「智恵子抄」がらみの演奏会等情報を2件。

まずは都内から。

朝岡真木子歌曲コンサート第6回

期 日 : 2023年3月21日(火・祝)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 14:00開演
料 金 : 全席自由 4,500円

曲 目 
 「春を待つ歌」(新作初演) 詩:こわせ・たまみ 
 「わたしは魔女」( 〃 ) 詩:こわせ・たまみ
 「わたしが一番きれいだったとき」「吹抜保」 詩:茨木のり子
 「そのとき十八の春」「梅干し」 詩:岡崎カズヱ
 「きつねのよめいり」 詩:野上彰
 「春満開」 詩:柏木隆雄
 「海の宵待草」 詩:こわせ・たまみ
 「さくらと はなびら」 詩:まど・みちお
 組曲〈あなたへ〉より「あこがれ」「あなたへ」「夢とおく」 詩:星乃ミミナ
 組曲〈智惠子抄〉より「千鳥と遊ぶ智恵子」「値ひがたき智恵子」 詩:高村光太郎
 他

出 演
 木内弘子(ソプラノ) 黒川京子(ソプラノ) 品田昭子(ソプラノ)
 福成紀美子(ソプラノ) 前澤悦子(ソプラノ) 清水邦子(メゾ・ソプラノ)
 馬場眞二(バリトン) 朝岡真木子(作曲・ピアノ)

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作曲家・朝岡真木子氏の歌曲作品のコンサートです。

昨年9月、旧東京音楽学校奏楽堂さんにおいて行われた「清水邦子リサイタル 清水邦子が贈る朝岡真木子の世界」で演奏された「組曲 智惠子抄」から抜粋で「千鳥と遊ぶ智恵子」と「値ひがたき智恵子」が演奏されます。歌唱は同じく清水邦子氏、ピアノは朝岡氏ご本人です。

昨年11月には、今回と同じ王子ホールさんで「えつ子とまき子のコンサート 2022秋」が開催され、その際にはやはり清水氏が「組曲 智惠子抄」から抜粋の「あどけない話」と「レモン哀歌」を歌われました。

清水氏、すっかり「智恵子抄」の世界に嵌ってしまわれ、「組曲 智惠子抄」のみを収めたCDをリリースされます。ちなみに当方、ライナーノートを書かせていただきました。また改めてご紹介いたしますが、今回のコンサート会場で販売されるようです。また、日比谷松本楼さんで行う4月2日(日)の第67回連翹忌の集いにも朝岡氏、清水氏がご参加下さり、「組曲 智惠子抄」から抜粋で演奏をしていただきますし、会場内でCDの販売も行います。

もう1件。こちらはサブタイトルに光太郎詩「あどけない話」由来の「ほんとうの空」(本当は「ほんとの空」ですが……)の語を冠してくださっています。

第16回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会 - 感動の歌声 響け、ほんとうの空に -

期 日 : 2023年3月16日(木)~19日(日)
      3月16日(木)中学校部門 3月17日(金)高等学校部門
      3月18日(土)小学生・ジュニア部門、一般部門
      3月19日(日)各部門金賞受賞団体による本選、表彰式
会 場 : ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂) 福島県福島市入江町1-1
時 間 : 各日、開場9:30 開演10:00
料 金 : 各部門予選  前売り 1,500円 当日 2,000円 
      本選     前売り 2,500円 当日 3,000円
      4日間通し券 前売りのみ 8,000円

このコンテストは、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」に焦点をあて、全国からトップレベルの声楽アンサンブルグループが福島に集い、日本の合唱レベルの向上を図るとともに、音楽文化の振興発展に寄与し、歌うことの楽しさを全国に発信するコンテストです。
青く澄みわたる“ふくしまの空”に、皆さんの心のハーモニーを響かせてください。
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この大会、平成20年(2008)から行われているものですが、平成23年(2011)の第3回大会は東日本大震災のため中止。復活した翌年の第4回大会から、サブタイトルに復興の思いも込めてでしょう、「感動の歌声 響け、ほんとうの空に。」と冠して下さるようになりました。

その後、令和元年(2019)に第12回大会までは順調に開催。だんだん規模も大きくなり、海外からの参加やゲスト団体によるスペシャルコンサート、参加団体での交流会なども催されていました。ところが令和2年(2020)の第13回大会はコロナ禍のため中止、令和3年(2021)の第14回大会は無観客で規模を縮小して実施、昨年の第15回大会は、またもや直前に福島で起こった地震のため中止……。紆余曲折を経て今回に至ります。

コロナ禍からの復興という意味合いも含め、「感動の歌声 響け、ほんとうの空に。」を実現させてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

驚きて走せ帰りたり。今より信州に遺骨を訪ふつもり、そんな事でもせずては荻原君の死んだのが本当に思へず、奈良の感興もめちやめちやなり


明治43年(1910)4月25日 水野葉舟宛書簡より 光太郎28歳

光太郎の親友・碌山荻原守衛の死はこの年4月22日。光太郎はこの時、奈良に旅行中でした。もう一人の親友、水野葉舟も後から奈良で合流する予定でした。

その葉舟の回想「日記の中より(故荻原守衛氏に対する記憶)」から。

 明治四十三年四月二十三日。この日は自分たちにとつて、記憶すべき日となつた。荻原氏の逝かれたのは、後で聞いたのではたしか其の前日であつたと思ふが、自分が此の意外な報道を見たのは此日であつた。
 この朝、自分は平常のやうに目を覚した。この頃は自分の心の中(うち)に、奈良旅行の計画と、その為めに順序を立てゝある仕事とで、占領され尽して居た。
(略)
 この旅に一緒に行かうと約束をした高村光太郎君は、一週間も前に、既に東京を発つてしまつた。自分はたゞ自分の仕事の上で気が急けるばかりで、早くこの旅に出たいといふばかりで、その朝も眠りから覚めたのであつた。
 で、起きると枕元に置いてある新聞を取つて広げて見た。すると荻原守衛氏逝くと書いた標題が目に入(い)つた。
 自分はまだ寝起きの極めてぼんやりした心持に、尚ほ微かに茫然とした。実に思はざる事だ!……
 暫くその標題を見詰めて居たが「偽だ!」と言ふやうな心持が、反抗的に胸に起つた。急いで、ありたけの新聞を広げて見たが、どれにも、明かに氏の逝かれたと言ふ事が書かれてあつた。とも角この三四十時間前に、此一芸術家が此世から去たと言ふ事が事実であつたらしい。
 自分はすぐ床を出た。そして書斎に入つて来ると、前夜までに仕かけた仕事が、ちやんと机の上に置いてある、それを見ながら、その前に坐ると、たゞ寞然と考へた。「荻原氏が死んだ!」と、はてしもなく考へた。
 先づ、第一に胸に起つたのは、奈良に行つて居る高村君はこの報道を聞くとすぐ引き返して来るだらう。吾々の奈良行きもこれで駄目だ……と言ふ事だつた。この考へがすぐ胸に来た。続いて、心が次第に氏の死なれたと言ふ事に集つて来た。
 道を歩いて居る人が倒れた。今迄、自分の目の前に確実(たしか)な足どりで道を歩いて居た人が、ばたりと倒れた。それと同時に、その人の思想も、手も、口も力が落ちた。自分は今、此偶然で、且驚く可き事実を眼前に見て居る。心が漸く沈んで深い暗いものに対して居るやうに思はれて来た。


予期せぬ急逝の報に接した場合の混乱がよく表されていますね。自分の生活は昨日までとまったく同じ延長線上にあるのに、他人の身の上に理不尽とも思える死が突然襲ってくる、という……。

当方も、1月に突然母を亡くしまして、同じような感懐を持ちました。