このブログでご紹介すべき事項が多く、東北発の地方紙掲載ニュースをまとめて2件、ご紹介します。ネタに困っている時期ですと分割するのですが(笑)。

まずは光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖から。

二紙での報道が確認できておりまして、最初に『東奥日報』さん。

手作りパンフで十和田市紹介/三本木小児童/十和田湖畔で配布、歌や踊り披露も

 青森県十和田市の三本木小学校(坂本稔校長)の4年生97人が21日、同市奥瀬十和田湖畔休屋で地元のPR活動を行った。児童たちは、市の観光名所や特産物などを紹介するオリジナルパンフレットの配布、地域の踊りなどの披露で古里の良さをアピールした。
 児童は3班に分かれ、乙女の像や商店周辺、遊覧船発着場所の桟橋前広場でパンフレットを配布。受け取った県外客は「うれしい」「感動しちゃった」と笑顔で、手作りパンフレットをじっくりと眺めていた。
 桟橋前広場では、郷土を題材にした同校オリジナルソング「たからもの」を全員で合唱した。観光客たちは、カメラで撮影したり、手拍子をしたりして児童の元気な歌を満喫。流し踊り「三本木小唄」の披露では、見物客を誘い込んで一緒に踊りを楽しんだ。児童代表の大西花奈さん(10)が「また十和田に来て、良いところやおいしい食べ物を楽しんでください」とあいさつすると、盛んに拍手が送られた。
 PR活動について、丸井沙弥子さん(9)は「パンフレットを渡して十和田の魅力を紹介できた」、起田武君(9)は「恥ずかしがらずに伝えられた」と胸を張った。合唱や踊りについては、瀬川湧生(ゆうせい)君(9)が「踊りの輪に入れるよう誘い一緒に踊ってくれてうれしかった」といい、高渕鈴華(すずは)さん(9)は「(合唱では)盛り上がってくれてみんなも笑顔になれた」と満足そうに話した。

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同じ件で、『デーリー東北』さん。

観光客に十和田湖の名所や名産品PR/十和田・三本木小

 十和田市立三本木小(坂本稔校長)の4年生97人が21日、十和田湖畔で観光客らにふるさとの魅力を伝える活動を展開した。児童たちは三本木小唄を一緒に踊ったり、観光パンフレットを配ったりして、地元が誇る観光地の魅力をPRした。
 同校は「ふるさと力日本一」を教育目標に掲げ、郷土学習に力を入れている。2016年には、児童が考えた地域の宝物が登場する歌「たからもの」を制作し、翌年から4年生が湖畔で披露するなど、地元のPR活動を展開している。
 この日は、乙女の像と商店前、桟橋前に分かれ、道行く人に観光パンフレットを配布し、観光名所や名産品などを紹介。その後、十和田湖遊覧船の帰着に合わせ、外国人観光客らと一緒に三本木小唄を輪になって踊ったほか、高らかに歌を披露し、もてなした。
 江渡美莉亜さん(9)は「静岡県から来た人に十和田の自然の美しさを伝えた。踊りや歌は少し恥ずかしかったけど、喜んでもらえてうれしい」と声を弾ませた。
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微笑ましいニュースです。


続いては、仙台発で『河北新報』さん。

古里・女川の支援続ける洋画家佐藤幸子さん 来月3日から仙台で個展 ◎キャンバスに広がる希望 三陸の海、日の出力強く

 河北美術展顧問で日展会友の洋画家佐藤幸子さん(78)=仙台市青葉区=の油絵展「希望と共に」が7月3日、青葉区の仙台三越本館7階アートギャラリーで始まる。宮城県女川町で育ち、東日本大震災の津波で実家を失った佐藤さんが、被災地に希望を届けたいと4年ぶりの個展に願いを込める。9日まで。
 佐藤さんは現在、自宅アトリエでキャンバスに向かい、花をモチーフに最後の作品作りに絵筆を握る。これまで描いた三陸の海の風景も合わせ約35点を展示する予定で、うち「照耀(しょうよう)松島」は100号の大作。松島湾の日の出を力強く描き、2018年の日展で22回目の入選を果たした。
 「明るく希望あふれる作品を目指した。震災から8年が過ぎたが、立ち直れずにいる人にも見てもらえたらうれしい」と語る。
 他に中学生の時に女川の入り江を描いた水彩画「海」を展示し、21歳で山道に咲くヤマブキを情熱的な色使いで描いた油絵「萌(も)える」もパネルで紹介。思い出の作品で60年を越える画業を振り返る。
 佐藤さんは女川の子どもたちに毎年クリスマスカードを送るなど、古里の支援を続けている。震災後は絵
の収益を図書購入費として贈ったり、3校を再編した女川小を慰問して児童と交流したりした。「大変な思いをした子どもたちに逆に励まされた。再び絵が描けるのか悩んだ時期もあったが、創作の意欲をもらっている」と感謝する。
 個展の収益の一部は、女川の中学生が始めた津波の教訓を後世に伝える「いのちの石碑プロジェクト」に寄付される。

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昭和6年(1931)に紀行文執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して光太郎文学碑を建立、さらに毎年女川光太郎祭を開催して下さっている女川町がらみです。

佐藤さんは女川ご出身ということで、記事の最後にあるとおり、収益の一部は「いのちの石碑」プロジェクトに寄付されるとのこと。光太郎文学碑の精神を受け継ぐ活動ですので、ありがたいかぎりです。

殺伐としたニュースが多い中、このようなニュースで日本中が埋め尽くされれば、と思います。


【折々のことば・光太郎】

御質問の第二十一世紀を迎へる迄に世界平和の日が来り得ると思ふかどうか、といふ事については、遺憾ながら、来ないであらふと思ふ方に私は傾いてゐます。世界平和の日を懇望するにつけても、人類進化の遅々たるを痛感します。人種同志の偏見に勝ち得る人類総体のもう一段の進化にはどの位の年月を要するでせう。一寸想像もつきません。

アンケート「世界平和の日」全文 大正15年(1926) 光太郎44歳

残念ながら、光太郎の予想は当たってしまいました。22世紀を迎えるまでに、世界平和の日は来るのでしょうか。大阪で開催されていたG20が閉幕しましたが、その報道に接するにつけ、それも望み薄だろうと思われます。