智恵子がらみの最近の地方紙記事を2件。

まずは共同通信さんの配信記事で、全国の地方紙に掲載された記事です。

東京舞台さんぽ 「レモン哀歌」詩碑のある大井町

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883〜1956年)の「レモン哀歌」は、妻智恵子をしのんで編んだ詩集「智恵子抄」の中の1編。国語の教科書に取り上げられるなど、広く知られた近代詩の一つだ。東京都品川区のJR大井町駅近くにある詩碑を訪ねた。(共同通信=近藤誠)
 駅の東口から出て、北東にゆるゆると下るゼームス坂通りをしばらく進み、小道で左折すると、レモン哀歌の碑に出合う。晩年の智恵子はこの地にあったゼームス坂病院で療養生活を送り、38年に52歳で死去した。
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 「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた/かなしく白くあかるい死の床で」。智恵子の臨終を詠んだ詩が刻まれた碑は、推定される智恵子の背丈に合わせ、地元有志によって建てられた。手向けられたレモンが、晩秋の陽光を受けて輝いていた。
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 病院の名前にも関連するゼームス坂は、幕末に来日し、明治維新後はお雇い外国人として旧日本海軍の指導に尽力したという英国人J・M・ゼームスが暮らしたことから名付けられた。
 もとは浅間坂と呼ばれる急坂で地元の人々が大変苦労して歩いていたが、坂の途中に住んでいたゼームスが私財を投じて緩やかな坂に改修した。いつとなく、親しみと感謝を込めてゼームス坂と呼ばれるようになったという。現在ゼームス邸跡にはマンションが立っている。
 JR大井町駅の西側に店を構える「お江戸鎧せんべい岩本米菓」では、2019年からレモン哀歌にあやかったおかき「品川浪漫 レモン愛菓」を販売している。一口頬張ると香ばしい米のおいしさと、爽やかなレモンの風味が広がる。
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 【メモ】詩人の萩原朔太郎(1886〜1942年)は25年に群馬県から上京、大井町で生活を始めた。大井町緑地児童遊園には詩集「青猫」をモチーフとした「花子と太郎」像が設置されている。
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訪れたことのない方、ぜひ一度、足をお運びいただき、智恵子に思いを馳せていただきたいものです。

続いて智恵子の故郷・福島県の『福島民友』さんから。

ほんとの空...古里の情景たっぷり 来春開校・二本松実業高の校歌

 県教委が8日発表した二本松実業高(二本松市)の校歌には、豊かな歴史と文化があり、美しい自然を持つ二本松市の風景が表現されている。同校は県立高校改革の一環で二本松工と安達東が統合して来春開校する。
 校歌は、両校の伝統を受け継ぎながら、機械システム科や生活文化科など専門的な知識を学ぶ学校の生徒として、地域社会と共に未来へ向けて歩んでいく生徒を表現した。
 歌詞は校歌制作委員会が決定し、「安達太良山」「阿武隈川」「睡蓮(すいれん)」など、二本松市の景色をイメージさせる言葉が登場する。4番まであり、「現在(いま)を生きる これからの人」、「創ろう未来 つなごう心」など前向きな言葉を共通の歌詞に仕上げた。
003 作曲は、富岡小、富岡中の校歌の作詞作曲などを担当した福島市ゆかりの音楽家・大友良英氏が手がける。
 ◇二本松実高校歌◇
  1番
 空の青さに 陽(ひ)の光
 榎戸(えのきど)の丘 一瞬(とき)の風
 力漲(みなぎ)り 舞う砂けむり
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 遥(はる)かな夢を ほんとの空に

  2番
 白く聳(そび)える 故郷(ふるさと)の
 安達太良山の 季節(とき)の雲
 掌(てのひら)見つめ 歯を食いしばり
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 明日(あす)を探して ほんとの空に
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  3番
 瞳に映る 煌(きら)めきは
 阿武隈川の 悠久(とき)の色
 その身に宿る 手業の実り
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 希望を胸に ほんとの空に

  4番
 睡蓮(すいれん)の花 微笑(ほほえ)ほほえんで
 霞(かすみ)が池に 青春(とき)の影
 まっすぐな道 どこまでも往(ゆ)き
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 生きた証(あかし)を ほんとの空に

4番まである校歌歌詞、すべての結びに光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を配して下さいました。現在の二本松工業高校さん、安達東高校さん両校の生徒さんから校歌に入れてほしい言葉を募り、両校の先生方で作る校歌制作委員会が作詞されたそうです。

そして作曲が何と「あまちゃん」や「いだてん」の大友良英氏。スカ調のにぎやかな校歌になるんじゃないかと、余計な心配をしてしまいます(笑)。是非とも野球の甲子園に出場していただき、この校歌を全国に響かせていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

「家の光」の人くる、「青年」を盤に吹込むとのこと、


昭和30年(1955)8月26日の日記より 光太郎73歳

『家の光』は光太郎もたびたび寄稿していた雑誌。版元の家の光協会は全国農業協同組合、現在のJAグループさんの関連団体でした。

そこで校歌ならぬ団体歌のような「家の光つどいの歌」のレコードを制作、そちらには光太郎は関わっていませんが、B面に光太郎詩「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)と、竹内てるよの「わたくし」の朗読をプレスしました。
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上記画像、当方が入手した現物なのですが、ジャケット、歌詞カード的なものがついておらず、詳細が不明です。発行年月日、朗読者、「家の光つどいの歌」の方の作詞者、作曲者、歌手などなど。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

当時流行っていた「ピクチャーレコード」という種類のSP盤ですが、レトロな感じが実にいいですね。