年末年始の新聞から、光太郎智恵子の名が載った記事、3件ご紹介します。

まず青森県の地方紙『陸奥新報』さん。俳句を紹介するミニコラムで、12月25日(日)の掲載でした。

冬野ゆく歩幅を父の鼓動とし(泉 風信子)

「歩幅」は目標へ向う意志である。父への共鳴でもある。冬野という厳しい世界を生きていく男の宿命でもある。高村光太郎の詩のフレーズが思い浮かんでくる。
 句集『遠花火』より。

句の作者、故・泉風信子(いずみ・ふうしんし)氏は、元同社常務取締役。青森県現代俳句協会会長などを歴任されたそうです。少年時代にはかの寺山修二と親交が深かったとのこと。

言わずもがなですが、「高村光太郎の詩のフレーズ」は、詩「道程」の「ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ/常に父の気魄を僕に充たせよ」でしょう。

続いて『読売新聞』さん。12月28日(水)夕刊の一面コラム。

よみうり抄

高村光太郎の「花のひらくやうに」という詩にある。<ねむり足りて/めざめる人/その顔幸(さいはひ)にみち…>◆100年余り前に書かれた一節に現代人の理想が重なる。睡眠の質の向上をうたう乳酸菌飲料、スマホのアプリを使った睡眠改善プログラム…今年の話題に「睡眠市場」の活況があった◆高齢者の不眠を取り上げた数年前の記事で、専門家が語っていたのを思い出す。「治ることをあきらめることで、治ることもある」。現状を受け入れることで辛(つら)さから解放される不眠もある、と◆この1年の集大成として今がある。老化に孤独、意に沿わぬ待遇、子供の成績不振――仕事納めの職場を後にした道すがら、身辺の諸事に思いをめぐらせた方もあろう。こんなとき、先の言葉は役に立つ◆心の中の耳朶(じだ)に響く異論もある。努力と工夫で眠りが足りるに越したことはないではないか。万民が現状を受け入れるなら、政治家は要らなくなる。頷(うなず)きつつ思う。詮ないこだわりの「仕分け」を進め、新鮮な気分で年を越してみたい。
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引用されている「花のひらくやうに」は、大正6年(1917)元日発行の雑誌『感情』に掲載されたものです。

   花のひらくやうに

 花のひらくやうに
 おのづから、ほのぼのと
 ねむり足りて
 めざめる人
 その顔幸(さいはひ)にみち、勇にみち
 理性にかがやき
 まことに生きた光を放つ
 ああ痩せいがんだこの魂よ
 お前の第一の為事(しごと)は
 何を措いてもようく眠る事だ
 眠つて眠りぬく事だ
 自分を大切にせよ
 さあようく
 お眠り、お眠り

前半の睡眠の質云々はともかく、最後のあたり「万民が現状を受け入れるなら、政治家は要らなくなる。」が、この詩とどう結びつくのか、魯鈍な当方の頭脳ではさっぱり理解出来ません。

「万民よ、現状を受け入れて、政治家が不要な世の中にしようじゃないか」ということでしょうか? それとも、「万民よ、四の五の言わずに政治家の言うことに従いなさい」ということでしょうか。

最後に『毎日新聞』さん。1月4日(水)の掲載でした。

「東京には屋根がある」小池知事、太陽光推進呼びかけへ

000 小池百合子都知事は2022年12月28日、毎日新聞のインタビューに応じ、戸建て住宅への太陽光パネル設置について「機運の醸成に努めていく」と、他の道府県にも推進を呼びかけていく考えを示した。主な一問一答は以下の通り。
◇「見える化」で行動変える
 ――太陽光発電の推進は、他県にもノウハウを広げる考えはあるか。
◆10年くらい前に自宅に太陽光パネルを付けた。面白いのは、(電力消費の)「見える化」をすると生活が変わる。どの部屋の明かりを消すと、どのくらい(消費電力量が)下がるかと(考えるようになる)。大きく行動を変える。
 実は1970年代のオイルショックの頃、太陽光パネルは日本がリードして進めた技術だった。環境相の頃に補助金を予算要望したが、認めてもらえなかった。今振り返ると、気候変動についてはまさにあの時が分かれ目で、もっとやるべきだったと思う。
 なぜこの国が無理して南進して戦争に陥ったかというと、エネルギーがなかったからじゃないですか。それから状況は変わっていない。再生エネルギーは一つの選択肢。ましてや原発の問題がある中で。
 「智恵子抄」で「東京に空が無い」という言葉が有名だけれども、「東京には屋根があって、空いてるじゃないか」と強く言いたい。
 太陽光発電を付けることは防災の観点からも有効だ。近隣県との共同メッセージや、全国知事会での呼びかけなどで機運の醸成に努めていく。

◇気候変動、一気にギアを
 ――これまで知事として脱炭素化に取り組んできた。改めて、どういう東京にしたいか。
◆今、強めるところは何かというと、やはり気候変動とエネルギー不足。一気にギアを(上げて)ふかす。意志を持ってやらないといけない。その意志の源泉は何かというと、安心・安全で、世界から選ばれる街を作るということだ。
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このインタビューに対し、ツィッター上などでは、得意の論点ずらしやご飯論法を駆使し、ネトウヨが噛みついています。政府が「原発ありき」の原子力村の片棒を担いでいる現状ですから、ネットサポーターたるネトウヨにとって反原発、再生可能エネルギー推進派は国賊に同じ、という理屈ですね。

やはりツイッター上で、「本来、これは国がやるべき施策なのでは?」という至極まっとうな書き込みもありました。太陽光、こうした場合には無害で、しかも膨大なエネルギー量がほぼ無限に降り注いでいるのに、それを有効活用しない手は無いように思われますが、原子力村の村民たちには認めがたいのでしょう。

原子力に関しては、光太郎存命中の1950年代からすでに「平和利用」という「神話」が提唱され、太平洋戦争中に大本営発表にまんまと乗せられた光太郎、性懲りもなくまたうかうかとそれに乗ってしまいました。最晩年の詩「新しい天の火」、「生命の大河」(下記参照)などでそうした発言が見られます。そうした点は当方も絶対に許せません。

莫大な費用を費やしての、原子力船むつや高速増殖炉もんじゅの大失敗、東海原発での臨界事故、そしていまだ解決のめどすら立たない福島第一原発のメルトダウン、それを「アンダーコントロール」と言い放つ無節操……何度過ちを繰り返せば気が済むのでしょうか……。

【折々のことば・光太郎】

よみうりの人玄関まで、詩稿を渡す、


昭和30年(1955)12月20日の日記より 光太郎73歳

「詩稿」は、上にも書いた「生命の大河」。前日に書かれたもので、NHKさんの依頼による「お正月の不思議」とともに、光太郎最後の詩となりました。

  生命の大河

 生命の大河ながれてやまず、
 一切の矛盾と逆と無駄と悪とを容れて
 ごうごうと遠い時間の果つる処へいそぐ。006
 時間の果つるところ即ちねはん。
 ねはんは無窮の奥にあり、
 またここに在り、
 生命の大河この世に二なく美しく、
 一切の「物」ことごとく光る。

 人類の文化いまだ幼く
 源始の事態をいくらも出ない。
 人は人に勝とうとし、
 すぐれようとし、
 すぐれるために自己否定も辞せず、
 自己保存の本能のつつましさは
 この亡霊に魅入られてすさまじく
 億千万の知能とたたかい、
 原子にいどんで
 人類破滅の寸前にまで到清した。

 科学は後退をゆるさない。007
 科学は危険に突入する。
 科学は危険をのりこえる。
 放射能の故にうしろを向かない。
 放射能の克服と
 放射能の善用とに
 科学は万全をかける。
 原子力の解放は
 やがて人類の一切を変え
 想像しがたい生活図の世紀が来る。

 そういう世紀のさきぶれが
 この正月にちらりと見える。
 それを見ながらとそをのむのは
 落語のようにおもしろい。
 学問芸術倫理の如きは
 うづまく生命の大河に一度は没して
 そういう世紀の要素となるのが
 解脱ねはんの大本道だ。