『毎日新聞』さんで月イチの連載だった、詩人の和合亮一氏による「詩の橋を渡って」が、3月23日(木)掲載分で最終回となりました。

これまでも光太郎の名を何度も出して下さいましたが、最終回でも。

詩の橋を渡って 命の芯を豊かに深く

3月000
 水をもとめるものは
 また喉がかわくだろう
 でも きみが与える水は
 ぼくのなかで泉になって
 えんえんと湧きつづける。

 高村光太郎が「この世に詩人が居なければ詩は無い。詩人が居る以上、この世に詩でないものは有り得ない」と述べたが、今を生きる詩の書き手たちにはっきりと詩が守られていると、数多くの書物に触れていつも感じてきた。それとは何かを語る前に、さあ、これら詩人たちの姿と仕事を見よ……という心持ちで、紹介してきた。詩を読むことのかけがえのなさを、きちんと語りたい。しかしこれは、あらためて難しいことでもあると感じた。

 東日本大震災からの月日、その後も続いた各地での地震や豪雨災害、コロナ禍における暮らし、ロシアによるウクライナ侵攻など、めまぐるしい世界と社会の動きがあったことを心に刻みたい。その都度に迫ってくる鋭い言葉を求め続けてきた。三角みづ紀の新詩集『週末のアルペジオ』(春陽堂書店)を開きながら、あらためて思いをめぐらせてみる。「窓から/降ったり止んだりする/きょうの/はじまりが/しずかにおとずれた」
 こんなふうに一日も、言葉も突然にやって来るのだろう。「生きるための/朝食のスープ/すこし萎(しな)びた野菜/感情もなく/切りおとし/ひとは どうして/こんなにも残酷になれるのか。」。日常のなかに潜む詩の素材を調理しようとする詩人の筆づかいは、あたかも料理という日々の手仕事に似ているのかもしれない。それを深く見つめようとする視点は、息を凝らして何をそぎ落とそうかといつも探しつづけているのかもしれない。
 詩人の新川和江が私に語ってくれたことがある。「足元の水を掘りなさい」と。題材は遠くに見える何かなのではなく、実は本当に近くにあって気づかないものなのだ、と。詩は新緑の頃から始まり季節の移ろいを味わうようにして毎月書かれた作品を中心に編まれている。そこに詩人が撮影した写真が添えられているが、切り取られた視界と四季を追うフレーズそのものが、足の下にある命の芯のようなものを豊かに深く語ろうとしている。
 「水をもとめるものは/また喉がかわくだろう/でも きみが与える水は/ぼくのなかで泉になって/えんえんと湧きつづける。」。静かに、丹念に書き表された詩行に見えてくるものとは何か。書き手の独特の深い呼吸と思考のありかがある。湧き続ける言葉を心と暮らしを通して、詩人が足し引きなくこちらへとそのまるごとを届けようとする。今を生きるということの本当の精神の乾きと潤いとを私たちは知るのではないだろうか。
 先日に読売文学賞を受賞したばかりの藤井貞和『よく聞きなさい、すぐにここを出るのです。』(思潮社)を再読。読むほどに彼の文体からは解き放たれていく自由が私には感じられる。古今東西の文学と、詩人そして研究者、教育者として長年に向き合ってきて、言わば真の詩魂と詩作のしなやかさを得てきたのだろう。「懐風藻」の藤井流に書き直した一節を紹介し、長年の時評の任を終えたい。「天の紙に、風の筆で、雲間の鶴をえがくこと!」=今回で終わります

これまでの連載で、光太郎に触れられた回はこちら。

令和2年(2020)5月 令和2年(2020)7月 令和2年(2020)12月 令和4年(2022)10月

後とも氏のご健筆を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

福島の町に一泊。今夕青森に向ふ筈


明治44年(1911)5月7日 高村光雲宛書簡より 光太郎29歳

北の大地に酪農で生計を立てながら芸術を生み出すという生活を夢み、ついに東京を発ちました。