智恵子の故郷二本松に聳え、智恵子が「ほんとの空」があるといった安達太良山。5月19日(日)に行われた山開きの件が報道されていますのでご紹介します。

まず『福島民報』さん。 「ほんとの空」の語を使って下さいました。

”ほんとの空”体感 安達太良山で山開き

013 日本百名山の一つ、安達太良山(一、七〇〇メートル)が十九日、山開きした。県内外からの登山者約九千人が新緑を楽しみながら山頂を目指した。
 二本松市などでつくる安達太良連盟の主催。山頂付近で神事を執り行い、同連盟会長の三保恵一二本松市長らが登山客の安全を祈願した。先着三千人に記念のペナントが配られた。
 山頂付近を覆っていた霧は午前中に消え、時折青空ものぞいた。登山者は稜線を進み、沼ノ平などの雄大な景観を満喫した。


続いて『福島民友』さん。

「安達太良山」待望の山開き! 登山者ら風にも負けずに山頂へ

 二本松市などにまたがる安達太良山(1700メートル)の山開きは19日、行われた。頂上付近では風が吹き、雲がかかるなど絶好の登山日和とはならなかったが、約9000人の登山者が山頂を目指した。

 山頂付近では、安達太良連盟が記念イベントを行った。安全祈願祭では観光関係者と登山者らが一緒に、本格的な登山シーズンのスタートを祝い、無事故を願った。記念のペナントも配られた。友人と一緒に登った福島市の女性(65)は「とても登りやすく大好きな山。女性に優しいといえるかも」と笑顔で話した。
 ミズあだたらコンテストには39人が参加。ミズに桑折町の看護師菅野恵梨華さん(26)、準ミズには家族と登った鏡石町の幼稚園児鈴木妙英ちゃん(4)が選ばれた。菅野さんは「選ばれてびっくりした。安達太良山は景色がきれい。ますます好きになった」と喜び、妙英ちゃんは「うれしい」とはにかみながら笑った。


それから、山開きの報道ではありませんが、『朝日新聞』さんの福島版、今月3日の記事。

福島) 新天皇陛下、県内訪問は11回 再訪願う声も

 1日に即位した天皇陛下はこれまでに福島県内を11回訪れている(県調べ)。皇太子時代には新皇后の雅子さまと9回来県。うち3回は震災と原発事故後で、被災者を激励したり、復興状況を視察したりした。ゆかりの地の人たちは当時を振り返り、再訪を願う声も聞かれた。
 2015年10月、お二人はこの年の春に開校したばかりのふたば未来学園高校(広野町)を訪れ、地域の将来を考えるグループ学習の様子を見学した。
 丹野純一校長は当時も校長として応対し、「子どもたちが地域の課題と向き合う中で前を向いて頑張っていることを伝えると、『よかったですね』と応えて頂き、心強さを感じた」と振り返る。

  ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む

 雅子さまは翌年1月の「歌会始の儀」で、生徒たちのすがすがしいまなざしの印象を詠んだ。
 高校は今年4月、中学を併設した新校舎に移り、訪問時に植えたミカンの木も移し替えた。丹野校長は「復興の願いのもと、前を向いて頑張ることが学校の伝統。子どもたちがミカンの木を見て思い出すようにしたい。福島の子が、困難を乗り越えながら、ともに生きる姿を、再びご覧頂ける機会ができれば」と話す。
 1996年4月に私的旅行で来県した際には、安達太良山を登った。案内をした「あだたら山の会」の渡辺一郎さん(74)によると、お二人は登山靴を履いて雪が残るコースを30分ほど周遊したという。
 「(山頂の別名)乳首(ちちくび)山の名も知っておられ、登山客とすれ違うと、優しく声を掛けられたのが印象的だった」と渡辺さん。「山好きということなので、思い出の登山道を再び歩いて頂ければうれしいですね」と話す。
 登山後には休憩所で地元・二本松市の玉嶋屋の羊羹(ようかん)を口にしたという。同社の和田雅孝社長(64)は「疲れた時に一息つくには甘い物が一番。召し上がって頂いて光栄」と話す。

 2000年9月に全国育樹祭で来県した際には、柳津町の斎藤清美術館を訪れた。同館は即位を記念して、「ご夫妻がご覧になった斎藤清、そして会津」をテーマにした企画展を開催中だ。
 文化功労者の斎藤清(1907~97)は、故郷の会津に「日本の原風景」を求めた版画作品で知られる。3年前から勤務する伊藤たまき学芸員によると、お二人は訪問時に「会津の冬」と題したシリーズ作品を鑑賞しながら、「こんなに雪が降るんですか」と驚かれた様子で語り、作品の技法なども尋ねたという。
 記録をもとに展示を再現し、訪問時の写真も掲示した「もうひとつの会津の四季」展を6月23日まで開催中で、伊藤学芸員は「ご覧頂いた斎藤作品の魅力を、新しい時代に再発見しながら、多角的に紹介していきたい」と話す。(深津弘)
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ロープウェイ山頂駅にあるパネルと記念碑は平成8年(1996)のものだったのですね。知らずに行き会った一般登山客はさぞ驚いたことでしょう(笑)。
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さすがに天皇陛下となられてからは、なかなか登山というわけにもいかなくなるのでしょうが、古くから「智恵子抄」に関心を寄せられている陛下、海外のご友人にもその魅力を伝えて下さったりもなさっています。今後とも智恵子の故郷・福島をよろしくお願いしたいところです。


【折々のことば・光太郎】

ぬれ紙につつんで灰の中で焼く焼栗を電燈の下でぼつぼつ食べていると。むかし巴里の街角で、「マロンシヨウ、マロンシヨウ」と呼売していた焼き栗の味をおもい出す。あの三角の紙包をポケツトに入れて、あついのを歩きながら食べたことを夢のように思い出す。あれはフランス、ここは岩手、なんだか愉快になつたものだ。

散文「山の秋」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京した後、中野のアトリエでかかれた文章。前年まで7年間を過ごした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での蟄居生活の回想です。

そういえば今上陛下、学習院中等科時代の昭和49年(1974)には高村山荘も訪れられています。今度は雅子さまともどもご来訪いただきたいものです。