アメリカの首都ワシントンDCにある国立美術館・ナショナル・ギャラリー・オブ・アートで開催中の企画展です。光太郎の父・高村光雲の代表作にして重要文化財「老猿」が海を渡って展示されています。

The Life of Animals in Japanese Art 「日本美術に見る動物の姿」展 

期  日  : 2019年6月2日(日)~8月18日(日)
       3rd and 9th Streets along Constitution Avenue NW, Washington, DC.
時  間 : 月~土 10:00~17:00  日 11:00~18:00
主  催 : 独立行政法人国際交流基金
          ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.)
       ロサンゼルス・カウンティ美術館

イメージ 1

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、米国のナショナル・ギャラリー・オブ・アート(ワシントンD.C.)及びロサンゼルス・カウンティ美術館との共催により、両美術館において「日本美術に見る動物の姿」展を開催します。
日本では古墳時代から、人々は動物や自然と共に歩み、共に生きてきました。1500年以上の長きにわたって動物は人間の友として、また時には人間を超える超自然の力として、様々な形で造形美術や文学の重要な主題となってきました。動物が芸術表現上、これほど主要な地位を獲得してきたことは日本文化の特徴の一つといえます。本展覧会では、人々の暮らしや精神風土、宗教観と深く関わってきた多彩な動物表現を、絵画、彫刻、漆芸、陶芸、金工、七宝、木版画、染織、写真など様々なメディアを通して探究します。
本展では日米あわせて約100の重要なコレクションから貴重な作品300点以上を展示します。このうち、7点の重要文化財を含む180点近くの作品は、これまでほとんど海外で紹介されることのなかった日本で所蔵されている作品です。この歴史的な機会は、日米両国における多くの関係者の協力によって実現することとなりました。本展のキュレーターはロサンゼルス・カウンティ美術館日本美術部長であるロバート・シンガー氏と千葉市美術館館長の河合正朝氏が務め、日本の専門家のチームが共同キュレーターとして参加しています。なお、シンガー氏は1973年度の国際交流基金日本研究フェローであり、自身のキャリアの初期に日本に長期滞在し、日本美術の研究を行いました。
ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーにとって本展は、「大名美術展」(1988年)、「江戸:日本の美術 1615-1868」(1998年)、「伊藤若冲-動植采絵」展(2012年)に続く4番目の大型日本美術展となります。2012年に開催された「伊藤若冲」展では一か月の会期中に231,658人もの観客が訪れるなど、日本美術への関心は高まりを見せています。「動物」という新たな切り口に挑む本展の開催により、米国において日本文化への理解が一層深まることが期待されます。


早速、NHKさんで紹介されていました。

ワシントンで「日本美術に見る動物の姿」展

アメリカの首都ワシントンにある国立美術館で、日本人が昔から動物と共生してきたことを表す日本の絵画や彫刻などの美術品を集めた展示会が始まりました。
「日本美術に見る動物の姿」展と題した展示会は、日本の国際交流基金などの主催でワシントンにある国立美術館で始まりました。
5日、行われた式典では日本とアメリカの専門家たちが展示品の説明に立ち「自然との共生が日本の文化の特色だ」と語り、美術品を通して動物を大事にする日本の文化を感じ取ってほしいと展示会の意義を強調しました。
会場には古墳時代の犬や鳥の埴輪から国の重要文化財となっている高村光雲作の木彫り「老猿」それに竜をあしらった江戸時代の武将のかぶとなど動物をテーマにした美術品300点余りが展示されています。
また、ファッションデザイナーの三宅一生さんや前衛芸術家、草間彌生さんの作品もあって、古代と現代の日本のアートが楽しめるようになっています。
今回の展示会を企画したロサンゼルス・カウンティ美術館のロバート・シンガー氏は「西洋美術では、動物をここまで取り上げない。日本の美術には動物への親しみがある」と話しています。

イメージ 2

イメージ 3 イメージ 4

「老猿」は、元々明治26年(1893)のシカゴ万博に出品するために制作されたもので、その後、アメリカで展示された事があるのかどうか存じませんが、いずれにしても久々の渡米でしょう。ちなみに平成28年(2016)には、台湾の國立故宮博物院での展示が為されています。

シカゴ万博翌年の明治27年(1894)には日清戦争が開戦するなど、アジアの覇王を目指していた当時の日本、ロシアとの関係もぎくしゃくしていました。日清戦争後にはいわゆる三国干渉で、下関条約によって得た遼東半島を返還せざるを得ず、後の日露戦争(明治37年=1904~同38年=1905)の遠因とも成りました。

シカゴ万博では、日本パビリオンと隣接してロシアのそれが設置され、「老猿」の眼光鋭い視線がたまたまその方向を向いていたため、日本がロシアに喧嘩を売っている図と解釈されました。「老猿」が右手に握っているのは、格闘の末、取り逃がした鷲の羽。これもロシア王室の紋章が鷲をモチーフにしていることから、深読みされた一因となりました。下は「老猿」制作に先立って光雲が描いたデッサンです。

イメージ 5

同展、9月~12月にはロサンゼルスのカウンティ美術館に巡回。展示替え等がなければ、「老猿」はしばらくアメリカに滞在ということになり、日本では見られません。

NHKさんで紹介されなかった他の出品作家は、伊藤若冲、河鍋暁斎、歌川国芳、曾我蕭白、岡本太郎、奈良美智、宮川香山など。作者不明の古いものも「鳥獣人物戯画」など、逸品ぞろいのようです。

渡米される方、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

ここに来てから満四年はたつので、春夏秋冬をいくつか繰返してゐる間に山の幸をいろいろおぼえて仕合せしてゐる。冬は雪が深いので何もないが、春夏秋には何かしら野生自生の食物が山にはある。

散文断片「山の幸いろいろ」より 昭和24年(1949)頃 光太郎67歳頃

光太郎歿後に見つかった原稿用紙1枚(以降欠)の文章から。おそらく『婦人之友』に不定期に連載された「山~」シリーズの下書き的なものかと思われます。