昨日は市原湖畔美術館さんの「末盛千枝子と舟越家の人々 ―絵本が生まれるとき―」展に行っておりました。レポートいたします。

同じ千葉県内ということで、自宅兼事務所から自家用車で1時間ちょっと。美術館さんの近くまで行ったあたりで、小湊鐵道さんの「房総里山トロッコ」が走っていました。
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美術館さんはその名の通り、高滝湖というダム湖に面した高台に。
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まずは展示を拝見。
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絵本編集者にして生前の光太郎をご存じの末盛千枝子氏と、光太郎と親しく交わったお父さま・舟越保武をはじめとする芸術一家にまつわる展示です。
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末盛氏が関わられた絵本、その原画、弟君の舟越桂氏の作品など。
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夫君にしてNHKさんの伝説的番組「夢であいましょう」などを手がけられたディレクター末盛憲彦氏関連の展示もなされていました。

撮影不可でしたが、父君・舟越保武の彫刻も。代表作の一つにして高村光太郎賞受賞作「長崎26殉教者記念像」のうちの一体などが出ていました。
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直接、光太郎に関連する展示物はなかったようですが、説明パネルに等は随所に光太郎の名。
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舟越家クロニクル的な御家族の写真コーナーもありました。昭和37年(1962)の第6回連翹忌の集い兼第5回高村光太郎賞授賞式の写真がないかと探しましたが、残念ながらありませんでした。千枝子氏が連翹忌の集いにご参加下さった唯一の機会でしたが。左下の画像は、千枝子氏の御著書『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』から。右下は故・北川太一先生がまとめられたこの年の連翹忌の記録です。「舟越」が「船越」と誤植されていますが。
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錚々たる出席者ですね。しかし、当方が把握している限り、ご存命の方は千枝子氏とあとお二人だけです。ちなみに当方、まだ生まれていません(笑)。

展示を拝見し終わり、午後1時から、千枝子氏のご講演。

そちらの会場には、八幡平市ご在住の千枝子氏が関わられた「3.11 絵本プロジェクトいわて」関連の写真。東日本大震災で被災した子供たちに絵本を届けようというコンセプトでした。
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昭和6年(1931)、紀行文「三陸廻り」執筆のため、光太郎も訪れた釜石。
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そしてその後、全国から寄せられた絵本。
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うるっと来てしまいました。

そしてご講演。
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絵本関連のお話を中心に、上皇后美智子さまとのご交流のお話なども交え、約2時間弱。

終了後、サイン会。
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「10年近く前、花巻代官山でお世話になりました」とご挨拶して参りました。

同展、6月25日(日)までの会期です。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ヒユウザン会が明日から始まりますので今朝早く京橋のヨミウリ社へまゐりちよつと中途で帰宅しましたら花がどつさりとおてがみがはいつてゐました 折角わざわざおいでの処をほんとに残念に存じました


大正元年(1912)10月14日 長沼セキ宛書簡より 光太郎30歳

セキは智恵子の直ぐ下の妹。ヒユウザン会展開幕を祝って、光太郎アトリエ兼住居に花を届けに来たようですが、入れ違いになってしまったとのこと。

同展には智恵子の出品も予告されていましたが、どうしたわけかそれは実現しませんでした。
ヒユウザン会
予告広告では10月5日開幕となっていますが、実際には15日開幕でした。