定期購読しております『花巻散歩マチココ』さんの34号が届きました。

表紙はマルカン大食堂さんの名物・10段ソフトクリーム。「実物大」だそうで(笑)。
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創刊より6年を経て、次号から版元が変わり、内容も刷新されるそうです。それに伴い、今号はこれまでのクロニクル的なページも多く割かれていました。
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そういえば、光太郎をかなり大きく取り上げて下さった号(第6号)もあったなぁ、という感じでした。

連載の「光太郎レシピ」。
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「ゼンマイの白和えと三色あられ」です。
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レシピ下部にはレシピ考案にあたられているやつかの森LLCさんのひと言。何だか最終回っぽい文言で、次号からのリニューアルでこの連載も無くなるのかな、と思ったのですが特に「最終回」という文言は見あたりません。確認してみます。

もう1件、同じくやつかの森LLCさんメニュー考案の「光太郎ランチ」。毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん内のミレットキッチンフラワーさんで販売されています。

今月分の画像を頂きました。多謝。
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メニュー的には「赤飯」、「そば粉焼パンスルメ入り」、「牛肉の味噌焼き」、「油揚げ焼き」、「大根と夏みかんのサラダ」、「金平ゴボウ」、「塩麹入り卵焼き」、「お新香」、「レモン紅茶寒とおさつ焼き」。個人的には「レモン紅茶寒」が非常に気になります(笑)。

先月はたまたま15日に現地におりましたので、2食分ゲットして千葉の自宅兼事務所に持ち帰り、妻と頂きました。また機会があればそうしようと思っております。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

よか楼が落成した。このごろに一緒にたべに行きませんか。僕はあそこを休憩のCozy Cornerにしたいと思つてる。

明治43年(1910)9月(推定) 水野葉舟宛書簡より 光太郎28歳

よか楼」は、浅草雷門前にあったカフェーです。現代のカフェとは異なり、酒を供し、美人の女給が居るというのが売りで、光太郎も中心メンバーだった芸術運動「パンの会」の会場にも使われました。
よか楼広告
吉原河内楼の娼妓・若太夫にふられた後、光太郎は「よか楼」の女給「お梅」に入れあげるようになり、一日に5回も足を運んだりもしたそうです。ほとんどストーカーですね(笑)。「お梅」が他の客のテーブルにかかりっきりになっていると、キレて暴れたりもしたとのこと。しょうもない奴でした(笑)。

「よか楼」は新聞に女給の写真入りの広告をたくさん出し、それが人気を呼んだそうです。すると、「お梅」の写真が載った広告も出たのかな、と思っており、調べてみようと思います。現在のところ、「お梅」と特定できる写真を確認できていませんので。光太郎がどんな顔立ちの女性に惚れたのか、興味があります。それを言えば、河内楼の若太夫も写真が確認できていませんが。

下記は新聞ではなく『東京大正博覧会』(大正3年=1914)のパンフレットに載った広告。もしかするとこれが「お梅」かもしれませんが、名前が出ていません。新聞に何度も出たという広告もこんな感じで名前は出さなかったのでしょうか。そうでないことを祈ります。
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それにしてもこの時代に「Cozy Corner」(憩いの空間、的な)という語をさらりと使うあたり、いかにも光太郎です。