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東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密

期 日 : 2023年3月17日(金)~5月14日(日)
会 場 : 東京国立近代美術館 千代田区北の丸公園3-1
時 間 : 9:30-17:00(金曜・土曜は9:30-20:00)
休 館 : 月曜日(ただし3月27日、5月1日、8日は開館)
料 金 : 一般 1,800円(1,600円) 大学生 1,200円(1,000円)
      高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金

東京国立近代美術館は1952年12月に開館し、2022年度は開館70周年にあたります。これを記念して、明治以降の絵画・彫刻・工芸のうち、重要文化財に指定された作品のみによる豪華な展覧会を開催します。とはいえ、ただの名品展ではありません。今でこそ「傑作」の呼び声高い作品も、発表された当初は、それまでにない新しい表現を打ち立てた「問題作」でもありました。そうした作品が、どのような評価の変遷を経て、重要文化財に指定されるに至ったのかという美術史の秘密にも迫ります。

重要文化財は保護の観点から貸出や公開が限られるため、本展はそれらをまとめて見ることのできる得がたい機会となります。これら第一級の作品を通して、日本の近代美術の魅力を再発見していただくことができるでしょう。

1.史上初、展示作品すべてが重要文化財
明治以降の絵画・彫刻・工芸の重要文化財のみで構成される展覧会は今回が初となります。明治以降の絵画・彫刻・工芸については、2022年11月現在で68件が重要文化財に指定されていますが、まだ国宝はありません。本展ではそのうち51点を展示します。

2.「問題作」が「傑作」になるまで 指定の歩みから浮かび上がる近代日本美術史
明治以降の作品が最初に重要文化財に指定されたのは1955年。以降、いつ、何が指定されたかをたどっていくと、評価のポイントが少しずつ変わってきているように見えます。それはすなわち、近代日本美術史の研究の深まりの反映でもあるでしょう。

3.東京国立近代美術館所蔵の重要文化財全17件を公開
10年前の開館60周年記念展「美術にぶるっ!」展では当館の所蔵品・寄託作品計13点の重要文化財をまとめて展示しましたが、今回はその後に指定された作品や国立工芸館の鈴木長吉《十二の鷹》、そして2022年11月に新たに指定された鏑木清方《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》三部作も加えた17件を、初めてまとめて公開します(会期中展示替えがあります。鏑木清方三部作の展示期間は3月17日~4月16日です)。作品保護のため、会期中一部展示替えがあります。
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関連イベント(講演会)

本展出品作品の所蔵館の方および日本近代の絵画・彫刻・工芸の専門家による講演会です。各美術館・博物館のコレクション形成史をメインに、本展の出品作品にも触れながらお話しいただきます。

3月25日(土)
 第一部 14:00-15:00(開場は13:40)
  登壇者:伊藤嘉章(愛知県陶磁美術館総長、町田市立博物館長)
 第二部 15:30-16:30(開場は15:10)
  登壇者:貝塚健(公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館 特命事項担当学芸員)
4月8日(土)
 14:00-15:00(開場は13:40)
  登壇者:大谷省吾(東京国立近代美術館副館長)
   UDトーク対応(字幕表示あり) 協力:国立アートリサーチセンター
4月15日(土)
 第一部 14:00-15:00(開場は13:40)
  登壇者:古田亮(東京藝術大学大学美術館教授)
 第二部 15:30-16:30(開場は15:10)
  登壇者:舟串彩(公益財団法人永青文庫学芸員)
■会場 東京国立近代美術館 地下1階講堂
■定員 各回140名(先着順)
■参加方法
各日12:00より、1階インフォメーションカウンターにて整理券を配布します。
3月25日、4月15日は一部のみ、二部のみの参加も可能です。一部と二部どちらも参加希望の方は、それぞれの参加券をお受け取りください。

というわけで、現在68件が重要文化財に指定されている明治以降の絵画・彫刻・工芸のうち、51点が展示される展覧会です。

そこで、光太郎の父・光雲作の「老猿」(東京国立博物館所蔵)も出ます。
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「老猿」を所蔵しているトーハクさんでは、昨年、「国宝 東京国立博物館のすべて」展が開催され、こちらでは膨大な所蔵品の中から国宝89件すべてが展示されました。同時開催の常設展示ではこの「老猿」も展示されており、SNS上では「国宝も素晴らしいが、常設の「老猿」も超インパクト」的なコメントが目立ちました。

他にも教科書や何かでお馴染みの作品がズラリ。出品目録はこちら

それぞれ、様々な機会に別個に見ることはあっても、まとめて見られる機会はめったにありませんね。当方、拝見に伺う予定ですが、おそらく頭がクラクラしそうです(笑)。
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ところで、素朴な疑問。上記画像にもある岸田劉生の「麗子微笑」など、一連の「麗子像」のタイトルを「智恵子抄」と勘違いしている人が実に多いのです。
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なぜなんでしょうね?

閑話休題、「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

Mr.Ogihara, a friend of mine, is dead suddenly. I am here by by his tomb. You cannot imagine how I am sad! April 26th


明治43年(1910)4月26日 バーナード・リーチ宛書簡より 光太郎28歳

昨日のこの項でも書きましたが、親友だった碌山荻原守衛が突然没したのが4月22日。旅行中の奈良でそれを知らせる電報を受け取った光太郎、信州穂高の守衛の墓に馳せ参じました。

それを知らせるバーナード・リーチ宛の葉書。普段、端正な文字を書く光太郎が、この時はまるで殴り書きのような筆跡。大文字と小文字が入り乱れ、むちゃくちゃです。それだけに激しい動揺が伝わってきます。文言的にも「君には僕がどれほど悲しんでいるか解るまい!」。まるで八つ当たりです。
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昨日も引用した、水野葉舟の「日記の中より(故荻原守衛氏に対する記憶)」から。

 その高村君が留守に寄られた時にこのやうな挿話があつた。これはほんの一つの挿話に過ぎぬが自分はそれを聞くと鋭く胸に映るものがあつた。
 その挿話といふのは斯うである。丁度二十二日の午前一時か二時の頃高村君が宿屋の室で寝て居た。すると誰かがそつと障子を開けて入つて来た。と思ふと床(とこ)の上から非常な力で圧されて苦しくつてたまらなかつた。と思ふと目が覚めた。深更であつたが両側の室にはまだ燈火がついて居た。
 丁度その時刻に荻原氏は死んだのであつた。後になつて考へると実に恐くつてたまらぬ、実に今度こそ非常な経験をしたものだと言つたさうだ。
 奈良から帰つた高村君は信州に行つた。その途から自分に当てられた端書及び帰つて来てからの端書にも、非常に興奮して居る様子であつた。自分は平常沈んだ心の静かなこの友人が、このやうに興奮したので自分にも重いものを負つて居るやうに心を動かされた。


奈良の宿屋でのエピソード、現在確認できている限り、光太郎自身は書き残していません。それを自ら公表するのも不謹慎だと思ったのでしょうか。

ところで、守衛の「北条虎吉像」も重要文化財指定を受けていますので、上記「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」に展示されます。