昨日は都内に出ておりました。

主たる目的は、銀座王子ホールさんでの「朝岡真木子歌曲コンサート第6回」拝聴でしたが、その前に竹橋の東京国立近代美術館さんで「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」を拝見。
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名品の数々がこれでもかこれでもかと並んでおり、予想通り、クラクラしました(笑)。

やはり当方にとって一番の目玉は、光太郎の父・光雲の「老猿」。トーハクさんその他で何度も見ている作品ですが、何度見ても見飽きることがありません。
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マルチアーティスト・井上涼さんが「黙すれど語る背中」と評されましたが、その通りですね。

トーハクさんでの展示より、間近で観ることができました。毛並みの一筋一筋、手に持った猛禽の羽根など、それを彫る光雲の息づかいも聞こえてきそうです。
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台座にあたる岩の部分は仏像彫刻の様式が色濃く残っており、やはり仏師なんだなぁと。

材はトチノキ。当初、光雲はもっと白いと思っていて、白猿を彫るつもりでいましたが、栃木鹿沼の山から入手したあとに意外と赤いことに気付き、年老いた猿に変更したとのこと。ちなみに当初は「老猿」ではなく、「猿」一文字でした。

光太郎の親友だった碌山荻原守衛の「北条虎吉像」。碌山美術館さん蔵の石膏原型です。ブロンズ彫刻の場合、文化財指定は鋳造されたものではなく、原型で指定されることがありますので。
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そのあたりで「大人の事情」があるのでしょう、同じ守衛の「女」は今回の展示には出ないそうです。

その他の作品、特に光太郎や光雲とつながりの深かった作家の作品、光太郎や光雲とのつながりなどについても紹介したいところですが、それを書き始めると10日ぐらいかかりそうなので、割愛します。

続いて常設的な「MOMATコレクション」を拝見。こちらには重要文化財指定はされていないものの、負けず劣らずの逸品がズラリ。

光太郎の「手」
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光太郎生前に鋳造された3点のうちの一つ。有島武郎旧蔵のもので、木彫の台座は光太郎の手になるもの。有島や、有島から受け継いだ秋田雨雀の名が記されています。仮に今後、「手」が文化財指定されるとしたら、これが指定されるような気がしています。「北条虎吉像」や「女」のように石膏原型が、ということになると、光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の弟子筋に当たり、光太郎作品の鋳造を多く手がけ、やはり人間国宝だった故・斎藤明氏旧蔵の石膏原型があるにはあるのですが、それがいつどのように取られた型なのかなど、当方、寡聞にして不分明です。
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さらに光太郎が敬愛してやまなかったロダンの「トルソ」、そして守衛の「女」(鋳造)。
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さらに守衛の「坑夫」。パリ留学中、光太郎がこれを見せられ、ぜひ石膏にとって日本に持ち帰るようにと進言した作品です。光太郎、グッジョブ(笑)。
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「重要文化財の秘密」の図録をゲット。この手の図録には珍しくハードカバーでした。それだけに3,300円とお高め(笑)。重量が1.3㎏を超えていました(笑)。昼食はコンビニのパンで済ませても、迷わずこれを買うのが当方です(笑)。
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展示入れ替えのため、昨日の時点では出ていなかった作品(黒田清輝「湖畔」など)、「大人の事情」で今回は展示されない作品(「女」の石膏原型や竹内栖鳳「斑猫」など)の図版もしっかり掲載されていますし、詳細な作品解説、論考も3本(大谷省吾氏「重要文化財の「指定」の「秘密」」、同じく「東京国立近代美術館における近代日本美術展をふりかえる」、花井久穂氏「「唯一」と「複数」――近代の美術/工芸)の重要文化財指定をめぐって」)。

ぜひ足をお運びいただき、図録もお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

浜町の下宿は馬鹿に気持が可い。大工の神さんの内職の様だ。生活に秩序がついた様な気がする。

明治43年(1910)12月(推定) 水野葉舟宛初刊より 光太郎28歳

この月から翌月にかけ、わずか2ヶ月足らずですが、日本橋浜町31番地の「松葉館」という下宿で独り暮らしをしました。