2013年05月

明後日、6月2日に放映されるテレビ番組の情報です。 

のんびりゆったり 路線バスの旅「早春の青森 十和田湖をめざして」

NHK総合1・東京 2013年6月2日(日) 17時30分~18時00分
 
太平洋に面した八戸から十和田湖を目指す。旅人は俳優の平岳大さん。市場の朝ごはん、競走馬の牧場訪問、ちびっ子相撲道場に入門など、ふるさとを愛する人々の笑顔に出会う
番組内容
舞台は青森県。太平洋に面した八戸から、秋田県と境を接する十和田湖を目指す。旅人は俳優・平岳大さん。八戸では港近くの市場で朝ごはん。市場のお母さんから元気をもらう。古くからの馬の産地、五戸町の牧場で馬とスキンシップ。新郷村の謎の踊り“ナニャドラヤ”も紹介。桜満開の十和田市では、ちびっ子相撲道場の子どもたちに出会う。十和田湖では、まだ雪が残る山々の絶景に感動。ふるさとを愛する人々の笑顔に出会う旅。

出演者 旅人 平岳大

この時期に「早春の十和田湖」というのがすごいですね。
 
十和田湖といえば、少し前に展覧会企画制作会社から電話がありました。今秋、十和田湖にある十和田ビジターセンターという施設で、光太郎作の裸婦像に関わる企画展を行いたいとのことで、協力要請でした。
 
十和田湖のシンボルともいえる、光太郎作の裸婦像(乙女の像)は、昭和28年(1953)の除幕。したがって今年で竣工60周年に当たります。それを記念して、ということですね。まだ具体的な話になっていないのですが、詳細が入り次第お伝えします。

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画像は昔のテレホンカードです。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月31日

昭和26年(1951)の今日、詩集『典型』で受賞した第二回読売文学賞の賞金10万円を受け取りました。
 
しかし光太郎、当時住んでいた花巻郊外太田村山口地区に、この賞金をそっくり寄付してしまっています。地区ではこの10万円で、橋を架けたり、青年会の旗を作ったり、小学校の儀式用の幕を作ったりしたそうです。

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京都・大阪レポートの2回目です。
 
午前中、京都大覚寺の「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展を観て、一路、大阪は堺に向かいました。京都から新大阪まで新幹線、その後、地下鉄と路面電車を乗り継ぎ、堺市の覚応寺さんというお寺に向かいました。こちらで昨日、与謝野晶子の命日・白桜忌が行われました。
 
 
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左の画像はパンダ顔の路面電車、阪堺電気軌道阪堺線。歴史は古く、明治末には走っていたとのことで、晶子も使ったのではないでしょうか。当方、天王寺から乗りましたが、どこまで乗っても200円。これにはちょっと驚きました。
 
会場の覚応寺さんに行くには神明町という駅で降りましたが、あと3駅行くと、晶子生家跡のある大小路駅でした。昨日は強行日程だったので行きませんでしたが、また日を改めて周辺を散策してみようと思っています。
 
右上の画像は白桜忌会場となった覚応寺さんと道をはさんだ向かいにある西本願寺堺別院さん。味のある建物だな、と思っていたら、案の定、明治の昔に堺県庁として使われていたとのこと。
 
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さて、覚応寺さん。明治期のここの住職が晶子と鉄幹を引き合わせたということで、ここで白桜忌が開かれているそうです。境内には有名な晶子短歌「その子はたち櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」を刻んだ碑がありました。
 
会場は本堂。大阪在住の高村光太郎研究会会員・西浦氏も到着。受付を済ませて入ると、正面に晶子遺影、サイドには与謝野夫妻直筆の短冊や晶子肖像画などが飾られていました。
 
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午後1時半の開会。お寺での開催ということで、覚応寺院主さんの読経や晶子実家鳳家の方による代表焼香があったりと、宗教色の強いものでした。ただ、それだけでなく、地元の方々による献茶、献歌、献句、そしてコーラスもありました。曲は晶子に関わるもの3曲。「茅渟の海」「ミュンヘンの宿」そして「君死にたまふことなかれ」。堺の人々が晶子顕彰に力を入れている様子に感心させられました。
 
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その後、国立台湾大学日本語文学系教授にして与謝野晶子倶楽部副会長の太田登氏による講演「晶子における現在的意味を考える-堺の晶子から世界の晶子へ-」と続きました。
 
現在の近隣諸国とのぎくしゃくした国際情勢をふまえ、主に大正期の著述から世界平和を訴えていた晶子の姿、その思想的水脈としてのトルストイとの関連などのお話でした。
 
下の画像は太田氏の新刊「与謝野晶子論考-寛の才気・晶子の天分-」。白桜忌に合わせて昨日の刊行で、版元の八木書店出版部さんが会場内で販売していましたので購入しました。与謝野夫妻と光太郎との関わりについてはまだまだ調べなければならないことがあるので、その手引きとしたいと思います。
 
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その後、西浦氏に車で南海電鉄の堺東駅まで送っていただき、帰途につきました。強行日程でしたが実りの多い京阪訪問でした。
 
しかし、来月にはもう一度京都に行く用事が出来てしまいました。詳細はまた後ほど。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月30日

昭和21年の今日、農民芸術社から雑誌『農民芸術』が刊行されました。

光太郎は宮沢賢治に関する散文「第四次元の願望」を寄せています。

京阪に行って参りました。2回に分けてレポートします。
 
昨日の夜、居住地から夜行バスで京都に向かいました。夜行バスなるものを使うのは初めてでした。午後9時に出発、今朝6時20分に京都駅八条口に到着。運賃は片道で8820円。新幹線を利用するより格段に安い金額ですし、眠っている間に着くので時間の有効活用という意味でもいい方法でした。ただし、寝心地はあまりよくありませんでした。乗り心地を取るか、時短と金額の安さを取るか、という選択ですね。
 
目指すは嵯峨野の大覚寺さん。霊宝殿という宝物館で先月から「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展が開かれていまして、昨年末、新たに大覚寺さんで発見された光雲の木彫三点が初めて公開されています。
 
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図録は刊行されず、上記のチラシが図録代わりでした。
 
発見された木彫は3点。いずれも20センチちょっとの小さなものですが、光雲の職人技が冴えわたっています。
 
最も古いのが「木造聖観音菩薩立像」。大正5年(1916)4月3日と箱書にありました。
 
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続いて「木造白衣大士」。箱書は大正6年(1917)12月。こちらはチラシに画像がありません。
 
もう1点が「木造聖徳太子孝養像」。大正7年(1918)11月23日作の箱書。
 
光雲は多くの弟子を抱え、弟子がメインで作った作品も光雲が仕上げに手を入れれば光雲のクレジットが入る、という工房スタイル-ガラス工芸のエミール・ガレの工房と似ています-だったとのことですが、弟子の手がほとんど入っていない場合のクレジットは「高光雲」となっているそうです。今回の3点は全て「」が使われていました。
 
それから、元々大覚寺さんにある無題2ことが知られていて、報道はされなかったのですが、光雲筆の墨画「ひよこ図」(昭和9年=1934)も展示されていました。逆に当方はこの作品の存在を知らず、こんなものもあったんだ、という感じでした。
 
それ以外には、こちらの研究とは関わりませんが、鎌倉~江戸期の五大明王像や、堂宇内の狩野派の障壁画など、観るべきものが多く、また、市街地から離れた嵯峨野の風情も堪能いたしました。
 
「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展は明後日までですが、今後も寺宝の一つの目玉として、光雲作品は常設で観られるようにしてほしいものです。
 
午後からは大阪・堺にて与謝野晶子忌日・白桜忌に初めて参加して参りました。明日はそちらをレポートします。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月29日

昭和14年(1939)の今日、茨城県取手市の長禅寺で、光太郎が題字のみ揮毫した「小川芋銭先生景慕の碑」が除幕されました。
 
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小川芋銭(うせん)は、茨城県牛久沼のほとりに暮らし、河童の絵を描き続けた日本画家です。光太郎と同じく、取手の分限者、宮崎仁十郎(その息子、稔は光太郎が出雲の神となって、智恵子の看護をした姪の春子と結婚します)と交友があり、その縁で光太郎が碑の揮毫をしました。また、光太郎は同じ年に「芋銭先生景慕の詩」という詩も書いています。
 
取手長禅寺さんにはもう一つ、光太郎が題字を揮毫した「開闡(かいせん)郷土」碑も残っています。

『朝日新聞』さん。昨日の「天声人語」で安達太良山と「あどけない話」を取り上げてくださいましたが、今日はそれを受けて投書欄に以下の投稿が。
 
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山開きが19日の日曜だったのですね。当方、中腹のスキー場には行ったことがありますが、山頂まで登ったことはまだありません。標高約1,700㍍。一度登ってみようかと思いました。
 
それにしても、「少し楽しめそう」という題名。「少し」という副詞が無くなる日が早く来てほしいものです。
 
ついでに、光太郎・智恵子には関わらないかもしれませんが、来週のテレビ放映で二本松が取り上げられますので一応ご紹介します。 

にほん風景遺産「会津・二本松 二つの城物語」

BS朝日1 2013年6月4日(火)  21時00分~21時54分 
 
大河ドラマの舞台として注目される福島県会津地方。戊辰戦争で落城した二本松城跡や、鶴ヶ城とその城下町を風景案内人 加藤千洋さんが歩き、歴史と人々の暮らしに触れる。

番組内容
大河ドラマ「八重の桜」人気でにぎわう会津若松。まず加藤さんは新島八重生誕の碑に足を運ぶ。七日町通りでは、会津漆器の店や郷土料理の店を訪ね、大正浪漫あふれるレトロな町並みを散策。桜満開の鶴ヶ城では、戊辰戦争時にこの城が置かれたいきさつや、会津藩の歴史をたどる。天守閣からは眼下に広がる会津若松市内の景色を楽しみ、白虎隊ゆかりの地・飯盛山も訪れた。さらに、かつて丹羽氏の居城だった二本松城(霞ヶ城)。戊辰戦争で命を落とした隊士たちをしのぶ「二本松少年隊像」や箕輪門など、城内各所を巡る。激動の歴史と伝統工芸が息づく会津若松、二本松の物語をたどる。

出演者 風景案内人 加藤千洋(同志社大学大学院教授)
ナレーション  下平さやか(テレビ朝日アナウンサー)


【今日は何の日・光太郎】 5月28日

大正9年(1920)の今日、光太郎編訳『続ロダンの言葉』が叢文閣から刊行されました。
 
同5年(1916)に005行された正編と合わせ、美術を学ぶ学生にとってはバイブルに等しいものとして受け入れられたそうです。
 
ところで、画像は表紙です。金の箔押しで題字と花のイラストが描かれています。
 
「彫刻家・高村光太郎展」にからんで、千葉市美術館の学芸員さんから質問されたのですが、この装丁が誰の手によるものかわかりません。
 
原書にはクレジットが入っていませんし、光太郎に関する基本的な文献にも記述がありません。
 
千葉市美術館の学芸員さん曰く「岸田劉生風の絵」。確かにそうです。
 
手がかりは花の茎の左に描かれたサイン? のようなもの。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
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変にスペースが余ってしまったのでもう一言。
 
今夜、居住地域から夜行バスに乗り、明朝、京都に着きます。京都は嵯峨の大覚寺さんで新たに見つかった光雲作の木彫三点を観てきます。
 
その後、大阪・堺に移動、与謝野晶子の忌日・白桜忌に参加してきます。
 
帰ったらレポートします。

今朝の『朝日新聞』さんの「天声人語」に、光太郎が登場しました。
 
先月2日、連翹忌当日の「天声人語」にも光太郎の名が出ました。2ヶ月連続で「天声人語」に光太郎が登場するのは初めてではないか、と思います。
 
しかし、今回は手放しで喜べない内容です。
 
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福島・安達太良山のレポートに始まり、お約束で「あどけない話」が扱われています。
 
「近くの観光施設では子どもたちの姿が戻らないと嘆いていた。」とありますが、毎週月曜日に1ページ費やされる「伝える 東日本大震災」というページには、安達太良山の麓、岳温泉の若女将が紹介されています。
 
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そして1面や社会面には、茨城県東海村の原子力研究施設での放射能漏れについての報道。これでいいのでしょうか、我が国は。
 
来月、約半年ぶりに二本松に行って参ります。復興の現状を見て参ります。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月27日

昭和26年(1951)の今日、帝国劇場で舞踊家・藤間節子のリサイタルが開かれ、パンフレットに散文「山より」を寄せました。
 
藤間節子(のち黛節子)は戦時中から光太郎と交流があり、戦後、昭和24年(1949)と25年(1950)には「舞踊 智恵子抄」を発表、光太郎は昭和30(1955)年まで計6回、藤間の公演のパンフレットに散文を寄せています。

新刊雑誌です。昨日、買ってきました。

『芸術新潮』2013年6月号「特集夏目漱石の眼」

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〈年譜〉芸術と歩んだ49年
 
〈一〉名作をいろどる絵画たち
絵で読み解く漱石の理想の女性像と芸術 【文】古田亮
〈再録〉 文展と芸術(抄) 
“門外漢”の美術時評 大正元年(1912)第六回文展評「文展と芸術」より
〈コラム〉イメージの連鎖 漱石から宮崎駿へ 【文】古田亮
 
〈二〉漱石とゆく、ぶらり明治の東京散歩
路線図でたどる文豪の足跡
漱石の目に映る、変りゆく都市東京 【文】黒川創
 
〈三〉
技あり「漱石本」総覧
漱石本を解剖する 【文】岩切信一郎
 
〈四〉
お手並拝見 先生の書画
趣味の効用 【文】夏目房之介
 
「漱石」といえば「文豪」の代名詞ですが、美術批評でも活躍していました。特に目次にもある大正元年(1912)の文展(文部省美術展覧会)の評は有名です。これに光太郎がかみついて、不興を買ったことも知られています(この件に関しては項を改めて書きます)。
 
また、そういうわけで美術にも造詣が深く、書画も制作していますし、自作の小説の中に古今東西のさまざまな名画が登場します。
 
そのあたりにスポットをあてた特集です。かなり読み応えがありそうで(他用が多くまだよく読んでいません)、熟読するのが楽しみです。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月26日

昭和17年(1942)の今日、丸の内産業組合会館で行われた日本文学報国会の創立総会に出席、詩部会会長に就任しました。
 
「報告」でなく「報国」。戦時の国家総動員に関わる文学者の統制団体です。

今朝の『朝日新聞』さんの記事です。

三陸復興国立公園を指定 八戸から気仙沼の海岸線

環境省は24日、東日本大震災で被災した三陸地方の自然公園を再編成し、青森県八戸市から宮城県気仙沼市までの海岸線を「三陸復興国立公園」に指定した。リアス式海岸などの自然を生かした復興を進める。
 
 岩手、宮城両県に広がる陸中海岸国立公園に、青森県の八戸市と階上町にまたがり、ウミネコの繁殖地などがある種差海岸階上岳県立自然公園を編入した。面積は陸域1万4635ヘクタール、海域4万1300ヘクタール。景観や海鳥の繁殖地、野生植物を保全しながら観光や体験学習の場として利用し、農林水産業を活用したエコツーリズムの支援もする考えだ。八戸市にはビジターセンターを建設する。また、沿岸部の歩道を「みちのく潮風トレイル」として再整備する。これは八戸市から福島県相馬市までの沿岸部約700キロを結ぶ予定だ。
 
 今後、宮城県の南三陸金華山国定公園の同国立公園への編入も2014年中に目指す。将来的には宮城県にある松島など三つの県立自然公園の編入も視野に入れている。
 
 石原伸晃環境相は24日の閣議後会見で、「美しい自然、景観、豊かな文化を感じていただき、地域が活性化していくことを希望している。震災復興に貢献する国立公園を実現する第一歩と考えている」と述べた。
 
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このブログで何度か紹介してきましたが、三陸海岸は、昭和6年に光太郎が約1ヶ月、旅して歩いたゆかりの地です。
 
8月9日には宮城の女川で、「女川光太郎祭」が開催されます。当方、今年は講演の講師として招かれました。それもあって、今秋刊行予定の冊子『光太郎資料40』では、「昔の絵葉書で巡る光太郎紀行」という項で三陸を扱おうと思い、執筆中です。
 
久慈市はNHKの朝ドラ「あまちゃん」の舞台ともなり、ドラマさながらに観光客が増えているという報道も目にしました。過日、花巻で渡辺えりさんにきいたのですが、今後、「あまちゃん」では宮沢賢治をからめたエピソードも入るとのこと。ついでに(笑)光太郎もからめてほしいところです。ただし光太郎、久慈までは足を伸ばしていませんが。
 
さて、「三陸復興国立公園」。何にせよ、復興支援になるのであれば歓迎したいことですね。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月25日

大正2年(1913)の今日、意見の食い違いから、光太郎も参加していた美術団体「フユウザン会」が解散してしまいました。
 
後に光太郎は同人だった岸田劉生、木村荘八らと生活社を結成します。

隣町・成田の家電量販店でプロジェクタとノートパソコンを買ってきました。
 
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プロジェクタはパソコンの画面やDVDの映像などをスクリーンに映写する機械です。企業などではいわゆる「プレゼン」でよく使われますね。
 
光太郎智恵子について、人前で話す機会が多く、今まではせいぜい紙に印刷したレジュメを用意する程度でしたが、やはりこういうものを活用することで発表のクオリティーが上げられると考え、思い切って買ってしまいました。連翹忌などでも活用できるかな、とも思っています。
 
発表する側でなく、聴く方の側もよく体験していますが、やはり画像等が大写しになっていると、理解の助けになります。レジュメの小さい、しかもモノクロの画像で説明されてもわかりにくい、ということが多々あります。或る意味「百聞は一見にしかず」ですね。
 
手始めに来月16日(日)、二本松で行われる智恵子講座。「光太郎に影響を与えた人々」という連続講座の2回目で、岡倉天心と東京美術学校について話してくれとのことですので、早速、パワーポイントを使って資料を作ってみます。
 
しかし、これから先、以下の点に注意しようと思っています。
 
必要もないのに使わないこと
プロジェクタなどを使うと、それを使うことに満足してしまい、それを使う必要があったの? という発表にあたることがあります。しゃべる内容をただ文字にして大写しにしているだけ、または逆にアニメーションとかを駆使し、いろいろな動きがあるけれど、だから? のような。そういう使い方はしないよう心がけたいと思います。
 
画像などに頼らないこと
画像などを大写しにすれば、確かに理解の手助けにはなりますが、そこに頼ってしまう内容の薄い発表では仕方がありません。そうならないよう注意したいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月24日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で、PTA主催の講演会を行いました。
 
その中に、こんな一節があります。
 
ありったけの力で最善を尽くせばいいのです。自分を捨ててかかればいいのです。僕はお金も名誉も望みません。世の中の役に立てばいいのです。一日一日、緩みのない生活でありたいのです。何がほんとうであるか、わかるようにと努めることです。あしたのことを考えても、そのとおりにはならないので、その日、そのときに最善を尽くすことだと思います。
 
いいですね。

昨日、神田の古書店八木書店様からメールマガジンが届きました。
 
その中に光太郎とも縁の深かった与謝野晶子の忌日、白桜忌(はくおうき)の案内が書かれていました。八木書店様には出版部もあり、逸見久美氏、太田登氏などの鉄幹・晶子論を刊行されている関係だと思いますが、後援として名前を連ねています。 

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晶子の命日(5月29日)をしのび、晶子ゆかりの寺・覚応寺において白桜忌が開催されます。
【日時】5月29日(水曜)午後1時30分
【場所】覚応寺(阪堺線「神明町」下車 東へ徒歩約1分)
【参加費】1,000円
【主催】白桜忌実行委員会
【プログラム】
〈講演〉「晶子における現代的意味を考える -堺の晶子から世界の晶子へ-」
(講師)太田 登(天理大学名誉教授・国立台湾大学日本語文学系教授)
〈合唱〉「君死にたまふことなかれ」他
(出演)堺市更生保護女性会コーラス部
【問合せ】白桜忌実行委員会  電話 072-258-0948
 
「白桜忌」という名は、昭和17年(1942)に刊行された晶子の遺稿歌集『白桜集』に由来するのだと思います。この『白桜集』、光太郎が序文を書いていますし、他に初出ではありませんが、光太郎の詩「与謝野夫人晶子先生を弔ふ」も掲載されています。
 
さて、5月29日。たまたまですが、少し前からこの日は大覚寺さんで新たに見つかった光雲の木彫三点を観ようと、京都に行く計画を立てていました。
 
もう一件、こちらは先方の都合でどうなるかわかりませんが(返答待ち)、京都で別件の調査が入るかもしれません。ただ、京都と堺ならそれほど離れていないと思うので、余裕があれば白桜忌にも行ってみようかと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月23日

昭和36年(1961)の今日、山形県酒田市の本間美術館で「高村光太郎の芸術」展が開幕しました。

もう1日、智恵子の誕生日ネタで引っ張ります。
 
一昨日が智恵子の誕生日でした。この時期の生まれ、ということは西洋占星術でいうと牡牛座です。
 
当方、あまり、というかほとんど信じていませんが、この手の星座占いはもはや普通に日本人の生活に溶け込んでいますね。
 
15年前に出た本ですが、こんなものを持っています。
 
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『星の運命(さだめ)を生きた女たち』 山崎洋子著 講談社文庫
 
山羊座から始まって射手座まで、近現代の女性を取り上げ、それぞれの生き様と十二星座との関連を記しています。各星座ごとに二人ずつ紹介されており、一人は外国の女性、一人は日本女性です。各女性についてルネ・ヴァン・ダール・ワタナベさんという占星術師が読み解いたご託宣からはじまり、それを受けての山崎洋子さんによる簡潔な評伝、という構成です。
 
牡牛座の項は、写真家のリー・ミラー、そして智恵子。他に伊藤野枝(水瓶座)、相馬黒光(乙女座)など光太郎・智恵子と関わる女性も取り上げられています。
 
さて、智恵子の項では以下の記述があります。
 
「牡牛座は十二星座の中でもとりわけ感受性が無題2強いといわれる」
「高村智恵子もまた純粋な感性ゆえに魂を迷宮にさまよわせた牡牛座の女である」
「1886年5月20日生まれの彼女の太陽は牡牛座にあり、月は奔放な射手座にある。この二つの要素から、感受性の豊かな彼女が大人になってもなお、子供のような純真な心を持ち続けていたことが理解できる」
「さらに、牡牛座にある愛の星、金星は、愚直なまでに優しく人を愛する性格を彼女に与えた」
「やがて海王星、冥王星のもたらす困惑の影響が表れ、狂気の影が忍び寄った」
 
話のネタとしては面白いと思いますが……。
 
信じるか信じないかは、あなた次第です(笑)。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月22日

大正5年(1916)の今日、智恵子と神奈川の江ノ島に出かけました。

昨日は智恵子の誕生日でした。
 
「智恵子の顔を持つ」とも言われる十和田湖畔の裸婦像をかかえる青森県の地方紙『陸奥新報』さんに、智恵子誕生日がらみのコラムが載りました。『朝日新聞』で言えば「天声人語」にあたる欄でしょう。

冬夏言2013/5/20 月曜日 

ある人物に思いを巡らすと、別の人物についても連想することがある。きょう20日は、彫刻家・高村光太郎の妻智恵子が生まれた日。冬夏言子の場合、この高村夫妻から想起するのが、本県出身で多彩な才能を発揮した寺山修司だ▼光太郎といえば、智恵子が死去した後に出版した詩集「智恵子抄」が有名だ。芸術家夫婦の苦悩と純愛がつづられ、多くの愛読者がいる作品である▼寺山修司は著書「さかさま文学史黒髪編」の中で、高村夫妻を取り上げた。智恵子が精神を病むまで追い詰めたのは光太郎とし、それを自覚しなかった光太郎を「人間音痴」と厳しく評した▼夫妻の真実は、他人に分かりようもない部分がある。それでも「純愛カップル」という通説をひっくり返そうとするかのような視点に、大きな衝撃を受けた▼世間の常識をそのままよしとせず、新たな視点で常識に風穴を開ける―。冬夏言子が作品を通して寺山修司に感じた姿勢である▼今年は寺山修司没後30年。47歳という短い生涯だったが、今なお影響力を発し続けている。本県が生んだ偉大なる反骨精神に敬意を表したい。
 
取り上げられている寺山修司の「さかさま文学史黒髪編」は角川文庫で昭和53年(1978)に刊行されています。
 
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林静一氏のカバーイラストが実にいいですね。智恵子もイメージされているのではないでしょうか。
 
問題の章は、「妻・智恵子 彫刻詩人・高村光太郎の孤独な愛、詩集『智恵子抄』の明暗」という題です。
 
その後、平成3年(1991)に刊行された雑誌『鳩よ!』95号「特集 光太郎・智恵子」にも再録されています。どちらも古書市場では比較的容易に入手できます。
 
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【今日は何の日・光太郎】5月21日

昭和17年(1942)の今日、詩集『道程』により第一回帝国芸術院賞に選ばれ、文部大臣官邸で行われた授賞式に出席しました。
 
『道程』。初版は大正3年(1914)ですが、昭和15年(1940)には改訂版、さらに翌年には改訂普及版が刊行されており、それらを受けての受賞でしょう。また、この当時の光太郎は日本文学報国会詩部会長だったり、大政翼賛会文化部の仕事をしていたりで、詩壇の大御所的存在。大量の戦意高揚の詩を書き殴っていました。そうした光太郎への箔づけ的な側面もあったと思います。

昨日は乃木坂国立新美術館で太平洋美術展を観たあと、原宿のアコスタディオさんに向かいました。シャンソン歌手・モンデンモモさんのライブです。何度もご紹介してきていますが、光太郎の詩にご自分で作曲され、発表なさっています。
 
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今回は2部構成でした。1部は主に明治末から大正初めの光太郎智恵子が結ばれる時期にポイントを絞り、新曲も多く交えてステージを組みました。モモさんの凄いところは、聴くたびに曲が増えていることです。昨日も今までなかった「N-女史に」とか「或る夜のこころ」、「淫心」などが披露されました。また、智恵子が雑誌『青鞜』の表紙を描いたことをふまえ、平塚らいてうにもからめ、らいてうの書いた「元始、女性は太陽であつた」も歌にしていました。
 
2部は旧曲からのセレクトで、光太郎智恵子の後半生を謳うステージ。その冒頭で5分ほど時間をいただき、レクチャーして参りました。1部で扱われていた明治末から大正初めは、光太郎の内部で満たされない思いが渦を巻き、詩として吐き出されていたり、智恵子との恋愛の成就でそれが満たされ、有頂天になって高らかに詩が謳われたりしたこと、その後は平穏な生活が続き、詩作が途絶えたことなどです。光太郎に限らず詩人全般に言えることですが、平穏な日々を送っている間は詩作が少なく、マイナスの鬱屈した思いや逆にプラスの高揚感で満たされている日々になると詩作が増えます。
 
光太郎に関して言えば、大正3年(1914)の結婚披露から10年ほどの間は詩作が少なく、比較的平穏な日々だったといえます。それが大正12年(1923)頃から再び詩作が多くなるのは、智恵子との生活に「きしみ」が見えてきたからだ、ということで、2部につなげました。このレクチャーが意外と好評だったのでよかったと思います。どさくさに紛れて光太郎生誕130周年記念で花巻の記念館がリニューアルオープンしたことや、来月から始まる「彫刻家・高村光太郎展」の宣伝もさせていただきました。
 
2部まで終わり、アンコールは「道程~冬が来た」。お客様(坂本富江様もいらしていました)の反応も上々でした。光太郎詩以外にも、サティの「Je te veux」やフォーレの「夢のあとに」を歌付きで入れたのも良かったと思います。相変わらず伴奏の砂原嘉博さんのピアノも冴え渡っていました。
 
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終演後の会場で
 
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地下のホールから地上に上がると、なぜかキティーちゃんとダニエル君(笑)。同じビルを拠点にサンリオさんのイベントカーが走り回っていました。
 
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【今日は何の日・光太郎】5月20日

明治19年(1886)の今日、福島県安達郡油井村(現・二本松市)で、智恵子が誕生しました。
 
智恵子は生誕127年になります。

今日も上京、2件用事を片付けてきました。001
 
1件目は乃木坂の国立新美術館で開催中の第109回太平洋展を観ること、もう1件は原宿アコスタディオさんで開催されたモンデンモモさんのライブに出演することです。2件の場所が近かったので、まとめました。
 
今日はまず太平洋展のレポートを。
 
「一般社団法人太平洋美術会」さんの団体展で、この団体は明治末に日本女子大学校を卒業した智恵子が所属していた「太平洋画会」の後身です。高村光太郎研究会に所属され、連翹忌などのイベントに欠かさずご参加くださる坂本富江様がこちらの会員で、坂本様の作品も並ぶとのことで、見に行って参りました。
 
当方、美術館にはよく足を運びますが、ほとんどは個人作家、それも光太郎と縁のあった作家-したがって少し前の時代の作家-の企画展です。考えてみると、団体展、それも現代の、となると初めて観ました。
 
油絵、水彩画、版画、染織作品、彫刻の五部門が一堂に会し、とんでもない点数の作品が並んでいました。
 
絵画が中心でしたが、ほとんどが100号前後の大きなもの。圧倒されました。圧倒はされましたが、不快なものではありませんでした。意外とわかりやすい具象の作品が多かったせいだと思います。
 
また、版画や染織の作品にも非常に好感が持てました。002
 
さて、坂本様の作品。これも100号の大きな絵です。
 
題して「智恵子抄の里(二本松市)」。桜と針葉樹のある野の道、その向こうに安達太良山、その上には「ほんとの空」。昨年、坂本様の出版なさった「スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅」と同一のモチーフです。
 
100号もあって自宅に飾るのは不可能ですが、先週リニューアル成った花巻の高村光太郎記念館や、今日、このあとに行ったモンデンモモさんのライブ、それからもちろん連翹忌などでこうしたものが飾られるといい感じだな、と思いました。
 
しかし、「美」を生み出そうとする人間のエネルギーというか、意欲というか、そういうものを非常に感じた展覧会でした。自分も絵心があれば、挑戦してみたいと思うのですが……。
 
会期は5/27(月)までです。
 
明日のブログでは、この後行った、原宿でのモンデンモモさんのライブについてレポートします。
 
【今日は何の日・光太郎】5月19日

明治26年(1893)の今日、智恵子の両親斎藤今朝吉・セン夫妻が、センの養父長沼次助と夫婦で養子縁組、数え8歳だった智恵子も斎藤姓から長沼姓になりました。
 

花巻に行く前、このブログの「ブログ設定」の部分を見ていたところ、下の方に「あなたのブログが本になる ブログを本にしよう」というバナーが貼ってあるのに気がつきました。
 
リンクに入ってみると、どうも製本サービス的な内容でした。
 
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要するにブログの記事をPDFに変換、カラー印刷(モノクロも可)、製本してくれるというサービスです。もちろん有料ですが。
 
いつどんな事を書いたかぱっと見られるのがいいかなと思い、早速、注文してみました。ちょうどブログを始めて1年たちましたし、1年分を一冊にまとめて記録の意味で紙媒体で保存しておくのもいいかなと思いました。
 
しかし、ページ数に上限があり、1年分で設定したら「ページ数の上限を超えています」とのメッセージ。では半年分、と思ったら同じく「ページ数の上限を超えています」。「はぁ?」と思いつつ4ヶ月分に減らしても駄目。結局3ヶ月分が限界でした。
 
試しにそれで申し込んでみたところ、昨日夕刻に届きました。
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3ヶ月分がB6版で360ページ。内容的にはたいしたことのないものですが、画像がカラーで印刷されているのできれいです。しかし1冊で8,845円でした。大量に作れば1冊のコストは下がるのですが、大量に作っても仕方ありません。残り9ヶ月分を作るとなると他に3冊必要となり、ページ数により多少の前後がありますが、約9,000円×3。高いのですが、とりあえず頼んで、来年の連翹忌に展示しようと思っています。
 
ちなみにこのサービス、当方の利用しているYahoo!ブログ以外にもアメブロやエキサイトブログなど、主要なブログにはほとんど対応しています。ご参考までに。
 
明日は原宿でモンデンモモさんのコンサートに出演します。その前に太平洋美術展を見てから行ってきます。
 
【今日は何の日・光太郎】5月18日

昭和19年(1944)の今日、光太郎が序文を書いた清水多嘉示著『巨匠ブルデル』が創芸社から刊行されました。

花巻へ3泊4日の旅を終え、帰って参りました。
 
一昨日の高村記念館仮オープン、第56回の高村祭と、あちこちで報道されています。
 
まず、昨日の地元紙2紙、大きく取り上げていただいていたのでコンビニで購入してきました。
 
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こちらは『岩手日報』さん。花巻支局の美人記者さん、がんばりました。見開き2ページで特集記事を組んでくださいました。
 
渡辺えりさんの講演の模様も。
 
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ちなみに一番下には当方のコメントも写真入りで掲載されています。
 
それから『岩手日日』さん。こちらは県内社会面で大きく取り上げてくださいました。
 
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こちらの2紙、渡辺さんにも差し上げました。今日あたり、山形で入院されているお父様のお見舞いに行かれるそうで、「いい土産ができた」と喜んでらっしゃいました。

ネット上では『河北新報』さんと『読売新聞』さんの記事が無料で読めました 

光太郎の足跡、後世に 新記念館がきょうオープン 花巻

岩手県花巻市で晩年の一時期を過ごした詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の作品を後世に残そうと、同市がことしの生誕130周年に合わせて整備した新しい記念館が15日、開館する。

新記念館は、同市太田の市歴史民俗資料館を衣替えする形で整備。旧記念館の約3倍の216平方メートルに「彫刻」「文芸」「書画」「花巻」「智恵子」の5テーマ別に、作品や愛用品など約300点を展示。代表作の彫刻「手」や詩集「智恵子抄」の初版のほか、眼鏡や彫刻刀などが光太郎の息遣いを伝える。花巻では初公開になる生前の映像も見られるという。
高橋久雄館長は「初展示の作品が15点あり、解説も充実させた。光太郎の生活、作品に親しんでほしい」と話す。
旧記念館は1966年開館。高村記念会が管理していたが、手狭で空調設備がないため、同会と市が整備を検討していた。新記念館は当面市が運営し、年間1万5000人の来館者を見込む。収蔵庫などの整備が残っており、2015年度の完成を目指す。
15日は午前9時から開館式を行い、高村山荘詩碑前で「高村祭」を開く。開館は午前8時半~午後4時半。入館料は一般350円、高校生・大学生250円、小中学生150円。15日は無料。連絡先は0198(28)3012。
(河北新報) 

光太郎記念館プレオープン きょう花巻市直営で

花巻市に新しい高村光太郎記念館(花巻市太田)が15日、市直営施設としてプレオープンする。花巻歴史民俗資料館を改装した新記念館は、高村光太郎の花巻移住70周年となる2015年に本格オープンする。
高村光太郎(1883~1956)は1945年、親交があった宮沢賢治の弟・清六氏を頼って花巻市に疎開、7年間を過ごした。地元の財団法人高村記念会が運営していた旧記念館は、農耕自炊の生活を送りながら創作活動を行ったあばら家「高村山荘」そばにあったが、手狭な上に資料の保存管理体制が十分でなく、財団法人が市に近くの資料館の活用を要望していた。
新記念館はプレオープン時で、旧記念館と比べ、展示スペースが3倍近くの216平方メートル、展示品も20点ほど多い約150点になる。彫刻、文芸、書画、花巻での暮らしなど五つのテーマごとに展示する。十和田湖「乙女の像」の試作ブロンズ像など従来の展示品に加え、花巻空襲後に詠んだ詩など、これまで展示できなかった書画や詩など15点も並ぶ。
花巻での暮らしぶりがわかる映像の上映も予定しており、館長の高橋久雄・市賢治まちづくり課長は「光太郎の新たな魅力を再発見してもらえれば」と話している。
入館料は一般350円など150~200円値下げし、2013年度の入館者は前年度より約4000人多い約1万5000人を見込んでいる。15日は入館無料。
2013年5月15日 読売新聞)
 
ちょうど新緑の美しい季節です。ぜひ、足をお運びください!
 
【今日は何の日・光太郎】5月17日

昭和20年(1945)の今日、疎開した花巻で高熱を発し、肺炎と診断されました。

このあと1ヶ月、宮澤家で床に臥します。

今日も携帯からの投稿です。001

花巻市文化会館において、渡辺えりさんの講演会があり、先程終わりました。昨日の高村祭での講演に続き、2日連続でしたが、さすがにプロですね。満員の聴衆を飽きさせることなく、光太郎と賢治の魅力や、その他に岩手が舞台ということで、朝ドラ「あまちゃん」の裏話など、大いに楽しめるお話でした。
今後、人前で話す機会が増えますので、見習いたいものです。

光太郎や賢治の愛した大沢温泉に泊まり(渡辺さんも泊まられています――当方とは別の部屋です、念のため(笑))、明日帰ります。

【今日は何の日・光太郎】5月16日

昭和4年(1929)の今日、詩人の尾崎喜八との旅の途上、群馬の中之条に一泊しました。

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【今日は何の日・光太郎】5月15日

昭和20年(1945)の今日、疎開のため花巻に向け、東京を発ちました。


というわけで、毎年今日は花巻で高村祭が開催されており、昨年に続いて今年も参加いたしました。

今年はこの日に合わせ、仮オープンとなる高村記念館開館式がまずありました。花巻市長を始めとする皆さんにより、テープカットが行われ、めでたく一般公開スタートです。関係者の皆様(自分もですが)、お疲れ様でした。

その後、例年の通り、高村祭。昨年は雨のため、屋内での開催でしたが、今年は山荘近くの「雪白く積めり」詩碑前広場で実施できました。

地元小中高生、看護学校生の皆さんによる音楽演奏や朗読の後、渡辺えりさんの講演でした。人気女優、しかも岩手県を舞台にしている朝ドラ「あまちゃん」のレギュラーということで、立ち見もたくさん出る盛況でした。

午後は宮城からいらした朗読の荒井真澄さん、大阪から駆けつけた光太郎研究会の西浦氏とともに山荘付近や新しい記念館、花巻駅近くの林風舎さん(宮澤賢治関連ショップ&カフェ)などを巡りました。

宿で撮ったローカルニュース画像を載せます。

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今日から三泊四日の日程で花巻です。

花巻郊外、旧太田村に今も残る光太郎が7年暮らした小屋「高村山荘」周辺で、明日は光太郎祭があり、それにあわせて近くに高村記念館が仮オープンします。

今日は報道関係向けの内覧会があるということで、1日早く現地入りし、解説をしました。館内の説明ボードの文面を当方が執筆しましたので、そういった関係です。

明日の高村祭では、特別講演として渡辺えりさんが来花、光太郎と交流のあったえりさんのお父様のお話などが聴けると思います。

詳細はまた後ほど。

【今日は何の日・光太郎】5月14日

明治43年(1910)の今日、神田淡路町で光太郎が経営していた画廊「ろうかん洞」(携帯で漢字が出ません。「ろう」は王へんに良、「かん」は同じく王へんに干です)で、画家の正宗得三郎の個展を開きました。

大谷直子さん演じる「智恵子」が高村智恵子もモチーフにしているということで、たびたびこのブログでご紹介してきた園 子温監督映画「希望の国」。

昨日、主演の夏八木勲さんの訃報がネットに出ました。今朝の朝刊にも。
 
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心よりご冥福をお祈りいたします。

【今日は何の日・光太郎】5月13日

大正8年(1919)の今日、腸チフスで入院中の駒込病院から、滋賀県彦根近郊犬上郡北青柳村の野田守雄にあててはがきを書きました。
 
現存するこのはがきの宛名面には赤で「消毒済」の印が押されています。文面は以下の通り。
 
拝啓
先日感冒の気味にて閉口いたし居候処遂に腸チフスに冒され只今は入院治療いたし居候。今月中には退院いたし得るかと存居候へば貴下宛の彫刻は今少々遅延いたす事と相なる可く此儀御承知置被下度候
 
野田はこの前年、光太郎のブロンズ「裸婦坐像」を注文していましたが、こうしたもろもろの事情で完成が遅延、結局、野田の手に渡ったのはさらに翌年です。
 
来月から千葉市美術館で開催される企画展「生誕130年彫刻家高村光太郎展」の図録には、資料として光太郎の書いたものの中から、個々の彫刻に関するものなども掲載されます。「裸婦坐像」に関しては、この書簡を始め、他にも最近発見したものを含めて野田宛書簡13通が掲載されます。中には「裸婦坐像」のスケッチが描かれているものもあり、一つの彫刻が一人の愛好家の手に渡るまでの経過ということで、非常に興味深いものです。
 
是非ご来場の上、図録もお買い求めください。

千葉市美術館様より、6/29(土)~8/18(日)に開催される「生誕130年彫刻家高村光太郎展」のポスターとチラシが届きました。

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関連行事等が正式決定ということで、裏面に記載されています。同館のHPにも記載されました。
 
こちらでも詳細を記します。


■記念講演会
「ひとすじの道―光太郎研究を回顧して―」(事前申込制)
7月7日(日)14:00より(13:30開場)/11階講堂にて
【講師】北川太一(文芸評論家・高村光太郎記念会事務局長)
【聞き手】小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
 聴講無料/定員150名 
【申込方法】往復はがきまたはEメールにて、郵便番号、住所、氏名、電話番号、参加人数(2名まで)
 を明記のうえ、下記までお送りください。
〒260-8733 千葉市中央区中央3-10-8 千葉市美術館 高村光太郎講演会係
kotaro.event@ccma-net.jp(件名を「高村光太郎講演会参加希望」としてください)
※申込締切 6月26日(水) 必着
※お申込はお1人につき1通まで、応募多数の場合は抽選となります。
※携帯電話からお申込みされる場合は、ccma.event@ccma-net.jpからのメールを受信できるように設定してください。
 
■ワークショップ
ファミリー・プログラム「はさみで描こう」(事前申込制)
きれいな色紙を使って夏の絵をつくります。
7月28日(日)13:30~16:00 11階講堂にて
対象:小学1~3年生の子どもとその保護者(2人1組)10組
参加費:500円/組
【申込方法】往復はがきまたはEメールにて、郵便番号、住所、2人分の氏名、お子さんの学
 年、当日連絡可能な電話番号を明記のうえ、下記までお送りください。
〒260-8733 千葉市中央区中央3-10-8 千葉市美術館 ファミリー・プログラム係
workshop@ccma-net.jp(件名を「ファミリー・プログラム参加希望」としてください)
※申込締切 7月16日(火) 必着
※お申込はお1人につき1通まで、応募多数の場合は抽選となります。
※携帯電話からお申込みされる場合は、workshop@ccma-net.jpからのメールを受信できるよ
 うに設定
してください。
 
■中学生のためのギャラリークルーズ'13
7月26日(金) 、27日(土) 10:00~15:00随時受付/展示室にて
参加無料/各日30名程度/所要時間30~40分程度
子どもだけでの来館と鑑賞をサポートします。受付順にグループを組み、ボランティアリーダーと「彫
刻家・高村光太郎」展を鑑賞します。1人でもグループでも参加可。夏休みの宿題(展覧会鑑賞)にも対応できます。
参加希望の方は直接会場へお越し下さい。
 
■市民美術講座
「光太郎・そのあゆみ」

7月20日(土)14:00(13:30開場)より
「光太郎・その時代」
8月10日(土)14:00(13:30開場)より
いずれも、11階講堂にて聴講無料/先着150名 
【講師】藁科英也(当館学芸係長)
 
■ギャラリートーク
担当学芸員による ―7月3日(水) 14:00より
ボランティアスタッフによる ― 会期中毎週水曜日(7月3日を除く)14:00より
*水曜日以外の平日の14:00にも開催することがあります。



というわけで、7/7(日)には、北川太一先生と、不肖・当方にて対談形式の記念講演会を行います。事前申し込み制となっておりますので、よろしくお願いいたします。
 
以前にも書きましたが、「生誕130年彫刻家高村光太郎展」としては、全国3館巡回で、以下の日程になっております。
6/29(土)~8/18(日) 千葉市美術館
8/30(金)~10/20(日) 井原市立田中美術館
11/1(金)~12/15(日) 碧南市藤井達吉現代美術館
 
ただし、3館で出品内容が異なります(また追ってこのブログにて紹介します)。最も大きな違いとしては、千葉展のみ、智恵子の紙絵が65点出品されることです。岡山展と愛知展では智恵子の紙絵は出ません。
追記 予定変更で井原で43点、碧南で26点出ることになりました。

 
紙絵の本物がズラッと並ぶのも久しぶりです。これを機に、ぜひご覧ください。


【今日は何の日・光太郎】5月12日

昭和21年(1946)の今日、花巻郊外太田村の山口分教場で、村人を対象に「美の日本的源泉」と題し、連続講話を始めました。

【今日は何の日・光太郎】5月11日

昭和3年(1928)の今日、詩「あどけない話」を書きました。
 
 智恵子は東京に空が無いといふ、002
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ、
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
 
右の画像は、福島二本松の智恵子生家と「ほんとの空」です。昨年9月に撮影しました。
 
さて、「あどけない話」。「ほんとの空」というフレーズは、東日本大震災以来、一種、反原発の象徴的に使われています。
 
それはそれでいいのですが、実は難しい詩です。
 
「東京に空がない」と言っても、85年前ですから、「大気汚染で汚れた空しか見えない」というわけではありません。
 
「空」=「心のよりどころ」または「自分の居場所」とでもいえるような気がします。
 
智恵子は洋画家を志し、結婚(大正3年=1914)前には、実際に展覧会に作品を出したり、雑誌『青鞜』の表紙絵を描いたりといったことをしていました。
 
そして同じく「美」の道を志す光太郎と出会い、惹かれ合い、そして結ばれました。二人の間には、一種の「同志愛」的な要素もあったのではないかと思います。
 
しかし、光太郎の彫刻や詩は徐々に世に認められていったのに対し、智恵子の絵はなかなかそうはなりませんでした。いわゆる「ジェンダー」の立場の方々は、光太郎との生活の中で、女性である智恵子が自分を犠牲にせざるをえなかったからだと論じています。光太郎自身もそのようなことを書いています。
 
その上、智恵子は健康面でもあまりすぐれなかったこと、二人の間には子供もおらず、さらには智恵子には友人も少なかったこと、二本松の実家・長沼家がだんだん傾いていたことなど、智恵子にとってはつらい要因が重なっていました。
 
そんな時に、智恵子はよく福島に一人帰省して、ガス抜きをしていたようです。
 
この「あどけない話」の解釈として、昔、当方は、智恵子の心の叫びを理解せず、「あどけない」と処理してしまった時点で、後の大きな悲劇=智恵子の統合失調症発症は決定的になったのだ、と書いたことがありました。
 
ところが後に、当会顧問・北川太一先生に「違う」と一喝されました。
 
北川先生曰く、この詩が書かれた前日に、不動産登記簿によれば長沼家の家屋の一部が福島区裁判所の決定により仮差し押さえの処分を受けており、光太郎がこうした事情を知らなかったはずがないというのです。ちなみに明くる昭和4年(1929)には、長沼家の全ての家屋敷は人手に渡り、実家の家族は離散、智恵子は帰るべきふるさと、そして「ほんとの空」を失います。
 
実家の斜陽化に心を痛め、しかしどうしてやることもできず、子供のように涙を流す智恵子。さらにそれを知りつつどうしてやることもできない光太郎。そういう姿が見えてきます。
 
しかし、どうしてそれが「あどけない話」なのか、実はまだよくわかりません。二人の「生」のありようを追い求めていくことで、その答えに近づくことができるのでしょうか。そうであってほしいものです。

先日、日暮里での野村朗氏のリサイタルに行った際、やはりご来場の『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』の著者、坂本富江様からご案内をいただきました。
 
日本女子大学校卒業後の智恵子が在籍した太平洋画会の後身、太平洋美術会の定期展です。

河北抄第109回 太平洋展

開催期間   2013年05月15日(水)~2013年05月27日(月)
        10:00~18:00 【最終日は午前10時~午後3時30分】
展示会場  六本木 国立新美術館 港区六本木7-22-2
巡回展   福岡・大阪・名古屋・神奈川・千葉
 
 
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坂本様の作品も展示されるとのこと。やはり智恵子をモチーフとした作品だそうです。
 
当方、来週、花巻に行きますので、その帰り道に寄ってみようかなと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】5月10日003

明治33年(1900)の今日、上野公園竹の台五号館で始まった彫塑会第一回展覧会に、塑像「観月」を出品しました。
 
この「観月」、確認されているものとしては一番目か二番目に古い塑像です。残念ながら現存確認できていません。
 
光太郎曰く、「坊さんが月を見上げて感慨に耽ってゐるところ」(「美術学校時代」 昭和17年)。
 
さらに同じ「美術学校時代」では、こうも述べています。
 
彫刻をするについても非常に文学的に考へてゐたので」「それが当時の彫刻会では新しかつた。後にかういふことが間違つた新しい彫刻運動のもとになつたりした。
 
要するに、謎めいた題名やいわくありげなポーズに頼る文学的な彫刻、ということです。後に光太郎はこういう方向性を否定し、彫刻には純粋に造形美のみを求めるようになっていきます。

新刊を取り寄せました。
 
建築家の中村好文さんの著書で、『小屋から家へ』。2013/4/16、TOTO出版、定価2200円+税です。
 
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同社のサイトから。
 
本書のテーマは「小屋」。「人のすまいの原型は小屋にある」と考える中村氏が手がけてきた極小の小屋から、小屋の面影を宿した小住宅まで12作品を、雨宮秀也氏の撮り下ろしの写真で紹介します。

また、「古今東西 意中の小屋たち」と題して、中村氏が長年魅了され続けてきた「7つの小屋」を巻頭に紹介します。旅好きの建築家としても知られる中村氏が訪ね歩いてきた世界中の小屋から厳選された「ル・コルビュジエの休暇小屋」など実在する小屋から、「鴨長明の方丈」など歴史上の小屋まで、氏が愛してやまない7つの小屋を通して、小屋の魅力を解き明かします。
 
この「7つの小屋」のうちの一つが、花巻郊外の光太郎が7年暮らした高村光太郎山荘。写真や1/75の図面入りで4ページにわたって紹介されています。
 
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写真は写真家の阿部徹雄(大3~平19)の撮影。昭和26年(1951)に『サン写真新聞』という雑誌に阿部による光太郎訪問記事が掲載され、そのために撮影されたものです。
 
『サン写真新聞』に掲載されなかったものを含め、写真の原板と光太郎からの書簡4通が平成22年に阿部氏の子息宅で見つかり、『岩手日報』で報じられました。その後、ご子息の厚意で、大伸ばしされた写真が花巻の高村光太郎記念会に寄贈され、現在、山荘に飾られています。当方の元にもメールで送っていただきました。
 
この手の山荘内部が大きく写っている写真は珍しく、また、それが掲載されている書籍もあまりありません。是非お買い求めください。
 
また、「7つの小屋」のうち、他に光太郎と交流のあったスキーヤー・猪谷六合雄が群馬の赤城山に建てた小屋も紹介されています。猪谷の実家は赤城山の猪谷旅館。たびたび光太郎が訪れたところで、猪谷の名は光太郎日記にも記されていますし、明治37年(1904)に光太郎が描いたスケッチ帳が『赤城画帖』として昭和31年(1956)に刊行された際、その解説を書いているのが猪谷です。
 
さて、乃木坂の建築・デザイン専門ギャラリー「TOTOギャラリー・間」において、著者の中村好文氏の個展「小屋においでよ!」が開催中です。
 
『小屋から家へ』の出版とリンクしているようで、3階の第1会場では「7つの小屋」の紹介、中庭には中村氏が設計した原寸大の「ひとり暮らし用」の小屋が展示されているとのことです。そこには光太郎山荘のエッセンスも取り入れられているのではないでしょうか。
 
暇を見つけて行ってこようと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】5月9日

大正7年(1918)の今日、智恵子の父・長沼今朝吉が歿しました。

これを機に、素封家だった長沼家は没落の道を歩み始めます。

新潟から入ったイベント情報です。

シーズン&アート第29章 「高村光太郎-安達太良山と智恵子」

 季節にあった文学の朗読・解説と、音楽の生演奏をお楽しみいただく「シーズン&アート」。
 今回の文学は、彫刻家であり偉大な詩人でもあった高村光太郎が、妻・智恵子への想いを綴った愛の詩集《智恵子抄》です。
『智恵子抄』は、高村光太郎の智恵子への深い愛情が、美しい東北の風景や千葉の九十九里浜の砂山の情景と重なり、絵的な美しさを感じさせる作品です。
今回は、高村光太郎の詩集『道程』、『智恵子抄』を、元NHKアナウンサーの高山憲治さんが朗読し、文芸評論家の若月忠信さんが解説します。
 二期会会員のソプラノ歌手・吉田友子さんが、朗読にあわせて歌曲『智恵子抄』より「あどけない話」や「レモン哀歌」などを歌います。
鈴木賢太さんのピアノ演奏でお楽しみいただきます。
 死後も光太郎の心に生き続けた智恵子の姿。詩からあふれる二人の愛の美しさを感じてください。
 
開催概要
日時  平成25年6月1日(土曜) 午後1時から午後3時(開場:午後0時30分)
会場  新潟市江南区文化会館 音楽演劇ホール 新潟市江南区茅野山3丁目1-14 
定員  120名 (先着順) 

文学  高村光太郎 『智恵子抄』、『道程』 
出演者 朗読     高山 憲治 (元NHKアナウンサー)
 解説 
  若月 忠信(文芸評論家)
    歌        吉田 友子(ソプラノ、二期会会員)
    ピアノ   鈴木 賢太(新潟大学教育学部音楽科准教授)
料金  一般1,000円
お申込み方法  新津美術館あてに電話、FAX、メールいずれかで「代表者の住所、氏名、電話番
号、参加人数」をお伝えのうえ、お申込みください。(先着申込順、4月26日より受付開始)
 電話:0250-25-1300 FAX:0250-25-1303
 メール:museum.ni@city.niigata.lg.jp 

公演プログラム
朗読 高村光太郎 『智恵子抄』 より
    樹下の二人 、あなたはだんだんきれいになる
    あどけない話 (智恵子抄「あどけない話」 (清水脩作曲)の演奏とともに )
    千鳥と遊ぶ智恵子
    山麓の二人
    レモン哀歌 (智恵子抄「レモン哀歌」 (清水脩作曲)の演奏とともに)
    案内 ほか
    高村光太郎 『道程』 より 道程
演奏 歌 吉田友子(ソプラノ) ピアノ 鈴木賢太
朗読にあわせて
 あどけない話 (清水脩作曲 「智恵子抄」より)
 レモン哀歌 (清水脩作曲 「智恵子抄」より)
歌 砂山 
  九十九里浜
  浜千鳥 (鹿嶋鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲 童謡)
  オペラ 「トスカ」より 歌に生き、恋に生き 
ピアノ  ドビュッシー 「月の光」 
     テクラ・バダジェフスカ 「乙女の祈り」 ほか
注) プログラムは変更になる場合があります。
 


早速、当方、申し込みました。
 
【今日は何の日・光太郎】5月8日
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で、運動会を見物しました。
 
光太郎、なんと、前の年の運動会(残念ながら詳細な日付が不明)では、「老人の部」の「瓶つり競走」に参加しています。

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旧山口小学校(現在は取り壊されてしまって見ることができません)

先月末、全国の小中学校で「平成25年度全国学力・学習状況調査」が行われました。小学校6年生と中学校3年生が対象です。
 
いろいろ問題はあると思いますが、それはさておき、中学校3年生の国語A(「知識」を問う問題)で、光太郎の散文「山の春」が問題文に使われました。この「山の春」、昭和26年(1951)、雑誌『婦人之友』に掲載されたエッセイです。
 
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光太郎の文筆作品というと、どうしても詩が有名ですが、発表されたものとしては、評論やエッセイ、翻訳などの散文の方が圧倒的に多数です。
 
翻訳は光太郎オリジナルではありませんが、それでも訳し方、どういった文章にするかといった部分では、訳者の役割には大きなものがあります。
 
身びいきではなく、光太郎の散文は非常に読みやすいと思います。着眼点もすばらしいし、論の展開の仕方、適切な例の上げ方、言葉の選択、段落の設定の仕方、句読点の使い方など、実に参考になります。
 
『全集』補遺作品集「光太郎遺珠」や、冊子『光太郎資料』などの編集で、光太郎の文章を書き写す機会が多いのですが、光太郎の文章は書き写していてまったく苦になりません。ただ、光太郎のクレジットでも、他の人が筆録した談話筆記などになると、いつもの「光太郎ルール」ではないな、と思うことがありますが。
 
逆に談話筆記には、通常の散文にはない光太郎のしゃべり方のルールが見て取れ、それに感心させられる事も多くあります。
 
そういう意味では、テストの問題文などには光太郎の散文はうってつけだと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】5月7日

昭和9年(1934)の今日、療養のため、智恵子が千葉県九十九里浜の妹の婚家に移りました。
 
光太郎は、この九十九里浜での智恵子の様子を、後に詩「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」などに謳っています。
 
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智恵子が療養していた家(現在は取り壊されてしまってみることができません) 
 

【今日は何の日・光太郎】5月6日

昭和15年(1940)の今日、詩「新緑の頃」を書きました。
 
昨日は、家族サービスで、茨城県の筑波山周辺(雨引観音楽法寺、茨城県フラワーセンター)に行って参りました。新緑の山がとても美しく、こういうときには「日本に生まれてよかった」と思います。
 
帰ってきてネットで新しい情報の調査。すると、『北海道新聞』さんの記事がヒットしました。 

新緑の頃

寒さに震える大型連休。それでも、近郊の山々はやわらかな萌木の色に染まり、互いにほほ笑み合っているかのようだ。高村光太郎の「新緑の頃」は、この季節を喜びいっぱいに歌う▼<青葉若葉に野山のかげろふ時、ああ植物は清いと思ふ。植物はもう一度少年となり少女となり/五月六月の日本列島は隅から隅まで/濡(ぬ)れて出たやうな緑のお祭>。「冬の詩人」とも呼ばれる光太郎には珍しい春の詩。いつ終わるとも知れない厳しい冬を熟知しているからこそ、ようやく巡りきた命の再生に感謝し、心を沸き立たせる▼それは北の地に暮らす私たちの実感でもある。どんな老木も、生きているかぎり、みずみずしい葉を芽吹かせる。いまある場所をじっと動かず、寒さに耐えながら、気温と日照のかすかな変化を感じ取り、春への日数を積算しているのだろう▼北電泊原発が停止したのは去年の5月5日だった。道民は節電など暮らしに工夫を凝らし、原発に由来しない電気で春夏秋冬を過ごしてきた。あれから1年。ほっと息をつく▼だが、緑なす列島の中で、福島第1原発と周辺の街や野山や海や川では放射能との闘いが続く。道内の水や空気や土を清く保ちたいと願うのは地域エゴではない。生きとし生けるものへの義務だろう▼幾春(いくはる)も深呼吸できる大気を―。濡れ出たばかりの無垢(むく)な命に誓う。きょう「みどりの日」。2013・5・4
 
『朝日新聞』さんでいえば、「天声人語」にあたる欄でしょう。ありがたいことです。しかし、北海道では「寒さに震える大型連休」なんですね。
 
ちなみに詩全文は次の通り。

 
   新緑の頃002
 
 青葉若葉に野山のかげろふ時、
 ああ植物は清いと思ふ。
 植物はもう一度少年となり少女となり
 五月六月の日本列島は隅から隅まで
 濡れて出たやうな緑のお祭。
 たとへば楓の梢を見ても
 うぶな、こまかな仕掛に満ちる。
 小さな葉っぱは世にも叮寧に畳まれて
 もつと小さな芽からぱらりと出る。
 それがほどけて手をひらく。
 晴れれば輝き、降ればにじみ、
 人なつこく風にそよいで、
 ああ植物は清いと思ふ。
 さういふところへ昔ながらの燕が飛び
 夜は地蟲の声さへひびく。
 天然は実にふるい行状で
 かうもあざやかな意匠をつくる。
 
画像は先日、碌山忌の際に碌山美術館でいただいて来た楓の苗です。2階のベランダから家の裏山の新緑をバックに撮ってみました。秋には真っ赤に染まるとのこと。今から楽しみです。
 
再び『北海道新聞』さんの記事。「緑なす列島の中で、福島第1原発と周辺の街や野山や海や川では放射能との闘いが続く」……。「幾春(いくはる)も深呼吸できる大気を―」その通りですね。

昨日、日暮里での野村朗氏作品リサイタル002に行く前に、東京駅丸の内北口の東京ステーションギャラリーさんに寄りました。 

現在、「東京ステーションギャラリー再開記念 生誕120年 木村荘八展」を開催中です。
 
木村荘八(しょうはち)は明治26年(1893))生まれ。光太郎より10歳年下です。岸田劉生と交流を深め、西欧の後期印象派や岸田の影響を受けつつもそこからの脱却をはかり、東京の景物をモチーフにした絵で独自の境地を開きました。
 
大正元年(1912)、斎藤與里の呼びかけで岸田らとともにヒユウザン会(のちにフユウザン会)の結成に参加、やはり同人として参加した光太郎と知り合います。
 
大正2年(1913)には、雑誌『近代の洋画』第17号として、光太郎、劉生と3人で、「後期印象派」を刊行しています。
 
また、挿絵画家としても活躍、朝日新聞に連載された永井荷風の「濹東綺譚」などの挿絵を担当しました。今回の展覧会では、この「濹東綺譚」の挿絵原画がたくさん出品されています。
 
荘八はもともと牛肉屋「いろは」の息子です。異腹を含め、きょうだいが多く、兄たちも光太郎と関わっています。
 
四男で作家の荘太(『四』の字を嫌って四画の『太』の字を付けたそうです)は、吉原の娼妓、若太夫を巡って光太郎と争いました。その経緯は荘太の自伝的小説『魔の宴』に詳述されています。
 
五男、荘五は武者小路実篤が「新しき村」の出版部門として大正9年(1920)、池袋に近い長崎村に作った出版社、曠野社にいて、たびたび光太郎作品を掲載した雑誌『生長する星の群』などを刊行していた関係で、光太郎とも親しかったようです。
 
当方、昨年、荘五宛の光太郎書簡を二通、入手しました。
 
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さて、「生誕120年 木村荘八展」。5/19(日)まで東京ステーションギャラリーさんで、その後、5/25~7/7に豊橋市美術博物館さん、7/13~8/25で栃木の小杉放菴記念日光美術館さんを巡回します。
 
光太郎も愛したある意味エキゾチックな江戸情調があますところなく表現されています。是非ご覧ください。
 
【今日は何の日・光太郎】5月5日

昭和57年(1982)の今日、盛岡市川徳デパートで開催されていた高村規写真展「高村光太郎彫刻の世界」が閉幕しました。

川徳さんでは昭和25年(1950)、智恵子の紙絵展覧会が開催されています。

今日は、名古屋の作曲家で、「連作歌曲「智恵子抄」」を作られた野村朗氏の作品リサイタルを聴きに、日暮里に行ってきました。
 
上京する際には複数の用件をこなすのがモットーでして(笑)、午前中には、東京駅に昨年リニューアルオープンした東京ステーションギャラリーに寄りました。現在、「東京ステーションギャラリー再開記念 生誕120年 木村荘八展」開催中です。木村はヒユウザン会(のちフユウザン会)で光太郎と縁があった画家です。明日、詳しくレポートします。
 
その後、日暮里へ。まだ時間がありましたので、第一日暮里小学校、そしてすぐ近くの太平洋美術会に行ってきました(行ったと言っても、中には入りませんでしたが)。
 
第一日暮里小学校は、光太郎が明治23年(1890)から同25年(1892)まで通っていた小学校です。その縁で校門脇には光太郎自筆の碑があります。
 
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「正直親切」。下段のルビも光太郎の筆跡です。元々は、花巻郊外太田村山口在住の昭和26年(1951)に、山小屋近くの山口小学校に校訓として贈ったものですが、昭和60年(1985)、第一日暮里小学校の創立100年記念に光太郎の母校として、この文字をいただいたとのこと。
 
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碑の向かいにはガラスケースの掲示板があり、同校の学校便りが張ってありました。その名も「正直親切」。
 
ちなみに同校では全校あげて光太郎の顕彰に取り組んでいるそうで、その一環として昨年度3月には『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』の著者、坂本富江さんが講話をなさっています。ありがたい限りです。
 
今日の野村氏のリサイタルには、同校の校長先生や、坂本さんもお見えでした。
 
すぐ近くには太平洋美術会。ここはかつて明治末に智恵子が通っていた太平洋画会の後身です。もっとも、第一日暮里小も太平洋美術会も、光太郎智恵子が通っていた頃とは場所が変わっていますが。
 
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画像の木炭デッサンは智恵子の作品(もちろん複製ですが)。
 
坂本さんはこちらの会員でして、こちらの会の第109回展の招待状を今日いただいてしまいました。5/15(水)~27(日)、六本木の国立新美術館です。こちらもまた項を改めましてご紹介いたします。
 
さて、いよいよ野村氏の作品リサイタル。会場は日暮里駅近くの日暮里サニーホールです。ここでは、数年前に荒川区主催の「光太郎智恵子フォーラム」というイベントがあり、当方が司会を務めました。それ以来でして、懐かしい場所でした。その際は大ホールでしたが、今日はコンサートサロンという小ホールでした。
 
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3月に野村氏の地元、名古屋であったリサイタルの時と同じ、森山孝光様、康子様による演奏でした。
 
前半は八木重吉、三好達治の詩に曲を付けたもの、後半が「連作歌曲「智恵子抄」」。「智恵子抄」は「千鳥と遊ぶ智恵子」「あどけない話」「レモン哀歌」、ピアノインストゥルメンタルの「間奏曲」が入って「案内」。野村氏の光太郎・智恵子に対する思い入れが感じられる作品群です。
 
名古屋では大ホールでしたが、今回は小ホールで森山孝光様の息遣いが感じられ、また康子様の指使いまで見て取れ、、かえって小ホールの方がよかったと思いました。
 
今年の連翹忌で野村氏が招待状を配布してくださったため、会場には、坂本様はじめ、連翹忌にご参加いただいている方々のお姿もちらほら。その中のお一人が、終演後、「光太郎が歌っているようだったね」とおっしゃっていました。「なるほど」と思いました。
 
今後とも、皆様のご活躍に期待したいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】5月4日

明治44年(1911)の今日、父・光雲を頂点とする古い日本彫刻会と訣別し、北海道移住を企てて東京を発ちました。
 
札幌郊外、月寒の牧場にたどり着き、ここで酪農をやりながら美術制作をする生活を考えていましたが、現実にはそんな生活は夢でしかないと悟り、中旬にはすごすご帰京しています。
 
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近々放映されるテレビ番組の情報です。

八重の桜(18)「尚之助との旅」002

2013/05/05(日)18:00~18:45 【NHKBSプレミアム】
2013/05/05(日)20:00~20:45 【NHK総合1】
2013/05/11(土)13:05~13:50 【NHK総合1】
 
会津の防衛に不安を抱いた尚之助(長谷川博己)は、八重(綾瀬はるか)を連れて周縁部の見聞に回る。二人は二本松で、変事に備え熱心に砲術教練に励む少年たちと出会う。

番組内容

会津の防衛に不安を抱いた尚之助(長谷川博己)は、八重(綾瀬はるか)を連れて周辺諸藩見聞の旅に出る。二本松に立ち寄った2人は、有事に備えて熱心に砲術教練に励む少年隊士たちと出会う。会津に戻ると、尚之助には藩から仕官の認可が下り、八重も権八(松重豊)や佐久(風吹ジュン)と喜びを分かち合う。尚之助は早速、各地の見聞録や軍備増強策を提出し、藩内の防衛強化を唱えるが…。

出演者

綾瀬はるか,西島秀俊,長谷川博己,綾野剛,玉山鉄二,斎藤工,風吹ジュン,松重豊,長谷川京子,反町隆史,吉川晃司,芦名星,降谷建志,山口馬木也,西田敏行 他
 
語り 草笛光子
 
智恵子が生まれる20年ほど前の二本松が舞台となります。いわゆる二本松少年隊の悲劇ですね。実際に戦闘になるのはまだ先ですが。
 



特選ドキュメンタリー・JNNドキュメント

2013年5月7日(火) 23時00分~24時00分【TBSニュースバード】
 
ATV青森テレビ制作「時空を超えて今、湖底からの目覚め~一式双発高等練習機69年ぶり十和田湖底より現れる~」です。
 
TBSが運営する有料のCS放送です。昨年報道された十和田湖で見つかった旧日本軍の航空機に関する内容です。
 


<ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

2013年5月8日(水) 12時00分~13時55分【BSフジ・181】
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。事件の真相に光彦が迫る!

番組内容

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は? 宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは? 浅見光彦が事件の真相にせまる!!

出演者

中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
光太郎彫刻をめぐる殺人事件を描いたものです。リニューアル前の花巻高村記念館でのロケが行われています。
 
元々は平成18年(2006)に放映されたものですが、何度か再放送されています。昨年も再放送されました。まだご覧になっていない方はご覧ください。
 



【今日は何の日・光太郎】5月3日

明治36年(1903)の今日、鉄幹与謝野寛ら新詩社同人とともに、関西旅行に発ちました。京都、奈良、高野山、堺、近江などを巡りました。

一昨日でしたか、花巻の財団法人高村記念会様から、5/15の高村祭のご案内をいただきました。
 
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水曜日なのでいろいろ大変でしょうが、ご都合のつく方はいらしてください。画像の通り、渡辺えりさんの講演『光太郎と父』があります。
 
同じ日にリニューアルされた高村記念館の仮オープンです。財団法人高村記念会様から、メールでいろいろな図面などが送られてきました。今までは、はっきりいうとごちゃごちゃした展示でしたが、今度は広い建物を利用できるということで、すっきりした展示のようです。当方、館内に展示する説明版の執筆を頼まれまして、昨日、メールにて送付しました。
 
さて、別件ですが、このブログ、昨年の5月3日に開設しまして、今日の投稿が365件目です。とりあえず1年間、1日も休まずに更新しました。今後も地道にやっていきますのでよろしくお願いいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】5月2日

昭和23年(1948)の今日、太田村の開拓事務所で、保健婦さんにビタミンB1の注射をしてもらっています。

先日、本郷の森井書店様から届いた同店の在庫目録。
 
光太郎がらみとして、昨日は識語署名入りの『智恵子抄』をご紹介しましたが、もう一点、光太郎がらみが載っていました。
 
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昭和37年(1962)の第6回連翹忌で、光太郎の七回忌記念に配布されたものです。ちなみに、「回忌」の正しい数え方は数え年と同じで、亡くなって何年目、と数えます。亡くなった年の翌年のみ満一年ということで「一周忌」、その次が「三回忌」となり、以後、一つずつ数字が増えていきます。従って、連翹忌の回数とは一つずれます。
 
制作はこの手の美術工芸品の複製で有名な大塚巧藝社。当然、非売品です。もともとは大正13年(1924)、光太郎の弟、豊周の子供が夭折した際、光太郎が豊周に「これ、霊前に」といって持ってきたものです。この光太郎の心遣いに、豊周はいたく感激したとのこと。
 
さて、当方、同じものを持っています。
 
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ちなみに、第6回連翹忌でこれが配布された経緯を記した『東京新聞』のちいさな記事もついていました。
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数年前、どこかの古書店で売りに出ていたものをネットで買ったのですが、どこの古書店だったか覚えていません。値段も覚えていません。ただ、それほど高かった記憶はありません。高くても数千円だったような気がします。
 
ところが今回、森井書店様では150,000円で売りに出しています。考えてみればこのくらいの値段がついてもおかしくないものです。それが数千円でしたので、何だか得した気分ですね。まぁ、手放すつもりは毛頭ありませんが、安い買い物ができたという意味で、得した気分です。
 
ところでこの「般若心経」、一カ所、光太郎が書き間違いました。

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「菩提薩埵」と書くべきところを勢い余って「菩薩」と書いてしまい、その後、「薩」の次に漢文のようにレ点を付けています。こういう点、かえって温かみを感じます。
 
ところで、古書目録といえば、昨日届いた杉並の中野書店様の目録には、大正3年の詩集『道程』初版が載っていました。

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詩集『道程』初版。国会図書館にすらないものです。同館にあるのは売れ残りを改装し、奥付を変えた「再版」です(それはそれで珍しいのですが)。1~2年に一度くらい市場に出てきます。昨年は明治古典会七夕古書大入札会にカバー付きのものが出ましたが、今回のものはカバーなし、状態もあまり良くないようです。それでも94,500円。まぁ、これも妥当な価格です。当方、同じような状態のものを同じような価格で手に入れました。
 
昨日ご紹介した識語署名入りの『智恵子抄』といい、心ある人や機関の手元に行ってほしいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】5月1日

明治38年(1905)の今日、上野公園竹の台五号館で第一回彫塑同窓会展が開幕しました。光太郎は塑像「薄命児」「解剖台上の紅葉山人」を出品しました。

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