2022年の最後の日となりました。

昨日まで、このブログサイトでは光太郎歿後年譜的に今年1年の主な出来事をご紹介して参りましたが、振り返ってみると、コロナ禍前の状況にかなり戻った感がしました。一昨年はとにかく自粛・自粛で各種イベントが軒並み休止、昨年もその余波がまだ続いていました。それが今年、特に秋以降はイベントの開催がまた以前のように為されるようになってきたように思われ、ありがたく存じました。ただ、関係者の方にコロナ感染が出て、中止となった公演等もあり、まだまだ予断を許さぬ状況ですね。

それから、コロナ感染症で、という方はいらっしゃらなかったように見受けられましたが、関係者の方々の訃報が相次ぎ、残念でした(例年のことではありますが……)。改めまして今年一年で亡くなった関係の皆様に、謹んで哀悼の意を表したいと存じます。

コロナ禍前の状況、といえば、皆様から頂いた郵便物に貼ってあった切手のJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)さんへの寄付。整理するボランティアさんの密を避けるということで2年ほど受付が休止されていたのが復活したので、約3年分をまとめてお送りしました。
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ご協力団体一覧」ということで、サイトに当会の名も載せて下さっています。

それからベルマークは「ベルマーク教育助成財団」さんに、さらに未使用の筆記用具やらノートやらがごっそりあって、これらは「NPO法人もったいないジャパン」さんに、それぞれ当会の名義で寄付させていただきました。

さて、別件で、明日放映されるテレビ番組の情報です。

暦に集う 「ダイヤモンド富士」

私たち日本人が暦の訪れを感じるのは、「自然」「生きもの」「人々」が見せてくれる、四季折々の表情です。「暦に集う」では日本各地の祭りや行事に集まる人々、四季の花々、季節の生き物たちなど、心温まる季節感を全国各地に追って、“味わいのある集い”を紹介します。

甲府盆地の南西に位置する山梨県・富士川町に、早朝多くの人が集っていました。実はここは「ダイヤモンド富士」の撮影スポット。富士山頂からのご来光を撮影するためです。朝7時20分、雲一つない空に「ダイヤモンド富士」が現れました。詩人の高村光太郎はこの地を訪れた際、「こんな立派な富士山は初めてだ」と感嘆したそうです。一年の始まりを「ダイヤモンド富士」で迎えて、今年も良い一年になることをお祈りしています。

【語り】三田寛子
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舞台は山梨県南巨摩郡富士川町上高下(かみたかおり)地区。昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため、光太郎がこの地を訪れました。それを記念して光太郎文学碑が昭和62年(1987)に建てられています。

その碑にほど近い場所が「ダイヤモンド富士」が見られるスポット。過去にやはり光太郎にからめ、『日本経済新聞』さんや、『毎日新聞』さん、漫画『ゆるキャン△』などで紹介して下さいました。

元日早々番組説明欄に光太郎の名が入った番組の放映があるとは、来年は良い年になりそうな予感が致します。

皆様もどうぞ良いお年を。

【折々のことば・光太郎】

夕方花巻の木彫家佐藤清三郎氏くる、観音山の観音のこと、監督といふ事断り、

昭和30年(1955)10月21日の日記より 光太郎73歳

清三郎」は「精三郎」の誤記です。佐藤は「瑞圭」と号した仏師で、光雲の孫弟子に当たります。花巻の出身で、昭和23年(1948)には光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れたこともありました。その山小屋にほど近い音羽山清水寺さんなどに作品が残っています。

「観音山」云々は詳細不明です。