智恵子の故郷、福島二本松のレポートに戻ります。

5月18日(土)、智恵子生家/智恵子記念館さんから徒歩数分の鉄扇屋さん蔵で、シャンソン系歌手・モンデンモモさんと舞踊家増田真也さんのコンサート「モモの智恵子抄」を拝見拝聴したのち、安達太良山中腹の岳温泉さんに宿泊しました。

イメージ 1 イメージ 2

宿はマウント・インさん。昨年度までせせらぎ荘という名前でしたが、リニューアル。リーズナブルな料金でしたが、実に快適な宿でした。

翌5月19日(日)が第65回安達太良山山開きということで、行って参りました。毎年このブログで紹介するだけ紹介しておきながら、実際に参加したのは初めてでした。なかなかこれだけの目的では足が向きませんでしたが、前日のモモさんのコンサートがあったので、いっそのこと登ってみようと思った次第です。

岳温泉さんから、8:05発のシャトルバスで奥岳登山口へ。天気が心配でしたが、とりあえず雲間から「ほんとの空」。愛車で登山口まで行くことも出来たのですが、相当の混雑が見込まれ、すると登山口からかなり下の駐車場に駐めねばならないと予想し、シャトルバスにしました。実際、その通りだったので正解でした。

006

8:40、ロープウェイで山頂駅めざして出発。当方、登山マニアではありませんので、楽に行けるところまで楽に行きました。ただ、山頂駅といっても、安達太良山頂までは約1時間30分歩くと案内に出ています。

007 (2)

かつて皇太子時代の今上天皇陛下と雅子さまも登られたそうで、山頂駅にはパネルや記念碑が。

007


山頂までの登山道は、けっこう難行苦行でした。時間的には1時間ちょっとで行けましたが、雪がかなり残っており、その雪解け水で泥の河と化している箇所や、がっつり雪原となっている箇所などもあり……。

008


そして山頂。着いた時には濃霧でした。霧というより雲の中に居たようなものかもしれません。

イメージ 15

一瞬、霧が晴れたときに撮ったのが下の画像。

イメージ 16

この溶岩ドームが安達太良山最高地点。別名「乳首山」のまさに乳首です。

こちらは中腹からの画像。赤丸の部分が上記なわけで。

イメージ 17

先着3,000名に、記念のペナントがもらえました。

イメージ 18

令和元年ということで、「令和」の出典となった『万葉集』中の安達太良山を詠んだ歌が取り上げられていました。

帰りのシャトルバスの都合などもあり、もらうものをもらい、それから急いでこのブログ5/19の記事をスマホから投稿し、下山。

山頂以外にもう一つの目的地だった薬師岳パノラマパークへ。ロープウェイ山頂駅の近くです。

駅からすぐの分岐点を左に行けば山頂、右に行けば薬師岳パノラマパーク。

009


ここには観光案内等でよく使われる「この上の空がほんとの空です」の一文を刻んだ木標があり、これも今まで見たことがなかったもので。

010

011
「ほんとの空」、言わずもがなですが、この語は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採られています。東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故以来、福島の復興の合い言葉にもなっていますね。 

あそこまでよく登ったなぁ、と思いながら、木標越しに山頂を眺めました。

まぁ、楽な道のりではありませんでしたが、さりとてアイゼンやらザイルやらの本格的な装備は必要ありませんし、わんこ(ビーグル犬)まで登っていたルートですので、それほどでもありません。ただ、雪が残っているうちはストックなり杖なりがあった方が安心だったなと思いました。それから、靴とズボンが雪解けの泥でどろどろになってしまったのには閉口しました。

再びロープウェイで奥岳登山口に。その時点で11時30分ぐらいでしたので、3時間弱で往復できました。帰りのシャトルバスは12:20発。それをのがすと14:00までありません。

比較的余裕を持ってレストハウスで昼食。すると、以前にここまで来た時には気づかなかったのですが、壁に光太郎智恵子の写真などが展示されていました。



012


それから、この石碑も観て参りました。

イメージ 28

イメージ 29   イメージ 30

イメージ 31

「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」。光太郎詩「樹下の二人」(大正12年=1923)で使われているリフレインです。

この石碑、ネット上などでもあまり紹介されておらず、正確な場所がわからなかったのですが、探し当てました。最初、レストハウスの従業員の方にスマホで画像を見せて訊いたところ不明、次にパトロール事務所の方に同じように訊いても分かりませんでした。半分諦めかけながら周辺をぶらぶら歩いていたところ、なんのことはない、パトロール事務所の隣にあるスキースクールの建物のすぐ脇にありました。ここらで働いている人達にも知られていないのかと少し残念でした。

その後、再びシャトルバスで岳温泉さんに戻りました。さすがに足が疲れていましたので、有名な桜坂の途中にある足湯へGO。

013


気持ちよかったです(笑)。

足だけでなく、日帰り温泉にがっつり入浴しようかとも考えましたが、さすがにそこまでやるとバタンキュー(死語ですね(笑))となりそうでやめました。

この後、岳温泉さんに駐めておいた愛車を駆って千葉の自宅兼事務所に。

というわけで、前日の「モモの智恵子抄」と合わせ、有意義な二本松行きでした。みなさまもぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

明治以来イギリスの影響をもつとも多く受けていながら、いまの日本で一番欠けているのはジヨンブルのイギリス的性格だ。人間同士が信じ合うこと、不信に対するきびしい批判――他の国では持ち得ないものである。

談話筆記「皇太子さまを送る」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

「皇太子さま」は、さきに退位された現上皇陛下です。この年3月、イギリス女王エリザベス2世の戴冠式出席のため、横浜から船で向かわれたそうです。

「ジヨンブル」は「典型的英国人」の意。光太郎自身、明治40年(1907)から翌年にかけ、ロンドンに滞在しており、芸術の部分ではあまり学ぶところはなかったというものの、重厚で歴史ある英国人のライフスタイルには非常に感銘を受けたそうです。

そういえば、日本に近代的登山を紹介し、大正2年(1913)の上高地で光太郎とも交流があったウォルター・ウェストンも英国人ですね。