2012年11月

昭和17年(1942)10月15日、日本海運報国団から発行された『海運報国』第二巻第十号に掲載された光太郎の随筆「海の思出」に関するレポートを続けます。少し長くなるかと思いますがよろしくお願いいたします。
 
昨日、明治39年(1909)の渡米について書きました。横浜からヴィクトリア経由でバンクーバーまでの船旅。乗ったのはカナダ太平洋汽船の「アセニアン」という船です。
 
高村光太郎研究会での発表に向け、改めて「アセニアン」について調べてみたところ、いろいろ面白いことがわかりました。
 
イメージ 1
 
まず、外洋を航海する船としては、非常に小さな船だったということ。
 
船のサイズは総排水量(船自体の重量)で表しますが、「アセニアン」は3,882トンというサイズです。これを他の艦船と比較してみればよくわかります。まず、明治42年(1909)、光太郎が留学から帰国する際に乗った日本郵船の「阿波丸」という船は、総排水量6,309トンと倍近く、同40年(1907)に大西洋横断に使った船は17,272トンと、およそ4倍です。
 
ちなみに世界の有名な艦船では、横浜港で保存されている「氷川丸」が11,622トン、かの「タイタニック」が46,328トン、大戦中の戦艦「大和」が64,000トン、先頃退役すると報道された米海軍の「エンタープライズ」が75,700トンです。
 
カナダ太平洋汽船では、6,000トン級の船も運航していましたが、そちらにはいわばエコノミークラスの「三等」がなく、「アセニアン」と姉妹船の「ターター」の2隻を「三等」と「特別三等」のみに設定していました。光太郎は「特別三等」を利用しています。「留学」とはいいつつ、経済的には余裕がなかったことがよくわかります。
 
それにしても、このトン数に関しては、光太郎の記憶がけっこういい加減だということが判りました。
 
・「アゼニヤン号はたつた六千噸の貧乏さうな船であつた。」(「遙にも遠い冬」 昭和2年=1927)
・「三千噸のボロ船にて渡米」(「山と海」 昭和5年=1930)
・「「アゼニアン号」という二千噸ぐらいの小さな船」(「青春の日」 昭和26年=1951)
・「「アゼニヤン」は四五千トンの小さな船」(「父との関係―アトリエにて―」 昭和29年=1954)
・「『アゼニヤン』といふ幾千トンかの小さい汽船」(「海の思出」 昭和17年=1942)
 
こういう点には注意したいものです。
 
また、「アセニアン」は、カナダ太平洋汽船の保有となる前に、イギリス海軍に徴用、明治33年(1900)の義和団事件に参加しています。
 
逆に智恵子に関わるほのぼのとした記述もあります。
 
西洋料理もろくに食べた事の無い私の船中生活は後で考へれば滑稽至極で、その時の日記を後年妻の智恵子と一緒によく読んで笑つた。(「父との関係―アトリエにて―」 昭和29年=1954)
 
たんねんにつけた日記があって、とても面白いものだったんだが焼いてしまった。毎日毎日びっくりすることばかり。まるで幕府の使者みたいなもので、あの頃は本当に一日がひと月位に相当した。
 食卓に出るものもはじめてのものばかり、ボーイに聞いては書いて置いた。あとで思うと何でもないものだったりして、智恵子とひっぱり出して、一緒に読んで、読みながら大笑いしたことがあった。(「高村光太郎聞き書」 昭和30年=1955)
 
明日は明治40年(1939)にアメリカからイギリスへの船旅についてレポートします。

昭和17年(1942)10月15日、日本海運報国団から発行された『海運報国』第二巻第十号に掲載された光太郎の随筆「海の思出」。
 
冒頭の幼少年期の思い出に続き、明治39年(1906)から同42年(1909)にかけての海外留学に関する話が続きます。まずは渡米。
 
これに関しては、既知の光太郎作品や年譜に書かれている以上のことはほとんどありませんでした。すなわち、
 
・明治39年2月に横浜を出航したこと。目的地はカナダのバンクーバー。
・カナダ太平洋汽船保有の「アセニアン」という小さな船に乗ったこと。
・荒天の連続でアリューシャン方面まで迂回し、長い船旅になったこと。
・波に揉まれ、船員まで船酔いになるほどだったこと。
 
などです。これらはくり返し色々な文章で述べられていることです。ただ、2点だけ、既知の作品や年譜に見当たらなかったことがありました。
 
一点目は「陸地近くなつた頃、流木が船に衝突して食堂のボオトホオルの厚ガラスを破り、海水が一度に踊り込んで来て大騒ぎした事がある」というエピソードです。
 
もう一点は、船がバンクーバー直行ではなく、ヴィクトリア経由であったことです。「程なくヴクトリヤを経て目的地へ無事についた。」という記述がありました。
 
イメージ 1
 
 
この点について調べてみたところ、明治34年(1901)9月13日の「官報」に以下のように書いてありました。「当港」はバンクーバーを指します。
 
新旧船共孰モ当加拿陀ヴ井クトリヤヘ寄港セル加拿陀太平洋鉄道会社ニテモ今船香港ヴァンクーヴァル線ニ向ヒテ従前ノ三「エムプレス」ノ外汽船「ターター」(総噸数四千四百二十五)及「アセニアン」(総噸数三千八百八十二)ノ二艘ヲ増航セシムルコトニ決定シ「ターター」は八月十四日香港ヲ、九月二十日当港ヲ発シ、「アセニアン」ハ同四日香港ヲ、十月十三日当港ヲ解纜スル予定ナリ
 
実際、カナダ太平洋汽船の航路はヴィクトリア経由でした。ただ、寄港したヴィクトリアで光太郎が下船したかどうかは不明です。したがって、これから論文、評伝等を書かれる方は、「光太郎はバンクーバーで初めて北米の土を踏んだ」といった断定的な書き方をすると誤りかも知れませんので気をつけて下さい。
 
それから、「アセニアン」、当方は勝手に横浜~バンクーバー間を航行する船だと思いこんでいましたが、実は香港~バンクーバーの航路で、横浜は寄港地の一つです。そこで、これもこれから論文、評伝等を書かれる方は気をつけてほしいものです。「横浜を出港したアセニアン」なら問題ありませんが、「横浜から出航したアセニアン」と書くと誤りです。細かい話ですが。
 
ちなみに「アセニアン」。スペルは「ATHENIAN」。光太郎の書いたものでは「アゼニヤン」となっていますが、現在では「アセニアン」と表記するのが一般的なようです。「イタリア」を昔は「イタリヤ」と書くこともあったのと同じ伝でしょう。
 
その他、特に新しい事実、というわけではありませんが、「アセニアン」についていろいろ調べてみて、「ほう」と思うことがいろいろわかりました。明日はその辺を。

11/24(土)に行われました第57回高村光太郎研究会にて、当方が発表を行いました。題は「光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-」。その内容について何回かに分けてレポートいたします。
 
今年に入り、光太郎が書いた「海の思出」という随筆を新たに発見しました。そこには今まで知られていた光太郎作品や、『高村光太郎全集』所収の年譜に記述がない事実(と思われること)がいろいろと書かれており、広く知ってもらおうと思った次第です。ちなみに先月当方が発行した冊子『光太郎資料』38には既に掲載しましたし、来年4月に刊行予定の『高村光太郎研究』34中の「光太郎遺珠⑧」にも掲載予定です。
 
「海の思出」、掲載誌は昭和17年(1942)10月15日発行『海運報国』第二巻第十号です。この雑誌は日本海運報国団という団体の発行で、翌昭和18年(1943)と、さらに同19年(1944)にも光太郎の文章が掲載されています(それらは『高村光太郎全集』「光太郎遺珠」に所収済み)。日本海運報国団は、その規約によれば「本団は国体の本義にのっとり海運産業の国家的使命を体し全海運産業人和衷協同よくその本分をつくしもって海運報国の実をあげ国防国家体制の確立をはかるを目的とす」というわけで、大政翼賛会の指導の下に作られた海運業者の統制団体です。
 
そういうわけで、昭和18年、同19年に掲載された光太郎作品はかなり戦時色の強いものでしたが、なぜか今回の「海の思出」は、それほど戦時に関わる記述がありません。まだ敗色濃厚という段階ではなかったためかもしれません。
 
では、どのような内容かというと、光太郎の幼少年期から明治末の海外留学時の海や船に関する思い出が記されています。
 
まず幼少年期。
 
 東京に生まれて東京に育つた私は小さい頃大きな海といふものを見なかつた。小学生の頃蒲田の梅園へ遠足に行つた時、品川の海を眺めたのが海を見た最初だつた。その時どう感じたかを今おぼえてゐないが、遠くに房州の山が青く見えたのだけは記憶してゐる。その後十四歳頃に一人で鎌倉江の島へ行つた事がある。この時は砂浜づたひに由比ヶ浜から七里ヶ浜を歩いて江の島に渡つたが押し寄せる波の烈しさにひどく驚いた。波打際にゐると海の廣さよりも波の高さの方に多く気を取られる。不思議にその時江の島の讃岐屋といふ宿屋に泊つて鬼がら焼を食べた事を今でもあざやかにおぼえてゐる。よほど珍しかつたものと見える。十六歳の八月一日富士山に登つたが、頂上から眺めると、世界が盃のやうに見え、自分の居る処が却て一番低いやうな錯覚を起し、東海の水平線が高く見上げるやうなあたりにあつて空と連り、実に気味わろく感じた。高いところへ登ると四方がそれにつれて盛り上るやうに高くなる。
 
 この中で、「小学生の頃蒲田の梅園へ遠足に行つた」「十四歳頃に一人で鎌倉江の島へ行つた」というのは既知の光太郎作品や年譜に記述がありません。はっきり明治何年何月とはわかりませんが、記録にとどめて置いてよいと思われます。江ノ島に関しては「十四歳頃」と書かれていても、単純に数え14歳の明治29年(1896)とは断定できません。意外と光太郎の書いたものには時期に関する記憶違いが目立ちますので。ただ、場所まで記憶違いということはまずありえないでしょう。実際、明治三十年五月刊行の観光案内『鎌倉と江之島手引草』の江ノ島の項には「金亀山と号し役の小角の開闢する所にして全島周囲三十余町 人戸二百土地高潔にして四時の眺望に富み真夏の頃も蚊虻の憂いなく実に仙境に遊ぶ思いあらしむ 今全島の名勝を案内せん(略)旅館は恵比寿屋、岩本楼、金亀楼、讃岐屋を最上とす 江戸屋、堺屋、北村屋之に次ぐ」という記述があり、光太郎が泊まったという讃岐屋という旅館が実在したことがわかります。ちなみに「鬼がら焼」は今も江ノ島名物で、伊勢エビを殻のまま背開きにし、焼いたものです。なぜか14歳くらいの少年が一人旅をし、豪華な料理に舌鼓を打っています。

イメージ 1
 
つづく「十六歳の八月一日富士山に登つた」は、昭和29年(1954)に書かれた「わたしの青銅時代」(『全集』第10巻)にも「わたしは、十六のとき祖父につれられて富士山に登つた」とあるので、数え16歳の明治31年(1898)で確定かな、と思うとそうではなく、どうやら記憶違いのようです。祖父・兼松の日記(『光太郎資料』18)によれば、富士登山は翌32年(1899)です。こちらの方がリアルタイムの記録なので優先されます。こういうところが年譜研究の怖ろしいところですね。
 
いずれにしても既に東京美術学校に入学してからで、彫刻科の卵だった時期です。「頂上から眺めると、世界が盃のやうに見え、自分の居る処が却て一番低いやうな錯覚を起し、東海の水平線が高く見上げるやうなあたりにあつて空と連り、実に気味わろく感じた。高いところへ登ると四方がそれにつれて盛り上るやうに高くなる。」こういった空間認識は、やはり彫刻家としてのそれではないでしょうか。
 
「海の思出」、このあと、留学時代の内容になります。以下、明日以降に。

国立西洋美術館の「手の痕跡」展にからめ、光太郎とロダンのかかわりについて述べてみます。
 
筑摩書房発行『高村光太郎全集』の第7巻には、単行書にもなった評伝「オオギユスト ロダン」をはじめ、ロダンについて書かれた光太郎の評論等が数多く掲載されています。それらを読むと、光太郎がロダンによって眼を開かれ、多大な影響を受けたことが見て取れます。
 
 ロダン程、円く、大きく、自然そのものの感じを私に起させる芸術家は、ルネサンス以降に無い。埃及(エジプト)や希臘(ギリシャ)には此の「大きさ」を感じさせる芸術が尠くないが、しかし神経がまるで違ふからわれわれ自身の悩みと喜びとを同じ様に分つてくれない。此点になると、ロダンの芸術は如何にも肉身の気がする。われわれの手を取つてくれる様だ。そしてロダン其人の生活が息のやうにわれわれにかかつてくる。あらゆる善い意味に於て特に近代的だと思はせられる。何千年の歴史がロダンの中に煮つめられてゐるのを感じる。皆生きて来てゐる。人類の歩みをまざまざと見る。(「ロダンの死を聞いて」大正7年=1918)
 
しかし、光太郎もロダンを頭から肯定しつくしているわけではありません。いったん受け入れた上で、自分なりに咀嚼し、そこから独自の境地を導き出さねばただの猿真似になってしまいます。
 
限りなく彼を崇敬する私も、彼を全部承認するわけにはゆかない。むしろ承認しない部分の方が多いかも知れない。私は彼と趣味を異にする。此入口が既にちがふ。彼の堪へ得る所に私の堪へ得ないものがある。美の観念に就ても指針が必ずしも同じでない。私の北極星は彼と別な天空に現れる。(「オオギユスト ロダン」昭和2年=1927)
 
たしかに光太郎の彫刻世界は、ロダンそのものではありません。しかし、光太郎が大見得を切った程にロダンを超えられたか、というと決してそうも思えません。ただし、それは才能の問題ではなく、光太郎に架せられたもろもろの制約のせいという気もします。
 
ロダンによって眼を開かされ、留学から帰国した明治末期は、父・光雲をはじめとする古い彫刻が主流で、新しい彫刻が受け入れられる素地がありませんでした。その後も生活不如意や智恵子の統合失調症発症、そして泥沼の戦争による物資欠乏、戦後には戦争協力を恥じての山小屋生活での彫刻封印。ようやくそうした制約から解き放たれた老境には、もはや身体がついてゆかなくなってしまいます。
 
もし光太郎に、自由に彫刻制作に専念できる環境が与えられていたら、と残念に思います。
 
最後に、今回の「手の痕跡」展の出品作の中から、光太郎と同じことをやっている、というより光太郎が同じことをやっているという手法を発見しましたので。それを紹介します。
 
下の画像は、今回の出品作のうちの一つ「説教する洗礼者ヨハネ」の足です。解説板には以下のように書いてありました。「歩くという動きにたいして身体の各部分の形は不自然に見える。開いた両足には体重の移動がなく、人間が前進する動きではない。」
 
イメージ 1
 
たしかに両方のかかとがべたっと地面に着いています。歩いている足としては、これではおかしいのです。
 
また、解説板には以下の記述もありました。「右肩の関節の位置は解剖学的に正確とはいえず、よく見ると腕も異常に長い。」。つまり随所が人体としてありえない形状なのです。しかし、この彫刻は一見してそのような感じを与えません。これはどういうことなのでしょうか。
 
答えはやはり解説板から。「部分的に見ると不自然な身体の各部は、統合されたときに美しいシルエットと強い説得力をもって観者に訴えかける。」ということなのです。
 
さて、光太郎。下の画像は最晩年の十和田湖畔の裸婦像です。
 
\¤\᡼\¸ 1
 
「説教する洗礼者ヨハネ」同様、両足のかかとがべたっと地面に着いています。ここには光太郎の意図があります。この点について、光太郎曰く、
 
あの像では後の足をスーツとひいているが、あの場合には踵が上るのが本当なんだけれども(立ち上がつて姿態を作り)こういうふうにわざと地につけている。彫刻ではそういう不自然をわざとやるんです。あれが踵が上つていたら、ごくつまらなくなる。そういうところに彫刻の造型の意味があります。(「高村氏制作の苦心語る ”見て貰えば判ります” 像の意味は言わぬが花」昭和28年=1953)
 
ロダンの意図と全く同じですね。これは意識してロダンの手法を取り入れたのか、そうでないのかは何とも言えません(光太郎は当然、「説教する洗礼者ヨハネ」は見ていますが)。また、当方は門外漢なのでよくわかりませんが、人体彫刻としてこういう手法はロダン、光太郎に限らず、お約束の基本なのかも知れません。詳しい方、ご教授願えれば幸いです。
 
彫刻も漫然と見るのではなく、こういう点などに注意して見ることも大切だな、と改めて感じた「手の痕跡」展でした。
 
以上、「手の痕跡」展レポートを終わります。

国立西洋美術館「手の痕跡」展をレポートします。
 
これは同館で所蔵するロダンの彫刻58点とブールデルの彫刻11点、素描や版画を展示している企画展です。当方、ロダン作品をまとめてみるのは初めてで、非常に興味深いものがありました。
 
11/24、9時半頃西洋美術館に着きました。まずは予習を兼ねて以前から前庭に展示されている屋外彫刻を見ました(これらも出品点数にカウントされています)。
 
イメージ 1  イメージ 2

 
イメージ 3
 
ロダン作、「考える人(拡大版」)、「カレーの市民」、そして「地獄の門」などです。ご存知の方も多いと思いますが、有名な「考える人」は、最初は「地獄の門」の群像の一部でした。他にも「地獄の門」から取り出して単体の彫刻になったものは数多くあります。

イメージ 7
 
そして館内地下の企画展示室へ。フラッシュを発光させない、シャッター音に気をつけるという条件のもと、撮影は許可されていました。
 
大半は松方コレクションですが、ロダン彫刻の中でも有名なものがいくつも含まれています。「青銅時代」「洗礼者ヨハネ」「鼻のつぶれた男」「考える人」「ヴィクトル・ユゴー」「接吻」などなど。ほとんどはブロンズで、数点、大理石が混ざっているという構成でした。
 
イメージ 4  イメージ 5
 
6/30前後のブログで紹介した日本人女優・花子の彫刻も2点。

イメージ 6
 
また、「バルザック」や「地獄の門」の習作もあり、完成作との比較という点で興味深く見ることができました。
 
ところどころにブールデルの作品。作風の似通った二人ですが、おもしろいことに、知らない彫刻を遠目に見ても「あれはブールデルだな」というのがほぼ間違いなくわかること。似通っていても個性がはっきり出ているのです。
 
それから素描や版画。光太郎はロダンの留守中にロダン宅を訪ね、夫人のローズからおびただしい素描を見せられ、圧倒されたという逸話があります。もちろん彫刻の数々も光太郎に大きな衝撃を与えたのはいうまでもありません。
 
さて、感想を。100年の時を経たものがほとんどですが、やはり素晴らしい、の一言に尽きます。「具象」の持つ即物性が圧倒的な力で迫ってきます。「質感」「量感」とでも言えばよいでしょうか。それから不動のものでありながら躍動感にも溢れています。光太郎は、彫刻というものは決して止まっているものではない、自分の方が彫刻の周りをぐるっと回ることで、変化して行く「辺相」=輪郭を楽しむことができる、といったようなことを述べています(すみません、ぱっと出典が思い浮かびません)。今回も展示の方法が工夫され(すべてを壁際に押し込められるとそういう見方ができません)、いろいろな角度から見ることができ、それが実感できました。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
明日は、光太郎彫刻との比較的な部分でレポートします。

国立西洋美術館の「手の痕跡」展、高村光太郎研究会のレポートに行く前に、近々放映されるテレビ番組の情報を載せておきます。  

「智恵子抄」001

衛星劇場 CS219 2012/12/5(水) 後06:30 12/8(土) 後02:45 
12/11(火) 後06:00  12/19(水) 前11:00  12/31(月) 深03:45
 
以前のブログで紹介しました松竹映画「智恵子抄」です。智恵子は岩下志麻さん、光太郎は故・丹波哲郎さん。
 
衛星劇場」は有料のCS放送で、松竹グループの衛星一般放送の映画専門チャンネルです。
 
これも以前のブログに書きましたが、冒頭近い部分、「パンの会」のシーンはどうやら当方の住まう千葉県香取市でのロケのようです。
  

木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~

テレビ東京  2012/11/29(木)19:58~20:54
 
11/10のブログで御紹介した内容です。11/15にオンエアの予定だったのですが、急遽、森光子さんの追悼番組に変更、先送りになりました。二代目コロムビア・ローズさんがご出演、昭和39年のヒット曲「智恵子抄」を披露されます。
 
その追悼番組を見て知りました。森光子さん、当方は舞台「放浪記」やテレビのホームドラマなどのイメージしかなかったのですが、芸能生活の出発は歌手だったとのこと。クラシックもポピュラーもこなした歌手の関種子(明40=1907~平2=1990)のお弟子さんだったそうです。関種子というと、昭和14年(1929)、光太郎作詞、箕作秋吉作曲の「こどもの報告」のレコードをポリドールからリリースしています。こんな間接的なつながりもあったのですね。
 

小林麻耶の本に会いたい

BSジャパン 2012/11/30(金) 22時30分~23時00分     再放送12/7
 
本棚につまっているその人の「人生」。著名人を訪ね、その人柄や考え方、意外な素顔に小林麻耶が迫ります。
 
今回は文学ゆかりの場所をめぐる「本に会える散歩道」。東京の中心として明治時代から栄える日比谷を散歩します。

案内してくれるのは、評論家・山田五郎さん。

まずは、人気海外ドラマさながら24時間で謎発生から解決までが描かれている「魔都」の舞台となった東京會舘を紹介。 続いて案内してくれたのは、歴史深い日比谷公園で太宰治が自決する前に書いた作品「渡り鳥」の舞台となる日比谷公会堂、多くの文豪が愛したレストラン「松本楼」では智恵子抄に書かれた氷菓を頂きます。

その他、池波正太郎の銀座日記で登場する「慶楽」ではグルメとして名高い池波正太郎が愛した焼きそばを頂くなど、様々な文豪ゆかりの場所を紹介していきます。

出演者 
MC:小林麻耶 山田五郎
 
松本楼さんは毎年4月2日の光太郎忌日・連翹忌の会場です。

ちなみに11/30の放送では、同じBSジャパンで直前の放送枠(22:00~22:30)が千葉県香取市佐原地区を紹介する「百年の町なみ 千葉県・佐原 江戸の風情が薫る水の郷」です。併せてご覧下さい。
 
さらにいうなら、翌日12/1(土)では、昨年と今年、光太郎智恵子を扱った舞台「月にぬれた手」の公演をなさった渡辺えりさん主演の「100の資格を持つ女 風薫る水郷・佐原の醤油蔵に呪いの連続殺人!!」の再放送(本放送は数年前でした)があります。12:00~14:00、地上波テレビ朝日系です。光太郎とはからみませんが、ご覧下さい。
 
もう一件、光太郎とはからまないかもしれませんが紹介しておきます。 

ドラマ☆駅弁ひとり旅~東北編~ #10

BSジャパン  2012/11/27(火) 8時00分~8時30分
 
「漫画アクション」に連載中の人気紀行漫画をドラマ化。駅弁をテーマにした料理と鉄道を愛する主人公の中年男が美女と共に旅しながら日本全国の名物駅弁を食べつくす!
 
新花巻駅で駅弁を買い、宮澤賢治ゆかりの地を訪ねる大介(岡田義徳)と藤村咲子(須藤温子)はさっそく「山猫軒」へ。雄大な景色を見ながら「注文の多い料理店」というご当地弁当を満喫。宮澤賢治記念館を見学した後向かった先は、「銀河鉄道の夜」のモチーフになった釜石線のめがね橋。ライトアップされた橋を渡る列車は幻想的で、その美しさに大食漢の咲子も思わずうっとり…。

◆出演者
中原大介役…岡田義徳 中原優子(大介の妻)役…加藤貴子 大介が旅先で知り合うマドンナたち…山本ひかる、波瑠、須藤温子

今日は、11/20のブログで御紹介しました第57回高村光太郎研究会でした。
 
会場は湯島のアカデミア湯島。午後2時からということで、午前中は湯島にほど近い上野の国立西洋美術館に寄りました。11/14のブログで御紹介しました「ロダン ブールデル 手の痕跡」展を見るためです。こちらについてはまた後ほど詳しくレポートします。
 
そちらを見終わって、昼食をとりつつ歩いて湯島まで。東京も秋の風情がなかなかよい感じでした。
 
さて、研究会。この世界の第一人者、北川太一先生をはじめ、大阪から『雨男高村光太郎』の著者・西浦氏、花巻から花巻高村記念会の高橋氏、福島から元草野心平記念館の小野氏、地元東京で『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』の著者・坂本女史など、見知った顔が集まりました。ありがたいことです。
 
まずは前座で当方の発表「光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-」。つつがなく終わりました。発表内容についてはまた日を改めてこのブログでレポートします。
 
続いて國學院大學名誉教授の傳馬義澄氏によるご講演「高村光太郎『智恵子抄』再読」。

イメージ 1
 
昭和25年に刊行された光太郎の詩文集『智恵子抄その後』のあとがきに「「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。」と光太郎は書きました。それをふまえ、単純に「純愛の相聞歌」的な捉え方をすることへの警鐘、『智恵子抄』収録の詩篇から読み取れる二人の生活の様子、そして今後の若い世代へどう広めていくのかといった部分にまでお話がおよび、ご講演のあとの参加者でのフリートークでもその辺りの話題で盛り上がりました。

002

 
その後、懇親会ということで、会場を移しました。そこでも高橋氏や坂本女史から新しい計画等のお話を伺い、そちらも非常に楽しみです。
 
今後、随時、「ロダン ブールデル 手の痕跡」展、当方の発表内容についてのレポート、そして新しい計画についての情報等アップしていきますのでお楽しみに。

追記 当初開設していたYAHOO!ブログ(2019年にサービス終了)での内容ですので、現在は実体に合っていませんのでよろしく。

昨日、こちらのブログで内容ごとに記事を読めるような設定にしたことと、「検索」機能についてお伝えしました。
 
他にもこのブログ、いろいろな機能がついています。例えばコメント欄。当方の住所やメールアドレス等ご存じの方はそちらでご連絡いただければ結構ですが、そうでない方は、コメント欄をご活用下さい。
 
各記事の下にこのような部分があります。
 
イメージ 1
 
ここの「コメント」をクリックすると下の画面が出ます。
 
イメージ 2
 
自由に文章をお書きいただいて、「投稿」ボタンをクリックすればOKです。
 
投稿したコメントを他の方に見られたくない場合には、文章を各欄の右の「内緒」というボックスにチェックを入れ、投稿していただければ、当方のみが読めるようになっています。
 
実際、この機能を使っていただいて、ご質問、ご依頼等がありました。他にも住所やメールアドレス、電話番号等をご存じの方からもいろいろとレファレンス(調査)のご依頼が来ています。
 
こんなご依頼等がありました。
 
・「光太郎資料」「高村光太郎研究」など、当方の関わっている冊子がほしい。
・光太郎の木彫作品を所蔵している美術館等を教えてほしい。
・戦時供出でなくなったブロンズの光太郎彫刻が他の彫刻家によって復元されているが、その経緯を教えてほしい。
・光太郎が作った俳句にはどんなものがあるか。
・日本全国で光太郎の筆跡を刻んだ石碑などはどのくらいあるか。
・光太郎の書(色紙、軸装、短冊など)はどこに所蔵されているか。
・自分が書いたもののチェックをしてほしい。
 
などなど。
 
それぞれ対応させていただきました。
 
出来る限りこうしたご質問やご依頼にはこたえますので、コメント欄等ご活用下さい。
 
申し訳ありませんが、迷惑メール対策ということもあり、メールアドレスや住所、電話番号はここでは公開しておりません。よろしくご寛恕の程。
 
 
出来る限り対応いたしますので、ご遠慮なく。

追記 当初開設していたYAHOO!ブログ(2019年にサービス終了)での内容ですので、現在は実体に合っていませんのでよろしく。

以前からご覧いただいている方はお気づきでしょうか。このページのレイアウトを少し変更しました。
 
この部分の左に広告があり、その下はプロフィール欄で光太郎智恵子の写真が出ています。さらにその下。ここは「書庫」の欄なのですが、ここで記事の内容ごとに見られるようにしました。フォルダのようなものです。昨日までは初期設定の通りすべての記事を「日記」に入れていましたが、カテゴリーで分けることが出来ることに気づき、変更しました。
 
イメージ 1
 
たとえばここで「彫刻/絵画」をクリックしてみます。すると主に彫刻や絵画について書いた最新の記事が表示されます。
 
イメージ 2
 
さらに左上の水色のバーのところにある「リスト」をクリックすると、主に彫刻や絵画に関する記事のタイトル一覧が出ます。
 
イメージ 3
 
「彫刻/絵画」以外のカテゴリーは、主に詩に関する内容の「詩」、音楽や演劇、テレビドラマや映画などに関わる「音楽/演劇等」、花巻や十和田、女川、福島関連が多いので「東北」、それから「智恵子」という項目も設定しました。分類不可能なものは「その他」に入れてあります。ただし、一本の記事でも詩に関して書いたり、彫刻にふれたりしている場合がありますので、あくまで目安です。
 
さらに細かく検索なさりたい場合は、画面左下に検索窓がありますのでご活用下さい(この機能は以前からありましたが)。
イメージ 4
 
ここに検索したいワード、たとえば「荻原守衛」と入力し、「検索」をクリックします。すると、まず記事のタイトルに「荻原守衛」が含まれている記事が出るはずです。ところが、タイトルに「荻原守衛」は使っていませんから、下のような画面になります。
 
イメージ 5
 
しかし守衛について書いていないわけではありません。すぐ上の「タイトル」の右にある▼ボタンを押して「内容」にしていただいて再び検索。すると、本文で「荻原守衛」の語が使われている最新の記事が表示されます。
 
イメージ 6
 
そこでやはり左上の水色のバーのところにある「リスト」をクリックすると、一覧が出ます。
 
イメージ 7
 
このページ、こうした機能もありますので、ご活用下さい。
 
さらに「コメント欄」がこの下にあり、こちらも活用していただきたいのですが、長くなりましたのでまた明日、そのあたりを書きます。

新刊を紹介します。

2012/7/27 小野智美編 羽鳥書店 定価900円+税
 
イメージ 1
 
津波が町を襲ったあの日から――2011年5月と11月に、宮城県女川第一中学校で俳句の授業が行われた。家族、自宅、地域の仲間、故郷の景色を失った生徒たちが、自分を見つめ、指折り詠んだ五七五。記者として編者は、友や教師や周囲を思いやり支えあう彼らの姿、心の軌跡を丹念にたどる。(裏表紙より)
 
宮城県の女川町。このブログでもたびたび紹介しています。昭和6年(1931)に光太郎がここを訪れたことが縁で、平成3年(1991)に詩碑が建てられ、以来、「女川光太郎祭」が開かれている町です。そして昨年の大震災では津波による大きな被害……。
 
その女川に暮らす中学生達の句集です。軽い気持ちで読めるものではありません。実はamazonなどでこの本が出ているのはだいぶ前から知っていたのですが、軽い気持ちでは読めないなと思い、手が出ませんでした。しかし、先日、八重洲ブックセンターに立ち寄ったら平積みで置いてあり、思い切って購入しました。
 
 逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて 
 
母親を亡くした生徒の作品です。「季語が入っていない」などというさかしらな批評をする人がいたら、人間じゃありませんね。
 
言葉にしても、音楽にしても、絵画や彫刻のような造型にしても、やはりそれを作った時の心境とは無縁でいられないのだと思います。そう考えると、「レモン哀歌」などの智恵子の死を謳った光太郎の詩篇も重みが違って感じられます。
 
それは表現する側だけでなく、受け取る側にも言えることだと、この本を読んで改めて気付かされました。「付記」という部分に、指導に当たった佐藤敏郎教諭が、今年の3月、3年生の最後の国語の授業で「レモン哀歌」を扱った話が書かれています。生徒は全員、身近な人の訃報に接しています。そういう体験を踏まえて読む「レモン哀歌」、そういう経験のない人間が読むのとはまた違うわけです。そしてそれを教える側の佐藤教諭も。
 
「この1年、みんなは死を考えたことが多かったと思う。今までおれは、死はどん底のような気がしていたんだ。暗闇に落ちていくような。だから怖いんだ。でも、ちがうかもしれない。たぶんね、ずっと登っているんだよ」
 そう言いながら、山の頂へ一直線に白墨を引いた。
「死っていうのは上。一番上なんだ。だから天に昇るんだ」
 そう言った瞬間だった。「おーっ」。教室に感嘆の声がわきあがった。
 なおも続ける。「智恵子は人生をふりかえって、ひとつの大きな仕事をやりとげた。最愛のだんな様への生涯の愛を一瞬に傾けたんだ。そういう登り切った達成感、満足感がある。だから『山巓でしたやうな』だ」。
 
この解釈には異論があるという人もいるかも知れません。しかし、あの過酷な体験を経て語られるこの言葉には、やはりさかしらな批評の立ち入る隙はありませんね。
 
この本、本当に軽い気持ちで読めるものではありません。しかし、多くの人に読んでほしいと思います。

今週土曜日、2012年11月24日に第57回高村光太郎研究会が開催されます。
 
この会、元々は昭和38年に、光太郎と親交のあった詩人の故・風間光作氏が始めた「高村光太郎詩の会」に端を発します。その後、明治大学や東邦大学などで講師を務められた故・請川利夫氏に運営が移り、「高村光太郎研究会」と改称、年に一度、研究発表会を行っています。現在の主宰は都立高校教諭の野末明氏。
 
ほぼ毎年、この世界の第一人者、北川太一先生もご参加下さっていて、貴重なお話を聞ける良い機会です。事前の参加申し込み等必要ありません。ただ、多人数の団体でご参加、というような場合にはご一報いただければ幸いです。
 
今年の研究会は今週土曜日、24日の14:00~17:00。当方の発表「光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-」と、國學院大にいらした傳馬義澄氏の講演「『智恵子抄』再読」です。
 
当方の発表は、新しく発見した主に海外留学(明治39年=1906~同42年=1909)の時の船旅に関する随筆をめぐってのもので、これまでの年譜等に記載されていない新事実がいろいろと新たにわかったことをレポートします。
 
会場は文京区湯島2-28-14にあるアカデミー湯島です。東京メトロ千代田線湯島駅、同じく丸ノ内線と都営大江戸線の本郷三丁目駅が最寄りです。
 
イメージ 1
参加費は五百円、終了後に懇親会があり、そちらは実費です。
 
ちなみに研究会に入会されると、年刊の機関誌「高村光太郎研究」が送られてきます。その中に当方の編集「光太郎遺珠」……光太郎の新発見作品集を連載させていただいています。研究会としての会費は年3,000円です。
 
入会しなくとも、年に一度の研究会のみご参加いただくことは可能です。こんな会なのか、と様子をご覧になってから入会するかどうか決めていただいてかまいません。どなたにも門戸を開いております。メンバーは大学や研究機関の先生ばかりでなく、文学館の学芸員や小中高校教員、学生の方、他のお仕事のかたわら執筆をなさっている方、そして当方のような自由人など、いろいろです。
 
はっきり言うと、このところ参加者が少なく、残念に思っています。是非ともこうした会も盛り上げていきたいので、よろしくお願いいたします。

イメージ 1

イメージ 2

東京駅22時20分発、最終の高速バスに乗りました。

今日は原宿、アコスタディオさんで、モンデンモモさんのコンサート「モモの智恵子抄2012」がありました。

二本松や川内村と違って、ほぼ全曲が光太郎の詩にモモさんのオリジナルのメロディーを付けた歌。さらにモノドラマ形式の凝った演出でした。

その上、光太郎と縁の深かった宮澤賢治、草野心平にも触れるという欲張りな内容でした。

そこで当方の出番。三人のつながりをレクチャーし、心平の詩「秋の夜の会話」をモモさんと朗読しました。

こういう形でも、光太郎智恵子の世界を一般の皆さんに広めていくことも大切なことだと思います。

今週は土曜日に「高村光太郎研究会」での発表もあり、我ながら八面六臂です(笑)

聴きにいらしていただいた皆様、ありがとうございました。それからモモさんはじめ、キャストとスタッフの皆さん、お疲れさまでした!

金曜の朝に東京・府中を出発し、福島・二本松、同じく川内村、そして府中まで、2泊3日、600㎞以上を運転しました。レンタカーのワゴン車、モンデンモモさん曰く「智恵子抄号」。
 
同乗者はモンデンモモさん、ピアニストの砂原ドルチェ嘉博さん、ヘアメイクの手塚祥子さん、モモさんのお弟子さんの茉那さん。当方、手塚さん、茉那さんとは初めてでした。道中、モモさん、砂原さんの業界の裏話やら、若い茉那さんの恋バナやらで盛り上がり、しっかり者の手塚さんがしっかり締め、楽しい珍道中でした。
 
行く先々でも新しい出会いがいろいろとあり、人の輪というのはこうやって広がってゆくんだな、と実感させられました。二本松信用金庫の皆さん、川内村天山心平の会の皆さん、お世話になりました。
 
イメージ 1
川内村小松屋旅館にある草野心平の書
光太郎の詩「晩餐」の一節です。
 
 
また、旧知の皆さんともお会いでき、さらにつながりを深められたと思っております。二本松では智恵子のまち夢くらぶの熊谷さん夫妻、詩人の木戸多美子さん、川内では元筑摩書房の編集者でかわうち草野心平記念館長の晒名昇氏、川内村教育長の石井芳信氏。
 
特に石井氏には、今朝、お宅にお邪魔して、奥様ともども川内の現状などに関する貴重なお話をお聞かせいただきました。津波の被害とはまた違う、目に見えない放射線の被害、しかし、あえて書きますがその補償を巡る金銭的などろどろした部分などなど……。
 
明日はまた上京して、原宿アコスタディオさんでのモモさんのコンサートです。なにやら当方にも出番が作ってあるとか。まぁ、光太郎智恵子の世界をひろめるためには労はいといません。
 
このブログをお読みの方で、「こういうことをやりたいのでてつだってほしい」という方、お声がけ下さい。

イメージ 1  イメージ 2

今日も携帯からの投稿です。

現在地は福島県川内村。高村光太郎と親交のあつかった詩人、草野心平ゆかりの地です。こちらの旅館、小松屋さんを会場に、第2回天山心平の会「かえる忌」が行われました。

草野さんの命日は12日ですが土曜日にあわせての開催のようです。天山心平の会代表で小松屋さんのご主人、井出氏、かわうち草野心平記念館長・晒名氏、川内村長の遠藤氏他のお話、福島県議団と一緒にチェルノブイリ視察に行かれた地方紙河北新報記者の中島氏のレポート、そしてモンデンモモさんのミニコンサートなどがありました。

ところでなぜ「かえる忌」なのかといいますと、いくつか理由があります。草野心平が蛙をモチーフにした詩をたくさん書いたこと。川内村は、モリアオガエルの生息地であること。ここまでは事前にわかっていましたが、他にもありました。

原発事故で全村避難を余儀なくされ、しかし今年に入ってそれも解除、みんなで村に「帰る」という意味。

さらに川内村より原発に近く、帰るに帰れない区域の人々を受け入れ、村を「変える」というメッセージも込められているそうです。
「蛙」「帰る」「変える」。深いですね。

明日は移動日で東京に帰り、明後日は原宿アコスタディオさんでモンデンモモさんの「モモの智恵子抄2012」です。

イメージ 1 イメージ 2

福島は二本松に来ています。

高村光太郎の詩に曲をつけて歌われているシャンソン歌手、モンデンモモさんのコンサートツアーに帯同、今、演奏中です。

今日は二本松信用金庫さんの主催で、パーティー/イベントホール二本松御苑さんでの開催です。「レディースコンサート」と銘打ち、定番のシャンソンやポピュラー系がメインです。光太郎詩の曲も「樹下の二人」「あどけない話」などもプログラムに入っています。

百人ちょっとの集客を見込んでいたそうですが、フタを開けてみれば二百近いお客様。被災地福島でも、平日の夜に音楽を味わえる余裕ができてきたということでしょうか。

明日は同じく福島の川内村に回ります。

野田首相が衆議院の解散を表明しました。ここはそういうサイトではないので、詳しい論評は避けますが、「何だかなぁ……」という感はぬぐえません。


000
 
明日からまた東日本大震災被災地の福島に出かけます。復興の進捗状況はどうなのか、この眼で見てきます。むろん、地元の皆さんは頑張っているのでしょうが、おおもとの国が政治空白では、せっかくの地元の努力の足を引っ張ることになるのではないかと思います。
 
たとえば自治体職員。友人の地方公務員から聞いたのですが、ひとたび選挙になると全然関係ない部署の職員までかり出されるとのこと。その間、本来の業務はどうしても遅滞するそうで、はっきり言って、被災地ではそれどころではないはず。もちろん、政府、日本という国としても同じ事ではないのでしょうか。
 
だからと言って、現状の永田町のままではどうにもなりません。また、政府と政治家の無能が暗殺とクーデター計画を連発させた戦前の日本のようになっても困ります。どこが政権をにぎるにしても、新体制が発足したら与野党一丸となって被災地の復興を最優先に進めてほしいものです。
 
そこで思い出したのが、大正13年(1924)5月に雑誌『女性』に載った智恵子の文章。「総選挙に誰れを選ぶか?」の問いに対するアンケートの回答です。『高村光太郎全集』別巻に収録されています。
 
  棄権 -総選挙に誰れを選ぶか?-
 
もしあったら……リンカーンのやうな政治家を選びませう。日本にだつて一人ぐらゐ、正しい事のために利害なんかを度外に置いて、大地にしつかりと誠実な根を持ち、まつすぐに光りに向つて、その力いつぱいの生活をする喬木のやうな政治家があつてもいゝだらうとおもひます。さういふ政治家なら有頂天になつて投票することでせうとおもひます。しかしうまくその時までに、私達がほんとに尊敬し信ずることの出来る政治家が出てくれなければ、棄権するよりほかないかとおもはれます。情実や術数の巣のやうな政党なんかてんでだめですね。
 
90年前の文章とは思えませんね。現在、街頭インタビューをしても同じような回答があるのではないかと思います。
 
今年は東日本大震災の翌年ですが、大正13年(1924)は奇しくも関東大震災の翌年です。ちなみにまだ普通選挙法も制定されていませんし、ましてや女性の選挙権は戦後にならないと与えられません。そうした時代に既にこういう事を言っていた智恵子の先進性をほめるべきなのか、90年前と変わらない日本の後進性を憂うべきなのか……。

さて、明日からモンデンモモさんのコンサートツアーにサポートスタッフとして帯同、被災地福島を回ってきます。

閲覧数が6,000件を突破しました。ありがとうございます。
 
紹介しようと思っていて忘れていた件がありました。現在、上野の国立西洋美術館で開催中の「手の痕跡」展です。
 
高村光太郎に多大な影響を与えたロダン001、そしてロダンの系譜を最も色濃く受け継いだ一人、ブールデル。国立西洋美術館ではロダン作品58点、ブールデル作品11点を所蔵しているそうですが、今までそれらをまとめて展示する企画展がなかったそうです。そこで今回の企画展が持たれることになりました。
 
会期は来年1月23日まで。
 
それにしても同館にロダン作品が58点もあったとは知りませんでした(無料で見られる前庭には「考える人」や「地獄の門」「カレーの市民」が据えられています)。大半は「松方コレクション」だと思われます。これは川崎造船所(現・川崎重工業)社長を務めた松方幸次郎が、明治末から大正初めにに商用でヨーロッパを訪れた際、イギリスやフランスで収集した多くの美術品です。 もともと国立西洋美術館自体が「松方コレクション」を中心に作られたという経緯があります。
 
このあたりがブロンズ彫刻の強みですね。同一の型から同じ物が作れるので、「考える人」は世界中に約20点、日本にも数点あるそうです。同館に58点あるからといって、ロダンの母国・フランスにそれが無い、というわけではないのです。
 
光太郎のブロンズ彫刻、有名な「手」なども日本中に散らばっています。このあたり、あまり突っ込むと微妙な問題になってくるので、今日はこれ以上書きませんが、いずれ書きます。
 
さて、「手の痕跡」展。当方も暇を見て行ってこようと思っています。会期が結構長いので、都合がつけやすいと思います。皆様も足をお運び下さい。

昨日のブログで、「古い物を000残す」ということについて書きながら、先月、歯医者の待合室で読んだ『週刊ポスト』の記事を思い出しました。イラストレーター・みうらじゅん氏のコラムです。
 
狙われる骨董コレクターの死 甲冑などには中東マネーも流入
 
老舗の古美術店主曰く。

「骨董病という言葉がありまして、一度はまってしまった人は、買い続けていかないと落ち着かない“中毒状態”に陥ってしまう人が多いのです」

 そのため、骨董集めをする人の中には家族に犠牲を強いてしまうこともあるらしい。「故人が収集したコレクションを見るのもイヤ! という遺族は珍しくありません。膨大なコレクションがあっても子供たちが興味を持つことは稀で、たいがいは処分されます」

 この連載の担当者Xが昭和50年代に発行された有名な神社の社史の中で、戦国武将ゆかりの赤備えを揃えた博物館があることを知ったそうだ。関心を覚えたXは、実物を見たいと、その博物館を検索してみた。ところが、全くヒットしない。あれ? と思って、所在地の役場に聞いたそうだ。

 すると、「昔は確かにありましたが、個人で収集したものを展示していたところで、その方が亡くなってから閉鎖されて、鎧もどこにいったのかわかりません」といわれた。せっかく一箇所に集められた「赤備え」は、離れ離れになってしまったのだ。

 同様の話は西日本の方でもあるらしい。これまた珍しい鎧のコレクターがいて、その人が亡くなった後、売りに出されてしまったそうだ。なんでもドバイの大富豪から引き合いがあったというのだ。

 そう。良質のコレクションは、虎視眈々と狙われている。

「親戚の中には、“これ、形見としてもらっていくね”なんて高価なものを狙う人もいるのです。価値のわからない遺族は狙われやすいですね」

 前出のように、甲冑などのジャンルは今や中東マネーも流入するほど活気づいている。だが、「骨董」というくらいだから「新製品」が売りに出されるわけではない。数少ない供給源である「コレクターの死」は狙われるってわけだ。

※週刊ポスト2012年10月12日号
 
いろいろ難しい問題をはらんでいますね。
 
個人の収集家が、家族を犠牲にして収集に明け暮れているようではやはりよくありません。まして個人が自分の収集欲を充たすためだけに収集し、公開も何もせず死蔵してしまったらそれは犯罪にも等しい行為です。

しかし、たとえ死蔵でも、きちんと物が残り、将来的にも保存されるということであればそれはそれで意義はあるでしょう。逆に「断捨離」ブームだからといって、何でもかんでも捨てられてしまっては困ります。
 
当方の自宅兼事務所にも数千点(と思われる……もはや数えられません)の光太郎関連資料が集まっています。幸い、甲冑とか焼き物とかと違い、単価が安いので家族に犠牲を強いるという状態にはなっていません。肉筆物などで単価の高い物も世の中には出回っていますし、まして彫刻作品となるととんでもない値になりますが、そういうものは収集の対象にしていません。そのため家族もある程度理解を示してくれているので助かっています。
 
そして「死蔵」にならないように、こういう物がありますよ、という情報の発信を出来るだけしていこうと考えています。そのためにもこのブログを活用していこうと思っていますので、宜しくお願いします。

一昨日、昨日と、二代目コロムビア・ローズさんについて御紹介しましたが、今日まで同じネタで行かせていただきます。
 
下の画像は昭和39年(=1964)8月、日本コロムビア発行の冊子「智恵子のふるさとを訪ねて」です。全26頁で、ソノシートが4枚付いています。おそらく「智恵子抄」のヒットを受けて発行されたものだと思います。
 
イメージ 1
 
26頁にわたってローズさんの写真がたくさん載っていますが、興味深いのは二本松周辺で撮影された写真が多いこと。観光客誘致に貢献したということで、作詞の丘灯至夫さん、作曲の戸塚三博さんともども、当時の二本松市長から感謝状が出され、その贈呈式のため二本松を訪れた際のものです。
 
イメージ 2
 
智恵子の生家や安達太良山、阿武隈川河畔、二本松霞が城など、智恵子のゆかりの地でのショットも多く、特に生家では昭和30年代に撮影された写真は他でほとんど見たことがなく、貴重なものだと思います。
 
イメージ 3


イメージ 4
 
この当時、というか、とっくの昔に長沼家は人手に渡っており、建物も結構荒れていたようです。それが80年代終わりの頃の竹下内閣のときのふるさと創成事業で全国のすべての自治体に1億円が給付され、それを使って現在の形に整備されました。それがなかったらもはや朽ち果ててしまっているのではないかと思います。そう考えると、当時の安達町の英断には感心します。
 
花巻では昭和20年から光太郎が7年間暮らした山小屋が「高村山荘」として保存されています。ところが千葉の九十九里にかつてあった、智恵子が昭和9年に療養していた家(田村別荘)は、しばらくは移築されて保存されていたのに、地元の無理解と感情的な行き違いから解体されてしまいました。残念なことです。何でもかんでも古いものを保存すべきとも思いませんが、だからといって、これもどうかと思います。高村山荘やら智恵子の生家やらが残ることによって、光太郎智恵子の記憶が残り続ける契機になるわけですから。
 
「断捨離」などという言葉が流行りですが、同じことは古い書籍やレコードなどにもいえると思います。今回紹介した「智恵子のふるさとを訪ねて」なども、よくぞ残っていた、という感じです。明日はその辺を。

昨日のブログで歌手の二代目コロムビア・ローズさんにふれました。今日も追加で。
 
ローズさん、「智恵子抄」のヒットで、その後、「文芸歌謡」路線で行ったようです。「たけくらべの歌」(昭和39年=1964)、「二十四の瞳」(同40年=1965)などの歌をリリースしています。「二十四の瞳」のB面は「智恵子のふるさと」という歌です。これらはみな作詞・丘灯至夫、作曲・戸塚三博とのトリオで制作されました。
 
イメージ 1
 
智恵子のお膝元、二本松では「智恵子抄」と「智恵子のふるさと」を一本に収録したカセットテープが、平成11年に販売されました。
 
イメージ 2
 
「智恵子抄」、いろいろな方がカバーしています。
 
昭和45年(1970)には西尾和子さんの歌でリリース。これはTBS系で放映されたドラマ「智恵子抄」(木村功・佐藤オリエ主演)の主題歌として新たに録音されたものです。
 
イメージ 3
 
また、平成17年には三代目コロムビア・ローズさんの歌で、シングル「異国の華~お春物語~」のカップリングになっています。
 
イメージ 4
 
その他にも歌として、あるいはインストゥルメンタル(歌なし)で、いろいろな方がカバーしています。そのあたりはいずれ当方発行の冊子『光太郎資料』にて詳述したいと思っています。

昨日に引き続き、テレビ放映の情報です

木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~

地上波テレビ東京  2012年11月15日(木) 19時58分~20時54分

番組概要
演歌・歌謡曲を中心に、1時間たっぷりとお送りします。 歌は時代を映す鏡……。歌を聴くと、自分の青春時代や、懐かしい結婚当初の頃、子どもとの思い出など、その時その時を思い出させてくれます。 視聴者の方が、懸命に生きてきた時代を思い出しながらじっくり聴けるよう、トークは控えめに、名曲の数々をお届けします。

出演者
ゲスト 大月みやこ、小柳ルミ子、三船和子、大川栄策、三笠優子、二代目コロムビア・ローズ、笹みどり、木村友衛、石川ひとみ、麻倉未稀、伊藤敏博、大泉逸郎
司会 宮本隆治、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)

曲目(1)
『お久しぶりね』小柳ルミ子 『孫』大泉逸郎 『女の駅』大月みやこ 『さざんかの宿』大川栄策
『夫婦舟』三笠優子 『浪花節だよ人生は』木村友衛
『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』麻倉未稀 『下町育ち』笹みどり

曲目(2)
『サヨナラ模様』伊藤敏博 『だんな様』三船和子 『まちぶせ』石川ひとみ
『智恵子抄』二代目コロムビア・ローズ 『わたしの城下町』小柳ルミ子 『白い海峡』大月みやこ

というわけで、二代目コロムビア・ローズさんがご出演。昭和39年(1964)のヒット曲、「智恵子抄」を歌います。
 
二代目コロムビア・ローズさん。昭和37年に「白ばら紅ばら」でデビュー、「智恵子抄」でブレイクし、紅白歌合戦出場を果たしました。当時は紅白に出る、というのは大変なことでした。現在は米国・ロサンゼルスにお住まいで、時折日本に帰ってきてテレビ出演等をされています。
 
「智恵子抄」。作詞は故・丘灯至夫氏(大正6年=1917~平成21年=2009)。舟木一夫さんの「高校三年生」やアニメ「ハクション大魔王」主題歌なども手がけています。智恵子の郷里、二本松に近い福島県・小野町の生まれです。郡山商工学校卒業後、戦前には二本松電気株式会社や毎日新聞福島支局に勤務していた経験もあるそうです。そうした縁もあるのでしょうか? 二本松・旧安達町地区ではこの歌が防災無線の時報チャイムに使われたり、小学生でも歌えたりします。
 
下の画像は昭和39年発売のオリジナル版EPレコードのジャケットです。 
 
018
 
当方、ローズさんに関しては過去の映像として見たことはありますが、リアルタイムでは存じません。興味があるので「木曜8時のコンサート」、見てみようと思っています。皆様もぜひどうぞ。

近々オンエアされるテレビ放送を紹介します。それぞれ光太郎ゆかりの地の紹介やレポートですね。 

【旅チャンネル】CS362 2012年11月11日(日) 7時00分~7時30分 
 
「根津・谷中」紀行 伝統 素敵な和の街 小都 谷根千 東京下町 根津神社 寺町 下町散策
旅人:西田早希

番組内容
伝統と今様が織り成す素敵な和の街へ、心のままに、ちょっと「小都たび」 第3話「根津・谷中」 東京上野のすぐ北に位置する谷中、根津、千駄木は、谷根千(やねせん)と呼ばれて人気の東京下町エリア。朱塗りの鳥居がたつ荘厳な根津神社から谷中方面へ。谷中は江戸時代に幕府によって約70もの寺が集められた寺町。古くから続くお店や寺町情緒に惹かれた若い感性が開いた新しいショップなどを巡りながら、下町散策を楽しみます。

003

 

あさイチ

【NHK総合】 2012年11月14日(水) 8時15分~9時55分 
 
“スピリチュアル・トラブル”にご用心▽ピカピカ☆日本「青森県十和田市」▽体ぽかぽか 鶏飯【ゲスト】山口もえ,玉ちゃん ほか(内容は変更になる場合があります)

番組内容
“スピリチュアル・トラブル”にご用心▽ピカピカ☆日本「青森県十和田市」(古原靖久)▽解決!ゴハン「体ぽかぽか 鶏飯」<中断>9:00−9:05 [字]ニュース・気象情報

出演者
 ゲスト 山口もえ 玉ちゃん 弁護士…山口貴士
 講師  料理研究家…尾身奈美枝
 キャスター 井ノ原快彦,有働由美子,駒村多恵
 

【BSフジ】 2012年11月15日(木)22時00分~22時55分100 
 
日本全国の旅情あふれる鉄道路線を美しいハイビジョン映像でお届け!今回は、「みちのくの大自然を行く 釜石線・山田線・岩泉線」の旅。

番組内容
宮沢賢治の故郷・岩手県花巻と三陸海岸の港町・釜石市を結ぶ釜石線。賢治が「銀河鉄道の夜」のモチーフにしたといわれる宮守川橋梁は観光シーズンにはライトアップされ、その上を走る列車は幻想的で、まさに“銀河鉄道"。そして沿線には、民話に彩られた里・遠野があり、多くの観光客が訪れている。 急峻な山を越えるため、ヘアピンカーブがあり、車窓からこれから行く線路と駅が見下ろせるという珍しい経験もできる。釜石からは山田線に乗り込み、三陸海岸と北上山地の大自然の絶景を堪能しながら盛岡に向かう。山田線の茂市駅から出ている盲腸線の岩泉線は、終点の岩泉まで走る列車が1日わずか3往復しかないまさにローカル線だが、山あいの美しい自然の中、趣のある集落をたどる列車の旅は他では味わえない贅沢さに満ちている。


 それぞれ、ぜひご覧下さい。

昨日は朗読のCDを御紹介しましたが、今日はやはり最近入手した合唱のCDを御紹介します。

最近人気の作曲家、鈴木輝昭氏の合唱曲集です。4つの組曲(計16曲)が収録されています。そのうちの一つが「組曲 智恵子抄 ~女声合唱とピアノのための~」。「Ⅰ.レモン哀歌」「Ⅱ.亡き人に」「Ⅲ.裸形」の3曲から成っています。
 
元々、福島県立橘高校合唱団の委嘱作品で、同校は昨年までの3年間、この3曲を1曲ずつ自由曲として全日本合唱コンクール全国大会に出場、金賞1回と銀賞2回に輝いています。橘高校は智恵子の母校・福島高等女学校の後身です。
 
そういうわけで、演奏は橘高校合唱団。コンクールのライヴ録音ではなく、作曲者自ら立ち会ってのテイクです。
 
価格は税込み3,000円。他に宮澤賢治の詩に曲をつけた「組曲 春と修羅~無伴奏混声合唱のための~」「ネネムの歌《イーハトーヴ組曲第2集》」などが収められています。

イメージ 1
 
 

「ハーモニーの祭典 高等学校部門 VOL.3 Bグループ 第64回全日本合唱コンクール全国大会」 ブレーン株式会社

その橘高校合唱団が昨年、全日本合唱コンクール全国大会で銀賞を獲得した際のライブ録音が含まれています。曲目は「組曲 智恵子抄」中の「Ⅱ.亡き人に」。
 
価格は同じく税込み3,000円です。
 
イメージ 2
 
 
橘高校合唱団、先日行われた今年の全日本合唱コンクール全国大会でも銀賞を獲得しています。今年はどんな曲をやるのだろうと思っていましたが、やはり鈴木輝昭氏の作曲で、新川和江作詞の曲でした。
 
智恵子の後輩達、頑張っています。

最近、光太郎がらみのCDを何枚かまとめて購入しましたので紹介します。

劇団・演劇倶楽部『座』主宰の壤晴彦氏による朗読CDです。今年発売されました。

イメージ 1
イメージ 2
 
 
朗読を味わうためのものではなく、自分で朗読に取り組もうという人の教材用、といったコンセプトです。2枚組になっており、1枚目は壤氏の朗読がノンストップで入っています。詩が16篇、短歌が6首の結構長いものです。2枚目は壤氏の朗読がワンフレーズごとに間が空き、聞いている人が附録のテキストを見てリピートするという形になっています。こういうものもあるんだな、と思いました。
 
壤氏、バリトンのとてもよい声です。また、教材用ということで、きちんとした朗読です。別に揚げ足を取ってやろうと思いながら聞いたわけではないのですが、おかしな読み方になっているところは一箇所もなく、感心しました。
 
世の中には粗製濫造のそしりをまぬがれないような朗読CDもあり、腹が立ちます。ある会社が数年前に出した朗読CDでは、上高地の徳本峠(とくごうとうげ)を平気で「とくもととうげ」と読んでいます。きちんとした人が監修していればこんなミスは防げるはずなのですが、手間や経費を惜しんでいるのでしょうか。この辺は少し前のブログに書いた書籍の誤植の件でも同じことが言えます。ドラマ仕立ての内容の、クライマックスのシーンで「高太郎!」……ぶちこわしですね。
 
そういう監修の仕事を回せ、と言いたいわけではありませんが、ミスのチェック程度でしたらノーギャラで引き受けます。お声がけ下さい。
 
さて、「反復朗読CD 高村光太郎 智恵子抄」、演劇倶楽部『座』様のサイトから購入可能です。価格は4,800円。CDではなく音声データのダウンロード、テキストもPDFファイルでのダウンロードが可能ということです。もちろん有料ですが。

ラジオ局・文化放送JOQRの過去の放送をCD化したものです。3枚組で、1,2枚目は昭和39年から平成14年までの故・森繁久彌氏の出演した放送、3枚目が昭和50年に放送された「青春劇場 日本抒情名詩集」。この3枚目に奈良岡朋子さんの朗読で光太郎の詩「樹下の二人」「あどけない話」「同棲同類」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」「荒涼たる帰宅」が収められています。こちらもいい感じの朗読です。
イメージ 3

イメージ 4
 
一昨年の発売で、価格は5,000円です。

それぞれ、ぜひお買い求め下さい。

昨日、これを書くつもりでしたが、女川からの記事が朝日新聞に載ったので、そちらを優先しました。
 
さて、11/2、3、4の金土日、埼玉県東松山市をメイン会場にして、「第35回日本スリーデーマーチ」が開催されました。
 
毎年11月、比企丘陵を舞台に繰り広げられるウォーキングの祭典ということで、国内のみならず、海外からの参加者も多く、今年は12万人もの参加者だったそうです。
 
さて、これが光太郎とどう関わるのかというと、大会初期の頃に礎を築いた元実行委員長、田口弘氏(元東松山市教育長、連翹忌にもご参加いただいています)が、生前の光太郎と関わっていたのです。
 
5年前の朝日新聞で、日本スリーデーマーチが30回の節目ということで、大きく特集を組みました。その時の記事から。
 
 彫刻家で詩人だった高村光太郎が、昭和15年につくった「歩く うた」という詩がある。
  歩け歩け 歩け歩け
  南へ北へ 歩け歩け
  東へ西へ 歩け歩け
  路ある道も 歩け歩け
  路なき道も 歩け歩け
    詩人で東松山市の教育長を76年から16年半務めた田口弘さん(85)=写真=は、「日本歩け歩け協会(日本ウオーキング協会の旧名)の『歩け』は、この詩が原点になっていると思うんです」と語る。「後に曲がついてレコード化されたが、4番まである詞には、軍隊的な言葉が一つも出てこない」
田口さんは中学の恩師が光太郎と交遊があった縁で、光太郎に傾倒。戦前の高村宅を訪れ、自分で書いた詩を見てもらったこともある。「先生は歩くのが好きで書斎にこもらずに、こまめに歩き回っていました。素朴な原始的な力強さを感じる、歩けでも師です」

田口さんは、日本スリーデーマーチが東松山市に会場が変わった第3回大会から第15回までの実行委員長。子どもたちの参加を働きかけ、第6回からは市内の全小中学生が3日間、日本全国や海外からのウオーカーと 歩くことを実現させた。
  (以下略)
 
イメージ 1
 
というわけなのです。
 
「歩くうた」は昭和15年に飯田信夫の作曲で「国民歌謡」として発表されました。ラジオでくり返し流れたり、徳山璉(たまき)の歌唱のレコードがヒットしたりで、当時の子供達はみんなでこれを歌いながら行進していたそうです。
 
「歩くうた」が発表されてから七十余年。戦闘機も爆撃機も飛んでいない空の下、歩くことを愛した光太郎の精神は今も息づいているのですね。
 
ちなみに当方、毎日がっつり歩いています。お供は愛犬・文吉(ぶんきち)。
 
イメージ 2    イメージ 3

 イメージ 4
 
柴犬系雑種です。こいつと一緒に、朝と夕方、多い日で計10㎞以上歩く日もあります。おかげで自分も犬も、すこぶる健康です。
 
皆さんも、ぜひ、歩きましょう! 

今朝の朝日新聞で、女川・光太郎の会に関する記事が大きく載りました。
 
同紙では毎週月曜日に「防災・復興」というコーナーが連載されていますが、その中で今日は「光太郎の詩は女川の宝」という見出しで、女川・光太郎の会会長、須田勘太郎さんが紹介されています。
 
震災で大きな被害を受けた光太郎詩碑建立の経緯や、建立に貢献した故・貝(佐々木)廣さん、そして女川の現状、今年の女川光太郎祭に関しても触れられています。須田さんの写真には、背景に貝さんの遺影も。
 
こうした地方の地道な活動にスポットを当てていただけるのは嬉しい限りです。
 
イメージ 1
 

シャンソン歌手・モンデンモモさんのコンサートツアー、最終日は東京原宿です。

モモの智恵子抄2012

期 日 : 2012年11月19日(月)
会 場 : 原宿アコスタディオ 東京都渋谷区神宮前1丁目23-27
時 間 : 19:00~
料 金 : 前売り3,000円 当日3,500円
 
イメージ 1


イメージ 2
 
こちらは砂原嘉博さんのピアノにのせ、歌と朗読によるモノドラマ「智恵子抄」。
 
直接モモさんにお問い合わせ下さい。前売り3000円、当日3500円です。
tel080-6772-3746  fax 042-316-7223 mondenmomo@mac.com 

一昨日のブログで御紹介しました11/17(土)、福島川内村でのイベントです。
 
川内村では光太郎を敬愛してやまなかった詩人・草野心平を名誉村民に認定しています。心平についてはいずれまた詳しく書きたいと思っています。
 
心平は蛙をモチーフにした詩をたくさん残しました。その名もずばり「蛙」という題名の詩集まであります。下の画像は函で、文字は光太郎の筆跡です。

イメージ 1
 
川内村は原発事故で一躍有名になってしまった村ですが(先頃、天皇皇后両陛下が訪問されました)、もともとモリアオガエルの生息地ということで、「蛙の詩人」心平とゆかりができ、蔵書3000冊を村に寄贈、「天山文庫」として親しまれています。
 
さて、11/17(土)は、午後2:30から、村内の小松屋旅館さんで、心平を偲ぶ「かえる忌」が開かれます。心平の命日は11/12ですが、土曜日にあわせて行うようです。当方、初めての参加で、勝手がわかりませんが、おそらく紅葉も美しく色づいていることと思い、楽しみにしています。そのイベントの中で、モンデンモモさんのライブも入るとのこと。光太郎、心平、そして宮澤賢治の詩に曲をつけて歌います。会費2,500円だそうです。
 
こういうイベントへの参加も被災地復興のための一つの方策だと思います。お時間のある方、ぜひお越しを。

別件です。テレビ放送の情報を1件。

2012年11月7日(水) 20時00分~20時54分 テレビ東京系
 
野村真美と小林綾子が秋の青森を巡ります!紅葉の名所、奥入瀬渓流、十和田湖や今注目の「もみじ山」へ!さらに「酸ヶ湯温泉」ランプの宿「青荷温泉」など名湯も堪能!

番組内容

秋の青森の紅葉スポットめぐり!錦色に染まる奥入瀬渓流は「雲井の滝」など水の流れと紅葉の彩りが鮮やか。遊覧船で楽しむ「十和田湖」も見ごたえ十分。夜は川のせせらぎが心地よい温泉宿に宿泊。夕食は地元のリンゴをふんだんに生かしたリンゴ会席を堪能。2日目はオトクで新鮮な海鮮丼が人気の市場や千人風呂で有名な「酸ヶ湯温泉」、今注目の名所「中野もみじ山」、秘湯「青荷温泉」のランプの宿などを満喫。秋のオススメ旅!

出演者
 旅人 野村真美、小林綾子  ナレーション 大和田伸也

000

ぜひご覧下さい。

昨日のブログで速報したものについて、何回かに分けて詳報します。
 
まず、「宇宙人」シャンソン歌手、モンデンモモさんのコンサート。

期 日 : 2012年11月16日(金)
会 場 : 二本松御苑 福島県二本松市金色久保222-7
時 間 : 18:00~
料 金 : 500円(コーヒー&ケーキ付)

100



光太郎の「智恵子抄」の詩にご自分で作曲なさった曲をつけ、歌われているモモさん。本業はシャンソンです。

この「まつしんレディースクラブ特別企画 モンデンモモ ♪谷間に三つの鐘が鳴る♪」では、シャンソンやポピュラー系を中心に、「智恵子抄」の曲も織り交ぜて、というコンセプトだそうです。
 
「まつしん」は「二本松信用金庫」。上記のチラシでは「まつしん各営業店窓口にて入場整理券を購入してください」となっていますが、地元でない方など、直接モモさんにお問い合わせ下さい。コーヒー、ケーキ付きで500円だそうです。5,000円じゃありませんよ、500円、ワンコインです。
tel080-6772-3746  fax 042-316-7223   mondenmomo@mac.com
 
曲目は 百万本のバラ ラストダンスは私と 誰よりも君を愛す 愛の讃歌 聖母たちのララバイ 谷間に三つの鐘が鳴る ハナミズキ 夜明けの歌 カーネーション など。伴奏はピアニスト、砂原嘉博さんです。 
 
会場はパーティー/イベントホールの二本松御苑さん。
 
秋の夜、素敵な歌声とピアノの調べに身をゆだねてみませんか?

秋も深まってまいりました。早いもので、今日から11月ですね。
 
今月行われる、または開催中のイベント等の情報を手短に。

企画展「詩人たちの絵画」

和歌山県田辺市立美術館 11/4(日)まで
 
昨日9/27のブログをご参照下さい。

000 001

天山草野心平の会 かえる忌

福島川内村 小松屋旅館 11/17(土)14:30~
 

モモの智恵子抄2012

原宿アコスタディオ 11/19(月) 19:00~
 
「宇宙人」シャンソン歌手モンデンモモさんのライヴです。

智恵子講座’12 第6回 「山居追慕期を中心にして」 

二本松市民交流センター 11/18(日) 10:00~
 
講師 渡辺元蔵氏(二本松にて詩誌『現代詩研究』主宰) 連絡先 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷さん tel/fax0243(23)6743 参加費1,000円
 

第57回高村光太郎研究会

文京区アカデミー湯島 11/24(土) 14:00~
 
「光太郎と船、そして海 新発見随筆「海の思出」をめぐって」 当方の発表です。
「『智恵子抄』再読」  伝馬義澄氏 
 
研究会に入会なさらなくても参加可能です。

「東京芸大美術館所蔵 日本近代美術の名品展」 

島根県立石見美術館 11/26(月)まで
 
 
以前のブログで御紹介したものもあります。逆に今後また詳しく御紹介しようと思っているものもあります。とりあえず速報、ということで。

↑このページのトップヘ