本日開幕、銀座の画廊での展示です。

高村光太郎と3人の彫刻家 佐藤忠良・舟越保武・柳原義達

期 日 : 2023年3月20日(月)~4月6日(木)
会 場 : ギャラリーせいほう 東京都中央区銀座8丁目10-7
時 間 : 11:00~18:30
休 館 : 日曜・祝日休廊  土曜不定休
料 金 : 無料

日本の近代彫刻の歴史はロダンの影響をうけた荻原守衛と高村光太郎からはじまる。高村光太郎訳「ロダンの言葉」(1916年)は当時の若い芸術家に多大な影響をあたえた。ロダンから出発し独自の造形を確立することになる3人の彫刻家を紹介します。

高村光太郎 1883 - 1956
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佐藤忠良 1912 – 2011

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舟越保武 1912 - 2002
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柳原義達 1910 - 2004
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光太郎のブロンズが数点。画像で見えるのは、「裸婦坐像」(大正6年=1917)、「野兎の首」(昭和20年代)、「十和田湖畔の裸婦群像のための中型習作」(昭和28年=1953)。他にも出ているかもしれません。

そして、光太郎のDNAを受け継ぐ、次世代の彫刻家である佐藤忠良舟越保武柳原義達の作品も。それぞれの個性、逆に4人に通底して流れる普遍的な「生命へのオード」的なものなどに注目して観ると面白いでしょう。

当方、明日、銀座王子ホールさんでの「朝岡真木子歌曲コンサート第6回」を拝聴に上がりますので、こちらも廻ろうかと思いましたが、残念ながら日曜・祝日休廊とのこと。

代わりに、というわけでもありませんが、竹橋の国立近代美術館さんでの「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」を拝見してこようと思っております。時間があれば常設の「MOMATコレクション」も。こちらでは光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)や、なぜか「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」に出ていない、荻原守衛の「女」(明治43年=1910)も展示されています。

【折々のことば・光太郎】

僕は何も為ないで暮してゐる。暮せないのに暮してゐる。どうにか暮さうと考へながら暮してゐる。


明治43年(1910)10月16日 津田青楓宛書簡より 光太郎28歳
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留学仲間だった画家で京都在住の津田青楓に宛てた、自画像入りの葉書。

昨日も書きましたが、前年に欧米留学から帰って、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界とは距離を置くことを決意しましたので、彫刻を作っても発表する機会は無し、自分で売りさばくことも無名の自分には不可能、という状況でした。