事」をもって構成しています。
 
1 平成26年度第53回福島県芸術祭について
 本年度の芸術祭は、二本松市の開幕行事を皮切りに県内各地において81の開催行事が催されますので、是非御覧いただくとともに、参加体験されてはいかがでしょうか。 皆さんの御来場をお待ちしております。
◇  開催月日 平成26年9月13日(土曜日) 13時15分~16時00分 
◇  開催場所 二本松文化センター大ホール(住所:二本松市榎戸1-92電話:0243-23-5121)
  1  開幕式典     時間 13時15分 ~ 13時45分
  2  開幕行事
   (1)  第一部公演時間 14時00分 ~ 14時55分
   (2)  第二部公演時間 15時05分 ~ 16時00分
   (3)  出演団体      8団体
        
2 福島県芸術祭への参加申し込みについて
  開催行事は、原則として9月1日から11月30日までに実施し、一般県民に公開し推奨しうる芸術・文化行事で、福島県芸術祭運営委員会が承認したものとなります。申し込みされる団体は、次により手続き願います。
(1) 主催行事
  主催行事とは、全県組織の芸術文化団体並びに市町村が主催及び主管する行事ですが、福島県、福島県教育委員会、県芸文連も主催団体として参画するものです。(主催行事一覧 [PDFファイル/174KB])
•全県組織芸術・文化団体が実施する行事
•重点地区の広域的文化団体連絡協議会等が実施する行事
•市町村が実施する行事
(2) 参加行事
  参加行事は、芸術・文化団体が自主的に開催する行事で、県芸術祭の趣旨にふさわしいものとします。
    また、参加団体は、県芸文連加盟の全県組織団体や市町村文化団体を始め、加盟していない芸術文化団体も申し込みできます。詳しくは県芸文連事務局までお尋ねください。

 
「主催行事」としては福島県合唱コンクールなどを含み、既に終了しているものもあります。
 
「参加行事」は、県内の各種文化団体がそれぞれに行う演奏会や展覧会を、芸術祭参加、という形にしているようです。
 
「主催行事」「参加行事」とも、光太郎智恵子にからむものがあるかと思われますが、多すぎて細かくチェックできません。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
 
まだまだ残暑が続いていますが、そろそろ「芸術の秋」という雰囲気になって参りました。秋の行楽シーズンも間近。これを機に福島へも足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月26日
 
昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエに、家の光協会の人が、光太郎詩レコード化の相談に訪れました。
 
当日の日記には以下の記述があります。
 
<「家の光」の人くる、「青年」を盤に吹込むとのこと、>
 
さらに、9月27日の日記には、
 
「家の光」の人レコード持参
 
とあります。
 
このレコードというのは、おそらく、こちらです。
 
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この頃流行った「ピクチャーレコード」というもので、サイズは8インチです。当方、あまり詳しくないのですが、78回転ですので、SPレコードに分類されるのではないかと思われます。
 
光太郎の「私は青年が好きだ」と、竹内てるよの「わたくし」の朗読が収められています。もう片面(どちらがA面なのかわかりません)には、「家の光つどいの歌」という歌です。この歌はこの年の制作です。
 
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上記画像、当方が持っている現物なのですが、ジャケット、歌詞カード的なものがついておらず、詳細が不明です。発行年月日、朗読者、「家の光つどいの歌」の方の歌手などなど。
 
また、のちにビクターから「ワンワンレコード」の1枚として復刻されているらしいのですが、そちらについても詳細が不明です。今後の課題としておきますが、情報をお持ちの方はご教示下されば幸いです。

愛知は碧南市から企画展情報です。
 
昨年、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の巡回があった、碧南市藤井達吉現代美術館さんで、以下の企画展が始まります。 
 
光太郎の代表作の一つ、ブロンズの「手」も並びます。
 
9/13追記 残念ながら光太郎の代表作の一つ、ブロンズの「手」は、高岡展では展示されましたが、碧南には出ないそうです。すみません。

メタルズ!-変容する金属の美-

会  期 平成26(2014)年9月11日(木)から10月19日(日)まで
観覧時間  10:00-18:00
休 館 日 月曜日(ただし、9月15日(月・祝)及び10月13日(月・祝)は開館、翌日は休館)
観 覧 料 一般800(640)円 高校・大学生500(400)円 小学・中学生300(240)円
 
    ※()は20名以上の団体
 
関連イベント
■記念講演会 
日  時 2014年9月27日(土) 午後2時~3時30分 
講  師 村上隆氏(高岡市美術館館長/京都美術工芸大学教授)
内  容 「変容する金属の美」
場  所 大浜まちかどサロン2階(美術館向かい)
定  員 先着60名 (定員になり次第締切)
 
■ 美術講座
日  時 2014年10月4日(土) 午後2時~3時30分 
講  師 土生和彦(碧南市藤井達吉現代美術館学芸員)
内  容 「ブロンズによる人の姿」
場  所 大浜まちかどサロン2階(美術館向かい)
定  員 先着60名 (定員になり次第締切)
 
■ 工場見学と企画展観覧
ステンレスの製造工場を見学した後、担当学芸員とともに市内の野外彫刻、企画展を観覧します。
日  時 2014年9月28日(日) 午後2時~3時30分
対  象 中学生以上
昼 食 代 500円(企画展観覧には別途観覧料金が必要です。団体割引料金を適用します。)
定  員 先着20名 (定員になり次第締切)
 
■ ワークショップ 
銅板に好きな図案を鉄筆で描き、レリーフを作ります。
日  時 2014年10月5日(日) 
 1 小学生対象(12名まで):午前10時から正午まで
 2 一般(中学生以上12名まで):午後1時30分から4時30分まで
テ ー マ 銅のいぶしレリーフ
講  師 小島雅生氏(造形作家/東海学園大学准教授)
参 加 費 小学生:500円 一 般:2500円(展示用額付)
場  所 美術館地下1階創作室
 
■野外彫刻散歩
美術館周辺の野外彫刻を担当学芸員とともに歩いて巡ります。
日  時 2014年10月11日(土) 午前11時から12時30分まで
行  程 美術館出発→臨海公園野球場前→臨海体育館・水族館解散
参 加 費 不要
 
■ギャラリー・トーク
当館学芸員が展示作品の解説を行います。
日  時 9月:13日(土)、20日(土) 10月:11日(土)、18日(土)
 午後2時より(約30分)

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ぜひ足をお運びください。
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月25日
 
昭和18年(1943)の今日、詩人、佐藤惣之助の追悼文集『佐藤惣之助おぼえ帖』が櫻井書店から刊行されました。001
 
佐藤惣之助(明23~昭17)は、句誌『とくさ』、文芸誌『テラコツタ』などに依った詩人です。
 
作詞家としても活躍、「赤城の子守歌」(作曲・竹岡信幸/歌・東海林太郎)、「大阪タイガースの歌」(現・「阪神タイガースの歌」、通称「六甲おろし」 作曲・古関裕而)などをてがけました。
 
光太郎の「詩魔佐藤惣之助氏」が掲載されています。抜粋します。
 
個人的に往来する間柄でなかつた私にも、佐藤氏の寛𤄃な気性と、清濁併せ呑む気宇と、内に包蔵する取つて動かぬ 耿介の精神とにはいつも心を惹かれてゐた。山ほどあつたであらう其の為残した仕事を抱いたまゝ急逝された事は惜しい上にも惜しい。

気がつけば8月も最終週。9月のイベント情報を少しずつご紹介します。
 
渋谷の映画館、「シネマヴェーラ渋谷」さんでの特集上映です。 
昨年、東京フィルメックス、ヴェネチア、ベベルリンにおいて回顧上映され、再評価の声が高まる中村登監督の全貌に迫る!

8/16 ~ 9/12「甦る中村登」特集がシネマヴェーラ渋谷で上映されます。2013年ヴェネチア国際映画祭、東京フィルメックス、2014年ベルリン国際映画祭で上映された「夜の片鱗」「土砂降り」「我が家は楽し」の他、全24作品の特集上映です。
 
『智恵子抄(35mm)』 (125分)
公開:1967年
主演:岩下志麻、丹波哲郎、佐々木孝丸、田代信子、中山仁、加藤嘉、宝生あやこ、島かおり、岡田英次、南田洋子、平幹二朗、北見治一、小林博、岩本多代、金子信雄、石立鉄男、内藤武敏、小畠絹子
 
心を病んでゆく妻・智恵子への高村光太郎の愛を丁寧に描いた、同名詩集の二度目の映画化作品。智恵子役の岩下志麻は、鬼気迫る名演で数々の賞を受賞した。芥川比呂志による詩の朗読も心に沁みる感動作であり、米アカデミー賞にノミネートされた文藝映画。
 
上映日程 
 9月6日(土) 11:00 15:00 19:00
 9月9日(火) 11:00 15:00 19:00
 9月12日(金) 11:00 14:55 18:50
 
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昭和42年(1957)公開の松竹映画、「智恵子抄」が上映されます。まだご覧になったことのない方、この機会にぜひ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月24日
 
昭和52年(1977)の今日、光太郎のきょうだいの最後の一人、植物学者・藤岡孟彦が歿しました。
 
明治25年(1892)、高村家四男として生まれた孟彦は養子に出て藤岡姓となりました。ご子息光彦氏はご健在で、連翹忌にもご参加下さっています。過日の高村規氏ご葬儀でもお元気そうでした。

千葉から公開講座の情報です。実施はまだ先なのですが、〆切が近いので、ご紹介します。

中央学院大学アクティブセンター オープンカレッジ “智恵子抄を書く”

期 日  2014年10月9日16日23日30日 11月6日 13日
       (全6回 すべて木曜日)001
時 間  12:50~14:50
場 所  中央学院大学 千葉県我孫子市久寺家451
 
講 師  書家  野々下瑤水(ののした ようすい)
 
講座概要
「わがこころはいま大風の如く君にむかへり」“郊外の人に”の一節である。運命的な智恵子との出会い・・・この頃より智恵子抄は書き始められていた。“樹下の二人・あどけない話・人生遠視”そして昭和14年2月の“レモン哀歌”と・・・今回はこの智恵子抄の代表作にふれる授業とします。書はいろは単体より勉強します。光太郎は“書の深淵”という本を書いていて、書作品も多く残されており、この光太郎の書にもふれてみたいと思います。
 
カリキュラム
 10/9    講義:ここはあなたの生れたふるさと  実技:いろは単体&とりな帖
 10/16 講義:光太郎・智恵子の半生  実技:樹下の二人
 10/23 講義:わがこころは大風のごとく  実技:郊外の人に・深夜の雪
 10/30 講義:あなたはだんだんきれいになる  実技:あどけない話
 11/6   講義:風に乗る智恵子  実技:千鳥と遊ぶ智恵子
 11/13 講義:レモン哀歌・梅酒  実技:レモン哀歌
 
申込み 8/18(月)~8/29(金) 中央学院大学アクティブセンター宛
 
 
中央学院大学さんというと、箱根駅伝の常連校ですね。
 
昨今は大学も少子化の影響で大変なためか、地域の方々や高校生への働きかけを随分やっているようです。こうした機会で光太郎智恵子をどんどん扱ってほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月23日
 
明治42年(1909)の今日、上州への旅の途上、磯部温泉に一泊しました。

福島からイベント情報です。
 
まず『福島民友』さんの記事から。 

「全日本演劇フェス」29、30日に福島テルサで本県初開催

 「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」は29、30の両日、福島市の福島テルサで開かれる。本県では初めての開催。全日本リアリズム演劇会議(全リ演)の主催。
 東日本大震災前は3年に1度、全国各地で開いてきたが、震災後は開催を疑問視する声もあり、中止していた。自分たちが復興支援として応援したい人に演劇を見てもらいたいという声が全国で多く寄せられたため、震災後、初めて本県で開かれることになった。
 29日は全リ演関東ブロック合同公演として「貧乏物語」を上演。30日は光南高演劇部が「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」、全リ演西会議が合同で「天満のとらやん」、京浜協同劇団が朗読劇「空の村号」をそれぞれ上演する。
 このほか、29日は舞台芸術コーディネーター新田満さんが「演劇できれば満足か」と題して講演する。入場料は全公演を見ることができる観劇パスが一般1000円で、小学生以下無料。問い合わせは同フェスの実行委員会(電話090・8926・0641)へ。
(2014年8月19日 福島民友おでかけニュース)
 
 
というわけで、福島テルサというホールで、「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」が開催されます。
 
その中で、8月30日の午前10寺45分から、福島県立光南高等学校演劇部さんの「この青空は、ほんとの空ってことでいいですってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」がプログラムに入っています。光太郎や草野心平の詩に託し、原発事故への思いを語るものです。

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こちらは以前にもご紹介しましたが、平成24年(2012)に渋谷、横浜で上演された福島県立県立あさか開成高校演劇部さんによる「第一章」を受けて作られたもので、今年1月、千葉の鴨川などで公演されました。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月22日
 
昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエを、女優の水谷八重子さんが訪れました。
 
北条秀司作の演劇「智恵子抄」のための打ち合わせでしたが、この公演は、光太郎の生前には実現しませんでした。自分が登場することに対し、光太郎が難色を示したそうです。
 
結局、上演されたのは光太郎の亡くなった昭和31年(1956)でした。
 
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昨日、東京は荒川区の町屋斎場に於いて執り行われた、光太郎の令甥にして高村光太郎記念会理事長、元日本広告写真家協会会長、髙村規氏の葬儀に参列してきました。
 
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心のこもった、いいお式でした。
 
参列者を代表して弔辞を読まれたのは写真家の田沼武能氏。亡くなった規氏の先輩にあたられ、お若い頃の規氏のエピソードなどを交えた弔辞には、心を打たれました。
 
心を打たれたというと、司会の方によってご披露された渡辺えりさんの弔電もでした。渡辺さんは光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られたり、連翹忌にもたびたびご参加下さったりで、規氏とのご交流も深いものがありました。
 
祭壇の前には、規氏撮影の写真を使った書籍のうち、祖父光雲の作品集「木彫髙村光雲」(中教出版 平成11年=1999)、伯父光太郎の作品集「高村光太郎彫刻全作品」(六耀社 昭和54年=1979)、そして父豊周の作品集「鋳」(髙村豊周作品集刊行会 昭和56年=1981)が飾られていました。
 
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本職の広告写真の分野以外に、智恵子も含め、こうした高村一族の造形作品を写真として遺して下さったことは、規氏の大きな業績と言えます。こうした作品集以外に、各種企画展の図録に使用した写真も、そのほとんどが、規氏によるものです。しかも、この彫刻にはこの写真、というふうにきちっと管理がなされており、それによって図録の編集も容易でした。そうしたデータは、ご長男の達氏が同じ写真家として規氏を助けられていたので、引き継がれていくと思われます。
 
また、いろいろな書籍に掲載された、光太郎の回想。親族の眼から見たそれは、他人には見せなかった光太郎の生の姿が語られ、非常に貴重な記録です。
 
昨年4月、信州安曇野の碌山美術館で開催された碌山忌記念講演会が、規氏の「伯父 高村光太郎の思い出」でした。今年3月に同館から刊行された館報第34号には、その全文が掲載されています。
 
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同館の御厚意で、今年4月2日の第58回連翹忌で、参会の皆様に1部ずつ配布いたしました。そうしましたところ、早速、詩人の間島康子様、同じく宮尾壽里子様が、それぞれそちらを資料に論考を書かれています。
 
同趣旨の回想は、平成23年(2011)刊行の雑誌『花美術館 Vol.18 特集 詩魂が宿る芸術 光太郎、智恵子』にも掲載されています。
 
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また、現在、青森十和田市の十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで刊行を進めている乙女の像60周年記念誌的なものにも、昨秋行った青森テレビの川口浩一アナウンサーによる規氏へのインタビューが掲載される予定です。
 
その他、短いものを含めれば、光雲、光太郎、豊周、智恵子に関する氏の文筆作品は枚挙にいとまがありません。こうした部分も、規氏の大きな業績と言えるでしょう。
 
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月21日
 
明治10年(1877)の今日、東京上野公園で、第1回内国勧業博覧会が開会しました。
 
光雲、数え26歳。師匠高村東雲の名で出品した白衣観音が、一等龍紋賞を獲得、これにより、光雲の名が知られてゆくこととなります。

いただきもの2点です。双方、昨日届きました。ありがたいかぎりです。

『平成25年度 盛岡てがみ館 館報』

2014年8月1日  編集発行(公財)盛岡市文化振興事業団  盛岡てがみ館
 
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毎年、送って下さっています。恐縮です。
 
今年2月から6月にかけて開催された第43回企画展「高村光太郎と岩手の人」の報告も掲載されています。出品物や光太郎の画像も載っており、資料としてありがたいものです。
 

『永瀬清子研究年報 第9号』

2014年2月17日
編集発行 岡山県赤磐市教育委員会熊山分室 赤磐市永瀬清子の里づくり推進委員会事務局
 
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光太郎と交流のあった詩人・永瀬清子に関する資料集です。こちらも毎年送って下さっています。
 
地元での顕彰活動の記録や、各種出版物その他で永瀬清子が紹介されたものの一覧が載っており、このブログで永瀬清子を紹介した日の記事もくまなく載せて下さっています。恐縮です。

 
ご入用の方、それぞれ上記発行元団体に直接お申し込み下さい。上記にリンクを貼ってあります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月20日
 
昭和16年(1941)の今日、道統社から評論集『美について』が刊行されました。
 
昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太001郎】で、やはり昭和16年(1941)の今日、詩集『智恵子抄』の刊行を紹介しました。
 
全く同じ日付で、評論集『美について』と詩集『智恵子抄』が刊行されたというわけです。
 
『美について』は戦後になって筑摩選書版、角川文庫版も出版されましたが、内容は同一ではありません。それを言うと、『智恵子抄』もそうですが……。
 
 
当方、本日、先頃亡くなった高村規氏の葬儀に行って参ります。

8月21日は、「福島県民の日」だそうです。平成9年(1997)の制定で、明治9年(1876)8月21日に、旧福島県・磐前県・若松県の3県が合併して現在とほぼ同じ福島県の姿が誕生したことにちなむそうです。
 
それにともない、21日(木)には施設の無料開放などの「福島県民の日」サマーキャンペーンということで、郷土について理解と関心を深め、ふるさとを愛する心をはぐくみ、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げることを期すそうです。
 
そこで、県内50ほどの施設が、当日は利用無料。智恵子にからむ以下の施設も入場無料になります。
 
二本松市智恵子の生家・智恵子記念館
二本松市油井字漆原町36番地
「ほんとうの空がある」と安達太良山を愛し、高村光太郎との愛と芸術に生きた智恵子。彼女の生家が当時の面影のまま甦りました。記念館では芸術家・智恵子の作品を展示し、人生の軌跡と精神世界を語りかけます。
通常料金 大人(高校生以上)410円 小人(小・中学生)200円

二本松市大山忠作美術館
二本松市本町二丁目3番地1(二本松市市民交流センター3F)
大山忠作画伯は二本松市出身で現代日本画壇の重鎮として活躍され、平成19年に169点にも及ぶ作品が二本松市に寄贈されました。大山忠作美術館は寄贈された作品を中心に幽玄・華麗なる多くの作品を展示しています。
通常料金 一般410円 高校生以下200円
 
二本松市歴史資料館
二本松市本町一丁目102番地
第1展示室は橋本堅太郎ほか美術家の作品、第2展示室は市内遺跡から出土した土器等の考古資料、第3展示室は中世畠山氏から近世丹羽氏に関する古文書・武具などを展示しています。
無料開放
通常料金 大人100円 高校生50円 小中学生30円
 
県外の方も、この機会にぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月19日
 
平成7年(1995)の今日、智恵子終焉の場所、南品川ゼームス坂病院跡に、光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が除幕されました。
 
 
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つい先だって、光太郎の令甥にあたられる高村規氏の訃報をのせましたが、お身内がまた亡くなられました。
 
規氏の妹さんの珊子さん(こちらはご存命です)のお嬢さんで、亜留さん。したがって、光雲の曾孫、豊周の孫、規氏の姪に当たられる方です。亜留さんからみれば、光太郎は大伯父です。8月14日、子宮頸がんで亡くなられたそうです。
 
昭和60年(1985)に高村亜留として歌手デビュー。アルバム2枚とシングル2枚を発表されました。そのお名前をご記憶の方もいらっしゃるでしょう。御結婚なさって、歌手を引退、茨城の方でお住まいだったとのことです。

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2014/09/01追記 「茨城の方でお住まい」というのは誤りでした。ご親族の方からご教示いただき、川崎にお住まいだったそうです。
 
当方、デビュー当時の『FOCUS』を持っております。「一途なとこがソックリね」――曾祖父は光雲、光太郎が大伯父という歌手、高村亜留」という記事が掲載されています。光太郎作の十和田湖畔の裸婦群像中型試作を前にしたお姿が載っています。ちなみに背景に写っている掛け軸も光太郎画、光雲の木彫も見えます。
  
ご本人のインタビューでは光雲や光太郎を「何にでも一途なところが似てるな!」、お母さんの珊子さんの談話は「やり始めたら人が何といおうと猪突猛進というのは高村の血筋ですね」だそうです。
 
2014/09/01追記 『FOCUS』の写真、「親族の間ではあまり好まれない画像」だそうで、削除しました。
 
昭和36年(1961)のお生まれだそうですので、誕生日が来ていれば53歳……若すぎるご逝去です。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月18日
 
昭和61年(1986)の今日、草野心平が郵便局発行の「高村智恵子生誕百年記念」はがきの解説文、「智恵子生誕百年に寄せて」を執筆しました。
 
第一部「智恵子のふるさと」(半沢良夫画)、第二部「高村智恵子紙絵」、おのおの額面40円の官製絵葉書5枚ずつ、計10枚のセットで発売されました。題字も心平の筆です。
 
「…これ、智恵子の形見…」といって夜の道で高村さんに渡された紙包みを、ホテルの部屋でひらくと、それはカーネーションの紙絵だった。私はそれを南京に持ち帰って、ウチの壁に飾ってゐた。そして敗戦につぐゴタゴタから、残念・無念いまは手元にはない。
けれども高村智恵子といふ全く特異としか言ひやうのない美しい存在の記憶は年を経る度に新鮮になる。無論紙絵の造形美は智恵子さん以外、他に類例を見ないものだが、二十代に描かれた樟の大木の油絵の一作を私は見たことがある。セザンヌを遠く聯想させるその作品は、この道一ト筋に進んでいったらどんな大物になっただらうか、内心ワクワクしたことを憶えてゐる。
智恵子さんのヂカの憶え出は沢山。大晦日にアトリヱに泊めてもらって元日のお雑煮。その他。その他。嗚呼。
 
短い文章ですが、智恵子を偲ぶ心情が切々と伝わってきます。
 
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先週、『読売新聞』さんのサイト内の「大手小町」に「女性の美と健康」と題する記事が載りました。当方、読売さんは購読していないのでよくわからないのですが、紙面にも掲載されたのでしょうか。
 
光太郎の名が出ています。 

女性の美と戦争

  「新女性美の創造」。こうした見出しが読売新聞の家庭面に登場したのは1941年1月24日のこと。
 
 「美の標準は時代の社会性によって変化するものです。一路高度国防国家へ突進しようとするこの情勢の中で、婦人の生活はどうあらねばならないか。またその生活の中で女性の美しさはどう変わってくるかということも当然考えられねばなりません」と書かれている。医学、教育、科学などの専門家による座談会が掲載され、翌日からは彫刻家で詩人の高村光太郎や作家の宮本百合子なども、これからの女性の美のありかたについて語っている。
 
 1月21日付の読売新聞には、大政翼賛会による新女性美創定研究会が開かれたという記事が社会面に掲載されている。見出しは「翼賛型の美人 生み出す初の研究会」。記事では、研究会のメンバーである婦人科医の木下正一氏による「新女性美十則」というものが紹介されている。「顔や姿の美しさ それは飾らぬ自然美から」「清く明るく朗らかに」「大きな腰骨たのもしく」などで、「働く女性、子供を産む女性を美の基準にしたものを提唱」とある。
 
 それまではといえば、竹久夢二の絵に描かれたような、ほっそりして柳腰の女性が美しいとされていた。しかし、その後、戦争への道を突き進んでいくとともに、「柳腰撲滅論」まで登場するなど、戦争を支える「戦力」としての女性への期待が高まっていった。健康的な美というものが、実は女性を「戦力」に仕立て上げていくために使われたということだ。
 
 この話を初めて知ったのは、読売新聞の家庭面が2014年に100年を迎えるにあたって掲載された「家庭面の一世紀」という連載だった。詳しくは『こうして女性は強くなった。家庭面の100年』(中央公論新社刊)に掲載されているが、女性の美の基準がこうして国によって作られていくということに、大きなショックを受けた。
 
 女性が健康的であるのはいい。しかし、美の基準や美意識は個人によって異なるのが当然であって、国が決めていくような話ではない。そのことを、この時代の記事が教えてくれる。
 
 あす8月15日は終戦記念日。美やファッションも戦争の影響を受けたのだということを知っておきたい。
 
プロフィル
宮智 泉(みやち・いずみ)さん/読売新聞東京本社生活部部長/東京生まれ。国際基督教大学卒業。1985年、読売新聞社に入社。水戸支局、地方部をへて、生活情報部。2009年1~5月、カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院の講師を務める。編集委員としてファッションやライフスタイル、働く女性の問題などを担当し、2012年11月から現職。

 
冒頭で紹介されているのは、読売さんの昭和16年(1941)の1月24日から2月14日にわたり、断続的に掲載された座談会「新女性美の創造」です。以前にこのブログでも、オリンピックがらみの内容で少し紹介しました。
 
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座談会といいながら、最初の数回は出席者おのおのの長い談話です。連載中盤から通常の座談会記録になります。
 
光太郎の談話は1月29日と翌30日の2回に分け、「叡智なき美しさ 廃頽時代の玩弄物」のサブタイトルで掲載されました。
 
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他の出席者は東京美術学校助教授・西田正秋、文部省体育官・吉田章信、医師・竹内茂代、作家・豊島与志雄、同じく宮本百合子でした。
 
太平洋戦争直前の時勢ですので、やはりきな臭い発言がいろいろあります。光太郎にも。
 
今までは美しい身体などといつてもそれは西洋の女の身体の真似みたいなものを典型として考へてゐたのですが、これからは日本人の美を見つけ出さねばいけない。拵へ出す、想像することです。すると本当のものがそれについてくる。芸術はそんな力がある。
 
ものゝ考へ方を統一することを強調したい。そしてそれを健全にしたいものですね。
 
退嬰的なものを賛美する風潮を戒める、という意味ではいいのかもしれませんが、それも行き過ぎるとどこかの半島の独裁国家のようになってしまうのではないでしょうか。まさしく宮智さんのおっしゃるとおり「女性が健康的であるのはいい。しかし、美の基準や美意識は個人によって異なるのが当然であって、国が決めていくような話ではない。そのことを、この時代の記事が教えてくれる。 あす8月15日は終戦記念日。美やファッションも戦争の影響を受けたのだということを知っておきたい。」と思います。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月17日
 
昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエを三河島のトンカツ屋、東方亭の主人と娘夫婦が訪れ、トンカツをお土産に貰いました。
 
東方亭は、戦時中から光太郎が懇意にしていた店です。
 
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こちらは昭和28年の『毎日グラフ』に載った写真です。光太郎の後ろ姿、いい感じですね。キャプションは以下の通り。
 
戦争中大政翼賛会の会合にしばしば引っぱり出された高村氏は 唯一の抵抗として夜は必ず三河島の居酒屋東方亭で酔った 時には泥酔の末 電信柱にぶち当たり自爆 歯を折ったこともあるらしい いまでもちょいちょい足を運び 亭主細田藤明氏夫妻や子供たちにはもちろん お客達の人気を集めている
 
同じページには、お嬢さんの明子さんも。
 
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うっかり去年の【今日は何の日・光太郎】と同じことを書いてしまいました。
 
追加します。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月17日
 
明治44年(1911)の今日、光雲が内閣から美術審査委員、文部省から第三部委員に任ぜられました。
 

テレビ放映情報です。  

土曜スペシャル「東北縦断700キロ!名峰・名湯を巡る旅」

 テレビ東京 2014年8月16日(土)  18時30分~20時54分
 
番組内容
渡辺正行と秋本奈緒美のドライブ旅、第4弾!ゲストは舟山久美子。今回の舞台は、日本の原風景が残る東北地方!宮城・松島をスタートし、世界遺産平泉~八幡平~田沢湖~乳頭温泉~白神山地~十和田湖~奥入瀬渓流~八甲田山を巡る!道中には夏限定の絶景や名湯、美味がズラリ!
 
出演者
渡辺正行、秋本奈緒美、舟山久美子 ナレーター キートン山田


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ニッポン絶景街道 十和田・奥入瀬水神街道「大和朝廷も恐れたみちのく謎の文化とは」 

BS朝日1 2014年8月21日(木)  22時00分~22時54分
 
番組内容
昨今話題となっている国内最大級の縄文集落跡が発見された三内丸山遺跡。ここ10年で発掘が進み、注目を浴びているこの場所で、かつて存在した縄文王国に思いを馳せます。その後、二人は八甲田山へ。緑深いブナの森を抜けると、神秘的な雰囲気の中にひっそりとたたずむ蔦沼が現れます。美しい景色を堪能した後は、十和田名物・バラ焼きで腹ごしらえ。鉄板で焼く牛肉の香ばしい香りが食欲をそそります。さらに、避暑地として人気のスポット、奥入瀬渓流へ。十和田湖から流れ出た水が長い歳月をかけ、千変万化の美しい流れを形成しています。その流れに沿って歩くと、緑豊かな樹木や大小様々な滝に癒されます。歴史散策の最終地点は十和田湖。約2千年前にできた美しい湖には、地元に根付く深い信仰がありました。みちのくの地に古くから伝わる文化や信仰の秘密に触れ、奥入瀬水神街道の絶景が物語る歴史を体験する旅です。
 
出演者
鵜川真由子(写真家)、梶本晃司(歴史街道案内人)
 
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どちらも十和田湖が扱われます。少しでも光太郎に触れてくれればいいなと思っております。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月16日
 
昭和20年(1945)の今日、詩「一億の号泣」を執筆しました。
 
   一億の号泣
 
 綸言一たび出でて一億号泣す000
 昭和二十年八月十五日正午
 われ岩手花巻町の鎮守
 島谷崎(とやがさき)神社社務所の畳に両手をつきて
 天上はるかに流れ来(きた)る
 玉音(ぎよくいん)の低きとどろきに五体をうたる
 五体わななきてとどめあへず
 玉音ひびき終りて又音なし
 この時無声の号泣国土に起り
 普天の一億ひとしく
 宸極に向つてひれ伏せるを知る
 微臣恐惶ほとんど失語す
 ただ眼(まなこ)を凝らしてこの事実に直接し
 荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさざらん
 鋼鉄の武器を失へる時
 精神の武器おのずから強からんとす
 真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
 必ずこの号泣を母胎としてその形相を孕まん
 
 
この詩は、翌日の『朝日新聞』『岩手日報』に掲載されました。
 
ここには、戦時中、日本の正当性をひたすら信じ、天皇の神格をかたくなに疑わず、一途に国民の戦意昂揚に努めてきた光太郎の、目的を失った衝撃がよく表されています。
 
この後、花巻郊外太田村の山小屋での農耕自炊に入り、厳しい自然の中での生活が、光太郎をして自己の戦争責任の省察へと向かわせます。
 

同じ終戦の日の玉音放送を題材にした「終戦」という詩が書かれたのは、昭和22年(1947)。こちらは20篇から成る連作詩「暗愚小伝」の中の1篇です。
 
   終戦
 
 すつかりきれいにアトリエが焼けて、001
 私は奥州花巻に来た。
 そこであのラヂオをきいた。
 私は端坐してふるへてゐた。
 日本はつひに赤裸となり、
 人心は落ちて底をついた。
 占領軍に飢餓を救はれ、
 わずかに亡滅を免れてゐる。
 その時天皇はみづから進んで、
 われ現人神(あらひとがみ)にあらずと説かれた。
 日を重ねるに従つて、
 私の目からは梁(うつばり)が取れ、
 いつのまにか六十年の重荷は消えた。
 再びおぢいさんも父も母も
 遠い涅槃の座にかへり、
 私は大きく息をついた。
 不思議なほどの脱卻のあとに
 ただ人たるの愛がある。
 雨過天青の青磁いろが
 廓然とした心ににほひ、
 いま悠々たる無一物に
 私は荒涼の美を満喫する。
 
 
日を重ねるに従つて/私の目からは梁(うつばり)が取れ、」は、戦時中の光太郎をつき動かしていた軍部主導の国家倫理です。そこから自由になったことで「不思議なほどの脱卻」が訪れたというのです。
 
しかし、光太郎は他の多くの文学者のように、無邪気に民主主義を謳歌するというわけではありませんでした。同じ「暗愚小伝」の終曲、「山林」という詩では、以下のように謳っています。
 
 おのれの暗愚をいやほど見たので、
 自分の業績のどんな評価をも快く容れ、
 自分に鞭する千の避難も素直にきく。
 それが社会の約束ならば
 よし極刑とても甘受しよう。
 
他の多くの文学者たちが、戦時中に書いた戦意昂揚の作品を「あれは軍の命令で仕方なく書いたものだ」と言い訳していたなか、光太郎はこのように述べているのです。こうした自らの過ちを潔く認め、さらに自らを罰することを実践する(花巻郊外太田村での過酷な独居生活、彫刻の封印は7年に及びました)、そういう点こそ、光太郎の素晴らしさだと考えられます。
 
こうした戦後の光太郎の内面に眼を向けず、光太郎自身が否定した戦意昂揚の作品のみに眼を向け、「御用詩人」と断じるのはどうかと思います。逆に「これこそ大和魂」などと、戦時中の光太郎を賛美するのは論外ですね。
 
晩年の光太郎は、「終戦」の末尾の「いま悠々たる無一物に私は荒涼の美を満喫する。」の句をよく色紙などに揮毫していました。まさに当時の心境をよく表す句だったのでしょう。
 
「一億の号泣」の方は、終戦直後のまだ自己省察が進んでいなかった頃に、頼まれて揮毫することがありましたが、のちにはこれも戦意昂揚の詩の延長としてとらえるようになりました。
 
花巻に「一億の号泣」の詩碑を建立する、という話が起こった時、そうした光太郎の意を汲んで、光太郎の実弟・豊周や、過日亡くなった令甥・規氏、北川太一先生らが抗議、一旦は勝手に建てられた碑が撤去されたという経緯があります。しかし、撤去された碑はいつのまにか勝手に元に戻されてしまっています。別に光太郎の汚点だから無かったことにしろ、というわけではありませんが、残念です。

去る2014年8月13日夜、高村光太郎記念会理事長・元日本広告写真家協会会長、髙村規氏がご逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
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氏は光太郎の実弟にして鋳金の人間国宝、髙村豊周の子息で、光太郎には令甥にあたられた方でした。髙村家当主として、精力的に顕彰活動に取り組まれていました。昭和8年(1933)のお生まれで、おん年81歳でした。
 
また、写真家として、本業の広告写真のかたわら、光太郎、光雲、智恵子、豊周の作品を撮影、その作品はさまざまな書籍等に使われている他、光太郎智恵子、光雲をテーマとする個展も数多く開かれました。
 
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髙村規写真展 「木彫・高村光雲」 -没後六十年記念- 平成7年(1995) 銀座和光


 
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髙村規作品展 「智恵子抄彷徨」 平成7年(1995) JCI I フォトサロン
 
 
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髙村規写真展 -草野心平没後20年記念 平成20年(2008) 福島川内村阿武隈民芸館
 
 
さらには親族の目から見た光太郎の記憶など、貴重な回想も数多く残されています。
 
今年4月2日の連翹忌でも、献杯の御発声をなさってくださり、その時にはお元気なお姿を拝見できましたが、このところお加減がよろしくないというお話を聞いておりました。それにしても、驚きました。
 
通夜は8月19日18:00~、告別式は同20日11:00~、ともに荒川区町屋斎場です。
 
一部報道で通夜が19:00~となっています000が、18:00~です。
 
このブログをお読み下さった方、ご関係の方に、上記連絡をよろしくお願い申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月15日
 
昭和19年(1944)の今日、創藝社から大口理夫編『名品手帖 日本美術論集』が刊行されました。
 
光太郎の評論「十大弟子」が掲載されています。

福島からの報道です。

「おっ!PAIぷりーん」商品化 「乳首山」新名物優秀作品

『福島民報』8月9日(土)9時26分配信
 
 福島県二本松市の象徴・安達太良山の愛称「乳首山」にちなんだ食の新名物を決めるコンテストで優秀作品に選ばれた「おっ!PAIぷりーん」が商品化された。市内の道の駅「安達」智恵子の里上下線で販売を始め、8日、同駅下り線でお披露目会が開かれた。
 コンテスト作品の商品化は初めて。「おっ!PAIぷりーん」はプリンの上に生クリームとピンク色のチョコレートを乗せ、乳首山を表現した。口当たりは滑らかで、甘さは控えめ。価格は1個267円(税込み)。
 お披露目会には作者で市内のお菓子製造業「HAPPY」代表の石川真由美さん、コンテスト主催者の安斎文彦にほんまつ未来創造ネットワーク会長、市観光大使で女優の一色采子さんが訪れた。石川さんは「二本松のお土産として定着してほしい」と語った。コンテストはJRのふくしまデスティネーションキャンペーンに合わせ、二本松の魅力を発信しようと企画。3月に入賞作品を発表した。
 商品の問い合わせはHAPPY 電話0243(55)2976へ。

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記事にもあるとおり、安達太良山は、山頂の大岩の形状が遠くからだとそう見えるため、「乳首山」という別名があります。
 
下記は二本松観光協会さん発行のパンフレットから。
 
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左のページ、「阿武隈川」の「川」と「光太郎」署名の中間、たしかにそう見えなくもありませんね。
 
で、二本松市の旧安達町エリア、国道4号沿いにある道の駅「安達」智恵子の里さんで販売を始めたとのことです。商品の画像は上にありますが、まあ、この程度ならセクハラと騒がれないで済みそうですね。瓶の形がレトロ感も醸し出しています。
 
お近くをお通りの際は、ぜひお立ち寄り、お買い求めを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月14日
 
大正9年(1920)の今日、『時事新報』にエッセイ「私の事」が掲載されました。
 
一部、抜粋します。
 
 私のからだの中には確かに手におへない五六頭の猛獣が巣喰つてゐる。此の猛獣のため私はどんなに苦んでゐるか知れない。私をしてどうしても世人に馴れしめず、社会組織の中に安住せしめず、絶えず原野を恋ひ、太洋を慕ひ、高峰にあこがれ、野蛮粗剛孤独不羈に傾かしめるのは此の猛獣共の仕業だ。私は人一倍人なつこく、温い言葉と春のやうな感情とに常に飢ゑてゐるのだが、この猛獣のおかげで然ういふ甘露の味を味ふ事が実にすくない。
 
この時期の光太郎は、大正デモクラシー、プロレタリア文学・美術の勃興などを背景に、さまざまな形で露呈する社会矛盾への怒りをあらわにし始めていました。さらに大正12年(1923)の関東大震災後にはその傾向が顕著となり、有名な「ぼろぼろな駝鳥」などを含む連作詩「猛獣篇」へとつながっていきます。
 
この「私の事」は、そうした自己の内部に巣くう「猛獣」について述べた早い段階のものの一つでした。

新刊です。
2014/8/1 新潮社(新潮文庫) 嵐山光三郎編 定価693円
 
『文人』シリーズの著者が、食に拘る作家18人の小説と随筆34編を厳選したアンソロジー。

これは旨い! 森鷗外、幸田露伴、正岡子規、泉鏡花、永井荷風、斎藤茂吉、種田山頭火、高村光太郎、萩原朔太郎、内田百閒、芥川龍之介、宮沢賢治、川端康成、稲垣足穂、林芙美子、堀辰雄、坂口安吾、檀一雄。食にまつわる短編と随筆。『文人』シリーズの嵐山光三郎が34編を厳選。
 
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昨年、同じく新潮文庫・嵐山氏の『文士の料理店』をご紹介しました。そちらと、それから旧著の『文人悪食』(ともに光太郎が扱われています)などは、嵐山氏の文章によるものでしたが、こちらは鷗外、子規らの「食」に関する作品を集めたアンソロジーです。
 
光太郎の作品は、詩「米久の晩餐」、同じく「梅酒」、随筆「こごみの味」が採られています。
 
少し安易かな、という気がしなくもありませんが、やはり原典を読むというのは大事なこと。ぜひお買い求め下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月13日
 
昭和27年(1952)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、実弟の藤岡孟彦に葉書を書きました。
 
孟彦は高村家四男として産まれましたが、藤岡家の養子になりました。植物学を専攻し、現在も続く茨城県の鯉淵学園で教鞭を執っていました。ご子息・光彦氏は健在で、毎年、連翹忌にご参加下さっています。
 
文面は以下の通り。
 
 此間は折角来られたのに大したお構ひも出来ず失礼しました、それでも此処の様子を見てもらつて本望でした、
 まだ今後何処へゆくか分りませんが当分はここにゐるつもり、後には北海道屈斜路湖の方へ移住するかも知れません。
 東京へは十月にゆき、半年ほど滞在の筈です。
 
「東京」云々は、十和田湖畔の裸婦群像制作を指します。像の完成後はまた岩手に帰るつもりでいたことがうかがえます。それどころか、さらに北海道への移住も考えていたようです。
 
しかし、健康状態がそれを許さず、裸婦像除幕後、短期間、岩手に帰ったものの、東京で療養せざるを得ない病状で、結局、東京で亡くなることになります。

詩人の宮尾壽里子様から、文芸同人誌『青い花』第78号をいただきました。
 
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宮尾様のエッセイ「断片的私見『智恵子抄』とその周辺(四)」が4ページにわたって掲載されています。「エッセイ」という条、「論考」と銘打ってもよい内容で、すばらしいと存じました。
 
智恵子が今で言う「肉食系女子」なら、という前提で展開され、タガメや食虫花に喩えていらっしゃいます。
 
タガメのように智恵子はがっちりと箍を光太郎に填めたつもりでも、背中にしがみ付いているのが精いっぱいだったのではないでしょうか。信念を持ち、なにもかもは女の言いなりにならない光太郎は、好き勝手に動くから振り落とされそうで気が休まらない。のんびりと絵を描き、自由に生きていたいのに、気がつけば光太郎に認めてもらいたいし、絵ももっと褒めてもらいたい。絵で評価されたいというのは智恵子の諦めることの出来ないミッション(使命)のひとつであったでしょうから。
 光太郎が彫刻家として認められていくように、智恵子も同じように高まっていくことを望んだのではないでしょうか。新しい男女のかたちとは全てにおいて平等であり、一心同体でなければならない。たとえ別々の生きものであったとしてもと。しかし必然的にその差は露呈するのです。経済的にも自立していなければ平等などないことを智恵子は知るでしょう。タガメで云えば毒を差し込んでも喰い尽くせない光太郎、食虫花でいえば呑み込みきれない大きな虫。智恵子はしかし、会津女の辛抱強さと忍耐でしがみ付くのです。
 
卓見と思いませんか?
 
いわゆるジェンダー論者の、「智恵子は光太郎の人身御供だった」的な糾弾する論調に辟易することが多くあります。結局、そういう論は、逆に智恵子の主体性とか内面とかを重視せず、結果としての統合失調症の発症や早逝しか見ていません。遺された智恵子の詩文が少ないのは確かですが、もっと智恵子の内面に踏み込んだ論がほしいものです(決して牽強付会ではなく)。
 
そうした意味では、宮尾様の玉稿、卓見です。
 
また、宮尾様、今年の連翹忌にご参加下さいました。その折の話や、その折に配布した資料などからも引用なさっています。運営している甲斐がある、と思いました。
 
ご入用の方、仲介いたしますので、コメント欄等からご連絡下さい(『青い花』さんとしてのサイト等は開設されていないようです。太宰治や壇一雄、中原中也らの創刊した雑誌なのに、惜しい気もします)。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月12日
 
平成11年(1999)の今日、埼玉県比企郡都幾川村(現・ときがわ町)の正法寺で、光太郎筆の般若心経を陶板焼成した衝立が除幕されました。
 
 
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同じ埼玉の川越市に本社がある光兆産業株式会社の代表取締役・渡瀬武夫氏の寄進で、陶板制作は大塚オーミ陶業さん、額の制作は全国建具組合連合会特選理事・技術委員長(当時)の原口竹春氏です。
 
もとになった般若心経は、大正13年(1924)、光太郎の弟、豊周の子供が夭折した際、光太郎が豊周に「これ、霊前に」といって持ってきたものです。のちに昭和37年(1962)の第6回連翹忌で、光太郎の七回忌記念に、大塚巧藝社さんによる複製が配布されました。
 
当方、平成12年(2000)頃に見に行きました。それから15年ほど経っていますが、現在はどうなっているのでしょうか。

以前にご紹介しましたが、兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」という作品があります。

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身近にひそむ人権問題にスポットを当てた作品で、一昨年の制作ということもあり、福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルが「ほんとの空」というわけです。白石美帆さん他のご出演です。
 
さて、岡山県に本社があり、岡山県、香川県で受信できるテレビせとうちさんで、この作品の放映があります。

ほんとの空 

テレビせとうち 2014/8/14 (木) 14:50 ~ 15:30 (40分)
 
番組概要   生活の中の偏見を見つめ直す、ある家族の物語。
 
番組詳細   白石美帆 湯浅美和子 ほか
 
それから、神戸市では上映会が催されます。 

「心かよわす市民のつどい」

◆日時◆ 平成26年8月26日(火曜) 13時30分~16時 (開場13時)
 
◆会場◆ 神戸文化ホール・中ホール (神戸市中央区楠町4-2-2)
 
◆定員◆ 800名 (7月8日(火曜)から電話・FAXにて先着順受付)
 ★一時保育あり  1歳6か月~就学前のお子さま対象。無料。定員10名(先着順)
 *神戸文化ホール内託児室
 
◆プログラム◆
1.人権啓発映画「ほんとの空」上映  ※日本語字幕・副音声あり   
 企画:兵庫県・(公財)兵庫県人権啓発協会  上映時間:36分
 「意識と人権」~あなたの思いをわたしのものに~
 高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これら多くの人権課題に共通する根っこの部分は、わたしたちの誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」です。
 このドラマは、誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うことの大切さに気づかせてくれます。

2.講演会「ダウン症の娘と共に生きて」 (90分)
 講師:金澤泰子さん、金澤翔子さん (いずれも書家)  *要約筆記、手話通訳あり
  金澤泰子さん
  書家。金澤翔子さんの母。1943年生まれ。明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山氏に師事。1990年、東京・大田区に「久が原書道教室」を開設。久が原書道教室主宰。東京芸術大学評議員。
  金澤翔子さん
  書家。1985年、東京生まれ。5歳の時より母・泰子さんに師事し、書道を始める。20歳で銀座書廊において初の個展を開催。2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫。2013年に国体開会式において巨大文字を揮毫。紺綬褒章受章。天皇御製を謹書。
 
◆入場料◆
無料(ただし、事前に申し込みが必要)
 
◆申込方法◆
1.電話またはFAXで下記へ申込み(先着順)受付後、入場券を送付します。
  FAXの場合は、郵便番号、住所、名前、電話番号、参加人数、一時保育希望の場合は、お子さまの名前・年齢・性別を記載してください。
2.申込先・問い合わせ先  神戸市保健福祉局人権推進課
  TEL : 078-322-5234 FAX : 078-322-6048
 
 
6月には高知さんさんテレビさんで放映がありましたが、ぜひ、全国ネットでも放映してほしいものです。その他、自治体や学校さんなどでぽつぽつ上映されているようですが、もっともっと広まってほしいものですね。
 
 
 【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月11日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋で、地元の青年の持ってきたスイカを食べました。
 
日記に以下の記述があります。
 
午前弘さん西瓜持参、初もの、一緒にくふ。美味。新鮮この上なし、

昨日の第23回女川光太郎祭をつつがなく終え、先程、2泊3日の行程を終え、千葉の自宅兼事務所に帰り着きました。3日間を振り返ってみます。
 
2泊とも、女川町内のEL FARO(エル ファロ)さんに宿を取っていただきました。こちらは一昨年の暮れにオープンした宿泊施設です。50棟ほどのコテージハウスのようなものが並んでいますが、すべて、トレーラーハウスです。
 
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50棟ほどのすべてに車輪と連結のための部品がついており、そのままトレーラーで牽引できるのです。建築物ではないので、基礎を打つ必要もなく、状況によっては移動可能という、画期的なものです。
 
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内部はごく普通のホテルのようです。もちろん、電気も水道も通じています。ユニットバスも各戸についています。
 
一昨日の夜にこちらに着き、翌朝、散歩を兼ねて女川港まで約1.5㌔の道を歩きました。
 
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東日本大震災による大津波で倒壊した光太郎文学碑、女川交番などはまだそのままでした。しかし、確実に復興への槌音が響いていました。
 
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資材置き場に咲く向日葵。なぜか涙が出そうになりました。
 
女川光太郎の会の方に迎えに来ていただき、光太郎祭会場の「きぼうのかね商店街」へ。
 
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今年は商店街の一角に、テントを張って会場を設営しました。
 
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午後2時、震災で犠牲になられた方々への黙祷から始まり、前座として当方の記念講演。この頃から大粒の雨が降り始めました。
 
女川光太郎の会会長須田勘太郎さん、女川町長・須田善明氏のごあいさつ、ギタリスト・宮川菊佳さんの伴奏による、地元の方々の朗読、さらに和太鼓演奏。
 
 
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そして北川太一先生のお話。特にテーマは決めず、「講演」というほど大げさにではなくおしゃべりしたい、とおっしゃったそうで、短いお話でしたが、参会の皆さんは、口々に「一言一言が心に染みた」と感想を述べられていました。当方も同感でした。
 
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朗読をしてくれた皆さんに、北川先生からサイン入りご著書のプレゼント。
 
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女川光太郎の会の中心として活動なさっていて、震災の津波に呑まれた故・貝(佐々木)廣さん夫人、英子さんのごあいさつ。
 
オペラ歌手・本宮寛子さんのアトラクション演奏。
 
以上、こじんまりと行われたイベントですが、それぞれの方が、それぞれの思いを込めて、作り上げたイベントです。
 
地元の方々はもちろん、各地から、故・貝(佐々木)廣さんと親しかった皆さん、東京から北川先生の教え子の北斗会の皆さん、花巻高村光太郎記念会から事務局の高橋さんと、いろいろな方がお集まり下さいました。
 
今後とも、こじんまりとではあるかと思いますが、続く限り続けていってほしいと思います。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月10日
 
昭和47年(1972)の今日、中央公論美術出版から光太郎著『日本美の源泉』が刊行されました。
 
もともと『婦人公論』に昭和17年(1942)に連載されたものですが、当時の編集者がその草稿を処分するに忍びず、保存しておいたものを、そのまま複製し、和綴じにしたものです。
 
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本日、宮城県女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」において、第23回女川光太郎祭が行われました。

平成の初め、第1回が開催された頃からそうでしたが、女川光太郎祭といえば悪天候がお約束。今日も始まったとたんに雨が降り出しました。会場は屋外のテントの下で、どうなることかと思いましたが、つつがなく終わりました。

ご来場下さった皆様、ありがとうございました。詳細は帰ってからレポート致します。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月9日

昭和7年(1932)の今日、智恵子が九段坂病院を退院しました。


統合失調症が進んだ智恵子は、睡眠薬アダリンを大量に服用しての自殺を図り、幸い、一命は取り留めました。しかし、この後、坂道を転げ落ちるように、心の病は悪化の一途をたどります。

宮城県女川町に来ております。

明日、午後2時から、町内の仮設商店街「きぼうのかね商店街」にて、「第23回女川光太郎祭」が開催されます。
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昭和6年(1931)、「時事新報」に依頼された紀行文執筆のため、光太郎がここ女川を訪れたことを記念してのイベントですが、ここ数年は東日本大震災からの復興の象徴の意味合いも加わっております。

光太郎遺影への献花、小中学生を含む地元の方々による朗読、当会顧問・北川太一先生のお話、ギタリスト宮川菊佳氏、オペラ歌手本宮寛子様の演奏、地元の皆さんの太鼓演奏、当方の記念講演と、盛りだくさんです。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【今日は何の日・光太郎 補遺】8月8日

昭和23年(1948)の今日、彫刻家の石井鶴三から信州産のクルミを貰いました。

神戸からイベント情報です。 

平成26年度兵庫県舞台芸術団体フェスティバル「群読・青春詩歌の響き」-高村光太郎「道程」から100年-

期 日 : 2014年8月23日(土) 
開 演 : 18:00  (開 場 17:30) 
会 場 : 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
主 催 : 劇団自由人会   兵庫県劇団協議会 
 
構成・演出  ふるかわ照 
演奏  真山ゆかこ   木村知之

問い合わせ先   劇団自由人会 :078-784-3701 
 
入場無料(自由席)※要予約
【申込方法】劇団自由人会(078-784-3701)まで、お電話ください。
申込締切:8月21日(木)5:00PMまで
※お電話のみでの受付です。
※未就学児童の入場はご遠慮ください。
 
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神戸電子専門学校声優タレント学科の学生さんも出演されるようです。
 
今年は「道程」100周年。少しずついろいろなところでクローズアップされています。ありがたいかぎりです。
 
上記バナーにある「幻の102行」は、雑誌『美の廃墟』に発表されたオリジナル「道程」の意ですね。以前、こちらで全文を載せました。お読み下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月7日
 
昭和39年(1964)の今日、『週刊朝日』第69巻第33号に「レコード界の智恵子合戦 歌謡曲は清潔ムードから文芸ブームへ?」が掲載されました。
 

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この年1月に、コロムビアから二代目コロムビア・ローズさんの歌で「智恵子抄」、7月にはクラウンから苅田千賀子さん「智恵子」/守谷浩さん「磐梯山の智恵子」がリリースされたことを受けての記事です。
 
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ちょうど50年前。時代を感じます。
 
ちなみに表紙はこちら。
 
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この年、秋に開催される東京オリンピックに出場、400mメドレーリレーで4位に入賞する水泳選手、故・木原美知子さんです。今の浅田真央さんや福原愛さんなどのようなアイドルアスリートのはしりでした。

『毎日新聞』さんの岡山版でしょうか。「高村光太郎」の検索ワードでヒットしました。

<朗読劇>永瀬清子の半生 自然や暮らし、平和願う心織り交ぜ 岡山の竹入さんが脚本「鬣よなびけ」 9日、津山で公演 /岡山

『毎日新聞』 2014年8月5日(火)16:16
 赤磐市(旧熊山町)出身の詩人、永瀬清子(1906~95)の詩を基にした朗読劇「鬣(たてがみ)よなびけ 永瀬清子物語」の公演が9日午後3時から、津山市山下の津山文化センターである。永瀬の詩を愛する岡山市のライター、竹入光子さんが脚本を担当。数々の名作と、その背景となった永瀬の半生を伝える。【五十嵐朋子】
 
 朗読劇は竹入さんが25編以上の詩と短章を引用・抜粋して構成し、2幕8場に仕上げた。永瀬について取材する記者が物語の進行役を担うなど、演劇の要素も織り交ぜる。
 
 永瀬が終戦後、故郷の熊山に戻り、農業をしながら詩作に励んだ40代の頃を中心に描く。それまで夫の仕事の都合で東京などに住み、高村光太郎や草野心平といった詩人たちと交流もあった。熊山に戻り、文学界と距離ができたが、創作欲はむしろ旺盛に。敬愛した詩人・童話作家、宮沢賢治にならって「農村芸術」を志し、自然や暮らしの中で心を動かされる一瞬一瞬を書き留めた。
 
 一方で、永瀬は社会的な活動にも精力的だった。朗読劇では、米国のビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸の被ばく(1954年)に危機感を得た「滅亡軌道」、戦争に向かう社会の狂気を見据える「有事」など、平和を願う詩も盛り込んでいる。
 
 竹入さんは「永瀬さんの宇宙観が広がったのが熊山。弱いもの、はかないものを大事にしていた」と話す。生前の永瀬に詩を教わったこともあるといい、「一つか二つしか詩を知らない人にも、永瀬さんの生き方が分かるように構成した」と思い入れを語った。
 
 昨年2月に岡山市で初演し、「県北でも上演を」との依頼を受けた再演。永瀬の詩の朗読のために結成した「白萩の会」のメンバーたちが出演する。劇団や朗読グループで活動経験のある人が多く、朗々とした声を響かせる。特別出演に俳優の真実一路さん(東京都)を迎える。全編を通し、歯科医でチェロ奏者の三船文彰さん(中区)の独奏が彩りを添える。三船さんは「永瀬さんに敬意を表し、詩の良さを引き出したい」と話している。
 
 学生1000円、一般1800円。収益金は永瀬の生家保存に役立てる。問い合わせは主催の津山文化振興財団(0868・24・0201)。
 
 
このイベントが、直接、光太郎と関わるわけではなさそうですが、以前、命日である紅梅忌のイベントに参加させていただいた、岡山出身の詩人・永瀬清子をメインに据えた朗読劇のようです。
 
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主催の津山文化振興財団産のサイトがこちら。岡山では地元出身の詩人ということで、顕彰活動がしっかり行われており、素晴らしいと思います。
 
 
「地元での顕彰活動」といえば、同じく9日(土)に、宮城女川で、第23回女川光太郎祭が開催されます。当方、昨年から記念講演を仰せつかっており、明後日から女川入りします。
 
昨年の様子がこちらですが、仮設の商店街を会場に、こじんまりと行っています。ネットでも特に案内等が見つかりません。
 
おそらく、昨年同様であれば、午後2時くらいから、女川町浦宿浜の「きぼうのかね商店街」で行われます。この世界の第一人者・北川太一先生のご講演もあるそうです。
 
お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月6日
 
明治27年(1894)の今日、木彫「紅葉と宝珠」を制作しました。
 
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現存する光太郎彫刻作品の中で、最も古いものと認定されています。「明治廿七年八月六日三枚仕上リ モミヂ 光太郎 十二才」の墨書署名が書かれています。一枚の板の表裏に彫られたもので、「宝珠」の方は翌七日仕上がりと書かれています。
 
戦後になって鎌倉の古道具屋から出て来たとのことですが、十二歳の少年の作にしては巧みすぎ、本当に光太郎の作か、と疑われましたが、間違いなく光太郎の作でした。
 
現在は東京芸術大学が所蔵、昨年全国巡回開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」にも出品されました。

光太郎に関わる(関わるかも知れない)テレビ放映がぽつぽつあります。 

とことん歴史紀行2時間スペシャル「宮沢賢治~イーハトーブに見た夢~岩手・花巻」

BS11 2014年8月8日(金)  19時00分~21時00分
 
「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」「000グスコーブドリの伝記」など数々の名作を遺した宮沢賢治。彼の作品は今なお多くの日本人の心を掴んで離さない。今回は宮沢賢治が理想郷・イーハトーブとして描き、こよなく愛した岩手県花巻市を中心にゆかりの地を訪ねながら、宮沢賢治の素顔と知られざるエピソードに迫ります。さらにに「銀河鉄道の夜」に影響を受けたという漫画家・松本零士さん。宮沢賢治への想いを熱く語ります。番組では林風舎、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、大沢温泉、羅須地人協会、石と賢治のミュージアムや賢治が通ったそば屋・やぶ屋、小岩井農場なども訪れます。また「銀河鉄道の夜」をイメージした客車の"SL銀河"の勇壮な走りもお楽しみください。
 
ナレーション:石丸謙二郎
 
 
光太郎も 愛した大沢温泉が扱われます。さらに光太郎揮毫の「雨ニモマケズ」詩碑などが紹介されれば、と思います。
 

<ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2014年8月9日(土)003  12時00分~13時55分
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる !!
 
出演 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年(2006)2月24日に金曜プレステージの枠で、地上波フジテレビさんが放映した2時間ドラマの再放送です。BSフジさんで、たびたび再放送しています。今はもう使われていない、花巻の古い高村記念館でロケが行われました。
 
原作は内田康夫さん。昭和61年(1986)に刊行された浅見光彦シリーズの第10作です。
 
こちらのドラマはかなり原作に忠実に作られています。 

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014年8月11日(月)  6時35分~6時45分 再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたいコミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、痩蛙まけるな一茶是に有(小林一茶)、歌舞伎/「ドンタッポ」、はい!ここで名文/僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、うた/マーチング・マーチ、やまなし。
 
出演 中村勘九郎,中村いてう,中村仲助,小錦八十吉,おおたか静流 ほか
 
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「はい! ここで名文」のコーナーで、「道程」が扱われます。このコーナーは、
 
ヨシタケシンスケさんのほんわかイラストと、名文が出会ったら、こんな楽しい世界になりました。日常生活のさりげないひとコマにどんな名文が出てくるのでしょう。みなさんも当ててみてくださいね。
 
だそうです。004
 
 
それぞれ、ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月5日
 
平成2年(1990)の今日、群馬県草津温泉に、光太郎詩「草津」の詩碑が除幕されました。
 
温泉街から少し離れた囲山公園に建てられたこの碑は、推敲の跡が激しく残る光太郎自筆原稿をもとに、鋳金家の西大由がステンレスパネルを制作、自然石に嵌め込んだものです。
 
当方、初めてここに行った時は真冬で、こんな感じでした。
 
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昨日、NHK Eテレさんの「日曜美術館 野の花のように描き続ける ~画家・宮芳平」を見ました。光太郎とも交流のあった無名の画家、宮芳平についてでした。宮に関しては、ほとんど知識がなかったこともあり、非常に興味深いものでした。
 
残念ながら、光太郎の名は出ませんでしたが、森鷗外との関わりが比較的大きく取り上げられていました。以前にも書きましたが、鷗外の短編小説「天寵」の主人公が宮をモデルとしています。
 
宮は、鷗外が審査委員長をしていた文展(文部省美術展覧会)に応募、しかし、渾身の作だったにもかかわらず落選。そこで、宮はなんと、鷗外の自宅に乗り込んで、なぜ落選なのかと問い詰めたそうです。さすがに鷗外は大人です。宮の絵はいい絵だと褒めました。大衆や審査員におもねるような絵ではない、と。結局、そういう絵ではないから入選しない、ということなのでしょうか。
 
当方、同じように、文展に渾身の作で応募しながら落選した智恵子を重ねて見ました。ほんの一握りを除いて、多くの画家(画家志望者)が、同じような道をたどったのではないかという気がします。審査委員長の自宅に押しかけたのは、他にいなかったと思いますが……。
 
その後、鷗外は宮を気に入り、作品を購入してやったり、「見聞を広めるように」と、知り合いの文化人の名刺を渡したりしたそうで、おそらく、そこで光太郎も紹介されたのではないかと推測しました。
 
その後、生活上の理由もあり、宮は信州に美術教師として赴任していき、そこで生徒に絵を教える中で、自身の作風も変化していきました。番組サブタイトルの「野の花のように描き続ける」は、このあたりからの作風を表しています。
 
さて、「日曜美術館 野の花のように描き続ける ~画家・宮芳平」。8月10日(日)  20時00分~20時45分に再放送があります。見逃した方はご覧下さい。
 
関連する展覧会がこちら。
期 日 : 平成26年 7月19日(土)~9月7日(日)
会 場 : 豊科近代美術館
休館日 
 7月22日 28日 8月4日 11日 18日 25日 9月1日
   9:00~17:00 (入館受付は16:30まで)
   一般600円(500円) 高校大学生400円(300円) 中学生以下無料
    
  ※( )内は20名以上の団体
主催  安曇野市豊科近代美術館 (公財)安曇野文化財団 読売新聞社 美術館連絡協議会
共催 TSBテレビ信州
 
当館の主要収蔵作家のひとり、画家・宮芳平(1893-1971)の生誕120年を記念した展覧会を開催します。これは茅野市美術館、練馬区立美術館、島根県立石見美術館、新潟県立近代美術館、そして当館へと巡回する宮にとって生前・没後をあわせて最大級の展覧会です。
1893年、新潟県で生まれた宮芳平は旧制柏崎中学を卒業後、父の許しを得て、1913年、東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)に入学します。1914年、あらん限りの力をふりしぼって描いた《椿》が文展に落選し、落選の理由を聞きに文展の審査委員であった森鷗外を訪ねた縁で知遇を得ます。その後、森鷗外は宮を主人公のモデルとした短編小説『天寵』を執筆しています。同じころ、実業家であった父の死や、学生結婚、出産などで生活は困窮し、東京美術学校を退学します。貧困の生活の中、東京から柏崎、平塚へと住処を移しますが、師事をしていた洋画家・中村彝の紹介で、1923年、長野県諏訪で美術教師の職に就きます。そして、諏訪で35年間の教師生活を送ります。裕福とは言えない生活の中で、宮の家族や諏訪の自然、学校生活や個人通信誌『AYUMI』による教え子など関係した人々との心の対話が宮の画家としての歩みを支え続けました。退職後は教え子や知人からアトリエ兼住居を贈られ、終の住処を得ます。本展では、初期のロマンティシズムにあふれる作品から、諏訪の生活の中で生まれた風景や人物等の作品、さらに、晩年のローマ、エルサレム等をまわる聖地巡礼の旅により生まれた「聖地巡礼シリーズ」や「太陽シリーズ」までを展示します。油彩画に加え、素描、銅版画、ペン画を通して、純粋、誠実に芸術を求め、一心に生きた画家・宮芳平の歩みをみつめます。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月4日
 
昭和28年(1953)の今日、彫刻「大町桂月記念メダル」の制作を始めました。
 
十和田湖畔の裸婦群像除幕式(同年10月21日)の際、記念として、関係者一同に配布された、光太郎制作になるブロンズのメダルです。このメダルには十和田の三恩人―大町桂月、武田千代三郎、小笠原耕一―の名が刻まれ、さらに桂月の肖像をレリーフにしてあります。百五十個が鋳造されました。

この年の光太郎日記には、八月に制作を始め、翌月には完成したこと、アトリエを訪れた桂月の子息が「亡父によく似ている」と語ったことなどが記されています。この後に取りかかった「倉田雲平胸像」は未完のまま絶作となったため、完成した彫刻としては、このメダルが光太郎最後の作品です。

現在、石膏原型は高村家に残り、各種企画展にはこちらが出品されています。鋳造されたメダルは、十和田市の奥入瀬渓流館、青森市の青森近代文学館で見ることができます。

追記 奥入瀬渓流館のものは、その後、十和田湖畔の観光交流センター「ぷらっと」に移されました。

昨日の朝日新聞さんの別刷土曜版「be」に、以下の記事が載りました。

(beランキング)教科書に載っていた好きな詩

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 調査の方法 朝日新聞デジタルのウェブサイトで、デジタル会員登録者を対象に7月上旬にアンケートを実施。回答者は1603人。小中学校の教科書や『教科書でおぼえた名詩』(文春文庫)などをもとに、編集者・市河紀子さんの助言を受け、編集部で絞り込んだ約80の日本の詩から、いくつでも選んでもらった。イラストはミヤハラヨウコさん。
 
 「思ったよりよく覚えていて、心の中で情景が鮮やかに浮かぶのに驚きました」(神奈川、52歳女性)。子ども時代や思春期に出会った詩は、意外と心身に染みこんでいるようです。トップ20以外の詩を挙げた方も多く、それぞれの人の心に寄り添ってきた作品があるのだと気づかされました。
 
 つらく苦しいとき、一編の詩に支えられたという体験が数多く寄せられた。その筆頭は、宮沢賢治が病床で記した「雨ニモマケズ」(1位)。神奈川の女性(53)は「友達も少なく消極的で、学校に行くのが苦痛だった。自分に負けないようにこの詩を書き、壁に貼って暗記した」。「震災の翌朝、なぜかこの歌を歌いながら、外回りの片付けをした」と福島の女性(49)が挙げたのは、「ぼくらはみんな生きている」で始まる「手のひらを太陽に」(7位)だ。
 
 大人になってから心に染みてくることも多い。大阪の女性(43)は2位の「道程」に触れ、「習った頃はよく分からなかったけれど、このごろよく思い出す。人生という道程は、誰も踏みならしていない道なき道を行くことなんだとつくづく思う」とつづった。
 
 「解釈は個々に違っていい。テストの問題にされるのが嫌だった」(埼玉、54歳女性)など、学校での教え方への異議もあった。
 
 3位の「君死にたまふこと勿(なか)れ」には、兵庫の女性(52)が「昨年亡くなった母がよく口にしていた。遺品に戦死した母の兄の手紙があり、自分の代わりに子孫を残し、世代をつないでほしいと書かれていた。母の心中を思い、胸が詰まった」と言葉を寄せた。
 
 4~6位は島崎藤村(とうそん)が占めた。「五七調の心地よさや内容に感動し、何度も口に出して覚えた。物忘れがひどい今でも暗唱できる」(千葉、70歳男性)。「ノートに写し、暗唱した。乙女でした」(千葉、43歳女性)、「好きな子のことを思うだけで胸が熱くなった日々」(千葉、55歳男性)といった「初恋」の思い出も。
 
 中原中也の「汚れつちまつた悲しみに……」(15位)は思春期の心を揺さぶった。「高校の時に初めて買った詩集」(石川、46歳男性)、「ひりひりする感覚。生きていたらロックバンドをやっているのでは」(千葉、44歳女性)。中にはこんな人もいる。「ガスレンジが汚れてくると、この詩が浮かび、すぐ磨く。中原さんごめんなさい」(千葉、52歳女性)
 
■「疲れたときも元気になれる」
 「豊かな感受性に、時に心が痛みを覚えることすらある」(茨城、35歳女性)という金子みすゞは、10位の「私と小鳥と鈴と」と並び、「海のなかでは何万の鰮(いわし)のとむらいするだろう」とうたった「大漁」(18位)も人気を集めた。
 
 現代を代表する詩人、谷川俊太郎は「生きる」が20位に。「カムチャツカの若者が きりんの夢を見ているとき」と始まる「朝のリレー」(23位)を推す人も多い。「地球規模の壮大な人生賛歌」(千葉、34歳女性)、「朝はつらいけれど、絶え間ないリレーでつながっていると思うと、走者の1人としてがんばらなければと思う」(愛知、44歳男性)
 
 まど・みちお作品も14位の「やぎさん ゆうびん」のほか、「生活に疲れたとき、自分がくまでよかったとうたう『くまさん』を思うと元気になれる」(大阪、47歳女性)、「『てんぷらぴりぴり』を知ったとき、確かにぴりぴりって言うわ~と衝撃だった」(広島、58歳女性)など幅広く挙がった。
 
 29位だったが、茨木のり子の「自分の感受性くらい」との出会いに触れた人が多く、目を引いた。「端的なのにズバリ、心に突き刺さってきます」(兵庫、50歳女性)、「詩といえばもっと穏やかなものと思っていた私にとっては衝撃でした」(大阪、48歳男性)。ほかにも、「黒田三郎の『ひとりの女に』は最高の恋愛詩」(岡山、57歳女性)など、それぞれの心に残る一編が寄せられた。
 
 編集者の市河紀子さんは言う。「教科書で覚えたときは、半ば強制的だったかもしれないけれど、あとからじんわり感じられる、言葉の力はすごい。詩の言葉は、短くて多義的なので、読む人がどう感じてもいい。わかるとか、わからないとか、意味にとらわれず、なんどでも味わってほしい」
 
(佐々波幸子)
 
 ちなみにランキングを文字にすると、以下の通りでした。
 
1位 「雨ニモマケズ」 宮沢賢治
2位 「道程」 高村光太郎
3位 「君死にたまふこと勿(なか)れ」 与謝野晶子
4位 「椰子の実」 島崎藤村
5位 「初恋」 島崎藤村
6位 「小諸なる古城のほとり」 島崎藤村
7位 「てのひらを太陽に」 やなせたかし
8位 「荒城月(こうじょうのつき)」 土井晩翠
9位 「小景異情(その二)」 室生犀星
10位 「私と小鳥と鈴と」 金子みすゞ
11位 「待ちぼうけ」 北原白秋
12位 「あどけない話」 高村光太郎
13位 「からたちの花」 北原白秋
14位 「やぎさん ゆうびん」 まど・みちお
15位 「汚れつちまつた悲しみに……」 中原中也
16位 「雪」 三好達治
17位 「永訣の朝」 宮沢賢治
18位 「大漁」 金子みすゞ
19位 「雲」 山村暮鳥
20位 「生きる」谷川俊太郎
21位 「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のり子
 
光太郎作品は、「道程」が2位、「あどけない話」が12位にランクインしています。ありがたや。
 
「道程」の説明として、以下のように書かれています。
 
「僕の前に道はない 僕の後に道は出来る」と始まる詩は全9行。1914(大正3)年の初出時は102行で、最後の一節が基になった。
 
さすが『朝日』さん。よく調べています。
 
雑誌『美の廃墟』初出の102行の形はこちら
 
以前から何度も書いていますが、今年、平成26年(2014)は、詩「道程」執筆、詩集『道程』出版、そして光太郎智恵子結婚披露100周年です。
 
そのあたりもあって、今秋、某テレビ局の某教養番組で、光太郎智恵子をメインに取り上げて下さいます。一昨日は、ディレクター氏に当方自宅兼事務所にお越しいただき、打ち合わせ。昨日はディレクター氏と銚子犬吠埼九十九里への取材に同行いたしました。詳細が発表できるようになりましたら、詳しく書きます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月3日
 
平成15年(2007)の今日、福島県いわき市立草野心平記念文学館で開催されていた「高村光太郎・智恵子展」の関連行事として、安達町(現・二本松市)わがみ会の指導による「ワークショップ 紙絵を作ろう」が開催されました。

注文しておいた書籍が届きました。NHK Eテレさんで放映中の「日曜美術館」で司会を務められている、俳優の井浦新さんのエッセイ集です。 
2014年8月6日 青幻舎 定価1,600円+税
 
素顔のエッセイ
ポートレート満載、書き下ろしコラムも掲載
自分が興味をもったことに対して、
とことん突き詰めていく面白さを、
この本を通じて、体感してもらえると嬉しいです。
歴史・美術・日本の手仕事を、心から愛する井浦新が、
NHK「日曜美術館」での感動体験から人生観までを語りました。
紹介作家 本阿弥光悦、鈴木其一、河鍋暁斎、河井寛次郎、植田正治、藤城清治、ムンクほか全18篇。
特別コラム 「崇徳院が僕に舞い降りた」「展覧会の僕的見方」、「実はメモ魔なんです」ほか収録。
 
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井浦さんが司会に抜擢された昨年からの放映で、特に心に残っている18本について、それぞれの作家や作品を軸に、軽妙なエッセイが展開されています。
 
昨秋放映の「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」も取り上げて下さいました。ありがたや。
 
その際には渋谷のNHKさんで、スタジオ収録に立ち会わせていただいたのですが、光太郎の彫刻に対する井浦さんの的確な表現に感心しました。今回もそれが生かされています。
 
ブロンズの『手』は、「関節のゴツゴツした感じや肉感が、ものをつくる人の手に見えてくる。職人の手というか、働いている人の生々しい手で、リアルさに迫力を感じます。」。
 
木彫の「鯰」には、「《鯰》の愛嬌のある顔と、木彫なのに、ヌメッとしているような皮膚感覚がたまりません。」。
 
同じく木彫の「蟬」では、「《蟬》の表現は、鋭い観察眼によるものですが、なんともさらっと彫られているところが凄い。」。
 
などなど。
 
特に感心したのは、「十和田湖畔の裸婦群像」(通称乙女の像)に対してです。番組の中では、十和田湖で実際に見て、なぜこの像がここのためにつくられたのか、違和感を感じたとおっしゃっていました。今回もそういう記述がありますが、それだけでなく、こうも書かれいています。
 
 だけど、今回の「日曜美術館」で、その違和感の理由が少しわかったような気がします。
 光太郎の生涯をとりまいていた、しがらみを一切脱ぎ捨てて、ひとりの人間として智恵子に向かった証でもあり、智恵子と自分のためだけに《裸婦像》をつくった。だから、人に見せるための「作品」になっていないのではないでしょうか。
 
十和田湖畔の裸婦像に対しては、以下のような、十和田の自然と一体化しているという評が一般的です。
 
 構想のすばらしさと、その大きさからくる重量感と、更にこの像の背景に原始林と湖のあることを念頭においたとき、私は宇宙性をもった或る深い「詩魂」を感じた。この像の立体感は、おそらく十和田湖の水面に対して過不足あるまい。
 (亀井勝一郎「美術と文学(二)」『群像』 講談社 昭和30年=1955)
 
 自然の中に置く彫刻はむずかしい。自然の大変な圧力を持ちこたえるだけの力のものか、あるいは自然の力の中に溶けてしまつているのだけが、美を感じさせる。湖畔の樹木の間に立っている緑青(ろくしよう)の二人の若い女は、自然の中にそれを見る者の心を反撥させることなく、調和していた。日本では、これだけに外の自然の中に出しておける彫刻は他に一つもない。ヨーロッパにだって滅多にない。
 (高田博厚「十和田湖像が意味するもの」『東京新聞』 昭和35年=1960)
 
しかし、井浦さんは、逆に十和田湖の風景の中のこの像に違和感を感じたそうです。それは、この像が智恵子の顔を持つことに由来し、個人的な制作動機も背景に持つことを鋭く見抜いているからで、ある意味、慧眼です。
 
光太郎自身も、公共の彫刻であるこの像に、個人的な制作動機が入っていることに後ろめたさを感じている部分があったようです。
 
 なお、東京のアトリエのことなどを相談しているうちに、「智恵子を作ろう」と、ひとりごとのように高村さんはいわれた。それはこんどの彫刻に対する作者自身の作意を洩されたものであつたが、高村さんはその言葉のあとで、そんな個人的な作意を十和田湖のモニユマンに含ませることは、計画者の青森県にすまないような気がすると、そんな意味の言葉を申し添えられたのである。
(谷口吉郎「十和田記念像由来」『文芸』臨時増刊号 河出書房 昭和31年=1956)

 
というわけで、なかなか鋭い井浦さんのご著書。ぜひお買い求めを。
 
光太郎以外にも、岡倉天心、宮澤賢治(藤代清治さんの影絵にからめて)、朝倉文夫など、光太郎と関わりの深い人物にも言及されています。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月2日
 
明治37年(1904)の今日、新詩社清遊会で赤城山を訪れた与謝野鉄幹、三宅克己、石井柏亭、伊上凡骨、大井蒼梧、平野万里を案内しました。
 
光太郎は前月から赤城山に滞在、後から来た一行を迎えての案内でした。
 
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左から、大井、鉄幹、伊上、光太郎、石井、平野、撮影は三宅です。

東京は紀尾井町からコンサートの情報です。 
日  時  2014年8月30日(土) 18時00分開演 (開場 17時30分)
会  場  紀尾井ホール(JR・丸ノ内線・南北線「四ツ谷駅」麹町口徒歩 6 分)
チケット  3,000円(全席自由) ※未就学児童入場不可
問 合 せ   高三(たかさん) tel:03-6807-6088
 
増井哲太郎 × CANTUS ANIMAE
指揮:雨森文也
混声合唱とピアノのための「平行世界、飛行ねこの沈黙」
作詩:宮岡絵美
 
三好真亜沙 × 女声アンサンブルJuri
指揮:藤井宏樹
女声合唱とピアノのための「冬が来た」
作詩:高村光太郎
 
田中達也 × なにわコラリアーズ
指揮:伊東恵司
男声合唱とピアノのための「シーラカンス日和」
作詩:水無田気流
 
名田綾子 × 松原混声合唱団
指揮:清水敬一
混声合唱とピアノのための「いのち」
作詩:工藤直子
 
北川昇 × 出演合唱団による合同演奏
「花は咲く」  ※編曲初演
作詞:岩井俊二 作曲:菅野よう子
 
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新進作曲家四氏の合唱曲新作が披露されるコンサートです。光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲の「冬が来た」が女声合唱でプログラムに入っています。
 
光太郎の詩による合唱曲は意外と少ないので、ありがたい限りです。
 
ちなみに今回、他の曲を演奏される松原混声合唱団さんは、合唱団京都エコーさんとのコラボでアルバム「私が歌う理由(わけ)」を平成17年(2005)にリリースされていて、その中に光太郎作詞、清水脩作曲「混声合唱組曲 智恵子抄巻末のうた六首」が入っています。
 
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今回の曲目も、ライブCD、楽譜が発行されるようですので、楽しみです。
 
当方、チケット購入いたしました。皆さんもぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月1日
 
大正2年(1913)の今日、日本洋画協会から、雑誌『現代の洋画』第17号「後期印象派」が刊行されました。
 
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雑誌なのですが、表紙に「木村荘八 高村光太郎 岸田劉生 共著」のクレジットが入っており、実際、執筆者はこの三人だけです。
 
光太郎は翻訳を三篇寄せています。「ポール・ゴーガン」「画論(アンリ・マティス)」「トウルーズ・ロートレク」です。ただし、それぞれ『スバル』や『早稲田文学』に一度発表したものの再録です。
 
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