一昨日、昨日と、一泊二日で岩手に行っておりました。レポートいたします。
12月3日(土)、新花巻駅に正午頃到着。
12月3日(土)、新花巻駅に正午頃到着。
待合室兼観光案内スペース。
花巻東高校出身の大谷翔平選手コーナー。
午後2時から花巻高村光太郎記念館さんで、現在開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の展示解説をせよ、ということで、駅でレンタカーを借り、市内太田地区方面へ。
まだ時間が早いので、記念館にほど近い道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
産直コーナーの中に、光太郎関連グッズ等のスペース。
少し離れたところで、先頃発売され始めた新商品「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」が販売されていました。それから、「智恵子のレモンキャンディ」も。
無料休憩スペース的な一角に、今夏、道の駅に隣接して作られたガソリンスタンド「リベルタはなまき西南SS」のオープン記念で、スタンドを経営する冨士見総業さんから寄贈された光太郎賢治関連書籍等のコーナー。
その脇では、「宮沢賢治と俳句」というミニ展示。
花巻俳句協会さんの肝煎りのようでした。
さて、花巻高村光太郎記念館さんへ。
といっても、まずは記念館ではなく、敷地内の高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。套屋に覆われたこの山小屋内に光太郎の魂の分霊がいまも居るような気がしていまして、「光太郎先生、また来ました」とご挨拶。今年3回目ですが(笑)。
既に雪が降ったのですが、まだ根雪になってはいません。
そして記念館。
早速、展示「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」を拝見。
昨今のこの手の展示で流行ですが、大きなタペストリーが実に効果的です。等身大(より小さいのですが)光太郎パネルも。こちらは以前に作られたものの使い回しです。
そうこうしているうちに市役所の皆さんがご到着。当方のべしゃくる解説を録画し、YouTubeで配信するそうで、光太郎の生涯を俯瞰しつつ、関連するパネル展示ごとにシナリオを考えて喋りました。
図録、とまではいきませんが無料で配付の冊子。
前半部分は当方の執筆です。配信動画用に喋った内容もこちらとかぶっています。
というわけで、「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」、期間が長く来年3月21日(火・祝)まで。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
夜新宿天兼といふにて天ぷら夕食、車で往復<天兼といふ家中々上等、>
「天兼」さん、現在も新宿に健在です。おそらく再訪したいと思ったのでしょうが、残念ながら宿痾の肺結核のため、この日が生涯最後の外食(入院食は除きます)となったようです。
花巻東高校出身の大谷翔平選手コーナー。
午後2時から花巻高村光太郎記念館さんで、現在開催中の企画展「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」の展示解説をせよ、ということで、駅でレンタカーを借り、市内太田地区方面へ。
まだ時間が早いので、記念館にほど近い道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
産直コーナーの中に、光太郎関連グッズ等のスペース。
少し離れたところで、先頃発売され始めた新商品「こうたろう&ちえこ ブランデンブルグの森」が販売されていました。それから、「智恵子のレモンキャンディ」も。
無料休憩スペース的な一角に、今夏、道の駅に隣接して作られたガソリンスタンド「リベルタはなまき西南SS」のオープン記念で、スタンドを経営する冨士見総業さんから寄贈された光太郎賢治関連書籍等のコーナー。
その脇では、「宮沢賢治と俳句」というミニ展示。
花巻俳句協会さんの肝煎りのようでした。
さて、花巻高村光太郎記念館さんへ。
といっても、まずは記念館ではなく、敷地内の高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。套屋に覆われたこの山小屋内に光太郎の魂の分霊がいまも居るような気がしていまして、「光太郎先生、また来ました」とご挨拶。今年3回目ですが(笑)。
既に雪が降ったのですが、まだ根雪になってはいません。
そして記念館。
早速、展示「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」を拝見。
昨今のこの手の展示で流行ですが、大きなタペストリーが実に効果的です。等身大(より小さいのですが)光太郎パネルも。こちらは以前に作られたものの使い回しです。
そうこうしているうちに市役所の皆さんがご到着。当方のべしゃくる解説を録画し、YouTubeで配信するそうで、光太郎の生涯を俯瞰しつつ、関連するパネル展示ごとにシナリオを考えて喋りました。
図録、とまではいきませんが無料で配付の冊子。

というわけで、「光太郎、つくりくふ。 光太郎の食 おやつ編」、期間が長く来年3月21日(火・祝)まで。ぜひ足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
夜新宿天兼といふにて天ぷら夕食、車で往復<天兼といふ家中々上等、>
昭和30年(1955)4月9日の日記より 光太郎73歳
「天兼」さん、現在も新宿に健在です。おそらく再訪したいと思ったのでしょうが、残念ながら宿痾の肺結核のため、この日が生涯最後の外食(入院食は除きます)となったようです。