智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰を続けられている智恵子のまち夢くらぶさん。会員以外の方にも門戸を開いての研修旅行だそうです。
高村智恵子油絵「樟の樹」を訪ねる 山梨静岡の旅
期 日 : 2019年6月16日(日)・17日(月) 午前5時出発集 合 : 智恵子の生家駐車場 福島県二本松市油井
料 金 : ¥40,000
コ ー ス : 韮崎大村美術館―清春白樺美術館―富士川町高村光太郎文学碑―
河口湖畔(宿泊)―忍野八海―沼津第一小学校―小田原城址公園
河口湖畔(宿泊)―忍野八海―沼津第一小学校―小田原城址公園
申 し 込 み : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743

韮崎市の韮崎大村美術館さんでは、明治末に智恵子と同じく太平洋画会で智恵子と共に学んでいた亀高文子の絵画、光太郎のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)が展示されているそうです。
清春白樺美術館さんは、山梨県北杜市。光太郎もサテライトメンバーだった白樺派の面々の作品に混じり、3枚しか現存が確認されていない智恵子の油絵のうちの1枚、「樟」が所蔵されており、現在、展示中だそうです。
そちらからほど近い、山梨県南巨摩郡富士川町。昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のために光太郎が訪れたことを記念して建てられた文学碑があります。光太郎の自筆筆跡を拡大して刻んだ「うつくしきものみつ」の碑です。

冬至の頃にはここから見える富士山頂と昇る朝日が重なる「ダイヤモンド富士」が観測できるスポットとしても人気です。一昨年、当方が訪れた際には、昭和17年(1942)に光太郎が訪ねていった井上家の建物も健在でした。
沼津第一小学校さんには、先述の智恵子の油絵「樟」に描かれた木が健在とのこと。当方、こちらには行ったことがありません。
時間と興味のある方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
私は彫刻をあらゆる光線の下でつくるやうにしてゐる。最も不利な光線といはれるところでも作る。人工的に甘やかされたアトリエの室内光線でのみ製作するのはあぶない。いちばんいいのは外光の下で仕事することだ。このことはエジプト、ギリシヤの昔から抽象派の今日に至るまで変らない。
散文「焼失作品おぼえ書 1 ――アトリエにて9――」より
昭和31年(1956) 光太郎74歳
明治末、留学からの帰朝後に作った父・光雲の肖像は、まだこういう点に思いいたらず、失敗したと自分では言っています。